「なぜ、私はそこへ行くのか。その問いかけに対して、私は答えよう。
お前は何かをするのに理由が必要なのか? その理由について、お前はどんな説明を望むのだ? 望むべくして望まれるものなのか?
いいや、答えは否! 理由などはただの行動の動機付けにすぎない! 本当の理由は誰にもわからない! ただ、体の奥底から湧き上がる、熱い衝動がその原点だからだっ!
故に!
私が紅魔館を訪れるのは、そこに本があるからだぁーっ!」
人、それを『自分勝手』という。
「ふぇ~ん……めいりんたいちょぉ~……。またあいつが来ましたぁ~」
「……また、ですか」
「はいぃ~……。百害あって一利なし、存在そのものがむしろ世紀末、一人見かけたら三十人の黒と白のツートンカラーですぅ~……」
「……はぁ」
どうして、あの人は、真正面から『本を読みに来ました。入れてください』って言えないんだろうか。
この館において、あの人物は、一応『客』としてもてなすこともやぶさかではないという結論は出ているのだ。にも拘わらず、あやつは真正面から強行突破してくるのである。それは多分に、戦闘力という面では精鋭のそろっている紅魔館相手に『試し撃ち』などして実験成果の確認などの意味も含まれているのだろう。
巻き込まれる側としてはたまったものではないが。
「……現在、彼女の位置は?」
「湖の、ちょうど真ん中辺り……ああっ! お友達が撃墜されたぁ~!」
一発の星くずが、なぜかはしらねどミルキーウェイ。飛びゆくそれらの真ん中辺りで、次々に爆発発生。煙を噴き上げて落ちていく人物数名。今年の冬は寒いとのことなので、彼女たちの分の医療費は、後ほど、お嬢様に申請されることだろう。
……はぁ、と隊長こと美鈴はため息をついた。
「……わかりました。とりあえず、迎撃しましょう」
「もうなんて言うか、あれ、生きる災厄ですよね」
「いっそのこと、旧作に追放したらいいんじゃないかしら」
彼女の周囲を固める親衛隊の諸々も、色々と、黒歴史に触れそうなことをさらりと言ってのけるほど気が立っているようである。
わからないでもないなぁ、と思いながら、美鈴は地面を蹴った。
そして、
「そこの黒白! 止まりなさい!」
「だが断るぜ!」
「だから先制なしでカードは反則でしょういつもいつもぉぉぉぉぉぉっ!」
それでも美鈴も素早いものだ。真っ正面から真っ向勝負で放たれる一発を辛うじて回避して、全く、と憤る。
「どうして、あなたには倫理観とか常識というものが欠如してるんですか!」
「私の辞書にそんな言葉はないぜ」
「書き加えておきなさい! 油性マジックか何かで極太に!」
「まぁ、機会があったらな。
……んで? お前さんもここに出てきた、ってことは、私の邪魔者として受け止めてもいいんだよな?」
「ええ、どうぞ。せっかくですから、あなたがルール違反しまくるのなら、私だってルール違反しちゃいますよ」
「ほーう?」
「幻想郷の果てまで蹴っ飛ばされても文句は言わないでくださいね?」
かつて、写真を求めて強行突入してきた天狗を軽々と撃墜しまくった、あの恐ろしい脚を披露しつつ、美鈴は言った。
ちなみに、チャイナドレスの裾から伸びる、もう冬だというのにタイツにも覆われていない生足は色々と反則だった。見事な脚線美に加えて、柔らかそうな太ももに、肉付きのいいふくらはぎなど。あれで膝枕してもらったら最高だよなぁ、と誰もが認める脚である。さらには、ぎりぎりのラインが見えそうで見えない、この極めて限界突破直前の臨界事故直前の覚悟にまで持ち上げられたスリットは最強だった。門番隊の中で、美鈴ファンのもの達が、即座に、天狗から高値で購入したカメラを取り出してシャッター切りまくるほどだ。
なお、美鈴はそんなカオスに気づいておらず、構えを取ったままの姿勢で侵入者――魔理沙を見据えていた。
「ふっ……。ルール違反が常態化するというのなら、私にだって作戦はあるんだぜ」
「……ほう?」
「弾幕勝負は、よけられる弾幕を放つことがルールだ」
「まぁ、そうですね」
「ならば! 一ドットの隙間もないほどマスタースパークで埋め尽くすというのもまた一興!」
