地平線から太陽が顔を出し、森の中に光が差し込む。
新しい一日の始まり、だが樹の洞にいる彼女にとっては一日の終わりだ。
「ふぁ~~………ねむ」
彼女の名前はリグル・ナイトバグ、蛍の妖怪である。
リグルは基本的に夜行性のため、朝日が出ると寝て夕方起きるという生活スタイルを取っている。
もっとも氷精のチルノに引っ張りまわされて満足に寝れない日が続いてるが…
(でもまあ、今日は遊ぶ約束はしてないし…)
久々にゆっくりできる、という安堵の気持ちがリグルの眠気に拍車を掛けた。
「リグル!!」
突然リグルは大声で呼ばれる。
ビクッと体を震わせ、体を起こして声のした方向に目を向ける。
「みすちー?」
リグルの目の前で羽根をパタパタさせて入り口に留まっているのは夜雀の妖怪、ミスティア・ローレライ。
チルノと同じくリグルの友達の一人である。
リグルを含めて友達からは「みすちー」という愛称で呼ばれている。
ミスティアは物凄い慌てた様子で中に入って来た。
「どうしたの?」
「お願い! かくまって!」
「へ?」
半分寝ぼけ眼なリグルはミスティアを物陰に隠してやり、自分も物陰から外を覗き込む。
しばらくするとリグルの視線の先に二つの人影が見える。
(あれは…)
「どこいったのかしら」
「幽々子様、もう帰りましょう」
「せっかくいいところまで追い詰めたのに…」
遠くの木々を横切る二人はリグルには見覚えがあった。
白玉楼の主、西行寺幽々子とその従者、魂魄妖夢である。
「ああ~せっかく夜雀料理が食べれると思ったのに~」
と幽々子が言ってるのがリグルの耳に届く。
その瞬間リグルは得心した。
どうやら幽々子はミスティアを捕まえようとしていて、
逃げたミスティアは偶々近くにあったリグルの住処に逃げ込んで来たということだろう。
突然、リグルは背中に柔らかい感触を感じた。
振り向いてみると、ミスティアはリグルの背中にピッタリと身を寄せている。
ミスティアは顔を埋めて体を小さく震わせている。
ドクン―――
リグルの心臓が大きく跳ね上がる。
(みすちーの体……小さくて…やわらかい…)
ドクン…ドクン…ドクン………
―――はっ!
少しの間、リグルはぽーっとしながら見惚れていたが、
ミスティアは追われている身だった事を思い出し、素早く意識を戻して前方に目を凝らす。
遠くにいた二人の姿はすでに見えなくなっていた。
リグルは偵察用の蟲を飛ばしてみるが、幽々子も妖夢も見つからない。
どうやら諦めて帰ったらしい。
「みすちー、もう大丈夫だよ」
「…ほんと?」
「うん、調べてみたけどもうこの近くにはいないよ」
ミスティアは、ほ…と一息ついた。
「ありがとうリグル、その…寝るとこ邪魔してごめんね」
「ううん、気にしてないよ」
「今度何かお礼するね…」
そういってミスティアは去ろうとする。
「みすちー」
リグルはミスティアを呼び止める。
ミスティアはリグルの方に振り向く。
「え…と」
特に話すような事はなかったが、何だかこのまま別れるのは名残惜しいとリグルは思った。
何とか言葉を見つけて搾り出そうとする。
「…何か困ったことがあったら、遠慮なく来て。
私にできることなら…力になるから」
ミスティアは嬉しそうに頷いた。
リグルは背中に残ったかすかな温もりを感じながら、
飛び去っていくミスティアの後姿をいつまでも見つめていた…
それから数週間が経った。
ミスティアは日が差し込む木々の合間を抜けていく。
「まぶしい笑顔~見せつけて~♪ そんなあなたに~恋してる~♪」
今日はチルノの号令で、久しぶりに遊び仲間全員で遊ぶことになっている。
ミスティアがリグルと会うのもこないだ以来だ。
気分が高まっているのか、昼間だというのに自然と歌が口をついて出る。
相変わらず歌詞もリズムもデタラメな歌だが…
「えへへ~、リグル…喜んでくれるかな」
ミスティアはニコニコしながら手に持っているものを握り締める。
この前のお礼をするという約束…
ミスティアは、リグルにどんなものをあげたらいいか考えたがなかなかいいのが思いつかなかった。
(おいしい水は普段から飲んでるだろうし
服を買ってあげようにも人里には入れないし
八目鰻をおごってあげようにも普段から食べさせてあげてるし
………)
といろいろ悩んだ挙句、結局お花をあげることに決めたのだ。
赤い花とか青い花とか、十本程度の花をあわせたカラフルな花束である。
ありきたりでつまらないものだがリグルは蟲の妖怪だから花もきっと好きだろう、とミスティアは考える。
…多分。
「…えーい、やめやめ」
ちょっと不安になりかけた気持ちをミスティアは頭を振って追い出す。
いまさら新しい贈り物なんて用意できない。
これで勝負してやる、と決意する。
(あ…)
しかし現場にはチルノたちがいる事に思い至る。
つまりこの花をチルノたちの目の前で渡すと言う事だ。
はっきり言ってめちゃくちゃ恥ずかしい。
…というか今日じゃなくても良かったんじゃないか、と。
そこまで考えてミスティアはいまさらながら自分のバカさ加減を呪う。
(……ふんだ! なるようになれ!)
