Coolier - 新生・東方創想話

境郷2 (5)

2008/02/13 09:48:08
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*というわけで『境郷2(4)』のさらにさ(中略)に続きとなります。
 (1)~(4)を読んでいない場合は状況がわけ分からないと思いますので、出来れば前の方からお読みください。
 それと、各章の冒頭にもあります通り、このお話は一部ないしある程度の範囲で、
 作品集31の拙作『境郷』と舞台や人妖設定などが共有されています。……が、
 いちおう『2』の一連だけでもそれなりに独立したお話として楽しめるようにはなっています。
 オリキャラ警報はもう終日発令の予定ですので、
 そういうのが駄目な方は過度の摂取を避けるか、一定量ごとに小休止をはさんでからお楽しみ下さいますよう。

 以下、あらすじっぽい文字の羅列

ふと目にした新聞記事に興味を惹かれ、
 妖怪と人間がそれなりに折り合って暮らしている郷を訪れた我らがメイド長、十六夜咲夜。
 平穏な、幻想郷にどこか似ているその地で人びとと過ごすうち、
 咲夜は外の世界の片隅で楽園を作ろうとする真っ直ぐな意志に触れる。
 しかし、平穏なその地に、嵐が訪れた。
 それに対処すべく、常ならぬ積極さと猪突さで動くメイド長。
 だが、その時、時間が止まらなくなった。

 そんなこんなで、境郷2(5)となります。
 佳境だろうと言いつつ、まだもう少し長いお話となりそうです。
 お茶かお茶菓子、またはその両方があるとほどよい加減で楽しめると思います。

 では、どうぞ


























 境郷2 ~ The Border Land Story (5)






























山あいで、夕暮れとはいっても、夏の陽射しはまだまだ強い。

その光の元、対峙する者達が居た。

一方は力を封じられながら、常ならぬ汗で背筋を濡らし、

一方は力を封じ、自らがめぐりあった順境に唇を濡らし、

茜に染まる風景の一部となったかのように、互いに動かず、対峙していた。


「…………」


誰も動かないまま、しかし時だけは過ぎていくことを、二つの時計の奏でるリズムと傾き続ける陽射しだけが教えてくれている。

咲夜は動けない。

飛べず、時も止められず、空間も操作できない以上、手はほとんど無いに等しい。

代表とよばれ、今どうやってか咲夜のものと寸分違わぬ時計を手に持ち、その力のほとんどを封じた男は、動かない。

何か思考をしているのか、嗤った形のまま夕日に照らされたその奇顔を歪め、悠然と立っている。

そして、この場において再び動いたのは、余裕を持ったほうだった。


「……さて、どうするね?」

「…………」


問いかけに、咲夜は応えない。それどころでは、ない。

先ほどから数度、十数度と試みているものの、依然として時計と彼女の能力は頑なに使い手を無視したままだ。

原因はまず間違いなく、あの男の持つ時計。

コピーと言っても良いほど自身のものと似たそれが、どうやら咲夜の能力にカウンターとして作用し、
チカラの発動を封じていることは明らかだった。

とすれば、事態打開のためにはアレを機能停止に、つまり壊すか、最低限それを起動させている筈の男の手から離さねばならない。

この状況下で頼れるのは己の五体のみだったが、多少の心得があるとはいえ咲夜の体術はそれほど卓越したものではなく、
能力による上昇効果を度外視しても普通の魔法使いや巫女あたりと比べてやや上という程度に過ぎなかった。

そんなものでは、目標となる男ひとりはともかく、先ほどから周りを包囲しつつある黒服10名ばかりを相手取るには苦しい。

こんなとき、同僚の紅くて緑の門番が有するほどの技量でもあれば何とかなるのかも知れないが、
無いものねだりをしてもどうにもならなかった。


「……では、こちらから提案させてもらおうか」


咲夜の心境を知ってか知らずか、悠然と男が動く。

時計を持たない方の手で黒服達に何事か合図を送ると、半数が構えを取ったまま包囲の輪を縮め、
残る半数は手の銃を油断なく照準してその場にとどまった。


「大人しくその物騒な刃物を捨てて降伏してもらおう。
 ついでに、残っているかくれんぼの参加者にも出てくるように説得してくれるかな?」

「……御免被るわ」

「ほう……手詰まりのように見えるが、この期に及んで打開策があると?」

「そうね、種ナシの手品は得意だから」


ハッタリもいいところだ。正直、種があろうがなかろうが煙の一筋も出るか疑わしい。


「ふん、では、見せてもらおうか」


男は空の手を上げた。応じて、黒服達が力を溜める気配。


「…………」


こうなったら、一か八かの捨て身であの時計を狙う他なかった。

この際、銃弾の一発や二発、致命傷にさえならなければ食らうこともやむを得ないだろう。

叩き落とすか、ナイフを力一杯突き立てて壊せば勝機はある。

咲夜がそう決め姿勢を低くしたのを見て、男が片目だけを動かした。


「…………」

「…………」


じりじりと肌を焼く陽射しが徐々に大人しくなっていく中で、互いに引き絞った弓の様にその一瞬を待つ。

不意に、どこか少し離れた場所で金属が地面に落ちる音がした。

それは、咲夜が先刻投じて空間を固定されていたナイフが時間の経過とともに固定を解かれ落下した、
その音だと理解するより早く、男の腕が振り下ろされ―――

―――るよりもさらに早く、重く鈍い打撃音がひとつ、その場の全員の鼓膜を震わせた。


「ぉうっ……」


強制的に吐き出された空気がそのような音になって黒服の1人の口から出る。

瞬間、居合わせた全員の視線が萃まった先で、黒いマントが夕日の中でも尚目立つ緋色の裏地も鮮やかに翻し、
その向こう側で、茜色に照らされたほとりが降り立った。


「な……と、取り押さえ―――ぅおっ!?」
「逃げろ! 姫、十六夜殿ッ!!」


中途で止まった腕を振り下ろそうとした男をゼンさん(仮称)が体躯に似合わぬ敏捷さで体当たりして吹き飛ばすが、
男も時計は手放さない。

反射的に黒服達の注意がほとりに向くが、もともと包囲されている以上咲夜も迂闊に動けない中、
ほとりが裂帛の気合を放つ。


「はあぁっ!!」


その姿がかき消え、半瞬後に出現したときには咲夜の至近に居た黒服の後頭部をしたたかに蹴り飛ばしていた。

再び黒服達が向き直るよりも早く、咲夜の手を掴んで叫ぶ。


「行くよ!」


掴まれた咲夜には、僅かの逡巡があった。

ここで全員を倒し、全員を助けるべきではないか。

だが自分は依然として能力不全の状態にあって、戦力としてまともなのはほとりのみ。

相手はなお10人近く居て、しかも増援が期待出来る一方、こちらは縛られ動きの制限された人質を抱えて戦うハンデがある。

そのような状況である以上は、最大の戦力であるほとりの戦術選択こそこちら側の方針を決定する最優先の意志の筈で、
追い込まれても未だに残る咲夜の意識の冷静な部分は即座にその判断を下すが、感情と体が連動しない。


「……ええ!」
「しっかり掴まって!」


ぐい、と人間離れした(妖怪なのだから当たり前だが)ベクトルが小柄な身体にしがみついた咲夜にかかる。

急速に後方へと流れる景色の向こうで、黒服にのしかかられるゼンさん(仮称)と身体を起こし何事か叫ぶ男が見えた。

途端、周囲を小さくて速いモノが複数かすめていくが、次弾が来るよりも早く2人は有効射程を脱し、郷の外れに到達。


「このまま一気に離脱するよ!」
「任せる、わ!」


本来の自分ならば何ともない筈の運動の中で呼吸困難になりながら返事をした刹那、
方向転換をしようと一度地面に足をつけてぐいっと捻ったほとりの左肩に、赤より紅い華が咲いた。


「「!!」」


不意に世界が色を失う。

反射的に振り向いた咲夜の紅い瞳は、2人が来た方向から死角になった建物の影で、
こちらにその口から煙を上げて黒光りする金属――銃を構える黒服を捉えた。

そいつに向けてナイフを数本投じ、身動きもしない黒服の銃を持つ手と肩へ瞬時に直撃したのを見てから、
咲夜はようやく自分が封印から解放されていることを悟り、我にかえった。

だが、止まった時の中で判断に迷ったのはそう長くはない。

ほとりが負傷してしまった以上、当初の方針の継続は不可能、
かといって、今から咲夜ひとりで取って返すにはやはりあの男の持つ時計がボトルネックになるのは明らかだった。

