暗闇の妖怪は、歌が好き。
自分で歌うのではなく、誰かが唇から奏でるその音の流れが好き。
音楽も好き。
自分で鳴らすのではなく、誰かが様々な楽器から齎される音の集まりが好き。
暗闇の妖怪はずっと暗闇の中にいて、そのせいであまり目がよくないから、耳で何かを聞くことを好む。
歌が好き。音楽が好き。
だけど、暗闇の妖怪は、やっぱり歌が一番好き。
彼女が歌うのは、人が神へと向ける、感謝と羨望を込めた、そんな外の世界の歌だった。
今日の気分で選別されたその歌は空に溶け込み、静かに彼女を中心に世界へと溶け込んでいく。
歌う歌詞の意味を知らない歌い主は、それでもその歌に込められた何かに目を向けて、楽しそうに肺を満たして声を操る。
くるりとスカートを揺らして、彼女はささやかに、自身を捧げるように踊る。
とん、とそこが自分の舞台の様に、両手を大きく広げ、惜しみなく出せる全ての音を披露し、本当に楽しそうに彼女は歌う。
「―――そして、世界に神の祝福を♪」
最後に、深く深く礼をして、彼女の歌は終わる。
途端、その歌に聞き耳を立てていた生ある者達は、立ち止まって聞き入っていた自分に気付き、彼女に僅かの感謝の気持ちを込めて、その場を静かに去っていく。この歌を聞かせてくれたお礼に、少しでも優しい静寂を続けさせる事を祈るように。
「ん」
と、歌った彼女は満足げにひゅっと息を吐いて、ぐっと伸びをする。
そこには、まだまだ幼い夜雀が嬉しそうに、自分の今日の歌の出来に喜んでいた。
「やった!やっとこの低すぎる歌を普通に歌えるようになったわ!」
ぐっと握り拳をつくって、やったやったと飛び跳ねる夜雀。
夜雀が先程まで歌い、そして歌いきれたその歌は少しだけアレンジが咥えられていて、本当ならもう少し大人しく、そして充分な息継ぎと溜めの時間がある曲調なのだが、彼女はそんな静かで簡単な歌を好まない。
なので、彼女は彼女なりに賑やかで難しく、そして楽しくとアレンジをしていた。
そして、今日それを完璧に歌いきり、夜雀は目標達成に大いに興奮していた。
「んんんん~、嬉しい!最高!よっし、今日はお店でこの歌を披露してやるわ!」
腕がなると、少女は万歳を繰り返す。相当に嬉しいらしく、少女は周りが目に入っていない。
だからだろう。
夜雀の少女は、背後から近づく、金の髪の少女の接近に気付けなかった。
暗闇の少女は口元に笑みを造る。
闇に包まれ生きる、その妖怪は昼間はどうしても目立つので、普通は少女が接近をして気付かないというのはあまりないのだが、今の夜雀の少女は喜びのあまりにそれを見逃した。
そして、その時にはすでに気付いても逃げられないぐらい傍に、その少女は闇を纏いそこにいた。
「そうだわ!こうなったらもう思いきって、新メニューを追加してみるとか――」
「み・す・ちー♪」
ぎゅう。
声と、急に暗くなった周りと、そして背中から抱きしめられる感触に、楽しそうに空に向けて語っていた少女はぶわっと鳥肌をたてて固まった。
「……………あ」
その夜雀の突然の硬直に、暗闇の少女は気付かない。
「綺麗な歌だったよー」
白い、小さな手が優しく夜雀の少女の腰に回される。
あまり身長差がない為、背中にいる少女の暖かい息が頬にかかり、首筋にそっと埋められた小さな頭と絹の様な金の髪のさらりとした水みたいな感触。
「……ひっ?!」
全て、
夜雀の少女にとってはその全てが、
先程までの喜びをとことんまでに恐怖で塗りつぶし、遠ざけた。
夜雀の少女にとって、背中にいる少女は自分を容易く恐怖で彩る、信じられないぐらいの災厄。
「あ、ああ……うぁ」
カチカチ、と、歯がかってに鳴り、体が寒さとは違う意味で震える。
「あ、そだ。おはよー、みすちー」
「ぅ、ぅあ」
無邪気で元気のいい挨拶。
だが、夜雀の少女は返せない。あまりに突然すぎる少女の登場と抱擁と呼べる拘束に、少女の頭はついていかない。
そして何より、暗闇の少女は夜雀の少女の大きく見開いた涙の滲んだ目なんて見ていない。
だから、夜雀の恐怖に満ちた顔に気付かない。
ただ、その首筋に愛しげに頬ずりして、無邪気に笑いながらそのぬくもりと匂いを味わうように一杯に肺を満たすだけ。
「わはー」
「あ、あうぅ」
息がかかるたびに、その息の甘さに逆に寒気が走る夜雀の少女の背中に張り付く少女は、うふふ~と楽しげな声を上げる。
「やっぱり、みすちーっておいしそーな匂いだよねぇ」
「っ?!」
「ねえ、ちょっとだけ食べてみてもいい?」
「――――っ?!」
カリッと、
耳が甘噛みされた。
ドンッ!!
