半月が夜空に浮かぶ。
半端な妖怪くらいでは迷ってしまうという迷いの竹林の奥に、静かにたたずむ大きな日本家屋。
永遠亭と呼ばれるその屋敷のとある一室に、怪しい研究室を構える月から来た宇宙人こと八意永琳は、ポコポコと泡立つビーカーをじっと見つめていた。
その隣で月のウサギ、鈴仙・優曇華院・イナバも真剣な表情でビーカーの中の変化を見守っていた。
しばらくビーカーから洩れる小さな泡の音だけが辺りに流れ、しだいにその音がボコボコと変化する。
「師匠」
鈴仙が嬉しそうに永琳の顔を見るが、永琳は冷たい表情でビーカーを見続ける。
やがて、ビーカーの泡が無くなり、何の変化も見せなくなった。
「ああ……」
沈んだ表情でため息を漏らす鈴仙に対して、永琳は何も言わず側にあるイスに座った。
「やっぱり代用品では駄目みたいですね」
鈴仙が永琳の傍らに立ちうな垂れる。
「まあ、座りなさい」
ガックリと肩を落とす弟子をイスに座らせ、机上に広がっているいくつもの本に視線を落とし、ページをめくり始める。
「こうなる事はある程度予測済みよ。それでも実験して何らかの成果が得られれば、それは新たな一歩。やって損なんて無いんだから、そんなに落胆しないの」
「そうですけど……丸3日、準備期間も含めれば2週間も掛けた実験が失敗なんて」
「実験の大半は失敗だと思いなさい。実際に験すのが実験よ」
「駄目だということを実証するために験すんですか?」
「そうよ」
ふてくされ顔の弟子をあやす様に諭す。それでも鈴仙は頬を膨らましたままだ。
「師匠が代用できると思ったものが駄目なんて、物質の方が間違っているわ」
ぶつぶつと呟く鈴仙の無茶苦茶な論理に、永琳は思わずふきだした。
「疲れているのね、休みましょう。さすがに永遠を生きる私でも、3日の徹夜は体にこたえるわ」
「はい。では、片付けておきますので師匠は休んでください」
よたよたと立ち上がり、ビーカーをはさむ鉄の箸のようなものを構える。
「いいわ、あなたは先に休みなさい。そのままでは大事な実験道具を壊しかねないもの」
「は、はい。すみません。それではお先に失礼します。おやすみなさい師匠」
「おやすみ、ウドンゲ」
よっぽど疲れていたのか、鈴仙は遠慮もせずに部屋を出た。
「ふふふ、まだまだ子どもね」
フラフラと出て行くのを確認すると、永琳は目を細めて小さく微笑む。
そしてテキパキと実験道具を片付け、コーヒーを淹れなおすと、本棚から数冊新たな資料を取り出すと、ゆっくりとページを開くのだった。
翌朝、鈴仙が研究室に行くと、昨日と変わらない表情で永琳が本を読んでいた。
「おはようございます、師匠。今コーヒーを入れますね」
「おはよう、ウドンゲ。ありがとう」
コーヒーを入れた鈴仙が戻ってくる間に、永琳は本を本棚にしまい紙になにやら書きだす。
「おまたせしました」
ウサギ柄のカップになみなみとコーヒーを入れ、ゆっくりと近づく鈴仙を待ち、永琳はメモを渡す。
「なんですか、これ?」
「探してきて欲しい物よ」
そこにはジェダイトという名前とその特徴が書かれていて、それは石のようだ。
「わかりました、すぐに探してきます」
「待ちなさい!」
メモを大切にポケットにしまうと、すぐに出て行こうとする鈴仙を永琳が強く呼び止め、
「その前に、朝ごはんを食べましょう……」
と力無く言う永琳のお腹からクーと音が聞こえ、鈴仙は急いで朝ごはんの準備をするのだった。
鈴仙と永琳が食べていると、ふわふわウサギ耳をした因幡てゐが食卓に顔を出す。
「おはよう永琳、鈴仙」
「おはよう、てゐ」
「おはよう」
挨拶をすませると、てゐは鈴仙のご飯に手をかける。
「ちょっと、それ私のごはん」
「知ってる~」
むくれる鈴仙に、てゐは涼しい顔だ。
「もー……」
呆れ顔で別の椀にご飯とにんじんスープを盛る鈴仙。
ニコニコ顔で食べるてゐは、そういえば、と口を開く。
「鈴仙、今日は暇?」
「ごめん。今日は師匠から頼まれた探し物をするの」
鈴仙は申し訳なさそうに答える。
「えー、まだ実験続くの~。……最近全然遊んで無いじゃん……」
一転して不機嫌な顔を見せ、テーブルに突っ伏しながら誰にも聞こえないように小声でぶつぶつ不満を漏らすが、
「あっ、じゃあさ、それ私もついて行っていい?」
すぐにピョコンと起きて笑顔で提案する。
「いいわよ」
その仕草にクスリと笑い答える。
2人のやりとりを見ていた永琳も、笑顔を見せていた。
「いってきまーす」
2人の元気な声が竹林に吸い込まれ、永琳は手を振って見送った。
「ねえそれで、何を探すの?」
「うんとね、ジェダイトっていう鉱石」
鈴仙はメモを見て再度確認する。
「鉱石か。じゃあ山だね」
竹林でさえぎられているが、妖怪の山の方を指差すてゐ。
「ううん。まずは香霖堂に行ってみましょう」
「え、香霖堂にあるの?」
「確かあったと思うよ、鉱石類も。ただ、あそこって一品限りのものが多いし、魔理沙っていう泥棒もいるしね、確実じゃないけど」
「ふーん……」
適当に相槌を打ちながら何か思案していたてゐは、ちょっと待っててと草陰に行き、しばらくするとにこやかに帰ってきた。
「おまたせ~。じゃあ香霖堂にレッツゴー!」
「お、おー」
竹林を右に曲がったり左に曲がったり、あるいはクルリと一周したように歩くが、一度も迷うことなく人間の里側へと出た。
そのまま魔法の森の入り口へ行くと、ひっそりと小さなお店、香霖堂がある。
統一感など微塵も感じられない店内はごちゃごちゃとしているが、ありとあらゆるものがあるんじゃないかと思わせる。
「こんにちは」
鈴仙が香霖堂の扉を開けて中に声を掛ける。
が、返事は無い。
「留守? 開けっ放しで店から離れるなんて、防犯上どうなのかな」
「人がいたって勝手に持っていく輩ばっかりだからね、店主もあきらめてるんじゃない?」
てゐがウサウサと笑う。
「困ったな。こんなごちゃごちゃしてたら、どこに何があるのか探してるだけで何日もかかっちゃう」
鈴仙が小さくため息をついて、扉を閉める。
「お使いで終わると思ったのに……しょうがない、山に行って探そう」
「りょーかーい」
