(▼師走 ―― 博麗神社にて)
「あー、熱いお茶が美味しい時期になって来たわねぇ。一年中美味しいけどね」
縁側に腰掛けて、私は今日も湯飲みを傾ける。寒さは大分厳しくなったけれど、それでもまだ初雪には早い。
うちの神社も幸いに今の所はまだ雪かきの必要も無く、そして落ち葉が降る季節は終わり異変らしい異変も無いので、私は思う存分ゆったりした毎日を送っていた。
でも……そろそーろ、何か厄介な事が起きそうな感じがするのよね。
ふと私がそんな事を思った直後、風を裂くような音と共に見知った黒い影が私の目に入る。程なく、箒を手に降り立つ厄介事。
「何しに来たのよ魔理沙……って」
が、魔理沙の表情を見て私は軽く驚いた。
私の良く知る魔理沙は、いつだって余裕に溢れていて、悪戯っ子のような笑みを絶やさない陽気な友人であるのに。
「霊夢すまん! 音速の遅いお前さんに悪いんだが急ぎの用を頼まれてくれ。今すぐ魔界に行って、あそこのチビ神様を引っ張ってきてくれないか?」
魔理沙の顔から、いつもの笑みが消えていた。
「……しょうがないわね……。説明要らないわ、あんたの顔見たら大体分かったから。でも昔みたいに、直通ルートなんか無いから時間かかるわよ」
魔界観光ツアーなんかがあった頃と今は違う。
行く方法はあるけれど、そう以前みたいにホイホイ辿り着けるような場所では無いんだもの。
「ああ、構わんから頼む。これ以上余計なちょっかい出すなって、メディスンのバカにはお灸をすえたが……正直どこまで守るか分かったもんじゃないし。余程の事が無い限り大丈夫だとは思うんだが、まずは動いてから考えた方がいいだろ」
「状況が危険なのは分かったから少し落ち着きなさいよ魔理沙、あんたらしくもない」
せわしなく神社の庭をうろうろと歩き回る魔理沙に、私は声をかける。
私に言われて、ようやく過度に焦っていた事に気がついたのか、魔理沙は小さく息をはいて縁側に腰掛けた。
「あー……そだな。……おっほん。霊夢、喉が渇いたんで茶でも一杯くれ」
魔理沙の言葉に急須の中を覗いて見たが、既にお湯は無かった。でも淹れにいくのもめんどい。
「はい、これあげるから勝手に飲んで。湯のみはちゃぶ台の上にでも置いといてよ」
いらん所で今日も当たる自分の勘に苦笑しつつ、飲みさしの湯のみを魔理沙に押し付けて、私はゆっくり立ち上がった。
行き先は――魔界。
■師走 壱/1
「…………」
昨日の帰りメディスンに言われた事を、今日一日、私はずっと考えていた。
けれど、意味がさっぱり分からない。
『きっとアリスは人形達の女王様なのね』
これはまあ、何が言いたいか分からないでも無い。
私は人形遣いとして数多くの人形達を自分の支配下におけるんだから、そういう意味で、比喩的にそんな表現が出来ない訳でも無いし。
『あなたも私と同じ。人形だもの。やっぱり知らなかった?』
でも、この言葉は決定的に私の思考から逸脱していた。
比喩的な意味を考える余地も何も無い。素直に言葉通り理解するならば、メディスンは私が。
アリス=マーガトロイドが人間でも魔女でもない、人形そのものだと言ったのだ。
「やっぱり、意味が分からないし全く笑えない冗談よ。私は生粋の魔界生まれで、こっちで修行を積んで魔女になった。悩む余地なし、どう考えても妄言に決まってるわ。……ねえ上海、あなたもそう思うでしょ?」
側にいた上海人形に尋ねると、上海は大きく頷いて私の膝にちょこんと座る。
「上海は本当に良い子ね。……よし、やめた。考えすぎると頭が馬鹿になっちゃうわ。ねえ上海、喉が渇いたしちょっとお水でも持ってきて」
上海の頭を撫でてあげた後、命令を下すと嬉しそうに外にある水瓶まで飛んでいく。
が、水で満たされたグラスを抱えて戻ってくる上海の姿を見ながら、私は強烈な違和感を覚えた。
――それは……気がついて当然の事を私が幾つも見落としているような感覚――
そして、程なく側に戻ってきた上海が私の手にグラスを渡す。
冬の外気温で冷やされた水のひんやりとした冷たさが、私の掌からびりっと頭へ駆け抜けた瞬間。私は違和感の正体に気がついた。
そうだ。
ありえないんだ。
上海や蓬莱は『私の命令を無視して』メディスンを攻撃した。
あんな事は本来、絶対に起こっちゃいけない。
完全に確立した自立人形でもない限り、主人のサポート内容を自ら考えて行動するのさえ、ほぼ不可能なのに。主人の命令と反対の行動を取るなど、私の作った人形ならば絶対に不可能だ。
そして、その結論から導き出される答えはただ一つしかない。
上海や蓬莱は、私の子じゃ……ない……!?
私の手をすり抜けて、何かがゆっくりと地面に落ちる。
カシャン! という音を立てて『それ』は粉々に砕け散った。慌てて塵取りを取りに向かう上海の手を私は掴む。
「上海、ちょっとここにいなさい。考えたい事があるの」
有無を言わさず、上海の手を強く握り締めたまま私は頭をフル回転させた。
そんな馬鹿な。幾らなんでもそんな事は無いはずだ。
記憶の糸を辿るように、私は自分の作った人形の事を考えていく。
仏蘭西人形・和蘭人形・露西亜人形・西蔵人形・京人形・オルレアン……。
どのような過程で、いつ、どんな失敗などを経てあの子達を作ったかを私は一つづつ頭の中で思い出していく。
無論、忘れる訳が無い。苦労して作った人形達の事だもの、はっきり覚えている。
そして私は、自分の目の前にいる上海人形の顔をじっと見た。
不安そうに私の視線を正面から受け止める上海。
この子と蓬莱は私の大のお気に入り。
だからいつどこで作ったかなど、悩むまでも無く思い出せる……はずなのに。
どれだけ記憶の糸を手繰り寄せても、私の脳裏には。
上海人形や蓬莱人形を自分の手で作った時の記憶が、全く浮かんでは来なかった。
私の全身から、一気に血の気が引いていくのが分かる。
でも。もし上海や蓬莱が私の作った人形じゃないとしたら。誰か別のマスターの命令で私の側にいるのだとしたら……全ての辻褄が合ってしまう。
「上海!」
次の瞬間、私は上海を掴み叫んでいた。
ビクッと私の手の中で子供のように震える上海の姿に、私の胸が痛む。けれど、聞かなければいけない。
「上海……あなたのマスターは……誰?」
脅えながら私を指差す上海の頬を、私は反射的に叩いていた。
そんな嘘なんか聞きたくない。
「もう一度聞くわ、答えなさい上海人形。あなたの本当のマスターは誰なの!?」
複数の相手の命令を受けさせられる上に、半自立行動まで取らせられるような奴……どう考えても私より数段は上の力を持つ人形遣いだ。だけど、そんな奴の心当たりなんか私には無い。一体誰が……!
