※:旧作・夢時空の登場キャラクターであるエレンが主人公です。
旧作はわからないから読みたくない。夢時空? 何それおいしいの? とかいう方以外はこのままスクロールしていってください。
本日快晴。
今日もわたしは、ふわふわとバチバチとお空を飛んでいきます。
いつだってそんな風に、どこにでも目的もなく、ふらふらふわふわ向かっていきます。
なぜって? だってわたしは魔法使いだからです。
気の向くままに、あっちへふわふわ、こっちへふわふわ。
それがわたし。ふわふわエレン。
そうやって色んな場所に行って、そこで素敵な人を探して、見つかったと思ったらどうしてかしら。あの人は別の子が好きで、だからわたしは頑張ってその恋を応援しています。
バチバチっと魔法を使ってね。
そんな感じで、いつものように今日も私はふわふわとお空をさまようのですが、どうしたことでしょう。今日に限って、なぜだか無性に行かないといけない場所があるような気がするのです。
ぽろぽろぽろと、色んなことを忘れてしまうわたしですが、今日ばかりはどうしても忘れてはいけないことがあったような気がするのです。
忘れっぽいわたしのことですから、大事な約束でもあったのかもしれませんね。
けれど、忘れっぽいわたしのことですから、そんな約束も忘れてしまってます。
ただ、『どこかに行かないと』……そんな気持ちにせき立てられているのです。困ったものです。
なんとなく、その気持ちに逆らおうとするんですが、そうすると、泣きたいくらいに心が痛くなります。
だからその気持ちに逆らうのは諦めました。仕方ないです。痛いのは嫌です。そうして、ふわふわがバチバチで、わたしは心が叫ぶ方へと飛んでいくことにしたのです。
緑の森の上を越えて、緑の山の上を越えて、人里離れた場所へと場所へと、わたしは飛んでいきます。
見た覚えのない新鮮な景色と、それでも懐かしいと感じる景色を越えて、ふわふわバチバチ飛んでいきます。
新鮮に思うのはきっと、初めて見る景色だからでしょう。
懐かしいのはきっと、かつて見たことがある景色だからでしょうか。
ぽろぽろぽろと、色んなことを忘れてしまうわたしのことですから、多分きっと、かつて見たことのある景色だったのでしょう。
覚えていないから、新鮮にも感じるのです。
それがいいことなのか悪いことなのか、わたしにはわかりませんが、長い長い時間を生きていることを振り返れば、きっといいことなのでしょう。
どれだけ生きているかなんて、とても覚えてませんけどね。
――どれだけの時間を飛んでいたでしょうか。
あぁもう疲れたわ。なんて思う頃に、足下を流れていた景色が変わりました。
緑色だったものが、急に灰色へと変化したのです。
これには吃驚です。いっそ魔界に辿り着いてしまったのかな、なんて思ってしまうくらいでした。
だって、わたしがふわふわでバチバチ、どれだけ飛んでいたのかさえ、ちょっと忘れてしまっていたのですから。
「あやや? ここって……湖、なのかしら?」
思わず飛ぶことを止め、ふわふわとお空に浮かびながら声を上げてしまいます。
そこはとてもとても広い湖のように見えました。なぜはっきり言えないかと言えば、辺りは霧に包まれていまして、その大きさがはっきりしないからです。
大変視界が悪いので、何があるんだろうなんて、きょろきょろと、まるで初めて湖を見た人のように(多分初めてではないでしょうが、覚えていないので、そういうことでいいですよね)周囲を観察します。
なんだか頭の悪そうな妖精が、ふらふらと飛んでいました。
こっちには気付いてない様子だったので、別にいいかと放っておきます。妖精って、変に弄ると後々めんどくさいんですよ。
改めて周辺を見渡しますと、そんな見通しの悪い湖の真ん中に、ぽつんと紅い館が見えました。
その館の周りだけ、妙に空気がしぼんでいます。沈んでいます。死んでいました。
「ありゃりゃ。なにやら面白そうな場所なのね」
なぜでしょう。その館を視認してから、妙に気分がうきうきとわくわくとするのです。
これはまるで素敵な彼に出逢ったときの心のような、
誰かに恋してる気持ちのようで、その実、恋ほど焦燥感のない、うきわくとする気持ち。
不思議な感じです。
不思議で不思議なことです。