てゐが元気に応えて、2人で妖怪の山へ飛んでいく。
2人がいなくなった後しばらくすると、一匹の白いウサギが魔法の森から出て、それに続いて香霖堂店主、森近霖之助もウサギを追うように出てきた。
「おーいウサギさん。いい加減に返してくれよ」
ウサギはピョンと店の前に着くと、口にくわえた一冊の本を置き、謝るようにぺこりと頭を下げ、そのままどこかへ行ってしまった。
「まったく……なんだったんだ?」
霖之助は怪訝な表情で本を拾うと、パンパンとホコリを払い店内へ消えた。
まさか来客があったとは夢にも思わずに。
幻想郷で山といえば妖怪の山の事だ。ここには最近新しい神様が来て、妖怪達の信仰を集めているのだが、鈴仙はまだその姿を見た事がない。
「神様ねぇ……」
科学万能の月の世界では、居もしない神に祈るのならもっと物理的に解決しよう、という思考だったが、幻想郷では神はいる。しかも割とそこらへんにいたりするから、鈴仙も最初は戸惑っていた。
「てゐは新しい神様もう見た?」
「ううん。まだ見てない」
「どんな人なんだ、ん、人? まぁ人でいいか。人なんだろうね」
「うーんとね、なんか噂によると大砲を背負ってるらしいよ」
「ぶっ! た、大砲……。それはまた勇ましい姿ね……」
大砲を背負った姿を想像して鈴仙は苦笑いをする。
妖怪の山に差し掛かり、大きな川の上を他愛も無い話をしながら楽しそうに飛ぶ2匹のウサギ。
そこへ、突如鉄の腕が飛んできた。
「わっ!」
鈴仙とてゐは同じリアクションをして鉄の腕が飛んでいった方を見ると、それがまっすぐ戻ってくる。
2人の間を抜けてしばらくすると、何も無い空間から声が聞こえてきた。
「そこの2匹のウサギ。この先は妖怪の山だよ。悪い事は言わないから引き返したほうがいいよ」
声がした方に振り向き、鈴仙は睨みてゐは驚嘆とそれぞれの表情を見せた。
「どなたか知りませんが、ステルスで姿を隠しながら警告とは、ずいぶん失礼ですね」
威嚇のつもりなのかゆらゆらと鈴仙が耳を揺らすと、2人の前に1人の少女が姿をあらわした。
「その技術、河童さんですね」
少し驚いた鈴仙だがすぐに推理する。
「コレが技術と分かるなんて、いい趣味してるね。私は河城にとり。お察しのとおり河童だよ。ちなみコレは光学迷彩ね」
「私は鈴仙・優曇華院・イナバ。月にいました」
「月ねぇ。昔どこかの大妖怪が月に攻め込んだ時は月の科学力に痛い目を見たらしいけど、なるほど光学迷彩程度では驚かないんだね」
「偵察・隠密・戦闘・撤退と全ての局面で標準装備ですから」
お互い不敵な笑みをする横で、よく分からず仲間はずれになっていたてゐが、クイクイと鈴仙の袖を摘む。
「河童の相手なんかしてないで、早く行こうよ」
「おっと、ここは通さないよ」
両手を広げて通せんぼするにとりに、なぜか怪訝な顔をするてゐ。
そんなてゐの表情に気付かず、鈴仙はお願いをする。
「邪魔しないで、私達これから探し物をしにいくんだから」
「探し物~? ちなみに、何を探してるのかな?」
急に目が険しくなるにとり。
「ジェダイトっていう石」
その言葉にピンときたのか、にとりが笑う。
「駄目だよ。貴重なものだもん」
「ええっ、そんなぁ……。うーん。何とか譲ってもらえないですか」
「駄目だ。大体、貴重じゃなくたって、妖怪の山から物を持っていこうってのがそもそもいけない事なんだから」
縄張り意識の強い妖怪の山の住人らしい台詞に、鈴仙はさらに困惑する。
「あきらめる事だね。さあ、さっさと帰った帰った」
取り付くしまも無くにとりはパタパタと手を払う。
「そんなぁ……うーん」
「……帰ろ、鈴仙」
「あ、ちょっと」
唸って困っている鈴仙の腕を、てゐが不機嫌に掴んで引き返す。
「じゃあね~」
にとりはぱたぱたと手を振ってにこやかに2人を見送った。
その姿が見えなくなるところまで引き返すと、てゐは鈴仙の手を引っ張って地面に降りた。
「ちょっと、あんなに簡単に引き下がっちゃ駄目だよ。師匠に怒られちゃうんだから、このままじゃ帰れないよ」
「帰らないよ。川を避けて入るの」
降りたとたん怒り出す鈴仙に、少し呆れた様にてゐが言う。
「川を避けても、今度は天狗に見つかるんじゃないの?」
「飛んでいかなきゃ大丈夫。歩いて山を登ろう」
「そんな単純な事でいいのかな? 見つかりそうだけど」
「いいからいいから。いつもそうやってるし」
と言っててゐは、テクテクと山道を歩き出した。鈴仙も急いでそれについていった。
山の裏側、川の無い山道を歩く鈴仙とてゐ。
「はぁ、はぁ……山道って歩くと疲れるね」
「当然だよ。でも鈴仙は疲れすぎ。いっつも永琳の手伝いばっかりで内にこもってるからだよ。もっと外で遊ばないと」
「うう、そうだね……」
ニコニコと楽しそうに鈴仙を見るてゐ。
「楽しそうだね、てゐ」
「えっ! あ、うん。鈴仙が疲れる姿を見るのが楽しいかな、なんてね……」
「なに~!」
両手を振り上げる鈴仙だが、すぐ表情を緩める。
「まぁ、最近師匠の実験が忙しくて、てゐと一緒にいるのも久しぶりだしね。疲れるけど、山登りも楽しいよ」
「う、うん! 楽しいよね!」
てゐもはじける様な笑顔を見せた。
休み休み山を登り、日も大きく傾いてきた頃に大きな湖と神社が見えてきた。
「ここが新しい神様の神社かぁ……」
博麗神社と違う立派な作りに、鈴仙は口を開けて見上げる。
キョロキョロと物珍しそうに見ながら中へと進んでいき、おみくじを引いたり境内をブラブラ散歩して御神木を見たりと、見るもの目新しく、一つ一つにはしゃぎ周っていた。
「ってーっ! 私達こんな事してる場合じゃないんだって!」
夕日が山に沈みかけた頃、鈴仙が突然叫ぶ。
「え、ああ、うん。探し物をしに来たんだよね。でももうこの暗さじゃね」
暗くなった辺りを見回しなぜか嬉しそうに言うてゐ。
「……そ、そうねぇ……」
鈴仙が途方にくれていると、突然社務所から少女が顔をだした。
「こんにちは、もうこんばんはね。守矢神社へようこそ」
にこやかに話し掛けてきた少女は、麓の博麗神社の巫女と同じように脇を出す独特の巫女装束を身に纏っている。