けれど、上海は悲しげに俯いて小さく首を横に振った。
『答えられません』と。
上海の反応は二つの意味で私にとって衝撃だった。一つは上海が私の問いかけを初めて拒絶したこと。そしてもう一つ。
上海が拒絶した時点で、私の想像は全肯定されたのだから。
「……もし答えないなら……私は、あなたを壊すわ。教えなさい上海」
これは私から上海への最後通告だった。
私は上海の首に手をかける。拒否したら首をへし折れるように。
けれど上海は抵抗するそぶりも逃げ出す様子もなく、覚悟を決めたかのようにぎゅっと瞳を閉じる。
このまま力をこめて引きちぎれば、上海は私の使い魔ではなくただの物体になりさがる。……だけど。
私は上海の首からそっと手を離す。
どうしようも無く悲しくて、涙が溢れた。
「……バカ……大切なあなたを壊せる訳ないじゃない……! なんで、どうして答えられないのよ!?」
上海は何も答えてはくれない。ただ黙って私の側にいた。
おぼつかない足取りで、私は寝室へと向かう。私の後ろをついてくる上海を、私は睨みつけ一喝した。
「ついて来ないで!」
ドアの前でおろおろする上海に構わず、私は力任せにドアを締めて厳重に魔法の鍵をかけると、頭から布団を被り纏まらない考えを整理する。
どうして上海が私に何も伝えられないのか。
一番ありうるのは上海の真のマスターが、私に自分の事を伝えるのを禁止している場合だ。そして、恐らくそうだと考えて間違いないだろう。
でも何故? 目的がまるで分からない。私はただの魔界出身の魔女に過ぎないし力だってそんなある訳じゃない。
何より解せないのは……上海は今までずっと戦闘でも生活でも私の手助けになってくれていた。何か私に害があるなら、まだ意図も想像できるのに。
「どこのどいつか知らないけど、一体何がしたいのよ……」
私は頭を抱える。
でも、まさか私が顔も知らない相手とは思えない。
そうだ、とりあえずは自分の記憶を一番古い所から辿って、そんな事をやりそう・できそうな相手を考えてみよう。
知識こそが魔女の力、これでも物覚えに私は自信があるんだから。
そして、一つ一つを細かく思い出そうと昔を振り返った時。
……私は愕然とした。
魔界を出てこちらに家を建てた時の事、春を集めた亡霊の大さわぎ、魔理沙と夜を止め月の姫をとっちめに行った事、もういないと思っていた鬼との宴会、写真マニアのブン屋との出会い。大して時間が経っている訳では無いから当然だけど、全てを事細かに覚えているのに。
魔界の頃の記憶が、まるでぼやけた霞のように判然としない。
神綺様の事は良く覚えている。末っ子の私を、ちょっと行きすぎな位本当に愛してくれたお母さん。そして、子供っぽくお茶目なお母さんを、いつも支えていた夢子さん。
……でも。何て言ったら良いんだろう。漠然と凄く楽しかった事は分かるのに。
遠目からは美しい七色の虹が近寄り過ぎると何も見えなくなるように、詳しい事を、ほとんど何もロクに思い出せない。まるでそこだけ封印でもされたみたいに――
「封印!?」
その時、私の頭の中で何かが繋がった。布団を跳ね飛ばし飛び起きる。
人形は使い方によって様々に用途を変える。
単なるおもちゃから、使い魔まで。対象を呪い殺す呪具にもなるし、形代として自らの身代わりにする事もできる。
そして、全く判然としない昔の記憶。私の側には私の手によらない人形が二体……って、まさか……!?
「上海や蓬莱が、私の記憶を封じる呪いになってる……!?」
それはあまりに突飛で、思いついた自分の頭を疑いたくなるほど、俄かには信じがたい結論だった。
■師走 弐/聖夜前夜
それから三日三晩を、私は自分の部屋の中だけで過ごした。
最初の一日は、頑張って昔の記憶を掘り起こそうとして徒労に終わり。
次の一日は、自分の考えが愚かな妄想で真実は別にあると考えて、見つからず。
そして今。私は身につけている全ての物を外して全裸で鏡の前に立っていた。外から私に加えられている魔力の有無を確認する為に。
魔力感知なんかは、魔女の使う魔法としては初歩中の初歩だ。
ただ、微弱な魔力の場合は身につけている僅かな魔術の所持品で紛れてしまう事もある。というか私が気がつかないはずが無い。
けれど、鏡を前にして私は逡巡する。
『確認するのが怖いの?』
と、鏡に映る私が語りかけたような気がした。
……大丈夫、きっと私の思い過ごし。ただ私が昔の事をちょっと忘れただけ。
だから恐れるな、アリス=マーガトロイド。
きっと鏡を見据え、私は一度大きく深呼吸をして魔力の感知を始めた。
私の魔力は七色。それ以外の色がなければ私の単なるド忘れという事になる。
けれど。
「……嘘……嘘よ……」
それは本当に極僅か。鏡で映して注視しなければ分からない程に。
けれど、虹の七色には絶対に含まれてはいけない、呪いの呪力を指し示す黒が……確かに鏡に映っていた。
それはつまりどういう事?
決まってる。誰かが私に呪いをかけた。それも、呪いをかけられた事実さえ私が覚えていないような性質の。
そして、呪いの矛先はほぼ間違いなく私の昔の記憶。
「……こんな封印をかけられるって……私の過去には何があったの……」
鏡の前にいる私に向かって私は問いかけずにはいられなかった。
でも、鏡の向こうの私は何も答えてくれない。
その時、私の脳裏にパチュリーの言葉が不意に浮かんだ。
『世の中には知らない方が良い知識もあるから気をつけなさい』
直感で私も悟る。きっと、その知識は『これ』なのだと。
でも私の記憶は私のものだ。
誰かは知らないが、他人にどうこうされる物であってはならない!
けれど、その後も幾ら頭を捻っても私は、失われた自分の過去を思い出すことは出来なかった。
私への呪い……記憶の鍵は間違いなく上海と蓬莱だ。でも他の人形なら構わないとしても、あの子たちを壊す事は……私にはできない。
「どうすればいいのよ……」
完全な手詰まりに陥って私が頭を抱えた時、唐突に玄関のドアが無遠慮に叩かれた。
『おーい、ケーキを強奪に来たんだがアリスいるか~? いないなら勝手に入るぜ』
いつもは邪魔な魔理沙の声が今だけはとても懐かしく感じた。それは日常そのものだったから。
閉じこもっていた部屋の鍵を解き、私は玄関へ向かおうとして初めて、裸のままだった事に気がつく。
「うぁ……。い、1分だけ待ってなさい!」
大慌てで服を着なおして私は玄関へ向かう。
上海と蓬莱が私の姿に気がついてすぐ飛んできたが、私は二人の姿をまともに見られず自然と目を逸らしてしまった。
「よぉアリ……うぉ。随分と今日はまた凄い髪型だな」
私の姿を見て目を丸くする魔理沙。……そういえば、ここ数日髪なんか全然梳かしてなかったっけ。
髪を掻き毟るわ、布団の中に篭るわしてたから、さぞ酷い癖毛になってるだろう。
「こういう気分の時もあるの。で、何の用なのよ」
「何だ聞こえてなかったのか? 今日はクリスマスイブだろ、つーわけでケーキくれ。それと外は寒かったし熱めの紅茶も頼むぜ」
ほい、とばかりに手を出す魔理沙。その言葉で始めて、私は今日がクリスマスイブである事を理解した。
一瞬なんと答えたら良いか分からず、おかしな間が空いてしまう。
「ん? どーした変な顔して」
怪訝な顔をする魔理沙に悟られないように、私は殊更大きな溜息をついて返す。
「あのねぇ魔理沙……確かにお菓子作りは私の趣味だけど、うちはケーキ屋じゃないんだから堂々とたかりに来るな。それに今年は作ってないわよ、ちょっと……研究で忙しかったから」
忙しかったなんてのは勿論大嘘。今日が何日かさえ、私は今の今まで忘れていた位なんだから。
