ざわざわ……
あれ?ここはどこだろう?
確かに眠った筈。なのに私は起きてる。
辺りは暗い。
真っ暗というわけではない。夜?
風を肌で感じて、夢ではないことを悟った。
ざわざわ……
足下からさっきから何かが蠢いている音がする。
あれは……
視線を下にやると、光の点がぽつぽつと蠢いてた。
吸血鬼の目をよく凝らして見ると、それは人間だった。
人間の群れ。
あんな沢山の人間、初めて見た。
耳を欹てると、水の流れる音も聞こえた。
川?
川は真下にあるようだった。
水音は絶えず、鳴り続ける。
……
私は羽を動かしていない。
けれども、私は空を飛んでる。
いや、正確には浮かんでいるって言うべきかもしれない。
落ち着きのない人間の群れを見下ろしていると、ある事に気がついた。
足が透けてる?
顔を下に向けていると、私の足が透けているのが分った。
つまり、今私は幻に近い存在。
多分、下の人間たちは私の存在に気が付いていないだろう。
これは私の夢?
私は確かに紅魔館の地下牢のベッドの中で眠った筈だし、此処での私の存在も儚い。
幻想郷で人間がこんなにいるとは思えないし、こんな風に集まらない。
大体、こんな地形は見たことがない。
けど、やけにリアルだ。
夢なら、夜風を感じないだろうし、ここまではっきりした形を持ってない。
どういうことだろう
私が考えていると、人間たちのざわめきが止んだ。
何が始まるのだろう
ヒュー、ドドン。
足下の人間たちから「おおー」とか「わあー」とか「パチパチ」とかそんな音が聞こえた。
驚いて、音のした方向を見てみる。
何もない。ただ夜空が広がっている。
私が混乱していると、地平線から一筋の光がヒューって音を鳴らしながら昇っていった。
光は、私と同じくらいの高さまで上がると、消えた。
……?
ドン。
夜空に巨大な花が咲いた。
一瞬の沈黙の後に咲いた、光の花。
これが……
間髪入れずに次の閃光が空へ昇る。
開花。
昇る。
開花。
昇る昇る昇る昇る。
開花開花開花開花。
圧倒的な光景に、私は目を奪われた。
緑色だったり、金色だったり、青色だったり、赤色だったり。
ドンドドンと盛大に音を鳴らして、それは開花する。
散った花弁は、地平線に落ちる前に消えてなくなる。
綺麗……
開花の度に、人間たちが歓声を上げる。
開花の度に、夜空は昼の明るさを取り戻す。
幻想のようなリアル。
リアルの中に咲いた幻想の花。
「気に入ったかしら?」
この声は知っている。
私は振り向いた。
視線の先には、紫色の派手な服を着た、夜なのに日傘を差している女の人が座っていた。
座っている?ここは空中の筈……
よく見ると、女の人は空間の裂け目に腰かけていた。
紫……
全身を見たのは初めてだ。
幻みたいな私に比べて、紫の体は形がはっきりしていた。
「これが花火。美しいでしょう?」
ドドン。
うん……ここはどこなの?
「貴女の夢の中であり、貴女の現実である」
私の夢であって現実?夢と現実は違うものでしょう?
「夢と現実は違う。その通り。夢と現を区切る境界があるから、夢と現実は違うもの」
……だから?
「私の能力はその境界を操る程度の能力。貴女の夢を以て現実を見せているのよ」
……あの時貴女がやったのは……
私は、紫が私の頭に手を翳したことを思い出す。
「そう。全てこの為。まあ、夢に落ち易い様に貴女をすぐに眠らせるようなこともしたんだけどね」
どおりで今日はあっさり眠れたのね
「嫌だった?」
ううん
有難う紫
紫はにこりと微笑んだ。
「いつ見ても……」
私は花火の方を見た。
ドドン。
虹色の花火が夜空を彩る。
「花火は美しいものね」
ねえ紫……魔理沙はこれで喜んでくれるかな
「いいえ喜ばないわね」
え?
「もっと派手なら喜ぶわ」
――――――――――
闇の中、私は目を開けた。
体には布の感触。
目を擦りながら上半身を起こす。
「夢……」
視界に広がったのは、煉瓦が綺麗に積まれて作られた地下牢の壁。私に抉られた跡もある。
思いっきり伸びをして、昨日の疲れが残っていないことを確認する。
「今何時だろう……」
地下牢では、外の様子が分らないから、昼も夜も分らない。
蝋燭が燃え尽きていることから考えて、起きる時間はとっくに過ぎていることは分かるけど。
ぴょんとベッドから降りて、扉へ向かった。
――――――――――
「夕方……?」
窓から見える空は、橙色に染まっている。
今日は大分寝過してしまったみたいだ。
でも、起きる時間としてはベストかもしれない。
紫が起こしてくれたのかな。
「起きたの?フラン」
「お姉様……」
窓の外を眺めていると、お姉様が歩いてきた。
「心ここにあらず、って感じかしら」
お姉様はころころと笑う。
「よっぽど魔理沙が好きだったのね。普段の貴女なら、ずっと地下牢に閉じ籠もっているのに、昨日の貴女はどこか違ったわ」
「……そう、かな」
「誰かを好きになるってことはいいことよ。貴女を閉じ込めて495年経って、ようやく気がついた。貴女に必要だったのは、監禁ではなく誰かと仲良くなること……本当に馬鹿な姉でごめんね……」
お姉様の顔に影が差した。
私は首を全力で振る。
「ううん、お姉様は、私の自慢のお姉様よ。レミリア・スカーレット以外のお姉様は私には考えられない」
「フラン……」
お姉様の手が私の頭の上に乗る。
「有難う、私は幸せな姉だわ」
お姉様は優しげに微笑んだ。
――――――――――
花火を打ち上げる前に、行っておきたいところがあった。
夕日がだんだんと地平線に落ちていく様子(勿論日傘は差している)を横目で見ながら、私は空を飛んでいた。
霧の湖を通り過ぎ、魔法の森の上空に行き着いた。
行きたいのは勿論魔理沙の家と、香霖堂の側にあるという墓。
花を手向けるということは、それは死者の死を受け入れるということ。
生きている人間に花を贈ることはあっても、手向けるということはない。
逆も然り、死んでいる人間に花を手向けることはあっても、贈るとは言わない。
だから、魔理沙に花火を手向ける前に、最後にお別れをしておきたかった。
パチュリーは、魔法の森に魔理沙の家があると言っていた。
だから私はここにいるわけだけど、肝心の家が見つからない。
と思ったら、前方にちょこんと黒い三角が木々の間から出ているのが見えた。
「……あれかな?」
翼を羽ばたかせ、黒い三角が見えた場所へ飛んだ。
――――――――――
白い外壁でよく掃除の手が行き届いている洋風の家だ。
……何かイメージと違うような……
日傘片手にぐるりと回って、私は首を傾げる。
魔理沙は「私の家はごちゃごちゃで汚いぜ」って言ってたけど……
考えられる可能性としては二つ。
魔理沙の家についての情報が間違っているか、魔理沙の家ではないかのどちらか。
魔理沙が嘘を吐くことは結構あったから、前者も考えられるし、後者もあり得る。
が、嘘というのはいつも意味や目的があって吐くものであって、意味もなく吐くものではない。
例えば、致命傷とも言える怪我をしている兵士に、傷は浅いと言う。
もし、兵士に「このままでは死ぬぞ」と本当のことを言ってしまえば、兵士は不安やらショックやらで状況をさらに悪化させてしまう。
浅いと言えば、安心して、少しでも状況はプラスへ傾く。
この場合は、兵士を安心させるための嘘。意味と目的がある。
子供同士が吐く嘘だって意味や目的がある。
相手を困らせるための嘘だったり、相手をからかう口実を作るための嘘だったりもする。
って本で書いてた。
まあ兎に角、嘘は意味や目的があって吐くもの。
この場合はどうだろうか。
魔理沙は自分の家が汚いと言っていた。
私が見ている家は、まあ、私の目がおかしくなければ綺麗。
魔理沙が嘘を吐く理由がない。
わざわざ自分を卑下にする意味がない。
自分の評価を下げたいなら、もっと大衆の面前で言うべき。
結構魔理沙と一緒に本を読んでいたパチュリーでさえ、魔理沙の家のことは聞いていなかったんだから(何処にあるのかは知ってたけど)、大衆の面前で大っぴらに言ったわけでもない。
私を困らせたくて吐いたわけでもないだろう。
だって私は普段、地下牢にいるわけだから、魔理沙の家に行くことはない。
私にとって、本来は不必要な情報なわけで。
よって、魔理沙のあれが嘘だとしても、意味がないし目的も考えられない。
だから、魔理沙の言ったことは真実。
魔理沙が言ったことが真実なら、私は間違ったということ。行き着くところを。
「……誰の家だろう?」
魔法の森には魔法使いが住み着くという話だから、多分魔理沙以外の魔法使いの家。
単なる好奇心から、私はドアをノックした。
ノックして3秒後、くぐもった声がドアの奥から響いた。
「何方……?」
がちゃりとドアを開けて金髪の少女が顔をのぞかせる。
少女といっても、私よりずっと背が高いけど。
「貴女は確か……紅魔館の妹君の」
まあ、見た目的に少女だからOKね。少女は、その金色の瞳をこちらに向けて驚いた顔をした。
私もこの少女に見覚えがある。
「アリス・マーガトロイド、だっけ」
たまに紅魔館の図書館に来る魔法使い。
確か人形遣いだった筈。
「貴女が何故ここに?」
「魔理沙の家を探しているんだけど」
アリスは怪訝な顔をした。
「魔理沙の家ならあっちよ。もう空家だけど……」
魔理沙とアリスは犬猿の仲だと聞いている。
きっと魔理沙の死も知ってるだろう。
「うん……魔理沙に最後のお別れをしようと思って、魔理沙の家を探しているの。特例でお姉様に外出を許されているの」
「そうなの……」
アリスは溜息を吐いて、前髪をかきあげた。
「魔理沙と貴女は仲がいいって聞いていたしね……弔いはきっちりしてあげなさいよ」
「……アリスはもう花をあげたの?」
「ええ、香霖堂の横にある彼女の墓にね。墓標も何もなかったから、花を上げる場所を確かめるのに苦労したけど、霖之助さんがあっさり教えてくれたわ」
「そう……私も急いでいるから、このへんで失礼するわ」
夕日の端が地平線に掛っている。
「ああ、ちょっと待って」
アリスがさっき指差した方向へ歩みだそうとしたら、アリスが私を呼び止めた。
アリスは指をパチンと鳴らした。
すると、金髪の妖精みたいな格好の人形が、別の人形を抱えて飛んできた。
「有難う上海」
アリスは人形が持っていた人形を受け取り、それを私に差し出してきた。
アリスが差し出してきた人形は、黒い山高帽を被って、長い金髪を持った人形だった。
エプロンドレスが懐かしい。
「これは……」
「魔理沙人形よ。貴女にあげるわ」
「いいの?これ、凄い完成度だけど……」
「いいのよ。元々呪いにつか……ごほごほ、兎に角、必要なくなったから、貴女にあげるわ」
「……有難う。貰っておくわ」
物騒な言葉は気にしないことにした。
――――――――――
魔理沙人形を胸に抱いて、森の中を歩いていた。
アリスの話だと、魔理沙の家はあまり高くないらしく、上空からでは木々に隠れて見えないそうだ。
だから徒歩。
真っ直ぐ進んで行けば着くそうなので、迷うこともない。
真っ直ぐとは、即ち直線。
魔理沙の家と直線上に歩いて行けば絶対迷わないわけだから、直線上に存在する遮蔽物は壊して進む。
もう何本木を壊したか忘れた。
迷わないようにだから問題ない。迷ったら時間の大幅な無駄遣いだし。
「あ、あった」
林立する木々の隙間に、一軒の家が見えた。
壁には蔦が張り巡らせられていて、アリスの家とは大違いの暗い外観だった。
夕日は半分ほどが地平線に隠れている。
もうすぐ夜。
私と魔理沙の家を結んだ直線上に、一本木が邪魔するように生えていたから、「目」を握り潰して木っ端微塵に壊した。
――――――――――
「ここが魔理沙の家……」
成程、汚い。
玄関の扉を開けてまずそう思った(日傘は取り敢えずここに置いておいた)。
奥へ続く廊下の脇には、これでもかとばかりにガラクタが積み上げられている。
絶妙なバランスで積まれたガラクタの壁は、ここの家の主人の性格を表しているようで、嫌いではなかった。
咲夜が見れば、全力で掃除に勤しみそうな光景だけど、私は全く不快とか、そういうのは感じなかった。
こういう大雑把なところは、魔理沙を思い出させる。
廊下を進むと、木製の扉に突き当たった。
ドアノブは黒ずんでいる。多分手垢。
ということは、この先は手洗いか。
と思ったけど、よく考えたら外に井戸があったからそれはない。
ドアノブからは、何か奇妙な匂いがした。
どう考えても人間の手の垢がこんな異臭を放つはずがない。
「……茸の匂い?」
そうか茸か。魔理沙の魔法は茸を利用した魔法だって言ってたな。
魔理沙の魔法は何かと爆発するものが多かったから、実験は多分外でやっていたのだろう。
で、その実験の結果を記録するために、書に記す。
魔理沙のことだから、手を洗う前に書に記そうとしていたに違いない。
物を書いたりするのに使う部屋といえば……
「……この先は書斎かな」
多分そうだ。玄関から入って直線で突き当たるここは、駆け込んですぐに着く。
私は黒ずんだドアノブを握って、回した。
扉の奥に広がっていたのは、やっぱり書斎だった。
ここも本とか紙屑とか乱雑に投げ捨てられていて汚い。
本棚とか、脇に置いてあるゴミ箱とか全く意味がない。
けど、床が散らかっているとはいえ、部屋中央の机への道は確保されているようで、ただの物置というわけではなさそう。
私は、多分魔理沙が足元の物を蹴散らすことによってできた道を辿って、机に行き着いた。
机の上には、びっしりと術式で埋め尽くされた紙が折り重なっていた。
私の使う力も魔力だけど、この術式は読めない。
というか、魔法使いの魔法というのは普通オリジナルで、他人が理解できるものではない。
私の場合、魔力を使うといっても魔法とは微妙にニュアンスが違うけれども。
「ん?」
術式の書かれた紙の山に隠れて見えるのは、黒い革のカバーで覆われた、手帳大の本だった。
紙の山をかき分けて、それを取って見る。
黒い革のカバーには、あちこち剥がれた金色の文字が躍っていた。
――――DIARY。
日記帳だった。
少し私はうろたえた。
他人の日常が綴られた資料が面前に出されたら、誰だって見たくなる。
しかもそれを咎める者もいないのだから、ますます見てみたい。
魔理沙の日記帳を見てはいけないと誰からも言われていないし、我慢して見ない理由も利点もない。
よし。
自分で許可を出して、私は日記帳を開いた。
内容は、どういう実験しただとか、紅魔館の図書館に突撃したとか、博麗神社に行ったとか、別段おかしなところはない。本当にただの日記帳だ。
結構可愛い文字だなあ。
カバーの文字とか、日付とかから、わりと長く使っていたらしい。
もっとも、一番新しいページは今から4日前で止まっているんだけどね……
暫く日記に目を通していると、一つの単語に目が止まった。
フラン。
「私のこと……」
私は、目に止まった自分の名前を指で押さえ、文章を辿る。
今日は紅魔館に遊びに行った。
魔法の実験が一段落したから、久々にフランと遊ぶことにした。
フランは、私を見るとあの虹色の羽をぱたぱたと動かして抱きついてくる。
フランはレミリアの妹だというのは分っているが、私はフランを妹みたいなものだと思っている。
フランとの弾幕ごっこは楽しい。
誰よりもわくわくする弾幕を撃ってくる。
霊夢やアリスじゃ、ここまでわくわくはしない。
やっぱり、フランとの純粋な力比べが一番楽しい。
アリスは「弾幕はブレイン」とかほざいているが、そんな弾幕は面白くとも何ともない。
フランとの弾幕が一番楽しい。
やはり、弾幕は派手でないとならん。
今度レミリアに言っておこう。
妹と遊ぶっていうのは、楽しいな、と。
「魔理沙……」
私は日記をぱたんと閉じた。
魔理沙は私との遊びが楽しいと書いていた。
魔理沙は私を妹だと思っていた。
お姉様に、お姉様以外の姉は考えられないと言ったけど、
少しだけ、少しだけ、嘘、吐いちゃったかな。
――――――――――
香霖堂の場所は分っていたから、木を破壊することもなく飛んで着いた。
ごちゃごちゃとガラクタが置かれた店先に降り立った私は、魔理沙の墓を見つけようと辺りをきょろきょろと見回した。
アリスが言うには、墓標が何もなくて探すのに少し骨が折れるらしいけど、私の場合はそんなことなかった。
だって、店の横で男の人が手を合わせているんだから。
男の人といっても、香霖じゃない。
香霖より、見た目は年上っぽい(香霖が妖怪の可能性もあるから、あくまで見た目だけど)。
中年のその男の人は、合わせていた手を放して、こちらを振り向いた。
「あ……」
その男の人の目は、どこか見覚えがあった。
私に気がついた男の人は、私に頭を下げて、人里の方の道を歩いて行った。
男の人が手を合わせていたところには、綺麗な花束が、これまた綺麗に並べられてた。
墓標はない。地面に直に置いてある。
魔理沙が恐らく埋めてあるだろうその場所に、私は駆け寄った。
花束は僅かに吹いている風でかさかさと揺れ、儚かった。
ガチャリ。
香霖堂の扉が開いて、香霖が出てきた。
「おや……フランドールじゃないか」
「……今晩は、香霖」
香霖堂の3段しかない石段を降りて、香霖は私に歩み寄る。
「ねえ、今の人は?」
「今の人?」
ああそうか。香霖はさっきの男の人を見ていないか。
「……ああ、僕の師匠だよ」
……あれ?
