*というわけで『境郷2(2)』のさらにさらに続きとなります。
(1)及び(2)を読んでいない場合、状況がわけ分からないと思いますので、出来れば前の方からお読みください。
それと、(1)の冒頭にもありました通り、このお話は一部、ないしある程度の範囲で、
作品集31の拙作『境郷』と舞台や人妖設定などが共有されています。が、
いちおう『2』の一連だけでもそれなりに独立したお話として楽しめるようにはなっています。
加えまして、このお話あたりからオリキャラ注意報が警報クラスになってきますので、それなりにご注意をば。
目に留めた新聞記事に誘われるように境郷へとやってきた我らがメイド長こと十六夜咲夜嬢。
そこで彼女は、妖怪と人間が、幻想郷の外で、それなりに折り合って暮らしている場所があることを知る。
堅物に見えてなんとなくいい人の神主や、ノリのいい蛍妖怪の少女、
そして、幻想郷とどことなく面影の重なってしまう郷。
しかし、彼女を導いた新聞記事、それが思わぬ方向で思わぬ事態を引き起こしつつあった。
われらがさっきゅんはどうなってしまうのか?
まじかる☆咲夜ちゃんスターに出番はあるのか?(多分ありません)
そんなこんなで、境郷2(3)となります。
またしてもまたしてながらだいぶ長いお話だったりしますので、
お茶かお茶菓子、またはその両方があるとまったり加減で楽しめると思います。
では、どうぞ
境郷2 ~ The Border Land Story (3)
「では、やはり君たちもあの新聞記事を読んで来たのだね?」
「ええ、まあ……」
道の駅、その休憩所の一角にしつらえられた丸テーブルに、三人の男がいた。
一人は縦に長く、一人は横に広く、いま一人はどちらでもなかった。
ただ、三人の中でひときわ異色な気配を放っているのは、他ならぬその三人目、
一度会ったら百人が百人しばらく忘れられないどころか、
下手をすれば夢に出てきてうなされるであろう特異な顔面を有し、
このクソ暑い日にぴっちりと黒スーツを着こなす小柄な男、そいつが会話を主導している。
「なかなか興味深い記事だったね。
私も仕事柄ああいった情報はなるべく仕入れるようにしているのだが、
いかんせん今の社会では一人でできることに限度があってね、
君らのような人たちがほかにいてくれると、何かと助かるよ」
「はあ……」
よく口の回る人だと、横に広いほう(便宜上の呼称『ヨコ』)は手元のざるうどんをすすりながら目だけで相手の様子を見ていた。
まだ午前も早い時間ということもあるのか、休憩所兼食堂のようになっているそこに他の客はいない。
いたとしても、この奇怪な三人組を見れば入るのを遠慮するだろうというのがヨコの個人的見解ではあった。
「えっと……そういうのの研究者か何かなんですか?」
「研究者か……ふむ、まあ確かに、ある程度そういった知識や経験が必要な仕事ではあるがね」
対して縦に長いほう(便宜上の呼称『タテ』)は男と同じくコーヒーを手元に、
ためらいながらもまだ話の分かる男を話し相手として選んだ。
だったら自分だけでも帰らせろと言うと『怖いから一緒にいてくれ』と来たものだ。
夜中に一人でトイレ行く子供か、とヨコも言ったものの、
確かに、男の顔面はお世辞にも長時間サシで向かい合って話すのに適しているとは言い難かった。
一見普通に会話をしているように見えるが、タテの顔が微妙に引きつっているのはヨコの位置からも確認できる。
「そ、それにしても……その、ちょっと変な名刺ですよね、これ……」
「ん、そうかね?」
新人の役者でももうちょっとマシな作り笑いをするぜ、とヨコが思った脇で、
タテは先刻男より手渡された名刺を話題に引っ張り出した。
ヨコが受け取ったときに付着したソースもそのままだったのだが、
それをほぼ完全に無視している男の反対側で、タテはタテでそこまでの精神的余裕をすでに失っており、
緊張とその他もろもろの要素でおそらくカラカラに乾いているだろう口を必死に動かしている。
「いや、だってほら……名刺っていうのは名前のほかに、その……会社の名前とか、
そういうのも一緒に書くものじゃないですか」
「ふむ……確かに世間一般ではそうかもしれないが、私の職場はいささか特殊でね。
身内にはそう言えば通じるし、そうでなくても、私がどういう立場にいるかだけは分かってもらえると思うのだが」
「は、はあ……」
釈然としないのか、しかしそれ以上話題を展開させる手段を見失ったタテは、
半ば男の言葉につられるようにして頷いた。
(確かに妙っていえば妙だけど、んなこと聞いてどうするんだよ)
遭遇時には多少面食らったとはいえ、順応性が高いのか、
ヨコは男の顔面とやたら低い声のコラボレーションもあまりプレッシャーを感じなくなっていた。
一対一で話に引きずり込まれれば危ないかもしれないが、
今のところタテの方がその役を引き受けてくれているために、冷静さは維持可能だ。
張り合うつもりはないとはいえ、外見上のインパクトで言えば自分も結構なものだと、ヨコは勝手に自負し、
相方が翻弄される脇で、この、どう見たって胡散臭い男とさっさと縁を切る方法を模索し始めていた。
(研究者かなんかって、ふざけてるにもほどがあるよなぁ)
ちら、と名刺に視線を飛ばす。
研究者というからにはどこぞの大学だの研究所だのに所属しているのだろうから、
基本からいえばその辺の記述があってしかるべきその名刺に、簡潔な二文字だけが印刷されている。
太文字の明朝体、カスレひとつない印刷が白い紙片に踊る様は、逆に当人の不気味さを増幅させている気がした。
「そ、それでその……えーと」
「ああ、私の呼び方を気にしていたのか?
なら特に遠慮は無用だ。そこに書いてあるままに呼んでくれて構わない」
「それじゃあその……だ、『代表』さんは、おれ……いえ、ボク達に、何の御用なんでしょうか……?」
「ふむ、用というほどのことではないのだがね……」
名刺のままに代表と呼ばれた男は、タテの問いかけに少し考えるそぶりを見せてから、
おもむろに手元のコーヒーをすすり、手をテーブルの上で組んでこちらに身を乗り出してきた。
できればあまり近寄らないでほしい、怖いから。
「先ほど面白い話をしていたね。
妖怪がどうとか、霊刀とか……なかなかいわくありげだが、
君らがどこで何を見たのか、少しばかり聞かせてもらえるとありがたいな」
何が面白いのか、低い声をさらに抑えてそう告げる男の口の端が上向きにゆがんでいる。
事故か、人為的な何かか、いかなる理由でそうなったのかわからないが、
分厚くなった皮膚が何層もの巨大な皺を刻んだ顔で笑われると、
泣く子も黙るどころか冗談抜きでショック死しそうなくらい怖い。
妖怪が見たかったら鏡でも見てろよと言いたくなったが、さすがにそこまでの勇気はなかった。
代わりにヨコは椀の中でつゆに浸っていた残りのうどんを一気に胃袋に流し込むと、
タテの腕をつかんで立ち上がる。
「ちょ、おい……」
「すんませんけど、俺用事あるんで、車のないこいつ送るついでに帰りますね」
一方的に告げて男に背を向け出口に向かって歩き出す。タテの抗議はこの際黙殺する。
こいつは何か得体が知れない、関わりあいになるなと本能が告げていた。
「まあ、少し待ちたまえ」
止める気がないのか、男は立ち上がりもせず、テーブルに身を乗り出した姿勢のまま低い声で告げる。
何が待てだ。
うどんもコーヒーも食券で前払いだ、おごられたわけではないし、
セルフかもしれないがこの際あとは営業のおばちゃんにお任せしておこう。
今はこの不気味が服を着たような存在から一刻も早く離れたかった。
「残念だよ。もう少しその妖怪とやらについて話を聞きたかったのだが……」
何が残念だ。なにが妖怪だ。
この現代でそんなタワゴトをクソマジメに言いやがって。
こいつはきっと研究者じゃなくて研究される側だ。白い壁の内側かなんかで。
「お、おい、離せよっ……」
タテがなおも抗議するが、口以外で積極的に意思表示をしようとしないのは、
男と二人きりになるのがやはり恐ろしいからだろうか。
「あまり、手荒な真似は好みではないのだがね」
「…………!」
「うぉっ、っとっとっ!?」
足が止まる。掴んでいたタテの腕を離す。たたらを踏んでよろける相方は無視だ。
夏とはいえまだ太陽も低い午前中、それも冷房がよく効いている屋内、そこまで暑くはないはずなのに、
ヨコの背筋を汗が伝い落ちた。
「なんなんだよ、あんたらはっ……!」
振り返り、男に吼える。が、かすれ気味の声が相手に届いたかどうかも疑わしかった。
そのヨコの背後、いつの間に、いったいどこから現れたのか、外へと通じる自動ドアの前に立つ、
これでもかというほど無個性な、しかしそれだけ際立った存在感を持つ大柄な黒服の男が三人。
サングラスで武装した上に無表情で同じ髪型と来れば、細かいところはともかく、
そのありようのいかがわしさは嫌でも分かる。
「言っただろう、研究者のようなものだと……まあ、もっとも」
立ち上がってゆっくりとこちらを向く男。
そのやけに芝居がかった動作が癪にさわり、詰め寄ろうとした瞬間、腕を後ろから掴まれた。
「な、おい、はな……!?」
最初は相方かと思った。
だが自分と男の間にいるタテが自分のさらに後ろにいるはずがない。
足音もなく、それとも聞き逃しただけか、黒服の一人がいつの間にかすぐ後ろにいた。
自分の腕を掴んでいる手は、その黒服の所有物だ。
「研究以外にも色々とやらなければならないことがあってね。
われわれも何かと多忙なのだよ」
「う……うあっぁ!?」
2歩、3歩ゆっくりと近づいてくる男に圧されるようにタテが後退し、
そのすぐ後ろには音もなくもう一人の黒服。
さらに残る一人の黒服がヨコのすぐ横にまでやってきて口を開く。
「いかがいたしますか、代表」
「やむを得まい。あまり時間的な余裕があるわけでもないからな……。
いささか気の毒だが、少々手荒になっても構わん」
「な、何する気だよ!?」
声を張り上げる。こうなっては虚勢もいいところだが、納得のいかないことが多すぎた。
「なに、最初に言っただろう?
少しばかり、話を聞かせてもらうだけだ……まあ」
いびつに男の顔がゆがむ。
天窓から差し込んできた光が男にかかり、逆光の中で笑うその顔はいっそう不気味だった。
「あまり強情を張るようだと、多少は痛かったりするかもしれないがね。
……連れて行け、あくまでも丁重にな」
「は」
「う、うわぁっ!」
「痛っ、くそ!」
黒服に引きずられていくタテとともに、ヨコも後ろから促されてやむを得ず歩き出す。
「貴重な情報提供に感謝するよ、ありがとう」
「……いるかどうかわからん妖怪なんて代物より、人間のほうがよっぽどタチが悪いぜ……!