「あ、こんにちは。勝手に入ってきてすみません」
鈴仙が挨拶するが、ここは神社の境内で勝手に入ってもいい場所である。それに気付いて少し恥ずかしそうにする。
「いえ、気軽に来てくださって嬉しいですよ。あ、自己紹介しますね。私はこの守矢神社の巫女、東風谷早苗と申します」
笑みを崩さず丁寧に話す早苗。どこかの紅白巫女とはえらい違いである。
「あ、はじめまして、私は鈴仙・優曇華院・イナバといいます」
「因幡てゐだよ」
鈴仙と早苗がお互いお辞儀をし、てゐがよろしく~と挨拶する。
「それで、今日はこんな山の上の神社まで何をされに来たんですか?」
「今日は探し物をしに山に来たんですけど。そしたら新しい神社にてゐが浮かれてしまって……」
目的を忘れて遊んでしまった恥ずかしさから、責任をてゐにかぶせる。
「えー、鈴仙だって一緒にはしゃいでたじゃん」
てゐが口を尖らせて反論する。
「だって、新しい建物ってなんかワクワクするでしょ」
「それに、おみくじ引いて大吉だー、ってしばらく踊ってたし」
「そ、そ、そんな事してたかな?」
「またまた。とぼけちゃって~」
そんな2人のやり取りを微笑ましく見ていた早苗は、パンと手を叩く。
「そうだ、楽しみついでに夕飯も召し上がっていきませんか? 守矢神社特製、ってわけではありませんがぜひお召し上がり下さい。幻想郷の話もいろいろと聞きたいですし」
そうと決まればさあどうぞ、と言わんばかりに早苗は2人の背中を押して、社務所の裏に続いている住居スペースに招き入れる。
「そんな、悪いですよ」
「いいですから、どうぞ遠慮なさらずに」
遠慮する鈴仙とは対照的に、てゐはスタスタと家の中に入っていった。
「美味しいです!」
出されたものはどれも質素ではあるが、いわゆるおふくろの味であり、故郷が月の鈴仙の舌にも、やはりそれは適応された。
てゐは無言でむしゃむしゃと食べている。てゐだけは特別にニンジンステーキが出されていて、鈴仙がちょっと頂戴とおねだりしても、一口たりとも分けたりしない。
それに文句を言いつつも、少し笑っているあたり、鈴仙も予測済みの返答だったに違いない。
にぎやかな食事はあっという間に終わり、最後のお茶を鈴仙ゆっくりとすすっていた時、早苗は新たな提案をした。
「今日はもう遅いですし、ここに泊ったらどうですか?」
「いえ、ご飯までご馳走になったのに、更にそんな申し訳ないです」
そこまでお世話にはなれないと、鈴仙は大きく手を横に振る。
しかしそれに反しててゐは畳にゴロンと横になる。
「もう今日は疲れちゃったよ~。お腹もいっぱいだし石も見つけてないし、今日は泊まって明日探そうよ」
「ちょっとてゐ、失礼でしょ」
「いえいえ、どうぞご自宅と同じようにおくつろぎ下さい。私はお風呂の準備をしてまいりますので」
早苗はすっと立ち上がり廊下に行ってしまった。
なし崩しで泊まることになってしまった鈴仙は、てゐをチラリと睨む。
「てゐ。もっと遠慮というものを知りなさい」
「いいじゃん。泊めてくれるって言ってるんだし。それに疲れたのは本当だよ?」
ふて腐れ顔で反論するが、最後は眠そうな表情を見せる。
「もう……」
そんなてゐの表情に、鈴仙はそれ以上何も言えず顔をしかめるしかなった。
お風呂を鈴仙とてゐは一緒に入った。
「ちょっとてゐ待ちなさい。背中がまだ綺麗になってないでしょ」
「もういいよぉ」
「だーめ。山登りして汗いっぱいかいたんだから。それに、お泊りする布団を汚さないように、いつもより丁寧に洗わないとね」
まるで姉妹のように鈴仙がてゐの背中を洗ってあげる。てゐも渋々おとなしくしているように見えるが、その顔は嬉しさを隠し切れないようだった。
鈴仙が髪を洗い流そうと頭から湯をかぶるが、てゐがこっそり石鹸を溶かしているので、泡がさっぱり消えない。しばらく同じことを繰り返して、鈴仙がてゐに怒るとやっとその無限ループが終わった。
湯船でも2人ははしゃぎ、てゐは疲れてると言っていたのに終始鈴仙にちょっかいを掛けて元気いっぱいだった。
床の間に行くときっちりとのり付けされた布団が敷いてあり、2人は倒れこむように横になった。
「鈴仙今日は楽しかった?」
「ん? うん。楽しかった。探し物は全然してなかったけど、たまにはこんなのもいいよね。てゐは?」
「うん! 楽しかった」
元気いっぱいに答えるてゐを見て、鈴仙も微笑んだ。
「さ、寝ましょ。明日はがんばってジェダイト探さないとね」
「はーい」
返事をしてすぐ、てゐは眠りにつき、それを見届けた鈴仙も夢の中へ落ちていった。
2人の寝息が支配する床の間に、ささやく様な声がした。
「狸寝入りならぬウサギ寝入りだね」
「……」
てゐが無言で立ち上がり、足音を立てずに廊下に出て行く。チラリと鈴仙を見ると幸せそうな寝顔を見せていた。
忍び足で茶の間に行くと、早苗が笑顔で迎えてくれた。
「鈴仙さんは寝てますか?」
「ぐっすりね」
てゐがピシッと正座をして、早苗の真向かいに座る。
「そんなにかしこまらなくてもいいのにねぇ」
早苗の隣から先ほどのささやき声の主が姿を現す。
妖怪の山に新しく来た山の神、八坂神奈子だ。あぐらをかいたまま空に浮いている姿は、神々しく後光が差していたりするが、その表情はフランクな笑顔を見せていて、神様として接し難い雰囲気はまったく無かった。
「どうも、ありがとう」
正座はするが、言葉使いまでは丁寧にならない。そこは神奈子のフランクさがそうさせるのか、てゐがそもそもそういう性分なのか。
「いやいや、かわいい信者の頼みだ。力になれてよかったよ」
「別に信者じゃ無いけどね」
「ははは、崇め立てるだけが信仰じゃないよ。頼ってくれるだけで私は嬉しいさ。何らかの存在を信頼する心が『信仰』の第一歩だからね」
なんだかうまい具合に信者にさせられそうで、てゐは少し警戒するが、神奈子はただ嬉そうに話すだけだった。
「天狗には話をつけてたけど、河童には言ってなかったかな? 途中邪魔されてたからどうしようかと思ったけど、上手く抜けてくれてよかった」