だからでしょう。わたしはなんだかとっても大きな声で笑いたくなったのです。近所迷惑(といっても、その辺りをうろうろしている妖精が迷惑するくらいですが)になるので、小さく笑うに留めましたけどね。
こんな風に言うと、まるでわたしの気が触れたみたいに感じますが、大丈夫です。
わたしは魔法使いです。言ってみれば、もう既に手遅れですからねっ。
ともあれ、なんだか目的地はあの館のような気もしますし、そうでなくてもあんな妖しい館、放って置く方が無理というもので、
だから、わたしは再び、ふわふわがバチバチとお空を飛んでいくのでした。
実際飛んでいくと、湖自体はそんなに大きくないことがわかりました。
湖の真ん中に島があって、そこにぽつんと紅い館が建っています。
周辺はやっぱり霧に包まれて、更に館の周りの空気だけはどんより死んでいます。
そのためでしょう。あれほど沢山いては通行の邪魔をする妖怪達(もちろん全員ふわふわがバチバチと魔法で倒しちゃいました)が、この館の周りには全然全くいません。
この妖気……妖気ですね、これには妖精も参ってしまうようです。わたしにはあまり関係ないんですが(だって魔法使いですからね)なんというのか、この妖気は、触れる物を殺すようなものではなく、何かを威圧するようなもののようでした。
案外それこそ妖精避けなのかもしれませんし、その上で静かに暮らしたいだけなのかもしれません。
目的を持ってやって来た人には、さほどの影響もありませんが、この空気の中にいると、なんとなく『ここには居たくない』と思わせるものがあります。
それこそが妖気の正体かもしれませんね。わたしにはよくわかりませんし、どうでもいいです。
大事なことは、この館を見た途端、「やっぱりここだ!」と、ずっと何かへとわたしを急かす心が叫んだことです。
「よぉし、それじゃあ行ってみようかしら」
心がここで正解なのよー! と叫ぶのであれば、わたしとしては突入を試みるほかありません。それ以外のなにもすることはないのです。
いざ!
ふわふわバチバチ、その館の門へと急降下。さあ、館へ行くのよ! と張り切ったところで、
「ちょっと待ちなさい」
そんな声をかけられてしまいました。
はて?
聞き覚えがあるようでない声です。
顔を上げますと、そこには背の高い赤い髪をした女性が、門の前に立っていました。
「此処へ何の用?」
相変わらず霧で視界が悪いので、声とスタイルから女性と判断しますが、顔の造形までははっきりしません。
「なにの用かはわたしにもわからないけれど、ここに来ないといけないのよ」
「意味が解らないわね。用がないのなら来る必要はないでしょう?」
「でも来たのよ? だから入れて頂戴な」
とことこと赤い靴を鳴らしながら門へと近づいていきます。
徐々に門番の顔もはっきり見えてきます。
なにやら、溜息をついているようでした。
なぜでしょうね。
「……はぁ。あのね、入りたいから入れてと言われて、はいそうですか。なんて入れちゃったら、私、門番として失格でしょう?」
「そうなの?」
「そうよ。私は此処の門番だからね。来る者を拒み、出る者を阻むの。それが私の仕事」
「じゃあ誰も入れないの? 入ったことがなくて、出たこともないのね」
「……いや、そうでもないんだけど」
「入ったことがあるの?」
「お嬢さまが何かしでかしてからは、魔理沙がしょっちゅう忍び込んで来るけれども……」
頭を押さえて溜息をついています。
どうしたのでしょう。体調でも悪いのかもしれません。
「頭痛いの?」
「そうね。そのことで、ちくちくとお嬢さまと咲夜さんに文句を言われるのは頭が痛いわね。かといって、完全に侵入を拒むと、今度はパチュリー様とフランドール様が愚痴愚痴と文句を言う始末で……」
「ふぅん。大変なのね?」
「そうなのよ。だから私としては、いっそのこと門を通過せずにこっそりと裏口辺りから忍び込んで欲しいのだけど、どうしてかしら。なんであんなにも正面突破が好きなのかしら……はぁぁぁ」
そうして、門番さんはとてもとても大きな溜息をつきました。
お仕事をするというのは、とっても大変なんですね。
「お疲れさまなのよ。それじゃあ、わたしは行くわね」
「あぁ、うん。ありがと…………って、ちょっと待ちなさいよ。だから駄目だって言ってるでしょっ」
