*妹紅の過去話になります。二次設定的には慧音に出会う前、妹紅が孤独に浸ってる頃です。
*完全に自分の想像なので、時代の描写とか色々間違ってるかもしれません。
*あと、リグルも出てます(百合ではない、ハズ)。
***********************************
空から、雪。
千々に細かな粉雪たちが、森の中、空を見上げる妹紅の上へと舞い降りる。
「…………降ってきたな」
薄手のシャツ越しに感じる冷気に背を震わせて、藤原妹紅は鬱陶しそうに呟いた。
森の中、立ち並ぶ常緑樹の間から覗く空は、粉雪と同じくらい白い曇に覆われている。本来ならまだ昼間だから曇っていても明るい。いやむしろ眩しくて白く感じる空を、妹紅は忌々しそうに睨んだ。
ここ一週間ばかり寒かった。その中でも今日は朝から曇り空で特に寒かった。陽が天頂に昇る頃になってもまだ早朝のように寒くて、さっきからずっと寒さに震えていた。両手はポケットに突っ込んで暖めてもまだ冷たい。だからもしかしたらとは思っていたが、やはり降ってきた。舌打ちを一つ、薄く開いた唇の間からは白い息が洩れた。
粉雪が静々と舞い降りてくる。
雪はどこから落ちてくるのだったか。昔、誰かに習った気もするが思い出せない。人に在らざるこの身ならば飛んでいって、空高く、雲の上までも飛び越えて雪の生まれる場所を確かめて来ることもできるのかもしないが、やる気はない。寒い。寒いのは苦手だ。雪も嫌いだ。
不死であっても、いや不死だからこそ傷と違い自動で治癒しない気温変化が煩わしい。そういう意味では夏の暑さも苦手だが、あちらは我慢のし様が幾らでもある。日陰に入り、ボタンを幾つか開けてあおげばいい。だが寒さは厚着をするか暖をとらねばならない。妹紅にとって着物とは普段着ている一枚だけだし、さりとて火を熾すのは面倒くさい。そういえば、そんな感じに不精をしてだんだん感覚がなくなってきて、めんどくさくなったからそのまま雪の森の中で野宿したら凍死したらしく夜中に急にリザレクションして、驚いて飛び起きた事もあったっけ。確か去年の事だったか。それとも一昨年か。
いずれにせよ、同じ阿呆面を晒すのもバカらしい。今日は早めに寝床を確保した方がいいだろう。
ホウ、と息を吐いた。白い。真っ白だ。
肺の奥から吐き出した暖かい塊はユラリと揺れてすぐに冷気の中に溶け消えてしまう。
しんしんと、降る雪の音が耳障りだ。
「寒い……」
自分で自分の肩を抱いても冷たい手の平からは一向に熱が伝わらない。
北風にブルリと一度身を震わせて、妹紅は空へと飛び立った。
空の上は地上よりも寒かった。寝る場所は洞窟でもいいができれば人家がいい、空の上からなら見つけやすかろうと思い飛び立ったものの、どうやら失敗だったようだ。森は深くて見通しが利かず、ここは寒い。風も冷たい。
雪は粒が細かく勢いもまだないから視界を遮るほどではないにしろ、これから日が沈むにかけてどんどんひどくなるだろう。なるべく早く見つけてとっとと暖をとりたいものだ。妹紅は少し高度を下げて木々の間に目を凝らした。
「おや?」
森の中を細い川が流れている。そのほとりに一軒の小さなあばら屋が建っていた。人の気もない。好都合、と妹紅は地上に降り立った。
近くで見るとやはりあばら屋だったが、棟は傾いていないし意外としっかりしていそうだ。ガタガタと立て付けの悪い戸を開いて家の中に入る。右手前に小さな竈、座敷に上がれば囲炉裏があるだけの小さな家だった。火の気はなく家財道具なども見当たらない。見たところ造りはしっかりしているが何らかの事情で住人に捨てられたか、なんにしろ考えられる限り最も望ましい物件だ。雪を凌げれば十分だと思っていたがこの家でひと冬越すのも悪くないだろう。
ぴゅうと、戸口から吹き込んだ風がつむじを巻いた。
ガタガタと戸を閉める。雪の音が閉ざされて、ほっと一息ついた。
妹紅は遠慮なく座敷に上がり囲炉裏の傍にどっかと腰を下ろした。そこではたと薪がないのに気づいた。
