閻魔様ともなれば、その仕事量は半端ではない。
威厳と重厚さに満ちた仕事用の机の上にはカロリーメイトの空き箱が山のように積まれ、多種多様な栄養剤が林のように乱立している。
死者達に判決を言い渡すのもその机なので、なるべく向こうからは見えないように気を使っているが、できることなら片づけたい。
だがしかし、僅かに空いた時間を利用して片づけたとしても、また同じような光景が繰り返されるのだ。
最近では、片づけるだけ無駄かなと思っていたりする。
だが、これではいけない。
四季映姫は戒めの意味もこめ、自らの頬を叩いた。
善悪を裁き、死者の行く末を決める閻魔たるものが、このような自堕落な発想をしていは駄目だ。
これでは、部下もついてはこない。
緩んだ気を引き締め、映姫はジェンガのように積み重なったカロリーメイトに手をかける。
と、その山頂に一枚の紙切れが置かれていることに気が付いた。
「はて、なんでしょう?」
他の部署からの伝言だろうか。
それなら、誰かしらの口で伝えられるはずだが。
首を傾げながら、映姫は紙切れを手に取る。
そこには乱暴な走り書きで、こう書かれていた。
『海が見たくなったので、アマになります by小町』
くしゃり。
握りつぶされた紙切れが悲鳴をあげる。
冷えてもいないのに両肩は震え、何かを我慢するように固く唇を閉じていた。
しかし、それもやがては崩壊を迎える。
堪忍袋の緒が切れたのか、映姫は机に拳を振り下ろし、腹の底から声を張り上げた。
「海女ぐらい漢字で書きなさい!!」
怒りの矛先はどことなく、ずれていた。
湖の浅瀬に足をつけながら、得物を狙う熊のように水面を睨みつけるチルノ。
神経を研ぎ澄ませる妖精の耳に、魚の跳ねる音が飛び込んできた。
「そこだ!」
百人一首の達人もかくやという手さばきで、チルノは水の中へ手をつっこむ。
そして水から出た手の先には、細い腕と同じくらいの大きさの得物が収まっていた。
してやったりという顔で、チルノは大妖精に得物を見せつける。
「やっぱり、あたいったら最強ね!」
「チルノちゃん、それ長靴だよ」
某国の形でお馴染みの履き物を、チルノは誇らしげに掲げた。
「長靴ゲットよ!」
「あ、別に長靴でも良いんだ……」
そして、長靴を愛おしそうに抱き締めるチルノ。
大妖精はそれを、生暖かい目で見つめていた。
そんなはしゃぐ妖精達を尻目に、文は紙の上に筆を走らせる。
「ここ霧の湖では、近頃何故か魚介類が繁殖し妖精達や妖怪達の狩猟場として活気付いている。これを利用して紅魔館は貸しボート屋を設立し、格安でボートを貸し出す商売を始めた」
だが、湖の上にボートの姿はない。
当たり前だ。
一部の人間はともかくとして、妖精や妖怪はみんな空を飛べるのだ。
わざわざボートなど借りる必要はない。
そして妖精や妖怪がうようよいる場所に、近づいてくる人間はいない。
ボートなんか貸し出したところで、借りるのは物好きな妖怪ばかりである。
発案者はレミリアだというが、何とも経営のセンスがない吸血鬼だ。
「う~ん、ここら辺は書かなくてもいいか」
レミリア云々の記述に横線を引く。
この辺は記事というより、単なる文の感想に近い。
そもそも、この記事をどこまで新聞にするのかも妖しい話である。
湖に巨大エリマキトカゲが現れたというならともかく、単に魚介類が繁殖しているだけのこと。
妖怪や人間達からの興味も薄い。
記事にするには、些かインパクトが弱かった。
「できればもうちょっと大事になって貰わないと、見だしにも困りそうですね」
などと頭を悩ませる文。
