紅い月が灯る空の下に、夜空よりも深い場所に。
それは、いた。
それは、幼い少女の形をしていた。
フランドール・スカーレットというその少女には、世界さえも変えてしまうほど強大で奇怪な力が秘められていた。ありとあらゆるものを破壊してしまう力は、吸血鬼という人外の器をもってしても、収まりきらないほど強かった。
もはやそれは、フランドールそのものでもあった。
だから、誰にも知られないように、誰とも会わないように、紅い館の奥に隠されていた。
その場所で、ひとりぼっちの鼓動が息づいていた。
まるで、流れる時間から取り残された御伽噺のように───
フランドールは、有り余った時間と力で迷路を作ってみることにした。複雑でちょっぴり不思議な迷路は、タペストリのように美しく、なによりも危険だった。
ある時、紅い悪魔と呼ばれる姉が来て「それ面白そうね」と言った。姉は滅多に来なかったけれど、その言葉を聞いて、これがとても面白いことに気付いた。だから、編んではほどいて編んではほどいてをくり返し、ずっと編み続けた。
自分のほかにこれを解ける者はいないと思うと、永遠にも思える孤独さえ忘れられた。
そして、四九五年の時が過ぎ───
あの二人があらわれた。
一人は紅白の巫女。蝶のように舞う黒髪の少女は、ただそこにいるだけなのに、つかみどころのない雰囲気を持っていた。博麗霊夢というのが彼女の名前で、姉と対峙して生きている数少ない人間で、姉のお気に入りだった。
もう一人は、白黒の魔法使い。彗星のように飛んできて、人の悪そうな、それでいて裏表のない笑顔を見せてくれる少女だった。霧雨魔理沙というその魔法使いは、この紅い館にある図書館が気に入ったらしく、ちょくちょく遊びに来るようになった。
そしてその二人は、誰にも解けないはずだったタペストリを解いた。
それから一年が過ぎた。
いま紅い館がある幻想郷には、冬が訪れていた。
相変わらず館の外には出してもらえなかったが、フランドールは前よりも毎日が楽しくなっていることに気付いていた。せいぜい、霊夢や……特に魔理沙がなかなか来てくれないと、ヘソを曲げることがあるくらい。
大きすぎる力と幼すぎる心は、ちょっとだけ変わったかもしれない。
紅い月が灯る空の下で、夜空よりも深い場所で。
フランドール・スカーレットは、やがておとずれる時を夢見る。
◆ ◇ ◆
いまは冬──
夜の闇さえも凍えさせる寒気の中でも、その紅い館はいつもとかわらぬ異彩を放っていた。
幻想郷の中で、もっとも大きい湖のほとりに立つ紅い洋館──紅魔館。そのさらにいちばん奥底で、魔法少女達の戯れ、弾幕ごっこが花開いていた。
少ない窓から落ちる月の光。
永遠にも近い闇の中で、色とりどりの弾が舞い散り、爆ぜる。
紅魔館の奥。
滅多に誰もおとずれることのない場所。そこにある大広間。
星くずの尾を引いて、白と黒の魔法使いが、不敵な笑みを浮かべて、数々の死の罠をくぐり抜けて、
「そろそろ締めようぜ、フラン。──恋符ッ」
フランドールは、一直線に向かってくる魔理沙を見つめ、悪魔の尾をかたどった魔杖をにぎりしめた。高まる魔力、高鳴る鼓動。
吸血鬼である自分が、持っているはずのない熱い脈動を感じて、意識が夢の彼方に飛ぶ。
そう、それは夢だった。
いまは冬──
でもあれは夏の出来事。
この頃なぜか、そのときの夢をよく見る。
「────、」
フランドールは息を吸って、その夢を再現するように、あのスペルカードを取り出す──
「遅いぜ!」
わかっている。
魔法の杖が炎をまとうよりも早く、
フランドールが、力ある言葉で発動を宣言するよりも早く、
「禁忌『レーヴァ……」
