この作品は『壱符―恋色の悩み』『弐符―表と裏と』の続編に当たります。
先にそちらをお読みいただくことにより、実の無い味噌汁に豆腐が足された程度に味が変わります。柚子胡椒や山椒はお好みでどうぞ。
★
魔法の森。夜、特に月がきれいな宵闇時には、多くの下等妖怪が、獲物を求め闊歩する。
しかし今日に限っては、遠吠えも悲鳴も無い。フクロウの合唱団すら臨時休日らしく、魔理沙邸の闇は、ただ静かに深けて行くかのように思われた。
が。
一本の蝋燭だけが支える明かりの中、砕けた茶碗に、穴の開いた本棚。木製の大きな椅子を蹴飛ばす音に怯えたのか、小刻みに鳴る暖炉の音は、忙しく何処かへ逃げてゆく。
歯をすり減らさんとするほどの勢いで軋る自分の姿を見ても、魔理沙は言葉をかけない。勘の域からは出ないまでも、腫れた鼻の頭から、事情は何となく察せたためだ。今夜が沈黙する原因は、やもすればこのせいかもしれない。
何かの割れる音と、何処かのへこむ音は、今しばらく続く。
そこら中に当り散らした偽魔理沙は唐突に、箒を持ち上げた手を止めた。しばしそれを見つめて、叩きつけるのではなく、放り投げた。
「気が済んだか?」
「んにゃ……疲れただけだ」
二人は、力なく笑う。
魔理沙も魔理沙で、椅子ごと倒れた身体を起こすのに苦戦して、相当な体力を消費していたのだ。結局のところ、えらく不機嫌に帰宅した偽魔理沙に、乱暴に持ち上げられたのだが。
偽魔理沙が割りと落ち着いてきたのを見て、魔理沙はため息混じりに、恨めしそうにつぶやいた。
「私が謝る機会を、潰すつもりか?」
「なに。あいつにゃすぐにばれたぜ」
魔理沙は大きな椅子に、倒れこむように座った。それから大きく伸びをして、唐突に切り出した。
「わたしはな、どう足掻こうが、所詮は偽者だ。だがな、いくら理由が曲がっていたって、生まれてきたものは仕方が無い。だからわたしは、わたしの役目を果たすべきなんだ」
「役目?」
にへら。馬鹿らしさに表情をゆがめた魔理沙だったが、思いのほか真剣な面持ちで語る偽魔理沙に、すぐにその表情を引き締めた。
「なんだってんだ、役目って?」
偽魔理沙は腕を組み、大きく息を吸う。それから魔理沙を見据え、小さな声で、
「本気の霊夢に勝って、霊夢に――」
言いかけて、止めた。
「引っ込めるのは無しだぜ」
「何がだ?」
はぐらかす偽魔理沙も、恥ずかしさに赤らめた頬だけは隠せなかった。
答えの代わりとして、多少の誤魔化しも込めて、偽魔理沙は再び口を開いた。
「お前は、霊夢のこと、好きなのか?」
その瞬間、魔理沙の顔もほおずき色になる。
「だっ、誰があんな奴――」
「わたしは、好きだぜ。どうしようもないくらい」
魔理沙(自分)にすら言えないままでどうする。覚悟を決めての告白は、追い討ちとなる。魔理沙はきつく目を閉じた。垂れた金髪の隙間から、茹で上がった耳たぶが見えた。
偽魔理沙も赤ら顔のまま、その様子を見て楽しんだ。
「――自分自身に問うのは、意地悪だ」
やっとの思いで、魔理沙は声を絞った。
「この問いが、さっきの答えだ」
偽魔理沙は愉快そうに声を上げて笑い、外着のままでベッドに飛び込む。適当に毛布を整えて、
「わたしは私(おまえ)の本心であって、私(おまえ)はわたしを通して自身の姿を覗く。わたしはまあ、あたふたする私(じぶん)を見て楽しむだけで十分さ」
一気に言い切った。
うつむく魔理沙に、返事は無い。
「さて、もう寝るぜ」
蝋燭は消され、魔理沙邸周辺に、完全な闇が訪れる。
突風が家を揺らしても、魔理沙は何も言わない。唯ただ、わたし(じぶん)の言ったことを、頭の中で巡らせていた。
夜の寒空に明かりは月くらいのもので、せっかくの張り詰めた空気が、何だか勿体無い気もした。
「くちゅん」
先刻、突風をまともに受けた鈴仙。魔理沙邸の屋根から転げ落ちそうになったが、かろうじて屋根の端をつかんだ。その結果が、宙ぶらりんで冷気に晒される月うさぎの醜態と、可愛らしいくしゃみに繋がる。
やるからには本気で、そつなく。そう思って敵情偵察に勇んだ鈴仙だったが、震える胸に、後悔の色は濃かった。しかしそれでも、幾分かの収穫はある。
師匠が薬を譲った相手は、白黒。それを飲んだ白黒は、どうやら主導権を乗っ取られたようだ。
話を聞いたところによると――うさぎの耳はよく聞こえる――、どうやら紅白関連で揉めているらしい。本人たちはいたって大真面目なのだろうが、好きだとかどうとか言っていたのは、正直微笑ましさ以外の何物でもなかった。
さて、師匠の言っていた用事とは、何だろう。この様子を見る限り、分裂体の回収では無い。師匠もこうなる事がわかっていて、あまつさえ楽しんでいたはずだ、絶対。
ならば、こういうことか。
「土産話、長くならなきゃいいけど」
緩やかに流れる雲の張った夜空を眺め、鈴仙は独りつぶやく。それからもう一度、今度は思いっきりくしゃみをした。
☆
世も白けるかそうでないかの内に、偽魔理沙は毛布から這い出た。室内履きを履いて限界まで伸びをすると、両手で頬を叩いて、完全に目を覚ました。
視界に入った魔理沙は、心地よく寝息を立てている。考え疲れている所為もあるだろうが、こんなに寒い中毛布も無しに、しかもあんな体制でここまで気持ちよさそうに眠れるとは、偽魔理沙(じぶん)自身呆れていた。
「さて」
魔理沙の寝顔も見飽きた偽魔理沙は、彼女を起こさないように、静かに朝食の準備を始めた。
★
巫女の目覚めは、普段より大分早かった。
せっかく起きたのに二度寝するのは勿体無いと思い、霊夢は早速湯を沸かし、お茶を煎れた。湯飲みだけを片手に、冷え固まっている足を、無理やり縁に運ぶ。腰を下ろすと、尻から頭まで、冷気が貫いた。
「ぷっは」
お茶にひと口をつけ、喉と身体を潤す。ふた口目には、月を隠す夜空を仰いだ。
早起きの理由は、悪い予感がしたからに他ならない。
昨日の戦闘を思い出す。
素早さとパワーに、戦略と冷静さ、細かさが加わった知った仲(ライバル)。結果としては辛うじて霊夢が勝ったものの、一歩間違えれば、軍配は確実に魔理沙に上がっていた。
次は、負ける。
これも巫女の勘が成せる業か、得体の知れない不安(行く末)が、霊夢には見えていた。
「また来るぜ、か……」
魔法使いの去り際の言葉を、それこそ魔法に掛かったかのように幾たびも反芻するのに、大きな意味は無かった。