「どうして駄目なのよ。魔理沙って子は出入りしてるんでしょう? それならわたしだっていいんじゃないかしら」
「駄目よ駄目駄目。魔理沙だって本当はちゃんと許可をとって出入りして欲しいくらいなんだもの。というか、あの子ならお嬢さまに言えば普通に入れる筈なのにどうして無断で出入りするのか……」
またなにやら愚痴って来ました。
本当に本当に苦労しているみたいです。頑張れ。
「頭撫でてあげるのよ?」
「うん、ありがとうね……でも、入っちゃ駄目よ」
「ひどいのよ」
ぷーっと頬を膨らませて、不機嫌さをアピールしますが、門番の人は溜息をつくばかりです。
なんだかちょっと可哀想になってきて、このまま引き返すのもありかな、なんて思いましたが、それでも心はこの館に用があるのだと叫んでいまして、引き返すと心が痛くなるのでした。
だからそう、ここは一つ、心を鬼にしましょう。そして正面突破です。
ふわふわがバチバチです。
さぁ、魔法を使おうと、顔を上げます。
「とりあえずね、どうしてもというのならお嬢さまに許、可、を……?」
門番さんも、顔を上げて、わたしとはたと顔を合わせて、
あれ? なんて首を傾げています。
わたしもあれ? と首を傾げてみます。特に意味はありません。
「あれ? 何処かで会ったことあるよね」
「知らないのよ」
「そんなことないんだけど…………あぁっ、思い出した思い出した。一年に一度のことだからうっかり忘れていたわ。そう、もうそんな時期だったのね」
「? なんのことかしら?」
「……あー、その辺は相変わらずなのね。えっと、毎年毎年自己紹介してるのだけど、ホントに覚えてない?」
「知らないのよ」
「即答ですか。そうですか。……まぁ、私の名前なんてどうでもいいんだよね」
なぜだか落ち込んでいます。
なぜでしょうね。趣味なのかもしれません。
「……とりあえず、もう一度何度でも自己紹介させて頂きます。私は紅美鈴。此処、紅魔館の門番をしています」
「わたしはエレン。ふわふわエレンなのよ」
「承知してるわ」
なぜだか門番さんは苦笑して、
すっとわたしに道を譲ってくれました。
「通ってもいいの?」
「ええ。あなたは立派なお客様だからね。気付かずに申し訳ありません」
「そうなの?」
「そうよ? それさえも忘れてるのに、どうしてこう毎年やってこれるのか逆に不思議ね。ともあれ、どうぞ」
不思議なことに、正面突破さえ覚悟したというのに、顔を見た途端あっさり通してくれました。
重そうな門扉を、軽々と開けていきます。
それにしても実はわたしってば有名人なのでしょうか。サインの練習しないと駄目ですね。
やがて門扉は開き、わたしは無事に中へと入ることが出来ました。
「ありがとうなのよ」
「いえいえ。それでは、どうぞごゆっくり」
ゆっくりと門番さんは一礼すると、わたしが門を抜けたのを見計らって、開けたとき同様、重そうな門扉を軽々と閉じていきます。
一度だけその様子を見て、館を振り返ります。
そびえ立つ豪奢な館。
懐かしいという気持ちは、嘘なんでしょうか。
胸はやっぱりうきわくしていて、思わず走り出したくなりました。走り出しました。
そうすると、門から玄関への長い道も、すぐ通り抜けて行けます。
赤い靴を鳴らしながら、玄関に辿り着いて、変な形のノッカーを鳴らします。
ちょっと高い位置にあるので、うんと背伸びをしないと届かないのが大変です。
カンカン。と館内にノッカーの音が響いて、
少しして、かつかつと誰かがこちらにやって来る足音が微かに聞こえてきました。
「ようこそいらっしゃいました」
しずしずと開けられる玄関の扉。
門のときのように、押し問答がないのは、そういう身元確認は全て門で済ませるからなのでしょうか。
瀟洒なメイドさんは、一礼をしたあと、わたしの顔をまじまじと見つめます。
いやですね。照れてしまいます。ぽ。
「お久しぶりですね。パチュリー様がお待ちです。どうぞ」
「ありがとうなのよ。でも、初めましてだと思うのよ」
「そうでしたか。それでは初めまして。ようこそいらっしゃいました」
「いらっしゃったのかしらね」
「はい。では、こちらへどうぞ」
「わかったのよ」
なんでしょう。