───恋符『マスタースパーク』
白き閃光が、
闇を、夢を、孤独を消し飛ばず魔砲の光が、炎の剣と化す魔法の杖ごとフランドールを飲み込んだ。
「────……」
かわすことも、ふせぐこともせずに、フランドールはその光をただ受け入れる。 そして、その意識は、夢の中へ落ちていった。
夜。
私はいつものように目を覚ました。
夏は少し寝苦しいけど、紅魔館は霧に包まれているし、
夜の熱が気持ちをわくわくさせてくれるから、嫌いな季節じゃなかった。
お姉さまの霧は日光をさえぎって、紅く輝いている。
私は、遠い天窓から、その光を見るのが好きだった。
ここには誰も来ない。
来るのは、あの二人くらい。それに、こんなに 強い気の中に、
わざわざ入って来る奴なんかいない。
お姉さまの霧は、日光をさえぎるだけじゃなくて、
この紅い館に近寄ってくる愚か者たちを遠ざけているから──
なのに、そいつは来る。
いつしか、目の前に白い花があって。
私は無数の銀の光と、
紅い魔力に貫かれ、
わずかに感じていた予感とともに、
夢の中に落ちた。
◆ ◇ ◆
「ふぅー、どうだ? 少しは満足できたか」
弾幕ごっこ──魔法や妖気、神秘の力による猛烈な力の応酬──の余韻がにじむ中、普通の魔法使い、霧雨魔理沙は、とんがり帽子を脱いで風を送っていた。
「うん!」
答えたのは、フランドール・スカーレット。紅い悪魔と呼ばれるこの館の主の妹である。
「久しぶりだったからー。大分すっきりできたかな」
「そりゃ結構。この寒い中、汗かいた甲斐があるってもんだな」
「人間は不便だねぇ」
フランドールは、ばさばさと特徴的な輝石の翼を使って、魔理沙の隣りに降り立った。吸血鬼独特の白い肌に汗はないものの、ほんのり赤く染まっていた。
「う~ん、私からすれば、フランたちの方が不便だと思うけどな」
「そう? あんまり考えたことないけどー」
「そりゃ、考えなくて良いことだからだろ。何も思わない、何も考えないってのはアレだが、何についてもいちいち考えてるのもアレだ」
「アレって?」
フランドールがきょとん首をかしげた。魔理沙は帽子であおぐ手を休めると、
「そりゃ当然。面白くないから」
「うふふ、魔理沙は変わっているね。だってそれじゃあ、まるで私たちの価値観だもの」
「そうか? 普通だぜ」
魔理沙は背筋を伸ばして、
「ん……ま、私はそれだけという訳でもないんだがね。──ふわっ」
「『ふわ』?」
フランドールが聞き返したとき、
くしゅん!
魔理沙が盛大なくしゃみをした。空間操作により、地下でも塔の最上階でもない、館のいちばん奥にあるここは、寒気がほとんど入ってこない代わりに、暖炉に火がなかった。
「うう……ほんの少し寒すぎるぜ。あいかわらず人間にはあまり優しくない環境みたいだな」
魔理沙は鼻の下を撫でた。フランドールはそれを見て、どこか楽しそうに、
「魔理沙って、寒いのヤなんだっけ?」
「ああ、すこぶる嫌いだぜ」
魔理沙は少しだけ躊躇して、とんがり帽子を被り直した。その時、一房だけ垂らしてある三つ編みが、乱れているのに気付く。
「そうだっけ? 去年の冬はどうだったかしら」
「去年は……ひときわ寒かったからな。ちょっと研究していることもあったし、この時期に来た覚えがない」
「あ~、そうだった! お姉さまも雪がすごいから神社にあまり行けないって言ってた」
フランドールの言葉に、魔理沙は皮肉げに口元をゆがめた。
レミリアが吹雪ごときで引き下がるタマかと思う。流れる水を渡れない吸血鬼は雨を嫌う、というか雨の中を出歩けないのだが、固体である雪なら問題ないはずだからだ。
日光?