たとえ空を飛んでいなくても、哨戒天狗が侵入者を見逃すわけが無い。前もって神奈子が天狗にウサギ達を通すように言っていたのだ。
「しかし鈴仙も、よくあんな適当な嘘で騙されるね」
ははは、と笑う神奈子に、てゐがにやりと笑う。
「鈴仙を騙すなんて簡単だよ。声のトーンとかタイミングさえ掴めば、誰だって騙せるよ」
鈴仙の話をするてゐは本当に楽しそうだ。
「そうだ、信頼ついでにこれもあげよう」
ゴソゴソと袖に手を入れると、エメラルドグリーンの握りこぶし程の石を取り出す。
「……これ、ジェダイト?」
「そう。日本では翡翠って呼ばれるのが一般的だよ」
「あ、ありがと」
貴重な物とにとりが言っていたのを思い出し、てゐは神奈子の顔を見やる。
「ああ、河童の言ってた事? 貴重ってのは、確かにそんなにそんなに採れるものじゃないからね。しかもそんなに大きいのはめったに採れないかな」
「じゃあ、これ……」
遠慮しようとするてゐに、神奈子は人差し指を立てながら、
「河童が言いたかったのは、奉納品として私にあげてるからやれないよ、って事だ。でも、私から貰えばそれはもう解決! ははははは。よかったね」
おかあさんのような豪快な笑みを浮かべる神奈子に、てゐの心にぬくもりというか、どこかほっとした気持ちがにじんだ。
「てゐが朝の散歩で見つけた事にしたらいい。鈴仙も褒めてくれるだろう」
「う、うん。ありがとう……ございます」
「はははははは、だからそんなにかしこまらなくていいんだよ」
またしても豪快に笑う神奈子に早苗が、鈴仙さんが起きてしまうとたしなめる。
「それにしても、こんな回りくどいことしないでも、一緒に遊びたいと言えばいいじゃないですか?」
お茶菓子を勧めながら早苗がたずねる。
「香霖堂の店主を外に出して買い物させなかったり、時間掛けて山を登ったり、目的を忘れさせるようにはしゃいだり、疲れてないのに疲れた振りして無理やり泊まったり」
ニヤニヤしながら神奈子がてゐの努力を列挙する。
「言わなくていいよぉ……」
恥ずかしそうに俯く。
「それに、鈴仙は永琳の弟子だもん。遊ぼうって誘っても、忙しかったら断られるに決まってる。断られるのは嫌だもん……」
てゐの声は次第に沈んでか細くなっていった。
「だから眠いなんて嘘まで吐いて泊まる強行作戦か。なんだか恋する乙女みたいで可愛らしいものだ」
「ちがっ、つ、疲れてただけだもん……ホント、本当に疲れてたの!」
照れ隠しに大きな声を出すてゐを、神奈子と早苗は微笑ましく見る。
「まあ今度からは素直に遊びたいと言ってごらん。案外鈴仙も遊びたがってるかもよ」
「う、うん。試してみる」
素直に返事をするてゐに、神奈子はまたもや豪快に笑った。
「さあ、もう寝ましょう。鈴仙さんより早く起きないと、散歩で見つけた、という嘘が通らなくなりますよ」
「大丈夫。嘘を吐く事に掛けては、私は誰よりも本気なんだから」
そう言って、すぐに寝床に戻ろうと茶の間を出るてゐ。
「おやすみ、てゐさん」
「おやすみ、てゐ」
「おやすみ。あと、ありがと!」
跳ねるように廊下を行くてゐを見送り、早苗も神奈子に挨拶をして寝床に着いた。
神奈子は誰よりも優しい笑みを浮かべて消えた。
あくる日。朝のてゐが散歩で見つけたジェダイトを嬉しそうに握り、鈴仙とてゐは永遠亭に帰ってきた。
「ただいま帰りました」
「ただいま~」
「おかえりウドンゲ。おかえりてゐ」
笑顔で2人の帰りを迎える永琳に、鈴仙は手に握っていた大きなジェダイトを見せる。
「てゐが見つけてくれたんです。これで間違いないですよね?」
「ええ、これだわ。てゐが見つけてくれたの? ありがとうてゐ」
「たまたま見つけただけだから。鈴仙も探すのがんばったんだし……」
照れるてゐの頭を撫で、永琳は鈴仙にも労いの言葉を掛ける。
「お疲れ様。ありがとう、2人とも」
「いえ。お安い御用です。さあ実験を再開しましょう」
すぐにでも実験をしたいのか、鈴仙は目をキラキラさせていた。
「あらあら、帰ってきてすぐに実験なんて、若いわね。じゃあ先に行って準備をしててくれる?」
「はい、わかりました」
言われてすぐ研究室に走っていく鈴仙。
それを見たてゐは、何も言わずに竹林の方に向かう。
てっきり屋敷でご飯を食べると思っていた永琳は、慌てててゐを呼び止めた。
「ちょっと待って、てゐ」
「なに?」
振り返らないてゐの声と背中は少し震えていた。その背中に永琳は言葉を続ける。
「昨日の夜ね、1匹の蛇が私のところに来たの。実験の材料になるかと思って捕まえようとしたら、急に人の姿になってね」
そこで一度言葉を切る。
てゐは相変わらず背中を向けているが、背中が続きを促しているように見えて、永琳は続ける。
「その人が言うには、その人の所に1匹の可愛いウサギが来たんだって。一緒に遊びたいウサギがいるのに、そのウサギの師匠がこき使うから遊べないらしいの。だからその人はその師匠を怒りに来たんだって私に言うの」
力なく笑い、もう一度言葉を切る永琳。
てゐは永琳の方を向いている。目には大きな涙を溜めていた。
「ごめんね。もっとあなた達の事を考えればよかったわ。あの子真面目だから、つい甘えちゃう……」
「3日!」
永琳の言葉をさえぎっててゐが叫ぶ。
「……3日も徹夜なんて鈴仙が倒れちゃうよ。鈴仙の事考えてるならもっと鈴仙の事、っく、ひっく」
「そうね。鈴仙には無理をさせてしまったわ。それに、てゐだってこの間ずっと寂しい想いをさせてしまった」
何も言わず肩を震わし続けるてゐ。
「意地っ張りなウサギさん。寂しい気持ちに嘘なんて吐かなくていいんだからね」
しゃっくりしか出ない声のかわりに、てゐは何度も頷いた。
「……この実験が終わったら、これからはきちんと考えるわ。鈴仙と、あなたの事。だから、今日はてゐもぜひ見ていってね」
泣きじゃくるてゐを、永琳はそっと抱いてごめんねと謝り続けた。
永遠亭にある永琳の研究室。鈴仙と永琳、そしててゐがボコボコと音をたてるビーカーを見守っていた。
「いい反応ね」
「本当ですか。じゃあ成功ですかね?」
「やったね!」
喜ぶ2人を見て、永琳が微笑んだその瞬間。
ドカーーーーン!