この、既に慣れたやり取りという扱い。少しも隙がないのは、やはりメイドさんだからでしょうか。メイドさんって凄いですね。
「今年はどのようなことがありましたか」
メイドさんはわたしを先導してくれています。おそらくわたしも知らない目的地を、彼女は知っているのでしょう。
わたしはとことこと、赤い靴を鳴らしてついていくばかりです。
「色んなことがあったと思うわ。でも、覚えてないから知らないのよ」
「そうでしたか。では、今年も楽しかったですか」
「覚えてないから解らないけれど、多分楽しかったと思うのよ」
「ならば、よろしいかと」
「そうね」
わたしはメイドさんの言葉に頷きます。
終わりよければ全て良しとは、昔どこかでおかしな詩人が謳った言葉ですけれど、(何故そんなことは覚えているのかといえば、逆にそういうことしか覚えていないからかもしれません)楽しかったと思える日々を過ごしたのであれば、内容を詳しく覚えていなくてもいいのではないか。そんなことを、メイドさんの言葉から思い納得したのです。
それでいいのよ。……と。
それから、メイドさんが案内するがままにわたしはとことこついていき、その間、なにやらたわいもないことを話して、(本当にたわいもないことで、すぐ記憶から抜けてしまうようなことです)やがて階段を下っていくと、妙に埃っぽいところへと到着しました。
「到着しましたよ」
「そうなの?」
「ええ。こちらで、お待ちになっております」
かたん、と大きな扉を開けてくれます。
地下にあるくせに、天井が高く、扉もまた大きいのが、下りてきた階段の数を伺わせてくれる感じです。
「どうぞ」
すっと手をその室内へと向けて、わたしを促します。
やはりというか、会ってここに至るまで、このメイドさんに隙はありませんでした。
完璧で瀟洒なメイドというのは本当だったのですね。
……本当だったのですねとはいえ、一体なんのことなのか、わたしもよく覚えていませんけども。
あぁ、それで一つだけ、何か思い出せたような気がします。
地下室へと進みながら、くるりと身体ごと振り返ります。
「ねえ、もしよかったらなのだけれども」
「はい?」
そこで、メイドさんは不思議そうに小首を傾げました。
なんだか、今までが完璧過ぎたので、そんな仕草がとてもおかしくて、思わずくすくすと笑ってしまいます。
「手品、見せて欲しいかもなのよ」
にっこりと、笑いながら告げますと、
「……はい。では、お茶をお持ちしたときにでも」
メイドさんも、にこりと微笑んでくれました。
「あはは、楽しみにしてるわね」
「かしこまりました」
微笑を浮かべ、お辞儀をしてくれます。
そんな仕草に、不満があるとしたら、
笑った顔でさえ隙がなくて、本当に完璧で瀟洒なメイドさんだったということくらいでしょうか。
もうちょっと、あの門番さんのように隙を見せて欲しかったな、なんて。
地下室は、とてもとても大きく広い図書館でした。
入り口の扉の大きさなんて洒落にならないほど天井が高いです。そして、そんな天井までぎっしりと中身の詰まった本棚で、びっしり埋まっています。この部屋作った人、バカなんじゃないかなと思いました。
蔵書は、本棚に納まりきらず、どうも床にも積み上げてあるようで、いくつもあるテーブルの上にも乗っています。とりあえず、片づけたほうがいいと思いますよ。
それにしても、凄い蔵書です。力ある魔導書から絵本まで。中には自費出版のアレな本も含まれていそうです。世界中の本を集めないと、ここまで酷いこと(大量に溢れる本はそれだけで凶悪です。その全てを読破する人ならば問題はありませんが、そもそも人間では、この蔵書全てを目を通すことは不可能です)にはならないでしょう。
きょろきょろとしながら歩いていた所為でしょうね。
思わず足下にあった蔵書につまづいてしまいました。
「あややっ!」
慌ててなにか掴むものをと手を伸ばしたら、そこもやっぱり本が積み重なった場所でした。
「掴めないのよーっ!」
正確には蔵書一冊掴みましたが、わたしが欲していたのは揺るがないものでして、それで体勢をなんとかしようと思っていたわけでして、
掴んだものが本一冊で、しかも倒れるがままに持ってきてしまっては、支えの意味がありません。
つまり、
酷い音を立てて、わたしはそこで転けてしまい、更には雪崩れのように本が襲ってきたのです。