それならメイドに日傘を持たせて、優雅に散歩しているのを、魔理沙は何度も見たことがある。
「ねー、魔理沙」
「ん~?」
魔理沙はほつれた金髪を編み直しながら、生返事をした。おおよそ吸血鬼を目の前にした人間の態度ではない。
自分を護れる力を持っているということもあるが、なにより異端の存在、人外の魔族に対する嫌悪感が一切無いのだった。
悪魔の妹、フランドール・スカーレットは、ときどきそのことを不思議に思う。
「寒いのがヤな魔理沙がどうして──」
「うん~」
理由を聞いても、この白黒の魔法使いは「普通だぜ」としか答えてくれない。魔理沙ほどではないが、ときたまここにやってくる紅白の巫女も
「普通でしょ、それくらい」としか答えない。
だからちょっと聞き方を変えてみた。
「──今日はどうして来たの?」
「ん、それは……」
魔理沙は顔を上げた。フランドール無邪気なの視線を受け止める。紅い瞳と、黒い枝のような翼に生えた七色の宝石の羽に、自分が映っていた。白いモブキャップからのぞく薄い金髪が、瞳にかかりそうになっていた。
「なぁに? 魔理沙」
弾幕ごっこのときに感じる、狂気にも似た激しさはない。まだ幼い、絵本の世界しか知らないような少女が、そこにいる。
「それはまぁ……」
「?」
魔理沙はそっと手を伸ばし、フランドールの乱れた髪をはらうと、
「なんとなく、さ」
にっと笑った。
◆ ◇ ◆
こつ、こつ、こつ、こつ──
いつもより廊下を歩く足音が高く響いている気がして、十六夜咲夜は足を止めた。
これまで何度となく歩いてきた廊下を振り返る。紅い絨毯、小さい窓、さし込む月明かり、その光を弾く金の装飾は、少しくすんだ色をしている。
同じだ。
なに一つ変わりない、紅魔館の情景だった。さっきまで騒がしかった奥の間も、いまは静まりかえっているようだった。
咲夜はおもむろに、メイド服のポケットから懐中時計を取り出した。古風な意匠の文字盤の上を、長身と短針、そしてか細い秒針が時を刻み続けている。
ち、ち、ち、ち、ち────
規則正しい音は、乱れた意識の波を整えていく。それで咲夜は我に返り、
「いけない──、お茶が冷めてしまうわね」
懐中時計をしまうと、銀のトレイを両手で持ち直して、心持ち足早に、主の元へ向かった。
紅魔館の主、永遠に紅い幼き月、レミリア・スカーレットは、吸血鬼である。もう五百年ほどお嬢様をしている。
この館ではめずらしい、大きな窓のある部屋。その窓の下に腰掛けて月を眺めていた。満月まであとわずかの月は、館を取り巻く妖霧がフィルターとなって、紅く輝いて見えた。
こん、こぉん───
「お嬢様、お茶をお持ち致しました」
ノックの音に続いて、メイド長の声が届いた。レミリアはドアの方に顔を向けると、
「咲夜ね。入ってきて」
忠実なしもべの名を呼んだ。間を空けることなくドアが開かれ、咲夜が入ってきた。そのままテーブルの上にティーセットを並べようとして、
「こっちに持ってきて」
「そちらはお寒いのではありませんか?」
「かまわないわ。今夜はそんな気分」
レミリアは、蒼鉛色の髪をいじりながら、こともなげに言った。
「なんだったらテーブルをこっちに寄せればいいじゃない。あ、椅子はいらないわよ」
咲夜は、「お行儀が悪いですね」とつぶやきながらも、すべて言う通りにした。
「そういえば、咲夜」
「なんでしょう? お嬢様」
レミリアは、ティーカップをソーサーに戻しながら、すぐ側に立つ咲夜を呼んだ。
「お客さまへのもてなしはしたの?」
「はい。いつもながら突然の来訪でしたが、丁重にお出迎えして奥の間へ通しましたわ」
「ふぅん、丁重に、ねぇ。──ふふふ、それじゃあ丁重に丁重を重ねた訳ね、あいつは」
「ええ、先ほどまでお楽しみのご様子でした」
「まるで見てきたようね?」