ビーカーが盛大に爆発した。
「……」
「……」
「……」
黒い顔をした3人が互いの顔を見合わせて、誰かが笑ったのを切っ掛けに3人がお腹を抱えて笑い出す。
楽しい毎日が来るのなら、八坂の神様を少しは信仰してもいいかな、と思いながらてゐは全身で笑った。
おわり
半端な妖怪くらいでは迷ってしまうという迷いの竹林の奥に、静かにたたずむ大きな日本家屋。
永遠亭と呼ばれるその屋敷のとある一室に、怪しい研究室を構える月から来た宇宙人こと八意永琳は、ポコポコと泡立つビーカーをじっと見つめていた。
その隣で月のウサギ、鈴仙・優曇華院・イナバも真剣な表情でビーカーの中の変化を見守っていた。
しばらくビーカーから洩れる小さな泡の音だけが辺りに流れ、しだいにその音がボコボコと変化する。
「師匠」
鈴仙が嬉しそうに永琳の顔を見るが、永琳は冷たい表情でビーカーを見続ける。
やがて、ビーカーの泡が無くなり、何の変化も見せなくなった。
「ああ……」
沈んだ表情でため息を漏らす鈴仙に対して、永琳は何も言わず側にあるイスに座った。
「やっぱり代用品では駄目みたいですね」
鈴仙が永琳の傍らに立ちうな垂れる。
「まあ、座りなさい」
ガックリと肩を落とす弟子をイスに座らせ、机上に広がっているいくつもの本に視線を落とし、ページをめくり始める。
「こうなる事はある程度予測済みよ。それでも実験して何らかの成果が得られれば、それは新たな一歩。やって損なんて無いんだから、そんなに落胆しないの」
「そうですけど……丸3日、準備期間も含めれば2週間も掛けた実験が失敗なんて」
「実験の大半は失敗だと思いなさい。実際に験すのが実験よ」
「駄目だということを実証するために験すんですか?」
「そうよ」
ふてくされ顔の弟子をあやす様に諭す。それでも鈴仙は頬を膨らましたままだ。
「師匠が代用できると思ったものが駄目なんて、物質の方が間違っているわ」
ぶつぶつと呟く鈴仙の無茶苦茶な論理に、永琳は思わずふきだした。
「疲れているのね、休みましょう。さすがに永遠を生きる私でも、3日の徹夜は体にこたえるわ」
「はい。では、片付けておきますので師匠は休んでください」
よたよたと立ち上がり、ビーカーをはさむ鉄の箸のようなものを構える。
「いいわ、あなたは先に休みなさい。そのままでは大事な実験道具を壊しかねないもの」
「は、はい。すみません。それではお先に失礼します。おやすみなさい師匠」
「おやすみ、ウドンゲ」
よっぽど疲れていたのか、鈴仙は遠慮もせずに部屋を出た。
「ふふふ、まだまだ子どもね」
フラフラと出て行くのを確認すると、永琳は目を細めて小さく微笑む。
そしてテキパキと実験道具を片付け、コーヒーを淹れなおすと、本棚から数冊新たな資料を取り出すと、ゆっくりとページを開くのだった。
翌朝、鈴仙が研究室に行くと、昨日と変わらない表情で永琳が本を読んでいた。
「おはようございます、師匠。今コーヒーを入れますね」
「おはよう、ウドンゲ。ありがとう」
コーヒーを入れた鈴仙が戻ってくる間に、永琳は本を本棚にしまい紙になにやら書きだす。
「おまたせしました」
ウサギ柄のカップになみなみとコーヒーを入れ、ゆっくりと近づく鈴仙を待ち、永琳はメモを渡す。
「なんですか、これ?」
「探してきて欲しい物よ」
そこにはジェダイトという名前とその特徴が書かれていて、それは石のようだ。
「わかりました、すぐに探してきます」
「待ちなさい!」
メモを大切にポケットにしまうと、すぐに出て行こうとする鈴仙を永琳が強く呼び止め、
「その前に、朝ごはんを食べましょう……」
と力無く言う永琳のお腹からクーと音が聞こえ、鈴仙は急いで朝ごはんの準備をするのだった。
鈴仙と永琳が食べていると、ふわふわウサギ耳をした因幡てゐが食卓に顔を出す。
「おはよう永琳、鈴仙」
「おはよう、てゐ」
「おはよう」
挨拶をすませると、てゐは鈴仙のご飯に手をかける。
「ちょっと、それ私のごはん」
「知ってる~」
むくれる鈴仙に、てゐは涼しい顔だ。
「もー……」
呆れ顔で別の椀にご飯とにんじんスープを盛る鈴仙。
ニコニコ顔で食べるてゐは、そういえば、と口を開く。
「鈴仙、今日は暇?」
「ごめん。今日は師匠から頼まれた探し物をするの」
鈴仙は申し訳なさそうに答える。
「えー、まだ実験続くの~。……最近全然遊んで無いじゃん……」
一転して不機嫌な顔を見せ、テーブルに突っ伏しながら誰にも聞こえないように小声でぶつぶつ不満を漏らすが、
「あっ、じゃあさ、それ私もついて行っていい?」
すぐにピョコンと起きて笑顔で提案する。
「いいわよ」
その仕草にクスリと笑い答える。
2人のやりとりを見ていた永琳も、笑顔を見せていた。
「いってきまーす」
2人の元気な声が竹林に吸い込まれ、永琳は手を振って見送った。
「ねえそれで、何を探すの?」
「うんとね、ジェダイトっていう鉱石」
鈴仙はメモを見て再度確認する。
「鉱石か。じゃあ山だね」
竹林でさえぎられているが、妖怪の山の方を指差すてゐ。
「ううん。まずは香霖堂に行ってみましょう」
「え、香霖堂にあるの?」
「確かあったと思うよ、鉱石類も。ただ、あそこって一品限りのものが多いし、魔理沙っていう泥棒もいるしね、確実じゃないけど」
「ふーん……」
適当に相槌を打ちながら何か思案していたてゐは、ちょっと待っててと草陰に行き、しばらくするとにこやかに帰ってきた。
「おまたせ~。じゃあ香霖堂にレッツゴー!」
「お、おー」
竹林を右に曲がったり左に曲がったり、あるいはクルリと一周したように歩くが、一度も迷うことなく人間の里側へと出た。
そのまま魔法の森の入り口へ行くと、ひっそりと小さなお店、香霖堂がある。
統一感など微塵も感じられない店内はごちゃごちゃとしているが、ありとあらゆるものがあるんじゃないかと思わせる。
「こんにちは」
鈴仙が香霖堂の扉を開けて中に声を掛ける。
が、返事は無い。
「留守? 開けっ放しで店から離れるなんて、防犯上どうなのかな」
「人がいたって勝手に持っていく輩ばっかりだからね、店主もあきらめてるんじゃない?」
てゐがウサウサと笑う。
「困ったな。こんなごちゃごちゃしてたら、どこに何があるのか探してるだけで何日もかかっちゃう」
鈴仙が小さくため息をついて、扉を閉める。
「お使いで終わると思ったのに……しょうがない、山に行って探そう」
