「魔理沙さん、こんな所で横になってたら風邪引きますよ」
「んあ?」
明かりに乏しい夜闇の中、ござを敷いて仰向けに寝っ転がる魔理沙さんを見つけ、私は注意を入れた。
腕を枕にぼんやりと天を見つめていた彼女は、ちらと横目でこちらの方を見やると、そこで初めて傍らに立つ私に気付いたようだった。
「……なんだ、早苗か」
「なんだとはご挨拶ですね。せっかく人が気を配って差し上げたのに」
「気配りってのは、いちいち主張するものじゃないぜ」
確かにその通り、と思ってしまった自分がちょっと悔しい。が、いつの間にか話がすり替えられている。
……まあ、いいか。魔理沙さんが人の注意を素直に聞き入れるような性格をしていないことは、長くない付き合いでも分かることだった。
博麗神社にて催された、幾度目かの宴会。……の後。もしくは、なれの果てとでも言うべきだろうか。
宴会場となった神社の裏庭は、台風でも通り過ぎたみたいに散らかり放題だった。
今でこそ、あたりは冬の夜空にふさわしい静けさに包まれているけれども、先程まで繰り広げられていた飲めや歌えの乱痴気騒ぎの惨状は、今でも目と耳に生々しく焼き付いている。
まあ、凄まじいまでに宴会が盛り上がるのも、こうして目も当てられないほど散らかるのもいつものことなのだけど。
そしてそれを誰も片付けようとせず、結局霊夢さんが溜息をつきながら後始末をするのもいつも通りだった。
そうして独り後片付けをする霊夢さんが余りにも不憫だったので、私は、酔い潰れずに済んだ日はそれを手伝うことにしている。
酔いからすっかり醒めてしまい、陰鬱な表情を浮かべながら重たい足取りで空き瓶を片付けていく彼女を毎回のように見ていたら、そりゃあ可哀想にもなる。
それで手伝いを申し出たら、彼女は息を吹き返したみたいに表情を輝かせ、ガッチリと手まで握られてしまった。今まで片付けの手がどれだけいなかったのかと、尚更不憫に思わずにはいられなかった。
そんなわけで、今日は私と霊夢さんの2人体制で片付けを行なっていた。
まずは酔い潰れた者を部屋に上げてやり、片付けはそれからになる。
食器類の洗いものは霊夢さんが。宴会場の空き瓶類の片付けは私の役目になった。
そうして百をゆうに超える数の空き瓶を回収している最中に、地面で寝っ転がっている魔理沙さんを見つけたのだった。
「だいたい、寒くないんですか? いつまでもこんな所にいて」
「たらふく酒を呑んだから、身体はほかほかだぜー。このまま気持ち良く寝入ってしまいそうだ」
「いやそれ凍死ルート一直線ですから」
妖怪や妖精であればこの程度で死んだりすることはないだろうけれど、彼女は私と同じ、れっきとした人間。色々と人外じみていても、身体のつくりは脆いはずだった。
しかし彼女は、底冷えのする寒さの中でも割と平気な様子で喋っている。正直こっちは、歯の根が合わなくなりそうなほど震えているというのに。
「いやまあ、酒であったまってるのも確かだが、これがあるおかげで寒さはへっちゃらなんだ」
そう言って魔理沙さんは身体を起こし、懐に手を入れる。取り出したのは、手の平大の大きさの、どんぶりみたいな代物だった。
彼女の説明によれば、それはミニ八卦炉というマジックアイテムで、これがあれば夏は涼しく、冬はあたたかく過ごせるらしい。魔法的なものは一切分からないけれど、要するにカイロのようなものか。触らせてもらうと、確かにほんのり熱を放出している。片付けでかじかんだ手には嬉しい温かさだった。
「貸さないぜ」
「残念です」
もちろん、借りられるとは思っていない。片付けの手は借りたいけど。
「それで、こんな時間まで残って何してるんですか? 暇なら片付けを手伝って欲しいのですが」
「そりゃお前、よく晴れた冬の夜にすることと言ったら一つしかないだろ」
「凍死ごっことか」
「星見に決まってるだろう」
まあ、そんなところだろう。手伝いの願いはあっさり流された。分かってたけど。
魔理沙さんは再度寝っ転がり、あらためて天を見上げる。私もそれに合わせて夜空を仰ぎ見た。そこには、無数の星々が瞬く、よく澄んだ冬の星空が広がっていた。