「やぁぁぁんっ」
思わず悲鳴。
そしてふわふわがバチバチです。
ぼん! と、思わず魔法を使って蔵書を吹き飛ばしてしまいました。
バチバチと、魔法を使った反動。静電気で髪が爆発してしまいます。いやーんです。
「…………騒がしいわね」
幼く掠れた声が、本棚の向こう側からしました。
「……なんてことかしら」
そして、本棚と本棚の間から顔を覗かせたかと思うと、そんなことを呟いていました。
「本が吹き飛んでいるわ……?」
掠れた舌っ足らずな声は、まるでわたしを非難しているようでした。
「なんて酷いことをしてくれたのかしら」
完全に非難していたようです。声の主はわたしのことをきりりと睨みました。
「いくら同業で友人のよしみとはいえ、こんな仕打ちはないんじゃないかしら」
睨みながらそんなことを言います。
「それは酷いのよ。本があだだーと雪崩れてしまうのが悪いのよ」
「つまり、悪いのはあなたではなくて本だというのかしら」
「そうなのよ。でも本も悪くないのよ。積み方が悪いのよ」
「……この積み方は、私の叡智の結晶よ」
「随分な叡智なのね。ゴミはゴミ箱へというくらいのものなのよ」
「本は本の上に、ね。……それにしても、エレン。あなたは相変わらずね」
「あや。わたしのことを知っているのね?」
「それも含めて、相変わらずよね。本当に……」
声の主は、ふぅと溜息をつきました。
はてな。とわたしは首を傾げました。
ここには、どうもわたしのことを知ってる人(妖怪が主ですが)が多いです。
そして心がここに行けと叫んだこともあります。
……どうやら、推測するに、わたしはここのことをよく知ってるようでした。
覚えてませんけど。
「とりあえず座りましょう。立ったままで話すのは辛いのよ。私の身体のことも忘れてるのよね」
「なんだかいやらしい言い方なのね」
「いっそ魔女裁判にでもかけてあげましょうかしら。……私、喘息持ちなのよ。だから、長いこと喋るのも、本当は辛いのよね」
「埃っぽいものね。ここ」
「ええ。掃除をしても追いつかないの」
「じゃあどこか別のところへ移動するの?」
「いいえ。本から離れたらそれは私ではないわ。それは本よ!」
「違うと思うのよ」
「ええ、間違えたわ。とりあえず、そこのテーブルへ移動しましょう。まぁ、吹き飛んで粉々に千切れて所々焦げた本の成れ果てのことは気にしなくていいわ。本当にあなたが気にしなくてもいいのよ」
「すっごく気にして欲しそうなのね」
「気にして欲しいわ。出来るなら弁償もして欲しいわ。無理だと解っているから言わないだけよ」
「言ってるの」
「そうね。もう、いいから座りなさい」
ぴしゃりと言われて、わかったのよ。と、わたしは近くの椅子に座ります。
テーブルを挟んだ向こう側に、彼女も座りました。
座って、げほげほと咳をついて、
「ふぃ。喘息の嫌なところはね、ただでさえ体力がないのに、咳をするのにも体力が必要ということよ」
「そんなこと説明されても困るのよ」
「反動で身体が跳ねることはよくあることね」
「知らないのよ」
「ついでに、咳をつきすぎて吐きそうになるのもよくあることよ」
「どうでもいいかしらね」
「さて、久しぶりねエレン。元気だった?」
「元気だけれど、あなたは誰なのよ」
そうです。そうなのです。
どこかで会ったことがあるような気がするのですが、今ひとつ思い出せないのです。
ぽろぽろぽろと色んなことを忘れてるわたしですから、これもまた良くあることと言えばよくあることなのですけどね。
「毎年毎年本当に懲りないわね、あなたの脳味噌は。都合がいいにも程があるわ」
「そんなこと、わたしに言われても困るのよ」
「でもまぁ、本能は一応しっかり約束を守ってるようだし、それを守ってくれる限り、私もあなたの友人としているつもりだわ」
「わけわかんないのね」
「……何度でも言ってあげるわ。ええ、本当に何度も言ったのだけれど。私の名前はパチュリー。パチュリー・ノーレッジ。ここの館の主であるレミリアの客人として、ここにお世話になってる身よ」
「お世話になってるという割りに偉そうなのね」
「だって偉いもの」
「そうなの?」
「そうよ。で、何か思い出せた?」
