ぐつぐつと煮えたぎる鍋の音。
霊夢は味付けの為に少しばかりの醤油を継ぎ足す。
「あ、こら、入れすぎだろ」
「何言ってんのよ、これぐらいでちょうどいいの」
「駄目だって、塩分のとりすぎは体に悪い。私は健康に気を使ってるんだ」
霊夢の醤油を持っている霊夢の右手を魔理沙が必死で掴み、止めようとするが、その静止も聞かずに醤油瓶からは黒々とした液体が鍋に注ぎ込まれ、その水野中でゆっくりと煙のように醤油の色が広がっていった。
あー、といった表情で魔理沙が残念がるが、そうした所で入った醤油が瓶の中に戻るわけでもなく、当然そんなくだらない事用の魔法なんて覚えてもいない。
あきらめてゆっくりと座布団に上に腰を下ろすが、やはり若干の未練は残っている。鍋の中を覗き込んでは少しだけ残念そうにため息をついた。
外を見ると、もうずいぶんと雪が積もっているようだ。
三日前まではそんな予兆も無かったのに、唐突にここ二日間で少女たちの膝に届くほどまで積もってしまった。
今日ここに来たときも、霊夢は随分大変そうに雪掻きをしていた。
それに比べて、社の中は非常に平和である。
夜である為に暗い筈の社なのだが、まるで今は昼間のように明るい。
今年の秋、河童という生物に頼んで『電球』とやらを貰ってきたらしい。
河童の作る道具は便利らしいが、滅多にこうやって使われることは無いという。
神社も随分と進化したものである。
「ほら、お肉入れても大丈夫よ」
「あ、はい」
霊夢に言われて、近くにあった鳥の手羽元を沸騰した鍋の中に入れていく。
続けて、近くにいた阿求も切ってあった白菜を中に流し込んでいった。
「悪いわね、阿求、あんたまで連れてきて」
「連れて来なかったら逆に文句言ってるつもりでしたけどね」
「……あんたは引きこもりってイメージがあったから、珍しいな」
「どうせ普段は家から出ませんよ」
悪態をつきつつも、阿求は笑みを浮かべて話す。
その心底の楽しさを察して、魔理沙も笑顔になる。
「あのー……」
「ん?」
そうやってみんなが鍋の調子を見て話をしていると、おずおずと弱弱しい声が社の中に響いてきた。
いや、響いたというよりは純粋に聞こえた。
その声に対して冷静に霊夢が反応する。
「えっと、何で私もここにいるんでしょうか」
「あー」
「そんなこと別に考えなくてもいいじゃないか」
そういう間に、魔理沙は鍋に軽く酢を鍋の中に入れる。
質問をした少女の名は、東風谷早苗。
今年の秋に妖怪の山の上に、神社や神様と共にやってきた、自らを現人神と名乗る少女だ。
もっとも、幻想郷の変わった少女たちの前では、奇跡が起こせることなど単なる能力の一つに過ぎない。
今となってはただの少女と変わらない。幻想郷を基本として、の話だが
「あ、あまり酢を入れると……」
「なんだ妖夢、苦手なのか」
「普通料理のために少し入れるぐらいですし……」
「身体にいいんですから、こういう時にとっておかないと駄目ですよ」
「べ、別にいつもお肉ばかり食べてるわけじゃ」
「そりゃそうよねぇ、あんな主人がついてるのにそんなに食べられるわけないし」
「そんなお前には身体にいい酢入りの鍋と美味い鶏肉をプレゼントだ」
「鶏肉は牛肉よりも筋肉を作るのにいいらしいですから、妖夢さんにはうってつけかもしれませんね」
「そんなにむきむきになりたくない……」
三人がかりで妖夢をからかって、それによって妖夢が少しばかり涙を流す。
呆気に取られたように早苗はそれを見ていた。
「あの」
「なに?」
「いつも、冬になるとこういう事を?」
「まー、たまにはこんな事をしてもいいかな、って思ったからさ」
そう言いながら霊夢は鍋の中の肉を、自分の取り皿の上に乗せる。
そういっている霊夢の表情は、いつもどおり無表情だったけれど。
どこか、少しだけ嬉しそうに、そして楽しそうに見えた。
***
空は黒く染まり、うっすらと月の姿も雲に隠れて見える。
だがそれ以上に今宵の主役となっているのは、その月の光を弾いて輝き、降り積もる雪。
夜だというのに、意外と外は明るく見える。白い雪は漆黒の夜にも美しく映えるものだ。
今宵は大晦日であった。
年末、霊夢は大掃除を終わらせて、四人の少女を家、というか神社に呼んでいた。
年越しを人間達だけで過ごそうという、魔理沙のある考えがあったからである。
霊夢もそれに関して少し面白そうだと思い、知り合いの人間を片っ端から誘っていき、この四人が集まった。
五人の少女が炬燵に入りながら、卓を囲む。あまり普通では見られない光景だ。
「咲夜は、来れなかったのよね」
「あいつはワガママお嬢の世話が忙しいだろうからな」
言いながら、魔理沙は新しい肉を入れていく。
この日のためにわざわざたくさん里で買い込んできたらしい。
コンロという道具も香霖堂から借りてきて五人で鍋を囲んでいる。
少女らしくは無いのだが、彼女たちらしいといえば彼女たちらしい。
「葱と糸コンニャクもちゃんと食えよー」
「わ、わかってますよ」
「そういいつつ白菜を取っていない妖夢さんであった」
「白菜も重要だから、私が入れてあげますよ」
「あ、ああ、ちょっと、えっと」
早苗の無垢な優しさが、妖夢にとって可哀想な結果を生んだ。
一人だけ少し多く野菜を盛り付けられた取り皿を見て、妖夢は顔をしかめる。
野菜自体は嫌いではないが、あまり多いのは好きではなかったりする。
するとその取り皿に箸先が乗せられた。
「少し、食べてあげましょうか?」
「ほ、ホントですか?」
「こらこら霊夢、あんまり甘やかしてもいいこと無いぞ」
「そんなに勢いよくやったってねぇ」
いいながら、妖夢の取り皿から少しばかりの葱や白菜を自分の取り皿に移す。