んなことやったら東方が発売できなくなるじゃないか! という悲鳴が上がった。あまりにも極悪非道な魔理沙の発言に非難が集まり、遠く神社では異変を感じ取り、巫女が出陣の儀式を整えた頃、魔理沙は反則マスタースパークを放つ構えに入った。
「さあ、行くぜ! マスター……!」
――幻世『ザ・ワールド』
「よいしょ」
「スパー……って、ほうきがないっ!?」
「あ」
「お前これ反則過ぎだろぉぉぉぉぉっ!?」
ぼちゃん。
ばしゃばしゃ
ぷはっ。ぜーはーぜーはー。
「小悪魔」
「はい」
「パ、パッチュさん!? いつからそこに!?」
「錬金符『生きてる縄』」
「いたたたたっ!? か、勝手に絡みついてくるぞこれぇぇぇぇぇぇっ!?」
「かつて、『伝説の怪盗』と呼ばれた少女を二度にわたって捕まえた代物よ。あなたには決してほどけないわ」
「いや違ういや違う! 痛いからこれ痛いからっ!?」
「そう言えばこの前、締め付けすぎて金属バットが真っ二つに両断されてましたね」
「ま、いいんじゃない? こいつは金属バットより頑丈だし」
「そうですね」
「ちょ、ちょま、待ってくれぇぇぇぇぇぇぇ!?」
「さあ、小悪魔。彼女を紅魔館の屋根から逆さづりにする作業に戻るわよ」
「かしこまりました」
「いぃぃぃぃぃやぁぁぁぁぁぁぁ!?」
「……あ、咲夜さん」
その狂乱ぶりを眺めていた美鈴は、いつの間にか、紅魔館最強(主にカリスマ的な意味で)のメイド長が佇んでいるのを見つける。大方、時間を止めて現れたんだろうな、と思ってから『ありがとうございました』と頭を下げた。
「さすがの私でも、よけられないマスタースパークはちょっと」
「全く。
あなたは本当に、侵入者に対して生温いわね。容赦なく、後ろから首を絞めるくらいはやりなさい」
「さすがにそこまで肉弾戦な弾幕はちょっと……」
「構う必要はないわ。不作法なお客様には丁重にお帰りいただくのが、我が紅魔館のルールでしょ?」
その不作法な侵入者は、ただいま、紅魔館の屋根から本当に逆さづりにされている最中だった。楽しそうに、日傘を持ってフランドールもそれに参加していたりするのだが、それはさておき。
「ともあれ、業務を遂行できなかったことについては、評価にマイナスの査定が入るのは覚悟してなさい」
「はい。
あ、でも、マイナスするのは私だけで。私が門番隊の責任者ですから」
「……ったく」
地面に降りていく咲夜を追いかけて、美鈴も、また。
門番隊数名も彼女たちに続き、地面に降り立った一同を取り囲む形で、はらはらしながら成り行きを見守っていたもの達が駆け寄ってくる。
「お疲れ様でした、メイド長、それに門番長」
「お見事です」
「ありがとう、みんな」
「あなた達。人のことを褒める前に、自分を磨くことに努めなさい。
そもそも、最近、あなた達はたるんでいるわよ。確かに寒くなって外勤は辛くなってきたけれど、やれ、カイロを支給してくださいとか、やれ、休憩時間を増やしてくださいだとか。あなた達には、紅魔館の一員としての責務があるわ。その自覚が全く足りていない」
「咲夜さん。その件につきましては、私の方からも言っておきますから」
「第一。
美鈴、あなたがそうやって優しすぎるのが問題なのよ。あめとむちという言葉を知らないの? 生温い温室環境で純粋培養してどうするの。全く、これだからあなたは――」
「……また始まったね」
「始まったね……」
がみがみくどくど怒る咲夜に、美鈴がひたすらぺこぺこ頭を下げる光景は、もはや紅魔館の風物詩だ。一応、両者共に本気で怒って謝っているのだが、どこか微笑ましい感じが漂うのはなぜだろうと、もっぱら、この頃、紅魔館で働くもの達の間では有名である。
「ともかく! わかった!? いいわね!?」
「はい、わかりました」
「……もう。
それじゃ、あなた達も解散。引き続き、業務に励みなさい」
そして、お説教はこのような流れで終わる。怒ることで毒抜きをされた咲夜は、軽く肩をすくめて踵を返す。いつもの光景である。
そんな中、カリスマで周囲を統率する咲夜とは違い、親しみやすさという人望で周りに慕われる美鈴とでは、やはり、その後の状況も変わってくる。
「メイド長、お疲れ様です」
「内勤に戻るわ」
出迎えるものが頭を下げる咲夜と。
「美鈴隊長、ごめんなさい」
「私たちのせいで……」
「いいの、気にしないでね」