んなもん本気で信じやがって、あんたらおかしいよ!!」
「そう思いたければそうしておきたまえ。
世の中には、知っていても無害なことと、知っていて不幸になることがあるのだからな」
感謝ではなく、死刑宣告のような男の言葉を聴きながら、
眼前の事態に対しては、まるきり無意味な決意ではあったが、
ヨコは心の片隅で、金輪際タテの酔狂には付き合わないと心に決めた。
一人の子供の帽子を取り、つむじの上に置いておいたコインいっこをとりあげる。
「はい、この通り、種も仕掛けもございませんわ」
「わー、銀色のお姉ちゃんすごーい」
「すげー、今のどうやったんだ!?」
「何か力使ったのかなぁ……うーん、アボートだっけ?」
「ばかねぇ、アボートは引き寄せるほうでしょ、逆よ逆」
「ねえちゃんも確か似たことできるよな、って……あれ、ねえちゃんは?」
「あっちよあっち、ただいま絶賛らぶらぶ中」
「おー、ホントだー、あついあついー」
「あついあついー」
「あついあついー」
「くぉら―――――!! 馬鹿なこと言ってるのは誰―――――!?」
「やべ、聞こえてた! 相変わらずの魔界耳っ!!」
「ばかねぇ、あれは冥界耳っていうのよ?」
「おねえちゃーん、たーくんとふーちゃんが言いましたー」
「あ、ちょっとみーちゃん!?」
「一人だけずるっ!!」
「またあんたらかぁ―――――っ! こンの悪ガキども―――――――!!」
「ほらほら、逃げないとつかまっちゃうよ?」
「やべっ!」
「あとで覚えてなさいよ――!」
「あ、こらっ!! 逃げるなそこ――――――――――――ッ!!!!」
ずどどーと、土煙を上げて鬼のいないおにごっこを開始する者約3名。
妖怪少女圧倒的有利の展開かと思いきや、追われる方もさるもの。
体格の差を巧みに利用するため生垣や低木は一方的な障害物と化し、
さらには追われる側の子供二人は半人半妖らしく、
飛んだり分身してみたり地面にもぐったりとかなりやりたい放題である。
「どう見る、ほしみん?」
「んー、お姉ちゃんに分があるのはいつものことだから、あとは時間の勝負かなぁ。
……たーくんとふーちゃんがあと5分逃げるに今夜のスイカ一切れで」
「じゃ、わたしは6分30秒におかずを託すわよー。
ひなたんはどうする?」
「……ふーちゃんの一人勝ちに、スーパーひとしくんいっこで」
「二人のレコード更新に手製ストロードール4つ」
「あ、おねーちゃんふーちゃんの罠に引っかかった」
「不思議なんだけどさ、あれっていつもどうやって仕掛けてるんだろうね」
「わたし知ってるよー、いつも前もって作っておいて、
おねーちゃんに追っかけられたりする時まで見えなくしとくんだって」
「うわずっこー」
「こないだなんか肥溜め見えなくしてたよ」
「あ、虹川のおばちゃんが落ちたのってひょっとしてそれ?」
「そうそう」
「さーさはったはったー。
開始から2分でじょーきょーはこーちゃくじょうたいだー。
今のオッズはおねーちゃんの6分勝ちでイーブン、イーブンだよー。
二人のレコード更新は7.4倍の高配当だー。
受付しゅーりょーまであと2分、2分ー」
「たくましいわねぇ」
郷の掲示板と思しき大きめの木製立て札に即席のオッズ表を展開し、
おいかけっこをたちまちささやかなギャンブルに仕立ててしまった子供たちを見やって嘆息する。
しかし双方の力関係の分析やら賭け方などなかなか侮れない。
「あははーこっちこっちー!」
「違う違ーうこっちだよー!」
「おのれぃ、二手に分かれるとはアジな真似をっ!
って、させるか――――!!」
一方、現場。
追撃対象が分散したのを見て立ち止まった妖怪少女のところに丸太ブランコ式ブービートラップが炸裂するも、
ふわりとかわしざまにぶら下げている綱を切断、以後の罠としての効果を無力化。
―――だけでなくそのまま慣性ですっとぶ丸太に便乗して片方に猛追をかける。
「はっはっはー! 行って戻って三十分だぁ――っ!!」
「あーしまった――!」
「ふーちゃんのばかー!!」
「くっそー、こうなったら奥の手だ、てぇいっ!!」
「遅い、遅いわよたーくん!! とうっ!!」
追いかけられる男の子の方がとっさに地面の石か何かを掴んで妖怪少女に向けて射出。
が、先読みしていた少女は躊躇なく丸太を乗り捨てる。
「あ」
「あー……?」
「ああ―――……!」
誰と誰と誰がそれを呟いたのか不明だったが、射出された石みたいなものが丸太を直撃した。
いかなるモーメントが子供の手のひら大の何かに潜在していたのか、
丸太は軌道を大幅に変更してこちらに飛んでくる。割と一直線に。
「うわわー!?」
「よっきゅん危ない!」
「たーくんのばかー!!」
「向こうでやれー!!」
「失敗…………ち」
それぞれが勝手な苦情を口にしつつ回避運動は忘れない。
この程度の大型単発無誘導の攻撃ごとき、避けられないようでは生き延びることなどできないのであろう。
若干一名、突っ立ったままグレイズを狙った命知らずもいたが、
残念ながら当たり判定の把握が甘かったようである。
丸太はそのまま掲示板の屋根をかすめて大地に半ばほど沈んで止まり、
脇にあった地蔵がちょっと傾いて隣の地蔵にもたれかかった。
地蔵の方にも不平不満はあるだろうが、後で誰かが直してくれるということにして放っておく。
「―――はっはっはっは、捕まえたわよたーくん!」
そうこうしているうちに主戦場は佳境を迎えている。
その場に存在するほとんどの視線が集中する先で、片手に男の子を捕獲した妖怪少女が、
いま一人の逃亡者と向き合っていた。
「ふっふっふ、過去最短記録でわたしの勝利は確実ね!」
「うわーんはなせー!」
「おだまんなさいたーくん!
……さあ、ふーちゃんもおとなしく降伏した方が身のためよ!
武装解除に応じれば命だけは助けてあげるわ―――さもないとっ!!」
「さ、さもないと!?」
「さもないと!」
「わひゃっ!?」
首根っこを掴んで拘束していた男の子に後ろからがっぷりと抱きついた。ええもうそりゃ濃厚に。
いくらか幼少とはいえやはり男の子、鼻の下が視認できるレベルでエクステンド。
それを横目にニヤリと勝ち誇ったような笑いを浮かべ、高らかに宣言する。
「たーくんの純潔は保障できないわよっ!!」
『おおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!』
「なっ……お、おおおおねーちゃんのばか――――!!
っていうかたーくんも『それもいいかなー』なんて顔するな――――!!」
「…………はっ!? お、おれは別にっ!!」
「ふふん、そうは言っても体は正直よ、たーくん?」
「う、うひゃぁぁぁぁっ!?」
『きゃあああ―――――――!!』
「なんともまあ……」
意外な展開なのか、ギャラリーからもどよめきやら黄色い悲鳴やらが上がった。
だが、まだ勝負は続いている。
二人ともが捕まらない限り、時計は止まらない。
「お、おねーちゃんこそそれでいいのっ!?
ナオにーちゃんという人がありながら、こっ、こここ、この卑怯者ッ! 浮気者ォ――――ッ!!」
「あーっはっはっはっはぁーッ!
なぁにを勘違いしてるのかな、ふーちゃんはー?
たーくんなんて所詮遊びよ!! あ・そ・び!!
楽しむだけ楽しんで飽きたらポイさ!!」
「が―――ん……」
少年よ、強く生きろ。
そんな具合で、微笑ましいんだか低レベルなんだかよく分からない会話に咲夜が頬を緩めていると、
「ずいぶんと楽しそうだな……」
「あ、神主さん、戻られたのですか」
「?」
不意に後ろでかわされた声に振り向く。
初見時同様に表情こそ険しいままだが、声にはそれほどの険はこもっていない。
その表情の主、神主の隣にいつの間にやらやってきたのは、
ついさっき妖怪少女と一緒にいてからかわれた「おにーちゃん」その人である。
随分と騒がしいことになっている相方と比べ、割に平然として見えた。
「咲夜殿もすまない。子供達の世話を押し付けてしまったようで」
「とんでもありませんわ。
とても楽しくていい子達ばかりですし、こちらも退屈しません」
世辞ではなく本心からそう言うと、神主のコワオモテが少し緩んだ、ような気がした。
「そういっていただけると助かる……ところでいいのか、止めなくて。
やたらとはしゃいでいるように見えるが……」
「たまに、ああやって弾けたいんだそうです。
前に聞いたら、そう言われました」
「そうか」
一方「おにーちゃん」なる若者――とは言っても、咲夜よりいくつか年上のようではあったが――も、
精悍な顔立ちに、やはり少しだけ笑みを浮かべながら続ける。
「その後で『真剣な遊びの中にこそ大切なものが宿るのよ!』とか言われましたが――」
「さあさあさあ、早くしないとたーくんの大事な何かが大変なことになるわよ!!
主に性的な意味でっ!!」
「ね、ねーちゃん、ちょっとー!?」
「大人しくしてなさいよたーくん? すーぐ気持ち良くなるからねー?」
「わっわわわっ、お、おねーちゃんちょっと待ったぁ―――!!
たーくんももちょっと抵抗しろ―――ッ!!」
「そ、そんなこと言ったって―――!?」
「いいぞー、やれやれー!」
「最短レコードまであと1分ー、1分ー」
「…………」
「とても楽しそうですわ」
「……後付けだな」
「……やや不本意ながら、同感です」
特に誰も止めに入らないあたり、この程度は日常茶飯事ということなのだろうか。
割ときわどい気がしないでもないのだが、それでも勝負は止まらない。
「う、うぅ――――っ……!!」
「ふっふっふー、さあさあ、覚悟は出来たかしらふーちゃん?」
「……わかったわ」
「ふ、ふーちゃんっ……」
それまで真っ赤になって抗議しつづけていた女の子が、ふっと身体の力を抜いた。
妖怪少女と男の子に向かって、笑いかける。
実にいい、小悪魔的な笑顔だった。
「ごめんね、たーくん……私の勝利のために犠牲になって!」
「あっ、あんですと―――!?」
「まとめて、いっけぇ―――っ!!」
だんっ、と足を踏み鳴らし、片手を大きく振る。
次の瞬間、妖怪少女の脇の木で妙な物音がするやいなや、何本もの竹槍が飛び出した。
男の子を抱えたまま即座に回避。
「わわわわわ―――!?」
「くっ、腕を上げたわねふーちゃん!」
「まだまだぁ―――!!」
女の子が腕を一振りするたびに落とし穴が出現し、竹槍が、石が、丸太が飛んだ。
「あははは―――見たかおねーちゃん!!」
「ちぃっ、いいのかなふーちゃん!?