しまった、外から取って来なくては……。しかし今さら雪の降る中に出て行くのもしんどいな。屋根の下だし凍死する事もないかな? でも誤って生き返る時の炎で折角の優良物件を燃やしてしまうのもつまらないし、藁にでも包まれば大丈夫なんだろうがここには何もないからなぁと妹紅が真剣に悩み始めたその時、視界の端でもぞりと何かが動いた。
「! ……誰だっ」
「あ……」
声がした方に振り向くと、さっきまで視界に入らなかった家の隅の方に黒いボロきれのようなモノがうずくまっていた。それがもう一度もぞりと動いて、濃い緑色の頭と2本の触覚がぴょこりと飛び出した。
「お前は……、確か蟲の……えっと、リグル・ナイトバグ?」
「あ……はい」
直接に面識はないが、2本の触覚と男の子のようなかんばせという特徴は聞いたことがあった。相手が自分の事を知っているかどうか分からないが、まずは名乗る。
「わたしは藤原妹紅という。……ここはお前の家か?」
そうだとしたら急に押し入って悪い事をしたなと思い妹紅は尋ねる。しかしリグルは弱々しく首を振っただけだった。
「いいえ……、ここは偶然……見つけて……、さっき雪が降ってきたから大急ぎで……」
そう言ったきり、力尽きたようにバタンと倒れ伏せてしまう。
見れば顔色が悪い。ブラウスの袖から覗く手首は随分細く、寝具代わりに被ったボロ布を握る指は細かく震えていた。カチカチと、歯の根の音が聞こえる。
妹紅はちょっと心配になって声をかけた。
「おい、大丈夫か」
「あ…はい……スミマセン、ちょっと……寒くて…………」
蟲だから寒さに弱いのか、と妹紅は妙に納得した。
囲炉裏を見れば少ない灰に混じって細い枯れ枝が何本か組まれており、火を熾そうとした形跡がある。しかし枝はどれも湿っており上手く火がつかなかったようだ。なのでせめて吹き込む風を避けようと部屋の隅で縮こまっていたのだろう。一人で、寒さに震えながら。
妹紅ははぁと溜息を吐く。住み心地の良さそうな家には厄介な同居人がいたようだ。
「待っていろ」
言い残して外に出た。
どんなに湿った枝でも妹紅の炎の力にかかればあっという間に乾いてしまう。
早くも積もり始めた雪の中から拾ってきた枯れ枝を櫓状に組み、手を添えてそっと力を流す。程なく火が爆ぜ、次々に火が移ってパチパチと燃え始めた。
「ほら、こっちに来て火に当たれ」
妹紅が声をかけるとリグルは難儀そうに体を起こし、それでもゆっくり体を引きずるようにして囲炉裏の方にやって来た。両手をかざして火に当たる。
「暖かい……」凍えが溶けるように笑顔を浮かべる。
「そうか」
「あの……ありがとうございます」
「別に」
おずおずと、それでも精一杯の感謝の気持ちを込めて言うリグルに対し妹紅は言葉少なに答えて、さり気なく顔を背けた。他人から礼を言われるのには慣れていない。
リグルから目を背けて、向いた先には窓。明り取り用に作られたのか、小さな窓だ。外が見える。
風は止んだ。代わりに雪が激しくなってきた。粒の細かい雪がしんしんと降りしきっている。小さく区切られた小窓の中で上から下にまっすぐ、さっと落ちていく何千という粉雪。一粒一粒が目で追いきれない。
雪は音を吸う。雪の音だけが世界を丸ごと包み込み塗り潰す。
まるで世界に自分しかいなくなるようで、耳障りだ。
パチパチ、と火の粉が飛んだ。
妹紅は薪を足す。
そしてまた窓の外を見る。
不快なはずの、雪を見る。
こうしていると昔を思い出す。まだ不死となる前、まだ幼く憎しみも知らなかった子どもの頃。
昔は栄華の花と咲き誇った京の都で、幸せに過ごしていたあの頃。
冬は、雪見が好きだった。
御簾を上げ火鉢に当たりながら雪見をした。沢山の兄弟姉妹たちと何人もの女官達に囲まれて。双六や貝合わせをしながら、あるいは誰かの噂話を聞きながら。時には父親や母親も一緒だった。冬なのに、その部屋は暖かかった。
けれど兄弟や女官達ははすぐに雪が降り続けるだけの景色に飽きてしまい、寒いといって奥の部屋に引っ込んでしまったので、妹紅は一人、庭に面した窓際の部屋で雪を見ていた。
