※注意1 当作品は美鈴物語の10作品目となります。それまでの設定を受け継いだ作品となっております。
※注意2 一話完結型の作品ですが、設定などが気になった方は
美鈴物語第一話になります、作品集39『門番誕生秘話』をお読みください。
私、八雲紫にとってスキマとは、他人にちょっかいかけることに使うことが多いわね。だって面白いから。
でも、本来の使用目的は物事の本質を見極めることよ。本質とはすなわち真実。
言葉で言うのは簡単だけれど、これがなかなか難しいの。矛盾という言葉があるでしょう?
これってね、非常に脆い物なのよ。だから私の手にかかればそれこそ赤子の手をひねるようなもの。
でも矛盾には様々な形があるの。正に無限のパズルね。その矛盾という壁に覆われた先に真実があるの。
私たち妖怪、人間も皆必ず矛盾を持つわ…心の矛盾をね。これって結構面白いけど大変な遊びなの。
だって同じものが無いんですもの。一つ一つが全く違う独立したパズル。でもね、脆いから一つ一つを解くのは簡単。
それに個人が持つ矛盾は本当に少ないわ。すぐにボロを出す、これじゃあ面白くない。
だから私はそれこそ矛盾を無限にもつ存在に会いたかったのよ。だって遊びがいがあるでしょう?
勿論矛盾を解くだけが楽しみじゃないわ。その先にある真実も見たいの。
知ってる? 矛盾を多く持つ者の真実って、実はとっても貴重なものなのよ? あなたにもみせてあげたいわね。
私が彼女と付き合ってるのも、それがあるからと思っていてくれていいわ、今はね。
他に理由があるかって? 内緒よ。簡単に教えるわけにいかないでしょう? 天狗に楽しみを取られちゃたまらないもの。
ほら、喋ることは喋ったわ。さっさと帰ってちょうだいな。
<烏天狗の記録より。八雲紫へのインタビュー>
その日は稀に見る真にきれいな夕日により、世界が紅く塗りつぶされた日であった。
世界はおおむね平和だ……何時もどおりの日常が訪れている。しかし、そんな世界の一角では、全く違う光景が描かれていた。
一軒の豪華な西洋風の屋敷……その庭において、2人の女性が戦っている。周りは平和なのに、そこだけは戦場だった。
まるで拒絶された世界だ。2人の決闘は生易しい物ではない。互いに互いの命を掻っ切ろうとする血みどろの戦いだ。
……そう、そんな姿は獣のそれに見える。しかし、獰猛な戦いの中にも美しさがあった。ああ…そうとしか形容できない。
たとえ、両者が、血を、肉を、骨を、内臓を…破壊し、ただ殺すだけの戦いをしていたとしても、美しい。
片方は真っ赤に紅い髪、もう片方は、金色の髪。普段であれば見惚れるだろうその特徴的な髪も…今ではひどく乱れている。
既にお互い血を流しすぎ…本来ならば意識を保つのもつらい筈。だが、攻撃の手は緩めない。
攻撃をやめようという思考も欠如している。相手を倒すために、それしか頭の中にはない。
そして激痛が走っているはずなのに2人は笑っていた。この摩訶不思議な状況の中で。
それは邪悪な笑み、そして戦いを心の底から楽しんでいる笑み。まるで求めていたものが、今正に見つかったかのような、そんな笑顔。
相手を殺そうという意思を持った攻撃をしているくせに、2人はこのまま戦いが終わらないでほしい、という奇妙な思いも抱いていた。
それは、何百年も前の古い夢、一人の大妖怪が手に入れた己の求めていたものに出会った夢。
そして数少ない心からの親友を手に入れた、美しき夢の物語。
◆ ◆
「紫様、おきてください」
身体をゆすられ、自らの式神の声により、八雲紫は目を覚ます。
「ああ…おはよう、藍」
「おはようございます」
ムクリと身体を起こし、目を擦り欠伸をする。藍は紫の傍に服を置くと、呆れた表情を浮かべていた。
「今更ですから、強くは言いませんが……もう少し何とかなりませんかね」
要は生活リズムをきちんとしてくれ…といいたいのだろう。確かに紫の生活リズムは不規則だ。
朝には起きれず、昼…果てには夜まで起きないなんてのは何時ものこと。
だからといってそれに対応し、夜にあわせて紫用に準備をしておいたと思えば、今度はきっちり朝に起きる。
まるで舐めてるのか、と問いたいくらい、彼女の生活リズムは滅茶苦茶なのだ。
紫はいやらしく微笑むだけで、何も言わない。それで藍はまたため息をついた。
どうせ言って聞かないのは分かっている。長いこと主従関係をしているのは伊達ではない。
「ん……」
紫は着替え終わると扇子を手に取り、ピッと空間を横に裂く。すると空間が咲け、スキマが現れた。
スキマの向こうは外に繋がっている。……丁度魔法の森の辺りだ。
「夕焼けね…」
外は真っ赤になっていた。見惚れるほどに。
「晩御飯を作りますね」
藍はそういうと、紫の脱ぎ捨てた寝巻きを持って寝室から出て行く。その背中を紫は呼び止めた。
「ああ……私はいいわ。食べてて頂戴。ちょっと今日は用事があるから」
「はい?」
まるで今思いついたかのように紫は言い放ち、驚いた藍が振り向いたとき、そこには既に彼女の姿は無かった。
「…………はあ…全く、あのお方は」
そういう彼女の声は、やはり呆れが含まれていたが、まあいいか、という開き直りの面もあった。
あんな夢を見るなんて、本当に久しぶりだ……と紫は思った。あれは自分が幻想郷に来る前の出来事、その思い出。
長いこと生きている彼女にとって昔の夢を見るなんてことはそうそう無い。
だって思い出す価値が無いから。人間のように、限られた時間内で、限られた世界の中で動いてきたわけではない。
だから過去とは希薄な物だ。故に昔の夢を見た、ということは気になった。
何かが起こるかも…そういう思いがあったからかもしれない。
もしくはその過去の話を肴に話をする…という考えがあるからかもしれない。
おそらく後者だろう、紫は今の生活に満足している…これ以上何かが起こっても、それはどうでもいいことだから。
彼女にとって思い出すほどの夢とは、楽しい記憶だからである。少なくとも不愉快になることはない。
「あの子はまだ仕事してるかしら」
向かうは夢の中…過去に自分と戦った張本人である彼女。あれ以来友人をやっている。
普段はボケボケーっとしてて、弾幕も弱い。でも、肉弾戦と頭の回転は洒落にならないほど早く、実は強い彼女。
そして人当たりも良い。完璧に近く決して完璧ではない彼女。やってきたのは紅魔館。
紫は上空にスキマを開き、何処にいるのか探してみる。
彼女にドッキリは通用しないことを紫は知っているが、それが日課のようになっているからだ。
「ああ、いたいた」
目当ての人物……美鈴はすぐに見つかった。彼女ならこの暇を潰すのに付き合ってくれるだろう。
仕事だとしても無理やり付き合わせる。彼女はその程度では決して怒らない。彼女のことは良く知っている。
幽々子よりも昔からの知り合いだ。彼女と付き合ってた期間に比べれば短いが、それ以上に、短期間で紫は美鈴のことを理解していた。
あれから数ヶ月。美鈴は白玉楼の謝罪参りの後、紅魔館に戻ってきた。あまり長く開けるわけにはいかない、という理由である。
レミリアは謝罪が終わるまで戻ってくるな、と命令していたが他所には紅魔館を起点にしたほうが早い、と説得した。
そして他所の謝罪もすんだ彼女は晴れてもとの門番隊隊長の地位に戻り、仕事を再開している。
「脇がお留守ですよ、妹様」
「くっ…!」
さて…その当の本人だが、なかなか面白い光景が繰り広げていた。あの吸血鬼の妹、フランドールと徒手空拳で戦っていたのだ。
夕日時、紅魔館の門から中庭、そして館に至るまでの空間は館自体が光をさえぎり、影になっており、太陽の光は届かない。
故に飛ばなければ、夕日時でも日傘無しで外に出れるのだ。
(ふうん…あの妹、外に出れるようになったの……)
後に聞いた話によると、フランドールは先の事件から、己の『狂気』に対抗する術を手に入れたため、外にでることを許されたそうだ。
まあ、そこまで言ってくれないと、紫や美鈴としてみれば、苦労が水の泡になるのだが。
しかし……『狂気』に飲まれていない彼女はここまで洗練された動きが出来るのか…と紫は感心する。
『狂気』状態では、動きも大振りになるし、単調になる。しかし今はそれがなく、綺麗に動き、まるで踊っているようにも見える。
考えてみればフランドールはあのレミリアの妹なのだ。素質は元々持っている。
あれが本来のの戦い方の形なのだということを考えれば、これからのことを考えると末恐ろしい。
真に恐るべきなのはやはりレミリアではなく、彼女なのだと、紫は再認識した。
が、いくら動きが洗練されたとはいえ、まだまだ日が浅い。
故に技術も低い。2人の戦いを見てみると、どうやら能力を使わない模擬戦のようだ。
能力さえ使わなければフランドールはただ吸血鬼の力を持っただけの存在なのだから、確かに純粋に強くなれるだろう。
それに、美鈴もまだまだ手を抜いているようだ。が、時々繰り出される予想外の攻撃には彼女も驚いているようだ。
(これは伸びるわね…姉も、むしろ私たちでさえも簡単に抜かれるかもしれないわ)
そうなる前に一度お灸を据えておくべきだろう。過ぎた力はまた暴走する。
その前にある程度叩いておけば、彼女はその分また強くなれる。
(ま、それも彼女の役目なんでしょうけど)
そう、それはあくまでも美鈴の役目。紫には紫の役目がある。だから他人のことを気にしている余裕はない。
(そろそろ終わるわね…行きましょうか)
地上ではフランドールが最後の攻撃を繰り出していた。
美鈴はそれを手で捌き、逆に彼女の手を取ると地面に組み伏せ、関節技をかける。
見事といえるくらい早い攻撃だった。あれをもう少し弾幕戦でも使うことが出来れば役立たず門番の汚名を返上できるというのに。
「は~い、美鈴」
「どうも。あのですね、見るんなら堂々とでてきてくださいよ」
「あら、気付いてたの?」
「ここらへん一帯は私の庭のようなものです。侵入者がいればすぐに分かります」
普段真面目に働いていないくせに、こういうところはきちんと門番をしている。
これを普段から出していれば、咲夜からも何も言われることは無いのに…と紫は思う。
「確かにずっと門の前に立っている必要はありませんよ。ですけど、咲夜さんの命令ですからね…上司ですし。
逆らうとナイフが飛んできますから、知ってます? あのナイフ、察知できないんですよ」
知っている、というか心の声を読むな、と紫は言いたい。咲夜と美鈴は一見仲のいい(?)上司と部下として周囲に認知されている。
咲夜としてもそうなのだろうが、美鈴は違う。咲夜の時を操る能力は美鈴にとっては天敵にも値するほど危険な能力なのだという。
だから、彼女は極力衝突を避けるようにしているのだ。では何故門で寝ているのか、という問題もあがる。
美鈴は訓練の一つだといっていたが、その効果が表れた形跡は一度もない。結局は無駄骨なのだ。
そもそもその訓練自体が衝突を生んでいるのだと思ったが…言うのは止めた。矛盾は彼女の十八番、考えていても仕方ない。
「時を止められたら私でも厄介よ。まあ、スキマ操ればそれさえ無に還せるけれど」
「うらやましいですね、私なんて気を操る程度ですから」
「あの子は例外よ。私から見れば、あなたがこんなところで門番やってることこそ驚きなんだから」
このように世間話をする2人。だが忘れてはいないだろうか、美鈴に組み伏せられている哀れな人に。
「ど…どけええええ!!」
「あら、いたの」
「あ、すみません、妹様」
必死にもがくフランドールに今頃気付いたのか、美鈴は彼女を解放し、紫はワザとらしく笑ってみせる。
フランドールは立ち上がると、青筋を額に浮かべながら服についた砂を落とす。
どうやら純粋に怒っているらしい。500年近く生きているとはいえ、精神は幼いのだ。
「この……ワザとらしく…………」
「あらあら、こういうのも簡単に流せないと…お子ちゃまね」
「!! ……フン!」
顔がこわばったが、何とか押し黙るフランドール。紫の言うことも最もだった。
「で、邪魔しに来たわけ?」
「いいえ、ちょっとそこの門番さんに用があってきたのよ」
「と、いうわけです。今日は終わりにしましょう」
「む……まだはじめたばかりじゃない」
「昨日散々やったじゃないですか。たまには休息も取らないとだめです。
どうしてもというのなら…渡しておいたメニューをこなしていてくださいな」
「………分かったわ」
ふてくされながら、館に去っていく。おそらく美鈴の言った通りに鍛錬メニューをこなすだろう。
彼女を超えるなら多少のオーバーワークはフランドールにとって苦ではない。
「しかし……」
フランドールが館に消えたのを確認した後、紫は口を開く。
「驚きね、あの子がおとなしくあなたの師事を受けるなんて」
「そうですね…はじめは飛び掛ってくるんじゃないかと冷や冷やしましたよ」
「どんなマジック使ったのよ」
「いえいえ…私は何もしてません」
レミリア、そしてその父からフランドールの教育係兼門番に任命された美鈴。当初紫はその任を拒否するとばかり思っていた。
美鈴はスカーレット家の従者で唯一主の命令に拒否権を行使できる。それほど当主から信頼されており、実際最古参の従者といえる。
誰もこのことに文句を言わない、むしろこの拒否権のことを知らないものも多い。
それもそのはず、美鈴は今まで拒否権を使ったことが数えるくらいしかないのだ。紅魔館に来てからは一度もない。
何故なのかは分からない、どうせ美鈴のことだ、何か考えてのことなのだろう。
そういうわけで咲夜などは彼女の持つ拒否権など知るはずがない。
が…今回はわけが違う。フランドールは美鈴を恨んでいる。彼女が地下牢に閉じ込められるよう指示したのは他でもない美鈴なのだ。
つい先日、ようやくその一件もかたがつき、フランドールは晴れて地下牢から出られるようになったが……人は簡単にはかわらない。
フランドールは美鈴を恨んでいる、それは今も変わらない。命を狙っているのも変わらない。
彼女の能力の異常性は皆がよく知っている。美鈴だって、あの能力にかかればたちどころに殺されてしまうだろう。
つまり、美鈴にはその任につくことで、今まで以上に命の危険がある。拒否権を発動しないはずがない。
が、発動せずに今もこうして生き残っている。いったいどんなマジックを使ったのだというのだろうか。
「それに、頼み込んできたのは妹様からなんですから」
その言葉に更に驚きの表情を見せる。
「何故?」
「さあ…大方、私の技を盗んでいくんでしょう。ただ、彼女はそれを自分が持つ技と組み合わせて更に上のものを作り出してる。
ある種妖夢さんに似ているでしょうね。彼女も理解してるんでしょう。今のままではいくら努力をしても私には勝てないと」
「あらあら、ずいぶん強気ね」
「能力を使われたら私も厳しいです。ですが、まだ彼女は能力を操りきれる段階にありません。
まずは能力無しの状態で強くならなくては私、いえ、他の人たちにだって勝てません。能力に頼るものは必ず、滅びます」
「そうね、その通りよ」
そういう存在を多々見てきた彼女等が言うのだ、間違いない。フランドールも馬鹿ではない。
いくら己の能力が異常な強さを誇ろうと、それ以外が駄目なら豚に真珠だということを理解している。
何度も殺そうと画策し、それを失敗してきた。『狂気』に支配されていたとはいえ、心が覚えている。
とはいえ近くに師事出来るような者はいない。そこであえて美鈴に師事を求めた。
彼女から師事を受けることで、逆に彼女の持つ弱点を見極めよう、という考えなのだろう。
少なくとも美鈴たちはこう考えている。他にも理由はあるだろうが、今はこれが有力だと思うし、下手に考える必要性はない。
フランドールが強くなることはこれからの紅魔館にとって必要なことだったからだ。
だが、美鈴たちは甘く見ている。フランドールの精神的成長は異常ともいえる速さを持っていた。
無論美鈴たちが考えているような理由でも、フランドールは師事を求めた。
しかしそれ以上に彼女は考えたのだ。どうすれば自分のためになるか、ということを。
美鈴が何故強いか?