ここ幻想郷には、外の世界ではほとんど見られない、ありのままの自然が広く残されている。きらめく星空の美しさも、その一つだった。
星砂でもばら撒いたみたいに、数多の星がちりばめられた空。それは、幻想郷にやって来るまでは見たことのない光景だった。あまりに数が多いので、その数を数えることはもちろん叶わず、星座を結び出すことさえも困難を極める。外の世界では、そうそう拝める景色ではないだろう。それこそ、もはや幻想のものになっているのかも知れなかった。
オリオン座はどうにか分かったけれど、北斗七星や北極星が見つからない。いい加減、首が痛くなって来たので、星座探しは諦めることにした。私は魔理沙さんとは違い、後片付けをしなければいけない。
「なあ、悪いが、そのへんのかがり火、消してくれないか?」
しかしその魔理沙さんは、片付けを邪魔するようなことを悪びれもせず言ってくれる。
宴会の最中、会場となったこの場所にはいくつものかがり火が焚かれ、酒宴に盛り上がる場を象徴するように赤々と燃え盛っていた。それは宴会がお開きとなった今も、その名残を惜しむように細々と燃え残っている。私はその残り火のかすかな灯りを頼りに、後片付けをしているのだった。
「どうしてですか? 暗くされると片付けが出来ないのですが」
「いやまあ、折角の星空なんだ。もっといい条件で見たいじゃないか」
「私の都合も考えて下さいよ。真っ暗だと何も出来ません」
「多分、大丈夫だぜ」
どのへんが大丈夫なのかさっぱり分かりゃしない。
「ま、消してみれば分かる。物は試しってやつだ」
私が返事をしかねていると、消す方向で話が勝手に進んでいる。そうしてくれるのが当たり前、みたいな物言いだった。
魔理沙さんに限った話ではないけれど、幻想郷の方々はどうしてこう、自分本位なんだろうか。
……何か自分のことを棚に上げている気もしたが、考えないことにした。
「仕方がないですね、まったく……」
魔理沙さんの言葉を信じたわけではないけれど、このままでは不毛なやり取りが続きそうだったので、私の方が折れることにした。
私は言われた通り、一つ一つかがり火を消していく。ひとつ消すたびに足元の灯りが失われ、どこか地に足が着いていないような不安感にとらわれる。次の一歩を踏み出すたびごとに、地面をおそるおそる確認しなければならなかった。
最後の一つを消してしまうと、いよいよあたりは本格的に真っ暗になってしまう。
正直、ちょっと怖い。
外の世界では必ずどこかしらに明かりがあったから、私は文字通りの真っ暗な世界は体験したことがなかった。
満月でも出ていれば地上は意外と明るく照らされるけれども、今は新月なのか、この夜は月を見ていない。月齢なんて、満月でもない限りはいちいち意識しないけれど。
こちらの世界の夜は、あまりにも暗い。だから私は、夜寝る時は必ず、ろうそくに火をともしておいている。そんなことを誰かに言おうものなら確実にからかわれるだろうから、言わないけど。
「ありがとなー」
私はその声を頼りに、どうにか魔理沙さんのそばまで歩み寄った。
「本当に真っ暗なんですけどー」
「なあに、30秒ほど目をつむってな。すぐに慣れる」
慣れると言ったって、これだけ真っ暗では無駄な抵抗だと思うのだけれど、どうなのか。
ただ、現状では他にどうすることも出来ず、私は魔理沙さんの言葉に従うしかなかった。
目を閉じても、あるのはもちろん、ただの黒一色。
灯りが失われると、同時に温かさも闇の中へと消え去ってしまったかのようで、私は余計に身震いがする思いだった。
両腕を抱いて、足踏みをする。片付けもしないで何をやっているんだろうと、今更ながらに思わずにはいられなかった。
と、
「何か寒そうだな。ほれ」
魔理沙さんがそう言った直後、私は、身体が温かい空気に包まれてゆくのを肌で感じた。それはどこか、暖房の風に当たっているみたいな感覚だった。
「八卦炉の出力を上げてやったぜ。あったかいだろ?」
「あ、ありがとうございます……」
どれだけ便利なのかその八卦炉とやらは。外の世界の冷暖房器具よりもよっぽど高機能に思える。