「ま、来たら来たで――」
避けられそうに無い何時(いつ)かを、み口目の茶と共に流し込んだ。
「――遊んであげましょ」
紡がれる言霊に、いつもの余裕は無かった。
☆
魔理沙邸を突き抜けたノックの音は、三度。
主の返事も待たずに入ってきたのは、果たして鈴仙だった。髪の毛やうさの耳にこびり付いた泥と、どこと無く引きずっている左足を気にしてはいけない。
「あらら……」
室内の惨状と、惨状と、それから惨状。おまけに健やかに眠る少女にも、目を丸くするでもなく苦笑った。
寝不足の眼を擦り擦り、しばらく少女の寝顔を観察していたが、このまま寝かせておくわけにもいかず、とりあえず頬を軽く叩(はた)いてみた。
魔理沙は幸せそうに口をもぐもぐしただけで、全く目を覚ます気配は無い。
ならばと、人差し指で強く頬を押し込んだ。皮膚と肉を通しても分かる、綺麗に並んだ、形のいい小ぶりの歯。それをもう少し楽しんでやろうと、鈴仙は指をぐりぐりぐりぐりぐりぐりぐりぐりぐり――
「……何してんだ?」
「凍えるうさぎにひと時の安らぎをばっくちゅん」
訝しげる魔理沙の顔面に、何か色々がへばりついた。魔理沙の震えは、寒さによるものではあるまい。
「あらあら。折角の可愛らしいお顔がぐちゃぐちゃよ」
「……とりあえず、縄を解いてくれ。顔はそれからでいい」
あくまで楽しもうとする鈴仙に、魔理沙はどうにか怒りを殺した。
鈴仙は魔理沙の様子にあえて気づかないふりをして、魔理沙の背後に回る。硬く締まった結び目に指は入らないだろうと悟った鈴仙は、「ナイフ借りるわ」と、リビングとひと繋がりの台所へ向かった。何も無いところに躓(つまづ)いたのはご愛嬌。
転げそうになった際に支えとなったテーブルに、綺麗に並べられているものに疑問を抱いた鈴仙だったが、あいつに聞いても仕方あるまいと、ナイフを探すのに専念した。間もなくまな板の上に横たわっているのを発見。その横には刻んだ葱が山積にされていた。
「なるほど」
つぶやいた鈴仙はやはり微笑んで、黙って開放の時を待つ魔理沙の元へ回れ右をした。
「ああ」
美味い。
はらぺこ魔理沙の朝食の用意に、片手の指を三つ折る時間も必要なかった。
経緯としては、こんな感じ。
ナイフで切られた縄が床に落ちるのと、魔理沙が力なく倒れるのとは、全く同時。これにはさすがの鈴仙も驚いて、すぐに魔理沙を起こそうとしたが、揺さぶられた魔理沙が「ご……ご飯」なんて抜かしたもんだから、仕返しにまた頬をぐりぐりしてやった。指が粘ついたのは、いわゆる二次被害。
鈴仙にテーブルまで引っ張られた魔理沙を待っていたのは、神々しいほどに輝く、和のフルコースだった。用意したのは無論、鈴仙でも、魔理沙でもない。
舞い込んで来た天使の慈悲に、まぶたの裏が熱くなるのを感じた魔理沙は、まず味噌汁に手をつける。豆腐だけの味噌汁。芳しい味噌の香りは余分な加熱に殺されておらず、冷めているが、美味い。次に白米。注文どおりの、少しだけ固め。それでいてふっくらと炊けているのが分かり、冷めているが、美味い。
右端の煮物はとろけるように柔らかく、八等分された林檎には、蜜がたっぷり。酸化を防ぐために、ちゃんと塩水にさらしたようだ。
「ああ」
神様、ありがとう。
無信仰の少女は、居るのかどうかすら知れたものではない近所の神様に、心からの感謝を込めて、汚れた顔のまま、塩鮭の切り身にかぶり付いた。
食事を終えた魔理沙は、炊事場で顔を洗った。豪快に首を振って、水滴を弾き飛ばす。それから、魔理沙と同じテーブルについていた鈴仙へと向き直った。
「どこのうさぎの骨だか知らないが、助かったぜ」
「あら、そう」
曲がった礼を真っ直ぐに受けとった鈴仙は、しかし眉をひそめる。
「元はと言えば、私の薬のせいだし」
礼なんて、ねえ。
自分にしか聞こえないようにつぶやいた鈴仙は、耳をゆらゆらと揺らしながら、ストレッチする魔理沙を眺めていた。
鈴仙が事情を話す間も魔理沙は、ほうれん草の胡麻和えに喰らいついて離れなかった。
薬を回収しに来た。自分がここに居る建前の理由を述べても、ただ「あいつを蹴り飛ばすのは、私だぜ」と意気込む彼女。やもすれば彼女にとって、この事件も些細なことでしかなかったのだろうか。もしそうなのであれば、元より自分の敵う相手ではなかったのだ。
数ヶ月前の自分の醜態を思い出し、鈴仙は密かに、自嘲交じりに苦笑した。
「よし」
最後に大きく伸びをして、転がっていた箒を手に取った。
「もう一度言うけど」
右肘で頭を支えている鈴仙は、帽子を探している魔理沙に、横目で言葉を投げた。
「薬で作られた分身は、大抵の場合本物より強いの。色々と要素はあるんだろうけど、何より、全く迷いが無いから。怪我とか死とか、怖くないんでしょうね」
それでも行くの、とは問わない。そんなことは自分で決めることだし、大体のところ、白黒が死んだところ、鈴仙本人に残るのは夢見の悪さくらいのもの。何より、
「私にゃ元々、迷いなんて無いぜ」
なんて大嘘をつく少女に、何を言っても通じないとわかっていた。
「そう」
いつに無く優しく微笑む鈴仙に、魔理沙はもう一度礼をつける。それから軋むドアを開けると、魔法使いは全速力で飛び立った。
けたたましかった朝は、こうして静寂を迎えた。
一人残された鈴仙は、「うちの子たちも、あれくらい真っ直ぐだったらな」と、特にある一匹の顔を思い浮かべながらひとりごち、それから大きくため息をついて、おこぼれの林檎をかじり、頬を緩ませた。
★
昨日よりもさらに切れを増した寒空。野鳥の一匹も飛んでいない中、偽魔理沙は緩やかに箒を滑らせた。飛ぶと言うよりも、浮いていると言うほうがしっくりくるほど、ゆっくりとしたスピードだった。
物憂げな表情に、昨晩の勢いは無い。
腿でしっかり箒をはさむと、偽魔理沙は両手を離す。それらを合わせ、息を吹きかけると、熱を逃がさないようによく揉んだ。その間も箒は、波に揺られるように進む。
広大な魔法の森がざわめく度に、こんな思いに駆られる。
果たしてわたしは、本当に、
「霊夢のこと、好きなのかな」
昨日は魔理沙(自分)に、確かに「好きだ」と言った。だけど所詮、わたしは複製だ。こうも言った。さすればわたしのこの気持ちも、複製ではないのか?
