※ この作品は作品集その47に投稿した「霖と囚われの自由人」からしばらく後の話になります。
小奇麗な店内で、霖之助は独り勘定台の中で書物を読んでいた。
気が付けば辺りに読書の邪魔をする物は無く、物音一つさえない物静かな空間。
よく知っているような感覚で、よく分からない。
いつも身近に感じていて、それでいて遥かに遠い。
既知感ながら初体験。
落ち着いているのに焦るような感覚。
何時からこうしているのか分からない。
誰も……霖之助自身でさえも分からない。
否、ここにいるのは霖之助だけ。
否、ここにいるのは霖之助だけではない。
「お久しぶりね香霖堂」
突然に現れた声。
そちらに顔を向けると、そこには上等な着物に身を包んだ輝夜が立っていた。
先ほどまで誰もいなかったはずの場所に現れた彼女に対して霖之助は何も疑問に思わなかった。
疑問に思うことすらも否定される。
「ああ、君か」
声をかけた瞬間、彼女は微笑む。
以前に彼女が訪れた時よりも、幾分は大人になったのだろうか。
目の前の彼女は少女というよりも女性と言い表した方がいいのかもしれない。
だが、そんな事はどうでもいい。
目の前には輝夜がいる。
彼女は紅白の巫女でも黒白の魔法使いでもメイドの咲夜でも燃える妹紅でも最速の文でも狐の藍でも求聞史紀の阿求でもない。
彼女は、そう、輝夜なのだ。
「貴方が会いに来てくれないから私の方から来てしまったわ」
輝夜は妖艶な笑みを浮かべながら霖之助に近づき、甘い言葉を放った。
まるで苺畑にいるような可愛らしい感覚。
まるで桃の木にもたれ掛かるような瑞々しさ。
まるで明日を羽ばたく燕のような凛々しさ。
まるで世界を終わらせる夕日のような美しさ。
見目麗しい輝夜にこのようなことを言われては、並みの男では舞い上がってしまうだろう。
気高く美しい輝夜にこのように誘われては、引く手数多の男でも頬を緩めてしまう。
一撃で虜にされた心は、簡単にはこの少女から離れることは出来ない。
離れることを拒み、離れる事を許されない。
だが。
しかし、霖之助はそうはならなかった。
彼女が油断ならない相手であることを知っているからである。
「君が待っているのは僕じゃなくて、僕が持っていくお土産のほうじゃないのかい」
軽い牽制のように、霖之助は言葉を放つ。
言葉というものはそのまま言霊となり、力を持つ。
輝夜を拒むような言葉のお陰か、幾分だけ意識がクリアになった気がした。
彼女は以前、霖之助に月のイルメナイト、エイジャの赤石、金閣寺の一枚天井、ミステリウムを永遠亭に持って来るよう要求していた。
それを思い出した瞬間に出た言葉だ。
彼女の言葉につられて、手ぶらで永遠亭を訪れては何をされるか分かったものじゃない。
彼女の言葉もまた、言霊と成りて力を持ったのだろうか。
「まぁ、私がお土産目当てのあさましい女だと思ってるのかしら」
「違うのかい?」
「さぁ、どうかしら、それは屋敷に着いてのお楽しみよ」
軽いじゃれ合いのようなものか。
輝夜はクスクスと笑いながら霖之助の問いをはぐらかした。
まともに答える気は無いのだろう。
「ふふふ、貴方が会いに来てくれることを楽しみにしてるわ、それじゃぁね香霖堂」
それだけ言い残すと輝夜の姿はゆっくりと消えていった。
それを目の当たりにしても霖之助が慌てることは無い。
輝夜が消えた事など、何も不思議なことではないからだ。
なぜなら、掃除した覚えも無いのに小奇麗な店内も、虫の声さえ聞こえない静けさも、さっき読んだはずなのに内容を思い出せない本さえも全ては―――
~☆~
「―――夢か」
そう独り言を呟き、霖之助は見慣れた天井を見つめながらため息をついた。
朝からため息をつくのはあまり良い物では無いと思いつつも、止められない理由あった。
それは、輝夜の夢を見たのは今日が最初ではないからだ。
数日前よりから毎晩のように輝夜が夢に出てくる。
知り合いが夢に出てくるのは何ら不思議な事ではない。
夢というのは記憶の整理である。
夢には知っている事、経験した事などが現れる。
そんな中でも強烈なイメージや感覚、願望などは夢に出て気易い。
しかし、と霖之助は思う。
輝夜は美しい女性であるし、別に嫌っているわけでもない。
だが、毎晩夢に見るほど想っているのかと問われれば否と答えるだろう。
こうして毎日見るのでは何かあるのではないかと疑ってしまう。
蟲の知らせか、はたまた呪いの類か……
夢に知り合いを見るというのは、相手が自分に会いたがっている。
そんな言い伝えを思い出し、霖之助は頭を振った。
いくらなんでもそれは 自意識過剰ではなかろうか。
「貴方が来るのを楽しみにしてるわ」
「!?」
突然に聞こえた少女の声。
声の主を探し霖之助は辺りを見回した。
室内、扉、窓の外、どこを見ても誰も見つからない。
「遂に夢を見るだけではなく幻聴まで聞こえるようになったか?」
朝からもう一度大きなため息をつく事になった。
輝夜が会いたがっているかどうかなど、考えていても分からない。
「それは屋敷に着いてのお楽しみよ」
輝夜が夢の中で言った言葉を思い出して、霖之助はついに迷いの竹林に行くことに決めた。
久しぶりに迷いの竹林で竹の花や、すずめのつづらなどを仕入れるのも悪くない。
縁があるなら永遠亭に着く事もあるだろう。
もし何も無かったとしたら、そのときは筍でも掘って帰ればいい。
