※この作品には、作者のある程度の主観が入っております。
また、其のいちに付いては、作品集49を参照するか、
http://www.geocities.jp/ocean_sakaki/library/hanmyon/toho05-01.htm ←こちらのACT1~ACT3をご参照ください。
ではでは、お楽しみを。
なるほど、やはり自分自身であるためか、同じくらいよく動けるようだった。
炊事、洗濯、屋敷内や庭の掃除などなど、白玉楼では殆ど日常ともいえる仕事の数々を――魂魄妖夢の半身である妙夢は、テキパキと、かつ妖夢と同等と言わずとも良質にこなしていく。
あくまで同等でないのは、ただ、以前までの半霊の姿では妖夢の傍で見ていても自分で実際に手にとってやった経験がない、という話なだけで。経験という不足分を補いさえすれば、軽く見積もって、二、三週間もすれば、妙夢は立派な庭師になれると思う。二、三週間もそのままでいる保証はないのだが。
くいくい
と、掃除をしながら思考する妖夢の衣服の袖を引っ張る、小さな力がある。
振り返るとそこには、自分とは同じデザインながらも、自分の緑とは違って白色を基調としたベストとスカートといった姿の妙夢がいる。
箒を持って無表情でこちらを見つめてくる様は、一見ボーっとしているように見えるが、この子が何を言いたいのかに付いては、妖夢は瞬時に理解できた。
本当に、なんとなく。
「ああ、妙夢、そっち終わったの?」
こくこく
「じゃあ、ちょっと休憩したら剣の稽古に入るから、先に準備しておいてくれる? 私ももう少しで終わるから」
こくこく
どこか鷹揚に頷いてから、妙夢はトコトコと白玉楼の方へと歩いていく。
自分の姿をした者が歩いていくのを見送るというのも妙な話であるのだが、最近ではすっかり慣れてしまった。
他にも慣れたことがある。
元は半霊であるためか、言葉を発することが出来ないこと。
さっきのように、妙夢が無表情ながら目線や仕草で意思を示してくること。
見分けをつけるためにと、幽々子に用意された白の衣装を着用していること。
衣装に付いては何故か2Pカラーというフレーズが頭の中を過ぎったのだが、気のせいと思っておくことにする。
ともかく。
いつも自分の傍らにある半霊が、我がスペルである魂符・幽明の苦輪で妖夢の姿となり、そのまま元に戻らなくなってしまってから今日で三日となる。
長くも短くも感じない時間の経過であるのだが、唯一ついえることは、この三日、妙夢が元に戻る気配は一向にない。
「…………」
そろそろ、咲夜さんに相談に行くべきなのかもしれないな。
妖夢は思う。
元に戻らなくなってしまった原因は、紅魔館のメイド長である十六夜咲夜の、時を止める程度の能力が絡んでいるのは確実といえるし、本人がそのように仮説を下した。
時間の概念はよくわからないし、こういうことが起こるのも初めてであり、なおかつ咲夜のほうでも何かしらの対応を練ってくれるということから、こちらとしてはこうしてただただ待つしか出来ないのだが……やはり、自分でも出来る範囲のことはしたいと思う。
自力で何とかすると言わずとも、咲夜の練る対策とやらの手助けくらいはできるのではなかろうか……。
「しばらく来ないうちに、何だか面白いことになってるわね」
と、いきなり上空から声が降ってきた。
一瞬、妖夢はビクッと肩を竦め、腰の楼観剣に手をやりつつ振り返ってみると、空間から生じるスキマの境界からぬっと金髪の少女が顔を出していたのが見えた。逆向きに。
「紫さま」
「はい、紫さまですよ」
ころころと笑いながら、紫さまと呼ばれた少女――八雲紫は、境界に手をかけて『よっこらしょ』と声を発し、顔だけの状態から全身を出すに至る。逆向きに顔を出していたということで頭を下にした状態から、ふわりと一回転して音もなく着地した。