わたしと一緒にたーくんもひどいことになるよ!?」
「そ、そうそうわぁぁっ!?」
「いいもん! たーくんなんて、おねーちゃんとよろしくやって捨てられちゃえばいいんだもんっ!!」
ぶん、とさらに腕を一振り。
だが、次の罠を開放し、起動するはずのそれは空振りに終わった。
にもかかわらず、ばさばさ、がさがさ、ばきばきと、不穏な音だけがあたりに響き続ける。
「……あれ?」
「?」
「あ……」
「ふーちゃん、後ろ!!」
「へ……?」
ゆっくりと、振り向いたそこで、丸太の木目と目があった。
「っきゃああああ!?」
「ふーちゃんっ!」
とっさに身を倒して回避。
が、避けたその先で地面から飛び出した竹槍が恐怖を倍増させた。
感情のバロメーターは平静と呼び得る上限ラインを容易に突破し、混乱を呼ぶ。
「う……うわぁぁぁぁぁぁぁん!!!」
「ふーちゃん!?」
「ばか、そっちは林の奥!!」
「へ、わぁっ!? きゃぁっ!?」
落とし穴に驚き飛び退いた先に再び竹槍、それを避ければさらに丸太。
無制限とも思える罠の連鎖が始まった。
「まずいな、またか!」
「また、というと?」
「あの子はいささか強すぎる力を持っていてな、
時折歯止めが利かなくなることがあるのだ……」
「ここもひょっとしたら危ないかもしれません。
神主さん、子供たちを」
「うむ」
言わずとも、既に流れ弾ならぬ飛び道具式の罠が近くに着弾しつつあった。
先ほどのように丸太一本などという次元ではない。
竹籠に山と盛られた石がぶちまけられ、竹槍やら矢やらが文字通りの弾幕として縦横に展開している。
「ふーちゃん! 聞こえてたら力を『絞り』なさい!
あなた以外に罠起動ができる人なんか居ないんだから、そいつらみんなふーちゃんが作ってるのよ!」
「そんなこと言ってもきゃあっ!?
わ……私だって何がなんだかわかんないんだもん!!」
片腕で男の子を抱えたまま乱れ飛ぶ罠を回避し、呼びかけ続ける妖怪少女。
だが、逃げ回る女の子の言葉通り、ロクに制御されず数ばかりが増えていく罠は、
ある意味、正確な狙いで撃ち込まれるより厄介な相手だった。
「我忘れて防御本能と直結した力だけが暴走してるか……なら、
――――ごめん、たーくんお願いね!」
「! いつの間に――」
「話は後ね、まずはふーちゃん止めたげないと!」
どうやってか、一瞬で長距離を移動して咲夜のすぐ脇までやって来た少女が、
あまりそのことについて動じていない風の青年に男の子を預け、
もと来た方へ向き直った次の瞬間には女の子が逃げ惑っている林の上空に居た。
「とは言ったものの、わたしじゃ直接罠を止めるとかできないしなぁ……。
って、えぇい、迷ってる場合か! とうっ!!」
「あ」
「お」
「む?」
安全圏まで退避した何人かの視線の先で、
少女が片足だけを突き出した、いわゆるとびげりの姿勢で林の中に急降下を開始して――
「お、おねえちゃきゃあっ!?」
「イ・ナ・ヅ・マ・キィィィィィック!!」
「―――――!!」
「せいっ!」
がこぉぉぉぉんと、今しも女の子の横で発動した丸太ブランコを撃墜。
さらに撃墜した丸太を足技のみで浮かし、蹴撃一閃。
高速飛翔する丸太が並列起動によって襲いかかる複数の罠を巻き込みつつ、林の奥へと消えていった。
「よし」
誰かがそう呟くのが聞こえた。
声の方向に振り向くと、神主が(やや分かりにくいが)安堵したような表情を浮かべている。
「これで収まるな」
「そういうものなのですか?」
「あれくらいの年頃の子の力というのは、感情と大きく連動している。
だから手っ取り早く止めるには、思い切り驚かせて情動を……つまり頭を真っ白にさせたり、
でなければ問答無用で気絶させるのが一番だ」
「ああ、なるほど」
意外に口数が多い神主の説明を聞くだけの余裕が、確かに生まれていた。
あれほど猛威を振るっていた罠が、言葉どおり不意を打たれて硬直したかの如く、静まっている。
「さ、ふーちゃん、落ち着いた?」
凪と化した空間で、妖怪少女はゆっくり女の子に近付き、頭に手を置いた。
「お、おねえちゃ……っ、ぐすっ、うぐしゅっ」
「はいはい、お疲れ様」
しゃくりあげる女の子をゆっくり、優しく抱きしめる。
「めいっぱいやったからしんどいでしょ?
……とりあえず今は寝ちゃってていいよ」
「うん……ぐすっ……ん……」
幼い身体に激しい力の行使が消耗を強いたのか、
泣き喚くことさえなく眠りに落ちた女の子を微笑みながら抱え上げ、
―――そして、緊張した面持ちで周囲に視線を走らせる。
ぎぎぎ、ばきばき、みしりと、聴覚にも凪の破綻が予兆となって伝わってきていた。
「そのかわり、あとでお説教される時は一緒にお願いね」
言うが早いか、およそ1.2人分ほどの質量がふわりと去った後の空間を、
巨大な鉛筆よろしくやたら鋭い木の杭が重力に逆らって屹立した。
「物騒だこと……わたしは、吸血鬼じゃ、ないんだけど、ねっ!」
台詞に合わせて刻むステップにやや遅れながら、どすん、どすんと地面から飛び出す杭が低音を奏でる。
「ったくもう、ふーちゃんってば、また力が上が、ったわね!
残存度と、剣呑さが、大したことになっちゃってるっての!!」
ががががががががががががっがががががっがっがっがが!!!!
とどめとばかりに足元のみならず周囲から大挙して来た杭をぎりぎりで上に回避。
嫌味なくらいに精密な狙いで襲いかかってきたそれらが衝突し、噛み合って静止した上にすとんと降り立ち、ひと息。
「ふぅ、やれやれ……これで終わり――(がさり)――にさせてくれないかなぁ、そろそろ」
ぼやいた。
地面から大人一人分ほどの高さに出来た鉛筆杭の円錐の頂点で、周囲を再び睥睨。
グリーンな色合いが夏の木漏れ日にも鮮やかな、竹槍の大群。
無言のまま少女二人の周囲をまんべんなく取り囲むそれらが何事か言う筈も無く、
やけに鋭利な先端がその殺傷力の程をこれでもかと主張している。
「ま、やるしかないか……ふーちゃんに怪我させちゃったら、私だけが倍のお説教されちゃうし。
いっそ私がぼろぼろになってふーちゃんだけお説教って手もあるかな……」
「まさか、いかん!」咲夜の右後方で上がった声、これは神主。
「危ない、ほとりっ!」左後方でほとんど同時に上がった声は、おそらく青年。
それらの声に応じたわけではないだろうが、竹槍軍団の一部がぶるりと身震いした様に蠢き、
殺到を、開始した。
「じゃ、ふーちゃん。
お説教されるのは任せた、ね」
緑映える槍軍団を蹴散らすでなく、何がしか回避行動をとるでなく、
さして大きくもない体躯で女の子をしっかりと抱きかかえて、小さく縮こまった。
「―――――――――――!!」
近くで誰かの叫びが上がる。
だが、引き伸ばされ始めた無限に等しい刹那の中では、それはただ尾を引く意味無き音の波と化す。
周囲のすべてが静止した世界で、一歩を踏み出す左手に懐中時計。
光さえもわずかな移動を許されぬ、絶対零時の、あらゆるものが色を失ったモノクロの一枚絵を、
赤より紅い光を宿す瞳が見通した。
残る右腕を一度、二度。
繊手が描いた軌跡に沿って、金属の閃きが粛々と列をなす。
指向するのは緑の大群。
槍という名を冠すれど、所詮は青竹。飛ぶ鳥落とすも出来はせぬ。
挑みかかるは銀刃の精兵。たかが小太刀と侮るな。
飛ぶ鳥妖怪は言うに及ばず、巫女に魔法使いに閻魔死神鴉天狗、
幽霊亡霊鬼っ子妖精ついでに毛玉まで、墜とせぬものなど少ししかない。
いざや、往かん。
「秘技――――」
と、宣言しようとしてふと止まる。
殺人などとはいささか物騒、この場で振るうは瀟洒にあらず。
くすりと口の端でだけ微笑んで、右手に持った刃を滑らせる。
虚空に浮かんだ札を優雅に刃でひと撫ですると、表裏交代した札に舞い踊る、鋼の意志はかくの如し。
――――メイド秘技「竹刈ドール」――――
銀色が、駆け抜けた。
その後に起こったことをいくつか記しておこう。
まず、当然ながら妖怪少女及び女の子の救出は大過なく成功した。
が、直後、救出された二人は神主と例の青年に神社まで連行され、2刻ほど姿が見えなかった。
その間、当初にもまして咲夜は子供たちにまとわりつかれることとなり、
長時間に及ぶ子供たちとの様々なマラソンマッチにさしもの完璧で瀟洒なメイド長が疲れを隠しきれなくなった頃、
大関か横綱あたりが全身全霊で絞ったゾーキンのごとくに、文字通りシボられた少女ふたりが説教役二人とともに戻った。
当事者たちは「カッとなってやった、今は反省しています」などとうつろな目で呟いていたのだが、
それを聞いた神主及び青年のびみょんな表情が観察された辺りから察するに、
三途の渡し死神が上司に見つかってごく一時的に仕事に戻るのとさして変わらぬようである。
さらにそれから、神主と妖怪少女が郷の大人衆たちと今後の打ち合わせをするのに同席。
「メイドじゃメイドじゃー!」と飛び掛ってきたじいさんの弁慶を瀟洒に蹴り飛ばしてから、
一通りの事情を咲夜は求められるままに説明した。
さらにさらにひと段落ついた頃、救出した少女の父親がお礼と称して満タンの酒瓶数本を持って出現。
半ばなし崩し的に発生した宴会が子供たちを巻き込んだどんちゃん騒ぎに発展し、
さらにさらにさらに、酔っ払ってフンドシ踊りを披露しようとした男性若干名を、
女性数名(おそらくは奥方か、それに近い関係の)がフライパンやタライで豪快に張り倒して強制連行するに至り、事態はようやく沈静化した。
日頃我が物顔にそれを使いこなす咲夜さえも時間が経つのを忘れるほど、愉快なユカイなひとときが過ぎて、
そして今は、日付も変わろうかという頃合である。
「ふぅ…………」
夜風がさやさやと抜けていく、初夏の縁側にひとり。
借り物の浴衣に袖を通し、普段の彼女の生活とはかけ離れて穏やかな時間の経過速度に少々落ち着かない。
今の十六夜咲夜の状況を示すなら、概ねそのようなものだった。
ちなみに、ブタ型陶器の蚊取り線香は諸事情により、ない。
というのも蚊があまりいないからだが、その理由を聞くと「主に血の気の多い人から吸うことになってるのよ」とのこと。
「不思議な、ところよね」
ぽつりと呟く。正直な感想だった。
夜空を飛んでいく奇妙なシルエットが見える。なんらかの妖怪か、そこらへんだろうか。
一方で地上に目を向ければ、今いる家が高台であるため郷の家々がよく見えた。
多くは就寝しているようだが、何をしているのか、暗めの明かりがともったままのもいくつかある。
まれに主人の言いつけに応じて嗜好品を求め外界を訪れる咲夜だったが、
その用を満たす場所はたいがいが街のため、ここのような僻村へやって来ることは無い。
それ故、単純に比較するための対象を咲夜としては持たないのだが、
しかしそれでも、この郷は外界にあるにしては、ひどく幻想郷くさい。
そう思った。
「あれ、まだ寝てなかったんだ?」
「……あなたもね」
縁側に面した部屋の、さらに続きの間から、まだ乾ききらない濃い緑色の髪を揺らして家主が現れた。
咲夜同様に浴衣姿だが、どうやら風呂上がりらしい。
「何を言うんだか……わたしたちみたいなのはこういう時間が本領よ」
「? そうかしら……?」
「んー、多分?」
一般的に妖怪は夜行性だとされている。
が、今そう主張した当の少女だって昼間っから活発に動いていたし、
このメイド長の主人にしてからが、夜行性の代表格たる吸血鬼でありながらも、
最近は「夜だとよく見えないじゃない」などという理由で昼間に花見と洒落込んで神社へ赴くクチである。
知識として知っていたとしても、実感の伴う形ではなかなかそうとは感じられまい。
「まー、さすがに今日だけは夜行性を返上するわ。
昼間の疲れがひびいてひびいて」
「そりゃそうでしょう」
「ちょっとはしゃぎすぎたねー」
あははーと笑う少女。
初見時こそ既知の、蛍妖怪で蹴りの得意なナニガシと思い込んでいたが、
こうして半日ほど接しているとずいぶんとキャラが違うことが分かってきた。
細かい挙措だけを見てもひとつひとつにやわらかい印象があるし、
外見だけで推し量ることは不可能に近いものの、年齢的にも上かもしれない。
と、そんな風に何となく思考しつつ、ちょっと思いついたことを試してみた。
「……ほとり?」
「うぇっ!? ぁ……うん、なに?」
「? どうしたの、変な声出して……名前呼んだだけじゃない」
「あー、うん、まあ、そう……なんだけど」
もごもごと、なぜか戸惑う少女。
ひとしきりもごもごしてから、ためらいがちに言葉をつなぐ。
「えっと……誰かに、聞いた?」
「昼間のあの時」
「あー…………」
しまったという風に、夜空を仰ぐ。
満天の星とほどよく大きな月が手元の明かりすら不要な程度の光をそそいでいた。
「あなたの彼が呼んでたのよ、聞こえてなかったかもしれないけど」
「え、いやちゃんと聞こえてたけどね……っていうか彼って言うな!