「さっぱりなのよ。懐かしい気はするのだけれど、具体的なことまでは思い出せないのよ」
「相変わらずね。忘却こそが最大の幸せとは誰の言葉だったかしら……?」
「気味が悪いのよ。わたしは知らないのに相手が知っているということは、気持ち悪いのよ」
それは本音です。
色んなことをぽろぽろぽろと忘れるわたしですから、そういうこともたまにあるのです。
たまになのは、一カ所に留まることのほうが珍しいからで、それでも、相手はわたしのことを知っているのにわたしは知らないという出来事も起こるのです。
それは、とても奇妙で気味の悪いことです。気持ち悪いのです。
でも、ぽろぽろぽろと忘れてしまったのはわたしなので、本当に気味が悪いのは相手の方かもしれませんけどね。
「大体一年程度で忘れていくのかしら? それとももっと早い周期なのかしらね」
「ん? 去年のことを聞いてるのね」
「ええ。去年の干支はわかるかしら?」
「ウサギなのね」
「残念、猫よ……げほげほ」
「嘘なのよ」
「本当よ? 猫だって立派な十二支の一員よ。その場合、卯と入れ替わるだけで」
「知らないのよそんなこと」
「知っておきなさい。あぁ、鼠取りの猫が欲しいわね」
「ネズミが蔵書を食べちゃうの?」
「ええ。食べてしまうのよ。それも沢山ね。本当、門番は何をしているのかしら」
「溜息をついて凹んでいたのよ」
「…………まぁ、門番のことはどうでもいいわ。大事なのはあなたのことよ。ここまでで何も思い出せないの? いつもながらに頭の悪い会話をしているのだけれど、それでも思い出せないのね」
「残念だけれど、なにも思い出せないのよ」
「本当にいつものことだから正直解っていたわ。これはもう、期待するほうが無意味ね」
はぁ。とパチェは溜息をつきました。
……あれあれ? パチェって、変なあだ名ですね。
「パチェ、聞きたいことがあるのよ」
「あら、呼び方は覚えているのね」
「なんか、すっと出てきたのよ。それよりも、どうしてわたしはここに来なければいけなかったのかしら?」
「あら。そんなの決まってるでしょ」
何を今更と、パチェは肩を竦めました。
わたしは何がなにやらという感じですので、はてはてと首を傾げます。
「私達が友達だからよ」
「ははん。面白い冗談なのね」
「ええ。本当にね」
くすくすとわたし達は笑い合います。
色んなことをぽろぽろぽろと忘れるわたしで、ふわふわがバチバチと色んなところへと放浪するわたしです。
必然的に、友人という人は居ません。一カ所にじっとしていることのほうが珍しいし、なによりわたしは、すぐ忘れてしまうからです。
だから、本当に冗談だと思いました。
でも、
でも、です。
こう、心が言うのです。『本当だよ』なんて言ってくるのです。
すると、とっても嬉しくなって懐かしくなって、なんだか泣きたい気持ちになるのです。胸がぎゅっと切なくなって温かいのです。
それは、恋に恋する魔法使いの気持ちではなくて、
そう、まるで、ただの女の子のような……
「パチェ、わたしは去年も楽しかったのよ。だからきっと、今年も楽しくなると思うのよ」
「そう……? まぁ、長い時間を生きるコツは何でも楽しむことだと思うわよ」
「でも、わたしは楽しいことがあっても、すぐ忘れちゃうのね」
「ええ。それもまた、長い時間を生きるコツの一つね」
「辛いことや悲しいことも忘れるけれど、楽しいことも嬉しいことも忘れちゃうのはどうなのかしら」
ふぅん。とパチェは口を尖らせて、
「本来成長とは、色んなことを経験した結果になるわ。嬉しいこと楽しいことだけではなくて、辛いことや悲しいこと、そういう色んな事全てを覚えていてこその成長よ。だから、そもそも忘れるということが、成長には向いていないわね」
「じゃあ、わたしは成長しないのね」
「ええ。実際成長してないもの。……あ、こら何処見てる。私だって好きで成長してないんじゃないのよ。本当はもっとばいんばいんのぷよぷよになっていてもおかしくない筈で、あぁもう畜生、胸のでかい奴等は全員もげてしまえばいいのよっ」
一人で怒り出したパチェを笑います。あははは。アホみたい。
「今アホとか思ったでしょ、思ったわよね、思ってる、顔に書いてあるから。他人事じゃないわよ。あなただって育ってないのだからっ」