金髪にリボン付きの帽子をかぶった長身の美人だ。中国風の紫と白袖の上着と、ドレスを思わせるフリルつきのスカート。そしてたった今差されたのは、その長身をスッポリ日陰に包んでしまいそうな大きな日傘。
皆が皆、揃って荘厳な御姿であるのだが、同時にどこまでも底の知れない雰囲気を持つ御方である。
幽々子さまの長年の友人であるとは聞いているが、二人の縁の詳細については妖夢の知るところではない。
「お久しぶりです、紫さま。去年の秋以来でしょうか」
されど、妖夢も彼女とはそれなりに話す仲でもあるので、やはり丁寧に挨拶しておいた。
「ええ、そういえばそうね。そんなにも長くここに遊びに来てなかった自分に、ちょっと驚きだわ」
「何かあったんですか? お花見の時は御姿が見られませんでしたから、幽々子さまも少し残念がってましたよ?」
「ふふふ、ヒ・ミ・ツ」
「…………」
人差し指を立てて片目を瞑る様は、可愛らしくも胡散臭いという二つの形容がよく似合う。
「まあ、幽々子のことは私にとっては大事だけど、今年の春については、どうしても外せない用事があった、とだけ答えておくわ」
「はあ……」
胡散臭く感じながらも、どこか感慨深いものもあったので、これ以上訊くのはやめておこうと思う。
実際、紫も今はそれを話したいわけでもないようだ。
「それよりも見たわよ、妖夢。なんだかいつの間にか二人になっちゃってたけど、アレはどんな手品?」
どうも、先程からこちらのことを窺っていたようである。
ありとあらゆる境界を行き来できるこの御方にかかれば、今更驚くことでもない。
さて、どのように説明したものか。
「あれは何と言いますか……元々は私の分身なんですけど、どうも複雑な事情がありまして」
「そうなの。やっぱりお持ち帰りできたりするの?」
「できません」
それだけは即答。
「あら残念。量産とかできるかと思ってたんだけど」
「量産してどうするんですか」
「聞きたい?」
「……やめておきます」
彼女がこういう問いをするときはロクでもないことが多いので、深く突っ込まないのが吉だ。
そして既にそれが解っているのか、紫は一つ、仕方なさそうに息をついた。
「まあ、いつもあなたの傍らに居る半霊が今は居ないとなると、大体察しがつくんだけどね」
「察しがついてるなら妙なボケはやめてくださいよ」
「いいじゃない。久しぶりなんだし……あ、来た来た」
気付いたように視線を送る紫につられ、妖夢もそちらを見ると、たった今、妙夢が二人分の木刀を持ってこちらに駆け寄ってきたところだった。
既に紫の姿を認めていたのか、紫の前に立つと、妙夢はぺこりと頭を下げてお辞儀をする。
無言ながらも礼儀正しさは伝わったのか、紫は『まあ』と少々の感嘆を唇からこぼし、それから思い出したかのように居住まいを正して『こんにちは』と挨拶を返した。
「素直でいい子じゃない。量産は諦めるとして、お持ち帰りだけでもできないかしら」
「駄目です」
「……この子に比べてあなたはケチねぇ」
「いや、ケチと言われましても」
やはり自分自身であるわけだし、持って行かれるのは困る。
「あなたはどう? 紫おねえちゃんのところに来る?」
ゆ、紫おねえちゃん……。
持って帰るよりもそっちの方にツッコミを入れたくなったのだが、そんな妖夢をもはや無視して、紫は妙夢に『どう?』と訊いたりしている。
「…………」
しかし、対する妙夢の反応は芳しくない。『むー……』と言いたげに眉をひそめつつ、妖夢の後ろに控えてじーっと紫に半眼を向けている。
イヤです、という意思が如何にも伝わってくる仕草であった。
……幽々子との会話のときにも感じたことだが、こういうときは必ず味方で居てくれる妙夢に、妖夢はホッとした心地になる。自分自身ということで基本的に思考が近いから、自分と同意見であるのはむしろ当然のことではあるのだが、やはりなんとなく。