「おいおいマジですか。美味しかったから自分で全部食いました、とかはなしだぜ」
いつものにまにまとした笑みを浮かべながら、じろじろと私のお腹辺りを眺める魔理沙。
―― 家に篭りっきりで太ったんじゃないの? ――
その時また、私の脳裏に一瞬、変な光景が映った。
魔理沙が私に、そんな事を言う姿が、まるでどこかで見た映像のようにはっきりと。
「…………魔理沙。ちょっと聞きたいんだけど」
「スリーサイズとアレの日を聞いてきたら問答無用でマスタースパークお見舞いしてやるが、なんだ?」
茶化す魔理沙に構わず、私は疑問をストレートにぶつける。
「私……あんたにそんな事を言われた事ってなかったかしら……。最近じゃなくて、もっと昔に」
「あー? そんな昔の事なんか覚えちゃいないぜ。何せ私は常に前だけ見て生きてる人間だからな」
ひらひらと手を振り魔理沙が笑う。
そしてすぐに、魔理沙は私から目を切り周囲を見渡し始めた。
「そういや上海はっと。お、いたいた元気してたか? 何だ上海、今日は随分と元気無いな。ひょっとしてアリスに苛められたのか?」
いつも私の側にいるのが当然の上海が、所在無げに空中で佇んでいるのを魔理沙が目ざとく見つけて話しかける。
普段の私だったら、怒鳴って魔理沙の手からすぐ上海を取り返しただろう。
でも、今の私は何も言えない。ただ黙って魔理沙の手の中にいる上海を見ているだけしかできなかった。
そんな私を、上海も今にも泣き出しそうな表情でじっと見つめ返してくる。言葉は無くても気持ちが全部伝わるのが、こんなにも不便なのを私は初めて知った。
「って……おいおい本当に大喧嘩でもしたのかよ。まあ上海が原因……って事はないだろうし、どうせアリスが悪いんだろ」
「そんなんじゃないわよ!!」
完全な八つ当たりと承知で、私は魔理沙に怒鳴り散らす。
「私におかしな呪いがかかってるのよ、記憶に干渉する性質の悪いのが! そして、その呪いの魔力触媒が調べてみたら上海と蓬莱なの!!」
一気にまくし立てた後、叫んだ私自身にその言葉は刺さった。認めたくなかった事実を、嫌でも正面から受け止める羽目になったから。
でも魔理沙の反応はもっと意外だった。
大きく目を見開いたまま、私を凝視している。
……まさか。
「魔理沙、まさかあんたが……!?」
「ち……違うぜ私じゃない……」
それは恐らく反射的に魔理沙の口から出た言葉だったんだろう。
すぐに魔理沙は首を大きく横に振る。
「あ……いや。つーか落ち着けよアリス、妄想も度が過ぎるぜ。そんなもんある訳ないだろ……」
慌てて否定する魔理沙の表情から、いつもの余裕は全く無かった。
魔理沙に出来ないのは恐らく間違いないだろう。こいつは、そんな器用な真似が出来るような魔法使いじゃない。
でもこの態度……絶対に魔理沙は、少なくとも何かは知っている……!
「魔理沙教えて! あんたじゃないのは言われなくても分かってる。こんなおかしな呪いを私にかけたのは誰! 上海と蓬莱は私の子じゃないなら誰の子なの!? 話して魔理沙!!」
魔理沙に詰め寄り、私は両肩を掴んで魔理沙を揺さぶる。
「……わ、私は何も知らないぜ……」
「嘘よ! ……考えてみたら、メディスンの話をした時からあんたの態度は変だった。どんな過去か知らないけど、私の過去は私のものよ!」
「アリス力入れすぎだ……いた、痛い……やめ……」
我を忘れて私が魔理沙に詰め寄っていた時、私の胸に強い衝撃が走る。上海が私の胸に向かって体当たりしたのだという事を、私の頭は少し遅れて理解した。
「あ……」
はっと我に返った時、魔理沙は既に涙目になっていた。
昂ぶった気持ちが引き潮のように収まっていき、私は魔理沙から手を離す。
「……良いかアリス、もう一度だけ言っとくぜ。そんなのは妄想か白昼夢か何かだ、頭を冷やせよ……」
魔理沙はそれだけ言うと、逃げるように足早に出て行ってしまう。
ぽつんと残された私に、閉塞感と孤独感が一気に押し寄せてくる。
けれど。あれだけ酷い事をして、罵声まで浴びせたのに。
そんな私の寂しさを埋めるように、そっと私の肩の上に何かが乗っかった。
「上海……」
そう、私は知っている。誰よりも良く知っている。上海が私の為にならない事なんか絶対にしない事を。
ついさっきだってそうだったじゃないの。あのまま激情に駆られて魔理沙を締め上げてたらどうなっていたか。
私は正面から上海を見据える。
「上海……今から言うのは主人としての命令じゃない、ただの私のお願い。……どんな過去であっても、私は知りたい。だから、もしあなたが……私の為を思うなら、教えて欲しいの」
普通に考えれば、上海がこんな頼み方で封印の鍵を解いてくれる訳なんか無い。
人形遣いである主人の意に忠実に動くのが人形の役目。だから、人形にお願いなんかするのは物凄くナンセンスな事だ。
でも……私は。例え解いてくれないにしても、私じゃない誰かの意向ではなく、上海自身が私の事を考えた上で決めてくれると……信じた。
私には何分にも何十分にも感じられた間の後、上海は私に伝えてきた。
『絶対に後悔しない?』と。
「約束するわ上海。例えどんな過去だったとしても、私は後悔しない」
私の返事に、上海は意を決したように顔を上げて身を乗り出し。そっと……私と唇を重ね合わせる。
次の瞬間、私は奇妙な感覚に襲われた。
まるで頭の中の霞が、風に吹き飛ばされて一気に晴れていくような。
「そうだ。確か……魔理沙の馬鹿が、魔界に物見遊山に来て暴れまわってた事があったんだっけ……」
戻ってきた記憶。
それは確かに私の過去だった。
***
おやつの時間も終わった、ぽかぽか陽気のお昼すぎ。
「そーっと、そーっと……」
わたしはというと、物音を立てないように部屋から逃げ出す真っ最中だったりする。
本当は魔法使って降りたいけど、そんな事したらお母さんや夢子さんにあっと言う間にばれるから、ロープを下ろしてゆっくりと降りる。
「せーのっ」
地面まであと少しの距離になってから、わたしはロープから手を離して飛び降りた。
よっし、脱出成功~♪
その時わたしの頭の上からお母さんの声が聞こえてくる。
「はーいアリスちゃん、お勉強の時間よー。あれ? ……アリスちゃーん!?」
あっぶなーい……どうやら間一髪だったみたい。
窓の下を覗き込まれる前に、そそくさとわたしはその場から逃げだす。
「……さては……。また逃げたわね、まったくもうっ!」
頬をパンパンに膨らませて地団太を踏むお母さんの姿が簡単に想像できて、わたしはつい含み笑いを禁じえなかった。
別にお勉強は嫌いじゃないし本を読むのは大好きだけど、わたしだってまだ子供だし。ごめんなさーい、と小声で謝ってからわたしは街へと遊びに行く。
けれど、いつもの行きつけのお菓子屋さんの前まで来て私は目を疑った。
「え? ……ええぇえー!?」
目の前にあったのは、建物じゃなくて瓦礫の山。その横でお店のおじさんが溜息をついて頭をかいてる。
「おじさん、これどーしたの!?」
「あぁ、アリスちゃんかぁ。何かやたら速くて黒い人間が街まで乗りこんで来てね。街の中でルイズさんとドンパチやらかしてたら、うちの店は流れ弾まとめて貰ってこの有様さ。だからごめんな、これじゃあ今日は何も売れやしないよ」
当然と言えば当然だけれど、おじさんのその言葉は見事にわたしの心を射抜いた。
街に遊びに来たら、まずここに来て好きな飴を買ってから回るのはわたしのお決まりのコースなのに……うう……わたしのりんご飴……。
いいや、しょげてる場合じゃない。
折角の一日をのっけからぶち壊しにしてくれた、その人間とやらを酷い目に合わせてやんないと気がすまない。主にわたしの!
