あらかじめ作品集47の『従者と門番』だけでも読んでおいた方が、きっとより面白くこの作品を読めます。けど、読んでおいてもつまんない物はつまんないかも知れません。
始まりはいつもの宴会、いつもの喧嘩。
「そこに直れ輝夜、今すぐに灰にしてやるから」
「いやーん。もこたんが苛めるー」
「うわ! 気持ちわる!」
飽きないのかこいつ等は、という周りの視線を浴びながら、案の定飽きずに喧嘩を続ける妹紅と輝夜。
「ちょっと、あんた達こんな所で殺り合わないでよね。今日は珍しく魔理沙が居なくて平和なんだから」
あまり効果は無いんだろうなぁ、と思いつつ一応注意を促す博麗の巫女。
「輝夜に言ってくれ。合うたびにちょっかい出してくんのはコイツなんだから」
「あら、心外ね。合うたびに熱烈な視線を感じるから構って欲しいのかと思ってたわ」
里の子供が目を合わせたらその場で泣き出してしまうような妹紅のガン垂れも、永遠の姫の前では意味を履き違えるらしい。
「別に喧嘩するな、とは言わないわよ。ただ周りに迷惑を掻けるなって言ってんの。主に私に」
最後の方を強調した霊夢の言葉は、果たして二人の耳に入ったのだろうか。
「お前、長く生きすぎてついにボケが始まったか?」
「妹紅こそ、長く生きすぎてそろそろ気づいたんじゃないかしら?」
「気づくって何にだよ? お前のアホさ加減だったらとっくに気づいてるよ」
「私には永遠に敵わないって事よ」
「そこに直れ輝夜、灰も残さないから」
「いやーん。もこたんが怒ったー」
案の定、霊夢の言葉は耳に入ってなかったらしい。
そして、そろそろいつもの殺し合いが始まる雰囲気。霊夢はここで殺し合いを始めたらこいつ等しばらく宴会に出入り禁止にしてやろう心に秘めた。
「今日は格段に頭に来た! 今までのミディアムですむと思うなよ、今日はウェルダンだ!」
「あら、今までミディアムだったの? ずっとレアだと思ってたわ」
売り言葉にたいしてお釣りが返ってくるような買い言葉、殺し合いまで五秒前である。ちなみに周りは、
「咲夜、私のグラス空っぽなんだけど……」
「はぁ。美鈴、今頃何してるかしら……」
「あの、咲夜? 出来れば無視しないで欲しいわ」
とか、
「永遠亭も大変ですね。鈴仙」
「それはお互い様でしょう。妖夢」
とか、
「霊夢って微妙に凄いですね、こんな宴会仕切ってるなんて。私なんて神奈子様と諏訪子様だけでも大変なのに」
「今日は魔理沙が居ないだけ静かよ。てか、同情するあんたも手伝いなさいよ」
とまぁ、周りは周りで大変なのでこの二人の喧嘩の仲裁なんてするわけも無く、喧嘩は続く。だが、ここで輝夜が以外な提案をした。
「ねぇ妹紅。いつも殺し合いじゃつまらないから、今日はこれで勝負しましょ」
そう言って洋酒のラベルが貼られた酒瓶を手に取る輝夜。
「飲み比べか。まぁいい、後悔するなよ!」
「それじゃ決まりね。負けた方が勝った方の命令を聞く、でどう?」
ありがちだが相手がどんな命令をしてくるかわからない為、絶対に負けられない。
「ふん! 後で負け犬の遠吠えさせてやるよ」
「じゃあ私が勝ったら、もこたんを布団の中で子猫みたいな声を出させようかしら?」
「……今、ちょっと本気で引いたぞ」
こうして二人の飲み比べが始まった。
そんな自分のプライドを賭けた飲み比べが行われている頃。一方、ここ紅魔館門前。
「あうあう~♪ 馬鹿じゃないも~ん♪ アタイは~馬鹿じゃないも~ん♪」
「あ、チルノちゃん。こんばんわ、どうしたのこんな時間に?」
「あ、めーりんだー。めーりんこそ何してるの?」
「いや、何って……門番してるんだけど、チルノちゃんはお散歩?」
「うん、こんな時間に散歩だなんてアダルトでしょう?」
「そうね、でもあんまり夜更かししちゃだめよ」
「いいの、アダルトだから」
「うーん、でもチルノちゃんはアダルトって言うよりチャイルドだから」
「? ちゃいるどって何?」
「まぁ、とにかくそろそろ帰った方がいいよ」
「それより、めーりん。散歩してたらお腹減ったんだけど何か食べ物ない?」
「え、食べ物? うーん、じゃあ何か食べたら帰ってくれる?」
こうして美鈴はチルノを引き連れ紅魔館の食堂へと向かう。一方その頃、神社の飲み比べはどちらが勝つかで賭けが始まっていた。
「私じゃこれくらいしか作れないけど我慢してね」
そういって美鈴はチルノの前に日の丸の旗が刺さったチャーハンを差し出す。
「いただきまーす!」
チャーハンを見るや直ぐに食べ始めるチルノ、それをにこやかに見つめる美鈴。
「どう? 咲夜さんには及ばないけど、美味しい?」
「ふぅん。ほいひいふぉ」
何言ってるかわからなかった。
「えと、チルノちゃん、もうちょっと落ち着いて食べてね。ほっぺがリスとかハムスターみたいになってるから」
「ふぇ? ふぁふぁった」
やっぱり何言ってるかわかんなかった。
「まぁいいか。美味しそうに食べてくれてるし」
「ん! んんー! んんんー!」
「って、喉に詰まったの!? 大丈夫!! 水、水!」
頬袋を持っていないチルノがそんな食べ方をすれば当然であろう。美鈴から手渡されたコップの水を一気に飲み干すチルノ。
「ぷはぁー、まさか最強のアタイがチャーハンにやられるとは思わなかったわ」
「うん、そうね。私も予想外だったわ」
氷精、チャーハンに撃墜! そんな天狗の新聞の三面記事になるのはチルノも勘弁願いたかった。
一方その頃、神社の飲み比べは既に二人合わせてジンを十四本、テキーラとウォッカを十六本空けていた。
「よし、洗い物も終わったし、チルノちゃんそろそろ帰った方が――って寝てるし!」
チャーハンを食べ終え、その皿を美鈴が洗っている間にテーブルに頬をつけ眠ってるチルノ。
「ほら、チルノちゃん起きて、帰らないと」
「んん、アタイの力を持ってすれば、チャーハンを食べることなど……ぐぅ」
「わけわかんない寝言言ってないで、起きてってば」
懸命にチルノを揺さぶったりして起こそうと試みる美鈴だが、全く起きる気配が無い。
無理も無いだろう、普段ならチルノはとっくに眠っている時間だ。
「うーん、しょうがないなぁ。時間も遅いし、とりあえず私の部屋で寝かせようか」
美鈴はチルノを抱きかかえ、食堂を後にした。
そして翌朝、永遠亭と紅魔館でほぼ同時刻にちょっとした出来事が起きた。
「ん、ううん……ここは……?」
「あら? 目が覚めた?」
見慣れないような見慣れてるような天井を目にしながら妹紅は布団の中で目を覚ます。そして、いの一番に声をかけてきた人物が永琳という事は恐らく此処は永遠亭だろうと理解する妹紅。
「一つ聞きたいんだが、何で私が此処で寝てるんだ?」
「まぁ憶えてなくて当然ね。あなた倒れたのよ、飲み比べの最中に」
そう、あの後の妹紅はジンを十八本、テキーラ十二本、ウォッカを二十五本飲んで意識を失った。蓬莱人の胃と肝臓は体と同じで不死身のようだ。
「……じゃあ、輝夜に私負けたのか」
「ええ、そうなるわね。惜しい所まで行ってたと思うけど」
実に不機嫌そうな妹紅、罰ゲームの事を考えれば当然だろう。あの輝夜のことだ、何を言ってくるか想像がつかない。
「で、輝夜はどこ? どうせもうとっくに考えてあるんだろ、罰ゲーム」
「それなら私が聞いてるわ、その為にあなたを此処に連れてきて介抱したんだから」
「何だ、お前から何やればいいのか聞くのか?」
「ええ、そうなるわね」
妹紅はふーん、と頷きながら珍しいことも有るもんだと思う。あの輝夜なら直々に嫌味ったらしく言ってくると思ったのだろう。
「で、何をすればいい? 逆立ちしながら賽銭泥棒かでもするか」
そんな事をすれば妹紅は愚か、永遠亭に紅白の巫女がかち込みに来かねない。
「今、説明するわよ。丁度よく布団も敷かれてるしね」
「? 布団に何の関係が――」
最後まで言い切る前に妹紅は昨夜の輝夜の言葉を思い出した。
「私は少し急用が出来たから失礼するよ。介抱してくれた事には感謝する。それじゃ」
布団から出て、一刻も早く此処から立ち去ろうとする妹紅。
「はい、逃げようとしないの。冗談だから」
「……一瞬、いつの日か輝夜を殺した暁にはお前も殺そうかと思ったよ」
「あらあら、物騒ねぇ。まぁ、それは置いといて、はいこれ」
そう言って永琳は一通の手紙を妹紅へ手渡す。
「何これ?」
「姫様から、罰ゲームはこの手紙に書いてあるわ」
「ふーん。えーと、何々……ってなんだこれ? こんな事させて輝夜は楽しいのか?」
その内容は妹紅にとって、実に理解しがたい罰ゲームだった。
「さぁ? 姫様の考えることだから私にはわかんないわ」
「ちっ、まあいい。やればいいんだろ? 約束破ってあいつに卑怯者呼ばわりされるのだけは嫌だし」
「その割にはさっき逃げようとしたじゃない」
「あんな変態的趣向に付き合ってられるか」
そう言いきり、妹紅は布団から出て立ち上がる。
「んじゃ、早速行って来るとしますか。あれだけ飲んだ割には二日酔い無いし」
「それはそうでしょう。あなた一回死んでるんだし」
妹紅、起床十分後にして明かされる事実。
「えと、マジ?」
「ええ、急性アルコール中毒で」
いくら蓬莱人の胃や肝臓でも不死身ではなかったらしい。
「うん……まぁいいや、それじゃ行ってくる」
「行ってらっしゃい。姫様には私から言っておくから」
こうして妹紅は永遠亭を出て、何処かへと飛んでいく。その手には手紙を握り締め。
「姫、もう行かれましたよ」
「そう、やっと行ったの……」
「でも、良かったんですか? あんな罰ゲームで」
「良いも何も、私がこんな状態じゃろくな事出来ないから、何か適当に面白そうなこと書いただけだし」
「まあ、それもそうですが」
「うっ! え、永琳、悪いけどお水持ってきて頂戴。後、薬も」
「はい、ただいま。朝食は食べれそうですか?」
「無理、味噌汁一滴飲めそうに無いわ……」
永遠の姫、二日酔いで撃墜! もはや三面どころか記事にもならないだろう。
所変わって紅魔館。こちらの出来事は咲夜に起きたようだ。
「あ……ありのままに、起こった事を話すわ。私はいつもの様に美鈴の部屋で下着を物色して、美鈴に目覚めのキスをしようと部屋に忍び込んだ。そしたらベットに美鈴と氷精が眠っていた。な、何を言ってるのかわからないと思うけど、私も何を見たのか分からなかった……頭がどうにかなりそうだったわ」
「ええ、ホント信じられませんね。特に前半が」
この屋敷は例によって例のごとく、朝から騒がしい。この日もいつもの様にストーカー的咲夜の愛を美鈴が全力で受け流していた。
「ええ! 信じられないわよ! まさか美鈴に幼女趣味があったなんて!」
「幼女趣味はありませんが今の咲夜さんとチルノちゃんならチルノちゃんを選びます」
「そんな! かくなる上はこの氷精を亡き者にして――」
「そんなことしたら私、一生咲夜さんを嫌いになります」
「じゃあ、私にどうしろと!」
「とりあえず落ち着いてください。これ以上騒ぐとチルノちゃんが起きちゃうんで」
むしろこの状況で、今だベットの中で寝息を立てているこの氷精はある意味本当に最強かもしれない。
「そもそも起こしなさいよ! 何で氷精がここで寝てんのよ!」
「いや、そこら辺もちゃんと説明しますから。とりあえず食堂にでも行きましょうよ」
「そんなんで納得出来るわけ――」
「咲夜さんが作った朝ごはんが食べたいです」
「オッケー! 腕によりをかけて作るわ!」
美鈴は咲夜の操縦方法が自然と身に着いてしまった自分が何か嫌だった。
「という事があって、チルノちゃんを私の部屋に泊めたんです」
「あの氷精が私の敵って事はわかったわ」
「全く分かっていませんね。というか理解する気が無いですね」
「理解する必要なんか無いわ。あの氷精は私を出し抜いて美鈴の手料理を食べた挙句、終いには一夜を共にしている。これだけで死に値するわ」
食堂で昨夜の事を説明する美鈴。もっとも咲夜は聞く耳を持っていないが。
「ふふ、止まった時の中で何が起きたか分からないまま死んでいくといいわ。気がついたら全ての氷を同時に破壊されて給水タンクにぶち込まれてるんだから」
「私、チルノちゃん虐める咲夜さんは大嫌いです」
「さてと、そろそろあの氷精も起きるだろうから、朝食でも作ってあげようかしら」
と、言いながら席を立ち、厨房へと入っていく咲夜。美鈴はそれを見届けながら深いため息をしていた。
美鈴は一旦部屋に戻り、チルノを食堂に連れて行こうとした。が、チルノは相変わらずベットの中で爆睡中だった。
「ほら、チルノちゃん起きて、朝だよ」
「うーん、根掘り葉掘りの、根掘りは分かるけど……葉掘りってどういう意味?」
「私に聞かれても分からないから、とりあえず起きてってば」
「うあ、もう朝?」
「うん、だから起きて。今、咲夜さんが朝食作ってくれたから、冷めない内に食べようね」
「うん……食べる」
まぶたが半分以上閉じたままベットから出て、フラフラと歩き出すチルノ。あまりに見ていて不安なので美鈴はチルノの手を繋ぎ食堂まで歩き出す。
「咲夜さーん、チルノちゃん連れてきましたよ」
「あ、いいにおい~」
「全く、待ちくたびれ――朝から手繋いで現れるとは、本当にいい度胸ね」
咲夜は自分のこめかみに青筋が立ったのを感じた。そんな咲夜をスルーするように二人は席に着く。
チルノの前にはトーストやサラダ、スープが置かれる。
「いただきまーす!」
「ほら、チルノちゃん、咲夜さんにお礼言って」
「毒を盛っていない事に感謝なさい」
「んあ、 ふぁふぃふぁふぉう」
相変わらず何言ってるかわからなかった。
「あの、チルノちゃん? 落ち着いて食べないとまた喉に詰まるよ」
「ふぇーふぃ、ふぁたいふぁいふぉうふぁかひゃ」
「チルノちゃん、とりあえず私に分かるように喋ってくれないかな?」
「ふぅん、ふぁかっふぁ」
美鈴の言葉はチルノには聞こえていないようである。多分。
「美鈴、それじゃ私は仕事に戻るけど、その氷精早く帰しなさいよ」
「あ、はい。わざわざ有難う御座いました。朝食まで作ってもらって」
「ふぁむ、ふぁむ」
「そう思うのなら、今度、あなたの手料理を私にも食べさせなさい」
「ええ、それくらいならお安い御用ですよ」
「ふぁむふぁむふぁ――!? むー! むー!」
「メニューはあなたの女体盛りがいいわね」
「この話は無かったことに」
「むが! むが!」
「ごめんなさい、メニューはあなたに任せるわ」
「では今度、お作りしますね」
「ん……んん……」
「ええ、楽しみにしてるわ。それと、そこの氷精が大変なことになってるわよ」
「え? ああ! チルノちゃん大丈夫! 水、水!」
氷精、トーストに撃墜! 何となくチャーハンよりもダメな気がする。
その後、美鈴は仕事のために門前へ。暇なのか、それにくっついてくるチルノ。
「ごめんねチルノちゃん。咲夜さんあんなんで」
「ん? いいよ、アタイ最強だから」
これは会話が成り立ってるのか少し疑問だが、本人達が良しとしているなら良いのだろう。
「うん。でもね、本当は咲夜さんは凄くいい人なんだよ。完璧で瀟洒で、強くてかっこいいんだから。いや、ホントに」
それは美鈴が自分に言い聞かせてる様にも聞こえなくなかった。
「凄くて強くてかっこいいの?」
「そ、最高のメイドさんなんだから」
それが何であんなんになってしまったのだろうと考えると、目頭が熱くなるのでそのうち美鈴は考えるのを止めた。
「それって巫女よりも凄い?」
「そうね、私にとっては巫女よりもずっとずっと凄い」
凄かったんだけどなぁと、美鈴はあの紅い霧の夜を思い出す。あ、何かが頬を流れた。
「ふーん、それじゃアタイもメイドになる」
「そうね、チルノちゃんも頑張ってメイドにって――ええぇぇ!」
最近の美鈴の生活スケジュールは、ストーカー対策と驚くことで八割を締めている気がする。
「チルノちゃん、メイドって分かってる?」
「強くてかっこよくて巫女より凄いんでしょ?」
「いや、うん、確かに今そう言ったけど――」
「頼もー! ってこれじゃ道場破りだな。まぁいっか、殆ど喧嘩売りに来てるようなものだし」
「って、こんな時に来客!」
美鈴はトラブルは重なるとはよく言った物だと思いながら振り返る。そこには白髪の不死鳥、妹紅の姿があった。
「用件は何ですか? 場合によっては門番としての役目を果たさなきゃいけませんので」
「アタイ、メイドになるー」
「ああ、ちょっとね。ここのお嬢さまに話があるんだ」
「お嬢さまからは何の伝達も無いので、それだけで通すわけには」
「最強のアタイがメイドになったら、さらに最強ね」
「まぁそうだろうけどさ。うーん、永遠の姫からの紹介状じゃダメかね?」
「はい?」
「メイドチルノ、響き的にも最強ね」
「こっちにも色々あるんだよ。なんとかなんないかな?」
「はぁ、まぁ事情があるんでしたら一応、上に聞いてみますけど……」
「いや、やっぱりチルノメイドの方がかっこいいかも」
「それじゃ、ちょっと待っててくださいね。聞いてきますから」
「ああ、助かる。所で一つ聞いていいか?」
「何です?」
「待ってる間これはどうすればいいんだ?」
そういって妹紅が指差す先には、
「今日からアタイは氷精で最強なメイド」
「……そっとしといて下さい」
「……わかった」
「と、いう訳でして。お嬢様に会いたいと言ってるんですが……」
咲夜、そして紅魔が主レミリアが、ある一室で美鈴の話を聞いていた。
「お嬢様に話って、具体的にどんな話かは聞いてないの?」
「ええ、すみません。そこまでは……」
「まぁ、いいわ。通しなさい」
「お嬢様! 何の話かも分からずにいきなり通すのは――」
「構わないわよ。もしもの事なんて、万が一にも起きそうに無いみたいだし」
「ですが……」
「咲夜、私の身を案じてくれるのは嬉しいけど……私は通せと、言ってるの」
「……失礼しました。今、お連れします」
少し真面目すぎるが、主を思う咲夜のその姿は完璧で瀟洒だと美鈴は思う。そして、出来れば常時これを維持して欲しいとも願う。
「あ、それともう一つですね、咲夜さんにお話が」
「何かしら? デートの誘いならいつでもいいわよ」
「いえ、そんな事でなく」
「そんな事! まさかデートを飛び越えていきなりベットイン? まぁ私は構わないけど」
美鈴の願いは十秒と叶わなかった。
「だからそんな事でもなく、チルノちゃんの事なんですが」
「何? あの氷精まだ居たの?」
「ええ、それがちょっと困ったことになりまして……咲夜さんに何とかしていただきたいな、と」
「氷精? 二人とも、私が完全に蚊帳の外だからわかるように説明してくれないかしら?」
レミリアに昨夜の事を説明しながら、今、門前で起きたことを概ね話す。
「という訳で、ちょっと手を焼いてるんですよ」
「メイドを馬鹿にしているとしか思えないわね」
「いや、本人に悪気は無いんですよ? ただちょっと誤解があるだけで」
「誤解を解くくらいなら息の根を止めたほうが手っ取り早いと思うけど?」
「咲夜さん、怒りますよ?」
「……でも、実際に無理な話よ」
「ですから、咲夜さんに止めて貰いたいな、と」
「息の根だったら簡単に止められるけど、私にあれを説得しろというの?」
「私には到底無理そうなので」
やれやれ、とため息を吐きながらも仕方ないといった表情を浮かべる咲夜。
「別に止めなくていいわよ。メイドにするから」
そんな、咲夜の決意を無に帰すレミリアの一言。
「……あの、お嬢様?」
「……今、なんと?」
「だから、メイドにするの。氷精を」
ザ・わがまま。気まぐれキングの唯我独尊。
「お嬢様、私にも出来る望みと、出来ない望みがありまして」
「そう? 割と何とかなるんじゃないかしら?」
「……そうでしょうか」
「だって元々、ここのメイドは妖精なわけだし。いくら頭が弱いって言っても、ここのメイドの同じくらいでしょ?」
その頭の弱さで実際に苦労するのは誰でも無い、咲夜なのだがそんなことはレミリアにはあまり関係ないらしい。
「……お嬢様がそう言うのであれば」
「……ごめんなさい、咲夜さん」
こうしてチルノのメイド採用が決まった。咲夜は一旦門前に向かい二人をレミリアの前へと案内する。
「お嬢様、二人をお連れしました」
「ご苦労様」
咲夜は二人を部屋へ招き入れると、レミリアの右後ろ、定位置に着く。それに合わせる様に美鈴は左後ろへ。
「まずは氷精、チルノといったわね。あなたのメイド採用が決まったわ。詳しいことは後で咲夜に聞きなさい」
「ふっ、さすが最強のアタイね」
チルノのレミリアを前にして、あまりの言葉遣いに、咲夜のこめかみに青筋が立ったのを美鈴は内心ひやひやしながら見守っていた。
だが、肝心のレミリア自身はさほど気にした様子も無く、言葉を続ける。
「で、あなたは何用かしら? 不死鳥を呼んだつもりはないけど」
「えと、これ読んでもらえるかな」
妹紅はレミリアに例の手紙を手渡す。
「誰からかしら?」
「大酒のみのお姫様から」
昨夜の飲みあいに負けたのをまだ引きずっているらしい。
早速、手紙を読み始めるレミリア。
「ふぅん……。ごめんなさい、この手紙、意図がよく分からないのだけど?」
その手紙にはこう書かれている。
罰ゲーム、紅魔館で働くこと。ばいかぐや。
「昨夜、飲みで負けた罰ゲームだってさ」
「いや、それは何となく分かるわ。私、あなたに賭けて負けたし」
「ああ、それは悪かったね」
「うん、でもね、なんで罰ゲームがうちで働くことなのかしら? どうせなら永遠亭で働けばいいじゃない」
「それは私もわからない」
分からなくて当然だろう。輝夜自身、適当に書いたのだから。ちなみに永遠亭でないのは輝夜が二日酔いで倒れている姿を妹紅に見せれないからだ。
「迷惑なのは分かってるんだけどね。これやらないと、後であいつに何言われるか分かんないんだよ」
「別に迷惑ってわけじゃないけど、雇うにしたって期限も書いてないし」
「あ、ホントだ。あいつ適当だなー」
二日酔いで倒れている人間にそこまでの配慮は流石に酷である。
「うーん、じゃあこうしましょう。私があなたに賭けてすった分、働いて返す。というのはどうかしら?