「ふふふ、これだけ仲が良いと、間に入るのも野暮というものね」
最初から本気ではなかったのだろう、しつこく食い下がらず、今一度ころころと紫は笑う。
その微笑には、普段から感じるような底の知れなさや胡散臭さはなく、ある種の温かさがあったのだが……同時に、ちょっとした憂いみたいなものも感じ取れたような気がした。
感じ取りながらも、妖夢にはその意味を推し量ることが出来ず、
「さて、久しぶりに幽々子の顔でも見てこようかしら」
その間にも、紫はゆるりと白玉楼の方へと足を進める。
来客ということで、お茶の用意とかしないといけないし、幽々子さまに伝えないといけないしで、妖夢も同じく白玉楼へと向かおうとしたのだが……それを、紫はいつの間にか持っていた扇子で制して、
「少し、二人だけで話させてくれないかしら」
と言って、ポカンとする妖夢を置いて紫は白玉楼の中へと消えていった。
先程にも感じたわずかな憂いといい、何かあったのだろうか……。
くいくい
ボーっと見送る妖夢の袖を、またも小さな力が引っ張る。
見ると、妙夢がわずかに首を振る仕草をして、それからずずいっと木刀の一本をこちらに差し出してきた。
「……そうだね。始めようか」
こくこく
木刀を受け取り、妙夢がきちんと頷くのを確認してから、妖夢は日課である剣の稽古に入った。
軽い準備運動を済ませてから、まずは素振りを開始。
正眼の構えを基本として黙々と振り続けることで、集中力が研ぎ澄まされ、雑念が消え、精神が洗練されていく。
風を切るような音。
自分の全体から、周囲に吐き出され広がっていく静かな気迫。
両手に握る得物と同一していくような、不思議な一体感。
一切合財、もう、何度も味わってきた感覚だ。
「よし、行くよ、妙夢」
「…………」
素振りが終わったら、今度は二人で対戦形式の鍛錬に入る。
どんな要素があれ折角二人いるのだから、こういうこともできるうちにはやっておかないと損だという気持ちから始めたことだ。
「ふっ、はっ、せいっ!」
「……! ――! っ!」
やはりもう一人の自分ということもあってか、相手の剣技や太刀筋が、妖夢には手に取るようにわかる。しかし、妙夢にとってもそれが同様であるため、殆どの確率でこちらの一撃を防御・回避されてしまう。決して、どちらが有利というわけでもない。
妙夢の隙を突いて有効な打突を入れることが出来たとき、それは妖夢の剣が成長したときで。
自分が思いもがけないような攻撃を繰り出してくるとき、それは妙夢の剣が成長した証拠だ。
この三日間は、そうやってお互いを高め合っている。
それは少なくとも、有意義で充実している時間だと言える。
妙夢も表情にこそ出さないが、このときは本当に活き活きしているかのように、妖夢には見えた。
「よーむー、みょーむー、お腹空いたわよー」
休みなく剣戟を交し合っていると、我が主である西行寺幽々子が庭に姿を現した。
木刀を振る手を休め、ふと空を見ると、まだ外は明るいが、日が傾きかけているのが見える。……もうそろそろ夕食の支度をしなければならない時刻だ。
「はーい、ただいま支度します。妙夢、行こう」
こくこく
額に流れる汗を拭いつつ、小走りに白玉楼へと戻る二人。
入り口ではニコニコしながら幽々子が待っているのだが……そこで妖夢は、先程白玉楼に遊びに来ていた八雲紫の姿がどこにも見当たらないことに気付いた。
「あれ、幽々子さま、紫さまはどちらに?」
「紫はもう帰ったわよ。二人によろしくって言ってたわ」
「はあ……」
話が終わってから、そのまま境界を操って帰っていったのだろうか。
久しぶりに来たからには、もう少しゆっくりしていくものと思っていたのだが……。
「――この春は、お友達に会っていたそうよ」
と、聞いてもいないのに、幽々子はそのように語りだす。
一瞬、『誰が?』と妖夢は思ったのだが、流れからして紫のことだと思い至ることが出来た。