そこで、恐怖が臨界点に達した夜雀は声にならない悲鳴を上げて、滅茶苦茶に暴れて背中の少女を突き飛ばす。
「うわ?」
大して力をいれていなかったので、簡単に離れた背中の少女に、夜雀の少女はだが混乱収まらぬ形相で振り向いて。
ガリッ。
「ば、馬鹿―――――!!」
引っ掻いた。
「え?え?――み、みすちー?」
右頬が裂けて、赤い水が飛んだ。
そう、それに目を見開いて驚いたのは暗闇の少女だ。
一瞬だけ、二人の目は合う。
「っ」
暗闇の少女の、あまり優秀ではないぼやけた目が映したのは、夜雀の泣き顔。
頬の痛みなんてすぐに忘れた。ただその表情に驚いて、そのまま情けなく固まってしまう。
「う、うぅ、うわあぁぁん!!」
ピッ、と。夜雀の少女の羽が金の髪を掠めて、数本引きちぎられる。
「み、みすちー?」
その痛みに我に返るも、泣きながら、全速力で去っていくその少女の小さく頼りない背中を、暗闇の中にいる少女は呆然と右頬を押さえながら ただ、見つめる事しかできなかった。
夜雀の少女の名はミスティア・ローレライ。
暗闇の妖怪の名はルーミア。
歌で人を鳥目にする、夜雀の少女と。
常に自身の周りを闇で覆う、暗闇の少女。
似て非なる、そんな闇を操る二人の少女。
襲うものと、襲われるもの。
食べるものと、食べられるもの。
強者と、弱者。
ルーミアはミスティアより強く。
ミスティアはルーミアより弱い。
だからミスティアはルーミアが怖い。
泣きながら、先程の恐怖から逃げ出そうと必死に滅茶苦茶の速度と体勢で飛ぶ、哀れに震えるか弱い小雀。
綺麗な歌が好きなルーミアは、だからそれを奏でるミスティアが好きで、
だから、突然で、深く心を突き刺す彼女の泣き顔を見て、どうして泣いたのか分からず不安と混乱で、血でぬるぬるする頬を押さえるしかできない。
暗闇の妖怪は、ミスティアともっと仲良くなりたくて近づいた。
だけれど、夜雀はルーミアが怖くて泣きながら必死に逃げてしまった。
勘違いはしないで欲しいが、二人は仲の良い友達同士だ。
一緒に遊ぶし、弾幕ごっこをする時だってある。
二人は友達で、仲だって決して悪くない。
だけれどミスティアは本能で悟り、そしてこっそりと震える。
怖がる。
怯える。
いつも、気付いたらリグルやチルノの傍によって、ルーミアから遠ざかる。
意識的ではなく、無意識に体が動く。
ルーミアが、友達を食べるわけがないだろうと思っていても、いつか食べられるかもしれない、いつか気がついたら殺されているかもしれない。そう想像してしまう。そして、その想像が現実にできるルーミアが恐い。
そして今日、その普段から押し込めた思い込みと不安が爆発して、彼女はルーミアに本当に食べられてしまうと思い込み、本気で怯えて攻撃した。
そんな、すれ違った二人の闇を操る少女は、違う場所で悲しみによって泣いた。
泣くは『悲しい』からだと、暗闇の妖怪は知っている。
いまだ乾かない血と、目から零れてとまらない、壊れた目から流れる水の感触。
それをルーミアは感じたまま、とぼとぼと空を飛ぶ。
未練がましく滑稽に、ルーミアはミスティアの飛んでいった方向を目指して、会ってどうするかも分からないままに、ミスティアの姿を求めて飛んでいた。
「……うー」
顔がくしゃりと歪む。
右頬がずきずきして、胸の中がぐにゃぐにゃになって、ルーミアは泣く。
その瞳と脳に刻み込まれたのは、泣く大好きな少女。
ただ、言いたかった。
素敵な歌を聞かせてくれてありがとう。って、
だけど、
そういって、お礼をしたかっただけの少女は、想像した事もない泣き顔と、とても痛い、心にまで突き刺さる傷をルーミアに残して飛んで行ってしまった。
涙が尽きない。
酷く意気消沈して、ルーミアは血と涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔のまま、拭う事もせずに飛んでいく。
おいしそうだった。
ミスティアの匂いは、ルーミアの本能を刺激する。
傍にいると楽しかった。ミスティアの声はルーミアのお気に入りで、耳を擽るその声なら、一晩中だって聞いていたい。
綺麗な歌を歌う、とても『おいしそう』なミスティア。
ルーミアは溢れるその感情を抑えるなんて考えもせずに、全身で抱きついて、そして抱きしめただけ。
だけどミスティアは泣いた。
理由は分からないけど、間違いなく自分が泣かせた。
ずきずきと、脈を打って痛みを訴える右頬が、ルーミアには悲しい。
悲しいからたくさん泣いてしまう。
「……あぁ、そうなのだー……」
思えば、最初からミスティアはルーミアに対して一歩離れて、そしてそれ以上は絶対に近づいてこなかったと、ルーミアは今だからこそ気付く。
リグルやチルノ達と一緒に遊ぶ時も、ルーミアとは必要以上に二人きりになるのを避けた。大抵はリグルにくっついて、用がなければ自分からルーミアに近づく事はゼロだった。
ルーミアの目から零れる水の量が目に見えて増える。
今更だが、自分はミスティアに嫌われていた。
そんな確実だろう可能性が浮かんできた事の衝撃と事実は、普段から遊ぶ事とご飯の事しか考えないルーミアにとっては想像すらできない、そして考える事すら無理な、そんな途方もない絵物語だった。
だけど、実際はこれだ。
ルーミアの頬からは、まだ出血が治まる気配はない。
本気の攻撃。
本気の拒絶。
本気の、抵抗。
出会いは、チルノに紹介された湖の上。
最初は、ただおいしそうなお友達が出来たとしか思えなかった。だけどそれはその日の内に変わった。
ミスティアが、綺麗で不思議で楽しい、そんな歌を皆の前で楽しそうに歌ってくれた。
人間を惑わせ誘い込む、魔の歌と、それを奏でるおいしそうな夜雀の笑顔。
ルーミアの、ミスティアを見る目は確実に、そして格段に変化した
今は、もっともっと仲良くなりたい、もっと歌を聞かせて欲しいと一杯に毎日願っている。
ぼやけた世界はルーミアには当たり前だから気にもならない。だけど、耳はミスティアでないと嫌だ。ルーミアは、あの歌声を絶対に諦めきれない。
おいしそうな少女の歌うそれは、ルーミアにとっては鳥肌が立つぐらいに衝撃的で、そして感動するものだったから。
涙は止まらない、血も止まらない、心は訳が分からないそんな有様で。
だけれど、ルーミアはミスティアを求めて空を飛んでいく。
どうか、
もう泣かないでと、
泣かせたのは自分の癖に、今すぐにでもそう伝えたい。
もう、
あんな顔は見たくない。
暗闇の少女は、情けない顔のままそれでもふらふらと、彼女の匂いを辿っていく。
食べられそうになった……!食べられそうになった……!