それは能力だけに頼らず、あらゆる場面で努力をしたから。今では弾幕を除き、あらゆる部分で自身に勝っている。
ならば自身もそうあらなければならない。だが、今まで『狂気』に支配されていたゆえ、どのように修練すればいいか分からない。
簡単なことだ。憎いと思う敵の技を見、盗み、昇華し、そして超える。
精神的にも、肉体的にも、技術的にも美鈴を超え、そして圧倒的な差をつけて勝利する。
それがフランドールが誓った美鈴に対する復讐だった。殺すか殺さないかはそのとき決めればいいのである。
ただ倒すだけではいけない、必要なのは美鈴を超えることだ、とフランドールはいきついたのだ。
十分すぎるほどの成長だった、少なくとも、昔はただ殺すことだけを考えていた彼女のことを考えると。
「ところで…紫さんは一体何のようで」
「あら、そうだったわ。忘れるところだった」
どうやら2人の決闘で完全に忘れていたようで、てへっ☆と頭をかわいらしく叩く紫。
「ほら、以前温泉行こうって約束してたじゃない?」
「また突然ですね」
「あら、私が事前に伝えておくなんて芸当していたかしら?」
「確かになかったですけど、誇らないでください」
紫の自分勝手な主張により行われる行動は今に始まったわけではない。美鈴も過去何度か振り回されている。
そして、それを拒否する事も出来ない、ということも知っている。
「わかりました。もう少しで交替なんで、待っていてください」
「はいはい」
頷くと紫はスキマの中に消えていった。美鈴はため息をつきながらも、服を調えると仕事に戻っていった。
◆ ◆
紫は東洋の小さな島国で生まれた。美鈴が大陸を脅かす大妖怪として、大陸のとある場所に封印されたその年から数百年経った後に。
紫は稀に見る一人一種族の妖怪だ。そのためか紫は親の顔を知らない。
おそらく紫が生まれたその瞬間に、親は死に、消滅したのだろう…と彼女は行き着いたのだ。
故に家族なんてものは知らない、暖かさなんてものも知らない。だから自分が何者か、という重大なことも知らなかった。
持ちえたのは紫と言う名と、『境界を操る程度の能力』。名前は何故か、自分はこう名乗るべきだ、と思い浮かんだのだという。
そして、奇妙な2つの記憶。それはどちらも真っ暗闇の世界の中で何者かが倒れ、誰かが背を向けている、そんな記憶だった。
倒れているのは自分ではない。倒れていたのは血だらけの人型の存在。ただ2つの記憶を比較するとどうやら人物は違うようだ。
逆にたっているのはどちらの記憶も同じ人。状況からおそらく戦闘を行って負けた、勝者と敗者という関係だということがわかる。
真っ暗闇のためか相手の顔は見えない。後姿のみだが、女性だということはわかったが……。
彼女はこう推察する。おそらくこの倒れている人物はどちらも自分の先祖なのだと。先代か、もしくは更にその前か……。
つまりこれは死ぬ瞬間の記憶なのだ。余りにも強烈なため、唯一の記憶として受け継いだのだろう。
それは新たに生れ落ちた自分に対する警告なのかもしれない。すなわち、このたっている女性には歯向かうな……と。
とにかく…生まれたての紫は自分の名と、能力と、この類似した2つの記憶のみを持って生れ落ちたのである。
生れ落ちたばかりの彼女が最初に味わった感情…それは恐怖である。如何に強力な妖怪といえど、生まれたばかりの時はまだ力が弱い。
ましてや紫は潜在能力も周りの妖怪よりも高かった。つまり、他の妖怪をひきつける格好の餌だった。
そのため、彼女を捕食しようとひっきりなしに弱小妖怪が襲ってきたのだ。彼女にとってそれは恐怖以外の何物でもなかった。
隠れているだけなら良かった。だが妖怪だって腹が減る。捕食しようと思ったらやはり他の妖怪の前に姿を現す羽目になる。
妖怪の魔の手から逃げ、血肉を食らい、時には泥水も啜り、心身ズタボロになりながらも彼女は生きのびた。
理由は簡単、死ぬのが怖かったからである。自分が何者か知らないで死ぬのは怖かった。無知で知るのは怖かったのだ。
自分の存在を知りえる方法は一つだけあった。あの奇妙な記憶である。唯一残されていた記憶なのだから重要なものに違いない。
幼いながらも自分の一族の強さは理解していた。そんな先祖を殺したということは十分強い存在だと分かる。
その人物に出会えば……自分がどうして生れ落ちたか、分かるかもしれない。その思いと共に彼女は生き続けた。
生き残れたのは一人一種族ゆえ、先代から受け取った能力…『境界を操る能力』があったから。
本当に危なくなれば、スキマを開きその中に逃げれば良いのである。スキマの中は何時しか彼女の唯一の心の拠り所となっていた。
半世紀も生きれば、彼女も大人になる。姿は今の彼女さながらまで大きくなった。
この頃から彼女は尋常ではない思考能力を発揮し始める。計算能力などずば抜けており殆どの数式を一瞬で解いてしまうほどであった。
更に彼女は独学で結界や、式の付け方など、様々な知識をものにした。恐るべき速さである。
が、実を言うとこれも一人一種族の特性ゆえの利点なのだ。
先代は死ぬ際に、次代のために己の身に着けた知識、特性を全て継承させるのだ。そして次代を世に排出するのである。
それを繰り返すことで、まるで品種改良を行うように代を重ねる毎に強くなるのである。
紫も例外ではない、彼女は先代が持っていた能力の全てを受け継ぎ、無意識の内に発揮したのである。
だが紫はせいぜい『境界を操る能力』が発現しただけだった。
おそらく体や脳の負担を考え、少しずつ覚醒するようになっているのだろう。
時が経ち、気付いてみれば彼女は一端の妖怪よりも強い存在となっていた、それゆえに紫はある大きな間違いを犯す。
すなわち、『傲慢』である。
強くなり、周囲を圧倒し、能力までも他を超えた存在となり、わずか数百年の生で名実共に、大妖怪となった彼女。
しかし、未だに自分が何故存在しているのか、という理由までにはいたっていなかった。
逆に今まで抱いていた周囲への恐怖はなくなり、自分自身に対し自信過剰となってしまった。
これはあまりも大きな過ちである。彼女は自分を見失ってしまったのだから。
何時しか自分が知りたいと思っていたあの記憶のことも傲慢のせいで忘れてしまったほどに。
無論、しっぺ返しがきた。暫くして、丁度彼女が500歳になるという頃に彼女は手痛い仕打ちを受ける。
神隠しの八雲紫といえば、既に世間に知られるようになっていた。
『八雲紫』と、八雲姓を名乗り始めたのはこのころである。その時には最早彼女に敵う存在は限られていた。
そう、彼が現れるまでは。
閻魔王、彼はそう呼ばれていた。見た目が男だっただけで実際はどちらか分からない。男性か女性かなど彼らには関係ないのだ。
名前だけは知っていた。死後の世界を治める是非曲直庁、その頂点に立つ十王の内の一人。
初めて会う人物だった、いや、むしろあわない方が良かったのである。
かつての世界は今に比べてあの世も忙しくなかった。閻魔たちは悠々と仕事ができていたのである。
基本閻魔は生者に対する干渉は極力禁止されている。無論、これ以上罪を犯すな、という忠告は可だ。
だがそれはあくまでも閻魔での話。あの世の頂点に立つ十王となると話は違ってくる。
十王一人が動くだけで大事なのだ。つまり、十王を動かすということはそれほどの罪を犯している、ということ。
そして紫はその十王、閻魔王に目を付けられた。当初侮ってかかった彼女だが、その侮りが仇となり、ボッコボコにぶちのめされた。
しかも閻魔王は無傷と来たのだから、紫は絶望する。世界の広さと、絶対に勝てない存在があるということを知った。
このとき、彼女は久しぶりにあの感情を味わった。すなわち、あの恐怖である。
自分はこの閻魔に殺される、そのとき彼女はそう思った。だが、その閻魔王は何もせず、ただこういって去っていった。
『お前は傲慢になりすぎた。だが、それはお前が求めているモノがなかったからだ。
あらゆる物事の真実を知れ、それがお前が出来る唯一の善行だ。幸いお前はそれが出来る能力を持っているのだからな。
その能力を駆使しろ。お前は自分が求める本当のモノを知ることが出来る。そうすればお前の存在意義も生まれるだろうな。
もしお前に家族がいるのであれば、皆同じことを言うだろうよ』
家族のことなど知らないが、その言葉から、先祖たちも同じように真実を探求してきたのだと予測できた。
また、後に知ることになるのだが、よほどのことがない限り、閻魔が生者を殺すことは禁じられているのだという。
閻魔王といえど、例外ではなくあくまでも忠告して去って行った、拳による説教のようなものだ。
閻魔王は風のように現れて、たらふく説教をすると風のように去っていった。紫にとっては台風のような出来事だった。
が、この閻魔王の行動が紫を成長させることになるのだから、閻魔というのは怖いものである。
まず、紫は閻魔王の言った物事の真実とはなにか、考えた。
確かにこの世界には偽がひしめいている。人の心から始まった偽は世界へと渡り、世界全体が偽と化している。
気味が悪い、紫は素直にそう思った。歪みきった世界だ、破綻寸前ではないか、と彼女は思った。
そのとき彼女は気付く。閻魔王が告げたことに。そして自分自身を振り返ってみる。
傲慢になっていたところは素直に恥じるとしよう、治すのはこれからでも出来ることだ。
彼女が始めたのはまず自分自身の真実を見つめる行為である。己を知れば強くなれる、どこぞの本にも書いてあった。
徹底的に自分を見つめる、何故自分は生まれたのか、自分の存在理由とは何なのか。そしてある時、彼女は気付く。
自分の能力、『境界を操る程度の能力』の真の使い道。今まで紫は能力を自分の逃げ道として使ってきた。
だが、それでは能力として不十分すぎた。能力の真の使い方……それは、他者の真実を見極めることが出来ることである。
境界…それは真実と偽を見分けることが出来る、区別することが出来る。矛盾を正すことが出来るのだ。
つまり、人や妖怪が踏み入れない見えない部分に彼女は足を踏み込み、操ることが出来る。
そして同時にあの2つの記憶のことも思い出す。閻魔は暗にあの記憶のことも言っていたのではないか?
かつて自分が求めていた人物にたどり着くためのヒントを彼は言ったのではないか…彼女はそう考えた。
真実を求め続ければいずれその人物と出会う。その時に自分の存在意義が見出せるのかもしれない…と。
そうして彼女は一つの答えにたどり着く。傲慢に支配されていた紫にある変化が生まれた。
つまり真実を追究する欲求、そして自身の存在意義の確立。ただ暴走していた彼女が真の意味で変わった瞬間だった。
彼女は己の欲求どおりに動き出す。真実を知ること、それを求めて。
(私の役目は真実を知り、物事の審議を図り、それを調整し、世界の均衡を保つこと。
それが私や、先祖に与えられた世界からの役割。……フフフ、面白い、やってやろうじゃないの。
そして私の生まれた存在意義を見つけてみせるわ)
世界の均衡を保つ、正に神のごとき能力を持った大妖怪。神として生まれてこなかったのが驚きともいえること。
そう考えれば閻魔王が自分を直接襲ってきたのも理解できる。
閻魔王の言った通りになったことは少し癪だが、それでも新たな楽しみが出来たのだ、それでいいことにした。
それ以降彼女は無意味な暴走をやめ、正に神出鬼没の神隠し、本来あるべき大妖怪へと成長する。
相手の矛盾を解決し、楽しむために。ただ、自分にはあえて矛盾という名の結界を作っておいた。
正確には矛盾というよりも防壁である。これを使って彼女は決して相手に本来の自分を知らせないようにした。
矛盾を抱えることは通常心に弱さを持つ。だが、彼女の場合、本来の自分を既に知っている。
その上でいくら矛盾を抱えようが、彼女にとっては、関係ない。本来の自分を掴んでいるから。だから、弱くはならない。
その効果もあってか、彼女は決して相手に本心を見破られることなく相手を知ることが出来るようになった。
長く生き続けた彼女はたくさんの矛盾を解いて回る。様々な方法を使って。
また、以前ほどではないが悪事も重ねた、妖怪だから当たり前である。
度が過ぎなければよいのか、閻魔はあれ以降一度も現れなかった。
そして……彼女は暫くした後、ついに自分が唯一持ちえていたアノ記憶と向き合うことになる。
◆ ◆
温泉とは魔法の森近くにある山の中にあった。何でもあの道具屋の主人が経営しているのだという。
なるほど、物が売れないときはこっちで収入を立てているらしい、なかなか考えているようだ。
何でも美鈴が仕事をしている間に話をつけてきたのだそうだ。もし彼が拒否したらどうしたのだろう、と美鈴は思うが苦笑する。
紫のことだ。大方突き通すのだろう。彼女の勝手さは幻想郷でも一、二を争うからだ。
「いや~いい湯ねぇ」
脱いだ服はスキマに放り込んでおいた紫は温泉に浸かりながら安心した声を出す。まるで今までの疲れを出すかのごとく。
ずっと寝ているくせに疲れているとは、どういうことかと思うが。温泉にはそんな魅力もあるのかもしれない。
「そうですね…こういう場所はキチンと落としてるとは。いやはや、恐れ入りますよ」
同じく安心しきった声を出す美鈴。彼女の場合、本当に疲れがたまってたのだろう。その声にも重みがある。
「……何故私まで?」
「あら、誘ってホイホイついて来たのはあなたでしょう?」
そしてもう一人、何故かいる風見幽香。最早何の目的で集まったのか分からない連中である。
幽香も大妖怪の一人。同じ大妖怪の紫からの誘いは最初戸惑ったものの、結局ついてきたのであった。
実を言うと彼女を呼んだのにも理由はある。彼女もまた、かつて閻魔十王と戦った数少ない存在だからだ。
泰山王、それが彼女が出くわした十王である。無論、彼女もボコボコにされたのだという。
紫はそれに興味を持ち、彼女と会い、戦ったのである。無論、勝負は引き分け。
ある程度情報を得た紫が一方的に戦いを止め、去っていったからである。
「別にいいじゃない。これを機に楽しまないと。じゃないと友達できないわよ?」
「む……」
友達という言葉に反応する幽香。さびしがり屋なのかも、と美鈴は内心苦笑する。
「それにお酒もあるんですもの。構わないでしょう?」
確かに問題はない。幸い3人入ったからといって満杯になるほどこの温泉は狭くない。後10人くらいは入れそうな広さがある。
紫は酒をスキマから取り出すとそれをお盆に乗せ、温泉に浮かべる。全員にぐい飲みを渡し、それぞれに酒を注ぐ。
「美味しいですね」
「へえ……流石はスキマ妖怪、いいもの揃えてるじゃない」
どうやら好評のようで、二人とも喜んでいた。
「それで……一体何のようで私たちを呼んだんです?」
さすがに物でつれるほど彼女たちは甘くないようだ。まあ、紫も話があったから呼んだのだが。
美鈴の質問に紫はぐい飲みに残った酒を飲み干すと話を始める。
「いいえ、ただ昔のことを思い出したのよ」
「昔?」
「私と、美鈴のであった頃の話」
あ~、と頷く美鈴と未だに全容がつかめない幽香。なんか自分だけ外されているようで不愉快になり、すかさず文句を言う。
「ちょっと待ちなさい。じゃあ、何? その昔話をするために私を誘ったわけ?」
確かに、その昔話は彼女にとって興味はある。しかしそれだけを聞くために呼び出されたのはいただけない。
何せ自分は関係ないのだから。昔話をするならば素直に美鈴とやってればいいのだ。そんな彼女の表情は次の一言で凍りつく。
「あら、あなたにもある種関係あるのよ? 私と美鈴、そしてあなた。お互い十王とやりあった過去を持つ者の会合のお話」
幽香の口に運ぶぐい飲みの手が止まる。
「いま……何て言った?」
「十王よ、十王。美鈴はね、五道転輪王とやりあってるの」
「結果は?」
「聞くまでもないでしょう。大負けよ、大負け」
まさか…と幽香は美鈴を見るが、納得する。確かに…あれだけの悪行を重ね行き続けていれば、十王がやってきてもおかしくはない。
美鈴は事前に幽香が、泰山王と戦っていた、という過去を知らされていたため、驚く仕草は見られない。
「なんて言われたのよ」
「己の中にある矛盾をどうにかしなさい、です。どうにかできれば、とうにしてるんですけどね」
やれやれ……とため息を吐く美鈴。まあ、確かにそれが出来れば早い話、十王が出て来るまでもなかったのだろうが。
「初耳だよ、いや……考えてみれば当たり前か。
私やスキマ妖怪のときに出てくるってことは、それ以前に生きてたあなたのところに来ないはずがないものね」
「そういうことです。そういえば、幽香さんは幻想郷の閻魔様ともやりあったらしいですね?」
「ええ」
四季映姫・ヤマザナドゥ。決してシャバダバドゥとか山田とか言ってはいけない。
有名な説教魔。会いたくないリストの上位に堂々君臨しているお方である。
「どうでした? やっぱり強かったですか?」
「弾幕ごっこだったからなんともいえないわね。ただ、雰囲気はどこか十王を彷彿とさせるものがあったわ」
「そうかもしれないわね」
あの時…最初映姫は説教をするためにやってきた。幽香が拒否すると一方的に攻撃し、説教して一方的に去っていった。
幽香としては迷惑なことこの上ない苦い思い出である。そんな彼女の発言に紫は頷く。
「何せ彼女はかなり古参の閻魔だと聞いてるわ。本来なら十王の次に偉くても不思議ではない」
「それ本当?」
「ええ、美鈴なら分かるでしょう?」
「まあ、なんとなくは。幻想郷の閻魔を引き受けている時点で相当の実力者であるのは予測できますから」
幻想郷は世界中を見ても一、二を争うほどの混沌ぶり、及び危険地帯と客観的に見て分かる。
そうなると、統括する閻魔としては、それ相応の力の持ち主が必要となる。だが十王は動けないため、下位の閻魔が動かざるを得ない。
つまり選ばれた映姫は十王を除けば最強クラスの力を持っていることになる。
「私は実際に戦ったことはありませんが、紫さんはどう思ってるんです?」
「そうね……まあ間違いなく現時点では最も係わり合いになりたくない存在なのは確かよ。
十王の代わりに来たくらいですもの、戦うのは避けたほうがいいわ」
「……ですね、えっと、何でしたっけ? 彼女の能力」
「『白黒はっきり付ける能力』よ。まあ、弾幕ごっこの時はその能力は見せてこなかったわ。どうも裁く時に使うみたい」
「名前からだとあいまいな能力ですね……ですがその分、危機感も持たないと大変です」