「し、師匠?」
「もしくは、霧雨魔理沙の親父さん」
魔理沙のお父さん。
あれが……
そう言えば、目がそっくりだった。
「でも、何で私がそのお父さんのことを言ってるって分ったの?」
「さっきまで店の中で泣いていたからね……」
合点。
でも、確か魔理沙は勘当された身だって聞いてたけど。咲夜から。
「親は何時まで経っても我が子の事が心配なんだよ」
「そんなもんかな」
「そんなもんさ」
フッ、と香霖は笑った。
「店でお茶でもどうだい?生憎紅茶は切らしているが……」
私は空を見上げた。日傘片手に。
夕日はもう頭をちょこんと出しているだけで、もう殆ど沈みかけている。
「ううん、遠慮しておく。遣らなきゃいけないことがあるから」
「そうか……」
香霖は眼鏡をくいっと持ち上げた。
「何をするか知らないが、健闘を祈るよ」
有難う、香霖。
私は日傘を畳んだ。もう必要ない。
香霖に一礼をして、紅魔館へ向けて飛び立った。
――――――――――
もうすっかり日は落ちた。
辺りは、吸血鬼が支配する闇の世界。
私はじっと、湖の上空にぽっかりと浮かぶ月を睨んでいた。
今宵は満月、吸血鬼の力が最大になる日。
満月の日は吸血鬼に限らず、様々な妖怪がその力を高める日でもあるけどね。
「フラン……準備は出来ている?」
お姉様が横から話しかけてきた。
お姉様だけでなく、咲夜や、美鈴や、パチュリーや小悪魔やメイドたちまで、紅魔館の外に出て私の傍にいる。
「準備は、とっくに」
満月を睨みながら私は頷いた。
満月をじっと見つめていると、私の中の魔力が膨れ上がってくる。
満月の力が、私の目から注ぎこまれていくのを感じる。
ありったけの魔力で作った花火を、あの世の魔理沙に手向ける。
傍から見れば、馬鹿に見えるかも知れない。
空へ放つ魔力花火は、どこから見ても魔力の無駄撃ち。
分ってる。
それでも、私は花火を手向けたい。
逝ってしまった魔理沙が喜ぶように、魔理沙が好きな派手な花火を。
多分、これをやれば私は暫くの間、壮絶な疲労感と倦怠感に襲われて動けなくなるだろう。
それほどの価値がある。これからやることには。
傍から見れば、やっぱり馬鹿に見えるかも知れない。
死んでしまった人間がそれで喜ぶものかと、鼻で笑うかも知れない。
けれども、ただ地味な普通の花を魔理沙に手向けて、あとは時の流れが忘れさせるのを待つのは嫌だ。
魔理沙の存在を思い出で済ましたくない。
私の中の、魔理沙への感謝と想い。
それを、あの世で見てくれている魔理沙に届けたい。
地味な花じゃ、きっと魔理沙は見向きもしない。
非現実的な考え方かもしれない。
外の世界の人間的に言わせてみれば、非科学的だと思われるかもしれない。
どこまでも愚か、馬鹿、無意味。
それでも届けたい。
花火に乗せて。
感謝と、想いを。
私は大きく翼を羽ばたかせ、足が地面と別れるのを感じた。
私の体が夜の冷えた空気を切り裂いていくのを肌で感じながら、私は考えた。
他の人が言うように、愚かで馬鹿で無意味な行動かもしれない。
それでも、私は何かをやりたかった。
逝ってしまった、私のもう一人の姉とも言える魔理沙の為に。
私が選んだ「何か」は、魔理沙に感謝と想いを届けること。
ここでいう「想い」とは、魔理沙への愛。
それは姉妹愛に近くて、友情からくる愛にも近い。
愛情。
それは一方的な感情。
魔理沙が私のことをどう思っているかは分らないから、一方的。
妹みたいな感じでは見ていたのだろうけど、愛を感じていたのかは分らない。
また、愛とは、好きだということと同義。
一方的な愛。
一方的に好きだということ。
人はそれを、「恋」という。
二ヶ月前に魔理沙が言っていたことを思い出す。
「そう。恋だ。愛情だ」
私は、魔理沙に恋心を抱いていたわけじゃないし、第一、恋というのは同性に対して抱く感情とはちょっと違う気がする。
それでも、好きだった。
魔理沙のことが。
似たようなもの。
一方的な愛も、恋も。
だったら、もう恋でいい。
一方的な愛も恋も同じ。
恋と愛情。
俗に言われる恋とは若干意味が異なる恋だけど。
私の、霧雨魔理沙という姉への初恋。
私は、ある程度の高さまで上昇して、止まった。
懐から一枚の札を取り出して、破り捨てる。
ポケットに入っていた、魔理沙の形見を、星が瞬く夜空へ向ける。
私の想いを届けるより前に魔理沙は逝ってしまった。
でも、今からでも十分間に合う。
だから、届け、私の感謝の気持ち。
届け、恋心。
「有難う、魔理沙、好きだったんだよ、魔理沙」
魔理沙が私の為に教えてくれた、この魔法に乗せて。
「恋符『マスタースパーク』!!」
――――――――――
「In Paradisum deducant te Angeli.
in tuo adventu suscipiant te martyres
et perducant te in civitatem sanctam Jerusalem.....」
「……いい歌だね」
「だねー」
リグル・ナイトバグの素直な感想に宵闇の妖怪ルーミアが相槌を打つ。
「いやあ……」
照れたように頬を掻きながら、焼き八目鰻屋の主人こと夜雀ミスティア・ローレライは、狐色の八目鰻を引っくり返す。
白い煙が、「焼八目鰻」と書かれた赤い灯篭の光を強調していた。
「なんて曲なの?」
リグル自身、そこまで頭が良くはない。
名前こそ横文字ではあるが、幻想郷の主な言語は日本語で、英語は理解できない。
ミスティアもあまり良い頭ではないから、歌詞を理解してではなくリズムで覚えているのだろう。
「んー……なんて曲だったかな。忘れた」
ミスティアは若干焦げ目がついた、白い腹をむき出しにしている八目鰻に焦げ茶色のタレを刷毛で塗った。
次の瞬間、リグルと、八目鰻をこれでもかとばかりに口に突っ込んでいるルーミアの背後で何かが輝き、さらに次の瞬間、爆音が鳴り響いた。
「っと!な、何!?」
爆音と伴って、地面と灯篭がゆさゆさと揺れる。
「あ、あれ!」
ミスティアは、屋台の台にしがみ付いている二人の後方を指差した。
その指の先には、極太の閃光が、天空へ昇って行っている光景があった。
「何あれ!?」
リグルが歯を食いしばりながら叫ぶ。
「知らないよー」
ルーミアの間延びした声がした。
――――――――――
フランドールが叫んだ瞬間、ミニ八卦炉から極太の、七色の光の奔流が迸った。
それは恋の魔法。いや、魔砲。
光の奔流は、轟音を鳴らしながら、夜空を昇っていく。
「……っ!」
直下の紅魔館、霧の湖は、地が揺れんばかりの騒がしさだった。
いや、すでに揺れている。
レミリアはそのあまりの眩しさに目を閉じた。
「お嬢様!くっ……大丈夫ですか!?」
轟音の中、レミリアの耳に咲夜の声が響いてきた。
咲夜は、時間を操ることができる以外は、生身の人間である。
この轟音と閃光と衝撃は、咲夜にとってかなり厳しいものであるだろうに。
それでも、自分の主を案ずる瀟洒な従者に、レミリアは心中で涙した。
「あれは……魔理沙のマスタースパークにそっくり……」
パチュリーが呟く声が聞こえる。
そうだ。
レミリアもあの大魔砲に見覚えがあるし喰らい覚えもある。
あれは魔理沙の十八番、マスタースパークだ。
満月の力で増幅したフランドールの魔力から放たれるそれは、魔理沙のそれを遙かに上回ってはいるが、それでもマスタースパークに似ている。
フランドールが魔理沙からマスタースパークを習っているという旨はフランドール本人から聞いたが、ここまでの威力を伴ったものだとは思っていなかった。
フランドールは、魔理沙から習ったマスタースパークの骨組から、自分で改良したのだろう。
七色の光の奔流は、若干紅の色を持っているという印象がある。
虹色の光を携えた赤い閃光。
それが、あれを形容するにはぴったりかもしれない。
「……ッ、フラン……!」
閃光は、夜空を昼空へと戻さんばかりの眩しさを放ちながら、天へ向って細く細くなってゆく。
――――――――――
幻想郷で、最も人間が多い場所といえば人間の里の他にない。
人間の里の守護者、上白沢慧音の住居もここにあった。
「慧音さん」
慧音は、人間の里の守護者であるとともに、歴史の守護者でもある。
今、慧音に話しかけたのは、彼女の家を訪れていたもう一人の歴史の守護者、九代目阿礼乙女の稗田阿求だった。
「何だ?阿求殿」
二人は半紙に筆を下ろし、慧音は里の出来事の記録、阿求は幻想郷縁起の編集をしていた。
二人が慧音の家に集まったのは、満月の日の慧音が白沢となるからだ。
この時の慧音は、普段の慧音ではできないことを一気に済ます。
即ち、普段より優秀なのである。
阿求は、その白沢の能力の恩恵に与ろうとしていたというわけだ。
「今の貴女なら分かるはずです」
阿求は、左目は手元に、右目は慧音の頭から雄々しく突き出ている、赤いリボンの巻かれた角を見るという芸当をしながら口を開く。
「この地震の原因を」
筆者は描写していなかったが、先ほどから机の上に置かれた湯呑がカタカタと鳴っている。
箪笥の上からパラパラと埃が落ちてきている。
幸い、地震の震度は強くなく、里の人間たちはそれほどに騒いではいない。
が、長い。
先ほどから延々と揺れている。
「と、音の原因」
壁の向こう―――慧音の家は一軒家なので、それは野外を指すことになるのだが、そこから獣の唸り声のようなゴゴゴという音が断続的に聞こえてきていた。
阿求は、白沢と化した慧音に知らないことはないということを知っている。
この地震と音の原因も分かる、もしくは知っていると踏んだのだった。
「ふむ」
慧音は筆を硯の上に置き、目を閉じた。
外の唸り声が、二人の間に沈黙を作り出すことを許さなかった。
暫し地鳴りを聞いて、慧音は目を開いた。
「……紅魔館の妹君と、霧雨魔理沙」
二つの単語を聞いて、阿求の筆がぴたりと止まった。
「……心当たりあるのか?」
「……紅魔館の妹君と魔理沙さんの仲はよく聞いています」
阿求も硯の上に筆を置き、左目も慧音に向けた。
「そして、霧雨家は幻想郷で最大手の道具屋です。そういう店の情報は雑踏を歩いていれば聞こえてくるものです」
阿求の能力は、一度見た物を忘れない程度の能力である。
求聞持の能力は、見ただけでなく聴覚からの情報も記憶する。
雑踏の中でほんの少しでも耳に入った情報は、あとから思い出して整理することができる。
「『霧雨のとこの娘さん、亡くなったそうだ』……雑踏の中で確かに聞きました」
「そうか……」
揺れの中、阿求は着物を正す。
「あれは、フランドール・スカーレットの悲しみの咆哮ですか?」
「……」
慧音は黙り込んでしまった。
言うべきか言わざるべきか悩んでいるのだろう。
やがて溜息を吐くと、彼女は重い口を開いた。
「違う。あれはフランドールが別れを告げている咆哮だ」
「……そうですか」
阿求は、慧音から手元の半紙に視線を戻した。
揺れの所為で意味不明な図形が躍っていた。
「……はあ、書き直しか……」
――――――――――
「や、厄神様!」
ばしゃばしゃと盛大に川の水を蹴散らしながら、河城にとりが駆け寄ってきた。
岩に腰かけ、川のせせらぎを聞いていた鍵山雛は、特に何の感情も抱かずに、自分に駆け寄ってくる河童を見る。
「はー、はー……」
陸の河童の力は人間並みである。
「息を整えてから話しなさい」
「オーケー、はー、はー……よし、オーケー……あれは何?」
にとりは手に持っていたスパナで夜空を指した。
雛はスパナが指した方向を見る。
紅色っぽい閃光が、虹色の光を携えて天空に昇っていた。
雛は随分と落ち着いてはいるが、気がついていないわけがなかった。
妖怪の山と爆心地が離れていると言えど、地響きも轟音も聞こえていた。
少しの揺れも感じる。
「ああ、あれは大丈夫よ」
雛は最早天蓋の限りを昇って、先端が見えなくなった閃光を眺めながら言った。
「あれから厄は感じないわ」
にとりは怪訝な表情を見せる。
「……あれが危ないものだということと厄、なにか関係あるの?」
「『災厄』は厄と似たようなもの。厄神の私はあれが災厄を齎すかそうでないかくらい分かるわ」
「だけどさぁ……地震はなんとかならないのかねぇ。機器が危機で」
「洒落のつもり?」
「真剣問題」
にとりの真剣な表情に、雛はくすりと笑う。
「我慢してあげて頂戴な。あれはそうそう首を突っ込める事情でやっているわけではないわ」
――――――――――
「凄い光景ね……」
騒霊屋敷の窓から、リリカ・プリズムリバーは見ていた。
「ええ……綺麗」
リリカの姉のメルランもそれに同意する。
窓から見えるのは、天に昇りゆく、紅がかった閃光だった。
夜空が昼の明るさを取り戻しているようだった。
遠くから、地鳴りのような音が聞こえてきていた。
「二人とも、そんなことより合わせる練習よ」
後ろから三姉妹の長女であるルナサが二人を咎めた。
「ええー、でも、こんな光景二度と見れないかもよ?」
リリカが膨れて言う。
メルランの方は見向きもしない。
「はあ……テンションが下がるわ」
肩をがっくりと落としながら、ルナサが呟く。
暫くそうやって二人に絶望していたルナサだったが、ふと思い出したようにヴァイオリンを顎に挟んだ。
「こういう日には……これが良いわね」
流れるような手つきで、ヴァイオリンの弦に弓をあて、弾き始めた。
騒霊の名には全く似合わない、静かで悲しげなバラード調のメロディ。
壮絶な光景に目を奪われていた二人だったが、ルナサのヴァイオリンから溢れる旋律にはっとなって、ルナサの方を向いた。
「Requiem……」
メルランが呟いた。
三姉妹……いや、四姉妹にとって忘れることの無い曲。
二人は、四女が死んだ時に、ルナサがこの曲を弾いたことを覚えている。
今こそ泣いてはいないが、その時のルナサは静かに泣きながらこの曲を弾いていた。
やがて、ルナサは演奏をぴたと止めた。因みにまだ演奏は終わっていない。
「……練習、するわよ」
「……分ったよ」
リリカとメルランは溜息を吐きながら、自らの楽器を取った。
――――――――――
人間の命というのは、柱だと例えた僧がいる。
その僧は、時間を鑿とも例えた。
柱を、時間という鑿が削っていき、最終的にその柱は大きな音を立てて折れてしまう。
その折れる瞬間のことを、「死」と説いた。
因幡てゐはそのことを思い出した。
てゐは人間ではないが、もう何千年も生きている故、何時か自分の柱が崩れるのではと思ったことがある。
まあ、そんな心配はやがてストレスとなって、自分の体を蝕むということを大昔から悟っているので、特に気にしていない。
てゐは健康マニアなのだ。死に怯えることは死を招いていることと同義。
だったらこいつらはどうなんだろうか。
てゐは縁側に腰掛け、血塗れの二人の人間を見ながら思った。
二人の人間は、お互いの襟首を掴み、今にも殴りかかりそうな格好のまま、顔は夜空に走る光の柱に向けて固まっていた。
光の柱はもう五分は夜空を照らしている。
「……」
てゐの横に座った永琳と、その傍らで立っている鈴仙は、その柱を眺めたまま何も言わない。
てゐは、永琳をちらと横目で見て、また先ほどの疑問を自問する。
だったらこいつらはどうなんだろうか。
先ほどの人間の人生は柱云々は、人間だけに当てはまらず、寿命を持つ全ての生き物に言えるとてゐは思う。
だったら、こいつら―――絶対の死の運命から逃れた蓬莱人はどうなんだろうか。
人生の柱が無いのだろうか。削る鑿の呪縛から解き放たれているのだろうか。
それはないと、てゐは否定する。
人生の柱が無ければ、そもそも生きていないし、時の呪縛から解き放たれているならば、紅魔館のメイドの真似事が可能な筈だ。
血塗れのうちの一人の蓬莱山 輝夜は、後者は似たようなことができるが、生きている。
前者が当てはまらない。
もう一人の血塗れの藤原 妹紅と、横に座っている八意 永琳に至っては前者も後者も当てはまらない。
つまり、蓬莱人にも人生は柱、時間は鑿の比喩が当てはまる。
単純に、柱が鑿が歯が立たないほどの強度を持っているか、鑿の刃が脆過ぎて、柱をマイクロ単位すらも削れないというだけだろう。
比べて、唯の人間の柱というものは、砂像ほどの強度しかないのだろう。
てゐも、永琳と鈴仙から魔理沙の死を聞いている。
脆い。実に脆い。
人間というものは実に脆い。
てゐは蓬莱人から光の柱に目を向け、心の中で言った。
こいつらを見てみろ。
「っと、油断したな輝夜!」
「えっ、今タイムじゃなかったゴブァ!」
妹紅は思い出したように輝夜を殴りつけた。
首が折れる音がして、輝夜はこと切れた。
人間の人生は一度きりって言うけど。
次の瞬間、虚ろだった輝夜の目に光が戻った。
「お返しよ!」
「ぐぁっ!」
輝夜は折れたはずの首を元気よく使って、妹紅の鼻に自らの額を叩きこんだ。
元気に殺し合いをしているじゃない。
――――――――――
「もー、何なのよー。まだ冬じゃないでしょう……」
レティ・ホワイトロックは、幻想郷の何処かにある自らの棲家から出た。
冬の妖怪だからと言って、春夏秋は存在していないというわけではない。
冬以外の季節は、幻想郷の涼しい場所にあるこの棲家を寝床にしている。
普段は、冬が来ない限り目が覚めることはないのだが、この地鳴りと地震で目が覚めてしまったのだった。
「……何、あれ」
レティの棲家からでも、幻想郷各地から見える閃光は見えていた。