ミスティアの頭の中はそれで一杯で、ガクガク震えて、ある妖怪を求めて必死に泣きながら飛んでいた。
普段なら寄り付こうとも思わない、とても怖い妖怪がいるその花園。だけれどそこにミスティアの求める彼女はいる。
花が舞う、幻想郷で尚、幻想の様な、その綺麗な光景。
その中心に、闇色のマントを纏った、少年の様な少女がいた。
「り、リグルぅ!」
「え?ミスティア?」
叫んで、驚いて振り向くその姿に、涙が更に溢れる。
「うわぁ、あああ、リグルぅぅぅ!」
泣きながら、その胸に飛び込むミスティア。その勢いと必死さに、その少女は驚いた顔をしながらも腕を広げて少女の小さな体を受け止める。
だけれど勢いが殺しきれずにくるりと一回転して、少しだけ目が回った。
ミスティアは飛び込んだその瞬間、止まない幻想の花が頬を擽り、その淡い香りとリグルの顔に、ミスティアはやっと息を乱し、泣く自分を自覚した。
「っ、うあああぁぁぁん!」
「え、ええ?どうしたの?!」
「るーみあがぁ」
ミスティアを受け止めた、マントを纏う蟲の王、リグル・ナイトバグは、突然の友人の泣き顔に困惑しつつも、落ち着かせようとその背を撫でる。
「……」
そしてその二人を、花園の主がその形のいい柳眉を僅かに歪めて見つめている。
「ひっく、うえ、うああぁぁん」
「お、落ち着いてミスティア。ほらほら、よしよし」
「うぐ、わ、私、食べられるよぉ。た、食べられちゃうよぉ」
「食べられるって……?」
しがみ付いて服に皺を造るミスティアに、リグルは背に鋭い痛みを感じて顔を顰めながらも、どういう事だろうと戸惑いつつ、先程から自分達を見る少女に視線を向ける。
「ど、どうしよう幽香?」
「知らないわ」
「ひっく、わぁぁぁんリグルぅ!」
「ちょっ?!幽香?!」
「興味もないわ。ご勝手に」
リグルから視線を逸らし、花の雨が僅かに止んだこの花園の主は、無表情で、だが微かにつまらなそうに顔を歪めて言い切る。
花の妖怪であり、この花園の主である風見幽香は、リグルに頑張れと無責任な応援を送ると、すぐに手元の本を読み出す。
いや、読む振りをする。
「……………」
その本が、ちょっと有り得ない力によって原型不能になりかけているのを、背筋が寒くなるのを感じながらリグルは見つめて、胸の中にいる自分と身長があまり変わらないミスティアに視線を戻して、溜息を押し殺す。
幽香も大事だが、友人も大事だ。
リグルは心を決めると、ミスティアの泣き顔を覗き込む。
「ルーミアに、何かされた?」
できるだけ優しく訪ねると、ミスティアはこくこくと首を縦に振って、泣き止みはしたものの赤く潤んだ瞳をリグルに向ける。
「み、耳、耳を、か、齧られたぁ」
「!どこ」
「こ、ここぉ」
可愛らしい耳をぴこんと片耳だけ下げて、ミスティアはリグルに顔を寄せて耳を見せる。
「………」
リグルはそれを真剣に見つめて、息がかかって擽ったそうに身じろぎするミスティアを力で抑えて、ジッと観察する。
「……?……あれ、怪我は、してないよ」
「え?」
抱き合った姿勢の為、すぐ近くにあるリグルの、その拍子抜けといった顔に、ミスティアは僅かに落ち着きを取り戻してぴこぴこっと自身の耳を動かしてみる。
耳はぴこぴこと、思い通りに動く。
「ほん、とう?」
「うん。特に変なところはないよ。血も出てないし」
「うひゃん?!」
耳に触るリグルの手の動きに、擽ったそうな声を上げるミスティア。だがリグルは触った感触から本当に何ともないようだとほっとした安堵の顔をする。
ルーミアとも友人のリグルは、まさかと思いながらも、もしかしたら、と内心緊張していたのだ。
「なんだ…気のせいだよミスティア」
「嘘……」
呆然として、ミスティアはそこで初めて、そういえば何の痛みもなかったとあの時から今ままでの事を思い出す。
そして、そんな事にすら気付けないぐらいに動揺していた自分にさらに驚く。
「…あ」
「ねえ、ミスティア?どうしてそんな勘違いをしたの?」
「わ、私。驚いて、急に抱きつかれて、だから、私」
「うん」
「た、食べられるって、思って」