「おじさん、その人間っていつここ通ってどっちに行ったの?」
「ついさっきだよ。『お腹空いたからどこかで、食べ物でも貰ってこようかしら』とかぬかしてたから、まだ街中にいる可能性もあるかもしれないけど」
うっわ、破壊工作だけじゃ飽き足らずに強盗まで!?
「分かったわ。おじさんのお店とりんご飴の敵はわたしが討ってくるからっ!」
引き止める声が聞こえたような気がしたけれど、わたしはそれを無視して言われた方向へ最短距離を飛んでいく。
ここの街はわたしの庭と同じ。何がどこにあるかは、地図なんかよりもわたしの記憶の方がよっぽど正確だ。……ずぇったいに逃がさないんだから!
そのわたしの熱意の賜物なのか、街の出口の手前で黒服に黒帽子の見慣れない姿を見つける。恐らく間違いなく強奪したんだろう、サンドイッチを頬張りながら。
あれだ!
「魔界人もたいしたことないな~。もうちょっと強い奴がいると思ったんだけどね」
「そこまでよ! そこの人間かどうか良く分かんない怪しい奴!」
街の出口まで引きつけてから、わたしは通り道を塞ぐように両手を広げて、そいつの前に立ちふさがる。
「失礼ね、どこからどう見ても普通の人間よ。そういうあんたは魔界の人かしら、可愛い可愛い」
いつの間にか側まで寄って来たかと思うと、事もあろうにその人間はわたしの頭を撫でた。
こんの……人を子供扱いしてー!
爆発寸前の怒りを無理矢理引っ込め、わたしはそいつの手を弾き返す。
「あのね……あなた、少しやりすぎよ。もう少しおとなしく出来ないの? 街の中で馬鹿みたいな高速で飛ぶわ、攻撃はするわ、食料は盗むわ……魔界に何しに来たか知らないけど、どれだけみんなが迷惑してると思ってるの。少し自重しなさいよ!」
指先を突きつけて、わたしは大声で怒鳴る。
けれどそいつは拗ねたように、むっとして私を見て睨んだ。
「なによ、生意気な。良いじゃない別に減るもんじゃなし。それにほら、魔界ってのは強いものが正義なんじゃなかったかしら?」
そして臆面もなく、いけしゃーしゃーと言い捨てる。
……よし決めた。こういう奴は一度、ずたぼろにしてやんないとダメだ。
「ふん。魔女みたいな格好してるけど、所詮は人間なんでしょ。どうせたいした魔法も使えないくせして、いきがってんじゃないわ!!」
「あら。試してみる、お嬢ちゃん?」
この期に及んで未だに完璧子供扱いされ、わたしの堪忍袋の緒が袋ごと弾けて爆発した。
「~~~! ゆるさない!! 見てなさいよ、魔界生まれの魔女の力!」
そして十分後。
ずたぼろになって地面に引っくり返っていた。誰がって……わたしが。
「しくしくしくしく……」
わたしの攻撃は全部鼻歌混じりで余裕で避けられただけじゃなく、魔力障壁もあっさり壊された。それどころか見ててはっきり分かる位に、手加減されたし……。
うう、お気に入りの服が穴だらけだぁ……。
「精進しなさい。なんちゃって、これ魅魔さまの受け売りだけどね。そだ、そういえばまだ名乗ってなかったかしら。私は霧雨魔理沙。それじゃあね~♪」
飛び去っていく、魔理沙と名乗った黒い姿をわたしは無様に寝転がったまま見ているしか出来なかった。
***
そうだ。私は物見遊山に来た魔理沙と初めて出会って、ぼろぼろにされたんだ。
その後、家に帰ったら夢子さんやお母さんまで酷い目に合わされてて、絶対に魔理沙を酷い目に合わせるんだって決めて魔法の猛勉強して。
そして……あれ。……その後、私はどうしたんだっけ。
思い出せない。
さっきまで霧のように判然としなかった記憶とは違う。
まるで無理矢理ここの一部分だけが切り落とされたように、想像さえ出来ない。すっぽりと、そこから先の記憶が抜け落ちている。
「魔理沙と戦った事があるのは思い出したわ、上海。でも……ここから先はどうなっているの……?」
上海は小さく首を横に振り、自分の封印はこれで全てだと伝えてきた。
確かに上海の言う通りだろう。ここから先の記憶は、これまでよりもさらに厳重に、強く干渉されてるのが私にも良く分かる。
「上海、ありがとう。それと……この前、私はあなたに酷い事を言ったわ……ごめんなさい」
胸の中にいる上海を私は優しく抱きしめる。
そうだ。これまでに上海が私の味方にならなかった事なんか、一度も無かったじゃないの。上海が私の子じゃない何て関係ない。上海はいつも私と一緒だ。
これまでも。そしてこれからも。
「……私の残りの記憶は蓬莱が持っているんでしょう?」
問いかけると上海は返事に困ったように俯いた。……やっぱりそうか。
上海と私の関係と違い、蓬莱はどちらかと言えば戦闘で今まで頼りにしてきた。日常生活でも側に置いてはいたけれど、その頻度は上海の比較にはならない。
上海が本来の主人の命令よりも私との絆を優先してくれた事は、ほとんど奇跡みたいなものだ。蓬莱はまず間違いなく……素直に解いてはくれないだろう。
周囲に蓬莱の姿は無い。という事は居場所は人形達の寝室だろうか。私がそちらに足を向けようとすると、体が突っ張った。
振り返ってみると上海が私のスカートを掴んでいて、私はつい苦笑する。
「そんな泣きそうな顔をしないの上海。美人が台無しよ? 私はちょっとだけ蓬莱と話をしてくるだけ。良い子だから手を離して、これじゃあ歩けないもの」
私はしゃがみこんで、上海と同じ目線で目を合わせて頭を撫でる。
しばらくして、上海はそっと手を離した。
私は上海から見たら、凄く困った主人なんだろうなぁ……と思わずにはいられない。
改めて私が蓬莱達の寝室に足を向けると、上海は私の側に寄り添うようにぴったりと付いてきた。
「上海は……いえ、何でもないわ」
できれば一緒に行かない方が良いかと思ったのだけど、これは流石に言っても無駄な気がしたので、私は敢えて言葉の続きを言うのをやめる。
その時、私は不意に思った。
上海はもう立派な自立人形じゃないの。だとすれば、私は自分の研究テーマの結晶とでも言うべき姿が、長い間ずっと側にいたのに気がつかなかった事になる。
自分の鈍さに呆れ私は苦笑せざるを得なかった。
けれど、そんな弛緩した空気は、扉を明けた次の瞬間一気に吹き飛んでしまった。
私は思わず息を呑む。
何故かって、私が来るのが分かっていたとでも言わんばかりに、普段よりもずっと強力な魔力を漂わせて宙に浮かぶ、蓬莱人形の私を見る視線が。
敵に対して向けられるものと同じだったから――
「あー、熱いお茶が美味しい時期になって来たわねぇ。一年中美味しいけどね」
