まだ春の遠い冬の幻想郷。
所々に雪が残っており、里の畑にはびっしりと霜が降りている。
この寒空のした外を出歩くものも少なく、元気なのは冬の妖怪や氷の妖精位なものだ。
もちろん此処、迷い家においても例外ではなくあたり一面冬の様相を呈している。
迷い家の主である八雲 紫は冬眠の真っ最中であり、
その式である八雲 藍は主の代わりに結界の修復、見回りに精を出す。
更にその式の式である橙はというと……主の主である紫の寝ている布団の前に正座して座っていた。
「う~ん…どうしよう…。紫様を起こしちゃいけないって藍さまにきつく言われてるけど……でも、藍さまもお仕事忙しそうだし…」
どうやら、橙には悩み事でもあるようだ。
しかし、相談しようにも主は忙しく働きまわっている。
ならばその主に、といっても目の前の有様である。
しかも起こしてはならぬようクギをさされている。
足りないのーみそでうんうんと唸っているこの子猫には主が帰ってきて落ち着くまで待つという考えは浮かんでいないようだった。
それほどまでに切羽詰っていたのかというとそうでも無いのだが。
疲れて帰ってくる主に相談事をするというのも気が引けているようだ。
「起こしたら紫様にも怒られちゃうかな…罰として尻尾一本とか食べられちゃうのかな…」
軽くそら恐ろしい事を言う橙。
弁護するわけではないが紫が橙を怒ったことは無い。
ただ、主の主という存在に対して畏敬の念をもつ橙は、その位の罰が下るかも知れないと思い込んでるのだ。
あるいは普段の紫の藍に対する罰の仕打ちから想像しているのかもしれない。
「どうしよう……でも、う~ん……」
相変わらずうんうん唸っている橙を前にしてうっすらと目を開く紫。
冬眠の最中に目を覚ます事など滅多に無いのだが愛する式の祈りでも通じたのだろうか。
少し不機嫌なのを隠して優しく橙に話しかける。
寝起きなのでその声は少しかすれていた。
「私の前でうんうん唸っているのは、だあれ?」
突然話しかけられ、橙はうにゃっと小さな悲鳴を上げ二本の尻尾はピンと伸び上がる。
「ごっごめんなさいっ!起こしてしまいました!食べないで下さいぃ!!」
混乱して訳のわからない事を口走る橙。
確かに食べちゃいたいくらい可愛いかも…と寝ぼけた眼で土下座する式を眺める紫。
そしてお仕置きとばかりに目の前にふりふりしている二本の尻尾をむきゅっと掴んでみる。
「私が寝ているときは起こさないように藍に教わらなかったかしら…?」
出来るだけ優しく諭すように話しかける紫。
対する橙はまだ混乱しているようで涙声で、せめて半分残して下さいなどと喚いている。
「しょうがないわねぇ。じゃあ半分ぐらいは…って何の話をしているのかしら?」
「ふみゃっ?」
橙から事情を聞き複雑な顔をする紫。
普段そんな風に見られていたことに若干ショックを受けているようだ。
それと同時に気になることもあった。
わざわざそんな怖い思いをしてまで、自分を起こそうとした理由は何なのだろうかと。
「私は可愛い式の式の尻尾なんて食べないから安心なさい。それよりも、何故この私を起こそうと思ったのかしら?