そう断じて時間停止を解除、方向転換中に撃たれたことで体勢を崩したほとりを抱きとめる。


「ぁっ! うあ?」

「大丈夫……というにはちょっとアレね」

「へ、あれ? あれ?」


咲夜と、ようやくナイフが刺さって銃を取り落とす黒服とを見るが、理解速度が状況に追いついていなかった。

封じの後遺症かいきなり鋭い頭痛が襲い、思わず顔をしかめてしまう。


「だ、大丈夫!?」


よほど酷い顔をしたのか慌てて問うてくるほとりはと言えば、
痛みはそれほどに無いようにも見えるが、撃たれた肩から下は力なくぶら下がっているだけだった。

すぐには動かせそうにも見えない。


「あなたよりは……ね、ひとまず―――」


視界の端、郷の中央方向から黒服数名がこちらへ向かってくるのが見え、更にその後ろには例の奴が居た。

まだこの距離では時計のカウンターが作用しないのか、能力の動作状態に特に問題はないが、猶予は少ない。


「……ひとまず、退くわ」
「…うん」


短いやり取りだったが、お互いにお互いの状況は把握出来たように感じた。

時計を握りしめ、襲いかかってくる頭痛を奥歯でかみ殺して強引に時間停止を起動、飛行を開始する。

何故か網膜にこびり付いて離れない先ほどの、ほとりが撃たれた瞬間のヴィジョンを振り払うように咲夜は速度を上げた。































「代表、お怪我は」

「無い、大丈夫だ」


瞬間移動のように咲夜とほとりが姿を消し、黒服達を率いて男は再び郷の中央にある広場に戻ってきていた。

既に人質はもともと収容していた建物に戻すように指示を出しているから、その場には男と黒服数名しかいない。


「いかがいたしますか?」

「捜索は続行だ、危険を感じたらすぐに私の所へ戻るように徹底させろ。
 人質は効くぞ、必ずまた来る、油断するな」

「は」


指示を伝えに立ち去る黒服を見やりながら、男の目は別のモノを見ていた。

手の上で先ほど自らを救った時計を弄ぶ。


「……まさかこんな形で役に立つとはな、分からんものだ」


夕日の光はほとんど届かなくなり、夜の帳が降りつつあった。

そのかすかな光に照らされながら、男は再び奇顔をぐにゃりと愉快げに歪め、声一つ立てず、不気味に笑っていた。































夢だった。

それが夢であることを、浮遊感に包まれた意識で咲夜は理解していた。

そして、その夢の内容が何であるかも、ほぼ正確に把握していた。


(……ああ、そうだ)


つい、ほんの数刻前、思い返そうとして詳細に至らなかった「十六夜咲夜」以前の自分の記憶。

目の前にあらわれた夢は、そういうものだった。


(……きっと、しあわせ、だった)


小さな人里の、さらに郊外で、幼い彼女と、母親らしき人と、その祖父母とが暮らしていた。

何故そうだったのか、当時は分からなくても、今の自分には何となく察しがつく。

その人里は、それ自体が隠れ里と呼んでいいものだった。

ふつうのヒトの社会で生きて行けぬ、或いは逃げ出し、或いは追い出された者達の住処。

そこは、はみ出し者達がつくった、ロクデナシ共のささやかな楽園。

流れていたのは、ささやかな平穏の時。


(……けど)


それは続いて行かなかった。

噂に拠ってか、迷い込んだか、或いはもともとお目こぼしで生存し得ていただけだったのか、
自分たちの世界に僅かな異端さえ許さない人々は、其処に住む者が『違う』というだけの理由で、狩った。

勿論、狩られる側もただ狩られていたのではないが、
多くは争うよりも、逃げ延びて再び何処かでささやかな楽園を築くためにその力を振るおうとした。

しかし、何故かそれさえも叶わなかった。


(どうしてだったんだろう……?)


まだまだ幼かった当時の彼女には、そこまで教えられなかったし、多分教えられたとしても理解出来なかっただろう。

ただ、あるいは先刻自分の力を封じたあの時計が、何かの意味を持っているには違いないと思った。


(どうして……)


その後、自分ひとりが幻想郷に流れ着いた。

あいだに如何なる経緯が存在したのか、それに関してはいよいよもって記憶が欠落しているようで、
どうやらその部分は本当に覚えていない可能性が高い。

どういう巡り会わせを経たのか、今になって生き残りである自分と自分の時計と、そしてあの時計が一堂に会した。


(……縁……)


あの男の奇顔とその言葉が蘇る。

だが、不思議と恐れは感じず、それどころか奇妙な話で、挫かれた戦意と闘志とがどこからか湧きあがってくる感覚さえあった。


(……感化されたかしら?)


ふと、そう思った。

誰からと、すぐさま挙げるには多すぎるが、確かに思い当たる何人かはいる。

それは白黒い鼠の魔法使いのしぶとさと隠れた努力であったり、紅い門番の割と不屈っぽい根性であったり、
あるいは主の妹の天真爛漫さであったり、巫女の暢気さであったりした。


(って、大半は人じゃないわね)


夢の中で苦笑する。

と同時に、沈んでいた意識が強く浮上する感覚。どうやら起きる頃合らしい。


(さて……)


覚醒の波を強く感じる。

一瞬、意識の上で下、いまし方まで見ていた記憶の方を向いた。

ぼやけて良く判らないが、おおきくて、あたたかい人が微笑んでくれていたような気がする。

微笑を返し、その大きな残照にひとときの別れを告げた。

定かかどうかも分からない思い出とも言えない記憶だが、そんな人が確かにいたことは忘れないでおこう。

覚えていればまた会えるのだから。


(けれど、今の私は)


紅魔館のメイド長、完璧で瀟洒な従者、十六夜咲夜。

ゆっくりひとつずつ、かみしめるように、となえるように呟き、浮上するまま流れに意識を委ねた。

垣間見えるのは、これまで心の書棚に納めてきた、そしてこれからも増えていく主人との光景の数々。

珍しく色々とせがまれた土産と、これまた珍しい土産話を持ち帰る約束がある。

そしてそこには、今の自分『十六夜咲夜』の最初の記憶にして、誓いもあった。


『……決めた』

『はい?』

『咲夜、十六夜咲夜』

『いざよい、さくや……ですか』

『そう、今日からお前の名前は、十六夜咲夜。
 満月に寄り添う不完全なまま回る月、次の満月への時を最初に刻む月、私の従者にピッタリだ』

『はあ、なるほど』

『あんまり感心しちゃ駄目よ』

『む、何か文句でもあるのか、パチェは』

『先に名前ありきでしょう。
 確か、その娘を拾ったのが十六夜。
 そこから格好良く聞こえる言い回しを後から考えた、違う?』

『むむ……なら、そういうパチェには代案があるんだろうね』

『無いわ。レミィの従者でしょ』

『……だったら決まりね。
 貴女はたった今から十六夜咲夜よ』

『は、はい、ありがとうございます、お嬢様』

『あらあら、良いですね、お嬢様から名前を頂けるなんて』

『ん、何だセレーネ、羨ましいの?』

『いいえ、ようやく見所のありそうな娘が来てくれたものですから、嬉しいのですよ。
 後継者として不足は無いですわ』

『後継者……?』

『アレね』

『アレだわ』

『メイド長って役職の名前くらい覚えて下さいね、お二方とも』

『それはそうとして……まだ気が早いんじゃないのか?
 セレーネも引退するような年じゃないだろうに』

『いいえいいえ、ほらこの通り私ももうおばあちゃんですから、
 さっさとメイリンを内勤に戻して、山にでも隠棲しようと思っていたところなんです』

『山って、確か……妖怪の山、かしら?
 ていうかあなたそんな年にはとても見えないけど』

『ええ、まあ小300年ばかり放っておきましたから、そろそろアレも反省してるでしょうし、
 ちょうど良い頃合ですわ』

『気の長い夫婦喧嘩だな』

『ま、イヤですわお嬢様、そんな狗も喰わないオシドリ夫婦だなんて……ポッ』

『言ってないよ』

『言ってないわね』

『まあ、そういうわけだから、えーと、咲夜』

『は、はい』

『この通りの主人と居候と、あと妹様と居るけれど、
 あなたがそうしたいと思う限りは、お傍に居てあげてくれるかしら』

『……でも、私は』

『ん?』

『私はずっとは同じ時を……刻めません。
 人間、ですから』

『良いじゃないの、人間で』

『え……?』

『幽霊も亡霊も魔女も吸血鬼も妖怪も、それこそ天狗も鬼も死神も閻魔さまも、
 きっとみんな違う時計で、それぞれの時間を刻んで生きてるのよ。あ、一部は死んでるか。
 ともかくね、咲夜、あなたの時計はあなたが共にそうしたいと思った相手と一緒に時を刻みなさいな』