縁側に腰掛けて、私は今日も湯飲みを傾ける。寒さは大分厳しくなったけれど、それでもまだ初雪には早い。
うちの神社も幸いに今の所はまだ雪かきの必要も無く、そして落ち葉が降る季節は終わり異変らしい異変も無いので、私は思う存分ゆったりした毎日を送っていた。
でも……そろそーろ、何か厄介な事が起きそうな感じがするのよね。
ふと私がそんな事を思った直後、風を裂くような音と共に見知った黒い影が私の目に入る。程なく、箒を手に降り立つ厄介事。
「何しに来たのよ魔理沙……って」
が、魔理沙の表情を見て私は軽く驚いた。
私の良く知る魔理沙は、いつだって余裕に溢れていて、悪戯っ子のような笑みを絶やさない陽気な友人であるのに。
「霊夢すまん! 音速の遅いお前さんに悪いんだが急ぎの用を頼まれてくれ。今すぐ魔界に行って、あそこのチビ神様を引っ張ってきてくれないか?」
魔理沙の顔から、いつもの笑みが消えていた。
「……しょうがないわね……。説明要らないわ、あんたの顔見たら大体分かったから。でも昔みたいに、直通ルートなんか無いから時間かかるわよ」
魔界観光ツアーなんかがあった頃と今は違う。
行く方法はあるけれど、そう以前みたいにホイホイ辿り着けるような場所では無いんだもの。
「ああ、構わんから頼む。これ以上余計なちょっかい出すなって、メディスンのバカにはお灸をすえたが……正直どこまで守るか分かったもんじゃないし。余程の事が無い限り大丈夫だとは思うんだが、まずは動いてから考えた方がいいだろ」
「状況が危険なのは分かったから少し落ち着きなさいよ魔理沙、あんたらしくもない」
せわしなく神社の庭をうろうろと歩き回る魔理沙に、私は声をかける。
私に言われて、ようやく過度に焦っていた事に気がついたのか、魔理沙は小さく息をはいて縁側に腰掛けた。
「あー……そだな。……おっほん。霊夢、喉が渇いたんで茶でも一杯くれ」
魔理沙の言葉に急須の中を覗いて見たが、既にお湯は無かった。でも淹れにいくのもめんどい。
「はい、これあげるから勝手に飲んで。湯のみはちゃぶ台の上にでも置いといてよ」
いらん所で今日も当たる自分の勘に苦笑しつつ、飲みさしの湯のみを魔理沙に押し付けて、私はゆっくり立ち上がった。
行き先は――魔界。
■師走 壱/1
「…………」
昨日の帰りメディスンに言われた事を、今日一日、私はずっと考えていた。
けれど、意味がさっぱり分からない。
『きっとアリスは人形達の女王様なのね』
これはまあ、何が言いたいか分からないでも無い。
私は人形遣いとして数多くの人形達を自分の支配下におけるんだから、そういう意味で、比喩的にそんな表現が出来ない訳でも無いし。
『あなたも私と同じ。人形だもの。やっぱり知らなかった?』
でも、この言葉は決定的に私の思考から逸脱していた。
比喩的な意味を考える余地も何も無い。素直に言葉通り理解するならば、メディスンは私が。
アリス=マーガトロイドが人間でも魔女でもない、人形そのものだと言ったのだ。
「やっぱり、意味が分からないし全く笑えない冗談よ。私は生粋の魔界生まれで、こっちで修行を積んで魔女になった。悩む余地なし、どう考えても妄言に決まってるわ。……ねえ上海、あなたもそう思うでしょ?」
側にいた上海人形に尋ねると、上海は大きく頷いて私の膝にちょこんと座る。
「上海は本当に良い子ね。……よし、やめた。考えすぎると頭が馬鹿になっちゃうわ。ねえ上海、喉が渇いたしちょっとお水でも持ってきて」
上海の頭を撫でてあげた後、命令を下すと嬉しそうに外にある水瓶まで飛んでいく。
が、水で満たされたグラスを抱えて戻ってくる上海の姿を見ながら、私は強烈な違和感を覚えた。
――それは……気がついて当然の事を私が幾つも見落としているような感覚――
そして、程なく側に戻ってきた上海が私の手にグラスを渡す。
冬の外気温で冷やされた水のひんやりとした冷たさが、私の掌からびりっと頭へ駆け抜けた瞬間。私は違和感の正体に気がついた。
そうだ。
ありえないんだ。
上海や蓬莱は『私の命令を無視して』メディスンを攻撃した。
あんな事は本来、絶対に起こっちゃいけない。
完全に確立した自立人形でもない限り、主人のサポート内容を自ら考えて行動するのさえ、ほぼ不可能なのに。主人の命令と反対の行動を取るなど、私の作った人形ならば絶対に不可能だ。
そして、その結論から導き出される答えはただ一つしかない。
上海や蓬莱は、私の子じゃ……ない……!?
私の手をすり抜けて、何かがゆっくりと地面に落ちる。
カシャン! という音を立てて『それ』は粉々に砕け散った。慌てて塵取りを取りに向かう上海の手を私は掴む。
「上海、ちょっとここにいなさい。考えたい事があるの」
有無を言わさず、上海の手を強く握り締めたまま私は頭をフル回転させた。
そんな馬鹿な。幾らなんでもそんな事は無いはずだ。
記憶の糸を辿るように、私は自分の作った人形の事を考えていく。
仏蘭西人形・和蘭人形・露西亜人形・西蔵人形・京人形・オルレアン……。
どのような過程で、いつ、どんな失敗などを経てあの子達を作ったかを私は一つづつ頭の中で思い出していく。
無論、忘れる訳が無い。苦労して作った人形達の事だもの、はっきり覚えている。
そして私は、自分の目の前にいる上海人形の顔をじっと見た。
不安そうに私の視線を正面から受け止める上海。
この子と蓬莱は私の大のお気に入り。
だからいつどこで作ったかなど、悩むまでも無く思い出せる……はずなのに。
どれだけ記憶の糸を手繰り寄せても、私の脳裏には。
上海人形や蓬莱人形を自分の手で作った時の記憶が、全く浮かんでは来なかった。
私の全身から、一気に血の気が引いていくのが分かる。
でも。もし上海や蓬莱が私の作った人形じゃないとしたら。誰か別のマスターの命令で私の側にいるのだとしたら……全ての辻褄が合ってしまう。
「上海!」
次の瞬間、私は上海を掴み叫んでいた。
ビクッと私の手の中で子供のように震える上海の姿に、私の胸が痛む。けれど、聞かなければいけない。
「上海……あなたのマスターは……誰?」
脅えながら私を指差す上海の頬を、私は反射的に叩いていた。
そんな嘘なんか聞きたくない。
「もう一度聞くわ、答えなさい上海人形。あなたの本当のマスターは誰なの!?」
複数の相手の命令を受けさせられる上に、半自立行動まで取らせられるような奴……どう考えても私より数段は上の力を持つ人形遣いだ。だけど、そんな奴の心当たりなんか私には無い。一体誰が……!