怒らないからちゃんと説明して御覧なさい。」
努めて優しく話しかける紫。
これ以上橙を怖がらしていても話は進まない。
橙は言おうか言うまいか迷っていたようだったが、意を決したようにその小さな口を開く。
「…力が、力が欲しいんです!」
紫は眉をひそめる。
聞き間違いでなければ、この娘は力を求めているというのだ。
妖怪が力を求めるのはごく自然のことなのかもしれないが、目の前の娘はまだ野を駆け回り蝶と戯れているような子供だ。
「何故力を求めるのかしら?安易に力を求める事は危険な事なの。理由を話してもらえる?」
その理由とは、子供らしいといえば非常に子供らしい理由だった。
時々ちょっかいを出してくる氷の妖精に久しぶりに手を出したらコテンパンにのされたというものだ。
紫には思い当たる⑨が一匹いた。
いつも泣かしているヤツに泣かされたらそれは悔しいものなのだろう。
橙はどうにか見返したいのだ。
安心と同時に納得する紫。
「いいかしら。この寒い時期、氷の妖精や冬の妖怪の力というモノは最大限に発揮されるものなのよ。妖精と言えど並みの妖怪なんかより
よっぽど強い力を持つの。橙が負けるのも決して恥じる事ではないのよ?それに藍の式として戦えばきっと勝てるわ。」
橙はちっこい頭で理解はしているようだったが、如何しても自分の力で勝ちたいようだった。
まったく…藍に似て頑固ねぇと思う紫だが藍が自分に似て頑固だとは夢にも思っていない。
さてどうしよう、と頭を悩ます紫。
式としてでなく、ただ力を与える事は容易い。
しかし、それは藍を介してのこと。
三つの水槽と二つの蛇口を思い浮かべてもらうといい。
一番上の蛇口を開いても真ん中の蛇口を開かないと一番下まで行き渡らないのだ。
手で持って強引に上から中を通さず下に行き渡らす事も可能だが、実際の大きさは力の差として湖と池と金魚鉢みたいなものだ。
湖をひっくり返して金魚鉢に水を入れようとしたらば、あっと言う間に水圧と水流で鉢は砕けるだろう。
力に関しても同じことが言えるのだ。
そこで紫は嘘をつく。
「どうにかしてあげたいけど、一朝一夕で力を持つ方法なんて無いの。そんな方法があるなら皆それをするでしょう?」
橙はう~っと唸って納得のいっていない様子だ。
きっとこの万能な主ならばどうにかしてくれると思っていたのだろう。
紫は人差し指を立てて、ただし…と付け加える。
「一朝一夕で強くなる事は出来るわ。そして、橙。あなたはもうそれを行っているのよ。」
橙の頭には?マークが沢山浮かんでいる。
紫は薄く微笑みながら話を続ける。
「力を持つという事が強くなるというでは無いのよ。いいかしら………」
同時刻、場所は変わって幻想郷上空。
結界の見回りをし終わって迷い家に帰る途中の藍の姿があった。
薄暗くなってきた空からはちらちらと雪が降りてきているようだった。
「う~さぶさぶ…この寒さで結界の綻びの修理に手間取ってしまった。橙もお腹を空かせて待っているだろう。
早く帰って晩飯の準備をしないとな。」
帰宅の足を速める藍だったが、迷い家上空に差し掛かりある懐かしい気配を察知する。
「…この気配は…紫様!?起きていらっしゃったのか。でも何故…ん?すぐ傍に橙の気…まさかっ!」
藍は退屈だった橙が命を破り紫を起こして遊んでもらっている姿を思い描く。
紫様は厳しくも優しい方だ。きっとしょうがなく橙の相手をしているに違いない。
そう思った藍は物凄い速度で主の下へと駆けていく。
「橙っっ!!」
突然名前を呼ばれビクーンと飛び上がる橙。
どうやら見た感じ、主と話し込んでいたようだが命を破った事は咎めないといけない、と藍は咄嗟に思う。
藍は怖い顔をして橙の前に立ちふさがる。
「あれほど紫様を起こしてはいけないと言っただろう!命を破った罰だ。今日の夜ご飯は抜き…」
「待ちなさい。」
藍が全てを言い切る前に紫がそれを制する。
橙はすでに泣きそうな顔をしている。
「何故私を起こそうとしたかは問わないのかしら?」
「紫様、理由がどうであれ橙は命を破ったのです。罪は裁かれなければなりません。」