『セレーネさん……』

『うふふ、メイド長の心得その1よ』

『……あの、お嬢様』

『ん、何、咲夜?』

『その、私がお傍に居させて頂いても……よろしいのでしょうか』

『よろしいも何も、さっきからそう言ってるよ。
 咲夜がイヤでも私がそうする』

『ぁ……はい!』

『そうそう、あーんまり頼りなかったりカリスマが足りなかったりしたら見捨てて良いわよ?
 これ、メイド長の心得その2ね』

『おい、こらセレーネ!』

『うふふ、いやですわお嬢様、さすがの私もグングニルはちょっと痛いですよ』

『えぇいそこへ直れ! そのねじくれた性根を矯正してやるッ!!』

『あらあらあらあら?』

『……二人とも、ここは図書館よ』

『……ふふふ、あははは』

『あらあらあらあら』

『待てェ―――いッ!!』


大昔の記憶と一緒に、少しく余計なものまで掘り起こしてしまった。いけないいけない。

緩む頬を引き締め、上を向く。

意識の表面は、すぐそこに迫っていた。































「……おはよう」

「あ、起きた?」

「今、何時?」

「んー……10時くらいかな、夜の」

「そう」


ということはほんの2、3時間ほどしか寝ていないことになる。

夕刻の一件の後、負傷したほとりを抱えてひとまず避難場所の洞窟まで退いた咲夜は、
その時点まで耐え凌いでいた頭痛のために到着と同時に意識を失っていた。

コキコキと首や肩を動かしながら体の状態を確認する。特に問題なし。

次に時計を持ち意識を集中、時間も止まるし空間の操作も完璧で瀟洒だ。


「……なんだか妙に元気そうね?」

「あら、そう?」

「んー、なんていうか、倒れる前とプチ別人? みたいな感じ」

「……かもね。
 で、あなたの方こそ大丈夫なの?」

「ん、あーこれ?
 へーきへーき、あと小1時間もすれば完治するよ」


ぐるんぐるんとつい先刻銃で撃たれた左肩を回すが、すぐに「うぐぅっ」と呻いて少し固まる。


「……へ、平気だもん」

「涙目になってるわよ」


苦笑しつつ、咲夜は即席らしき寝台から起き上がった。

意識を失う前の散々な状態と大して長くもなかった休眠時間に比べ調子は上々だ。


「……夢のおかげ、かしらね」

「ん?」

「なんでもないわ」


露骨に首をひねるほとりだったが、その動作がまた肩の傷に響いたのか顔をしかめる。

そこに荒々しい足音と共に、咲夜も見慣れてしまった二人が駆け込んできた。


「「おねーちゃん!!」」

「ぐはあ」


かん高くも元気の良い声がこれまた傷に響いたか返事の代わりに唸るほとり。

何となく二日酔いっぽいなあと咲夜は思ったが言わないでおいた。


「ふ、ふーちゃんにたーくん、出来ればも少し静かにお願いね」

「「あ、うん、わかったー」」


昨日と昼間と、立て続けに面倒を起こしておきながらあまり悪びれるところが無いあたり、
ひょっとすると妖怪じゃなくて妖精あたりとのハーフとも思われるが、確証はない。

そんな少年少女の組み合わせは、咲夜にとってもお馴染みとなったふーちゃんとたーくん(いずれも愛称)である。


「あ、さくやおねーちゃんも起きたんだ」

「ええ、おはよう」

「おはこんばんちわー」


外の状況を色々と無視しているような暢気なやり取りが交わされた。
咲夜自身、なんとなく汚染されているような気がしないでも無い。


「それで、どうだった?」

「あ、うん、ナオにーちゃんと神主さんはうまくいったよ」

「それで、ほしみんとひなたんとつきちゃんもちゃんと後をついてった」

「よし、まずは成功ね」

「……えーと?」


調子が上々とはいえ、自分が寝ていた間のことまでは知らない咲夜が疑問符を浮かべ、
ほとりがそれに気付いた。


「あ、そっか、まだ説明してなかったね。
 んー、まだ本格的に動くまでは時間があるし、どこから話そっか?」

「そうね……それじゃあ、私が寝てた間のことを全部」

「ん、わかった。
 それじゃみんなは打ち合わせ通りにって伝えておいて、オーケー?」

「「らじゃー!」」


どたばたと出て行った2人分の足音にまた少し顔をしかめてから、
ほとりは咲夜に向き直り、ふと何かに思い至ったように表情をあらためた。


「どうしたの?」

「んーとさ、いいの?」

「何が」

「その、なんというか、まだ協力してくれるのかなって」

「ああ……」


不安そうに聴いてくるから何かと思えば、と即答しかけて、
その答える台詞がいかにも見知った誰かのそれに酷似していて、
いささか完璧で瀟洒な従者として趣に欠けるようにも思ったのだが、
しかし今更出掛かった言葉にすぐ代用を思いつく事は出来ず、観念して咲夜は言った。


「当たり前でしょう」


思わず語尾をだぜなんて言いかけて一度時間を止めたことは、土産話の中からは削除しておくことにした。































郷の一角にある、それなりに大きめの建物は、元は地主か何かの家だったらしく、作りだけは立派で広い。

もっとも、今はそれが災いして人質の収容所と化しているのだから、あまり良いことばかりではなさそうである。

さて、そこには現在ざっと20人ほど郷の人間が縛られ放り込まれているのだが、
その中で約2名ほど、微妙な居心地の悪さを感じている純正人間がいた。


「な……なあ、ここって、どこだろうな」

「さあな、お前の言ってた巫女さんの理想郷ってやつなんじゃねえの」


おどおどと相方に話題を振るも、その相方は自分が現在置かれた状況にまるきり満足していないのか、
返答はごく冷淡であり、そっけなかった。

お忘れかもしれない読者諸氏の為に簡単に彼ら2人の素性を話しておくと、
本作(3)の冒頭でかの代表なる男と黒服達に拘束された2人である。

ひょろ長い方を便宜上タテと呼び、肉厚で上下左右共に幅の広い方を便宜上ヨコと呼ぶ事にしているが、
落ち着き無く辺りを見回し、しきりと相方に話しかけている方がタテであり、そっけない方がヨコということになる。

この2人、間接的かつ偶発的ではあるものの、例の代表以下黒服たちによる郷への侵入を助長、
ないしは促進してしまったという後ろ暗さが多分にあり、それはこの2人を代表と呼ばれた男が黒服を従え直々に放り込みに来た際、
それらしき独りごとを大きすぎる声で言った事からその場の全員にも伝わってしまっていた。

ついでながらに言えば、一連の流れの元凶はどちらかというとタテであり、ヨコはなんとか離脱を試みたが為せず、
というのが正しいが、言い訳になると思っているのかヨコとしても弁解するつもりは今の所ないらしい。

さてさて、この2人と前後して生傷を増やしたゼンさん(仮称)以下数名の一度連れ出されていた人質が戻って数時間、
外は既にとっぷりと暮れており、今日という日の時間もあと1割を切った頃のことである。

表で何がしかやや大きな声でやり取りがあった後、郷の面子にとっては見慣れた顔が黒服に連行されてきた。


「……あ、神主さん」


と、誰かがポツリともらした通り、縛られて黒服に連れられ現れたのは、
昼間の襲撃の前の段階で子供達と共に逃げた筈の神主だった。

すわ逃げた連中も捕まったのかと思った数人が絶望のうめきをあげたが、連れられて来たのは神主のみであったこと、
またその表情が平然としていたこと(もっとも普段からあまり表情の変わる方ではない)が残りの人びとの平静を保たせた。


「……神、主?」


タテが何かの期待を込めてその方向を見やったが、ヨコ共々にどうも先ほどから相手にされておらず、今回もそうだった。
そんなタテとヨコの視線の先で固まりになって輪を狭めた郷集の中心で、不意にその神主が耳をすませるような仕草をとる。

つられてその場の全員が、縛られたまま顔だけ傾けて耳を澄ませるといういささか奇怪な光景が数分ほど続き、
その姿勢に耐え切れなくなった数人がプルプルと震えだした頃、外から鈍い音が数回響いた。

ざっと音を立てるようにして全員の視線が玄関の方を向き、そこで先ほどから黙然と監視をしていた黒服1人が身構える。
その黒服は、おもむろに玄関の戸口とは反対の方向から襲いかかってきた空飛ぶ棍棒に後頭部をどつかれ、気を失った。

一同が固唾を呑んで見守る中、まず倒れた黒服が虚空から出現したロープで縛りあげられ、次いで音も無く玄関が開き、
表で見張りをしていた筈の黒服2人がひとりでにずるずると何かに引っ張られるようにして入ってくると、
すぐにその2人も同様に縛られた。


「……お待たせしました、皆さん。
 意外とあいつらが神主さんをすぐに引っ張って行ってくれなかったので、遅くなりまして」


そして不意に何もない空間から声がして、次にジッパーを下げる音とともに青年の上半身だけが姿をあらわした。
安堵した郷の面々から深い溜め息が漏れる。


「ナオ君か、助かったぁ……あー、ところで、それは?」

「ああ、これですか?」


ぱさりと、まるで雨合羽のようにそれを脱いで全身を見せると、両手でひらりと広げて見せた。
同時にその向こう側の景色がナオ君と呼ばれた青年を透かして雨合羽に映る。

それを見たタテが思わず言った。


「こ、光学迷彩だ……」


タテの呟きに一座がざわりとそちらを向く。
ナオ君なる青年も神主も、かすかな警戒感を滲ませて目を細めた。


「アホ、警戒されてるじゃないかよ」

「いや、だ、だってあれは」

「……随分、詳しいのだな」

「え、えーと、そ、外でも空想上の物ですよ……まだ」

「ええいお前は余計な事を言うなと言うのに!」

「あだっ!」


げすげすと縛られたままヨコがふとましい足でツッコんだ。
その間にも、ナオ君とどこに隠し持っていたのか脇差を取り出した神主が人びとの縄を斬っている。


「河童の子が急造でこしらえてくれたのを借りたんです。
 あまり長時間は持ちませんし、数も無いんですが、この際でしたから」

「とすると、これからどうする。
 人数分のソレが無いんじゃあ、強行突破くらいしか無いんじゃないか?」


と、真っ先に発言したのはゼンさん(仮称)だった。
見た目一番生傷が多そうなのだが、その分というか、戦意も旺盛のようである。

だが、そんなゼンさん(仮称)の意気をやや挫く形で神主が告げた。


「ここから手近な林まではそう距離もないし、また見張りも居ない。
 気付かれないように動いて藪にまぎれれば地の利はこちらにあるから大丈夫だろう」

「僕と神主さん、それにゼンさんとそちらの2人以外は、
 日向ちゃんと月風ちゃんに先導してもらって下さい。
 この2人なら人数分の音も姿もある程度ごまかせますから、安全だと思います」