「別にいいけど、それって何日くらい?」
「咲夜、どれ位?」
「昨夜、お嬢様が賭けた分と、ここでの仕事を給金で考えると、そうですね。ざっと三日ほどかと」
「ですって。これでいいかしら?」
「三日か……別にいいけどさ、どうせ暇人だから。けど一体いくら賭けたんだよ……」
かくして紅魔館は新たに二人の使用人が増えた。
「まずは、今からあなた達のメイドとしての適正を見るから」
「てきせーって何?」
「試験みたいなものか?」
あれから、美鈴は仕事に戻り、チルノ、妹紅の二人は紅魔館の廊下を咲夜に連れられて歩いている。
「そんな様なものよ。と言っても、あなた達は採用が決まった身だから、結果がどうあれ即クビって事は無いけど」
「ま、アタイ最強だしね」
「私は三日は此処に居なきゃならないしね」
咲夜は懐からメモ帳を取り出し、何かを書き始める。
「それじゃ最初の質問よ。あなた達、料理は出来る?」
「アタイ、カキ氷作れる」
「丸焼きなら得意かな」
「料理はダメ、っと。此処の清掃もやってもらう事になるけど、そこら辺は出来そう?」
「この間、家の大掃除したらタンスの裏から五百年前の小銭が出てきた」
「せーそーって何?」
「掃除もダメ、っと。最後に洗濯とかは?」
「まぁ、洗濯物が限界まで溜まったらやるって感じかな」
「服洗うことでしょ? たまにやる」
「洗濯が三角ってとこかしら。良かったわね、もうちょっとで無理言ってでもクビにするとこだったわ」
普通の妖精なら即刻クビだろう。
咲夜はある一室の前で足を止め、それに合わせて二人も歩みを止める。
「この部屋は空き部屋なんだけど、今日からあなた達の部屋になるから」
そう言って、咲夜はドアに手をかけ中に入り、二人も続けて入っていく。
「割と広いんだな。ベットもあるし」
部屋の中にはソファーと二段ベットが一つ、小さめの窓がさりげなくあるだけだった。
「このベット、アタイが上ね。アタイ最強だから」
「ああ、いいよ。私は下でも構わないから」
「話は後にして、最初のお仕事があるからついて来なさい」
「来て早々だな」
「あなた達の為よ」
「ベットふかふかー」
「そしてそこの頭空っぽ、人の話し聞かないと追い出すわよ」
「うおー! 重いー!」
「ほら、がんばんな。自分で使うんだから」
「二人とも何してるんですか?」
紅魔館内にて、妹紅とチルノはタンスを背負いながら歩いていた。そしてそれを偶然見つけた美鈴が声をかける。
「ん? ああ、門番さん。見ての通りタンス運んでんの。あのメイド長に、自分で使う分なんだから自分で運べって言われて」
「重いー! 腕がつるー!」
「ああ、私のことは美鈴でいいですよ。それでその咲夜さんはどこへ?」
「知んない。運べって言った後、どっかに消えた」
「でもめげない! アタイ最強だから!」
「はぁ、そうですか。所でお二人の部屋ってどこら辺にですか?」
「ここの廊下を曲がった先の空き部屋。ああ、こうして見るとこの屋敷ホントでかいな」
「ぬあー! 負けるなアタイー! って、腕つった腕つった!」
「外から見るよりずっと大きく感じますからね」
「これを毎日掃除してんのかと思うとあのメイド長、結構凄いな」
「ええ、咲夜さんは凄いんですよ。分かりづらいけど」
「も、だめ……倒れ――むぎゃ! タ、タンスに潰されるー」
「所で一つ頼んでいいか?」
「何ですか? 私に出来ることなら」
「うーあー、ぐるじー」
「両手塞がってる私の代わりに、その子助けてやってくれないか?」
「え? その子って――うわぁぁ! チルノちゃん大丈夫! 今助けるから!」
氷精、タンスに撃墜! よくチルノは今までこの幻想郷で生きてこれたと思う。
「ふう、何とか一段落だな」
「し、死ぬかと思った……」
美鈴に手伝ってもらいながらタンスを運び終えた二人。額に軽く汗を滲ませている妹紅に対して、チルノは息絶え絶えである。
「お前、こんな事で命を落とし損ねてたら、命が幾らあっても足んないぞ」
「平気、最強だから。そしてお前じゃない、アタイはチルノ」
「そら悪かったね、とりあえずこれからよろしく。私のことは妹紅でいいよ」
「ふ、困ったら最強のアタイを頼りなさい、もこー」
「ああ、そら頼りになるな」
チルノの話に適当に相槌を付きながら、手持ち沙汰になった妹紅はこれからどうすればいいか考えていると、ノックも無しに咲夜が部屋に入ってくる。
「タンスの方は運び終わってるわね」
「ああ、危うく死人が出るとこだったけど」
「アタイの力を持ってすればタンスを運ぶことなど」
「まぁいいわ。二人とも、着ている服を脱ぎなさい」
「え? 何そのセクハラ発言。上司に逆らえないのをいい事にうち等を手篭めにするつもり?」
「てごめって何?」
「馬鹿言ってんじゃないの、服を着替えるだけよ。第一に私が興味あるのは美鈴だけよ」
「それはそれでどうなの? って言うか着替える服ってどこ?」
「ねー、てごめって何?」
「もうタンスの中に入ってるわよ。早くしなさい」
なぜ手渡しせずに、わざわざ時を止めてまでタンスの中に入れるのだろう。と、疑問に思いながらも妹紅はタンスを開ける。
「うん、まぁ、予想してたよ? メイド服」
「だったら早く着替えなさい」
「え? うん、わかったよ。わかったけど……そこで見てるの?」
「素人じゃ色々分からないでしょうから」
「てごめって何なのよ?」
「大きくなったら教えてやる」
「さっさとしなさい」
二人はしぶしぶ服に手をかける、妹紅は他人に見られながら服を脱ぐのは何か抵抗感があったが、チルノはさほど気にせずどんどん脱いでいく。
「あ、ショーツもよ」
「……何で?」
「ガーターはショーツの下に着けるの」
「えと、ここで?」
「ええ、ここで」
「マジで?」
「マジで」
輝夜の適当にチョイスした罰ゲームは意外な所で妹紅に苦痛を与えていた様だ。ちなみにチルノはあっという間に一糸纏わぬ姿になっていた。
「輝夜……次に会った時がお前の命日だ」
「何時まで顔赤くしてんのよ。って、動かないの、エプロンが結べないでしょ!」
「何か足がスースーするし、これ苦しいんだけど」
ギリギリまで無駄な抵抗をした挙句に、結局ここで着替えさせられた妹紅。そして初めてドロワーズでわなくショーツに足を通したチルノと、チルノの腰の辺りでエプロンドレスを結んでいる咲夜。
「ああ、それと妹紅。あなたのその髪は流石に問題だから、切れとは言わないけどせめて束ねなさい」
「あ、やっぱ? でも私、髪いじんの苦手なんだよなぁ」
「なら、今ここでショートカットになってみる?」
「それも悪くないけど、遠慮しとくよ」
そう口にしながら自分のリボンを解き、素早く髪を束ねていく妹紅。苦手と言う割には手馴れているように見える。
こうしてポニーテールのメイドさんと姿を変える不死鳥。妹紅のメイド服はポピュラーなロングドレスのヴィクトリアンタイプ。
「やっぱり足がスースーする。スカートも短いし」
一方チルノは咲夜と同じミニスカートのフレンチタイプ。
「二人ともフレンチタイプにしようと思ったのだけども、サイズが無かったのよねぇ」
「いや、いいよ。さすがに私、ミニを履く勇気ないし」
「それは私に対して喧嘩を売ってるのかしら?」
「それであなた達の仕事だけど、まずやってもらいたい仕事があるの」
「ま、アタイにかかれば何でも出来るけどね」
「ああ、そら頼もしいな」
三人はまた、咲夜を先頭に廊下を歩いている。
「あなた達、これは重要な仕事だから心してかかってよ」
「初日から重要な仕事任すのかよ」
「それだけアタイが凄いって事よ」
「とりあえずあなた達には今からこの部屋に入ってもらうわ」
そういって咲夜はある部屋の前で足を止めた。
「あ、ここめーりんの部屋だ」
「そして、この部屋のタンスから下着を何枚か持ってきなさい。ノルマは一人三枚よ」
これぞ紅魔のメイド長。見事に腐ってる。
「……それって重要な仕事なのか?」
「ええ、ミスは許されないわ」
「よくわかんないけど、それくらい余裕よ」
「今、あいつに卑怯者呼ばわり覚悟でバックレようかと思った」
訳を話せば輝夜も許してくれるさ、と妹紅は心の中で呟く。
「はい、これ鍵。それと妹紅、ちょっと耳貸しなさい」
「……これ以上、私に何かしろと?」
そう言いながら、妹紅は咲夜に耳を近づける。咲夜は耳にそっと手を当て、小さく呟く。
「使用済みの生理用品とか見つけたら特別ボーナス出すわよ」
これぞ悪魔の狗。堕ちるとこまで堕ちている。
そして妹紅はどうやってバックレようか真剣に考え始めていた。
「とにかく、これは重要な仕事だから、決してミスは――」
「どこら辺が重要な仕事なんですか? 咲夜さん」
咲夜は自分の能力を使った憶えは無いのだが、確かに時が止まったのを感じた。
「さ、二人とも、こんな所で油売ってないで、さっさと食堂行くわよ。そろそろお昼の準備しなくちゃいけないから」
「咲夜さん、話を逸らさないでください。二人に何させようとしてたんですか?」
「ふ、美鈴。あなたと私の仲じゃない。言葉は不要だと思うけど?」
「そうですね。なら拳で語りますか?」
「私としては、目と目で通じ合う関係が好ましいのだけれども?」
「なら何で目を逸らしてるんですか?」
「今の私には、あなたが眩し過ぎるのよ」
妹紅は思う。それは美鈴が眩しいのではなく、あんたが汚れきってるんだと。
「……はぁ、二度と二人にこんな事させないと約束するなら、今回は見なかったことにします」
「うわ、ぬる! そんなんでいいの! 間違いなく訴えて勝てるよ」
「ふ、約束するわ、美鈴。けどね、約束とは破るために有ると思わない?」
「私、約束を守らない咲夜さんは大嫌いです」
「何言ってるの。私があなたとの約束を破ったことがある?」
「破ったことは無いですが、意味を履き違えてる時はありましたよ」
ああ言えば、こう言う。そんなやり取りを繰り返し、やっと咲夜は押し黙る。
「結局、アタイは何すればいいの?」
「咲夜さんと食堂に行って、料理のお手伝いしてあげて」
「何か……心のそこからあんたを凄いと思った」
「そんなこと無いですよ?」
妹紅は、なぜこの門番はこんな事があった直後に、そんな爽やかな笑顔が出来るんだろうと心底不思議に感じた。
「二人とも、さっさと食堂行くわよ。こんなとこで無駄な時間使っちゃったから、急ぎなさい」
誰のせいだよ、そんな妹紅の視線を浴びながら咲夜はさっさと歩き出す。新米メイド二人もその後に続くが、妹紅はこの先大丈夫なのかと心配になる。まぁ、当然だろう。
「それじゃ昼食を作る分けだけども」
「何を丸焼きにすればいい?」
「カキ氷機どこ?」
咲夜は思う、この二人に任したら本当に昼食は何かの丸焼きとカキ氷が出てくるんだろうか。多分出てくるんだろうなと思い、とりあえず二人から目を離さないことを心に誓うのだった。
「残念だけど、今日の昼食は丸焼きでもカキ氷でもないわ」
「うん。だとは思ってたよ」
「アタイ、最強だけどカキ氷機無しでカキ氷は作れないよ?」
チルノは人の話を聞く事を憶えた方が良いのだろうが、言ってもきっと無駄だろうから二人は何も言わないのだろう。
「とりあえず、あなた達にはサラダを作ってもらうわ。まさか、これすら出来ないとは言わないわよね?」
「え? サラダって焼くの? うーん、炭しか残んないと思うけど……」
「アタイ、サラダは凍らしたら美味しくないと思う」
「メニュー変更。今日は不死鳥と氷精の生け作りよ」
その後、手早く料理を進めている咲夜の横で、頭にたんこぶを作った二人が涙目でレタスを剥いていた。
「そんなこんなで、ホントに大変だったわよ」
「まぁまぁ、他のメイドも最初はそんな感じだったじゃないですか」
さまざまな苦難を乗り越え、何とか昼食を完成させた三人と、いつも通りお昼になったのでご飯を食べに来た美鈴は揃って席に着いていた。
「でもね、妹紅はともかく。一匹はブロッコリーとカリフラワーの見分けがつかないのよ? キャベツとレタスじゃないんだから……」
「アタイほどになれば、どっちでも構わないのよ」
「私も最近までパセリとセロリ、どっちがどっちだか分かんなくなる時があったよ」
それは、物を間違えるのではなく、ただ単に名前を間違えてるだけである。
「まぁまぁ、どっちでもいいじゃないですか」
「よくないわよ! この分じゃきっと、ピーマンとパプリカの違いも分からないんでしょうね」
今度は咲夜がこの先、大丈夫なのかと心配になり、ため息を吐く。
「ぱぷりかって何?」
「ああ、ピーマンの事だよ」
チルノの問いかけに対してごく普通に答える妹紅、咲夜の心労は続く。
「ふぅ、ご馳走様。チルノちゃんのサラダ美味しかったわよ」
「アタイが作ったんだから当然ね」
「ブロッコリー茹でたのは私だけどね」
「どこの世界に、鍋のお湯が空になるまで茹でる奴がいるのよ?」
美鈴と妹紅が三人前を平らげ、チルノが懲りずに喉に詰まらせ死にかける昼食を終える。
「それじゃ、私は仕事に戻るけど、二人ともお仕事頑張ってね」
「待ちなさい美鈴。何か言い忘れてない?」
「はいはい、今日も咲夜さんのご飯は美味しかったですよ。ご馳走様です」
食事の後にこれを言わないと、その日一日咲夜が不機嫌になるのを美鈴は知っている。
「はい、お粗末さま。所で日々の感謝としてお返しがしたくなったら、深夜に私の部屋に来なさい。あなたの思いを全身で受け止め――」
「では、私もう行きますね」
レッツ無視。足早に食堂を去る美鈴と最後まで言葉を口に出来なかった咲夜、そしてそれらを見守る妹紅。
「……さ、この後は洗い物があるんだから気合入れていくわよ」
そう言って振り返った咲夜の顔はいつも通りのメイド長の顔だった。彼女の辞書にめげるという言葉は無いのだ。
皿洗いは実に順調っぽく進んだ。咲夜とチルノが皿を洗い、妹紅が拭く。
チルノが数えきれないほど皿を手から滑らすが、その度に咲夜が時を止め皿を拾う。おかげで割れた皿の山を築くことは無かったが、代わりにチルノのこぶが山のようになっていた。最後らへんは泣きながら皿を洗うチルノ。
「それで午後からなんだけど、妹紅、あなたは美鈴の所に行ってもらうわ」
「え、また何か盗んでくるの? やだよ、私」
「違うわよ。これからあなたは主に、門番として働いてもらうから。その方があなたに向いてるでしょうし」
「ああ、要するにメイドの方はクビって事?」
「好きに解釈しなさい。でも、何かあったらこっちも手伝ってもらうから」
「アタイはー?」
「あんたは私と一緒に来るの」
仕事が出来ない、と言う点は妹紅よりチルノの方が問題なのだが、このチルノを他の者に預けるなんてしたら何を仕出かすか分からない。
それに何より、咲夜にはチルノを門番に回せない理由があった。
「これ以上、この子と美鈴を近づけるなんて出来ないわ……」
超個人的、公私混同。
「ん、今何か言った?」
「何でも無いわ。それより、分かったらさっさと行動する。妹紅は美鈴に聞けば何か適当に指示くれるから」
「適当なんだ……」
「氷結娘は私と一緒に清掃よ」
「だからせーそーって何?」
「それにしても、あの三人は似てますねー。三人ともつり目だからかな?」
「私は妖精を虐待したりしないよ」
「ああ、居たんですか妹紅さん」
言われた通り門前へとやってきた妹紅。
「何言ってんだ、気づいてたくせに」
「あら、ばれてました?」
「そらばれるさ。私が近づいた瞬間、あんな白々しい独り言を言ってれば」
「でも、似てると思いません?」
「思わんね。特にあの二人はイメージが会わな過ぎる」
「そうですか? 咲夜さんとチルノちゃんは髪型が似てるせいか、同じ服着てると姉妹みたいに見えましたよ」
確かにショートカットのつり目、という共通点があるのは認めるが、やはり持つイメージがあまりにも違いすぎる。残念ながら妹紅は美鈴と同じ感想を持つことは出来なかった。
「あくまで、見た目だけだね。そんなの本人に言ったらどやされるよ、特に姉に」
それは二人が似ているという点に対してなのか、姉妹に見えるという点に対してなのかは分からないが、多分どっちも否定する。
「だと思ったんで、食堂では言わなかったんですよ。て、言うか妹紅さん何か用ですか?」
「うん。メイド、クビになったから門番やれってさ」
「ああ、ブロッコリー茹ですぎちゃいましたからね」
それだけが原因では無いだろうが、咲夜一人で新米二人の面倒を見るのは少々無理があったのだろう。
「ああ、やっぱりな。入れた塩が鍋の底からそのまま取れそうだったもんなぁ。それで、門番の仕事って何すればいいの?」
「そうですねぇ。門番なんで、やっぱり門の番じゃないでしょうか?」
「……いや、疑問系で返されても」
「基本的には誰か来ないと何もしない仕事ですからね」
きっと、ここで一日中ただ立ってるだけって時も、たまにはあったんだろうなぁ、と妹紅は内心で思ったが、それは違う。誰も来ないなんてざらでよくある。
「じゃ、私も誰か来るまでここで立ってるの?」
「そうなりますね、暇でしょうけど頑張ってください。私はどこから侵入者が来ても分かるように、屋敷全体に気を張ってるんで暇って訳じゃないんですけどね」
「え、それじゃこの屋敷内の気配、全部分かんの?」
「ええ、分かりますよ。さっきも咲夜さんがお二人を連れて私の部屋に向かってたので、何だろうと思って行ってみたら、あれですから」
美鈴の一日の八割は驚く事とストーカー対策で出来ている。
「ああ、あれね。ほんと大変そうだよね、あのメイド長の相手」
「大変なのは確かですけど、咲夜さんはいい人ですよ」
新人の部下をストーカー行為に利用した上司を、なぜそんな風に言えるか妹紅の理解の範疇を超えていた。
その頃、完璧で瀟洒な従者と、完全にお馬鹿な氷精はと言うと。
「ミツルギスターイル!」
「こら! 箒で遊ばない!」
相変わらずだった。
「そんなこんなで、ホント大変だったわよ」
「咲夜さん、それお昼も聞きました」
夕食、再び食堂で顔を合わす四人。
「聞いてよめーりん、もこー。こいつ直ぐにアタイの事殴るんだよ」
「あ、咲夜さん、暴力はダメですよ」
「門番のあなたが暴力はダメって……でもしょうがないじゃない。この頭空洞、同じ事を最低でも十回は言わすのよ? それと、メイド長をこいつ呼ばわりしない。これで十四回目よ」
「私の方は誰も来なくて暇だったかなぁ」
それぞれがそれぞれの事を話し合う、いつも通りの賑やかな食事は過ぎていく。誰かさんが喉を詰まらす所までいつも通りだった。
少女皿洗い中。
「昼間より多く皿落としたら明日の朝ごはん抜きよ」
「アタイの力を持ってすれば皿を洗うなど――あっ」
言ってる傍から皿を降下させるチルノ。そして案の定といった顔で皿をキャッチする咲夜。
「相変わらずだなぁ」
そんな二人を見ながら、妹紅は美鈴の言葉を思い出す。
「似てるかぁ? あいつ等」
小声で呟きながら二人を見比べる。
「妹紅、ぶつくさ言ってないでさっさと皿拭きなさい。って、また落としたわね!」
「うー、また殴ったなー」
結論、やっぱ似てない。
「殴られたくなかったら、少しは落とさない努力をしなさい」
「分かってるわよ! アタイは最強だからこんなの直ぐに……」
「ああ、でも……」
猛スピードで皿を洗い始めるチルノ。周りが少し涼しくなってるのはチルノが気張りすぎているせいだろう。
「ふっ、これでラスト一枚! 終わったぁ!」
「一応、成長はしてるようね。落とした枚数は減ったわ」
「姉妹ってのは、何となく……」
最後の一枚をカシャンと積み上げ、ぐっ、とガッツポーズをとるチルノ。
「まぁ五十八枚が四十五枚になっただけだけど」
「流石アタイね」
「分かるかな?」
しかし、はしゃぎすぎたチルノの腕が積み上げた皿の塔に思い切り激突した。そして、見るも無残な光景が目の前に繰り広げられる――かと思ったが、やはり咲夜が全ての皿を受け止める。
「ぶ、豚も木から落ちるってやつよ?」
「残念、あなたは氷精よ」
しかも、ことわざ間違ってる。そしてチルノの頭に特大の一撃が落ちる。
「でも、もし姉妹だったら間違いなく家庭内暴力だよね」
「あなた達、今日はもう休みなさい。明日も早いから」
皿洗いを終えた二人に対しての咲夜の一言は以外だった。
「え、もういいの?」
「アタイ、もうへとへと」
「ええ、特にやる事もないし。お風呂でも入って寝なさい」
こうして二人の紅魔のメイド一日目は終わりを告げる。だが、それは紅魔のメイドとしての終わりであり、二人の一日はまだ続く。
「ん、んあ……も、もこー、アタイもう……」
「何言ってんだ、これからだぞ」
「そ、そんな……これ以上は……」
互いに一糸纏わぬ姿で、妹紅はチルノを抱きしめていた。
「あん、ああ……もこー、ホントに、これ……以上は、ダメ……」
「ふふ、このままじっくりいくのと、一気にいくの、どっちがいい?」
「ダメ……アタイ、これ以上は、ホントに溶けちゃう」
妹紅はチルノの火照る身体を押さえつけ、思うままにする。
「そんなに汗だくになって、どうやら私のこれは気に入ったみたいだね」
「ん、ちが……お願い、許して……もこ、お願い、だから」
「そんな可愛い声でお願いされたら、断れないなぁ」
「そ、それじゃ……許して、くれるの」
「それじゃ、特別に」
「んん、あ、ありが……」
「と、思ったけど、やっぱダメ」
「そ、そんな、んあ! ダメ! もこー、そんな急に!」
「はは、ここからは一気に行くよ!」
「ダメダメ! お、お願いもこー! アタイ、溶けちゃう!」
二人の長い夜は、まだ終わらない。
以上、『凍る炎と燃える氷 一章 氷炎の始まり』では無く。
「うう、のぼせたー」
「自業自得だ」
湯上りの二人は自室で横たわってた。
「もこーがどんどんお風呂熱くしていくからじゃない!」
「人が入ってるのに突然大量の氷ぶち込んできたのはお前だろ」
「だからってアタイを押さえつけまで!」
「これに懲りたら二度と、あんな真似すんな」
まぁ、事の真相は大抵こんなもんである。
「それじゃ、そろそろ寝るぞ」
「あ、まってもう一杯、お水飲んだら」
「飲みすぎ」
「お風呂上りは体が熱いの。特に今日は」
チルノは火照る身体を持て余していた。
「おねしょしてもしらないよ」
「しないわよ!」
こうして、二人の一日が終わった。多分。
「美鈴。差し入れ持ってきたわよ」
「あ、いつもありがとうございます」
門前にて、今だ仕事を続ける美鈴の元に、あったかい紅茶を持って現れた咲夜。
「今日も、一緒にお茶して構わないかしら?」
「わざわざ聞かなくても、いつもの事じゃないですか」
そう、ある日を境に、皆が寝静まった時間に門前で二人でお茶するのが習慣となっていた。
「今日は大変でしたね」
「ええ、いつも騒がしいけど、今日は特にだったわ」
「でも、楽しかったですよ」
「私としては、よくない出来事が多かったわよ」
「そうですか?」
「そうよ、朝は想い人と氷精が一緒に寝てるの目撃するし、その氷精と一緒に仕事する羽目になるし、なぜか想い人は氷精を庇うし」
「それは咲夜さんがチルノちゃんを虐めるから、その人は見かねてるんですよ」
何故か美鈴は第三者のようなしゃべり方をする。これも習慣になってしまった事だ。
「それでも、私へのフォローがあってもいいんじゃないかしら?」
「その人なりにフォローしてたと思いますよ?」
「なら、もっと愛を込めて欲しいものね」
「たっぷりだったつもりですよ? その人なりに」
「足りないわ。私の飢えは半端じゃないわよ」
「それじゃ、頑張ってください。そうすればその人はもっと答えてくれます。咲夜さんがどんなに飢えてても満たせるほどに」
「そう、期待してるわ」
「ええ、その人も……私も期待してます」
門前で寄り添う二人をさし抜き、夜は更ける。
「んん、トイレ~」
深夜、チルノは目を覚ました。寝る前に飲みすぎた水が原因であろう。
ベットから這い出て、トイレに向かおうとするチルノ。しかし、寝ぼけた彼女の思考では自分が寝ていたのが、二段ベットだということを思い出すのは不可能だった。
「ぷぎゃ!」
案の定、鈍い音と共にベットからずり落ちたチルノ。
「んあ~」
「ん、ううん、何だ今の音」
その音で目を覚ました妹紅が最初に目にしたのは、床に転がってるチルノの姿だった。
「何してんだ? こんな時間に」
「ん~、トイレ~」
上ずった声でチルノは答えたが、本当に意識が有るか怪しい。
「そうか、とっと行ってきな」
「うん……」
ゆっくり起き上がり、そのままふらふら歩き出すチルノ。それをベットの上から何となく見守る妹紅。
「おいチルノ、ドア危な――」
「ぺぎゃ!」
妹紅の忠告も虚しく、チルノは見事にドアに体当たりし、カウンターを貰った。
それを見た妹紅はため息を付き、自らもベットを出た。
「ほら、トイレまで一緒に行ってやるから、手貸しな」
「うん……」
言われた通り手を出すチルノ、そしてその手を妹紅は握り、トイレまで引いて行く。
「何で私がこんな事までしてんだろうか」
「んあ、眠い……」
用を足し、また手を繋いで部屋まで戻ってきた二人。
「それじゃ私ももう寝るから、お前もとっとと寝な」
そう言って妹紅はさっさとベットに潜る。
「うん……」
ごそごそ、ごそごそ。
「って、何で私のベットに入ってくる?」
ごく当然のように、妹紅のベットに潜るチルノ。寝ぼけたチルノの視界にはこのベットしか写ってなかったのだ。
「おい、寝るなら自分のベットで寝ろ」
「すぅすぅ」
「おいってば、起きろよ」
「う、うーん、パリは、英語でパリスなのに……みんなフランス語でパリって言う……けどヴェネツィアは……みんな英語読みでベニスって、言うのはなぜ?」
「いや、知らないよそんなの。何寝言でやたら難しい質問してんの」
「ぐぅぐぅ」
妹紅の呼びかけも虚しく、チルノはベットで寝息を立て続ける。
「……アホらし、私も寝よ」
チルノを起こすのを諦め、ベットに潜りなおす。シーツの中が少しひんやりしていたが、たまにはそれもいいかと思う妹紅だった。
それから、一時間くらい経っただろう。
「ん、んん、暑い……」
妹紅もすっかり夢の住人になっていた時に、それは起きた。
妹紅は常人よりも体温が高い。それは不死の体が生み出す高い新陳代謝のせいなのか、妹紅の操る炎のせいなのか、それら二つが合わさっての物なのかは分からないが、とにかく体温が僅かに高い。
そして、チルノは暑がりである。これは氷精であるが為。この二つの体質が合わさったが故、それは起きた。
チルノが軽く寝返りを打つ。
「暑い……」
チルノはゆっくり自分の服に手をかけていた。
「あ……ありのままに、起こった事を話すわ。私は二人が起きてこないから起こしに行った。そしたら妹紅と裸の氷精が同じベットに寝てた。何を言ってるか分からないと思うけど、わ……私も何を見たのか分からなかったわ」
「妹紅さんにそんな趣味があったんですか、以外です」
「誤解以外の何者でもない!」
「ミルクおかわりー」
翌日、また朝から騒がしい紅魔館だった。
四人は食堂で朝食をとりながらの談笑、だが妹紅にとっては針の筵でしかなかった。
「言い訳は見苦しいわよ。ベットの周りに衣服が跳び散らかるほどなんて……荒々しいのは性格だけじゃ無かったのね」
「知らないよそんなの! 無罪冤罪言いがかりだ!」
必死に無罪を主張する妹紅なのだが、周りは皆聞く耳を持っていない。
「チルノちゃん、怖がらなくていいから私に昨夜のことを話してくれない? 何か嫌なことされなかった?」
「ちょ、何その聞き方! 無罪の可能性ゼロ!?」
もはや美鈴までもが妹紅を疑いの眼差しで見ている。一緒に寝ていたのはともかく、服まで脱いでいたのは不味かっただろう。
「ううん、大丈夫だよ。妹紅、とっても優しかったから」
チルノは恐らく、昨夜のトイレの一件の事を何となく覚えていたのだろうが、この状況では誤解を招く引き金にしかならない。
「あなた、この子が何も知らないのをいい事に、甘い言葉であれよあれよとこの子を蹂躙したのね……」
「私……妹紅さんがそんな人だとは思いませんでした」
「ちがーう! 何もかもがちがーう!」
「ミルクおかわりー」
その後、妹紅の必死の訴えにより、一応は誤解が解けたが、咲夜と美鈴の疑いの眼差しが消えることは無かった。
「門番ってこんなに暇なのか?」
「いえ、花壇の手入れとかもあるので、暇って訳じゃないんですが……それは他の子がやってくれてますから」
朝食を終え、お仕事開始。美鈴と妹紅は昨日と同じように門前で突っ立ていた。
「でも、暇ならどうやって責任を取るか考えた方がいいんじゃないですか?」
「責任って、何の?」
「チルノちゃんを傷物にした責任です」
「理解出来てない様なら何度でも言う。それは誤解だ」
「冗談です」
「……」
妹紅には、とてもそうは聞こえなかった。
「でも、そうですねぇ。暇なら門番らしく鍛錬でもしますか?」
「鍛錬?」
「ええ。技は使わないと錆びてしまいます。ですから普段は使わないような技に重点を置いて鍛えるんです。こんな風に」
言い終えると同時に、美鈴はしゃがみ込み、人差し指を地面に突き刺した。
そして、妹紅は目を疑う。突如目に前に現れた壁――否、正確には地柱、美鈴が突いた土が空へと噴出する。
「うわ、何それ……」
「自然の中にあるつぼを押したんです。自然物なら大抵吹っ飛ばせます」
「何か、インチキ臭いね」
「ええ、私もそう思います。他にも火の中の甘栗を素手で取り出したり、相手の闘気を利用して竜巻を作ったり、自分の中にある不幸の気を気柱にして打ち出したりとかも出来ます」
さらには、物質に素早く二発の衝撃を与えて粉々にしたりできる。アッーって感じで。
「ああ、でも私も普段は使わない技ってあるなぁ」
「ええ、サボってるといざって時に困ったりしますよ」
「んん、それじゃ、久々にやってみるか」
妹紅はゆっくりと空へと浮き上がり、一度だけ深く息を吸う。
「イメージがあんまり好きじゃ無いだけど、たまには……」
そう言って、纏わせた右腕の炎は、手へと集まり形を帯びていく。
「炎の剣ですか……」
「うん、でもこの技嫌いなんだ。何か禍々しくてさ」
その剣の炎は、普段の妹紅の炎ではない。
古来より、人々は炎を利用し、暖かい食事を、冬には暖を、夜には光を得てきた。炎とは紛れも無く人が生きる為の友の一つだ。だか、それは時として牙を剥く。家を焼き、森を焼き、動物を焼き、人さえも焼き殺す。希望の炎は、絶望の炎でもある。
そして、剣の炎は闇夜を照らすような輝く炎ではなく、全てを食い、燃やし尽くすような怖の炎。
「そうですね……でも、私はあまり嫌いじゃないです」
「珍しいよ。そんなこと言うやつは」
「そうでも無いです。咲夜さんやお嬢様達、パチュリー様も同じことを言いますよ。きっと」
でなければ否定してしまう。もう一つの禍々しい炎の剣を持つ彼女を、たった一人で自分の狂気と戦い続けている彼女を。
「そう……でも、私はどうせならこういう方が好きかな」
ぼう、と音を立て消え行く炎の剣。妹紅は空いた右腕で数回、字を書くように空を切る。
「一匹目」
小さく呟く妹紅の右腕には五つほどの炎球が浮かんでいた。そして妹紅がほんの少し指を動かすだけで炎球達は空高くへ舞い上がる。最後に炎球達が見えなくなり、遠くの方で爆発音が鳴り響く。
「二匹目」
妹紅は腕の袖を捲くり、そこに現れる炎の刃を素早く振り回し風を切る。
「三匹目」
次に現れるは腕に巻きつく炎の蛇。蛇は解かれ鞭へと姿を変え、空を打つ。
「四匹目……は危ないから、これくらいにしておこうかな」
妹紅は飛び上がったのと同じように、ゆっくりと地に足を着ける。
「お見事でした。私が思ってたよりも妹紅さんの力は幅が大きいみたいですね」
「本当は八匹目まで居るんだけど、これ以上は少し危ないからね」
妹紅は少しだけ嘘を付いた。さらにその上、己が鳳凰を食らい、自らの礎とする禁忌。これだけは誰にも話す気にはなれなかった。
「それにしても、他の連中もこんな風に普段使わない技とかあんのかな?」
「ええ、あると思いますよ。一つや二つ」
全員が全員ではないだろうが、持っている者もいるだろう。
たとえば、
「懺悔の時間よ、カラスさん。人の向日葵畑をこんなに荒らして、魔界のハエ取り草は凶暴よ」
「ちょっと全速力で通りかかっただけなのですが、しかたありません。行きますよ! 秒殺のエアロブリットォォォ!」
とか、
「妖夢、さっきから刀持ってくるくる回ってるけど楽しい?」
「いえ、折角二刀流なのでそれを生かした技を考えていたのですが、こう六連撃っぽい感じで」
みたいな感じである。
「ふーん。あの馬鹿姫も持ってんのかなぁ」
「さぁ、私にはなんとも」
こんな感じで午前中は過ぎていく。
関係ないがその頃、魔法の森では、
「なぁ、アリス。新しい魔法を考えたんだけど見てくれないか?」
「もはや、突然あなたが現れても驚かなくなったわ。それで、その魔法は室内で使っても平気な魔法なの?」
「いや、ここでぶっ放したら割と大変なことになる」
「そう、ならせめて窓の外に向かってぶっ放してね」
「オッケー、良く見てろ! 黄昏よりも昏きもの、血の流れより紅きもの、時の流れに埋もれし偉大な汝の名において、我は放つ! マスタースパーク!」
「これまた派手ね」
「どうだ! 感想は!?」
「ごめんなさい。ただのマスタースパークと見分けが付かなかった私を許して」
「そこは、凄く……大きいです。だろ! まだまだ修行が足らないな」
「そんな修行お断りよ」
「しょうがないからアリスには私が手取り足取り指導してやろう。ベットの上で」
「いや、にじり寄らないでよ。私これからパチュリーの所に本返しに行くんだから」
「何か今日は冷たいぜ、アリス……」
「ええ、あなたは直ぐ調子に乗るから、これくらいが丁度いいのよ」
「……」
「そんな捨てられた小動物みたいな目をしてもダメ」
「……」
「……わかったわよ。直ぐに帰ってくるから、そしたら二人で食事にしましょう」
「……今日、泊まってもいいか?」
「ダメって言ったら?」
「今ここで襲う」
「……はぁ、なんだかんだで流される自分に腹が立つわ」
その頃、チルノと咲夜は、
「アタイの力を持ってすれば、アサリの砂を抜くことなど」
「残念だけど、それシジミよ」
相変わらずな感じで昼食を作っていた。
昼食、今日のメニューであるアサリのぺペロンチーノを大皿に乗せ、それを囲むように四人は席に着いている。
「アサリとシジミを間違えるとかはいいのよ、まだ」
「まぁ分からない人は分からないでしょうしね」
「大きさくらいだもんね、違い」
「だったら殴らなくてもいいじゃない!」
四人はぺペロンチーノを自分の皿に取り分けながら咲夜の話を聞いていた。美鈴と妹紅の皿は明らかに三人前を越えていたが、もはや誰もつっこまなかった。
「パスタを茹でる時の塩と砂糖を間違えるのもこの際、致し方ないわよ。でもね、出来たパスタに餡子とライスをぶっこもうとしたのはいただけないわ」
「ああ、それでチルノちゃんの頭がこぶで凄いことになってるんですね」
「でも、しょうがないね。餡子とライスじゃね」
「だって、その方が美味しくなると思ったんだもん」
「だもん、じゃないでしょ! だもん、じゃ! まったく、そんなユニークな料理が思い浮かぶその頭の中を覗いて見たいものだわ」
「でも咲夜さん。暴力はダメですよ、暴力は。チルノちゃんが可愛そうです」
「何であなたは、この頭すっからかんを庇うの」
「案外、殴りすぎて悪化してたりして」
この四人は静かで落ち着いた食事をすることは出来ないんだろうか? 出来ないんだろうけど。
午後の門前。美鈴と妹紅の地味に大食いコンビは、軽く体を動かしていた。
「よし、食後の運動はこれくらいでいいかな」
「ええ。それはそうと妹紅さん、もうちょっとチルノちゃんをフォローしてあげてもいいんじゃないですか?」
「え、何で私が? そりゃ、メイド長やりすぎって思うときもあるけどさ」
特に餡子パスタライスの件に関しては庇いようがなかっただろう。
「でも少し冷たいんじゃないですか? 一晩とはいえ関係を持った仲なの――」
「よし! そこに直れ! もう一回、一から説明してやるから」
美鈴は意外としつこい性格なのかもしれない。
「あ!」
そんな美鈴にとっては結構重大な、妹紅にとっては死活問題な誤解が行きかう中、突然何かを感じ取ったかの様に声を上げる美鈴。
「な、何、どしたの? 突然」
「い、いえ……なんか咲夜さんが一人で私の部屋に向かってるみたいなんですよ。また何かするつもりなのかなぁ」
「凄いね、本当に屋敷中の気配がわかるんだ。って言うか、気になるなら見てくれば?」
「ええ、それじゃしばらくここ、お願いしていいですか?」
「ああ、いいよ。どうせ誰も来ないから暇だし」
「では、お願いします。けど、気を付けてくださいね、暇だなって思ってると誰か来る法則って言うのがあるので」
それだけ言い残し、館内に入っていく美鈴、それを見届ける妹紅は思う。
「何だその法則」
そんな法則があるなら、昨日の時点で誰か来るはずだろう、と思いながら妹紅は空を見上げた。
そして、そこにある人影を見つける。ああ、伊達に長いこと門番やってないんだなぁと、思う妹紅だった。
「いつからここは不死鳥を飼うようになったのかしら?」
「色々、訳ありでね。昨日から」
その人影はアリスだった。本を数冊抱えた彼女はゆっくりと妹紅の前に降り立つ。
「そう、珍しい物を見れただけでも来た甲斐があったわ。それで、門番さんはどちらに居るのかしら? 新人メイドさん」
「今は私が門番。こんな服だけどね」
「なら、あなたに聞くけど、通ってもいいかしら?」
「え、うーん、それは困るなぁ。通していいって指示、貰ってないし」
「そうなの? いつもは顔パスなんだけど」
「えと、もうすぐ、本当の門番さんが帰ってくるはずだから、それまで待ってもらっていい?」
「すぐ戻ってくるならいいけど……今日は用事があるから直ぐ済ませたいのよねぇ」
無論、アリスの用事とは誰かさんとの食事の約束である。
「悪いね、でも大変なんだよ。あの門番さんも、人間関係とかで」
「それ以上は言わなくていいわ。伊達にここの常連客やってないから。何となく分かるから」
「そう、所で今日は何の用?」
「ちょっとね、本を返しに」
「ふーん、何の本?」
「え、べ、別に普通の魔道書よ? 普通の魔道書」
明らかにアリスの声のトーンが一つ上がっていた。
そんな時である、本来の門番さんが帰って来た。
「今戻りましたーって、アリスさん、いらっしゃい」
「ええ、お邪魔してるわ。まだ門前だけど」
「やっと戻ってきた。えと、彼女は中に入れてもいいのかな?」
「あ、大丈夫です。アリスさんはパチュリー様に許可を貰ってるんで」
「そうなんだ。所でそっちの方は大丈夫だったの?」
「ええ、咲夜さんはただ私のベットのシーツを取り替えようとしただけみたいです」
その際に、咲夜がシーツに顔を埋めて深呼吸をしていた事実を、美鈴が黙っていたのは咲夜の為なのか、自分の為なのかは分からないが。
「それじゃあ、私は行かせて貰うけど、あなたも色々と大変みたいね」
「ええ、アリスさんと魔理沙さん見たいには、中々いかないんですよ」
「……まぁ、私たちを引き合いに出されるのはどうかと思うけど……一つアドバイスするなら、たまには相手のわがままを聞いてあげることよ」
彼女の場合はたまにはでは無く、しょっちゅう――いや、毎回な気さえするが、美鈴は一応、耳を傾けていた。
「はぁ、そんなもんですかねぇ」
「そんなもんよ。じゃ、また後でね」
こうして妹紅の初めてのお留守番は事なきを得た。
「はいこれ、借りてた本」
「はい、『乱れる虹の川』と『宵闇に堕ちる雀』、『従者と門番』の第四章。確かに受け取りました」
図書館にて、アリスは小悪魔に借りていた本を手渡していた。無論、中身は魔道書なんかでは無い。
「それで、感想はいかほどに?」
「……すっごくおもしろかったーって、人前で言える様な本じゃないでしょ」
当然だろう、中身が中身だけに。
「いやまぁ、そうですけど。お嬢様なんかは全然気にしませんよ? ここんとこのお茶会はこの話で持ちきりです」
「……とてもお茶を飲みながら、話する内容じゃないと思うけど」
アリスはそのお茶会の様子を想像して、直ぐにイメージをかき消した。
「アリスさんも、今度お茶会に参加しますか? アリスさんならお嬢様と熱く語れますよ」
「全力でお断りするわ」
「そうですか、残念です。でもしょうがないですね、お嬢様とアリスさんじゃ好きなカプが違いますもんね。お嬢様は『紅白と蒼白の巫女』や『吸血姉妹と魔女』とかが好みですけど、アリスさんは『従者と門番』とか『白黒と七色――」
「やめてぇぇ! それ以上私の前でそういう話をしないで!」
こういう時、人は二種類に分けられると思う。
自分の好みや性癖などを他人に知られても平気な人と、何故か照れくさくて他人に絶対知られたくない人。
レミリアは前者、アリスは後者。
「別に照れなくてもいいじゃないですか、アリスさんがこのシリーズの大ファンだって事はとっくに知ってるんですから」
「それでも嫌なの! 残念ながら私はここの主みたいにオープンじゃないのよ」
「はぁ、でもパチュリー様には感想言ってあげてくださいね。喜びますから、顔には出さないですけど」
面白かった。この一言が次の作品を書くやる気に、活力に、意思になるのだ。
「それはいいんだけど、話すたんびに嫌味って言うか、皮肉って言うか、嫌がらせみたいな事を言うのよねぇ」
「それは照れ隠しですよ」
「だとしたら、たいしたポーカーフェイスね。それで、パチュリーはどこにいるのかしら?」
「いつも通り、奥でペンを走らせてます」
それを聞いたアリスは、いつもの様に図書館の奥に足を進めると、小悪魔の言った通り、いつもの場所、いつもの席、いつものペンを握っていたパチュリーを見つける。
「こんにちわ、執筆活動は順調かしら?」
「……こんにちわ、アリス」
少しだけ、アリスの目を見て、また直ぐに本と睨めっこを始めるパチュリー。
「あまり、順調とはいえないみたいね」
「そうね、一冊書いたんだけど、自分で合格点をあげれなかったわ」
「そう、それなら、やる気が出る呪文を教えてあげるわ」
アリスとて人形師、ゆえに分かる。物を、作品を生み出す時の苦労が、そして、そんな時にもっとも聞きたい言葉が。
「あなたの本、よかったわよ」
この一言で、アリスはまた人形を作ろうと思うし、パチュリーは本を書けるのだ。
「……ありがとう。早く続きを読ませろって言う読者がいるから、とっとと書き上げなきゃいけないわね」
「あら、私は急かした憶えは無いけど?」
「目がそう言ってるわ。それにお茶会のたんびに色々言われてるし」
「大変ね」
「大変よ。……そういえばあなたと魔理沙、この間の宴会に顔を出さなかったらしいわね?」
アリスは思う。出た、嫌味タイム。
「え、ええ。そうらしいわね」
「あの宴会好きの魔理沙が来なかったなんて、どうしたのかしらね」
「さ、さあ? 私にはちょっと分からないわね」
「まぁ、あの魔理沙の事だから、何かに夢中になってて忘れてたんでしょうけど」
「そ、そうかもね。研究とか没頭するタイプだし……」
「一体、何の何を研究してかのかしらね?」
「ど、どうせ、しょうも無いことでしょ」
「所であなたも宴会に来なかったらしいわね」
「え、ええ、ちょっと用事があって行けなかったの」
「……一晩中、研究対象にされてて?」
「分かってたなら嫌味ったらしく言うな!」
帰りたい、そう願うアリスだった。
「まぁ、あなたが魔理沙に一晩じっくりと身体の隅々まで調べつくされようと、私には関係ないのだけれど」
「……そろそろ、帰るわ。用事もあるし」
「こうして今日も、あなたは魔理沙に身体を委ねていくのね」
「そういえば、今日は珍しい門番に会ったわよ」
全力で話題を逸らすアリス。ちょっと無理がある会話の流れだがそんなのは気にしていない。
「……ええ、それと、珍しいメイドもいるわよ」
「まだ、何かいるの?」
「運しだいで、帰りにすれ違うかもしれないわね」
「それは出会ったら運がいいの? 悪いの?」
「さぁ?」
こんな会話の後、アリスは図書館を出た。帰りに新刊を借りるのを忘れずに。
そして帰りに再び、門番二人組みと顔を合わすアリス。
「あ、アリスさん、お帰りですか?」
「え、ええ、所でさっき、何か青くてちっこいのがメイドやってたんだけど……私の見間違いかしら?」
どうやら遭遇したらしい。恐らくアリスには衝撃映像に見えただろう。
「ああ、あれね。やっぱ驚くか」
何かすんごい物を目にした気がするアリスの問いに答える妹紅。
「驚くわよ、あなたが門番をやってる事が普通に思えるくらい」
門番をやってる妹紅と、メイドをやってるチルノ。どちらが在り得ないかと聞かれたらどっちもどっちだが、恐らく僅差でチルノだろう。
だが、言葉で聞くのと、実際に目にするのでは受ける衝撃があまりに違いすぎる。
「でもまぁ、土産話にはなったわ。とびっきりの」
そんな言葉を言い残して、アリスは紅魔館を去って行った。
その頃、咲夜と青くてちっこいのは、
「ガトチュエロスターイル!」
「だから箒で遊ぶなと言ってるでしょ!」
同じやり取りばかりで、二人は飽きないんだろうか?