半ばやけくそ気味で気持ちを持ち直す。
(いつかしなければならない事なんだ、それが今日だっただけのこと…)
ヒュッ
考え事をしているミスティアの耳に風を切る音が聞こえる。
危険を感じ咄嗟に上に飛ぶ。
だが一瞬遅く、足首を切ってしまう。
「つっ!!」
直後横にある樹が切断され、上の部分が大きな音をたて地面に落ちる。
ミスティアは倒れた樹とは反対方向に目を向ける。
二十メートルほど離れた先に二振りの刀を携えた少女。
数日前ミスティアを追い回した二人の片割れ、魂魄妖夢がいた。
まさかまた自分を捕まえに来たのか、と戦慄するミスティア。
幽々子はいないようだが妖夢ひとりでもかなり手強い。
ミスティアは足の痛みをこらえ全力で逃げる。
妖夢が剣閃を放ちながら無言で追いかけてきた。
なんとかかわしていくが、妖夢の方が速い。
このままでは捕まる。
そう判断したミスティアはスペルカードを使う。
「鷹符「イルスタードダイブ」!」
相手を鳥目にし、さらに弾幕で牽制する。
動きが鈍った妖夢はかわすので精一杯といった様子になり、ミスティアとの差が開く。
これで逃げられる。
(ほ…)
ミスティアは一息ついた。
が、突然上から衝撃を受ける。
「かっ!?」
たまらず地面に叩きつけられ、手に持っていた花束を手放してしまう。
ズキッ
「痛…!」
なんとか立ち上がろうとするが、斬られた足首の痛みでうまく立てない。
顔を上げると目の前に妖夢が降りてくる。
(え?)
後ろを向く。
妖夢が追いついてくる。
(妖夢が二人…??)
ミスティアが何がなんだか分からないという顔をしていると、前にいる妖夢が口を開く。
「魂魄「幽明求聞持聡明の法」」
すると後ろにいる妖夢が、人の姿から巨大な霊魂の姿へと変化する。
ミスティアは理解した。
妖夢は、自分の半身をスペルカードで変化させ囮としてミスティアを追いかけさせ、
妖夢本体はこっそりついてきて攻撃する隙をうかがってたのだ。
「あ…ぐ…」
「幽々子様の命令だ。悪く思うな」
痛みで動けないミスティアに妖夢はゆっくりと近づいた…
紅魔館の前にある湖…
そこにはチルノを筆頭に大妖精、ルーミア、橙、リリー、リグルとそろっている。
今回集合を受けたのはほぼ全員来た。
後来ていないのはミスティアだけだが、集まった皆は待ちきれなくてすでに遊んでいる。
「みすちー遅いな…」
チルノが不満をもらす。
確かに遅い。
もう集合時間から一時間近くは経っている。
遅刻するのは大抵言いだしっぺのチルノかルーミアで、ミスティアは決して時間に遅れるほうではない。
だがそこは時間にルーズな年少組、大して気にはしていなかった。
一人を除いて。
「………」
リグルは内心穏やかでなかった。
ミスティアが遅れていることに不安を感じ、遊びに身が入らず物思いに耽っている。
「リグル、大丈夫?」
「え、あ…うん、大丈夫だよ」
そんなリグルにルーミアが声を掛ける。
リグルは内心を隠して心配を掛けさせまいと振舞った。
「大丈夫だって、みすちーは絶対来るよ」
「そうですよ。そんなに心配する必要ありませんって」
とチルノと大妖精が言う。
バレバレのようである。
「う、うん」
リグルはそんな仲間達の一言で気が楽になり顔をほころばせて返事をする。
しかし心配なものは心配である。
こびり付いた不安は拭えない。
「そうだ! みんなでみすちーのこと、迎えに行こうよ!」
突如チルノが提案する。
「でも全員で行く必要ないんじゃないかな?」
「あ、それもそっか。う~ん……」
「私が行くよ」
橙の発言にチルノが悩みだした途端、リグルは自発する。
「みんなはここで待ってて」
言い出すや否やリグルはみんなが見つめる中、
ミスティアを迎えに行くため、ミスティアの住処へと飛んでいった。
リグルがミスティアを探し始めて数十分…
既に日は傾いて夕暮れの様相を呈している。
ミスティアの住処を探したが見つからなかったので、今は森のあちこちを探している。
リグルはこないだの事を思い出していた。
もしかしてミスティアは連れ去られたんだろうか。
「っ…!」
自分の考えを必死で否定する。
(大丈夫だ…きっと)
しらばく飛んでいくと…
ふと遠くの景色に違和感を感じた。
(? 何だろう?)