そしてその小さな口の中に野菜を放り込んだ。
「ん」
「どうしました?」
「火が通ってて柔らかい……おいしい」
ほふほふと、口の中でそれらを冷ましながら顔を赤くして言う。
それを見ると魔理沙も、ごくりとのどを鳴らす。
「……今日、午前中はずっと研究してたから腹減ってるんだよ」
「食べれば良いじゃない、お肉もいい加減火は通ってるわよ」
「んじゃ、遠慮なく」
鍋の中から茹で上げられた鳥の腿肉を箸で掴みあげる。
湯気がもうもうと天井まで昇り、その熱を表現している。
「やっぱこう冷える時は鍋だよなぁ……」
「しっかり野菜も取りなさいよ」
「そりゃあ、まぁな」
言われてから自分の取り皿にも白菜などを盛る魔理沙。
女の子らしさを捨て、口を大きく開けてその野菜と肉を同時に口の中に放り込む。
「う熱っ!?」
「あーあー、冷まさないから」
口の中で肉を転がりまわし、すぐに取り皿の上に肉を戻す魔理沙。
呆れたように霊夢はその姿を見る。
すると魔理沙は、箸で掴んだまだ熱いままの肉を、霊夢の前に差し出す。
疑問符を浮かべ、それでも割と冷静に魔理沙の顔を霊夢が見る。
魔理沙は満面の笑みを浮かべていた。
「くれるの?」
「いやいや」
「じゃ、何」
「ふーふーしてくれ」
にひひ、と魔理沙が笑う。
はぁ、と一回諦めたようにため息をつく霊夢。
「自分でやりなさいよ、それぐらい」
「霊夢がやってくれたっていいじゃないか」
「何で人が食べるやつをわざわざ私が」
「ま、最後の奉仕活動だと思ってさ」
はいはい、と霊夢は半分適当な口調で言った。
そしてその熱された鶏肉に向かって優しく息を吹きかける。
その熱をゆっくり奪っていく、儚い吐息。
数度息を吹きかけると、霊夢は魔理沙に目配せをする。
それを合図として、魔理沙は軽く頷いた後に鶏肉を再び口の中に放り込んだ。
今度は特別な熱さは感じなかったようで、口の中で鶏肉をもごもごと動かしている。
「ん、ひひおうほは」
「口の中のもの整理してから喋りなさい、行儀悪いから」
「ほふ」
おう、と言ったつもりなのだろう。肯定の意を示す頷き。
頬をいっぱいに膨らませて魔理沙はしっかりと肉を食べている。
「……」
「あら、食が進んでませんね妖夢さん」
「あ、はい……」
対して、白菜葱とにらめっこをしているのは魂魄妖夢。
野菜は決して苦手ではない。苦手ではないのだが。
「……」
「目で食事する気?」
「いやそういうわけでは」
長い勝負である。
野菜VS妖夢一本勝負。戦いはまだまだ続く。
ように見えた。
「……早苗」
「はいはい」
「むぐっ!?」
霊夢が一言呟くと、言われるままにして早苗が箸で妖夢の取り皿の野菜を掴む。
そしてすぐさまに妖夢の僅かに開いた口の中へと放り込む!
突然の事に戸惑う妖夢だが、口に入れられた以上はそれを噛むように脊髄が動いた。
「は~い、少しだけ我慢してね」
「むぐぅー!?」
まるで歯医者のように、笑顔ではあるが鬼畜。
葱の辛さが妖夢の子供舌に刺激を与えるが、しかし早苗はその箸の手を緩めようとしない。
可愛い顔をして意外と鬼畜。
ここにいる人間にとってはなかなか面白い発見であった。
「しっかりと間で、飲み込まないと無くなりませんよ?」
「む、むぐ、むぐぅ……ぐ?」
うっすらと目じりに涙を浮かべながらも、ゆっくり顎を動かして口の中の物を噛んでいく。
ゆっくりと砕かれる野菜と、口の中に広がっていく味。
けれども――その広がっていく味は、けして嫌な物ではなかった。
「ほら、しっかり食べるとそんなに美味しく無くはないでしょう?」
「……」
口の中で噛みながら、こくこくと頷く妖夢。
それを早苗は温かい笑みで見守る。
ごくん、と妖夢が喉に大きな音を立てると、早苗は満足げに頷いた。
「ね?食べられるじゃないですか」
「……はい」
「野菜の苦味と言うのは、他の物と食べる事によって和らげられます。いえ、むしろそうする事で野菜が引き立たせる役となってメインとなる食材をより美味しい味で頂けるんです」
「そ、そうなんですか?」
「ええ、そうですよ」
「待った緑巫女。つっても妖夢の口に突っ込んだのは白菜と葱だろ?どこにメインの食材があるっていうんだよ」
そこまで妖夢に説明すると魔理沙が横から口を挟む。
すると早苗はにっこりと微笑みを浮かべて、こう答えた。
「しっかりとお湯で茹で上げた白菜は、甘みがあってまるでお肉のようなんですよ。水炊きにとって白菜は立派なメインの食材です。そして、葱の辛味がその甘さをより引き立てておいしくしていくんですね」
「はー、なるほどねぇ」
「確かにお鍋の白菜は美味しいですよねぇ、私は白滝の方が好きですが」
隣では、そんな事を言いながら白滝と白菜を頬張る阿求がいた。
「……阿求」
「なんです、霊夢」
「あんたって、もしかして肉嫌いだったりする?」
「いいえ、大好物ですが」
口に物を含みながらも、淀むことなく満面の笑みで答える阿求。
単純に好き嫌いが無いだけのことなのだが、この年齢でそういうのも珍しい。
御阿礼の魂を持つ阿求だからこそだろう。
「それにしても……」
「はい?」
その中で、妖夢がふと声を上げる。
その声に、早苗が答える。
妖夢は、とても軽い気持ちで口を開いて早苗に聞いた。
「『めいん』って何なんですか?」
「今度それに関して少し勉強しましょうか」
些細な疑問は阿求先生の授業へと持ち越された。
***
「ふあ……」
欠伸の音が一つ、社の中に響いた。
欠伸の主は、はっと気づくと慌てて手で口元を押さえる。
そして少し恥ずかしそうに、俯いてしまった。
「す、すいません」
「別にいいわよ、眠いでしょ?」
優しく微笑んで、欠伸の主、妖夢に言ってやる霊夢。
かく言う自分も、少しまぶたが落ちてきている。