「あれは花火。一人の人間と別れを告げるための盛大な献花……邪魔するのはお勧めしないよ」
「へえー……って、誰?」
レティの目の前に妖気が萃まって、一人の鬼が姿を現した。
「伊吹 萃香、鬼よ」
「鬼……」
レティは、幻想郷にたった一人の鬼の存在を知っている。
そして、伊吹 萃香の名前にも聞き覚えがあった。
「三日置きの百鬼夜行、の?」
「そそ、それそれ」
萃香は満足そうに頷き、
「ううー、ここは寒い。寒いなら温まるに限る!」
手に持っていた瓢箪の栓を口で開き、傾けた。
一旦置いて、ぷはぁっと幸せそうに息を吐く。
「いやー、やっぱ酒は美味いねぇ!」
「いや、今飲んでいない私に同意を求められても困るんだけど」
レティは呆れて言う。
レティにとって、萃香が言った「寒い」というのは、酒を飲む口実にしか聞こえなかった。
萃香はそんなレティをにやにやしながら見ていたが、やがて視線を巨大な閃光へと向けた。
「……酒の肴には色々なものが合う。春なら桜とか梅、夏なら花火や青々しい野山、向日葵、蛍、秋なら紅葉、秋刀魚、流星、冬なら白雪、鶴、氷の張った湖、雪野ではしゃぐ子供の吐く白い息」
「それって飲む口実を作りたいだけじゃないの?」
萃香はぴたりと動きを止め、ゆっくりとレティの方に渋い顔を向けた。
「……折角の御高説なんだから黙って聞いててよ」
「あ、ごめん……」
レティは自分で何故謝っているのだろうと思った。
「……はあ。ま、いいか。私が言いたいのは……」
萃香は再び閃光へ視線を戻す。
「秋の終わりに見る花火を見ながらのお酒も、中々乙ってことよ」
「悪趣味ね」
レティが正直に言うと、萃香は御尤もと言わんばかりに頷いた。
「まあ、墓前の花を肴にするのは私くらいなもんか」
「ところで、何で私のとこに出てきたわけ?早く寝たいんですが」
「気紛れ。寝るんだったら酔い潰れて寝なさい」
――――――――――
妖怪の山。
天狗や河童などの妖怪が住み着くこの山で、射命丸 文は騒いでいた。
「こ、ここここここ、これはスクープですよ!見出しは『新異変!?幻想郷の空に走る一筋の光』!これを取らない手はないわ!」
手帳とカメラを手に、妖怪の山にある櫓の簡易階段を駆け登る。
この櫓は、本来は白狼天狗が見張りをするための櫓で、幻想郷中を見渡せる。
「文さん!?」
現在見張り中であった犬走 椛が、櫓に駆け上がってきた上司の姿を見て声をあげる。
「椛!あれは何ですか!?」
文は凄まじい迫力で、幻想郷の空へ向かっている閃光を指差す。
顔に唾が飛んできた。
「えあああ、ちょ、ちょっと待ってください!落ち着いて!」
唾を袖で拭いつつ、椛は必死に文を落ち着けようとする。
「はい、息を大きく吸ってー……吐いてー……」
すー、はーと、文は椛に従う。
「吸ってー……吐いてー……どうです、落ち着きましたか?」
「はー……勿論です!ばっちり落ち着いたわ!あれは何ですか椛!?」
落ち着いていなかった。
椛は文を鎮めることを諦め、余所を向いて涙した。
「……あれは膨大な魔力の塊で、空へ向って放たれているようです」
先ほどから文が椛に、遥か遠くに見える閃光のことを聞くのは、椛の能力が千里先まで見通す程度の能力であるからである。
椛は、自分の見張りの時間と、あの閃光が空へ昇った時間が重なった自分の運命をほんの少し呪った。
「あれは地上からではなく空中から空へ向って放たれているようですがっ!ということは、あの閃光の根元に何かがあるということですねっ!?」
「そ……そうですね……」
「見通しなさい!」
「分かってますって……」
涙目を擦り、椛は千里眼の焦点を閃光の根元に合せる。
「……あれは……子供?子供が一人、あの閃光を放っているようです」
「子供ですって!?ど、どんな服装ですか!?」
子供ということは分かるのだが、服装となるとあの閃光に付きまとっている虹色の閃光が邪魔で判別しづらかった。
が、答えないと後が恐ろしいので、椛はさらに目を細める。
「……赤いリボンのナイトキャップ、薄い黄色の髪……赤い……スカート……背中には……何だあれは?」
「ど、どうかしました?」
「鳥でもなければ蝙蝠でもない虫でもない……と、兎に角、翼です!歪な形の、枝みたいな」
「歪な形の枝みたいな翼……?」
ふと、文が静かになった。
椛はそんな文を訝しげに思い、閃光の根元から文へ視線を移した。
「文さん……?」
暫く呆然としていた文だったが、はっと思いついたように手にしていた手帳を物凄い勢いで捲り始め、あるページで止まった。
「……?」
文の突然の不可解な行動に、椛は首を傾げた。
文の目は手帳の文字を追っている。
「……」
やがて読み終わったのか、手帳をぱたんと閉じたと思うと、くるりと踵を返して櫓の簡易階段を降り始めた。
「あ、文さん!?」
文の予想外の行動に、椛は大きく取り乱した。
「記事はいいんですか?」
文がぴたりと止まる。
椛の知る射命丸文は、記事のネタへの執着が凄まじい。
元来平和な幻想郷に、ネタになるような事件はあまり起きないものだ。
文自身、嘘の記事は書かないと決めているので、作り話も書けない。
故にネタへの執着が凄まじかった。
椛は、そんな文が突然記事のネタを放り出したのが信じられなかった。
「……魔理沙さんへの手向けだとしたら……」
誰に言うでもなく、ぽつりと文は呟いて、階段を降りて行った。
「……」
取り残された椛は、一人呆然としていた。
射命丸 文は知っていた。
天狗、特に新聞記者である鴉天狗の情報は早くて膨大である。
文は、椛が言っていた子供を知っていた。
間違うはずの無い、見た者にインパクトを与えるあの翼。
悪魔の妹、フランドール・スカーレットのことだ。
その親友とも言える、霧雨魔理沙のことも知っていた。
霧雨魔理沙の死のことも知っていた。
悪魔の妹が、幻想郷中を駆け回っていたことも知っていた。
文は馬鹿ではない。
フランドールは、魔理沙の死後に動いていた。
ということは、フランドールは魔理沙の死に何か理由があって動いていたと考えるのがいい。
それくらい分かった。よほどのことがない限り、レミリアがフランドールを野放しにする筈がない。
きっとあの閃光は、フランドールが魔理沙にしてあげる最後のことなのだろうと、文は思った。
そう思った瞬間、あの閃光を記事にする気が失せてしまった。
文は、未だ地を揺らし続ける閃光を顧みた。
ついさっきまでは、最高の記事のネタになると輝いて見えた(実際輝いているが)閃光が、今では一人の少女の悲痛なお別れの叫びにしか見えなかった。
――――――――――
妖怪の山。
にある、ここは守矢神社。
ここの神である八坂神奈子は、片手を腰に当てながら、漆の杯に注がれた酒を煽った。
「……」
その眼光は、現在進行形で幻想郷中を騒がせている光の柱を睨んでいた。
「あれは……何なんでしょうか」
守矢神社の風祝、東風谷早苗は不安そうに閃光を見上げる。
神奈子と別の、もう一人の守矢神社の神である洩矢諏訪子は、黙ったまま閃光を見ている。
その目は、普段の軽い諏訪子からは想像も出来ない輝きを放っていた。
神奈子は、そんな1000年以上の付き合いである親友を横目で見、ほうと酒臭い息を吐く。
「案ずることはないさ早苗……あれは害を振りまくものではない」
「そうなんですか……?」
早苗は横に立っている神奈子を見上げる。
「……悲しい波動を感じる……」
諏訪子が呟いた。
早苗は、今度は神奈子と逆の位置に立っている諏訪子を見下ろした。
神奈子は再び酒を煽りながら眉を吊り上げた。
「諏訪子」
「何さ」
「そういう台詞は口の周りに付いているお弁当を食べてから言いな」
諏訪子は驚いて口の周りをぺたぺたと触る。
訂正、べたべたとしていた。
諏訪子は慌てて口の周りの飯粒を舐めとった。
実は三人は、夕餉の途中だったのだが、地震と音に驚いて飛び出して来たのだった。
神奈子は晩酌が手放せなかったのか、こういう状況でも杯を持ち出してきていた。
「人のこと言えるのか年増」
諏訪子は、帽子を深く被りながら誰にも聞こえないようにぼそっと言った。
第三者から見れば、今の神奈子は威厳に溢れていた。
いつの時代も蛇に蛙は敵わないものである。
――――――――――
霖之助は、香霖堂の扉から空を見上げていた。
天へ伸びていく極太な閃光を見上げていた。
「マスタースパーク……」
眼鏡に一本の光の線を映しながら、呟いた。
「な、何なのよあれ!」
はっとして視線を空から声が聞こえた森の方に目を移す。
一匹の翼の生えた妖怪の背中が、森の中に消えていく様子が見えた。
相当驚いて逃げて行ったようで、地面に朱鷺色の新しい羽が数枚落ちていた。
「……」
暫く妖怪の背中が消えて行った箇所を見ていた香霖だったが、再び夜空を分割する光の線を見上げた。
「あれは……いや、似ているがマスタースパークではない」
魔理沙の放つマスタースパークは、白かった。
今、夜空を彩っている閃光は、根本的には白であるが少し赤みがかっている。
虹色の光が垂れ流しになっていることは変わりないが。
「……まさか、フランドールか?」
それで全て合点がいく。
マスタースパークほど消費の激しい魔法を、魔理沙はミニ八卦炉という道具を使って放つ。
現在、ミニ八卦炉を持っているのはフランドールの筈である。
「……遣りたいこととは、これのことなのか?」
霖之助は一人呟く。
「……」
視線を閃光から微妙にずらして、最初に目に入った星を見据えた。
この空の明るさの中で、見える星は一等星くらいだった。
霖之助は、口の端をほんの少しだけ吊り上げた。
「しっかり見ててやれよ……魔理沙」
香霖堂店主は、自分の「妹分」の名前を呟いて店に引っ込んだ。
――――――――――
風見 幽香は面白くさなそうに髪を弄った。
向日葵のベッドで寝ながら、なんともつまらなそうな目で、空の光の柱を眺めていた。
柱は低い轟音を立てて未だに空へ昇り続けている。
はあ、と夜の空気に息を吐き出す。
「どうして……」
右手でとろんとした目を擦る。
「どうして私の安眠は邪魔されるのかしら」
彼女はゆっくりと体を起こす。
その緩慢な動きは、周囲の時間の流れを遅くしているかのような動きだった。
「どうして……」
今度は、脇に合った自分の日傘に視線を固定した。
残った眠気を払うかのように、幽香は頭を振る。
緑色のボブカットが軽い音を鳴らした。
「私の魔法はこうも真似されるのかしらねぇ」
幽香は、体全ての憂悶を吐き出すが如く、それは盛大に溜息を吐いた。
――――――――――
博麗神社からも、勿論フランドールの放つ閃光は見えていた。
「魔理沙への花火……マスタースパークを選んだのね」
霊夢は、障子を開いてその光景を見ていた。
地は軽く揺れ、低い轟音が響いてきている。
弾幕勝負を数多くしてきた霊夢も、今まで見た弾幕の中で一番派手だったのは何と聞かれれば、マスタースパークをまず挙げる。
他にも派手な弾幕はあるかと聞かれれば、幽々子の「反魂蝶」や、美鈴の「極彩颱風」もあるのだが、インパクトならば魔理沙のマスタースパークに勝るものはない。
寧ろ、遠くに見えるあの閃光は、魔理沙のマスタースパークを遙かに凌駕している。
あれならば、魔理沙の「魔砲『ファイナルマスタースパーク』」すらも上回るだろう。
「いい選択だわ」
草鞋を履いて境内へ躍り出る。
森に囲まれている博麗神社は、この季節の夜だと気温が低い為、霊夢の吐く息が白くなっていた。
「……ん?」
境内から見える鳥居の下、何かの影が見えた。
近づいてみると、その影の正体が分った。
足が無い。
「魅魔……じゃない。久しぶりね。何しているの」
博麗神社の祟り神、もとい悪霊の魅魔はぴくりと身を動かした。
「霊夢……か」
魅魔は振り返らない。
ただ閃光を見つめている。
霊夢からは、魅魔の表情が見えなかった。
「人間は……すぐに逝ってしまうな」
「……そうね」
霊夢は静かに同調しながら、魅魔は魔理沙の師匠だったことを思い出していた。
魅魔が、自分に懐いていた魔理沙を実の我が子のように可愛がっていたことも思い出していた。
「……あんたは」
霊夢が白い息を吐く。
魅魔は悪霊の筈なのに、短い白い息を吐いた。
「花を手向けてあげた?」
魅魔は静かに首を振った。
「まだだ」
「……」
霊夢は何のアクションも起さない。
「今からだ」
魅魔はそう言って神社へ続く階段に腰掛け、右手の人差し指を立てた。
「……」
霊夢がその指の先端を見ていると、星型弾が一つ形成された。
金色の。
魅魔はそれを明るい夜空へ軽く投げた。
星型弾は5mくらいまで上がり、音を立てて弾けて消えた。
「……いいの?そんな地味で」
「いいのさ……私の想いも、あれが持って行ってくれる」
霊夢は閃光を見上げた。
「私からの手向けは、形だけで十分さ」
「……そう」
魅魔はフッと笑った。
「霊夢……知っての通り、私は悪霊だ……」
膝を抱えながら魅魔は話す。
「……」
霊夢は黙って魅魔の話を待つ。
地は揺れ轟音が鳴り響いている筈なのに、博麗神社は無音の世界が広がっているようだった。
「すでに死んだ身……故にもう死なない」
「……」
「そして魔理沙は人間……いつか死ぬ、私の元から居なくなる」
「……」
「分かっていた筈なのになぁ」
自らの腕に、魅魔は頭を埋めた。
「どうしてこんなに虚しいのだろうなぁ」
「……」
「どうして……こんなに悲しいのだろうなぁ」
魅魔の鼻の啜る音が聞こえた。
「分かっていた筈なのに……!」
「……」
霊夢は、目を閉じて顔を上に向け、指で目頭を押さえた。
「……すまんな、霊夢……覚悟はできていた筈なのに、涙出てきた。ハハ」
腕の中から魅魔のくぐもった声が聞こえた。
「……あんたは、よっぽど人間より人間らしいわ」
目頭から指を離し、霊夢は目を開けた。
彼女はゆっくりと辺りを見回す。
すぐに真横に合った赤く太い足が目に入った。
「……ッ!」
霊夢はわざわざ半回転して、その足を拳で殴りつけた。
握った拳から、じんわりと痛みが響く。
「私は人間よ……」
力なく、霊夢は逆の手で拳を包み込み、その手の甲に頭を当てた。
「魔理沙が死んで悲しいのに……悲しい筈なのに……どうして……」
ぎりぎりと、音が響いてきそうなくらいに霊夢は歯軋りした。
「涙が……出てこないのよ……!」
柔らかい肉に、深く食い込んだ爪が霊夢の拳から血を流させた。
赤い血は、赤い鳥居の足を汚した。
「全てを受け入れる博麗の巫女は……魔理沙の死すらも受け入れてしまうの……?」
人の死を嘆き、涙する者は、まだその死を受け入れていない。認めていない。諦めていない。
普通は、死を受け入れるのに暫く時間がかかる。個人差はあるが。
死を受け入れた者は、泣かない。認めている。諦めている。
分かりやすい例で挙げるならば、大好きだった祖母が死んだ時こそ泣いたが、それから何年か経ち、その祖母の墓の前に行っても、涙しない例である。
霊夢は、博麗の巫女の性質を恨んで憎んで呪った。
「……霊夢」
魅魔は顔を上げて言う。
「……何よ」
軋む歯の奥から、霊夢は声を絞り出した。
「これは経験則だが……演技で涙を流せる者がいる」
「……それが?」
「演技ということは、心から涙を流してはいない。上辺だけの涙……お前さん、今悲しいのだろう?」
「……まあ、ね」
霊夢は今頃手に食い込む爪の痛みを感じて、手を緩めた。
「涙なんか流さなくともいい。大事なのは、心が泣いているかどうかだ」
「……」
霊夢は喋らない。
再び黙って魅魔の話を催促する。
魅魔はそれを感じ取ったようで、静かに言った。
「老いぼれた悪霊の妄言だが……お前さん、大号泣して見える」
「……ありがとう魅魔。気休めでも嬉しいわ」
霊夢は、糸が切れた人形のように鳥居の柱からずり落ちた。
「気休め……か」
魅魔は閃光を見上げた。
その輝きは、魅魔の涙で濡れた頬を輝かせた。
「悪霊でも気休めが言える……いい御身分じゃないか」
魅魔は、にかっと笑顔を作った。
頬で光る涙と、笑顔。
夜空で瞬く星と、太陽。
今は亡き「弟子」は受け継いだ、
星と笑顔を。
魅魔はすうと息を大きく吸い込み、叫んだ。
明るい夜空へ向って。
「しっかり見といてやれよ!魔理沙!あの娘の感謝と想いを!」
魅魔は白い息と、「我が娘」の名前を同時に吐き出した。
花火で見えづらい、一番星に向って。
――――――――――
「あれは……」
遥か彼方、夜空に映る巨大な閃光を八雲藍は見ていた。
幻想郷の何処かにある、隙間妖怪八雲紫の棲家から。
流石に距離があり、幻想郷各地で観測されている地震は、ここでは殆ど感じられなかった。
音は響いてくるのだが。
藍の尻尾に包まって、膝枕で眠る橙を撫でながら、見ていた。
「分かる?藍」
「紫様……」
空間を切り裂いて現れた主人に視線を移した。
藍は紫の問い掛けに頷く。
「あれからは……絶大な負の感情を感じます……音楽で例えるならば、怒りや憎悪の、ロックのような激しいものではなく、バラードのような……静かな負」
「藍なら分かると思ってたわぁ」
紫が満足げに笑う。
「魔理沙は……いえ、人間は偉大ですね。この騒動で思い知らされましたよ」
紫や萃香ほどではないが、藍も幻想郷のあらゆることを見る事が出来る。
適当な鳥に式を憑け、その鳥の目から情報を得ることは藍にとっては楽なことだった。
「幻想郷が泣いているようです……魔理沙の死を嘆いている」
