※これは『東方放浪記 ~大罪人・鴉間与一~』の続きです。
※始まりは作品集46の『東方放浪記 ~序章~』からです。
私が幻想郷に来てから早三ヶ月。
日光が大地を焼き、気温が上がり、冷たい飲み物が欲しくなる季節が来た。
つまりは夏だ。
暑苦しい夏である。
そんな太陽が無差別に紫外線を撒き散らせている中で、私は机と向き合い読書をしていた。
三ヶ月前、私が幻想郷入りしたてのときに魔理沙が持ってきてくれた本の続編である。
あれから、魔理沙の家にある弾幕関係の本という本を読み漁り(読めないものもいくつかあったが、それは除外)基礎を作っていった。
基礎がしっかりとしていればその上に建つものも頑丈になるように、基礎を詰め込み終えた私は三ヶ月で並みの妖怪レベルにまで達した。
ハラリ、と頁をめくる。
外からは何も聞こえない。
無音の世界だ。
だからこそ、こんな広辞苑サイズの本を集中して読めるのだが。
と、その時、背中に何かが圧し掛かる感覚が襲ってきた。
驚いて声が出そうになったが、すんでのところで止まる。
振り返ってみると、そこには不機嫌そうな萃香の顔があった。
……って言うか顔近い。
そのまま、萃香は何かしゃべるように口を動かすが、何も聞こえない。
ああ、そういえば……
私は手で耳に少し触れる。
すると、今まで聞こえていなかった音がすべて聞こえ始めた。
「聞いてる?」
萃香の一言目はそれだった。
いきなり聞いてるかと言われても……。
「すみません。全然聞こえてませんでした」
「何で無視するのかって」
「ああ、それですか。別に意図的に無視していたわけではありませんよ。ちょっと聴神経を切ってたので」
「何でそんなことしてるの?」
「なんでって……じゃあ逆に聞き返しますけどね、あなたはこの雑音が聞こえないんですか?この――セミの鳴き声が!」
語りながら部屋の障子の前まで移動して一気に障子を開いた。
まるで封印を解き放ったかのようなセミの鳴き声が部屋いっぱいに響き渡る。
幻想郷のセミはたくましく、外の世界のそれとは比べ物にならなかった。
「いつのも事だよぉ。それに前はもっとるさかったし」
「これ以上うるさくなったら私の鼓膜が異常反応を起こしちゃいます」
「でもセミの鳴き声って風流だって言わない?」
「一種類ならまだ風流の範囲で済まされますけど、こう何種類も集まられると風流を通り越してただの雑音です!」
「与一は我が儘だなぁ」
「我が儘で結構です。さぁ、私の脳が狂わないうちにもう一回聴覚を切るんで、用件なら夜に聞きます」
そのまま、元の位置に戻って読書を再開する。
「えぇ~。今飲みたいのに」
「飲むって……また昼間っから酒ですか?夜まで我慢できないんですか?って言うかあなた、夜も飲むでしょ」
「昼は昼で飲むし、夜は夜で飲むのだぁ」
「あなたの肝臓を見てみたいです」
正常な機能を果たしていないのは火を見るよりも明らかである。
いや、それすらも通り越してむしろ活性化されているかもしれない。
「それに、酒なら霊夢か、さっき来てた魔理沙と一緒に飲めばいいじゃないですか」
「霊夢と魔理沙ならさっき弾幕ごっこしに出かけたよ」
「じゃあ一人で飲みなさい」
「一人で飲むのも飽きたんだよ~。お願いだから付き合ってよ~」
またしても背中にへばり付いてきた。
正直、鬱陶しい。
そこで、私は一つ提案してみた。
「……萃香、あのセミたちを何とかしてくれたら考えなくも無いですが」
「えっ、本当?じゃあ何とかする」
萃香は立ち上がって、むき出しの通路に出た。
「セミたちよ!散れ!」
そう叫ぶと、一気にセミの鳴き声がしなくなった。
忘れていた、萃香は密と疎を操れるんだ。
だからこんなことお手の物で、断る理由としては不十分だった。
ならば次の手を打つまで――
「ご苦労様です。萃香」
「えへへ~。これで飲むのに付き合ってくれるよね」
「嫌です」
「へっ?」
「嫌だ、と言ったんです」
「で、でもさっき、セミを何とかすれば考えてくれるって――」
「一応は考えましたが、やはり却下です。昼間っから酒を飲む気分でもないですし」
「だ、騙された!」
「騙されるほうが悪い。ささっ、どうぞ夜お訪ねください」
「うっ……うううううぅ!与一の馬鹿!こうしてやる!」
萃香はまた通路に出るとこう叫んだ。
「集え!セミたちよ!」
すると、さっきの倍はあるだろう音量の大合唱が聞こえ始めた。
私はとっさに耳を塞ぐ。
耳を塞いでも、頭の中にセミの鳴き声が響いてくる。
少しでもこの手を動かせば鼓膜が破壊されるだろう。
「分かりました!分かりましたから早くセミをどかせてください!」
「……本当?」
「本当です!私の頭が盛大にクラッシュする前に早くそのノイズをストップさせてださい!」
自分でも後半が狂っているのが分かった。
精神崩壊って言うか、自我崩壊?