「まさか、昨日十回言ったことを、今日も十回言う事になるとは思わなかったわ」
「まぁまぁ、咲夜さん落ち着いて」
「まさか、昨日十回殴られて、今日も十回殴られるとは思わなかったわ」
「いや、それはお前が悪いよ」
もはや食事は咲夜の愚痴から始まるのが日課になっている。
「そういえば、妹紅さんは明日が最後ですね」
「ああ、そういえばねそうだね」
「え、アタイ達、明日で終わりなの?」
「正確には、明日の仕事を終えて、明後日の朝にお別れかしら」
ちなみに三日と言う期限は妹紅のみであって、チルノは関係ない。
「いや、明日の夜に帰るよ。やっぱり自分の家が落ち着くし」
「ええー、最後くらいゆっくりしていけばいいじゃないですか」
「アタイはどっちでもいいけどね」
「あなたはさっさと野生に帰りなさい」
咲夜から見れば、妖精とは野生動物の一種らしい。
「でも最後に夕食くらいは食べていくんですよね?」
「ああ、それくらいはね」
「アタイが居なくなったら、きっと仕事大変ね」
「ええ、どれだけ羽を伸ばせるか想像も出来ないわ」
きっと生まれ変わったかの様に、咲夜はのびのびと仕事が出来るだろう。
そんな、明日の今頃の話をしながら四人は夕食を味わっていた。
「ま、最後までよろしく頼むよ」
「最後までアタイの力を頼って――ごほ、ごほ!」
「わ、チルノちゃん大丈夫!? 今お水――」
「はい、水よ。全く……どうせそうなると思って用意してたわ。食べながらしゃべるからそうなるの」
「ぷはー、数時間ぶりに死ぬかと思った」
「あなたの人生、何回九死に一生得てんのよ」
咲夜の差し出した水を一気に飲み干しチルノは一息つく。慌てて水を用意しようとしていた美鈴はその様子をただ黙って見ていた。そして、そんな美鈴を不振に思い、妹紅は声をかけた。
「……」
「どしたの美鈴?」
「いえ、別に……」
「何? あの子の世話ががり取られてすねてんの?」
「……違いますよ。それより、これからチルノちゃんの面倒を見なきゃいけないのは妹紅さんでしょ」
「まだ言うか……」
美鈴が意外としつこいのは妹紅もすでに知っていたが、今のはかなり刺があった様に思える。
こうして、二日目の夕食は過ぎていく。
メイド用の浴場の脱衣所に、食事を終えた四人はいた。
「珍しいですね、咲夜さんがこんな時間にお風呂なんて」
「ええ、今日は時間が余ったから今のうちに入ろうと思って、けど、そういう美鈴こそ珍しいじゃない?」
「部下の子達が、たまには早めに休んでくださいって言ってくれて、お言葉に甘えたんです」
「いいわね、上司思いの部下がいて」
服を脱ぎながらそんな話をする上司二人。
「ううー、もこーこの服どうやって脱ぐのー?」
「え? メイド長に聞きなよ、私もまだ慣れてないし」
そして、今だメイド服に悪戦苦闘する新人二人。
妹紅は何とか自分一人で出来るが、チルノは相変わらず手伝ってもらわないといけない。見かねた咲夜がチルノに声をかける。
「ああもう、しょうがないわね。いきなり全部脱ぐんじゃなくて、エプロンからはずしていくのよ」
「うー、めんどくさいなー」
「手伝ってあげたらどうですか、妹紅さん」
「何で私が? 自分ので手一杯だよ」
メイド服とは、ヘッドドレスやエプロン、ガーターなど色々と小物が多く、なれないと着るのも脱ぐのも時間がかかる。
「いいじゃないですか、ベットの中では脱がせたんでしょう?」
「いい加減しつこいよ」
妹紅は、美鈴を怒らせるような事をしただろうかと自分の胸に聞いてみるがまったく心当たりが無かった。
「エプロンが解けないー」
そして、チルノはエプロンを解こうと自分の腰に手を回すが、上手く解けない上、弄くってる内に結び目がこんがらがってしまっている。
「まったく、しょうがないわね。解いてあげるから、動くんじゃないわよ。……はぁ、私が脱がすのは美鈴だけでいいっていうのに」
その様子に再び見かねた咲夜がチルノのエプロンを解いていた。そして、その様子をまた、美鈴はじっと見つめていた。
「……」
「どうしたの美鈴、また黙って。今のさり気無いセクハラ発言につっこみを入れなくてもいいの?」
「……それはいつもの事ですから、慣れてます」
嫌な慣れだなぁ、妹紅はそう思うが、それよりも気になるのは、明らかに美鈴の様子が違うことだった。もっとも、原因など妹紅にはこれっぽちも分からないのだが。
「ふう、あなたと湯船に浸かるのは久しぶりね。美鈴」
「そうですね、互いに仕事がありますし。そして咲夜さん、人の胸見ながら話すの止めてくれません?」
もはや視線を隠そうともしない咲夜に美鈴の言葉は届いていなかった。
「咲夜さん、何か息が荒くなって――ひゃあ!」
「うわー、めーりんの胸おっきい!」
その時、咲夜が夢中になってる胸は、突然美鈴に後ろから抱き付いてきたチルノの手に好き勝手されていた。
「ちょ、チルノちゃんっ、止めてってば」
「こっ、この馬鹿妖精! その胸は私のよ! 今すぐ手を放しなさい!」
その光景を目にするや否や、チルノを美鈴から引っぺがす咲夜。
「まったく、油断も隙もあったもんじゃない」
「助かりました咲夜さん。でも言っときますが私の胸は私のです」
土壇場でも言っておくことは言っておく美鈴だった。そして、引っぺがされたチルノは今度は咲夜の胸を凝視し始める。
「……」
「な、何よ? 美鈴以外は触らせないわよ」
「……プッ」
「……笑った? 今、笑ったわよね? 人の胸見て笑ったわよね? 何が面白いのか聞かせてもらおうじゃない!」
「さ、咲夜さん落ち着いてさい! 誰も咲夜さんが小さいだなんて言ってませんから! それに咲夜さんは人よりちょっと小ぶりなだけです!」
むしろ、美鈴の言葉が一番胸に突き刺さりそうだが、幸い咲夜の耳には届いていなかった。そんな様子を一人眺めてた妹紅は思う、なぜ風呂ぐらいゆっくり入れないんだろうと。
「い、痛いって! もっと優しくー」
「やかましいわね、そもそも頭ぐらい自分で洗いなさいよ!」
「だって、シャンプーハット無いんだもん」
やっと落ち着いた面々なのだが、今度はチルノがシャンプーハットが無いと一人で頭を洗えないと言い出し、三度あきれた咲夜がチルノの頭をガシガシ洗っている。
「いだ、いだだ、だから痛いってばー」
「さっき美鈴の胸を触った罰だと思いなさい」
むしろこの罰を与えたいが為、咲夜はチルノの頭を洗い出したのだろう。
「そもそも、そんなに触りたかった妹紅のでも触ってなさいよ」
「嫌だよ、何でそこで私が出てくるんだ」
話を聞いていた妹紅がすかさず拒否する。
「いいじゃないですか、昨夜は妹紅さんがチルノちゃんを好き勝手したんでしょう?」
「ねぇ、私美鈴に何かした?」
「……いえ、別に」
そう答える美鈴だが、さっきまでとは明らかに様子が違う。美鈴はまた黙ってチルノと咲夜を見つめていた。
「まったく、一人で洗えないなら昨日はどうしたのよ? 妹紅にやってもらったの?」
「ん、昨日は……その、もこーが凄くて……それどころじゃなかった」
確かに昨日は凄かった。だがそれは妹紅のせいでチルノがのぼせて、それどころじゃなかったのであり、今の言い方では余計な誤解を招きかねない。
「……あなた達、昨日のお風呂の時からそうだったのね」
「……そうですか、お風呂でそんなことを……」
「いやいやいやいや! 誤解もいいとこだよ! 勘違い以外の何物でもないよ!」
こうして妹紅にさらなる冤罪が増えた。
「それじゃ、明日も早いからあなた達は寝なさい」
「チルノちゃん、今日は私と寝る? 妹紅さんと一緒だと何されるか分からないよ」
「へーき、アタイ最強だから」
「私、そんなに信用無い?」
「それなら私が美鈴と一緒に寝るわ」
こんな感じで、湯上りの四人は皆、思い思いの所へ散って行く。無論、咲夜の最後の言葉は全員無視する。
そして、新人二人は自室へと戻った。
「ごく、ごく、ぷはぁ。水うま!」
部屋に戻って早々、また昨日のように水を飲み始めるチルノ。
「また夜中にトイレに行く羽目になるよ」
「大丈夫、アタイ最強だから」
全く持って、会話が繋がっていない気がするが、とにかくチルノは水を飲み続ける。
「昨夜もそんな感じでトイレ行ったじゃん」
「昔の人は言った。トイレに行きたくなったら行けばいいじゃない」
「いや、聞いたこと無いよ」
当たり前だろう。そんなこと言った人物は居ないのだから、多分。
「ほら、もう寝るよ。明日も早いし」
「アタイの力を持ってすれば、寝ることなど造作でもない」
「言葉としておかしいよそれ」
皆とっくに寝静まった時間。また妹紅は起こされる事になった。
「ぴぎゃ!」
ごて! という鈍い音と同時に蛙が潰れたような声で夢の世界から引き戻される妹紅。
「うーん、何だよ、もうちょっとで輝夜を開きにしてやれたのに」
えらく物騒な夢から覚めた妹紅が見たのは、また床に転がっているチルノだった。
「うう、トイレ~」
「一々落っこちないとトイレに行けないのかお前は」
妹紅の言葉は恐らく耳に入っておらず、チルノはのそのそと起き上がりふらふらと歩き出す。
「一応言って置くけど、扉ぶつかるよ」
「むぎゃ!」
「……また私が連れて行くのかぁ」
妹紅はデジャブを感じるほど昨夜と同じようにチルノの手を引いていく。
「あーあ、額と鼻の先ぶつけて……どこが最強なんだよ」
「アタイ……さいきょー」
手を繋いで廊下を歩く二人。こんな所を咲夜や美鈴に見られたらまたあらぬ誤解を招くだろう。
トイレに着いた妹紅はチルノを中に放り込む。
「まったく、何で私がそんな誤解を受けなきゃなんないんだ」
トイレの前で独り言を呟く妹紅だが、無罪の身にとっては愚痴の一つくらい言いたくなるだろう。
「大体、私にそんな趣味ないっての」
確かに妹紅から見てもチルノは可愛い、間違いなく美少女だ。
「うん、可愛いのは認めるよ。それに負けず嫌いで健気な所も魅力的だと思うしって、何言ってんの私、これじゃ本当にそっち系の趣味持ってるみたいじゃん。あんなおてんば娘の面倒見れないって。ああでも、ちょっとそそっかしいのも愛嬌で逆に放っておけないみたいなって、だから何言ってんの私!」
妹紅の中に何か芽生えてはいけない物が芽生え始めていた。
「終わったー、眠いー」
妹紅がその芽を必死に摘み取ろうとしていた所にチルノがトイレから出て来る。
「え! ああ、そう。んじゃ戻ろうか」
「うん、寝る……」
チルノはごく当然のように、妹紅の手を握る。なぜかそれだけで今考えていたことがチルノに伝わってしまいそうで妹紅は気が気で居られなかった。
妹紅の心臓はバクバクと高鳴る、なぜ自分がチルノと手を繋いだ位で動揺するのか、きっと咲夜や美鈴が余計なことを言うから変に意識してしまってる、そう自分に言い聞かせた。
部屋に戻ってきた妹紅はチルノの手を離し、早々にベットに入っていく。これ以上チルノの顔を見ていると本当に変な気分になりそうだったからだ。
「もう遅いんだから、さっさと寝な」
それだけ言うと妹紅はチルノに背を向けて寝ようとする。
「うん、そうする……」
ぼんやりと答え、チルノもベットへと向かった。
ごそごそ、もぞもぞ。
「……わざとか、わざとなのか」
あたかも当然のように妹紅のベットに潜りだすチルノ、やはり今はこのベットしか目に入っていない。
背中越しに感じるひんやりとした感触、そして僅かに聞こえる寝息。
「お前、いい加減に――」
そして、振り返る妹紅の目の前にあったのは、チルノの無邪気な寝顔だった。
顔が近い、あまりに近い。同じベットの中に居るのだから、向き合えばそうなるのは自明の理なのだが、今の妹紅はそんな事は理解できるはずも無かった。
「お、おい、起きろってば……」
何故か声が出ない、喉が渇く、汗が流れる、体が動かない、何よりも心臓が脈打つ。こんな小さな呼びかけでチルノが目を覚ますはずも無く、二人は向かい合ったまま時が過ぎる。
やばい、何かがやばい。何がやばいのかは妹紅自身も分からないが何かがやばかった。このままチルノの無邪気な寝顔を見ていたら本当に目覚めてはいけない物に目覚めてしまう。
もし目覚めてしまったら、美鈴の言っていた事が冗談ではなくなってしまうし、咲夜と同じかそれ以上に特殊な性癖持ちのレッテルを貼られてしまう。それだけは避けたい。
ならば強引にでもチルノをベットからたたき出すか、自分が上のベットに行く、せめて再び背を向けて寝入ってしまうべきなのだがどれも出来なかった。
妹紅は一向にチルノの無防備な寝顔から目を逸らす事が出来ない。むしろ時が経つに事により食い入るように見入ってしまっている。
今は閉じているが大きくて透き通った瞳、少しつり目なのが愛嬌だ。空のように青い髪、ショートカットは活発な彼女によく似合う。小さくて整った鼻、頬は突付けば弾みそうなくらい柔らかそうだった。そして、果実の様に瑞々しい唇。
それら全てが少し手を伸ばすだけで触れることが出来る、特に唇はほんの少し妹紅が顔を近づけるだけで奪える。
そう、ほんの少しでこの愛らしい彼女の唇を……
「う、ううん……」
「うわ!」
チルノの些細な寝言に妹紅は心臓を止められかけた。先ほどとは完全に別の理由でバクバクと脈打っている。
「な、何だ、寝言か……って私は今、何をしようと!?」
たった今、自分がしようとしていたことを思い返して人生最大の混乱と自己嫌悪に沈む妹紅だった。
妹紅は強く目を瞑り、大きく深呼吸する。
「落ち着け、落ち着け私……こんな時は素数を数えるんだ。2、3、5、7、11、13……よし、落ち着いた」
よく分からない方法で心を静める妹紅。
幸い、既に目は閉じてるし、このままチルノの姿を目にしなければきっと寝付けるだろう。そう、このまま心を無にすれば……そう考える妹紅だが、無常にも小さな声が耳に入る。
「ん、暑い……」
え、何言ってんのこいつ? チルノの小さな呟きにそう思う妹紅だが直ぐにまた心を無にしようとする。でなければ再び変な考えが頭を過ぎりそうだったからだ。
しかし、妹紅の心はまだ乱されることになる。しゅるしゅると聞こえる布の摩れる音と、ぱさっとあたかもベットの外に衣服を放り投げたかのような音が妹紅の耳に入り込む。そして同時に思い返す朝の出来事。
こいつ、もしかしてまた服を……、そこまで心で呟いたがまた無心を維持しようとする。なぜなら想像してしまったのだ。直ぐそこにいるチルノの今の姿を。
何考えてんだ私は! そりゃお風呂で見たときは綺麗な体だなって思った、けど相手はあんな子供だぞ! そう、子供だ、体は小さくて華奢で、それなのに無茶ばかりする、だから放っておけなくて、守ってやらなくちゃいけなくて……って、何考えてんだ私はー!
この後、心を無にするどころか一時間以上に渡り、己の中で葛藤する妹紅だった。無論、チルノはそんなことはお構い無しで眠り続ける。
「妹紅さん、寝不足ですか?」
「今朝、また氷精が裸であなたのベットに潜り込んでたのと関係あるんじゃない?」
「……知らないよ」
「コーンスープおかわりー!」
結局妹紅は殆ど眠ることなく朝を迎えた。
「愛を深めるのはいいことですけど、ほどほどにしといた方がいいですよ?」
「今日はホント勘弁して……言い返す気力も出ないから」
「ついに認める気になったのね。それはそうと美鈴、私との愛はほどほどになんてしなくていいわ。思いっきり深めましょう!」
「ポテトサラダおかわりー!」
三人がどこかずれた会話をしている中、平然と食べ続けるチルノ、いつもの食事風景。だが一つ違うのは妹紅の調子がいつも通りではない。
寝不足というのもあるが、やはり決定的なのは昨夜の葛藤。一時とはいえあんな願望を抱いたのだ、美鈴や咲夜の言葉を真っ向から否定しづらいのだろう。一方、チルノはそんなことは露知らず、のんきに朝食を頬張っている。
「もぐもぐ、ん? 何、もこー?」
「何でもないよ、それよりそんな食べ方してるとまた喉詰まらすぞ」
「もぐもぐ、アタイ最強だからへー……むが!」
なんかもうお決まりになっている。そして咲夜の用意していた水を受け取るのももはやお決まりだ。
「……」
「どうした美鈴?」
「いえ、何でも」
「ここに立つのも今日で最後かー」
「三日間なんてあっという間でしたねー」
最終日の仕事もやっぱり門番なのだ。
「最後ということで聞きますが、妹紅さんとチルノちゃんってぶっちゃけどうなんですか?」
「言っている意味が私には理解できない」
「はぐらかさないでくださいよー」
「どうもなにも……何もないよ、全部誤解」
「そうですか、私としてはお似合いだと思いますけどねー」
「本気で言ってんのそれ?」
「ええ、なんだかんだで仲良さそうですし」
「それは私じゃなくて、あのメイド長じゃないか?」
「……それは、私もそう思いました」
「昨日ぐらいからずっと面倒見てるしな」
「そうですね……咲夜さん、ずっとチルノちゃんに付きっ切りでしたね」
「世話焼きなんだな」
「ええ、お二人が来る前はずっと私に付きっ切りでしたけど」
「へぇ、なら良かったじゃん。ちょっとだけだけど、開放されて」
「それは、そう……ですけど……」
その後、何故か口数が減ってしまった美鈴と、妹紅の午前は過ぎていく。
その頃、話題の二人はと言うと。
「唐突に思い出したけどアタイ、カキ氷以外も作れるよ」
「それは以外ね。それで何が出来るの?」
「氷砂糖」
「さて、さっさとお昼のサンドイッチ作るわよ」
そう言ってパンを切る咲夜の横で、砂糖水を凍らし始めるチルノだった。
誤解無いよう言っておくが、氷砂糖とは砂糖水を凍らした物ではないのであしからず。
「氷砂糖でカキ氷作ると美味しいんだよ」
「一応言っとくけど、あなたのそれは氷砂糖ではないわよ」
「ていうか、氷砂糖って作るのにめちゃくちゃ時間かかるし」
「あれ、ぽりぽりして美味しいですよね。あと、氷砂糖って暗闇で割ると一瞬光るんですよ」
昼食のサンドイッチを食べながら、なぜか氷砂糖の話題に盛り上がる四人。
「アタイの力を持ってすれば氷砂糖を作ることなど――ごほ! ごほ!」
「あなたは今後、食事をするときは水の入ったコップを用意してから食べなさい。じゃないと、本当にいつか死ぬわよ?」
いつもの様に即座に水を用意し、チルノに手渡す咲夜だが、この忠告はチルノの耳に入っているのだろうか。
「……咲夜さん、随分とチルノちゃんの面倒見るようになりましたね」
「自分でもそう思うわ、後数時間でこの頭シャーベットから開放されると思うと随分気が楽よ」
「……そうですか」
やはりここでも妹紅は美鈴に違和感を感じる。しかし、咲夜やチルノの前でそれが何なのか問いただす事はしなかった。
そんな、妹紅だけが疑問を残す昼食を終え、皆はまた仕事へと戻っていく。
「さて、洗い物も終わったし、私はお嬢様のお茶を淹れに行くけど、あなたは……そうね、美鈴の所にでも行ってすこし休憩してなさい」
「え? いいの?」
たんこぶを作りながらの洗い物を終えたチルノは咲夜の意外な指示に少しばかり戸惑った。
「最後くらい構わないわ、私も後で差し入れ持って行くから」
「わかった、行ってくるー」
まるで遊びに行くかの様にはしゃぎながら食堂を出て行くチルノを、咲夜はやれやれとため息を付きながら見送った。
門前にて、食後の軽い運動をする門番二人。
「今度は私が聞くけどさー、ぶっちゃけ美鈴こそどうなの?」
「えと、それは私と咲夜さんが、ですか?」
「そうだよ、私の目が節穴じゃなかったら二人の方が何かある仲だろ」
「そうですね。そう見られるって事は、そうなんでしょうね」
あくまで体を動かしながら受け答えする妹紅と美鈴。
「やっぱりね。けど、ならなんでさっさと受け入れないのさ?」
「受け入れるって……妹紅さんも見たでしょう? 私は昔みたいな咲夜さんに戻って欲しいんです」
「え? 前からあんなんじゃなかったの?」
「違いますよ。前はもっとかっこよかったんです」
目を瞑ればいつだって美鈴は思い出せる。あの紅い霧の夜の日を、美鈴が憧れた完璧で瀟洒な彼女を。
「ふーん。じゃあなんでかっこよかったのが、あんなんになったの?」
「さぁ? よくわかんないんです。気づいたらすでにあれで」
浮かび上がる咲夜ストーカー化現象の謎。すごくどうでもいい。
「ひょっとしてさ、それって美鈴のせいなんじゃないの?」
「私のせいって……何でですか?」
「さあね。けど以外に、こういうのは自分にも否があったりするんだよ」
「……身に憶えはありませんが」
美鈴は動かしていた体を止め、俯き考えてみるがやはり思い当たらない。
「これでもね、結構長く生きてる。本当にいろんなものを見てきた。人生経験は豊富なつもりだよ」
そう口にする妹紅の言葉は何か確信があるように美鈴には聞こえた。
「……その長い人生経験に氷精との愛が刻まれるんですね」
「……ここで話を逸らすなよ」
妹紅は話の腰を折られた気がしてならなかったが、話を戻すようなことはしなかった。今の言葉を受け流すのか聞き入れるのかは美鈴が決めること。
だから妹紅はこの一言でこの話を終える気でいた。
「最後に一つ。強い思いは、受け流しちゃいけない。受け止めて、返さなくちゃいけないんだ。どんなに歪んでいてもね」
そう、返さなくちゃいけない。例え歪んだ愛情だろうと、千年に渡る殺意だろうと、相手の思いが強ければ強いほど、自分も強く返さなくちゃいけない。
「憶えて……おきます」
小さく、呟くように美鈴はそう答えた。
「皿洗いの地獄から舞い戻ったアタイ参上!」
その時である、なんか全部台無しにする存在が現れた。
「では、ごゆっくり」
「あら? もう行くの咲夜」
お茶の準備を終え、退室しようとする咲夜。準備そのものは小悪魔の手伝いもあって直ぐに終えた。
「ええ、この後、美鈴に差し入れを持って行くつもりなので、美鈴に例の氷精を預けておりますし、それに一刻も早く美鈴の顔が見たいので」
「凄いですねパチュリー様、メイド長の頭の中が一色ですよ」
「小悪魔、それは思っても言わないのがマナーよ」
いつの間にか出来ていた謎のマナーを小悪魔に教えるパチュリー。最近はこの二人とレミリアの三人でお茶をすることが多い。
「それじゃ悪いけど、最後にこのクッキーもう一皿追加してくれないかしら? 最近のお気に入りなの」
「……チッ、かしこまりました。ただいまお持ちします」
そう言った瞬間に咲夜の手にはクッキーの皿が持たれていた。そしてその皿を手早くテーブルに置く。
「でわ、しばし失礼させてもらいます」
それだけ言い残し、咲夜は姿を消す。
それを見届けたレミリアはゆっくりとパチュリー達の方へと振り返った。
「さ、さ、咲夜が舌打ちしたー!」
叫びだすと同時に泣き出すレミリア。恐らく見てしまったのだろう、舌打ちした時の咲夜の目を。
「きっと氷精をメイドにするなんて言ったから怒ってるんだわ……きっとそうよ!」
震えながら泣くレミリアに近づきそっと抱き寄せる小悪魔。
「そんなことないですよ。ほら、メイド長は美鈴様が絡むと少し人が変わるじゃないですか。だからですよ」
小悪魔は胸の中で泣きじゃくるレミリアの頭を撫でながら慰める。
「ほ、ほんとにそう?」
「ええ、そうに決まってます」
そう答えた小悪魔の顔は、レミリアには天使に見えただろう。実際には悪魔の類なのだが。
「それにあのメイド長がお嬢様に舌打ちなんてするはず無いじゃないですか? 空耳ですよ」
「うう、小悪魔、あなた本当にいい子だわ。やっぱり私の専属にならない? 咲夜と同じ条件で向かい入れるわよ」
「お言葉は嬉しいのですが、私はパチュリー様の使い魔なので」
「そう、残念ね。私にかかればそんな契約なんて一瞬でなかったことに出来るのに」
「ヘッドハンティングはそこまでにしなさいレミィ、それと……間違いなく咲夜、舌打ちしてたわよ」
「うわぁぁ! やっぱり咲夜怒ってるんだぁぁ!」
「パチュリー様! お嬢様を虐めるのは本の中だけにしてください!」
「はいはい、分かったわよ。ほらレミィ、『紅白と蒼白の巫女』の新刊書き終えたわよ」
「え、本当? わーい」
「良かったですねお嬢様。第二章の暴かれた聖域はまだ私も読んでない出来立てほやほやですよ」
こうして、図書館に怪しげな本がまた一冊増えていく。
「お前さ、もうちょっと空気読もうよ」
「まぁまぁ、チルノちゃんは悪くないんですから」
つい先ほどまで、ちょっといい話をしていた門前は突然の来訪者によって雰囲気を変えていた。
「それにしても、どうしたのチルノちゃん、何か用事?」
「ううん、皿洗い終わったから少し休んでいいって」
「珍しいね、あのメイド長が休んでいいだなんて」
「まぁ、咲夜さんも鬼じゃないですし、最後くらいは……って事でしょう」
そう言う美鈴自身も内心では珍しい事だと思う。
「それで、咲夜さんはどうしたの?」
「何かお茶の準備するって言ってた」
「ああ、そういえばお嬢様のお茶の時間ですね」
「でも、後でこっち来るって、差し入れ持って」
「差し入れって、そんな気使いするタイプだっけ?」
どうにも妹紅は咲夜に対し、鬼メイド長のようなイメージが離れないらしい。
「いえ、お二人が来る前は毎日持ってきてましたし、来てからも夜の差し入れは持ってきてくれてましたよ」
昼間の差し入れが出来なかったのは、やはり今までと違い余計な手間が増えたからかもしれない。
「まぁ、美鈴に対してなら分かるけどさ」
そう口にした瞬間、妹紅の背筋に悪寒が走る。
「まるで、私が美鈴目当てで来てるみたいじゃない?」
突如、妹紅の背後に現れ、やや低めの声で話しかけてくる咲夜。
「き、急に現れるな! そして正しくその通りだろう!」
背後の咲夜を振り払うように妹紅は振り替えった。
「ええ、その通りよ。という訳で美鈴、この紅茶口移しで飲ませてあげるわ」
「心底遠慮します」
ため息を吐きながら答えた美鈴は先ほどの妹紅の言葉を思い出す。これを受け止めろと言うのだろうか、そして相手に返せと?