藍は至極もっともな理由を主につげる。
紫はそれを聞いてふむ…と頷く。
そして真面目な顔で話し始める。
「あなたもこの子の主ならもっと思考を巡らせなさい。無為に命を破るような事をする子ではないことは知っているでしょう?」
藍は押し黙る。
しかし、まだ一言二言言いたそうな顔だ。
「橙…」
「はっはい!!」
今度は紫に名前を呼ばれビクーンと飛び上がる橙。
「貴女は何故私を起こしたのかしら?さっきの理由でなくて、この私を起こした理由を答えなさい。」
先ほどの会話のときより紫のトーンが下がり嫌が応にも背筋が恐怖で染め上げられる橙。
自分が理由で主とその主が対立しているこの部屋の空気は橙にとって非常に居辛いものだ。
橙は言葉を選ぶように恐る恐る紫を起こした理由を話し出す。
「…えっと…あのう…ら、藍さまがいつもお仕事忙しそうで…疲れて帰ってきて…め、迷惑掛けたくなくて…」
「そう、だからこの子は貴女の力になりたくて私に力を求めてきたわ。」
「っ!紫様!?」
「………」
橙は驚きの声を上げ、藍も無言ながら驚きの表情を表していた。
橙は一言もそんな事は言ってなかった。
だが紫には全てお見通しだったようだ。
「この子は主の身を案じて命を破ったのよ?それを裁く権利は貴女にはないわ。誰がご飯を抜くべきかもう一度良く考える事ね。」
紫は冷たく突き放すように藍を叱咤する。
藍も反論できないのか、する気が無いのか黙ってうなだれている。
「大体貴女自分の式の把握も充分に出来ないような未熟さで私の式が務まると思っているの?前から言っているように……云々…」
藍は主の長丁場のお説教を覚悟したとき、紫の前に橙が立ちはだかる。
目には一杯の涙を浮かべ肩はカタカタ震えている。
目に見えて怯えているのがわかる。
「橙、貴女はもう下がりなさい。」
紫の声に先程の優しさは込められていない。
その声にびくっと反応しながらも退かない橙。
首をぶんぶん振って拒否の意を表す。
「橙…」
藍が橙を下がらせようとしたときにその言葉をさえぎるように言葉を発する。
「藍さまをっ…藍さまを責めないで下さい!悪いのは全部わたし…わたしなんです!!」
紫は藍から橙に視線を移し冷たい声で威圧するように話しかける。
「そう…ならば橙。貴女が藍の代わりに私の罰を受けるのかしら?」
その一声で縮こまるように怯える橙。
しかし、その首は縦に振られている。
「ゆ、ゆか」
「黙りなさい。藍、貴女の発言を許していません。」
「っ!くっ…」
藍に有無を言わさないで黙らせる紫。
主の命は絶対である藍は苦虫を噛み潰したような顔で俯く。
「貴女のその可愛い尻尾を罰として私が一本食べてしまうかも知れない…それでも貴女は罰を受けるというのかしら?橙…」
そこで一瞬橙は怯む。
しかしそこで躊躇する事はなく大きくて可愛らしい双眸をきゅっと閉じて強く頷く。
紫は無表情でその手を橙に向かって伸ばす。
橙は小さくなって紫の前に正座して動かないでいる。
遂にその手は橙の尻尾に…
辿り着くことは無く頭を軽くポンとたたく。
そして穏やかな声で紫が橙に向かって話しかける。
「…これが強さというものよ、橙。」
「…ふぇっ?」
これから恐ろしい罰が待っていると覚悟を決めていた橙は素っ頓狂な声を上げる。
藍も何が起こっているのか理解が出来ていない様子だ。
「貴女は恐怖に負けずに前に立ち、主を守りきった。それこそが強さ。力よりもとても大切なものよ。」
「……あ……」
橙は藍が来る直前までしていた話を思い出していた。
相変わらず頭に?マークを浮かべ続けている藍に軽く説明をする紫。
「…まあ橙の顔に免じて今回は許してあげるわ。さてさて、私はもう眠いから寝るわ。今度こそ起こされることの無いようにしたいわね。」
「…ぅ…お休みなさいませ。紫様。」
恭しく主に対して一礼をする藍。
「あっありがとうございましたっ!!」
橙が自分の世界から抜け出し慌てて藍の後についてお礼をする頃にはぐーすかぴーと鼻ちょうちんを出している主の姿があった。