「そうね、お互い閻魔の動きには注意しましょう」
3人の接点は浮かび上がる。一つはお互いに殺りあっていること。
もう一つは閻魔、しかも最高位に立つ十王に目を付けられていること。
その点から言っても、この3人は閻魔たちに間違いなく目を付けられている。下手なことをしたら制裁がくるのは間違いない。
今は説教で終わらせているようだが、これが殺し合いになる確率もゼロではない。ゼロじゃない以上、避けるべきだ。
「さて……じゃあどうせだし、聞かせてもらいたいものだねあなたたちの昔話。大方知ってるんでしょう? 私と美鈴の殺し合いは」
「ええ、スキマからじっくりと観戦させてもらったわ」
やはり好きになれそうにない、できるならばここで拳を使って閻魔ではないにしろ説教がしたい、と幽香は思う。
が、必死にこらえる。後でそこらへんの妖怪にでもぶつければいい。大体紫はこういう奴なのだから。
「話を戻しなよ」
「そうね。ねえ、覚えてる美鈴。私たちがあったときの事」
「忘れませんよ。流石にあれはよく覚えてます」
美鈴と紫はゆっくりと回想する。幽香に分かるように説明しながら。その中で紫は思った。
(考えてみれば、これも奇妙な運命なのよね……)
◆ ◆
さて、己の目的を確認して、再度放浪するようになった紫。だが、またしても彼女は壁にぶち当たる。
すなわち、『退屈』。世間が持つ矛盾は余りにも簡単すぎて、だんだん解いていくのも億劫になってきたのだ。
だがやめるとまた十王が来る可能性も否定できない。強制されるのは嫌だが暫くはおとなしくしなければならなかった。
だから彼女が求めたのは、自分の退屈を解消するほどの矛盾。最早個を保てなくなるようにたくさん抱え込んだ矛盾を見たいのだ。
そしてその矛盾を自分が解く。無限にも連なる矛盾を、一つ一つ丁寧に。
だが、そんな貴重な存在がいるはずもなく、ただダラダラと過ごしていくしかなかった。
今のグータラ癖はこのときから始まったといっていい。だが、そんな彼女に思わぬ転機が訪れる。
それは、くしくも、美鈴が封印から解かれた年のこと。紫は美鈴のことについてある程度の知識は持っていた。
いわく大陸を恐怖に陥れていた大妖怪。孤独でありながら、絶大な力と知識を持って多国を操り、いくつもの国を落とした逸材。
妖怪連中には、もし人間として生まれていれば、かの孔明を始めとする軍師を軽く超えていた存在とまで謳われる。
人間に封印されたとはいえ、その名声は衰えることを知らず、人々の心に刻み込まれていた。
正直な話、紫は当初美鈴に対して何の興味も抱かなかった。昔の話だったし、強大な力を持っていたのだろうが、封印された。
それは結局彼女が心のどこかで傲慢を持っていたからだ、と思ったからだった。無論、この考えも後に修正されるのだが。
そのため自分から封印を解除しに行こう、という考えもなくなり、次第に彼女のことを記憶から排除していた。
が、あるとき貴重な情報を手に入れる。それは、かつて紅美鈴が紫もボコボコにされたことのある十王と戦っていた、ということ。
考えてみれば、今まで閻魔、それも十王クラスの者と戦ってきた者には会った事がなかった。
ふつふつと彼女の心の中に好奇心が芽生える。好奇心は時として危険を招くが、大抵は面白いものを見せてくれる。
紅美鈴という存在に興味を持った紫は、早速彼女を探すべく行動を開始した。
暫くたち、ようやく彼女の所在を突き止めた。どうやら故郷から離れ、西欧にいるようだ。
驚いたことに、吸血鬼の飼い犬になっているのだという。理由は不明だが、それが更に紫の好奇心を刺激する。
今まで誰とも群れようとしなかった妖怪が、たかが吸血鬼に味方するとは思わなかったからだ。
とはいえ、その吸血鬼もまた特殊な一族のようだ。
スカーレット一族、名前だけは聞いている。吸血鬼族の中でも上位層に位置する一族。
そこを仕切っているのは、ランド・スカーレットという若き天才。
わずか100歳で父から家督を譲り受け、今日までの地位に成長を遂げさせた。
と、同時に変人としても有名。世界を放浪し、歴史を知ることをを好んでいた存在。
大方、歴史を調べている途中、美鈴のことを知り、封印を解いたのだろうが……。
どう考えても彼より美鈴のほうが力が上だ。何故働いているのだろうか……。
(フフフ、また一つ、矛盾が出来た。面白い存在ね…)
ひさびさの高鳴る心を鎮め彼女がいる屋敷へと足を運ぶことにした。
屋敷は人里から離れた山の中に建っていた。人々には様々なカヴァーストーリーを流し、余計な干渉は避けているらしい。
スキマを使って状況把握を行おうかとも思ったが、あいにく館の兵力や警備が不透明だ、危険すぎる。
さてどうしようか…と考えついたのが、地元の妖怪共を使うことだった。
どうやら、スカーレット家が近隣の住民にそこまで嫌われないのは、妖怪の討伐も行い平穏を守っているからだという。
かといって愛されてもおらず、畏怖されているのには変わりない。奇妙なバランスの上に成り立っているといえよう。
そういえば、吸血鬼などの異端の中には異端専門の排除組織と協定を結び、彼らの追撃の手を逃れたものもいるのだという。
スカーレット家の頭領はどうも隠れて住むのが好きではないというのがもっぱらの噂だ。
なら彼らと協定を結び、わざわざ苦手な太陽のあたる台地に居を構えるのもわからいでもない。変人のなせる業としかいえない。
さて、妖怪たちは案外簡単に集まった。神隠しの八雲紫、と一声かければ彼らにとっては百人力の救世主的存在だったのだろう。
彼女の名はこんな遠く後にまで広まっていたのである。襲撃をかける前日。約50名の妖怪たちに紫はあった。
妖怪たちからでるのはスカーレット家に対する文句と紫に対する賛辞の声。
どうやら相当鬱憤がたまっていたらしい。特に門番には何度も退けられ何人もの妖怪が死んだのだという。
おそらくそれが紅美鈴だろう、と紫は思った。それに気付けないのは彼らの知能が低いから。
しかし、哀れな者たちだ。結局利用されているだけに過ぎないというのに。
襲撃当日、紫は一人、山の中を走っていた。ただし、紫の姿は全く変わっていた。
今までの女性のような姿からは一変して、いわゆる幼女姿である。服装もそれなりの大きさのものを着ていた。
つまり、こういうことだ。自分があの館に妖怪に追われているという理由で逃げ込む。
敵対組織との協定ゆえ、人間姿となった紫を守るべく当然門番は妖怪たちを排除するために出てくる。
妖怪たちが相手をしている隙に、紫が奇襲をかけ門番を殺す。そういう作戦になっていた。
作戦は面白いくらいに上手くいき、瞬く間に紫は館の前……門の前にたどり着いた。
久しぶりに能力も使わず全力で走ったため、息も切れている。幼女の姿をしているとはいえ、館はとても大きく見えた。
いや…違う。威圧感だ、自分に向けられる威圧感のせいで、館が大きく見えるだけなのだ。見られている、誰かに…見られている。
「何のようです? お嬢さん」
不意に背後からかかる子供をあやすような女性の声。何時の間に後ろに? 気付かなかった。存在すら感知することが出来なかった。
慌てて後ろを振り返ると、そこには一人の女性が立っていた。
朝日に照らされ鮮やかになびく紅い髪、独特の衣装、そして何より、美しかった。
八雲紫は直感する。この女こそ……自分が会おうとしていた目標の人物、紅美鈴だと……。
紫は驚いていたが、何とか我を取り戻す。今ばれるのは不味い。何とか演技をしなければならない。
「助けて……妖怪たちに襲われているの」
我ながら上手く幼女の仕草をできたもんだ、と紫は思う。美鈴は暫く彼女を見ていたがすぐに森へと目を向ける。
「そう……じゃあ、そこで待っててください」
言うなり何処からか取り出した戟を片手に飛び出した。姿が消えると紫はスキマの中に入り、上空から彼女の戦を見ることにする。
美鈴は既に館から300メートル離れた地点にいた、館は山の頂上付近に建っているから、既に彼女から館は見えない。
勢いよく飛び出した美鈴は妖怪たちに気がつく、30メートルはある。妖怪たちも気付いたようだ。
本来なら身構えるところを美鈴は更に加速する。間を一気にゼロにする速度。妖怪たちは当然反応できない。
突進の形で一匹の妖怪の懐に飛び込むと一刀の元に切り伏せた。その妖怪は反応することも出来ず倒れる。
戟の返し手でもう一匹の首を跳ね飛ばしたところでようやく妖怪たちは反応し、一斉に襲い掛かった。
だが数など美鈴の前では何の意味もない。数で圧倒的に勝っていたはずの妖怪たちはなす術もなく倒されていく。
本来ならここで、紫の支援が入り、美鈴を挟み撃ちにする取り決めだったが、未だに行われる様子はない。
ようやく彼らは気付いたのだ。裏切られたのだと、いや、元々利用するために使われたのだと。
だがもう遅い。彼らは最初に気付くべきだったのだ。妖怪は本来共存しない、利用し、利用される関係にあること。
共存することこそ稀なのだ。そんな基本的なことを彼らは忘れていた。そして気づいた時には、美鈴によって殺される。
武術を免許皆伝とまではいかなくとも相当鍛えていた紫から見ても、美鈴の肉弾戦術は正に芸術的と言ってよかった。
隙のない体の動かし方、効率の良い戦法、間合いの読み方、呼吸、何から何まで完璧だった。
だからこそ、攻めやすいともいえる。型のある形だからこそ、つけいる隙がある。しかしそれでも…紫は見惚れていたのだ。
まもなく全ての妖怪を殺しつくした。その間2分もたってない。紫は見つからないよう直にスキマに隠れ、元の地点に戻った。
「はい、怖い妖怪さんたちはいなくなりましたよ~」
怯えている子供を演じるのにはかなり苦労したが、何とか形にしたところで彼女は帰ってきた。
先ほどまで戦っていたのが嘘のように、息も全く乱れることもない。
衣服に返り血はついていない。だが手に持つ戟から滴り落ちる妖怪たちの血が現実だと物語っていた。
しかし……解せない。何か上手く行き過ぎている。必ず何かしらのハプニングがあるのでは…と思ったが。
「あ……ありがとう」
下手だな~、と思ったが、とりあえず礼は言わねばならなかった。
美鈴にこうなった経緯を聞かれたため順当に話していく。決して気付かれぬように哀れな小娘を装って。
そんな紫に美鈴は子供をあやすあの声で喋るのだった。
しかし……苛立つ。この女の笑顔は妙に苛立つ。この仕草に妙に苛立つ。この喋り方に苛立つ。
いくら子供の姿をしており、装っているとはいえ、この扱いは苛立つ。
何よりもあの目だ! まるで全部見透かしているような目。でも澄んじゃいない。底知れぬ闇の色。
何から何まで作り物のようで、まるで空気を相手にしているかのような気分だ。
少なくともこんな相手は今まで見たことも聞いたこともない。
大妖怪だから、という理由とはまた違う。それ以前の…そう、根本的なものだ。
「なるほど……」
そうこう内心で考えているうちに説明は終わった。とりあえず、これで信じてもらえれば第一段階は終了する。
そして、その後は美鈴が隙を見せたところを、料理し、頂く。
「とりあえず町に連れて行きましょうかね。下手に人間を殺せば、彼らが黙ってはいないでしょうし」
やはり彼女にとっても敵対組織は怖いようだ。いや、面倒なだけか?
とにもかくにもどうやら成功したらしい。美鈴は紫についてこい、と目で合図をすると戟を持ったまま先に歩き出す。
背中はとった……後は隙を見せれば、いつでも食らい尽くしてやる!
だが…………そんな思いは……
「ただし人間なら…………ですが」
聞いたこともない冷酷な声と、直後に襲ってきた横一閃の攻撃によって、完膚なきまでにぶち壊された。
反応できたのは、やはり紫が完全に気を抜いていなかったからだとしかいえない。
ある程度演技で心を開いていても、最大限に注意していた。だから反応できた。頬の薄皮一枚切れただけですんでいる。
もし後ほんの少し……気を抜いていたら深手を負っていただろう。スキマに逃れたため、美鈴は追わなかった。
ゆっくりと残心を取り、仁王立ちの体勢に戻る。
「………気付いてたの? いつから?」
スキマから姿は見せず、声は何時もどおりに、しかし冷や汗が背筋に流れている状態の中、紫は問う。
それに対し、美鈴はさもあらん…という感じで答えた。
「はじめから。微量な殺気に、私を観察するような感覚。そして一瞬ではありましたが、試しに放った威圧感であなたは身構えた」
先ほどの妙な威圧感は美鈴のものだったようだ。しかし…殺気を含む敵対行動は悟られぬよう抑えてきた。
……なんと言う観察力と、洞察力。いや、それだけではないはずだ。
「他にもあるんでしょう?」
「ええ、まあ。後は、そうですね……勘ですか」
……勘で殺されそうになったのか…いや、それ以上の確信があったからこそ、勘でも実行に移せたのだろう。
どちらにせよ……不味い相手なのは変わりない。
「で…何時まで隠れてるんです? でてくるならさっさと出来たらどうです」
「やれやれ…藪をつついたら蛇どころか虎が出てきたと……」
スキマの中から呆れた声が響く。美鈴にではなく、自分に向けられているのだ。
「まあ……当初の目的は果たしたわ」
「? 逃げる気ですか?」
「戦略的撤退と言ってもらいたいわね。言っておくけど私は別に相手もしてもいいの。
でも、あれだけの数を相手にして瞬殺をしたら流石に体力を消費したでしょう?」
「…………」
体力の消費は微々たる物だったが、どちらにせよ紫にはそれが嫌だったようだ。
やるならばお互い万全な状態で完膚なきまでに相手を潰す、それが紫が持つ一種の美学なのである。
それは自分が認めた相手にのみ適用する美学。紫は確かに美鈴を認めていた。
その底知れない闇を、危険だと感じ、侮ってはいけないと思い、一度撤退し対策を練ってから来ることに決めたのだ。
「だから、そうね…明日にでも来てあげる。その時までまってなさい」
「そうですか。なら待ちましょう。正々堂々真正面からご来訪なさってください。正々堂々完膚無きまでに殺してあげます。
ああ、別にお客様として来てくださっても構いませんよ。その時は極上のお茶をご馳走しましょう。ねえ……八雲紫さん?」
冷や汗が背中を伝う。一体この短時間で、どうやって自分の名前を看破したのか、勿論名乗っていない。
妖怪たちも自分の名前を言ってはいない。だというのに、どうして美鈴は紫の名を知っているのか。
冷静に考えれば、答えは何個か存在する。美鈴が封印から解かれてから時間があること。
そしてその主人が己から旅をするほど歴史などの知識を求めることを好んでいること。
これらから大妖怪の紫のことを知るのは用意であるといえるだろう。が、このときの紫はそこまでの思考にたどり着かなかった。
「チッ……覚えておきなさい、紅美鈴」
「ええ、またのご来訪をお待ちしております」
同じことをして同様を誘おうと思ったが全く相手にされず、逆に神経を逆なでにされる発言をされてしまった。
紫は苛立ちながら乱暴にスキマを閉じ、この場から離脱した。明らかな敗北、誰の目から見ても紫のそれは逃走だった。
だが一番分かっているのは紫だ。だからこそ早々にこの場から離脱したのだ。罵られようが結構、最終的に勝てばいいのだから。
結局残されたのは誰もいない場所に向かって恭しく頭を下げる美鈴の姿だけだった。
スキマに逃げ帰った紫が最初に思ったこと。それは苛立ちだった。
短期間の接触とはいえ、言葉で負けた。これは今までの人生で2度目だ。勿論最初は閻魔にである。
「何なんだあの女は!!」
戦う前から敗北を告げられた選手のような、そんな気分。苛立ちを言葉に込めてはき捨てる。
誰にもこの叫びは聞こえることは無い、だから大声で叫ぶ。彼女との前半戦……紛れも無く紫の負けだった。それが悔しい。
生憎口では負けたことが無い紫にとってはこの上ない屈辱だった。裏をかくつもりが逆にかかれてしまった。
だが逃げるしか無かった。今のような精神状態で殺しあっては、苦戦するのは確実だ。最悪負ける。
不安定要素は排除するべきだ。万全の状態で美鈴を食らい尽くさねばならない。
「…………」
OKOK……落ち着いてきた。怒りも大分収まり、逆に喜びが沸いてくる。
「……紅…美鈴」
まるで恋人を呼ぶかのように美鈴の名前を呼んでみる。なんともまあ、ふさわしい名前ではないか。
紅、スカーレットの家に仕え、また彼女自身も紅。正に運命的なものがあるといわざるを得ないではないか。
「この私にここまでの苛立ちを覚えさせるとは…面白い…面白い…面白いわ、あなた。最高に私を楽しませてくれるかもね」
今まで無かったこの高騰感は何だ。心臓の鼓動が激しくなるのがよく分かる。自分の勘が告げる。
彼女は今までのどの妖怪よりも厄介で、面倒だけど面白く、自分を楽しませてくれるだろうと。誰に言うとでもなく嬉しそうに呟く。
「でもすぐには駄目。スープと同じ。じっくりと煮込んでから……とびきりのシャンパンと共に頂くわ。
ふふふ……覚悟してなさい。メインディッシュは決まったもの」
生まれてこの方ここまでの喜びを味わっただろうか。少なくとも……無い。
だから存分に楽しまねばならない。これから先、ここまで楽しませてくれる奴に会えるか分からないのだから。
「さあ、劇の内容は決まったわ。おそらくこれも運命の悪戯だもの。絶対運命には従うわ。
その分、最高に楽しませてもらうわよ……この私を物語の駒にしたことを呪うがいいわ」
それから暫くの間、紫はスキマの中で一人邪悪に笑うのであった。
次の日、まるで世界が用意してくれたといわんばかりに雲ひとつない快晴だった。それがさらに紫の心を高ぶらせる。
おそらく邪魔者は入らない。妖怪共は駆逐されたようだから過ちを恐れてしばらくは近寄らないだろう。
戦闘で千切れるのはわかっているのに、紫は命一杯のおめかしをしていくことにした。
ちなみに今日着ている服は後に藍が着る事になる服と同一のデザインのものである。帽子は今と変わらないものをかぶり、日傘をさす。
珍しく館から少し離れたところにスキマをあけた彼女は徒歩で向かうことにした。この景色を味わいたいらしい。
はたして美鈴は昨日と同じ場所、門前に同じ服装のまま立っていた。まるでそこに根付いているかのような光景である。
空を見ていた美鈴は紫に気が付くとニッコリと笑顔を向けてきた。これから殺し合いをする、ということを理解しているのだろうか?