思案は堂々に巡り、何も得ないままいつの間にか無心になる。ざわめきを感じると、スイッチが入ったように、思考は再開される。
結局のところ、自信が無いのだ、わたしには。魔理沙(ホンモノ)もそうなんだろうけど、自信が無いから、それを埋めるために努力する。それでも足りないのなら、どうすればいいのか考える。もしそれでも届かない時には、人知れず涙も浮かべているだろう。
あんなに努力したのに、ではない。これでもまだ足りないのではないか。そんな思いに苛(さいな)まれる。霧雨魔理沙(わたしたち)は常に、とある影に追われているのだ。
「……博麗、霊夢」
出会ったその時からの強敵(ライバル)。圧倒的な存在。
だからこそ――
「絶対に、負かしてやる」
昨日よりもさらに切れを増した寒空。野鳥の一匹も飛んでいない中、偽魔理沙の独白は、風を纏(まと)いこちらへ向かってくる白黒の影には、全く聞こえていなかった。
気配に気づいた偽魔理沙が振り返ったときには、その距離は既に十数メートルにも満たなかった。
魔理沙の掛けた急ブレーキに、一切の音は無い。
「追いついたぜ」
息も切らし切らしの魔理沙は、柔らかな唇の両端を吊り上げる。
「追いつかれてやったぜ」
皮肉る偽魔理沙の笑い方も、全く同じ。
二人とも目線は切らず、その様子に隙は無かった。
「昨晩目いっぱい使って考えたんだがな」
投げかけられた言葉の意味を、偽魔理沙は瞬時に理解した。その上で、続きを待つ。
「急に頭使ってもな、てんで働かないんだ。全くわからなかった」
「それで?」
偽魔理沙は正面に向き直る。魔理沙は身を屈め、構える。
「お前(わたし)を倒せば、答えも出るだろうよ」
「わたしにゃ勝てないぜ」
「何事も、やってみるってのは大切だ」
偽魔理沙も重心を前方に移す。それから二人は、同時に短い呼吸。
次の瞬間、魔理沙の放った流線型のレーザーは星屑を従えて、偽魔理沙へ突進した。
☆
庭掃除の合間の日課に、巫女は感涙した。賽銭箱に、小銭が四枚。膝を折って賽銭箱に抱きつくその姿は、賽銭泥棒に見えなくもない。
今日は、お掃除中断! 早速ふたを開け中身を取り出す。一枚、二枚、三枚――わっ! 霊夢は心中で黄色い声をあげる。腹を箱の淵につっかえさせて小銭に指を伸ばしていると、奥にもう一枚、黄金(こがね)色を見つけたのだ。無い胸が最高に高鳴る。全てを回収し終えると、ふたも開けっ放しで部屋へ駆け込み、ちゃぶ台に四十五円(愛しいもの)を丁寧に並べ、愛(め)で始めた。
それからちょうど五分、硬貨の柄がまぶたにくっきりと焼きついたその頃、巫女の脳を電気が貫いた。
「ああ、もう……」
飴と鞭。やもすれば、賽銭(最高の友)はある種の予兆だったか。そんなことが思い浮かぶ。
頭を抱えるのも一瞬。霊夢は気だるそうに立ち上がった。
目指すは魔法の森、魔理沙邸。
★
魔法の森の上空を埋め尽くす星屑の数は、当社比にしておおよそ三倍。割合としては、純物と混ぜ物が二対一。数だけなら、魔理沙のほうが優勢だった。
しかし、
「選挙じゃないんだぜ」
弾幕のごく狭い隙間を縫って飛ぶ偽魔理沙に、消費は見られない。対する魔理沙は、息も喘ぎ喘ぎ、星を突き抜けてくる二本のレーザーを避けるのに精一杯だった。
「このっ!」
魔理沙は悪態をついて、一本にまとめたレーザーを無理やり放つ。しかし星屑の群れに掻き消され、更にやってきたレーザーに腕をかすられた。
バランスを崩した隙を突かれ、もう一本、二本、三本目。帽子が吹き飛ぶ。穴が開いた音がした。舌打ちをした魔理沙は辛うじて体勢を立て直し、四本目を避けた。
「くっ」
まずいな。
偽魔理沙の攻撃は、的確だった。
立体迷路のように張り巡らされた星型の弾幕が、よく見なければ気付かないほどゆっくりと動くのは、魔理沙自身よく知っている。その動きはランダムなのだが、それでも偽魔理沙は、魔理沙をこれから狭くなるであろう空間に誘導している。しかも魔理沙から、偽魔理沙の姿は全く見えない。彼女は確実に、星の動きを読みつつ戦っていた。
「確かに」
強いぜ。
忠告をくれたその人物の顔を思い浮かべようとするも、特徴的な耳しか思い出せない。
まあ、いいか。今はそれどころではない。
思考を中断して、魔理沙は五本目六本目のレーザーをギリギリで避けた。案の定、迷路(ミルキーウェイ)は、だんだん閉じている。再びの、舌打ち。
「どうした、こんなもんか!」
少し遠くから、偽魔理沙の怒声にも似た叫び。汗に濡れる額を袖で拭った魔理沙は、
「まさか」
つぶやいた。虚勢を。
この状況に余裕など在るはずも無いが、今となっては分の悪い賭けも用意していたりする。賭けとは言っても、ただ単純にでっかいのを打ち込むだけ。分が悪いのは、相手に隙が無さ過ぎるから。
今打ち込んでも弾幕は消せるが、適当な狙いでは、偽魔理沙本体にはまず当たらない。さすれば、攻撃後の反動による隙が怖すぎる。今は淡々と、相手のミスを待つしかない。
しかし、
「うおっ!」
エメラルド色の散弾。おおよそ七発。円陣を組んで向かってくる。
「決まりだぜっ!」
偽魔理沙の宣言と同時に、ど真ん中を直行する一本のレーザー。大量の星屑に、避難できそうな隙間は無い。逃げ道は塞がれた。
「くそっ……」
魔理沙は何度目かの悪態をつき、それから静かに目を閉じた。
狙いの中央で、爆発が起きた。緑色の閃光が辺りを包み、弾幕は消える。偽魔理沙は出来るだけ目を細めて、しかし確りと、魔理沙(じぶん)の敗北を見届けた。
「……残念、だぜ」
蔑みと、苛立ちと、多少の焦りを込めて、偽魔理沙はつぶやいた。
さて、これからどうするか。霊夢に告白なんて大見得を切ったが、ふらふらやってる間に、そんな度胸は無くなった。それに本来なら、魔理沙(自分)で言うべきなんだ、そういうのは。わたしの役目ってのはきっと、魔理沙(わたし)が霊夢に、本当の気持ちを伝えらるように導くことだったのだ。今となってはそう思う。
その為に、魔理沙(自分)は偽魔理沙(自分)を倒さなければいけなかった。あのままの魔理沙(自分)では――。ああ、そうか。あいつも「お前を倒せば――」なんて言っていたということは、薄々わかっていたのかも知れない。
「まあ」
いずれにしても、もう終わった。
薄れゆく閃光の中、偽魔理沙は小さくため息をついた。
さて、大事な約束もあることだし、とりあえず神社だ。
偽魔理沙は箒の先を返そうとして、
「なっ……」
驚愕に、目を見開く。
煙る閃光の中から現れたのは、白黒の魔法少女と、その前に立ち塞がる、紅白の巫女だった。
「な、何で……」
「巫女の勘よ」
結界を解いた霊夢は、同じく驚いている魔理沙の腕をやさしく取った。少なくとも正の感情は篭っていないその表情に、魔理沙は身を強張(こわば)らせた。
「もう。こんなにボロボロになって……」
愛(いつく)しむ様につぶやくも、直撃前に結界を張ったため、そこまでダメージを受けていなかったりする。要は雰囲気。
一秒も経たずに茹で上がった魔理沙に微笑んでから偽魔理沙に向き直り、きつく睨(にら)んだ。
「本物と入れ替わって世界征服……ってとこかしら?」
「んにゃ、ただじゃれてただけだぜ」
「ふざけないで」
「お前こそ」
これは魔理沙の横槍。霊夢は眉間に指を当てた。
「何がよ」
「雰囲気だとか、世界征服だとか」
「そうかしら」
「ああ。あと、ついでにお前の表情も」
眉間にしわが寄りっぱなしの霊夢を指して、普段と同じように軽口を叩く魔理沙。その内心は、酷く引きつったものだった。久しぶりに霊夢と喋ったせいもあるが、何より、まだ霊夢が怒っていやしないかと、底の無い恐れを抱いていたせいだ。
しかし、
「そうね」
霊夢はやっと、表情を崩す。声を出して、小さく笑う。
「はは」
釣られて魔理沙も、安堵感に息を漏らす。それらは次第に大きくなり、終いには空中を、馬鹿みたいに転げ回って笑いあった。
「何やってんだか」
取り残された偽魔理沙は、呆れたようにつぶやく。それでも自然と笑顔になっていたのに、明確な理由は思い浮かばない。
しばらく笑いあった二人は、ふと思い出したように、偽魔理沙へ目を向けた。
「さて、フィナーレだぜ、偽魔理沙(わたし)」
一人じゃ駄目でも、二人なら。そんな気持ちを込めて紡がれた言葉は、なにも偽魔理沙に対してだけではない。その証拠に、霊夢も微かに頷(うなづ)いた。
「わたしにゃ勝てないぜ」
「何事も、やってみるってのは大切だ」
いつかと同じやり取り。しかし今は、魔理沙の表情に曇りは無い。
「潮時(タイムリミット)ってやつかな……」
ま、残りの寿命(ロスタイム)だ。精々楽しんでやるさ。
二人に聞こえないようにつぶやいた偽魔理沙は、レーザーを避け針を打ち落とすと、そのまま反撃に転じた。
ただ単純な打ち合い。二人からの攻撃にも、偽魔理沙は全く引けを取らない。それどころか、いつものペースを保っている。やはり最低限の動きで弾幕を避けながら、相手の周りに消えない星屑を、攻撃用の弾幕を混ぜつつばら撒く。
「こりゃいい手だな」
苦笑する魔理沙の額に、金髪はヒタリと張り付いている。
「そう思うなら、真似すればいいじゃない」
言いながら、魔理沙から十数メートルほど距離を置く霊夢は、エメラルドの弾幕を避けた。腋の下を覗くさらしには、少しの染みが見える。
「いんや。私は常に我流(オン・マイ・ウェイ)だぜ」
「どうだか」
ため息の代わりに、霊夢は短く息を継いだ。五本の針を放つ。ポニーテイルが揺れ、綺麗な円を描く。
偽魔理沙は一度だけ身体を捻(ひね)り、難なく交わした。
「そんなんじゃ無理だぜ、霊夢!」
と、偽魔理沙。反撃にレーザーを放つ。
わかってるわよ!