そして主は寝てしまい二人は向かい合ってコタツに入っている。
微妙な沈黙が間を覆っている。
話を切り出したのは橙だった。
「あの…藍さま…命を破ってしまい申し訳ありませんでした…」
「…いや、謝るのは私の方だ。もっとお前の気持ちを考えてやるべきだったな。すまない。」
藍がそういいながら遠い目をしていた。
橙がそれを不思議そうに見ていると、藍は少し恥ずかしそうに自分の過去の話を話し始める。
「私もな…橙くらい小さいとき、早く紫様の力になりたくていろいろと無茶をやったもんだよ…でも私はそんな無茶を橙にして欲しくは無い。
恐らく紫様もあの時こういう気持ちだったのだろうな。……そうだ、明日は一緒に結界を見て回ろうかか。その後に少し修行をつけてやろう」
藍がそういうと橙の顔は見る見る明るくなって、
「はいっ!!」
と大きく返事をする。
その団欒をスキマから見守る紫。
とても満足そうに頷いてから今度こそ冬眠に入るのだった。
所々に雪が残っており、里の畑にはびっしりと霜が降りている。
この寒空のした外を出歩くものも少なく、元気なのは冬の妖怪や氷の妖精位なものだ。
もちろん此処、迷い家においても例外ではなくあたり一面冬の様相を呈している。
迷い家の主である八雲 紫は冬眠の真っ最中であり、
その式である八雲 藍は主の代わりに結界の修復、見回りに精を出す。
更にその式の式である橙はというと……主の主である紫の寝ている布団の前に正座して座っていた。
「う~ん…どうしよう…。紫様を起こしちゃいけないって藍さまにきつく言われてるけど……でも、藍さまもお仕事忙しそうだし…」
どうやら、橙には悩み事でもあるようだ。
しかし、相談しようにも主は忙しく働きまわっている。
ならばその主に、といっても目の前の有様である。
しかも起こしてはならぬようクギをさされている。
足りないのーみそでうんうんと唸っているこの子猫には主が帰ってきて落ち着くまで待つという考えは浮かんでいないようだった。
それほどまでに切羽詰っていたのかというとそうでも無いのだが。
疲れて帰ってくる主に相談事をするというのも気が引けているようだ。
「起こしたら紫様にも怒られちゃうかな…罰として尻尾一本とか食べられちゃうのかな…」
軽くそら恐ろしい事を言う橙。
弁護するわけではないが紫が橙を怒ったことは無い。
ただ、主の主という存在に対して畏敬の念をもつ橙は、その位の罰が下るかも知れないと思い込んでるのだ。
あるいは普段の紫の藍に対する罰の仕打ちから想像しているのかもしれない。
「どうしよう……でも、う~ん……」
相変わらずうんうん唸っている橙を前にしてうっすらと目を開く紫。
冬眠の最中に目を覚ます事など滅多に無いのだが愛する式の祈りでも通じたのだろうか。
少し不機嫌なのを隠して優しく橙に話しかける。
寝起きなのでその声は少しかすれていた。
「私の前でうんうん唸っているのは、だあれ?」
突然話しかけられ、橙はうにゃっと小さな悲鳴を上げ二本の尻尾はピンと伸び上がる。
「ごっごめんなさいっ!起こしてしまいました!食べないで下さいぃ!!」
混乱して訳のわからない事を口走る橙。
確かに食べちゃいたいくらい可愛いかも…と寝ぼけた眼で土下座する式を眺める紫。
そしてお仕置きとばかりに目の前にふりふりしている二本の尻尾をむきゅっと掴んでみる。
「私が寝ているときは起こさないように藍に教わらなかったかしら…?」
出来るだけ優しく諭すように話しかける紫。
対する橙はまだ混乱しているようで涙声で、せめて半分残して下さいなどと喚いている。
「しょうがないわねぇ。じゃあ半分ぐらいは…って何の話をしているのかしら?」
「ふみゃっ?」
橙から事情を聞き複雑な顔をする紫。
普段そんな風に見られていたことに若干ショックを受けているようだ。
それと同時に気になることもあった。
わざわざそんな怖い思いをしてまで、自分を起こそうとした理由は何なのだろうかと。
「私は可愛い式の式の尻尾なんて食べないから安心なさい。それよりも、何故この私を起こそうと思ったのかしら?