とりあえずここは普通に振舞うべきだ、と考えた紫は同じく笑顔を向け、互いに挨拶をする。敵同士だというのに優雅に。
「宣言どおり来たわ、門番さん」
「ええ、ようこそいらっしゃいました、妖怪さん」
「昨日私の名前を知っていたようですが、改めまして。紅美鈴です。スカーレット家の総取締役兼門番を行ってます」
「八雲紫よ。真実を求める探求家…とでも言っておきましょうか」
なんですかそれ、と美鈴は苦笑する。まあ、確かに笑える話だろう。真実を求める、何てお笑い話もいいところである。
が、紫にとってはそれがマジなのだから驚きだ。まあ、真実といっても色々あるのだろう、と理解しておくしかない。
「笑わないでほしいわ。私からしてみれば、何であなたほどの大妖怪がこんなところで門番なんて陳腐な仕事をしているのか気になるわよ」
「そんなにおかしいですかね? 私のことを知っている妖怪たちは言いますが」
「まあね。基本妖怪は他者と群れない。しかしあなたは事もあろうに明らかに自分よりも隠したの吸血鬼の僕となっている。
私からしてみてもおかしいと思うわね」
先も述べたが、紫から見ると格下に位置する吸血鬼一族に大陸を震撼させた大妖怪が仕えることなどありえないことなのだ。
「スカーレット家に今ついているのは単純に封印を解いて貰った、という恩があるからですがね」
「恩だけでここまで長く仕えられるものかしら? せいぜい半年、いや一年程度ってところね」
「あのですね、ああ見えてあの封印は厄介だったんですよ?」
「らしいわね。でもね…今会話をしていて思ったわ。あなた、嘘をついているでしょう?」
「…………」
人の心を読む紫にとって嘘と本当の境目ほど見分けが付きやすいものはない。
無難に言いつくろっており、最もそうな答えを返す美鈴に対しても、その答えが嘘だと見抜けた。
美鈴は笑顔で無言のままそれ以上の反論をしようとはしない。図星なのだろう。紫もそれ以上は追及しない。
「まあいいわ…重要なのは何時か、あなたはスカーレット家を離れなければならない時が来る。
人も妖怪もね、一つの場所に永くいると、愛着がわくのよ。あなたにそれをも捨てられる覚悟はあるのかしら?」
「舐めないで頂きたい。身の引き際は熟知していますから」
なるほど…後先考えない馬鹿ではないようだ。いや…当たり前か、相手は大妖怪なのだから。
「ところで今頃になりますが、その姿が本体なんですね」
「ええ、そういえばこの身体で挨拶するのは初めてだったわね」
考えてみれば昨日見せた姿は少女姿。今のような大人の女性の姿はしていなかった。
「驚いた?」
「いえ。あなたほどの大妖怪のクラスとなれば、姿形を変えることも可能でしょう?」
「まあね。ということは、あなたも?」
「私はもっと単純な方法を使います」
それは暗に紫がまどろっこしい、といいたいのだろうか、もしくは馬鹿だといいたいのだろうか。
だが紫は騙されない。下手に乗るからいけないのだ。既に戦いは始まっているのだから。
「しかし…あなたの態度を見てみる限りでは、ここの主に用があるようには見えませんね」
「私が興味あるのはあなただけよ? 格下には興味ないわ」
美鈴は苦笑して困ったような素振りを見せる。どうやら彼女自身も薄々ながら分かっていたようだ。まあ、そうでなくては楽しくない。
「ま、いいわ。それよりそろそろ始めましょうか」
「そうですね、そうしましょう」
互いに頷くと、両者間合いを取る。美鈴は戟を。紫は日傘を仕舞い、スキマから鉄扇を取り出す。
美鈴はともかく、紫はどうやらアレが武器のようだ。流石に素手ではやらないらしい。
この戦い、ただ敵を倒すだけでは駄目なのだ。紫の勝利条件は最悪ギリギリ生きている形で捕縛すること。
もしくは戦いの最中に美鈴の持つ矛盾を解決しきることである。美鈴は言わずもがな、紫を排除すればいい。
だがそれが如何に厳しいか…2人は薄々ながら感じていた。
それ相応の実力者は対峙しただけで相手がどの程度の存在なのかわかるのだという。まさしく2人はそれを行っていた。
戦争で例えればこの戦いは攻城戦だ。攻める側はもちろん八雲紫。守る側は美鈴。
城というゴールにたどり着くためには、入り口である門をはじめ、様々な要所を攻略せねばならない。
今の紫は単純に入り口の門を破壊すれば良いと考えているようだが、後に気づく。
既にこの入り口がありえないほどの強度なのだということに。
先に動いたのは美鈴だった。力が読めない以上、ある程度力を抑えて『見』に入るべきだという考えだった。
そのため、全力ではなくある程度力を落として紫に戟を振るう。当然紫は鉄扇でそれを止め、返し技で突きを放つ。
美鈴もそれを意図も簡単によけてみせる。はじめは唯の力試し、お互いがどう出てくるか見定めなければならない。
うかつに飛び込めば殺られる可能性だってある。紫もそこに注意していた。
最初の数撃。砂塵が舞う。力試しとはいえ、隙を見せれば互いに首を取りにいく戦いだ。
故に先に隙を作らせたほうが勝ちになる。紫は懐からなにやら妖しげな玉を取り出すと、地面にぶつけた。
破裂した玉からは白い煙幕が発生し2人を包み込む。煙幕弾のようだ。毒性のようなものはない。
ただ単純に目を奪うだけのようだ。下手な小細工に頼るな、と美鈴は思ったがすぐに考えを改める。
一瞬の違和感の後…先ほどまで正面にいたはずの紫の攻撃が唐突に後ろから放たれた。
だがそれも軽くとめる美鈴、だがまたもや違和感が襲う。やけに手ごたえが無い。先ほどまで紫が放っていた気ではないし、力も弱い。
明らかに格下の持つ妖気だ。美鈴は少し考えた後、もう少し攻撃を続けることにする。
一撃、二撃、三撃……違和感は確実のようだ。美鈴は唐突に戟でなぎ払う、という攻撃の形を変えると一気に間合いをつめた。
やはりそうだ……動きが単調的だった。つまり、この紫は……偽者。間合いをつめた美鈴は少し気を拳に集め拳底を鳩尾部分に決める。
まともに受けた紫(?)は無様に吹っ飛びぐったり動かなくなった。
警戒しながらゆっくりと倒れた紫(?)の元に歩いていく。と、その時彼女の全感覚が危険信号を放った。
理由も考えずに美鈴は後方に飛ぶ。それと紫(?)の体がはじけ、爆発するのは同時だった。
トラップだ。
すぐさま全感覚を周囲300メートルまで広げる。トラップということはこの戦いも外野から見られていたことになる。
姑息な手だな…と美鈴は思うが、それも常套手段。何かしら別の方法を使って相手の力を見ていたのは正しい方法だからだ。
おそらく最初の数撃は紫本人のものだろう。なら摩り替わったのはあの煙幕の時か……。
美鈴が周囲に目を向けている時、紫は上空にスキマを開け、彼女を観察していた。
卑怯といえばそれまでかもしれないが、これも立派な策の一つなのだ。
実を言うと先ほどの偽紫。あれは昨日美鈴襲撃に加わろうとしていた妖怪を一匹拉致っておき、姿形を変えた姿なのである。
いや、最早その時点でその妖怪の自我はない。紫の命令に従う従順な僕である。式のような存在だ。
結局その偽紫も美鈴に簡単に殺されてしまったが……おかげで面白いものが見れた。
一瞬だが、美鈴の手に何かしらの力がたまっていた。おそらくそれが紅美鈴の能力なのだろう、と紫は確信する。
こういった戦闘の際に一番恐ろしいのは相手を知らない、ということである。能力もそう、力もそう。
この方法…そう、この方法が紫にとっての『見』なのだ。美鈴の能力もある程度予測がつく。これである程度の恐怖は拭えた。
『見』を終えた紫は美鈴の背後に現れる。攻撃は仕掛けない。美鈴は彼女が移動したことに気付いたのかゆっくりと向きを変える。
一度構えを解くとずれた帽子を直した。かなり激しい行動をしたにもかかわらず、落ちなかったのは流石というべきか。
彼女の表情は涼しい。相手の出方を見極めている、という点のみ行動しているからだろうか。にしては緊張感がないような気がする。
「なかなか面白い能力ですね、『境界を操る程度の能力』。まさか妖怪の姿形までも変えられるんですか」
「今の妖怪は少し違うわね」
怪訝な顔を見せる美鈴に紫は余裕を持って話す。
「これは式。姿形を変えたのは確かに私の能力よ。でも私の言うことを十分に聞かせようと思ったら…ねえ」
「なるほどなるほど……」
美鈴はしきりになにやら独り言を言っている。紫にはそれが聞こえない。それが不気味に思えたが、話を続ける。
「『見』も終わったことだし、はじめましょう。あなたの能力、断面とはいえある程度読めたわ。
あなた…その能力、遠距離戦ではあまり使えないでしょう?」
当然これに答えるような馬鹿はいない。わざわざ弱点をさらけ出すだけだ。
「ええ。流石ですね、ただの一撃でそこまで読みましたか」
が、美鈴を除いて。何故わざわざ己の弱点を認めるような発言を取るのか、常人には分かるまい。
勿論紫もわからない。ただ、その返答が更に紫の好奇心を刺激する。
「ですが、関係ありませんね。倒せばいい話ですから」
「あらあら…強がるのね」
「事実です。まあ…それであなたが遠距離戦法を取るのならご自由にどうぞ」
無論紫はすぐさまそれには従わない。弱点を知るということは、弱点を克服する何かを得ているといえなくもない。
おそらくは彼女の持つ能力を使って、何かしらの攻撃方法を持っているのではないかと推測できる。
「そうそう…これではさすがにハンデが強すぎますか。私の能力、教えておきましょう。
私の能力は『気を操る程度の能力』。ご存知の通り気を操ります。苦手な遠距離戦も少しはこれで対応していますがね」
流石にこれには紫も驚いた。まさか、自分から能力をさらけ出すとは思わなかった。よほどの自信家か、馬鹿か、狂人か……。
いや、これもまた策なのかもしれない。紅美鈴、かつて策士とも呼ばれていたことを紫は知っている。
「あなたのように私と殺りあってきた妖怪はたくさんいます。当然遠距離で攻撃を仕掛けてきたものもたくさんいます。
ですが断言しておきましょう。この私に距離は関係ない。何らかのルールにとらわれない限り、負けません」
ちなみにこのルールが、後の弾幕ごっこに使われるルールになる。
「ですから、どうぞご自由に。どんな戦法を取ってきてくれても構いません。私はそれを真っ向からぶち壊して差し上げます」
「……フフフ」
まあそうだ。能力にのみ頼る存在は簡単に殺せる。厄介なのは能力と己の肉体を極限まで高めた存在だ。
紫もかつて能力に頼り、痛い目にあった節がある。美鈴もその一人だと、すぐに見分けた。
「いいわよ。なら私はその自信ごと完膚なきまでに叩き潰してあげるわ」
今度こそ、紫が美鈴に相対する。偽者ではない、本物の彼女がようやく手合わせする。
『見』によりある程度美鈴の射程距離も分かった。中遠距離を保ちつつ時折近距離で仕掛けるのが妥当だろう、と判断する。
先に動いたのはまたもや美鈴だった。戟による突きを基本に様々な斬撃を行ってくる。
『見』が出来ているのはあくまでも紫で、美鈴は全く見えていないのだから、当たり前か。
だからといって様子見でどうにかなる相手ではない、というのは分かっているのだろう。やはり偽紫とは違い、紫の戦い方も上手い。
ギリギリの角度で戟をかわし、一気に間合いをつめて攻撃すると、一気に射程から離れる。
ヒット&アウェイの戦法だがさすがは大妖怪、経験が上手い。何時しか美鈴ばかりが傷ついていく展開になっていく。
言っておくが紫はまだ能力を使っていない、そこまでの力は出していない。所々から血を流す美鈴だが、その表情は全く変化が無い。
血といっても薄皮一枚切れただけですぐに収まる程度に過ぎない。故に傷ついた場所からすぐに修復が始まっている。
とはいえ…痛みくらいはあるはずなのだが。紫は不審に思う。そしてそれは唐突に訪れた。
突きを放ち、戟を引いた美鈴は突如その反動を使い回し蹴りを放ってきた。先ほどまで戟のみだったのが、体術も使用してきたのだ。
紫が丁度ヒットの段階に移ろうとしてきたその時を狙って放ったため、射程圏内。紫は吸い込まれるようにその軌道に入っていく。
が、それもあたらない。強引に身体を止めるとそのまま上体反らしをし、避ける。
美鈴はそれも読んでいたのか回し蹴りの振り終わりの体勢から飛ぶとそのまま逆の足を紫の腹に叩き込む。
上体反らしの状態からまだ戻っていなかった紫は今度は避けることもかなわず、まともに食らう。いや…違う。
上体反らしをしていてその蹴りは見えないというのに、掌で的確に受け止めて見せた。
そのまま足を掴むと自分に引き込もうと力を入れる。
美鈴はその力を感じるや否や地面に手を突くとそれを軸に強引に紫の手から足を引き離す。
かなり地面に力を入れたためか、指が地面を砕き、穴を開けていた。
そしてまた振り出しに。受け止めたとはいえやはり痛かったのか、紫は受け止めたほうの手をプラプラ振っている。
美鈴は美鈴で再び構えると、今度は体勢を低くとる。紫は思う。現状での肉弾戦での割合は五分と五分。こう着状態となっている。
そろそろ次の段階に移るべきか……紫は決心する。流れは変えないほうがいい。
美鈴は受身の態勢を取っている中、紫は一気に後退する。そして構えを解くと鉄扇を開き口を被い不気味に笑って見せた。
「そろそろいいかしら。準備運動も終わりにしましょう?」
美鈴は無言、肯定のサインだろう。お互い無言になり戦いに集中する。
1分くらいはその体勢のままにらみ合いを続けていただろうか? 満を持して動いたのは美鈴だった。戟を手に俊足の突きを放つ。
狙うは紫の心臓、吸い込まれるように進む戟の刃。だというのに紫は一向に避ける気配がない。
が、唐突に彼女は笑う。邪悪に、ニタリと。瞬間、スキマが開き戟はその中に引き込まれた。
「!?」
違和感を感じた美鈴は体勢を大きく崩す。なんと、彼女の側頭部のすぐ傍にスキマが開き、そこから戟が飛び出してきたのだ。
速度、威力ともに美鈴が紫に対して放ったそれとまったく同じものが彼女に襲い掛かる。
自分ではなった攻撃が自分に帰ってきて、それを必死に避ける行動は傍目からはアホらしく見えるが、本人は至って本気だ。
事実、何とか避けきった美鈴の額には脂汗、完全には避けきれず左耳の一部がもっていかれ、多量の出血がみられる。
表情もどこか疲れたところがある。それほど精神も消費したというのだろうか。
そして今まで吹き飛ばなかった帽子も、今度ばかりは飛んでいっていた。
今の異常な形はあえて言うならカウンターだ。ただし、普通のボクシングなどでいうカウンターではない。
ボクシングの場合、相手の攻撃にあわせて反撃するのがカウンターだ。その威力は通常の場合の倍以上。
だが誰にでもできる、というわけではなくタイミングをあわせなければならない高等技術だ。
また、自身も攻撃を受けかねないリスクも背負う。だが、紫のそれは違う。
スキマを使ったそれは、自分に何らリスクが必要なく、タイミングも必要なく攻撃を返せる。
威力は通常のカウンターより落ちるが、安全性というメリットを考えれば申し分ない。まさに紫のみにできる特殊カウンター。
つまり、美鈴の攻撃はどうやっても紫に通用しない。攻撃は逆にカウンターとしてそっくりそのまま自分に返ってくるのだから。
だというのに……どう考えてもこの状況は紫の思惑通りなのに、不満そうな顔を見せる紫。
(おかしいわね……)
紫の憶測では、今のカウンターは間違いなく美鈴の頭をかち割るものになるはずだった。
だが現に美鈴は避けている。ぎりぎりではあるが、明確に避けている。紫にとってみれば、成功していない。
スキマが美鈴の側頭部に開いた瞬間に、いや、そのコンマ数秒前に美鈴は避ける動作をしていた。
そこが彼女の頭に疑問を浮かべたのだ。何故予測できたのか。違和感だとか、そういうものでは断じてない。
紫のスキマは殺気とか、そういう部類のものではないからだ。だから勘だとか、そういったもので感じ取り、避けたわけではない。
紫の背筋にぞわり、と何かが纏いつく。彼女は少しずつだが、わかり始めた。紅美鈴という人物の特性を。
そしてそれは今まで自分が戦ってきた者たちとはまるで違う特性だということを。
本来ここで美鈴が取るべき行動は、慎重に行動することだ。
今の特殊カウンターを知った今、下手に攻撃を仕掛けるのは命取りになりかねない。
だが、美鈴の表情は相変わらず涼しい。厳しい目つきは変わらないが、雰囲気全体はまだ余裕を保っている。
その余裕が紫を不安にさせる。底の知れない美鈴の態度が紫に躊躇という間を与えてしまう。
美鈴には自分のスキマを感知する何かがある……紫はそう考えた。そう考えるしかなかった。
可能性としてあがるのは……やはりあの能力……『気を操る程度の能力』。
しかし、関係ないはずだ。スキマは何もない空間に作り出すモノ。気とは関係ないはず。
だとしたらやはり勘? 不確定要素過ぎるし、第一美鈴自身にも危険な要素だ。
この間わずか5秒。結論は静観となる。避けたにしてもダメージは受けた、というのが決定打となった。
いずれ避けれず直撃する、そう彼女は考えたのだ。
美鈴が攻撃を再開する。やはり多少警戒しているのか、思い切った攻撃はしてこない。
紫もスキマに頼らずにある程度は自力で対処するようになった。美鈴が思い切った攻撃をしてきた時のみスキマを操る。
が、やはり美鈴は紙一重で避ける。ゆえに決定打にはならず、一進一退になる。
そんな攻防がしばらく続く。やはり紫も警戒し、スキマを多用しないためか、彼女も次第に傷が増えていく。
さらに紫は、次第に遠距離戦も多用するようになっていった。今で言う弾幕を展開し始めたのだ。
美鈴は距離を置くこともかなわず、一定の距離で打ち合うしかない状況になってしまったのである。
気づけば太陽も南中していた。既に何時間も戦っていたようだ。だがお互いそんな事に気づいてはいない。
集中力を抜けば殺される、そんな境地にいるのだから、気づけるはずもない。
だが、精神の消耗と体力の消耗は通常よりも段違いの速さで進んでいる。それほど切迫した状況なのだ。
2人とも決して顔には出さないが、疲労がある。それを確かめられるのはお互い流す多量の汗。
その中で紫の疑念はさらに増大する。美鈴はやはり単に運だけで避けているわけではない。
なにかしらの方法でスキマからのカウンター攻撃を避けることができている。
(……賭けだけど…やってみた方が良いかしら、そろそろ)
やはりその不安定要素を確認するしかない、と彼女は踏む。
選択した技は、力を短時間でかなり消費する技であるが、背に腹は代えられない。
紫は美鈴からかなりの距離をとると、両脇にスキマを展開。両手をそこに突っ込んだ。
同時に美鈴の周囲、彼女を中心に直径3メートルという感覚で合計30個ものスキマを開いた。
「まさかあのカウンターが破られるなんてね。今まであれで生きてた奴はまずいないんだけど」
「ほめ言葉として受け取っておきましょうか」
「でも、それもここまで。あなたが一体どうやって私のスキマからの不意打ちカウンターを避けてるのか、見せてもらうわ」
「…………」
「これから見せるはスキマの妙技。これをみて生きていたものは誰もいない。十王を除いてね」
「十王? あなた…」
十王という言葉に反応した美鈴が言葉を発する途中で紫は攻撃を開始する。
美鈴を囲むスキマから次々と弾幕が展開される。今で言う弾幕結界の結界なし、スキマで補っているバージョンだ。
紫は手を突っ込んでいるスキマから、美鈴の周囲に展開しているスキマにランダムにつなげながら弾幕を放つ。
この時代、当然弾幕ごっこなど存在しない。美鈴にとってはみるのも初めてのはず。
そう、初めてのはずなのだが……。美鈴はまるで知っているかのごとく避けていく。もちろん紙一重で。
(おかしい)
いよいよもって紫の疑念は最高潮に達する。明らかに不可解すぎた。
ここまで総合すると、美鈴はまるで自分の攻撃方法を既に知っているかのようなそぶりだ。
何しろ今の擬似結界……彼女は驚く表情一つ見せなかった。初めて見るのであれば、何かしらのアクションを表すはずだ。
だがそれすらも見せない。むしろ反応したのは自分が言った十王、という名称だけ。興味がわかないにもほどがある。
まるで人形だ。そしてこれはある事象が彼女の過去にあった場合に発生することがある。
だがそれはありえない。そう、ありえないのだ。だって、八雲紫は今まで一度も紅美鈴にはあったことがないのだから。
初めて見るはずの異様な光景だというのに、美鈴はいたって冷静に考えていた。いくらなんでも無茶苦茶な精神力だ。
だが、それを生んだのが彼女の持つ矛盾だというのだから世の中は恐ろしいものだ。美鈴はスカーレット家で門番をやっている。
勿論それは周知の事実だ。大切なことは、美鈴自身が自分の存在理由をそれ一つに絞っているということ。
門番としての役目を果たすこと、それだけを生きる目的としている。それ以外の余計な思いは排除している。
ようは彼女は今までの自分と、門番をしている時の自分に明確な境界線を引いたのだ。
だから相手が多少驚くべき行動をしてきたとしても、美鈴はあくまで門番としての立ち居地からそれを見極める。
門番として、かなり厳しい状況なら驚くし、それほどでもないならば別段リアクションを見せる必要も無い。
これが門番として役目についている彼女の価値観の見方の一つである。
が、どう考えても今の状況はおかしい。美鈴にとって紫の攻撃は見た事が無いのだから、門番としても危険域になるだろう。
だから彼女の持つ価値観から言っても、今の状況は留意するべきなのだが……。
やはり、美鈴は何かしら知っているのだ。今まで会った事もない紫について、何かしらの情報を。
そしてその対策も打っている。だからこそ、こうして平静になっていられるのだろう。
だがそれはありえない。紫も思っているように、彼女と美鈴は一度も会ったことがないのだから。
(…………)
美鈴は弾幕を避けながら、冷静に分析する。弾幕と後に名づけられる遠距離戦闘法はこの時から存在していた。
ただ、このときは弾幕ごっこなどという明確なルールがないため、妖怪たちもそれほどこの戦闘法に力を注いでいなかった。
美鈴もその一人。最低限しか身に付けていなかった。だから紫の戦闘はある種新鮮といえる。
美鈴が行えるのは気で形成した玉をいくつか飛ばせるだけだ。威力、数共に今からは比較できないほど少なく、弱い。
ただ、玉の軌道を変えるか、打ち消す程度はできる。それと気を見に纏う事で避けたり、ダメージを浅くしていた。
紫の弾幕、一見全方位から縦横無尽に攻撃しているようだが、実際攻撃してきているのは二つのスキマのみ。
そのスキマからは紫の両手が見える。つまり、スキマから生み出すのではなく、スキマを通した手を使って弾幕を形成している。
ただその動きが早い。スキマから手を出し、弾幕を放ったと同時に手をスキマの中にしまいこむ。
そのスキマに攻撃しても駄目だ。おそらく紫は手を出しているスキマのみ、自分の脇に広げている二つのスキマにつなげている。
だから、タイミングを逃し、手が出ていない関係ないスキマを攻撃しても、紫にはとどかず、逆に別のスキマから自分に帰ってくる。
タイミングが大事だ。どのスキマに紫がつなげ、攻撃してくるか予測し、攻撃しなければならない。
それがこの戦法を打開する唯一の策だった。言葉で言えば難しいが、実はかなり簡単だった。そう、美鈴にとっては。
ランダムに攻撃しているように見えるこのスキマの大群。だが微妙に周期的な要素もかねそろえていた。
いや、それ以前に美鈴は知っている。この打開方法を。目に怯えはない。ただ何時もどおりの炎をたぎらせていた。
その頃紫は攻撃を仕掛けながら、必死に美鈴の精神にアタックを仕掛けていた。目に見えないもう一つの攻防である。
並列思考のなせる業としかいえない。戦闘を行いながら美鈴を探る彼女の意識は今美鈴の精神、マトリクスの中にいる。
スキマ結界を開いた時から始めた美鈴の精神に対するダイブだが、案外すんなり進んでいる。
やはりその程度の存在なのか、もしくは何かしらの策を練っているのか……それでも紫は慎重に進んでいた。
が、その疑問もすぐに解決された。何故なら彼女は今からありえないものを目にするのだから。
(何よ…これ)
驚愕の声を出さずに入られなかった。それは今まで見たことも無い光景。
矛盾だ。
それも一つや二つ、なんてもんじゃない。恐ろしいほどたくさんの矛盾の扉と壁。
中心部に位置する美鈴の真実を守るために何十、何百、いや、もっとかもしれない…それほど多くの矛盾が纏っている。
見たことも無い光景だ。ここまでくると一種の芸術ではないか、とも思える光景。
だが紫はすぐに正気に戻る。明らかにおかしい光景だ。ここまでいくとまるで精神破綻者。
しかし目の前の人物にそこまでおかしい言動も、行動も見えない。まるで悟っているような行動は抜きにして。
(……一体何者なのよこいつ)
挑もうとする彼女だが、予想以上の光景にたまらずたたらを踏んでしまう。
だが当初警戒していた紫の心に、次第に喜びが広がっていく。
(ふ、ふふ、ふふふふふ……)
まさかこんな形で会うとは思わなかった。正に劇的な出会いとはこのことか?