「クッキーも焼いてきたけど、足りなかったら私の身体も頂いていいわよ」
ごめんなさい妹紅さん、私にはまだ無理です。心の中で妹紅にそう謝罪する美鈴だった。
妹紅はそんな美鈴を見て何となく、私のほうこそごめん、と謝罪し返した。
「クッキーうま!」
そんな周りの心境などお構い無しで咲夜の持ってきたバスケットをあさるチルノ。
「それで、最後だから聞くけど、妹紅、あなた本当にこの子に手を出してないのね?」
「最後だから言うけど、ホントにマジで何にもしてない」
四人でクッキーを食べながら紅茶を飲む、一見優雅だが話の内容は生々しい。
「咲夜さん、それ以上聞くのは止めましょう。誰にだって知られたくない秘密はあるんですよ」
「いや、それフォローになってるようでなってないから」
「クッキーうま」
飽きずに同じ議題を重ねる三人、そして議題の中心なのにそっちのけでクッキーを食べる妖精が一匹。
「どんな性癖だろうと恥じることは無いと思うわよ」
「誰もが咲夜さんみたいにオープンじゃないんですよ。ていうか咲夜さんは少し隠してください」
「だから恥じるも何も、そもそも私はそんな性癖は持ち合わせてない!」
「お茶うま」
結局、咲夜は妹紅に疑いの目を抱いたまま、美鈴にいたっては既に「私はあなたの味方ですよ?」的な感じなっている。妹紅にとってはありがた迷惑もいいとこだった。
ささやかなお茶会も終わり、咲夜はチルノを引きずって仕事に戻っていった。
「さて、そろそろ仕事も終わりな訳だけど」
「三日間ご苦労様でしたね」
「何か退屈との戦いだった気がするよ」
事実、妹紅がこの三日間でこなした門番としての仕事は、美鈴の留守中に来たアリスの対応くらいだろう。
「それでもやることはやってましたよ」
「そう? あんま実感無いけど」
「そんな妹紅さんには飴と鞭という言葉に習って、飴をあげましょう」
そう言って何処からとも無く飴を取り出す美鈴。
「うわ! なにそれ、手品?」
「ええ、前に咲夜さんに習ったんです」
妹紅は美鈴から飴を二、三個手渡されると、その何処から出てきたか分からない飴をまじまじと見詰める。
「……べっこう飴ってのが何とも」
「イチゴミルク味とかの方が良かったですか?」
「いや……いいよこれで」
飴を包みから取り出し、妹紅は口に放り入れた。
「それじゃ、そろそろ上がりますか。咲夜さんが夕食作り終えた頃でしょうし」
「ん、そうだね」
「私は部下の子達に一言言ってから行きますから、先に行ってて下さい」
「あいよ、わかった」
言われた通り、妹紅は部下に声をかける美鈴より一足先に食堂へと向かった。
「これで良しと、そろそろ二人も来る頃かしら」
食堂には夕食を作り終えた咲夜と、自称氷砂糖を作りながらつまみ食いを狙うチルノの姿があった。
「ほら、盗み食いしようとしてないで、さっさと美鈴たちを呼びに行きなさい」
「ん、ふぁーい」
咲夜の指示に返事をするチルノだが、その口の中には何かが既に放り込まれていた。
「まったく、油断も隙も無いんだから」
チルノが口の中のものを飲み込み、食堂から出ようと扉へ向かった時、チルノの到着を待たずに扉は開かれた。
「何か凄くいい匂いするな」
そして扉の外から、今呼びに行くつもりだった妹紅が入ってくる。
「あら、思ったより早いわね」
「ああ、少し早かったか? 美鈴も直ぐ来るけど」
「いえ、丁度いいわ。今呼ぼうと思ってたから」
「なら良かった」
そう答え、中へと入ってくる妹紅をチルノは何故かまじまじと見詰めてる。
「ん? どうかしたか?」
「もこー、何食べてるの?」
どうやら妹紅が口に何か入れているのが気になっただけのようだ。
「美鈴から貰った飴だけど?」
「あっ、いいなー! アタイも欲しいー!」
「ああ、わかったよ。やるから騒ぐなっての」
この時、妹紅は気が緩んでいたのだろう。
「ホントにー? やったー」
「ちょっと待ってろ、ポッケにまだ――んぐ!」
全ての仕事を終え、気が緩んでいた。だからポッケから飴を取り出そうとして、奪われた。
「ん、んん! んん!」
「いい匂いですねー。今日のメニューは……え?」
こうして妹紅は飴を取られた。無論ポッケにあった飴ではなく、たった今自分で舐めていたはずの飴を直に奪われた。そして、妹紅は同時に、飴以外の何かまで奪われた気がした。
その場に呆然と立ち尽くす妹紅に対し、チルノは奪った飴を口の中でコロコロと転がしている。それらの光景を唖然と見届ける咲夜と美鈴。
「この飴おいしー」
チルノは、今自分が仕出かした事をまるで理解できていないらしい。
「ごめんなさい妹紅、完全にあなたを誤解していたわ。まさかあなたの方が受けだったなんて……」
「ええ、私も予想外でした。それにしてもまさか、目の前であんな光景が繰り広げられてるなんて思わなかったです」
「……出来ることなら死にたい」
「ローストビーフうま!」
夕食、メニューがいつもより少し豪華なのは咲夜なりに二人を労っての事なのだが、チルノ以外はそれどころではなかった。
「私のあげた飴が原因となると、なんか私まで申し訳ない気分ですよ」
「いや……美鈴のせいじゃないよ、ただちょっと私の注意力が足りなかっただけだから」
「シーザーサラダうま!」
加えて言うなら、妹紅は相部屋の同僚に対する理解も足りなかったかもしれない。もっとも足りていたところで、あのハプニングを予想できたかといえば、多分出来なかっただろうが。
「まぁ、野良犬に懐かれたと思って開き直りなさい」
「噛まれたと思って諦めるだろ、何だよ開き直るって」
「逆に考えるのよ、唇や身体くらい奪われてもいい、そう考えるの」
「やだよ、玩具を放さない犬じゃないんだから」
「愛の為ならば唇や身体の二つや三つ、簡単にくれてやるべきよ」
「そんな自国愛にまみれた軍人みたいな考えもお断りだよ」
奇妙な言い回しで会話する咲夜に対し妹紅は律儀につっこみをいれる。
「それよりさ、私は今日でここを出て行くことになるんだけど、あの我が侭お嬢様には挨拶とかしなくていいの?」
なるべく話題を変えつつも、妹紅は素朴な質問をぶつけた。もとはと言えば、妹紅の罰ゲームに関係の無い紅魔館を巻き込んでしまったのだ、妹紅なりにレミリアに迷惑をかけたと思うのも無理は無い。
「あなたが必要だと思うならすればいいんじゃない?」
「うーん、急に転がり込んできて迷惑だっただろうしなぁ。一応、礼は言っておこうかな」
「なら、後で取り計らってあげるわ」
咲夜からすれば、妹紅の存在がそれほどの迷惑ではなかったと思うのだが、彼女の気遣いを無に返すのも気が引けるの為、後でレミリアに一声かけることにした。
「あ、アタイそれ知ってる、お礼参りってやつだよね」
「五体満足で野生に帰りたかったらその言葉は忘れなさい」
チルノの頭の中には、生きていく上でなんら必要ない知識ばかりが詰め込まれているらしい。
「とりあえず悪かったね、急に転がり込んで来てさ。でも、これでこんな罰ゲーム考えた大馬鹿に顔向けできるよ、ありがとう」
「別に謝る必要はないわよ。ちゃんとやることはやってたみたいだし」
食事の後、初日に初めて通された部屋で、妹紅は申し出通りレミリアにこれまでの礼を述べた。居合わせる顔ぶれや立ち居地まで初日と同じである。
「メイドを極めたアタイは、これでより最強になったわ」
咲夜のこめかみに浮かぶ青筋まで同じだ。
「まぁ気まぐれと偶然が生み出した産物だったけど、一応、紅魔館の主として言うことは言うわ」
そう言うとレミリアはゆっくりと二人の前まで足を進める。そして、それぞれの目をしっかりと見詰めながらその名を呼ぶ。
「妹紅、チルノ」
その声は本当にあの我が侭なお嬢様の物とは思えないくらい、誇り、貫禄、威厳を放っていた。
「二人とも短い間とはいえ、この紅魔館に尽くした忠義、大儀だったわ。力が必要になったら頼りなさい、ここを去ってもあなた達が紅魔の一員だったことには変わらないのだから」
普段の姿や行ないに忘れていたが妹紅はこの時、目の前に居る小さな少女が、夜の王であり、幼き紅い月であり、紅魔が主であることを思い出す。
「あ、ああ、そんな大層な労いを貰うと何て言っていいか分からないけど、とりあえず何かあったら頼りにさせてもらうよ」
まるで、本当に自分の全てを捧げた主を前にしたかのごとく萎縮する妹紅。それほどに妹紅はレミリアの放つ何かに気圧されていた。
「ええ、頼りなさい。何だったらあなたの宿敵倒しに協力しましょうか?」
だが、そんなレミリアの何かも、次の瞬間には失せていた。
「いや、ありがたいけど、あいつは私自身でケリを着けなきゃいけないから」
「いい心がけね、それでこそあなたよ」
それでも妹紅は悟った、その何かが咲夜や美鈴に忠誠を誓わせる力なのだと。
「ま、困ったらアタイの力を頼りなさい、アタイ最強だから」
妹紅が萎縮してしまう何かも、この氷精の前では意味がないらしい。そろそろ咲夜の青筋が限界に達しそうだ。
そんなチルノに、レミリアは少しだけ口元を緩め答える。
「フフ、そうね、何かあったら私も頼ろうかしら」
レミリアがチルノの力を必要とする事態など、夏場に涼を求める時ぐらいではなかろうか、少なくとも咲夜にはそれしか思いつかなかった。
「お嬢様、挨拶もその辺に」
「そうね、それじゃ二人とも、気が向いたら来なさい。また雇ってあげるから」
レミリアにとっては社交辞令、ジョークのつもりなのだろうが、咲夜にとっては二度と御免だった、特に青くてちっこい方。
「ああ、その時はまた門番で頼むよ。メイドは私には無理だから」
「次にアタイがここに来た時は、アタイがメイド長になってるわね」
咲夜の中で、何かが切れた。
「は、はい。それじゃ二人とも行きましょうか、門まで送りますよ。特にチルノちゃんは今すぐここを出ないと」
咲夜の臨界点突破にいち早く気づいた美鈴はさっさと二人を連れ出そうとするが、時既に遅し。
「無駄、完全に無駄よ美鈴。もう氷精が生きて紅魔館を出ることは無いの。その身の程知らずは全身を剣山にしてから殺すと予告するわ」
ゆっくりと、それでいて手早く、まさに流れるような動きで咲夜は懐からナイフを取り出していた。
「ちょ、咲夜さん落ち着いて! チルノちゃんも悪気は無いんですってば!」
必死に咲夜を止めようとする美鈴だが、もはや咲夜の目には宿敵しか映ってない。
「美鈴、そこを退かないのならそれでいいわ、けど無駄よ。なぜなら私のスペルはまさに――」
「私! 心が広くて優しい咲夜さんが大好きです!」
「さっさと出て行きなさい! 私の気が変わらないうちに!」
取って置きの対咲夜用必殺技で咲夜をなだめた美鈴は必死の思いで妹紅に視線を送る。妹紅はその視線の意味を一瞬で理解できるあたり、こんな出来事にも手馴れた紅魔の一員と言えよう。
「はぁ、しかたないね。ほら行くよチルノ」
美鈴の意を汲み取った妹紅は、チルノの手を引き、足早に部屋を出る。
「みんな仲がいいのね、羨ましいわ」
そして、この騒がしい出来事を、一人まったく見当違いの目で見ていたレミリアだった。
「何だかんだでここまで来ちゃったけど、よく考えたら美鈴とかには挨拶してないなぁ」
チルノを連れたまま門まで来た妹紅だが、この三日間で一番世話になった人物には何も言えずじまいだった。しかし、今更戻るわけにも行かない。
「もこー、帰んないの?」
「はぁ、元々はお前のせいだぞ、ああいう時は礼の一つでも言うべきなんだ」
慧音は寺小屋でこんな子供達を大勢相手にしているのかと思うと、妹紅は我が友人の偉大さを思い知り、今後はもっと積極的に子供達の相手を手伝ってやろうと心に決めた。
そして、門前でどうしようかと悩む妹紅の耳に聞きなれた声が入ってくる。
「あ、妹紅さーん、チルノちゃーん! まだ居たんですね」
「美鈴、わざわざ来てくれたの?」
「ええ、咲夜さんをなだめてから直ぐ追いかけたんですけど、間に合って良かった」
もっとも美鈴は屋敷内の気配なら全て分かるので、まだいると分かってて追いかけてきたのだろう。
「それはこっちの台詞だよ、三日間世話になったね」
「いえ、私もいつもと違う日々は楽しかったです。最後はアドバイスまで貰っちゃいましたし」
「ああ、あれね。もっとも間違ったアドバイスだったような気もするけど」
思い返される昼間の現状。
「そんなこと無いですよ、私も色々考え直してみます」
「そう、なら良かった」
押し付けがましいアドバイスかと妹紅は思ったが、美鈴の言葉で気が楽になった気がした。
「チルノちゃんもまた遊びに来てね」
「うん、またチャーハン食べに来る」
思えばあのチャーハンから咲夜の心労は始まったかも知れない。
「作ってあげるけど、今度は昼間に来てね」
「それと、さくやにありがとうって言っといて」
それは、チルノが知っている唯一の礼の言葉、それでいてもっとも分かりやすく相手に気持ちを伝える言葉だった。
「チルノちゃん……うん、伝える、絶対に伝えておくから」
今の言葉を伝える、それだけの事なのだが美鈴には、絶対に成し遂げないといけない様な気がした。
「それじゃ、もう行くから」
「ばいばい、またねー」
「ええ、お二人とも気よつけて」
こうして、炎の門番と氷のメイドは紅魔館から去っていく。
そして、夜空に消えゆく二人の姿を、門前から、館の窓から門番と従者は見届けていた。
「美鈴、差し入れ持ってきたわよ」
「咲夜さん、ありがとうございます」
毎夜恒例の差し入れを受け渡す咲夜と、受け取る美鈴。
「それにしても、やっと騒がしいのが去って行ったわね」
「私はそれなりに楽しかったですけどね」
いつもの様に紅茶を飲みながら過ごす二人の時間。それでも話す事はやはりこの三日間の事だろう。
「あなたはそうでしょうけど、あの頭メレンゲ、最後まで私の事あいつ呼ばわりだったのよ」
「ふふ、そうなんですか」
「笑い事じゃないわよ、まったく」
そう言われても美鈴は口元の緩みを直すことは出来なかった。あの子の咲夜へ宛てた言葉を知っているから。
「咲夜さん、そのチルノちゃんから伝言を預かってます」
「何よ? 殴られた礼をしに来るのならいつでもいいわよ」
咲夜は知らない、チルノが最後にだけ、それも本人の居ない所でその名を呼んだことを。
「ありがとう、そう言ってました。咲夜さんの名を呼んで」
「……そう」
だから急に手のひら返したようにそんな事言われても、どう返していいのか咲夜には分からなかった。
「あ、照れてるんですか?」
「違うわよ! ただ、そういうのは自分の口で言うのが礼儀でしょうに、まったく……」
「素直じゃないんですねー」
「言ってなさい。それと、あなたの方がチルノに会う機会が多いでしょうから伝えなさい。食べながらしゃべらない事って」
咲夜本人はさり気無く言ったつもりなのだろうが、美鈴にはしっかりと咲夜が始めてチルノの名を呼んだのを聞いていた。
「分かりました、会ったら言っておきます」
成し遂げなければいけない約束を成し、そして新たな約束をした美鈴。
「ところで咲夜さん、唐突ですがここで一つクイズです」
「本当に唐突ね」
「ええ、でも今じゃないと、私もう我慢できないんで」
「何かしら、私の身体を求めているのなら我慢なんていらないわよ」
無論、咲夜の言葉なんか端から耳に入ってない美鈴は一方的に言葉を続ける。
「では問題。今咲夜さんの思い人は非常に不機嫌です、それはなぜでしょう? ヒント、原因は咲夜さんです」
「……いきなり過ぎる上、心当たりが無さ過ぎる様な、有り過ぎる様な気がして分からないわ。せめて選択式にならないのかしら?」
今私は不機嫌です、原因はあなたです、理由は何でしょう? 無論分かるわけが無い。
「しょうがないですね、大サービスです。但し咲夜さんの持ち点はマイナスですよ」
「何の持ち点よそれ」
もっともな咲夜の言葉を無視して美鈴は言葉を続ける。
「一、咲夜さんが最近チルノちゃんに付きっ切りだったから。二、咲夜さんがその人の事をほったらかしにしていたから。三、咲夜さんがチルノちゃんの話ばっかりするから。四、咲夜さんがその人の事を蔑ろにしがちだから。五、咲夜さんがチルノちゃんの面倒ばっかり見てるから。六、咲夜さんがその人の事を――」
「ちょ、ちょっと待って美鈴、どれも選びがたいうえ、意味が重複してる物もあるし、何より身に覚えが無いわ」
突如、人が変わったように言葉を羅列し始める美鈴に、咲夜は付いていけなかった。
「身に覚えが無い? よく言えますねそんな事」
「あの美鈴? えと怒ってる?」
「言ったじゃないですか、不機嫌だって。しかも原因が身に覚えが無いとか言ってるんですよ? 怒らない方がどうかしてます」
今、目の前に居るのが美鈴なのかどうかすら分からなくなるほどの変化に、咲夜は完全に置いてきぼりである。
「あ、あの出来れば最初から説明して欲しいのだけど、クイズの答えらへんから」
「そんなの決まってるじゃないですか! 全部ですよ!」
「それはもはやクイズになってないわよ」
「それでも全部なんです!」
咲夜の言っていることはどう考えても正しいのだが、咲夜が何か言うたび美鈴はヒートアップしていく。
美鈴の声に気おされながらも、咲夜は自分なりの考えを口にした。
「そ、それはつまり……やきもちって事、かしら?」
そう口にした瞬間、咲夜は後悔した。自分は何か言ってはいけない事を言ったと、そう美鈴の目が物語ってる。咲夜の人生においてこれほどにまで力の篭った目で睨まれた事があっただろうか。
そして、大量の空気を吸い込み、美鈴の口が開かれた。
「あ! た! り! ま! え! じゃないですかぁぁぁ!!」
深夜という事に対して配慮の全く無い怒鳴り声は、幸い誰かの眠りを妨げることにはならなかったが、少なくとも咲夜に耳鳴りを残した。
「そんな事わざわざ聞かなくても分かるでしょう!」
「うう、頭が……」
極度の耳鳴りによる頭痛に苦しむ咲夜を無視し、美鈴は言葉を続ける。
「大体! 仕事中もチルノちゃんに付きっ切り、お風呂の時もチルノちゃんの面倒見てあげて、食事中もずっとチルノちゃんの話! さっきだって最初に出たのはチルノちゃんの事でした! やきもち焼いて当然でしょう! 腹を立てるのが当たり前でしょう!」
「い、言いたいことは分かったわ、何で怒ってるのかも、けどそれは……」
誰がどう見ても言いがかり、美鈴の我が侭以外の何物でもない。
「知りませんそんなの。兎に角、咲夜さんが私を蔑ろにして私が不機嫌。それだけは事実です」
「ど、どうしたら許してくれるのかしら?」
「謝る気持ちがあるんですか?」
「と、当然じゃない」
「何でもしますか?」
「何でもするわよ」
美鈴の為なら何でも出きる、例えシロップの代わりにタバスコをぶっかけたカキ氷だって食べてみせる、咲夜はそう自分に言い聞かせ美鈴の言葉を待つ。
「それじゃ、まず目を瞑ってください」
「え、ええ、分かったわ」
言われた通り目を瞑る咲夜だが、視界が無くなる直前に確かに見えた、美鈴が拳を力強く握り締めたのを。
何をされるか何となく予想が付いてしまった咲夜は、全身を強張らせる。
「それじゃ行きますよ」
「い、いいわよ」
声が軽く震えているが、それでも咲夜は弱音は吐かず、美鈴の動きを待つ。
「……」
だが、行くと言った割りに何もしてこない美鈴に不振を思い、強張らせていた体を緩める――そして、突然口の中に何かが押し込まれた。
驚きのあまり目を見開く咲夜、その口の中には妙に甘ったるい丸い物。
「あ、飴?」
今、口の中に押し込まれたのは、どれだけ砂糖を入れたか分からないほど甘ったるいべっこう飴だった。
「咲夜さん、今凄く甘いものが食べたいんですよ私、特に飴とかがベストです」
まるで理解の追いついてない咲夜を無視して、美鈴は話を続ける。
「でも手持ちの飴はたった今、咲夜さんに上げたので最後なんです」
正確には上げたのではなく、強引に口にねじ込んだと言うのだが。
「だから、その飴くれますよね? それで今回の事は許してあげます」
美鈴の言葉を理解するのに咲夜は何秒くらいかかっただろう。
「それはつまり……」
「無論、やだなんて言いませんよね、何でもするって言ったんですから」
強気な口調で、美鈴は一歩づつ咲夜に歩みを進め始める。
「美鈴、あ、あまりに急展開過ぎないかしら?」
「不正解だった罰だと思ってください。それより、咲夜さんからくれないなら、私から奪っちゃいますよ」
二人の距離はもう無い。美鈴はそっと咲夜の顎に手を伸ばす。
「こ、こういうのはどちらかと言うと私の役目じゃ……」
「今は、言葉じゃ無くて態度で、思いで示して欲しいんです。じゃないと本当に私から行きますよ」
いつもと立場が真逆。だから咲夜は知らない、こういう時どうすればいいのかを、美鈴がどうやって受け流していたかを知らない。
「あ、あの、美り――ん、んん!」
タイムアウト、咲夜は言いかけた言葉を紡がれた。美鈴は必要以上に時間をかけ飴を奪い取る、途中咲夜がつい体を離そうとするが、いつの間にか腰に回されていた美鈴の腕がそれをさせない。
「ん、んん、ふぁ……はぁ、」
咲夜は体が離れたとたんその場に腰を落としてしまう。
「大丈夫ですか、咲夜さん」
「……」
「あ、あの咲夜さん?」
「ええ、何とか。悪いんだけど、手を貸してくれるかしら」
そう言いながら咲夜は手を差し出す。
「あ、はい、どうぞ」
差し出された手を握り返し、力強く引き上げる美鈴だったが、咲夜の体は勢いそのままに美鈴に抱きついた。腰に腕を回し、顎に手をかける、まるでさっきの二人をそのまま入れ替えた様に見える。
「さ、咲夜さん?」
「約束は守ったわ、許してくれるのかしら?」
「え、ええ、それはもういいんですけど……」
「そう、ならよかったわ。ところで今度は私の我が侭を一つ聞いてくれる?」
あまりの顔の近さに上手く言葉を出せない美鈴に対し、完全に自分のペースで話を進める咲夜。入れ替わったのは立ち位置だけでは無かった。
「我が侭……ですか? いいですけど……」
美鈴の頭の中で「たまには相手の我が侭を聞いてあげる」そんなアドバイスが思い返されていた。そもそも、美鈴が急にこんな態度に出たのも、「強い思いは受け止めて、返さなくちゃいけない」というアドバイスに乗っ取ったものなのだろう。
「……それで何ですか、我が侭って」
「簡単よ、あなたと同じだから」
咲夜はあたかも当たり前のように口にするが、先ほどの咲夜と同様に、美鈴が理解するまで若干ながら間が空く。
「同じって、あの……」
「私も、もう少しその飴を味わいたくなったの。今すぐ」
今すぐを強調した咲夜の言葉に、美鈴は全て理解した。
「あの、咲夜さ――んん、ん!」
しかし、理解した時にはもう遅かった。デジャヴを感じるほど同じように、飴は奪われてた、にも関わらず咲夜は美鈴を放そうとしない。
それどころか、そのまま飴を美鈴に返し、そしてまた奪う。これを繰り返し続ける。
「ん、ううん、んは……ん」
美鈴はなぜか体に力が入らず、離れる事が出来ないし、離れていいのかも分からずにされるがままだ。
引き離すことも、首をひねる事も出来ず、ただ咲夜のされるがまま、まるで人形。だが、不思議と嫌な気分ではなく、むしろより強く引き寄せてきた咲夜の腕の感触が、心地よかった。だから、美鈴も腕を回し、咲夜を強く引き寄せた。
夜は更けて行く。二人は一つになったまま。そう、その飴が無くなるまで。
「やっぱり我が家は落ち着くなぁ」
「んぐ、んぐ、水うま」
「さて、疲れたしもう寝るかな」
「あ、待って、水もう一杯飲んだら」
「またトイレ行くことになるよ」
「へーき、メイドを極めたアタイはまぢで最強だから」
「はいはい、もう寝るよ」
「うん、わかった」
「所でさ、チルノ」
「何? もこー」
「何でお前、私んちに居んの?」
「めーりんが、責任取ってもらうまでもこーから離れちゃダメだって」
「……」
「……」
「さて、アリス。今夜の研究のテーマだが……」
「そ、その研究って言い方止めなさいよ」
「じゃあ、それ以外の言い方を教えてくれよ」
「え! そ、それは……その……」
「なぁ、何て言うのか、口に出して教えてくれよ」
「そ、そんなの……言えるわけ……」
「決めたぜ、今夜のテーマ。題して、人形遣いに色んな言葉を言わせてみようだ」
「な、何よそれ!」
「それじゃ、さっきの続きだ。別の言い方、教えてくれよ」
「だ、だから……それは……」
「今からそんな恥ずかしがってたら、後が大変だぜ?」
「い、一体何を言わせるつもりなのよ!」
「それは、後のお楽しみだぜ」
「え、ま、魔理沙、そんな、強引に……」
「ほら、早く言わないと、どんどん凄いことになるぜ?」
「ま、魔理沙止め――あぁぁ」
「く、あの二人、門の前でいちゃついて! いいわよ! どうせ私はハブられっ子よ!」
「レミィ、窓から盗み見はよくないわよ」
「お嬢様、紅茶を淹れましたから、とりあえず落ち着いてください」
「ふん、いいわねパチェは、こんなにも主思いの子がいて」
「あの二人だって、主思いだと思うけど?」
「どこがよ! あんな二人だけの世界を作っちゃって!」
「愛はまさに世界を制する力ですね」
「どちらかと言うと、固有結界よ」
「こゆう……? 何のことパチェ?」
「レミィも白い姫君には気を付けなさい」
「? さっぱりなんだけど」
「その時は私がお嬢様をお守りしますよ」
「小悪魔、私のために……やっぱりパチェよりも私の所へ――」
「レミィ、いい加減にしないと怒るわよ」
「まぁまぁ、パチュリー様落ち着いて。私がパチュリー様の傍を離れるわけが無いじゃないですか」
「ま、まぁ、それならいいけど……」
「ええ、ずっと傍に居ますよ。パチュリー様」
「小悪魔……」
「助けて、フラン……私、居場所無くなっちゃった……」
始まりはいつもの宴会、いつもの喧嘩。
「そこに直れ輝夜、今すぐに灰にしてやるから」
「いやーん。もこたんが苛めるー」
「うわ! 気持ちわる!」
飽きないのかこいつ等は、という周りの視線を浴びながら、案の定飽きずに喧嘩を続ける妹紅と輝夜。
「ちょっと、あんた達こんな所で殺り合わないでよね。今日は珍しく魔理沙が居なくて平和なんだから」
あまり効果は無いんだろうなぁ、と思いつつ一応注意を促す博麗の巫女。
「輝夜に言ってくれ。合うたびにちょっかい出してくんのはコイツなんだから」
「あら、心外ね。合うたびに熱烈な視線を感じるから構って欲しいのかと思ってたわ」
里の子供が目を合わせたらその場で泣き出してしまうような妹紅のガン垂れも、永遠の姫の前では意味を履き違えるらしい。
「別に喧嘩するな、とは言わないわよ。ただ周りに迷惑を掻けるなって言ってんの。主に私に」
最後の方を強調した霊夢の言葉は、果たして二人の耳に入ったのだろうか。
「お前、長く生きすぎてついにボケが始まったか?」
「妹紅こそ、長く生きすぎてそろそろ気づいたんじゃないかしら?」
「気づくって何にだよ? お前のアホさ加減だったらとっくに気づいてるよ」
「私には永遠に敵わないって事よ」
「そこに直れ輝夜、灰も残さないから」
「いやーん。もこたんが怒ったー」
案の定、霊夢の言葉は耳に入ってなかったらしい。
そして、そろそろいつもの殺し合いが始まる雰囲気。霊夢はここで殺し合いを始めたらこいつ等しばらく宴会に出入り禁止にしてやろう心に秘めた。
「今日は格段に頭に来た! 今までのミディアムですむと思うなよ、今日はウェルダンだ!」
「あら、今までミディアムだったの? ずっとレアだと思ってたわ」
売り言葉にたいしてお釣りが返ってくるような買い言葉、殺し合いまで五秒前である。ちなみに周りは、
「咲夜、私のグラス空っぽなんだけど……」
「はぁ。美鈴、今頃何してるかしら……」
「あの、咲夜? 出来れば無視しないで欲しいわ」
とか、
「永遠亭も大変ですね。鈴仙」
「それはお互い様でしょう。妖夢」
とか、
「霊夢って微妙に凄いですね、こんな宴会仕切ってるなんて。私なんて神奈子様と諏訪子様だけでも大変なのに」
「今日は魔理沙が居ないだけ静かよ。てか、同情するあんたも手伝いなさいよ」
とまぁ、周りは周りで大変なのでこの二人の喧嘩の仲裁なんてするわけも無く、喧嘩は続く。だが、ここで輝夜が以外な提案をした。
「ねぇ妹紅。いつも殺し合いじゃつまらないから、今日はこれで勝負しましょ」
そう言って洋酒のラベルが貼られた酒瓶を手に取る輝夜。
「飲み比べか。まぁいい、後悔するなよ!」
「それじゃ決まりね。負けた方が勝った方の命令を聞く、でどう?」
ありがちだが相手がどんな命令をしてくるかわからない為、絶対に負けられない。
「ふん! 後で負け犬の遠吠えさせてやるよ」
「じゃあ私が勝ったら、もこたんを布団の中で子猫みたいな声を出させようかしら?」
「……今、ちょっと本気で引いたぞ」
こうして二人の飲み比べが始まった。
そんな自分のプライドを賭けた飲み比べが行われている頃。一方、ここ紅魔館門前。
「あうあう~♪ 馬鹿じゃないも~ん♪ アタイは~馬鹿じゃないも~ん♪」
「あ、チルノちゃん。こんばんわ、どうしたのこんな時間に?」
「あ、めーりんだー。めーりんこそ何してるの?」
「いや、何って……門番してるんだけど、チルノちゃんはお散歩?」
「うん、こんな時間に散歩だなんてアダルトでしょう?」
「そうね、でもあんまり夜更かししちゃだめよ」
「いいの、アダルトだから」
「うーん、でもチルノちゃんはアダルトって言うよりチャイルドだから」
「? ちゃいるどって何?」
「まぁ、とにかくそろそろ帰った方がいいよ」
「それより、めーりん。散歩してたらお腹減ったんだけど何か食べ物ない?」
「え、食べ物? うーん、じゃあ何か食べたら帰ってくれる?」
こうして美鈴はチルノを引き連れ紅魔館の食堂へと向かう。一方その頃、神社の飲み比べはどちらが勝つかで賭けが始まっていた。
「私じゃこれくらいしか作れないけど我慢してね」
そういって美鈴はチルノの前に日の丸の旗が刺さったチャーハンを差し出す。
「いただきまーす!」
チャーハンを見るや直ぐに食べ始めるチルノ、それをにこやかに見つめる美鈴。
「どう? 咲夜さんには及ばないけど、美味しい?」
「ふぅん。ほいひいふぉ」
何言ってるかわからなかった。
「えと、チルノちゃん、もうちょっと落ち着いて食べてね。ほっぺがリスとかハムスターみたいになってるから」
「ふぇ? ふぁふぁった」
やっぱり何言ってるかわかんなかった。
「まぁいいか。美味しそうに食べてくれてるし」
「ん! んんー! んんんー!」
「って、喉に詰まったの!? 大丈夫!! 水、水!」
頬袋を持っていないチルノがそんな食べ方をすれば当然であろう。美鈴から手渡されたコップの水を一気に飲み干すチルノ。
「ぷはぁー、まさか最強のアタイがチャーハンにやられるとは思わなかったわ」
「うん、そうね。私も予想外だったわ」
氷精、チャーハンに撃墜! そんな天狗の新聞の三面記事になるのはチルノも勘弁願いたかった。