その頃から、他の人間からは浮いていた。父母からも、時には奇異の目で見られた。理解は得られない事に不満はなかったが、同時に寂しくもあった。寂しさを紛らわすために、また雪を見た。
雪を見ていた。
脇息にもたれながら、一日中、雪が降る庭を見ていた。
時々、白くなった炭をひっくり返して真っ赤に燃えた面を見た。
お腹が空いたら蜜柑を食べた。餅を焼いて食べたりもした。
延々と白が降りしきり、けれどゆっくりと姿を変えていく景色に飽きる事はなく、一日が過ぎていった。双六も貝合わせも噂話もいらなかった。
冬が好きだった。
雪が好きだった。
それだけあればよかった。真白な雪。雪を渡って来た冷たい風が火照った頬に吹きつけるのが好きだった。
冬が好きだった。
雪が好きだった。
ある時、猫を飼っていた。
三毛の猫で、尻尾も三つに分かれていた。たいへん大柄で尚且つ太ましい猫であり、見た目だけなら赤子ほどもあった。お腹の肉がタプタプ揺れていて触ると暖かかった。他の人間には見えない猫なので、はしたないとは知りつつも懐炉代わりにいつも懐に忍ばせていた。もちろん雪見の時も一緒だった。でも猫は寒さが苦手なので、妹紅の袖の下でいつも目を細め丸くなって眠っていた。妹紅は猫を起こさないようにそっと抱き寄せて、自分は雪の庭を眺めているのだった。
時々、ぎゅっと抱きしめた。とても暖かかったのを、今でも憶えている。
隣に暖かさを感じる寒さが好きだった。
そしてしんしんと降る雪の音に誘われていつの間にか眠っているのだった。
バキっと薪が砕けて火の粉が飛んだ。
妹紅はゆっくり昔想いから引き戻される自分を感じた。
(らしくもなく、過去を思い出していたな……)
自嘲気味に笑って、向かい側のリグルを見る。先ほどよりもだいぶ血色が良くなったような気がするが、それでもよく見れば、小さく震えていた。家の中の空気もだいぶ暖かくなってきたのだが。
「まだ寒いのか?」
「え……えっと、はい、でもダイジョブです」
そうは言っても、震えている。
その時、なんでそうしようと思ったのか分からない。
薪を幾つか余計に火に突っ込むと、妹紅はリグルに手招きした。
「来な」
「え? …………えっと…」
「いいから」
困惑気味のリグルの腕を強引に引っ張って胡坐をかいた膝の上に座らせ、リグルが持っていた布で二人いっぺんに包まる。
そして小さく呪を唱えた。
「あ……」
リグルが小さく声を漏らした。周りの空気が急に暖かくなったのだ。妹紅が説明する。
「わたしの周囲半径50センチ四方辺りの空間を隔離して、対流を作り熱を加えた。即席の暖房だけどそこそこ温かいはず」
本当は、神経を使うから自分のためにもあまりやらないのだが。
なぜ今日はそれをやろうと思ったのか、しかも他人の為に。だがそれは今はあまり重要でないと妹紅は考える。代わりに、どうだ?と聞きながら、リグルを抱きしめる腕に力を込めた。術の副次効果で妹紅自身の体温も多少あがっている。効果範囲が狭いのもあり密着していた方が都合がいい。
「はい、あの、とても暖かいです」リグルは少し緊張で身を硬くしながら答える。
妹紅はその緊張をほぐすように、なるべく優し気になるように声をつくった。
「体力が足りていないなら休むがいい」
「はい……」
そう言ってリグルは目を閉じた。すぐに寝息が聞こえ始める。緊張が解けたのか、寄りかかるリグルの体が重くなった。
その重みを心地よいと思う。
(どうしたのかな、わたしは)
何年と、他人との接触を避けるようにして生きてきたのに。
人肌が恋しくなった夜も幾度となく耐えてきたのに。
なぜか今日の自分は弱くなったような気がする。
それも誰かに縋るのではなく、誰かを手を差し伸べるという形で。
あるいは寒さに震える彼女に自分を重ねているのか。
それが偽善だとしても、腕の中で聞こえてくる穏やかな吐息に優しくなれる気持ちは本物で。
妹紅は、自分もゆっくり目を閉じた。
― 久しぶりに、穏やかな気分で雪の音を聞いた。
END.