リグルは急遽現場に向かってみる。
そこには惨状が広がっていた。
木々は傷つき、切り倒され、地面にはあちこちに羽根が散乱している。
リグルにはその羽根が一目でミスティアのものだと解った。
「これは…」
木々に付けられたまっすぐな傷跡。
こんな傷を付けられるのは唯一人、白玉楼の庭師しかいない。
これらの状況から導き出される答えは一つ。
リグルは自分の予想が的中した事を確信した。
「ああ…」
リグルの顔に絶望の色が浮かんだ。
あそこにいるのは二刀流の剣豪、そして死を操る能力を持つ幽霊の二人組。
自分の力なんて物の数ではないだろう。
ミスティアを連れ戻しに行ったところで、返り討ちにあうのがオチだ。
下手をすると殺されるかもしれない。
いや、もしかしたらミスティアはすでに…
「みすちー……」
リグルは己の無力さに打ちひしがれて涙を流す。
リグルは視界の隅に何かを捉える。
目を向けてみると、そこには様々な色の花が落ちていた。
地面に降り立ち、そのうちの一本を手に取る。
しばらくその場で立ち尽くしていたリグルの脳裏に…
以前言った言葉がよぎる。
(『…何か困ったことがあったら、遠慮なく来て。
私にできることなら…力になるから』)
あの時言ったことは、大して考えずに出した言葉だ。
だが決して嘘、偽りではない。
あの時も、そして今も、ミスティアの力になりたいと思っている。
――そうだ、私は…
あの時ミスティアを守ると誓ったんだ。
持っている花を強く握り締め、俯かせていた顔を上げる。
その顔には先程まであった悲壮感はない。
何か覚悟を決めたような眼差しを虚空に向ける。
「みすちー…」
そして…
リグルは白玉楼に向けて全速力で飛んだ。
もう日は落ちて暗くなった白玉楼。
そこは冥界特有の不気味な雰囲気を醸し出している。
「おろしてー! ほどいてー!」
その空間に、先程から静寂を破るような大きな声が響いていた。
「五月蝿いわね、静かにしなさい」
幽々子がその声に対しピシャリと言う。
大きな屋敷の前にある桜の一群…
その中の一本の樹の枝にミスティアはぐるぐる巻きで吊るされていた。
その場には白玉楼の主、西行寺幽々子、
その従者、魂魄妖夢、
そしてミスティア・ローレライがいた。
なおミスティアが必死で助けを求めるが、それに答えてくれる者はいないので全く効果がない。
「んふふ~どんなメニューがいいかしら~、焼き鳥? 唐揚げ? 鶏肉ご飯? あ、ローストチキンなんてのもいいわね~」
(じゅる)
「ひぃっ…!」
「幽々子様、はしたないですよ」
幽々子のよだれを拭く盛大な音にミスティアが怯える。
なんとか自力で脱出しようとするが…
宙吊りにされて思うように動けず、
羽ごと縛られて飛ぶ事も出来ず(飛んだところで意味ないが…)、
掌は内側を向いてるため爪で縄を切ることもできない。
正に俎板の上の鯉ならぬ、スマキにされた夜雀状態である。
「ところで血抜きって必要なのかしら?」
「さあ、どうでしょう、魚じゃないので必要ないのでは?」
かなり本格的なところまで話が進んでいる。
(や…ヤバイ……早くなんとかしなきゃ…)
ミスティアは必死になって脱出する方法を考える。
「! そうだ! 焼き八目鰻をタダで食べさせてあげる! 一週間に一度…ううん、なんだったら毎日でもいい! だから…」
「ん~魅力的な条件ね~。でも残念、私は今鳥肉が食べたい気分なの」
脱出案その壱、失敗。
「…じゃ、じゃあ宴会の時歌を歌う!! 私、歌を歌えるから宴会に来た人たちを楽しませられるよ!!」
「結構よ。宴会なんて頻繁にやるわけじゃないし、プリズムリバー達だけで十分よ。第一私、貴方の歌好きじゃないし」
ミスティアの歌は若い妖怪には人気があるが、古参の妖怪からの評判は最悪である
脱出案その弐、失敗。
「じゃあ…えーとえーと…」
「それじゃあ始めましょう。妖夢、お願いね」
「はい」
妖夢は幽々子の言葉に返答すると、背負っている二刀のうち長い方の刀を抜刀する。
「ひっ」
ミスティアは仄かに光を放つスラリとした刀身を見て、背筋が凍る。
これからあの刀で斬り殺されてしまう。