一方その頃、神社の飲み比べは既に二人合わせてジンを十四本、テキーラとウォッカを十六本空けていた。
「よし、洗い物も終わったし、チルノちゃんそろそろ帰った方が――って寝てるし!」
チャーハンを食べ終え、その皿を美鈴が洗っている間にテーブルに頬をつけ眠ってるチルノ。
「ほら、チルノちゃん起きて、帰らないと」
「んん、アタイの力を持ってすれば、チャーハンを食べることなど……ぐぅ」
「わけわかんない寝言言ってないで、起きてってば」
懸命にチルノを揺さぶったりして起こそうと試みる美鈴だが、全く起きる気配が無い。
無理も無いだろう、普段ならチルノはとっくに眠っている時間だ。
「うーん、しょうがないなぁ。時間も遅いし、とりあえず私の部屋で寝かせようか」
美鈴はチルノを抱きかかえ、食堂を後にした。
そして翌朝、永遠亭と紅魔館でほぼ同時刻にちょっとした出来事が起きた。
「ん、ううん……ここは……?」
「あら? 目が覚めた?」
見慣れないような見慣れてるような天井を目にしながら妹紅は布団の中で目を覚ます。そして、いの一番に声をかけてきた人物が永琳という事は恐らく此処は永遠亭だろうと理解する妹紅。
「一つ聞きたいんだが、何で私が此処で寝てるんだ?」
「まぁ憶えてなくて当然ね。あなた倒れたのよ、飲み比べの最中に」
そう、あの後の妹紅はジンを十八本、テキーラ十二本、ウォッカを二十五本飲んで意識を失った。蓬莱人の胃と肝臓は体と同じで不死身のようだ。
「……じゃあ、輝夜に私負けたのか」
「ええ、そうなるわね。惜しい所まで行ってたと思うけど」
実に不機嫌そうな妹紅、罰ゲームの事を考えれば当然だろう。あの輝夜のことだ、何を言ってくるか想像がつかない。
「で、輝夜はどこ? どうせもうとっくに考えてあるんだろ、罰ゲーム」
「それなら私が聞いてるわ、その為にあなたを此処に連れてきて介抱したんだから」
「何だ、お前から何やればいいのか聞くのか?」
「ええ、そうなるわね」
妹紅はふーん、と頷きながら珍しいことも有るもんだと思う。あの輝夜なら直々に嫌味ったらしく言ってくると思ったのだろう。
「で、何をすればいい? 逆立ちしながら賽銭泥棒かでもするか」
そんな事をすれば妹紅は愚か、永遠亭に紅白の巫女がかち込みに来かねない。
「今、説明するわよ。丁度よく布団も敷かれてるしね」
「? 布団に何の関係が――」
最後まで言い切る前に妹紅は昨夜の輝夜の言葉を思い出した。
「私は少し急用が出来たから失礼するよ。介抱してくれた事には感謝する。それじゃ」
布団から出て、一刻も早く此処から立ち去ろうとする妹紅。
「はい、逃げようとしないの。冗談だから」
「……一瞬、いつの日か輝夜を殺した暁にはお前も殺そうかと思ったよ」
「あらあら、物騒ねぇ。まぁ、それは置いといて、はいこれ」
そう言って永琳は一通の手紙を妹紅へ手渡す。
「何これ?」
「姫様から、罰ゲームはこの手紙に書いてあるわ」
「ふーん。えーと、何々……ってなんだこれ? こんな事させて輝夜は楽しいのか?」
その内容は妹紅にとって、実に理解しがたい罰ゲームだった。
「さぁ? 姫様の考えることだから私にはわかんないわ」
「ちっ、まあいい。やればいいんだろ? 約束破ってあいつに卑怯者呼ばわりされるのだけは嫌だし」
「その割にはさっき逃げようとしたじゃない」
「あんな変態的趣向に付き合ってられるか」
そう言いきり、妹紅は布団から出て立ち上がる。
「んじゃ、早速行って来るとしますか。あれだけ飲んだ割には二日酔い無いし」
「それはそうでしょう。あなた一回死んでるんだし」
妹紅、起床十分後にして明かされる事実。
「えと、マジ?」
「ええ、急性アルコール中毒で」
いくら蓬莱人の胃や肝臓でも不死身ではなかったらしい。
「うん……まぁいいや、それじゃ行ってくる」
「行ってらっしゃい。姫様には私から言っておくから」
こうして妹紅は永遠亭を出て、何処かへと飛んでいく。その手には手紙を握り締め。
「姫、もう行かれましたよ」
「そう、やっと行ったの……」
「でも、良かったんですか? あんな罰ゲームで」
「良いも何も、私がこんな状態じゃろくな事出来ないから、何か適当に面白そうなこと書いただけだし」
「まあ、それもそうですが」
「うっ! え、永琳、悪いけどお水持ってきて頂戴。後、薬も」
「はい、ただいま。朝食は食べれそうですか?」
「無理、味噌汁一滴飲めそうに無いわ……」
永遠の姫、二日酔いで撃墜! もはや三面どころか記事にもならないだろう。
所変わって紅魔館。こちらの出来事は咲夜に起きたようだ。
「あ……ありのままに、起こった事を話すわ。私はいつもの様に美鈴の部屋で下着を物色して、美鈴に目覚めのキスをしようと部屋に忍び込んだ。そしたらベットに美鈴と氷精が眠っていた。な、何を言ってるのかわからないと思うけど、私も何を見たのか分からなかった……頭がどうにかなりそうだったわ」
「ええ、ホント信じられませんね。特に前半が」
この屋敷は例によって例のごとく、朝から騒がしい。この日もいつもの様にストーカー的咲夜の愛を美鈴が全力で受け流していた。
「ええ! 信じられないわよ! まさか美鈴に幼女趣味があったなんて!」
「幼女趣味はありませんが今の咲夜さんとチルノちゃんならチルノちゃんを選びます」
「そんな! かくなる上はこの氷精を亡き者にして――」
「そんなことしたら私、一生咲夜さんを嫌いになります」
「じゃあ、私にどうしろと!」
「とりあえず落ち着いてください。これ以上騒ぐとチルノちゃんが起きちゃうんで」
むしろこの状況で、今だベットの中で寝息を立てているこの氷精はある意味本当に最強かもしれない。
「そもそも起こしなさいよ! 何で氷精がここで寝てんのよ!」
「いや、そこら辺もちゃんと説明しますから。とりあえず食堂にでも行きましょうよ」
「そんなんで納得出来るわけ――」
「咲夜さんが作った朝ごはんが食べたいです」
「オッケー! 腕によりをかけて作るわ!」
美鈴は咲夜の操縦方法が自然と身に着いてしまった自分が何か嫌だった。
「という事があって、チルノちゃんを私の部屋に泊めたんです」
「あの氷精が私の敵って事はわかったわ」
「全く分かっていませんね。というか理解する気が無いですね」
「理解する必要なんか無いわ。あの氷精は私を出し抜いて美鈴の手料理を食べた挙句、終いには一夜を共にしている。これだけで死に値するわ」
食堂で昨夜の事を説明する美鈴。もっとも咲夜は聞く耳を持っていないが。
「ふふ、止まった時の中で何が起きたか分からないまま死んでいくといいわ。気がついたら全ての氷を同時に破壊されて給水タンクにぶち込まれてるんだから」
「私、チルノちゃん虐める咲夜さんは大嫌いです」
「さてと、そろそろあの氷精も起きるだろうから、朝食でも作ってあげようかしら」
と、言いながら席を立ち、厨房へと入っていく咲夜。美鈴はそれを見届けながら深いため息をしていた。
美鈴は一旦部屋に戻り、チルノを食堂に連れて行こうとした。が、チルノは相変わらずベットの中で爆睡中だった。
「ほら、チルノちゃん起きて、朝だよ」
「うーん、根掘り葉掘りの、根掘りは分かるけど……葉掘りってどういう意味?」
「私に聞かれても分からないから、とりあえず起きてってば」
「うあ、もう朝?」
「うん、だから起きて。今、咲夜さんが朝食作ってくれたから、冷めない内に食べようね」
「うん……食べる」
まぶたが半分以上閉じたままベットから出て、フラフラと歩き出すチルノ。あまりに見ていて不安なので美鈴はチルノの手を繋ぎ食堂まで歩き出す。
「咲夜さーん、チルノちゃん連れてきましたよ」
「あ、いいにおい~」
「全く、待ちくたびれ――朝から手繋いで現れるとは、本当にいい度胸ね」
咲夜は自分のこめかみに青筋が立ったのを感じた。そんな咲夜をスルーするように二人は席に着く。
チルノの前にはトーストやサラダ、スープが置かれる。
「いただきまーす!」
「ほら、チルノちゃん、咲夜さんにお礼言って」
「毒を盛っていない事に感謝なさい」
「んあ、 ふぁふぃふぁふぉう」
相変わらず何言ってるかわからなかった。
「あの、チルノちゃん? 落ち着いて食べないとまた喉に詰まるよ」
「ふぇーふぃ、ふぁたいふぁいふぉうふぁかひゃ」
「チルノちゃん、とりあえず私に分かるように喋ってくれないかな?」
「ふぅん、ふぁかっふぁ」
美鈴の言葉はチルノには聞こえていないようである。多分。
「美鈴、それじゃ私は仕事に戻るけど、その氷精早く帰しなさいよ」
「あ、はい。わざわざ有難う御座いました。朝食まで作ってもらって」
「ふぁむ、ふぁむ」
「そう思うのなら、今度、あなたの手料理を私にも食べさせなさい」
「ええ、それくらいならお安い御用ですよ」
「ふぁむふぁむふぁ――!? むー! むー!」
「メニューはあなたの女体盛りがいいわね」
「この話は無かったことに」
「むが! むが!」
「ごめんなさい、メニューはあなたに任せるわ」
「では今度、お作りしますね」
「ん……んん……」
「ええ、楽しみにしてるわ。それと、そこの氷精が大変なことになってるわよ」
「え? ああ! チルノちゃん大丈夫! 水、水!」
氷精、トーストに撃墜! 何となくチャーハンよりもダメな気がする。
その後、美鈴は仕事のために門前へ。暇なのか、それにくっついてくるチルノ。
「ごめんねチルノちゃん。咲夜さんあんなんで」
「ん? いいよ、アタイ最強だから」
これは会話が成り立ってるのか少し疑問だが、本人達が良しとしているなら良いのだろう。
「うん。でもね、本当は咲夜さんは凄くいい人なんだよ。完璧で瀟洒で、強くてかっこいいんだから。いや、ホントに」
それは美鈴が自分に言い聞かせてる様にも聞こえなくなかった。
「凄くて強くてかっこいいの?」
「そ、最高のメイドさんなんだから」
それが何であんなんになってしまったのだろうと考えると、目頭が熱くなるのでそのうち美鈴は考えるのを止めた。
「それって巫女よりも凄い?」
「そうね、私にとっては巫女よりもずっとずっと凄い」
凄かったんだけどなぁと、美鈴はあの紅い霧の夜を思い出す。あ、何かが頬を流れた。
「ふーん、それじゃアタイもメイドになる」
「そうね、チルノちゃんも頑張ってメイドにって――ええぇぇ!」
最近の美鈴の生活スケジュールは、ストーカー対策と驚くことで八割を締めている気がする。
「チルノちゃん、メイドって分かってる?」
「強くてかっこよくて巫女より凄いんでしょ?」
「いや、うん、確かに今そう言ったけど――」
「頼もー! ってこれじゃ道場破りだな。まぁいっか、殆ど喧嘩売りに来てるようなものだし」
「って、こんな時に来客!」
美鈴はトラブルは重なるとはよく言った物だと思いながら振り返る。そこには白髪の不死鳥、妹紅の姿があった。
「用件は何ですか? 場合によっては門番としての役目を果たさなきゃいけませんので」
「アタイ、メイドになるー」
「ああ、ちょっとね。ここのお嬢さまに話があるんだ」
「お嬢さまからは何の伝達も無いので、それだけで通すわけには」
「最強のアタイがメイドになったら、さらに最強ね」
「まぁそうだろうけどさ。うーん、永遠の姫からの紹介状じゃダメかね?」
「はい?」
「メイドチルノ、響き的にも最強ね」
「こっちにも色々あるんだよ。なんとかなんないかな?」
「はぁ、まぁ事情があるんでしたら一応、上に聞いてみますけど……」
「いや、やっぱりチルノメイドの方がかっこいいかも」
「それじゃ、ちょっと待っててくださいね。聞いてきますから」
「ああ、助かる。所で一つ聞いていいか?」
「何です?」
「待ってる間これはどうすればいいんだ?」
そういって妹紅が指差す先には、
「今日からアタイは氷精で最強なメイド」
「……そっとしといて下さい」
「……わかった」
「と、いう訳でして。お嬢様に会いたいと言ってるんですが……」
咲夜、そして紅魔が主レミリアが、ある一室で美鈴の話を聞いていた。
「お嬢様に話って、具体的にどんな話かは聞いてないの?」
「ええ、すみません。そこまでは……」
「まぁ、いいわ。通しなさい」
「お嬢様! 何の話かも分からずにいきなり通すのは――」
「構わないわよ。もしもの事なんて、万が一にも起きそうに無いみたいだし」
「ですが……」
「咲夜、私の身を案じてくれるのは嬉しいけど……私は通せと、言ってるの」
「……失礼しました。今、お連れします」
少し真面目すぎるが、主を思う咲夜のその姿は完璧で瀟洒だと美鈴は思う。そして、出来れば常時これを維持して欲しいとも願う。
「あ、それともう一つですね、咲夜さんにお話が」
「何かしら? デートの誘いならいつでもいいわよ」
「いえ、そんな事でなく」
「そんな事! まさかデートを飛び越えていきなりベットイン? まぁ私は構わないけど」
美鈴の願いは十秒と叶わなかった。
「だからそんな事でもなく、チルノちゃんの事なんですが」
「何? あの氷精まだ居たの?」
「ええ、それがちょっと困ったことになりまして……咲夜さんに何とかしていただきたいな、と」
「氷精? 二人とも、私が完全に蚊帳の外だからわかるように説明してくれないかしら?」
レミリアに昨夜の事を説明しながら、今、門前で起きたことを概ね話す。
「という訳で、ちょっと手を焼いてるんですよ」
「メイドを馬鹿にしているとしか思えないわね」
「いや、本人に悪気は無いんですよ? ただちょっと誤解があるだけで」
「誤解を解くくらいなら息の根を止めたほうが手っ取り早いと思うけど?」
「咲夜さん、怒りますよ?」
「……でも、実際に無理な話よ」
「ですから、咲夜さんに止めて貰いたいな、と」
「息の根だったら簡単に止められるけど、私にあれを説得しろというの?」
「私には到底無理そうなので」
やれやれ、とため息を吐きながらも仕方ないといった表情を浮かべる咲夜。
「別に止めなくていいわよ。メイドにするから」
そんな、咲夜の決意を無に帰すレミリアの一言。
「……あの、お嬢様?」
「……今、なんと?」
「だから、メイドにするの。氷精を」
ザ・わがまま。気まぐれキングの唯我独尊。
「お嬢様、私にも出来る望みと、出来ない望みがありまして」
「そう? 割と何とかなるんじゃないかしら?」
「……そうでしょうか」
「だって元々、ここのメイドは妖精なわけだし。いくら頭が弱いって言っても、ここのメイドの同じくらいでしょ?」
その頭の弱さで実際に苦労するのは誰でも無い、咲夜なのだがそんなことはレミリアにはあまり関係ないらしい。
「……お嬢様がそう言うのであれば」
「……ごめんなさい、咲夜さん」
こうしてチルノのメイド採用が決まった。咲夜は一旦門前に向かい二人をレミリアの前へと案内する。
「お嬢様、二人をお連れしました」
「ご苦労様」
咲夜は二人を部屋へ招き入れると、レミリアの右後ろ、定位置に着く。それに合わせる様に美鈴は左後ろへ。
「まずは氷精、チルノといったわね。あなたのメイド採用が決まったわ。詳しいことは後で咲夜に聞きなさい」
「ふっ、さすが最強のアタイね」
チルノのレミリアを前にして、あまりの言葉遣いに、咲夜のこめかみに青筋が立ったのを美鈴は内心ひやひやしながら見守っていた。
だが、肝心のレミリア自身はさほど気にした様子も無く、言葉を続ける。
「で、あなたは何用かしら? 不死鳥を呼んだつもりはないけど」
「えと、これ読んでもらえるかな」
妹紅はレミリアに例の手紙を手渡す。
「誰からかしら?」
「大酒のみのお姫様から」
昨夜の飲みあいに負けたのをまだ引きずっているらしい。
早速、手紙を読み始めるレミリア。
「ふぅん……。ごめんなさい、この手紙、意図がよく分からないのだけど?」
その手紙にはこう書かれている。
罰ゲーム、紅魔館で働くこと。ばいかぐや。
「昨夜、飲みで負けた罰ゲームだってさ」
「いや、それは何となく分かるわ。私、あなたに賭けて負けたし」
「ああ、それは悪かったね」
「うん、でもね、なんで罰ゲームがうちで働くことなのかしら? どうせなら永遠亭で働けばいいじゃない」
「それは私もわからない」
分からなくて当然だろう。輝夜自身、適当に書いたのだから。ちなみに永遠亭でないのは輝夜が二日酔いで倒れている姿を妹紅に見せれないからだ。
「迷惑なのは分かってるんだけどね。これやらないと、後であいつに何言われるか分かんないんだよ」
「別に迷惑ってわけじゃないけど、雇うにしたって期限も書いてないし」
「あ、ホントだ。あいつ適当だなー」
二日酔いで倒れている人間にそこまでの配慮は流石に酷である。
「うーん、じゃあこうしましょう。私があなたに賭けてすった分、働いて返す。というのはどうかしら?
「別にいいけど、それって何日くらい?」
「咲夜、どれ位?」
「昨夜、お嬢様が賭けた分と、ここでの仕事を給金で考えると、そうですね。ざっと三日ほどかと」
「ですって。これでいいかしら?」
「三日か……別にいいけどさ、どうせ暇人だから。けど一体いくら賭けたんだよ……」
かくして紅魔館は新たに二人の使用人が増えた。
「まずは、今からあなた達のメイドとしての適正を見るから」
「てきせーって何?」
「試験みたいなものか?」
あれから、美鈴は仕事に戻り、チルノ、妹紅の二人は紅魔館の廊下を咲夜に連れられて歩いている。
「そんな様なものよ。と言っても、あなた達は採用が決まった身だから、結果がどうあれ即クビって事は無いけど」
「ま、アタイ最強だしね」
「私は三日は此処に居なきゃならないしね」
咲夜は懐からメモ帳を取り出し、何かを書き始める。
「それじゃ最初の質問よ。あなた達、料理は出来る?」
「アタイ、カキ氷作れる」
「丸焼きなら得意かな」
「料理はダメ、っと。此処の清掃もやってもらう事になるけど、そこら辺は出来そう?」
「この間、家の大掃除したらタンスの裏から五百年前の小銭が出てきた」
「せーそーって何?」
「掃除もダメ、っと。最後に洗濯とかは?」
「まぁ、洗濯物が限界まで溜まったらやるって感じかな」
「服洗うことでしょ? たまにやる」
「洗濯が三角ってとこかしら。良かったわね、もうちょっとで無理言ってでもクビにするとこだったわ」
普通の妖精なら即刻クビだろう。
咲夜はある一室の前で足を止め、それに合わせて二人も歩みを止める。
「この部屋は空き部屋なんだけど、今日からあなた達の部屋になるから」
そう言って、咲夜はドアに手をかけ中に入り、二人も続けて入っていく。
「割と広いんだな。ベットもあるし」
部屋の中にはソファーと二段ベットが一つ、小さめの窓がさりげなくあるだけだった。
「このベット、アタイが上ね。アタイ最強だから」
「ああ、いいよ。私は下でも構わないから」
「話は後にして、最初のお仕事があるからついて来なさい」
「来て早々だな」
「あなた達の為よ」
「ベットふかふかー」
「そしてそこの頭空っぽ、人の話し聞かないと追い出すわよ」
「うおー! 重いー!」
「ほら、がんばんな。自分で使うんだから」
「二人とも何してるんですか?」
紅魔館内にて、妹紅とチルノはタンスを背負いながら歩いていた。そしてそれを偶然見つけた美鈴が声をかける。
「ん? ああ、門番さん。見ての通りタンス運んでんの。あのメイド長に、自分で使う分なんだから自分で運べって言われて」
「重いー! 腕がつるー!」
「ああ、私のことは美鈴でいいですよ。それでその咲夜さんはどこへ?」
「知んない。運べって言った後、どっかに消えた」
「でもめげない! アタイ最強だから!」
「はぁ、そうですか。所でお二人の部屋ってどこら辺にですか?」
「ここの廊下を曲がった先の空き部屋。ああ、こうして見るとこの屋敷ホントでかいな」
「ぬあー! 負けるなアタイー! って、腕つった腕つった!」
「外から見るよりずっと大きく感じますからね」
「これを毎日掃除してんのかと思うとあのメイド長、結構凄いな」
「ええ、咲夜さんは凄いんですよ。分かりづらいけど」
「も、だめ……倒れ――むぎゃ! タ、タンスに潰されるー」
「所で一つ頼んでいいか?」
「何ですか? 私に出来ることなら」
「うーあー、ぐるじー」
「両手塞がってる私の代わりに、その子助けてやってくれないか?」
「え? その子って――うわぁぁ! チルノちゃん大丈夫! 今助けるから!」
氷精、タンスに撃墜! よくチルノは今までこの幻想郷で生きてこれたと思う。
「ふう、何とか一段落だな」
「し、死ぬかと思った……」
美鈴に手伝ってもらいながらタンスを運び終えた二人。額に軽く汗を滲ませている妹紅に対して、チルノは息絶え絶えである。
「お前、こんな事で命を落とし損ねてたら、命が幾らあっても足んないぞ」
「平気、最強だから。そしてお前じゃない、アタイはチルノ」
「そら悪かったね、とりあえずこれからよろしく。私のことは妹紅でいいよ」
「ふ、困ったら最強のアタイを頼りなさい、もこー」
「ああ、そら頼りになるな」
チルノの話に適当に相槌を付きながら、手持ち沙汰になった妹紅はこれからどうすればいいか考えていると、ノックも無しに咲夜が部屋に入ってくる。
「タンスの方は運び終わってるわね」
「ああ、危うく死人が出るとこだったけど」
「アタイの力を持ってすればタンスを運ぶことなど」
「まぁいいわ。二人とも、着ている服を脱ぎなさい」
「え? 何そのセクハラ発言。上司に逆らえないのをいい事にうち等を手篭めにするつもり?」
「てごめって何?」
「馬鹿言ってんじゃないの、服を着替えるだけよ。第一に私が興味あるのは美鈴だけよ」
「それはそれでどうなの? って言うか着替える服ってどこ?」
「ねー、てごめって何?」
「もうタンスの中に入ってるわよ。早くしなさい」
なぜ手渡しせずに、わざわざ時を止めてまでタンスの中に入れるのだろう。と、疑問に思いながらも妹紅はタンスを開ける。
「うん、まぁ、予想してたよ? メイド服」
「だったら早く着替えなさい」
「え? うん、わかったよ。わかったけど……そこで見てるの?」
「素人じゃ色々分からないでしょうから」
「てごめって何なのよ?」
「大きくなったら教えてやる」
「さっさとしなさい」
二人はしぶしぶ服に手をかける、妹紅は他人に見られながら服を脱ぐのは何か抵抗感があったが、チルノはさほど気にせずどんどん脱いでいく。
「あ、ショーツもよ」
「……何で?」
「ガーターはショーツの下に着けるの」
「えと、ここで?」
「ええ、ここで」
「マジで?」
「マジで」
輝夜の適当にチョイスした罰ゲームは意外な所で妹紅に苦痛を与えていた様だ。ちなみにチルノはあっという間に一糸纏わぬ姿になっていた。
「輝夜……次に会った時がお前の命日だ」
「何時まで顔赤くしてんのよ。って、動かないの、エプロンが結べないでしょ!」
「何か足がスースーするし、これ苦しいんだけど」
ギリギリまで無駄な抵抗をした挙句に、結局ここで着替えさせられた妹紅。そして初めてドロワーズでわなくショーツに足を通したチルノと、チルノの腰の辺りでエプロンドレスを結んでいる咲夜。
「ああ、それと妹紅。あなたのその髪は流石に問題だから、切れとは言わないけどせめて束ねなさい」
「あ、やっぱ? でも私、髪いじんの苦手なんだよなぁ」
「なら、今ここでショートカットになってみる?」
「それも悪くないけど、遠慮しとくよ」
そう口にしながら自分のリボンを解き、素早く髪を束ねていく妹紅。苦手と言う割には手馴れているように見える。
こうしてポニーテールのメイドさんと姿を変える不死鳥。妹紅のメイド服はポピュラーなロングドレスのヴィクトリアンタイプ。
「やっぱり足がスースーする。スカートも短いし」
一方チルノは咲夜と同じミニスカートのフレンチタイプ。
「二人ともフレンチタイプにしようと思ったのだけども、サイズが無かったのよねぇ」
「いや、いいよ。さすがに私、ミニを履く勇気ないし」
「それは私に対して喧嘩を売ってるのかしら?」
「それであなた達の仕事だけど、まずやってもらいたい仕事があるの」
「ま、アタイにかかれば何でも出来るけどね」
「ああ、そら頼もしいな」
三人はまた、咲夜を先頭に廊下を歩いている。
「あなた達、これは重要な仕事だから心してかかってよ」
「初日から重要な仕事任すのかよ」
「それだけアタイが凄いって事よ」
「とりあえずあなた達には今からこの部屋に入ってもらうわ」
そういって咲夜はある部屋の前で足を止めた。
「あ、ここめーりんの部屋だ」
「そして、この部屋のタンスから下着を何枚か持ってきなさい。ノルマは一人三枚よ」
これぞ紅魔のメイド長。見事に腐ってる。
「……それって重要な仕事なのか?」
「ええ、ミスは許されないわ」
「よくわかんないけど、それくらい余裕よ」
「今、あいつに卑怯者呼ばわり覚悟でバックレようかと思った」
訳を話せば輝夜も許してくれるさ、と妹紅は心の中で呟く。
「はい、これ鍵。それと妹紅、ちょっと耳貸しなさい」
「……これ以上、私に何かしろと?」
そう言いながら、妹紅は咲夜に耳を近づける。咲夜は耳にそっと手を当て、小さく呟く。
「使用済みの生理用品とか見つけたら特別ボーナス出すわよ」
これぞ悪魔の狗。堕ちるとこまで堕ちている。
そして妹紅はどうやってバックレようか真剣に考え始めていた。
「とにかく、これは重要な仕事だから、決してミスは――」
「どこら辺が重要な仕事なんですか? 咲夜さん」
咲夜は自分の能力を使った憶えは無いのだが、確かに時が止まったのを感じた。
「さ、二人とも、こんな所で油売ってないで、さっさと食堂行くわよ。そろそろお昼の準備しなくちゃいけないから」
「咲夜さん、話を逸らさないでください。二人に何させようとしてたんですか?」
「ふ、美鈴。あなたと私の仲じゃない。言葉は不要だと思うけど?」
「そうですね。なら拳で語りますか?」
「私としては、目と目で通じ合う関係が好ましいのだけれども?」
「なら何で目を逸らしてるんですか?」
「今の私には、あなたが眩し過ぎるのよ」
妹紅は思う。それは美鈴が眩しいのではなく、あんたが汚れきってるんだと。
「……はぁ、二度と二人にこんな事させないと約束するなら、今回は見なかったことにします」
「うわ、ぬる! そんなんでいいの! 間違いなく訴えて勝てるよ」
「ふ、約束するわ、美鈴。けどね、約束とは破るために有ると思わない?」
「私、約束を守らない咲夜さんは大嫌いです」
「何言ってるの。私があなたとの約束を破ったことがある?」
「破ったことは無いですが、意味を履き違えてる時はありましたよ」
ああ言えば、こう言う。そんなやり取りを繰り返し、やっと咲夜は押し黙る。
「結局、アタイは何すればいいの?」
「咲夜さんと食堂に行って、料理のお手伝いしてあげて」
「何か……心のそこからあんたを凄いと思った」
「そんなこと無いですよ?」
妹紅は、なぜこの門番はこんな事があった直後に、そんな爽やかな笑顔が出来るんだろうと心底不思議に感じた。
「二人とも、さっさと食堂行くわよ。こんなとこで無駄な時間使っちゃったから、急ぎなさい」
誰のせいだよ、そんな妹紅の視線を浴びながら咲夜はさっさと歩き出す。新米メイド二人もその後に続くが、妹紅はこの先大丈夫なのかと心配になる。まぁ、当然だろう。
「それじゃ昼食を作る分けだけども」
「何を丸焼きにすればいい?」
「カキ氷機どこ?」
咲夜は思う、この二人に任したら本当に昼食は何かの丸焼きとカキ氷が出てくるんだろうか。多分出てくるんだろうなと思い、とりあえず二人から目を離さないことを心に誓うのだった。
「残念だけど、今日の昼食は丸焼きでもカキ氷でもないわ」
「うん。だとは思ってたよ」
「アタイ、最強だけどカキ氷機無しでカキ氷は作れないよ?」
チルノは人の話を聞く事を憶えた方が良いのだろうが、言ってもきっと無駄だろうから二人は何も言わないのだろう。
「とりあえず、あなた達にはサラダを作ってもらうわ。まさか、これすら出来ないとは言わないわよね?」
「え? サラダって焼くの? うーん、炭しか残んないと思うけど……」
「アタイ、サラダは凍らしたら美味しくないと思う」
「メニュー変更。今日は不死鳥と氷精の生け作りよ」
その後、手早く料理を進めている咲夜の横で、頭にたんこぶを作った二人が涙目でレタスを剥いていた。
「そんなこんなで、ホントに大変だったわよ」
「まぁまぁ、他のメイドも最初はそんな感じだったじゃないですか」
さまざまな苦難を乗り越え、何とか昼食を完成させた三人と、いつも通りお昼になったのでご飯を食べに来た美鈴は揃って席に着いていた。
「でもね、妹紅はともかく。一匹はブロッコリーとカリフラワーの見分けがつかないのよ? キャベツとレタスじゃないんだから……」
「アタイほどになれば、どっちでも構わないのよ」
「私も最近までパセリとセロリ、どっちがどっちだか分かんなくなる時があったよ」
それは、物を間違えるのではなく、ただ単に名前を間違えてるだけである。
「まぁまぁ、どっちでもいいじゃないですか」
「よくないわよ! この分じゃきっと、ピーマンとパプリカの違いも分からないんでしょうね」
今度は咲夜がこの先、大丈夫なのかと心配になり、ため息を吐く。
「ぱぷりかって何?」
「ああ、ピーマンの事だよ」
チルノの問いかけに対してごく普通に答える妹紅、咲夜の心労は続く。
「ふぅ、ご馳走様。チルノちゃんのサラダ美味しかったわよ」
「アタイが作ったんだから当然ね」
「ブロッコリー茹でたのは私だけどね」
「どこの世界に、鍋のお湯が空になるまで茹でる奴がいるのよ?」
美鈴と妹紅が三人前を平らげ、チルノが懲りずに喉に詰まらせ死にかける昼食を終える。
「それじゃ、私は仕事に戻るけど、二人ともお仕事頑張ってね」
「待ちなさい美鈴。何か言い忘れてない?」
「はいはい、今日も咲夜さんのご飯は美味しかったですよ。ご馳走様です」
食事の後にこれを言わないと、その日一日咲夜が不機嫌になるのを美鈴は知っている。
「はい、お粗末さま。所で日々の感謝としてお返しがしたくなったら、深夜に私の部屋に来なさい。あなたの思いを全身で受け止め――」
「では、私もう行きますね」
レッツ無視。足早に食堂を去る美鈴と最後まで言葉を口に出来なかった咲夜、そしてそれらを見守る妹紅。
「……さ、この後は洗い物があるんだから気合入れていくわよ」
そう言って振り返った咲夜の顔はいつも通りのメイド長の顔だった。彼女の辞書にめげるという言葉は無いのだ。
皿洗いは実に順調っぽく進んだ。咲夜とチルノが皿を洗い、妹紅が拭く。
チルノが数えきれないほど皿を手から滑らすが、その度に咲夜が時を止め皿を拾う。おかげで割れた皿の山を築くことは無かったが、代わりにチルノのこぶが山のようになっていた。最後らへんは泣きながら皿を洗うチルノ。
「それで午後からなんだけど、妹紅、あなたは美鈴の所に行ってもらうわ」
「え、また何か盗んでくるの? やだよ、私」
「違うわよ。これからあなたは主に、門番として働いてもらうから。その方があなたに向いてるでしょうし」
「ああ、要するにメイドの方はクビって事?」