ルーミアは、あの時食べてもいい?と聞いた。
ミスティアは気付く。それが、いつものルーミアの冗談に聞こえない冗談で、そんな台詞は普段から何となく言っていたと、ミスティアはそれを思い出し青くなる。忘れていた自分に呆然とする。
「…ねえミスティア。ルーミアは、友達を食べないよ?」
「……っ」
だって!と、言いそうになって、だけれどミスティアは声を出せずにぐっと唇を噛む。
ぽろぽろと、止まっていた涙が蘇る。
そして、搾り出すようにギュッと目を閉じて、声を漏らす。
「だけど、怖いよぉ……」
震える歌姫の声が、あまりに哀れで、リグルは戸惑い抱きしめる腕に力を込める。
「ミスティア……」
「た、食べられそうで、怖いよぉ……わ、私、弱いし、人間しか襲えないし、だからおいしそうって、よく言われて、襲われかけて、る、ルーミアも、私を最初に見た時に「おいしそう」って、言って」
リグルの背中と片腕に、ぎゅううっと爪が食い込む。
「だ、だから、引っ掻いちゃったよぅ」
自分のしでかした事に、今気付いたミスティアは、今度は先程とは違う意味で涙をこぼす。
「ミスティア…」
「ルーミア、凄く、驚いてた」
落ち着いたミスティアは、自分のしでかした事に、涙が止まらず嗚咽を漏らす。
ルーミアは、目を見開いて笑顔が消えた。そんな呆然とした、頬を血で濡らした顔で。
初めて、ミスティアはその顔を思い出して、どうしようもない事をしてしまった事に気付く。自分は勘違いで、勝手に感じた恐怖で、ルーミアを傷つけた事にやっと気付く。
「……えっとさ」
リグルは、大まかの事情がやっと掴めて、そしてだからこそ酷く悲しげに顔を曇らせる。
「…っ」
ただの傍観者に徹しようとしている幽香を見つめて、そして目が合って、リグルは息を吸う。
幽香の瞳は深く、そしてどこまでも澄んでいる。
だから、それに勇気を貰って、
怯える友人に、
ルーミアを怖がり、その不安を爆発させてしまったどうしようもなく可哀想な少女に、自身の考えている事を語る。
「……これはさ、私が勝手に思ってる事なんだけど」
胸に顔を埋めて必死に縋りつくミスティアを抱きしめて、リグルは言う。
「怖がるのって、そんなにいけない事じゃあないと思うんだ」
例え、その相手が遥かに自分より強く、遥かに自分より恐ろしく、遥かに自分より醜いのだとしても。
「……多分、怖いって思うのが当たり前なんだと思う」
だって、そんな存在が目の前にいれば、怖がるのは当然で普通だから。
ミスティアがルーミアを怖がるのは、決して間違いなことではない。
間違ったのは、
「自分を殺せる何かを怖がらない人ってのは、力があるからだと思うし。それとも本当に、その何かが平気な人のかもしれない。
うん、そうやって怖がらないのはやっぱり凄い事で、怖がられる何かには凄い嬉しい事だと思う。だけど、私はね、その怖いものを怖がらない事が、正解だとは思わない」
リグルは、何を言いたいのか少しわからなくなりながらも、それでも止めない。
「私はね、怖がるって、その相手をちゃんと見ている事だって思うんだ」
ちゃんと見ているから、その存在の怖さが分かる。だから怖いと思う。
だけど、見ていないなら、その存在は怖くも何ともなくて。
本当に怖がるには、その怖い者をきちんと見てあげないといけなくて。
「多分、本当に嫌なのは、駄目なことは。怖いのを怖くないって嘘を吐いて、ちゃんと相手を見ないで誤魔化す事だと思う……!」
貴方は怖くない。
だから平気。
そんな風に言われたら、きっと恐れられる存在は嬉しいのだろう。
そして、喜びに震えるのだろう。
この人は自分を怖くないと言ってくれる。
だけど、それは、本当の本当に嬉しい事か?
ただ、誤魔化されただけじゃあないのか?
本当に怖い者をちゃんと見て、それで怖くないなんて、思う事があるのか?
ちゃんと見ているから、怖いと思える。
「その、何を言いたいのかというと。分かりにくいよね。ごめん。えっと、ミスティアはさ、ルーミアを怖がってもいいって事なんだ」
「……」
怖がって、いい?