「いいえ、お嬢様。パチュリー様のお部屋から、ちょっとのぞかせて頂いたまでですわ」
「そう。……パチェも調子が悪いときくらいゆっくりしていればいいのに」
レミリアは、空のカップを咲夜に渡して、あとでお見舞いに行こうかしら、とつぶやいた。
「それがよろしいかと。少し気にしすぎのようですし」
ポットに掛けてあったティーコゼーを外し、受け取ったカップに紅茶を注ぐ。キルティングによって保たれていた熱は、香り立つダージリンになる。
レミリアは、流れるような咲夜の動きを見届けてから、「気にしすぎって?」と聞いた。
「フランドール様のことです。最近はだいぶ落ち着かれているみたいですし、この前の月の異常で欲求不満気味のようでしたが、それも今日ので解消されるでしょうし」
「ああ……その事」
レミリアは、琥珀色というには紅すぎる紅茶を一口ふくみ、物憂げな顔をした。
「咲夜は……」
「はい?」
「咲夜には、いまのあいつが安定しているように見えるのね?」
「え…、ええ、お嬢様」
予期していなかった問い掛けに、咲夜は一瞬とまどう。動揺を表に出すのは最小限にとどめたが、
「違うわ。たしかに、表に出て来る衝動は解消されてるし、不安定さからくる暴発も無くなってきてるわ。でもね、そうじゃないのよ。それでも強すぎるのよ」
夜の底に響く声は、冷たかった。咲夜は相槌も打てず、ただそれを聞くしかない。
レミリアは幽かに笑って、 つぶやくことで咲夜の呪縛を解き、質問を発した。
「そうね、咲夜も人間だものね。無理もないか。……ところで、あいつはいま何してるのかしら?」
「──はい。汗を流したいからと、二人でバスルームの方へ」
咲夜はよどみなく答える。それが、主が求める事ならば。レミリアは「汗ねぇ」と笑い、ふたたびお茶の時間に戻った。
しばらく穏やかな沈黙が続く。
レミリアも、咲夜も、こういう沈黙が嫌いではなかった。月明かりが二人の影を照らす───
「ようするに、あの子はまだ『悪魔の妹』だということなのよね……」
ふいに、レミリアが漏らした言葉に、咲夜はなにも言わなかった。独白を独白のまま聞き流すことで、この時間を維持する。
夜が更けていく。
◆ ◇ ◆
紅魔館のバスルームは、ちょっとした銭湯くらいの広さがある。大浴場と呼ぶに相応しいところだった。
「フラン、もちょっと羽を上げてくれ」
「こう?」
「そうそう、次は左な」
肩胛骨から生えている黒い枝のような翼。魔理沙はたっぷりと泡立てたスポンジで、背中からその生え際までたんねんに洗ってやった。
「くすぐったい。……けど、いい感じよ」
フランドールが気持ちよさそうに目を細める。魔理沙は、以前パチュリーに同じことをした時を思い出して、反応の差を楽しんでいた。
魔法図書館の魔女が『せっかく大きい風呂があるんだから、別々にするのは無駄よ』と言うので、一緒に入ったのだが、背中を流してやるといつもの倍くらい無口になって、首振りだけで反応するのが新鮮だったことを覚えている。
「そうかい。しっかし、白いなあ……たまには日光浴しろよ」
「そんなことしたら、焚滅するわ」
「ああ、そうか。じゃ、月光浴。……って、それじゃあますます白くなっちゃうか」
フランドールはそれには答えず、ただ魔理沙のするに任せた。脇の下を洗うとき、きゃっきゃっと声を上げたほかは。
最後に熱いお湯で背中を流してから、魔理沙がおもむろに、
「なぁ、フラン。これは私の勘違いかもしれないんだがな……」
「うん?」
「最近、なんかあったのか?」
「え、どうしてそんなこと聞くの?」
きょとんとした顔になるフランドールに、魔理沙は珍しく言いよどんで、
「いや、さっきの弾幕ごっこなんだが、終わりがちょっとあっけなさすぎたというか………」
その先は言葉として出てこなかった。フランドールは、自分の冷めた部分が立ち上がるのを感じた。けれどいまは、秘めておこうと思った。