ナオ君がそう続けるや、背後から三つの小さな影がひょこんと姿をあらわした。
いずれも今まで隠れていたナオ君の半分位の背丈しかないが、
その背中に暗がりでもはっきりわかる翅を持っている。


「さ、三月せ――」
「はいはい、わかったわかった。分かったからちょっと黙ってような、うん」


何かを言いかけたタテを先に縄を斬ってもらっていたヨコが取り押さえた。
モゴモゴとなおも言いたげなタテに代わり、ヨコが神主に聞く。


「で、俺らはその……神主さん? あんたたちと一緒に行けば良いんで?」

「……君達のようなのが居るというのは予想外だったが、まさか置いても行けないだろう」

「まぁ、そういうことだな」


ゼンさん(仮称)は、3人組の残る1人の少女に傷の手当てをしてもらっていた。
それを見て更にタテが何かを言おうとするが、見た目と裏腹に、
或いは見た目通りの力でヨコが抑えるので、結局何も言えないままである。


「なるほど、少人数なら相手の気配を探れば逃げきるのは難しくない、ってことですか」

「……君も何だかんだと詳しいな」

「あははは、いやまあ」


代わりに神主に向けてそう発言したヨコを恨めしげにタテが睨んだが、
そもそもの元凶の何分の一かを自分が負っている事にようやく思い至ったのか、
抑えた上からでもわかるほどの声で「ふん!」とひとこと言って静かになった。


「それじゃ、ゼンさん、ナオ君、神主さん、私らは先に」

「うむ」「おぅよ」「気を付けて」


くるくると元気そうに動く少女2人に先導され、ぞろぞろと20人近い大人が出て行く。


「それで、俺たちはすぐに行かないんですか?」

「ええ、もう少し……時間を置いて行きます」

「それに、やることもある」

「ん? なんだ、そのやることってのは?」

「実はですね……」


と、少し声のトーンを落とすナオ君につられる形で、ゼンさん(仮称)、神主、タテ、ヨコ、
そして3人組の最後の1人の星担当が少し顔を寄せる。

いずれの顔も、神妙であったり緊張していたりもするが、どこか楽しそうだった。































人質たちにまとめて逃げられた、という報告が代表のもとに届いたのは、
実際にその事態が発生してから30分以上も経ってからのことだった。


「……無能者どもが」


続けて再度探索の指示を出そうとした男の元に、間を置かずに別の報告が寄せられると、
直前に部下たちに見せた怒りと苛立ちの気配も消え、あからさまな余裕を見せた。


「無駄と分かっているだろうに、健気なことだな」


それは、各所で郷の人間たちや元から逃げたままの子供達を探していた黒服部隊の1つにメイド、
つまり咲夜が現れて攻撃を仕掛けたというものだった。

ただその報告には、単独のうえ動きに精細がなく、黒服の誰もが軽症で済んだという情報も添えられており、
あるいは時計の封印効果が長引いているものとも考えられたが、
慎重を期すために男は全黒服の集結を指示する。


「何か策でも考えたのか……だとしても、こちらにもまだ手はある。
 大丈夫だ、まだ策も、手も、ある」


ヘリのバッテリーから繋いだ強力なハロゲン灯に照らされた郷の広場で、
男はなおも強気に、不敵に、不気味に笑って見せたが、黒服達のだれもが、意図的に、あるいは無意識に、
それに答えることをしなかった。































神主、ナオ君、ゼンさん(仮称)とタテとヨコに加え、ほしみんと呼ばれた妖精の少女という奇異な6人組は、
そのほしみんが察知する黒服達の動きをかいくぐるようにして移動していた。

ギリギリまで人質が居るように見せかけ、かつ、黒服達を郷の中心部から離し過ぎない。

それが、この奇妙なパーティに任された役割だった。

その策を考え出したのが、共に今はこの場に居ないパーフェクトメイド、咲夜と、
郷の守り手でもあり対外接待役(自称)のほとりであるからして、
基本的にタテとヨコ以外はほぼ全面的に信頼していたのだが、
今もって半分部外者扱いされているタテとヨコには今ひとつ納得がいかない。

役割だけでなく、敢えて黒服の居そうな所を通り、その都度彼らに姿を一瞬だけ見せ、
郷の人間達が尚も郷の中心部付近をうろついていると思わせる。

その危険な行動方針も2人の、特にタテの体同様に細い神経をよけい消耗させていた。


「……時間ですね、そろそろいいでしょう」

「うむ、そうだな」


だから、先頭を歩く2人がそう言った時、真っ先に喜んだのもタテなら、
喜びの余り振り回した腕でたまたま傍に立て掛けられていた鍬やら鋤をなぎ倒したのもタテだった。


「あ」

「あ、じゃないわアホ!」

「責めるのは後だ、走るぞ!」

「おぅよ!」


神主の号令がなくても、既に6人が6人とも全力疾走に移っているが、
しかし個別の走力に差がありすぎるのは否めない。

自然と遅れるタテをヨコが襟首を掴んで半ば引きずり、
ナオ君がほしみんに手を貸してこれも半ば引っ張る形になり、結果として全体の速度が低下する。

不意に耳に手を当て、少女が敵の気配を伝える。


「あ……右後ろ、まだ、遠いけど、3人!」

「逃げ切れそうか!?」

「多分、大丈夫、だけど、あ!」

「いけねぇ、真っ正面だ!」


ゼンさん(仮称)の言葉どおり、正面の、ちょうど神社方面へ抜ける郷の出口にあたる場所に、
何故かはわからないが黒服が1人だけ立ちふさがっていた。


「回り道をしたら!?」

「囲まれちゃう!」

「といってどうする! あれは飛び道具を持っているぞ!」

「ちぃ、こうなったらやっぱ強行突破しかねぇ!」

「仕方ないか……許せよ相棒!」

「へ、は? うぉぅ!?」


ヨコがおもむろにそれまで襟首を掴んで引きずっていたタテを、走りながらプロレスの如く頭上に持ち上げる。


「必ッ殺!!」

「何?」「え?」「お?」「?」

「ちょ、ちょっとま―――」

「人ッ間ッ魚雷ィ!!!」


そのまま、正面の黒服に向かって、一直線に投擲した。


「ぎぃぃやぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!??」


どんな投げ方をすればそうなるのか、美しい螺旋回転軌道キリモミを描いたタテが狙い違わず黒服に迫る。

当たれば良くて相討ち、下手をすれば一方的になぎ倒されかねない剛速球に対し、
黒服は両足で地面を踏みしめて重心を低く構え―――


「ぬ!!」
「ぶべらっ!?」


両手をがっしりと組んで振り下ろすハンマーパンチで、あっさりと人間魚雷を迎撃した。


(つ、使えねぇ……)

(見た目の割に、威力はいまいちだったような……)

(弾が軽過ぎたのかもしれんな……)

(なんでぇ軟弱モンが、モヤシのがまだマシだ)

(……かっこわるい)


咲夜も居ないのに止まった刹那の時間、タテをのぞく5人が5人とも似たような感想を互いにもらす。

だが、目の前にまだ黒服が立ちふさがっているから、それは本当に一瞬のことで終わった。


「それで、どうします!」

「おぅ、こうなったらマジでやるぞ、いいな!」

「……やむを得んか」

「よし、なら星美ちゃん、ちょっと失礼!」

「え、ふぇ!?」


その体格にまったくそぐわない敏捷さでやや前を走っていた少女の両脇に手を伸ばし、軽々と持ち上げる。
あまりと言えばあまりな「次弾」の選択に居合わせた残る全員が―――繰り返すが、全員・・がそちらに目を向けた。

先ほどと同じように走りながらも器用に頭上へ「次弾」を装填し、振りかぶって第2球を、


「どっせぇぇぇええええぇぇぇいぃっ!!!」

「ひゃあああああぁぁぁ!?」


投げた。

大暴投だった。

神懸かり的なノーコンに迫る勢いのものがあった。

ほぼ真上の射出となった次弾は射手の前進速度も加わって優雅な放物線を描き、
あるいは走りながら、あるいは待ち構えながら、全員が思わずその軌道を目で追ってしまった。

そう、全員が、である。

その事実におそらく2番目に気付いたのは、4人分の視線が夜空に舞った少女に向いている中、
折角構えていた己が隙だらけである事にようやく思い至った黒服本人だっただろう。