「やった。じゃあ早速――セミたちよ!散れ!」
先ほどと同じせりふを繰り返すと、瞬く間にセミの鳴き声は無くなっていった。
「ふぅ……」
ゆっくりと耳から手を離してみる。
聞こえてくるのはかすかに流れる風の音だけ。
先ほどのあのうるささがまるで夢のようだった。
「さあ、約束通り一緒に飲んでくれるよね」
「分かりましたよ……」
しぶしぶ立ち上がると、日常用品の山からグラスを二つ抜き出す。
この日常用品の山は、紫が私の元の部屋からスキマを使って出してくれたもの。
乱雑に出されたが、部屋の隅で一まとめになったので特に気にしてはいなかった。
「ほい」
「ん」
グラスを差し出すと、萃香は自分の腰につけた瓢箪の栓を抜き、一つだけに酒を注いだ。
それを私に差し出す。
「あれ?あなたは飲まないんですか?」
「私はこうやって飲むの」
萃香は瓢箪に口をつけたかと思うと、一気に傾けてそのまま飲んでいった。
「…………」
その豪快っぷりに、私は唖然とした。
まるで大酒飲みか、鬼のような飲みようだ
というより萃香は鬼だ。
性格とか、そんなんじゃなくて本当に鬼なのである。
鬼――昔は妖怪の山を統治していたらしいが、数も減り、今では萃香だけになっている。
これは先日、紫から聞きだした情報。
偶然か、紫も『鬼神って知ってる?』と聞いてきたので、そのときに仕入れた。
鬼神についても問いただしてみたが、のらりくらりと話を変えさせられて、結局有耶無耶のままだった。
「んぐっ、んぐっ、ぷはぁ!やっぱりこの飲み方が一番いいよ。与一もやってみる?」
そう言って、瓢箪をこちらに差し出してきた。
成り行きでそれを受け取る。
グラス要らなかったんじゃないか?とも思う。
「それ一気、一気♪」
はやし立てるように萃香は歌う。
ええい、こうなればやけくそだ。
どうせ瓢箪の半分くらいしか残ってないだろう。
そんな安易な想像で、私は瓢箪を口につける。
一瞬、躊躇ったが、勇気を振り絞って流し込む。
「んぐっ、んぐっ、んぐっ」
前にウイスキー原酒の一気飲みをしたことがある。
さすがにあれは喉から火が出たように熱かったが、これはそれを上回った。
まるで喉の中で核融合が起こっているかのごとく熱かった。
「あっ、そういえばさぁ」
何か気づいたように萃香は言った。
「これって間接キスだよね」
「ぶごっ!」
突然の萃香の発言に、私は盛大にむせた。
いきなり何を言い出すんだ、この幼女は!
「あはは、与一おもしろーい」
「げほっ!げほっ!い、いきなり何言うんですか!そういうことは飲み終わった後に言ってくださいよ!」
「で、どうだった?」
完全に無視された形で萃香は尋ねた。
「どうだったって……味はいいですけど、アルコール度高すぎですよ」
「頭がぼーっとしたり、今にも倒れそうって感じは無い?」
「えっ?ええ、無いですけど何か――」
「じゃあ決まり。与一、鬼ね」
宣言された。
いや、鬼ねって何の根拠があって――
「このお酒ね、鬼以外のものが飲むとぶっ倒れちゃうくらいのきつさなんだ。それなのに与一は普通に飲めた。だから与一は鬼」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。お酒に強い人だっているでしょう?」
「霊夢や魔理沙、紫にも飲ませたことがあるよ。だけどみんな例外なく倒れた。なのに、なんで与一は倒れないの?」
「それは……」
「いくらお酒に強い人間でも、これは耐えられないはずなんだよ。だけど、与一は飲めた。これは決定的な証拠になるんだよ」
「……もし、百歩譲って私が鬼だったとします。しかし、それが何か問題でも?」
私は静かに問いただす。
しかし、萃香は即座に答えを出した。
「問題だよ。大問題。この幻想郷に鴉間与一という鬼がいるってことが災いを招く」
「もしかして、鬼神ですか?」
「――っ!!」
萃香は驚いたように眼を見張る。
それもそうだろう、たった三ヶ月前に来た人間がタブーになっているその単語を知っているのだから。
鬼神によって、鬼の地位は下げられ、鴉に地位を奪われた――紫から鬼神のことについて聞き出せた二つのうちの一つだ
もしかすると萃香はそのことを言っているんじゃないだろうか。
「知ってるんだ。じゃあ自分がどんなものかも知って、どんなことをやったかも知ってるよね」
萃香は呟くような小さな声で言い、そのまま私に近づき胸倉を掴んできた。
「萃香、なにを――」
何をするんだ、といい終わる前に、私は壁に勢いよく投げつけられた。
一瞬、息が止まる。
私は重力に従い、壁に沿ってずるりと落ちる。
「すい……か?」
「なぁんだ。ほんとに知らなそうだね」
萃香は心底呆れた顔で言った。
しかし、その眼は殺気に満ち溢れていた。
「教えてあげる。とぼけてる与一のためにね」
萃香はゆっくりと説明し始めた。
「鬼神はある日、狂ってしまったの。己が欲望と力を満たすために」
紫から聞いた二つのうちの、もう一つ――暴走した鬼神は能力者を次々と殺していった。
「狂った鬼神は能力者を殺していった。ねぇ、与一ならまずどこを狙う?」
「…………」
私は答えることができなかった。
状況に思考が付いて行けてないこともあるが、それを答えてしまえば自分の化けの皮が剥がれる気もしたからだ。
しかし、私の思考はその答えを出してしまっていた。
「もちろん手近なところだよね。鬼神もそうしたんだから」
手近なところ――つまりは鬼の集落。
「鬼神によって半分――いや、それ以上の鬼が殺されていった。老若男女関係なく、立ち向かうものはその場で殺し、逃げ惑うものは追ってでも殺した。私の父さんと母さんも例外じゃなかったよ」
「…………」
「父さんと母さんは隠れてろって言って、私を押入れの中に隠してくれたんだよ。そして、そこから私は見たんだ。父さんと母さんが殺されていくさまを」
語りながら近づいてきて、萃香は私の首に手を添える。
「す、萃香!おちつけ!仮に!仮に私が鬼だったとしても、鬼神と何の関係がある!」
「鬼神の名前、聞きたい?」
そのときの萃香の声はひどく凍えていた。
「鴉間与一だよ」
そう言って、首に添えた手に一気に力が込められる。
「が……あ…が………」
「私の父さんと母さんもね、こうやって首を絞められて殺されたんだ。されてる本人はもちろんだけど、私も苦しかったよ。だって見てることしかできなかったんだから。でも今回は違う。娘である私が、あなたを、同じやり方で、殺してあげる」
呼吸なんてできない。
意識が朦朧としてくる。
気管だけではなく、血管まで圧迫されているようだ。
こんな細い腕のどこにそんな力があるのだろうか。
私は最後の力を振り絞って腕を退けるように試みる。
だが、萃香は笑っていた。
あの無垢な顔を歪に曲げて、笑っていた。
「あははっ!信じられないなぁ。そんな弱い力に私の父さんと母さんが負けたなんて」
「す……い………か…」
「その口で私の名前を呼ぶな」
顔からは笑いが消え、まるで下等生物を虐げるような目つきへと変わった。
「もうちょっと、与一が苦しむさまを見るものいいかなって思ってたけど。もういいや。死んで」
さらに力が加わる。
何も見えなくなっていく。
何も聞こえなくなっていく。
何も感じなくなっていく。
脳からはさらに血液がなくなり、何も考えられなくなって、唯一分かるのは死ぬってことだけで――
「夢想封印!」
不意に、そんな声が聞こえた気がした。
その瞬間、首への圧迫感はなくなり、詰まっていた血液が一気に流れ込むのを感じた。
「与一さん!生きてる!?」
「れい……む?」
「おい、与一!大丈夫か!?」
「まり……さ」
血液が入ってきて、脳が働き始めたとき、最初に見たのは戦闘体制に入った二人の姿だった。
そうだ、萃香は――!