自分が求めていた無限のように多い矛盾……ようやく見つけた。運命も捨てたもんじゃない。珍しく紫は運命に感謝する。
さあ、ここからはゲームの時間。解きがいがある矛盾だ。その先にある真実が何なのか、紫の好奇心を刺激する。
まるで新しいおもちゃを与えられた子供のように、紫は目を輝かせながら作業にとりかかった。
半刻はたっただろうか? 現状は変わらない。相変わらず美鈴は逃げ続け、紫は追う。
このまま戦いは終わるか? そう思われたが、事態は突然変わる。
なんと今まで逃げ回っていた美鈴がある一点に向かって走り出した。そこには一つのスキマがあった。
彼女はあえてこの膨大なスキマの中から一つ、アタリをつけたのだ。そこだけに意識を集中させることにしたのだ。
そのスキマの手前で立ち止まり、そこの地点を軸に身体をわずかに反らすだけで他の地点から飛んでくる弾幕を避けだす。
なんとその場所はまるで計算されているのか、紫からはスキマが邪魔をして死角になる地点となっていた。
目標のスキマの場所は丁度紫の対角線上に位置していた。戟を投擲の形に持ちかえる。狙うは一瞬。そこに力を込める。
そして、その時はきた。
「うおりゃあ!!」
素早く投擲。戟は一直線にスキマに飛んでいく。そして、その距離が30センチになったとき、紫の手がスキマから現れた。
そして弾幕を放とうとするその直前、戟は彼女の左手を真っ二つに突き破る!
突然の痛みに紫は悲鳴を上げようとする。が、それよりも早く戟は突き進む。グチャグチャ、という肉のちぎれる音と、噴き出す鮮血。
激しい痛み。戟はスキマを伝い、紫のいる地点のスキマに繋がり、更に腕を斬っていく。
「っ!?」
このままでは腕をなくすばかりか、おそらく首にまで戟が飛んでくる。
直感で感じ取った紫は戟が向かってくる前に手刀で二の腕の部分を切り落とし、そのまま横に逃げるように飛ぶ。
戟は切り離された腕を完全に真っ二つにするとそのまま上空に飛んで行き、力を失うと回転しながら地面に落下、刺さる。
ダメージは明らかに大きい。戟に付着する肉と血、そして紫の腕から噴き出す血がそれを物語っている。
不意を突いた攻撃でスキマは全て解除される。これがスペルカードなら、スペルカードブレイクだ。
「……ふう」
投擲体勢からゆっくりと上体を起こした美鈴は紫に背を向けたまま、一息いれる。その姿が紫にあるデジャヴを見せた。
その後姿はまるで…先祖から受け継がれたあの夢にそっくりだった。ゾクリ、背筋に悪寒が伝わる。
(まさか……)
「どうしました?」
驚きで言葉が出ない紫に対し、ゆっくりと彼女に向くと、美鈴は問う。勿論そんな言葉は紫に通じていない。
やっとのことで搾り出す声は震えていた。
「あなた……もしかして………。私の…先祖を殺したのは、あなたなの?」
そう、考えてみれば、その方向を思いつかなかったのがおかしかったのだ。
美鈴は紫よりもはるか昔から生きており、自身の先祖に会っている確率だって計算できたのだ。
何故先祖が彼女に戦いを仕掛けたか……今なら分かる。彼らは彼らなりに美鈴の持つ矛盾を解決しようとしたのだ。
そして返り討ちにあった。紫が使っている技の半分以上は先祖から受け継いだものである。
大抵の場合、二代以上に渡って紫一族と戦った猛者はいない。だから紫の使う技が先祖の者だとはわかるわけもない。
が、目の前の女は違う。もし予測が正解ならば、こいつは先代、先々代の技を全て見尽くしている。
だから独自の対策が既にある。初見ではないのだ、紫の技は。だからあんなに落ち着いていられる。
ならば……既に前提が覆される。ただのスキマ攻撃で勝てる相手ではない。
「あ~ようやく気付きましたか」
肯定だ、と美鈴は認める。いよいよもって認めざるをえない。彼女が殺したのだ。彼女があの記憶の人物なのだ。
「私が生まれた時、唯一持っていた記憶が、あなたに倒された2人の先祖の姿だったのよ」
「……なるほど」
合点がいったのか、美鈴は頷いてみせる。少し間が空く。紫はその内に普段どおりの彼女に戻ろうと努める。
暫くしてようやく冷静になった彼女は話を続ける。
「聞かせてもらいたいわね。昔のこと」
「簡単な話です」
美鈴は語る。一人目、詰まり先々代とは、美鈴が放浪しだして700年という歳月がたった時に出会ったのだという。
美鈴も既にかなりの大御所になりかけていたが、先々代は更に長く生きており、長老とまで呼ばれるまでに至っていた。
大陸の一つの村で2人は出会い、そして戦争。村が消し飛んだレベルの戦争だったという。
結局勝ったのは美鈴だった。そしてその時に先々代は命を落とす。それと同時に先代が生まれることになる。
先代もどうやら紫と同じように強烈な記憶を受けついで生きてきたらしい。
先々代が死んでわずか200年近く経った日に2人は大陸の一角で出会う。先々代より強かった先代だが、経験の差により敗北。
ただ違うのは、先代はそこで死ななかったこと。美鈴は何故か彼女を逃がした。
先々代を殺したことへの罪償いか、それとも若かったからか…そこは不明だ。美鈴は気まぐれ、といっている。
美鈴の話はここまでだが、当然続きがある。とにかく先代はそのまま逃げ、大陸の東に何時する島国に渡った。
が、思った以上に傷が深かったようで最終的にはその負傷が元で、死亡したらしい。そして同時に紫が生まれた。
結局は先代も美鈴が殺したことになる。恐るべき因縁といえよう。
「ふうん……」
もううろたえる事は無かった。紫は静かに美鈴の話をきくと、軽い音をたてて扇子を閉じる。
スキマが開き、先ほど失われた手を包み込む。暫くすると、まるで腕が生えたかのように新たな腕がくっついていた。
「じゃあ聞くけど、何故それを教えなかったの? この私に」
「聞かなかったでしょう?」
「……そうね、その通りだわ。けどむかつくわね」
さらりと答える美鈴に半ば呆れながらも、頷く紫。
「気付いたのは何処から?」
「あなたがスキマを開いた時点で。数多い能力といえど、そこまで特異な能力を持つ者は他にはいませんし」
「はじめから…ということね…」
結局のところ、全ては美鈴の掌の上だったということか?
一人一種族の弱点は、自分が生み出した技術と先祖から受け継いだ技術の境界を見分けづらいという点にある。
今ここまで出し抜かれているのは、単純に紫の戦い方が先祖のそれの延長線上にあるに過ぎない。
つまり、美鈴を倒すには、自分だけが見つけた、自分で作り出した技術・戦法を使うしかない。
「……あ~、そうなるといくらなんでもハンデが強すぎますね。先祖と戦っていたのは、さすがに予測できませんしね。
うん、そうだ、御詫びに一つお教えしましょう」
かなり厳しい状況の中、美鈴は明るい声で言い出す。この状況では不気味な挙動だ。
「いい加減知りたいんじゃないですか? 何故私があの時、攻撃してくるスキマを特定できたのか」
これも何かの策か? 紫は身構える。が、美鈴はそんな気はない、と手を振って見せた。
「言ったでしょう? ハンデ解消です。このままやってもいいですけど、色々と嫌でしょう? 先祖と比べられることになるのは。
イカサマとまでは言いませんが、隠してたのは私ですし…第一知りたいのでしょう?」
「…………」
確かにそう。紫は知りたい。美鈴がどうやって予知しているのか。だから話すことを許可する。
聞いてみれば簡単な話だが……実践するのははっきり言って無茶にも等しいものだった。
彼女が言うには…『気』の応用なのだという。美鈴いわく世界には『気流』という気の流れがあるのだという。
『生気』も、彼女が扱う『気』も、この世界にある殆どの『気』がこの『気流』を元に形成されているのだという。
単に地球という惑星に限らず、どの星でも、宇宙の何処へでもあるのだとか。要は世界を形成しているのもこれなのだという。
美鈴はこの『気流』の流れを読み取って何処から攻撃が来るのかを予測していたのだ。
つまりこの場合、美鈴いわくスキマという別空間を開く行為は流れる『気流』に乱れを生じる。
何もない空間にスキマを作り出すのだ。一見関係ないようで、実はかなり影響を与えているのだという。
だからスキマを使った特殊カウンターの場合、開く瞬間のその乱れを読み取って紙一重ではあるが、避けているのだ。
といっても、スキマ結界の場合、たくさんのスキマが開いているため予測するのは更に困難を極める。
常時開いている状態では感じ取れず、彼女は今まで的確な攻撃ができなかったからだ。
そこで紫が自らの手元にあるスキマと攻撃に使うスキマを結んだ時に生じる誤差を利用した。誤差とはいわゆる体積の増加に近い。
維持しているスキマに紫の手、という新たな物質が加わることにより極僅かの乱れを生む。
ギリギリ生まれるその誤差を感じ取って攻撃したのだ。その誤差は主に紫がスキマ同士を結ぶ直前と直後に生まれる。
直前は誤差が生まれた時、直後は空間がその誤差を帳消しにする、ということである。
タイミングは厳しいが、その一瞬を見極めたのは、経験があったからとしかいいようが無い。
「……困ったわね、流石にそこまで考えて無かったわ」
紫は自分に対してか、美鈴に対してかどちらかは不明だが、呆れたようにため息をつく。
彼女がそう思うのは当たり前だ。『気流』? 乱れ? 誤差? そんなもの彼女に分かるはずが無い。
紫の思い通りに行かないこの戦い、大きく左右していたのは紛れも無く美鈴の能力、『気を操る能力』に他ならなかった。
大体『気』といえど、そこまで予想できるはずが無い。幅が広すぎる気がしないでもない。
「単純な能力ほど奥深い。それに今回の場合はあなたのご先祖様との戦闘経験からも活用させてもらいました」
してやったり、という顔で美鈴。そう、そもそもそこに気付くのに時間がかかる。
それを短時間でこなしたのはやはり、自身の経験があったからだ。
「よく言うでしょう? 達人に技を一度でも見せれば、次からは通用しないって。
それと同じですよ。一度見せられた能力は、大体対処できます」
対処外となるのは、いわゆるマスタースパークとか、そういった規格外の攻撃のみ。
「さて…種明かしも済んだことですし、どうします? このまま先祖の弔いも込めて戦い続けるか、それとも去るか。二つに一つですよ」
右手の指を折り曲げ、二つに一つ、と再び言う美鈴。紫にとってそれは厳しい選択のはずだ、と踏んだからだ。
能力の意外すぎる弱点を突かれた今、能力中心で戦うのは好ましくない。スキマ弾幕はあまり意味が無いだろう。
特殊カウンターも、この美鈴だ。何かしらの対策を練っているはずである。分は悪い。
だが予想に反し、紫は不敵な笑みを浮かべて言う。
「何を言ってるのかしら? 私は退かないわよ。あなたのその矛盾、全部解き明かすわ。
弔い? 弱点? 関係ないわね。そんなもの、きっちり境界線を引いてやる」
「…………」
まるで先祖も何もかも関係ないかのような発言に美鈴は思わず絶句する。
「先祖の仇? 馬鹿言わないでちょうだい。血縁者だからといってそんなことをする義務は無い。
彼らは弱いから負けたのよ。弱肉強食、その摂理に従っただけに過ぎないわ」
それはつまり、先祖のことなど関係なく、ただ自分の欲望のままに美鈴を倒す、ということなのだろう。
「冷たいんですね、自分の一族に」
「だって会ったことも無いのよ? あるのはただ受け継がれた知識と能力、そしてあなたの記憶だけ。これだけで、どう願えばいいと?」
「…………」
「あ、でも……そこに関しては礼を言うべきなのかしら?」
ククク、と悪戯な笑みを浮かべる紫。その笑顔は心底嬉しそうで、楽しそうだ。
「今理解したわ。最初あなたに関する記憶は、私に対して『こいつとは関わるな』って言う警告だと思ったんだけど……。
実はその逆なのね。先祖は自分が出来なかったことを私に託した…と。
あれ? これって厄介ごとを押し付けられた、ということにもなるのかしら?」
などと勝手に一人で自問自答し始める紫。
「ふふふ、だから先祖のことを気にする事は無いわ。それよりも何かしら? 私に復讐心を持って戦いに来てほしかったの?」
「そのほうが策は練りやすいですがね。復讐心は心を鈍らせますから」
「なら残念、甘かったわね。生憎そういうのは持ち合わせてないのよ、元々ね」
もう何時もの彼女だった。今まで自分を悩ませていた記憶が解消されて、逆にスカッとした気分だった。
そんな彼女に美鈴は続けて問う。
「そういえば、あなた先ほど十王といいましたが……」
「元はといえば、あなたに興味がわいたのは、その点よ」
「確かに私は十王に会いましたよ。ということは、あなたも?」
「ええ」
半ば忘れていたが、元々美鈴に興味がわいたのはその点だけだった。別に大妖怪だから、だとかそれは後のこと。
「でも私はボコボコにされましたよ? それこそ恥ずかしいくらいに」
「私だってそうよ。世界の絶対者である閻魔の頂上に位置する十王に勝とうなぞ、それこそ神様の中でも数少ないでしょうね」
「少なくとも私たちただの妖怪ではかなう相手ではないですよ」
お互いあまりいい記憶が無いらしく、苦笑いを浮かべる。
「とはいえ、十王には感謝してるわ。おかげさまであなたという、おかしな存在に出会ったんですもの」
「おかしな、とはまた…」
「だってそうでしょう? その心、その存在に多く抱えた矛盾、その数は個人が持つ物としては異常なほど多い」
「そこは先祖と同じことを言うんですね」
紫の意外そうな表情に、美鈴は頷く。先々代も彼女の矛盾に気づき、挑み、そして死んだ。先代も同様に。
「あまり期待はしないですが、できますか? あなたに」
「やってやろうじゃない」
紫はうすうすながら感づいた。美鈴は、半ば諦めているが、矛盾の奥底にある自分の真実について知りたい、ということに。
でもそれができない。それをすることが不可能なほど矛盾を多く抱えてしまっているから。
ならば心のどこかではそれをどうにかしてくれる誰かを探していたのかもしれない。
無論、そんなことを簡単には認めず、結果、今のように戦う形になっているのだが。
(不器用ねぇ…でも、それだからこそ楽しいのよ)
紫は喜ぶ。天の恵みだと思う。今、まさに彼女の真価が問われようとしている。境界の妖怪としての真価が。
そしてもしかしたら美鈴の矛盾を解ききったとき、見える新たな道があるのかもしれない。
「じゃあ、いきますよ? 退かないというのであれば、それこそ、本当に死ぬかもしれませんが」
「別に良いわよ。ここで逃げたら、関係ないと公言したとはいえ先祖に顔向けできないし、第一私のプライドが許さないわ」
「プライド…ですか」
「どうしたの?」
「いえ」
美鈴はかぶりを振ると、構える。戟は手元にない。後は徒手空拳だけの勝負だ。紫も鉄扇をしまう。
それは単に徒手空拳同士で戦いたいからか、それとも武器を持つことを卑怯だと考えたからかは伺えない。
再生した腕の感覚は戻った。痛みはまだ残っているが、問題ない。
相手は遠距離戦ならいざ知らず、肉弾戦においては間違いなく最強の部類。なら、紫は勝てないか? 否!