横を見ると、早苗も随分と眠たそうにしていた。
それもその筈、もう年が変わる二時間前、すなわち真夜中だ。
「もうそろそろ年明けか……」
「今年もあっという間に流れましたねぇ、その代わり収穫は多かったですが」
対してあまり眠くなさそうなのが、阿求と魔理沙の二人だった。
この二人、放っておけばそのまま三日間は置き続けていそうな勢いですらある。
魔理沙は炬燵に下半身を突っ込みながら、仰向けに寝転んで大きく欠伸をした。
霊夢は、何だ魔理沙も意外と眠いんじゃないか、などと少しだけ微笑ましく思う。
「なぁ霊夢、そろそろ腹が減ったな」
「……鍋を食らい尽くしておいて言う台詞じゃないわね」
前言撤回、やはりこいつは現行欲望の塊だ。
「いや、こういう時間帯に食うんだろ、年越し蕎麦って」
「確かにそうだけどね」
「霊夢ー、作ってー」
両手をばたばたさせて幼い子供のようにねだる魔理沙。
その近くには大人しそうにただただ外を眺めている阿求。
どちらが年上だかもよくわからない。
「正直、面倒だから嫌」
「き、きさまそれでも幻想郷民か。年越し蕎麦が無いなんておまえ非国民だぞ!」
「はいはい」
軽くあしらう。こんなときにわざわざ魔理沙にしっかりとかまう必要性は無い。
長い事付き合ってるとそれぐらいよくわかる。
すると、霊夢の横に座っていた早苗が立ち上がって言う。
「あの、私が作りましょうか?」
「おお、ほんとか新巫女!」
「……私が古いみたいな言い方やめてくれる?」
「こいつは失敬」
手をひらひらさせて、謝る気も余りなさそうに魔理沙は言う。
今の魔理沙には、年越し蕎麦が一番気にかかっているのだ。
霊夢は、少しだけ申し訳なさそうに早苗に目配せをした。
「お蕎麦は、ありますか?」
「年越し用に食べようと思ってたのは、一応霖之助さんから貰ってきてるからね。台所の洗い場の横に」
「はい、それじゃ使って構いませんか?」
「いいわよ、でも向こうは少しくらいから気をつけてね」
「はーい」
言いながら、少し軽やかな身なりで台所へと歩を進める早苗。
初めて会った時はもう少し堅苦しい印象があったのだけれど、付き合ってみるとなかなか普通の女の子だ。
今年も、それなりにいろいろ付き合いは多くできた。
少し顔を綻ばせる。
やっぱり、こうやって誰かと過ごすのはとっても嬉しい事だから。
霊夢は炬燵から足を抜いて、立ち上がる。
「ん、どうした?」
「このままじゃ眠くて年が越せなさそうだから、祝いに一杯やろうかなって」
「お、いいな」
「身体も暖まりますしね」
などと、起きてられそうな二人は喜びの声を上げる。
しかし一人だけ、一切の反応を示さない。
「妖夢?」
「……あ、は、っはい!?」
反応しなかった一人に声をかけると、数秒後に、ようやく反応が返ってきた。
見ると口元からはよだれが垂れていて、どこか目の焦点も合っていないようだ。
その姿を見て、くすっと笑う霊夢。
いったい何が起きたのかもわからずに、ただ霊夢のほうを妖夢は見つめていた。
「そんなに、無理しなくても大丈夫よ?」
「む、無理なんてしてません!」
「口元のよだれを拭いてから言いなさい、そういう事は」
「え?」
妖夢はそう言われると、ふと口元の違和感に気づく。
周りでにやつきながら笑っている二人の少女。
脳の回転がようやく数秒後に開始する。
そして慌てて二の腕で自分の口元を隠す。
「え……えぇと……」
「……ふふっ」
「み、見なかったことには……してもらえませんか?」
「やだ」
「ふぇえぇーーーっ!?」
満面の笑みを浮かべる霊夢に一瞬で駆け寄り、泣きつく妖夢。
霊夢の笑顔は、まるで天使のようだった。
「こ、こんな情けない事が幽々子様にもし知れたらーっ!?」
「大丈夫だよ、妖夢」
「ま、魔理沙……」
「私たちが最大限にからかいまくった後に幽々子に知らせに行くからよ」
「この外道めーっ!?」
喉の奥から絞り出すような声で叫ぶ妖夢。
その瞳はうっすらと滲んでいた。
「ほらほら、霊夢も魔理沙さんも年下の子をそんなに苛めちゃいけませんよ」
「あきゅうさぁ~ん……」
「ほらほら、妖夢さんこちらにいらっしゃい」
まるで子犬のように阿求のほうに駆け寄って、その胸に飛び込む妖夢。
阿求は子供をなだめるようにしてそのまま妖夢の頭を抱きかかえてやった。
母親のように、優しくその頭をなでる。
阿求は二人を見回して、笑顔で言う。
「全く、駄目じゃないですか二人とも。こんなに泣かせちゃって」
「そうは言ってもねぇ」
「苛めたくなる気持ちはよくわかりますが、だからといって集中攻撃したらかわいそうですよ」
「あ、あの、阿求さん?」
「私は何も言ってません」
顔を上げて阿求の顔を覗き込む妖夢に対しても、変わらぬ笑顔を浮かべてそう言う。
やれやれ、と言った表情を浮かべて霊夢が阿求の方を見る。
「過保護ねぇ」
「人の事言えますか、全く」
「私は少し甘いだけよ」
「口ではなんとでも言えますけどね」
まるで猫を撫でるように、妖夢の髪の一本一本を、手ぐしで撫でていく。
何も言わないところを見ると、先ほどに比べて随分落ち着いたようだ。
「妖夢さん。ほら、みんなもう苛めませんから顔を上げてください」
「……」
「妖夢さん?」
声をかけるが、反応は無い。
もしやそれほどまでに嫌だったのだろうか、これが反抗の意なのかもしれない。
そう思って少し不安になったが、撫でた頭の感触で阿求は悟る。
と、台所のほうから早苗が走ってきた。
「お蕎麦、もう少しで出来上がるから待っててくださいね」
「おー、年明けまでかからないならいつでも待つぜ」
「早苗さん」
「はい?」
阿求が、顔を上げて早苗の方を見る。