難しい顔をする天狗とは裏腹に、湖では引き続き妖精達がはしゃいでいた。
そんな妖精達の中に、鬼気迫る形相で飛び込む人民服の妖怪が一匹。
マグロばりのクロールの見せたかと思えば、皇帝ペンギン並の勢いで湖の底へ潜っていった。
そして、戻ってきたかと思えば、その胸の中には巨大な鮭の姿が。
「うぉぉぉぉ! 朝食、昼食、夕食!!」
暴れる鮭を必死で押さえつける美鈴に感化されたのか、チルノもアメンボばりの潜水を見せ、水中に眠っていた得物を手中に収めた。
「あたいも、朝食、昼食、夕食!!」
「また長靴だよ。食べるの、そのゴム製品?」
鮭と美鈴の戦いに平行して行われる、長靴とチルノの戦い。
面白そうな気配を察して集ってきた妖精達のボルテージも、いやが上にも盛り上がる。
終いには賭け事に発展していった。
「門番に拾った五円!」
「じゃあ、鮭に盗んだ大根!」
「私は長靴に木の実!」
「俺も長靴にキノコ!」
「賭けになってないし」
固唾を呑む観客に見守れながら、五分にも渡る長き死闘に決着がついた。
妖精達の声も消える。
果たして、どちらが勝ったのか。
「いよっしゃーっ!」
ぐったりと項垂れる鮭を、優勝ベルトのように掲げる美鈴。
その瞳からは一筋の涙がこぼれ、身体中には戦いの激しさを物語る傷痕が付けられている。
そして、その栄誉を称えるように周りの妖精から一斉に拍手が送られた。
感極まったのか、美鈴は紅魔館のメイド長にも届くほどの大声で勝利の雄叫びを上げる。
「えーいよーうげーん!」
ちなみにチルノは長靴に負けていた。
どうして無機物に負けたのか、その謎はいまだに解明されていない。
「ふっ、どいつもこいつも甘いね。そんな得物に満足してるようじゃ、三途の川は渡れない」
「いや、渡りたくないですし」
大妖精のツッコミも馬耳東風。
鎌を片手に現れた小町は、不敵な笑みを湖へと向けた。
「あんたらに見せてあげる。本当の得物ってのが、どれほど凄いものであるかを!」
高らかに宣言し、小町は貸しボート屋へと足を運ぶ。
その表情には戦いに挑む戦士に似ており、文のブン屋としてのセンサーが反応した。
少しばかり、面白そうなことになりそうだ。
帰ろうかとも思っていたが、もう少しここで事の成り行きを見守ることにした。
何かが起こりそうな予感がしたのだ。
湖の中央辺りにボートを進めた小町。
その右手には何故か錆一つない銛が握られていた。
「なんですか、それ」
同乗した大妖精とチルノが不思議そうに銛を見つめる。
「これが無いと、奴は倒せない。気を付けた方がいい、奴にかかればこんな小さいボートなんて一溜まりもないから」
「奴って……そんな凶暴な魚がこの湖にいるんですか? 聞いたことありませんけど」
無知な大妖精を嘲笑するように息を漏らし、遠い目で小町は空を眺める。
「噂で聞いた時から、間違いなく奴だと思ったよ。あたいはそれほど長い間、あいつと死闘を繰り広げてきたんだ。右足を代償にしても、ね」
「右足? 普通の右足に見えますよ」
「奴との死闘で、何度も挫いた右足だよ」
「それはなんというか、軽傷ですね」
「捻挫をなめるな!」
熱い痛みが頬に走る。
自分を戒めるように拳を握りしめる小町は、ボートの上に倒れた大妖精を見下ろして叫んだ。
「あたいだって、殴りたくはなかったんだ。でも、あんたの慢心を諫める為には仕方なかった。わかってくれとは言わない。でも、二度と捻挫を軽視するような事は言わないでくれ。もう誰一人として、失いたくはないんだ」
なに、このテンション。
少し腫れた頬をさすりながら、大妖精は改めてどうして自分が殴られたのかを考える。