だが、それは遅すぎた。

意識を失う直前の光景は、さながら機関車の如き加速で猛然と突進してくるヨコの、
ほぼ視界一杯に広がった幅の厚い肉体であり、そしてその向こうで走りながら唖然とする3人の男であり、
突進してくるヨコのごん太い脚が直撃してあらぬ方向に曲がったタテの首であり、
宙に舞う可憐で無垢な妖精少女の絶対領域だった。


「どすこおおおおおぉぉぉいっ!!!」


ヨコの、見立てで幕内の平均的な関取くらいは軽くありそうな巨体が、
短距離五輪ランナー並の速度で水平に頭突きを繰り出しながら衝突した際の威力はどれほどか、
答えは、縦回転しながら10メートルを優に超える空中移動を成し遂げた黒服の姿が何よりも雄弁に物語っている。

合掌。


「……ほいっと」

「あ」


自らの慣性を全て威力に転換して叩きつけ、その場に立ち止まっていたヨコの腕に、
ふよふよと放物線軌道のまま滑空してきた少女がおさまる。


「お怪我はないかい、お嬢さん」

「は、はい……」


不自然にキラキラした笑顔で問いかけてくるヨコに言い知れぬ迫力を感じ、
ほしみんこと少女、星美がおずおずと答えた。

後ろではようやく追いついてきた神主とナオ君とゼンさん(仮称)が、息を整え、
地面に倒れ伏したタテの首を元の角度にごきゅりと戻し、ゼンさん(仮称)が背負おうとしている。


「あ、あの……」

「ん、どうしたんだい、お嬢さん」


まだ不自然にキラキラした笑顔を続けるヨコに何かを言いかけて、心持ちうつむいてちょっと迷ってから、
少女、星美は顔を上げてぴっと人差し指を伸ばし、ずばり言った。


「青ノリ、ついてる」

「…………」


不自然なキラキラが一瞬にして消え去る。
極力紳士的に少女を降ろしたヨコはむこうを向くなり懐から手鏡を取り出し、ペンライトで照らしてチェックを始めた。


「やべ、ホントだ。
 昨日つかまってから歯磨く暇も無かったからなぁ……」

「……ぷっ」


耐え切れずに噴出したのはその場の誰だったのか、おそらく唯一の少女たる星美だろうが、
つられるようにタテをのぞく全員がひとしきり笑ってから、示し合わせたように「しー!」と指を立てて沈黙すると、
その場に意識も肉体も吹っ飛ばされた黒服ひとりを置いて神社方面へそそくさと姿を消した。

こうして、郷の人間は、郷の中から全員居なくなった。































「うん、バッチリ。
 あいつらみんな萃まり始めたよ」

「……分かったわ」


耳元で囁くようなほとりの声に呟くことで応え、
咲夜はこちらを威嚇するように拳銃を向けながら退いていく黒服を見送った。

息は上がっていない。
既に開始より数度、黒服の小集団と交戦し、ダメージと疲労を避けるよう注意深く相手を追い払っているだけで、
逆に相手に与えた損害も、動けなくならない程度の多少の傷をそれぞれ負わせたにとどまる。

無論、意図してのものだ。

動けなくなってもらっても困るし、かといって元気なままでも困る。
かろうじて戦闘し得るだけの状態でありながら、十全には程遠い。
黒服は誰もが、期せずして咲夜が交戦した以外の、神主の一行などにやられた連中も同様にそういうダメージを負わされていた。

そして今、それらは皆、対咲夜への戦術面で絶対的なアドバンテージを得るため、一箇所に萃まりつつある。


「うん、オーケー、こっちは全員なんとか無事だね」

「あっちの準備は?」

「ちょっと待って、えーと……うん、大丈夫、いつでもどうぞ」

「わかったわ。
 危なくなったら、お願いね」

「はいはい」


苦笑の波動を存分に含んだ声を目を閉じて聞きながら、咲夜は今一度、簡単に手順を確認した。


「うん、じゃあこれでいいね」

「ええ、それじゃ……行くわ」

「あー……」

「? なに?」

「うんその、まあ、気を付けて」

「ええ、頼りにしてるわよ」

「うん、頼られたわ」


ぷつりと、あえて分かり易い音を残して向こうからの送信は途絶える。

打ち合わせ通り、こちらがあらかじめ予測した以外の動きが無い限りは、
以降の通話は咲夜からの発信のみ可能という事になっていた。


「……よし」


手持ちのナイフやクナイなど諸々の刃物、時計、
折れたヒールの代わりに拝借したサンダル、そして―――


「……本当に使えるのかしら」


やや懐疑的ながら、試す時間的余裕がないためぶっつけ本番、
それもどちらかといえば使う必要が無い状況こそ最善の『切り札』の装備も確認。


「行くわ」


既に誰からも返事は無い。

ひとつ頷いて地を蹴り飛翔する。

目的地は勿論、郷の中心、今しも黒服達と、そしてあの男が居るであろう広場へ。

メイド長が出撃した。































「まさかここまで役立たずが揃うとはな」


怒りを微塵も隠さず、吐き捨てるように言い放つ。

居並ぶ黒服は数こそ当初から変動は無いものの、いずれもどこかしらに負傷を抱えていた。

その傷の多くは、移動に不自由はないが、戦闘には不自由する、という程度の、
ある意味ではこの状況下でもっとも深刻なもので、結果論ながらしてやられたという感は拭えない。

人質は全てに逃げられ、弾薬もさしたる効果をあげられぬままに浪費した結果、残りは心もとない。

移動手段としてのヘリが無傷である事が数少ない救いだが、
そんなものがなんの慰めにもなっていない事は明らかだった。

退くか、続けるか、その選択肢が代表の名を持つ男の中で蠢き始めた頃、彼女はやって来た。


「随分、お困りのようですわね」

「!」


誰もが、彼女の接近にまったく気付かなかった。

慌てて全員が振り向いたその先、一軒の家の屋根の上で、
やや湿って重たい夜風に銀髪とメイド服のスカートを揺らしながら佇むシルエットがひとつ。


「ふん、懲りずにまた現れたか。ご苦労なことだな、小娘」

「あいにくですが、無礼な相手に膝を屈するようには出来ていませんから」


黒服を前衛として立つ男と咲夜との距離は直線にして25メートルほど。

それは夕刻、咲夜の飛行が途絶える直前の距離であり、つまりは鏡映しの時計カウンターの効果範囲のギリギリ外側。

時を止めて接近し、注意深く記憶と照らし合わせた結果の、最適最善唯一なる戦闘距離。


「それでどうする?
 そこからそのナイフを投げつけるつもりかね」

「ええ、勿論そのつもりですわ」


夜空に符をかざし、高らかに告げる。




            ――――手品「クロースアップ殺人鬼」――――




相手側からの宣言は無用であることは承知の上で、尚も彼女はルールにのっとり、己の手をさらした。

ハロゲンライトの明かりに照らされ、虚空に整列するナイフの軍団。

あるいは直接に、あるいは反射しての軌道で目標を各個に照準する刃は総数100を軽く超える。


「通じると思っているのかね?」

「通じさせてご覧に入れますわ」


応じて、黒服達がややばらついた動きながら各々の手に持つ武器を構え、屋根の上のメイドを狙った。

一触即発。

山に囲まれ狭い夜空は雲ひとつ無い快晴、満月に少し足りない月は既に中天を過ぎ、
文明の灯火などなくても視認に苦労は無いだろうが、それは咲夜の感知するところではない。

そして、先に動いたのはそのメイドだった。

手を一振りするや力をまとわせ淡く光るナイフが一斉に射出されると同時に、その場を蹴って高速回避、
手近な屋根を背にして一度身を隠す。

半秒前まで立っていた場所を多数の火線が射抜き、あるいは屋根に着弾して煙を上げた。

比べて、こちらの投じたナイフの半数は反射することなく壁や地面に突き刺さって止まり、
残る半数の多くは一定距離を進んだ段階で急激に速度を失い、情けなく落下していた。


(やっぱりね……)


案の定、予想通りと言うべきか、自身の力を常時コーティングすることで加速・反射するタイプの投擲手段は不利だ。

あの鏡映しの時計カウンターを中心とする封印の効果範囲は咲夜の力そのものをキャンセルするらしく、
命中寸前まで能力による速度と精度の強化を施す普段の方法では通じそうもない。


(だったら……!)