そしてから、妖夢の頭を優しく撫でた後にこう言った。
「お蕎麦、四人分でいいですよ」
柔らかな寝息が、社の中に響いた。
早苗はそれを聞いて、はい、と明るく答えた。
***
「ん」
蕎麦をすする音が響く社の中にも、外から響く音が聞こえてくる。
除夜の鐘。
108の煩悩が天に召されるように、一発、また一発と。
「今年ももう、終わりか」
蕎麦を勢いよくすすりながら魔理沙がポツリと呟く。
彼女らしくも無い寂しげな声。
「魔理沙も、こう言った寂しさは感じるのね」
「私も人の子だぞ」
「魔理沙さんはてっきり白菜から生まれたのかと思ってましたよ」
「私はキノコ栽培中に突然変異で生まれたのかと」
「おまえらなぁ……」
阿求の冗談に、早苗も乗る形で魔理沙をからかう。
霊夢はそんな三人の様子を見て微笑ましく笑う。
「んー」
「ん?」
ふと気づくと、早苗が霊夢の方を見て何か考えているようだった。
余り見られていい気ではないので、早苗に対して霊夢が聞く。
「どうしたの?私の顔に何かついてる?」
「あ、いやそういうわけではなくてですね」
「じゃーどういうわけよ」
多少ケンカ腰になりながら、早苗に突っかかる。
少々早苗も引いているが、少し困ったような笑顔を浮かべると霊夢に向かって言う。
「なんだか、初めに出会った時と印象が違うな、って思いまして」
「印象?誰の?」
「霊夢さんの」
「は?」
言われて、呆気に取られたような表情を浮かべる。
呆然としたような顔を見せていると、早苗がくすっと笑い始める。
「な、何がおかしいのよ」
「いや、ホントに、そういうところは普段どおりなのに見えるのに、なんだか優しい気がして」
「や、優しい?」
「あー、まぁ、それはありますねぇ」
早苗の言う事に対して、阿求が笑みを浮かべて相槌を打つ。
阿求は相も変わらず満面の胡散臭い笑みで、霊夢の心を見極めるようにして言う。
「霊夢は、異変の時とそれ以外だと全然応対が違いますからねぇ」
「そりゃそうでしょ、異変の時なんだからぴりぴりしてるわよ、私だって」
「ましてや、早苗さんが始めて霊夢と会ったのはそういう異変の真っ最中、しかも霊夢にとっては敵ですからね。印象も違って当たり前ですよ」
「そんなもんですか」
「霊夢ならそんなもんです」
言いながら、枡に注がれた日本酒をあおる阿求。
この阿求以外と酒豪である。
そして、早苗のほうに有る並々注がれた日本酒を見てから言う。
「早苗さん、飲まないんですか?」
「え?あぁ、その」
「この子、下戸だから。飲めないのよ」
霊夢が代わりに言ってあげる。
そうなんです、と申し訳なさそうな笑みを阿求に対して見せた。
しかしそれを聞くとははぁん、と言った何かを企むような不気味な笑顔を阿求は浮かべる。
「駄目ですよぉ、お酒ぐらい飲めるようにならないとぉ」
「え、えぇ」
「ほらほら、今から練習しましょう練習」
「あーきゅう」
霊夢が少し怒った表情を見せて、阿求に強く言う。
ぶぅ、と本当に幼い子供のように頬を一杯に膨らませて阿求は霊夢をにらむ。
「いいじゃないですか、これからお酒ぐらい飲めないと宴会やってられませんよ?」
「言う事は確かにその通りなんだけどねぇ。無理に飲ませても楽しくないでしょ」
「むぅ、折角面白くなりそうだったのに」
「お、面白くって」
「こういう性格なのよ、この子は」
諦めたような表情で呟く。
外では、未だに除夜の鐘の音が鳴り響く。
「私から見たら、霊夢はやっぱり変わりましたよ」
「……そう」
「ええ」
何の裏も無い、はっきりと浮かべた笑顔。
昔から、余り好きじゃなかった。
心まで見透かされるみたいで、何もかもを見られているようで。
それでも、仲の良い友人。
「でも、霊夢は霊夢です。私達の友達です」
「……ったく」
「どうしました?」
その理由も何も無いけれど、異様なまでに説得力のある言葉。
ホントに不思議なやつだと、未だに思う。
中身は千年も前の人間なのだから、当たり前と言っては当たり前なのだけど。
「やっぱ、苦手だわあんた」
「ありがとうございます」
霊夢が言うと、最後の除夜の鐘が鳴った。
雪の降る夜に、その音がより大きく響く。
霊夢は、ふぅと息を吐いてから全員を見回して言う。
「新年、明けましておめでとうございます」
「あけましておめっとさん、なんだぜ」
「あけましておめでとうございます。今年もどうかよろしく」
「はい、おめでとうございます」
霊夢に反応するようにして起きている三人が返答の挨拶を返す。
霊夢は返答をしない一人の寝ている妖夢を見て、優しく微笑んだ後に軽く毛布を乗せてあげた。
その姿を見て魔理沙がにひひ、と笑う。
「全く、一人を除いて挨拶済ませちまったじゃねーか」
「妖夢は、朝になってからね……」
「こんな気持ちのいい顔してるのに、起こすわけにも行きませんよねぇ」
そんな事を全員で話す。
外は、相変わらず雪が降り続けている。
「とりあえず、今日は泊まっていく?」
「もとより私はそのつもりだぜ」
「そうですね……帰れないのを連絡できないのは少々辛いですが」
「多分、八坂様も洩矢様もお休みでしょうしねぇ……」
三人、思い思いの事を言いながら社に泊まる事を決める。
霊夢は炬燵で寝ている妖夢に気をつけながら炬燵をどかしていった。
「布団、向こうの押入れに入ってるから自分で用意してねー」
「っていうかそんなに何人分もあるのか?」
「一応昔は使ってた事もあったからねぇ」
そんな、年明けを迎えた初めての夜。
少女達は新年を迎える。
人間だけで迎える新たな年の初め。
霊夢は、布団を敷きながら思う。
今年もまた、いい年でありますように、と。
霊夢は味付けの為に少しばかりの醤油を継ぎ足す。
「あ、こら、入れすぎだろ」