*完全に自分の想像なので、時代の描写とか色々間違ってるかもしれません。
*あと、リグルも出てます(百合ではない、ハズ)。
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空から、雪。
千々に細かな粉雪たちが、森の中、空を見上げる妹紅の上へと舞い降りる。
「…………降ってきたな」
薄手のシャツ越しに感じる冷気に背を震わせて、藤原妹紅は鬱陶しそうに呟いた。
森の中、立ち並ぶ常緑樹の間から覗く空は、粉雪と同じくらい白い曇に覆われている。本来ならまだ昼間だから曇っていても明るい。いやむしろ眩しくて白く感じる空を、妹紅は忌々しそうに睨んだ。
ここ一週間ばかり寒かった。その中でも今日は朝から曇り空で特に寒かった。陽が天頂に昇る頃になってもまだ早朝のように寒くて、さっきからずっと寒さに震えていた。両手はポケットに突っ込んで暖めてもまだ冷たい。だからもしかしたらとは思っていたが、やはり降ってきた。舌打ちを一つ、薄く開いた唇の間からは白い息が洩れた。
粉雪が静々と舞い降りてくる。
雪はどこから落ちてくるのだったか。昔、誰かに習った気もするが思い出せない。人に在らざるこの身ならば飛んでいって、空高く、雲の上までも飛び越えて雪の生まれる場所を確かめて来ることもできるのかもしないが、やる気はない。寒い。寒いのは苦手だ。雪も嫌いだ。
不死であっても、いや不死だからこそ傷と違い自動で治癒しない気温変化が煩わしい。そういう意味では夏の暑さも苦手だが、あちらは我慢のし様が幾らでもある。日陰に入り、ボタンを幾つか開けてあおげばいい。だが寒さは厚着をするか暖をとらねばならない。妹紅にとって着物とは普段着ている一枚だけだし、さりとて火を熾すのは面倒くさい。そういえば、そんな感じに不精をしてだんだん感覚がなくなってきて、めんどくさくなったからそのまま雪の森の中で野宿したら凍死したらしく夜中に急にリザレクションして、驚いて飛び起きた事もあったっけ。確か去年の事だったか。それとも一昨年か。
いずれにせよ、同じ阿呆面を晒すのもバカらしい。今日は早めに寝床を確保した方がいいだろう。
ホウ、と息を吐いた。白い。真っ白だ。
肺の奥から吐き出した暖かい塊はユラリと揺れてすぐに冷気の中に溶け消えてしまう。
しんしんと、降る雪の音が耳障りだ。
「寒い……」
自分で自分の肩を抱いても冷たい手の平からは一向に熱が伝わらない。
北風にブルリと一度身を震わせて、妹紅は空へと飛び立った。
空の上は地上よりも寒かった。寝る場所は洞窟でもいいができれば人家がいい、空の上からなら見つけやすかろうと思い飛び立ったものの、どうやら失敗だったようだ。森は深くて見通しが利かず、ここは寒い。風も冷たい。
雪は粒が細かく勢いもまだないから視界を遮るほどではないにしろ、これから日が沈むにかけてどんどんひどくなるだろう。なるべく早く見つけてとっとと暖をとりたいものだ。妹紅は少し高度を下げて木々の間に目を凝らした。
「おや?」
森の中を細い川が流れている。そのほとりに一軒の小さなあばら屋が建っていた。人の気もない。好都合、と妹紅は地上に降り立った。
近くで見るとやはりあばら屋だったが、棟は傾いていないし意外としっかりしていそうだ。ガタガタと立て付けの悪い戸を開いて家の中に入る。右手前に小さな竈、座敷に上がれば囲炉裏があるだけの小さな家だった。火の気はなく家財道具なども見当たらない。見たところ造りはしっかりしているが何らかの事情で住人に捨てられたか、なんにしろ考えられる限り最も望ましい物件だ。雪を凌げれば十分だと思っていたがこの家でひと冬越すのも悪くないだろう。
ぴゅうと、戸口から吹き込んだ風がつむじを巻いた。
ガタガタと戸を閉める。雪の音が閉ざされて、ほっと一息ついた。
妹紅は遠慮なく座敷に上がり囲炉裏の傍にどっかと腰を下ろした。そこではたと薪がないのに気づいた。
しまった、外から取って来なくては……。しかし今さら雪の降る中に出て行くのもしんどいな。屋根の下だし凍死する事もないかな? でも誤って生き返る時の炎で折角の優良物件を燃やしてしまうのもつまらないし、藁にでも包まれば大丈夫なんだろうがここには何もないからなぁと妹紅が真剣に悩み始めたその時、視界の端でもぞりと何かが動いた。