「そうは言ってもよ。わたしはそもそも、どれくらい生きていてこの体型なのか覚えていないのよ。むかーってしようにも、どれだけ成長していないのかわからないから怒りようがないの」
「……楽観なのか諦観なのか。大人なのか子供なのか。今ひとつ、あなたのことは掴めないわね」
目を細めてパチェが言います。
「楽観も諦観もないのよ。だってわたし達は魔法使いだもの」
「……そうね。何も感じないわけではないけれど、でも、だからどうということもない」
「そういうことなのよ」
「あぁ、でも、胸はやっぱり……」
「魔法でなんとかすればいいと思うのよ?」
「今それを研究中よ。来年にはもう少し増えてる筈ね」
「そう。わたしはきっと覚えていないけれど、それを楽しみにして、また来年も来るのよ」
「ええ。来なさいな。そして、元気でやってるという姿を見せて頂戴。それだけで、いいのよ」
「友達で心配だから?」
「……そういうのは、心に含んでおいて、口に出さないものよ。まぁ、あなたにそれを期待するのが間違いよね。私は此処から滅多に出ないから、あなたが何処で何していようとも、正直関わることが出来ない。だから、一年に一度、私達が会うという約束を、ずっとずっと昔にしたのよ」
「わたしはふわふわがバチバチでどこにでもいるからかしら」
「ええ。それでまぁ、心配ついでに旧友を深めましょうというものかしらね。……いや別に、来ないなら来ないでいいのよ。べ、別に心の底から心配してるというわけではないのだからねっ」
「よくわかんないのよ?」
「……まぁ、あなたは一年に一度、此処を訪れては、私とお茶を飲んで喋って、咲夜の手品を見て、レミィと話して、フランとは宇宙会話をして、門番を泣かせればそれでいいの」
つまりそれは、
なんてことない。ただ一緒にいましょうということなのでしょうか。
わたしはふわふわとバチバチで、一カ所にはあまり留まらないから、
この場所を、わたしが唯一帰ってこれる場所だと、お家だと言ってくれてるのでしょうか。
あぁ、それは、
少し、……ううん、凄く、嬉しいことです。
本当に。
本当にね。
「わかったのよ。来年も、ここに来ることだけは忘れないの」
ぽろぽろぽろと色んなことを忘れるわたしだけれど、それだけは絶対絶対絶対に、忘れないと改めて心に誓います。
ああ、そうやってわたしは毎年毎年同じことを誓っているのでしょう。
だからこそ、きっと、この時期には心が騒ぐのです。叫ぶのです。
――お家に帰りましょう。と。
「ええ。それだけを忘れなければ、私達は永遠に友人でいられるわ」
「忘れないのよ。お家だもの」
「ふふ。勝手に自宅にしてしまってはレミィがなんて言うかしらね。それとも、解った上での行動かしら。どうでもいいわね。ええ、どうでもいいわ。あなたが、勝手に思えばいいことだものね」
相手がどう思っていようと、
好きになってしまう気持ちが抑えられないように。
自分の気持ちに素直に行動すること。それがわたしなのです。
だって、
「だってわたしはふわふわエレンだもの」
くすくすと二人で笑います。
そうして一段落ついたころに、先程の完璧で瀟洒なメイドさんと、小悪魔さんがティーセットとお茶菓子を持ってきてくれました。
そのまま余興にと、タネなし手品を見せて貰っていたら、そのうちにちっちゃい吸血鬼さんが二人やってきて、そのうちの偉そうな方が、「あら、帰ってきたのね。どうせパチェは何も言ってないだろうから私から言ってあげるわ、光栄に思いなさい。こほん――おかえりなさい」と言ってくれたりしました。
勿論わたしは笑顔で「ただいまなのよ」と言えましたし、そんなわたしを見て、パチェがなんだか呆れたような、ほっとしたような顔で、肩を竦めていました。
そのお茶会は、みんなからしてみれば、些細でちょっとした出来事だったのでしょう。
一年に一度のことだと言われましたが、そうやって話している間は、なんだかまた、明日にでも会えるような、そういう雰囲気でしたからね。
そんな輪の中にいて、和やかになって、安心して……。
おかしな話です。
吸血鬼さんと話して、恐怖ではなく安心してしまうなんて、おかしなことです。
見覚えのない人達に、昔の話をされたり馴れ馴れしくされてるのに安堵するなんて、本当ならとってもおかしいことでしょう?