「りょーかーい」
てゐが元気に応えて、2人で妖怪の山へ飛んでいく。
2人がいなくなった後しばらくすると、一匹の白いウサギが魔法の森から出て、それに続いて香霖堂店主、森近霖之助もウサギを追うように出てきた。
「おーいウサギさん。いい加減に返してくれよ」
ウサギはピョンと店の前に着くと、口にくわえた一冊の本を置き、謝るようにぺこりと頭を下げ、そのままどこかへ行ってしまった。
「まったく……なんだったんだ?」
霖之助は怪訝な表情で本を拾うと、パンパンとホコリを払い店内へ消えた。
まさか来客があったとは夢にも思わずに。
幻想郷で山といえば妖怪の山の事だ。ここには最近新しい神様が来て、妖怪達の信仰を集めているのだが、鈴仙はまだその姿を見た事がない。
「神様ねぇ……」
科学万能の月の世界では、居もしない神に祈るのならもっと物理的に解決しよう、という思考だったが、幻想郷では神はいる。しかも割とそこらへんにいたりするから、鈴仙も最初は戸惑っていた。
「てゐは新しい神様もう見た?」
「ううん。まだ見てない」
「どんな人なんだ、ん、人? まぁ人でいいか。人なんだろうね」
「うーんとね、なんか噂によると大砲を背負ってるらしいよ」
「ぶっ! た、大砲……。それはまた勇ましい姿ね……」
大砲を背負った姿を想像して鈴仙は苦笑いをする。
妖怪の山に差し掛かり、大きな川の上を他愛も無い話をしながら楽しそうに飛ぶ2匹のウサギ。
そこへ、突如鉄の腕が飛んできた。
「わっ!」
鈴仙とてゐは同じリアクションをして鉄の腕が飛んでいった方を見ると、それがまっすぐ戻ってくる。
2人の間を抜けてしばらくすると、何も無い空間から声が聞こえてきた。
「そこの2匹のウサギ。この先は妖怪の山だよ。悪い事は言わないから引き返したほうがいいよ」
声がした方に振り向き、鈴仙は睨みてゐは驚嘆とそれぞれの表情を見せた。
「どなたか知りませんが、ステルスで姿を隠しながら警告とは、ずいぶん失礼ですね」
威嚇のつもりなのかゆらゆらと鈴仙が耳を揺らすと、2人の前に1人の少女が姿をあらわした。
「その技術、河童さんですね」
少し驚いた鈴仙だがすぐに推理する。
「コレが技術と分かるなんて、いい趣味してるね。私は河城にとり。お察しのとおり河童だよ。ちなみコレは光学迷彩ね」
「私は鈴仙・優曇華院・イナバ。月にいました」
「月ねぇ。昔どこかの大妖怪が月に攻め込んだ時は月の科学力に痛い目を見たらしいけど、なるほど光学迷彩程度では驚かないんだね」
「偵察・隠密・戦闘・撤退と全ての局面で標準装備ですから」
お互い不敵な笑みをする横で、よく分からず仲間はずれになっていたてゐが、クイクイと鈴仙の袖を摘む。
「河童の相手なんかしてないで、早く行こうよ」
「おっと、ここは通さないよ」
両手を広げて通せんぼするにとりに、なぜか怪訝な顔をするてゐ。
そんなてゐの表情に気付かず、鈴仙はお願いをする。
「邪魔しないで、私達これから探し物をしにいくんだから」
「探し物~? ちなみに、何を探してるのかな?」
急に目が険しくなるにとり。
「ジェダイトっていう石」
その言葉にピンときたのか、にとりが笑う。
「駄目だよ。貴重なものだもん」
「ええっ、そんなぁ……。うーん。何とか譲ってもらえないですか」
「駄目だ。大体、貴重じゃなくたって、妖怪の山から物を持っていこうってのがそもそもいけない事なんだから」
縄張り意識の強い妖怪の山の住人らしい台詞に、鈴仙はさらに困惑する。
「あきらめる事だね。さあ、さっさと帰った帰った」
取り付くしまも無くにとりはパタパタと手を払う。
「そんなぁ……うーん」
「……帰ろ、鈴仙」
「あ、ちょっと」
唸って困っている鈴仙の腕を、てゐが不機嫌に掴んで引き返す。
「じゃあね~」
にとりはぱたぱたと手を振ってにこやかに2人を見送った。
その姿が見えなくなるところまで引き返すと、てゐは鈴仙の手を引っ張って地面に降りた。
「ちょっと、あんなに簡単に引き下がっちゃ駄目だよ。師匠に怒られちゃうんだから、このままじゃ帰れないよ」
「帰らないよ。川を避けて入るの」
降りたとたん怒り出す鈴仙に、少し呆れた様にてゐが言う。
「川を避けても、今度は天狗に見つかるんじゃないの?」
「飛んでいかなきゃ大丈夫。歩いて山を登ろう」
「そんな単純な事でいいのかな? 見つかりそうだけど」
「いいからいいから。いつもそうやってるし」
と言っててゐは、テクテクと山道を歩き出した。鈴仙も急いでそれについていった。
山の裏側、川の無い山道を歩く鈴仙とてゐ。
「はぁ、はぁ……山道って歩くと疲れるね」
「当然だよ。でも鈴仙は疲れすぎ。いっつも永琳の手伝いばっかりで内にこもってるからだよ。もっと外で遊ばないと」
「うう、そうだね……」
ニコニコと楽しそうに鈴仙を見るてゐ。
「楽しそうだね、てゐ」
「えっ! あ、うん。鈴仙が疲れる姿を見るのが楽しいかな、なんてね……」
「なに~!」
両手を振り上げる鈴仙だが、すぐ表情を緩める。
「まぁ、最近師匠の実験が忙しくて、てゐと一緒にいるのも久しぶりだしね。疲れるけど、山登りも楽しいよ」
「う、うん! 楽しいよね!」
てゐもはじける様な笑顔を見せた。
休み休み山を登り、日も大きく傾いてきた頃に大きな湖と神社が見えてきた。
「ここが新しい神様の神社かぁ……」
博麗神社と違う立派な作りに、鈴仙は口を開けて見上げる。
キョロキョロと物珍しそうに見ながら中へと進んでいき、おみくじを引いたり境内をブラブラ散歩して御神木を見たりと、見るもの目新しく、一つ一つにはしゃぎ周っていた。
「ってーっ! 私達こんな事してる場合じゃないんだって!」
夕日が山に沈みかけた頃、鈴仙が突然叫ぶ。
「え、ああ、うん。探し物をしに来たんだよね。でももうこの暗さじゃね」
暗くなった辺りを見回しなぜか嬉しそうに言うてゐ。
「……そ、そうねぇ……」
鈴仙が途方にくれていると、突然社務所から少女が顔をだした。
「こんにちは、もうこんばんはね。守矢神社へようこそ」
にこやかに話し掛けてきた少女は、麓の博麗神社の巫女と同じように脇を出す独特の巫女装束を身に纏っている。
「あ、こんにちは。勝手に入ってきてすみません」
鈴仙が挨拶するが、ここは神社の境内で勝手に入ってもいい場所である。それに気付いて少し恥ずかしそうにする。