「! ……誰だっ」
「あ……」
声がした方に振り向くと、さっきまで視界に入らなかった家の隅の方に黒いボロきれのようなモノがうずくまっていた。それがもう一度もぞりと動いて、濃い緑色の頭と2本の触覚がぴょこりと飛び出した。
「お前は……、確か蟲の……えっと、リグル・ナイトバグ?」
「あ……はい」
直接に面識はないが、2本の触覚と男の子のようなかんばせという特徴は聞いたことがあった。相手が自分の事を知っているかどうか分からないが、まずは名乗る。
「わたしは藤原妹紅という。……ここはお前の家か?」
そうだとしたら急に押し入って悪い事をしたなと思い妹紅は尋ねる。しかしリグルは弱々しく首を振っただけだった。
「いいえ……、ここは偶然……見つけて……、さっき雪が降ってきたから大急ぎで……」
そう言ったきり、力尽きたようにバタンと倒れ伏せてしまう。
見れば顔色が悪い。ブラウスの袖から覗く手首は随分細く、寝具代わりに被ったボロ布を握る指は細かく震えていた。カチカチと、歯の根の音が聞こえる。
妹紅はちょっと心配になって声をかけた。
「おい、大丈夫か」
「あ…はい……スミマセン、ちょっと……寒くて…………」
蟲だから寒さに弱いのか、と妹紅は妙に納得した。
囲炉裏を見れば少ない灰に混じって細い枯れ枝が何本か組まれており、火を熾そうとした形跡がある。しかし枝はどれも湿っており上手く火がつかなかったようだ。なのでせめて吹き込む風を避けようと部屋の隅で縮こまっていたのだろう。一人で、寒さに震えながら。
妹紅ははぁと溜息を吐く。住み心地の良さそうな家には厄介な同居人がいたようだ。
「待っていろ」
言い残して外に出た。
どんなに湿った枝でも妹紅の炎の力にかかればあっという間に乾いてしまう。
早くも積もり始めた雪の中から拾ってきた枯れ枝を櫓状に組み、手を添えてそっと力を流す。程なく火が爆ぜ、次々に火が移ってパチパチと燃え始めた。
「ほら、こっちに来て火に当たれ」
妹紅が声をかけるとリグルは難儀そうに体を起こし、それでもゆっくり体を引きずるようにして囲炉裏の方にやって来た。両手をかざして火に当たる。
「暖かい……」凍えが溶けるように笑顔を浮かべる。
「そうか」
「あの……ありがとうございます」
「別に」
おずおずと、それでも精一杯の感謝の気持ちを込めて言うリグルに対し妹紅は言葉少なに答えて、さり気なく顔を背けた。他人から礼を言われるのには慣れていない。
リグルから目を背けて、向いた先には窓。明り取り用に作られたのか、小さな窓だ。外が見える。
風は止んだ。代わりに雪が激しくなってきた。粒の細かい雪がしんしんと降りしきっている。小さく区切られた小窓の中で上から下にまっすぐ、さっと落ちていく何千という粉雪。一粒一粒が目で追いきれない。
雪は音を吸う。雪の音だけが世界を丸ごと包み込み塗り潰す。
まるで世界に自分しかいなくなるようで、耳障りだ。
パチパチ、と火の粉が飛んだ。
妹紅は薪を足す。
そしてまた窓の外を見る。
不快なはずの、雪を見る。
こうしていると昔を思い出す。まだ不死となる前、まだ幼く憎しみも知らなかった子どもの頃。
昔は栄華の花と咲き誇った京の都で、幸せに過ごしていたあの頃。
冬は、雪見が好きだった。
御簾を上げ火鉢に当たりながら雪見をした。沢山の兄弟姉妹たちと何人もの女官達に囲まれて。双六や貝合わせをしながら、あるいは誰かの噂話を聞きながら。時には父親や母親も一緒だった。冬なのに、その部屋は暖かかった。
けれど兄弟や女官達ははすぐに雪が降り続けるだけの景色に飽きてしまい、寒いといって奥の部屋に引っ込んでしまったので、妹紅は一人、庭に面した窓際の部屋で雪を見ていた。
その頃から、他の人間からは浮いていた。父母からも、時には奇異の目で見られた。理解は得られない事に不満はなかったが、同時に寂しくもあった。寂しさを紛らわすために、また雪を見た。
雪を見ていた。
脇息にもたれながら、一日中、雪が降る庭を見ていた。
時々、白くなった炭をひっくり返して真っ赤に燃えた面を見た。
お腹が空いたら蜜柑を食べた。餅を焼いて食べたりもした。