「何言ってんのよ、これぐらいでちょうどいいの」
「駄目だって、塩分のとりすぎは体に悪い。私は健康に気を使ってるんだ」
霊夢の醤油を持っている霊夢の右手を魔理沙が必死で掴み、止めようとするが、その静止も聞かずに醤油瓶からは黒々とした液体が鍋に注ぎ込まれ、その水野中でゆっくりと煙のように醤油の色が広がっていった。
あー、といった表情で魔理沙が残念がるが、そうした所で入った醤油が瓶の中に戻るわけでもなく、当然そんなくだらない事用の魔法なんて覚えてもいない。
あきらめてゆっくりと座布団に上に腰を下ろすが、やはり若干の未練は残っている。鍋の中を覗き込んでは少しだけ残念そうにため息をついた。
外を見ると、もうずいぶんと雪が積もっているようだ。
三日前まではそんな予兆も無かったのに、唐突にここ二日間で少女たちの膝に届くほどまで積もってしまった。
今日ここに来たときも、霊夢は随分大変そうに雪掻きをしていた。
それに比べて、社の中は非常に平和である。
夜である為に暗い筈の社なのだが、まるで今は昼間のように明るい。
今年の秋、河童という生物に頼んで『電球』とやらを貰ってきたらしい。
河童の作る道具は便利らしいが、滅多にこうやって使われることは無いという。
神社も随分と進化したものである。
「ほら、お肉入れても大丈夫よ」
「あ、はい」
霊夢に言われて、近くにあった鳥の手羽元を沸騰した鍋の中に入れていく。
続けて、近くにいた阿求も切ってあった白菜を中に流し込んでいった。
「悪いわね、阿求、あんたまで連れてきて」
「連れて来なかったら逆に文句言ってるつもりでしたけどね」
「……あんたは引きこもりってイメージがあったから、珍しいな」
「どうせ普段は家から出ませんよ」
悪態をつきつつも、阿求は笑みを浮かべて話す。
その心底の楽しさを察して、魔理沙も笑顔になる。
「あのー……」
「ん?」
そうやってみんなが鍋の調子を見て話をしていると、おずおずと弱弱しい声が社の中に響いてきた。
いや、響いたというよりは純粋に聞こえた。
その声に対して冷静に霊夢が反応する。
「えっと、何で私もここにいるんでしょうか」
「あー」
「そんなこと別に考えなくてもいいじゃないか」
そういう間に、魔理沙は鍋に軽く酢を鍋の中に入れる。
質問をした少女の名は、東風谷早苗。
今年の秋に妖怪の山の上に、神社や神様と共にやってきた、自らを現人神と名乗る少女だ。
もっとも、幻想郷の変わった少女たちの前では、奇跡が起こせることなど単なる能力の一つに過ぎない。
今となってはただの少女と変わらない。幻想郷を基本として、の話だが
「あ、あまり酢を入れると……」
「なんだ妖夢、苦手なのか」
「普通料理のために少し入れるぐらいですし……」
「身体にいいんですから、こういう時にとっておかないと駄目ですよ」
「べ、別にいつもお肉ばかり食べてるわけじゃ」
「そりゃそうよねぇ、あんな主人がついてるのにそんなに食べられるわけないし」
「そんなお前には身体にいい酢入りの鍋と美味い鶏肉をプレゼントだ」
「鶏肉は牛肉よりも筋肉を作るのにいいらしいですから、妖夢さんにはうってつけかもしれませんね」
「そんなにむきむきになりたくない……」
三人がかりで妖夢をからかって、それによって妖夢が少しばかり涙を流す。
呆気に取られたように早苗はそれを見ていた。
「あの」
「なに?」
「いつも、冬になるとこういう事を?」
「まー、たまにはこんな事をしてもいいかな、って思ったからさ」
そう言いながら霊夢は鍋の中の肉を、自分の取り皿の上に乗せる。
そういっている霊夢の表情は、いつもどおり無表情だったけれど。
どこか、少しだけ嬉しそうに、そして楽しそうに見えた。
***
空は黒く染まり、うっすらと月の姿も雲に隠れて見える。
だがそれ以上に今宵の主役となっているのは、その月の光を弾いて輝き、降り積もる雪。
夜だというのに、意外と外は明るく見える。白い雪は漆黒の夜にも美しく映えるものだ。
今宵は大晦日であった。
年末、霊夢は大掃除を終わらせて、四人の少女を家、というか神社に呼んでいた。
年越しを人間達だけで過ごそうという、魔理沙のある考えがあったからである。
霊夢もそれに関して少し面白そうだと思い、知り合いの人間を片っ端から誘っていき、この四人が集まった。
五人の少女が炬燵に入りながら、卓を囲む。あまり普通では見られない光景だ。
「咲夜は、来れなかったのよね」
「あいつはワガママお嬢の世話が忙しいだろうからな」
言いながら、魔理沙は新しい肉を入れていく。
この日のためにわざわざたくさん里で買い込んできたらしい。
コンロという道具も香霖堂から借りてきて五人で鍋を囲んでいる。
少女らしくは無いのだが、彼女たちらしいといえば彼女たちらしい。
「葱と糸コンニャクもちゃんと食えよー」
「わ、わかってますよ」
「そういいつつ白菜を取っていない妖夢さんであった」
「白菜も重要だから、私が入れてあげますよ」
「あ、ああ、ちょっと、えっと」
早苗の無垢な優しさが、妖夢にとって可哀想な結果を生んだ。
一人だけ少し多く野菜を盛り付けられた取り皿を見て、妖夢は顔をしかめる。
野菜自体は嫌いではないが、あまり多いのは好きではなかったりする。
するとその取り皿に箸先が乗せられた。
「少し、食べてあげましょうか?」
「ほ、ホントですか?」
「こらこら霊夢、あんまり甘やかしてもいいこと無いぞ」
「そんなに勢いよくやったってねぇ」
いいながら、妖夢の取り皿から少しばかりの葱や白菜を自分の取り皿に移す。
そしてその小さな口の中に野菜を放り込んだ。
「ん」
「どうしました?」
「火が通ってて柔らかい……おいしい」