「好きに解釈しなさい。でも、何かあったらこっちも手伝ってもらうから」
「アタイはー?」
「あんたは私と一緒に来るの」
仕事が出来ない、と言う点は妹紅よりチルノの方が問題なのだが、このチルノを他の者に預けるなんてしたら何を仕出かすか分からない。
それに何より、咲夜にはチルノを門番に回せない理由があった。
「これ以上、この子と美鈴を近づけるなんて出来ないわ……」
超個人的、公私混同。
「ん、今何か言った?」
「何でも無いわ。それより、分かったらさっさと行動する。妹紅は美鈴に聞けば何か適当に指示くれるから」
「適当なんだ……」
「氷結娘は私と一緒に清掃よ」
「だからせーそーって何?」
「それにしても、あの三人は似てますねー。三人ともつり目だからかな?」
「私は妖精を虐待したりしないよ」
「ああ、居たんですか妹紅さん」
言われた通り門前へとやってきた妹紅。
「何言ってんだ、気づいてたくせに」
「あら、ばれてました?」
「そらばれるさ。私が近づいた瞬間、あんな白々しい独り言を言ってれば」
「でも、似てると思いません?」
「思わんね。特にあの二人はイメージが会わな過ぎる」
「そうですか? 咲夜さんとチルノちゃんは髪型が似てるせいか、同じ服着てると姉妹みたいに見えましたよ」
確かにショートカットのつり目、という共通点があるのは認めるが、やはり持つイメージがあまりにも違いすぎる。残念ながら妹紅は美鈴と同じ感想を持つことは出来なかった。
「あくまで、見た目だけだね。そんなの本人に言ったらどやされるよ、特に姉に」
それは二人が似ているという点に対してなのか、姉妹に見えるという点に対してなのかは分からないが、多分どっちも否定する。
「だと思ったんで、食堂では言わなかったんですよ。て、言うか妹紅さん何か用ですか?」
「うん。メイド、クビになったから門番やれってさ」
「ああ、ブロッコリー茹ですぎちゃいましたからね」
それだけが原因では無いだろうが、咲夜一人で新米二人の面倒を見るのは少々無理があったのだろう。
「ああ、やっぱりな。入れた塩が鍋の底からそのまま取れそうだったもんなぁ。それで、門番の仕事って何すればいいの?」
「そうですねぇ。門番なんで、やっぱり門の番じゃないでしょうか?」
「……いや、疑問系で返されても」
「基本的には誰か来ないと何もしない仕事ですからね」
きっと、ここで一日中ただ立ってるだけって時も、たまにはあったんだろうなぁ、と妹紅は内心で思ったが、それは違う。誰も来ないなんてざらでよくある。
「じゃ、私も誰か来るまでここで立ってるの?」
「そうなりますね、暇でしょうけど頑張ってください。私はどこから侵入者が来ても分かるように、屋敷全体に気を張ってるんで暇って訳じゃないんですけどね」
「え、それじゃこの屋敷内の気配、全部分かんの?」
「ええ、分かりますよ。さっきも咲夜さんがお二人を連れて私の部屋に向かってたので、何だろうと思って行ってみたら、あれですから」
美鈴の一日の八割は驚く事とストーカー対策で出来ている。
「ああ、あれね。ほんと大変そうだよね、あのメイド長の相手」
「大変なのは確かですけど、咲夜さんはいい人ですよ」
新人の部下をストーカー行為に利用した上司を、なぜそんな風に言えるか妹紅の理解の範疇を超えていた。
その頃、完璧で瀟洒な従者と、完全にお馬鹿な氷精はと言うと。
「ミツルギスターイル!」
「こら! 箒で遊ばない!」
相変わらずだった。
「そんなこんなで、ホント大変だったわよ」
「咲夜さん、それお昼も聞きました」
夕食、再び食堂で顔を合わす四人。
「聞いてよめーりん、もこー。こいつ直ぐにアタイの事殴るんだよ」
「あ、咲夜さん、暴力はダメですよ」
「門番のあなたが暴力はダメって……でもしょうがないじゃない。この頭空洞、同じ事を最低でも十回は言わすのよ? それと、メイド長をこいつ呼ばわりしない。これで十四回目よ」
「私の方は誰も来なくて暇だったかなぁ」
それぞれがそれぞれの事を話し合う、いつも通りの賑やかな食事は過ぎていく。誰かさんが喉を詰まらす所までいつも通りだった。
少女皿洗い中。
「昼間より多く皿落としたら明日の朝ごはん抜きよ」
「アタイの力を持ってすれば皿を洗うなど――あっ」
言ってる傍から皿を降下させるチルノ。そして案の定といった顔で皿をキャッチする咲夜。
「相変わらずだなぁ」
そんな二人を見ながら、妹紅は美鈴の言葉を思い出す。
「似てるかぁ? あいつ等」
小声で呟きながら二人を見比べる。
「妹紅、ぶつくさ言ってないでさっさと皿拭きなさい。って、また落としたわね!」
「うー、また殴ったなー」
結論、やっぱ似てない。
「殴られたくなかったら、少しは落とさない努力をしなさい」
「分かってるわよ! アタイは最強だからこんなの直ぐに……」
「ああ、でも……」
猛スピードで皿を洗い始めるチルノ。周りが少し涼しくなってるのはチルノが気張りすぎているせいだろう。
「ふっ、これでラスト一枚! 終わったぁ!」
「一応、成長はしてるようね。落とした枚数は減ったわ」
「姉妹ってのは、何となく……」
最後の一枚をカシャンと積み上げ、ぐっ、とガッツポーズをとるチルノ。
「まぁ五十八枚が四十五枚になっただけだけど」
「流石アタイね」
「分かるかな?」
しかし、はしゃぎすぎたチルノの腕が積み上げた皿の塔に思い切り激突した。そして、見るも無残な光景が目の前に繰り広げられる――かと思ったが、やはり咲夜が全ての皿を受け止める。
「ぶ、豚も木から落ちるってやつよ?」
「残念、あなたは氷精よ」
しかも、ことわざ間違ってる。そしてチルノの頭に特大の一撃が落ちる。
「でも、もし姉妹だったら間違いなく家庭内暴力だよね」
「あなた達、今日はもう休みなさい。明日も早いから」
皿洗いを終えた二人に対しての咲夜の一言は以外だった。
「え、もういいの?」
「アタイ、もうへとへと」
「ええ、特にやる事もないし。お風呂でも入って寝なさい」
こうして二人の紅魔のメイド一日目は終わりを告げる。だが、それは紅魔のメイドとしての終わりであり、二人の一日はまだ続く。
「ん、んあ……も、もこー、アタイもう……」
「何言ってんだ、これからだぞ」
「そ、そんな……これ以上は……」
互いに一糸纏わぬ姿で、妹紅はチルノを抱きしめていた。
「あん、ああ……もこー、ホントに、これ……以上は、ダメ……」
「ふふ、このままじっくりいくのと、一気にいくの、どっちがいい?」
「ダメ……アタイ、これ以上は、ホントに溶けちゃう」
妹紅はチルノの火照る身体を押さえつけ、思うままにする。
「そんなに汗だくになって、どうやら私のこれは気に入ったみたいだね」
「ん、ちが……お願い、許して……もこ、お願い、だから」
「そんな可愛い声でお願いされたら、断れないなぁ」
「そ、それじゃ……許して、くれるの」
「それじゃ、特別に」
「んん、あ、ありが……」
「と、思ったけど、やっぱダメ」
「そ、そんな、んあ! ダメ! もこー、そんな急に!」
「はは、ここからは一気に行くよ!」
「ダメダメ! お、お願いもこー! アタイ、溶けちゃう!」
二人の長い夜は、まだ終わらない。
以上、『凍る炎と燃える氷 一章 氷炎の始まり』では無く。
「うう、のぼせたー」
「自業自得だ」
湯上りの二人は自室で横たわってた。
「もこーがどんどんお風呂熱くしていくからじゃない!」
「人が入ってるのに突然大量の氷ぶち込んできたのはお前だろ」
「だからってアタイを押さえつけまで!」
「これに懲りたら二度と、あんな真似すんな」
まぁ、事の真相は大抵こんなもんである。
「それじゃ、そろそろ寝るぞ」
「あ、まってもう一杯、お水飲んだら」
「飲みすぎ」
「お風呂上りは体が熱いの。特に今日は」
チルノは火照る身体を持て余していた。
「おねしょしてもしらないよ」
「しないわよ!」
こうして、二人の一日が終わった。多分。
「美鈴。差し入れ持ってきたわよ」
「あ、いつもありがとうございます」
門前にて、今だ仕事を続ける美鈴の元に、あったかい紅茶を持って現れた咲夜。
「今日も、一緒にお茶して構わないかしら?」
「わざわざ聞かなくても、いつもの事じゃないですか」
そう、ある日を境に、皆が寝静まった時間に門前で二人でお茶するのが習慣となっていた。
「今日は大変でしたね」
「ええ、いつも騒がしいけど、今日は特にだったわ」
「でも、楽しかったですよ」
「私としては、よくない出来事が多かったわよ」
「そうですか?」
「そうよ、朝は想い人と氷精が一緒に寝てるの目撃するし、その氷精と一緒に仕事する羽目になるし、なぜか想い人は氷精を庇うし」
「それは咲夜さんがチルノちゃんを虐めるから、その人は見かねてるんですよ」
何故か美鈴は第三者のようなしゃべり方をする。これも習慣になってしまった事だ。
「それでも、私へのフォローがあってもいいんじゃないかしら?」
「その人なりにフォローしてたと思いますよ?」
「なら、もっと愛を込めて欲しいものね」
「たっぷりだったつもりですよ? その人なりに」
「足りないわ。私の飢えは半端じゃないわよ」
「それじゃ、頑張ってください。そうすればその人はもっと答えてくれます。咲夜さんがどんなに飢えてても満たせるほどに」
「そう、期待してるわ」
「ええ、その人も……私も期待してます」
門前で寄り添う二人をさし抜き、夜は更ける。
「んん、トイレ~」
深夜、チルノは目を覚ました。寝る前に飲みすぎた水が原因であろう。
ベットから這い出て、トイレに向かおうとするチルノ。しかし、寝ぼけた彼女の思考では自分が寝ていたのが、二段ベットだということを思い出すのは不可能だった。
「ぷぎゃ!」
案の定、鈍い音と共にベットからずり落ちたチルノ。
「んあ~」
「ん、ううん、何だ今の音」
その音で目を覚ました妹紅が最初に目にしたのは、床に転がってるチルノの姿だった。
「何してんだ? こんな時間に」
「ん~、トイレ~」
上ずった声でチルノは答えたが、本当に意識が有るか怪しい。
「そうか、とっと行ってきな」
「うん……」
ゆっくり起き上がり、そのままふらふら歩き出すチルノ。それをベットの上から何となく見守る妹紅。
「おいチルノ、ドア危な――」
「ぺぎゃ!」
妹紅の忠告も虚しく、チルノは見事にドアに体当たりし、カウンターを貰った。
それを見た妹紅はため息を付き、自らもベットを出た。
「ほら、トイレまで一緒に行ってやるから、手貸しな」
「うん……」
言われた通り手を出すチルノ、そしてその手を妹紅は握り、トイレまで引いて行く。
「何で私がこんな事までしてんだろうか」
「んあ、眠い……」
用を足し、また手を繋いで部屋まで戻ってきた二人。
「それじゃ私ももう寝るから、お前もとっとと寝な」
そう言って妹紅はさっさとベットに潜る。
「うん……」
ごそごそ、ごそごそ。
「って、何で私のベットに入ってくる?」
ごく当然のように、妹紅のベットに潜るチルノ。寝ぼけたチルノの視界にはこのベットしか写ってなかったのだ。
「おい、寝るなら自分のベットで寝ろ」
「すぅすぅ」
「おいってば、起きろよ」
「う、うーん、パリは、英語でパリスなのに……みんなフランス語でパリって言う……けどヴェネツィアは……みんな英語読みでベニスって、言うのはなぜ?」
「いや、知らないよそんなの。何寝言でやたら難しい質問してんの」
「ぐぅぐぅ」
妹紅の呼びかけも虚しく、チルノはベットで寝息を立て続ける。
「……アホらし、私も寝よ」
チルノを起こすのを諦め、ベットに潜りなおす。シーツの中が少しひんやりしていたが、たまにはそれもいいかと思う妹紅だった。
それから、一時間くらい経っただろう。
「ん、んん、暑い……」
妹紅もすっかり夢の住人になっていた時に、それは起きた。
妹紅は常人よりも体温が高い。それは不死の体が生み出す高い新陳代謝のせいなのか、妹紅の操る炎のせいなのか、それら二つが合わさっての物なのかは分からないが、とにかく体温が僅かに高い。
そして、チルノは暑がりである。これは氷精であるが為。この二つの体質が合わさったが故、それは起きた。
チルノが軽く寝返りを打つ。
「暑い……」
チルノはゆっくり自分の服に手をかけていた。
「あ……ありのままに、起こった事を話すわ。私は二人が起きてこないから起こしに行った。そしたら妹紅と裸の氷精が同じベットに寝てた。何を言ってるか分からないと思うけど、わ……私も何を見たのか分からなかったわ」
「妹紅さんにそんな趣味があったんですか、以外です」
「誤解以外の何者でもない!」
「ミルクおかわりー」
翌日、また朝から騒がしい紅魔館だった。
四人は食堂で朝食をとりながらの談笑、だが妹紅にとっては針の筵でしかなかった。
「言い訳は見苦しいわよ。ベットの周りに衣服が跳び散らかるほどなんて……荒々しいのは性格だけじゃ無かったのね」
「知らないよそんなの! 無罪冤罪言いがかりだ!」
必死に無罪を主張する妹紅なのだが、周りは皆聞く耳を持っていない。
「チルノちゃん、怖がらなくていいから私に昨夜のことを話してくれない? 何か嫌なことされなかった?」
「ちょ、何その聞き方! 無罪の可能性ゼロ!?」
もはや美鈴までもが妹紅を疑いの眼差しで見ている。一緒に寝ていたのはともかく、服まで脱いでいたのは不味かっただろう。
「ううん、大丈夫だよ。妹紅、とっても優しかったから」
チルノは恐らく、昨夜のトイレの一件の事を何となく覚えていたのだろうが、この状況では誤解を招く引き金にしかならない。
「あなた、この子が何も知らないのをいい事に、甘い言葉であれよあれよとこの子を蹂躙したのね……」
「私……妹紅さんがそんな人だとは思いませんでした」
「ちがーう! 何もかもがちがーう!」
「ミルクおかわりー」
その後、妹紅の必死の訴えにより、一応は誤解が解けたが、咲夜と美鈴の疑いの眼差しが消えることは無かった。
「門番ってこんなに暇なのか?」
「いえ、花壇の手入れとかもあるので、暇って訳じゃないんですが……それは他の子がやってくれてますから」
朝食を終え、お仕事開始。美鈴と妹紅は昨日と同じように門前で突っ立ていた。
「でも、暇ならどうやって責任を取るか考えた方がいいんじゃないですか?」
「責任って、何の?」
「チルノちゃんを傷物にした責任です」
「理解出来てない様なら何度でも言う。それは誤解だ」
「冗談です」
「……」
妹紅には、とてもそうは聞こえなかった。
「でも、そうですねぇ。暇なら門番らしく鍛錬でもしますか?」
「鍛錬?」
「ええ。技は使わないと錆びてしまいます。ですから普段は使わないような技に重点を置いて鍛えるんです。こんな風に」
言い終えると同時に、美鈴はしゃがみ込み、人差し指を地面に突き刺した。
そして、妹紅は目を疑う。突如目に前に現れた壁――否、正確には地柱、美鈴が突いた土が空へと噴出する。
「うわ、何それ……」
「自然の中にあるつぼを押したんです。自然物なら大抵吹っ飛ばせます」
「何か、インチキ臭いね」
「ええ、私もそう思います。他にも火の中の甘栗を素手で取り出したり、相手の闘気を利用して竜巻を作ったり、自分の中にある不幸の気を気柱にして打ち出したりとかも出来ます」
さらには、物質に素早く二発の衝撃を与えて粉々にしたりできる。アッーって感じで。
「ああ、でも私も普段は使わない技ってあるなぁ」
「ええ、サボってるといざって時に困ったりしますよ」
「んん、それじゃ、久々にやってみるか」
妹紅はゆっくりと空へと浮き上がり、一度だけ深く息を吸う。
「イメージがあんまり好きじゃ無いだけど、たまには……」
そう言って、纏わせた右腕の炎は、手へと集まり形を帯びていく。
「炎の剣ですか……」
「うん、でもこの技嫌いなんだ。何か禍々しくてさ」
その剣の炎は、普段の妹紅の炎ではない。
古来より、人々は炎を利用し、暖かい食事を、冬には暖を、夜には光を得てきた。炎とは紛れも無く人が生きる為の友の一つだ。だか、それは時として牙を剥く。家を焼き、森を焼き、動物を焼き、人さえも焼き殺す。希望の炎は、絶望の炎でもある。
そして、剣の炎は闇夜を照らすような輝く炎ではなく、全てを食い、燃やし尽くすような怖の炎。
「そうですね……でも、私はあまり嫌いじゃないです」
「珍しいよ。そんなこと言うやつは」
「そうでも無いです。咲夜さんやお嬢様達、パチュリー様も同じことを言いますよ。きっと」
でなければ否定してしまう。もう一つの禍々しい炎の剣を持つ彼女を、たった一人で自分の狂気と戦い続けている彼女を。
「そう……でも、私はどうせならこういう方が好きかな」
ぼう、と音を立て消え行く炎の剣。妹紅は空いた右腕で数回、字を書くように空を切る。
「一匹目」
小さく呟く妹紅の右腕には五つほどの炎球が浮かんでいた。そして妹紅がほんの少し指を動かすだけで炎球達は空高くへ舞い上がる。最後に炎球達が見えなくなり、遠くの方で爆発音が鳴り響く。
「二匹目」
妹紅は腕の袖を捲くり、そこに現れる炎の刃を素早く振り回し風を切る。
「三匹目」
次に現れるは腕に巻きつく炎の蛇。蛇は解かれ鞭へと姿を変え、空を打つ。
「四匹目……は危ないから、これくらいにしておこうかな」
妹紅は飛び上がったのと同じように、ゆっくりと地に足を着ける。
「お見事でした。私が思ってたよりも妹紅さんの力は幅が大きいみたいですね」
「本当は八匹目まで居るんだけど、これ以上は少し危ないからね」
妹紅は少しだけ嘘を付いた。さらにその上、己が鳳凰を食らい、自らの礎とする禁忌。これだけは誰にも話す気にはなれなかった。
「それにしても、他の連中もこんな風に普段使わない技とかあんのかな?」
「ええ、あると思いますよ。一つや二つ」
全員が全員ではないだろうが、持っている者もいるだろう。
たとえば、
「懺悔の時間よ、カラスさん。人の向日葵畑をこんなに荒らして、魔界のハエ取り草は凶暴よ」
「ちょっと全速力で通りかかっただけなのですが、しかたありません。行きますよ! 秒殺のエアロブリットォォォ!」
とか、
「妖夢、さっきから刀持ってくるくる回ってるけど楽しい?」
「いえ、折角二刀流なのでそれを生かした技を考えていたのですが、こう六連撃っぽい感じで」
みたいな感じである。
「ふーん。あの馬鹿姫も持ってんのかなぁ」
「さぁ、私にはなんとも」
こんな感じで午前中は過ぎていく。
関係ないがその頃、魔法の森では、
「なぁ、アリス。新しい魔法を考えたんだけど見てくれないか?」
「もはや、突然あなたが現れても驚かなくなったわ。それで、その魔法は室内で使っても平気な魔法なの?」
「いや、ここでぶっ放したら割と大変なことになる」
「そう、ならせめて窓の外に向かってぶっ放してね」
「オッケー、良く見てろ! 黄昏よりも昏きもの、血の流れより紅きもの、時の流れに埋もれし偉大な汝の名において、我は放つ! マスタースパーク!」
「これまた派手ね」
「どうだ! 感想は!?」
「ごめんなさい。ただのマスタースパークと見分けが付かなかった私を許して」
「そこは、凄く……大きいです。だろ! まだまだ修行が足らないな」
「そんな修行お断りよ」
「しょうがないからアリスには私が手取り足取り指導してやろう。ベットの上で」
「いや、にじり寄らないでよ。私これからパチュリーの所に本返しに行くんだから」
「何か今日は冷たいぜ、アリス……」
「ええ、あなたは直ぐ調子に乗るから、これくらいが丁度いいのよ」
「……」
「そんな捨てられた小動物みたいな目をしてもダメ」
「……」
「……わかったわよ。直ぐに帰ってくるから、そしたら二人で食事にしましょう」
「……今日、泊まってもいいか?」
「ダメって言ったら?」
「今ここで襲う」
「……はぁ、なんだかんだで流される自分に腹が立つわ」
その頃、チルノと咲夜は、
「アタイの力を持ってすれば、アサリの砂を抜くことなど」
「残念だけど、それシジミよ」
相変わらずな感じで昼食を作っていた。
昼食、今日のメニューであるアサリのぺペロンチーノを大皿に乗せ、それを囲むように四人は席に着いている。
「アサリとシジミを間違えるとかはいいのよ、まだ」
「まぁ分からない人は分からないでしょうしね」
「大きさくらいだもんね、違い」
「だったら殴らなくてもいいじゃない!」
四人はぺペロンチーノを自分の皿に取り分けながら咲夜の話を聞いていた。美鈴と妹紅の皿は明らかに三人前を越えていたが、もはや誰もつっこまなかった。
「パスタを茹でる時の塩と砂糖を間違えるのもこの際、致し方ないわよ。でもね、出来たパスタに餡子とライスをぶっこもうとしたのはいただけないわ」
「ああ、それでチルノちゃんの頭がこぶで凄いことになってるんですね」
「でも、しょうがないね。餡子とライスじゃね」
「だって、その方が美味しくなると思ったんだもん」
「だもん、じゃないでしょ! だもん、じゃ! まったく、そんなユニークな料理が思い浮かぶその頭の中を覗いて見たいものだわ」
「でも咲夜さん。暴力はダメですよ、暴力は。チルノちゃんが可愛そうです」
「何であなたは、この頭すっからかんを庇うの」
「案外、殴りすぎて悪化してたりして」
この四人は静かで落ち着いた食事をすることは出来ないんだろうか? 出来ないんだろうけど。
午後の門前。美鈴と妹紅の地味に大食いコンビは、軽く体を動かしていた。
「よし、食後の運動はこれくらいでいいかな」
「ええ。それはそうと妹紅さん、もうちょっとチルノちゃんをフォローしてあげてもいいんじゃないですか?」
「え、何で私が? そりゃ、メイド長やりすぎって思うときもあるけどさ」
特に餡子パスタライスの件に関しては庇いようがなかっただろう。
「でも少し冷たいんじゃないですか? 一晩とはいえ関係を持った仲なの――」
「よし! そこに直れ! もう一回、一から説明してやるから」
美鈴は意外としつこい性格なのかもしれない。
「あ!」
そんな美鈴にとっては結構重大な、妹紅にとっては死活問題な誤解が行きかう中、突然何かを感じ取ったかの様に声を上げる美鈴。
「な、何、どしたの? 突然」
「い、いえ……なんか咲夜さんが一人で私の部屋に向かってるみたいなんですよ。また何かするつもりなのかなぁ」
「凄いね、本当に屋敷中の気配がわかるんだ。って言うか、気になるなら見てくれば?」
「ええ、それじゃしばらくここ、お願いしていいですか?」
「ああ、いいよ。どうせ誰も来ないから暇だし」
「では、お願いします。けど、気を付けてくださいね、暇だなって思ってると誰か来る法則って言うのがあるので」
それだけ言い残し、館内に入っていく美鈴、それを見届ける妹紅は思う。
「何だその法則」
そんな法則があるなら、昨日の時点で誰か来るはずだろう、と思いながら妹紅は空を見上げた。
そして、そこにある人影を見つける。ああ、伊達に長いこと門番やってないんだなぁと、思う妹紅だった。
「いつからここは不死鳥を飼うようになったのかしら?」
「色々、訳ありでね。昨日から」
その人影はアリスだった。本を数冊抱えた彼女はゆっくりと妹紅の前に降り立つ。
「そう、珍しい物を見れただけでも来た甲斐があったわ。それで、門番さんはどちらに居るのかしら? 新人メイドさん」
「今は私が門番。こんな服だけどね」
「なら、あなたに聞くけど、通ってもいいかしら?」
「え、うーん、それは困るなぁ。通していいって指示、貰ってないし」
「そうなの? いつもは顔パスなんだけど」
「えと、もうすぐ、本当の門番さんが帰ってくるはずだから、それまで待ってもらっていい?」
「すぐ戻ってくるならいいけど……今日は用事があるから直ぐ済ませたいのよねぇ」
無論、アリスの用事とは誰かさんとの食事の約束である。
「悪いね、でも大変なんだよ。あの門番さんも、人間関係とかで」
「それ以上は言わなくていいわ。伊達にここの常連客やってないから。何となく分かるから」
「そう、所で今日は何の用?」
「ちょっとね、本を返しに」
「ふーん、何の本?」
「え、べ、別に普通の魔道書よ? 普通の魔道書」
明らかにアリスの声のトーンが一つ上がっていた。
そんな時である、本来の門番さんが帰って来た。
「今戻りましたーって、アリスさん、いらっしゃい」
「ええ、お邪魔してるわ。まだ門前だけど」
「やっと戻ってきた。えと、彼女は中に入れてもいいのかな?」
「あ、大丈夫です。アリスさんはパチュリー様に許可を貰ってるんで」
「そうなんだ。所でそっちの方は大丈夫だったの?」
「ええ、咲夜さんはただ私のベットのシーツを取り替えようとしただけみたいです」
その際に、咲夜がシーツに顔を埋めて深呼吸をしていた事実を、美鈴が黙っていたのは咲夜の為なのか、自分の為なのかは分からないが。
「それじゃあ、私は行かせて貰うけど、あなたも色々と大変みたいね」
「ええ、アリスさんと魔理沙さん見たいには、中々いかないんですよ」
「……まぁ、私たちを引き合いに出されるのはどうかと思うけど……一つアドバイスするなら、たまには相手のわがままを聞いてあげることよ」
彼女の場合はたまにはでは無く、しょっちゅう――いや、毎回な気さえするが、美鈴は一応、耳を傾けていた。
「はぁ、そんなもんですかねぇ」
「そんなもんよ。じゃ、また後でね」
こうして妹紅の初めてのお留守番は事なきを得た。
「はいこれ、借りてた本」
「はい、『乱れる虹の川』と『宵闇に堕ちる雀』、『従者と門番』の第四章。確かに受け取りました」
図書館にて、アリスは小悪魔に借りていた本を手渡していた。無論、中身は魔道書なんかでは無い。
「それで、感想はいかほどに?」
「……すっごくおもしろかったーって、人前で言える様な本じゃないでしょ」
当然だろう、中身が中身だけに。
「いやまぁ、そうですけど。お嬢様なんかは全然気にしませんよ? ここんとこのお茶会はこの話で持ちきりです」
「……とてもお茶を飲みながら、話する内容じゃないと思うけど」
アリスはそのお茶会の様子を想像して、直ぐにイメージをかき消した。
「アリスさんも、今度お茶会に参加しますか? アリスさんならお嬢様と熱く語れますよ」
「全力でお断りするわ」
「そうですか、残念です。でもしょうがないですね、お嬢様とアリスさんじゃ好きなカプが違いますもんね。お嬢様は『紅白と蒼白の巫女』や『吸血姉妹と魔女』とかが好みですけど、アリスさんは『従者と門番』とか『白黒と七色――」
「やめてぇぇ! それ以上私の前でそういう話をしないで!」
こういう時、人は二種類に分けられると思う。
自分の好みや性癖などを他人に知られても平気な人と、何故か照れくさくて他人に絶対知られたくない人。
レミリアは前者、アリスは後者。
「別に照れなくてもいいじゃないですか、アリスさんがこのシリーズの大ファンだって事はとっくに知ってるんですから」
「それでも嫌なの! 残念ながら私はここの主みたいにオープンじゃないのよ」
「はぁ、でもパチュリー様には感想言ってあげてくださいね。喜びますから、顔には出さないですけど」
面白かった。この一言が次の作品を書くやる気に、活力に、意思になるのだ。
「それはいいんだけど、話すたんびに嫌味って言うか、皮肉って言うか、嫌がらせみたいな事を言うのよねぇ」
「それは照れ隠しですよ」
「だとしたら、たいしたポーカーフェイスね。それで、パチュリーはどこにいるのかしら?」
「いつも通り、奥でペンを走らせてます」
それを聞いたアリスは、いつもの様に図書館の奥に足を進めると、小悪魔の言った通り、いつもの場所、いつもの席、いつものペンを握っていたパチュリーを見つける。
「こんにちわ、執筆活動は順調かしら?」
「……こんにちわ、アリス」
少しだけ、アリスの目を見て、また直ぐに本と睨めっこを始めるパチュリー。
「あまり、順調とはいえないみたいね」
「そうね、一冊書いたんだけど、自分で合格点をあげれなかったわ」
「そう、それなら、やる気が出る呪文を教えてあげるわ」
アリスとて人形師、ゆえに分かる。物を、作品を生み出す時の苦労が、そして、そんな時にもっとも聞きたい言葉が。
「あなたの本、よかったわよ」
この一言で、アリスはまた人形を作ろうと思うし、パチュリーは本を書けるのだ。
「……ありがとう。早く続きを読ませろって言う読者がいるから、とっとと書き上げなきゃいけないわね」
「あら、私は急かした憶えは無いけど?」
「目がそう言ってるわ。それにお茶会のたんびに色々言われてるし」
「大変ね」
「大変よ。……そういえばあなたと魔理沙、この間の宴会に顔を出さなかったらしいわね?」
アリスは思う。出た、嫌味タイム。
「え、ええ。そうらしいわね」
「あの宴会好きの魔理沙が来なかったなんて、どうしたのかしらね」
「さ、さあ? 私にはちょっと分からないわね」
「まぁ、あの魔理沙の事だから、何かに夢中になってて忘れてたんでしょうけど」
「そ、そうかもね。研究とか没頭するタイプだし……」
「一体、何の何を研究してかのかしらね?」
「ど、どうせ、しょうも無いことでしょ」
「所であなたも宴会に来なかったらしいわね」
「え、ええ、ちょっと用事があって行けなかったの」
「……一晩中、研究対象にされてて?」
「分かってたなら嫌味ったらしく言うな!」
帰りたい、そう願うアリスだった。
「まぁ、あなたが魔理沙に一晩じっくりと身体の隅々まで調べつくされようと、私には関係ないのだけれど」
「……そろそろ、帰るわ。用事もあるし」
「こうして今日も、あなたは魔理沙に身体を委ねていくのね」
「そういえば、今日は珍しい門番に会ったわよ」
全力で話題を逸らすアリス。ちょっと無理がある会話の流れだがそんなのは気にしていない。
「……ええ、それと、珍しいメイドもいるわよ」
「まだ、何かいるの?」
「運しだいで、帰りにすれ違うかもしれないわね」
「それは出会ったら運がいいの? 悪いの?」
「さぁ?」
こんな会話の後、アリスは図書館を出た。帰りに新刊を借りるのを忘れずに。
そして帰りに再び、門番二人組みと顔を合わすアリス。
「あ、アリスさん、お帰りですか?」
「え、ええ、所でさっき、何か青くてちっこいのがメイドやってたんだけど……私の見間違いかしら?」
どうやら遭遇したらしい。恐らくアリスには衝撃映像に見えただろう。
「ああ、あれね。やっぱ驚くか」
何かすんごい物を目にした気がするアリスの問いに答える妹紅。
「驚くわよ、あなたが門番をやってる事が普通に思えるくらい」
門番をやってる妹紅と、メイドをやってるチルノ。どちらが在り得ないかと聞かれたらどっちもどっちだが、恐らく僅差でチルノだろう。
だが、言葉で聞くのと、実際に目にするのでは受ける衝撃があまりに違いすぎる。
「でもまぁ、土産話にはなったわ。とびっきりの」
そんな言葉を言い残して、アリスは紅魔館を去って行った。
その頃、咲夜と青くてちっこいのは、
「ガトチュエロスターイル!」
「だから箒で遊ぶなと言ってるでしょ!」
同じやり取りばかりで、二人は飽きないんだろうか?