紫の一族は代を重ねるごとに強くなる。つまり現時点で紫が一族最強になる。
頭のよさも、肉弾戦の強さも彼女が最も高い。能力の使い方も上手い。だから、勝てないとは言い切れない。
肉弾戦は悔しいが劣る部分がある。スキマを使用してようやく五分五分になる程度。純粋に戦えば苦戦は必須。
なら対策は? ある。一点を除いてある。遠距離弾幕戦だ。これの双方の技術の差は歴然。紫が勝ってる。
何故かは分からないが美鈴は弾幕戦といった戦闘が苦手のようだ。だがそれが好都合。そこを突けば、勝てる。
肉弾戦と弾幕戦の相似並行利用。今までやったことのない分野だがやるしかない。
幸い美鈴は弾幕とまではいかない遠距離戦術はどちらかというと防御専用で使っている節がある。
2つを上手く使えば……肉弾戦でも勝機がある。美鈴は傷ついた体とは思えないほど俊敏な動きで攻撃を繰り出す。
紫も迷わず的確な攻撃で翻弄する。だがスキマを多用できない。スキマで移動しようとすればそれを察知した美鈴が追撃してくる。
スキマを使った特殊カウンターも2人の距離がある程度無ければ功を奏さない。故にダメージ半減、意味が無し。
そうなるとほぼゼロ距離からの真っ向勝負、打ち合い、これが美鈴のスキマ対策。
戟のようなある程度距離が必要な武器では駄目だ。カウンターがくる。だから取りに行かず、あえて徒手空拳で挑む。
紫も、この場合は武器に頼れない。相手は武術の達人だ。武器を使ったところで、枷にしかならない。
弾幕はゼロ距離でも効果がある。弾幕でかく乱し、隙を見せたらそこを突く。
物静かな館の玄関先で行われる殺し合い。誰が見ても異様としか思えない光景。
間違いなく美人に分類される女性2人が血だらけになって殺し合いなど想像出来ようも無い。
片方が殴れば、片方の顔面から鮮血が流れ、地面をぬらし、同じことを仕返す。
もしここがボクシングで言うリングならば、さながら2人はリング中央で打ち合いをしているボクサー。
ただし、グローブ無しのデスマッチ。いやはや、おかしなものである。
やはり妖怪と人間は根本的に違うのだろう、主に体力とか、耐久力とか。気付けば太陽は既に西の空に沈もうとしていた。
ちなみに2人はまだ打ち合いをしている。互いの服はボロボロだし、身体もそうだ。血を流していない部位はない。
顔面を含め、全身に痣と傷が出来ている。自前の修復能力で治療しても、こう短時間で傷が増えるのだから意味が無いようだ。
ただ、やはりお互いそろそろ体力的につらくなってきたようだ。肩で大きく息をしている。チアノーゼの症状もでてきている。
拳も威力が大分衰えてきている。とはいえ、殴れば鮮血が飛ぶくらいの威力はあるのだが……。
正に泥仕合。時間無制限だから、何時終わるのかも分からないときた。
「ハアッ…ハアッ…ハアッ…強情…ですね」
「ハアッ…ハアッ……あなた…こそ……」
お互いの言葉に力は無い。無理も無い。お互いここまで長時間戦ったことは今まで一度も無かった。
それほどお互いの力が切迫しているのだ。とはいえここまでの状況に持っていけたのはやはりあのスキマ結界の効果が大きい。
あのときに美鈴の体力とかを大分殺いだのが、効果的だった。あれが無ければ紫が倒れていただろう。
「はじめて…ですよ……。ここまで……時間がかかる相手は」
「当たり…前…でしょう……プライドが…許さないのよ、私のね」
息も絶え絶えのこの状況、だというのにお互いの表情には笑みがある。
楽しいのだ、ここまで長く戦えることが楽しいのだ。まるで当初の目的を忘れさせるくらい、2人の気持ちを高ぶらせている。
体が傷つくのに楽しい、という表現は不適切かもしれないが、傷つくのは2人にとっては関係ない。
無理も無い。だって2人は強すぎたのだ。紫は当然のこと、美鈴は今までの努力によって他の妖怪を凌いでいた。
後日2人とも似たような力を持つ者に多数出会うことになるが、少なくともこの時お互い力は高く、周りを圧倒していた。
生まれた時代、弾幕戦も無く己の身体で勝負を決める時代、活躍した時は違えど、2人は強すぎたのである。
だからつまらなかった。簡単にひねり潰せるからだ。骨のある奴なんていやしない。
閻魔の十王たちは……除外だ。あれはそういうレベルじゃなく、恐怖の対象だから、別だ。
妖怪とか、そういう部類に関して言えば、間違いなく初めてお互いに楽しめる相手だった。
「プライド…ねえ」
打ち合いがやみ、お互いにらみ合う中、美鈴がつぶやく。肩で息はしているがまともに話が出来る程度には回復したらしい。
「そんなにプライドって、大切ですか?」
「普通はね。私は大妖怪してのプライド、強者としてのプライド、色々なものを背負ってると思うけど?」
口元の血を拭い、疑問を投げかける美鈴に対し、紫は答える。
「あなたには無いの? プライドは?」
まるでプライドなど無い、そんな態度を取る美鈴に紫は問う。そんな彼女の問いに、美鈴は軽くこたえて見せた。
「そうですね、そういったプライドは捨てましたよ。今あるとすれば、せいぜい門番としてのプライド…ですかね」
あっさりと答えて見せたが、紫は愕然とする。妖怪のみならず、人間だって多少のプライドが存在する。
特に大妖怪ともあれば、ある種他者に対し威厳と恐怖を見せ付ける、という観点からも様々なプライドを持つものだ。
が、目の前にいる妖怪は、それら全てを捨てたという。あるのは今与えられている役職のプライドのみ。
だが、そのプライドはあくまでも役職でしかない。小さく、弱いものでしかない。
どう考えても大妖怪が持つようなプライドではない。
「あなた…それでいいの? それじゃあただの道具と変わらないじゃない。
門番をする、ただそのためだけに生きるただの妖怪、道具よ…それは」
紫は静かに問う。直感だが思った。もしかしたら……この部分に矛盾を解く更なる鍵があるのでは、と。
「構いませんね。つまらないプライドなんて持つから支障が出るんですよ。抗争も生まれる。
生き抜くために障害がでる。知ってます? 戦争ってのはその国の面子というプライドがあるから起こるんですよ。
バカバカしい。その戦争で失われるのは結局、市民です。妖怪として見ても、策士の側から見ても、バカバカしいことこの上ない」
「……それはあくまで人間の話でしょう?」
「妖怪だって同じです。互いのプライドがあるから戦いが生まれる。国を滅ぼすほどの策略が必要となる。
私の知恵も、よくそのために使いましたよ。知恵のある妖怪をつぶすために。
で、人間も、妖怪も、最後には命乞いをするか、もしくはプライド、面子を守るために殺せってね。
大抵の場合がそれで説明がつく。別にプライドを持つのが悪い、というのではありません。
プライドを持って死ぬのならそれはそれでいいのでしょうね。ですが、私のような策士、門番から見れば、邪魔なことこの上ない。
物事をフェアで考え、判断するのに邪魔な要素なんですよ」
「…………」
策士として妖怪でいながら人間界でも生きてきた彼女は、醜いプライドを度々見させられてきた。
自分はそんなことをしたくないと感じた。また、プライドは判断力を鈍らせることも知った。だから肝に銘じたのだ。
「つまらないプライドなど、それこそドブにでも、何処にでも捨ててしまえばいい。役割を果たすためならそんなもの捨ててしまえばいい。
私は別に妖怪だから、他者を見下すとか、別にそういうものは持ち合わせません。
もし人間がナイフを私の頭に突き刺そうが、殺そうとは思いませんよ、文句は言ってもね。
だから周りが私を道具扱いしても構わない。いや…まあ、せめて名前で呼んでほしい、最低限のことは求めたいですが。
今の私はただの門番です。それ以上でも、それ以下でもない。ただ役割だけを果たします。
過去の経歴は関係ない。脅かすものはすべて排除する。それだけが…私の役目です」
美鈴はきっぱりと答える。紫と違い、自分は自身の存在価値などカケラもない、と強調してみせる。
今まで培ってきた経歴、本来持つべきプライドを捨てよ、持つのは唯一つ、門番という役職のプライドのみ。
守るのであればそのプライドだけだ。後は人間に罵倒されようが、格下に罵倒されようが、関係ない。
雇い主に首と言われれば、素直に従おう。自分にそれだけの素質が無かっただけのこと。
反抗するのは雇い主ではなく、同僚や上司によって門番という役職を取り上げられそうになったときだけでいい。
その時は容赦なく叩き潰す。例えどんなに親密な仲だろうと、関係ない。そのルールだけを守る、それだけのためのプライド。
「……でも、そう思ったということは、かつてはプライドを持っていた、ということよね?」
「ええ。『武人』としての精神とか、色々持ち合わせていましたが、捨てましたよ」
両者黙る。紫はなんとなくだが気付き始めた。美鈴が生んでいる、彼女自身の矛盾について。
人間のみならず、妖怪にも欲求というものがある。人間で言う社会的欲求とか、そういうものだ。
そういうものがあってこそ、初めて人格者として成り立てる。が、目の前の女はその内の一つが徹底的に抜けている。
すなわち『安全的欲求』。自己の安全など省みないのだ。立場、身体的な面、精神的な面、全てを投げ出し、流れに乗っている。
簡単に言ってしまえば、死にたがりの面がある。他者を重んじて自身を重んじない面がある。その時点で既に間違っている。
自分を重んじなければ他者だって大事に出来ない。これはある種絶対だ。既に根本の部分で矛盾が生まれている。
そしてそれを美鈴は気付いていない。いや、気付いたとしても治せない。だって生き方を変えるというのは大変難しいのだから。
「じゃあ聞くけど…今はどうなの? 私と戦っているのはその門番という義務のため?」
「そうですね…最初はそうでした。ですが…今は違います。楽しいです、純粋に。久々ですよ、この気持ちは」
それだけを聞いて紫は十分だった。今戦っているのも義務だったら、落胆したほどだ、美鈴はただ長く生きていた妖怪に過ぎないと。
そして自分はそれだけの価値が無い存在だと。認められているのだ、破綻者である彼女にも。
「もしかしたら期待しているのかもしれませんね。見たのでしょう? 私の矛盾の多さを。解けますか? あなたに」
「解いてあげようじゃない。そうしてもらいたいんでしょう? あなたも」
「まあ、自身の真実も知らずに死ぬのは嫌ですからね」
「ふふふ……いい友達になれそうね、私たち」
構えは崩さず、両者微笑む。全く他者とかみ合わない歪なピースがぴったり合わさったような感覚だ。
「ですね…とはいえ、今はまだ役目を果たさなければなりません」
「お友達になるのはこれが終わってからかしら?」
美鈴は頷くと身構える。紫も同じだ。お互い考えていることは一緒のようだ。つまり、次で最後。
このままでは埒が明かない。夜になれば館の者たちがおきて、未だにつかない決着に疑問を抱き見に来る。邪魔をされる。
それだけは阻止しなくてはならない。お互いがお互いに認め合ったのだ。他者の介入は許さない。
美鈴の体をまとっている気が集約され、一匹の竜…『気龍』を形成する。彼女が本気を出す時のみ使う技。
何千年も生きてきた彼女が出来る最大の技。本来本気を出すためには雇い主の許可が必要だが、今は緊急の時だ。文句は言わせない。
『気龍』は美鈴の体中に纏わりつく。その濃さから相当な威力が放たれるのは明白だった。
ジリッ……砂利を踏みつける。足元を確認する。力を溜める、相手を倒すための力を。
先に動いたのは、やはり美鈴。ほぼゼロ距離だから目に見える速さではない。だが紫の反応も早かった。
弾幕を展開したのだ。しかも、通常のではなく目の前で爆発する閃光弾の類のもの。
目をくらませた隙に後方に下がる。最後の攻撃のためには距離がいるからだ。しかし美鈴の反応も早い。
読んでいたのだろう。気配を頼りに方向転換し、更に距離をつめる。だが……。
「がっ!?」
紫のほうが上手だった。腹を貫く衝撃によって美鈴は停止する。頭を突き抜ける痛みが駆け上る。
目が慣れてきたところで美鈴は自分を貫いたものが何なのか……分かった。
「どう? 自分の武器に刺されるというのは」
十分な距離をとり終え余裕の表情を見せる紫。……そう、美鈴の腹を貫いていたのは、先ほどどこかに飛んでいった戟だった。
しかもその戟は、なんとスキマの中から出現したのである。紫は先ほどの会話の間に戟を見つけ、スキマの中に引き込んだのだ。
そして美鈴が突進してきたところを見計らって、彼女の目の前にスキマを開放。
この状況であの特殊カウンターの進化版をやってきたのだから、いくら気で読める美鈴でも反応しきれず、貫かれたのだ。
「ぐっ……」
「そして準備は整った! さあ、喰らいなさい紅美鈴。八雲紫、生涯にして最高の結界術を!!」
紫が高らかに叫ぶと、両手を挙げる。瞬間、美鈴の視界は捻じ曲がった。
「……ここは……」
戟を腹から抜いた美鈴は己の状況を確かめる。今まで紅い夕焼け空だった空間は無く、暗闇に包まれている。
どうやら自分は結界の中に取り込まれたらしい。距離は、直径20メートルの半円。おそらく自分を中心に形成されている。
動けばその分結界も動く。脱出口は無い。
『どうかしら? 私の結界は?』
結界の外から紫の声が聞こえる。こちらから視認はできない。外からのみ見えるようだ。
「あまり気持ちのいいものではありませんね」
『そう? なら、これから楽しくなるわよ。生き残れるかしらね?』
瞬間、全方位から弾幕が展開。襲ってきた。美鈴は戟を片手に、まだ修復しきっていない腹を押さえながら避け始める。
今までのスキマ弾幕と違い、発射される場所は分からない。何処からでも、好きな量が発射される。予測が出来ない。
スキマ弾幕は紫を直接突ける弱点があったが、この結界はそれがない。だから美鈴は『見』に回る。
必ず隙がある。弱点の無い攻撃などありはしないのだから。
そして、気付いた。この弾幕は……自身の動きに反応する。ためしに動きを止めてみる。
直前に放たれた弾幕は気でダメージを減らし、直立不動の体勢を維持する。するとどうだろうか、ピタリと止んだ。
『気付いた? 第一の結界は『動』。対象の動きを察知して発動する弾幕結界』
紫の声は楽しそうだ。そして第一というからにはまだある、ということになる。
『じゃあ、第二の結界よ』
パチン、と紫が指を鳴らすと、また新たな弾幕が展開される。美鈴は考える。この弾幕、全ての結界が相互に反応して作用する物だと。
つまりここで動けば、第一の結界も発動する。呼吸など小さな動きは反応しきれないようだから、最小限の動きで対処せねばならない。
気でダメージを半減しているとはいえ、チリも積もれば山となる、と同じように、蓄積していくとつらい。
2分くらいたった後、弾幕が頭に直撃し血が流れた中で、美鈴は気付く。今度は大きく息を吸い、呼吸を止める。
第一の結界と同じように弾幕は停止した。
『お見事。第二の結界は『呼吸』よ。さすがねぇ』
妖怪ゆえか、呼吸を止めてもかなりの時間動ける。ただし今は息は上がっているため、数分、数十分程度しか止めておけない。
すかさず紫は動く。今度は、第三、第四の結界を同時に発動する。
「ッ……!?」
美鈴は驚く。今までとは比べ物にならないほどの弾幕が襲ってきたからだ。とても気で対処しきれる量ではない。
『気龍』も長くは保てないのだ。避けるしかない。だが、動けば第一の結界が発動する。
考えた後、判断する。美鈴は動いた。追う様に第一の結界が発動し、更に弾幕が激しくなる。
第三の結界の要点は分かった。今度は『温度』だ。一定の温度を持った物質を破壊する。
今美鈴は激しい動きと、傷が開いた衝撃により体温が上昇している。それを感知している。流石にそれはごまかしきれない。
そして薄々ながら第四の結界にも気付いた。これには法則性が無い。ただ破壊するためだけに作動している。
つまり現時点でどう頑張ろうが、第三、第四の結界は止められない。
(なるほど……どう対処しようが、第4の結界で詰み…ですか)
八雲紫弾幕結界。後に彼女のスペルカードに大いに関係する結界弾幕。プロトタイプといえよう。
何故ならこの結界はスペルカードルールに大きく反するから。一つは殺害しかねないこと。
もう一つは突破口がないこと。何せ紫は結界の外にいるのだ。攻撃しようがない。平等な技ではない。
美鈴は襲い掛かる大量の弾幕をギリギリ避けながら、何とか脱出口を掴もうと、躍起になった。
「ふふふ……第4の結界の正体までつかんだの。さすがね…」
結界の外にいる紫は中で必死に避けている美鈴を見てほくそ笑む。
「でもね、それで終わりじゃないのよ。だって、結界師なら、第4の結界を解けるのだから。まあ、あなたは出来ないでしょうけど。
万能な技じゃない。時間は与えられない、だから詰みではないの。それだけでは詰みにはならないのよ」
無論そんな声は中にいる美鈴には聞こえているはずも無い。紫はゆっくり右手を天に上げる。
「本当のチェックメイトはこれから。第5の結界……こればかりはいくらあなたでも、結界師でも、防げないわ」
そして、挙げた右手を、一気に振り下ろした。第5の結界…『生物全破壊』が発動する。
生きる者全てを対象とした結界。第4の結界のような闇雲な弾幕ではなく、目標を完全に、正確に狙う弾幕を展開する。
威力は今までの比ではない。本来これは確実に殺す時のために使う結界。
が、今回は殺さない。虫の息でもいい、つれて帰らなければならない。もって5分程度だろう、と紫は踏んだ。
異変に美鈴は気付いた。今までの小玉の弾幕ではなく、大玉の弾幕が突如現れたのだ。
しかも弾幕の持つ気の密度が違う。明らかに殺害しようとしているのが見え見えだった。
(ッ! 第4じゃなく、第5の結界……それが本当の詰みですか!)