けれど、上海は悲しげに俯いて小さく首を横に振った。
『答えられません』と。
上海の反応は二つの意味で私にとって衝撃だった。一つは上海が私の問いかけを初めて拒絶したこと。そしてもう一つ。
上海が拒絶した時点で、私の想像は全肯定されたのだから。
「……もし答えないなら……私は、あなたを壊すわ。教えなさい上海」
これは私から上海への最後通告だった。
私は上海の首に手をかける。拒否したら首をへし折れるように。
けれど上海は抵抗するそぶりも逃げ出す様子もなく、覚悟を決めたかのようにぎゅっと瞳を閉じる。
このまま力をこめて引きちぎれば、上海は私の使い魔ではなくただの物体になりさがる。……だけど。
私は上海の首からそっと手を離す。
どうしようも無く悲しくて、涙が溢れた。
「……バカ……大切なあなたを壊せる訳ないじゃない……! なんで、どうして答えられないのよ!?」
上海は何も答えてはくれない。ただ黙って私の側にいた。
おぼつかない足取りで、私は寝室へと向かう。私の後ろをついてくる上海を、私は睨みつけ一喝した。
「ついて来ないで!」
ドアの前でおろおろする上海に構わず、私は力任せにドアを締めて厳重に魔法の鍵をかけると、頭から布団を被り纏まらない考えを整理する。
どうして上海が私に何も伝えられないのか。
一番ありうるのは上海の真のマスターが、私に自分の事を伝えるのを禁止している場合だ。そして、恐らくそうだと考えて間違いないだろう。
でも何故? 目的がまるで分からない。私はただの魔界出身の魔女に過ぎないし力だってそんなある訳じゃない。
何より解せないのは……上海は今までずっと戦闘でも生活でも私の手助けになってくれていた。何か私に害があるなら、まだ意図も想像できるのに。
「どこのどいつか知らないけど、一体何がしたいのよ……」
私は頭を抱える。
でも、まさか私が顔も知らない相手とは思えない。
そうだ、とりあえずは自分の記憶を一番古い所から辿って、そんな事をやりそう・できそうな相手を考えてみよう。
知識こそが魔女の力、これでも物覚えに私は自信があるんだから。
そして、一つ一つを細かく思い出そうと昔を振り返った時。
……私は愕然とした。
魔界を出てこちらに家を建てた時の事、春を集めた亡霊の大さわぎ、魔理沙と夜を止め月の姫をとっちめに行った事、もういないと思っていた鬼との宴会、写真マニアのブン屋との出会い。大して時間が経っている訳では無いから当然だけど、全てを事細かに覚えているのに。
魔界の頃の記憶が、まるでぼやけた霞のように判然としない。
神綺様の事は良く覚えている。末っ子の私を、ちょっと行きすぎな位本当に愛してくれたお母さん。そして、子供っぽくお茶目なお母さんを、いつも支えていた夢子さん。
……でも。何て言ったら良いんだろう。漠然と凄く楽しかった事は分かるのに。
遠目からは美しい七色の虹が近寄り過ぎると何も見えなくなるように、詳しい事を、ほとんど何もロクに思い出せない。まるでそこだけ封印でもされたみたいに――
「封印!?」
その時、私の頭の中で何かが繋がった。布団を跳ね飛ばし飛び起きる。
人形は使い方によって様々に用途を変える。
単なるおもちゃから、使い魔まで。対象を呪い殺す呪具にもなるし、形代として自らの身代わりにする事もできる。
そして、全く判然としない昔の記憶。私の側には私の手によらない人形が二体……って、まさか……!?
「上海や蓬莱が、私の記憶を封じる呪いになってる……!?」
それはあまりに突飛で、思いついた自分の頭を疑いたくなるほど、俄かには信じがたい結論だった。
■師走 弐/聖夜前夜
それから三日三晩を、私は自分の部屋の中だけで過ごした。
最初の一日は、頑張って昔の記憶を掘り起こそうとして徒労に終わり。
次の一日は、自分の考えが愚かな妄想で真実は別にあると考えて、見つからず。
そして今。私は身につけている全ての物を外して全裸で鏡の前に立っていた。外から私に加えられている魔力の有無を確認する為に。
魔力感知なんかは、魔女の使う魔法としては初歩中の初歩だ。
ただ、微弱な魔力の場合は身につけている僅かな魔術の所持品で紛れてしまう事もある。というか私が気がつかないはずが無い。
けれど、鏡を前にして私は逡巡する。
『確認するのが怖いの?』
と、鏡に映る私が語りかけたような気がした。
……大丈夫、きっと私の思い過ごし。ただ私が昔の事をちょっと忘れただけ。
だから恐れるな、アリス=マーガトロイド。
きっと鏡を見据え、私は一度大きく深呼吸をして魔力の感知を始めた。
私の魔力は七色。それ以外の色がなければ私の単なるド忘れという事になる。
けれど。
「……嘘……嘘よ……」
それは本当に極僅か。鏡で映して注視しなければ分からない程に。
けれど、虹の七色には絶対に含まれてはいけない、呪いの呪力を指し示す黒が……確かに鏡に映っていた。
それはつまりどういう事?
決まってる。誰かが私に呪いをかけた。それも、呪いをかけられた事実さえ私が覚えていないような性質の。
そして、呪いの矛先はほぼ間違いなく私の昔の記憶。
「……こんな封印をかけられるって……私の過去には何があったの……」
鏡の前にいる私に向かって私は問いかけずにはいられなかった。
でも、鏡の向こうの私は何も答えてくれない。
その時、私の脳裏にパチュリーの言葉が不意に浮かんだ。
『世の中には知らない方が良い知識もあるから気をつけなさい』
直感で私も悟る。きっと、その知識は『これ』なのだと。
でも私の記憶は私のものだ。
誰かは知らないが、他人にどうこうされる物であってはならない!
けれど、その後も幾ら頭を捻っても私は、失われた自分の過去を思い出すことは出来なかった。
私への呪い……記憶の鍵は間違いなく上海と蓬莱だ。でも他の人形なら構わないとしても、あの子たちを壊す事は……私にはできない。
「どうすればいいのよ……」
完全な手詰まりに陥って私が頭を抱えた時、唐突に玄関のドアが無遠慮に叩かれた。
『おーい、ケーキを強奪に来たんだがアリスいるか~? いないなら勝手に入るぜ』
いつもは邪魔な魔理沙の声が今だけはとても懐かしく感じた。それは日常そのものだったから。
閉じこもっていた部屋の鍵を解き、私は玄関へ向かおうとして初めて、裸のままだった事に気がつく。
「うぁ……。い、1分だけ待ってなさい!」
大慌てで服を着なおして私は玄関へ向かう。
上海と蓬莱が私の姿に気がついてすぐ飛んできたが、私は二人の姿をまともに見られず自然と目を逸らしてしまった。
「よぉアリ……うぉ。随分と今日はまた凄い髪型だな」
私の姿を見て目を丸くする魔理沙。……そういえば、ここ数日髪なんか全然梳かしてなかったっけ。
髪を掻き毟るわ、布団の中に篭るわしてたから、さぞ酷い癖毛になってるだろう。
「こういう気分の時もあるの。で、何の用なのよ」
「何だ聞こえてなかったのか? 今日はクリスマスイブだろ、つーわけでケーキくれ。それと外は寒かったし熱めの紅茶も頼むぜ」
ほい、とばかりに手を出す魔理沙。その言葉で始めて、私は今日がクリスマスイブである事を理解した。
一瞬なんと答えたら良いか分からず、おかしな間が空いてしまう。
「ん? どーした変な顔して」
怪訝な顔をする魔理沙に悟られないように、私は殊更大きな溜息をついて返す。
「あのねぇ魔理沙……確かにお菓子作りは私の趣味だけど、うちはケーキ屋じゃないんだから堂々とたかりに来るな。それに今年は作ってないわよ、ちょっと……研究で忙しかったから」
忙しかったなんてのは勿論大嘘。今日が何日かさえ、私は今の今まで忘れていた位なんだから。
「おいおいマジですか。美味しかったから自分で全部食いました、とかはなしだぜ」
いつものにまにまとした笑みを浮かべながら、じろじろと私のお腹辺りを眺める魔理沙。
―― 家に篭りっきりで太ったんじゃないの? ――
その時また、私の脳裏に一瞬、変な光景が映った。
魔理沙が私に、そんな事を言う姿が、まるでどこかで見た映像のようにはっきりと。
「…………魔理沙。ちょっと聞きたいんだけど」
「スリーサイズとアレの日を聞いてきたら問答無用でマスタースパークお見舞いしてやるが、なんだ?」
茶化す魔理沙に構わず、私は疑問をストレートにぶつける。
「私……あんたにそんな事を言われた事ってなかったかしら……。最近じゃなくて、もっと昔に」
「あー? そんな昔の事なんか覚えちゃいないぜ。何せ私は常に前だけ見て生きてる人間だからな」
ひらひらと手を振り魔理沙が笑う。
そしてすぐに、魔理沙は私から目を切り周囲を見渡し始めた。
「そういや上海はっと。お、いたいた元気してたか? 何だ上海、今日は随分と元気無いな。ひょっとしてアリスに苛められたのか?」
いつも私の側にいるのが当然の上海が、所在無げに空中で佇んでいるのを魔理沙が目ざとく見つけて話しかける。
普段の私だったら、怒鳴って魔理沙の手からすぐ上海を取り返しただろう。
でも、今の私は何も言えない。ただ黙って魔理沙の手の中にいる上海を見ているだけしかできなかった。
そんな私を、上海も今にも泣き出しそうな表情でじっと見つめ返してくる。言葉は無くても気持ちが全部伝わるのが、こんなにも不便なのを私は初めて知った。
「って……おいおい本当に大喧嘩でもしたのかよ。まあ上海が原因……って事はないだろうし、どうせアリスが悪いんだろ」
「そんなんじゃないわよ!!」
完全な八つ当たりと承知で、私は魔理沙に怒鳴り散らす。
「私におかしな呪いがかかってるのよ、記憶に干渉する性質の悪いのが! そして、その呪いの魔力触媒が調べてみたら上海と蓬莱なの!!」
一気にまくし立てた後、叫んだ私自身にその言葉は刺さった。認めたくなかった事実を、嫌でも正面から受け止める羽目になったから。
でも魔理沙の反応はもっと意外だった。
大きく目を見開いたまま、私を凝視している。
……まさか。
「魔理沙、まさかあんたが……!?」
「ち……違うぜ私じゃない……」
それは恐らく反射的に魔理沙の口から出た言葉だったんだろう。
すぐに魔理沙は首を大きく横に振る。
「あ……いや。つーか落ち着けよアリス、妄想も度が過ぎるぜ。そんなもんある訳ないだろ……」
慌てて否定する魔理沙の表情から、いつもの余裕は全く無かった。
魔理沙に出来ないのは恐らく間違いないだろう。こいつは、そんな器用な真似が出来るような魔法使いじゃない。
でもこの態度……絶対に魔理沙は、少なくとも何かは知っている……!