「お友達、ですか」
「そう。何十年ぶりかに会った、人間のお友達。だけど、もう二度と会うことはないだろうって言ってたわ」
先程の紫に漂っていたわずかな憂いが移ったかのように幽々子は遠い目をするのだが、妖夢には彼女の言わんとすることがよくわからなかった。
妙夢も同じであるのか、目をぱちくりさせながら『?』と首を傾げている。
「紫も、とても長い時を生きているから、今まで経験してきた別れはそれこそ星の数なんでしょうけど……」
「はぁ……幽々子さまも、やはりそれを寂しいと思うことはあるのですか?」
「当然じゃない。少なくとも、私は妖夢とはお別れしたくないと思ってるわよ」
「それは、私もですけど」
条件反射のように言うが、本音である。
西行寺幽々子。
暢気で、食いしん坊で、だらだらしていて、とにかくお世話に手間の掛かる我が主。時たま大変かつ理不尽な命令とかされることもあり、妖夢の毎日はまさしく彼女に振り回されっぱなしだ。
でも、やっぱり放っておけないし、彼女が笑っていると自分も嬉しい気分になるし、彼女のためなら何でもしたいとも思う。主従と言う関係を抜きにしても、これからも傍に居たいと思うし。
命を懸けてでも、御守りしたいとも思う。
そんな魅力が、彼女にはある。
「あら、嬉しいこと言ってくれるわね。最近、妖夢ってば妙夢の世話にかかりっきりだから、もう私に飽きちゃったのかと思ったわ」
「いや、飽きたって、そんな誤解を招くようなこと言われても……それに、ちゃんと朝起こしたり、掃除したり、ご飯作ったりしてるじゃないですか」
「それでも、最近はなんだか妖夢分が足りないのっ」
そんなことを言いつつ、幽々子はガバッと自分に抱きついてくる。
いきなりだったので、妖夢はカーッと頬を紅潮させてジタバタと手足をバタつかせた。
「な、何ですか幽々子さま、いきなりもう」
「んー、やっぱり妖夢は可愛いわね~。妙夢もそう思わない?」
と、ボケーっと自分達のことを見守っていた妙夢に、幽々子がそのように尋ねると。
妙夢はわずかに目を見開きつつも、いつものように『んん……』と考える仕草を見せ、
こくこく
はっきりと頷いた。
……なんだか、この時ばっかりは、妖夢は裏切られた気分になった。なんとなく。
「そう思うなら、ホラ、妙夢もこっちに来なさい。ぎゅーっとやるのよ、ぎゅーっと」
おいでおいで、と手招きをする幽々子に、妙夢はわずかばかり考えたようだが……今一度こくこくと頷き、
「わっ、妙夢?」
無表情ながらも妖夢にずずいっと抱きついた。
「ふふふ、妙夢もやっとわかってきたって感じね」
「幽々子さま、もしかして私が目を離している隙にこの子に妙なこと教えてません?」
「別に~。妙夢も本心でこういうことしたいと思ってるんじゃない? ねえ?」
「…………」
返答はしないが、きっちりと抱きつくことをやめない妙夢である。
夢中になっているといっても良い。
「あら、妙夢ったらもうかなりやる気ねっ」
「…………」
「いや、二人とも、放してくれないと歩けませんからね。ご飯とか作れませんからねっ」
「ご飯はいつでも食べられるけど、妖夢を食べられるのは今くらいしかないからね~」
「食べるとかそんなこと言われても……って、あっ、ちょ、ちょっと、妙夢、ドコ触ってんのっ」
「……?」
「まあ、妙夢ったら見かけによらず大胆っ。私も負けないわよ~」
「いやいや、幽々子さまも対抗しなくて良いですから……あ、だから、そこは、や、やめ……っ」
片側は天然で、もう片側は人為によるセクハラ攻撃に、妖夢はたまらず身をよじるも、二人は一向に解放してくれない。
基本幽霊であるので感じる体温は冷たく、それでも心は温かく、今のこの攻撃(?)はどこか甘酸っぱく……そんな様々な感覚に翻弄されながら。
頭の片隅では『なんなんだろう、この構図……』と、とろんと考えたりする妖夢であった。