「ね、魔理沙!」
「おおう? どうしたんだ急に」
魔理沙は、抱きついてきたフランドールをかろうじて受け止める。風呂の中だからか、いつもは冷ややかな肌にぬくもりを感じた。ほとんど無い胸の膨らみの奥には、熱い脈動がある気がした。
「また、あそびにきてくれる?」
脈絡のない問い。
だが魔理沙は戸惑うことなく、その答えを口にする。
「ああ、また来るぜ」
夜は更けていく。
それは、いた。
それは、幼い少女の形をしていた。
フランドール・スカーレットというその少女には、世界さえも変えてしまうほど強大で奇怪な力が秘められていた。ありとあらゆるものを破壊してしまう力は、吸血鬼という人外の器をもってしても、収まりきらないほど強かった。
もはやそれは、フランドールそのものでもあった。
だから、誰にも知られないように、誰とも会わないように、紅い館の奥に隠されていた。
その場所で、ひとりぼっちの鼓動が息づいていた。
まるで、流れる時間から取り残された御伽噺のように───
フランドールは、有り余った時間と力で迷路を作ってみることにした。複雑でちょっぴり不思議な迷路は、タペストリのように美しく、なによりも危険だった。
ある時、紅い悪魔と呼ばれる姉が来て「それ面白そうね」と言った。姉は滅多に来なかったけれど、その言葉を聞いて、これがとても面白いことに気付いた。だから、編んではほどいて編んではほどいてをくり返し、ずっと編み続けた。
自分のほかにこれを解ける者はいないと思うと、永遠にも思える孤独さえ忘れられた。
そして、四九五年の時が過ぎ───
あの二人があらわれた。
一人は紅白の巫女。蝶のように舞う黒髪の少女は、ただそこにいるだけなのに、つかみどころのない雰囲気を持っていた。博麗霊夢というのが彼女の名前で、姉と対峙して生きている数少ない人間で、姉のお気に入りだった。
もう一人は、白黒の魔法使い。彗星のように飛んできて、人の悪そうな、それでいて裏表のない笑顔を見せてくれる少女だった。霧雨魔理沙というその魔法使いは、この紅い館にある図書館が気に入ったらしく、ちょくちょく遊びに来るようになった。
そしてその二人は、誰にも解けないはずだったタペストリを解いた。
それから一年が過ぎた。
いま紅い館がある幻想郷には、冬が訪れていた。
相変わらず館の外には出してもらえなかったが、フランドールは前よりも毎日が楽しくなっていることに気付いていた。せいぜい、霊夢や……特に魔理沙がなかなか来てくれないと、ヘソを曲げることがあるくらい。
大きすぎる力と幼すぎる心は、ちょっとだけ変わったかもしれない。
紅い月が灯る空の下で、夜空よりも深い場所で。
フランドール・スカーレットは、やがておとずれる時を夢見る。
◆ ◇ ◆
いまは冬──
夜の闇さえも凍えさせる寒気の中でも、その紅い館はいつもとかわらぬ異彩を放っていた。
幻想郷の中で、もっとも大きい湖のほとりに立つ紅い洋館──紅魔館。そのさらにいちばん奥底で、魔法少女達の戯れ、弾幕ごっこが花開いていた。
少ない窓から落ちる月の光。
永遠にも近い闇の中で、色とりどりの弾が舞い散り、爆ぜる。
紅魔館の奥。
滅多に誰もおとずれることのない場所。そこにある大広間。
星くずの尾を引いて、白と黒の魔法使いが、不敵な笑みを浮かべて、数々の死の罠をくぐり抜けて、
「そろそろ締めようぜ、フラン。──恋符ッ」
フランドールは、一直線に向かってくる魔理沙を見つめ、悪魔の尾をかたどった魔杖をにぎりしめた。高まる魔力、高鳴る鼓動。
吸血鬼である自分が、持っているはずのない熱い脈動を感じて、意識が夢の彼方に飛ぶ。
そう、それは夢だった。
いまは冬──
でもあれは夏の出来事。
この頃なぜか、そのときの夢をよく見る。
「────、」
フランドールは息を吸って、その夢を再現するように、あのスペルカードを取り出す──