遠くからは、低い唸り声のような音が聞こえていた。
藍は、自らの膝の上で眠る化け猫を見た。
幸せそうな寝顔だった。
「……仮定の話です」
「いいわよ」
紫は頷く。
「紫様は、私が、」
藍は閃光を指差す。
「紫様か、橙の為にあのような行動に走ったら、喜びますでしょうか」
「そうねぇ……」
紫も、藍の指さす方向を見た。
「……」
暫く思考に耽っていた紫だったが、やがてにんまりと笑った。
その笑みは、紫が人を寄せ付けない所以の笑みだった。
胡散臭い。
「その時の気分次第」
藍は渋い顔を作った。
「……意地悪ですね」
「意地悪よ」
「知ってます」
「知られているとは思っていなかったわ」
藍は溜息を吐いた。
そして、ここ三日間疑問に思っていたことを言った。
「紫様、これが三日前に仰られた嵐なのですか?」
紫は、胡散臭い笑みを浮かべ、遠くに見える閃光を見ながら、藍の質問に答えなかった。
代わりに、独り言を言った。
「力無き者は、その迫力に身を震わせ逃げ出し、力の有る者は、その迫力の本質を見抜いて邪魔をしない……藍は、後者ね」
「……有難うございます」
取り敢えず、褒められたらしいので藍は礼を言っておいた。
紫は藍を無視してさらに独り言を言う。
「あれを邪魔する者は誰もいない……フランドール、思いっきりやりなさい」
紫が吐いた独り言は、明るい夜空に消えた。
フランドールが例えた、幻想郷の全知の神、八雲紫はいつの間にかに表情を摩り替えていた。
胡散臭い笑みから、母が見せる微笑みへ。
――――――――――
一人の少女の死は、一人の少女を動かした。
上辺しか物事を見れない者は、少女の異常な行動に恐れを成した。
物事の本質まで見抜ける者は、少女の異常な行動を止めようともしなかった。
少女の奇行を止める者は誰もいない。
誰もいない。
――――――――――
魔力が、尽きてきた。
八卦炉を持つ手も、痺れてきた。
私は光の中にいた。
魔理沙から貰った恋の魔法の光に目が眩みそうになりながら、魔力の放出を続けた。
もうどれ位こうしているか分からない。
もう何時間も経ったかもしれない。
もう握力が無い。
八卦炉が手からずり落ちてきた。
まだだ。
もう片方の手で、八卦炉を持つ手を支えた。
まだ私の気は済んでいない。
もし、とっくに魔理沙に届いていたとしても、もう充分すぎても、今止めたら、私は一生後悔するだろう。
まだやっておけばよかったって。
まだ私の中には魔力が残っている。
まだやれる。
せめて、完全に撃てなくなるまでやりたい。
「うあああああああああああああっ!」
ミニ八卦炉を一層がっちりと握り直した。
思えば、この三日間本当に色んな経験をした。
お姉様のささやかな思いやりを感じた。
お姉様に抱き締められた。
何百年ぶりくらいに泣いた。
雨の中に初めて立った。
魔理沙の死体を初めて見た。
香霖堂の場所を知った。
眠れないということを経験した。
一人で外を出歩いた。
エンバーミングの凄さを目の当たりにした。
氷精に会った。
永琳とウドンゲに会った。
薬の限界を知った。
ミニ八卦炉を貰った。
結界を飛び越えた。
庭師と対峙した。
冥界の主に土下座した。
そして挫かれた。
冥界のことを教えてもらった。
向日葵畑で幽香と会った。
魔理沙を除いて初めてからかわれた。
幽香に花火の存在を聞いた。
図書館が初めて役に立たなかった。
霊夢と再会した。
幻想郷のオーエンさんに会った。
紫と霊夢から花火のことを聞いた。
パチュリーは花火のことを知らなかった。
紫に外の世界の花火を見せてもらった。
お姉様だけが私の姉だと思った。
アリスから魔理沙人形を貰った。
魔理沙の家に入った。
魔理沙の日記を読んだ。
お姉様だけが私の姉って言ったのを、ほんのちょっぴり後悔した。
嘘を吐いた。
魔理沙のお父さんに会った。
その目に魔理沙の面影を見た。
魔理沙の為に花火を打ち上げた。
魔理沙の、魔理沙に、魔理沙の為。
全部魔理沙が原因。
妹みたいだと思ってくれていた、魔理沙が原因。
地下牢で壁と睨めっこしていた頃の私は、今の私を想像できるだろうか。
魔理沙の、お陰。
「まりさぁ……!」
もう魔力が無い。
まだ撃ちたい。
生きてても死んでも色んなことを教えてくれた、魔理沙の為に。
そう思った瞬間、私は「見た」。
私の放つマスタースパークが纏っている虹色の光の中で、「それ」を。
「それ」は、少女だった。
青白いぽーっとした光でできた、裸の少女。
少女の背中には、鴉の黒い翼でも、蛍の薄羽でも、お姉様の立派な蝙蝠の羽でも、私のような奇怪なものでもない、大きな純白の翼が生えていた。
恐ろしいほどに美しくて神々しい天使。
羽ばたく度、純白の羽が舞う。
少女の顔と、長い髪は見覚えがあった。
色こそ青白くて違うけど、三つ編みが解けているけど、何度あの長くて綺麗な髪に憧れたか。
忘れもしない、その顔は微笑んでいた。
太陽のように笑う「彼女」には似合わないけど、それでも。
少女は、翼をはためかせ、光の奔流を大きくぐるりと回って、私の後ろで止まった。
声も出なかった。
少女は、後ろからゆっくりと抱きついてきた。
青白い腕が、私の首を抱く。
その腕からは、確かに体温を感じた。
横目で、彼女の口元が見えた。
横目で、彼女の唇が動くのが見えた。
『――――――』
「ま……り……さ……」
魔力が尽きた。
八卦炉から放たれる閃光は、だんだんと細くなって、夜空に消えていった。
もう飛べる力も残ってない。
手からミニ八卦炉が落ちた。
私の体は、暗さを取り戻した幻想郷へ落下を始めた。
少女は、私を抱いていた腕をするりと抜いた。
ばさっと翼をはためかせ、落ちていく私を見下ろした。
私は、満月をバックに大きな翼を広げている少女に手を伸ばした。
どんどん少女が小さくなっていく。
空に、キラキラと何かが光るのが見えた。
落下しながら、星かと思ったけど、自分の流している涙だと分った。
お姉様に抱かれて以来、泣いていない。
魔理沙の死体を見た時は、あの時は雨で弱っていたから、涙腺が緩んでいたかもしれないけど、泣いたような記憶はない。
大体、あの時の記憶は曖昧。雨とショックの所為で。
この三日間、何度も泣きそうなことがあったけど、泣けなかった。
涙が出なかった。
やっと泣けた。
意識を失う寸前、私は見た。
彼女は微笑んでいなかった。
彼女の笑顔は、私が見てきた笑顔の中で一番輝いて、似合っていた。
「ありが……とう……ま……り……」
私の体と意識は、深い闇へと落ちて行った。
――――――――――
「う……ん……?」
目を開けた。
横には魔理沙の寝顔があった。
嘘!?
目を擦って見ると、人形だった。魔理沙人形。
「目が覚めた?」
背中から声が聞こえたので、はっとなって寝返りをうった。
白いドレスとナイトキャップが目に入った。
「お姉様?」
がばっと身を起こす。
横の椅子で座っていたのは紛れもない私のお姉様で、林檎を剥いていた。
血だらけ林檎だった。
「……お姉様?」
「寝てなさい。私が林檎剥いてあげるから」
血だらけ林檎だった。
「血だらけ」
「五月蠅い。……いった!」
見ているそばから血が増えた。
「もういいよ。お姉様、私林檎いらないから」
見てられない。
見苦しくて。
でも、お姉様もなかなか頑固で、
「いいから食べなさい」
って言うから、
「林檎嫌いなの。私が嫌がっているのに食べさせるの?」
って言ってやったら、やっと止めた。
別に林檎嫌いじゃないけど。
皮を剥いて黄色く(私の主観。人によっては白って言う人もいるかも)なるはずなのに何故か赤い林檎を、横の台の皿に置かせた。
改めて辺りを見回す。
いつも目が覚める地下牢じゃない。
もっと高級感のある洋室だ。
お姉様の部屋だ。
ということは、私が魔理沙人形と寝ていたこのベッドは、お姉様のベッドということになる。
「……ねえ、私、どれ位寝てたの?」
「大体三日ね」
三日……魔力の放出は膨大だったらしい。
「……お姉様、どこで寝てたの?」
まさかと思い、聞いてみた。
私がここでずっと寝ていたなら、お姉様はどこで?
「ん?ここでよ」
あれ、地下牢じゃなかった。
「この椅子の上で」
お姉様は少し腰を浮かせ、座っていた椅子をぽんぽんと叩いた。
へぇー椅子のう……え?
「お姉様……まさかずっと私に付きっきりだったの?」
「……まあ」
お姉様は白いほっぺを赤く染め、そっぽを向いた。
可愛い、照れてる。
「うふふふふ」
「……何よ気持ち悪い」
「ううん、何でもない」
お姉様、有難う。
お姉様の赤が治まらないので、私はお姉様とベッドを挟んで逆サイドに顔を向けた。
そこには、赤い薔薇が二輪入った花瓶と、ミニ八卦炉が置いてあった。
「……ねえお姉様、確か私、花火を打ち上げた後に気を失って落ちたと思うんだけど、誰がミニ八卦炉と私を拾ってくれたの?」
「それは私がお答え致しましょう」
突然目の前のテーブルの横にメイド服が現れた。
驚いて視線を上にスライドすると、銀髪のメイド長の顔がそこにあった。
「……咲夜、呼んでいないわよ」
後ろからお姉様が言った。
「呼ばれていませんわ」
咲夜は瀟洒な微笑みを作ると、私に目を向けた。
「八卦炉は、霧の湖の中に沈んでいましたが、美鈴が自ら飛び込んで拾ってきました」
「美鈴が……?」
咲夜は頷く。
「はい。美鈴は、妹様の力になれない私が出来ることはこれくらいだと言っておりました」
「そんなこと、無いのに」
思わず笑みが零れる。
美鈴には感謝している。
美鈴がいなければ、魔理沙に会えなかったし、香霖にも会えなかった。
感謝している。
今度、遊んであげよう。
「次に、妹様の体ですが、」
咲夜は一旦そこで言葉を切り、私の背後をちらりと見た。
「湖に落ちる寸前、何処かの吸血鬼さんが受け止めてくださいました。それはもう大慌てで」
思わず、吹き出した。
「本当!?アハハ!その吸血鬼さんには感謝しないとね!アハハ!」
目から涙出てきた。最近は泣く出来事が多いわね。
「その通りですこと」
咲夜はくすくす笑っていた。
「出てけーっ!」
背後で誰かが叫んだ。
もう大声も大声だった。
「はいはい」
咲夜はまだ笑いが治まらないらしく、くっくと笑いながら消えた。
「全く……」
後ろで誰かが溜息を吐く音が聞こえた。
お姉様、有難う。
「……ねえ、フラン。私思いついたの」
私はお姉様に顔を向ける。
まだ赤かった。というか、さらに赤みが増していた。
「思いついたって、何を?」
お姉様は咳払いを一つした。
「フラン、貴女はもう自由に外出していいわ」
「……本当?」
お姉様が頷く。
「牢獄の生活で大分世間知らずのようだし、これからは幻想郷を見て回るといいわ。花火の件とかあるし」
……だって、花火の本とか読んだことなかったもん。
「破壊衝動も収まっているようだし、監禁しておく理由もないから」
「……でも」
「お姉様の意見は絶対。デモもクーデターもない。いいから、少し世間を見てきなさい。勿論、魔力が完全に戻ってからよ」
「……分った」
私は、自分の体をベッドに沈みこませた。
ベッドのばねが微かに軋む。
「あーあ、お姉様のベッドはこんなに気持ちいいのに」
「あら、貴女の新しい部屋も用意してあるわよ。用意している途中だけど」
「本当?」
「本当本当」
今から楽しみだ。
どんな部屋なんだろう。
そう思いながら、寝返りをうった。
「……ん?」
腰のあたりで違和感を感じて、そこを探ってみたら、ポケットだった。
ポケットに何か入っている。
それを引っ張り出して、まじまじと見た。
その正体が分かった瞬間、はっとなった。
「……あら、綺麗な鳥の羽」
お姉様が言った。
暫く、私はそれを見ていたけど、横に寝ていた魔理沙人形を手繰り寄せて、背中のシャツとベストの間に差し込んだ。
山高帽から、白い羽の先端がちょこんと出る形になった。
「……この人形が、動けばいいのに」
動くはずはない。
ただの人形なんだから。
そんなことは分ってたけど、思わず口からそんな言葉が出た。
私は魔理沙人形を、シーツの中でぎゅっと抱き締めた。
お姉様には見えなかったかもしれないけど、私は顔に出る笑顔を抑えきれられなかった。
幻想郷は、常に概ね平和である。
たまに異変が起こり、巫女やら魔法使いやらが奔走するが、基本的に平和なのである。
白妖精が春を伝え、自然の権化は向日葵を咲かせ、秋の神は紅葉と豊穣を喜び、寒気の妖怪は雪野で舞う。
四季は幻想郷の化粧。
そのリズムは、たまに乱れたりするが、大体規則正しい。
495年の監禁生活を生きた吸血鬼少女は、それを見たことが無い。
これから見れるとなると、期待に大きく胸が膨らんでいくようだった。
「ねえ……お姉様、私も思いついたことがあるの」
幻想郷はあらゆるものを受け入れる。
「何かしら?」
狂った吸血鬼でも、魔法使いの死でも、
「この三日間、私を呼び出した三人の妖精も、氷精も、永琳もウドンゲも、幽々子サンも、幽香も、紫も、アリスも、みんな私のことを『悪魔の妹』っていうことで認識してた」
紅い霧に覆われようとも、
「妹って身分を強調されると、何だかお姉様に依存しているような気がするの」
冬と春の交代の契りが切られようとも、
「弱い妖怪は、二つ名だけで逃げ出す……それは普通じゃない」
宴会があまりに多くても、
「幻想郷を歩き回れる以上、私は人間とも弱い妖怪とも接したいの」
月が偽りだったとしても、夜が明けなかったとしても、
「『悪魔の妹』の二つ名がある限り、それはできない」
突然四季の花が咲き乱れようとも、
「……新しい二つ名が欲しいの?」
「私、気がついたの。私がみんなと普通に接して生きていける事が一番幸せで普通なんだって。この三日間、楽しかった」
神社が乗っ取られようとも、
「私に恐れず、普通に接してくれた人たちと話すのが楽しかった」
幻想郷は変わらず動く。
「普通、魔理沙が目指した普通。これが一番幸せなの」
狂った吸血鬼が、普通を志そうとも。
「貴女は、私の妹であることをやめるの?」
「そんなわけがない。私は永遠にお姉様の妹。でも、二つ名は変えて欲しいの」
「そうねえ……じゃあ」
「ああ、いいよ。お姉様のネーミングセンスはあれだし」
「どういう意味よ」
「私がもう考えているの」
フランドールは、笑った。
太陽のように。
「私の新しい二つ名は―――」
あれ?ここはどこだろう?
確かに眠った筈。なのに私は起きてる。
辺りは暗い。
真っ暗というわけではない。夜?
風を肌で感じて、夢ではないことを悟った。
ざわざわ……
足下からさっきから何かが蠢いている音がする。
あれは……
視線を下にやると、光の点がぽつぽつと蠢いてた。
吸血鬼の目をよく凝らして見ると、それは人間だった。
人間の群れ。
あんな沢山の人間、初めて見た。
耳を欹てると、水の流れる音も聞こえた。
川?
川は真下にあるようだった。
水音は絶えず、鳴り続ける。
……
私は羽を動かしていない。
けれども、私は空を飛んでる。
いや、正確には浮かんでいるって言うべきかもしれない。
落ち着きのない人間の群れを見下ろしていると、ある事に気がついた。
足が透けてる?
顔を下に向けていると、私の足が透けているのが分った。
つまり、今私は幻に近い存在。
多分、下の人間たちは私の存在に気が付いていないだろう。
これは私の夢?
私は確かに紅魔館の地下牢のベッドの中で眠った筈だし、此処での私の存在も儚い。
幻想郷で人間がこんなにいるとは思えないし、こんな風に集まらない。
大体、こんな地形は見たことがない。
けど、やけにリアルだ。
夢なら、夜風を感じないだろうし、ここまではっきりした形を持ってない。
どういうことだろう
私が考えていると、人間たちのざわめきが止んだ。
何が始まるのだろう
ヒュー、ドドン。
足下の人間たちから「おおー」とか「わあー」とか「パチパチ」とかそんな音が聞こえた。
驚いて、音のした方向を見てみる。
何もない。ただ夜空が広がっている。
私が混乱していると、地平線から一筋の光がヒューって音を鳴らしながら昇っていった。
光は、私と同じくらいの高さまで上がると、消えた。
……?
ドン。
夜空に巨大な花が咲いた。
一瞬の沈黙の後に咲いた、光の花。
これが……
間髪入れずに次の閃光が空へ昇る。
開花。
昇る。
開花。
昇る昇る昇る昇る。
開花開花開花開花。
圧倒的な光景に、私は目を奪われた。
緑色だったり、金色だったり、青色だったり、赤色だったり。
ドンドドンと盛大に音を鳴らして、それは開花する。
散った花弁は、地平線に落ちる前に消えてなくなる。
綺麗……
開花の度に、人間たちが歓声を上げる。
開花の度に、夜空は昼の明るさを取り戻す。
幻想のようなリアル。
リアルの中に咲いた幻想の花。
「気に入ったかしら?」
この声は知っている。
私は振り向いた。
視線の先には、紫色の派手な服を着た、夜なのに日傘を差している女の人が座っていた。
座っている?ここは空中の筈……
よく見ると、女の人は空間の裂け目に腰かけていた。
紫……
全身を見たのは初めてだ。
幻みたいな私に比べて、紫の体は形がはっきりしていた。
「これが花火。美しいでしょう?」
ドドン。
うん……ここはどこなの?
「貴女の夢の中であり、貴女の現実である」
私の夢であって現実?夢と現実は違うものでしょう?
「夢と現実は違う。その通り。夢と現を区切る境界があるから、夢と現実は違うもの」
……だから?