そう思うと、恐怖のあまり涙を浮かべた。
「ひ……い、いや…やめて! お願い…!」
「ふふふ、観念しなさい」
幽々子は暢気な口調で言うが、ミスティアはそれどころではない。
「お願い、助けて!! なんでもするからー!!」
ミスティアは涙を流しながらで懇願する。
妖夢がミスティアに同情的な視線を送るが、如何せん主の命令、逆らう事など出来はしない。
妖夢は幽々子の方に顔を向ける。
幽々子は微笑を浮かべるだけで全く取り合わない。
「…言い残す事があるなら聞こう」
「ひっく…死にたくないよ~…」
「…すまない」
妖夢は桜観剣を振り上げ、構える。
ミスティアはその瞬間、自分に向かってくる死が逃れられぬものである事を悟った。
「…では、御免」
ミスティアは泣きじゃくっている顔を伏せて…
ゆっくりと目を瞑り、死を覚悟した。
心の中で親しい友人達に別れを告げる。
さよなら…チルノ…
さよなら…みんな…
―――さよなら…リグル……
「待てーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!」
突如、白玉楼の庭に声が響く。
三人は声のしたほうを向いた。
服を風になびかせて、夜空に浮かぶ月を背に立つ。
闇に蠢く光の蟲、リグル・ナイトバグがそこにいた。
リグルは地面に降り、静かに三人の元に歩み寄る。
「あら、蛍の妖怪さんがこんな処に何の用かしら?」
幽々子はいつもと変わらぬ、暢気な口調で訊ねる。
リグルは幽々子をしっかりと見据えて言う。
「幽々子さん…ミスティアを開放してください」
「…それは命令、かしら?」
「命令じゃありません、お願いです」
幽々子の恐ろしさは噂程度だがリグルは良く知っていた。
自分なんて足元にも及ばないだろう。
話し合いで解決できるならそれに越した事は無い。
「ふふ…い・や・よ。せっかく手に入れた食材を手放す気になれないわ。
ちなみに自分が代わりになるって案も却下よ。虫なんて食べてもおいしくないし」
だがその望みは一蹴された。
ならば取るべき道は一つしかない。
「……それなら仕方ありません…力ずくで返してもらう!!」
「ふふふ、貴女にできるのかしら?」
幽々子は妖夢の方にくるっと向き直り、厳かな口調で命令を与える。
「我が従者、魂魄妖夢。この邪魔者を排除しなさい」
「はい、幽々子様」
主の命を受け、妖夢は刀を構える。
魂魄妖夢、保持する能力は剣術を扱う程度のもの。
接近戦になれば万が一の勝ち目もないことはリグルには分かっている。
リグルは上空に上がり、弾幕を放って牽制する。
「無駄だ」
だが妖夢は放たれた弾幕を、造作もないと言わんばかりに易々とかわし、
上昇してリグルとの間合いを詰める。
後一歩で斬られる。
その瞬間リグル高密度の弾幕を放つ。
妖力で作られた輝く蟲がリグルの周りに出てくる。
展開される蟲達はリグルを中心に回り始めた。
妖夢は自分の動体視力や反射神経に自信を持っている。
実際妖夢の見切りの速さは相当なもので、例え初見でもかわせる自信があった。
だが目の前に展開される弾幕を見て妖夢は自分のうかつさを呪う。
やたらと弾の数が多いのである。
数えるのも馬鹿馬鹿しくなるほどの光の蟲達が妖夢を襲う。
いつの間にかリグルは目の前から消えていた。
急いで回避しようとするもすでに蟲達に取り囲まれている。
妖夢は、まるで自分が光の渦の中心にいるような、そんな錯覚を受けた。
妖夢は急遽その場で身構える。
が、一向に蟲達が自分に向かってくる様子がない。
試しに蟲を一匹斬ってみる。
ほとんど手ごたえを感じない。
数は多いがその文威力は減っているらしい。
(なるほど…)
どうやらこの蟲達は視界を覆う役割を果たしているらしい。
この光の奔流を隠れ蓑にし、死角を突いてくるつもりだろう。
こういう時は下手に動かない方がいい事を妖夢は心得ている。
妖夢は神経を研ぎ澄まし、その場にじっとすることにした。
「?」
ふいに目の前がぼやけた。
気のせいかと思ったが、未だに回り続けている光の蟲達の姿がどんどん不明瞭になる。
意識は朦朧とし、体の感覚が無くなってくる。
(何だ…これは?)