「……ところで、寒そう、っておっしゃいましたけど、魔理沙さんには私の姿が見えるのですか?」
「ん? ぼんやりとだが一応な」
「ほんとですか?」
「何か寒そうに縮こまってるだろ」
その目はサーモグラフィーか何かですか。
私には貴方の居場所さえ、声がしなければ分からなかったというのに。
「そろそろ、目を開けてもいい頃だぜ」
「はあ……」
どちらにしろ真っ暗なので、目を閉じていたことさえ忘れていた。
正直なところ、私は単なる付き合いとして、魔理沙さんの言葉に従ったようなものだった。
もし、ただ単に目が慣れただけで周囲が見えるようになるのならば、寝る時にわざわざ火をともす必要などなくなるからだ。
だから私は、辺りが見えるようになることなど、ほとんど期待はしていなかった。
私は、ゆっくりとまぶたを開いてゆく。
開放された瞳に映し出されるのは、相変わらず黒一色に塗り潰された世界――
――ではなかった。
私は思わず目を大きく見開いた。
確かに、はっきり真夜中と言えるほどに暗く、黒い世界が広がっている。けれどそこにはかすかな彩りが認められたのだ。
それは、暗闇の中に濃紺のヴェールをうっすらと落としたような、ぼんやりとした色合い。
まだ陽の昇らない時分の薄明の光。それをギリギリまで希釈したような、不確かな青色だった。
言わば、夜中から夜明けへと差し掛かる、薄明が始まるその一瞬だけを取り出したような、存在さえも危うい色彩。
もう一度目を閉じてしまえば取りこぼしてしまいそうなほどの、儚い光景なのだった。
「どうだ、見えるか?」
「見え……ます」
そして、さらに目が慣れて来れば。
わずかな色彩の中に曖昧に溶けていた様々な物が、おぼろげな輪郭を見せ始めていく。
それはまるで、黒い霧が晴れていくかのようで、どこか目覚めのひとときに似ている気がした。
そうして私の瞳に浮かび上がるのは、あらゆるものがほのかな青色に染め上げられた、幻想的な夜の風景だった。
「だから言ったろ、消してみれば分かるって」
まさにその通りだった。
魔理沙さんがいるはずの方を向くと、そこに誰かいるのが確かにぼんやりと見える。
表情まではもちろん掴めないが、白い歯を見せているのが何となく分かった。きっと、勝ち誇ったようにニヤリと笑っているのだろう。
普段なら悔しさが湧き上がりそうなところだけれども、それより今の私は、別のことが脳を支配していた。
「魔理沙さん、これってもしかして……」
「もしかして、だぜ」
それは先程から、視界の端にちらちらと映っている。
魔理沙さんに問うまでもなく、私の中ではそれは既に確信となっていた。
太陽も、そして月も失った夜の世界で、たとえ僅かであっても地上を照らし出すことが出来るもの。それは、
「星明かり、ですか」
「その通り」
私は思い切ったようにして、上天を見上げた。
次の瞬間。
目もくらむほどの数の光の粒子が、降り注ぐ雨のように私の瞳に飛び込んで来る。
視界の殆どが星粒で埋め尽くされ、私は一瞬、めまいに似た感覚に捕われてしまう。
それは先程、灯りを消す前に目にしていた空とはまた異なるものだった。
夜空なのに、明るい。
余計な明かりが取り払われ、純粋に星の光のみで満たされることで初めて浮かび上がる光景。
星明かりというものが、言葉のうえだけでなく実際にあるのだと、私は身をもって知らされたのだった。
「どうだ、一緒に星空鑑賞と洒落込まないか? ポカンと立ってないで」
「……はっ!?」
いけない、初めて目にする光景に見とれるあまり、ぽっかりと口を開けたまま突っ立っていた。
いやまあ、口が開いてたことまではバレてないと思うけど。多分。
「おーい、聞いてるかー?」
「……えと、星空鑑賞、っておっしゃいました?」
「一応聞いてたか」
それもいいかな、と思ったけれど、そう言えば私は宴会の後片付けの最中だった。星明かりがほのかに地上を照らす今なら、その続きも出来なくはない。
ただ、片付けはしなければいけないけれど、魔理沙さんからの誘いも、私にとっては魅力的なのだった。
「ご一緒いたします」
「よし来た」