周りから、違う意味で頭を下げられ、それに笑顔を返す美鈴と。
どっちが得なんだろうな、と思うのが、近頃の咲夜の日課に加わっていたりする。
――そんな日常に、今日は一つ、違和感が混じっていた。
「美鈴隊長、本当に……いつもいつもありがとうございます」
「いいよ。別段、あなた達は気にしないで」
「……隊長って、本当にお優しいですよね」
そんな彼女に、憧れと羨望の眼差しを向ける少女が一人。確か、彼女はこの前、紅魔館の定期採用で門番隊に配属された人員だったな、ということを咲夜は覚えていた。
しかし、日々、忙しい彼女にとっては、特に親しくもない『仲間』に向ける感情はその程度のものである。『今日の午後は、館の一斉掃除が待っているわよ』と、出迎えのメイド達に告げて、そこを後にする。その日は、そんな流れで、一日も過ぎていったのだった。
「この頃、平和ですねぇ」
「そうですねぇ」
「黒くて白いのも、逆さづりがきいたのに加えて、巫女が『ほんともう、このバカたれが迷惑かけます』って遠隔夢想封印しながら連れて行ったおかげで、この頃は静かですし」
メイド達のお茶会というものが、定期的に、紅魔館では行われている。日々の業務の合間を縫って優雅なティータイムを楽しもうという呼びかけで始まったものなのだが、近頃は、それを楽しみに毎日の業務をこなすものもいるほど、彼女たちにとっての『癒し』の時間帯としての地位を確立していた。
そして、今日、そのティータイムを演出しているのは、長年、紅魔館に務めるベテランメイド達である。日々の仕事は新米メイドの数倍、裏のメイド長とも言われるもの達は、このティータイムに参加することが極端に少ない。言うまでもなく、激務の中に休日を見いだすのが非常に難しいからである。
だからなのか、ベテランメイド達のお茶会は、実に優雅なものだ。その姿に憧れを覚えて、『あたしも先輩みたいになる!』と息巻くメイドもいるほどである。
「この頃は、お嬢様のかんしゃくも起きませんし」
「レストランの運営も順調ですし」
「パチュリー様の奇妙な実験もなりを潜めたし」
『本当に平和ですね~』
彼女たちの声が唱和したところで、ドアがノックされる。
「失礼します」
やってくるのは、彼女たちと同じく、ベテランの地位に列せられるメイドである。ただし、紅魔館において、仮に通常業務や防衛任務に当たるものを『表』メイドとするのなら、レミリアが勝手に設立した、それ以外の汚れた仕事を担当する『裏』メイド部隊に所属するものである。なお、この裏部隊の存在を認知しているものは、レミリア以外ならばパチュリーと、ここにいるベテランメイド達程度のものである。あのメイド長である咲夜にすら、その存在が秘密裏にされている特殊部隊なのだ。
紅魔館って軍隊だっけ? という疑問については、誰もが浮かべるところだが、それすらも些細な問題が、彼女の口から発せられる。
「咲夜さまが、近頃、妙にそわそわしておられます」
「……何かあったかしら?」
「うーん……」
「……冬と言えばクリスマスね」
「キリストの聖誕祭を祝ってどうするの。仮にも吸血鬼の館のものが」
「だけど、お嬢様も『クリスマスケーキ食べたい!』って騒ぐ頃よ」
「それもそうね」
ヴァンパイアの威厳、ここに消滅。
「ああ!」
そして、そのベテランメイド達の中でも、特に人望と優秀さのおかげで、周りから慕われる巨乳メガネメイドが声を上げた。
「クリスマスよ、クリスマス!」
「……クリスマスはクリスマスだけど、何がどうクリスマスなの?」
「クリスマス。それは、恋人達のメッカ!」
『なるほど!』
誰もが光の速さで納得した。
ちなみに、これが紅魔館クオリティの一環であるのだが、とりあえずそれはどうでもいい。
「そうか……そうよね。もうそんな時期なのよね」
「今年は何を作るつもりなのかしら」
「あら、案外、裸にリボンかもしれないわよ」
「いや、無理ね。あのへたれのメイド長では」
そりゃ言い過ぎだろ、と指摘を受けないのも紅魔館クオリティ。
「……なら、そろそろ、私たちも本腰を入れる時期かしら」
「今年は見守るだけというのも考えていたのだけど……」