ミスティアはリグルの胸の中、ぼんやりと繰り返す。
「うん。怖がるのはいいんだ。だって怖いのにミスティアは、それでもルーミアと、私達と一緒に遊んでる。それってさ、怖いけどそれでもルーミアのこと好きって事でしょう?」
「……っ」
好き。
ああ、そうだ。
私は、あの暗闇の少女が怖くて、だけど好きだ。
今更ながらに気付き、こくんと頷くミスティアに、リグルは笑みを浮かべる。
「なら、全然いいよ」
「……本当?」
「うん。…きっと。怖がってもいい」
怖いけど、好きだとミスティアが言うのなら。大丈夫だとリグルは笑う。
恐怖は本能が警告するサイン。だけれど理性はそれでも一緒にいたいと願うのなら、多分いいのだ。
「……ミスティアは、他の妖怪より感受性が強いからね」
「……」
「ほら、もう泣き止もう?」
「……うん」
ぎゅっと一瞬強くリグルの胸に頭を押し付けて、ゆっくりと離れるミスティア。
それを待っていたのか、その場にいる傍観者は、独り言の様に口を開く。
「恐怖は、知らないから湧いてくる」
「っ!」
声をかけられるとは思わなかったのか、びくりとするミスティア。だが、幽香はかまわずに続ける。
「なら、どうすれば恐怖は感じなくなるのか?簡単よ、知ればいい。何故それが恐怖なのか、どうしてそれを恐怖と感じるのか、何故自分はその恐怖に怯えるのか、知ればいい、学べばいい。その恐怖とはどこから生まれるのかを。そして最後に、その恐怖を殺す方法を見つけて手に入れれば簡単よ。それはもう、恐怖は恐怖でなく、ただの普通に成り下がる」
幽香に続くように、リグルは口を開く。
「怖いって感情はさ、結局は相手の事を知らないから起こると思うんだ。ミスティアは、ずっとルーミアから逃げていたよね?だからこの機会に、二人きりで会ってみたらどうかな?……大丈夫。ルーミアは友達を食べたりしない。ルーミアは食べられるものと食べられないものをきちんと知っているから……ねえミスティア。ルーミアはね、怖くなんてないんだよ」
どうでも良さそうに語った幽香と、優しく微笑んで語るリグル。
「……怖く、なくなる?」
ミスティアは呆然と、それを聞いて無意識に拳を握る。
怖いのは、『恐怖』は、身がすくむその感情は、ミスティアにとって嫌なものだ。
そして、その嫌なものをルーミアに、友達に感じる自分に何度も嫌悪した。
だけれど幽香は言う。知れば怖くなんてない。
リグルは言う。ルーミアは怖くなんてない。
身体は震える。
だけど、だけれど、頬から血を流し呆然とする少女は、確かに、怖くはない。
怖いけど、凄く怖いではなかった。
むしろ胸が締め付けられて、悲しみを生んだ。
「ミスティア」
「…………あ」
リグルの声に、ミスティアは呆然として自身の手の平を、爪を見る。
長いそれは、ルーミアを傷つけた。
あんな、酷い顔をさせた。
「……っ。だ、駄目、リグル……もう、駄目だよぉ」
「え?」
知れば、怖いはなくなる。
だけど、もう、知る事は永遠に無理だと、ミスティアは項垂れる。
「私、もう、ルーミアに嫌われたよ……」
「え?」
泣いて泣いて、もう涙は出尽くしたと思っていたのに、ミスティアの瞳からはまたぽたりと涙が落ちる。
手応えで分かる。あれは決して浅くない。
きっと、あの傷は痛い。だからルーミアは怒っている。
あの柔らかな頬に食い込んだ自分の爪に、感触に、ミスティアは今更ながらに震えて、ぎゅうっとリグルの腕に縋りつく。
「さ、最低だ私……!か、勝手に怖がって、友達を、傷つけて……もう、私は、本当に食べられちゃえばいいんだぁ……」
「み、ミスティア」
食い込む爪の痛みに顔を顰めながらも、リグルはミスティアの涙に動揺して顔を寄せる。
リグルは分かっていた。
これは、誰が悪いとか、誰が悪くないとか、そういう話ではないと、
種族が違う、立場が違う、だからこそ起きた、自然の悲しい成り行きで。だからこれは、起こるべきして起こってしまった、悲しいすれ違い。
リグルは、それをミスティアに伝えたいのだが、今のミスティアには本当の意味でその意味は伝わらないだろうと、リグルは歯がゆく思う。
「………ふーん」
と、すでに本とは呼べない残骸を投げ捨て、幽香が静かに立ち上がる。一瞬だけ背後を気にしたような素振りを見せたが、そんな事は感じさせずに一歩ミスティアに近づいていく。
「食べられちゃいたいの?貴方」
そして、口元に意地悪げで、そして赤い舌を覗かせる幽香。
「っ、幽香?!」
「………ええ、そうよ!私なんて、食べられちゃえばいいのよ!」
泣きながら、そう叫ぶミスティアに、リグルは慌てて、どういうつもりかと幽香に困惑の瞳を向ける。
だが幽香が見るのは、リグルの血が滲んだ服で、目が冷たく細まっていく。
「そう、そこまで覚悟があるのなら、食べられちゃう?」
「ゆ、幽香!?」
困惑と疑問で怒鳴るリグルに、自棄ではなく、本気でそうなればいいと思うミスティアは幽香に強い視線を送る。
「ええ!食べられちゃうわよ!だけど、それは貴方にじゃないわ」
「……へえ?」
「私は、私は、ルーミアに食べてもらう!どうせなら、ルーミアに!……きっと、許してはもらえないかもしれないけど、だけど食べられるなら、ルーミアがいい!」
傷つけた。
きっと、あの少女の無垢で綺麗だった心に、酷い傷跡をつけた。
無垢で残酷で暗闇の。
だけれどずっと綺麗な少女。
ミスティアは知った。
怖がってもいいと。怖がるのは悪いことではないと。
本当にいけないのは、怖がらない振りをする為に、その人の事をちゃんと見ない事だって。
「………へえ?貴方は、あれになら食べられるんだ?」