延々と白が降りしきり、けれどゆっくりと姿を変えていく景色に飽きる事はなく、一日が過ぎていった。双六も貝合わせも噂話もいらなかった。
冬が好きだった。
雪が好きだった。
それだけあればよかった。真白な雪。雪を渡って来た冷たい風が火照った頬に吹きつけるのが好きだった。
冬が好きだった。
雪が好きだった。
ある時、猫を飼っていた。
三毛の猫で、尻尾も三つに分かれていた。たいへん大柄で尚且つ太ましい猫であり、見た目だけなら赤子ほどもあった。お腹の肉がタプタプ揺れていて触ると暖かかった。他の人間には見えない猫なので、はしたないとは知りつつも懐炉代わりにいつも懐に忍ばせていた。もちろん雪見の時も一緒だった。でも猫は寒さが苦手なので、妹紅の袖の下でいつも目を細め丸くなって眠っていた。妹紅は猫を起こさないようにそっと抱き寄せて、自分は雪の庭を眺めているのだった。
時々、ぎゅっと抱きしめた。とても暖かかったのを、今でも憶えている。
隣に暖かさを感じる寒さが好きだった。
そしてしんしんと降る雪の音に誘われていつの間にか眠っているのだった。
バキっと薪が砕けて火の粉が飛んだ。
妹紅はゆっくり昔想いから引き戻される自分を感じた。
(らしくもなく、過去を思い出していたな……)
自嘲気味に笑って、向かい側のリグルを見る。先ほどよりもだいぶ血色が良くなったような気がするが、それでもよく見れば、小さく震えていた。家の中の空気もだいぶ暖かくなってきたのだが。
「まだ寒いのか?」
「え……えっと、はい、でもダイジョブです」
そうは言っても、震えている。
その時、なんでそうしようと思ったのか分からない。
薪を幾つか余計に火に突っ込むと、妹紅はリグルに手招きした。
「来な」
「え? …………えっと…」
「いいから」
困惑気味のリグルの腕を強引に引っ張って胡坐をかいた膝の上に座らせ、リグルが持っていた布で二人いっぺんに包まる。
そして小さく呪を唱えた。
「あ……」
リグルが小さく声を漏らした。周りの空気が急に暖かくなったのだ。妹紅が説明する。
「わたしの周囲半径50センチ四方辺りの空間を隔離して、対流を作り熱を加えた。即席の暖房だけどそこそこ温かいはず」
本当は、神経を使うから自分のためにもあまりやらないのだが。
なぜ今日はそれをやろうと思ったのか、しかも他人の為に。だがそれは今はあまり重要でないと妹紅は考える。代わりに、どうだ?と聞きながら、リグルを抱きしめる腕に力を込めた。術の副次効果で妹紅自身の体温も多少あがっている。効果範囲が狭いのもあり密着していた方が都合がいい。
「はい、あの、とても暖かいです」リグルは少し緊張で身を硬くしながら答える。
妹紅はその緊張をほぐすように、なるべく優し気になるように声をつくった。
「体力が足りていないなら休むがいい」
「はい……」
そう言ってリグルは目を閉じた。すぐに寝息が聞こえ始める。緊張が解けたのか、寄りかかるリグルの体が重くなった。
その重みを心地よいと思う。
(どうしたのかな、わたしは)
何年と、他人との接触を避けるようにして生きてきたのに。
人肌が恋しくなった夜も幾度となく耐えてきたのに。
なぜか今日の自分は弱くなったような気がする。
それも誰かに縋るのではなく、誰かを手を差し伸べるという形で。
あるいは寒さに震える彼女に自分を重ねているのか。
それが偽善だとしても、腕の中で聞こえてくる穏やかな吐息に優しくなれる気持ちは本物で。
妹紅は、自分もゆっくり目を閉じた。
― 久しぶりに、穏やかな気分で雪の音を聞いた。
END.
今は毎日降ってる所にいますが・・・
雪の音って不思議ですよね。
優しい話をありがとうございました。
妹紅可愛いね
哀愁と孤独を背中で語れる女、妹紅はやっぱり男前だと思う。
この表現に痺れました。妹紅の心情をよく表せていると思います。
対比って良いですよね。
雪の降る音というのは実際には聞こえないはずなのに、
それすら苛立つ妹紅の心情、苛立ちを表現できていてとても参考になります。
話の構成、心の描写、風景の見せ方にいたるまで、やっつけとはとても思えません・・・。
新参として、尊敬します。次の作品も期待しております。
追記 リグルはやっぱり寒さに弱いのね・・・w