……やっぱりどう考えても、理不尽だった。
だが、また口を開けば厄介な事になりかねない。
触らぬ死神に祟りなし。
うっすらと目尻に涙を浮かばせる小町をよそに、大妖精は一人釣りに興じているチルノに目をやった。
貸しボート屋で借りてきた釣り竿を手に、目を爛々と輝かせながら釣り糸を垂らすチルノ。
何となく、オチは予想できる。
大妖精は釣り糸の先に視線を移して、首を傾げた。
「ねえ、チルノちゃん」
「何?」
「もう長靴が釣れてるみたいだけど、どうして上げないの?」
案の定と言おうか、釣り糸の先には黒々と輝く長靴が水の中に浮かんでいた。
チルノは不敵な笑みを浮かべ、キザったらしくサングラスを外した。
いつのまに付けた、おい。
「決まってるじゃない。あれは餌だからよ!」
「……ああ、そうなんだ」
「待っててね、大ちゃん。きっと大物を釣ってあげるから」
「ウン、キタイシテルヨ」
上海人形ばりの棒読みでも満足したのか。
チルノは、再び好奇心に満ちた眼差しで水中の長靴に集中を向けた。
片や変なテンションで思い切り妖精を殴る死神。
片や長靴で釣りをしようとしている氷の妖精。
さすがの大妖精も脳内処理に困り果て、そろそろ帰ろうかなと思ったその瞬間だった。
「奴だ!」
小町の鋭い声。
構えられた銛の切っ先は、突如として湖に現れた獲物に向けられている。
「あれが、小町さんの言う獲物ですか?」
「そう、幻想郷の中でも伝説と呼ばれるほどの珍種。外の世界でもその名前が知られる、巨大な白い鯨。モビーディック!」
水面に姿を現したそれは、まるで小町達など眼中にないかのようだ。
水中に向けられた鋭い眼差しは、ただ今宵の夕食を捜しているのか。
白いその手を羽ばたかせる様は、空を悠々と飛び回る白鷺を思わせる。
「今度こそは、あたしのこの銛で仕留めてやる!」
「えっと……小町さん。一ついいですか?」
妙なテンションでボートを進める小町に、大妖精はどうしても聞いておきたいことがあった。
「あれ、神社の巫女ですよね?」
赤い袴に、白い胴着。
特徴的な袖と服の間に見えるは、最早トレードマークと化した腋。
赤と白のペンキを被っていない限りは、十人中十人があれを博麗霊夢と答えるだろう。
ペンキを被っているなら、東風谷早苗と二択なのだが。
少なくとも、あれを白い鯨と表する人はいないはず。
「そう、確かにあれは神社の巫女。でも、それは仮の姿にすぎない」
巫女が仮の姿だとすれば、真の姿は何なのだろう。
小町達の接近も気にした風にない巫女は、水面すれすれを滑空しながら職人技で魚を採っていた。
カワセミか、あの巫女。
大妖精は勝手に、真の姿を想像していた。
「あれこそが、あたいの宿敵。白鯨霊夢!」
しかし小町の言葉は、そんな想像の遙か斜め上を言っていた。
白鯨霊夢。
片足を失った船長に狙われそうな名前だ。
「幻想郷の中でも大物中の大物だ!」
「まあ大物と言えば大物ですけど……意味が違うような」
「うぉぉぉぉぉ!」
「あ、聞いてないや」
エンジンが付いてるのではないかと疑いたくなるほどの速度で、ボートは霊夢へ接近を試みる。
どこにこんな力があるのか、その細腕からは想像もできない。
三途の川の渡し人というのは、こんなにも力を使う作業なのか。
だとしたら、大妖精の中で就きたくない職業の第一位に輝くことは間違いない。
「もう少し!」
猛スピードのボートはやがて、あと数秒で巫女を捉えられる位置まで近づいた。
オールを片手に、小町も再び銛を握り直す。
だがしかし。
「あっ」
今宵の夕食分を取り終えたのか、霊夢は満足そうな顔で神社の方へと帰っていった。