「そうよ!」
からかう様にそう言う幽香に、ミスティアは声を張り上げる。そしてリグルから離れて、ミスティアは幽香を睨む。
薄く笑う、見つめただけで背筋が凍りそうな、怖い花の妖怪。
ミスティアは、彼女も怖い。
だって自分ではどんな事をしてもきっと勝てない、途方もなく強く大きなその存在。
幻想郷でもトップクラスの最悪の妖怪。
怖い。
怖い怖い怖い。
だけど、だけれど、そこまで怖いわけじゃない。
ミスティアは震えながらも、幽香を睨み続ける。
だって、
そう、
私は『知っている』から。
だから、怖くない。
ミスティアはぎりっと歯を食いしばる。
そうだ、怖くならない為には、知ればよかった。
幽香は友達の大切な存在で、何よりリグルを見るその目はとても優しいと知っている。
だから、本当に酷い事はしないと知っている。
何よりリグルを大切にする妖怪だから、その友達であるミスティアに何かをするなんて、本当に傷つけたり、するわけがないのだ。
ミスティアは、恐怖とは別の意味で、もう顔を上げられない。
幽香を見れない。リグルも見れない。
やっと、理解したから。
結局は、自分はルーミアの事を何も知らずに、分かろうともせずに距離をとっていた。
だからこそ怖かったのだと。
そうだ。
鈍いルーミアはそんな事には気付かずに、いつも通りに、皆と集まっている時みたいにミスティアに接して、抱きついただけ。冗談を言っただけ。
二人きりになって勝手に怯えた私に、何も悪くないのに傷つけられた。
誰よりも酷い、勝手で馬鹿で身勝手だったのは。
「結局、私が……怖がりで」
知る事すら拒否した愚かすぎる自分。
もうきっと、許しを請うことすら有り得ない、罪深い事をした。
閻魔様も、許してくれないだろう……
「……ルーミア。怒ってるだろな」
呟くそれは力なく、ミスティアは空を見て、舞う花を見て、美しいからこそ泣きたくなる。だけど、もう泣かない。
だって、私が泣くのは勝手だから。
ぐっと涙を我慢するミスティアに、幽香はそこで初めて、ミスティアに向かって静かに笑って見せて、ふわりと花を舞い散らし、空へと放つ。
花を操る彼女は、この花畑の主は、この夜雀に淡い笑みを残し、暫しこの場を貸し与える事を許可する。
だって彼女は、幽香の王様の友達だから。少しだけ手助けしたくなったのだ。
さあさあと、花が掠めて鳴る音は美しく、目だけではなく耳も楽しませてくれる。
だからだろう。
目の前にいる暗闇の妖怪は、泣き止んで、静かに夜雀に向かい合っていた。
気がついたら、この花園にいるのは、ミスティアとルーミアだけだった。
「……ルーミア」
「………」
ルーミアは、少しだけ迷うように両手をもじもじさせて、許しを請うようにミスティアを見る。
「ごめんなさい。さっきの話、聞いてた」
「……っ」
動揺するミスティアに気まずげに、ルーミアは泣きそうな顔を向ける。
「みすちーが、私をどう思ってたのか、知らなかった」
「そ、それは」
「ごめんなさい!」
ミスティアが何かを言う前に、ルーミアは謝る。
「え?」
謝られるなんて思いもしなかったミスティアは、そこで思考が停止して、ルーミアの金の髪を呆然と見てしまう。
「……ごめんね、みすちー」
ミスティアは泣いた。
泣く。
それは悲しいから。
ルーミアは、ミスティアに泣かせて、怖がらせてごめんなさいと頭を下げる。
「怖がられてたの、知らなかった」
「ち、違う!私が、それは私がルーミアの事をちゃんと知らなくて、勝手で!」
「でも!私だってミスティアが怖がってたの知らなかった!」
怒鳴る様な、切羽詰った声。
それに、彼女の聞いた事もない音にミスティアはびくりと震える。
ミスティアの恐怖は完全に去ったわけではない。
今だって、ミスティアはルーミアが怖い。
食べられてしまいそうで怖い。襲われてしまいそうで怖い。
……だけど、ルーミアは友達を食べたりしない。
そう、もう知っている。
だから、ミスティアはさっきよりもルーミアが怖くない。知ったから。
ルーミアが怒鳴っても大丈夫。逃げたくなるぐらいに、怖くない。身体は震えるけど堪えられると、ミスティアはその場に立ち尽くす。
「……あっ」
そしてびくついたミスティアに、ルーミアはまたごめんと謝って、それからじっとミスティアを見る。
「っ」
その視線で、僅かに強張るその顔に、ルーミアは悲しげな顔をして、それから何かを決意した顔になる。
「……あのね!私はルーミア!」
「……え?」
いきなりルーミアはそう言う、それに、ミスティアは不思議な顔になる。
「えっと、私は食べる事が好きで、遊ぶのも好きで、リグルやチルノと鬼ごっこするのも好きで、えっと、お肉は何でも好きで、おいしそうな匂いも好きで、食べれる物は全部好きで」
ルーミアは、ミスティアをしっかりと見て、僅かに興奮しているのか頬を赤らめたまま、早口でしゃべる。
「あんまり見えないけど綺麗な色は好きで、夜が好きで、弾幕ごっこも好きで、あったかいのが好きで、熱いのは苦手で、寒いのも苦手で、だけど秋は食べ物沢山で好きで」
「ルー、ミア?」
「そ、それから、みすちーが大好きで!」
「え?」
ルーミアは真剣に、自分が何を好きか、何を嫌いか、苦手だったかを思いだして声に出す。
自分の事を『知って』欲しいと、それだけを願って、思い出すのが苦手だけれど何とか思い出す。
「みすちーの声が好きで、みすちーの匂いが好きで、みすちーの歌が大好きで、みすちーの羽がおいしそうで、みすちーの踊りは好きで、みすちーの」
ルーミアは頭がぐるぐるになりながらも、もう面倒臭いというようにぶんぶんと首を振り、唖然と聞いているミスティアを見る。