思考と判断もそこそこに再度屋根の上に立って姿を晒す。

男と黒服がそれに気付いて攻撃するのに応じるかの如く今度は100近い数のクナイを配置、
力による加速をかけて射出し、同時にその場を退避して別の建物の屋根を背に隠れる。

やはり同様に通じた気配はないが、男の怒声と黒服達の動く気配から、
直接狙ったものに関してはいくらか届いているようでもあった。

そのことから、ひとつの結論に達する。


(あの時計は、私の能力は無効化出来る、けど……)


ほんの数時間前の光景を思い出す。

あの時、猪突した自分を助けに来てくれた妖怪少女、ほとりは何の不自由もなく力を行使し、動いていた。


(あくまで、私の能力に対抗するためだけのもの)


他の力や、物理的なもの…例えば重力や慣性をどうこう出来るものではないということだ。

現に、二撃目のクナイには一部、初めの加速のみに力を使い、以降は勢いのままただ飛ぶに任せたものを含めていた。

それがどうやら彼らの一部に当たるなり掠めるなりしたのであれば、これは正しい筈。


(それなら、手は……)


南天を過ぎ、没する軌道に移行し始めた月を見上げる。

満月ほども、十六夜ほども輝きはないが、しかしその光はあの連中が使う文明とやらの光よりも、
確かにはるかに、彼女へと力をくれるような気がした。


「……そうね」


いつものように時を止めて得物を回収する手を今回ばかりは使えない以上、
相手の弾が有限であるように、咲夜の手持ちの攻撃手段も著しく制限を受ける。

ならば時間をかけるのはこの際下策、次の手を打ってもそのフォローは既に万全だろう。


「……次の手で行くわ、よろしく」


きっと聞いているだろう彼女にだけ向けた呟きを口にし、一旦時間を止めて飛翔。

ある程度まで高度を上げて時間停止を解除すると同時に、二枚目のカードを取り出し宣言。




            ――――幻葬「夜霧の幻影殺人鬼」――――




ナイフの砲列を無数に従え、月を背後に眼下の集団を睥睨する。

宣言が聴こえたのか、それよりも早くに気付いたのか、こちらを指差し銃を向けてきた。


「そうね、それがこっちとっても好都合かしら」


こちらに武器を向けているのなら、その武器を持った手を狙うのはまだしも容易かろう。

地上から放たれた数条の火線を難なくかわしながら、尚も多量のナイフを配置していく。

通常の弾幕ごっこであれば、これほどの数はまず必要ないが、相手の数も数だし、
狙いも本来ほど正確と言い難いからには、これで全弾撃ち尽くすつもりだった。

月光を浴びて美しく妖しくきらめき震える刃の戦列にして戦慄。

一本一本に力をまとわせる必要性はこの際無用、初速に普段と同じだけのモーメントを与えれば、
以後は大地の重力が勝手に刃たちを引き寄せてくれる。

空中に居並ぶ刃の数にただならぬ気配でも感じたか、黒服達の空気が目に見えて動揺の波長を帯びた。


「……いくわよ」


左手に一本のナイフを携えて地上の有象無象に向けると、ざわりと整列した刃のみの騎士達が応える。

すぅとひとつ息を吸いこみ、見開いた目は真紅。


「GO!!」


号令一下、豪雨の様な音を奏でながら、刃の群れが一直線に突進する。

さすがの黒服達もこれには怯んだか、
攻撃よりも自らの身を守る方に全員の意識が向き、中には武器を放り出して退避する者まで出た。

恐慌に陥ったそこへ、身を躍らせ飛び込む咲夜。

ある程度近付いた段階で飛行のための空間操作が不可能になったのを感じたが、
今回はそれを織り込んだ上での飛行だったために着地に支障は無い。


「な、に、ぃっ!?」


かろうじてそれを視認したのは代表ただひとり、だが身構えるより先に着地から素早く咲夜が駆け、
運が良いのか悪いのか、一本のナイフもその身に浴びなかった男に、炎をまとわせたナイフを擲った。


「ひ!」


炎を見た瞬間、それまで見たこともない表情、恐怖に奇顔を歪め、反射的に左手に持った時計でそれを払い落とす。

硬質の音が響き、咲夜の足元へと跳ね返ったナイフは既に炎を帯びていない。

そして―――

カチ、カチ、カチ、と咲夜の右手からは時を刻む音が響き、
カチ、カチ、カチ、と代表の左手からも時を刻む音が響いた。































「ふ、ふははは……」

「…………」


男は笑い、咲夜は笑わない。


「こ、これはこれは、残念だったな……折角の乾坤一擲が、やはり力を使えなければ非力か。
 ふふふはは、はははははははは……」


笑いに身を震わせ、そして左手の時計を咲夜に向かって突きつける。


「残念だ、ああ残念だ。
 多少は永らえたようだが、あの世に行けば大して違いはあるまい。
 同族どもと共に地獄でのたうっているが良いわ!」


懐から右手で銃を抜き、これも咲夜に向けた。

その台詞にようやく反応したのか、空ろに聞こえる声で聞き返す。


「同族……?」

「何だ、知らんのか?
 そうだな、まさしくメイドに冥土の土産とやらを聞かせてやるのも悪くない」


ほんの数拍前には恐怖に歪めた奇顔を再び笑みで一層凶悪に仕立てながら、
男は傾いた月明かりの中で滔々と語り始めた。


曰く、かなりの昔、異能者が寄り添って隠れ住む里があったこと。

曰く、そこにある異能者がいた。能力は『他人の力を封じる道具を作る』こと。

曰く、自らの力ゆえにいつか必ず他者に害されると恐れた彼は、密かに道具を作ったこと。

曰く、そして里に住む全員分のカウンターを作り上げた彼の元に、密かに外から接触があったこと。

曰く、里の全てを滅ぼすのに力を貸せば、彼ひとりは生かしてくれると告げられたこと。


それは、咲夜が振り返り潜って思い返し切れなかった真実の断片。

かつての名前を持っていた自分の幸福を踏みにじった愚者の諸行。

だが、それを聞いてなお、咲夜は、十六夜咲夜の内には湧いてこないものがあった。


「そう、そしてこれはある調査をきっかけに私が手にしたものだ。
 眉唾物に思っていたが、まさかまさか、こんなところで役に立つとはな!」

「……そう」


絶好調に達した男に対し、咲夜はあくまで静かに答えた。

話しているうちに黒服達も数名が動けるようになったのか、男と咲夜の周囲に移動してくる。

それでも平静な咲夜を見て、男は観念したなと、そう思った。


「それに関係した人たちは、どうなったの」

「さてな、直接関わった者は、既に誰も生きてはおらんだろう」

「……あら、そう」

「悔しいかね、口惜しいかね、その恨みは地獄で存分に果たすといい」


告げて、話している最中にそれてしまっていた銃口を咲夜に向けなおす。

その向けられた先で、俯いて表情の読めない咲夜は、ぽつりと言った。


「いえ、そうね……恨みも、憎しみも、抱く必要がないって分かった。
 むしろ感謝していますわ」

「……なに?」

「かつての名前を持つ私なら、恨んだかも知れない、憎んだかも知れない。
 ……けれど」


砂埃と戦いの塵と汗とに汚れた銀髪を揺らし、彼女は顔を上げる。


「今の私は、十六夜咲夜。
 満月に寄り添う不完全なまま回る月、次の満月への時を最初に刻む月。
 そして永遠に紅い幼き月の従者にして、赤より紅い館のメイド長。
 かつての自分の記憶の中には、幸せな思い出があれば良いわ。
 恨みや憎しみは、今までもこれからも不要よ」

「何を言っている、気でも触れたか?」

「ええ、そうね。あなた達外の人間から見れば、幻想郷の人間も人間以外も、
 みんな狂って見えるかも知れない。
 けど、狂った世界に気付かず自分の狂気を正気と思い違うより、
 幻想の世界で真面目な酔狂に興じる方がずっとマシ」


髪と同じく薄汚れてしまったその顔には、しかし、微塵の絶望もなく。

月明かりに照らされるその様は、かつて彼女が今の名前を得る前に見た、彼女の主人ほどにも神々しかった。


「ふん、戯言は終わりか、いい加減に引導を渡してやろう」

「あなた、手品ってやったことあるかしら?」

「知らんな、そんなお遊戯に興味はない」

「あら、そうですか。
 残念ですわ、これでも結構奥深いんですけれど……例えば、基本中の基本」


そして思わず見惚れるほどの微笑を浮かべて、咲夜は続ける。


「ミスディレクション、とか」

ぐしゃり。

「―――な、に!?」


手元で上った音に代表が慌てて左手を目の前に持ってくると、
そこには、真ん中に拳大の石を受け止め、覆っていたガラスがひび割れ、
文字板が砕け、短針と長針と秒針を失った時計があった。