萃香は二人とは向かい合うようにある壁に叩きつけられていた。
「萃香!どういうこと!?なんであなたが与一さん殺そうとしてるのよ!」
「邪魔を――するなぁ!!」
萃香は二人に向かって特攻していった。
しかし――
「萃香、お前が悪いんだぜ!少しは反省しやがれ!」
そう言って魔理沙は八角形の箱のようなものを前に掲げた。
「マスタースパーク!!」
一瞬、線が見えたかと思うと、一気に太いレーザーへと変わって萃香を吹き飛ばしていく。
そこで私の意識は途切れた。
人間にはレム睡眠とノンレム睡眠があるというのはご存知だろうか。
これは寝ている間、交互に繰り返される眠りの深さのようなものである。
レム睡眠が覚醒時に近い状態、ノンレム睡眠が睡眠時に近い状態だとすると、明らかにレム睡眠時の方が目覚めがいい。
ならば気絶したときにもこれが適応されるのだろうか?
答えは分からない。
なんせそんものを調べるために、わざわざ気絶するような輩は存在しなかったからだ。
しかし、答えがどうであれ私の目覚めは異常に悪かった。
とりあえず、上体を起こして、状況を確認してみる。
うん、どうやら布団に寝かされていたようだ。
って、そんなことじゃなくて――
「おはようさん」
真っ先に魔理沙の声がした。
「もうこんにちはですよ、魔理――げほっ!げほっ!」
すべてを言い終わる前に、喉の限界が来てしまった。
はっきり言って、息をするのも辛い状況だ。
これではもうお得意の皮肉の一つも言えない。
「おいおい、病人が無理するもんじゃないぜ。ほれ、水だ」
そう言って、液体が注がれたグラスを差し出してきた。
それを受け取り、何の疑いもなしに飲む。が――
「――っ!げほっ!げほっ!」
私は喉を押さえたまま蹲った。
これは水なんかじゃない。
これはあの時の――
「魔理沙……」
「大丈夫か?声がすごく掠れてるぜ」
「これは…水じゃ…ありません……酒です」
「へっ?」
まさに鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていた。
「あー、悪い。ほんとのこと言うと、そこにあったのそのまま出しちまったんだ。失敗は誰でもあるさ。許せ」
「平然と許せなんて言わないでください」
「うおっ!声が元通りになってる!」
「喉そのものを作り直したんです。直って当然です」
「はー、これが与一の能力か……。始めてみたけど、すごいな」
「こういうことと、変装くらいにしか使えませんけどね。そういえば、萃香はどうなったんですか?」
「ん?ああ、萃香な」
魔理沙は少し歯切れの悪そうに言った。
「あの後な、萃香が与一を殺しかけたことで錯乱しちまって大変だったんだよ」
「殺しかけたことで錯乱、っていったいどういう――」
「萃香もな、心のどっかで与一を疑ってても、奥底では否定し続けていたらしいんだ。なのに、なんであんなことしちゃったのか、ってな。で、今は落ち着いて、霊夢に説教され中」
「ですか」
「惜しいわね」
ガラリ、と襖が開けられると霊夢が入ってきた。
「たった今終わったところよ」
「おっ、ごくろーさん。萃香はどうだった?」
「本人に聞きなさい」
そういいながら、魔理沙とは向かいの位置に座る。
「本人たって、今いないんじゃあ霊夢に聞くしか――」
「萃香、いつまで隠れてるの。出てきなさい」
霊夢がそういうと、襖の端から申し訳なさそうに萃香が出てきた。
「萃香……」
「ごめんなさい!」
萃香は大声で叫んだ。
「分かってたのに!与一が鬼神なんかじゃないって、分かってたのに!どこかで与一を疑っちゃって、それで試すようなまねして。分かったとたん襲い掛かっちゃって……馬鹿だよ、私。殺しかけておいて、今更許してもらおうだなんて、虫が良すぎるよね……」
最初は大きかった声も次第に小さくなっていき、最後にはほとんど聞き取れなくなっていた。
「でも、与一が許してくれるまで私は謝るよ。与一が許してくるまで私は何されたっていい。殴りたいときには殴ればいいし、蹴りたいときには蹴ればいい。今すぐになんてことは言わないけど、いつかはちゃんと許して欲しい」
「萃香、こっちに」
私は萃香を手の届く位置にまで来させると、そこに座らせた。
顔に手を伸ばすと、萃香はぎゅっと目を閉じた。
おそらく殴られると思ったのだろう。
だが、そんなことはせずに、私は萃香の頭を軽く撫でてやった。
「えっ……」
「私はあなたを許します。だからあなたは殴られることもないし、蹴られることもない。怯えることなんて、一つもない」
「でも、いいの?……殺しかけたんだよ」
「そんなことを言ったら、私はどれだけの人に謝らなければならないんですか。どれだけの十字架を背負って生きなければいけないんですか。私にはあなたを許すどころか、その権利すらないと思っています。私の罪は、あなたの犯した罪よりもはるかに大きい。だから、あなたが謝ることなんてない」