彼女たちの視線は、報告を持ってきた同僚へ。彼女は端的に、『見張りを継続します』と告げて退出した。心なしか、『しゅっ』という音がしたような気がするが、もちろんそれは気のせいだ。
「後日、彼女たちからの報告を待ちましょう」
「ええ」
「そして、今年も、私たちのバックアップが必要となった、その時には――」
『我らが十六夜メイド長のために!』
さしずめ、IS団といった誓いを立てて、彼女たちは、『それじゃ、お茶が冷めちゃうから』とお茶会を再開する。情に厚いのか薄情なのかわからない彼女たちもまた、とてもすごい紅魔館クオリティなのである。
「この前は編み物だったから……今年はケーキ……いやでも、あの美鈴相手にケーキってのも……。プレゼントの定番って何かしら……」
「メイド長?」
「うひゃうっ!?」
ぶつくさつぶやきながら歩いていくメイド長は、後ろからかけられた声に、まるで漫画のように飛び上がって驚いた。普段のクールなメイド長からは想像も出来ないほど愉快なリアクションに、思わず、声をかけたメイドは『何じゃそりゃー!』って言うべきなのかしら、と本気で悩み出したのだが、
「な、何かしら?」
引きつりながらも、普段の『メイド長』を演じる咲夜に、とりあえず敬意を表して、『何でやねん』と心の中でツッコミを入れるに留めておく。
「えっと……本日の、各部屋の掃除当番のシフトで……」
「ええ、それが何か?」
「どうして、メイド長の部屋だけ、ずーっと『メイド長』になってるんですか?」
お仕事が多いのですから、私たちに任せてくれても……、ということだった。
しかし、咲夜にはそうもいかない理由があるのである。普段は別に構わないのだが、今のこのシーズンはやばいのだ。
「あ、えっと……その、ちょっと、部屋の模様替えを考えていて。せっかくだから、この忙しい時期に、周りの仕事とまとめてやっちゃおうって考えてるのよ」
「はあ」
それって、余裕が出来た時にするもんじゃないかなぁ、とは思ったが、とりあえず、口には出さなかった。誠、メイド長思いの彼女である。
「えっと……じゃあ、とりあえず、それだけで」
「ええ。よろしくね」
「……かわいいなぁ」
そのつぶやきは、無事、咲夜には聞こえなかったようである。
うまく彼女への言い訳が出来たと思った咲夜は、そのまま意気揚々と踵を返した。
「……そうね。せっかくだから、サプライズがいいかもしれないわ。何も、形に残るものが全てじゃないし……」
その演出をどうしようかと考えつつ、とりあえず、相手の予定を伺っておくべきだろうと、咲夜は思ったらしい。その足が、館の表へと向いた。この時間帯、その『相手』は門の前で大あくびをしている頃合いだからである。たるんでるわよ、と警告するというもっともらしい理由があれば、その相手の元に足を向けるのも、また、その理由をつけるのも、彼女にとってはたやすいことだった。
心なしか、彼女のステップも軽い。やはり、人間、楽しみなことがあると、それを隠そうとしても隠しきれないようだ。
「……あ」
トイレ休憩か何かだろうか。
ちょうど、その『相手』が目の前を横切るのが見えた。少しだけ、姿勢を正して、緩んでいた頬を引き締めると、「ちょっと」と声をかけようとして――、
「……あ、あの、美鈴隊長」
「何? 用事、って」
そこに、予想していなかった風景があった。
咲夜の『目当て』の相手の前で頬を赤らめてもじもじしているのは、少し前に、彼女に羨望の眼差しを向けていた、門番隊の新入生だ。彼女は上目遣いに美鈴を見上げ、『あの……』と口を開く。
「実は……その……折り入ってお願いがあるんです……」
「何? 私でよければ」
「あ、あの!」
がたん、という音がした。
「……?」
「何でしょう?」
その音のしたところ――通路の曲がり角へと、美鈴は顔を覗かせるのだが、音の源になりそうなものはない。心霊現象か何かでしょうかね、と彼女はあっさりと結論をつけた。この館は悪魔の館であるため、そう言う噂にも事欠かないのである。
「それで、用事って何?」
「……大変な事態になったようですね」
「ええ……まさか、このような」
ゆゆしき事態です、となぜか妙に暗い室内で、ベテランメイド達が円卓を囲んでいた。
「……どういたしましょう?」
「……さすがに、個人の恋愛は自由ですからね。その恋を諦めろ、とは言えませんし」