「魔理沙教えて! あんたじゃないのは言われなくても分かってる。こんなおかしな呪いを私にかけたのは誰! 上海と蓬莱は私の子じゃないなら誰の子なの!? 話して魔理沙!!」
魔理沙に詰め寄り、私は両肩を掴んで魔理沙を揺さぶる。
「……わ、私は何も知らないぜ……」
「嘘よ! ……考えてみたら、メディスンの話をした時からあんたの態度は変だった。どんな過去か知らないけど、私の過去は私のものよ!」
「アリス力入れすぎだ……いた、痛い……やめ……」
我を忘れて私が魔理沙に詰め寄っていた時、私の胸に強い衝撃が走る。上海が私の胸に向かって体当たりしたのだという事を、私の頭は少し遅れて理解した。
「あ……」
はっと我に返った時、魔理沙は既に涙目になっていた。
昂ぶった気持ちが引き潮のように収まっていき、私は魔理沙から手を離す。
「……良いかアリス、もう一度だけ言っとくぜ。そんなのは妄想か白昼夢か何かだ、頭を冷やせよ……」
魔理沙はそれだけ言うと、逃げるように足早に出て行ってしまう。
ぽつんと残された私に、閉塞感と孤独感が一気に押し寄せてくる。
けれど。あれだけ酷い事をして、罵声まで浴びせたのに。
そんな私の寂しさを埋めるように、そっと私の肩の上に何かが乗っかった。
「上海……」
そう、私は知っている。誰よりも良く知っている。上海が私の為にならない事なんか絶対にしない事を。
ついさっきだってそうだったじゃないの。あのまま激情に駆られて魔理沙を締め上げてたらどうなっていたか。
私は正面から上海を見据える。
「上海……今から言うのは主人としての命令じゃない、ただの私のお願い。……どんな過去であっても、私は知りたい。だから、もしあなたが……私の為を思うなら、教えて欲しいの」
普通に考えれば、上海がこんな頼み方で封印の鍵を解いてくれる訳なんか無い。
人形遣いである主人の意に忠実に動くのが人形の役目。だから、人形にお願いなんかするのは物凄くナンセンスな事だ。
でも……私は。例え解いてくれないにしても、私じゃない誰かの意向ではなく、上海自身が私の事を考えた上で決めてくれると……信じた。
私には何分にも何十分にも感じられた間の後、上海は私に伝えてきた。
『絶対に後悔しない?』と。
「約束するわ上海。例えどんな過去だったとしても、私は後悔しない」
私の返事に、上海は意を決したように顔を上げて身を乗り出し。そっと……私と唇を重ね合わせる。
次の瞬間、私は奇妙な感覚に襲われた。
まるで頭の中の霞が、風に吹き飛ばされて一気に晴れていくような。
「そうだ。確か……魔理沙の馬鹿が、魔界に物見遊山に来て暴れまわってた事があったんだっけ……」
戻ってきた記憶。
それは確かに私の過去だった。
***
おやつの時間も終わった、ぽかぽか陽気のお昼すぎ。
「そーっと、そーっと……」
わたしはというと、物音を立てないように部屋から逃げ出す真っ最中だったりする。
本当は魔法使って降りたいけど、そんな事したらお母さんや夢子さんにあっと言う間にばれるから、ロープを下ろしてゆっくりと降りる。
「せーのっ」
地面まであと少しの距離になってから、わたしはロープから手を離して飛び降りた。
よっし、脱出成功~♪
その時わたしの頭の上からお母さんの声が聞こえてくる。
「はーいアリスちゃん、お勉強の時間よー。あれ? ……アリスちゃーん!?」
あっぶなーい……どうやら間一髪だったみたい。
窓の下を覗き込まれる前に、そそくさとわたしはその場から逃げだす。
「……さては……。また逃げたわね、まったくもうっ!」
頬をパンパンに膨らませて地団太を踏むお母さんの姿が簡単に想像できて、わたしはつい含み笑いを禁じえなかった。
別にお勉強は嫌いじゃないし本を読むのは大好きだけど、わたしだってまだ子供だし。ごめんなさーい、と小声で謝ってからわたしは街へと遊びに行く。
けれど、いつもの行きつけのお菓子屋さんの前まで来て私は目を疑った。
「え? ……ええぇえー!?」
目の前にあったのは、建物じゃなくて瓦礫の山。その横でお店のおじさんが溜息をついて頭をかいてる。
「おじさん、これどーしたの!?」
「あぁ、アリスちゃんかぁ。何かやたら速くて黒い人間が街まで乗りこんで来てね。街の中でルイズさんとドンパチやらかしてたら、うちの店は流れ弾まとめて貰ってこの有様さ。だからごめんな、これじゃあ今日は何も売れやしないよ」
当然と言えば当然だけれど、おじさんのその言葉は見事にわたしの心を射抜いた。
街に遊びに来たら、まずここに来て好きな飴を買ってから回るのはわたしのお決まりのコースなのに……うう……わたしのりんご飴……。
いいや、しょげてる場合じゃない。
折角の一日をのっけからぶち壊しにしてくれた、その人間とやらを酷い目に合わせてやんないと気がすまない。主にわたしの!
「おじさん、その人間っていつここ通ってどっちに行ったの?」
「ついさっきだよ。『お腹空いたからどこかで、食べ物でも貰ってこようかしら』とかぬかしてたから、まだ街中にいる可能性もあるかもしれないけど」
うっわ、破壊工作だけじゃ飽き足らずに強盗まで!?
「分かったわ。おじさんのお店とりんご飴の敵はわたしが討ってくるからっ!」
引き止める声が聞こえたような気がしたけれど、わたしはそれを無視して言われた方向へ最短距離を飛んでいく。
ここの街はわたしの庭と同じ。何がどこにあるかは、地図なんかよりもわたしの記憶の方がよっぽど正確だ。……ずぇったいに逃がさないんだから!
そのわたしの熱意の賜物なのか、街の出口の手前で黒服に黒帽子の見慣れない姿を見つける。恐らく間違いなく強奪したんだろう、サンドイッチを頬張りながら。
あれだ!