「与一……」
「もし私があなたの立場だったとしても同じことをするでしょう。大切なものを奪われれば誰だって恨みを持ちます。自然の摂理と言っても過言じゃありませんよ。あなたも鬼神に両親を殺されて随分傷ついたでしょう。でも――」
そして、最後に一番言いたかった一言。
「私は、私がなんであろうと絶対に萃香は傷つけません」
「あ……うぅ……」
萃香は俯くと、ポロポロと涙を流した。
「泣きたいときには思いっきり泣けばいい。その分、笑いたいときに思いっきり笑うんです。そうしないと心が死んでしまう」
そのまま萃香は泣いた。
声も立てない、騒ぎも喚きもしない。
ただ涙を流すだけの、静かな号泣だった。
だから、私も黙ってもう一度萃香の頭を撫でてやった。
時同じくして、霊夢と魔理沙は縁側でお茶を啜っていた。
さすがに居座り続けるほど空気の読めないわけでもないし、それ以前に居にくかったことも事実である。
「萃香と与一も仲直りしたし、これで一件落着だな」
「一件わね。後もう一件残ってるわ」
「ん?なんだ、そのもう一件って。まさかマスタースパークしたときに開いた壁のことじゃないだろうな」
「それについては後で請求するけど」
「じゃあ何なんだよ」
「鬼神についてよ」
「ああ、そういやぁそれが残ってたな」
「与一さんが鬼だって分かってから相当疑わしくなってきてるのよね。名前も同じ、時期もピッタシ。おまけに鬼……偶然にしては出来過ぎてるのよね」
「そうなのよ、出来過ぎて困ってるのよ」
突然、紫が会話に入り込んできた。
「紫、あなたは玄関から入るってことが出来ないの?」
「あら、ご挨拶ね」
「で、なんで出来過ぎて困ってるってどういうことなんだ?」
紫の登場によって逸れた話題を、魔理沙が戻していった。
「魔理沙、例えば霊夢が自ら進んで「このお菓子食べてみて」って言ったらあなたはどう感じる?」
「毒じゃないかと疑うな」
「それと同じよ」
「ああ、なるほど。紫にしちゃあ分かりやすい説明だったぜ」
「失礼ね!私だってそういうことも――」
「あったのか?」
「……無かったけど、これからあるかもしれないじゃない」
「無いわね、絶対」
「無いな、絶対」
見事な二重奏だった。
「何よ!二人そろって!……で、紫はそんなことを言いに来たわけ?」
霊夢は明らかにぶっきらぼうな口調だった。
「まさか。今回は頼みごとに来たのよ」
「紫が頼みごとって……珍しいこともあるものね」
「本当は一人でことを済ませたかったんだけど、タイムリミットが迫ってるからどうしても人数が必要なのよ」
「ふ~ん、で何やるんだ?何か新しい結界でも作るのか?」
「刀を探して欲しいのよ」
「刀?それならもう見つけてるぜ。冥界にいる庭師が二本も持ってる」
「刀だったら何でもいいって話じゃないのよ。普通の刀なら人里に何本でも売ってるわ」
「謂れのある刀ってことね」
霊夢が単刀直入に言った。
「謂れのあるって、村正とかそんなのか?だったら香霖のところに結構あったぜ。本物かどうかは保障できないがな」
「謂れのある刀だったら何でもいいって話じゃないのよ。普通の謂れのある刀ならそこら辺に何本でも転がってるわ」
紫は少しアレンジを加えてきた。
「あなたたちに探して欲しいのは狂刀『赤染』(あかぞめ)と呼ばれる刀よ」
「名前からして危なそうな刀ね……」
「ええ、名前のとおりに危ない刀よ。この刀ね、普段はただの切れ味のいい刀なんだけど、使用者の血を啜らせることによって膨大な力を発揮するの」
「膨大な力ってどの位?」
「一滴啜れば家を崩し、二滴啜れば大地を割る。三滴啜れば自我を壊すと言われてるわ」
「「うわぁ……」」
「この力に何人もの者たちが溺れていったわ。そう数え切れないくらいね……」
そう言って、紫は懐かしむように遠くを見つめた。
「話は分かったわ。それで、報酬はいくら出るのかしら?まさかただ働きさせようっていう魂胆じゃないでしょうね」
「そんなことしないわよ、あなたじゃないんだから。――そうね、お賽銭箱山盛りくらいでどう?」
「やるわよ、魔理沙」
明らかにやる気満々だった。
「えっ、私もかよ」
「当然じゃない。考えても見なさい、お賽銭箱いっぱいのお金を。うはうはじゃない」
「うはうはなのは霊夢だけなんだが……」
「つべこべ言わずに手伝えや」
「期限は今年いっぱいだから。頼んだわね」
ひらひらと手を返して、紫は隙間の中へと消えていった。
「私たち親友よね。親友なら文句一つ言わずに手伝うのも当たり前よね」
「分かった。分かったからその笑いながら黒いオーラ出すのやめてくれ――しかし、なんで私たちなんだろうな。もっと専門職のやつらがいるだろうに」
「そんなの簡単よ」
霊夢はあっさりと言い切った。