-続く-
また、其のいちに付いては、作品集49を参照するか、
http://www.geocities.jp/ocean_sakaki/library/hanmyon/toho05-01.htm ←こちらのACT1~ACT3をご参照ください。
ではでは、お楽しみを。
なるほど、やはり自分自身であるためか、同じくらいよく動けるようだった。
炊事、洗濯、屋敷内や庭の掃除などなど、白玉楼では殆ど日常ともいえる仕事の数々を――魂魄妖夢の半身である妙夢は、テキパキと、かつ妖夢と同等と言わずとも良質にこなしていく。
あくまで同等でないのは、ただ、以前までの半霊の姿では妖夢の傍で見ていても自分で実際に手にとってやった経験がない、という話なだけで。経験という不足分を補いさえすれば、軽く見積もって、二、三週間もすれば、妙夢は立派な庭師になれると思う。二、三週間もそのままでいる保証はないのだが。
くいくい
と、掃除をしながら思考する妖夢の衣服の袖を引っ張る、小さな力がある。
振り返るとそこには、自分とは同じデザインながらも、自分の緑とは違って白色を基調としたベストとスカートといった姿の妙夢がいる。
箒を持って無表情でこちらを見つめてくる様は、一見ボーっとしているように見えるが、この子が何を言いたいのかに付いては、妖夢は瞬時に理解できた。
本当に、なんとなく。
「ああ、妙夢、そっち終わったの?」
こくこく
「じゃあ、ちょっと休憩したら剣の稽古に入るから、先に準備しておいてくれる? 私ももう少しで終わるから」
こくこく
どこか鷹揚に頷いてから、妙夢はトコトコと白玉楼の方へと歩いていく。
自分の姿をした者が歩いていくのを見送るというのも妙な話であるのだが、最近ではすっかり慣れてしまった。
他にも慣れたことがある。
元は半霊であるためか、言葉を発することが出来ないこと。
さっきのように、妙夢が無表情ながら目線や仕草で意思を示してくること。
見分けをつけるためにと、幽々子に用意された白の衣装を着用していること。
衣装に付いては何故か2Pカラーというフレーズが頭の中を過ぎったのだが、気のせいと思っておくことにする。
ともかく。
いつも自分の傍らにある半霊が、我がスペルである魂符・幽明の苦輪で妖夢の姿となり、そのまま元に戻らなくなってしまってから今日で三日となる。
長くも短くも感じない時間の経過であるのだが、唯一ついえることは、この三日、妙夢が元に戻る気配は一向にない。
「…………」
そろそろ、咲夜さんに相談に行くべきなのかもしれないな。
妖夢は思う。
元に戻らなくなってしまった原因は、紅魔館のメイド長である十六夜咲夜の、時を止める程度の能力が絡んでいるのは確実といえるし、本人がそのように仮説を下した。
時間の概念はよくわからないし、こういうことが起こるのも初めてであり、なおかつ咲夜のほうでも何かしらの対応を練ってくれるということから、こちらとしてはこうしてただただ待つしか出来ないのだが……やはり、自分でも出来る範囲のことはしたいと思う。
自力で何とかすると言わずとも、咲夜の練る対策とやらの手助けくらいはできるのではなかろうか……。
「しばらく来ないうちに、何だか面白いことになってるわね」
と、いきなり上空から声が降ってきた。
一瞬、妖夢はビクッと肩を竦め、腰の楼観剣に手をやりつつ振り返ってみると、空間から生じるスキマの境界からぬっと金髪の少女が顔を出していたのが見えた。逆向きに。
「紫さま」
「はい、紫さまですよ」
ころころと笑いながら、紫さまと呼ばれた少女――八雲紫は、境界に手をかけて『よっこらしょ』と声を発し、顔だけの状態から全身を出すに至る。逆向きに顔を出していたということで頭を下にした状態から、ふわりと一回転して音もなく着地した。