ほふほふと、口の中でそれらを冷ましながら顔を赤くして言う。
それを見ると魔理沙も、ごくりとのどを鳴らす。
「……今日、午前中はずっと研究してたから腹減ってるんだよ」
「食べれば良いじゃない、お肉もいい加減火は通ってるわよ」
「んじゃ、遠慮なく」
鍋の中から茹で上げられた鳥の腿肉を箸で掴みあげる。
湯気がもうもうと天井まで昇り、その熱を表現している。
「やっぱこう冷える時は鍋だよなぁ……」
「しっかり野菜も取りなさいよ」
「そりゃあ、まぁな」
言われてから自分の取り皿にも白菜などを盛る魔理沙。
女の子らしさを捨て、口を大きく開けてその野菜と肉を同時に口の中に放り込む。
「う熱っ!?」
「あーあー、冷まさないから」
口の中で肉を転がりまわし、すぐに取り皿の上に肉を戻す魔理沙。
呆れたように霊夢はその姿を見る。
すると魔理沙は、箸で掴んだまだ熱いままの肉を、霊夢の前に差し出す。
疑問符を浮かべ、それでも割と冷静に魔理沙の顔を霊夢が見る。
魔理沙は満面の笑みを浮かべていた。
「くれるの?」
「いやいや」
「じゃ、何」
「ふーふーしてくれ」
にひひ、と魔理沙が笑う。
はぁ、と一回諦めたようにため息をつく霊夢。
「自分でやりなさいよ、それぐらい」
「霊夢がやってくれたっていいじゃないか」
「何で人が食べるやつをわざわざ私が」
「ま、最後の奉仕活動だと思ってさ」
はいはい、と霊夢は半分適当な口調で言った。
そしてその熱された鶏肉に向かって優しく息を吹きかける。
その熱をゆっくり奪っていく、儚い吐息。
数度息を吹きかけると、霊夢は魔理沙に目配せをする。
それを合図として、魔理沙は軽く頷いた後に鶏肉を再び口の中に放り込んだ。
今度は特別な熱さは感じなかったようで、口の中で鶏肉をもごもごと動かしている。
「ん、ひひおうほは」
「口の中のもの整理してから喋りなさい、行儀悪いから」
「ほふ」
おう、と言ったつもりなのだろう。肯定の意を示す頷き。
頬をいっぱいに膨らませて魔理沙はしっかりと肉を食べている。
「……」
「あら、食が進んでませんね妖夢さん」
「あ、はい……」
対して、白菜葱とにらめっこをしているのは魂魄妖夢。
野菜は決して苦手ではない。苦手ではないのだが。
「……」
「目で食事する気?」
「いやそういうわけでは」
長い勝負である。
野菜VS妖夢一本勝負。戦いはまだまだ続く。
ように見えた。
「……早苗」
「はいはい」
「むぐっ!?」
霊夢が一言呟くと、言われるままにして早苗が箸で妖夢の取り皿の野菜を掴む。
そしてすぐさまに妖夢の僅かに開いた口の中へと放り込む!
突然の事に戸惑う妖夢だが、口に入れられた以上はそれを噛むように脊髄が動いた。
「は~い、少しだけ我慢してね」
「むぐぅー!?」
まるで歯医者のように、笑顔ではあるが鬼畜。
葱の辛さが妖夢の子供舌に刺激を与えるが、しかし早苗はその箸の手を緩めようとしない。
可愛い顔をして意外と鬼畜。
ここにいる人間にとってはなかなか面白い発見であった。
「しっかりと間で、飲み込まないと無くなりませんよ?」
「む、むぐ、むぐぅ……ぐ?」
うっすらと目じりに涙を浮かべながらも、ゆっくり顎を動かして口の中の物を噛んでいく。
ゆっくりと砕かれる野菜と、口の中に広がっていく味。
けれども――その広がっていく味は、けして嫌な物ではなかった。
「ほら、しっかり食べるとそんなに美味しく無くはないでしょう?」
「……」
口の中で噛みながら、こくこくと頷く妖夢。
それを早苗は温かい笑みで見守る。
ごくん、と妖夢が喉に大きな音を立てると、早苗は満足げに頷いた。
「ね?食べられるじゃないですか」
「……はい」
「野菜の苦味と言うのは、他の物と食べる事によって和らげられます。いえ、むしろそうする事で野菜が引き立たせる役となってメインとなる食材をより美味しい味で頂けるんです」
「そ、そうなんですか?」
「ええ、そうですよ」
「待った緑巫女。つっても妖夢の口に突っ込んだのは白菜と葱だろ?どこにメインの食材があるっていうんだよ」
そこまで妖夢に説明すると魔理沙が横から口を挟む。
すると早苗はにっこりと微笑みを浮かべて、こう答えた。
「しっかりとお湯で茹で上げた白菜は、甘みがあってまるでお肉のようなんですよ。水炊きにとって白菜は立派なメインの食材です。そして、葱の辛味がその甘さをより引き立てておいしくしていくんですね」
「はー、なるほどねぇ」
「確かにお鍋の白菜は美味しいですよねぇ、私は白滝の方が好きですが」
隣では、そんな事を言いながら白滝と白菜を頬張る阿求がいた。
「……阿求」
「なんです、霊夢」
「あんたって、もしかして肉嫌いだったりする?」
「いいえ、大好物ですが」
口に物を含みながらも、淀むことなく満面の笑みで答える阿求。
単純に好き嫌いが無いだけのことなのだが、この年齢でそういうのも珍しい。
御阿礼の魂を持つ阿求だからこそだろう。
「それにしても……」
「はい?」
その中で、妖夢がふと声を上げる。
その声に、早苗が答える。
妖夢は、とても軽い気持ちで口を開いて早苗に聞いた。
「『めいん』って何なんですか?」
「今度それに関して少し勉強しましょうか」
些細な疑問は阿求先生の授業へと持ち越された。
***
「ふあ……」
欠伸の音が一つ、社の中に響いた。
欠伸の主は、はっと気づくと慌てて手で口元を押さえる。
そして少し恥ずかしそうに、俯いてしまった。
「す、すいません」
「別にいいわよ、眠いでしょ?」
優しく微笑んで、欠伸の主、妖夢に言ってやる霊夢。
かく言う自分も、少しまぶたが落ちてきている。
横を見ると、早苗も随分と眠たそうにしていた。
それもその筈、もう年が変わる二時間前、すなわち真夜中だ。