「遅いぜ!」
わかっている。
魔法の杖が炎をまとうよりも早く、
フランドールが、力ある言葉で発動を宣言するよりも早く、
「禁忌『レーヴァ……」
───恋符『マスタースパーク』
白き閃光が、
闇を、夢を、孤独を消し飛ばず魔砲の光が、炎の剣と化す魔法の杖ごとフランドールを飲み込んだ。
「────……」
かわすことも、ふせぐこともせずに、フランドールはその光をただ受け入れる。 そして、その意識は、夢の中へ落ちていった。
夜。
私はいつものように目を覚ました。
夏は少し寝苦しいけど、紅魔館は霧に包まれているし、
夜の熱が気持ちをわくわくさせてくれるから、嫌いな季節じゃなかった。
お姉さまの霧は日光をさえぎって、紅く輝いている。
私は、遠い天窓から、その光を見るのが好きだった。
ここには誰も来ない。
来るのは、あの二人くらい。それに、こんなに 強い気の中に、
わざわざ入って来る奴なんかいない。
お姉さまの霧は、日光をさえぎるだけじゃなくて、
この紅い館に近寄ってくる愚か者たちを遠ざけているから──
なのに、そいつは来る。
いつしか、目の前に白い花があって。
私は無数の銀の光と、
紅い魔力に貫かれ、
わずかに感じていた予感とともに、
夢の中に落ちた。
◆ ◇ ◆
「ふぅー、どうだ? 少しは満足できたか」
弾幕ごっこ──魔法や妖気、神秘の力による猛烈な力の応酬──の余韻がにじむ中、普通の魔法使い、霧雨魔理沙は、とんがり帽子を脱いで風を送っていた。
「うん!」
答えたのは、フランドール・スカーレット。紅い悪魔と呼ばれるこの館の主の妹である。
「久しぶりだったからー。大分すっきりできたかな」
「そりゃ結構。この寒い中、汗かいた甲斐があるってもんだな」
「人間は不便だねぇ」
フランドールは、ばさばさと特徴的な輝石の翼を使って、魔理沙の隣りに降り立った。吸血鬼独特の白い肌に汗はないものの、ほんのり赤く染まっていた。
「う~ん、私からすれば、フランたちの方が不便だと思うけどな」
「そう? あんまり考えたことないけどー」
「そりゃ、考えなくて良いことだからだろ。何も思わない、何も考えないってのはアレだが、何についてもいちいち考えてるのもアレだ」
「アレって?」
フランドールがきょとん首をかしげた。魔理沙は帽子であおぐ手を休めると、
「そりゃ当然。面白くないから」
「うふふ、魔理沙は変わっているね。だってそれじゃあ、まるで私たちの価値観だもの」
「そうか? 普通だぜ」
魔理沙は背筋を伸ばして、
「ん……ま、私はそれだけという訳でもないんだがね。──ふわっ」
「『ふわ』?」
フランドールが聞き返したとき、
くしゅん!
魔理沙が盛大なくしゃみをした。空間操作により、地下でも塔の最上階でもない、館のいちばん奥にあるここは、寒気がほとんど入ってこない代わりに、暖炉に火がなかった。
「うう……ほんの少し寒すぎるぜ。あいかわらず人間にはあまり優しくない環境みたいだな」
魔理沙は鼻の下を撫でた。フランドールはそれを見て、どこか楽しそうに、
「魔理沙って、寒いのヤなんだっけ?」
「ああ、すこぶる嫌いだぜ」
魔理沙は少しだけ躊躇して、とんがり帽子を被り直した。その時、一房だけ垂らしてある三つ編みが、乱れているのに気付く。
「そうだっけ? 去年の冬はどうだったかしら」
「去年は……ひときわ寒かったからな。ちょっと研究していることもあったし、この時期に来た覚えがない」
「あ~、そうだった! お姉さまも雪がすごいから神社にあまり行けないって言ってた」
フランドールの言葉に、魔理沙は皮肉げに口元をゆがめた。
レミリアが吹雪ごときで引き下がるタマかと思う。流れる水を渡れない吸血鬼は雨を嫌う、というか雨の中を出歩けないのだが、固体である雪なら問題ないはずだからだ。
日光?