妖夢はなんとか意識を保とうとする。
直後、妖夢の真上からリグルが光の壁を抜けて向かってくる。
妖夢はそれを確認するより早く、認識するより、刀を上に振り上げた。
ザシュ
血しぶきが舞う。
手応えはあった。
方角は完璧。
刀には血が付いている。
唯一の失点は…
――傷が浅かったことだ。
刀を振ったはいいが、リグルとの距離が離れすぎていた。
そのため左肩口を少し斬りつけた程度だった。
後0.1秒振るのが遅ければ…確実にリグルを仕留めていただろう。
早すぎる見切りが、朦朧とした意識が、妖夢の対象との距離を誤らせた。
(しまっ…)
斬られたリグルに怯む様子は全くなく、そのまま突っ込んでいく。
刀を振り抜いた直後の無防備な体勢の妖夢に、
リグルは右手を突き出し――
「灯符「ファイヤフライフェノメノン」!」
スペルカードを炸裂させた。
――ドゴゴゴオオォォォォン
戦いの様子を傍観していた幽々子とミスティアの耳に衝撃音が響く。
直後、二人の見つめる先にあった光の玉から妖夢が飛び出し、光の玉が霧散した。
地面に叩きつけられ、気絶した妖夢。
その真上ではリグルが左肩を押さえながら荒い息を付いていた。
ミスティアの目には、リグルの左肩が血で染まっているのが見えた。
ミスティアは一瞬不安になったが、出血の様子からそれほど深手ではないと分かると、ほっと息を吐く。
リグルが無事だ。
そのことがミスティアを何よりも安心させた。
リグルは高度を落としていき、幽々子の目の前に着地する。
「さ、さあ、妖夢さんは倒れましたよ! 次は幽々子さん、貴女の番です!
痛い目に遭いたくなかったら、ミスティアを開放してください!」
ビシィと幽々子を指差して言う。
幽々子はそれを聞いているのか、いないのか、相変わらずのほほんとしている。
リグルは幽々子の実力を知らない。
妖夢より立場が上というのは知っているが、具体的にどのくらい強いのか分からないのだ。
見た感じ、全く強そうに見えない。
ひょっとしたら強いというのはあくまで噂で、妖夢より弱いという可能性だってある。
だったらこういう脅しも通用するのではないかというわずかな望みを掛けて、幽々子に言う。
幽々子はリグルに向かって右手を上げ…
ふいに後ろでパシ、という炸裂音がなる。
後ろを振り向くと、一匹の黒い蝶がひらひらと舞いながら地面に落ちた。
「見た事がない蝶ね……毒虫かしら…それも燐粉に毒を持つタイプの」
「!!?」
地面に横たわる蝶はリグルが妖夢との戦いの最中に呼び寄せた蟲だ。
この蟲は幽々子の言うとおり、燐粉に麻痺毒を帯びた幻想の蝶である。
だがなぜ幽々子がこの蟲の正体を見抜いたのか。
「ふふ、なんで?って顔してるわね」
幽々子はリグルの顔から心情を読み取り、言葉を続ける。
「まず貴女はありったけの妖力で蟲を生み出し、それらで妖夢の周りを囲って逃げ場を封じた。
次に、その蝶を呼び出して自ら生み出した蟲の中にを紛れさせ、中心にいる妖夢に蝶の燐粉を吸わせて感覚を狂わせた」
「………」
淡々と紡がれる幽々子の言葉をリグルは黙って聴いていた。
「そして妖夢に毒が効き始めたのを見計らって死角から突っ込み、力を溜めた一撃、スペルカードを放つ。
傷を負ったのは予想外ってところかしら? 本来なら妖夢に気づかれる事なく仕留めるつもりだったんでしょうね。
どう? 当たっているかしら」
全て、当たっている。
外側からでは光の球体が見えてただけで、中の様子までは分からなかったはずだ。
なのに幽々子は見ていただけでリグルの戦術を全て見抜いた。
リグルは幽々子の力の一片を垣間見たような気がした。
「ふふ…どう? 少しは回復したかしら?」
「!?」
「私が何のために長々と説明をして、貴女を休ませてあげたと思う?