けれどもです。わたしは本当に、和んで安心したのです。ほっとしたのです。
多分それはきっと、わたしが忘れてると思っていても、無意識の中でみんなことを知っているからなのでしょう。
輪の中で、一緒に笑い合って、
いいな。って思いました。
この雰囲気が好きだね。って、思いました。
素敵なことでした。
でも、そんな楽しい時間も終わりが来ます。
夜が来ます。
夜が訪れて、わたしはまた、どこかへとふわふわと飛んでいきたくなってしまいました。
いつものことです。心が感じるまま、見知らぬ、見覚えのない場所へと行きたくなるのは、いつものことなのです。
名残惜しい気もしますが、大丈夫。
また、会えるから。
「それじゃあエレン。精々身体には気をつけなさい。拾い食いだけはしないほうが身のためよ」
パチェが口元を歪めながら言います。
「本来これからが私達の時間なのだから、ゆっくりしていけばいいのにね。まぁ、あなたの時間でもあるから仕方ないのかしらね」
ちっちゃい吸血鬼さんが肩を竦めました。
「あははははっ、今度来たときこそふわふわをもちもちにしてあげるんだからねっ」
ちっちゃい吸血鬼さん二号がけらけらと笑いました。
「道中お気をつけて」
完璧で瀟洒なメイドさんは、静かに頭を下げてくれました。
「今度は名前忘れないでね。無理だろうけどもっ」
門番さんはちょっとだけ泣いてました。
あのときあの場所にいた人達は、こうやってわたしのことを見送ってくれたのです。
そんな風にされると、なぜでしょうね。ちょっとだけ泣きたくなりました。別れるのが悲しいからではありません。切ないからではありません。温かくて嬉しかったからです。
「うん。気をつけるのよ」
けど、泣きません。涙よりも、笑顔を見せます。
「じゃあね。エレン。また、来年」
パチェがひらひらと手を振ってくれました。
こくりとそれに一つ頷きます。
また来年、ここに帰ってきます。
ここが、わたしの帰る場所だと、そう思っているから。
だから、伝える言葉はさようならではなくて、
「うん、また来年なのよ」
ひらひらと手を振り替えして空へと飛びます。
少し飛び上がっただけで、すぐに霧で彼女達の姿ははっきりとは見えなくなりました。
でも、そこにいるのはわかってます。
わかっていますから、また来年。
――それじゃあ、みんな。いってきます。
ふわふわがバチバチで、
恋に恋する魔法使い。
ふわふわエレンは、忘れても忘れません。
帰る場所を。
ただいまって言える場所を、ね。
知らなければオリキャラに強引に脳内変換すればいいわけですし!ビバ!
普通に面白かったです。
よくやった!
>楽しかったと思える日々を過ごしたのであれば、内容を詳しく覚えていなくてもいいのではないか。
>「相変わらずね。忘却こそが最大の幸せとは誰の言葉だったかしら……?」
「気味が悪いのよ。わたしは知らないのに相手が知っているということは、気持ち悪いのよ」
どちらも真実な気がしますね
「くすくす」「ぽろぽろ」など、ところどころにちりばめられた言い回しがとても素敵でした。
和みました。とっても。
以下レスをさせていただきます。
>文章やキャラクターの書き方~
お褒めいただき有り難うございます。
旧作知らない方にも受け入れられたということは、私にとってかなり励みになりますw
>どちらも真実な~
忘れて良いことと、忘れてはいけないこと。そのどちらも大事なことだと私は思っていますので、こういう形になりました。
>ところどころにちりばめられた言い回し~
私自身、そういう言い回しが好きでよく使うのですが、あまり多用すると今度は読みづらいという難点もあります。
今回はいかがでしたでしょうか。
>和みました。とっても。
小動物を見て和むような、そんな風に書いてみたつもりなので、そう言っていただけて幸いですw
他にも匿名投稿してくださった方々本当に有り難うございました。
今後はぼちぼちと投稿していこうかなと思っていますので、
どうぞよろしくお願いします。
それでは、また。
ふわふわ~≡( ´▽`)ノ
良いお話をありがとうございました。