「もうそろそろ年明けか……」
「今年もあっという間に流れましたねぇ、その代わり収穫は多かったですが」
対してあまり眠くなさそうなのが、阿求と魔理沙の二人だった。
この二人、放っておけばそのまま三日間は置き続けていそうな勢いですらある。
魔理沙は炬燵に下半身を突っ込みながら、仰向けに寝転んで大きく欠伸をした。
霊夢は、何だ魔理沙も意外と眠いんじゃないか、などと少しだけ微笑ましく思う。
「なぁ霊夢、そろそろ腹が減ったな」
「……鍋を食らい尽くしておいて言う台詞じゃないわね」
前言撤回、やはりこいつは現行欲望の塊だ。
「いや、こういう時間帯に食うんだろ、年越し蕎麦って」
「確かにそうだけどね」
「霊夢ー、作ってー」
両手をばたばたさせて幼い子供のようにねだる魔理沙。
その近くには大人しそうにただただ外を眺めている阿求。
どちらが年上だかもよくわからない。
「正直、面倒だから嫌」
「き、きさまそれでも幻想郷民か。年越し蕎麦が無いなんておまえ非国民だぞ!」
「はいはい」
軽くあしらう。こんなときにわざわざ魔理沙にしっかりとかまう必要性は無い。
長い事付き合ってるとそれぐらいよくわかる。
すると、霊夢の横に座っていた早苗が立ち上がって言う。
「あの、私が作りましょうか?」
「おお、ほんとか新巫女!」
「……私が古いみたいな言い方やめてくれる?」
「こいつは失敬」
手をひらひらさせて、謝る気も余りなさそうに魔理沙は言う。
今の魔理沙には、年越し蕎麦が一番気にかかっているのだ。
霊夢は、少しだけ申し訳なさそうに早苗に目配せをした。
「お蕎麦は、ありますか?」
「年越し用に食べようと思ってたのは、一応霖之助さんから貰ってきてるからね。台所の洗い場の横に」
「はい、それじゃ使って構いませんか?」
「いいわよ、でも向こうは少しくらいから気をつけてね」
「はーい」
言いながら、少し軽やかな身なりで台所へと歩を進める早苗。
初めて会った時はもう少し堅苦しい印象があったのだけれど、付き合ってみるとなかなか普通の女の子だ。
今年も、それなりにいろいろ付き合いは多くできた。
少し顔を綻ばせる。
やっぱり、こうやって誰かと過ごすのはとっても嬉しい事だから。
霊夢は炬燵から足を抜いて、立ち上がる。
「ん、どうした?」
「このままじゃ眠くて年が越せなさそうだから、祝いに一杯やろうかなって」
「お、いいな」
「身体も暖まりますしね」
などと、起きてられそうな二人は喜びの声を上げる。
しかし一人だけ、一切の反応を示さない。
「妖夢?」
「……あ、は、っはい!?」
反応しなかった一人に声をかけると、数秒後に、ようやく反応が返ってきた。
見ると口元からはよだれが垂れていて、どこか目の焦点も合っていないようだ。
その姿を見て、くすっと笑う霊夢。
いったい何が起きたのかもわからずに、ただ霊夢のほうを妖夢は見つめていた。
「そんなに、無理しなくても大丈夫よ?」
「む、無理なんてしてません!」
「口元のよだれを拭いてから言いなさい、そういう事は」
「え?」
妖夢はそう言われると、ふと口元の違和感に気づく。
周りでにやつきながら笑っている二人の少女。
脳の回転がようやく数秒後に開始する。
そして慌てて二の腕で自分の口元を隠す。
「え……えぇと……」
「……ふふっ」
「み、見なかったことには……してもらえませんか?」
「やだ」
「ふぇえぇーーーっ!?」
満面の笑みを浮かべる霊夢に一瞬で駆け寄り、泣きつく妖夢。
霊夢の笑顔は、まるで天使のようだった。
「こ、こんな情けない事が幽々子様にもし知れたらーっ!?」
「大丈夫だよ、妖夢」
「ま、魔理沙……」
「私たちが最大限にからかいまくった後に幽々子に知らせに行くからよ」
「この外道めーっ!?」
喉の奥から絞り出すような声で叫ぶ妖夢。
その瞳はうっすらと滲んでいた。
「ほらほら、霊夢も魔理沙さんも年下の子をそんなに苛めちゃいけませんよ」
「あきゅうさぁ~ん……」
「ほらほら、妖夢さんこちらにいらっしゃい」
まるで子犬のように阿求のほうに駆け寄って、その胸に飛び込む妖夢。
阿求は子供をなだめるようにしてそのまま妖夢の頭を抱きかかえてやった。
母親のように、優しくその頭をなでる。
阿求は二人を見回して、笑顔で言う。
「全く、駄目じゃないですか二人とも。こんなに泣かせちゃって」
「そうは言ってもねぇ」
「苛めたくなる気持ちはよくわかりますが、だからといって集中攻撃したらかわいそうですよ」
「あ、あの、阿求さん?」
「私は何も言ってません」
顔を上げて阿求の顔を覗き込む妖夢に対しても、変わらぬ笑顔を浮かべてそう言う。
やれやれ、と言った表情を浮かべて霊夢が阿求の方を見る。
「過保護ねぇ」
「人の事言えますか、全く」
「私は少し甘いだけよ」
「口ではなんとでも言えますけどね」
まるで猫を撫でるように、妖夢の髪の一本一本を、手ぐしで撫でていく。
何も言わないところを見ると、先ほどに比べて随分落ち着いたようだ。
「妖夢さん。ほら、みんなもう苛めませんから顔を上げてください」
「……」
「妖夢さん?」
声をかけるが、反応は無い。
もしやそれほどまでに嫌だったのだろうか、これが反抗の意なのかもしれない。
そう思って少し不安になったが、撫でた頭の感触で阿求は悟る。
と、台所のほうから早苗が走ってきた。
「お蕎麦、もう少しで出来上がるから待っててくださいね」
「おー、年明けまでかからないならいつでも待つぜ」
「早苗さん」
「はい?」
阿求が、顔を上げて早苗の方を見る。
そしてから、妖夢の頭を優しく撫でた後にこう言った。
「お蕎麦、四人分でいいですよ」
柔らかな寝息が、社の中に響いた。