「紫も与一さんを睨んでるってことよ」
※始まりは作品集46の『東方放浪記 ~序章~』からです。
私が幻想郷に来てから早三ヶ月。
日光が大地を焼き、気温が上がり、冷たい飲み物が欲しくなる季節が来た。
つまりは夏だ。
暑苦しい夏である。
そんな太陽が無差別に紫外線を撒き散らせている中で、私は机と向き合い読書をしていた。
三ヶ月前、私が幻想郷入りしたてのときに魔理沙が持ってきてくれた本の続編である。
あれから、魔理沙の家にある弾幕関係の本という本を読み漁り(読めないものもいくつかあったが、それは除外)基礎を作っていった。
基礎がしっかりとしていればその上に建つものも頑丈になるように、基礎を詰め込み終えた私は三ヶ月で並みの妖怪レベルにまで達した。
ハラリ、と頁をめくる。
外からは何も聞こえない。
無音の世界だ。
だからこそ、こんな広辞苑サイズの本を集中して読めるのだが。
と、その時、背中に何かが圧し掛かる感覚が襲ってきた。
驚いて声が出そうになったが、すんでのところで止まる。
振り返ってみると、そこには不機嫌そうな萃香の顔があった。
……って言うか顔近い。
そのまま、萃香は何かしゃべるように口を動かすが、何も聞こえない。
ああ、そういえば……
私は手で耳に少し触れる。
すると、今まで聞こえていなかった音がすべて聞こえ始めた。
「聞いてる?」
萃香の一言目はそれだった。
いきなり聞いてるかと言われても……。
「すみません。全然聞こえてませんでした」
「何で無視するのかって」
「ああ、それですか。別に意図的に無視していたわけではありませんよ。ちょっと聴神経を切ってたので」
「何でそんなことしてるの?」
「なんでって……じゃあ逆に聞き返しますけどね、あなたはこの雑音が聞こえないんですか?この――セミの鳴き声が!」
語りながら部屋の障子の前まで移動して一気に障子を開いた。
まるで封印を解き放ったかのようなセミの鳴き声が部屋いっぱいに響き渡る。
幻想郷のセミはたくましく、外の世界のそれとは比べ物にならなかった。
「いつのも事だよぉ。それに前はもっとるさかったし」
「これ以上うるさくなったら私の鼓膜が異常反応を起こしちゃいます」
「でもセミの鳴き声って風流だって言わない?」
「一種類ならまだ風流の範囲で済まされますけど、こう何種類も集まられると風流を通り越してただの雑音です!」
「与一は我が儘だなぁ」
「我が儘で結構です。さぁ、私の脳が狂わないうちにもう一回聴覚を切るんで、用件なら夜に聞きます」
そのまま、元の位置に戻って読書を再開する。
「えぇ~。今飲みたいのに」
「飲むって……また昼間っから酒ですか?夜まで我慢できないんですか?って言うかあなた、夜も飲むでしょ」
「昼は昼で飲むし、夜は夜で飲むのだぁ」
「あなたの肝臓を見てみたいです」
正常な機能を果たしていないのは火を見るよりも明らかである。
いや、それすらも通り越してむしろ活性化されているかもしれない。
「それに、酒なら霊夢か、さっき来てた魔理沙と一緒に飲めばいいじゃないですか」
「霊夢と魔理沙ならさっき弾幕ごっこしに出かけたよ」
「じゃあ一人で飲みなさい」
「一人で飲むのも飽きたんだよ~。お願いだから付き合ってよ~」
またしても背中にへばり付いてきた。
正直、鬱陶しい。
そこで、私は一つ提案してみた。
「……萃香、あのセミたちを何とかしてくれたら考えなくも無いですが」
「えっ、本当?じゃあ何とかする」
萃香は立ち上がって、むき出しの通路に出た。
「セミたちよ!散れ!」
そう叫ぶと、一気にセミの鳴き声がしなくなった。
忘れていた、萃香は密と疎を操れるんだ。
だからこんなことお手の物で、断る理由としては不十分だった。
ならば次の手を打つまで――
「ご苦労様です。萃香」
「えへへ~。これで飲むのに付き合ってくれるよね」
「嫌です」
「へっ?」
「嫌だ、と言ったんです」
「で、でもさっき、セミを何とかすれば考えてくれるって――」
「一応は考えましたが、やはり却下です。昼間っから酒を飲む気分でもないですし」
「だ、騙された!」
「騙されるほうが悪い。ささっ、どうぞ夜お訪ねください」
「うっ……うううううぅ!与一の馬鹿!こうしてやる!」
萃香はまた通路に出るとこう叫んだ。
「集え!セミたちよ!」
すると、さっきの倍はあるだろう音量の大合唱が聞こえ始めた。
私はとっさに耳を塞ぐ。
耳を塞いでも、頭の中にセミの鳴き声が響いてくる。
少しでもこの手を動かせば鼓膜が破壊されるだろう。
「分かりました!分かりましたから早くセミをどかせてください!」
「……本当?」
「本当です!私の頭が盛大にクラッシュする前に早くそのノイズをストップさせてださい!」
自分でも後半が狂っているのが分かった。
精神崩壊って言うか、自我崩壊?