「っしゃ――――! 見たかー、たーくんのバツグンのコントロールを!」

「って、なんでふーちゃんが威張ってるのさ…」

「なん、だ、と……!?」

「本命と見せて囮、右と見せて左、左と思わせて実は上、これがミスディレクションですわ」


広場を囲む建物のひとつ、その屋根の上にいつの間にか現れていた2人分の小さな影シルエット。

それを背後にスカートの裾を摘みあげて瀟洒に一礼し、咲夜は告げる。


「ってかさくやおねーちゃんひっぱりすぎー!
 見てるこっちがハラハラしたじゃないさー!!」

「ふ、ふーちゃんってば……」

「ごめんなさいね、ちょっと確かめたい事があったものだから――」

「そうか……では、もう少し付き合ってもらわなくてはならないかな?」

「? ……!」


不意に割り込む男の声、焦りと狼狽をいつの間にか排除したそれに振り向いた咲夜の目前に、
2つ目の鏡映しの時計カウンターが映る。

同時につかの間回復していた自身の能力が再び封じられるのを感じた。


「? おねーちゃん!?」

「……逃げなさい」

「で、でも……!」

「いいから、逃げなさい!」

「……行こう、たーくん!」

「う、うん……」


屋根の上から2人が姿を消す。


「……ちっ、追いかけられるほどには回復していないか。
 おいお前達! さっさと立て直さないか!」

「…………」


先刻のナイフの豪雨で半ば以上戦意を喪失していた黒服たちに檄を飛ばす男の死角で、
スカートのポケットから咲夜はゆっくりとあるものを取り出した。

その動きに気付かないのか、代表はひとり吐き捨てる。


「無能者どもめ」

「随分、色々と恵まれてないようですわね」

「ふふふ、これから死ぬ人間に哀れんでもらう必要は、無い!」


三度向けられる銃口。

だが、咲夜の方も依然、冷静さと平静さを崩さない。


「それで、その二つ目の時計はどういう意味があるのかしら」

「簡単なことだ。
 例の道具作りの男は、相当な疑心暗鬼に陥っていたらしくてな、
 あらゆるカウンターに予備を用意していたのさ」

「ああ、なるほど、そうでしたか。
 それじゃあ、その時計があなたの切り札、ということですわね」


その言葉に薄い眉を心持ち上げて、男は少し怪訝そうに問うた。


「そうかもしれんな……だが、既にお前は切り札を場に出して返された。
 これでチェックメイトだ」

「あら、さっきちゃんと言いませんでしたっけ。
 あれはミスディレクション、基本中の基本、前座ですわ。
 ほんとうの切り札は……ここに!」

「!」


反射的に火を吹く男の拳銃。

しかし身を低くしてそれをかわしながら駆け寄り、駆け抜ける際に咲夜の左腕が一閃する。


「…………」

「な、何をした……ん、時計に、シール?」


怪訝そうに鏡映しの時計カウンターに張られた一枚の紙を見る男から少しずつ距離をとりながら、
咲夜は静かに、ゆっくりと切り札の名を告げた。


「……スペル宣言、萃金『メタルディテクター』」


しん、とその場が静まり返る。

予想に反して何も起こらない事に、一瞬咲夜の頬を汗が伝い、男と黒服達を安堵させた。

だが、それは本当に一瞬の空白でしかなかった。


「うぉ……な、何だ、これはっ!?」


鏡映しの時計カウンターに張られた紙、スペルカード『メタルディテクター』が輝きを放ち始め、
同時に細かく激しい振動が時計とそれを持つ男の手を震わせる。

単色で構築されたカードの表面に一筋鮮やかに走る赤より紅い術式線が異様な発光を見せ、
普段からスペルカードを扱い慣れている咲夜にとっても異常と感じられる事態が発生しつつあるのは明白だった。

ぶつっ、かちん。


「ん……何だ、タイピンが……」


最初に、これまでの騒動と立ち回りの中でも脱落しなかった男のネクタイピンが、千切れ飛ぶようにして時計に引っ付いた。

次に黒服達のタイピンが同じように時計へと吸い寄せられ、その数と時間経過に応じて発光と振動がますます大きくなる。


「うわ、な、何だ……銃が引き寄せられて!?」

「じゅ、銃だけじゃない、ベルトのバックルや、あ、小銭入れが!?」

「うお、く、やめろお前達、自分の装備を抑えて飛ばさないようにしろ!」


幾つか小さいモノが飛び、あるいは時計にくっつき、あるいは男に直撃して呻き声を上げさせた。

そして、ふと視線を動かした咲夜は、地面に突き立ったままのナイフが小刻みに振動しているのに気付く。


「…………」


背筋をこれまでになく嫌な汗が流れるのを確かに感じた。

慌てて時間を止めようとするが、あんな状態でも鏡映しの時計カウンターはその役割を果たしているらしく、
咲夜自身の能力は未だ発動できない。


「…………まあ、気をつけて下さいませ」


まったくもって感情のこもらない励ましを呟き、咲夜は身を翻して脱兎の如くその場を逃げ出したが、
追う余裕のある人間はひとりとして居なかった。


「く、ぬ? しまった! おい、誰でも良いからあの小娘を追うぉっ!?」


慌ててかわした男の体の直ぐ傍をナイフが一本飛び過ぎ、ある程度通り過ぎてから反転して再び飛んできた。


「く! まさか、これか!?」


符はいよいよ発光と振動を過激にし、既に持っている事さえ難儀になりつつある。


「だ、代表……これは!」

「何だ、報告は正確に……!!!」


ざああっと、豪雨のような音を立てて、つい先ほど咲夜が大量にばら撒いたまま回収できずにいたナイフが、
一斉に宙に浮き、ただ一点を目指して飛んだ。


「おおおおっ!?」


さすがにたまらず時計を手放して転がりながら代表がその場を脱出した直後、
馬鹿馬鹿しいほどの数のナイフがそこに降り注ぎ、一瞬の後にはちょっとしたオブジェと化していた。


「く、はぁ、はぁ、な、なんなのだというのだ……」

「だ、代表……」

「何だ、報告は正確にしろとあれほど……」

「まだ……止まっていないようなのですが」

「何……?」


報告は正確だった。

千本の針山もかくやという有様と化した元時計と無数のナイフとタイピンとその他雑多な金属物の集合体は、
尚も細かく振動し、光を放っていた。


「だ、代表、あ……あれをっ」

「今度は何だ、報告は正確にしろと……!」


そして今、この場に存在する最も大きな金属物が、それに吸い寄せられようとしていた。

彼らの常識外の斜め上を急速に進行しつつある事態に呆然とする男と黒服の目の前で、
ヘリが、ずず、ずずっ、とこちらへ、より正確にはあの芸術物体めがけて動いている。

しかも、徐々に左右の揺れが加わり、大きく、勢いよく動き出そうとしていた。

それを理解した瞬間、男は、ここへ至ってはじめて理性よりも感情を優先する命令を口にした。


「に、逃げろぉッ!!!!!!」


男と黒服一同が慌てて走り出すのととほぼ同時にヘリの着陸脚の片方が異音を発して折れ、
次いでその巨体がふわりと浮かび上がり、そこ・・へ向かって猛烈な速度で突っ込んだ。































                             ずどんっ































死屍累々。

正確にはまだ誰ひとりとして死んでは居ないのだが、実態は半死人の集団に等しいから、
さほどこの言葉が現状から離れているというわけでもなかった。

服装はボロボロで、装備はほぼ全てを失い、挙句傷だらけの疲労困憊。

それでも人数が減っていないのは、運がよかったと言うべきなのだろうか。

黒服たちも互いに肩を貸し、あるいは適当な木の枝を杖代わりに、どうにか歩いている。

そして先頭を行く代表も半ばふらつきながら、更に先を行くそれを追う事だけを考えていた。

既に丑三つ時は過ぎ、木立ちの隙間から見える空は少しずつ黒から青へと移り変わり始めている。

だが、夜明けの早いこの季節にあって、未だこの時間の地上はほとんどが暗闇に満ちていた。


「おのれ……おのれ……」


呪詛のようにそう呟きながら、ふらつく足を進める事は止めない。

暗がりの斜面を歩いているためか頻繁につまづき、膝をついてしまうのだが、
男はその都度立ち上がり、先導する蒼白い鬼火ウィル・オー・ウィスプを凄まじい形相で睨み、再び足を進めた。

斜面を登るごとに一行はなけなしの体力と気力を消耗していく。

その一方で木立ちの向こうの空は急速に明るさを増していき、自分たちが東へ向かっている事を彼らに教えていた。


「…………」


気付くと、鬼火は何処かへ消え、同時に斜面も終わって小高い丘の上の平地に一行は出る。

神社だった。

まだ真新しい感じのする本殿と鳥居が、既に地平線の向こうから一日の始まりを告げようとする陽を受けて鈍く光っている。

そして、本殿から鳥居を越え、さらに向こうへと下ってゆく参道の、ちょうど鳥居の真下に、彼女が居た。


「…………」


我知らず奥歯をきつく噛んで、足を引きずるようにそちらへと歩む。

ぴょこんと頭から伸びた2本の触覚を揺すり、黒いマントをゆっくりと風まかせにはためかせながら、彼女が振り向いた。

真っ正面から彼らを見、やや苦笑じみた表情を浮かべる。


「……お疲れさま、と、言うべきなのかな、外来のお客人たち」

「…………」

「見ての通り、ここは神社。
 そして、外と郷の境界にあたる場所」


片足を半歩引き、振り向いていた身体を鳥居に対し直角に、参道の縁に沿うよう動かし、右手を外へ向けて差し出した。

凛とした面持ちで、凛とした声で、告げる。


「さあ、帰られよ。
 今宵起きた事は、一夜限りの幻想との邂逅。
 あなた方が望んで再びまみえようとしない限り、あなた方とこの地の幻想とは二度と交わらない」

「…………」


非現実的な光景だった。

しかし、それが紛れもなく自分達にとっての現実だということが理解できぬほど、彼らは愚かでもない。

ない、筈だった。


「この地は、忘れられゆく幻想と、幻想を思う者たちが、幻想を幻想のままであり続けさせようとする地。
 外で失われ、忘れられたものが流れつき、再びの命を得る場所。
 今のままのあなた方がいるべきところではない」