金髪にリボン付きの帽子をかぶった長身の美人だ。中国風の紫と白袖の上着と、ドレスを思わせるフリルつきのスカート。そしてたった今差されたのは、その長身をスッポリ日陰に包んでしまいそうな大きな日傘。
皆が皆、揃って荘厳な御姿であるのだが、同時にどこまでも底の知れない雰囲気を持つ御方である。
幽々子さまの長年の友人であるとは聞いているが、二人の縁の詳細については妖夢の知るところではない。
「お久しぶりです、紫さま。去年の秋以来でしょうか」
されど、妖夢も彼女とはそれなりに話す仲でもあるので、やはり丁寧に挨拶しておいた。
「ええ、そういえばそうね。そんなにも長くここに遊びに来てなかった自分に、ちょっと驚きだわ」
「何かあったんですか? お花見の時は御姿が見られませんでしたから、幽々子さまも少し残念がってましたよ?」
「ふふふ、ヒ・ミ・ツ」
「…………」
人差し指を立てて片目を瞑る様は、可愛らしくも胡散臭いという二つの形容がよく似合う。
「まあ、幽々子のことは私にとっては大事だけど、今年の春については、どうしても外せない用事があった、とだけ答えておくわ」
「はあ……」
胡散臭く感じながらも、どこか感慨深いものもあったので、これ以上訊くのはやめておこうと思う。
実際、紫も今はそれを話したいわけでもないようだ。
「それよりも見たわよ、妖夢。なんだかいつの間にか二人になっちゃってたけど、アレはどんな手品?」
どうも、先程からこちらのことを窺っていたようである。
ありとあらゆる境界を行き来できるこの御方にかかれば、今更驚くことでもない。
さて、どのように説明したものか。
「あれは何と言いますか……元々は私の分身なんですけど、どうも複雑な事情がありまして」
「そうなの。やっぱりお持ち帰りできたりするの?」
「できません」
それだけは即答。
「あら残念。量産とかできるかと思ってたんだけど」
「量産してどうするんですか」
「聞きたい?」
「……やめておきます」
彼女がこういう問いをするときはロクでもないことが多いので、深く突っ込まないのが吉だ。
そして既にそれが解っているのか、紫は一つ、仕方なさそうに息をついた。
「まあ、いつもあなたの傍らに居る半霊が今は居ないとなると、大体察しがつくんだけどね」
「察しがついてるなら妙なボケはやめてくださいよ」
「いいじゃない。久しぶりなんだし……あ、来た来た」
気付いたように視線を送る紫につられ、妖夢もそちらを見ると、たった今、妙夢が二人分の木刀を持ってこちらに駆け寄ってきたところだった。
既に紫の姿を認めていたのか、紫の前に立つと、妙夢はぺこりと頭を下げてお辞儀をする。
無言ながらも礼儀正しさは伝わったのか、紫は『まあ』と少々の感嘆を唇からこぼし、それから思い出したかのように居住まいを正して『こんにちは』と挨拶を返した。
「素直でいい子じゃない。量産は諦めるとして、お持ち帰りだけでもできないかしら」
「駄目です」
「……この子に比べてあなたはケチねぇ」
「いや、ケチと言われましても」
やはり自分自身であるわけだし、持って行かれるのは困る。
「あなたはどう? 紫おねえちゃんのところに来る?」
ゆ、紫おねえちゃん……。
持って帰るよりもそっちの方にツッコミを入れたくなったのだが、そんな妖夢をもはや無視して、紫は妙夢に『どう?』と訊いたりしている。
「…………」
しかし、対する妙夢の反応は芳しくない。『むー……』と言いたげに眉をひそめつつ、妖夢の後ろに控えてじーっと紫に半眼を向けている。
イヤです、という意思が如何にも伝わってくる仕草であった。
……幽々子との会話のときにも感じたことだが、こういうときは必ず味方で居てくれる妙夢に、妖夢はホッとした心地になる。自分自身ということで基本的に思考が近いから、自分と同意見であるのはむしろ当然のことではあるのだが、やはりなんとなく。
「ふふふ、これだけ仲が良いと、間に入るのも野暮というものね」