怒らないからちゃんと説明して御覧なさい。」
努めて優しく話しかける紫。
これ以上橙を怖がらしていても話は進まない。
橙は言おうか言うまいか迷っていたようだったが、意を決したようにその小さな口を開く。
「…力が、力が欲しいんです!」
紫は眉をひそめる。
聞き間違いでなければ、この娘は力を求めているというのだ。
妖怪が力を求めるのはごく自然のことなのかもしれないが、目の前の娘はまだ野を駆け回り蝶と戯れているような子供だ。
「何故力を求めるのかしら?安易に力を求める事は危険な事なの。理由を話してもらえる?」
その理由とは、子供らしいといえば非常に子供らしい理由だった。
時々ちょっかいを出してくる氷の妖精に久しぶりに手を出したらコテンパンにのされたというものだ。
紫には思い当たる⑨が一匹いた。
いつも泣かしているヤツに泣かされたらそれは悔しいものなのだろう。
橙はどうにか見返したいのだ。
安心と同時に納得する紫。
「いいかしら。この寒い時期、氷の妖精や冬の妖怪の力というモノは最大限に発揮されるものなのよ。妖精と言えど並みの妖怪なんかより
よっぽど強い力を持つの。橙が負けるのも決して恥じる事ではないのよ?それに藍の式として戦えばきっと勝てるわ。」
橙はちっこい頭で理解はしているようだったが、如何しても自分の力で勝ちたいようだった。
まったく…藍に似て頑固ねぇと思う紫だが藍が自分に似て頑固だとは夢にも思っていない。
さてどうしよう、と頭を悩ます紫。
式としてでなく、ただ力を与える事は容易い。
しかし、それは藍を介してのこと。
三つの水槽と二つの蛇口を思い浮かべてもらうといい。
一番上の蛇口を開いても真ん中の蛇口を開かないと一番下まで行き渡らないのだ。
手で持って強引に上から中を通さず下に行き渡らす事も可能だが、実際の大きさは力の差として湖と池と金魚鉢みたいなものだ。
湖をひっくり返して金魚鉢に水を入れようとしたらば、あっと言う間に水圧と水流で鉢は砕けるだろう。
力に関しても同じことが言えるのだ。
そこで紫は嘘をつく。
「どうにかしてあげたいけど、一朝一夕で力を持つ方法なんて無いの。そんな方法があるなら皆それをするでしょう?」
橙はう~っと唸って納得のいっていない様子だ。
きっとこの万能な主ならばどうにかしてくれると思っていたのだろう。
紫は人差し指を立てて、ただし…と付け加える。
「一朝一夕で強くなる事は出来るわ。そして、橙。あなたはもうそれを行っているのよ。」
橙の頭には?マークが沢山浮かんでいる。
紫は薄く微笑みながら話を続ける。
「力を持つという事が強くなるというでは無いのよ。いいかしら………」
同時刻、場所は変わって幻想郷上空。
結界の見回りをし終わって迷い家に帰る途中の藍の姿があった。
薄暗くなってきた空からはちらちらと雪が降りてきているようだった。
「う~さぶさぶ…この寒さで結界の綻びの修理に手間取ってしまった。橙もお腹を空かせて待っているだろう。
早く帰って晩飯の準備をしないとな。」
帰宅の足を速める藍だったが、迷い家上空に差し掛かりある懐かしい気配を察知する。
「…この気配は…紫様!?起きていらっしゃったのか。でも何故…ん?すぐ傍に橙の気…まさかっ!」
藍は退屈だった橙が命を破り紫を起こして遊んでもらっている姿を思い描く。
紫様は厳しくも優しい方だ。きっとしょうがなく橙の相手をしているに違いない。
そう思った藍は物凄い速度で主の下へと駆けていく。
「橙っっ!!」
突然名前を呼ばれビクーンと飛び上がる橙。
どうやら見た感じ、主と話し込んでいたようだが命を破った事は咎めないといけない、と藍は咄嗟に思う。
藍は怖い顔をして橙の前に立ちふさがる。
「あれほど紫様を起こしてはいけないと言っただろう!命を破った罰だ。今日の夜ご飯は抜き…」
「待ちなさい。」
藍が全てを言い切る前に紫がそれを制する。
橙はすでに泣きそうな顔をしている。
「何故私を起こそうとしたかは問わないのかしら?」
「紫様、理由がどうであれ橙は命を破ったのです。罪は裁かれなければなりません。」
藍は至極もっともな理由を主につげる。
紫はそれを聞いてふむ…と頷く。
そして真面目な顔で話し始める。
「あなたもこの子の主ならもっと思考を巡らせなさい。無為に命を破るような事をする子ではないことは知っているでしょう?」
藍は押し黙る。
しかし、まだ一言二言言いたそうな顔だ。
「橙…」
「はっはい!!」
今度は紫に名前を呼ばれビクーンと飛び上がる橙。
「貴女は何故私を起こしたのかしら?さっきの理由でなくて、この私を起こした理由を答えなさい。」