霊夢は言葉を飲み込み、攻撃に頭を屈めた。叫んだところで、みっともないだけだ。
その代わり魔理沙に、
「魔理沙っ! 何か良い手無いの!?」
結局叫んだ。
「そういうのはお前の領分だろおわっ!」
避けた弾幕が箒に当たり、魔理沙はバランスを崩した。その隙を突いて、偽魔理沙はもう一撃。
「はっ!」
霊夢は魔理沙に向けて結界を張った。爆発が起こるも、魔理沙は無傷。
「しっかりしなさいよ!」
「ああーっ!」
突然咆えるように叫んだのは、もちろん魔理沙。霊夢は一瞬たじろいだが、すぐに顔をしかめた。
「何よ、忘れ物?」
と、割と動きの早い星屑を避けて言う。
対する魔理沙の表情は、疲労の中にも輝きがあった。
「お前の技に、ワープがあったな」
「だから、ワープじゃないわ。幻想空想穴よ、げんそうくうそうけつ」
答える霊夢。いわゆるデジャブに、しかめっ面を酷くした。
「そんなことはどうでも――ひゃっ!」
魔理沙は体勢を崩した。箒の尻に、星屑が当たったのだ。気付けば二人の周りには既に、星屑の包囲網が再び出来上がろうとしていた。
まずいな。時間が無い。
「霊夢、一発勝負だぜ!」
箒の向きを直し霊夢に振り返るも、二人の間には隔たりが出来ていた。辛うじて顔が覗ける程度の隙間しかない。
「何すればいいの!」
霊夢の語調にも、焦りの色が見える。
魔理沙はポケットをまさぐり、取り出す。そして八角形の物体を掲げて見せた。
「三つ数える内に隙を作ってくれ! 後は何とかなる!」
根拠の無い言葉にも、今なら自信がある。
攻撃を受けたのか、返事は無かったが、霊夢は確かに、強く笑っていた。
一人じゃ駄目でも、二人なら。
魔理沙は取り出した八角形、ミニ八卦炉を胸に当て、両手を添えた。そして、
偽魔理沙は、淡々と星屑を繰り出す。彼女からは既に、二人の姿は見えなかった。それでも淡々と、攻撃を繰り返す。
「ああ、もう」
何やってんだか、あいつらは。
別に倒されたくてウズウズしているなんて訳はないし、誰かが言うように、分身が万物に恐怖しないなんてことも無い。怪我をすればそれ相応に痛いし、死ぬのも怖い。ただ、ちゃんとした生き物ほど細かく作られなかったわたしは壊れやすく、それ故に死に対する見方が軽いだけだ。
それに今は、消える覚悟も出来ていて、だからこそ焦(じ)れる。
なのに、
「案外、あの中でくたばってたりしてな」
せせら笑う偽魔理沙。
刹那、空気が変わる。
「また――」
背中。
偽魔理沙は焦ることなく、箒を素早く操った。
同じ手は、二度も食わない――
「なっ!」
振り返った偽魔理沙が見たものは、霊夢。しかしそれは、表情すら侭(まま)ならない残像だった。
連続技か?
警戒も忘れて振り返るも、霊夢はいない。
が、
「さんっ!」
魔理沙は声を張った。確実に、霊夢に聞こえるように。
傍(そば)にいたはずの霊夢の気配は、もう感じない。
八卦炉が、微かに光りだす。
「にっ!」
偽魔理沙(わたし)の声が聞こえる。こうして聞いてみると、案外かわいい声じゃないか。
魔力を吸った八卦炉は、急激に光を増した。
「いちっ!」
魔理沙は八卦炉に、持ち得る全てを込めた。光は更に大きくなり、魔理沙自身、目を開けていられない。
息を大きく吸い込んだ魔理沙は、誰かに向かって叫んだ。
「マスタースパァァァァァクッ!!」
両手には、酷い重圧。身体には、これ以上に無い衝撃。それでも七色の魔砲は、星屑を飲み込み、寒空を切った。
「……ああ、そうか」
星屑溜りの中央から放たれる金紗の強い光に、偽魔理沙はこのときまで気付かなかった。
視界を覆いつくす魔砲は、星屑を飲み込み、消し去る。
目にも留まらぬ速さで迫り来る脅威に、偽魔理沙は目を瞑るだけだった。
「ホントに、残念だぜ」
言い終わるか終わらないかのうちに、偽魔理沙は七色の光に包まれ、消えた。
☆
乾いた空に掛かった虹を、霊夢は遠めに見上げていた。轟く爆音と森を騒がすほどの衝撃波に
、霊夢は唯ただ感心していた。
「あんなの撃って、大丈夫なのかしら」
霊夢の頭には何故か「環境破壊」という言葉が思い浮かんだが、すぐに消えた。
轟音は数秒経っても止まず、七色が青色に戻るのに、さらに数秒を要した。
それから、
「魔理沙」
両手を痛そうに振る魔法使いが飛んできたのは、そのまた数秒後だった。
魔理沙は無言のまま、霊夢と同じ高さまで箒を滑らせた。
しばしの沈黙。
「なんだったのかしら、偽魔理沙(あの子)」
何となしに霊夢がつぶやくも、魔理沙は「ああ」と、無表情のまま。かと思えば次の瞬間。見つめあう二人は、「あは」。どちらとも無く笑った。
「まったく、大変な目にあったぜ」
「私もよ。リボン、また焦がされちゃった」
魔理沙は、猫耳のようにリボンをピクピク動かす霊夢を、今度は思いっきり笑った。やはり霊夢も、釣られて笑い出す。それから空中を、豪快に笑い転げるのだった。
★
笑い声は、はたと止む。小鳥のさえずりが、よく聞こえる。息はよく吸えるし、胸はこんなにも清々しい。
「なあ、霊夢」
「なあに?」
振り向く霊夢。
呼んでみたものの、何を言おうか。なんて思いは、微塵も無い。
魔理沙は最高の笑みを、不敵に浮かべてやった。
「弾幕ごっこだ。負けたほうが、相手の家の掃除」
虚を突かれた霊夢は、それでも笑みを返した。
「後悔することになるけど、いいの?」
「上等だぜ」
会話は、これだけ。
二人は自然、ゆっくりと距離を開ける。
「ふふ」
魔理沙から、笑い声が漏れた。
結局、偽魔理沙(あいつ)が何をしたかったのか、あの時何を言いたかったのか、今となっては確かめられない。でも、おおよそこういうことなのだろう。
私はやっぱり、霊夢のことが好きなのだ。何を今更と、実際そうなのだろうが、どうも私は人一倍鈍感で、それでいて素直じゃないのだ。
「だから」
今の私じゃ、賢くて、精悍で、可愛くて強い霊夢には、釣り合わない。あの強い心(わたし)は、せめて強い魔理沙(私)であれと、そう言いたかったのだ。
「さあて」
だったら、本心(わたし)のせめてもの願いを、叶えてやろうじゃないか。たとえ今日は、神社の落ち葉掃きをさせられようとも、
「いつかは、必ず」
謝るのも、思いを伝えるのも、まだ少しだけ、先のことでいい。
魔理沙は肺いっぱいに空気を取り入れ、流線型のレーザーを二本、目標(ライバル)に向かって放った。
魔法の森の空高く。小鳥のさえずりと巫女の気合、それから魔法使いの悲鳴は、今日も幻想郷を賑わせた。
おわり
先にそちらをお読みいただくことにより、実の無い味噌汁に豆腐が足された程度に味が変わります。柚子胡椒や山椒はお好みでどうぞ。
★
魔法の森。夜、特に月がきれいな宵闇時には、多くの下等妖怪が、獲物を求め闊歩する。
しかし今日に限っては、遠吠えも悲鳴も無い。フクロウの合唱団すら臨時休日らしく、魔理沙邸の闇は、ただ静かに深けて行くかのように思われた。
が。
一本の蝋燭だけが支える明かりの中、砕けた茶碗に、穴の開いた本棚。木製の大きな椅子を蹴飛ばす音に怯えたのか、小刻みに鳴る暖炉の音は、忙しく何処かへ逃げてゆく。