うわーもう……っぇい、なんちゅー恥ずかしい言い方をー!」
「あら……」
真っ赤になって首をぶんぶん振っている、蛍というより小動物のようなリアクションだ。
これはこれで可愛いわね、と咲夜の中のある部分できゅんとか何とか、やや妙な効果音が鳴った。
うーと何やら唸っている少女、ほとりを見ながら、
首をもたげた悪戯心にまかせて気付いたことを聞いてみる。
「そういえば、みんなあまり名前を呼んでなかったわね。
子供たちはみんな『お姉ちゃん』って呼んでたし、大人たちは大概『姫』って呼んでたかしら?」
「え、あー……そだっけ?」
視線をはずし、不明瞭な答えを返してくる。
少し、いや、だいぶ白々しかった。
仕方ないのでもうちょっとつつくことに脳内会議が全会一致で賛成。
「ひょっとしてアレかしら。
本当に大事な人以外には名前を呼んで欲しくないとか……そういうの?」
「だーかーらー、そういうのじゃ……いや、無いとは言い切れないけどさ、
いやいやそうじゃなくて!」
いちいち反応が素直だったり素直じゃなかったりで面白い。
咲夜の主人にもこういうところがあったりするわけだが、
さすがに年季ゆえか、ここまでくるくると活発な感情表現にはなかなかお目にかかることがない。
もっとも、そうやってからかって楽しんでいるメイド長にしてみたところで、
門番の華人小娘あたりと1対1で過ごしてるときなどは似たようなものだったりするわけだが、
さしあたって彼女の乙女モードは厳重に封印中だ。
「そういうのは無いとは……云わないけどさ。
全部が全部そういうんじゃないって!」
「へえ、じゃあ、どれくらい?」
「う……は、半分、くらい、かな」
「あら、意外と少ないのね。
それじゃあ、あとの半分は何でできてるのかしら」
「それは……」
と、ふと少女、ほとりが軽く息を吐いた。
頬に上った朱はまだ残っているものの、視線が不意にどこか遠くへ向く。
何がしかの一線を越えてしまった反応に咲夜が口を開きかけるのを手でやんわりと制し、
少しの沈黙を間において、ためらいがちな言葉を続ける。
「ちょっとね……その名前って、重たいんだ」
「重い……」
「ん…………。
ね、わたしって、見た感じいくつくらいに見える?」
「いくつ……年齢ってことかしら?」
「そ」
頷かれた。
応じて、改めてその容姿を観察する。
既に何度もそう思ってきたが、この目の前の少女は咲夜にとっても既知のとある妖怪少女とよく似ていて、
見た感じだけならば子供といっても差し支えないだろう。
ただ、何しろあやかしの類である。
咲夜自身の主人を含めて、見た感じがイコール実年齢などというのは、まずないと言っていい。
誕生まもなくの期間は人間とは逆の意味で外見がアテにならないが、
ほぼイコールで両者が結ばれるわずかな期間の後は基本的に命ある限り、
それこそ際限もなく開いていくギャップがあるだけである。
そんな感じの、言うなればごく自然に幻想郷的な『常識』に照らした形で咲夜が思案していると、
当の質問者の方からさっさと答えがかえってきた。
「そだね……言っちゃなんなんだけど、
あなたが見た感じくらいなんだったら、わたしも多分それと同じか、もちょっと上くらいじゃないかな?」
「あら、そうなの?」
「そうなの」
「…………」
「てっきり、もっとずっとおばあちゃんだと思ってた?」
「ええ、まあ……そうね」
「あー、ひっどいわねぇ、こーんなに可愛いオンナノコを捕まえておばあちゃんだなんて」
「あなたが自分で言ったんでしょ」
「あはは……でもまあ、普通はそうよね」
妖と人が、同じ場所で生きていることによって発生する差異は多い。
そんな差異の中でも大きなものの一つ、年齢のことを、しかし『普通』と言う。
咲夜の日常感覚、常識とも言うべきそれに当てはめれば、そのことに何らの疑問もない。
だが、それはあくまで『幻想郷的』な感覚に拠ってである。
大結界で括られているわけでもない、外界の、単に人里離れているというだけのこの場所で、
それを『普通』と、何の気なしに言い放つことができるようになるためには、如何程の時が必要か。
そのためには、咲夜と同じ程度だと言ってのけた、
この目の前の少女が過ごした生の時間は、あまりに短いのではないだろうかと。
そう、思えてしまった。
「んー、まあ厳密に言っちゃえば、サバ読んでるって言えなくもないけどね」
「どっちよ」
「それがね、わたしにもちょっとどう言って良いか分からないくらい微妙なのよ、これが」
困ったわねぇたははー、などと見た感じお気楽にのたまう。
次の瞬間、どんと縁側の上、咲夜と少女との間にどこからともなく召喚されたのは、
内部になみなみと液体をたたえた一升瓶。
傍らには、御猪口が二つに、向日葵の種を満載した巨大な椀が一つ。
「……また呑むの?」
「呑むなきゃやってられっかぁーうぇーい」
「早いわよ」
「ま……それは冗談としておいてもね。
喉渇いたから、呑む」
「余計に渇きそうだけれど」
「人は水分のみを欲して呑むにあらず!」
「はいはい……」
人じゃないじゃない、というツッコミは既に昼間に射出済みだったので省略する。
含んだ酒はさほど強くはないが、妙な深みを幾重にも湛えていた。
その重なりの中に、この郷に降り積もった年月そのものを見るようで、
それでもやはり自分プラス多少の年月程度では、この酒ひとつに至るにも短すぎると、咲夜は思った。
「……わたしね、二人目なんだってさ」
そうして無言のまま幾度か酌をし、杯を傾け、瓶の中身を消費した頃である。
今しがたまで胡座を組んで『かーっ』などと言いつつ酒精を摂っていた少女が、何気なく、おもむろに呟いた。
唐突なそれの意味を取りかねたのか、咲夜の杯が運搬作業を中止する。
「……えっと?」
「なに」
「二人目……っていうのは?」
「あー、つまりね……その、名前がね、二人目。
『ほとり』っていう名前で、見た目わたしみたいな感じの妖怪で、
とんでもなく昔っからこのあたりに住んでて、
ついでにわたしが生まれるほんの少し前まで郷の人間達とこの辺の妖怪達のおねーさんっぽい感じだった、誰かさんのこと」
「……それって、あなたの母親とか、姉妹とかじゃないの?」
「そっこが、ややっこしいところなんだよねー」
「ややこしい」
「そ、やっやこしぃーの」
ぶちぶちと、愚痴るように言いながら、手酌でどぼどぼ瓶を傾ける。
いつの間にか二本目だった。ついでにその流れを受ける方も猪口から枡に変わっていた。
「色々聞いたところによるとね、その人……いや人じゃないけど、いわゆる一人目、っていうのが、
力と記憶の一部を新しい身体に受け渡したのが、このわたしらしいのよ」
「らしいって……」
「現場を見た人はいなかったらしいし、そのことを覚えてた人も人づてで聞いたか何かだったらしいのよ。
記憶に関してはわたし自身が身に覚えのない……多分、その一人目さんの最後の何十年分かの記憶を、実際、持っててね、
って言っても、わたしの体験と結びついた記憶じゃないから、
ぶっちゃけた話、誰かの日記を読んで覚えたっていうくらいのものでね。
そのことを聞かれても話しても、『懐かしい』っていうより『そういうことがあったらしい』って位で、
イマイチ実感湧かないしねぇ」
半眼でどことも知れぬ方角を睨み、かつ明らかに酒精由来と思われる赤みが顔面を占拠しつつあった。
しかし枡の移動速度は変わらず、一方で潤滑液を得た口は実にいい回転速度を発揮している。
「ちょっと、大丈夫?」
「大体さー、力と記憶の『一部』って何なのよー。
どーせなら全部ばばーんとやっちゃってくれりゃーいいのにさー。
わたしゃわたしで『先代のほとり殿はー』とか何とかいうご老体どものセリフに遭遇するたんびに、
『わたしはわたしだからねー』って何回返したよ!」
「…………」
制止など聞いちゃいなかった。
どん、どぼどぼ、ぐぐぐーっ、ぷはーっ、どん、どぼどぼ、ぐぐぐぐーっ、ぷはぁーっ。
どこぞの鬼をホウフツとさせる永久運動に突入していく少女を、
咲夜は、放って置くしかないと経験的に理解した。
「でもなー。
今日みたいなことがあるとさ、つい考えちゃうんだよね。
記憶もとは言わないから力だけでも一部じゃなくて全部引き継いでたらあんなカッコ悪いことにはならないのかなーって。
不毛だっていうのはわかるんだけどついさー……ついー……つぃぃぃぅ…………ぅにゅぅー…………」
「……しょうがないわね」
沈没は意外に早かったらしい。
小鬼やスキマ妖怪や天狗あたりとは比べるくもないほどあっさりとアルコール分に敗北し、
早速寝息を立て始めた少女をみやってメイド長は溜め息一つ。
ほぼ同い年かちょっと上くらい(自己申告)の割に小柄な体躯を抱え上げ、
既にひいてある布団(二人分)の方へと運んでいく。
郷より少しだけ高い所にある家の明かりが程なく吹き消され、
周囲は星と、中天を過ぎた月明かりだけが照らす、本格的な夜に包まれていった。
境郷2 ~ Perfect Maid in The Border Land “Chapter_3” end
and to be continued ...