「とにかく、みすちーがみすちーで全部好き!」
「……」
引っ掻かれて、血が固まって酷いことになっている頬の傷。
そんなものを負わされても気にせずに、ルーミアははっきりと好きだと言う。
「だから、だから、みすちーはきっとおいしいだろうし、おいしくないわけがないし、たまにおいしそうって噛み付きたくなるけど、だけど、食べない!」
ミスティアは、唇を震わしてルーミアを見る。
今にも泣きそうなその顔はルーミアの心を抉るが、それでもルーミアは言う。知って欲しいから、もっともっと自分の事を知って、それ以上怖がられても、怖がられなくてもいいから、それでもどうか、逃げないで欲しいから。
「大好きだから、どんなにお腹がすいても、みすちーだけは、ミスティア・ローレライだけは、決して食べたりしない!」
かさかさと、ルーミアのリボンが風に揺られて音を立てる。
そして、ルーミアの顔が少しだけ大人びて見えて、その口調が、少し、柔らかくなる。
「ルーミア……?」
その変化に、食べないと言われたミスティアは呆然と聞く。
想像もできなかったその台詞に、ミスティアは喜びを通り越して放心していた。
「ねえ、ミスティア。私はこんなだけれど、だけどね。こんなだから、ミスティアに惹かれてる。泣き虫で怖がりな貴方が、私は嫌いになれない。貴方に傷つけられようと、私は貴方を傷つけたくない」
暗闇の少女が一歩を踏み出し、その動きに新しい花が足元で舞う。
それが顔にまで上がる時には、ルーミアはミスティアのすぐ傍まで歩んでいて。
赤い瞳に、その瞳の真剣さと優しさに、ミスティアは悲しくないのに泣きたくなる。怖くないのに泣きたくなった。
「あ…」
「……私は、ミスティアの歌う声が本当に好き。ミスティアの声は、私の心を満たす。ミスティアの笑顔が好き。あまり見えないのに、それだけが光をもって見える。ミスティアの泣き顔は嫌。だけれど、今の泣き顔は好き。………とっても、可愛い」
両手が伸ばされる。ミスティアは動かない。
逃げもしないし、避けもせずに、ただ暗闇の少女を見つめる。
「だから、絶対に、貴方を食べたりしない。違う、食べたりしないじゃなくて、食べられない。貴方だけはきっと、絶対に食べれない」
「………何で?」
泣き笑いの顔を、ルーミアは小さな手で包み込んで、やっとミスティアの笑顔を捕まえられたと笑う。
その瞬間に、ルーミアの雰囲気が、いつもの無邪気なそれにふわりと変わったのを、ミスティアは感じた。
「言ったよ?私はね、みすちーが大好きで、きっと愛してるから」
雰囲気が変わっても、ルーミアはルーミアで、ミスティアは涙が零れそうになって、でも我慢する。
「うん、好き!……泣き顔は少し嫌だけど、だけど今のは違うから好き」
ルーミアは笑う。
ミスティアは泣きたいのを我慢して、嗚咽を飲み込んで、ルーミアを見る。
優しい笑顔。
頬が痛々しいのに、それでも変わらない素敵な笑顔。
「なん、で、好き、なの?私は、酷いことをして、ルーミアを傷つけた。許されないこと、した」
たどたどしいミスティアのそれに、ルーミアはわはーと笑う。
「いいよ。みすちーなら。私は嫌じゃないもの」
頬を切り裂かれるなんて、そんなの全然気にならないと、ルーミアは呆れるぐらいに嬉しそうに笑う。
だって、本当にルーミアが気にするのは、気にしたのは、ミスティアの泣いたあの瞬間。
心掻き回す夜雀の泣き声は、泣き顔は、すべてすべて、刻み込まれて消えてくれない。
忘れられない少女。
忘れられなくなった少女。
うん、
これを恋といわずに、何て言えばいいの?
好きだった貴方を、さらに好きになった。
泣いたあの時、泣かした自分を殺したくなった。
そして、それぐらいに悲しくて、そして彼女に笑って欲しかった。
私は、ミスティア・ローレライにきっと、あの瞬間に恋をした。
ルーミアは、先程の大人びた微笑が消えた、無邪気な笑顔でミスティアの頬を包み込んだまま、そっと顔を寄せる。
ミスティアはその頬にあたる柔らかな感触に、一杯の溢れる感情で笑って泣いて、ルーミアに耐え切れずに両手を伸ばす。
「ねえ、さっき、みすちーは私に食べられてもいいって、言ったよね?」
「うん。……いいよ」
笑うミスティアに、ルーミアは歓喜で胸が溢れて、泣きそうになる。
悲しくないのに泣きたい。
そんな事もあるんだって、知った。
「……なら、返事が欲しい」
私は貴方を、きっと愛しています。
どうか、その返事を私に下さい。
ルーミアの赤い瞳の問いに、ミスティアは頷いて、ルーミアの背中に手を回す。
「私は、ルーミアの事を知って、少しだけ知る事ができて、嬉しいです。……私は、ルーミアの事が好きになりました」
もう、貴方が怖くない。
今なら、本当に食べられてもいい。
貴方の糧になってもいい。
貴方の血肉になれるなら、それなら死んでもいい。
そう思えたから。
貴方を知って、私は、貴方が大好きになりました。
「私は、ルーミアの事が、大好きです」
泣き笑いの歌姫に、ルーミアはどんな美しいものにも例えられないだろう、眩しくて泣きそうな笑顔を浮かべて、そっと、ミスティアの唇を食べる。
二人の頬に、悲しくない涙が滑り落ち、お互いを濡らした。
さあああぁぁ、
花と蝶が祝福するように、二人の周りで素敵な音を奏でて、舞い踊る。
夜雀の少女と暗闇の少女は、泣きながら、本当の意味で初めて笑いあった。
友達思いの蟲の王様は、安堵した顔でそれを見つめていた。
その隣では、花のお姫様が僅かに目を細めて考え込んでいる。