それならメイドに日傘を持たせて、優雅に散歩しているのを、魔理沙は何度も見たことがある。
「ねー、魔理沙」
「ん~?」
魔理沙はほつれた金髪を編み直しながら、生返事をした。おおよそ吸血鬼を目の前にした人間の態度ではない。
自分を護れる力を持っているということもあるが、なにより異端の存在、人外の魔族に対する嫌悪感が一切無いのだった。
悪魔の妹、フランドール・スカーレットは、ときどきそのことを不思議に思う。
「寒いのがヤな魔理沙がどうして──」
「うん~」
理由を聞いても、この白黒の魔法使いは「普通だぜ」としか答えてくれない。魔理沙ほどではないが、ときたまここにやってくる紅白の巫女も
「普通でしょ、それくらい」としか答えない。
だからちょっと聞き方を変えてみた。
「──今日はどうして来たの?」
「ん、それは……」
魔理沙は顔を上げた。フランドール無邪気なの視線を受け止める。紅い瞳と、黒い枝のような翼に生えた七色の宝石の羽に、自分が映っていた。白いモブキャップからのぞく薄い金髪が、瞳にかかりそうになっていた。
「なぁに? 魔理沙」
弾幕ごっこのときに感じる、狂気にも似た激しさはない。まだ幼い、絵本の世界しか知らないような少女が、そこにいる。
「それはまぁ……」
「?」
魔理沙はそっと手を伸ばし、フランドールの乱れた髪をはらうと、
「なんとなく、さ」
にっと笑った。
◆ ◇ ◆
こつ、こつ、こつ、こつ──
いつもより廊下を歩く足音が高く響いている気がして、十六夜咲夜は足を止めた。
これまで何度となく歩いてきた廊下を振り返る。紅い絨毯、小さい窓、さし込む月明かり、その光を弾く金の装飾は、少しくすんだ色をしている。
同じだ。
なに一つ変わりない、紅魔館の情景だった。さっきまで騒がしかった奥の間も、いまは静まりかえっているようだった。
咲夜はおもむろに、メイド服のポケットから懐中時計を取り出した。古風な意匠の文字盤の上を、長身と短針、そしてか細い秒針が時を刻み続けている。
ち、ち、ち、ち、ち────
規則正しい音は、乱れた意識の波を整えていく。それで咲夜は我に返り、
「いけない──、お茶が冷めてしまうわね」
懐中時計をしまうと、銀のトレイを両手で持ち直して、心持ち足早に、主の元へ向かった。
紅魔館の主、永遠に紅い幼き月、レミリア・スカーレットは、吸血鬼である。もう五百年ほどお嬢様をしている。
この館ではめずらしい、大きな窓のある部屋。その窓の下に腰掛けて月を眺めていた。満月まであとわずかの月は、館を取り巻く妖霧がフィルターとなって、紅く輝いて見えた。
こん、こぉん───
「お嬢様、お茶をお持ち致しました」
ノックの音に続いて、メイド長の声が届いた。レミリアはドアの方に顔を向けると、
「咲夜ね。入ってきて」
忠実なしもべの名を呼んだ。間を空けることなくドアが開かれ、咲夜が入ってきた。そのままテーブルの上にティーセットを並べようとして、
「こっちに持ってきて」
「そちらはお寒いのではありませんか?」
「かまわないわ。今夜はそんな気分」
レミリアは、蒼鉛色の髪をいじりながら、こともなげに言った。
「なんだったらテーブルをこっちに寄せればいいじゃない。あ、椅子はいらないわよ」
咲夜は、「お行儀が悪いですね」とつぶやきながらも、すべて言う通りにした。
「そういえば、咲夜」
「なんでしょう? お嬢様」
レミリアは、ティーカップをソーサーに戻しながら、すぐ側に立つ咲夜を呼んだ。
「お客さまへのもてなしはしたの?」
「はい。いつもながら突然の来訪でしたが、丁重にお出迎えして奥の間へ通しましたわ」
「ふぅん、丁重に、ねぇ。──ふふふ、それじゃあ丁重に丁重を重ねた訳ね、あいつは」
「ええ、先ほどまでお楽しみのご様子でした」
「まるで見てきたようね?」
「いいえ、お嬢様。パチュリー様のお部屋から、ちょっとのぞかせて頂いたまでですわ」
「そう。……パチェも調子が悪いときくらいゆっくりしていればいいのに」
レミリアは、空のカップを咲夜に渡して、あとでお見舞いに行こうかしら、とつぶやいた。
「それがよろしいかと。少し気にしすぎのようですし」
ポットに掛けてあったティーコゼーを外し、受け取ったカップに紅茶を注ぐ。キルティングによって保たれていた熱は、香り立つダージリンになる。
レミリアは、流れるような咲夜の動きを見届けてから、「気にしすぎって?」と聞いた。
「フランドール様のことです。最近はだいぶ落ち着かれているみたいですし、この前の月の異常で欲求不満気味のようでしたが、それも今日ので解消されるでしょうし」