歯をすり減らさんとするほどの勢いで軋る自分の姿を見ても、魔理沙は言葉をかけない。勘の域からは出ないまでも、腫れた鼻の頭から、事情は何となく察せたためだ。今夜が沈黙する原因は、やもすればこのせいかもしれない。
何かの割れる音と、何処かのへこむ音は、今しばらく続く。
そこら中に当り散らした偽魔理沙は唐突に、箒を持ち上げた手を止めた。しばしそれを見つめて、叩きつけるのではなく、放り投げた。
「気が済んだか?」
「んにゃ……疲れただけだ」
二人は、力なく笑う。
魔理沙も魔理沙で、椅子ごと倒れた身体を起こすのに苦戦して、相当な体力を消費していたのだ。結局のところ、えらく不機嫌に帰宅した偽魔理沙に、乱暴に持ち上げられたのだが。
偽魔理沙が割りと落ち着いてきたのを見て、魔理沙はため息混じりに、恨めしそうにつぶやいた。
「私が謝る機会を、潰すつもりか?」
「なに。あいつにゃすぐにばれたぜ」
魔理沙は大きな椅子に、倒れこむように座った。それから大きく伸びをして、唐突に切り出した。
「わたしはな、どう足掻こうが、所詮は偽者だ。だがな、いくら理由が曲がっていたって、生まれてきたものは仕方が無い。だからわたしは、わたしの役目を果たすべきなんだ」
「役目?」
にへら。馬鹿らしさに表情をゆがめた魔理沙だったが、思いのほか真剣な面持ちで語る偽魔理沙に、すぐにその表情を引き締めた。
「なんだってんだ、役目って?」
偽魔理沙は腕を組み、大きく息を吸う。それから魔理沙を見据え、小さな声で、
「本気の霊夢に勝って、霊夢に――」
言いかけて、止めた。
「引っ込めるのは無しだぜ」
「何がだ?」
はぐらかす偽魔理沙も、恥ずかしさに赤らめた頬だけは隠せなかった。
答えの代わりとして、多少の誤魔化しも込めて、偽魔理沙は再び口を開いた。
「お前は、霊夢のこと、好きなのか?」
その瞬間、魔理沙の顔もほおずき色になる。
「だっ、誰があんな奴――」
「わたしは、好きだぜ。どうしようもないくらい」
魔理沙(自分)にすら言えないままでどうする。覚悟を決めての告白は、追い討ちとなる。魔理沙はきつく目を閉じた。垂れた金髪の隙間から、茹で上がった耳たぶが見えた。
偽魔理沙も赤ら顔のまま、その様子を見て楽しんだ。
「――自分自身に問うのは、意地悪だ」
やっとの思いで、魔理沙は声を絞った。
「この問いが、さっきの答えだ」
偽魔理沙は愉快そうに声を上げて笑い、外着のままでベッドに飛び込む。適当に毛布を整えて、
「わたしは私(おまえ)の本心であって、私(おまえ)はわたしを通して自身の姿を覗く。わたしはまあ、あたふたする私(じぶん)を見て楽しむだけで十分さ」
一気に言い切った。
うつむく魔理沙に、返事は無い。
「さて、もう寝るぜ」
蝋燭は消され、魔理沙邸周辺に、完全な闇が訪れる。
突風が家を揺らしても、魔理沙は何も言わない。唯ただ、わたし(じぶん)の言ったことを、頭の中で巡らせていた。
夜の寒空に明かりは月くらいのもので、せっかくの張り詰めた空気が、何だか勿体無い気もした。
「くちゅん」
先刻、突風をまともに受けた鈴仙。魔理沙邸の屋根から転げ落ちそうになったが、かろうじて屋根の端をつかんだ。その結果が、宙ぶらりんで冷気に晒される月うさぎの醜態と、可愛らしいくしゃみに繋がる。
やるからには本気で、そつなく。そう思って敵情偵察に勇んだ鈴仙だったが、震える胸に、後悔の色は濃かった。しかしそれでも、幾分かの収穫はある。
師匠が薬を譲った相手は、白黒。それを飲んだ白黒は、どうやら主導権を乗っ取られたようだ。
話を聞いたところによると――うさぎの耳はよく聞こえる――、どうやら紅白関連で揉めているらしい。本人たちはいたって大真面目なのだろうが、好きだとかどうとか言っていたのは、正直微笑ましさ以外の何物でもなかった。
さて、師匠の言っていた用事とは、何だろう。この様子を見る限り、分裂体の回収では無い。師匠もこうなる事がわかっていて、あまつさえ楽しんでいたはずだ、絶対。
ならば、こういうことか。
「土産話、長くならなきゃいいけど」
緩やかに流れる雲の張った夜空を眺め、鈴仙は独りつぶやく。それからもう一度、今度は思いっきりくしゃみをした。
☆
世も白けるかそうでないかの内に、偽魔理沙は毛布から這い出た。室内履きを履いて限界まで伸びをすると、両手で頬を叩いて、完全に目を覚ました。
視界に入った魔理沙は、心地よく寝息を立てている。考え疲れている所為もあるだろうが、こんなに寒い中毛布も無しに、しかもあんな体制でここまで気持ちよさそうに眠れるとは、偽魔理沙(じぶん)自身呆れていた。
「さて」
魔理沙の寝顔も見飽きた偽魔理沙は、彼女を起こさないように、静かに朝食の準備を始めた。
★
巫女の目覚めは、普段より大分早かった。
せっかく起きたのに二度寝するのは勿体無いと思い、霊夢は早速湯を沸かし、お茶を煎れた。湯飲みだけを片手に、冷え固まっている足を、無理やり縁に運ぶ。腰を下ろすと、尻から頭まで、冷気が貫いた。
「ぷっは」
お茶にひと口をつけ、喉と身体を潤す。ふた口目には、月を隠す夜空を仰いだ。
早起きの理由は、悪い予感がしたからに他ならない。
昨日の戦闘を思い出す。
素早さとパワーに、戦略と冷静さ、細かさが加わった知った仲(ライバル)。結果としては辛うじて霊夢が勝ったものの、一歩間違えれば、軍配は確実に魔理沙に上がっていた。
次は、負ける。
これも巫女の勘が成せる業か、得体の知れない不安(行く末)が、霊夢には見えていた。
「また来るぜ、か……」
魔法使いの去り際の言葉を、それこそ魔法に掛かったかのように幾たびも反芻するのに、大きな意味は無かった。
「ま、来たら来たで――」
避けられそうに無い何時(いつ)かを、み口目の茶と共に流し込んだ。
「――遊んであげましょ」
紡がれる言霊に、いつもの余裕は無かった。
☆
魔理沙邸を突き抜けたノックの音は、三度。
主の返事も待たずに入ってきたのは、果たして鈴仙だった。髪の毛やうさの耳にこびり付いた泥と、どこと無く引きずっている左足を気にしてはいけない。
「あらら……」
室内の惨状と、惨状と、それから惨状。おまけに健やかに眠る少女にも、目を丸くするでもなく苦笑った。
寝不足の眼を擦り擦り、しばらく少女の寝顔を観察していたが、このまま寝かせておくわけにもいかず、とりあえず頬を軽く叩(はた)いてみた。
魔理沙は幸せそうに口をもぐもぐしただけで、全く目を覚ます気配は無い。
ならばと、人差し指で強く頬を押し込んだ。皮膚と肉を通しても分かる、綺麗に並んだ、形のいい小ぶりの歯。それをもう少し楽しんでやろうと、鈴仙は指をぐりぐりぐりぐりぐりぐりぐりぐりぐり――
「……何してんだ?」
「凍えるうさぎにひと時の安らぎをばっくちゅん」
訝しげる魔理沙の顔面に、何か色々がへばりついた。魔理沙の震えは、寒さによるものではあるまい。
「あらあら。折角の可愛らしいお顔がぐちゃぐちゃよ」
「……とりあえず、縄を解いてくれ。顔はそれからでいい」
あくまで楽しもうとする鈴仙に、魔理沙はどうにか怒りを殺した。
鈴仙は魔理沙の様子にあえて気づかないふりをして、魔理沙の背後に回る。硬く締まった結び目に指は入らないだろうと悟った鈴仙は、「ナイフ借りるわ」と、リビングとひと繋がりの台所へ向かった。何も無いところに躓(つまづ)いたのはご愛嬌。