「……自力で?……だけれど、間違いなく、少しだけ封印が解けていたわ」
「?幽香」
「………そう。いずれは解けそうだとは思っていたけれど、きっかけがあの夜雀とは、ね」
ルーミアのリボンのお札。
それの秘密を知る数少ない幻想郷の住人である幽香は、意外な口調でそう呟くと、まあ別にいいわと二人から視線を逸らす。
別に封印が解けても、今のルーミアなら大丈夫だろうと、幽香は確信する。
そして不思議な顔をして自分を見上げるリグルに何でもないと微笑み、リグルの手当てを続行する。
「ふぅん。痛そうね」
「…あー、まあね」
まくった服からでた剥き出しの腕は白く、所々から赤い血が流れている。
ミスティアの無意識の爪跡に、リグルは苦笑して、だけど上手くいってよかったと、二人に背中を向けたまま微笑む。
「見ないのリグル?貴方の友達二人がいちゃついているわよ。具体的には――」
「聞きたくないよ。そして見たくないよ。……むしろ友達だからこそこんな場面に居合わせて気まずいよ」
内心、嬉しくとも複雑なリグルに幽香は楽しげに笑う。
「あら、複雑ね。……さては、あの夜雀には少しだけ気があったのかしら?」
「………幽香。爪が食い込んでるから、そして凄い誤解だからそれ」
笑顔で爪を立てる幽香にリグルは困った顔をして、背中の先にいるだろう友達の事を考える。
「ねえ幽香」
「なに?」
「ありがとうね」
「…何のことだか分からないわね」
ふわりと微笑む彼女に、リグルはそうだねと笑って、舞う花と蝶の幻想の世界で思う。
「私ね、幽香」
「ええ」
「どうしてか、幽香の事は、幽香が風見幽香だって、知る前から怖くなかった」
「……?」
意外そうな顔をする幽香に、リグルは笑って。
「強い妖怪で、私なんかが適うわけがないって幽香の事、知らないなりに本能で分かっていたのに、どうしてか怖くなかった」
「そうなの?」
「うん」
そしてリグルは微笑む。何だか嬉しそうに静かに、
「あれだね。私、幽香に一目惚れしてたみたい」
「は?」
「だから、きっとミスティアみたいに、食べられたりしてもいいやって、思ってたんだ。無意識にだけどね」
思い出して恥ずかしげに笑うリグルに、そんな顔する割に全然恥ずかしげもなくそんな台詞を言われた幽香は固まる。
「………………………」
「だから、あの二人が上手くいったのは、何か嬉しいな」
「………………………」
固まるお姫様に気付かずに、少しだけ後ろを振り向いて、ちょっと赤い顔をしてリグルは顔を戻して苦笑する。
そして、固まっていたお姫様はそこで、我に返り、数瞬後には笑う。
意地悪な顔で。
「ねえ、リグル」
「え?」
「食べられてもいいと思ったのね?なら、私が今貴方を食べても、問題はないわけね?」
「え?!」
驚愕は一瞬。
花がぶわりと音を立てて二人の周りを舞った。
幽香の感情にあわせて、咲いて散る花々は、様々な色の花の雨を降らせる。
「っ」
リグルは、目の前の綺麗な妖怪を目を見開いて見つめて、
だけど、すぐにうっとりと目を閉じる。
むせる様な花の香り。
途絶える事のない、花の雨。
リグルと幽香は静かに抱き合い、リグルはゆっくりと幽香に食べられる。
お姫様に食べられる王様も、有りといえば有りだなと、リグルは思った。
「ねえ、みすちー」
「うん?」
「もう、怖くない?」
「全然!怖くなんかない!」
「そーなのかー」
「うん!」
「えっとさ」
「え?」
「じゃあ、もっかい、食べていい?」
「うえっ?!」
「あ、やっぱり嫌?!ご、ごめんなさい!」
「ちがっ!は、恥ずかしかっただけ!全然嫌じゃない!」
「………本当?」
「うん!だって、ルーミアは私を大事にしてくれるって、さ、さっきので分かったし……」
「え、えへへー、そーなのかー」
仲直りをして、さらに仲良くなった二人。
それを、花と虫だけが見ていて。
だけれど花と虫もこれは見ていられないと、ふわふわと何処ぞへ飛んでいく。
この日、幻想郷には止まない花の雨が大量に降り注ぐ。
暗闇の妖怪は歌が好き。
暗闇の妖怪は音楽が好き。
そして何より、
暗闇の妖怪は、ミスティア・ローレライが大好き。
そして、暗闇の妖怪はその日から鳥肉だけは食べなくなった。
種族違うと怖いよね…夜雀的に考えて…
ということでちょっくら前作を見てきます
バカルテット全員カップル成立ですか
いやはや、東方はいつも種族の壁を感じますな
ヤキモチ焼きの幽花さんはいいですねホント。
それを察したルーミアの内心を思うと可哀想すぎるな。けど強者は弱者の気持ちを理解できないのが常だから、結果を考えると良かったのかも。
リグルも幽香もいいな~。特にリグル!妖怪でも友達思いってかっこよすぎる。幽香のヤキモチもかわいいし。
「食べていい?」って…この表現素敵だ。
昨日食った黒豆思い出しました。
ルーミヤのお札って謎なんですよね、そういえば。
…ってことでおk?
したったらずやひらがなしゃべり
になるとかんがえてみてはどうだろう
GJでした。
もお思う存分食べちゃってください!!
これは良い百合ん百合ん。コップ1杯の水にガムシロ入れて水全部蒸発させたくらい甘い。
この話を読んで、ミスティアとルーミアのカップリングに目覚めました。
食べる、食べられるという関係の二人でも愛を築くことのできる。
とてもいい話だと思いました。
中盤・後半の展開もすごくいいのですが、個人的に序盤の、ミスティアを背後から不意に抱き締めて耳を甘噛みするまでのルーミアが、無邪気ですごく可愛いと思いました。ここのシーン、何回も読み直しています。
そして幽香は確実に食虫植物。
ご馳走様です。