「いえ、気軽に来てくださって嬉しいですよ。あ、自己紹介しますね。私はこの守矢神社の巫女、東風谷早苗と申します」
笑みを崩さず丁寧に話す早苗。どこかの紅白巫女とはえらい違いである。
「あ、はじめまして、私は鈴仙・優曇華院・イナバといいます」
「因幡てゐだよ」
鈴仙と早苗がお互いお辞儀をし、てゐがよろしく~と挨拶する。
「それで、今日はこんな山の上の神社まで何をされに来たんですか?」
「今日は探し物をしに山に来たんですけど。そしたら新しい神社にてゐが浮かれてしまって……」
目的を忘れて遊んでしまった恥ずかしさから、責任をてゐにかぶせる。
「えー、鈴仙だって一緒にはしゃいでたじゃん」
てゐが口を尖らせて反論する。
「だって、新しい建物ってなんかワクワクするでしょ」
「それに、おみくじ引いて大吉だー、ってしばらく踊ってたし」
「そ、そ、そんな事してたかな?」
「またまた。とぼけちゃって~」
そんな2人のやり取りを微笑ましく見ていた早苗は、パンと手を叩く。
「そうだ、楽しみついでに夕飯も召し上がっていきませんか? 守矢神社特製、ってわけではありませんがぜひお召し上がり下さい。幻想郷の話もいろいろと聞きたいですし」
そうと決まればさあどうぞ、と言わんばかりに早苗は2人の背中を押して、社務所の裏に続いている住居スペースに招き入れる。
「そんな、悪いですよ」
「いいですから、どうぞ遠慮なさらずに」
遠慮する鈴仙とは対照的に、てゐはスタスタと家の中に入っていった。
「美味しいです!」
出されたものはどれも質素ではあるが、いわゆるおふくろの味であり、故郷が月の鈴仙の舌にも、やはりそれは適応された。
てゐは無言でむしゃむしゃと食べている。てゐだけは特別にニンジンステーキが出されていて、鈴仙がちょっと頂戴とおねだりしても、一口たりとも分けたりしない。
それに文句を言いつつも、少し笑っているあたり、鈴仙も予測済みの返答だったに違いない。
にぎやかな食事はあっという間に終わり、最後のお茶を鈴仙ゆっくりとすすっていた時、早苗は新たな提案をした。
「今日はもう遅いですし、ここに泊ったらどうですか?」
「いえ、ご飯までご馳走になったのに、更にそんな申し訳ないです」
そこまでお世話にはなれないと、鈴仙は大きく手を横に振る。
しかしそれに反しててゐは畳にゴロンと横になる。
「もう今日は疲れちゃったよ~。お腹もいっぱいだし石も見つけてないし、今日は泊まって明日探そうよ」
「ちょっとてゐ、失礼でしょ」
「いえいえ、どうぞご自宅と同じようにおくつろぎ下さい。私はお風呂の準備をしてまいりますので」
早苗はすっと立ち上がり廊下に行ってしまった。
なし崩しで泊まることになってしまった鈴仙は、てゐをチラリと睨む。
「てゐ。もっと遠慮というものを知りなさい」
「いいじゃん。泊めてくれるって言ってるんだし。それに疲れたのは本当だよ?」
ふて腐れ顔で反論するが、最後は眠そうな表情を見せる。
「もう……」
そんなてゐの表情に、鈴仙はそれ以上何も言えず顔をしかめるしかなった。
お風呂を鈴仙とてゐは一緒に入った。
「ちょっとてゐ待ちなさい。背中がまだ綺麗になってないでしょ」
「もういいよぉ」
「だーめ。山登りして汗いっぱいかいたんだから。それに、お泊りする布団を汚さないように、いつもより丁寧に洗わないとね」
まるで姉妹のように鈴仙がてゐの背中を洗ってあげる。てゐも渋々おとなしくしているように見えるが、その顔は嬉しさを隠し切れないようだった。
鈴仙が髪を洗い流そうと頭から湯をかぶるが、てゐがこっそり石鹸を溶かしているので、泡がさっぱり消えない。しばらく同じことを繰り返して、鈴仙がてゐに怒るとやっとその無限ループが終わった。
湯船でも2人ははしゃぎ、てゐは疲れてると言っていたのに終始鈴仙にちょっかいを掛けて元気いっぱいだった。
床の間に行くときっちりとのり付けされた布団が敷いてあり、2人は倒れこむように横になった。
「鈴仙今日は楽しかった?」
「ん? うん。楽しかった。探し物は全然してなかったけど、たまにはこんなのもいいよね。てゐは?」
「うん! 楽しかった」
元気いっぱいに答えるてゐを見て、鈴仙も微笑んだ。
「さ、寝ましょ。明日はがんばってジェダイト探さないとね」
「はーい」
返事をしてすぐ、てゐは眠りにつき、それを見届けた鈴仙も夢の中へ落ちていった。
2人の寝息が支配する床の間に、ささやく様な声がした。
「狸寝入りならぬウサギ寝入りだね」
「……」
てゐが無言で立ち上がり、足音を立てずに廊下に出て行く。チラリと鈴仙を見ると幸せそうな寝顔を見せていた。
忍び足で茶の間に行くと、早苗が笑顔で迎えてくれた。
「鈴仙さんは寝てますか?」
「ぐっすりね」
てゐがピシッと正座をして、早苗の真向かいに座る。
「そんなにかしこまらなくてもいいのにねぇ」
早苗の隣から先ほどのささやき声の主が姿を現す。
妖怪の山に新しく来た山の神、八坂神奈子だ。あぐらをかいたまま空に浮いている姿は、神々しく後光が差していたりするが、その表情はフランクな笑顔を見せていて、神様として接し難い雰囲気はまったく無かった。
「どうも、ありがとう」
正座はするが、言葉使いまでは丁寧にならない。そこは神奈子のフランクさがそうさせるのか、てゐがそもそもそういう性分なのか。
「いやいや、かわいい信者の頼みだ。力になれてよかったよ」
「別に信者じゃ無いけどね」
「ははは、崇め立てるだけが信仰じゃないよ。頼ってくれるだけで私は嬉しいさ。何らかの存在を信頼する心が『信仰』の第一歩だからね」
なんだかうまい具合に信者にさせられそうで、てゐは少し警戒するが、神奈子はただ嬉そうに話すだけだった。
「天狗には話をつけてたけど、河童には言ってなかったかな? 途中邪魔されてたからどうしようかと思ったけど、上手く抜けてくれてよかった」
たとえ空を飛んでいなくても、哨戒天狗が侵入者を見逃すわけが無い。前もって神奈子が天狗にウサギ達を通すように言っていたのだ。
「しかし鈴仙も、よくあんな適当な嘘で騙されるね」
ははは、と笑う神奈子に、てゐがにやりと笑う。
「鈴仙を騙すなんて簡単だよ。声のトーンとかタイミングさえ掴めば、誰だって騙せるよ」
鈴仙の話をするてゐは本当に楽しそうだ。
「そうだ、信頼ついでにこれもあげよう」
ゴソゴソと袖に手を入れると、エメラルドグリーンの握りこぶし程の石を取り出す。