「やった。じゃあ早速――セミたちよ!散れ!」
先ほどと同じせりふを繰り返すと、瞬く間にセミの鳴き声は無くなっていった。
「ふぅ……」
ゆっくりと耳から手を離してみる。
聞こえてくるのはかすかに流れる風の音だけ。
先ほどのあのうるささがまるで夢のようだった。
「さあ、約束通り一緒に飲んでくれるよね」
「分かりましたよ……」
しぶしぶ立ち上がると、日常用品の山からグラスを二つ抜き出す。
この日常用品の山は、紫が私の元の部屋からスキマを使って出してくれたもの。
乱雑に出されたが、部屋の隅で一まとめになったので特に気にしてはいなかった。
「ほい」
「ん」
グラスを差し出すと、萃香は自分の腰につけた瓢箪の栓を抜き、一つだけに酒を注いだ。
それを私に差し出す。
「あれ?あなたは飲まないんですか?」
「私はこうやって飲むの」
萃香は瓢箪に口をつけたかと思うと、一気に傾けてそのまま飲んでいった。
「…………」
その豪快っぷりに、私は唖然とした。
まるで大酒飲みか、鬼のような飲みようだ
というより萃香は鬼だ。
性格とか、そんなんじゃなくて本当に鬼なのである。
鬼――昔は妖怪の山を統治していたらしいが、数も減り、今では萃香だけになっている。
これは先日、紫から聞きだした情報。
偶然か、紫も『鬼神って知ってる?』と聞いてきたので、そのときに仕入れた。
鬼神についても問いただしてみたが、のらりくらりと話を変えさせられて、結局有耶無耶のままだった。
「んぐっ、んぐっ、ぷはぁ!やっぱりこの飲み方が一番いいよ。与一もやってみる?」
そう言って、瓢箪をこちらに差し出してきた。
成り行きでそれを受け取る。
グラス要らなかったんじゃないか?とも思う。
「それ一気、一気♪」
はやし立てるように萃香は歌う。
ええい、こうなればやけくそだ。
どうせ瓢箪の半分くらいしか残ってないだろう。
そんな安易な想像で、私は瓢箪を口につける。
一瞬、躊躇ったが、勇気を振り絞って流し込む。
「んぐっ、んぐっ、んぐっ」
前にウイスキー原酒の一気飲みをしたことがある。
さすがにあれは喉から火が出たように熱かったが、これはそれを上回った。
まるで喉の中で核融合が起こっているかのごとく熱かった。
「あっ、そういえばさぁ」
何か気づいたように萃香は言った。
「これって間接キスだよね」
「ぶごっ!」
突然の萃香の発言に、私は盛大にむせた。
いきなり何を言い出すんだ、この幼女は!
「あはは、与一おもしろーい」
「げほっ!げほっ!い、いきなり何言うんですか!そういうことは飲み終わった後に言ってくださいよ!」
「で、どうだった?」
完全に無視された形で萃香は尋ねた。
「どうだったって……味はいいですけど、アルコール度高すぎですよ」
「頭がぼーっとしたり、今にも倒れそうって感じは無い?」
「えっ?ええ、無いですけど何か――」
「じゃあ決まり。与一、鬼ね」
宣言された。
いや、鬼ねって何の根拠があって――
「このお酒ね、鬼以外のものが飲むとぶっ倒れちゃうくらいのきつさなんだ。それなのに与一は普通に飲めた。だから与一は鬼」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。お酒に強い人だっているでしょう?」
「霊夢や魔理沙、紫にも飲ませたことがあるよ。だけどみんな例外なく倒れた。なのに、なんで与一は倒れないの?」
「それは……」
「いくらお酒に強い人間でも、これは耐えられないはずなんだよ。だけど、与一は飲めた。これは決定的な証拠になるんだよ」
「……もし、百歩譲って私が鬼だったとします。しかし、それが何か問題でも?」
私は静かに問いただす。
しかし、萃香は即座に答えを出した。
「問題だよ。大問題。この幻想郷に鴉間与一という鬼がいるってことが災いを招く」
「もしかして、鬼神ですか?」
「――っ!!」
萃香は驚いたように眼を見張る。
それもそうだろう、たった三ヶ月前に来た人間がタブーになっているその単語を知っているのだから。
鬼神によって、鬼の地位は下げられ、鴉に地位を奪われた――紫から鬼神のことについて聞き出せた二つのうちの一つだ
もしかすると萃香はそのことを言っているんじゃないだろうか。
「知ってるんだ。じゃあ自分がどんなものかも知って、どんなことをやったかも知ってるよね」
萃香は呟くような小さな声で言い、そのまま私に近づき胸倉を掴んできた。
「萃香、なにを――」
何をするんだ、といい終わる前に、私は壁に勢いよく投げつけられた。
一瞬、息が止まる。
私は重力に従い、壁に沿ってずるりと落ちる。
「すい……か?」
「なぁんだ。ほんとに知らなそうだね」
萃香は心底呆れた顔で言った。
しかし、その眼は殺気に満ち溢れていた。
「教えてあげる。とぼけてる与一のためにね」
萃香はゆっくりと説明し始めた。
「鬼神はある日、狂ってしまったの。己が欲望と力を満たすために」
紫から聞いた二つのうちの、もう一つ――暴走した鬼神は能力者を次々と殺していった。
「狂った鬼神は能力者を殺していった。ねぇ、与一ならまずどこを狙う?」
「…………」
私は答えることができなかった。
状況に思考が付いて行けてないこともあるが、それを答えてしまえば自分の化けの皮が剥がれる気もしたからだ。
しかし、私の思考はその答えを出してしまっていた。
「もちろん手近なところだよね。鬼神もそうしたんだから」
手近なところ――つまりは鬼の集落。
「鬼神によって半分――いや、それ以上の鬼が殺されていった。老若男女関係なく、立ち向かうものはその場で殺し、逃げ惑うものは追ってでも殺した。私の父さんと母さんも例外じゃなかったよ」
「…………」
「父さんと母さんは隠れてろって言って、私を押入れの中に隠してくれたんだよ。そして、そこから私は見たんだ。父さんと母さんが殺されていくさまを」
語りながら近づいてきて、萃香は私の首に手を添える。
「す、萃香!おちつけ!仮に!仮に私が鬼だったとしても、鬼神と何の関係がある!」
「鬼神の名前、聞きたい?」
そのときの萃香の声はひどく凍えていた。
「鴉間与一だよ」
そう言って、首に添えた手に一気に力が込められる。
「が……あ…が………」
「私の父さんと母さんもね、こうやって首を絞められて殺されたんだ。されてる本人はもちろんだけど、私も苦しかったよ。だって見てることしかできなかったんだから。でも今回は違う。娘である私が、あなたを、同じやり方で、殺してあげる」
呼吸なんてできない。
意識が朦朧としてくる。
気管だけではなく、血管まで圧迫されているようだ。
こんな細い腕のどこにそんな力があるのだろうか。
私は最後の力を振り絞って腕を退けるように試みる。
だが、萃香は笑っていた。
あの無垢な顔を歪に曲げて、笑っていた。
「あははっ!信じられないなぁ。そんな弱い力に私の父さんと母さんが負けたなんて」
「す……い………か…」
「その口で私の名前を呼ぶな」
顔からは笑いが消え、まるで下等生物を虐げるような目つきへと変わった。
「もうちょっと、与一が苦しむさまを見るものいいかなって思ってたけど。もういいや。死んで」
さらに力が加わる。
何も見えなくなっていく。
何も聞こえなくなっていく。
何も感じなくなっていく。
脳からはさらに血液がなくなり、何も考えられなくなって、唯一分かるのは死ぬってことだけで――
「夢想封印!」
不意に、そんな声が聞こえた気がした。
その瞬間、首への圧迫感はなくなり、詰まっていた血液が一気に流れ込むのを感じた。
「与一さん!生きてる!?」
「れい……む?」
「おい、与一!大丈夫か!?」
「まり……さ」
血液が入ってきて、脳が働き始めたとき、最初に見たのは戦闘体制に入った二人の姿だった。
そうだ、萃香は――!