「………………ぅ」

「……?」

「……がぅ、違う、違う」


それは、初めて男が見せた、明らかな感情の発露。


「違う、ここは違う。
 国家の中にありながら国家の枠から逃げようとする臆病者と脱落者の掃溜めだ!!」

「……あなたの目からはそう見えよう。
 だが、まず大地と空と海があり、人があり、人以外があり、そして国がやって来た。
 何をもって、国がその全てを内におさめる義務と権利があるとするのか。
 地に、空に、水に住み、それぞれの時を刻んで生きる命たちの在り様を曲げてまであろうとする、くにとは何か」

「…………」

「帰られよ、外の人。
 あなたは夢を見た。
 それはあなたにとって望まぬ夢でも、他の誰かにとっては望んだ夢。
 出来うるなら、あなたが二度と望まぬ夢を見ぬよう、そして、望んだ夢を見られるように」

「夢……ゆめ、ゆめ、夢など……ゆめなど無用だッ!!!!」


かろうじて持っていた銃を抜き、立て続けに少女へ向けて発砲する。

銃声が朝の空気を騒々しく突き動かし、硝煙の臭いが境内に満ちた。


「…………!」


だが、今確かに撃った筈の相手は、目の前から跡形もなく消え、境内に居るのは彼らだけになる。


『……仕方が無い』

「!!」


突如、何処からともなく朗々と響く声。

辺りを見回すが、見える範囲には何処にも、誰も居ない。


『今のは最後の警告のつもりだったのだけれど、容れぬと言うなら、仕方が無い。
 あなた方を、居るべき外へと送り返します』

「! だ、代表っ!!」

「なに……これは、何だ!?」


気付くと、淡い光を放つ壁が彼ら全員を取り囲んでいた。

真上から見ればちょうど真円を描くようにあらわれたそれに黒服のひとりが拳を打ち付けるが、
超硬質のガラスでも張り巡らされているかのように、まるで進めない。


「だ、駄目です! 出られません!!」

「く、何を、何をする気だッ!!」

『言いました。あなた方を還すのだと。
 外の何処に出るかまでは保証出来ませんが、少なくとも、この郷ではないでしょう』


いつの間にか、足元を光が複雑な紋様を描いて走っている。

壁と紋様が放つ光が増すのに合わせて、少女の、ほとりの声が境内に響きわたる。


『天と地を結ぶ光の標にしたがい、ここに途をひらく。
 幻想を容れず、幻想に入れぬものたちのために道をひらく。
 願わくば彼らの一人一人が、よりよき命を生きられんことを』

「だ、代表、どうすれば!?」

「私は……私は認めない!」


光はいよいよ強くなり、既に視界はほとんど真っ白に染め上げられつつあるなか、
喉を嗄らさんばかりに叫ぶ声があった。

囲われた円の向こう、初夏の太陽が今日最初の光を投げかける。


『境界を繋ぐ蟲の姫、ほとりの名のもとに命ず。
 天穿地孔、天道地路、天網地途。
 光よ、ひとときその御手を休め給え!!!』


そして、


「認めない、認めないぞぉぉぉぉぉッ!!!」


どん、と全ての意識と視界が一度に漆黒に塗りつぶされ、

彼らは、還って行った。































意識を取り戻したとき、最初に頬に感じたのは湿ったアスファルトの感触だった。

痛む身体をなんとか起こすと、大都会特有の、排気ガスと生活臭の入り混じった空気が肺に満ちる。


「ここは……」


意識がまだはっきりとしていない。

呆然と辺りを見回す、その方々から、良くわからないが視線を感じた。


「む、ぬ……」


周囲に、黒服を着た部下達が転がっていて、何人かは同じように気付いている様子だった。

耳に入る、都会の雑踏と、近すぎるひとびとのざわめき。


「…………ッ!!」


一気に精神が覚醒し、認識能力が周囲の全てを迅速に解析した。

珍しそうに、あるいは恐々として、あるいは気味悪そうにこちらを見る目、眼、メ。

視線は周囲360度、道路かどこかに散らばって倒れる自分達を完全に包囲する形で人が居た。

先ほどから断続的に感じる光は、携帯のカメラのフラッシュか。


「……いかん!」


そこまで理解した耳に、今度は遠くから確実に接近してくるある音が届く。

自ら彼らを動かす側にまわったことはあっても、追われる側に回るなどと露ほども思って居なかったあの音が。

―――かん高い、機会合成のサイレン音が。


「お、お前達、起きろ!
 動ける奴は他の奴を引きずってでも走れ! 逃げろ!
 貴様ら、何を見ている! 見世物では無いぞ!!!」


迫るサイレン、のろのろと起きだし、あるいは自分と同じように状況を把握してうろたえる部下たち。

その全てを感情で否定しながら、彼の理性は全ての現実を認定していた。

人垣の向こうで叫び声と怒号が上がる。

明らかに一般人では無い服装をした何人かが人の壁を掻き分けてこちらへ向かって来ていた。


「みなさん下がってください! 危険ですから下がってください!」


お決まりの文句が聞こえる。

それに押されるように反対側へ駆けだし、
手に持ったままだった銃の握りで目の前に立っていた勤め人らしき男を殴り倒し、道をひらく。


「逃げろ、逃げろ! 逃げろ!! 逃げろ!!! 逃げろぉぉぉぉぉぉ!!!!!」


早朝の街角で、時ならぬ騒動が巻き起こり、この日のこの街で最初の事件となった。































 境郷2 ~ Perfect Maid in The Border Land “Chapter_5” end

 and to be continued ...
現在の物語進行度 230/244KB

お疲れさまでした。ああいや、まだちょっと早いですね。ごめんなさい疲れてるのは私でした。

この(5)は実質的に徹夜した一日で書きました。勢いは大事だ。多分な。
怖いから誤字チェックを機械的にやっただけで、読み返してなんていません。あはは。
終始大上段の構え、気合入りまくりというかオーバーフローしっぱなし。文字通り狂気の産物。

なんでしょうね、弾幕STGの二次創作なのに弾幕してないじゃんとか。
キャラが変だよとか。まあ色々とアレな部分は多かろうなと思います。

良く言われることなんですが、文章が冗長だと。じゃなくて、いやそれもありますけど(^^;
どうも私が二次創作っぽいことをすると、二次じゃなくて1.5次位になるそうです、えー、なるらしいです。
自分では二次創作のつもりだったりするんですが、やっぱ2未満なんでしょうかね。

いやごめんなさい、自分でも書いててちょっと支離滅裂になってきました。憑かれてるぜ、色々と。


今回、境郷2を書くにあたってまず考えたのが、多分前作とは別のキャラクターを掘り下げる、
ということだったように思います。
でまあ、舞台が舞台なもんで、前作のゆかりん以外でこんな真似をさせられる配役というと限られまして、
結果、咲夜さんにご登場願ったわけです。

といいますのも、この創想話だったかどこだったか、まだ私が東方界隈に入りたての頃に、
外に買い物に行く咲夜さんというのが出てくる話を読んだ覚えがありまして、それにならったわけです。
大分昔ですからね、大結界云々とかほとんど関係なしに二次創作がでてた時代ですし、
それにならうというのも結構危ない手かなぁと思わんではなかったです。

そして咲夜さんといえば(?)彼女の過去話を外すわけにはいかんだろうと。
時期的にものすっごい旬を逃した感はあるんですが、まあ、書き始めた当時はそんな気分だったんだ、きっと。
そんなわけで、やや強引ながら、本筋に色々と絡めて私的な咲夜さんの過去解釈をやってみました。

イメージはやっぱりアレかなぁ、同人誌の『紅き糸 銀の月時計』あたりの影響が強いかなと。
まんま同じでは芸が無いにも程があるので、色々と違います。先代メイド長とか。
そういえば、先代メイド長はプロットには居なかったキャラクターでして、
あの部分の話を書いている時に突発的に出てきたんですが、なかなか愉快な人(じゃない)になってくれたようで。


さてまあ、残りはさほどにありません。エピローグ的な蛇足気分の何かですから。
それでもここまでお付き合いいただきまして、ありがとうございます。
無理をなさらず、最後のデザートをお楽しみいただければ幸いです。


以下、ツッコまれると床の上で身悶えそうな事柄に対する事前フォロー第5エンジン。

いや、もうどうにでもしてくれ(ぇ
本当に、この5に関しては何を言われても笑うしか(^^;
某の中将
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