「まさか、昨日十回言ったことを、今日も十回言う事になるとは思わなかったわ」
「まぁまぁ、咲夜さん落ち着いて」
「まさか、昨日十回殴られて、今日も十回殴られるとは思わなかったわ」
「いや、それはお前が悪いよ」
もはや食事は咲夜の愚痴から始まるのが日課になっている。
「そういえば、妹紅さんは明日が最後ですね」
「ああ、そういえばねそうだね」
「え、アタイ達、明日で終わりなの?」
「正確には、明日の仕事を終えて、明後日の朝にお別れかしら」
ちなみに三日と言う期限は妹紅のみであって、チルノは関係ない。
「いや、明日の夜に帰るよ。やっぱり自分の家が落ち着くし」
「ええー、最後くらいゆっくりしていけばいいじゃないですか」
「アタイはどっちでもいいけどね」
「あなたはさっさと野生に帰りなさい」
咲夜から見れば、妖精とは野生動物の一種らしい。
「でも最後に夕食くらいは食べていくんですよね?」
「ああ、それくらいはね」
「アタイが居なくなったら、きっと仕事大変ね」
「ええ、どれだけ羽を伸ばせるか想像も出来ないわ」
きっと生まれ変わったかの様に、咲夜はのびのびと仕事が出来るだろう。
そんな、明日の今頃の話をしながら四人は夕食を味わっていた。
「ま、最後までよろしく頼むよ」
「最後までアタイの力を頼って――ごほ、ごほ!」
「わ、チルノちゃん大丈夫!? 今お水――」
「はい、水よ。全く……どうせそうなると思って用意してたわ。食べながらしゃべるからそうなるの」
「ぷはー、数時間ぶりに死ぬかと思った」
「あなたの人生、何回九死に一生得てんのよ」
咲夜の差し出した水を一気に飲み干しチルノは一息つく。慌てて水を用意しようとしていた美鈴はその様子をただ黙って見ていた。そして、そんな美鈴を不振に思い、妹紅は声をかけた。
「……」
「どしたの美鈴?」
「いえ、別に……」
「何? あの子の世話ががり取られてすねてんの?」
「……違いますよ。それより、これからチルノちゃんの面倒を見なきゃいけないのは妹紅さんでしょ」
「まだ言うか……」
美鈴が意外としつこいのは妹紅もすでに知っていたが、今のはかなり刺があった様に思える。
こうして、二日目の夕食は過ぎていく。
メイド用の浴場の脱衣所に、食事を終えた四人はいた。
「珍しいですね、咲夜さんがこんな時間にお風呂なんて」
「ええ、今日は時間が余ったから今のうちに入ろうと思って、けど、そういう美鈴こそ珍しいじゃない?」
「部下の子達が、たまには早めに休んでくださいって言ってくれて、お言葉に甘えたんです」
「いいわね、上司思いの部下がいて」
服を脱ぎながらそんな話をする上司二人。
「ううー、もこーこの服どうやって脱ぐのー?」
「え? メイド長に聞きなよ、私もまだ慣れてないし」
そして、今だメイド服に悪戦苦闘する新人二人。
妹紅は何とか自分一人で出来るが、チルノは相変わらず手伝ってもらわないといけない。見かねた咲夜がチルノに声をかける。
「ああもう、しょうがないわね。いきなり全部脱ぐんじゃなくて、エプロンからはずしていくのよ」
「うー、めんどくさいなー」
「手伝ってあげたらどうですか、妹紅さん」
「何で私が? 自分ので手一杯だよ」
メイド服とは、ヘッドドレスやエプロン、ガーターなど色々と小物が多く、なれないと着るのも脱ぐのも時間がかかる。
「いいじゃないですか、ベットの中では脱がせたんでしょう?」
「いい加減しつこいよ」
妹紅は、美鈴を怒らせるような事をしただろうかと自分の胸に聞いてみるがまったく心当たりが無かった。
「エプロンが解けないー」
そして、チルノはエプロンを解こうと自分の腰に手を回すが、上手く解けない上、弄くってる内に結び目がこんがらがってしまっている。
「まったく、しょうがないわね。解いてあげるから、動くんじゃないわよ。……はぁ、私が脱がすのは美鈴だけでいいっていうのに」
その様子に再び見かねた咲夜がチルノのエプロンを解いていた。そして、その様子をまた、美鈴はじっと見つめていた。
「……」
「どうしたの美鈴、また黙って。今のさり気無いセクハラ発言につっこみを入れなくてもいいの?」
「……それはいつもの事ですから、慣れてます」
嫌な慣れだなぁ、妹紅はそう思うが、それよりも気になるのは、明らかに美鈴の様子が違うことだった。もっとも、原因など妹紅にはこれっぽちも分からないのだが。
「ふう、あなたと湯船に浸かるのは久しぶりね。美鈴」
「そうですね、互いに仕事がありますし。そして咲夜さん、人の胸見ながら話すの止めてくれません?」
もはや視線を隠そうともしない咲夜に美鈴の言葉は届いていなかった。
「咲夜さん、何か息が荒くなって――ひゃあ!」
「うわー、めーりんの胸おっきい!」
その時、咲夜が夢中になってる胸は、突然美鈴に後ろから抱き付いてきたチルノの手に好き勝手されていた。
「ちょ、チルノちゃんっ、止めてってば」
「こっ、この馬鹿妖精! その胸は私のよ! 今すぐ手を放しなさい!」
その光景を目にするや否や、チルノを美鈴から引っぺがす咲夜。
「まったく、油断も隙もあったもんじゃない」
「助かりました咲夜さん。でも言っときますが私の胸は私のです」
土壇場でも言っておくことは言っておく美鈴だった。そして、引っぺがされたチルノは今度は咲夜の胸を凝視し始める。
「……」
「な、何よ? 美鈴以外は触らせないわよ」
「……プッ」
「……笑った? 今、笑ったわよね? 人の胸見て笑ったわよね? 何が面白いのか聞かせてもらおうじゃない!」
「さ、咲夜さん落ち着いてさい! 誰も咲夜さんが小さいだなんて言ってませんから! それに咲夜さんは人よりちょっと小ぶりなだけです!」
むしろ、美鈴の言葉が一番胸に突き刺さりそうだが、幸い咲夜の耳には届いていなかった。そんな様子を一人眺めてた妹紅は思う、なぜ風呂ぐらいゆっくり入れないんだろうと。
「い、痛いって! もっと優しくー」
「やかましいわね、そもそも頭ぐらい自分で洗いなさいよ!」
「だって、シャンプーハット無いんだもん」
やっと落ち着いた面々なのだが、今度はチルノがシャンプーハットが無いと一人で頭を洗えないと言い出し、三度あきれた咲夜がチルノの頭をガシガシ洗っている。
「いだ、いだだ、だから痛いってばー」
「さっき美鈴の胸を触った罰だと思いなさい」
むしろこの罰を与えたいが為、咲夜はチルノの頭を洗い出したのだろう。
「そもそも、そんなに触りたかった妹紅のでも触ってなさいよ」
「嫌だよ、何でそこで私が出てくるんだ」
話を聞いていた妹紅がすかさず拒否する。
「いいじゃないですか、昨夜は妹紅さんがチルノちゃんを好き勝手したんでしょう?」
「ねぇ、私美鈴に何かした?」
「……いえ、別に」
そう答える美鈴だが、さっきまでとは明らかに様子が違う。美鈴はまた黙ってチルノと咲夜を見つめていた。
「まったく、一人で洗えないなら昨日はどうしたのよ? 妹紅にやってもらったの?」
「ん、昨日は……その、もこーが凄くて……それどころじゃなかった」
確かに昨日は凄かった。だがそれは妹紅のせいでチルノがのぼせて、それどころじゃなかったのであり、今の言い方では余計な誤解を招きかねない。
「……あなた達、昨日のお風呂の時からそうだったのね」
「……そうですか、お風呂でそんなことを……」
「いやいやいやいや! 誤解もいいとこだよ! 勘違い以外の何物でもないよ!」
こうして妹紅にさらなる冤罪が増えた。
「それじゃ、明日も早いからあなた達は寝なさい」
「チルノちゃん、今日は私と寝る? 妹紅さんと一緒だと何されるか分からないよ」
「へーき、アタイ最強だから」
「私、そんなに信用無い?」
「それなら私が美鈴と一緒に寝るわ」
こんな感じで、湯上りの四人は皆、思い思いの所へ散って行く。無論、咲夜の最後の言葉は全員無視する。
そして、新人二人は自室へと戻った。
「ごく、ごく、ぷはぁ。水うま!」
部屋に戻って早々、また昨日のように水を飲み始めるチルノ。
「また夜中にトイレに行く羽目になるよ」
「大丈夫、アタイ最強だから」
全く持って、会話が繋がっていない気がするが、とにかくチルノは水を飲み続ける。
「昨夜もそんな感じでトイレ行ったじゃん」
「昔の人は言った。トイレに行きたくなったら行けばいいじゃない」
「いや、聞いたこと無いよ」
当たり前だろう。そんなこと言った人物は居ないのだから、多分。
「ほら、もう寝るよ。明日も早いし」
「アタイの力を持ってすれば、寝ることなど造作でもない」
「言葉としておかしいよそれ」
皆とっくに寝静まった時間。また妹紅は起こされる事になった。
「ぴぎゃ!」
ごて! という鈍い音と同時に蛙が潰れたような声で夢の世界から引き戻される妹紅。
「うーん、何だよ、もうちょっとで輝夜を開きにしてやれたのに」
えらく物騒な夢から覚めた妹紅が見たのは、また床に転がっているチルノだった。
「うう、トイレ~」
「一々落っこちないとトイレに行けないのかお前は」
妹紅の言葉は恐らく耳に入っておらず、チルノはのそのそと起き上がりふらふらと歩き出す。
「一応言って置くけど、扉ぶつかるよ」
「むぎゃ!」
「……また私が連れて行くのかぁ」
妹紅はデジャブを感じるほど昨夜と同じようにチルノの手を引いていく。
「あーあ、額と鼻の先ぶつけて……どこが最強なんだよ」
「アタイ……さいきょー」
手を繋いで廊下を歩く二人。こんな所を咲夜や美鈴に見られたらまたあらぬ誤解を招くだろう。
トイレに着いた妹紅はチルノを中に放り込む。
「まったく、何で私がそんな誤解を受けなきゃなんないんだ」
トイレの前で独り言を呟く妹紅だが、無罪の身にとっては愚痴の一つくらい言いたくなるだろう。
「大体、私にそんな趣味ないっての」
確かに妹紅から見てもチルノは可愛い、間違いなく美少女だ。
「うん、可愛いのは認めるよ。それに負けず嫌いで健気な所も魅力的だと思うしって、何言ってんの私、これじゃ本当にそっち系の趣味持ってるみたいじゃん。あんなおてんば娘の面倒見れないって。ああでも、ちょっとそそっかしいのも愛嬌で逆に放っておけないみたいなって、だから何言ってんの私!」
妹紅の中に何か芽生えてはいけない物が芽生え始めていた。
「終わったー、眠いー」
妹紅がその芽を必死に摘み取ろうとしていた所にチルノがトイレから出て来る。
「え! ああ、そう。んじゃ戻ろうか」
「うん、寝る……」
チルノはごく当然のように、妹紅の手を握る。なぜかそれだけで今考えていたことがチルノに伝わってしまいそうで妹紅は気が気で居られなかった。
妹紅の心臓はバクバクと高鳴る、なぜ自分がチルノと手を繋いだ位で動揺するのか、きっと咲夜や美鈴が余計なことを言うから変に意識してしまってる、そう自分に言い聞かせた。
部屋に戻ってきた妹紅はチルノの手を離し、早々にベットに入っていく。これ以上チルノの顔を見ていると本当に変な気分になりそうだったからだ。
「もう遅いんだから、さっさと寝な」
それだけ言うと妹紅はチルノに背を向けて寝ようとする。
「うん、そうする……」
ぼんやりと答え、チルノもベットへと向かった。
ごそごそ、もぞもぞ。
「……わざとか、わざとなのか」
あたかも当然のように妹紅のベットに潜りだすチルノ、やはり今はこのベットしか目に入っていない。
背中越しに感じるひんやりとした感触、そして僅かに聞こえる寝息。
「お前、いい加減に――」
そして、振り返る妹紅の目の前にあったのは、チルノの無邪気な寝顔だった。
顔が近い、あまりに近い。同じベットの中に居るのだから、向き合えばそうなるのは自明の理なのだが、今の妹紅はそんな事は理解できるはずも無かった。
「お、おい、起きろってば……」
何故か声が出ない、喉が渇く、汗が流れる、体が動かない、何よりも心臓が脈打つ。こんな小さな呼びかけでチルノが目を覚ますはずも無く、二人は向かい合ったまま時が過ぎる。
やばい、何かがやばい。何がやばいのかは妹紅自身も分からないが何かがやばかった。このままチルノの無邪気な寝顔を見ていたら本当に目覚めてはいけない物に目覚めてしまう。
もし目覚めてしまったら、美鈴の言っていた事が冗談ではなくなってしまうし、咲夜と同じかそれ以上に特殊な性癖持ちのレッテルを貼られてしまう。それだけは避けたい。
ならば強引にでもチルノをベットからたたき出すか、自分が上のベットに行く、せめて再び背を向けて寝入ってしまうべきなのだがどれも出来なかった。
妹紅は一向にチルノの無防備な寝顔から目を逸らす事が出来ない。むしろ時が経つに事により食い入るように見入ってしまっている。
今は閉じているが大きくて透き通った瞳、少しつり目なのが愛嬌だ。空のように青い髪、ショートカットは活発な彼女によく似合う。小さくて整った鼻、頬は突付けば弾みそうなくらい柔らかそうだった。そして、果実の様に瑞々しい唇。
それら全てが少し手を伸ばすだけで触れることが出来る、特に唇はほんの少し妹紅が顔を近づけるだけで奪える。
そう、ほんの少しでこの愛らしい彼女の唇を……
「う、ううん……」
「うわ!」
チルノの些細な寝言に妹紅は心臓を止められかけた。先ほどとは完全に別の理由でバクバクと脈打っている。
「な、何だ、寝言か……って私は今、何をしようと!?」
たった今、自分がしようとしていたことを思い返して人生最大の混乱と自己嫌悪に沈む妹紅だった。
妹紅は強く目を瞑り、大きく深呼吸する。
「落ち着け、落ち着け私……こんな時は素数を数えるんだ。2、3、5、7、11、13……よし、落ち着いた」
よく分からない方法で心を静める妹紅。
幸い、既に目は閉じてるし、このままチルノの姿を目にしなければきっと寝付けるだろう。そう、このまま心を無にすれば……そう考える妹紅だが、無常にも小さな声が耳に入る。
「ん、暑い……」
え、何言ってんのこいつ? チルノの小さな呟きにそう思う妹紅だが直ぐにまた心を無にしようとする。でなければ再び変な考えが頭を過ぎりそうだったからだ。
しかし、妹紅の心はまだ乱されることになる。しゅるしゅると聞こえる布の摩れる音と、ぱさっとあたかもベットの外に衣服を放り投げたかのような音が妹紅の耳に入り込む。そして同時に思い返す朝の出来事。
こいつ、もしかしてまた服を……、そこまで心で呟いたがまた無心を維持しようとする。なぜなら想像してしまったのだ。直ぐそこにいるチルノの今の姿を。
何考えてんだ私は! そりゃお風呂で見たときは綺麗な体だなって思った、けど相手はあんな子供だぞ! そう、子供だ、体は小さくて華奢で、それなのに無茶ばかりする、だから放っておけなくて、守ってやらなくちゃいけなくて……って、何考えてんだ私はー!
この後、心を無にするどころか一時間以上に渡り、己の中で葛藤する妹紅だった。無論、チルノはそんなことはお構い無しで眠り続ける。
「妹紅さん、寝不足ですか?」
「今朝、また氷精が裸であなたのベットに潜り込んでたのと関係あるんじゃない?」
「……知らないよ」
「コーンスープおかわりー!」
結局妹紅は殆ど眠ることなく朝を迎えた。
「愛を深めるのはいいことですけど、ほどほどにしといた方がいいですよ?」
「今日はホント勘弁して……言い返す気力も出ないから」
「ついに認める気になったのね。それはそうと美鈴、私との愛はほどほどになんてしなくていいわ。思いっきり深めましょう!」
「ポテトサラダおかわりー!」
三人がどこかずれた会話をしている中、平然と食べ続けるチルノ、いつもの食事風景。だが一つ違うのは妹紅の調子がいつも通りではない。
寝不足というのもあるが、やはり決定的なのは昨夜の葛藤。一時とはいえあんな願望を抱いたのだ、美鈴や咲夜の言葉を真っ向から否定しづらいのだろう。一方、チルノはそんなことは露知らず、のんきに朝食を頬張っている。
「もぐもぐ、ん? 何、もこー?」
「何でもないよ、それよりそんな食べ方してるとまた喉詰まらすぞ」
「もぐもぐ、アタイ最強だからへー……むが!」
なんかもうお決まりになっている。そして咲夜の用意していた水を受け取るのももはやお決まりだ。
「……」
「どうした美鈴?」
「いえ、何でも」
「ここに立つのも今日で最後かー」
「三日間なんてあっという間でしたねー」
最終日の仕事もやっぱり門番なのだ。
「最後ということで聞きますが、妹紅さんとチルノちゃんってぶっちゃけどうなんですか?」
「言っている意味が私には理解できない」
「はぐらかさないでくださいよー」
「どうもなにも……何もないよ、全部誤解」
「そうですか、私としてはお似合いだと思いますけどねー」
「本気で言ってんのそれ?」
「ええ、なんだかんだで仲良さそうですし」
「それは私じゃなくて、あのメイド長じゃないか?」
「……それは、私もそう思いました」
「昨日ぐらいからずっと面倒見てるしな」
「そうですね……咲夜さん、ずっとチルノちゃんに付きっ切りでしたね」
「世話焼きなんだな」
「ええ、お二人が来る前はずっと私に付きっ切りでしたけど」
「へぇ、なら良かったじゃん。ちょっとだけだけど、開放されて」
「それは、そう……ですけど……」
その後、何故か口数が減ってしまった美鈴と、妹紅の午前は過ぎていく。
その頃、話題の二人はと言うと。
「唐突に思い出したけどアタイ、カキ氷以外も作れるよ」
「それは以外ね。それで何が出来るの?」
「氷砂糖」
「さて、さっさとお昼のサンドイッチ作るわよ」
そう言ってパンを切る咲夜の横で、砂糖水を凍らし始めるチルノだった。
誤解無いよう言っておくが、氷砂糖とは砂糖水を凍らした物ではないのであしからず。
「氷砂糖でカキ氷作ると美味しいんだよ」
「一応言っとくけど、あなたのそれは氷砂糖ではないわよ」
「ていうか、氷砂糖って作るのにめちゃくちゃ時間かかるし」
「あれ、ぽりぽりして美味しいですよね。あと、氷砂糖って暗闇で割ると一瞬光るんですよ」
昼食のサンドイッチを食べながら、なぜか氷砂糖の話題に盛り上がる四人。
「アタイの力を持ってすれば氷砂糖を作ることなど――ごほ! ごほ!」
「あなたは今後、食事をするときは水の入ったコップを用意してから食べなさい。じゃないと、本当にいつか死ぬわよ?」
いつもの様に即座に水を用意し、チルノに手渡す咲夜だが、この忠告はチルノの耳に入っているのだろうか。
「……咲夜さん、随分とチルノちゃんの面倒見るようになりましたね」
「自分でもそう思うわ、後数時間でこの頭シャーベットから開放されると思うと随分気が楽よ」
「……そうですか」
やはりここでも妹紅は美鈴に違和感を感じる。しかし、咲夜やチルノの前でそれが何なのか問いただす事はしなかった。
そんな、妹紅だけが疑問を残す昼食を終え、皆はまた仕事へと戻っていく。
「さて、洗い物も終わったし、私はお嬢様のお茶を淹れに行くけど、あなたは……そうね、美鈴の所にでも行ってすこし休憩してなさい」
「え? いいの?」
たんこぶを作りながらの洗い物を終えたチルノは咲夜の意外な指示に少しばかり戸惑った。
「最後くらい構わないわ、私も後で差し入れ持って行くから」
「わかった、行ってくるー」
まるで遊びに行くかの様にはしゃぎながら食堂を出て行くチルノを、咲夜はやれやれとため息を付きながら見送った。
門前にて、食後の軽い運動をする門番二人。
「今度は私が聞くけどさー、ぶっちゃけ美鈴こそどうなの?」
「えと、それは私と咲夜さんが、ですか?」
「そうだよ、私の目が節穴じゃなかったら二人の方が何かある仲だろ」
「そうですね。そう見られるって事は、そうなんでしょうね」
あくまで体を動かしながら受け答えする妹紅と美鈴。
「やっぱりね。けど、ならなんでさっさと受け入れないのさ?」
「受け入れるって……妹紅さんも見たでしょう? 私は昔みたいな咲夜さんに戻って欲しいんです」
「え? 前からあんなんじゃなかったの?」
「違いますよ。前はもっとかっこよかったんです」
目を瞑ればいつだって美鈴は思い出せる。あの紅い霧の夜の日を、美鈴が憧れた完璧で瀟洒な彼女を。
「ふーん。じゃあなんでかっこよかったのが、あんなんになったの?」
「さぁ? よくわかんないんです。気づいたらすでにあれで」
浮かび上がる咲夜ストーカー化現象の謎。すごくどうでもいい。
「ひょっとしてさ、それって美鈴のせいなんじゃないの?」
「私のせいって……何でですか?」
「さあね。けど以外に、こういうのは自分にも否があったりするんだよ」
「……身に憶えはありませんが」
美鈴は動かしていた体を止め、俯き考えてみるがやはり思い当たらない。
「これでもね、結構長く生きてる。本当にいろんなものを見てきた。人生経験は豊富なつもりだよ」
そう口にする妹紅の言葉は何か確信があるように美鈴には聞こえた。
「……その長い人生経験に氷精との愛が刻まれるんですね」
「……ここで話を逸らすなよ」
妹紅は話の腰を折られた気がしてならなかったが、話を戻すようなことはしなかった。今の言葉を受け流すのか聞き入れるのかは美鈴が決めること。
だから妹紅はこの一言でこの話を終える気でいた。
「最後に一つ。強い思いは、受け流しちゃいけない。受け止めて、返さなくちゃいけないんだ。どんなに歪んでいてもね」
そう、返さなくちゃいけない。例え歪んだ愛情だろうと、千年に渡る殺意だろうと、相手の思いが強ければ強いほど、自分も強く返さなくちゃいけない。
「憶えて……おきます」
小さく、呟くように美鈴はそう答えた。
「皿洗いの地獄から舞い戻ったアタイ参上!」
その時である、なんか全部台無しにする存在が現れた。
「では、ごゆっくり」
「あら? もう行くの咲夜」
お茶の準備を終え、退室しようとする咲夜。準備そのものは小悪魔の手伝いもあって直ぐに終えた。
「ええ、この後、美鈴に差し入れを持って行くつもりなので、美鈴に例の氷精を預けておりますし、それに一刻も早く美鈴の顔が見たいので」
「凄いですねパチュリー様、メイド長の頭の中が一色ですよ」
「小悪魔、それは思っても言わないのがマナーよ」
いつの間にか出来ていた謎のマナーを小悪魔に教えるパチュリー。最近はこの二人とレミリアの三人でお茶をすることが多い。
「それじゃ悪いけど、最後にこのクッキーもう一皿追加してくれないかしら? 最近のお気に入りなの」
「……チッ、かしこまりました。ただいまお持ちします」
そう言った瞬間に咲夜の手にはクッキーの皿が持たれていた。そしてその皿を手早くテーブルに置く。
「でわ、しばし失礼させてもらいます」
それだけ言い残し、咲夜は姿を消す。
それを見届けたレミリアはゆっくりとパチュリー達の方へと振り返った。
「さ、さ、咲夜が舌打ちしたー!」
叫びだすと同時に泣き出すレミリア。恐らく見てしまったのだろう、舌打ちした時の咲夜の目を。
「きっと氷精をメイドにするなんて言ったから怒ってるんだわ……きっとそうよ!」
震えながら泣くレミリアに近づきそっと抱き寄せる小悪魔。
「そんなことないですよ。ほら、メイド長は美鈴様が絡むと少し人が変わるじゃないですか。だからですよ」
小悪魔は胸の中で泣きじゃくるレミリアの頭を撫でながら慰める。
「ほ、ほんとにそう?」
「ええ、そうに決まってます」
そう答えた小悪魔の顔は、レミリアには天使に見えただろう。実際には悪魔の類なのだが。
「それにあのメイド長がお嬢様に舌打ちなんてするはず無いじゃないですか? 空耳ですよ」
「うう、小悪魔、あなた本当にいい子だわ。やっぱり私の専属にならない? 咲夜と同じ条件で向かい入れるわよ」
「お言葉は嬉しいのですが、私はパチュリー様の使い魔なので」
「そう、残念ね。私にかかればそんな契約なんて一瞬でなかったことに出来るのに」
「ヘッドハンティングはそこまでにしなさいレミィ、それと……間違いなく咲夜、舌打ちしてたわよ」
「うわぁぁ! やっぱり咲夜怒ってるんだぁぁ!」
「パチュリー様! お嬢様を虐めるのは本の中だけにしてください!」
「はいはい、分かったわよ。ほらレミィ、『紅白と蒼白の巫女』の新刊書き終えたわよ」
「え、本当? わーい」
「良かったですねお嬢様。第二章の暴かれた聖域はまだ私も読んでない出来立てほやほやですよ」
こうして、図書館に怪しげな本がまた一冊増えていく。
「お前さ、もうちょっと空気読もうよ」
「まぁまぁ、チルノちゃんは悪くないんですから」
つい先ほどまで、ちょっといい話をしていた門前は突然の来訪者によって雰囲気を変えていた。
「それにしても、どうしたのチルノちゃん、何か用事?」
「ううん、皿洗い終わったから少し休んでいいって」
「珍しいね、あのメイド長が休んでいいだなんて」
「まぁ、咲夜さんも鬼じゃないですし、最後くらいは……って事でしょう」
そう言う美鈴自身も内心では珍しい事だと思う。
「それで、咲夜さんはどうしたの?」
「何かお茶の準備するって言ってた」
「ああ、そういえばお嬢様のお茶の時間ですね」
「でも、後でこっち来るって、差し入れ持って」
「差し入れって、そんな気使いするタイプだっけ?」
どうにも妹紅は咲夜に対し、鬼メイド長のようなイメージが離れないらしい。
「いえ、お二人が来る前は毎日持ってきてましたし、来てからも夜の差し入れは持ってきてくれてましたよ」
昼間の差し入れが出来なかったのは、やはり今までと違い余計な手間が増えたからかもしれない。
「まぁ、美鈴に対してなら分かるけどさ」
そう口にした瞬間、妹紅の背筋に悪寒が走る。
「まるで、私が美鈴目当てで来てるみたいじゃない?」
突如、妹紅の背後に現れ、やや低めの声で話しかけてくる咲夜。
「き、急に現れるな! そして正しくその通りだろう!」
背後の咲夜を振り払うように妹紅は振り替えった。
「ええ、その通りよ。という訳で美鈴、この紅茶口移しで飲ませてあげるわ」
「心底遠慮します」
ため息を吐きながら答えた美鈴は先ほどの妹紅の言葉を思い出す。これを受け止めろと言うのだろうか、そして相手に返せと?