転げそうになった際に支えとなったテーブルに、綺麗に並べられているものに疑問を抱いた鈴仙だったが、あいつに聞いても仕方あるまいと、ナイフを探すのに専念した。間もなくまな板の上に横たわっているのを発見。その横には刻んだ葱が山積にされていた。
「なるほど」
つぶやいた鈴仙はやはり微笑んで、黙って開放の時を待つ魔理沙の元へ回れ右をした。
「ああ」
美味い。
はらぺこ魔理沙の朝食の用意に、片手の指を三つ折る時間も必要なかった。
経緯としては、こんな感じ。
ナイフで切られた縄が床に落ちるのと、魔理沙が力なく倒れるのとは、全く同時。これにはさすがの鈴仙も驚いて、すぐに魔理沙を起こそうとしたが、揺さぶられた魔理沙が「ご……ご飯」なんて抜かしたもんだから、仕返しにまた頬をぐりぐりしてやった。指が粘ついたのは、いわゆる二次被害。
鈴仙にテーブルまで引っ張られた魔理沙を待っていたのは、神々しいほどに輝く、和のフルコースだった。用意したのは無論、鈴仙でも、魔理沙でもない。
舞い込んで来た天使の慈悲に、まぶたの裏が熱くなるのを感じた魔理沙は、まず味噌汁に手をつける。豆腐だけの味噌汁。芳しい味噌の香りは余分な加熱に殺されておらず、冷めているが、美味い。次に白米。注文どおりの、少しだけ固め。それでいてふっくらと炊けているのが分かり、冷めているが、美味い。
右端の煮物はとろけるように柔らかく、八等分された林檎には、蜜がたっぷり。酸化を防ぐために、ちゃんと塩水にさらしたようだ。
「ああ」
神様、ありがとう。
無信仰の少女は、居るのかどうかすら知れたものではない近所の神様に、心からの感謝を込めて、汚れた顔のまま、塩鮭の切り身にかぶり付いた。
食事を終えた魔理沙は、炊事場で顔を洗った。豪快に首を振って、水滴を弾き飛ばす。それから、魔理沙と同じテーブルについていた鈴仙へと向き直った。
「どこのうさぎの骨だか知らないが、助かったぜ」
「あら、そう」
曲がった礼を真っ直ぐに受けとった鈴仙は、しかし眉をひそめる。
「元はと言えば、私の薬のせいだし」
礼なんて、ねえ。
自分にしか聞こえないようにつぶやいた鈴仙は、耳をゆらゆらと揺らしながら、ストレッチする魔理沙を眺めていた。
鈴仙が事情を話す間も魔理沙は、ほうれん草の胡麻和えに喰らいついて離れなかった。
薬を回収しに来た。自分がここに居る建前の理由を述べても、ただ「あいつを蹴り飛ばすのは、私だぜ」と意気込む彼女。やもすれば彼女にとって、この事件も些細なことでしかなかったのだろうか。もしそうなのであれば、元より自分の敵う相手ではなかったのだ。
数ヶ月前の自分の醜態を思い出し、鈴仙は密かに、自嘲交じりに苦笑した。
「よし」
最後に大きく伸びをして、転がっていた箒を手に取った。
「もう一度言うけど」
右肘で頭を支えている鈴仙は、帽子を探している魔理沙に、横目で言葉を投げた。
「薬で作られた分身は、大抵の場合本物より強いの。色々と要素はあるんだろうけど、何より、全く迷いが無いから。怪我とか死とか、怖くないんでしょうね」
それでも行くの、とは問わない。そんなことは自分で決めることだし、大体のところ、白黒が死んだところ、鈴仙本人に残るのは夢見の悪さくらいのもの。何より、
「私にゃ元々、迷いなんて無いぜ」
なんて大嘘をつく少女に、何を言っても通じないとわかっていた。
「そう」
いつに無く優しく微笑む鈴仙に、魔理沙はもう一度礼をつける。それから軋むドアを開けると、魔法使いは全速力で飛び立った。
けたたましかった朝は、こうして静寂を迎えた。
一人残された鈴仙は、「うちの子たちも、あれくらい真っ直ぐだったらな」と、特にある一匹の顔を思い浮かべながらひとりごち、それから大きくため息をついて、おこぼれの林檎をかじり、頬を緩ませた。
★
昨日よりもさらに切れを増した寒空。野鳥の一匹も飛んでいない中、偽魔理沙は緩やかに箒を滑らせた。飛ぶと言うよりも、浮いていると言うほうがしっくりくるほど、ゆっくりとしたスピードだった。
物憂げな表情に、昨晩の勢いは無い。
腿でしっかり箒をはさむと、偽魔理沙は両手を離す。それらを合わせ、息を吹きかけると、熱を逃がさないようによく揉んだ。その間も箒は、波に揺られるように進む。
広大な魔法の森がざわめく度に、こんな思いに駆られる。
果たしてわたしは、本当に、
「霊夢のこと、好きなのかな」
昨日は魔理沙(自分)に、確かに「好きだ」と言った。だけど所詮、わたしは複製だ。こうも言った。さすればわたしのこの気持ちも、複製ではないのか?
思案は堂々に巡り、何も得ないままいつの間にか無心になる。ざわめきを感じると、スイッチが入ったように、思考は再開される。
結局のところ、自信が無いのだ、わたしには。魔理沙(ホンモノ)もそうなんだろうけど、自信が無いから、それを埋めるために努力する。それでも足りないのなら、どうすればいいのか考える。もしそれでも届かない時には、人知れず涙も浮かべているだろう。
あんなに努力したのに、ではない。これでもまだ足りないのではないか。そんな思いに苛(さいな)まれる。霧雨魔理沙(わたしたち)は常に、とある影に追われているのだ。
「……博麗、霊夢」
出会ったその時からの強敵(ライバル)。圧倒的な存在。
だからこそ――
「絶対に、負かしてやる」
昨日よりもさらに切れを増した寒空。野鳥の一匹も飛んでいない中、偽魔理沙の独白は、風を纏(まと)いこちらへ向かってくる白黒の影には、全く聞こえていなかった。
気配に気づいた偽魔理沙が振り返ったときには、その距離は既に十数メートルにも満たなかった。
魔理沙の掛けた急ブレーキに、一切の音は無い。
「追いついたぜ」
息も切らし切らしの魔理沙は、柔らかな唇の両端を吊り上げる。
「追いつかれてやったぜ」
皮肉る偽魔理沙の笑い方も、全く同じ。
二人とも目線は切らず、その様子に隙は無かった。
「昨晩目いっぱい使って考えたんだがな」
投げかけられた言葉の意味を、偽魔理沙は瞬時に理解した。その上で、続きを待つ。
「急に頭使ってもな、てんで働かないんだ。全くわからなかった」
「それで?」
偽魔理沙は正面に向き直る。魔理沙は身を屈め、構える。
「お前(わたし)を倒せば、答えも出るだろうよ」
「わたしにゃ勝てないぜ」
「何事も、やってみるってのは大切だ」
偽魔理沙も重心を前方に移す。それから二人は、同時に短い呼吸。
次の瞬間、魔理沙の放った流線型のレーザーは星屑を従えて、偽魔理沙へ突進した。
☆
庭掃除の合間の日課に、巫女は感涙した。賽銭箱に、小銭が四枚。膝を折って賽銭箱に抱きつくその姿は、賽銭泥棒に見えなくもない。
今日は、お掃除中断! 早速ふたを開け中身を取り出す。一枚、二枚、三枚――わっ! 霊夢は心中で黄色い声をあげる。腹を箱の淵につっかえさせて小銭に指を伸ばしていると、奥にもう一枚、黄金(こがね)色を見つけたのだ。無い胸が最高に高鳴る。全てを回収し終えると、ふたも開けっ放しで部屋へ駆け込み、ちゃぶ台に四十五円(愛しいもの)を丁寧に並べ、愛(め)で始めた。