そう言うと魔理沙さんは、ござの上にもうひとり寝られるだけのスペースを空けてくれた。
「いいか、星空鑑賞ってのは、寝っ転がってするのがオツなんだ」
「そうなんですか?」
「こうすると楽だし、何よりどこを見渡しても星しか視界に入らない」
「へぇ……」
たいそう楽しげに語るものだから、何だかこっちまでわくわくして来てしまう。
私は言われた通りにござの上に寝っ転がる。今まで魔理沙さんが寝ていたので、背中がほんのりと温かかった。
そして、そのまま夜空を視界に納めると、
「……ホント、ですね」
「だろ?」
魔理沙さんの言う通り、視界の全てが見事に星空だけで満たされる。
視線を天頂から縦横に巡らせてみても、無数の光点が半球状の夜空に分布しているのが見えるのみ。
何だかプラネタリウムみたい、と思ったけれど、その例えのあべこべさに、我ながら笑いがこみ上げてしまう。
プラネタリウムも綺麗だけれども、さすがに本物の星空には敵うまい。
「こうやって寝っ転がってると、視界の全てが星空で埋まるだろ? そうすると、何だか星に近付いたみたいに感じられるんだ」
星に近付いただなんて、面白いことを言う。
今私たちが目にしているのは、近くの木々も、遠くの山々も、距離をつかめるものは何ひとつ存在しない光景。それは確かに、遠近感を喪失したような、どこか地に足の着かないような不安定な印象を与えてくれる。
でもそれは決して不快なものではなくて、お酒を口にした時とはまた異なる、酩酊感のような、もしくは浮遊感のようなもので。
あるいは、星の海の中をゆるやかにたゆたっているかのような。
言葉にはしがたいけれど、それは心のさざ波を落ち着かせてくれるような、神秘的ですらある感覚なのだった。
「……霊夢さんは片付けに勤しんでるのに、私はこんなことしてて、何だか申し訳なくなって来ます」
「いいんだよ、片付けなんて明日になってからで」
「霊夢さんからすれば、神社が散らかったまま朝を迎えるのは体裁が悪いそうで……」
「参拝客なんてどうせ誰も来やしないのになぁ。変なところ気にしてるんだな、あいつも」
軽くそう言って、魔理沙さんは笑う。陰口っぽくも思えるけれど、彼女ならこの程度、霊夢さんの前でも平気で言い放つことだろう。それで、霊夢さんから反論もしくは反撃が飛ぶ。そんな彼女たちを何度も見ているから。私はそこまでの展開を容易に想像することが出来た。
何だかんだ言って、この二人は非常に仲が良い。
そんな二人をちょくちょく目にして、ちょっとだけ羨ましく思っていたのも、事実だった。
「なあ、前からちょっと聞きたかったことがあるんだが」
「……何でしょうか、折り入って」
ゆったりと空を眺めていると、魔理沙さんがどこか探るような調子で私に問いを発した。
彼女が私に聞きたいこと。それも、前から。ちょっと考えてみるが、何も思い付かなかった。
何せ、今日のように宴会などで席を共にすることはあっても、私と魔理沙さんとの接点はそう多くはない。
そもそも先日霊夢さんや魔理沙さんが山に乗り込んで来た一件だって、私が脅しを入れたのは霊夢さんだけであって、魔理沙さんには何もしていない。あの時私たちはまだ、互いに面識さえなかったはず。だから何ゆえ魔理沙さんからの殴り込みを受けなければならなかったのかと、今更ながら思う。
もっともこの人の場合は、面白そうだったから首を突っ込んだ、だけで済ませそうだけれども。
「この前、山で私と弾幕ごっこやった時、星型の弾幕作ってただろ? あれは何か意味があるのか?」
「星型の弾幕……ですか?」
「ああ」
弾幕ごっこのことを訊かれるなんて想像していなかったので、ちょっと戸惑ってしまう。もっとも、何も想像出来ていなかったのだけれども。
最近は(こうしたド宴会を除いて)平穏な日々が続いていて弾幕ごっこはご無沙汰だけれども、確かに私はあの時、星の弾幕を沢山描いていた。
思い返してみれば、あの時の魔理沙さんも、星が炸裂する弾を撃っていたっけ。
加えて、こんな寒さ厳しい真冬の時期に星空鑑賞なんてするのだから、彼女は星に関してこだわりがあると考えて良いのだろう。