先ほどの会話のときより紫のトーンが下がり嫌が応にも背筋が恐怖で染め上げられる橙。
自分が理由で主とその主が対立しているこの部屋の空気は橙にとって非常に居辛いものだ。
橙は言葉を選ぶように恐る恐る紫を起こした理由を話し出す。
「…えっと…あのう…ら、藍さまがいつもお仕事忙しそうで…疲れて帰ってきて…め、迷惑掛けたくなくて…」
「そう、だからこの子は貴女の力になりたくて私に力を求めてきたわ。」
「っ!紫様!?」
「………」
橙は驚きの声を上げ、藍も無言ながら驚きの表情を表していた。
橙は一言もそんな事は言ってなかった。
だが紫には全てお見通しだったようだ。
「この子は主の身を案じて命を破ったのよ?それを裁く権利は貴女にはないわ。誰がご飯を抜くべきかもう一度良く考える事ね。」
紫は冷たく突き放すように藍を叱咤する。
藍も反論できないのか、する気が無いのか黙ってうなだれている。
「大体貴女自分の式の把握も充分に出来ないような未熟さで私の式が務まると思っているの?前から言っているように……云々…」
藍は主の長丁場のお説教を覚悟したとき、紫の前に橙が立ちはだかる。
目には一杯の涙を浮かべ肩はカタカタ震えている。
目に見えて怯えているのがわかる。
「橙、貴女はもう下がりなさい。」
紫の声に先程の優しさは込められていない。
その声にびくっと反応しながらも退かない橙。
首をぶんぶん振って拒否の意を表す。
「橙…」
藍が橙を下がらせようとしたときにその言葉をさえぎるように言葉を発する。
「藍さまをっ…藍さまを責めないで下さい!悪いのは全部わたし…わたしなんです!!」
紫は藍から橙に視線を移し冷たい声で威圧するように話しかける。
「そう…ならば橙。貴女が藍の代わりに私の罰を受けるのかしら?」
その一声で縮こまるように怯える橙。
しかし、その首は縦に振られている。
「ゆ、ゆか」
「黙りなさい。藍、貴女の発言を許していません。」
「っ!くっ…」
藍に有無を言わさないで黙らせる紫。
主の命は絶対である藍は苦虫を噛み潰したような顔で俯く。
「貴女のその可愛い尻尾を罰として私が一本食べてしまうかも知れない…それでも貴女は罰を受けるというのかしら?橙…」
そこで一瞬橙は怯む。
しかしそこで躊躇する事はなく大きくて可愛らしい双眸をきゅっと閉じて強く頷く。
紫は無表情でその手を橙に向かって伸ばす。
橙は小さくなって紫の前に正座して動かないでいる。
遂にその手は橙の尻尾に…
辿り着くことは無く頭を軽くポンとたたく。
そして穏やかな声で紫が橙に向かって話しかける。
「…これが強さというものよ、橙。」
「…ふぇっ?」
これから恐ろしい罰が待っていると覚悟を決めていた橙は素っ頓狂な声を上げる。
藍も何が起こっているのか理解が出来ていない様子だ。
「貴女は恐怖に負けずに前に立ち、主を守りきった。それこそが強さ。力よりもとても大切なものよ。」
「……あ……」
橙は藍が来る直前までしていた話を思い出していた。
相変わらず頭に?マークを浮かべ続けている藍に軽く説明をする紫。
「…まあ橙の顔に免じて今回は許してあげるわ。さてさて、私はもう眠いから寝るわ。今度こそ起こされることの無いようにしたいわね。」
「…ぅ…お休みなさいませ。紫様。」
恭しく主に対して一礼をする藍。
「あっありがとうございましたっ!!」
橙が自分の世界から抜け出し慌てて藍の後についてお礼をする頃にはぐーすかぴーと鼻ちょうちんを出している主の姿があった。
そして主は寝てしまい二人は向かい合ってコタツに入っている。
微妙な沈黙が間を覆っている。
話を切り出したのは橙だった。
「あの…藍さま…命を破ってしまい申し訳ありませんでした…」
「…いや、謝るのは私の方だ。もっとお前の気持ちを考えてやるべきだったな。すまない。」
藍がそういいながら遠い目をしていた。
橙がそれを不思議そうに見ていると、藍は少し恥ずかしそうに自分の過去の話を話し始める。
「私もな…橙くらい小さいとき、早く紫様の力になりたくていろいろと無茶をやったもんだよ…でも私はそんな無茶を橙にして欲しくは無い。
恐らく紫様もあの時こういう気持ちだったのだろうな。……そうだ、明日は一緒に結界を見て回ろうかか。その後に少し修行をつけてやろう」
藍がそういうと橙の顔は見る見る明るくなって、
「はいっ!!」
と大きく返事をする。
その団欒をスキマから見守る紫。
とても満足そうに頷いてから今度こそ冬眠に入るのだった。
それにしても紫様お優しい
橙の「尻尾食べられちゃう」という考えがとても可愛らしいです。
ありがとうございました
あと、橙かわいいよ橙
まさに「八雲一家」なSSでした。