それはね…弱った貴女と戦っても面白くないからよ。やるからにはなるべく万全に近い状態でやり合わないと」
幽々子は実に楽しそうにしている。
実際少し回復したが、それが何だというのだ。
仮に万全な状態だとしても、勝ち目なんて万に一つくらいしかないだろう。
それほどまでに、リグルの目の前の存在は底知れない力を感じさせた。
「正直妖夢が負けるとは思わなかったわ、見事よ。
それじゃあ、今度は私を楽しませてもらおうかしら」
「行くわよ。再迷「幻想郷の黄泉還り」」
幽々子は手に持っている扇を一振りする。
だが幽々子からは弾が一つも飛んでこない。
―――失敗か?
リグルが疑問を感じた瞬間、ふいに足元が明るくなる。
「うわぁ!」
咄嗟に上空に回避する。
リグルの足元からは霊魂が立ち上って来る。
(うそだろ! 何だこの数!?)
周りに目を向けると、視界が届く範囲一帯から夥しい数の霊魂が出てくるのが見えた。
ミスティアのすぐ脇を霊が通り過ぎて、慌てている様子が目に入る。
一つ一つがリグルを狙っているわけではないようだが、如何せん数が多い。
今は何とかかわせているが、時間が経つにつれて数もどんどん増えていく。
(このままではマズイ!)
攻撃を止めるにはスペルカードの効果が切れるのを待つか、使用者を攻撃するしかない。
前者を取った場合、霊魂をかわしきれなくなるかもしれないし、何より満足に動けないミスティアに当たる可能性が高い。
となると必然的に後者を取るわけだが、幽々子の周りは一際弾幕が激しくて近づくに近づけない。
幽々子までの間に、一時的でも道を作らなければならない。
(となると…)
リグルは幽々子に向けて、一点集中型の弾幕を放つ。
だが幽々子はそれらを軽く相殺する。
「ふふ、甘いわね。この程度……」
幽々子はそれ以上言葉を続ける事は出来なかった。
弾幕が消えた瞬間、リグルは幽々子の目の前まで来ていた。
先程放った弾幕を通り道にして、リグルは幽々子まで一気に近づいたのだ。
(一発…一発でも当たれば!)
例え弱い弾でも、当てれば相手を怯ませてることができる。
一瞬でも怯ませればスペルカードを唱える時間が得られる。
リグルはこの一瞬に全てを掛けた。
リグルの右手から弾幕が放たれ…
幽々子に当たらず、空を切った。
「惜しかったわね」
そうはいうもの、幽々子の顔に焦りの表情は見出せない。
おそらくリグルがこういった行動に出る事を既に読んでいたのだろう。
上空に飛んでかわした幽々子は、新たなスペルカードを宣言する。
「反魂蝶 -伍分咲-」
全方位を攻撃する幽々子の最強のスペルカード。
単純で、それ故に最も威力の高い弾幕。
突っ込んだ体勢にあるリグルは動くに動けない。
近すぎる、かわせない。
避けきれない量の弾が向かって行き…
リグルは弾幕の奔流に飲み込まれた。
「あ……あ………」
リグルのいた場所一帯には煙が立ち込めている。
見えなくても分かる、あれだけの弾を受けて、どう考えても中にいる人が無事で済むわけが無い。
ミスティアは絶望の声を上げた。
「ちょっとやり過ぎたわね…これじゃあまず生きてないでしょうね」
(リグルが…死んだ……)
突きつけられた現実に目の前が暗くなる。
ミスティアはもう泣く気力も、生きる気力もなかった。
「さてと、それじゃ料理の続きをしましょうか」
幽々子は意気揚々といった感じで踵を返す。
ふと後ろに気配を感じる。
「!!?」
幽々子は背筋が凍った。
後ろを振り向くと…煙の中、立っている人影が見えた。
「…うそ」
並みの妖怪なら五体が吹き飛んでいてもおかしくない。
幽々子がそれだけの力を込めて放ったスペルだ。
なのに目の前にいる妖怪…リグル・ナイトバグは、
頭から血を流し、マントや衣類が千切れて、目の焦点は合っていないが…
五体満足どころか立っていたのだ。
「大丈夫…? みすちー…」
すでに意識なんて無いのだろう。
近くにいないのにミスティアの名前を呼んでいる。
声は聞こえなくても気配は感じれたのか、ミスティアが顔を上げる。
「ひっく…リグルぅ…」
「待ってて、今…縄…外してあげる…から……」