その辺の事情に、ちょっと興味が湧いた。
「魔理沙さんも、星をそのまんま使ってましたよね。やっぱり、こういう星々をイメージしているんですか?」
「私か? もちろんそうだぜ」
私たちが指を差した先はもちろん、星々がちりばめられた、透明感のある澄んだ夜空。
どの星も瞬きをやめることはなく、今もほのかな光を地上へと届けてくれていた。
「これだけのものがあるんだ。こう、自分もあやかりたいというか、な」
「へぇ……」
お気楽というか自分勝手というか、そういう性格だとばかり思っていたのだけれど、魔理沙さんにも人間臭い一面があるものなんだと思った。人間臭いというか、女の子っぽいというか。
むしろ私がいた向こうの世界では、星にロマンチックな興味を抱く女の子なんて、最早いやしなかった。
そんな女の子はまさに、こうして幻想郷入りを果たしていたのだった。
「貴方は意外とロマンチストなんですね」
「意外ととは失礼な。ロマンが服着て歩いてるのが私だぜ」
「酔ってますね」
「酔ってるぜー」
「酒にじゃなくてご自分に」
「うるせい」
そうやってがさつな言葉を吐きつつも、魔理沙さんは気分良く笑っている。照れ隠しという面も少しはあるのかも知れなかった。
いや、実際に照れ隠しなのだろうと思う。
「で、そっちはどうなんだ? これじゃあないのか?」
「私は……」
さて、どう説明しようか。一応の知識はあるつもりだけれども。
「五行、って知ってますか?」
「万物は木とか火とかから成るっていうあれか」
「はい。五芒星の外側の頂点が、その5つの要素を示します。あれにはそういう意味があったんです」
「なるほど」
「……というのが、表向きの理由です」
「うん?」
やはり、やめることにした。嘘はついていないけれど、それは自分の言葉ではない。
「どういうことだ?」
「星型に五行にかかわる意味があるというのは、八坂様に教わっただけです」
五行相剋だとか、そういう意味があることも、記憶はしている。けれど、私はそういう意識のもとにあの弾幕を描いたわけではなかった。
魔理沙さんは、あの星々にあやかりたいと、恐らくはありのままの思いを語ってくれたのだ。ならば私もそれに応えなければなるまい。
「私は奇跡を呼ぶ秘術を扱いますから、その象徴的なものとして星をイメージしたんです。何かこう、素敵じゃないですか? 星が奇跡を呼ぶ、みたいな感じで」
「ははは、それはまた随分乙女じゃないか」
「乙女なのは貴方も一緒じゃないですか」
「そうかもなー」
そう言ってはぐらかすけれど、魔理沙さんだって星にあこがれるのなら十分に乙女だろう。
「しかし、ちょっと残念だなー」
「何がですか?」
「お前さんの弾幕のモチーフが、こっちの星じゃなかったことがな。仲間が出来たと思ったんだけどな」
仲間、という言葉に、心臓がとくんと小さく跳ねた。まるで、突然背中をタッチされたかのように。
幻想郷に来てから日が浅い私は、仲間と言えるほど親交を深められた相手がまだいない。だから私にとって今の魔理沙さんの言葉は、不意に現れた流れ星のような、驚きと魅力に溢れたものだった。
思えば私を星空鑑賞に誘ったのも、私が星に興味があるのかもと思ってのことなのだろう。
「でも、いいんじゃないですか? 奇跡の象徴でも夜空の星でも。同じ星形なんですから、どこかに通ずるものがあるんですよ」
この返事が、私にとっての最大限の努力の結果だった。
流星は、何もしなければまぶたの裏に軌跡だけを残してそのまま消えてしまう。だから、流れ星を掴み取るような思いで、私はその言葉を発したのだった。
「そう……だな。同じ星だもんな」
「はい。それに私たちは多分、乙女仲間です」
「ははは、それいいな。幻想郷には乙女なんて言えるやつが他に思いつかないもんなぁ」
「そうですね」
割と酷いことを言った気がするけれど、気にしないことにした。
それきり私たちは、黙って夜空を見上げていた。果たして魔理沙さんは、私のことを仲間と見てくれただろうか。
様子を窺おうと、ころんと頭を横に向けてみる。つぶさな表情までは読み取れないけれど、微かな星明かりにぼんやりと浮かび上がる頬の輪郭は、小さく微笑んでいるように見えた。