(1)及び(2)を読んでいない場合、状況がわけ分からないと思いますので、出来れば前の方からお読みください。
それと、(1)の冒頭にもありました通り、このお話は一部、ないしある程度の範囲で、
作品集31の拙作『境郷』と舞台や人妖設定などが共有されています。が、
いちおう『2』の一連だけでもそれなりに独立したお話として楽しめるようにはなっています。
加えまして、このお話あたりからオリキャラ注意報が警報クラスになってきますので、それなりにご注意をば。
目に留めた新聞記事に誘われるように境郷へとやってきた我らがメイド長こと十六夜咲夜嬢。
そこで彼女は、妖怪と人間が、幻想郷の外で、それなりに折り合って暮らしている場所があることを知る。
堅物に見えてなんとなくいい人の神主や、ノリのいい蛍妖怪の少女、
そして、幻想郷とどことなく面影の重なってしまう郷。
しかし、彼女を導いた新聞記事、それが思わぬ方向で思わぬ事態を引き起こしつつあった。
われらがさっきゅんはどうなってしまうのか?
まじかる☆咲夜ちゃんスターに出番はあるのか?(多分ありません)
そんなこんなで、境郷2(3)となります。
またしてもまたしてながらだいぶ長いお話だったりしますので、
お茶かお茶菓子、またはその両方があるとまったり加減で楽しめると思います。
では、どうぞ
境郷2 ~ The Border Land Story (3)
「では、やはり君たちもあの新聞記事を読んで来たのだね?」
「ええ、まあ……」
道の駅、その休憩所の一角にしつらえられた丸テーブルに、三人の男がいた。
一人は縦に長く、一人は横に広く、いま一人はどちらでもなかった。
ただ、三人の中でひときわ異色な気配を放っているのは、他ならぬその三人目、
一度会ったら百人が百人しばらく忘れられないどころか、
下手をすれば夢に出てきてうなされるであろう特異な顔面を有し、
このクソ暑い日にぴっちりと黒スーツを着こなす小柄な男、そいつが会話を主導している。
「なかなか興味深い記事だったね。
私も仕事柄ああいった情報はなるべく仕入れるようにしているのだが、
いかんせん今の社会では一人でできることに限度があってね、
君らのような人たちがほかにいてくれると、何かと助かるよ」
「はあ……」
よく口の回る人だと、横に広いほう(便宜上の呼称『ヨコ』)は手元のざるうどんをすすりながら目だけで相手の様子を見ていた。
まだ午前も早い時間ということもあるのか、休憩所兼食堂のようになっているそこに他の客はいない。
いたとしても、この奇怪な三人組を見れば入るのを遠慮するだろうというのがヨコの個人的見解ではあった。
「えっと……そういうのの研究者か何かなんですか?」
「研究者か……ふむ、まあ確かに、ある程度そういった知識や経験が必要な仕事ではあるがね」
対して縦に長いほう(便宜上の呼称『タテ』)は男と同じくコーヒーを手元に、
ためらいながらもまだ話の分かる男を話し相手として選んだ。
だったら自分だけでも帰らせろと言うと『怖いから一緒にいてくれ』と来たものだ。
夜中に一人でトイレ行く子供か、とヨコも言ったものの、
確かに、男の顔面はお世辞にも長時間サシで向かい合って話すのに適しているとは言い難かった。
一見普通に会話をしているように見えるが、タテの顔が微妙に引きつっているのはヨコの位置からも確認できる。
「そ、それにしても……その、ちょっと変な名刺ですよね、これ……」
「ん、そうかね?」
新人の役者でももうちょっとマシな作り笑いをするぜ、とヨコが思った脇で、
タテは先刻男より手渡された名刺を話題に引っ張り出した。
ヨコが受け取ったときに付着したソースもそのままだったのだが、
それをほぼ完全に無視している男の反対側で、タテはタテでそこまでの精神的余裕をすでに失っており、
緊張とその他もろもろの要素でおそらくカラカラに乾いているだろう口を必死に動かしている。
「いや、だってほら……名刺っていうのは名前のほかに、その……会社の名前とか、
そういうのも一緒に書くものじゃないですか」
「ふむ……確かに世間一般ではそうかもしれないが、私の職場はいささか特殊でね。
身内にはそう言えば通じるし、そうでなくても、私がどういう立場にいるかだけは分かってもらえると思うのだが」
「は、はあ……」
釈然としないのか、しかしそれ以上話題を展開させる手段を見失ったタテは、
半ば男の言葉につられるようにして頷いた。
(確かに妙っていえば妙だけど、んなこと聞いてどうするんだよ)
遭遇時には多少面食らったとはいえ、順応性が高いのか、
ヨコは男の顔面とやたら低い声のコラボレーションもあまりプレッシャーを感じなくなっていた。
一対一で話に引きずり込まれれば危ないかもしれないが、
今のところタテの方がその役を引き受けてくれているために、冷静さは維持可能だ。
張り合うつもりはないとはいえ、外見上のインパクトで言えば自分も結構なものだと、ヨコは勝手に自負し、
相方が翻弄される脇で、この、どう見たって胡散臭い男とさっさと縁を切る方法を模索し始めていた。
(研究者かなんかって、ふざけてるにもほどがあるよなぁ)
ちら、と名刺に視線を飛ばす。
研究者というからにはどこぞの大学だの研究所だのに所属しているのだろうから、
基本からいえばその辺の記述があってしかるべきその名刺に、簡潔な二文字だけが印刷されている。
太文字の明朝体、カスレひとつない印刷が白い紙片に踊る様は、逆に当人の不気味さを増幅させている気がした。
「そ、それでその……えーと」
「ああ、私の呼び方を気にしていたのか?
なら特に遠慮は無用だ。そこに書いてあるままに呼んでくれて構わない」
「それじゃあその……だ、『代表』さんは、おれ……いえ、ボク達に、何の御用なんでしょうか……?」
「ふむ、用というほどのことではないのだがね……」
名刺のままに代表と呼ばれた男は、タテの問いかけに少し考えるそぶりを見せてから、
おもむろに手元のコーヒーをすすり、手をテーブルの上で組んでこちらに身を乗り出してきた。
できればあまり近寄らないでほしい、怖いから。
「先ほど面白い話をしていたね。
妖怪がどうとか、霊刀とか……なかなかいわくありげだが、
君らがどこで何を見たのか、少しばかり聞かせてもらえるとありがたいな」
何が面白いのか、低い声をさらに抑えてそう告げる男の口の端が上向きにゆがんでいる。
事故か、人為的な何かか、いかなる理由でそうなったのかわからないが、
分厚くなった皮膚が何層もの巨大な皺を刻んだ顔で笑われると、
泣く子も黙るどころか冗談抜きでショック死しそうなくらい怖い。
妖怪が見たかったら鏡でも見てろよと言いたくなったが、さすがにそこまでの勇気はなかった。
代わりにヨコは椀の中でつゆに浸っていた残りのうどんを一気に胃袋に流し込むと、
タテの腕をつかんで立ち上がる。
「ちょ、おい……」
「すんませんけど、俺用事あるんで、車のないこいつ送るついでに帰りますね」
一方的に告げて男に背を向け出口に向かって歩き出す。タテの抗議はこの際黙殺する。
こいつは何か得体が知れない、関わりあいになるなと本能が告げていた。
「まあ、少し待ちたまえ」
止める気がないのか、男は立ち上がりもせず、テーブルに身を乗り出した姿勢のまま低い声で告げる。
何が待てだ。
うどんもコーヒーも食券で前払いだ、おごられたわけではないし、
セルフかもしれないがこの際あとは営業のおばちゃんにお任せしておこう。
今はこの不気味が服を着たような存在から一刻も早く離れたかった。
「残念だよ。もう少しその妖怪とやらについて話を聞きたかったのだが……」
何が残念だ。なにが妖怪だ。
この現代でそんなタワゴトをクソマジメに言いやがって。
こいつはきっと研究者じゃなくて研究される側だ。白い壁の内側かなんかで。
「お、おい、離せよっ……」
タテがなおも抗議するが、口以外で積極的に意思表示をしようとしないのは、
男と二人きりになるのがやはり恐ろしいからだろうか。
「あまり、手荒な真似は好みではないのだがね」
「…………!」
「うぉっ、っとっとっ!?」
足が止まる。掴んでいたタテの腕を離す。たたらを踏んでよろける相方は無視だ。
夏とはいえまだ太陽も低い午前中、それも冷房がよく効いている屋内、そこまで暑くはないはずなのに、
ヨコの背筋を汗が伝い落ちた。
「なんなんだよ、あんたらはっ……!」
振り返り、男に吼える。が、かすれ気味の声が相手に届いたかどうかも疑わしかった。
そのヨコの背後、いつの間に、いったいどこから現れたのか、外へと通じる自動ドアの前に立つ、
これでもかというほど無個性な、しかしそれだけ際立った存在感を持つ大柄な黒服の男が三人。
サングラスで武装した上に無表情で同じ髪型と来れば、細かいところはともかく、
そのありようのいかがわしさは嫌でも分かる。
「言っただろう、研究者のようなものだと……まあ、もっとも」
立ち上がってゆっくりとこちらを向く男。
そのやけに芝居がかった動作が癪にさわり、詰め寄ろうとした瞬間、腕を後ろから掴まれた。
「な、おい、はな……!?」
最初は相方かと思った。
だが自分と男の間にいるタテが自分のさらに後ろにいるはずがない。
足音もなく、それとも聞き逃しただけか、黒服の一人がいつの間にかすぐ後ろにいた。
自分の腕を掴んでいる手は、その黒服の所有物だ。
「研究以外にも色々とやらなければならないことがあってね。
われわれも何かと多忙なのだよ」
「う……うあっぁ!?」
2歩、3歩ゆっくりと近づいてくる男に圧されるようにタテが後退し、
そのすぐ後ろには音もなくもう一人の黒服。
さらに残る一人の黒服がヨコのすぐ横にまでやってきて口を開く。
「いかがいたしますか、代表」
「やむを得まい。あまり時間的な余裕があるわけでもないからな……。
いささか気の毒だが、少々手荒になっても構わん」
「な、何する気だよ!?」
声を張り上げる。こうなっては虚勢もいいところだが、納得のいかないことが多すぎた。
「なに、最初に言っただろう?
少しばかり、話を聞かせてもらうだけだ……まあ」
いびつに男の顔がゆがむ。
天窓から差し込んできた光が男にかかり、逆光の中で笑うその顔はいっそう不気味だった。
「あまり強情を張るようだと、多少は痛かったりするかもしれないがね。
……連れて行け、あくまでも丁重にな」
「は」
「う、うわぁっ!」
「痛っ、くそ!」
黒服に引きずられていくタテとともに、ヨコも後ろから促されてやむを得ず歩き出す。
「貴重な情報提供に感謝するよ、ありがとう」
「……いるかどうかわからん妖怪なんて代物より、人間のほうがよっぽどタチが悪いぜ……!