早苗はそれを聞いて、はい、と明るく答えた。
***
「ん」
蕎麦をすする音が響く社の中にも、外から響く音が聞こえてくる。
除夜の鐘。
108の煩悩が天に召されるように、一発、また一発と。
「今年ももう、終わりか」
蕎麦を勢いよくすすりながら魔理沙がポツリと呟く。
彼女らしくも無い寂しげな声。
「魔理沙も、こう言った寂しさは感じるのね」
「私も人の子だぞ」
「魔理沙さんはてっきり白菜から生まれたのかと思ってましたよ」
「私はキノコ栽培中に突然変異で生まれたのかと」
「おまえらなぁ……」
阿求の冗談に、早苗も乗る形で魔理沙をからかう。
霊夢はそんな三人の様子を見て微笑ましく笑う。
「んー」
「ん?」
ふと気づくと、早苗が霊夢の方を見て何か考えているようだった。
余り見られていい気ではないので、早苗に対して霊夢が聞く。
「どうしたの?私の顔に何かついてる?」
「あ、いやそういうわけではなくてですね」
「じゃーどういうわけよ」
多少ケンカ腰になりながら、早苗に突っかかる。
少々早苗も引いているが、少し困ったような笑顔を浮かべると霊夢に向かって言う。
「なんだか、初めに出会った時と印象が違うな、って思いまして」
「印象?誰の?」
「霊夢さんの」
「は?」
言われて、呆気に取られたような表情を浮かべる。
呆然としたような顔を見せていると、早苗がくすっと笑い始める。
「な、何がおかしいのよ」
「いや、ホントに、そういうところは普段どおりなのに見えるのに、なんだか優しい気がして」
「や、優しい?」
「あー、まぁ、それはありますねぇ」
早苗の言う事に対して、阿求が笑みを浮かべて相槌を打つ。
阿求は相も変わらず満面の胡散臭い笑みで、霊夢の心を見極めるようにして言う。
「霊夢は、異変の時とそれ以外だと全然応対が違いますからねぇ」
「そりゃそうでしょ、異変の時なんだからぴりぴりしてるわよ、私だって」
「ましてや、早苗さんが始めて霊夢と会ったのはそういう異変の真っ最中、しかも霊夢にとっては敵ですからね。印象も違って当たり前ですよ」
「そんなもんですか」
「霊夢ならそんなもんです」
言いながら、枡に注がれた日本酒をあおる阿求。
この阿求以外と酒豪である。
そして、早苗のほうに有る並々注がれた日本酒を見てから言う。
「早苗さん、飲まないんですか?」
「え?あぁ、その」
「この子、下戸だから。飲めないのよ」
霊夢が代わりに言ってあげる。
そうなんです、と申し訳なさそうな笑みを阿求に対して見せた。
しかしそれを聞くとははぁん、と言った何かを企むような不気味な笑顔を阿求は浮かべる。
「駄目ですよぉ、お酒ぐらい飲めるようにならないとぉ」
「え、えぇ」
「ほらほら、今から練習しましょう練習」
「あーきゅう」
霊夢が少し怒った表情を見せて、阿求に強く言う。
ぶぅ、と本当に幼い子供のように頬を一杯に膨らませて阿求は霊夢をにらむ。
「いいじゃないですか、これからお酒ぐらい飲めないと宴会やってられませんよ?」
「言う事は確かにその通りなんだけどねぇ。無理に飲ませても楽しくないでしょ」
「むぅ、折角面白くなりそうだったのに」
「お、面白くって」
「こういう性格なのよ、この子は」
諦めたような表情で呟く。
外では、未だに除夜の鐘の音が鳴り響く。
「私から見たら、霊夢はやっぱり変わりましたよ」
「……そう」
「ええ」
何の裏も無い、はっきりと浮かべた笑顔。
昔から、余り好きじゃなかった。
心まで見透かされるみたいで、何もかもを見られているようで。
それでも、仲の良い友人。
「でも、霊夢は霊夢です。私達の友達です」
「……ったく」
「どうしました?」
その理由も何も無いけれど、異様なまでに説得力のある言葉。
ホントに不思議なやつだと、未だに思う。
中身は千年も前の人間なのだから、当たり前と言っては当たり前なのだけど。
「やっぱ、苦手だわあんた」
「ありがとうございます」
霊夢が言うと、最後の除夜の鐘が鳴った。
雪の降る夜に、その音がより大きく響く。
霊夢は、ふぅと息を吐いてから全員を見回して言う。
「新年、明けましておめでとうございます」
「あけましておめっとさん、なんだぜ」
「あけましておめでとうございます。今年もどうかよろしく」
「はい、おめでとうございます」
霊夢に反応するようにして起きている三人が返答の挨拶を返す。
霊夢は返答をしない一人の寝ている妖夢を見て、優しく微笑んだ後に軽く毛布を乗せてあげた。
その姿を見て魔理沙がにひひ、と笑う。
「全く、一人を除いて挨拶済ませちまったじゃねーか」
「妖夢は、朝になってからね……」
「こんな気持ちのいい顔してるのに、起こすわけにも行きませんよねぇ」
そんな事を全員で話す。
外は、相変わらず雪が降り続けている。
「とりあえず、今日は泊まっていく?」
「もとより私はそのつもりだぜ」
「そうですね……帰れないのを連絡できないのは少々辛いですが」
「多分、八坂様も洩矢様もお休みでしょうしねぇ……」
三人、思い思いの事を言いながら社に泊まる事を決める。
霊夢は炬燵で寝ている妖夢に気をつけながら炬燵をどかしていった。
「布団、向こうの押入れに入ってるから自分で用意してねー」
「っていうかそんなに何人分もあるのか?」
「一応昔は使ってた事もあったからねぇ」
そんな、年明けを迎えた初めての夜。
少女達は新年を迎える。
人間だけで迎える新たな年の初め。
霊夢は、布団を敷きながら思う。
今年もまた、いい年でありますように、と。
気づけば人外だらけの霊夢の周囲にあくまで人間だけを配置した拘りが、この時期らしくとてもいい味を出しています
霊夢かわいいよ!
ま、一瞬おれも思ったからおれもヤベー