「ああ……その事」
レミリアは、琥珀色というには紅すぎる紅茶を一口ふくみ、物憂げな顔をした。
「咲夜は……」
「はい?」
「咲夜には、いまのあいつが安定しているように見えるのね?」
「え…、ええ、お嬢様」
予期していなかった問い掛けに、咲夜は一瞬とまどう。動揺を表に出すのは最小限にとどめたが、
「違うわ。たしかに、表に出て来る衝動は解消されてるし、不安定さからくる暴発も無くなってきてるわ。でもね、そうじゃないのよ。それでも強すぎるのよ」
夜の底に響く声は、冷たかった。咲夜は相槌も打てず、ただそれを聞くしかない。
レミリアは幽かに笑って、 つぶやくことで咲夜の呪縛を解き、質問を発した。
「そうね、咲夜も人間だものね。無理もないか。……ところで、あいつはいま何してるのかしら?」
「──はい。汗を流したいからと、二人でバスルームの方へ」
咲夜はよどみなく答える。それが、主が求める事ならば。レミリアは「汗ねぇ」と笑い、ふたたびお茶の時間に戻った。
しばらく穏やかな沈黙が続く。
レミリアも、咲夜も、こういう沈黙が嫌いではなかった。月明かりが二人の影を照らす───
「ようするに、あの子はまだ『悪魔の妹』だということなのよね……」
ふいに、レミリアが漏らした言葉に、咲夜はなにも言わなかった。独白を独白のまま聞き流すことで、この時間を維持する。
夜が更けていく。
◆ ◇ ◆
紅魔館のバスルームは、ちょっとした銭湯くらいの広さがある。大浴場と呼ぶに相応しいところだった。
「フラン、もちょっと羽を上げてくれ」
「こう?」
「そうそう、次は左な」
肩胛骨から生えている黒い枝のような翼。魔理沙はたっぷりと泡立てたスポンジで、背中からその生え際までたんねんに洗ってやった。
「くすぐったい。……けど、いい感じよ」
フランドールが気持ちよさそうに目を細める。魔理沙は、以前パチュリーに同じことをした時を思い出して、反応の差を楽しんでいた。
魔法図書館の魔女が『せっかく大きい風呂があるんだから、別々にするのは無駄よ』と言うので、一緒に入ったのだが、背中を流してやるといつもの倍くらい無口になって、首振りだけで反応するのが新鮮だったことを覚えている。
「そうかい。しっかし、白いなあ……たまには日光浴しろよ」
「そんなことしたら、焚滅するわ」
「ああ、そうか。じゃ、月光浴。……って、それじゃあますます白くなっちゃうか」
フランドールはそれには答えず、ただ魔理沙のするに任せた。脇の下を洗うとき、きゃっきゃっと声を上げたほかは。
最後に熱いお湯で背中を流してから、魔理沙がおもむろに、
「なぁ、フラン。これは私の勘違いかもしれないんだがな……」
「うん?」
「最近、なんかあったのか?」
「え、どうしてそんなこと聞くの?」
きょとんとした顔になるフランドールに、魔理沙は珍しく言いよどんで、
「いや、さっきの弾幕ごっこなんだが、終わりがちょっとあっけなさすぎたというか………」
その先は言葉として出てこなかった。フランドールは、自分の冷めた部分が立ち上がるのを感じた。けれどいまは、秘めておこうと思った。
「ね、魔理沙!」
「おおう? どうしたんだ急に」
魔理沙は、抱きついてきたフランドールをかろうじて受け止める。風呂の中だからか、いつもは冷ややかな肌にぬくもりを感じた。ほとんど無い胸の膨らみの奥には、熱い脈動がある気がした。
「また、あそびにきてくれる?」
脈絡のない問い。
だが魔理沙は戸惑うことなく、その答えを口にする。
「ああ、また来るぜ」
夜は更けていく。
自分の意見ですが。魔理沙が最初に訪れたときの印象やその時のフランドールの心情をもう少し緻密に表現してくれればもっと入りやすかったかな?それと風呂の中で終わるよりは魔理沙が帰る前とかフランドールが寝付く前の方が終わりが締まったかも。
自分のアドバイスなんで無視して構いませんのでw
冒頭の「迷路」を編み出すシーンをはじめ、話の随所随所にフランのはらむ奥深い何かを感じ取れて、いっそう物語に引き込まれました。
ただ、その核心の部分が最後まで明かされずに有耶無耶のまま終わってしまったのが少し残念だなあと。私の読解力不足かもしれませんが。
雰囲気はとても良いと思いましたので、物語の「結」の部分をもう少ししっかりと書ききって貰えたらなあと思います。
泣けてくらあ
けど、萌えるさ!
(この話でこの感想かよorz
それでも、雰囲気はとても良かったです。
首振りだけで反応するパチュさん可愛いよパチュさん