んなもん本気で信じやがって、あんたらおかしいよ!!」
「そう思いたければそうしておきたまえ。
世の中には、知っていても無害なことと、知っていて不幸になることがあるのだからな」
感謝ではなく、死刑宣告のような男の言葉を聴きながら、
眼前の事態に対しては、まるきり無意味な決意ではあったが、
ヨコは心の片隅で、金輪際タテの酔狂には付き合わないと心に決めた。
一人の子供の帽子を取り、つむじの上に置いておいたコインいっこをとりあげる。
「はい、この通り、種も仕掛けもございませんわ」
「わー、銀色のお姉ちゃんすごーい」
「すげー、今のどうやったんだ!?」
「何か力使ったのかなぁ……うーん、アボートだっけ?」
「ばかねぇ、アボートは引き寄せるほうでしょ、逆よ逆」
「ねえちゃんも確か似たことできるよな、って……あれ、ねえちゃんは?」
「あっちよあっち、ただいま絶賛らぶらぶ中」
「おー、ホントだー、あついあついー」
「あついあついー」
「あついあついー」
「くぉら―――――!! 馬鹿なこと言ってるのは誰―――――!?」
「やべ、聞こえてた! 相変わらずの魔界耳っ!!」
「ばかねぇ、あれは冥界耳っていうのよ?」
「おねえちゃーん、たーくんとふーちゃんが言いましたー」
「あ、ちょっとみーちゃん!?」
「一人だけずるっ!!」
「またあんたらかぁ―――――っ! こンの悪ガキども―――――――!!」
「ほらほら、逃げないとつかまっちゃうよ?」
「やべっ!」
「あとで覚えてなさいよ――!」
「あ、こらっ!! 逃げるなそこ――――――――――――ッ!!!!」
ずどどーと、土煙を上げて鬼のいないおにごっこを開始する者約3名。
妖怪少女圧倒的有利の展開かと思いきや、追われる方もさるもの。
体格の差を巧みに利用するため生垣や低木は一方的な障害物と化し、
さらには追われる側の子供二人は半人半妖らしく、
飛んだり分身してみたり地面にもぐったりとかなりやりたい放題である。
「どう見る、ほしみん?」
「んー、お姉ちゃんに分があるのはいつものことだから、あとは時間の勝負かなぁ。
……たーくんとふーちゃんがあと5分逃げるに今夜のスイカ一切れで」
「じゃ、わたしは6分30秒におかずを託すわよー。
ひなたんはどうする?」
「……ふーちゃんの一人勝ちに、スーパーひとしくんいっこで」
「二人のレコード更新に手製ストロードール4つ」
「あ、おねーちゃんふーちゃんの罠に引っかかった」
「不思議なんだけどさ、あれっていつもどうやって仕掛けてるんだろうね」
「わたし知ってるよー、いつも前もって作っておいて、
おねーちゃんに追っかけられたりする時まで見えなくしとくんだって」
「うわずっこー」
「こないだなんか肥溜め見えなくしてたよ」
「あ、虹川のおばちゃんが落ちたのってひょっとしてそれ?」
「そうそう」
「さーさはったはったー。
開始から2分でじょーきょーはこーちゃくじょうたいだー。
今のオッズはおねーちゃんの6分勝ちでイーブン、イーブンだよー。
二人のレコード更新は7.4倍の高配当だー。
受付しゅーりょーまであと2分、2分ー」
「たくましいわねぇ」
郷の掲示板と思しき大きめの木製立て札に即席のオッズ表を展開し、
おいかけっこをたちまちささやかなギャンブルに仕立ててしまった子供たちを見やって嘆息する。
しかし双方の力関係の分析やら賭け方などなかなか侮れない。
「あははーこっちこっちー!」
「違う違ーうこっちだよー!」
「おのれぃ、二手に分かれるとはアジな真似をっ!
って、させるか――――!!」
一方、現場。
追撃対象が分散したのを見て立ち止まった妖怪少女のところに丸太ブランコ式ブービートラップが炸裂するも、
ふわりとかわしざまにぶら下げている綱を切断、以後の罠としての効果を無力化。
―――だけでなくそのまま慣性ですっとぶ丸太に便乗して片方に猛追をかける。
「はっはっはー! 行って戻って三十分だぁ――っ!!」
「あーしまった――!」
「ふーちゃんのばかー!!」
「くっそー、こうなったら奥の手だ、てぇいっ!!」
「遅い、遅いわよたーくん!! とうっ!!」
追いかけられる男の子の方がとっさに地面の石か何かを掴んで妖怪少女に向けて射出。
が、先読みしていた少女は躊躇なく丸太を乗り捨てる。
「あ」
「あー……?」
「ああ―――……!」
誰と誰と誰がそれを呟いたのか不明だったが、射出された石みたいなものが丸太を直撃した。
いかなるモーメントが子供の手のひら大の何かに潜在していたのか、
丸太は軌道を大幅に変更してこちらに飛んでくる。割と一直線に。
「うわわー!?」
「よっきゅん危ない!」
「たーくんのばかー!!」
「向こうでやれー!!」
「失敗…………ち」
それぞれが勝手な苦情を口にしつつ回避運動は忘れない。
この程度の大型単発無誘導の攻撃ごとき、避けられないようでは生き延びることなどできないのであろう。
若干一名、突っ立ったままグレイズを狙った命知らずもいたが、
残念ながら当たり判定の把握が甘かったようである。
丸太はそのまま掲示板の屋根をかすめて大地に半ばほど沈んで止まり、
脇にあった地蔵がちょっと傾いて隣の地蔵にもたれかかった。
地蔵の方にも不平不満はあるだろうが、後で誰かが直してくれるということにして放っておく。
「―――はっはっはっは、捕まえたわよたーくん!」
そうこうしているうちに主戦場は佳境を迎えている。
その場に存在するほとんどの視線が集中する先で、片手に男の子を捕獲した妖怪少女が、
いま一人の逃亡者と向き合っていた。
「ふっふっふ、過去最短記録でわたしの勝利は確実ね!」
「うわーんはなせー!」
「おだまんなさいたーくん!
……さあ、ふーちゃんもおとなしく降伏した方が身のためよ!
武装解除に応じれば命だけは助けてあげるわ―――さもないとっ!!」
「さ、さもないと!?」
「さもないと!」
「わひゃっ!?」
首根っこを掴んで拘束していた男の子に後ろからがっぷりと抱きついた。ええもうそりゃ濃厚に。
いくらか幼少とはいえやはり男の子、鼻の下が視認できるレベルでエクステンド。
それを横目にニヤリと勝ち誇ったような笑いを浮かべ、高らかに宣言する。
「たーくんの純潔は保障できないわよっ!!」
『おおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!』
「なっ……お、おおおおねーちゃんのばか――――!!
っていうかたーくんも『それもいいかなー』なんて顔するな――――!!」
「…………はっ!? お、おれは別にっ!!」
「ふふん、そうは言っても体は正直よ、たーくん?」
「う、うひゃぁぁぁぁっ!?」
『きゃあああ―――――――!!』
「なんともまあ……」
意外な展開なのか、ギャラリーからもどよめきやら黄色い悲鳴やらが上がった。
だが、まだ勝負は続いている。
二人ともが捕まらない限り、時計は止まらない。
「お、おねーちゃんこそそれでいいのっ!?
ナオにーちゃんという人がありながら、こっ、こここ、この卑怯者ッ! 浮気者ォ――――ッ!!」
「あーっはっはっはっはぁーッ!
なぁにを勘違いしてるのかな、ふーちゃんはー?
たーくんなんて所詮遊びよ!! あ・そ・び!!
楽しむだけ楽しんで飽きたらポイさ!!」
「が―――ん……」
少年よ、強く生きろ。
そんな具合で、微笑ましいんだか低レベルなんだかよく分からない会話に咲夜が頬を緩めていると、
「ずいぶんと楽しそうだな……」
「あ、神主さん、戻られたのですか」
「?」
不意に後ろでかわされた声に振り向く。
初見時同様に表情こそ険しいままだが、声にはそれほどの険はこもっていない。
その表情の主、神主の隣にいつの間にやらやってきたのは、
ついさっき妖怪少女と一緒にいてからかわれた「おにーちゃん」その人である。
随分と騒がしいことになっている相方と比べ、割に平然として見えた。
「咲夜殿もすまない。子供達の世話を押し付けてしまったようで」
「とんでもありませんわ。
とても楽しくていい子達ばかりですし、こちらも退屈しません」
世辞ではなく本心からそう言うと、神主のコワオモテが少し緩んだ、ような気がした。
「そういっていただけると助かる……ところでいいのか、止めなくて。
やたらとはしゃいでいるように見えるが……」
「たまに、ああやって弾けたいんだそうです。
前に聞いたら、そう言われました」
「そうか」
一方「おにーちゃん」なる若者――とは言っても、咲夜よりいくつか年上のようではあったが――も、
精悍な顔立ちに、やはり少しだけ笑みを浮かべながら続ける。
「その後で『真剣な遊びの中にこそ大切なものが宿るのよ!』とか言われましたが――」
「さあさあさあ、早くしないとたーくんの大事な何かが大変なことになるわよ!!
主に性的な意味でっ!!」
「ね、ねーちゃん、ちょっとー!?」
「大人しくしてなさいよたーくん? すーぐ気持ち良くなるからねー?」
「わっわわわっ、お、おねーちゃんちょっと待ったぁ―――!!
たーくんももちょっと抵抗しろ―――ッ!!」
「そ、そんなこと言ったって―――!?」
「いいぞー、やれやれー!」
「最短レコードまであと1分ー、1分ー」
「…………」
「とても楽しそうですわ」
「……後付けだな」
「……やや不本意ながら、同感です」
特に誰も止めに入らないあたり、この程度は日常茶飯事ということなのだろうか。
割ときわどい気がしないでもないのだが、それでも勝負は止まらない。
「う、うぅ――――っ……!!」
「ふっふっふー、さあさあ、覚悟は出来たかしらふーちゃん?」
「……わかったわ」
「ふ、ふーちゃんっ……」
それまで真っ赤になって抗議しつづけていた女の子が、ふっと身体の力を抜いた。
妖怪少女と男の子に向かって、笑いかける。
実にいい、小悪魔的な笑顔だった。
「ごめんね、たーくん……私の勝利のために犠牲になって!」
「あっ、あんですと―――!?」
「まとめて、いっけぇ―――っ!!」
だんっ、と足を踏み鳴らし、片手を大きく振る。
次の瞬間、妖怪少女の脇の木で妙な物音がするやいなや、何本もの竹槍が飛び出した。
男の子を抱えたまま即座に回避。
「わわわわわ―――!?」
「くっ、腕を上げたわねふーちゃん!」
「まだまだぁ―――!!」
女の子が腕を一振りするたびに落とし穴が出現し、竹槍が、石が、丸太が飛んだ。
「あははは―――見たかおねーちゃん!!」
「ちぃっ、いいのかなふーちゃん!?