それからちょうど五分、硬貨の柄がまぶたにくっきりと焼きついたその頃、巫女の脳を電気が貫いた。
「ああ、もう……」
飴と鞭。やもすれば、賽銭(最高の友)はある種の予兆だったか。そんなことが思い浮かぶ。
頭を抱えるのも一瞬。霊夢は気だるそうに立ち上がった。
目指すは魔法の森、魔理沙邸。
★
魔法の森の上空を埋め尽くす星屑の数は、当社比にしておおよそ三倍。割合としては、純物と混ぜ物が二対一。数だけなら、魔理沙のほうが優勢だった。
しかし、
「選挙じゃないんだぜ」
弾幕のごく狭い隙間を縫って飛ぶ偽魔理沙に、消費は見られない。対する魔理沙は、息も喘ぎ喘ぎ、星を突き抜けてくる二本のレーザーを避けるのに精一杯だった。
「このっ!」
魔理沙は悪態をついて、一本にまとめたレーザーを無理やり放つ。しかし星屑の群れに掻き消され、更にやってきたレーザーに腕をかすられた。
バランスを崩した隙を突かれ、もう一本、二本、三本目。帽子が吹き飛ぶ。穴が開いた音がした。舌打ちをした魔理沙は辛うじて体勢を立て直し、四本目を避けた。
「くっ」
まずいな。
偽魔理沙の攻撃は、的確だった。
立体迷路のように張り巡らされた星型の弾幕が、よく見なければ気付かないほどゆっくりと動くのは、魔理沙自身よく知っている。その動きはランダムなのだが、それでも偽魔理沙は、魔理沙をこれから狭くなるであろう空間に誘導している。しかも魔理沙から、偽魔理沙の姿は全く見えない。彼女は確実に、星の動きを読みつつ戦っていた。
「確かに」
強いぜ。
忠告をくれたその人物の顔を思い浮かべようとするも、特徴的な耳しか思い出せない。
まあ、いいか。今はそれどころではない。
思考を中断して、魔理沙は五本目六本目のレーザーをギリギリで避けた。案の定、迷路(ミルキーウェイ)は、だんだん閉じている。再びの、舌打ち。
「どうした、こんなもんか!」
少し遠くから、偽魔理沙の怒声にも似た叫び。汗に濡れる額を袖で拭った魔理沙は、
「まさか」
つぶやいた。虚勢を。
この状況に余裕など在るはずも無いが、今となっては分の悪い賭けも用意していたりする。賭けとは言っても、ただ単純にでっかいのを打ち込むだけ。分が悪いのは、相手に隙が無さ過ぎるから。
今打ち込んでも弾幕は消せるが、適当な狙いでは、偽魔理沙本体にはまず当たらない。さすれば、攻撃後の反動による隙が怖すぎる。今は淡々と、相手のミスを待つしかない。
しかし、
「うおっ!」
エメラルド色の散弾。おおよそ七発。円陣を組んで向かってくる。
「決まりだぜっ!」
偽魔理沙の宣言と同時に、ど真ん中を直行する一本のレーザー。大量の星屑に、避難できそうな隙間は無い。逃げ道は塞がれた。
「くそっ……」
魔理沙は何度目かの悪態をつき、それから静かに目を閉じた。
狙いの中央で、爆発が起きた。緑色の閃光が辺りを包み、弾幕は消える。偽魔理沙は出来るだけ目を細めて、しかし確りと、魔理沙(じぶん)の敗北を見届けた。
「……残念、だぜ」
蔑みと、苛立ちと、多少の焦りを込めて、偽魔理沙はつぶやいた。
さて、これからどうするか。霊夢に告白なんて大見得を切ったが、ふらふらやってる間に、そんな度胸は無くなった。それに本来なら、魔理沙(自分)で言うべきなんだ、そういうのは。わたしの役目ってのはきっと、魔理沙(わたし)が霊夢に、本当の気持ちを伝えらるように導くことだったのだ。今となってはそう思う。
その為に、魔理沙(自分)は偽魔理沙(自分)を倒さなければいけなかった。あのままの魔理沙(自分)では――。ああ、そうか。あいつも「お前を倒せば――」なんて言っていたということは、薄々わかっていたのかも知れない。
「まあ」
いずれにしても、もう終わった。
薄れゆく閃光の中、偽魔理沙は小さくため息をついた。
さて、大事な約束もあることだし、とりあえず神社だ。
偽魔理沙は箒の先を返そうとして、
「なっ……」
驚愕に、目を見開く。
煙る閃光の中から現れたのは、白黒の魔法少女と、その前に立ち塞がる、紅白の巫女だった。
「な、何で……」
「巫女の勘よ」
結界を解いた霊夢は、同じく驚いている魔理沙の腕をやさしく取った。少なくとも正の感情は篭っていないその表情に、魔理沙は身を強張(こわば)らせた。
「もう。こんなにボロボロになって……」
愛(いつく)しむ様につぶやくも、直撃前に結界を張ったため、そこまでダメージを受けていなかったりする。要は雰囲気。
一秒も経たずに茹で上がった魔理沙に微笑んでから偽魔理沙に向き直り、きつく睨(にら)んだ。
「本物と入れ替わって世界征服……ってとこかしら?」
「んにゃ、ただじゃれてただけだぜ」
「ふざけないで」
「お前こそ」
これは魔理沙の横槍。霊夢は眉間に指を当てた。
「何がよ」
「雰囲気だとか、世界征服だとか」
「そうかしら」
「ああ。あと、ついでにお前の表情も」
眉間にしわが寄りっぱなしの霊夢を指して、普段と同じように軽口を叩く魔理沙。その内心は、酷く引きつったものだった。久しぶりに霊夢と喋ったせいもあるが、何より、まだ霊夢が怒っていやしないかと、底の無い恐れを抱いていたせいだ。
しかし、
「そうね」
霊夢はやっと、表情を崩す。声を出して、小さく笑う。
「はは」
釣られて魔理沙も、安堵感に息を漏らす。それらは次第に大きくなり、終いには空中を、馬鹿みたいに転げ回って笑いあった。
「何やってんだか」
取り残された偽魔理沙は、呆れたようにつぶやく。それでも自然と笑顔になっていたのに、明確な理由は思い浮かばない。
しばらく笑いあった二人は、ふと思い出したように、偽魔理沙へ目を向けた。
「さて、フィナーレだぜ、偽魔理沙(わたし)」
一人じゃ駄目でも、二人なら。そんな気持ちを込めて紡がれた言葉は、なにも偽魔理沙に対してだけではない。その証拠に、霊夢も微かに頷(うなづ)いた。
「わたしにゃ勝てないぜ」
「何事も、やってみるってのは大切だ」
いつかと同じやり取り。しかし今は、魔理沙の表情に曇りは無い。
「潮時(タイムリミット)ってやつかな……」
ま、残りの寿命(ロスタイム)だ。精々楽しんでやるさ。
二人に聞こえないようにつぶやいた偽魔理沙は、レーザーを避け針を打ち落とすと、そのまま反撃に転じた。
ただ単純な打ち合い。二人からの攻撃にも、偽魔理沙は全く引けを取らない。それどころか、いつものペースを保っている。やはり最低限の動きで弾幕を避けながら、相手の周りに消えない星屑を、攻撃用の弾幕を混ぜつつばら撒く。
「こりゃいい手だな」
苦笑する魔理沙の額に、金髪はヒタリと張り付いている。
「そう思うなら、真似すればいいじゃない」
言いながら、魔理沙から十数メートルほど距離を置く霊夢は、エメラルドの弾幕を避けた。腋の下を覗くさらしには、少しの染みが見える。
「いんや。私は常に我流(オン・マイ・ウェイ)だぜ」
「どうだか」
ため息の代わりに、霊夢は短く息を継いだ。五本の針を放つ。ポニーテイルが揺れ、綺麗な円を描く。
偽魔理沙は一度だけ身体を捻(ひね)り、難なく交わした。
「そんなんじゃ無理だぜ、霊夢!」
と、偽魔理沙。反撃にレーザーを放つ。
わかってるわよ!