会話は交わされなくとも、決して気まずいとは思わない。
ゆったりとした時の流れとしっとりとした星明かりとが、私たちの間に静かに降り注いでいた。
思えば、こうして夜空に輝く幾千幾万の星々の光は、何十年も何百年も宇宙を旅して、今ようやくここに到達している。
それはある意味で、奇跡的なことに思える。
言わばこの星明かりは、ひとつひとつの星々がもたらしたほんの小さな奇跡なのかも知れなかった。
「……こう、気分がいいと、目指したくなるんだよな」
「えっ?」
ある時、魔理沙さんが夜空に向かってひとり言のような言葉をつぶやいた。
八卦炉の温かさもあっていつしかぼんやりとしていた私は、彼女が一瞬何を言ったのか分からなかった。
「よし、いっちょやるかっ」
そんな掛け声を口にし、彼女は跳ねるように起き上がる。
と、次の瞬間、凍り付くような寒さが突如として肌に突き刺さって来た。どうやら、八卦炉の効果がなくなったらしい。
「寒っ!」
「ああ、悪い。こいつがないと行けないんでな」
「行くって、どこにですか?」
「決まってるだろう。――あの星たちに会いに、だよ」
どこか芝居がかったようにそう言うと、魔力の影響か、魔理沙さんの身体がオーラを纏ったように発光し始めた。その右手には、彼女愛用の箒がしっかりと握られている。そこで初めて、彼女が何をしようとしているのかを理解した。
理解はしたけれど、本当にやるのか。
しかしそんな私の心配をよそに、彼女から発せられるオーラはますます強くなり、その身体の隅々にまで魔力が滾っているのが分かった。
彼女は、本気だ。
「じゃ、ちょっと行ってくるぜっ!」
そして私の返事を待つことなく、魔理沙さんは本当に、夜空の中へと飛び出してしまった。恐らくは、あのどれかの星を目指して。
彗星のようになって勢いよく飛んで行った彼女は、あっという間に星の海の中に飛び込んでしまい、すぐに見えなくなってしまった。
後には、彼女が撒き散らして行った星屑と、元通りの静寂と、そして私だけが残されたのだった。
星たちに会いに、って、貴方はどれだけロマンチストなんですか。
そうやって呆れたくもなるほど、彼女は真っ直ぐに、そしてきっと純粋に、星を目指していた。
その真っ直ぐさが、ちょっとだけ羨ましかった。
けれどあの星々はどれも、太陽や月よりももっとずっと遠くにある。
人間の、いや、人間以外も含めてどんな力をもってしても、そこに到達することは不可能なのだろう。
けれど、そんなつまらない知識に基づいて彼女の行ないを馬鹿にすることなど、決して出来はしない。
そう。届くか届かないかなど関係なく、彼女はそれを目指そうとしたのだから。
「……あ、帰って来たかな」
そんなことをつらつらと考えて、どれくらいの時間が経過しただろうか。ある時、星空の中に一際大きな光の点が現れた。どうやら、魔理沙さんのご帰還らしい。
彼女は何を思って星を目指し、何を思ってこうして届かずに帰って来るのだろうか。
人の心を勝手に推し量るのは失礼極まりないけれど、そんなことを考えずにはいられなかった。
でも、たとえ目指すものには達しなくとも、その手には何か大事なものが掴んであるのかも知れない。
それはきっと、小さくてもとても綺麗で、かけがえのないものなのだろう。
それこそ、あの星々のように。
「おう、ただいま」
まあ、私のそんな勝手な思いをよそに、地上に降り立った魔理沙さんはいつもの屈託のない声を聞かせてくれたわけだけれども。
「お帰りなさい。いかがでした?」
「最高だぜ」
それは純粋に、本心から言っているようだった。
ちょっと息が上がっているみたいだけど、かなりの距離を飛行していたのだろうから、そりゃあ消耗もするだろう。
「なあ、ちょっと頼みがあるんだが……」
「何でしょう?」
言いながら私のそばに歩み寄る魔理沙さん。その言葉尻がちょっと震えているように聞こえた。
……何だろう、何だか嫌な予感がする。何かこう、背筋が震えるような、そんな感じがして、
「寒いからあっためてくれ!」
「うひゃあっ!」