最初から本気ではなかったのだろう、しつこく食い下がらず、今一度ころころと紫は笑う。
その微笑には、普段から感じるような底の知れなさや胡散臭さはなく、ある種の温かさがあったのだが……同時に、ちょっとした憂いみたいなものも感じ取れたような気がした。
感じ取りながらも、妖夢にはその意味を推し量ることが出来ず、
「さて、久しぶりに幽々子の顔でも見てこようかしら」
その間にも、紫はゆるりと白玉楼の方へと足を進める。
来客ということで、お茶の用意とかしないといけないし、幽々子さまに伝えないといけないしで、妖夢も同じく白玉楼へと向かおうとしたのだが……それを、紫はいつの間にか持っていた扇子で制して、
「少し、二人だけで話させてくれないかしら」
と言って、ポカンとする妖夢を置いて紫は白玉楼の中へと消えていった。
先程にも感じたわずかな憂いといい、何かあったのだろうか……。
くいくい
ボーっと見送る妖夢の袖を、またも小さな力が引っ張る。
見ると、妙夢がわずかに首を振る仕草をして、それからずずいっと木刀の一本をこちらに差し出してきた。
「……そうだね。始めようか」
こくこく
木刀を受け取り、妙夢がきちんと頷くのを確認してから、妖夢は日課である剣の稽古に入った。
軽い準備運動を済ませてから、まずは素振りを開始。
正眼の構えを基本として黙々と振り続けることで、集中力が研ぎ澄まされ、雑念が消え、精神が洗練されていく。
風を切るような音。
自分の全体から、周囲に吐き出され広がっていく静かな気迫。
両手に握る得物と同一していくような、不思議な一体感。
一切合財、もう、何度も味わってきた感覚だ。
「よし、行くよ、妙夢」
「…………」
素振りが終わったら、今度は二人で対戦形式の鍛錬に入る。
どんな要素があれ折角二人いるのだから、こういうこともできるうちにはやっておかないと損だという気持ちから始めたことだ。
「ふっ、はっ、せいっ!」
「……! ――! っ!」
やはりもう一人の自分ということもあってか、相手の剣技や太刀筋が、妖夢には手に取るようにわかる。しかし、妙夢にとってもそれが同様であるため、殆どの確率でこちらの一撃を防御・回避されてしまう。決して、どちらが有利というわけでもない。
妙夢の隙を突いて有効な打突を入れることが出来たとき、それは妖夢の剣が成長したときで。
自分が思いもがけないような攻撃を繰り出してくるとき、それは妙夢の剣が成長した証拠だ。
この三日間は、そうやってお互いを高め合っている。
それは少なくとも、有意義で充実している時間だと言える。
妙夢も表情にこそ出さないが、このときは本当に活き活きしているかのように、妖夢には見えた。
「よーむー、みょーむー、お腹空いたわよー」
休みなく剣戟を交し合っていると、我が主である西行寺幽々子が庭に姿を現した。
木刀を振る手を休め、ふと空を見ると、まだ外は明るいが、日が傾きかけているのが見える。……もうそろそろ夕食の支度をしなければならない時刻だ。
「はーい、ただいま支度します。妙夢、行こう」
こくこく
額に流れる汗を拭いつつ、小走りに白玉楼へと戻る二人。
入り口ではニコニコしながら幽々子が待っているのだが……そこで妖夢は、先程白玉楼に遊びに来ていた八雲紫の姿がどこにも見当たらないことに気付いた。
「あれ、幽々子さま、紫さまはどちらに?」
「紫はもう帰ったわよ。二人によろしくって言ってたわ」
「はあ……」
話が終わってから、そのまま境界を操って帰っていったのだろうか。
久しぶりに来たからには、もう少しゆっくりしていくものと思っていたのだが……。
「――この春は、お友達に会っていたそうよ」
と、聞いてもいないのに、幽々子はそのように語りだす。
一瞬、『誰が?』と妖夢は思ったのだが、流れからして紫のことだと思い至ることが出来た。
「お友達、ですか」