後に残るのは、悔しげな表情で銛を握る死神が一人。
あと妖精が二匹。
馬鹿な事とはいえ、あれだけ熱意を注いでいた相手に逃げられたのだから、そのショックは大きいはず。
「……せめて、あたいのオール捌きがもう少し上手ければ! 逃げられはしなかったのに!」
ボートの上に膝をつき、親の仇のように底を叩く小町。
やめて、沈む。
などと声をかけるわけにもいかず、さしもの大妖精もどうしたものか困り果てた。
だが、そもそも言葉をかける必要などない。
小町が勝手にやって、勝手に落ち込んでいるだけの話。
その事に気がついて、大妖精は小町を無視してどこか別の場所へと遊びにいこうとした。
そしてふと、釣りをしていた妖精の存在を思い出す。
「チルノちゃん、何か釣れた?」
チルノは無表情で釣り糸をあげた。
「うん、長靴が釣れた」
餌の長靴に絡まるように、もう一個の長靴が姿を現した。
後の長靴釣り名人、誕生の瞬間である。
整理した仕事机に座りながら、映姫は天狗の新聞に目を通していた。
色々と問題がある新聞だが、今のところこれ以上に優れた情報誌は幻想郷に存在していない。
幻想郷縁起という書物もあるにはあるが、あれはどちらかというと伝記に近い。
大衆が求める情報誌たる存在は、文々。新聞を除いては他になかった。
「はぁ……」
溜息をもらす映姫。
誌面を飾る記事は、彼女の部下を取り扱ったものだった。
『霧の湖に幻の生物現る!?』
その記事こそが、映姫に溜息を漏らせる最大の原因だ。
机に肘をつきながら、姿無き部下を頭に思い浮かべる。
『どうして奴を狙ってるかですか? 決まってるでしょ。最近沈みがちの映姫様を元気づける為です』
誰のせいで元気がないと思っているのか、そこら辺をあの部下は酌みとる事ができなかったようだ。
忙しさの最たる理由は、小町のサボり癖にある。
何事もスムーズに進んでいれば、仕事量が増えたとてそれなりの対処できるというもの。
その重要なリズムを崩しているからこそ、映姫の疲労も色濃くなっているのだ。
上司を思うのであれば、今すぐ仕事に戻りなさい。
小町がここにいれば、二言目にはそう言うであろう。
だがそれよりも、映姫には言わねばならぬ一言があった。
悔しそうな顔でインタビューに答える小町に、呆れた口調で映姫は言った。
「あなたがやっていることは海女でなく、漁師です」
めーりんが鮭一匹を捕まえるのに苦労してるのに霊夢ときたら・・・
もうアレだ、紅魔湖は魔の巣窟だ
思わず草を生やすほどに吹きました。良いなあこの語呂。
軽妙で珍妙な物語とキャラクターたちに大いに惚れました。
狙ってるのか素なのか判断付かないから突っ込むね。
>新巻鮭
死んでるから!塩で美味しく味付けられてるから!
そこはかとなくカオスフルな情景がおもろかった。
ダジャレ好きの俺としては、茶を吹かずにはいられなかった。発想力に脱帽。
わけも分からず勢いに負けました。
>二つ下へ
でも某同人ゲームでは釣りをすると新巻がとれます。ほんとだよ。
いやもう色々と笑わせてもらいましたw
ツッコミ所いっぱいだぁー
これは完全なる誤字でした。鮭ですよね、鮭。
何故に新巻鮭なったのかはわかりませんけど。
ご指摘ありがとうございます。
>アリアカンパニーと言うよりも姫屋の方な気がw
言われてみればそんな気が。
晃さんもひと味違った説教キャラですし。閻魔様と気があうかも。
お茶返せ。
とりあえず⑨は長靴屋でも開けばいいんではないだろうか。
妙なテンションな文章、しかもカオス
ていうか、長靴って長靴で釣れるのか・・・