突然、魔理沙さんが私に抱きついて来たのだ。その身体はすぐに分かるほどに冷え切っていて、私の体温まであっという間に奪われそうだった。
どこまで行ったのかは知らないけれど、少なくとも上空はここよりもずっと寒いはず。そのうえ、あんなスピードで風を切って飛んでいたのだ。そりゃあ骨の髄まで冷え込むだろう。
だからって、
「私だって寒いんですよ」
「私だって寒いんだ」
「また八卦炉使ってあったまって下さいよ!」
「もう魔力がカラだから使えないんだ」
「そんなぁ」
「だから奇跡の力であっためてくれよ」
「奇跡はそんな便利なものじゃありません!」
そんな言い合いをしつつ、組み合いながらござの上でごろごろ転がる私たち。
何やってるんだろうなぁと思いつつ、ちょっとだけ身体があったまって来た頃、だった。
「あーら、楽しそうねぇあんたたち」
「!」
冬の夜よりも冷たい、底冷えのような声が聞こえた。この声は、
「よう霊夢! 元気かー?」
提灯を持った霊夢さんが、すぐそばに立っていた。
というか魔理沙さん、元気なのは貴方ですよ。その元気さのおかげで、私はただ今絶賛組み伏せられ中。
うつ伏せにされた私の上に、魔理沙さんが乗っかっているという構図。確かに、あったかくはあるけれど。
「何か外からいやらしい嬌声が聞こえるから来てみたら、あんたたちそういう仲だったのね」
「ちょっ、誤解です!」
「っていうか早苗、あんた外の片付けしてくれるって言ってたのに、ちっとも片付いてないじゃないのよ」
「あ、ええと、すみません……。実は、魔理沙さんから星空鑑賞のお誘いがありまして、それで……」
物凄く言い訳臭くて、我ながら見苦しい。
「おいおい、私はあくまで誘っただけだ。あとはお前さんの自由意志だぜ」
「まあいいわ。片付けはもともと、私ひとりでやるものだったわけだから」
「霊夢さん……」
そう言われてしまうと、何だか申し訳ない気持ちになってしまう。
たとえ本来は彼女の仕事なのだとしても、私はその一部を確かに請け負ったのだから。
今からでも片付けを始めるべきだろう。そのためには、とりあえず魔理沙さんにどいて貰わないと……。
「だけどまあ、相応のお仕置きはしましょうかねぇ、早苗さん」
「……えっ?」
提灯の灯りで下から照らし出される彼女の顔は、口端を吊り上げた半笑いの表情で、どこかホラー映画を髣髴とさせるほど、怖かった。
冷たい手を突然背中に突っ込まれたみたいに、ぞくりと震える。
て言うか霊夢さん、その、手をわきわきさせているのは何なのでしょうか。
そして、おもむろに提灯を足元に置くと、
「私も混ぜなさいっ」
「ひゃっ!」
「洗い物ずっとやってて、手が凄く冷たいのよ!」
「それこそ霊夢さんの本来の仕事じゃないですか! って服の中に手を入れないで下さい!」
「おー、霊夢も参加か。これで3倍あったまるな」
魔理沙さんも交えて、3人でくんずほぐれつ大暴れ。
と言うか暴れてるのは2人だけであって、私はあくまでその魔の手から逃れようと必死なだけなのだけど。
「だいたい、こんなに厚着してるんだからあんたの仕事は私をあっためること!」
「そんな無茶な!」
「そうそう。ついでに私もあっためてくれたら言うことなしだぜ」
「言うことあり過ぎです!」
……そうして、(主に私が)もみくちゃになること数分。その頃には3人とも十分に温まっていた。
身ぐるみ剥がされそうになったり、あちこちから服の中に冷たい手を突っ込まれたりと、とんだセクハラだった。この数分の間に起こったことは、主に私が可愛そうになってしまうのでなかったことにする。
3人揃って、夜闇の中に白い息を吐き出す。
吐息が霧散した向こうには、先程と変わらぬ満天の星空があった。
その瞬きがどこか私たちを笑っているようで、何だか複雑な気分だった。
「……私たち、何をやってるんでしょうね」
「星空鑑賞でいいんじゃないか?」
「まあ、何でもいいんだけどね」
ひとまず落ち着いた私たちは、3人で川の字になってござの上に寝っ転がっていた。
ござは大きくないので、3人で寝るには互いに密着しなければならず、いささか窮屈だった。