霖之助は手早く着替えて大きな籠を背負った。
そして、出かけようとしてふと考え込む。
さすがに輝夜に要求された品をお土産にする事はできないが、手ぶらで行くのも心もとない。
前永遠亭の兎が姫様のお土産にと丸い物を集めていた事を思い出し、携帯できる丸い物を鞄に詰め込み霖之助は香霖堂を後にした。
~☆~
「……め、ひめ、姫……朝ですよ」
鬱蒼とした兎達の楽園。
迷いの竹林のとある奥。
月都博覧会の会場でもあった永遠亭の更にそのまた一角。
整理整頓が行き届いた大きな部屋で、輝夜は自分を呼ぶ声に意識を引き戻された。
「そろそろ起きてください姫様。もう日も高く上がっていますよ」
意識が覚醒するにつれ、目の前の良く知っている人を認識できた。
どうやら永琳が起こしてくれたようだ。
普段は勝手に部屋に入って来たりはしないのだが、輝夜がいつも起きる時間になっても現れないため心配して見に来てくれたのだろう。
「おはよう永琳」
「おはようございます姫様」
お互いに一礼。
親しき仲にも礼儀あり。
「わざわざ起こしに来てくれたのね」
「お体の調子でも悪いのではないかと心配して来てしまいました。先ほどは体を抜けてどちらかにお出かけのようだったのですがどうなさったのですか?」
「気になる男性がいてね、夢枕に立っていたのよ」
霖之助が毎晩輝夜の夢を見る理由、輝夜が寝坊した理由……
それは輝夜が幽体離脱を行い、霖之助の夢に入り込んでいたからだった。
これは、飛鳥時代に流行った術である。
この術が転じて、夢に知り合いを見るというのは、相手が自分に会いたがっていると言われるようになったのだ。
「最近は収まったと思っていたのですが、また始まってしまいましたか。殿方を弄ぶのも程々にして下さいよ」
永琳はあきれたように息を吐いた。
そう、輝夜には一つ悪癖があった。
それは、気になる男性がいると、さまざまな手で自分に惚れさせ、その相手が自分に言い寄ってきたら、難題を押し付けて試すのである。
「人を悪女みたいに言うのはやめて頂戴」
失礼ね、としたり顔でいう輝夜に永琳は軽くため息をついた。
「違うのですか? 今まで何人の男達が姫の出す難題に敗れていったことか……」
「それは、今までの男達が不甲斐無かっただけよ。でも今回は一味違うわ。なんといっても本物を見る目があるからね。そのうち私が出した課題を4つとも見つけてしまうかもしれないわね」
「4つも出したのですか……」
永琳は呆れて何も言えなくなった。
今まで輝夜が出した難題は、一人につき一つだけ。
しかし、その一つさえ誰も見つける事ができないほど難解なものばかりだった。
それを4つとなると難易度はとんでもなく高くなる。
輝夜は期待しているようだが、きっとその男も輝夜の期待に応えることは出来ないだろう。
「でも、見つけたとしても、自分のコレクションにしてしまいかねないところが難点ね」
「姫に譲るのではなく自分のコレクションに? その男は姫に惚れているのではないのですか?」
「さぁ、それはどうなのかしらね」
そう言って楽しそうに笑う輝夜を見て永琳は思う。
姫が何を考えているのか理解できない。
今まで、姫に惚れた相手はさまざまな物を投げ出し、姫の気を引こうとして難題を求めたというのに、その男はまるで自分のために探しているかのような口ぶり、今回はなにかが違うというのだろうか……
分からない。
だが、無理に理解する必要も無いだろう。
姫が気まぐれなのはいつもの事だ。
これも永遠に続く暇つぶしの一つなのだろうと。
「永琳そろそろ着替えるから出て行って頂戴」
「はい、それでは失礼します」
「あ、ちょっと待って」
輝夜は出て行こうとする永琳を呼び止めた。
「昨日も言ったと思うけど……」
「迷いの竹林で男性を見かけたら丁寧に招待する事ですね」
「えぇ、分かっているならいいわ、それだけよ」
永琳が部屋を出て行った後、輝夜は念入りに服を選ぶ。
いつやって来るのか分からない、やって来るのかも分からない待ち人のために。
待つのは苦ではない。
彼の事を想い待っている時間は楽しい物だから。
しかし、それでも早く訪れてほしいとも思う。
彼が訪ねて来てくれればきっと嬉しいと思うから。
今日こそ会いに来てくれるのかしら。
来てくれないのなら今夜もまた―――
今回は輝夜姫が主役のようでしたが、やはり前半の霖之助の存在感、まとっている空気がとても良かったです。
姫様の手腕が非常に”らしい”と思えました。
古式ゆかしい男女の遊びという感じが、なんとも姫様の雰囲気にあって一種風流ともいえるのではないでしょうか。
基本悪女な姫様が好きフィルターがかかっておりますがw
これからも一読者として応援しております。
それにしても飛鳥時代はもう姫様の独壇場ですなw
続きがあるなら期待しています
香霖は見つけても絶対に手放さない気がしますが
続編を期待したいけど、話の続きを想像させるところで終わらせるというのも悪くないかもね
雅で空恐ろしい、けれど、どこか可愛らしい姫様をありがとうございます。
続きの構想があるかどうかは分かりませんが、あったらぜひ読みたいです
とっても貴重なんです。
久我&金井さんの霖之助はとてもいい雰囲気です。GJ
余談ですがタイトルから「夢・出逢い・魔性(You May Die in My Show)」を連想しました。