萃香は二人とは向かい合うようにある壁に叩きつけられていた。
「萃香!どういうこと!?なんであなたが与一さん殺そうとしてるのよ!」
「邪魔を――するなぁ!!」
萃香は二人に向かって特攻していった。
しかし――
「萃香、お前が悪いんだぜ!少しは反省しやがれ!」
そう言って魔理沙は八角形の箱のようなものを前に掲げた。
「マスタースパーク!!」
一瞬、線が見えたかと思うと、一気に太いレーザーへと変わって萃香を吹き飛ばしていく。
そこで私の意識は途切れた。
人間にはレム睡眠とノンレム睡眠があるというのはご存知だろうか。
これは寝ている間、交互に繰り返される眠りの深さのようなものである。
レム睡眠が覚醒時に近い状態、ノンレム睡眠が睡眠時に近い状態だとすると、明らかにレム睡眠時の方が目覚めがいい。
ならば気絶したときにもこれが適応されるのだろうか?
答えは分からない。
なんせそんものを調べるために、わざわざ気絶するような輩は存在しなかったからだ。
しかし、答えがどうであれ私の目覚めは異常に悪かった。
とりあえず、上体を起こして、状況を確認してみる。
うん、どうやら布団に寝かされていたようだ。
って、そんなことじゃなくて――
「おはようさん」
真っ先に魔理沙の声がした。
「もうこんにちはですよ、魔理――げほっ!げほっ!」
すべてを言い終わる前に、喉の限界が来てしまった。
はっきり言って、息をするのも辛い状況だ。
これではもうお得意の皮肉の一つも言えない。
「おいおい、病人が無理するもんじゃないぜ。ほれ、水だ」
そう言って、液体が注がれたグラスを差し出してきた。
それを受け取り、何の疑いもなしに飲む。が――
「――っ!げほっ!げほっ!」
私は喉を押さえたまま蹲った。
これは水なんかじゃない。
これはあの時の――
「魔理沙……」
「大丈夫か?声がすごく掠れてるぜ」
「これは…水じゃ…ありません……酒です」
「へっ?」
まさに鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていた。
「あー、悪い。ほんとのこと言うと、そこにあったのそのまま出しちまったんだ。失敗は誰でもあるさ。許せ」
「平然と許せなんて言わないでください」
「うおっ!声が元通りになってる!」
「喉そのものを作り直したんです。直って当然です」
「はー、これが与一の能力か……。始めてみたけど、すごいな」
「こういうことと、変装くらいにしか使えませんけどね。そういえば、萃香はどうなったんですか?」
「ん?ああ、萃香な」
魔理沙は少し歯切れの悪そうに言った。
「あの後な、萃香が与一を殺しかけたことで錯乱しちまって大変だったんだよ」
「殺しかけたことで錯乱、っていったいどういう――」
「萃香もな、心のどっかで与一を疑ってても、奥底では否定し続けていたらしいんだ。なのに、なんであんなことしちゃったのか、ってな。で、今は落ち着いて、霊夢に説教され中」
「ですか」
「惜しいわね」
ガラリ、と襖が開けられると霊夢が入ってきた。
「たった今終わったところよ」
「おっ、ごくろーさん。萃香はどうだった?」
「本人に聞きなさい」
そういいながら、魔理沙とは向かいの位置に座る。
「本人たって、今いないんじゃあ霊夢に聞くしか――」
「萃香、いつまで隠れてるの。出てきなさい」
霊夢がそういうと、襖の端から申し訳なさそうに萃香が出てきた。
「萃香……」
「ごめんなさい!」
萃香は大声で叫んだ。
「分かってたのに!与一が鬼神なんかじゃないって、分かってたのに!どこかで与一を疑っちゃって、それで試すようなまねして。分かったとたん襲い掛かっちゃって……馬鹿だよ、私。殺しかけておいて、今更許してもらおうだなんて、虫が良すぎるよね……」
最初は大きかった声も次第に小さくなっていき、最後にはほとんど聞き取れなくなっていた。
「でも、与一が許してくれるまで私は謝るよ。与一が許してくるまで私は何されたっていい。殴りたいときには殴ればいいし、蹴りたいときには蹴ればいい。今すぐになんてことは言わないけど、いつかはちゃんと許して欲しい」
「萃香、こっちに」
私は萃香を手の届く位置にまで来させると、そこに座らせた。
顔に手を伸ばすと、萃香はぎゅっと目を閉じた。
おそらく殴られると思ったのだろう。
だが、そんなことはせずに、私は萃香の頭を軽く撫でてやった。
「えっ……」
「私はあなたを許します。だからあなたは殴られることもないし、蹴られることもない。怯えることなんて、一つもない」
「でも、いいの?……殺しかけたんだよ」
「そんなことを言ったら、私はどれだけの人に謝らなければならないんですか。どれだけの十字架を背負って生きなければいけないんですか。私にはあなたを許すどころか、その権利すらないと思っています。私の罪は、あなたの犯した罪よりもはるかに大きい。だから、あなたが謝ることなんてない」
「与一……」
「もし私があなたの立場だったとしても同じことをするでしょう。大切なものを奪われれば誰だって恨みを持ちます。自然の摂理と言っても過言じゃありませんよ。あなたも鬼神に両親を殺されて随分傷ついたでしょう。でも――」