「私の能力はその境界を操る程度の能力。貴女の夢を以て現実を見せているのよ」
……あの時貴女がやったのは……
私は、紫が私の頭に手を翳したことを思い出す。
「そう。全てこの為。まあ、夢に落ち易い様に貴女をすぐに眠らせるようなこともしたんだけどね」
どおりで今日はあっさり眠れたのね
「嫌だった?」
ううん
有難う紫
紫はにこりと微笑んだ。
「いつ見ても……」
私は花火の方を見た。
ドドン。
虹色の花火が夜空を彩る。
「花火は美しいものね」
ねえ紫……魔理沙はこれで喜んでくれるかな
「いいえ喜ばないわね」
え?
「もっと派手なら喜ぶわ」
――――――――――
闇の中、私は目を開けた。
体には布の感触。
目を擦りながら上半身を起こす。
「夢……」
視界に広がったのは、煉瓦が綺麗に積まれて作られた地下牢の壁。私に抉られた跡もある。
思いっきり伸びをして、昨日の疲れが残っていないことを確認する。
「今何時だろう……」
地下牢では、外の様子が分らないから、昼も夜も分らない。
蝋燭が燃え尽きていることから考えて、起きる時間はとっくに過ぎていることは分かるけど。
ぴょんとベッドから降りて、扉へ向かった。
――――――――――
「夕方……?」
窓から見える空は、橙色に染まっている。
今日は大分寝過してしまったみたいだ。
でも、起きる時間としてはベストかもしれない。
紫が起こしてくれたのかな。
「起きたの?フラン」
「お姉様……」
窓の外を眺めていると、お姉様が歩いてきた。
「心ここにあらず、って感じかしら」
お姉様はころころと笑う。
「よっぽど魔理沙が好きだったのね。普段の貴女なら、ずっと地下牢に閉じ籠もっているのに、昨日の貴女はどこか違ったわ」
「……そう、かな」
「誰かを好きになるってことはいいことよ。貴女を閉じ込めて495年経って、ようやく気がついた。貴女に必要だったのは、監禁ではなく誰かと仲良くなること……本当に馬鹿な姉でごめんね……」
お姉様の顔に影が差した。
私は首を全力で振る。
「ううん、お姉様は、私の自慢のお姉様よ。レミリア・スカーレット以外のお姉様は私には考えられない」
「フラン……」
お姉様の手が私の頭の上に乗る。
「有難う、私は幸せな姉だわ」
お姉様は優しげに微笑んだ。
――――――――――
花火を打ち上げる前に、行っておきたいところがあった。
夕日がだんだんと地平線に落ちていく様子(勿論日傘は差している)を横目で見ながら、私は空を飛んでいた。
霧の湖を通り過ぎ、魔法の森の上空に行き着いた。
行きたいのは勿論魔理沙の家と、香霖堂の側にあるという墓。
花を手向けるということは、それは死者の死を受け入れるということ。
生きている人間に花を贈ることはあっても、手向けるということはない。
逆も然り、死んでいる人間に花を手向けることはあっても、贈るとは言わない。
だから、魔理沙に花火を手向ける前に、最後にお別れをしておきたかった。
パチュリーは、魔法の森に魔理沙の家があると言っていた。
だから私はここにいるわけだけど、肝心の家が見つからない。
と思ったら、前方にちょこんと黒い三角が木々の間から出ているのが見えた。
「……あれかな?」
翼を羽ばたかせ、黒い三角が見えた場所へ飛んだ。
――――――――――
白い外壁でよく掃除の手が行き届いている洋風の家だ。
……何かイメージと違うような……
日傘片手にぐるりと回って、私は首を傾げる。
魔理沙は「私の家はごちゃごちゃで汚いぜ」って言ってたけど……
考えられる可能性としては二つ。
魔理沙の家についての情報が間違っているか、魔理沙の家ではないかのどちらか。
魔理沙が嘘を吐くことは結構あったから、前者も考えられるし、後者もあり得る。
が、嘘というのはいつも意味や目的があって吐くものであって、意味もなく吐くものではない。
例えば、致命傷とも言える怪我をしている兵士に、傷は浅いと言う。
もし、兵士に「このままでは死ぬぞ」と本当のことを言ってしまえば、兵士は不安やらショックやらで状況をさらに悪化させてしまう。
浅いと言えば、安心して、少しでも状況はプラスへ傾く。
この場合は、兵士を安心させるための嘘。意味と目的がある。
子供同士が吐く嘘だって意味や目的がある。
相手を困らせるための嘘だったり、相手をからかう口実を作るための嘘だったりもする。
って本で書いてた。
まあ兎に角、嘘は意味や目的があって吐くもの。
この場合はどうだろうか。
魔理沙は自分の家が汚いと言っていた。
私が見ている家は、まあ、私の目がおかしくなければ綺麗。
魔理沙が嘘を吐く理由がない。
わざわざ自分を卑下にする意味がない。
自分の評価を下げたいなら、もっと大衆の面前で言うべき。
結構魔理沙と一緒に本を読んでいたパチュリーでさえ、魔理沙の家のことは聞いていなかったんだから(何処にあるのかは知ってたけど)、大衆の面前で大っぴらに言ったわけでもない。
私を困らせたくて吐いたわけでもないだろう。
だって私は普段、地下牢にいるわけだから、魔理沙の家に行くことはない。
私にとって、本来は不必要な情報なわけで。
よって、魔理沙のあれが嘘だとしても、意味がないし目的も考えられない。
だから、魔理沙の言ったことは真実。
魔理沙が言ったことが真実なら、私は間違ったということ。行き着くところを。
「……誰の家だろう?」
魔法の森には魔法使いが住み着くという話だから、多分魔理沙以外の魔法使いの家。
単なる好奇心から、私はドアをノックした。
ノックして3秒後、くぐもった声がドアの奥から響いた。
「何方……?」
がちゃりとドアを開けて金髪の少女が顔をのぞかせる。
少女といっても、私よりずっと背が高いけど。
「貴女は確か……紅魔館の妹君の」
まあ、見た目的に少女だからOKね。少女は、その金色の瞳をこちらに向けて驚いた顔をした。
私もこの少女に見覚えがある。
「アリス・マーガトロイド、だっけ」
たまに紅魔館の図書館に来る魔法使い。
確か人形遣いだった筈。
「貴女が何故ここに?」
「魔理沙の家を探しているんだけど」
アリスは怪訝な顔をした。
「魔理沙の家ならあっちよ。もう空家だけど……」
魔理沙とアリスは犬猿の仲だと聞いている。
きっと魔理沙の死も知ってるだろう。
「うん……魔理沙に最後のお別れをしようと思って、魔理沙の家を探しているの。特例でお姉様に外出を許されているの」
「そうなの……」
アリスは溜息を吐いて、前髪をかきあげた。
「魔理沙と貴女は仲がいいって聞いていたしね……弔いはきっちりしてあげなさいよ」
「……アリスはもう花をあげたの?」
「ええ、香霖堂の横にある彼女の墓にね。墓標も何もなかったから、花を上げる場所を確かめるのに苦労したけど、霖之助さんがあっさり教えてくれたわ」
「そう……私も急いでいるから、このへんで失礼するわ」
夕日の端が地平線に掛っている。
「ああ、ちょっと待って」
アリスがさっき指差した方向へ歩みだそうとしたら、アリスが私を呼び止めた。
アリスは指をパチンと鳴らした。
すると、金髪の妖精みたいな格好の人形が、別の人形を抱えて飛んできた。
「有難う上海」
アリスは人形が持っていた人形を受け取り、それを私に差し出してきた。
アリスが差し出してきた人形は、黒い山高帽を被って、長い金髪を持った人形だった。
エプロンドレスが懐かしい。
「これは……」
「魔理沙人形よ。貴女にあげるわ」
「いいの?これ、凄い完成度だけど……」
「いいのよ。元々呪いにつか……ごほごほ、兎に角、必要なくなったから、貴女にあげるわ」
「……有難う。貰っておくわ」
物騒な言葉は気にしないことにした。
――――――――――
魔理沙人形を胸に抱いて、森の中を歩いていた。
アリスの話だと、魔理沙の家はあまり高くないらしく、上空からでは木々に隠れて見えないそうだ。
だから徒歩。
真っ直ぐ進んで行けば着くそうなので、迷うこともない。
真っ直ぐとは、即ち直線。
魔理沙の家と直線上に歩いて行けば絶対迷わないわけだから、直線上に存在する遮蔽物は壊して進む。
もう何本木を壊したか忘れた。
迷わないようにだから問題ない。迷ったら時間の大幅な無駄遣いだし。
「あ、あった」
林立する木々の隙間に、一軒の家が見えた。
壁には蔦が張り巡らせられていて、アリスの家とは大違いの暗い外観だった。
夕日は半分ほどが地平線に隠れている。
もうすぐ夜。
私と魔理沙の家を結んだ直線上に、一本木が邪魔するように生えていたから、「目」を握り潰して木っ端微塵に壊した。
――――――――――
「ここが魔理沙の家……」
成程、汚い。
玄関の扉を開けてまずそう思った(日傘は取り敢えずここに置いておいた)。
奥へ続く廊下の脇には、これでもかとばかりにガラクタが積み上げられている。
絶妙なバランスで積まれたガラクタの壁は、ここの家の主人の性格を表しているようで、嫌いではなかった。
咲夜が見れば、全力で掃除に勤しみそうな光景だけど、私は全く不快とか、そういうのは感じなかった。
こういう大雑把なところは、魔理沙を思い出させる。
廊下を進むと、木製の扉に突き当たった。
ドアノブは黒ずんでいる。多分手垢。
ということは、この先は手洗いか。
と思ったけど、よく考えたら外に井戸があったからそれはない。
ドアノブからは、何か奇妙な匂いがした。
どう考えても人間の手の垢がこんな異臭を放つはずがない。
「……茸の匂い?」
そうか茸か。魔理沙の魔法は茸を利用した魔法だって言ってたな。
魔理沙の魔法は何かと爆発するものが多かったから、実験は多分外でやっていたのだろう。
で、その実験の結果を記録するために、書に記す。
魔理沙のことだから、手を洗う前に書に記そうとしていたに違いない。
物を書いたりするのに使う部屋といえば……
「……この先は書斎かな」
多分そうだ。玄関から入って直線で突き当たるここは、駆け込んですぐに着く。
私は黒ずんだドアノブを握って、回した。
扉の奥に広がっていたのは、やっぱり書斎だった。
ここも本とか紙屑とか乱雑に投げ捨てられていて汚い。
本棚とか、脇に置いてあるゴミ箱とか全く意味がない。
けど、床が散らかっているとはいえ、部屋中央の机への道は確保されているようで、ただの物置というわけではなさそう。
私は、多分魔理沙が足元の物を蹴散らすことによってできた道を辿って、机に行き着いた。
机の上には、びっしりと術式で埋め尽くされた紙が折り重なっていた。
私の使う力も魔力だけど、この術式は読めない。
というか、魔法使いの魔法というのは普通オリジナルで、他人が理解できるものではない。
私の場合、魔力を使うといっても魔法とは微妙にニュアンスが違うけれども。
「ん?」
術式の書かれた紙の山に隠れて見えるのは、黒い革のカバーで覆われた、手帳大の本だった。
紙の山をかき分けて、それを取って見る。
黒い革のカバーには、あちこち剥がれた金色の文字が躍っていた。
――――DIARY。
日記帳だった。
少し私はうろたえた。
他人の日常が綴られた資料が面前に出されたら、誰だって見たくなる。
しかもそれを咎める者もいないのだから、ますます見てみたい。
魔理沙の日記帳を見てはいけないと誰からも言われていないし、我慢して見ない理由も利点もない。
よし。
自分で許可を出して、私は日記帳を開いた。
内容は、どういう実験しただとか、紅魔館の図書館に突撃したとか、博麗神社に行ったとか、別段おかしなところはない。本当にただの日記帳だ。
結構可愛い文字だなあ。
カバーの文字とか、日付とかから、わりと長く使っていたらしい。
もっとも、一番新しいページは今から4日前で止まっているんだけどね……
暫く日記に目を通していると、一つの単語に目が止まった。
フラン。
「私のこと……」
私は、目に止まった自分の名前を指で押さえ、文章を辿る。
今日は紅魔館に遊びに行った。
魔法の実験が一段落したから、久々にフランと遊ぶことにした。
フランは、私を見るとあの虹色の羽をぱたぱたと動かして抱きついてくる。
フランはレミリアの妹だというのは分っているが、私はフランを妹みたいなものだと思っている。
フランとの弾幕ごっこは楽しい。
誰よりもわくわくする弾幕を撃ってくる。
霊夢やアリスじゃ、ここまでわくわくはしない。
やっぱり、フランとの純粋な力比べが一番楽しい。
アリスは「弾幕はブレイン」とかほざいているが、そんな弾幕は面白くとも何ともない。
フランとの弾幕が一番楽しい。
やはり、弾幕は派手でないとならん。
今度レミリアに言っておこう。
妹と遊ぶっていうのは、楽しいな、と。
「魔理沙……」
私は日記をぱたんと閉じた。
魔理沙は私との遊びが楽しいと書いていた。
魔理沙は私を妹だと思っていた。
お姉様に、お姉様以外の姉は考えられないと言ったけど、
少しだけ、少しだけ、嘘、吐いちゃったかな。
――――――――――
香霖堂の場所は分っていたから、木を破壊することもなく飛んで着いた。
ごちゃごちゃとガラクタが置かれた店先に降り立った私は、魔理沙の墓を見つけようと辺りをきょろきょろと見回した。
アリスが言うには、墓標が何もなくて探すのに少し骨が折れるらしいけど、私の場合はそんなことなかった。
だって、店の横で男の人が手を合わせているんだから。
男の人といっても、香霖じゃない。
香霖より、見た目は年上っぽい(香霖が妖怪の可能性もあるから、あくまで見た目だけど)。
中年のその男の人は、合わせていた手を放して、こちらを振り向いた。
「あ……」
その男の人の目は、どこか見覚えがあった。
私に気がついた男の人は、私に頭を下げて、人里の方の道を歩いて行った。
男の人が手を合わせていたところには、綺麗な花束が、これまた綺麗に並べられてた。
墓標はない。地面に直に置いてある。
魔理沙が恐らく埋めてあるだろうその場所に、私は駆け寄った。
花束は僅かに吹いている風でかさかさと揺れ、儚かった。
ガチャリ。
香霖堂の扉が開いて、香霖が出てきた。
「おや……フランドールじゃないか」
「……今晩は、香霖」
香霖堂の3段しかない石段を降りて、香霖は私に歩み寄る。
「ねえ、今の人は?」
「今の人?」
ああそうか。香霖はさっきの男の人を見ていないか。
「……ああ、僕の師匠だよ」
……あれ?
「し、師匠?」
「もしくは、霧雨魔理沙の親父さん」
魔理沙のお父さん。
あれが……
そう言えば、目がそっくりだった。
「でも、何で私がそのお父さんのことを言ってるって分ったの?」
「さっきまで店の中で泣いていたからね……」
合点。
でも、確か魔理沙は勘当された身だって聞いてたけど。咲夜から。
「親は何時まで経っても我が子の事が心配なんだよ」
「そんなもんかな」
「そんなもんさ」
フッ、と香霖は笑った。
「店でお茶でもどうだい?生憎紅茶は切らしているが……」
私は空を見上げた。日傘片手に。
夕日はもう頭をちょこんと出しているだけで、もう殆ど沈みかけている。
「ううん、遠慮しておく。遣らなきゃいけないことがあるから」
「そうか……」
香霖は眼鏡をくいっと持ち上げた。
「何をするか知らないが、健闘を祈るよ」
有難う、香霖。
私は日傘を畳んだ。もう必要ない。
香霖に一礼をして、紅魔館へ向けて飛び立った。
――――――――――
もうすっかり日は落ちた。
辺りは、吸血鬼が支配する闇の世界。
私はじっと、湖の上空にぽっかりと浮かぶ月を睨んでいた。
今宵は満月、吸血鬼の力が最大になる日。
満月の日は吸血鬼に限らず、様々な妖怪がその力を高める日でもあるけどね。
「フラン……準備は出来ている?」
お姉様が横から話しかけてきた。
お姉様だけでなく、咲夜や、美鈴や、パチュリーや小悪魔やメイドたちまで、紅魔館の外に出て私の傍にいる。
「準備は、とっくに」
満月を睨みながら私は頷いた。
満月をじっと見つめていると、私の中の魔力が膨れ上がってくる。
満月の力が、私の目から注ぎこまれていくのを感じる。
ありったけの魔力で作った花火を、あの世の魔理沙に手向ける。
傍から見れば、馬鹿に見えるかも知れない。
空へ放つ魔力花火は、どこから見ても魔力の無駄撃ち。
分ってる。
それでも、私は花火を手向けたい。
逝ってしまった魔理沙が喜ぶように、魔理沙が好きな派手な花火を。
多分、これをやれば私は暫くの間、壮絶な疲労感と倦怠感に襲われて動けなくなるだろう。
それほどの価値がある。これからやることには。
傍から見れば、やっぱり馬鹿に見えるかも知れない。
死んでしまった人間がそれで喜ぶものかと、鼻で笑うかも知れない。
けれども、ただ地味な普通の花を魔理沙に手向けて、あとは時の流れが忘れさせるのを待つのは嫌だ。
魔理沙の存在を思い出で済ましたくない。
私の中の、魔理沙への感謝と想い。
それを、あの世で見てくれている魔理沙に届けたい。
地味な花じゃ、きっと魔理沙は見向きもしない。
非現実的な考え方かもしれない。
外の世界の人間的に言わせてみれば、非科学的だと思われるかもしれない。
どこまでも愚か、馬鹿、無意味。
それでも届けたい。
花火に乗せて。
感謝と、想いを。
私は大きく翼を羽ばたかせ、足が地面と別れるのを感じた。
私の体が夜の冷えた空気を切り裂いていくのを肌で感じながら、私は考えた。
他の人が言うように、愚かで馬鹿で無意味な行動かもしれない。
それでも、私は何かをやりたかった。
逝ってしまった、私のもう一人の姉とも言える魔理沙の為に。
私が選んだ「何か」は、魔理沙に感謝と想いを届けること。
ここでいう「想い」とは、魔理沙への愛。
それは姉妹愛に近くて、友情からくる愛にも近い。
愛情。
それは一方的な感情。
魔理沙が私のことをどう思っているかは分らないから、一方的。
妹みたいな感じでは見ていたのだろうけど、愛を感じていたのかは分らない。
また、愛とは、好きだということと同義。
一方的な愛。
一方的に好きだということ。
人はそれを、「恋」という。
二ヶ月前に魔理沙が言っていたことを思い出す。
「そう。恋だ。愛情だ」
私は、魔理沙に恋心を抱いていたわけじゃないし、第一、恋というのは同性に対して抱く感情とはちょっと違う気がする。
それでも、好きだった。
魔理沙のことが。
似たようなもの。
一方的な愛も、恋も。
だったら、もう恋でいい。
一方的な愛も恋も同じ。
恋と愛情。
俗に言われる恋とは若干意味が異なる恋だけど。
私の、霧雨魔理沙という姉への初恋。
私は、ある程度の高さまで上昇して、止まった。
懐から一枚の札を取り出して、破り捨てる。
ポケットに入っていた、魔理沙の形見を、星が瞬く夜空へ向ける。
私の想いを届けるより前に魔理沙は逝ってしまった。
でも、今からでも十分間に合う。
だから、届け、私の感謝の気持ち。
届け、恋心。
「有難う、魔理沙、好きだったんだよ、魔理沙」
魔理沙が私の為に教えてくれた、この魔法に乗せて。
「恋符『マスタースパーク』!!」
――――――――――
「In Paradisum deducant te Angeli.