「そう。何十年ぶりかに会った、人間のお友達。だけど、もう二度と会うことはないだろうって言ってたわ」
先程の紫に漂っていたわずかな憂いが移ったかのように幽々子は遠い目をするのだが、妖夢には彼女の言わんとすることがよくわからなかった。
妙夢も同じであるのか、目をぱちくりさせながら『?』と首を傾げている。
「紫も、とても長い時を生きているから、今まで経験してきた別れはそれこそ星の数なんでしょうけど……」
「はぁ……幽々子さまも、やはりそれを寂しいと思うことはあるのですか?」
「当然じゃない。少なくとも、私は妖夢とはお別れしたくないと思ってるわよ」
「それは、私もですけど」
条件反射のように言うが、本音である。
西行寺幽々子。
暢気で、食いしん坊で、だらだらしていて、とにかくお世話に手間の掛かる我が主。時たま大変かつ理不尽な命令とかされることもあり、妖夢の毎日はまさしく彼女に振り回されっぱなしだ。
でも、やっぱり放っておけないし、彼女が笑っていると自分も嬉しい気分になるし、彼女のためなら何でもしたいとも思う。主従と言う関係を抜きにしても、これからも傍に居たいと思うし。
命を懸けてでも、御守りしたいとも思う。
そんな魅力が、彼女にはある。
「あら、嬉しいこと言ってくれるわね。最近、妖夢ってば妙夢の世話にかかりっきりだから、もう私に飽きちゃったのかと思ったわ」
「いや、飽きたって、そんな誤解を招くようなこと言われても……それに、ちゃんと朝起こしたり、掃除したり、ご飯作ったりしてるじゃないですか」
「それでも、最近はなんだか妖夢分が足りないのっ」
そんなことを言いつつ、幽々子はガバッと自分に抱きついてくる。
いきなりだったので、妖夢はカーッと頬を紅潮させてジタバタと手足をバタつかせた。
「な、何ですか幽々子さま、いきなりもう」
「んー、やっぱり妖夢は可愛いわね~。妙夢もそう思わない?」
と、ボケーっと自分達のことを見守っていた妙夢に、幽々子がそのように尋ねると。
妙夢はわずかに目を見開きつつも、いつものように『んん……』と考える仕草を見せ、
こくこく
はっきりと頷いた。
……なんだか、この時ばっかりは、妖夢は裏切られた気分になった。なんとなく。
「そう思うなら、ホラ、妙夢もこっちに来なさい。ぎゅーっとやるのよ、ぎゅーっと」
おいでおいで、と手招きをする幽々子に、妙夢はわずかばかり考えたようだが……今一度こくこくと頷き、
「わっ、妙夢?」
無表情ながらも妖夢にずずいっと抱きついた。
「ふふふ、妙夢もやっとわかってきたって感じね」
「幽々子さま、もしかして私が目を離している隙にこの子に妙なこと教えてません?」
「別に~。妙夢も本心でこういうことしたいと思ってるんじゃない? ねえ?」
「…………」
返答はしないが、きっちりと抱きつくことをやめない妙夢である。
夢中になっているといっても良い。
「あら、妙夢ったらもうかなりやる気ねっ」
「…………」
「いや、二人とも、放してくれないと歩けませんからね。ご飯とか作れませんからねっ」
「ご飯はいつでも食べられるけど、妖夢を食べられるのは今くらいしかないからね~」
「食べるとかそんなこと言われても……って、あっ、ちょ、ちょっと、妙夢、ドコ触ってんのっ」
「……?」
「まあ、妙夢ったら見かけによらず大胆っ。私も負けないわよ~」
「いやいや、幽々子さまも対抗しなくて良いですから……あ、だから、そこは、や、やめ……っ」
片側は天然で、もう片側は人為によるセクハラ攻撃に、妖夢はたまらず身をよじるも、二人は一向に解放してくれない。
基本幽霊であるので感じる体温は冷たく、それでも心は温かく、今のこの攻撃(?)はどこか甘酸っぱく……そんな様々な感覚に翻弄されながら。
頭の片隅では『なんなんだろう、この構図……』と、とろんと考えたりする妖夢であった。
-続く-
蓮子さん………