そして、最後に一番言いたかった一言。
「私は、私がなんであろうと絶対に萃香は傷つけません」
「あ……うぅ……」
萃香は俯くと、ポロポロと涙を流した。
「泣きたいときには思いっきり泣けばいい。その分、笑いたいときに思いっきり笑うんです。そうしないと心が死んでしまう」
そのまま萃香は泣いた。
声も立てない、騒ぎも喚きもしない。
ただ涙を流すだけの、静かな号泣だった。
だから、私も黙ってもう一度萃香の頭を撫でてやった。
時同じくして、霊夢と魔理沙は縁側でお茶を啜っていた。
さすがに居座り続けるほど空気の読めないわけでもないし、それ以前に居にくかったことも事実である。
「萃香と与一も仲直りしたし、これで一件落着だな」
「一件わね。後もう一件残ってるわ」
「ん?なんだ、そのもう一件って。まさかマスタースパークしたときに開いた壁のことじゃないだろうな」
「それについては後で請求するけど」
「じゃあ何なんだよ」
「鬼神についてよ」
「ああ、そういやぁそれが残ってたな」
「与一さんが鬼だって分かってから相当疑わしくなってきてるのよね。名前も同じ、時期もピッタシ。おまけに鬼……偶然にしては出来過ぎてるのよね」
「そうなのよ、出来過ぎて困ってるのよ」
突然、紫が会話に入り込んできた。
「紫、あなたは玄関から入るってことが出来ないの?」
「あら、ご挨拶ね」
「で、なんで出来過ぎて困ってるってどういうことなんだ?」
紫の登場によって逸れた話題を、魔理沙が戻していった。
「魔理沙、例えば霊夢が自ら進んで「このお菓子食べてみて」って言ったらあなたはどう感じる?」
「毒じゃないかと疑うな」
「それと同じよ」
「ああ、なるほど。紫にしちゃあ分かりやすい説明だったぜ」
「失礼ね!私だってそういうことも――」
「あったのか?」
「……無かったけど、これからあるかもしれないじゃない」
「無いわね、絶対」
「無いな、絶対」
見事な二重奏だった。
「何よ!二人そろって!……で、紫はそんなことを言いに来たわけ?」
霊夢は明らかにぶっきらぼうな口調だった。
「まさか。今回は頼みごとに来たのよ」
「紫が頼みごとって……珍しいこともあるものね」
「本当は一人でことを済ませたかったんだけど、タイムリミットが迫ってるからどうしても人数が必要なのよ」
「ふ~ん、で何やるんだ?何か新しい結界でも作るのか?」
「刀を探して欲しいのよ」
「刀?それならもう見つけてるぜ。冥界にいる庭師が二本も持ってる」
「刀だったら何でもいいって話じゃないのよ。普通の刀なら人里に何本でも売ってるわ」
「謂れのある刀ってことね」
霊夢が単刀直入に言った。
「謂れのあるって、村正とかそんなのか?だったら香霖のところに結構あったぜ。本物かどうかは保障できないがな」
「謂れのある刀だったら何でもいいって話じゃないのよ。普通の謂れのある刀ならそこら辺に何本でも転がってるわ」
紫は少しアレンジを加えてきた。
「あなたたちに探して欲しいのは狂刀『赤染』(あかぞめ)と呼ばれる刀よ」
「名前からして危なそうな刀ね……」
「ええ、名前のとおりに危ない刀よ。この刀ね、普段はただの切れ味のいい刀なんだけど、使用者の血を啜らせることによって膨大な力を発揮するの」
「膨大な力ってどの位?」
「一滴啜れば家を崩し、二滴啜れば大地を割る。三滴啜れば自我を壊すと言われてるわ」
「「うわぁ……」」
「この力に何人もの者たちが溺れていったわ。そう数え切れないくらいね……」
そう言って、紫は懐かしむように遠くを見つめた。
「話は分かったわ。それで、報酬はいくら出るのかしら?まさかただ働きさせようっていう魂胆じゃないでしょうね」
「そんなことしないわよ、あなたじゃないんだから。――そうね、お賽銭箱山盛りくらいでどう?」
「やるわよ、魔理沙」
明らかにやる気満々だった。
「えっ、私もかよ」
「当然じゃない。考えても見なさい、お賽銭箱いっぱいのお金を。うはうはじゃない」
「うはうはなのは霊夢だけなんだが……」
「つべこべ言わずに手伝えや」
「期限は今年いっぱいだから。頼んだわね」
ひらひらと手を返して、紫は隙間の中へと消えていった。
「私たち親友よね。親友なら文句一つ言わずに手伝うのも当たり前よね」
「分かった。分かったからその笑いながら黒いオーラ出すのやめてくれ――しかし、なんで私たちなんだろうな。もっと専門職のやつらがいるだろうに」
「そんなの簡単よ」
霊夢はあっさりと言い切った。
「紫も与一さんを睨んでるってことよ」
ですがラストのつなぎ部分にいやな予感が・・・
いえいえ、別に季節が合っていないなど気にはなりませんよ。
季節もののssではないでしょう?
ゆかりんの境界操作で境界いじって何とかなりそうだけど、それ言っちゃったら話し終わっちゃいますね^^;
ゆっくりとですけど話が動き始めたとお見受けします、今後の展開が楽しみですね。次回、期待しています。
しかしこのままいくと与一は・・・?
くだらない先読みはやめてこの後の展開を楽しみたいと思います。