それはそれで、その相手の心を大変に傷つけてしまうことになる。彼女たちだって女性だ。恋が破れる辛さは、誰よりもよく知っている。しかも、それが外部からの横やりで、などとなれば、到底、承伏できることではない。断固として戦おうとするだろう。最悪、『あなたを殺して私も死ぬ』の血みどろの修羅場になってしまう。
「一体、どうして?」
「……さあ? ですが、門番長は人気が高いですから」
「紅魔館の不文律に触れるには、まだ彼女は日が浅いのも原因の一つかと」
「……なるほど。一目惚れ、か」
ロマンスあっていいわねぇ、と妙に乙女チックな会話が、この後、しばらく続くのだが、それはカットしよう。
議題の中心へと、話題が戻ってきたところで、その中の一人が声を上げた。
「さすがに、今回の一件については横やりを入れるのは危険だわ。あくまで、外堀を埋める作業に執心しましょう」
「……退路を断つ、と?」
「……それもまた、一種の危険な賭ですね。オッズは最悪……でしょう」
成功すれば大当たりもいいところだが、負ければすってんてん。最悪、人生のはかなさについて考え込んでしまう可能性も出てくる。
どうしたものか。
誰もが悩む中、『誰かに相談しましょう』という言葉は出てこなかった。当事者達の問題なのだから、相談に行くのは、その当事者なのだ。
「まずは現状把握と、今後の推移を見守ることに重点を置きます。その後、彼女たちの外堀を埋めて退路を断ち――」
「……本丸攻略へ、と」
「出来れば、ですけどね」
暗雲立ちこめる紅魔館恋愛事情の先行きに、誰もが不安を覚える中。
ふと、『……まぁ、これもセオリーよね』と誰かがつぶやき、そりゃないだろ、と全員がそろってツッコミの声を上げるのだった。
一応、お嬢様にお伺いを立てましょう、とメイドの一人が彼女の部屋を、その後、訪れていた。
しかし、紅魔館を統べるちみっちゃいお嬢様は『あら、そう。そんなことになっているの。まぁ、ほっとけばいいんじゃない?』と完璧に他人事だ。もっとも、他人事と言われてそれを否定できる要素もないのだが。そんなお嬢様の関心は、むしろクリスマス本体にあるらしく、『それよりも、今年のケーキは何なのかしら?』と、すでに笑顔のうきうき状態である。しかも、このお嬢様、何とサンタクロースを信じている。吸血鬼にとって、そっち方面は、むしろ敵なんじゃないかと誰もが思うのだが、『今年も、靴下の用意をしたのよ』と笑顔で言われては、もうどうしようもない。
とりあえず、今回の一件については、お嬢様は全く頼りにならない。
そう判断した彼女は、自分たちで何とかするしかない、という責任感を背負いつつも、『だけど、本人達の問題だしねぇ』と悩まずにはいられなかった。てくてくと、館の中を歩いていく。途中、サボってるメイド達を叱りつけ、その背中に『お姉さま、ス・テ・キ』な視線を浴びながら、彼女は歩いていく。
「……あら」
その視線が、今回の一件の中心人物二人を捉えた。なお、彼女も妖怪であるため、一般的な人間が持つ視力や聴力など鼻で笑えるレベルだ。彼我の距離は、まだかなりのもの。にも拘わらず、その耳には、彼女たちの会話が鮮明に聞こえてくる。
「もうそろそろ、クリスマスの時期になりましたねぇ。最近、外では雪もちらつくようになってきて」
窓から外を眺める美鈴女史の隣では、浮かない表情の咲夜女史。
まずいわね、と思いながら、彼女は二人との距離を縮めた。そして、そこにつながる通路に陣取り、やってくるメイド達を『今、取り込み中だから』と追い返しつつ、ことの推移を見守る。
「というか、うちでクリスマスってやっていいんでしょうか? 前々から、ものすっごく疑問だったんですけど」
「……まぁ……豆まきやるくらいだし……」
「紅魔館も寛容になったもんですよね」
それについては、特に依存のない事実である。
一昔前は、誰もが恐れる、泣く子も黙る紅魔館、だったはずなのだが、今やどっからどう見てもテーマパーク。……ま、それも文化よね、と潜む彼女は一人で納得する。
「それで。
用事、ってなんですか?」
「……その……。
今年の……クリスマスなんだけど」
「はい。
ああ、もしかして、プレゼントは用意した? とか、そういう請求ですか?