「クッキーも焼いてきたけど、足りなかったら私の身体も頂いていいわよ」
ごめんなさい妹紅さん、私にはまだ無理です。心の中で妹紅にそう謝罪する美鈴だった。
妹紅はそんな美鈴を見て何となく、私のほうこそごめん、と謝罪し返した。
「クッキーうま!」
そんな周りの心境などお構い無しで咲夜の持ってきたバスケットをあさるチルノ。
「それで、最後だから聞くけど、妹紅、あなた本当にこの子に手を出してないのね?」
「最後だから言うけど、ホントにマジで何にもしてない」
四人でクッキーを食べながら紅茶を飲む、一見優雅だが話の内容は生々しい。
「咲夜さん、それ以上聞くのは止めましょう。誰にだって知られたくない秘密はあるんですよ」
「いや、それフォローになってるようでなってないから」
「クッキーうま」
飽きずに同じ議題を重ねる三人、そして議題の中心なのにそっちのけでクッキーを食べる妖精が一匹。
「どんな性癖だろうと恥じることは無いと思うわよ」
「誰もが咲夜さんみたいにオープンじゃないんですよ。ていうか咲夜さんは少し隠してください」
「だから恥じるも何も、そもそも私はそんな性癖は持ち合わせてない!」
「お茶うま」
結局、咲夜は妹紅に疑いの目を抱いたまま、美鈴にいたっては既に「私はあなたの味方ですよ?」的な感じなっている。妹紅にとってはありがた迷惑もいいとこだった。
ささやかなお茶会も終わり、咲夜はチルノを引きずって仕事に戻っていった。
「さて、そろそろ仕事も終わりな訳だけど」
「三日間ご苦労様でしたね」
「何か退屈との戦いだった気がするよ」
事実、妹紅がこの三日間でこなした門番としての仕事は、美鈴の留守中に来たアリスの対応くらいだろう。
「それでもやることはやってましたよ」
「そう? あんま実感無いけど」
「そんな妹紅さんには飴と鞭という言葉に習って、飴をあげましょう」
そう言って何処からとも無く飴を取り出す美鈴。
「うわ! なにそれ、手品?」
「ええ、前に咲夜さんに習ったんです」
妹紅は美鈴から飴を二、三個手渡されると、その何処から出てきたか分からない飴をまじまじと見詰める。
「……べっこう飴ってのが何とも」
「イチゴミルク味とかの方が良かったですか?」
「いや……いいよこれで」
飴を包みから取り出し、妹紅は口に放り入れた。
「それじゃ、そろそろ上がりますか。咲夜さんが夕食作り終えた頃でしょうし」
「ん、そうだね」
「私は部下の子達に一言言ってから行きますから、先に行ってて下さい」
「あいよ、わかった」
言われた通り、妹紅は部下に声をかける美鈴より一足先に食堂へと向かった。
「これで良しと、そろそろ二人も来る頃かしら」
食堂には夕食を作り終えた咲夜と、自称氷砂糖を作りながらつまみ食いを狙うチルノの姿があった。
「ほら、盗み食いしようとしてないで、さっさと美鈴たちを呼びに行きなさい」
「ん、ふぁーい」
咲夜の指示に返事をするチルノだが、その口の中には何かが既に放り込まれていた。
「まったく、油断も隙も無いんだから」
チルノが口の中のものを飲み込み、食堂から出ようと扉へ向かった時、チルノの到着を待たずに扉は開かれた。
「何か凄くいい匂いするな」
そして扉の外から、今呼びに行くつもりだった妹紅が入ってくる。
「あら、思ったより早いわね」
「ああ、少し早かったか? 美鈴も直ぐ来るけど」
「いえ、丁度いいわ。今呼ぼうと思ってたから」
「なら良かった」
そう答え、中へと入ってくる妹紅をチルノは何故かまじまじと見詰めてる。
「ん? どうかしたか?」
「もこー、何食べてるの?」
どうやら妹紅が口に何か入れているのが気になっただけのようだ。
「美鈴から貰った飴だけど?」
「あっ、いいなー! アタイも欲しいー!」
「ああ、わかったよ。やるから騒ぐなっての」
この時、妹紅は気が緩んでいたのだろう。
「ホントにー? やったー」
「ちょっと待ってろ、ポッケにまだ――んぐ!」
全ての仕事を終え、気が緩んでいた。だからポッケから飴を取り出そうとして、奪われた。
「ん、んん! んん!」
「いい匂いですねー。今日のメニューは……え?」
こうして妹紅は飴を取られた。無論ポッケにあった飴ではなく、たった今自分で舐めていたはずの飴を直に奪われた。そして、妹紅は同時に、飴以外の何かまで奪われた気がした。
その場に呆然と立ち尽くす妹紅に対し、チルノは奪った飴を口の中でコロコロと転がしている。それらの光景を唖然と見届ける咲夜と美鈴。
「この飴おいしー」
チルノは、今自分が仕出かした事をまるで理解できていないらしい。
「ごめんなさい妹紅、完全にあなたを誤解していたわ。まさかあなたの方が受けだったなんて……」
「ええ、私も予想外でした。それにしてもまさか、目の前であんな光景が繰り広げられてるなんて思わなかったです」
「……出来ることなら死にたい」
「ローストビーフうま!」
夕食、メニューがいつもより少し豪華なのは咲夜なりに二人を労っての事なのだが、チルノ以外はそれどころではなかった。
「私のあげた飴が原因となると、なんか私まで申し訳ない気分ですよ」
「いや……美鈴のせいじゃないよ、ただちょっと私の注意力が足りなかっただけだから」
「シーザーサラダうま!」
加えて言うなら、妹紅は相部屋の同僚に対する理解も足りなかったかもしれない。もっとも足りていたところで、あのハプニングを予想できたかといえば、多分出来なかっただろうが。
「まぁ、野良犬に懐かれたと思って開き直りなさい」
「噛まれたと思って諦めるだろ、何だよ開き直るって」
「逆に考えるのよ、唇や身体くらい奪われてもいい、そう考えるの」
「やだよ、玩具を放さない犬じゃないんだから」
「愛の為ならば唇や身体の二つや三つ、簡単にくれてやるべきよ」
「そんな自国愛にまみれた軍人みたいな考えもお断りだよ」
奇妙な言い回しで会話する咲夜に対し妹紅は律儀につっこみをいれる。
「それよりさ、私は今日でここを出て行くことになるんだけど、あの我が侭お嬢様には挨拶とかしなくていいの?」
なるべく話題を変えつつも、妹紅は素朴な質問をぶつけた。もとはと言えば、妹紅の罰ゲームに関係の無い紅魔館を巻き込んでしまったのだ、妹紅なりにレミリアに迷惑をかけたと思うのも無理は無い。
「あなたが必要だと思うならすればいいんじゃない?」
「うーん、急に転がり込んできて迷惑だっただろうしなぁ。一応、礼は言っておこうかな」
「なら、後で取り計らってあげるわ」
咲夜からすれば、妹紅の存在がそれほどの迷惑ではなかったと思うのだが、彼女の気遣いを無に返すのも気が引けるの為、後でレミリアに一声かけることにした。
「あ、アタイそれ知ってる、お礼参りってやつだよね」
「五体満足で野生に帰りたかったらその言葉は忘れなさい」
チルノの頭の中には、生きていく上でなんら必要ない知識ばかりが詰め込まれているらしい。
「とりあえず悪かったね、急に転がり込んで来てさ。でも、これでこんな罰ゲーム考えた大馬鹿に顔向けできるよ、ありがとう」
「別に謝る必要はないわよ。ちゃんとやることはやってたみたいだし」
食事の後、初日に初めて通された部屋で、妹紅は申し出通りレミリアにこれまでの礼を述べた。居合わせる顔ぶれや立ち居地まで初日と同じである。
「メイドを極めたアタイは、これでより最強になったわ」
咲夜のこめかみに浮かぶ青筋まで同じだ。
「まぁ気まぐれと偶然が生み出した産物だったけど、一応、紅魔館の主として言うことは言うわ」
そう言うとレミリアはゆっくりと二人の前まで足を進める。そして、それぞれの目をしっかりと見詰めながらその名を呼ぶ。
「妹紅、チルノ」
その声は本当にあの我が侭なお嬢様の物とは思えないくらい、誇り、貫禄、威厳を放っていた。
「二人とも短い間とはいえ、この紅魔館に尽くした忠義、大儀だったわ。力が必要になったら頼りなさい、ここを去ってもあなた達が紅魔の一員だったことには変わらないのだから」
普段の姿や行ないに忘れていたが妹紅はこの時、目の前に居る小さな少女が、夜の王であり、幼き紅い月であり、紅魔が主であることを思い出す。
「あ、ああ、そんな大層な労いを貰うと何て言っていいか分からないけど、とりあえず何かあったら頼りにさせてもらうよ」
まるで、本当に自分の全てを捧げた主を前にしたかのごとく萎縮する妹紅。それほどに妹紅はレミリアの放つ何かに気圧されていた。
「ええ、頼りなさい。何だったらあなたの宿敵倒しに協力しましょうか?」
だが、そんなレミリアの何かも、次の瞬間には失せていた。
「いや、ありがたいけど、あいつは私自身でケリを着けなきゃいけないから」
「いい心がけね、それでこそあなたよ」
それでも妹紅は悟った、その何かが咲夜や美鈴に忠誠を誓わせる力なのだと。
「ま、困ったらアタイの力を頼りなさい、アタイ最強だから」
妹紅が萎縮してしまう何かも、この氷精の前では意味がないらしい。そろそろ咲夜の青筋が限界に達しそうだ。
そんなチルノに、レミリアは少しだけ口元を緩め答える。
「フフ、そうね、何かあったら私も頼ろうかしら」
レミリアがチルノの力を必要とする事態など、夏場に涼を求める時ぐらいではなかろうか、少なくとも咲夜にはそれしか思いつかなかった。
「お嬢様、挨拶もその辺に」
「そうね、それじゃ二人とも、気が向いたら来なさい。また雇ってあげるから」
レミリアにとっては社交辞令、ジョークのつもりなのだろうが、咲夜にとっては二度と御免だった、特に青くてちっこい方。
「ああ、その時はまた門番で頼むよ。メイドは私には無理だから」
「次にアタイがここに来た時は、アタイがメイド長になってるわね」
咲夜の中で、何かが切れた。
「は、はい。それじゃ二人とも行きましょうか、門まで送りますよ。特にチルノちゃんは今すぐここを出ないと」
咲夜の臨界点突破にいち早く気づいた美鈴はさっさと二人を連れ出そうとするが、時既に遅し。
「無駄、完全に無駄よ美鈴。もう氷精が生きて紅魔館を出ることは無いの。その身の程知らずは全身を剣山にしてから殺すと予告するわ」
ゆっくりと、それでいて手早く、まさに流れるような動きで咲夜は懐からナイフを取り出していた。
「ちょ、咲夜さん落ち着いて! チルノちゃんも悪気は無いんですってば!」
必死に咲夜を止めようとする美鈴だが、もはや咲夜の目には宿敵しか映ってない。
「美鈴、そこを退かないのならそれでいいわ、けど無駄よ。なぜなら私のスペルはまさに――」
「私! 心が広くて優しい咲夜さんが大好きです!」
「さっさと出て行きなさい! 私の気が変わらないうちに!」
取って置きの対咲夜用必殺技で咲夜をなだめた美鈴は必死の思いで妹紅に視線を送る。妹紅はその視線の意味を一瞬で理解できるあたり、こんな出来事にも手馴れた紅魔の一員と言えよう。
「はぁ、しかたないね。ほら行くよチルノ」
美鈴の意を汲み取った妹紅は、チルノの手を引き、足早に部屋を出る。
「みんな仲がいいのね、羨ましいわ」
そして、この騒がしい出来事を、一人まったく見当違いの目で見ていたレミリアだった。
「何だかんだでここまで来ちゃったけど、よく考えたら美鈴とかには挨拶してないなぁ」
チルノを連れたまま門まで来た妹紅だが、この三日間で一番世話になった人物には何も言えずじまいだった。しかし、今更戻るわけにも行かない。
「もこー、帰んないの?」
「はぁ、元々はお前のせいだぞ、ああいう時は礼の一つでも言うべきなんだ」
慧音は寺小屋でこんな子供達を大勢相手にしているのかと思うと、妹紅は我が友人の偉大さを思い知り、今後はもっと積極的に子供達の相手を手伝ってやろうと心に決めた。
そして、門前でどうしようかと悩む妹紅の耳に聞きなれた声が入ってくる。
「あ、妹紅さーん、チルノちゃーん! まだ居たんですね」
「美鈴、わざわざ来てくれたの?」
「ええ、咲夜さんをなだめてから直ぐ追いかけたんですけど、間に合って良かった」
もっとも美鈴は屋敷内の気配なら全て分かるので、まだいると分かってて追いかけてきたのだろう。
「それはこっちの台詞だよ、三日間世話になったね」
「いえ、私もいつもと違う日々は楽しかったです。最後はアドバイスまで貰っちゃいましたし」
「ああ、あれね。もっとも間違ったアドバイスだったような気もするけど」
思い返される昼間の現状。
「そんなこと無いですよ、私も色々考え直してみます」
「そう、なら良かった」
押し付けがましいアドバイスかと妹紅は思ったが、美鈴の言葉で気が楽になった気がした。
「チルノちゃんもまた遊びに来てね」
「うん、またチャーハン食べに来る」
思えばあのチャーハンから咲夜の心労は始まったかも知れない。
「作ってあげるけど、今度は昼間に来てね」
「それと、さくやにありがとうって言っといて」
それは、チルノが知っている唯一の礼の言葉、それでいてもっとも分かりやすく相手に気持ちを伝える言葉だった。
「チルノちゃん……うん、伝える、絶対に伝えておくから」
今の言葉を伝える、それだけの事なのだが美鈴には、絶対に成し遂げないといけない様な気がした。
「それじゃ、もう行くから」
「ばいばい、またねー」
「ええ、お二人とも気よつけて」
こうして、炎の門番と氷のメイドは紅魔館から去っていく。
そして、夜空に消えゆく二人の姿を、門前から、館の窓から門番と従者は見届けていた。
「美鈴、差し入れ持ってきたわよ」
「咲夜さん、ありがとうございます」
毎夜恒例の差し入れを受け渡す咲夜と、受け取る美鈴。
「それにしても、やっと騒がしいのが去って行ったわね」
「私はそれなりに楽しかったですけどね」
いつもの様に紅茶を飲みながら過ごす二人の時間。それでも話す事はやはりこの三日間の事だろう。
「あなたはそうでしょうけど、あの頭メレンゲ、最後まで私の事あいつ呼ばわりだったのよ」
「ふふ、そうなんですか」
「笑い事じゃないわよ、まったく」
そう言われても美鈴は口元の緩みを直すことは出来なかった。あの子の咲夜へ宛てた言葉を知っているから。
「咲夜さん、そのチルノちゃんから伝言を預かってます」
「何よ? 殴られた礼をしに来るのならいつでもいいわよ」
咲夜は知らない、チルノが最後にだけ、それも本人の居ない所でその名を呼んだことを。
「ありがとう、そう言ってました。咲夜さんの名を呼んで」
「……そう」
だから急に手のひら返したようにそんな事言われても、どう返していいのか咲夜には分からなかった。
「あ、照れてるんですか?」
「違うわよ! ただ、そういうのは自分の口で言うのが礼儀でしょうに、まったく……」
「素直じゃないんですねー」
「言ってなさい。それと、あなたの方がチルノに会う機会が多いでしょうから伝えなさい。食べながらしゃべらない事って」
咲夜本人はさり気無く言ったつもりなのだろうが、美鈴にはしっかりと咲夜が始めてチルノの名を呼んだのを聞いていた。
「分かりました、会ったら言っておきます」
成し遂げなければいけない約束を成し、そして新たな約束をした美鈴。
「ところで咲夜さん、唐突ですがここで一つクイズです」
「本当に唐突ね」
「ええ、でも今じゃないと、私もう我慢できないんで」
「何かしら、私の身体を求めているのなら我慢なんていらないわよ」
無論、咲夜の言葉なんか端から耳に入ってない美鈴は一方的に言葉を続ける。
「では問題。今咲夜さんの思い人は非常に不機嫌です、それはなぜでしょう? ヒント、原因は咲夜さんです」
「……いきなり過ぎる上、心当たりが無さ過ぎる様な、有り過ぎる様な気がして分からないわ。せめて選択式にならないのかしら?」
今私は不機嫌です、原因はあなたです、理由は何でしょう? 無論分かるわけが無い。
「しょうがないですね、大サービスです。但し咲夜さんの持ち点はマイナスですよ」
「何の持ち点よそれ」
もっともな咲夜の言葉を無視して美鈴は言葉を続ける。
「一、咲夜さんが最近チルノちゃんに付きっ切りだったから。二、咲夜さんがその人の事をほったらかしにしていたから。三、咲夜さんがチルノちゃんの話ばっかりするから。四、咲夜さんがその人の事を蔑ろにしがちだから。五、咲夜さんがチルノちゃんの面倒ばっかり見てるから。六、咲夜さんがその人の事を――」
「ちょ、ちょっと待って美鈴、どれも選びがたいうえ、意味が重複してる物もあるし、何より身に覚えが無いわ」
突如、人が変わったように言葉を羅列し始める美鈴に、咲夜は付いていけなかった。
「身に覚えが無い? よく言えますねそんな事」
「あの美鈴? えと怒ってる?」
「言ったじゃないですか、不機嫌だって。しかも原因が身に覚えが無いとか言ってるんですよ? 怒らない方がどうかしてます」
今、目の前に居るのが美鈴なのかどうかすら分からなくなるほどの変化に、咲夜は完全に置いてきぼりである。
「あ、あの出来れば最初から説明して欲しいのだけど、クイズの答えらへんから」
「そんなの決まってるじゃないですか! 全部ですよ!」
「それはもはやクイズになってないわよ」
「それでも全部なんです!」
咲夜の言っていることはどう考えても正しいのだが、咲夜が何か言うたび美鈴はヒートアップしていく。
美鈴の声に気おされながらも、咲夜は自分なりの考えを口にした。
「そ、それはつまり……やきもちって事、かしら?」
そう口にした瞬間、咲夜は後悔した。自分は何か言ってはいけない事を言ったと、そう美鈴の目が物語ってる。咲夜の人生においてこれほどにまで力の篭った目で睨まれた事があっただろうか。
そして、大量の空気を吸い込み、美鈴の口が開かれた。
「あ! た! り! ま! え! じゃないですかぁぁぁ!!」
深夜という事に対して配慮の全く無い怒鳴り声は、幸い誰かの眠りを妨げることにはならなかったが、少なくとも咲夜に耳鳴りを残した。
「そんな事わざわざ聞かなくても分かるでしょう!」
「うう、頭が……」
極度の耳鳴りによる頭痛に苦しむ咲夜を無視し、美鈴は言葉を続ける。
「大体! 仕事中もチルノちゃんに付きっ切り、お風呂の時もチルノちゃんの面倒見てあげて、食事中もずっとチルノちゃんの話! さっきだって最初に出たのはチルノちゃんの事でした! やきもち焼いて当然でしょう! 腹を立てるのが当たり前でしょう!」
「い、言いたいことは分かったわ、何で怒ってるのかも、けどそれは……」
誰がどう見ても言いがかり、美鈴の我が侭以外の何物でもない。
「知りませんそんなの。兎に角、咲夜さんが私を蔑ろにして私が不機嫌。それだけは事実です」
「ど、どうしたら許してくれるのかしら?」
「謝る気持ちがあるんですか?」
「と、当然じゃない」
「何でもしますか?」
「何でもするわよ」
美鈴の為なら何でも出きる、例えシロップの代わりにタバスコをぶっかけたカキ氷だって食べてみせる、咲夜はそう自分に言い聞かせ美鈴の言葉を待つ。
「それじゃ、まず目を瞑ってください」
「え、ええ、分かったわ」
言われた通り目を瞑る咲夜だが、視界が無くなる直前に確かに見えた、美鈴が拳を力強く握り締めたのを。
何をされるか何となく予想が付いてしまった咲夜は、全身を強張らせる。
「それじゃ行きますよ」
「い、いいわよ」
声が軽く震えているが、それでも咲夜は弱音は吐かず、美鈴の動きを待つ。
「……」
だが、行くと言った割りに何もしてこない美鈴に不振を思い、強張らせていた体を緩める――そして、突然口の中に何かが押し込まれた。
驚きのあまり目を見開く咲夜、その口の中には妙に甘ったるい丸い物。
「あ、飴?」
今、口の中に押し込まれたのは、どれだけ砂糖を入れたか分からないほど甘ったるいべっこう飴だった。
「咲夜さん、今凄く甘いものが食べたいんですよ私、特に飴とかがベストです」
まるで理解の追いついてない咲夜を無視して、美鈴は話を続ける。
「でも手持ちの飴はたった今、咲夜さんに上げたので最後なんです」
正確には上げたのではなく、強引に口にねじ込んだと言うのだが。
「だから、その飴くれますよね? それで今回の事は許してあげます」
美鈴の言葉を理解するのに咲夜は何秒くらいかかっただろう。
「それはつまり……」
「無論、やだなんて言いませんよね、何でもするって言ったんですから」
強気な口調で、美鈴は一歩づつ咲夜に歩みを進め始める。
「美鈴、あ、あまりに急展開過ぎないかしら?」
「不正解だった罰だと思ってください。それより、咲夜さんからくれないなら、私から奪っちゃいますよ」
二人の距離はもう無い。美鈴はそっと咲夜の顎に手を伸ばす。
「こ、こういうのはどちらかと言うと私の役目じゃ……」
「今は、言葉じゃ無くて態度で、思いで示して欲しいんです。じゃないと本当に私から行きますよ」
いつもと立場が真逆。だから咲夜は知らない、こういう時どうすればいいのかを、美鈴がどうやって受け流していたかを知らない。
「あ、あの、美り――ん、んん!」
タイムアウト、咲夜は言いかけた言葉を紡がれた。美鈴は必要以上に時間をかけ飴を奪い取る、途中咲夜がつい体を離そうとするが、いつの間にか腰に回されていた美鈴の腕がそれをさせない。
「ん、んん、ふぁ……はぁ、」
咲夜は体が離れたとたんその場に腰を落としてしまう。
「大丈夫ですか、咲夜さん」
「……」
「あ、あの咲夜さん?」
「ええ、何とか。悪いんだけど、手を貸してくれるかしら」
そう言いながら咲夜は手を差し出す。
「あ、はい、どうぞ」
差し出された手を握り返し、力強く引き上げる美鈴だったが、咲夜の体は勢いそのままに美鈴に抱きついた。腰に腕を回し、顎に手をかける、まるでさっきの二人をそのまま入れ替えた様に見える。
「さ、咲夜さん?」
「約束は守ったわ、許してくれるのかしら?」
「え、ええ、それはもういいんですけど……」
「そう、ならよかったわ。ところで今度は私の我が侭を一つ聞いてくれる?」
あまりの顔の近さに上手く言葉を出せない美鈴に対し、完全に自分のペースで話を進める咲夜。入れ替わったのは立ち位置だけでは無かった。
「我が侭……ですか? いいですけど……」
美鈴の頭の中で「たまには相手の我が侭を聞いてあげる」そんなアドバイスが思い返されていた。そもそも、美鈴が急にこんな態度に出たのも、「強い思いは受け止めて、返さなくちゃいけない」というアドバイスに乗っ取ったものなのだろう。
「……それで何ですか、我が侭って」
「簡単よ、あなたと同じだから」
咲夜はあたかも当たり前のように口にするが、先ほどの咲夜と同様に、美鈴が理解するまで若干ながら間が空く。
「同じって、あの……」
「私も、もう少しその飴を味わいたくなったの。今すぐ」
今すぐを強調した咲夜の言葉に、美鈴は全て理解した。
「あの、咲夜さ――んん、ん!」
しかし、理解した時にはもう遅かった。デジャヴを感じるほど同じように、飴は奪われてた、にも関わらず咲夜は美鈴を放そうとしない。
それどころか、そのまま飴を美鈴に返し、そしてまた奪う。これを繰り返し続ける。
「ん、ううん、んは……ん」
美鈴はなぜか体に力が入らず、離れる事が出来ないし、離れていいのかも分からずにされるがままだ。
引き離すことも、首をひねる事も出来ず、ただ咲夜のされるがまま、まるで人形。だが、不思議と嫌な気分ではなく、むしろより強く引き寄せてきた咲夜の腕の感触が、心地よかった。だから、美鈴も腕を回し、咲夜を強く引き寄せた。
夜は更けて行く。二人は一つになったまま。そう、その飴が無くなるまで。
「やっぱり我が家は落ち着くなぁ」
「んぐ、んぐ、水うま」
「さて、疲れたしもう寝るかな」
「あ、待って、水もう一杯飲んだら」
「またトイレ行くことになるよ」
「へーき、メイドを極めたアタイはまぢで最強だから」
「はいはい、もう寝るよ」
「うん、わかった」
「所でさ、チルノ」
「何? もこー」
「何でお前、私んちに居んの?」
「めーりんが、責任取ってもらうまでもこーから離れちゃダメだって」
「……」
「……」
「さて、アリス。今夜の研究のテーマだが……」
「そ、その研究って言い方止めなさいよ」
「じゃあ、それ以外の言い方を教えてくれよ」
「え! そ、それは……その……」
「なぁ、何て言うのか、口に出して教えてくれよ」
「そ、そんなの……言えるわけ……」
「決めたぜ、今夜のテーマ。題して、人形遣いに色んな言葉を言わせてみようだ」
「な、何よそれ!」
「それじゃ、さっきの続きだ。別の言い方、教えてくれよ」
「だ、だから……それは……」
「今からそんな恥ずかしがってたら、後が大変だぜ?」
「い、一体何を言わせるつもりなのよ!」
「それは、後のお楽しみだぜ」
「え、ま、魔理沙、そんな、強引に……」
「ほら、早く言わないと、どんどん凄いことになるぜ?」
「ま、魔理沙止め――あぁぁ」
「く、あの二人、門の前でいちゃついて! いいわよ! どうせ私はハブられっ子よ!」
「レミィ、窓から盗み見はよくないわよ」
「お嬢様、紅茶を淹れましたから、とりあえず落ち着いてください」
「ふん、いいわねパチェは、こんなにも主思いの子がいて」
「あの二人だって、主思いだと思うけど?」
「どこがよ! あんな二人だけの世界を作っちゃって!」
「愛はまさに世界を制する力ですね」
「どちらかと言うと、固有結界よ」
「こゆう……? 何のことパチェ?」
「レミィも白い姫君には気を付けなさい」
「? さっぱりなんだけど」
「その時は私がお嬢様をお守りしますよ」
「小悪魔、私のために……やっぱりパチェよりも私の所へ――」
「レミィ、いい加減にしないと怒るわよ」
「まぁまぁ、パチュリー様落ち着いて。私がパチュリー様の傍を離れるわけが無いじゃないですか」
「ま、まぁ、それならいいけど……」
「ええ、ずっと傍に居ますよ。パチュリー様」
「小悪魔……」
「助けて、フラン……私、居場所無くなっちゃった……」
でもそれより氷炎コンビが気になりますので出来れば続いて欲しいです。
あと冒頭に出て来たうどみょん&レイサナは(次に来る)伏線なのかー?
気になる点は
殆どメインの4人のコトしか書かれていないので、もうちょっと他の人も生活や仕事をしているという描写が欲しかった。
紅魔館はたくさんの人妖が生活しているのであろうと思われるので。
レミィとパチェと小悪魔の会話は毎回おもしろいなあ
>根掘り葉掘りの、根掘りは分かるけど……葉掘りってどういう意味?
誰か、誰か私にも教えて!
年明けからこっち、戦国のカリスマダダ漏れお嬢様とオールラウンダーメイド長ばっかり見てたので、久しぶりにゆるゆるで春色の幻想郷をご馳走様でした。
いつの間にかダブル巫女もシリーズとして作中で定着しつつあるようで、言いだしっぺとしては中身が知りたいというか、気になるというか、どこかで読みたいというか、いやまあ。
咲美も美味しいね!
そしてお嬢様哀れ。
追記
「根掘り葉掘り」の根とは根拠、葉は枝葉末節の事だそうです。
レミリアおぜうさまにはまだ妹様がいる!
今すぐ地下から出すんだ!
咲夜さんに嫉妬するめーりんかわいいよ
はたしてもこたんの理性は耐えられるのか?乞うご期待!!
>根掘り葉掘り
さりげなく氷系つながりww
ジョジョは偉大なり。
ネタが豊富で甘甘でキャッキャウフフで飽きることなく一気に読んでしまいましたね。
チルノかわいすぎるだろjk。こりゃもこーも落ちるわ。
ただ、騒動の原因となった輝夜にももう少し出番があったらなあと少し残念。
烈火に剣心にらんまにと小ネタにも笑わせてもらいましたw
うん、美味しいお話でした。
全員がすばらしいですね、これは。
中でもチルノの最強っぷりが
特に、館を去る時はそれまでとは別の最強っぷりを感じたし
後、生きていく上でなんら必要ない知識、に驚いた
>パチュリー達のの方へと振り返った
パチュリー達の方へと振り返った
そしてお嬢様可哀そう過ぎますww
つっかネタが多すぎ、面白いのでアリですが!!気付いたのは上から順番に、らんま(爆砕点穴、火中天津甘栗拳、飛竜昇天破)烈火(火竜)幽白(蔵馬)JOJO(キャラ忘れ)剣心(回転剣舞六連)スレイヤーズ(竜破斬)ウホッ(やらないか)
ってところかなあ。
ネチョいこと前提で既に次の物語を構想中ですね?期待してますYO!
個人的にはラグナブレードで、マスターブレードをやってほしかったZE。
文の台詞で某所の射命丸クーガーを思い出しましたよっ!
欲を言うと、もう少しお嬢様やパチュリーとのからみがほしかったです。
そういえば昔、絵板にミニスカメイドの妹紅がいたような……
パリは英語でパリス・・・知らんかった。
まさか妹紅とチルノの話だとは!予想外の展開が続いて面白かったです。
特に後編、段々とヤキモチが募っていく美鈴が良かった。
レミリア様には妹様がいるから大丈夫だ!…たぶん。
本当にどこでストーカー化したんでしょうね?
それにしても、スカートに戸惑う妹紅可愛いよ妹紅。
このあと、先生にチルノと寝ている所を見られてどろどろの三角関係が!!
あの時の未熟さを振り返ると、恥ずかしくて死にそうだ
こんな事ならタバスコカキ氷なんて懐かしいネタを使うんじゃなかった……
何とも珍しい組み合わせの和み空間でした
こんな甘ったるい作品、口から角砂糖が出てくるぐらいに最高です
でも水を飲むチルノがかわいすぎて。
…という冗談はさておき、なんだかんだでハッピーエンドな従者と門番に乾杯
なのでフリーレス。
テンポ重視とかで会話大目とかなら分かるんですけどこれはダレます。
>「そうでも無いです。咲夜さんやお嬢様達、パチュリー様も同じことを言いますよ。きっと」
でなければ否定してしまう。もう一つの禍々しい炎の剣を持つ彼女を、たった一人で自分の狂気と戦い続けている彼女を。
ここでさり気なく感動した。
もはや言葉はあるまい
ベッドです
最後に月姫入ってるあたり私的評価は更に伸びたわけですがw
それはそうと、チルモコに目覚めそうですwそれでもめーさくがジャスティスだがな!