大玉のため避けきれない。今までのようなかすり傷ではなく、あたった部分が抉り取られる攻撃。
今までとは全く違う、最も危険で、恐ろしい弾幕。
(これだけの威力の結界を5つも維持していれば、当然紫さんの体力だって尽きるはず)
体力が尽きれば結界も消えるか? いや、そんな単純なものじゃないはずだ。紫は死に物狂いで結界を維持するだろう。
外にいる紫のことに頭が言ってしまい、足元をおろそかにしてしまった。
石により少し出っ張っている部分で右足をひねってしまい、体勢が崩れる。そこに大量の大玉小玉の弾幕が押し寄せる。
「しまっ!?」
言い終わるよりも早く、弾幕が彼女の身体に直撃する。衝撃で大量の粉塵と砂利が飛び散る。
「うっ……ぐぅ…」
土煙が晴れ、現れた美鈴の肉体は大変なことになっていた。右太もも肉が消し飛んでいたのだ。骨まで見える。
粉を描くように抉れている足からは大量の血が噴出すように流れる。これでは満足な脚力は得られない。
つまり、足を奪われた。何とか立ち上がるが、それでも戟を使って何とかの状況。
そんな彼女に弾幕は容赦なく襲い掛かる。『気龍』を美鈴を守るように身体に巻きつけ、凌ぐ。
高密度で形成されている『気龍』は流石に抜けないのか、ギリギリだが、防御可能だった。が、それも時間の問題だろう。
そんな中、美鈴は自身でも驚くくらいに冷静だった。
(おそらくこの結界…少なくとも第5結界は第1から第4までがあって初めて形成できる結界。
そして本来最初に出すべきだった第4結界を出してきたということは、第4が第1から3の結界を維持する役割を。
第2と第3が一緒、ということはほぼ同系統の結界式か……)
美鈴は僅かながら、この結界地獄の脱出方法が見え始めていた。
結界とは方程式の塊である。式を形成するのと同じように難解な方程式を作り出して結界を形成するのだ。
もちろんこの結界群もそう。一つ一つが綿密な式と計算の元、作り出されている。
が、当然そうなれば結界一つ作り出すのも難しい。それをこの短時間で可能にしているのはさすが紫の頭脳、といったところか。
方程式というのには一定のルールがある。答えを導き足すための式と、その答え、当たり前のことだがこの2つ。
美鈴がつくのはその境目だ。つまり、答えを表すための『=』を変えるのである。
方程式というのはこれがなかなか面白くて、少しでも内容を変えてしまえば式が成り立たなくなるほど脆いのだ。
美鈴がやろうとしているのはそれである。ただし、方程式の過程は変えられない。余りにも難しすぎる。
帰るのは最後の『=』の部分。これを『≠』か、『≒』に変えることが出来れば、方程式は成り立たなくなり結界は破壊できる。
また、この結界、一つ一つが独立しているように見えて、実は密接につながっている。
第5結界は他の結界を破壊すれば維持できなくなり、同じように破壊されるし、第4結界もそう。
つまり、この5つの内で最低でも3つを破壊すれば、この状況から脱出できるのである。
が、もちろんそんなことは不可能に近い。この広大な結界の中の『=』とはビー玉程度の大きさにしかならない。
更にそれは常時結界内を動いている。しかもとてつもない速さで。それを見つけ、3つの『=』が重なったところを破壊する?
無茶だ。だがそれしかない。もっと簡単な方法はあるが、それは例えば霊夢のように結界が扱える者しか出来ない。
(覚悟……決めますか)
美鈴は心の中で決心する。弾幕で大分衰えてしまった『気龍』を何とか奮い立たせ、全神経を結界に張り巡らせる。
結界の壊し方はかつて紫の先祖と戦った時にコツを掴んだ。が、あのときよりも更にこの結界は綿密に作られている。
こういう類の結界は外部と連絡を絶っている代わりに、どこかで必ず情報を提供している部分がある。
つまり穴のようなものだ。彼女の気はその穴を感覚で察知できる。そしてその穴こそ『=』なのだ。
それは意外と早く見つかった。が、余りにも早く動いたため、すぐに見失ってしまう。
美鈴の頬に脂汗が流れる。おそらく勝負は一瞬、これを外せば負け、どうなるかは……想像したくない。
「でも、役目は果たさないといけませんからね」
自分に言い聞かせ、戟を先ほどスキマに投擲したのと同じように、体勢を取る。何度か穴を発見しただけだが、規則性はわかった。
第1から第3結界の穴は、確かに重なる時がある。そこをドンピシャで狙わねばならない。が、その時間は一秒よりもはるかに短い。
しかも穴はこの上空20メートルの位置を飛び交っている。確率は更に低い。だが美鈴はやり遂げねばならない。
「…………」
何故か弾幕がピタリと止んだ。美鈴は理解できなかったが、紫が感じ取ったのだ。彼女が何かをやってくる、ということに。
最後の悪あがきだが……見届けよう、と紫は思ったのだ。美鈴は心の中でほくそ笑む。紫の甘さと、邪魔なく出来る…ということに。
『=』を変える要素は、彼女の気を方程式に叩き込めばいい。体に巻きついていた『気龍』が戟にスルスルと巻きつく。
抉られた足に激痛が走るが……我慢する。その程度の痛みは黙殺する。
「ッ! うぉりゃああああああああああ!!」
時が来た。目標は彼女の上空、斜め45度! 軸になる左足に力を要れ全身を捻り『気龍』が纏わりつく戟を投擲する。
同時に止めの弾幕が襲い掛かる。彼女を守るものはもう何も無い。避ける気もないらしく、弾幕を一身に受け止める。
だがその笑顔は……ニヤリ…と笑っていた。
飛翔する戟は一直線に目標へ向かっていく。『気龍』が巻きつく戟は正に天に昇る龍の如し。空を切る音はまるで龍の咆哮の如し。
そして、奇跡は起きた。正にドンピシャのタイミングで戟が穴にぶつかる。
戟に纏っている『気龍』という気の塊が正確な方程式に食い込み、イレギュラーな存在になる。
イレギュラーな存在を抱えた結界の方程式は保てなくなり、破壊される。ガラスの割れるような音を立てて、結界は崩壊した。
龍は結界という小さな籠から飛び出し、天へと昇ったのである。
結界は解除された。投擲された戟は壊れた。柄の部分が粉みじんに砕け散り、刃の部分もひび割れ、力なく地面にささる。
龍も消えていた。が、結果は残っていた。
「…………」
絶句である。決して破られることの無い、と自負していた結界が…破られた。疲労感がどっと紫を襲い掛かる。
結界の意地、破壊された反動がもろに彼女に降りかかったのだ。だがそんなことも忘れ、紫はただ一点を見つめる。
「………………」
美鈴は立っていた。但し良く立っていられるものだ、としか思えない。最早悲惨な状況としか思えなかった。
太ももが抉れた右足もさることながら、まず目に付くのは右腕が肩の部分から消し飛んでいた。
また、左わき腹の部分もソフトボール位の大きさの穴が開いていた。頭も切れているのか血がとめどなく流れている。
その血は同じ紅の色である髪の毛と混ざり、判別しづらいほどに。口も半開きで目は既に空ろだ。
その目は何処を見ているのか…空をじっと見つめている。仕留めるのには絶好の機会だというのに……紫は動けなかった。
分かってしまったのだ。
美鈴の心を覗いていた紫は結界が破壊された瞬間、見たのだ。数ある矛盾という扉の鍵穴が見事に重なり、最深部が一瞬見えたのだ。
それは『無』。つまり、何もない。何もないのが真実……ありえない光景だった。
紅美鈴という存在は、矛盾を全て解き、最終的に残ってしまうのは……何もない。何もない、ということは本来ありえない。
だが事実だ。そうなると矛盾を解き終わった時、何もない彼女はどうなる? 分からない。
紫は混乱していた。最悪の場合、矛盾を解き終わったと同時に美鈴は破滅する。
目の前にいるありえない現象に、流石の紫も完全に言葉を失っていた。追撃できない理由はもう一つある。
龍だ。
美鈴の背後に、龍が見えた。無論、戟に乗っていた『気龍』ではない。正真正銘の龍だ。
それは一瞬で消えたが、圧倒的な圧力を紫にぶつけていった。何故そんなものが見えたのか、分からない。
だが紫はそれに圧倒されたのだ。ここに来て彼女は、恐怖を感じた。
十王以来味わう恐怖。目の前にいるおかしなことばかり引き起こす存在の底知れなさに彼女は恐怖したのだ。
「…………」
紫に気づいたのか、美鈴は引きずるように歩いてくる。紫は動けない。足がすくんでいるからだ。
そして美鈴の射程距離に入った。美鈴が残った左腕を引く。殴られる、分かったが体が動かない。金縛りにあったかのようだ。
今この状態でベストパンチを貰ったら……負ける。動けない紫に美鈴のパンチが襲い掛かる。
ペチ
が、紫の頬に当たったのは、なんとも力のないパンチだった。痛みはおろか、触られた程度の感触しかない。
美鈴はそのまま倒れるように紫にもたれかかる。紫はようやく気付く。勝ったのだ…と。
「ふ…ふふふ……私の、勝ちね。紅美鈴」
すぐ傍に感じる美鈴の吐息を聞きながら紫は震えながら宣言する。
「ええ……ですが、私の勝ちでも……ありますよ」
だが意に反し、美鈴はそんなことをのたもうた。紫は気付く。
自身の肩にもたれかかっている美鈴の左手が、自身の胸に添えられていることに。そしてその手が帯びている多量の気に。
ヤバイ、と気付くが、遅かった。美鈴は一転に集中させた力を思い切り紫の胸にたたきつけたのだ。
発勁の一種、寸勁と呼ばれる技。小さな動作で最大限の力を発揮する技。しかも拳底。
ベストパンチと変わらぬ威力を持つそれは、紫を内側から破壊する。肺をはじめとする内臓が破壊される。
ゴフッ、と紫の口から血がもれた。攻撃は終わらず、その瞬間に残っていた気が全て叩き込まれる。
あまりの衝撃に紫のみならず、美鈴までもが吹き飛んだ。
「あっ…がはっ!?」
ゴロゴロと転がり、仰向けになった紫はまともに呼吸が出来なかった。内臓が破壊され、血が口から吐き出される。
だが、本当の異変はこれからだった。
「ッ!?」
体が動かないのだ。指一本に至るまで動かない。スキマも……開けない。普通の寸勁の威力じゃない!
目だけを動かし、美鈴を見る。動かない。気を失っているのが分かる。名実共に最後の攻撃だったのだ。
確認した直後、破裂するような痛みが体を襲う。体の中身が逆流し、外に飛び出そうとする痛み。
身体を押さえたくても、動かない。何の対策も出来ず、意識が飛びそうになるほどの痛みが断続的に襲い掛かる。
何時しか紫は痛みで泣いていた。地獄のような痛みが続くのだ。拷問を受けている気分だった。
終わらぬ痛み、恐怖が支配する痛み。なす術もない紫の意識は次第に暗闇に落ちていった。
温かい感覚だった。まるで春の陽気の中で昼寝をしている時のような気分である。ゆっくりと……瞼を開けた。
入ってきた光景は見たことの無い部屋の天井。身体は……動く。痛みはあるが、我慢できるレベルだ。
痛みが走るが、何とか起き上がる。見れば裸だった。それを隠すように包帯が全身に巻かれている。まるでミイラ女だ。
「起きましたか」
すぐ傍から声がかかる。そちらを向くと、すぐ傍に美鈴がいた。紫と同じように全身包帯まみれでベットに横たわっていた。
「ここは?」
「屋敷の中ですよ」
なるほど、だから西洋の装飾がいたるところに施されているのか。
「ちょっと待ちなさい。何で私生きてるのよ」
当然の疑問がよぎる。何せここは敵地だ。生かされている理由が分からない。
「あの後屋敷の者たちが来ましてね。ランド様があなたに興味をもたれたので」
「研究対象で生かされた…と?」
「お客様として迎えるそうです」
何を馬鹿な、と言いたかったが我慢する。彼の変人ぷりは聞いている。大方紫の能力に興味を持っただけに過ぎない。
美鈴は話す。あれから一週間たったらしい。紫は二日前まで危険な状態だったのだという。美鈴がおきたのはつい先ほどだとか。
ある程度の説明を受けた後、紫は質問する。
「最後のあれ……何?」
聞きたいのは最後の寸勁、明らかに普通のものとは違う。気の攻撃でもありえないほどの痛みを受けた。
「寸勁ですよ。ただし、普通のと違って気孔を狙ったものですが」
「気孔?」
「ツボみたいなものですよ。妖怪で言えば、たまりすぎた妖気を気孔を遣って発散します。
妖気を裏とするなら、陽の気は表です。妖怪の弱点、のようなものですね。
本来妖気を発散したり、取り込んだりする気孔に正反対のものを叩き込むんですから、当然拒絶反応が起こる。
しかもそれが体内で起こるんですから、とてつもない激痛が襲うでしょうね」
「……身体が動かなくなったのは?」
「同じですよ。陽という、異物を放り込まれた妖怪の体がまともに動くはずもない、それだけです」
「それを扱うあなたは?」
「私は『気を操る程度の能力』を持つ者ですよ? この程度は簡単に操れます。
あなたはスキマを使える以上、この世界があなたのフィールドでしょうけど、私だって同じですよ。
私にとってもこの世界はフィールドです。気がある限り、私は無尽蔵に力を得られる」
軽く宣言する美鈴に、はあ、と紫はため息をつく。要はしてやられたのだ。
「私の負け…ね」
「いえ、引き分けですよ」
紫の敗北宣言を美鈴は否定する。結界を破壊した時、美鈴には既に打つ手がなかった。肉体も激しく損壊していた。
だからこのとき既に紫は勝利していたのだ。最後の美鈴の寸勁は賭けだったのだ。美鈴は賭けに勝った。
結果、紫勝利、という図は変わり、両者戦闘不能、という結果で終幕したのだ。故に引き分け。両者初めての引き分けだ。
異物を入れられて生きていられたのはやはり紫の力が強かったから、らしい。
「そう……で、私をどうするの?」
「別にどうもしませんよ。あなたの意志に任せます。ここに滞在するも良し、去るも良し」
「またあなたに挑むかもよ?」
「それもどうぞ。その時はまた、お相手します」
やれやれ、これは敵わない…と紫は思った。彼女が再び美鈴に挑む可能性は実を言うとかなり低かったのである。
美鈴はそこを見越していたかのように笑顔で答えてきた。それが更に紫のやる気を削がせたのだ。
はあ…とため息をつく紫。だが嫌な気持ちはしなかった。清清しさもある。
「ま…いいわ。どうせだからここにお世話になるわ」
「後で伝えておきますよ」
暫く2人で笑いあう。不意に紫の目に棚の上に置かれている見るも無残に壊れた戟が写った。
笑いを止め、ジッと見つめる紫。美鈴もその視線で見ているものに気付いたのか、苦笑いする。
「別に気にしないでください。また鍛えなおせばいいですから」
が、紫が見ているのはそんなものではない。戟を見ながら、あのときのことを思い出していたのだ。
すなわち、垣間見えた美鈴の真相、無について。真面目な顔で紫は問う。
「ねえ、あなた。本当に矛盾を解いてほしい? 私に」
美鈴は一度キョトン、とした顔になるが、にこりと笑ってみせる。
「そうですね、お願いしたいです。私としましても、本当の自分とは何なのか、知りたいですし」
紫は言いづらそうに顔を背ける。いえなかった。矛盾を解き明かしたその後、美鈴を待つ地獄がどのようなものなのか。
美鈴もそこに気付いたのか、苦笑いする。
「ま、そうでしょうね……自分でもおかしいと思えるくらいの異常者ですから、きっと何もないんでしょう」
「……それが分かってて、頼むの?」
「可能性は無限です。私が壊れない可能性だってある。それに賭けてみたいですから。
ああ、駄目だったら私のこと、殺してもいいですよ。その権利を上げます」
「…………本当に自分の事を大切にしないのね」
「ま、その程度の存在ですよ? 私は」
自虐的だなぁ……これじゃあ何時か人間にも馬鹿にされるんじゃないか、と紫は素直に思った。
「はあ……ギブ&テイク」
「は?」
「ギブ&テイクよ。あなたは真実の自分を手に入れる。けど私は何を手に入れる?」
「満足感」
「は?」
思わず今度は紫が聞き返してしまった。
「満足感ですよ。あなたは今まで矛盾を解くことを生き甲斐としていた。で、私はたくさんの矛盾を持っている。
つまり、あなたは今まで得られなかった満足感を得ることができる」
きょとんとしていた紫だったが、突然大きな声で笑いだした。
(まさか、自分の事など全く話してないのに、ここまで見抜かれるとは! やっぱり見込んだだけのことはある!
面白い、楽しい、この女は……最高に私を楽しませてくれそうだ!)