霊夢は言葉を飲み込み、攻撃に頭を屈めた。叫んだところで、みっともないだけだ。
その代わり魔理沙に、
「魔理沙っ! 何か良い手無いの!?」
結局叫んだ。
「そういうのはお前の領分だろおわっ!」
避けた弾幕が箒に当たり、魔理沙はバランスを崩した。その隙を突いて、偽魔理沙はもう一撃。
「はっ!」
霊夢は魔理沙に向けて結界を張った。爆発が起こるも、魔理沙は無傷。
「しっかりしなさいよ!」
「ああーっ!」
突然咆えるように叫んだのは、もちろん魔理沙。霊夢は一瞬たじろいだが、すぐに顔をしかめた。
「何よ、忘れ物?」
と、割と動きの早い星屑を避けて言う。
対する魔理沙の表情は、疲労の中にも輝きがあった。
「お前の技に、ワープがあったな」
「だから、ワープじゃないわ。幻想空想穴よ、げんそうくうそうけつ」
答える霊夢。いわゆるデジャブに、しかめっ面を酷くした。
「そんなことはどうでも――ひゃっ!」
魔理沙は体勢を崩した。箒の尻に、星屑が当たったのだ。気付けば二人の周りには既に、星屑の包囲網が再び出来上がろうとしていた。
まずいな。時間が無い。
「霊夢、一発勝負だぜ!」
箒の向きを直し霊夢に振り返るも、二人の間には隔たりが出来ていた。辛うじて顔が覗ける程度の隙間しかない。
「何すればいいの!」
霊夢の語調にも、焦りの色が見える。
魔理沙はポケットをまさぐり、取り出す。そして八角形の物体を掲げて見せた。
「三つ数える内に隙を作ってくれ! 後は何とかなる!」
根拠の無い言葉にも、今なら自信がある。
攻撃を受けたのか、返事は無かったが、霊夢は確かに、強く笑っていた。
一人じゃ駄目でも、二人なら。
魔理沙は取り出した八角形、ミニ八卦炉を胸に当て、両手を添えた。そして、
偽魔理沙は、淡々と星屑を繰り出す。彼女からは既に、二人の姿は見えなかった。それでも淡々と、攻撃を繰り返す。
「ああ、もう」
何やってんだか、あいつらは。
別に倒されたくてウズウズしているなんて訳はないし、誰かが言うように、分身が万物に恐怖しないなんてことも無い。怪我をすればそれ相応に痛いし、死ぬのも怖い。ただ、ちゃんとした生き物ほど細かく作られなかったわたしは壊れやすく、それ故に死に対する見方が軽いだけだ。
それに今は、消える覚悟も出来ていて、だからこそ焦(じ)れる。
なのに、
「案外、あの中でくたばってたりしてな」
せせら笑う偽魔理沙。
刹那、空気が変わる。
「また――」
背中。
偽魔理沙は焦ることなく、箒を素早く操った。
同じ手は、二度も食わない――
「なっ!」
振り返った偽魔理沙が見たものは、霊夢。しかしそれは、表情すら侭(まま)ならない残像だった。
連続技か?
警戒も忘れて振り返るも、霊夢はいない。
が、
「さんっ!」
魔理沙は声を張った。確実に、霊夢に聞こえるように。
傍(そば)にいたはずの霊夢の気配は、もう感じない。
八卦炉が、微かに光りだす。
「にっ!」
偽魔理沙(わたし)の声が聞こえる。こうして聞いてみると、案外かわいい声じゃないか。
魔力を吸った八卦炉は、急激に光を増した。
「いちっ!」
魔理沙は八卦炉に、持ち得る全てを込めた。光は更に大きくなり、魔理沙自身、目を開けていられない。
息を大きく吸い込んだ魔理沙は、誰かに向かって叫んだ。
「マスタースパァァァァァクッ!!」
両手には、酷い重圧。身体には、これ以上に無い衝撃。それでも七色の魔砲は、星屑を飲み込み、寒空を切った。
「……ああ、そうか」
星屑溜りの中央から放たれる金紗の強い光に、偽魔理沙はこのときまで気付かなかった。
視界を覆いつくす魔砲は、星屑を飲み込み、消し去る。
目にも留まらぬ速さで迫り来る脅威に、偽魔理沙は目を瞑るだけだった。
「ホントに、残念だぜ」
言い終わるか終わらないかのうちに、偽魔理沙は七色の光に包まれ、消えた。
☆
乾いた空に掛かった虹を、霊夢は遠めに見上げていた。轟く爆音と森を騒がすほどの衝撃波に
、霊夢は唯ただ感心していた。
「あんなの撃って、大丈夫なのかしら」
霊夢の頭には何故か「環境破壊」という言葉が思い浮かんだが、すぐに消えた。
轟音は数秒経っても止まず、七色が青色に戻るのに、さらに数秒を要した。
それから、
「魔理沙」
両手を痛そうに振る魔法使いが飛んできたのは、そのまた数秒後だった。
魔理沙は無言のまま、霊夢と同じ高さまで箒を滑らせた。
しばしの沈黙。
「なんだったのかしら、偽魔理沙(あの子)」
何となしに霊夢がつぶやくも、魔理沙は「ああ」と、無表情のまま。かと思えば次の瞬間。見つめあう二人は、「あは」。どちらとも無く笑った。
「まったく、大変な目にあったぜ」
「私もよ。リボン、また焦がされちゃった」
魔理沙は、猫耳のようにリボンをピクピク動かす霊夢を、今度は思いっきり笑った。やはり霊夢も、釣られて笑い出す。それから空中を、豪快に笑い転げるのだった。
★
笑い声は、はたと止む。小鳥のさえずりが、よく聞こえる。息はよく吸えるし、胸はこんなにも清々しい。
「なあ、霊夢」
「なあに?」
振り向く霊夢。
呼んでみたものの、何を言おうか。なんて思いは、微塵も無い。
魔理沙は最高の笑みを、不敵に浮かべてやった。
「弾幕ごっこだ。負けたほうが、相手の家の掃除」
虚を突かれた霊夢は、それでも笑みを返した。
「後悔することになるけど、いいの?」
「上等だぜ」
会話は、これだけ。
二人は自然、ゆっくりと距離を開ける。
「ふふ」
魔理沙から、笑い声が漏れた。
結局、偽魔理沙(あいつ)が何をしたかったのか、あの時何を言いたかったのか、今となっては確かめられない。でも、おおよそこういうことなのだろう。
私はやっぱり、霊夢のことが好きなのだ。何を今更と、実際そうなのだろうが、どうも私は人一倍鈍感で、それでいて素直じゃないのだ。
「だから」
今の私じゃ、賢くて、精悍で、可愛くて強い霊夢には、釣り合わない。あの強い心(わたし)は、せめて強い魔理沙(私)であれと、そう言いたかったのだ。
「さあて」
だったら、本心(わたし)のせめてもの願いを、叶えてやろうじゃないか。たとえ今日は、神社の落ち葉掃きをさせられようとも、
「いつかは、必ず」
謝るのも、思いを伝えるのも、まだ少しだけ、先のことでいい。
魔理沙は肺いっぱいに空気を取り入れ、流線型のレーザーを二本、目標(ライバル)に向かって放った。
魔法の森の空高く。小鳥のさえずりと巫女の気合、それから魔法使いの悲鳴は、今日も幻想郷を賑わせた。
おわり
ゲシュタルト崩壊するかと思いましたがw
面白かったです、ありがとうごさいました。
結論としては『大変面白かった』です。
今後も期待させて頂きますw
コメントどうもです。ではでは、早速お返事をば。
>>途中、魔理沙という字がゲシュタルト崩壊するかと思いましたがw
私も書いてる途中で、何がなんだかわからなくなりました。これも魔理沙がまぶしすぎる所為だと思います。
>>とっても気に入りました!
波調が合いますね。ぴったりですね。ぜひ付き合ってください、マジで。
>>多少読みにくい文章ですが、いやに引き込まれる物が有ると思います。
引き込んでしまいましたか。ようこそ妄想の世界へ(ウフフ)。
まだまだ拙い文章しか書けない私ですが、今後もどうぞよろしくお願いします。
匿名評価して頂いた方々も、本当にありがとうございます。
受け取った評価の一つ一つを、味気ない生活の糧にさせていただきます。すごく助かります。あと半年は生きていけそうです。