in tuo adventu suscipiant te martyres
et perducant te in civitatem sanctam Jerusalem.....」
「……いい歌だね」
「だねー」
リグル・ナイトバグの素直な感想に宵闇の妖怪ルーミアが相槌を打つ。
「いやあ……」
照れたように頬を掻きながら、焼き八目鰻屋の主人こと夜雀ミスティア・ローレライは、狐色の八目鰻を引っくり返す。
白い煙が、「焼八目鰻」と書かれた赤い灯篭の光を強調していた。
「なんて曲なの?」
リグル自身、そこまで頭が良くはない。
名前こそ横文字ではあるが、幻想郷の主な言語は日本語で、英語は理解できない。
ミスティアもあまり良い頭ではないから、歌詞を理解してではなくリズムで覚えているのだろう。
「んー……なんて曲だったかな。忘れた」
ミスティアは若干焦げ目がついた、白い腹をむき出しにしている八目鰻に焦げ茶色のタレを刷毛で塗った。
次の瞬間、リグルと、八目鰻をこれでもかとばかりに口に突っ込んでいるルーミアの背後で何かが輝き、さらに次の瞬間、爆音が鳴り響いた。
「っと!な、何!?」
爆音と伴って、地面と灯篭がゆさゆさと揺れる。
「あ、あれ!」
ミスティアは、屋台の台にしがみ付いている二人の後方を指差した。
その指の先には、極太の閃光が、天空へ昇って行っている光景があった。
「何あれ!?」
リグルが歯を食いしばりながら叫ぶ。
「知らないよー」
ルーミアの間延びした声がした。
――――――――――
フランドールが叫んだ瞬間、ミニ八卦炉から極太の、七色の光の奔流が迸った。
それは恋の魔法。いや、魔砲。
光の奔流は、轟音を鳴らしながら、夜空を昇っていく。
「……っ!」
直下の紅魔館、霧の湖は、地が揺れんばかりの騒がしさだった。
いや、すでに揺れている。
レミリアはそのあまりの眩しさに目を閉じた。
「お嬢様!くっ……大丈夫ですか!?」
轟音の中、レミリアの耳に咲夜の声が響いてきた。
咲夜は、時間を操ることができる以外は、生身の人間である。
この轟音と閃光と衝撃は、咲夜にとってかなり厳しいものであるだろうに。
それでも、自分の主を案ずる瀟洒な従者に、レミリアは心中で涙した。
「あれは……魔理沙のマスタースパークにそっくり……」
パチュリーが呟く声が聞こえる。
そうだ。
レミリアもあの大魔砲に見覚えがあるし喰らい覚えもある。
あれは魔理沙の十八番、マスタースパークだ。
満月の力で増幅したフランドールの魔力から放たれるそれは、魔理沙のそれを遙かに上回ってはいるが、それでもマスタースパークに似ている。
フランドールが魔理沙からマスタースパークを習っているという旨はフランドール本人から聞いたが、ここまでの威力を伴ったものだとは思っていなかった。
フランドールは、魔理沙から習ったマスタースパークの骨組から、自分で改良したのだろう。
七色の光の奔流は、若干紅の色を持っているという印象がある。
虹色の光を携えた赤い閃光。
それが、あれを形容するにはぴったりかもしれない。
「……ッ、フラン……!」
閃光は、夜空を昼空へと戻さんばかりの眩しさを放ちながら、天へ向って細く細くなってゆく。
――――――――――
幻想郷で、最も人間が多い場所といえば人間の里の他にない。
人間の里の守護者、上白沢慧音の住居もここにあった。
「慧音さん」
慧音は、人間の里の守護者であるとともに、歴史の守護者でもある。
今、慧音に話しかけたのは、彼女の家を訪れていたもう一人の歴史の守護者、九代目阿礼乙女の稗田阿求だった。
「何だ?阿求殿」
二人は半紙に筆を下ろし、慧音は里の出来事の記録、阿求は幻想郷縁起の編集をしていた。
二人が慧音の家に集まったのは、満月の日の慧音が白沢となるからだ。
この時の慧音は、普段の慧音ではできないことを一気に済ます。
即ち、普段より優秀なのである。
阿求は、その白沢の能力の恩恵に与ろうとしていたというわけだ。
「今の貴女なら分かるはずです」
阿求は、左目は手元に、右目は慧音の頭から雄々しく突き出ている、赤いリボンの巻かれた角を見るという芸当をしながら口を開く。
「この地震の原因を」
筆者は描写していなかったが、先ほどから机の上に置かれた湯呑がカタカタと鳴っている。
箪笥の上からパラパラと埃が落ちてきている。
幸い、地震の震度は強くなく、里の人間たちはそれほどに騒いではいない。
が、長い。
先ほどから延々と揺れている。
「と、音の原因」
壁の向こう―――慧音の家は一軒家なので、それは野外を指すことになるのだが、そこから獣の唸り声のようなゴゴゴという音が断続的に聞こえてきていた。
阿求は、白沢と化した慧音に知らないことはないということを知っている。
この地震と音の原因も分かる、もしくは知っていると踏んだのだった。
「ふむ」
慧音は筆を硯の上に置き、目を閉じた。
外の唸り声が、二人の間に沈黙を作り出すことを許さなかった。
暫し地鳴りを聞いて、慧音は目を開いた。
「……紅魔館の妹君と、霧雨魔理沙」
二つの単語を聞いて、阿求の筆がぴたりと止まった。
「……心当たりあるのか?」
「……紅魔館の妹君と魔理沙さんの仲はよく聞いています」
阿求も硯の上に筆を置き、左目も慧音に向けた。
「そして、霧雨家は幻想郷で最大手の道具屋です。そういう店の情報は雑踏を歩いていれば聞こえてくるものです」
阿求の能力は、一度見た物を忘れない程度の能力である。
求聞持の能力は、見ただけでなく聴覚からの情報も記憶する。
雑踏の中でほんの少しでも耳に入った情報は、あとから思い出して整理することができる。
「『霧雨のとこの娘さん、亡くなったそうだ』……雑踏の中で確かに聞きました」
「そうか……」
揺れの中、阿求は着物を正す。
「あれは、フランドール・スカーレットの悲しみの咆哮ですか?」
「……」
慧音は黙り込んでしまった。
言うべきか言わざるべきか悩んでいるのだろう。
やがて溜息を吐くと、彼女は重い口を開いた。
「違う。あれはフランドールが別れを告げている咆哮だ」
「……そうですか」
阿求は、慧音から手元の半紙に視線を戻した。
揺れの所為で意味不明な図形が躍っていた。
「……はあ、書き直しか……」
――――――――――
「や、厄神様!」
ばしゃばしゃと盛大に川の水を蹴散らしながら、河城にとりが駆け寄ってきた。
岩に腰かけ、川のせせらぎを聞いていた鍵山雛は、特に何の感情も抱かずに、自分に駆け寄ってくる河童を見る。
「はー、はー……」
陸の河童の力は人間並みである。
「息を整えてから話しなさい」
「オーケー、はー、はー……よし、オーケー……あれは何?」
にとりは手に持っていたスパナで夜空を指した。
雛はスパナが指した方向を見る。
紅色っぽい閃光が、虹色の光を携えて天空に昇っていた。
雛は随分と落ち着いてはいるが、気がついていないわけがなかった。
妖怪の山と爆心地が離れていると言えど、地響きも轟音も聞こえていた。
少しの揺れも感じる。
「ああ、あれは大丈夫よ」
雛は最早天蓋の限りを昇って、先端が見えなくなった閃光を眺めながら言った。
「あれから厄は感じないわ」
にとりは怪訝な表情を見せる。
「……あれが危ないものだということと厄、なにか関係あるの?」
「『災厄』は厄と似たようなもの。厄神の私はあれが災厄を齎すかそうでないかくらい分かるわ」
「だけどさぁ……地震はなんとかならないのかねぇ。機器が危機で」
「洒落のつもり?」
「真剣問題」
にとりの真剣な表情に、雛はくすりと笑う。
「我慢してあげて頂戴な。あれはそうそう首を突っ込める事情でやっているわけではないわ」
――――――――――
「凄い光景ね……」
騒霊屋敷の窓から、リリカ・プリズムリバーは見ていた。
「ええ……綺麗」
リリカの姉のメルランもそれに同意する。
窓から見えるのは、天に昇りゆく、紅がかった閃光だった。
夜空が昼の明るさを取り戻しているようだった。
遠くから、地鳴りのような音が聞こえてきていた。
「二人とも、そんなことより合わせる練習よ」
後ろから三姉妹の長女であるルナサが二人を咎めた。
「ええー、でも、こんな光景二度と見れないかもよ?」
リリカが膨れて言う。
メルランの方は見向きもしない。
「はあ……テンションが下がるわ」
肩をがっくりと落としながら、ルナサが呟く。
暫くそうやって二人に絶望していたルナサだったが、ふと思い出したようにヴァイオリンを顎に挟んだ。
「こういう日には……これが良いわね」
流れるような手つきで、ヴァイオリンの弦に弓をあて、弾き始めた。
騒霊の名には全く似合わない、静かで悲しげなバラード調のメロディ。
壮絶な光景に目を奪われていた二人だったが、ルナサのヴァイオリンから溢れる旋律にはっとなって、ルナサの方を向いた。
「Requiem……」
メルランが呟いた。
三姉妹……いや、四姉妹にとって忘れることの無い曲。
二人は、四女が死んだ時に、ルナサがこの曲を弾いたことを覚えている。
今こそ泣いてはいないが、その時のルナサは静かに泣きながらこの曲を弾いていた。
やがて、ルナサは演奏をぴたと止めた。因みにまだ演奏は終わっていない。
「……練習、するわよ」
「……分ったよ」
リリカとメルランは溜息を吐きながら、自らの楽器を取った。
――――――――――
人間の命というのは、柱だと例えた僧がいる。
その僧は、時間を鑿とも例えた。
柱を、時間という鑿が削っていき、最終的にその柱は大きな音を立てて折れてしまう。
その折れる瞬間のことを、「死」と説いた。
因幡てゐはそのことを思い出した。
てゐは人間ではないが、もう何千年も生きている故、何時か自分の柱が崩れるのではと思ったことがある。
まあ、そんな心配はやがてストレスとなって、自分の体を蝕むということを大昔から悟っているので、特に気にしていない。
てゐは健康マニアなのだ。死に怯えることは死を招いていることと同義。
だったらこいつらはどうなんだろうか。
てゐは縁側に腰掛け、血塗れの二人の人間を見ながら思った。
二人の人間は、お互いの襟首を掴み、今にも殴りかかりそうな格好のまま、顔は夜空に走る光の柱に向けて固まっていた。
光の柱はもう五分は夜空を照らしている。
「……」
てゐの横に座った永琳と、その傍らで立っている鈴仙は、その柱を眺めたまま何も言わない。
てゐは、永琳をちらと横目で見て、また先ほどの疑問を自問する。
だったらこいつらはどうなんだろうか。
先ほどの人間の人生は柱云々は、人間だけに当てはまらず、寿命を持つ全ての生き物に言えるとてゐは思う。
だったら、こいつら―――絶対の死の運命から逃れた蓬莱人はどうなんだろうか。
人生の柱が無いのだろうか。削る鑿の呪縛から解き放たれているのだろうか。
それはないと、てゐは否定する。
人生の柱が無ければ、そもそも生きていないし、時の呪縛から解き放たれているならば、紅魔館のメイドの真似事が可能な筈だ。
血塗れのうちの一人の蓬莱山 輝夜は、後者は似たようなことができるが、生きている。
前者が当てはまらない。
もう一人の血塗れの藤原 妹紅と、横に座っている八意 永琳に至っては前者も後者も当てはまらない。
つまり、蓬莱人にも人生は柱、時間は鑿の比喩が当てはまる。
単純に、柱が鑿が歯が立たないほどの強度を持っているか、鑿の刃が脆過ぎて、柱をマイクロ単位すらも削れないというだけだろう。
比べて、唯の人間の柱というものは、砂像ほどの強度しかないのだろう。
てゐも、永琳と鈴仙から魔理沙の死を聞いている。
脆い。実に脆い。
人間というものは実に脆い。
てゐは蓬莱人から光の柱に目を向け、心の中で言った。
こいつらを見てみろ。
「っと、油断したな輝夜!」
「えっ、今タイムじゃなかったゴブァ!」
妹紅は思い出したように輝夜を殴りつけた。
首が折れる音がして、輝夜はこと切れた。
人間の人生は一度きりって言うけど。
次の瞬間、虚ろだった輝夜の目に光が戻った。
「お返しよ!」
「ぐぁっ!」
輝夜は折れたはずの首を元気よく使って、妹紅の鼻に自らの額を叩きこんだ。
元気に殺し合いをしているじゃない。
――――――――――
「もー、何なのよー。まだ冬じゃないでしょう……」
レティ・ホワイトロックは、幻想郷の何処かにある自らの棲家から出た。
冬の妖怪だからと言って、春夏秋は存在していないというわけではない。
冬以外の季節は、幻想郷の涼しい場所にあるこの棲家を寝床にしている。
普段は、冬が来ない限り目が覚めることはないのだが、この地鳴りと地震で目が覚めてしまったのだった。
「……何、あれ」
レティの棲家からでも、幻想郷各地から見える閃光は見えていた。
「あれは花火。一人の人間と別れを告げるための盛大な献花……邪魔するのはお勧めしないよ」
「へえー……って、誰?」
レティの目の前に妖気が萃まって、一人の鬼が姿を現した。
「伊吹 萃香、鬼よ」
「鬼……」
レティは、幻想郷にたった一人の鬼の存在を知っている。
そして、伊吹 萃香の名前にも聞き覚えがあった。
「三日置きの百鬼夜行、の?」
「そそ、それそれ」
萃香は満足そうに頷き、
「ううー、ここは寒い。寒いなら温まるに限る!」
手に持っていた瓢箪の栓を口で開き、傾けた。
一旦置いて、ぷはぁっと幸せそうに息を吐く。
「いやー、やっぱ酒は美味いねぇ!」
「いや、今飲んでいない私に同意を求められても困るんだけど」
レティは呆れて言う。
レティにとって、萃香が言った「寒い」というのは、酒を飲む口実にしか聞こえなかった。
萃香はそんなレティをにやにやしながら見ていたが、やがて視線を巨大な閃光へと向けた。
「……酒の肴には色々なものが合う。春なら桜とか梅、夏なら花火や青々しい野山、向日葵、蛍、秋なら紅葉、秋刀魚、流星、冬なら白雪、鶴、氷の張った湖、雪野ではしゃぐ子供の吐く白い息」
「それって飲む口実を作りたいだけじゃないの?」
萃香はぴたりと動きを止め、ゆっくりとレティの方に渋い顔を向けた。
「……折角の御高説なんだから黙って聞いててよ」
「あ、ごめん……」
レティは自分で何故謝っているのだろうと思った。
「……はあ。ま、いいか。私が言いたいのは……」
萃香は再び閃光へ視線を戻す。
「秋の終わりに見る花火を見ながらのお酒も、中々乙ってことよ」
「悪趣味ね」
レティが正直に言うと、萃香は御尤もと言わんばかりに頷いた。
「まあ、墓前の花を肴にするのは私くらいなもんか」
「ところで、何で私のとこに出てきたわけ?早く寝たいんですが」
「気紛れ。寝るんだったら酔い潰れて寝なさい」
――――――――――
妖怪の山。
天狗や河童などの妖怪が住み着くこの山で、射命丸 文は騒いでいた。
「こ、ここここここ、これはスクープですよ!見出しは『新異変!?幻想郷の空に走る一筋の光』!これを取らない手はないわ!」
手帳とカメラを手に、妖怪の山にある櫓の簡易階段を駆け登る。
この櫓は、本来は白狼天狗が見張りをするための櫓で、幻想郷中を見渡せる。
「文さん!?」
現在見張り中であった犬走 椛が、櫓に駆け上がってきた上司の姿を見て声をあげる。
「椛!あれは何ですか!?」
文は凄まじい迫力で、幻想郷の空へ向かっている閃光を指差す。
顔に唾が飛んできた。
「えあああ、ちょ、ちょっと待ってください!落ち着いて!」
唾を袖で拭いつつ、椛は必死に文を落ち着けようとする。
「はい、息を大きく吸ってー……吐いてー……」
すー、はーと、文は椛に従う。
「吸ってー……吐いてー……どうです、落ち着きましたか?」
「はー……勿論です!ばっちり落ち着いたわ!あれは何ですか椛!?」
落ち着いていなかった。
椛は文を鎮めることを諦め、余所を向いて涙した。
「……あれは膨大な魔力の塊で、空へ向って放たれているようです」
先ほどから文が椛に、遥か遠くに見える閃光のことを聞くのは、椛の能力が千里先まで見通す程度の能力であるからである。
椛は、自分の見張りの時間と、あの閃光が空へ昇った時間が重なった自分の運命をほんの少し呪った。
「あれは地上からではなく空中から空へ向って放たれているようですがっ!ということは、あの閃光の根元に何かがあるということですねっ!?」
「そ……そうですね……」
「見通しなさい!」
「分かってますって……」
涙目を擦り、椛は千里眼の焦点を閃光の根元に合せる。
「……あれは……子供?子供が一人、あの閃光を放っているようです」
「子供ですって!?ど、どんな服装ですか!?」
子供ということは分かるのだが、服装となるとあの閃光に付きまとっている虹色の閃光が邪魔で判別しづらかった。
が、答えないと後が恐ろしいので、椛はさらに目を細める。
「……赤いリボンのナイトキャップ、薄い黄色の髪……赤い……スカート……背中には……何だあれは?」
「ど、どうかしました?」
「鳥でもなければ蝙蝠でもない虫でもない……と、兎に角、翼です!歪な形の、枝みたいな」
「歪な形の枝みたいな翼……?」
ふと、文が静かになった。
椛はそんな文を訝しげに思い、閃光の根元から文へ視線を移した。
「文さん……?」
暫く呆然としていた文だったが、はっと思いついたように手にしていた手帳を物凄い勢いで捲り始め、あるページで止まった。
「……?」
文の突然の不可解な行動に、椛は首を傾げた。
文の目は手帳の文字を追っている。
「……」
やがて読み終わったのか、手帳をぱたんと閉じたと思うと、くるりと踵を返して櫓の簡易階段を降り始めた。
「あ、文さん!?」
文の予想外の行動に、椛は大きく取り乱した。
「記事はいいんですか?」
文がぴたりと止まる。
椛の知る射命丸文は、記事のネタへの執着が凄まじい。
元来平和な幻想郷に、ネタになるような事件はあまり起きないものだ。
文自身、嘘の記事は書かないと決めているので、作り話も書けない。
故にネタへの執着が凄まじかった。
椛は、そんな文が突然記事のネタを放り出したのが信じられなかった。
「……魔理沙さんへの手向けだとしたら……」
誰に言うでもなく、ぽつりと文は呟いて、階段を降りて行った。
「……」
取り残された椛は、一人呆然としていた。
射命丸 文は知っていた。
天狗、特に新聞記者である鴉天狗の情報は早くて膨大である。
文は、椛が言っていた子供を知っていた。
間違うはずの無い、見た者にインパクトを与えるあの翼。
悪魔の妹、フランドール・スカーレットのことだ。