美鈴はそんな彼女を怪訝な顔つきで見ている。今までここまで笑ったことはない。
つまらない人生だったが、これから楽しくなる。面白くなる。そう思うと笑いが止まらない。
数分後、何とか笑いを止めた紫はそれでも噴出しそうになりながら、手を差し伸べる。
「よろしく頼むわ美鈴。ギブ&テイク。お友達になりましょう」
「ここまで互いの利益のためになる友達も珍しいですがね」
「あら、いいじゃない? それもまた、友情の形だと思うけど?」
「ふふふ……そうですねぇ…。ま、よろしくお願いしますよ」
美鈴は右手が消失しているため、残った左腕で握手をする。2人の関係が始まった最初の瞬間だ。
面白いのは、美鈴の心境の変化である。美鈴は他者を信頼しない。多少、頼ることはあっても、心の底から信頼することはない。
それは策士という役目を持ち生き続けていたから。策士は他者に流されてはならず、物事を公平に判断しなければならない。
門番もそうだ。門番は内と外を公平に見なければならない。たとえ主であろうが、時には罰を与えることもしなければならない。
心から信頼する、という時は場合によっては判断を鈍らせる。それでは役割を果たせない。
だから彼女は、決して他人を信頼しない、と心に誓っていた。この者になら、殺されてもいい、と思うほどに信頼した。
そんな彼女が初めて心の底から紫を信頼する。理由は分からない。自分の事を理解してくれる、と思ったからだろうか?
ギブ&テイクだとしても、それ以上のことを信頼するに足る存在だったのだろうか? 答えは分からない、美鈴だけが知っている。
紫も同じだ。かつて他者と群れなかった彼女が、初めて友人を作ろうとした。
もしここに彼女を良く知る存在がいれば…驚いただろう。美鈴との出会いは紫に対しても、成長を施していたのだ。
それから奇妙な友情で結ばれた2人は共に会話をし、共に飲食し、共に旅にでたりした。
その間も紫は美鈴の矛盾を解き続けてきたし、美鈴はそれを好きにさせていた。
あれから体を使った勝負はせず、今で言うチェスの先祖に当たるゲームなど頭を使う勝負を好んで行った。
頭が断然良い紫だったが、策士である美鈴も負けてはおらず、なかなか良い試合を見せたという。
あまり噛みあわなさそうな2人だが、上手い具合にこの関係は続いた。それは紫がこの館から出て行くその日まで続いたという。
その後美鈴はレミリア、フランドールと一緒に紫の計らいで幻想郷にたどり着き、再会する。
なお、そのことが主人等に知れ渡るのはあの冬が去らなかった異変の後のことである。
◆ ◆
語り終わると、紫はぐい飲みに残った酒を一気に煽る。
「ふうん……正に歴史には語られない一ページ、といったところね」
ほんのり顔を赤らめて幽香は言う。
「紅魔館のほかの面子があなたと美鈴のことを知ったのは冥界のお姫様が起こした異変の後なんでしょう?」
「ま、そうなるわ。色々と面倒なのよ、私の立ち居地ってね。下手に騒ぐと巫女が動くもの」
「幻想郷に来てからは、私が秘密裏に連絡を取るくらいで、あったことはありませんよ。
あの異変があったからこそ、ようやく公衆の面前で会えるようになりましたからね」
「じゃあ、あの異変がなかったら?」
「影で密会する、位しかなかったでしょう」
2人に酒を注ぎながら、美鈴は笑って答える。
「しかし……馬鹿げた強さよね、あなた。このスキマ妖怪を何度も出し抜いたんでしょう?
ましてや最後の一撃なんて、完全に不意を疲れた攻撃じゃない」
「面目ないわ。肉を切らせて骨を絶つ。それが余りにもひどいのよね、読みきれなかったわ。
さっきも言ったけどこの子、自己の安全的欲求が抜け落ちてるのよ。
策士としての特性もあるんでしょうけど、身を犠牲にするのをいとわないのよね」
「まあ……なれちゃいましたから」
当然そんな芸当は難しい。美鈴だって時と場合を選んでやる。
幽香の時にはなった一撃も、紫に対しての一撃も、どちらもが命がけの行動。正に背水の陣のごとき、馬鹿力……といえよう。
「肉弾戦が出来れば色々と工夫出来ますが…何しろ今は弾幕ごっこが主体ですから」
「仕方ないわね。あのルールがある以上、下手な動きは出来ないもの」
肉弾戦ありの殺し合い、というルールがあれば、大分美鈴も上手く動けるのだが、それではスペルカードルールが意味を成さなくなる。
あのルールはあくまでも両者の間に勝敗をつけることを目的としている。殺し合いはほぼ却下だ。異変を起こしたら巫女が来る。
ルールのせいで美鈴たち妖怪の行動の幅は大分狭められてしまった、何せ人間向けに作られたルールだから自由が利かなくなった。
勿論、ルールを出し抜くことも出来る。巫女といえど完全ではない。隠れたところで殺し合いはできる。
かつて美鈴と幽香が行ったような決闘のように、あれくらい小規模なら制裁は来ないらしい。
幽香のように肉弾戦を好む妖怪としては、完全に楽しみを潰されたわけではないから、それは嬉しいことだ。
大々的に問題を起こさなければ……ルールに従う必要性はない。心にゆとりの持てるルールのため、幻想郷はぬるくなった。
自ら危険を冒そうとする度胸のある奴が減った。そういうことをしようとする輩は少なくなってしまった。
今までのような、戦乱を生き、飢えていた妖怪は少なくなってしまった。時代は変わったのだ。
そう考えると…この3人は数少ない、今も飢えている妖怪といえようか。周囲からは時代遅れと思われるかもしれない。
妖怪の事情も変わったのだ。そのルールに頼らざるを得ない時代に進んでしまったのだ。理解し、従うほかない。
無論、彼女等の他にも暗黙の殺し合いを行うものはいるが、それも少ない。
そういう時代の中、とにかく自分はルールに従うべきだ、でないと紅魔館に悪影響を及ぼす…と美鈴は判断を下している。
彼女は彼女なりに世界に順応することを選んだのだ。巫女に排除されるのは困るから。
が、勿論相手から求められれば、相応の対応をする。さすがの巫女もそこまでは言ってこないはずだから。
幸運だったのはあのルールが出来てから大分仕事が楽になったことだ。
弾幕は苦手だが、少しでも平和になれば、それが一番なのである。何せ仕事が減って楽が出来るし、利点は多い。
「阿求が纏めた本にも載ってるけど、この子弾幕戦は本当に弱いのよ。
いくら肉弾戦で強くても、総合的に見れば弾幕が足を引っ張って、並みの妖怪クラスまで落ちるんですもの」
「……幾らなんでも差が激しくない?」
「仕方ないじゃないですかぁ……」
美鈴は体内に宿す狂気を抑えるのに常時気を使用している。そのため下手に気を乱用できない。
抑える分の気まで利用してしまうと、歯止めが効かなくなり、フランドール見たく暴走するのだ。
しかも今までの経験から殆どの気を肉弾戦で使用する、という風に調整しきっている。
これを弾幕戦に利用しよう、と再度調整するのは至難の技らしく、仕方なく調整して漏れた気を利用し弾幕を張っているのだとか。
そのため、結果的に弾幕戦が弱いことになるのだという。とはいえ調整も時間をかければ出来ないこともないらしい。
頑張って鍛錬を積めば、キチンと弾幕戦でも強くなり、足を引っ張ることはなくなるかもしれない。
とにもかくにも、そういった理由から美鈴は弾幕戦が弱い。周囲から馬鹿にされるほどに。
何とかやっていけているのは、ルールに反しない程度に肉弾戦も織り交ぜているから。例えば、とび蹴りとか。
とはいえ、そうしても紫たちの足元に及ばないのは確かである。
「まあ、肉弾戦と殺し合いが大分削られたけど……案外あのルール、抜け目があるわよね」
「巫女だって忙しいもの。異変レベルの大事を起こさなければ、決闘くらいは出来るでしょうし」
幽香の言葉に紫は頷く。結局は変なところでズボラな霊夢のおかげと言わざるをえないようだ。
「で…話を戻すけど、結局解けたの? その十王も指摘した矛盾とやらは」
幽香の問いに2人は困ったような表情を浮かべる。
「まだよ。この子ったら、矛盾を解いたら新しい矛盾を作り出すんですもの。終わりが見えないのよ」
「あはは……恐縮です」
やってられない、という表情をわざと見せ付ける紫と美鈴。しかし飽きたという態度はない。
幽香は思う。へんてこりんな関係だが、それでも友人なんだなぁ、と。果たして自分には、そんな友人が出来るのか…少し不安に思う。
「今不安に思ったでしょう? 自分にも友人が出来るのかって。
大丈夫よ。きっと見つかるわ。それとも、私たちがなってあげようかしら?」
「あのねぇ…」
心を読むなよ……と幽香は悪戯っ子の笑みを浮かべて提案する紫を軽く睨む。どうやら言葉争いでは幽香は紫よりも劣るようだ。
「あ、でも……こうして3人水入らずで温泉入って、お酒を飲んで語り合うのって、友人同士に見えなくもないですね」
「そうね…あら、そうなると、もう私たちって友人になるのかしら?」
「……そういうものかしら?」
「いいんじゃない、別に。それに私としてはそういう関係を作るというのも楽しいと思うけど?」
「ですね…友人といえずとも、十王とやりあった仲、というのでも有りだと思いますよ」
美鈴の言葉に賛同し、紫は頷く。正直なところ、紫は美鈴がそんな台詞をはくとは思わなかった。利用するためだけの友ではない。
純粋に友人になろうとしている。しかも彼女の言葉の節々に幽香を心から信頼しよう、という点がある。
決して他者を信頼しなかった彼女が、紫の次に信頼した相手…まさかそれが幽香になろうとは思わなかった。
主であるあの姉妹や、同僚であり最も付き合いが紅魔館で一日に数多くある咲夜でさえ、美鈴の信頼はかち得ていないというのに。
どういう心境の変化か…わからない。幽香にもそれに足る理由があるのだろう。紫の知るところでは…ない。
そんな紫の思いは露知らず、疑問符を浮かべていた幽香だったが、次第に納得する。
温泉のせいなのか、恥ずかしさのせいなのかは分からないが、表情は更に赤みを帯びている。
「なら…なってやらなくもないわよ」
その態度こそ、からかわれるのだというのに、気付かない。これが典型的なツンデレというものなのだろうか。
忍び笑いをする2人に幽香はムキーッ、と怒るのだった。結局そのあと三十分3人とも温泉に浸かることになった。
でこぼこな性格を持つ妖怪たちだが、有意義な会合が出来たようだ。
明日からはまた何時もの一日が始まる。だから彼女等は別れ際に誓う。また、酒を飲み会おうと。
今度は幽々子とかも誘ってワイワイ騒ごう……と。
紫は死ぬまで美鈴の矛盾を解き続ける。美鈴の奥にある真実を見極めるために。
もし『無』だったら、何かしらの措置を取る判断を迫られるだろう。紫は決意する。
どのような結果だろうが、決して迷わない、ということに。黙って受け入れる、それが役目だと。
美鈴が望むか、自分で判断した時、初めて紫は美鈴を殺す。それがギブ&テイクという、奇妙な友人関係を作り上げた両人の持つ宿命。
そして、何時自分が死んでもいいように、常時保険はかけておく。藍にはいつでも一家を任せられるよう教育をしてきた。
八雲一家は終わらない。自分が死んでも、決して一家は死なない。藍が伝える、橙が伝える…次代の八雲に。
言霊は偉大だ。記憶がなくとも、ある種の媒体として受け継がれる。もう、思い残すことは殆ど無いと言っていい。
美鈴は今のまま生き続ける。時間の許す限り、運命の許す限り門番として。時が来れば舞台から下りる。
紅魔館を去り、また一人孤独にさすらうだろう。そして自分でも努力をしながら、待つ。
紫が導き出した自分自身の真実を知るために。結果をどうこう言うつもりはない。
黙って結果は受け入れる。そして、徹底的に抗い続ける。ただ、そんな先のことはどうでもいい。
今はただ、紅魔館の門番として、フランドールの世話役として生き続ければいい。
咲夜も、パチュリーも、そしてレミリアも…策士である自分にとっては結局のところ駒なのだ。
門番は館の内と外を守る。雇われている限り美鈴は紅魔館を、そしてスカーレット家に最良の結果が得られる道をとるだろう。
もしそれに自分の命が必要なのだとしたら、喜んで差し出す。
何処にもいくところのない彼女にとって、それが最良の選択だから。
幽香は何時だって自分の欲望のためだけに生きてきた。それはこれからも変えるつもりはない。
友人という、新たな枠を作った彼女は新たに成長するだろう。対人関係は時に人を成長させる。
これからさき、様々な関係を作るであろう幽香は出会いと別れを経て、更に強くなるだろう。
大妖怪としての彼女は間違いなく、更なるステップへ進む。だからいい機会なのだ。
なれないことでも恥ずかしがらずに歩を進める。拒絶されるかも…と恐れるのも仕方ない。
けど世界はさすがにそこまでひどくない。きっと彼女に良い結果を与えてくれるだろう。
おそらく、この2人との出会いもそんな運命が落とした幸運なのかもしれない。
幽香は彼女なりに楽しんでいる。充実した一日を過ごしている。欲しかったものも手に入った。だから文句はない。
今宵行われた奇妙な会合。美鈴、幽香、そして紫というまるで接点のなさそうな3人。
普段の生活からは決して読み取れない、小さな絆。でも、確かに接点はあった。過去の接点、それが彼女たちを出会わせる。
千年単位で生きてきた貴重な妖怪が3人、力を持った者たち。かつて十王と呼ばれる閻魔にボコボコにされた負け犬たち。
その会合を運命だと評するなら、それでいい。当人たちは楽観的だ。運命だろうが、なんだろうが、楽しめればいいのだから。
時間なんてものは少なくとも、長年生きてきた彼女たちには関係ない。出会いも別れも受け入れる。
彼女たちは楽しんでいる、十分に。だからこれから先どんな不幸が押し寄せようとも決して後悔はしない。
たとえ明日死ぬと言われても、黙って3人は受け入れるだろう。潔さだって必要だから。
周りがどんなに反対しようとも、そこは譲らない。時代は確実に動いている。
確実に、彼女たちの時代は終わり、次の時代が到来しようとしているのだから。
彼女たちに出来るのは一日を楽しむこと。何の変哲もない一日でもいい、十分に楽しめばいい。
だから昔語りとして語れるのだ。夢としてでる、ということはそれだけ嬉しい出来事だったから。
厳しい人生に少しでも良い記憶が残せれば幸いだ。この日の温泉での会合も、昔語りも、おそらくはいい記憶として残るはずである。
おわり
長編を書くのは大変ですが、無理だけはしないでくださいね
次の作品待っております。
あと読んでるうちに2箇所見つけたんですがひとつ見失ったので1箇所だけ
紫と美鈴の邂逅2日目の会話冒頭「―明らかに自分よりも隠したの吸血鬼の僕となっている。」
隠した→格下?
真面目に考えさせられる話でした。
めずらしく(だったかどうだったか)、いくつか誤字があるようですが、
余裕を持って無理せず書いて下さい。
次回作期待していますね。 〔素薔薇しいの意味で80点〕
でも、それだけ引き込ませるものがあったということですな。次回も楽しみにしております。
それと蛇足ですが、美鈴の能力は「気を操る程度の能力」ではなく「気を使う程度の能力」ですよ~
が、しかし…
どこかで見たようなストーリーなので薄く感じてしまう、誤字や繰り返される語尾(~だろう。そして~で、~だろう、など)で乱れる読み手テンポ、シリアスな中でいきなり混じるギャグ風の言葉による戸惑い、あからさま過ぎて逆に冷めてしまう伏線、作品を追うごとに増える矛盾(原作の、ではなく美鈴シリーズにおいての)。
正直、どうしてそこまで評価できるかがわかりませんでした。
この作品でも、残念ながらそれを覆すには至らず。
反面、心が動かされるところや共感できるところ、純粋に楽しめる部分もありました。いい感性をお持ちだと思います。
それだけに惜しいと思ってしまいました。普段はマイナスと感じた作品にはコメントしないのですが、どうしても……。
もっと練りこんで作品を書けば、きっと点数が五倍になります。一万点台も届くかもしれません。
長く書きましたが、私の感想は点数に要約されています。研鑽を積んだあなたの次の作品に、期待させていただきます。
あと、少し誤字が多いかなぁ・・・
最高の作品になることを願っています。
個人的な感想としては、
もはや美鈴という名のオリキャラ活劇を見せられているといった印象。
いわゆるメアリー・スーすれすれかと感じました。
しかし、こういう大胆なオリジナル設定を使った場合、
原作とのキャラクターの乖離はある種仕方ないことだと思います。
ただ、それをメアリー・スーと感じるか否かを分ける要素として、
説得力というものがあるのではないでしょうか。
言い換えるなら、オリジナル設定の違和感を越えて作品にのめり込ませてくれる求心力とでも。
作品に説得力を持たせるファクターとして、
シナリオの整合性やリアリティはもちろん大前提ですが、
文章そのものがとても重要だと思うのです。
他の方もおっしゃっていますが、
誤字脱字の多さに加えて、誤用(代表的なものを挙げれば、「師事」という言葉の意味を逆に捉えていらっしゃるようです)もしばしば。
さらに、言葉の選び方も首をかしげる事が多々ありました。
シリアスなシーンの状況描写に、「某○○のような~」というパロディ的形容を使われては正直脱力を隠せません。
硬い文章の中で唐突にら抜き言葉等、崩した用法の言葉が混じっている事があるのもそうですね。
こういった文章の乱れは、せっかく独創的な設定で物語に惹きこみつつあった読者を、一気に醒めさせてしまいます。
シナリオ自体の不整合性にしてもそうですが、
(対幽香戦で触れられていたものと、今回明かされた対紫戦の内容が違う等)
これらの問題点は、しっかりと推敲を行うことによって解消するものではないでしょうか。
というのも、長々とこんな愚痴めいた文句を並べてしまったのは、ひとえに勿体ないと感じたからです。
折角の素晴らしく独創的な設定を、これだけの分量と情熱をもって語られているのですから、推敲さえしっかり出来ていればどれだけの評価を得られたのかと残念でなりません。
私自身、上記の理由で物語から引き戻されるたびに、何故ちゃんと浸らせてくれないのかと歯がゆくてなりませんでした。
つまりは、それだけ惹きこまれる、惹きこませてほしい素敵な物語だということです。
醒めてしまう部分のせいで、結局最初のような感想になってしまったのが残念です。
長文失礼いたしました。
美鈴物語最終話にて、どうかこの無礼者の鼻を明かしてやってくださいませ。