「……これ、ジェダイト?」
「そう。日本では翡翠って呼ばれるのが一般的だよ」
「あ、ありがと」
貴重な物とにとりが言っていたのを思い出し、てゐは神奈子の顔を見やる。
「ああ、河童の言ってた事? 貴重ってのは、確かにそんなにそんなに採れるものじゃないからね。しかもそんなに大きいのはめったに採れないかな」
「じゃあ、これ……」
遠慮しようとするてゐに、神奈子は人差し指を立てながら、
「河童が言いたかったのは、奉納品として私にあげてるからやれないよ、って事だ。でも、私から貰えばそれはもう解決! ははははは。よかったね」
おかあさんのような豪快な笑みを浮かべる神奈子に、てゐの心にぬくもりというか、どこかほっとした気持ちがにじんだ。
「てゐが朝の散歩で見つけた事にしたらいい。鈴仙も褒めてくれるだろう」
「う、うん。ありがとう……ございます」
「はははははは、だからそんなにかしこまらなくていいんだよ」
またしても豪快に笑う神奈子に早苗が、鈴仙さんが起きてしまうとたしなめる。
「それにしても、こんな回りくどいことしないでも、一緒に遊びたいと言えばいいじゃないですか?」
お茶菓子を勧めながら早苗がたずねる。
「香霖堂の店主を外に出して買い物させなかったり、時間掛けて山を登ったり、目的を忘れさせるようにはしゃいだり、疲れてないのに疲れた振りして無理やり泊まったり」
ニヤニヤしながら神奈子がてゐの努力を列挙する。
「言わなくていいよぉ……」
恥ずかしそうに俯く。
「それに、鈴仙は永琳の弟子だもん。遊ぼうって誘っても、忙しかったら断られるに決まってる。断られるのは嫌だもん……」
てゐの声は次第に沈んでか細くなっていった。
「だから眠いなんて嘘まで吐いて泊まる強行作戦か。なんだか恋する乙女みたいで可愛らしいものだ」
「ちがっ、つ、疲れてただけだもん……ホント、本当に疲れてたの!」
照れ隠しに大きな声を出すてゐを、神奈子と早苗は微笑ましく見る。
「まあ今度からは素直に遊びたいと言ってごらん。案外鈴仙も遊びたがってるかもよ」
「う、うん。試してみる」
素直に返事をするてゐに、神奈子はまたもや豪快に笑った。
「さあ、もう寝ましょう。鈴仙さんより早く起きないと、散歩で見つけた、という嘘が通らなくなりますよ」
「大丈夫。嘘を吐く事に掛けては、私は誰よりも本気なんだから」
そう言って、すぐに寝床に戻ろうと茶の間を出るてゐ。
「おやすみ、てゐさん」
「おやすみ、てゐ」
「おやすみ。あと、ありがと!」
跳ねるように廊下を行くてゐを見送り、早苗も神奈子に挨拶をして寝床に着いた。
神奈子は誰よりも優しい笑みを浮かべて消えた。
あくる日。朝のてゐが散歩で見つけたジェダイトを嬉しそうに握り、鈴仙とてゐは永遠亭に帰ってきた。
「ただいま帰りました」
「ただいま~」
「おかえりウドンゲ。おかえりてゐ」
笑顔で2人の帰りを迎える永琳に、鈴仙は手に握っていた大きなジェダイトを見せる。
「てゐが見つけてくれたんです。これで間違いないですよね?」
「ええ、これだわ。てゐが見つけてくれたの? ありがとうてゐ」
「たまたま見つけただけだから。鈴仙も探すのがんばったんだし……」
照れるてゐの頭を撫で、永琳は鈴仙にも労いの言葉を掛ける。
「お疲れ様。ありがとう、2人とも」
「いえ。お安い御用です。さあ実験を再開しましょう」
すぐにでも実験をしたいのか、鈴仙は目をキラキラさせていた。
「あらあら、帰ってきてすぐに実験なんて、若いわね。じゃあ先に行って準備をしててくれる?」
「はい、わかりました」
言われてすぐ研究室に走っていく鈴仙。
それを見たてゐは、何も言わずに竹林の方に向かう。
てっきり屋敷でご飯を食べると思っていた永琳は、慌てててゐを呼び止めた。
「ちょっと待って、てゐ」
「なに?」
振り返らないてゐの声と背中は少し震えていた。その背中に永琳は言葉を続ける。
「昨日の夜ね、1匹の蛇が私のところに来たの。実験の材料になるかと思って捕まえようとしたら、急に人の姿になってね」
そこで一度言葉を切る。
てゐは相変わらず背中を向けているが、背中が続きを促しているように見えて、永琳は続ける。
「その人が言うには、その人の所に1匹の可愛いウサギが来たんだって。一緒に遊びたいウサギがいるのに、そのウサギの師匠がこき使うから遊べないらしいの。だからその人はその師匠を怒りに来たんだって私に言うの」
力なく笑い、もう一度言葉を切る永琳。
てゐは永琳の方を向いている。目には大きな涙を溜めていた。
「ごめんね。もっとあなた達の事を考えればよかったわ。あの子真面目だから、つい甘えちゃう……」
「3日!」
永琳の言葉をさえぎっててゐが叫ぶ。
「……3日も徹夜なんて鈴仙が倒れちゃうよ。鈴仙の事考えてるならもっと鈴仙の事、っく、ひっく」
「そうね。鈴仙には無理をさせてしまったわ。それに、てゐだってこの間ずっと寂しい想いをさせてしまった」
何も言わず肩を震わし続けるてゐ。
「意地っ張りなウサギさん。寂しい気持ちに嘘なんて吐かなくていいんだからね」
しゃっくりしか出ない声のかわりに、てゐは何度も頷いた。
「……この実験が終わったら、これからはきちんと考えるわ。鈴仙と、あなたの事。だから、今日はてゐもぜひ見ていってね」
泣きじゃくるてゐを、永琳はそっと抱いてごめんねと謝り続けた。
永遠亭にある永琳の研究室。鈴仙と永琳、そしててゐがボコボコと音をたてるビーカーを見守っていた。
「いい反応ね」
「本当ですか。じゃあ成功ですかね?」
「やったね!」
喜ぶ2人を見て、永琳が微笑んだその瞬間。
ドカーーーーン!
ビーカーが盛大に爆発した。
「……」
「……」
「……」
黒い顔をした3人が互いの顔を見合わせて、誰かが笑ったのを切っ掛けに3人がお腹を抱えて笑い出す。
楽しい毎日が来るのなら、八坂の神様を少しは信仰してもいいかな、と思いながらてゐは全身で笑った。
おわり
何となく童話的な展開でいいなあと。
それとも香霖の時と同じくウサギを先回りさせて伝令に使ったかでないと話が通じないような?
こっちの読解不足かな?
ともあれ、こんな関係のイナバも乙なものです。
萌え点を加えてこの点数。にやにやさせてもらいました。
やはり
もえる
な
しかしなんというか、てゐとしてはもうちょっと黒さが足りないかなぁとか思わないでもないです。