リグルの足が前に動いたと思った瞬間、
―――ドサッ
そのまま前のめりに倒れた。
「リグル!! リグルーーー!!!!」
幽々子はしばらくの間、呆然としていた。
が、なんとか気持ちを持ち直す。
多少予想外な事ではあったが、とりあえず邪魔者はいなくなったのだ。
万事良好といったところだろう。
「…まずは妖夢を起こさないとね」
幽々子は未だに気絶している妖夢に向けて足を運ぶ。
「氷符「アイシクルフォール」!」
上空から声が聞こえる。
目を向けると氷の槍が飛んでくるのが見えた。
幽々子は軽く飛んでかわす。
「闇符「ディマーケイション」!」
そこを狙ったかのように光弾が飛んでくる。
「なっ…く!」
咄嗟にそれらを弾幕を放って相殺した。
地面に着地すると同時に声がした方向に目を向ける。
そこには今日、紅魔館の湖に集まる予定だった七人のうちの五人―――チルノ、ルーミア、大妖精、リリー、橙がいた。
「この大食い幽霊!! よくもリグルとみすちーを!!」
「ち、チルノちゃん落ち着いて…」
熱くなった氷精が幽々子に突っ込もうとするが、それを大妖精が必死で押し止める。
リリーがリグルの傍らに降り立つ。
しばらく間があったあと、リリーは皆が見つめる中…首を縦に振る。
―――生きてます。
ほっ、と全員から安堵のため息が出る。
(…どうしたものかしら)
妖夢と二人がかりならともかく、これだけの数を幽々子一人で相手にするのは流石に骨が折れる。
加えて橙がいる事も幽々子にとってはかなり辛い。
橙に怪我をさせてしまっては紫との関係にヒビが入りかねないからだ。
五人中四人は、これ以上リグルとミスティアに手を出すならタダじゃおかないぞ、と言わんばかりに幽々子を睨みつける。
「幽々子様…」
橙だけが悲しそうな、懇願するような目で幽々子を見つめていた。
(……はぁ……仕方ないわね)
幽々子は諦める事にした。
「いいわ、この蛍と夜雀…連れて行きなさい」
―――ぱぁぁ。
と、幽々子の言葉に皆の顔が明るくなる。
遠くに七人の姿が見えなくなるまで、幽々子はその場から動かなかった。
チルノは幽々子をずっと睨んだままだった。
友達を傷つけられたことによっぽど腹を立てたのだろう。
幽々子はそれを、苦笑しながら見ていた。
幽々子は妖夢の傍に近寄り、しゃがみ込んだ。
「ほら妖夢、いい加減起きなさい」
妖夢の頬をぺちぺちと叩く。
「う~ん…はっ、幽々子様!」
妖夢は気が付くと同時にガバッと起き上がり、幽々子の前に平伏す。
「申し訳ございません幽々子様! この魂魄妖夢! 幽々子様のお役に立てず…」
「妖夢、もういいのよ」
幽々子は優しげな声を妖夢に掛けるが、妖夢は頭を伏せたままにしている。
「…ねぇ妖夢、私は間違っていたのかしら」
「え?」
突然幽々子が言い出した言葉に妖夢は戸惑い、頭を上げる。
「私はあのミスティアという子を、妖怪化してるけど、本質的にはただの鳥だと思っていた。
狩られて調理されて食べられる、普通の鳥と同じだと思っていた」
「……」
「けどあの子はいっぱい友達がいて、あんなに愛されて、命を掛けて守ってくれる者がいる。
もし私があの子を食べたら、あの子の近くにいる者達全てを悲しませる事になる。
それは許される事なの? 私は…間違っていたの?」
妖夢はこんなに気弱な主を見た事がなかった。
主が真剣に悩んでいるのを見て、妖夢はその気持ちに答えてやらねばならないと感じた。
「…私は、幽々子様は間違ってないと思います」
「どうして?」
「生き物と言うのは、他の生き物を犠牲にしなければ生きていけないからです」
幽々子をしっかりと見据えて妖夢は言葉を続ける。
「鳥も犬も牛も豚も植物も…皆、愛されて生きています。
そして、私達はそれらを糧にして生きています。
もし幽々子様が間違っているというなら、今まで食べてきた生き物達を、そしてそれらを背負って生きている事を
否定する事になります。
ですから私は、幽々子様は間違ってないと思います」
「……ありがとう、妖夢」
妖夢に説得されて、幽々子は気を持ち直した。
「じゃあ私がまたあの子を捕まえて、って言ったら捕まえてくれる?」