わたしと一緒にたーくんもひどいことになるよ!?」
「そ、そうそうわぁぁっ!?」
「いいもん! たーくんなんて、おねーちゃんとよろしくやって捨てられちゃえばいいんだもんっ!!」
ぶん、とさらに腕を一振り。
だが、次の罠を開放し、起動するはずのそれは空振りに終わった。
にもかかわらず、ばさばさ、がさがさ、ばきばきと、不穏な音だけがあたりに響き続ける。
「……あれ?」
「?」
「あ……」
「ふーちゃん、後ろ!!」
「へ……?」
ゆっくりと、振り向いたそこで、丸太の木目と目があった。
「っきゃああああ!?」
「ふーちゃんっ!」
とっさに身を倒して回避。
が、避けたその先で地面から飛び出した竹槍が恐怖を倍増させた。
感情のバロメーターは平静と呼び得る上限ラインを容易に突破し、混乱を呼ぶ。
「う……うわぁぁぁぁぁぁぁん!!!」
「ふーちゃん!?」
「ばか、そっちは林の奥!!」
「へ、わぁっ!? きゃぁっ!?」
落とし穴に驚き飛び退いた先に再び竹槍、それを避ければさらに丸太。
無制限とも思える罠の連鎖が始まった。
「まずいな、またか!」
「また、というと?」
「あの子はいささか強すぎる力を持っていてな、
時折歯止めが利かなくなることがあるのだ……」
「ここもひょっとしたら危ないかもしれません。
神主さん、子供たちを」
「うむ」
言わずとも、既に流れ弾ならぬ飛び道具式の罠が近くに着弾しつつあった。
先ほどのように丸太一本などという次元ではない。
竹籠に山と盛られた石がぶちまけられ、竹槍やら矢やらが文字通りの弾幕として縦横に展開している。
「ふーちゃん! 聞こえてたら力を『絞り』なさい!
あなた以外に罠起動ができる人なんか居ないんだから、そいつらみんなふーちゃんが作ってるのよ!」
「そんなこと言ってもきゃあっ!?
わ……私だって何がなんだかわかんないんだもん!!」
片腕で男の子を抱えたまま乱れ飛ぶ罠を回避し、呼びかけ続ける妖怪少女。
だが、逃げ回る女の子の言葉通り、ロクに制御されず数ばかりが増えていく罠は、
ある意味、正確な狙いで撃ち込まれるより厄介な相手だった。
「我忘れて防御本能と直結した力だけが暴走してるか……なら、
――――ごめん、たーくんお願いね!」
「! いつの間に――」
「話は後ね、まずはふーちゃん止めたげないと!」
どうやってか、一瞬で長距離を移動して咲夜のすぐ脇までやって来た少女が、
あまりそのことについて動じていない風の青年に男の子を預け、
もと来た方へ向き直った次の瞬間には女の子が逃げ惑っている林の上空に居た。
「とは言ったものの、わたしじゃ直接罠を止めるとかできないしなぁ……。
って、えぇい、迷ってる場合か! とうっ!!」
「あ」
「お」
「む?」
安全圏まで退避した何人かの視線の先で、
少女が片足だけを突き出した、いわゆるとびげりの姿勢で林の中に急降下を開始して――
「お、おねえちゃきゃあっ!?」
「イ・ナ・ヅ・マ・キィィィィィック!!」
「―――――!!」
「せいっ!」
がこぉぉぉぉんと、今しも女の子の横で発動した丸太ブランコを撃墜。
さらに撃墜した丸太を足技のみで浮かし、蹴撃一閃。
高速飛翔する丸太が並列起動によって襲いかかる複数の罠を巻き込みつつ、林の奥へと消えていった。
「よし」
誰かがそう呟くのが聞こえた。
声の方向に振り向くと、神主が(やや分かりにくいが)安堵したような表情を浮かべている。
「これで収まるな」
「そういうものなのですか?」
「あれくらいの年頃の子の力というのは、感情と大きく連動している。
だから手っ取り早く止めるには、思い切り驚かせて情動を……つまり頭を真っ白にさせたり、
でなければ問答無用で気絶させるのが一番だ」
「ああ、なるほど」
意外に口数が多い神主の説明を聞くだけの余裕が、確かに生まれていた。
あれほど猛威を振るっていた罠が、言葉どおり不意を打たれて硬直したかの如く、静まっている。
「さ、ふーちゃん、落ち着いた?」
凪と化した空間で、妖怪少女はゆっくり女の子に近付き、頭に手を置いた。
「お、おねえちゃ……っ、ぐすっ、うぐしゅっ」
「はいはい、お疲れ様」
しゃくりあげる女の子をゆっくり、優しく抱きしめる。
「めいっぱいやったからしんどいでしょ?
……とりあえず今は寝ちゃってていいよ」
「うん……ぐすっ……ん……」
幼い身体に激しい力の行使が消耗を強いたのか、
泣き喚くことさえなく眠りに落ちた女の子を微笑みながら抱え上げ、
―――そして、緊張した面持ちで周囲に視線を走らせる。
ぎぎぎ、ばきばき、みしりと、聴覚にも凪の破綻が予兆となって伝わってきていた。
「そのかわり、あとでお説教される時は一緒にお願いね」
言うが早いか、およそ1.2人分ほどの質量がふわりと去った後の空間を、
巨大な鉛筆よろしくやたら鋭い木の杭が重力に逆らって屹立した。
「物騒だこと……わたしは、吸血鬼じゃ、ないんだけど、ねっ!」
台詞に合わせて刻むステップにやや遅れながら、どすん、どすんと地面から飛び出す杭が低音を奏でる。
「ったくもう、ふーちゃんってば、また力が上が、ったわね!
残存度と、剣呑さが、大したことになっちゃってるっての!!」
ががががががががががががっがががががっがっがっがが!!!!
とどめとばかりに足元のみならず周囲から大挙して来た杭をぎりぎりで上に回避。
嫌味なくらいに精密な狙いで襲いかかってきたそれらが衝突し、噛み合って静止した上にすとんと降り立ち、ひと息。
「ふぅ、やれやれ……これで終わり――(がさり)――にさせてくれないかなぁ、そろそろ」
ぼやいた。
地面から大人一人分ほどの高さに出来た鉛筆杭の円錐の頂点で、周囲を再び睥睨。
グリーンな色合いが夏の木漏れ日にも鮮やかな、竹槍の大群。
無言のまま少女二人の周囲をまんべんなく取り囲むそれらが何事か言う筈も無く、
やけに鋭利な先端がその殺傷力の程をこれでもかと主張している。
「ま、やるしかないか……ふーちゃんに怪我させちゃったら、私だけが倍のお説教されちゃうし。
いっそ私がぼろぼろになってふーちゃんだけお説教って手もあるかな……」
「まさか、いかん!」咲夜の右後方で上がった声、これは神主。
「危ない、ほとりっ!」左後方でほとんど同時に上がった声は、おそらく青年。
それらの声に応じたわけではないだろうが、竹槍軍団の一部がぶるりと身震いした様に蠢き、
殺到を、開始した。
「じゃ、ふーちゃん。
お説教されるのは任せた、ね」
緑映える槍軍団を蹴散らすでなく、何がしか回避行動をとるでなく、
さして大きくもない体躯で女の子をしっかりと抱きかかえて、小さく縮こまった。
「―――――――――――!!」
近くで誰かの叫びが上がる。
だが、引き伸ばされ始めた無限に等しい刹那の中では、それはただ尾を引く意味無き音の波と化す。
周囲のすべてが静止した世界で、一歩を踏み出す左手に懐中時計。
光さえもわずかな移動を許されぬ、絶対零時の、あらゆるものが色を失ったモノクロの一枚絵を、
赤より紅い光を宿す瞳が見通した。
残る右腕を一度、二度。
繊手が描いた軌跡に沿って、金属の閃きが粛々と列をなす。
指向するのは緑の大群。
槍という名を冠すれど、所詮は青竹。飛ぶ鳥落とすも出来はせぬ。
挑みかかるは銀刃の精兵。たかが小太刀と侮るな。
飛ぶ鳥妖怪は言うに及ばず、巫女に魔法使いに閻魔死神鴉天狗、
幽霊亡霊鬼っ子妖精ついでに毛玉まで、墜とせぬものなど少ししかない。
いざや、往かん。
「秘技――――」
と、宣言しようとしてふと止まる。
殺人などとはいささか物騒、この場で振るうは瀟洒にあらず。
くすりと口の端でだけ微笑んで、右手に持った刃を滑らせる。
虚空に浮かんだ札を優雅に刃でひと撫ですると、表裏交代した札に舞い踊る、鋼の意志はかくの如し。
――――メイド秘技「竹刈ドール」――――
銀色が、駆け抜けた。
その後に起こったことをいくつか記しておこう。
まず、当然ながら妖怪少女及び女の子の救出は大過なく成功した。
が、直後、救出された二人は神主と例の青年に神社まで連行され、2刻ほど姿が見えなかった。
その間、当初にもまして咲夜は子供たちにまとわりつかれることとなり、
長時間に及ぶ子供たちとの様々なマラソンマッチにさしもの完璧で瀟洒なメイド長が疲れを隠しきれなくなった頃、
大関か横綱あたりが全身全霊で絞ったゾーキンのごとくに、文字通りシボられた少女ふたりが説教役二人とともに戻った。
当事者たちは「カッとなってやった、今は反省しています」などとうつろな目で呟いていたのだが、
それを聞いた神主及び青年のびみょんな表情が観察された辺りから察するに、
三途の渡し死神が上司に見つかってごく一時的に仕事に戻るのとさして変わらぬようである。
さらにそれから、神主と妖怪少女が郷の大人衆たちと今後の打ち合わせをするのに同席。
「メイドじゃメイドじゃー!」と飛び掛ってきたじいさんの弁慶を瀟洒に蹴り飛ばしてから、
一通りの事情を咲夜は求められるままに説明した。
さらにさらにひと段落ついた頃、救出した少女の父親がお礼と称して満タンの酒瓶数本を持って出現。
半ばなし崩し的に発生した宴会が子供たちを巻き込んだどんちゃん騒ぎに発展し、
さらにさらにさらに、酔っ払ってフンドシ踊りを披露しようとした男性若干名を、
女性数名(おそらくは奥方か、それに近い関係の)がフライパンやタライで豪快に張り倒して強制連行するに至り、事態はようやく沈静化した。
日頃我が物顔にそれを使いこなす咲夜さえも時間が経つのを忘れるほど、愉快なユカイなひとときが過ぎて、
そして今は、日付も変わろうかという頃合である。
「ふぅ…………」
夜風がさやさやと抜けていく、初夏の縁側にひとり。
借り物の浴衣に袖を通し、普段の彼女の生活とはかけ離れて穏やかな時間の経過速度に少々落ち着かない。
今の十六夜咲夜の状況を示すなら、概ねそのようなものだった。
ちなみに、ブタ型陶器の蚊取り線香は諸事情により、ない。
というのも蚊があまりいないからだが、その理由を聞くと「主に血の気の多い人から吸うことになってるのよ」とのこと。
「不思議な、ところよね」
ぽつりと呟く。正直な感想だった。
夜空を飛んでいく奇妙なシルエットが見える。なんらかの妖怪か、そこらへんだろうか。
一方で地上に目を向ければ、今いる家が高台であるため郷の家々がよく見えた。
多くは就寝しているようだが、何をしているのか、暗めの明かりがともったままのもいくつかある。
まれに主人の言いつけに応じて嗜好品を求め外界を訪れる咲夜だったが、
その用を満たす場所はたいがいが街のため、ここのような僻村へやって来ることは無い。
それ故、単純に比較するための対象を咲夜としては持たないのだが、
しかしそれでも、この郷は外界にあるにしては、ひどく幻想郷くさい。
そう思った。
「あれ、まだ寝てなかったんだ?」
「……あなたもね」
縁側に面した部屋の、さらに続きの間から、まだ乾ききらない濃い緑色の髪を揺らして家主が現れた。
咲夜同様に浴衣姿だが、どうやら風呂上がりらしい。
「何を言うんだか……わたしたちみたいなのはこういう時間が本領よ」
「? そうかしら……?」
「んー、多分?」
一般的に妖怪は夜行性だとされている。
が、今そう主張した当の少女だって昼間っから活発に動いていたし、
このメイド長の主人にしてからが、夜行性の代表格たる吸血鬼でありながらも、
最近は「夜だとよく見えないじゃない」などという理由で昼間に花見と洒落込んで神社へ赴くクチである。
知識として知っていたとしても、実感の伴う形ではなかなかそうとは感じられまい。
「まー、さすがに今日だけは夜行性を返上するわ。
昼間の疲れがひびいてひびいて」
「そりゃそうでしょう」
「ちょっとはしゃぎすぎたねー」
あははーと笑う少女。
初見時こそ既知の、蛍妖怪で蹴りの得意なナニガシと思い込んでいたが、
こうして半日ほど接しているとずいぶんとキャラが違うことが分かってきた。
細かい挙措だけを見てもひとつひとつにやわらかい印象があるし、
外見だけで推し量ることは不可能に近いものの、年齢的にも上かもしれない。
と、そんな風に何となく思考しつつ、ちょっと思いついたことを試してみた。
「……ほとり?」
「うぇっ!? ぁ……うん、なに?」
「? どうしたの、変な声出して……名前呼んだだけじゃない」
「あー、うん、まあ、そう……なんだけど」
もごもごと、なぜか戸惑う少女。
ひとしきりもごもごしてから、ためらいがちに言葉をつなぐ。
「えっと……誰かに、聞いた?」
「昼間のあの時」
「あー…………」
しまったという風に、夜空を仰ぐ。
満天の星とほどよく大きな月が手元の明かりすら不要な程度の光をそそいでいた。
「あなたの彼が呼んでたのよ、聞こえてなかったかもしれないけど」
「え、いやちゃんと聞こえてたけどね……っていうか彼って言うな!