「魔界人もたいしたことないな~。もうちょっと強い奴がいると思ったんだけどね」
「そこまでよ! そこの人間かどうか良く分かんない怪しい奴!」
街の出口まで引きつけてから、わたしは通り道を塞ぐように両手を広げて、そいつの前に立ちふさがる。
「失礼ね、どこからどう見ても普通の人間よ。そういうあんたは魔界の人かしら、可愛い可愛い」
いつの間にか側まで寄って来たかと思うと、事もあろうにその人間はわたしの頭を撫でた。
こんの……人を子供扱いしてー!
爆発寸前の怒りを無理矢理引っ込め、わたしはそいつの手を弾き返す。
「あのね……あなた、少しやりすぎよ。もう少しおとなしく出来ないの? 街の中で馬鹿みたいな高速で飛ぶわ、攻撃はするわ、食料は盗むわ……魔界に何しに来たか知らないけど、どれだけみんなが迷惑してると思ってるの。少し自重しなさいよ!」
指先を突きつけて、わたしは大声で怒鳴る。
けれどそいつは拗ねたように、むっとして私を見て睨んだ。
「なによ、生意気な。良いじゃない別に減るもんじゃなし。それにほら、魔界ってのは強いものが正義なんじゃなかったかしら?」
そして臆面もなく、いけしゃーしゃーと言い捨てる。
……よし決めた。こういう奴は一度、ずたぼろにしてやんないとダメだ。
「ふん。魔女みたいな格好してるけど、所詮は人間なんでしょ。どうせたいした魔法も使えないくせして、いきがってんじゃないわ!!」
「あら。試してみる、お嬢ちゃん?」
この期に及んで未だに完璧子供扱いされ、わたしの堪忍袋の緒が袋ごと弾けて爆発した。
「~~~! ゆるさない!! 見てなさいよ、魔界生まれの魔女の力!」
そして十分後。
ずたぼろになって地面に引っくり返っていた。誰がって……わたしが。
「しくしくしくしく……」
わたしの攻撃は全部鼻歌混じりで余裕で避けられただけじゃなく、魔力障壁もあっさり壊された。それどころか見ててはっきり分かる位に、手加減されたし……。
うう、お気に入りの服が穴だらけだぁ……。
「精進しなさい。なんちゃって、これ魅魔さまの受け売りだけどね。そだ、そういえばまだ名乗ってなかったかしら。私は霧雨魔理沙。それじゃあね~♪」
飛び去っていく、魔理沙と名乗った黒い姿をわたしは無様に寝転がったまま見ているしか出来なかった。
***
そうだ。私は物見遊山に来た魔理沙と初めて出会って、ぼろぼろにされたんだ。
その後、家に帰ったら夢子さんやお母さんまで酷い目に合わされてて、絶対に魔理沙を酷い目に合わせるんだって決めて魔法の猛勉強して。
そして……あれ。……その後、私はどうしたんだっけ。
思い出せない。
さっきまで霧のように判然としなかった記憶とは違う。
まるで無理矢理ここの一部分だけが切り落とされたように、想像さえ出来ない。すっぽりと、そこから先の記憶が抜け落ちている。
「魔理沙と戦った事があるのは思い出したわ、上海。でも……ここから先はどうなっているの……?」
上海は小さく首を横に振り、自分の封印はこれで全てだと伝えてきた。
確かに上海の言う通りだろう。ここから先の記憶は、これまでよりもさらに厳重に、強く干渉されてるのが私にも良く分かる。
「上海、ありがとう。それと……この前、私はあなたに酷い事を言ったわ……ごめんなさい」
胸の中にいる上海を私は優しく抱きしめる。
そうだ。これまでに上海が私の味方にならなかった事なんか、一度も無かったじゃないの。上海が私の子じゃない何て関係ない。上海はいつも私と一緒だ。
これまでも。そしてこれからも。
「……私の残りの記憶は蓬莱が持っているんでしょう?」
問いかけると上海は返事に困ったように俯いた。……やっぱりそうか。
上海と私の関係と違い、蓬莱はどちらかと言えば戦闘で今まで頼りにしてきた。日常生活でも側に置いてはいたけれど、その頻度は上海の比較にはならない。
上海が本来の主人の命令よりも私との絆を優先してくれた事は、ほとんど奇跡みたいなものだ。蓬莱はまず間違いなく……素直に解いてはくれないだろう。
周囲に蓬莱の姿は無い。という事は居場所は人形達の寝室だろうか。私がそちらに足を向けようとすると、体が突っ張った。
振り返ってみると上海が私のスカートを掴んでいて、私はつい苦笑する。
「そんな泣きそうな顔をしないの上海。美人が台無しよ? 私はちょっとだけ蓬莱と話をしてくるだけ。良い子だから手を離して、これじゃあ歩けないもの」
私はしゃがみこんで、上海と同じ目線で目を合わせて頭を撫でる。
しばらくして、上海はそっと手を離した。
私は上海から見たら、凄く困った主人なんだろうなぁ……と思わずにはいられない。
改めて私が蓬莱達の寝室に足を向けると、上海は私の側に寄り添うようにぴったりと付いてきた。
「上海は……いえ、何でもないわ」
できれば一緒に行かない方が良いかと思ったのだけど、これは流石に言っても無駄な気がしたので、私は敢えて言葉の続きを言うのをやめる。
その時、私は不意に思った。
上海はもう立派な自立人形じゃないの。だとすれば、私は自分の研究テーマの結晶とでも言うべき姿が、長い間ずっと側にいたのに気がつかなかった事になる。
自分の鈍さに呆れ私は苦笑せざるを得なかった。
けれど、そんな弛緩した空気は、扉を明けた次の瞬間一気に吹き飛んでしまった。
私は思わず息を呑む。
何故かって、私が来るのが分かっていたとでも言わんばかりに、普段よりもずっと強力な魔力を漂わせて宙に浮かぶ、蓬莱人形の私を見る視線が。
敵に対して向けられるものと同じだったから――
旧作のキャラの登場にも期待してます!
でも今一番欲しているのは続きなのですよ~、これが。
続きが気になる終わり方をして下さるから実に楽しみです!
頑張って下さい。
そういう意味でも続きが気になる
にしても、続きが気になる!題名の由来も気になる!
誰もいない……最終話UP前にレス返しするなら今のうち……(こそこそ)
>続きが(以下略)期待(ry
難産です。何が難産かって、現在進行形で書いてる最終話がっ(進行度数85%)
もう書いては消し、書いては消しの連続ですが頑張ってます。
この話は妥協して出したら多分、私は一生後悔するはずなのでっ! プレッシャーだけでなく、この話は自分との戦いでもありますが……きっと書ききって見せます!
なお、第一話が10KB、第二話・第三話が23KBですが。
最終話は多分、40KBを軽くオーバーするのが確実な情勢です(汗)
>旧作のキャラの登場
はい、ぶっちゃけまして登場します。それも複数w
>上海人形
可愛いですよね、上海。
本当にアリス思いで……可愛い子ですよね……。
>タイトルの意味
ああ、タイトルを気にして下さる読者さんがいた……嬉しい……。
仰る通り、このタイトルには深い意味と思い入れがあります。そして、現時点で分からないのも当然です。この時点でばれてたら私は凹みますw
ラストの時点で、タイトルの真の意味が分かるようになっていますので、そこで読者の皆さんの心を打つ事が出来れば幸いですー。
>うふふふふ
難産の最大の理由は魔理沙なんですよ(汗)
普段の魔理沙の描写に慣れすぎてるせいか、旧作魔理沙を書くのと、魔理沙の思考描写の摺り合わせが滅茶苦茶に難しいんです。匙加減わずかでも間違えると、その度毎に書き直しになるんで……(書き直しの8割が魔理沙絡みです)
>アイデンティティを否定&上海との絆
うあああああああ(汗)
のののの、ノーコメントでっ!!(汗)
その鍵を握るのは上海人形と蓬莱人形だった。
こんな物語を書いてくださったはね~~氏に感謝しています。