「それはお断りします」
幽々子はガク、とこける。
「なんでよー!?」
「今日みたいなごたごたした目に遭うのはたくさんです。それにいつも鳥肉を食べてるじゃないですか。
なんで夜雀なんです?」
「それは、夜雀のお肉はどんな味かな~と思って…」
「幽々子様、味なんて気にしないでしょう」
「………」
妖夢の言葉が堪えたのか、幽々子は目に見えて気落ちする。
「そんなに落ち込まないで下さい、今日の夕食は幽々子様のお好きなものにしますから」
「…ええ」
幽々子と屋敷に向かう途中、
妖夢は、戦う前に見たリグルの顔を思い出していた。
守りたいものを定め、それの為に命を掛けて戦う。
そんな強い決意に満ちた目をしていた。
ミスティアのために、明らかに自分より強いはずの二人に戦いを挑んだ。
(はは…とんだ三文悪役だな……)
幽々子と妖夢は、食欲大魔王とその従者。
それならミスティアとリグルは、捕らわれの姫とそれを助けに来た騎士というところだろう。
(……歌姫(ローレライ)と蟲の騎士(ナイトバグ)、なんてね)
「ん~? なんか言った~、妖夢?」
「いえ、何でもありません」
我ながらナイスなジョークだ、と満悦に浸りながら、
妖夢は、大好きな主と共に帰路に着いた。
その日の幽々子の夕食はいつもの五倍は軽く越えていたという……
夜が明け、太陽の日差しが木々を照らす。
小高い丘の上にミスティアとリグルはいた。
「スー…スー…」
リグルはミスティアの膝の上で安らかな寝息をたてている。
ミスティアはそれを嬉しそうに眺めていた。
チルノたちは先程まで一緒にいたが、既にそれぞれの住処に帰り、この場にはいない。
二人の様子を見て、気を利かせてくれたのかもしれない。
そういえば…とミスティアはチルノたちに、どうしてあの場にいたのかと訊いたら、
リグルがミスティアを迎えにいったが帰ってくるのが遅く、皆で様子を見に行ったら、
リグルが物凄い速度で白玉楼に向かって飛んでいくのが見えたため、慌てて追いかけたのだと言う。
リグルの胸のポケットには、一輪の花が納まっている。
昨日、ミスティアが渡そうとした花だ。
幽々子との戦いでところどころ焦げているが、
その存在を示すように、力強く輝いて見えた。
傷ついて、ボロボロになって、
必死になって自分を助けてくれた。
大好きな人…
「ありがとう、リグル」
ミスティアはそっとリグルの頭を撫でた。
リグルの顔がかすかに和らいだ様な気がした。
そしてミスティアは目を閉じ、
そっと…歌を口ずさんだ。
幻想郷に優しい歌声が響いた。
>knight
バンプだったっけ?
ただ個人的には妖夢の弱さが気になったところです。
リグルが戦術的に上回っていたことは分かるんですがね。
まあここでリグルが負けたらバッドエンドですからねwしょうがないです。
それでは次回作も期待してます。
どうせ最後の方でなんらかの救済があるんだろうなと思ってたら案の定その通りだったという感じ。
別にゆゆ様やみょんが特別好きってわけじゃなく、どちらかというとリグルみすちーの方が
好きなんだけど、どうしてもそこらへん受け付けられなかったです。
話自体は起承転結とまとまっていて、かなりよかったと思います。
辛口でしたがこれからも期待してますのでがんばってください。
ありがとうございます!! 100点が一番嬉しい!
>バンプだったっけ?
いえ、それは意識してませんでした。
>妖夢が弱い
もう少し緊迫した感じの戦闘にしたいとは思ってましたが、力不足の為断念。
次はもっと上手く書きたいと思います。
>キャラが完全に悪役
求聞史記(だったかな?)に書かれてる幽々子に対する阿求の忠告文を読んで、
やることやっちゃう人なんだなー、というのが自分の幽々子のイメージです。
幽々子は自分勝手なだけで悪党ではないと思ってます。
読んでくれた皆さん、ありがとうございます。
この作品は完成してしまってるので、話の筋を変えるつもりはありません。
皆さんの批評は次に生かしたいと思います。
それでは。
ただ気になったのが誤字。
『妖夢は楼閣剣を振り上げ、構える』の楼閣剣が違います。
桜観剣ね。