その親友とも言える、霧雨魔理沙のことも知っていた。
霧雨魔理沙の死のことも知っていた。
悪魔の妹が、幻想郷中を駆け回っていたことも知っていた。
文は馬鹿ではない。
フランドールは、魔理沙の死後に動いていた。
ということは、フランドールは魔理沙の死に何か理由があって動いていたと考えるのがいい。
それくらい分かった。よほどのことがない限り、レミリアがフランドールを野放しにする筈がない。
きっとあの閃光は、フランドールが魔理沙にしてあげる最後のことなのだろうと、文は思った。
そう思った瞬間、あの閃光を記事にする気が失せてしまった。
文は、未だ地を揺らし続ける閃光を顧みた。
ついさっきまでは、最高の記事のネタになると輝いて見えた(実際輝いているが)閃光が、今では一人の少女の悲痛なお別れの叫びにしか見えなかった。
――――――――――
妖怪の山。
にある、ここは守矢神社。
ここの神である八坂神奈子は、片手を腰に当てながら、漆の杯に注がれた酒を煽った。
「……」
その眼光は、現在進行形で幻想郷中を騒がせている光の柱を睨んでいた。
「あれは……何なんでしょうか」
守矢神社の風祝、東風谷早苗は不安そうに閃光を見上げる。
神奈子と別の、もう一人の守矢神社の神である洩矢諏訪子は、黙ったまま閃光を見ている。
その目は、普段の軽い諏訪子からは想像も出来ない輝きを放っていた。
神奈子は、そんな1000年以上の付き合いである親友を横目で見、ほうと酒臭い息を吐く。
「案ずることはないさ早苗……あれは害を振りまくものではない」
「そうなんですか……?」
早苗は横に立っている神奈子を見上げる。
「……悲しい波動を感じる……」
諏訪子が呟いた。
早苗は、今度は神奈子と逆の位置に立っている諏訪子を見下ろした。
神奈子は再び酒を煽りながら眉を吊り上げた。
「諏訪子」
「何さ」
「そういう台詞は口の周りに付いているお弁当を食べてから言いな」
諏訪子は驚いて口の周りをぺたぺたと触る。
訂正、べたべたとしていた。
諏訪子は慌てて口の周りの飯粒を舐めとった。
実は三人は、夕餉の途中だったのだが、地震と音に驚いて飛び出して来たのだった。
神奈子は晩酌が手放せなかったのか、こういう状況でも杯を持ち出してきていた。
「人のこと言えるのか年増」
諏訪子は、帽子を深く被りながら誰にも聞こえないようにぼそっと言った。
第三者から見れば、今の神奈子は威厳に溢れていた。
いつの時代も蛇に蛙は敵わないものである。
――――――――――
霖之助は、香霖堂の扉から空を見上げていた。
天へ伸びていく極太な閃光を見上げていた。
「マスタースパーク……」
眼鏡に一本の光の線を映しながら、呟いた。
「な、何なのよあれ!」
はっとして視線を空から声が聞こえた森の方に目を移す。
一匹の翼の生えた妖怪の背中が、森の中に消えていく様子が見えた。
相当驚いて逃げて行ったようで、地面に朱鷺色の新しい羽が数枚落ちていた。
「……」
暫く妖怪の背中が消えて行った箇所を見ていた香霖だったが、再び夜空を分割する光の線を見上げた。
「あれは……いや、似ているがマスタースパークではない」
魔理沙の放つマスタースパークは、白かった。
今、夜空を彩っている閃光は、根本的には白であるが少し赤みがかっている。
虹色の光が垂れ流しになっていることは変わりないが。
「……まさか、フランドールか?」
それで全て合点がいく。
マスタースパークほど消費の激しい魔法を、魔理沙はミニ八卦炉という道具を使って放つ。
現在、ミニ八卦炉を持っているのはフランドールの筈である。
「……遣りたいこととは、これのことなのか?」
霖之助は一人呟く。
「……」
視線を閃光から微妙にずらして、最初に目に入った星を見据えた。
この空の明るさの中で、見える星は一等星くらいだった。
霖之助は、口の端をほんの少しだけ吊り上げた。
「しっかり見ててやれよ……魔理沙」
香霖堂店主は、自分の「妹分」の名前を呟いて店に引っ込んだ。
――――――――――
風見 幽香は面白くさなそうに髪を弄った。
向日葵のベッドで寝ながら、なんともつまらなそうな目で、空の光の柱を眺めていた。
柱は低い轟音を立てて未だに空へ昇り続けている。
はあ、と夜の空気に息を吐き出す。
「どうして……」
右手でとろんとした目を擦る。
「どうして私の安眠は邪魔されるのかしら」
彼女はゆっくりと体を起こす。
その緩慢な動きは、周囲の時間の流れを遅くしているかのような動きだった。
「どうして……」
今度は、脇に合った自分の日傘に視線を固定した。
残った眠気を払うかのように、幽香は頭を振る。
緑色のボブカットが軽い音を鳴らした。
「私の魔法はこうも真似されるのかしらねぇ」
幽香は、体全ての憂悶を吐き出すが如く、それは盛大に溜息を吐いた。
――――――――――
博麗神社からも、勿論フランドールの放つ閃光は見えていた。
「魔理沙への花火……マスタースパークを選んだのね」
霊夢は、障子を開いてその光景を見ていた。
地は軽く揺れ、低い轟音が響いてきている。
弾幕勝負を数多くしてきた霊夢も、今まで見た弾幕の中で一番派手だったのは何と聞かれれば、マスタースパークをまず挙げる。
他にも派手な弾幕はあるかと聞かれれば、幽々子の「反魂蝶」や、美鈴の「極彩颱風」もあるのだが、インパクトならば魔理沙のマスタースパークに勝るものはない。
寧ろ、遠くに見えるあの閃光は、魔理沙のマスタースパークを遙かに凌駕している。
あれならば、魔理沙の「魔砲『ファイナルマスタースパーク』」すらも上回るだろう。
「いい選択だわ」
草鞋を履いて境内へ躍り出る。
森に囲まれている博麗神社は、この季節の夜だと気温が低い為、霊夢の吐く息が白くなっていた。
「……ん?」
境内から見える鳥居の下、何かの影が見えた。
近づいてみると、その影の正体が分った。
足が無い。
「魅魔……じゃない。久しぶりね。何しているの」
博麗神社の祟り神、もとい悪霊の魅魔はぴくりと身を動かした。
「霊夢……か」
魅魔は振り返らない。
ただ閃光を見つめている。
霊夢からは、魅魔の表情が見えなかった。
「人間は……すぐに逝ってしまうな」
「……そうね」
霊夢は静かに同調しながら、魅魔は魔理沙の師匠だったことを思い出していた。
魅魔が、自分に懐いていた魔理沙を実の我が子のように可愛がっていたことも思い出していた。
「……あんたは」
霊夢が白い息を吐く。
魅魔は悪霊の筈なのに、短い白い息を吐いた。
「花を手向けてあげた?」
魅魔は静かに首を振った。
「まだだ」
「……」
霊夢は何のアクションも起さない。
「今からだ」
魅魔はそう言って神社へ続く階段に腰掛け、右手の人差し指を立てた。
「……」
霊夢がその指の先端を見ていると、星型弾が一つ形成された。
金色の。
魅魔はそれを明るい夜空へ軽く投げた。
星型弾は5mくらいまで上がり、音を立てて弾けて消えた。
「……いいの?そんな地味で」
「いいのさ……私の想いも、あれが持って行ってくれる」
霊夢は閃光を見上げた。
「私からの手向けは、形だけで十分さ」
「……そう」
魅魔はフッと笑った。
「霊夢……知っての通り、私は悪霊だ……」
膝を抱えながら魅魔は話す。
「……」
霊夢は黙って魅魔の話を待つ。
地は揺れ轟音が鳴り響いている筈なのに、博麗神社は無音の世界が広がっているようだった。
「すでに死んだ身……故にもう死なない」
「……」
「そして魔理沙は人間……いつか死ぬ、私の元から居なくなる」
「……」
「分かっていた筈なのになぁ」
自らの腕に、魅魔は頭を埋めた。
「どうしてこんなに虚しいのだろうなぁ」
「……」
「どうして……こんなに悲しいのだろうなぁ」
魅魔の鼻の啜る音が聞こえた。
「分かっていた筈なのに……!」
「……」
霊夢は、目を閉じて顔を上に向け、指で目頭を押さえた。
「……すまんな、霊夢……覚悟はできていた筈なのに、涙出てきた。ハハ」
腕の中から魅魔のくぐもった声が聞こえた。
「……あんたは、よっぽど人間より人間らしいわ」
目頭から指を離し、霊夢は目を開けた。
彼女はゆっくりと辺りを見回す。
すぐに真横に合った赤く太い足が目に入った。
「……ッ!」
霊夢はわざわざ半回転して、その足を拳で殴りつけた。
握った拳から、じんわりと痛みが響く。
「私は人間よ……」
力なく、霊夢は逆の手で拳を包み込み、その手の甲に頭を当てた。
「魔理沙が死んで悲しいのに……悲しい筈なのに……どうして……」
ぎりぎりと、音が響いてきそうなくらいに霊夢は歯軋りした。
「涙が……出てこないのよ……!」
柔らかい肉に、深く食い込んだ爪が霊夢の拳から血を流させた。
赤い血は、赤い鳥居の足を汚した。
「全てを受け入れる博麗の巫女は……魔理沙の死すらも受け入れてしまうの……?」
人の死を嘆き、涙する者は、まだその死を受け入れていない。認めていない。諦めていない。
普通は、死を受け入れるのに暫く時間がかかる。個人差はあるが。
死を受け入れた者は、泣かない。認めている。諦めている。
分かりやすい例で挙げるならば、大好きだった祖母が死んだ時こそ泣いたが、それから何年か経ち、その祖母の墓の前に行っても、涙しない例である。
霊夢は、博麗の巫女の性質を恨んで憎んで呪った。
「……霊夢」
魅魔は顔を上げて言う。
「……何よ」
軋む歯の奥から、霊夢は声を絞り出した。
「これは経験則だが……演技で涙を流せる者がいる」
「……それが?」
「演技ということは、心から涙を流してはいない。上辺だけの涙……お前さん、今悲しいのだろう?」
「……まあ、ね」
霊夢は今頃手に食い込む爪の痛みを感じて、手を緩めた。
「涙なんか流さなくともいい。大事なのは、心が泣いているかどうかだ」
「……」
霊夢は喋らない。
再び黙って魅魔の話を催促する。
魅魔はそれを感じ取ったようで、静かに言った。
「老いぼれた悪霊の妄言だが……お前さん、大号泣して見える」
「……ありがとう魅魔。気休めでも嬉しいわ」
霊夢は、糸が切れた人形のように鳥居の柱からずり落ちた。
「気休め……か」
魅魔は閃光を見上げた。
その輝きは、魅魔の涙で濡れた頬を輝かせた。
「悪霊でも気休めが言える……いい御身分じゃないか」
魅魔は、にかっと笑顔を作った。
頬で光る涙と、笑顔。
夜空で瞬く星と、太陽。
今は亡き「弟子」は受け継いだ、
星と笑顔を。
魅魔はすうと息を大きく吸い込み、叫んだ。
明るい夜空へ向って。
「しっかり見といてやれよ!魔理沙!あの娘の感謝と想いを!」
魅魔は白い息と、「我が娘」の名前を同時に吐き出した。
花火で見えづらい、一番星に向って。
――――――――――
「あれは……」
遥か彼方、夜空に映る巨大な閃光を八雲藍は見ていた。
幻想郷の何処かにある、隙間妖怪八雲紫の棲家から。
流石に距離があり、幻想郷各地で観測されている地震は、ここでは殆ど感じられなかった。
音は響いてくるのだが。
藍の尻尾に包まって、膝枕で眠る橙を撫でながら、見ていた。
「分かる?藍」
「紫様……」
空間を切り裂いて現れた主人に視線を移した。
藍は紫の問い掛けに頷く。
「あれからは……絶大な負の感情を感じます……音楽で例えるならば、怒りや憎悪の、ロックのような激しいものではなく、バラードのような……静かな負」
「藍なら分かると思ってたわぁ」
紫が満足げに笑う。
「魔理沙は……いえ、人間は偉大ですね。この騒動で思い知らされましたよ」
紫や萃香ほどではないが、藍も幻想郷のあらゆることを見る事が出来る。
適当な鳥に式を憑け、その鳥の目から情報を得ることは藍にとっては楽なことだった。
「幻想郷が泣いているようです……魔理沙の死を嘆いている」
遠くからは、低い唸り声のような音が聞こえていた。
藍は、自らの膝の上で眠る化け猫を見た。
幸せそうな寝顔だった。
「……仮定の話です」
「いいわよ」
紫は頷く。
「紫様は、私が、」
藍は閃光を指差す。
「紫様か、橙の為にあのような行動に走ったら、喜びますでしょうか」
「そうねぇ……」
紫も、藍の指さす方向を見た。
「……」
暫く思考に耽っていた紫だったが、やがてにんまりと笑った。
その笑みは、紫が人を寄せ付けない所以の笑みだった。
胡散臭い。
「その時の気分次第」
藍は渋い顔を作った。
「……意地悪ですね」
「意地悪よ」
「知ってます」
「知られているとは思っていなかったわ」
藍は溜息を吐いた。
そして、ここ三日間疑問に思っていたことを言った。
「紫様、これが三日前に仰られた嵐なのですか?」
紫は、胡散臭い笑みを浮かべ、遠くに見える閃光を見ながら、藍の質問に答えなかった。
代わりに、独り言を言った。
「力無き者は、その迫力に身を震わせ逃げ出し、力の有る者は、その迫力の本質を見抜いて邪魔をしない……藍は、後者ね」
「……有難うございます」
取り敢えず、褒められたらしいので藍は礼を言っておいた。
紫は藍を無視してさらに独り言を言う。
「あれを邪魔する者は誰もいない……フランドール、思いっきりやりなさい」
紫が吐いた独り言は、明るい夜空に消えた。
フランドールが例えた、幻想郷の全知の神、八雲紫はいつの間にかに表情を摩り替えていた。
胡散臭い笑みから、母が見せる微笑みへ。
――――――――――
一人の少女の死は、一人の少女を動かした。
上辺しか物事を見れない者は、少女の異常な行動に恐れを成した。
物事の本質まで見抜ける者は、少女の異常な行動を止めようともしなかった。
少女の奇行を止める者は誰もいない。
誰もいない。
――――――――――
魔力が、尽きてきた。
八卦炉を持つ手も、痺れてきた。
私は光の中にいた。
魔理沙から貰った恋の魔法の光に目が眩みそうになりながら、魔力の放出を続けた。
もうどれ位こうしているか分からない。
もう何時間も経ったかもしれない。
もう握力が無い。
八卦炉が手からずり落ちてきた。
まだだ。
もう片方の手で、八卦炉を持つ手を支えた。
まだ私の気は済んでいない。
もし、とっくに魔理沙に届いていたとしても、もう充分すぎても、今止めたら、私は一生後悔するだろう。
まだやっておけばよかったって。
まだ私の中には魔力が残っている。
まだやれる。
せめて、完全に撃てなくなるまでやりたい。
「うあああああああああああああっ!」
ミニ八卦炉を一層がっちりと握り直した。
思えば、この三日間本当に色んな経験をした。
お姉様のささやかな思いやりを感じた。
お姉様に抱き締められた。
何百年ぶりくらいに泣いた。
雨の中に初めて立った。
魔理沙の死体を初めて見た。
香霖堂の場所を知った。
眠れないということを経験した。
一人で外を出歩いた。
エンバーミングの凄さを目の当たりにした。
氷精に会った。
永琳とウドンゲに会った。
薬の限界を知った。
ミニ八卦炉を貰った。
結界を飛び越えた。
庭師と対峙した。
冥界の主に土下座した。
そして挫かれた。
冥界のことを教えてもらった。
向日葵畑で幽香と会った。
魔理沙を除いて初めてからかわれた。
幽香に花火の存在を聞いた。
図書館が初めて役に立たなかった。
霊夢と再会した。
幻想郷のオーエンさんに会った。
紫と霊夢から花火のことを聞いた。
パチュリーは花火のことを知らなかった。
紫に外の世界の花火を見せてもらった。
お姉様だけが私の姉だと思った。
アリスから魔理沙人形を貰った。
魔理沙の家に入った。
魔理沙の日記を読んだ。
お姉様だけが私の姉って言ったのを、ほんのちょっぴり後悔した。
嘘を吐いた。
魔理沙のお父さんに会った。
その目に魔理沙の面影を見た。
魔理沙の為に花火を打ち上げた。
魔理沙の、魔理沙に、魔理沙の為。
全部魔理沙が原因。
妹みたいだと思ってくれていた、魔理沙が原因。
地下牢で壁と睨めっこしていた頃の私は、今の私を想像できるだろうか。
魔理沙の、お陰。
「まりさぁ……!」
もう魔力が無い。
まだ撃ちたい。
生きてても死んでも色んなことを教えてくれた、魔理沙の為に。
そう思った瞬間、私は「見た」。
私の放つマスタースパークが纏っている虹色の光の中で、「それ」を。
「それ」は、少女だった。
青白いぽーっとした光でできた、裸の少女。
少女の背中には、鴉の黒い翼でも、蛍の薄羽でも、お姉様の立派な蝙蝠の羽でも、私のような奇怪なものでもない、大きな純白の翼が生えていた。
恐ろしいほどに美しくて神々しい天使。
羽ばたく度、純白の羽が舞う。
少女の顔と、長い髪は見覚えがあった。
色こそ青白くて違うけど、三つ編みが解けているけど、何度あの長くて綺麗な髪に憧れたか。
忘れもしない、その顔は微笑んでいた。
太陽のように笑う「彼女」には似合わないけど、それでも。
少女は、翼をはためかせ、光の奔流を大きくぐるりと回って、私の後ろで止まった。
声も出なかった。
少女は、後ろからゆっくりと抱きついてきた。
青白い腕が、私の首を抱く。
その腕からは、確かに体温を感じた。
横目で、彼女の口元が見えた。
横目で、彼女の唇が動くのが見えた。
『――――――』
「ま……り……さ……」
魔力が尽きた。
八卦炉から放たれる閃光は、だんだんと細くなって、夜空に消えていった。
もう飛べる力も残ってない。
手からミニ八卦炉が落ちた。
私の体は、暗さを取り戻した幻想郷へ落下を始めた。
少女は、私を抱いていた腕をするりと抜いた。
ばさっと翼をはためかせ、落ちていく私を見下ろした。
私は、満月をバックに大きな翼を広げている少女に手を伸ばした。
どんどん少女が小さくなっていく。
空に、キラキラと何かが光るのが見えた。
落下しながら、星かと思ったけど、自分の流している涙だと分った。
お姉様に抱かれて以来、泣いていない。
魔理沙の死体を見た時は、あの時は雨で弱っていたから、涙腺が緩んでいたかもしれないけど、泣いたような記憶はない。
大体、あの時の記憶は曖昧。雨とショックの所為で。
この三日間、何度も泣きそうなことがあったけど、泣けなかった。
涙が出なかった。
やっと泣けた。
意識を失う寸前、私は見た。
彼女は微笑んでいなかった。
彼女の笑顔は、私が見てきた笑顔の中で一番輝いて、似合っていた。
「ありが……とう……ま……り……」
私の体と意識は、深い闇へと落ちて行った。
――――――――――
「う……ん……?」
目を開けた。
横には魔理沙の寝顔があった。
嘘!?