うわーもう……っぇい、なんちゅー恥ずかしい言い方をー!」
「あら……」
真っ赤になって首をぶんぶん振っている、蛍というより小動物のようなリアクションだ。
これはこれで可愛いわね、と咲夜の中のある部分できゅんとか何とか、やや妙な効果音が鳴った。
うーと何やら唸っている少女、ほとりを見ながら、
首をもたげた悪戯心にまかせて気付いたことを聞いてみる。
「そういえば、みんなあまり名前を呼んでなかったわね。
子供たちはみんな『お姉ちゃん』って呼んでたし、大人たちは大概『姫』って呼んでたかしら?」
「え、あー……そだっけ?」
視線をはずし、不明瞭な答えを返してくる。
少し、いや、だいぶ白々しかった。
仕方ないのでもうちょっとつつくことに脳内会議が全会一致で賛成。
「ひょっとしてアレかしら。
本当に大事な人以外には名前を呼んで欲しくないとか……そういうの?」
「だーかーらー、そういうのじゃ……いや、無いとは言い切れないけどさ、
いやいやそうじゃなくて!」
いちいち反応が素直だったり素直じゃなかったりで面白い。
咲夜の主人にもこういうところがあったりするわけだが、
さすがに年季ゆえか、ここまでくるくると活発な感情表現にはなかなかお目にかかることがない。
もっとも、そうやってからかって楽しんでいるメイド長にしてみたところで、
門番の華人小娘あたりと1対1で過ごしてるときなどは似たようなものだったりするわけだが、
さしあたって彼女の乙女モードは厳重に封印中だ。
「そういうのは無いとは……云わないけどさ。
全部が全部そういうんじゃないって!」
「へえ、じゃあ、どれくらい?」
「う……は、半分、くらい、かな」
「あら、意外と少ないのね。
それじゃあ、あとの半分は何でできてるのかしら」
「それは……」
と、ふと少女、ほとりが軽く息を吐いた。
頬に上った朱はまだ残っているものの、視線が不意にどこか遠くへ向く。
何がしかの一線を越えてしまった反応に咲夜が口を開きかけるのを手でやんわりと制し、
少しの沈黙を間において、ためらいがちな言葉を続ける。
「ちょっとね……その名前って、重たいんだ」
「重い……」
「ん…………。
ね、わたしって、見た感じいくつくらいに見える?」
「いくつ……年齢ってことかしら?」
「そ」
頷かれた。
応じて、改めてその容姿を観察する。
既に何度もそう思ってきたが、この目の前の少女は咲夜にとっても既知のとある妖怪少女とよく似ていて、
見た感じだけならば子供といっても差し支えないだろう。
ただ、何しろあやかしの類である。
咲夜自身の主人を含めて、見た感じがイコール実年齢などというのは、まずないと言っていい。
誕生まもなくの期間は人間とは逆の意味で外見がアテにならないが、
ほぼイコールで両者が結ばれるわずかな期間の後は基本的に命ある限り、
それこそ際限もなく開いていくギャップがあるだけである。
そんな感じの、言うなればごく自然に幻想郷的な『常識』に照らした形で咲夜が思案していると、
当の質問者の方からさっさと答えがかえってきた。
「そだね……言っちゃなんなんだけど、
あなたが見た感じくらいなんだったら、わたしも多分それと同じか、もちょっと上くらいじゃないかな?」
「あら、そうなの?」
「そうなの」
「…………」
「てっきり、もっとずっとおばあちゃんだと思ってた?」
「ええ、まあ……そうね」
「あー、ひっどいわねぇ、こーんなに可愛いオンナノコを捕まえておばあちゃんだなんて」
「あなたが自分で言ったんでしょ」
「あはは……でもまあ、普通はそうよね」
妖と人が、同じ場所で生きていることによって発生する差異は多い。
そんな差異の中でも大きなものの一つ、年齢のことを、しかし『普通』と言う。
咲夜の日常感覚、常識とも言うべきそれに当てはめれば、そのことに何らの疑問もない。
だが、それはあくまで『幻想郷的』な感覚に拠ってである。
大結界で括られているわけでもない、外界の、単に人里離れているというだけのこの場所で、
それを『普通』と、何の気なしに言い放つことができるようになるためには、如何程の時が必要か。
そのためには、咲夜と同じ程度だと言ってのけた、
この目の前の少女が過ごした生の時間は、あまりに短いのではないだろうかと。
そう、思えてしまった。
「んー、まあ厳密に言っちゃえば、サバ読んでるって言えなくもないけどね」
「どっちよ」
「それがね、わたしにもちょっとどう言って良いか分からないくらい微妙なのよ、これが」
困ったわねぇたははー、などと見た感じお気楽にのたまう。
次の瞬間、どんと縁側の上、咲夜と少女との間にどこからともなく召喚されたのは、
内部になみなみと液体をたたえた一升瓶。
傍らには、御猪口が二つに、向日葵の種を満載した巨大な椀が一つ。
「……また呑むの?」
「呑むなきゃやってられっかぁーうぇーい」
「早いわよ」
「ま……それは冗談としておいてもね。
喉渇いたから、呑む」
「余計に渇きそうだけれど」
「人は水分のみを欲して呑むにあらず!」
「はいはい……」
人じゃないじゃない、というツッコミは既に昼間に射出済みだったので省略する。
含んだ酒はさほど強くはないが、妙な深みを幾重にも湛えていた。
その重なりの中に、この郷に降り積もった年月そのものを見るようで、
それでもやはり自分プラス多少の年月程度では、この酒ひとつに至るにも短すぎると、咲夜は思った。
「……わたしね、二人目なんだってさ」
そうして無言のまま幾度か酌をし、杯を傾け、瓶の中身を消費した頃である。
今しがたまで胡座を組んで『かーっ』などと言いつつ酒精を摂っていた少女が、何気なく、おもむろに呟いた。
唐突なそれの意味を取りかねたのか、咲夜の杯が運搬作業を中止する。
「……えっと?」
「なに」
「二人目……っていうのは?」
「あー、つまりね……その、名前がね、二人目。
『ほとり』っていう名前で、見た目わたしみたいな感じの妖怪で、
とんでもなく昔っからこのあたりに住んでて、
ついでにわたしが生まれるほんの少し前まで郷の人間達とこの辺の妖怪達のおねーさんっぽい感じだった、誰かさんのこと」
「……それって、あなたの母親とか、姉妹とかじゃないの?」
「そっこが、ややっこしいところなんだよねー」
「ややこしい」
「そ、やっやこしぃーの」
ぶちぶちと、愚痴るように言いながら、手酌でどぼどぼ瓶を傾ける。
いつの間にか二本目だった。ついでにその流れを受ける方も猪口から枡に変わっていた。
「色々聞いたところによるとね、その人……いや人じゃないけど、いわゆる一人目、っていうのが、
力と記憶の一部を新しい身体に受け渡したのが、このわたしらしいのよ」
「らしいって……」
「現場を見た人はいなかったらしいし、そのことを覚えてた人も人づてで聞いたか何かだったらしいのよ。
記憶に関してはわたし自身が身に覚えのない……多分、その一人目さんの最後の何十年分かの記憶を、実際、持っててね、
って言っても、わたしの体験と結びついた記憶じゃないから、
ぶっちゃけた話、誰かの日記を読んで覚えたっていうくらいのものでね。
そのことを聞かれても話しても、『懐かしい』っていうより『そういうことがあったらしい』って位で、
イマイチ実感湧かないしねぇ」
半眼でどことも知れぬ方角を睨み、かつ明らかに酒精由来と思われる赤みが顔面を占拠しつつあった。
しかし枡の移動速度は変わらず、一方で潤滑液を得た口は実にいい回転速度を発揮している。
「ちょっと、大丈夫?」
「大体さー、力と記憶の『一部』って何なのよー。
どーせなら全部ばばーんとやっちゃってくれりゃーいいのにさー。
わたしゃわたしで『先代のほとり殿はー』とか何とかいうご老体どものセリフに遭遇するたんびに、
『わたしはわたしだからねー』って何回返したよ!」
「…………」
制止など聞いちゃいなかった。
どん、どぼどぼ、ぐぐぐーっ、ぷはーっ、どん、どぼどぼ、ぐぐぐぐーっ、ぷはぁーっ。
どこぞの鬼をホウフツとさせる永久運動に突入していく少女を、
咲夜は、放って置くしかないと経験的に理解した。
「でもなー。
今日みたいなことがあるとさ、つい考えちゃうんだよね。
記憶もとは言わないから力だけでも一部じゃなくて全部引き継いでたらあんなカッコ悪いことにはならないのかなーって。
不毛だっていうのはわかるんだけどついさー……ついー……つぃぃぃぅ…………ぅにゅぅー…………」
「……しょうがないわね」
沈没は意外に早かったらしい。
小鬼やスキマ妖怪や天狗あたりとは比べるくもないほどあっさりとアルコール分に敗北し、
早速寝息を立て始めた少女をみやってメイド長は溜め息一つ。
ほぼ同い年かちょっと上くらい(自己申告)の割に小柄な体躯を抱え上げ、
既にひいてある布団(二人分)の方へと運んでいく。
郷より少しだけ高い所にある家の明かりが程なく吹き消され、
周囲は星と、中天を過ぎた月明かりだけが照らす、本格的な夜に包まれていった。
境郷2 ~ Perfect Maid in The Border Land “Chapter_3” end
and to be continued ...