でもくっついている方が温かいので、これはこれでいいのかも知れない。
気付けば、私が真ん中で寝ているのだった。
「……何かもう、庭の後片付けなんて明日でいい気がしてきたわ」
「そうですねぇ。じゃあ明日になったら、今度こそは私も手伝いますよ」
「お願いするわ。……あー、早苗あったかい」
そう言って、より密着して来る霊夢さん。何だか眠たそうな声をしている。
まあ無理もないか。宴会ではたらふく酒を呑み、さして休まずに片付けをしていた上、今の今まで私をもみくちゃにして暴れていたのだ。疲れていないはずがなかった。
反対側は何をしているのかと振り返ってみると、
「…………」
こっちも、既に半分寝ていた。
そばに置かれた提灯の灯りに浮かび上がるその表情は、年齢相応にあどけなかった。暖を取ろうとして私の腕にしがみついているのがいじらしい。遊び疲れて眠る子供、なんて言ったら怒られそうだけど。
魔理沙さんも、宴会ではちゃらんぽらんに酒を呑んでいたし、さっきは星を目指して飛んでいた。締めくくりは今さっきの大暴れ。こっちはこっちで疲れているのだろう。
考えてみれば、宴会ではお酒を控えめにし、そしてのんびりと星空鑑賞などをしていた私が、今この場で最も元気なのだった。
「ほらほら、こんなところで寝ちゃったら、風邪引きますよ」
せめて部屋に上がってから寝てもらおうと2人を促すも、返って来るのは“あと5分”だとか“風邪引いたら奇跡の力で治して”だとか酷い返事ばかり。
とりあえず起き上がろうとしても、両側からしがみつかれて動けない。
「……じゃあ、あと1分だけですよ」
んー、といった生返事が聞こえた気がするので、了承したとみなした。
と言うより、このままだと本当に風邪を引いてしまうので、適当なところで線を引かざるを得ない。
こうしてくっつかれていると存外に温かく、どこか幸せな気分にさえさせてくれる。だから本当なら、もう少しこうしていたい。でも、片側しか人がいない2人は、どうしても身体が冷えてしまうだろう。
ぽっかりと空いてしまったわずかな時間。話し掛けることも動くことも出来ず、私はただただ星空を見上げることしか出来なかった。
きらめく星々はいつまでも変わることなく綺麗で。
辺りは凪いだ湖面のような静寂さで、耳をすませば、星の瞬く音さえも凛と響きそうだった。
真正面の空にはオリオン座が夜空を飾り。
その真ん中では、ひときわ明るい三つ星がキラキラと仲良く瞬いていた。
電灯がそこかしこにある、現代じゃあ月明かりが精々なんですよね。
ともかく、綺麗なお話ありがとうございます。
そして最後の早苗さん弄りにうふふ
路肩に車を停めて、アスファルトに寝っ転がって星を眺めてました。
……後で、どんだけ乙女だよ! ってセルフ突っ込みいれましたが orz
ともあれ星はロマンです。
幻想郷の夜空には敵わないにせよ、偶には空を見上げることも必要なんです。
素敵な話をありがとうございましたw
早苗は確か風を起こせたはずだからそれで庭の掃除はすぐ終わりそうな気がするんだが
これはいい作品という意味で30点
と思ったけど普通に良いお話でした。
早苗さんが弄られまくってて鼻から血がでそうになったw
あと魔理沙も良いwww
そんな妄想が頭に浮かんだ。
さておき、星へのロマンは付きまじですな。
早苗の弾幕の星はロマンよりもオカルトデッキに通じる方向ですがそれもまた深遠ぽくていいかんじでした。
ところで幻想郷の乙女人口はどれくらいなんだろう
星明かりや月明かりは普段街に住んでいるとなかなか分かりませんが、実はとても明るかったりします。
それはそうとして早苗さんが可愛いのには諸手を上げて賛成。
真っ先にこの詩のフレーズが浮かんだ。
時間があったら夜空を見上げるのもこれも一句。
霊夢もその逆が…(笑)
魔理沙、早苗、霊夢のトリオは良い感じですね。
この女学生みたいなノリがなんとも。
ああ、この話いいなぁと思う次第であります。
自転車で旅していた時のことを思い出しました。
いい機会ないかな~
川の字に寝ころんでいる状況が目に浮かんでなんとも微笑ましい