目を擦って見ると、人形だった。魔理沙人形。
「目が覚めた?」
背中から声が聞こえたので、はっとなって寝返りをうった。
白いドレスとナイトキャップが目に入った。
「お姉様?」
がばっと身を起こす。
横の椅子で座っていたのは紛れもない私のお姉様で、林檎を剥いていた。
血だらけ林檎だった。
「……お姉様?」
「寝てなさい。私が林檎剥いてあげるから」
血だらけ林檎だった。
「血だらけ」
「五月蠅い。……いった!」
見ているそばから血が増えた。
「もういいよ。お姉様、私林檎いらないから」
見てられない。
見苦しくて。
でも、お姉様もなかなか頑固で、
「いいから食べなさい」
って言うから、
「林檎嫌いなの。私が嫌がっているのに食べさせるの?」
って言ってやったら、やっと止めた。
別に林檎嫌いじゃないけど。
皮を剥いて黄色く(私の主観。人によっては白って言う人もいるかも)なるはずなのに何故か赤い林檎を、横の台の皿に置かせた。
改めて辺りを見回す。
いつも目が覚める地下牢じゃない。
もっと高級感のある洋室だ。
お姉様の部屋だ。
ということは、私が魔理沙人形と寝ていたこのベッドは、お姉様のベッドということになる。
「……ねえ、私、どれ位寝てたの?」
「大体三日ね」
三日……魔力の放出は膨大だったらしい。
「……お姉様、どこで寝てたの?」
まさかと思い、聞いてみた。
私がここでずっと寝ていたなら、お姉様はどこで?
「ん?ここでよ」
あれ、地下牢じゃなかった。
「この椅子の上で」
お姉様は少し腰を浮かせ、座っていた椅子をぽんぽんと叩いた。
へぇー椅子のう……え?
「お姉様……まさかずっと私に付きっきりだったの?」
「……まあ」
お姉様は白いほっぺを赤く染め、そっぽを向いた。
可愛い、照れてる。
「うふふふふ」
「……何よ気持ち悪い」
「ううん、何でもない」
お姉様、有難う。
お姉様の赤が治まらないので、私はお姉様とベッドを挟んで逆サイドに顔を向けた。
そこには、赤い薔薇が二輪入った花瓶と、ミニ八卦炉が置いてあった。
「……ねえお姉様、確か私、花火を打ち上げた後に気を失って落ちたと思うんだけど、誰がミニ八卦炉と私を拾ってくれたの?」
「それは私がお答え致しましょう」
突然目の前のテーブルの横にメイド服が現れた。
驚いて視線を上にスライドすると、銀髪のメイド長の顔がそこにあった。
「……咲夜、呼んでいないわよ」
後ろからお姉様が言った。
「呼ばれていませんわ」
咲夜は瀟洒な微笑みを作ると、私に目を向けた。
「八卦炉は、霧の湖の中に沈んでいましたが、美鈴が自ら飛び込んで拾ってきました」
「美鈴が……?」
咲夜は頷く。
「はい。美鈴は、妹様の力になれない私が出来ることはこれくらいだと言っておりました」
「そんなこと、無いのに」
思わず笑みが零れる。
美鈴には感謝している。
美鈴がいなければ、魔理沙に会えなかったし、香霖にも会えなかった。
感謝している。
今度、遊んであげよう。
「次に、妹様の体ですが、」
咲夜は一旦そこで言葉を切り、私の背後をちらりと見た。
「湖に落ちる寸前、何処かの吸血鬼さんが受け止めてくださいました。それはもう大慌てで」
思わず、吹き出した。
「本当!?アハハ!その吸血鬼さんには感謝しないとね!アハハ!」
目から涙出てきた。最近は泣く出来事が多いわね。
「その通りですこと」
咲夜はくすくす笑っていた。
「出てけーっ!」
背後で誰かが叫んだ。
もう大声も大声だった。
「はいはい」
咲夜はまだ笑いが治まらないらしく、くっくと笑いながら消えた。
「全く……」
後ろで誰かが溜息を吐く音が聞こえた。
お姉様、有難う。
「……ねえ、フラン。私思いついたの」
私はお姉様に顔を向ける。
まだ赤かった。というか、さらに赤みが増していた。
「思いついたって、何を?」
お姉様は咳払いを一つした。
「フラン、貴女はもう自由に外出していいわ」
「……本当?」
お姉様が頷く。
「牢獄の生活で大分世間知らずのようだし、これからは幻想郷を見て回るといいわ。花火の件とかあるし」
……だって、花火の本とか読んだことなかったもん。
「破壊衝動も収まっているようだし、監禁しておく理由もないから」
「……でも」
「お姉様の意見は絶対。デモもクーデターもない。いいから、少し世間を見てきなさい。勿論、魔力が完全に戻ってからよ」
「……分った」
私は、自分の体をベッドに沈みこませた。
ベッドのばねが微かに軋む。
「あーあ、お姉様のベッドはこんなに気持ちいいのに」
「あら、貴女の新しい部屋も用意してあるわよ。用意している途中だけど」
「本当?」
「本当本当」
今から楽しみだ。
どんな部屋なんだろう。
そう思いながら、寝返りをうった。
「……ん?」
腰のあたりで違和感を感じて、そこを探ってみたら、ポケットだった。
ポケットに何か入っている。
それを引っ張り出して、まじまじと見た。
その正体が分かった瞬間、はっとなった。
「……あら、綺麗な鳥の羽」
お姉様が言った。
暫く、私はそれを見ていたけど、横に寝ていた魔理沙人形を手繰り寄せて、背中のシャツとベストの間に差し込んだ。
山高帽から、白い羽の先端がちょこんと出る形になった。
「……この人形が、動けばいいのに」
動くはずはない。
ただの人形なんだから。
そんなことは分ってたけど、思わず口からそんな言葉が出た。
私は魔理沙人形を、シーツの中でぎゅっと抱き締めた。
お姉様には見えなかったかもしれないけど、私は顔に出る笑顔を抑えきれられなかった。
幻想郷は、常に概ね平和である。
たまに異変が起こり、巫女やら魔法使いやらが奔走するが、基本的に平和なのである。
白妖精が春を伝え、自然の権化は向日葵を咲かせ、秋の神は紅葉と豊穣を喜び、寒気の妖怪は雪野で舞う。
四季は幻想郷の化粧。
そのリズムは、たまに乱れたりするが、大体規則正しい。
495年の監禁生活を生きた吸血鬼少女は、それを見たことが無い。
これから見れるとなると、期待に大きく胸が膨らんでいくようだった。
「ねえ……お姉様、私も思いついたことがあるの」
幻想郷はあらゆるものを受け入れる。
「何かしら?」
狂った吸血鬼でも、魔法使いの死でも、
「この三日間、私を呼び出した三人の妖精も、氷精も、永琳もウドンゲも、幽々子サンも、幽香も、紫も、アリスも、みんな私のことを『悪魔の妹』っていうことで認識してた」
紅い霧に覆われようとも、
「妹って身分を強調されると、何だかお姉様に依存しているような気がするの」
冬と春の交代の契りが切られようとも、
「弱い妖怪は、二つ名だけで逃げ出す……それは普通じゃない」
宴会があまりに多くても、
「幻想郷を歩き回れる以上、私は人間とも弱い妖怪とも接したいの」
月が偽りだったとしても、夜が明けなかったとしても、
「『悪魔の妹』の二つ名がある限り、それはできない」
突然四季の花が咲き乱れようとも、
「……新しい二つ名が欲しいの?」
「私、気がついたの。私がみんなと普通に接して生きていける事が一番幸せで普通なんだって。この三日間、楽しかった」
神社が乗っ取られようとも、
「私に恐れず、普通に接してくれた人たちと話すのが楽しかった」
幻想郷は変わらず動く。
「普通、魔理沙が目指した普通。これが一番幸せなの」
狂った吸血鬼が、普通を志そうとも。
「貴女は、私の妹であることをやめるの?」
「そんなわけがない。私は永遠にお姉様の妹。でも、二つ名は変えて欲しいの」
「そうねえ……じゃあ」
「ああ、いいよ。お姉様のネーミングセンスはあれだし」
「どういう意味よ」
「私がもう考えているの」
フランドールは、笑った。
太陽のように。
「私の新しい二つ名は―――」
こういう話は大好きです。
とても楽しめました。
素晴らしいお話、どうもありがとうございます。
というかビオランテ…w
いい話をありがとう。
普段はあんまり点数入れないけど、巷でぽんぽん入る100点なんかではなく
本当の意味で感動したと、言う意味で90点を付けさせてもらいます
素晴らしい読み物をありがとうございました。
イイハナシダナー
天界、冥界、地獄のどれでも無いとなると・・・
輪廻転生?
それとも魅魔様のように悪霊?として幻想郷に・・・
一人の人間ってこんなにもたくさんのことを教えられるのかと思わされました。
本当にいい話をありがとうございました。
次回作、期待しています!!
妹様と魔理沙が大好きな私の、魔理沙の死後はこんな感じかなぁ…と思っていたので…
良い物を読ませていただきました。
これからも頑張ってください。
妹様・・・
これしか言えない
ありがとうございます
特に人物それぞれがそれぞれの悲しみ方をしている描写が心に響きました。
次回作(続編もあるのでしょうか?)も期待しております。
魔理沙のおかげで成長したフランにピッタリの二つ名です
良い話をありがとう
いやもう本当に感動しました。
このあとのフランの二つ名はやっぱり「恋の吸血鬼」なのでしょうか
ああもう泣き過ぎて脱水症状が
宗教によっては理不尽な理由で罪になっちゃうってのは解ってるんだけど、それらが納得できない私としては、この話でも納得できませんでした
まあ、読み手のいろんな反応の中の一つということで
あ、念のために言っときますが、secondにコメント残している方とは別人ですのであしからず
「普通の吸血鬼」いいですね。
素晴らしい物語を有難うございました。
次回作も期待しています!
仏教じゃ葬式や四十九日やらであげたお経や手向けなんかによって死者の罪は軽くなるそうです。
これだけ大きな手向けを送られたら極楽に往けそうですね。
もの凄い不思議な読了感……
お見事です
その二つ名は名前は普通だけど、その意味は決して普通じゃなく重い…
フランはそんな思いを背負って彼女の分まで生きていく…
哀しくて素敵な話を有難う御座いました
で、ここから先、折角の感動をぶち壊す様なコメントを書いてしまってすいません
作品に紅魔郷から風神録までのキャラに霖之助に三月精に阿求、果ては朱鷺子や魅魔様といったレアキャラまで殆どのキャラが登場していますが、秋姉妹とメディスンが登場していなかったのが凄く気になってしまいました…
ちょっと四季様に裁かれに逝って来ます…orz
秋姉妹とメディスンは、登場こそしませんが話の中には少しだけ顔を見せています。リリーも同様。
個人的には、儚月抄のキャラが出せなかったことと、内容が非常に薄っぺらくなってしまったことが心残りです。
普通の魔法使いは普通の吸血鬼の守護についてくれたのかな?
人は2度死ぬと言います。
一つ目は知らせを聞いた時
二つ目は実際に其の目で確認した時
二つが合わさった時、死を確信する事。
本当の死とは・・・
その人の全てを忘れてしまうこと・・・
フランが魔理沙を思う限り
「魔理沙」は何時までもフランの側に・・・
2話での咲夜さんが扉を時間を戻して直したと言う部分。
記憶違い出なければよほど特殊な場合を除いて時間を戻して元に戻すことはできないはずなので
そこだけちょっと引っかかりました。
暖かくてちょっぴり切ない読後でした
素敵な物語をありがとう!
secondで美鈴が霖之助を殴ったときの理由が、理不尽で違和感を感じたのでこの点数です。
ただその一言に尽きます。
どうもありがとうございました。
雷って出口がなきゃ落ちないんじゃなかった?例えば体の一部が地面についてるとか。空を飛んでるなら雷雲に突っ込みでもしない限り落雷はしないとも思うんだけど。
勘違いだったらごめんなさい。
読み応えのあるいい話をありがとう。
作中の幽香がやたらツボな私の月並みな感想でした。
雷に限らず、電流が流れるには出口が必要不可欠です。
この場合、雷は雲→空気→魔理沙→空気→地面の順で落ちています。
魔理沙に雷が当たって、そこから雷は地面に落ちたということです
妹様の心の動きはとても丁寧に書かれていますし、他の幻想郷の面々の魔理沙の死の捉え方、反応もうまく纏められていて、楽しく読ませて頂きました。
特に霊夢の泣けなかった場面は好きです。
博麗の巫女であるために、感情の動きに身体が強く左右されないにくく、現状把握が早い。
なくなってしまった人や物に対して、「もうそうなってしまったこと」として否が応にも理解してしまう。
……それでも魔理沙が死んで悲しい、心が痛い、心の中で泣いている霊夢がとても良かったです。
多くの伏線がいい具合に話のリズムを作っていました。
悲劇で始まっておきながら、なにげにバッドエンドじゃない。
しかもそれがわざとらしくない。
ラストシーンの薔薇と羽と人形とえっきーのセリフは、
つまりそういうことでいいんでしょうか?
想像力をかきたてられました。とても良い余韻です。
余談ですが、フラマリにおける魔理沙はやたらと致死率が
高いのは気のせいでしょうか。
U.N.オーエンは彼女の死亡フラグなのか?!w
いつの日かお互い気付く事はないかもしれませんが出会うことがあるのかもしれませんね。フランは長生きですから。
二つ名ってなんだったんだろう?と思ってタイトル普通の吸血鬼お馬鹿でごめんなさい。
いいお話をありがとうございました。
いや……しかしこんなに感銘を受けた作品は久々でどうコメントを書いてよいやら。
素晴らしい作品をありがとうございます。
本文で涙し、映姫様の判決で涙腺決壊。
ありがとうございました。
ラストの映姫のシーンも取ってつけたようで蛇足だと思う。
でも、いい話だったと思います。
フランドールの想いに感動した。堪能させていただきました。
ありがとう!
すばらしい作品をありがとう!
リアルでティッシュが足らん(涙)
でも、綺麗な花火だ。
泣けなかった霊夢のシーンが特に印象に残りました
でも最後の、最後のフランが意識を失うところ。
あれは反則だろう…(T^T)
あと映姫さまの最後の言葉があの場面に至るのではないかと勝手に想像してまた号泣。目が痛いです。
いい作品にめぐり合えたことを心から感謝します。
筆者さん、本当にありがとう
つまらん
彼岸の閻魔の裁判はそういうものでしょう
人間が亡くなる話はあまり好きではないのですが、素直に感動しました。