やっだなぁ、咲夜さん。私がその手のものに対してノーチェックであることは……」
「ちょっと、忙しくなりそうなの」
あはは、と笑いながら応える美鈴に、咲夜が一言、ぽつりと。
「忙しく……ですか?」
一瞬、表情の固まった美鈴が、すぐにその顔を元のように日だまりお日様顔に戻して訊ねる。ええ、と咲夜はうなずいた。
「珍しいですね。この時期に」
「むしろ、この時期だからよ。
以前は、そうでもなかったけど……。まぁ、内輪で騒ぐだけの時間はあったけれど。ほら、最近は……ね?」
「まぁ、わからなくもないですね」
「それに、今年、クリスマスにレストランの方で団体客の予約が入っていて」
「あれ? そうでしたっけ?」
「知らないの? あきれたわね。
まぁ、それに関しては、こっちで全部やるつもりだから。あなたは、門番隊のみんなとクリスマスを楽しんでちょうだい」
そう、口早に告げると、くるりと、咲夜は踵を返してしまった。
美鈴が『あ』と声を上げた時には、すでに彼女の姿はそこにはない。大方、時間停止をかけて走り去ったのだろう。その意図がどこにあるのかは、誰にもわからない。
「……そっかぁ。残念だなぁ」
心底、残念そうにつぶやく美鈴は、大きなため息をついて。
「それで。
そこのあなた、立ち聞きはよくありませんよ」
「き、気づかれてるっ!?」
一体、なぜ。
潜む彼女は動揺した。もちろん、気配は殺している。いきなり画面外から弾幕食らわして相手を撃墜という反則奥義でも使えるくらいに。
にも拘わらず、美鈴の視線は、きっちりと彼女の方を向いていた。
「本当にもう……。どうして、うちの人たちってデバガメが好きなんだろ。
何か気になることがあったんだと思いますけど、あんまり礼儀を知らない行為をするのなら、私も怒りますのであしからず」
警告をして、美鈴も立ち去っていく。
隠れていたメイドは、全身に、どっと冷や汗が噴き出すのを抑えられなかった。そのまま、へなへなと、その場に腰砕けになる。
「……い、一体どうして……」
メイド長ですら気づいてなかったのに。
内心でつぶやいて、考え方を変える。そうだ、美鈴さまは武術の達人だったじゃないか、と。
こと、近接接近戦においてなら、そうそう、右に出るものがいないほどの実力者。しかも、彼女は『気を操る』という。ということは、隠れた人間の気配を探り出すことなど、きっと朝飯前なのだろう。
「お、恐るべし門番長……」
「あの、お姉さま? 何してるんですか?」
へたりこんだまま、立ち上がれないでいた彼女は、とりあえず、通りがかったメイドに肩を借りて、何とかその場から退散していったのだった。
「なるほどねぇ。
そこで、恋愛成就には定評のある、我が博麗神社にやってきた、と」
「定評があるとは思いませんが、まぁ、私たちにとって、一番身近な神様ですので」
「よし表に出ろ弾幕勝負だ」
「お納めください」
「あらごめんなさい言葉がすぎたわね」
こめかみに浮かんだ青筋をあっさり消して、メイドから受け取るお賽銭(札束)にあっという間に笑顔になる巫女が一人。
彼女は、その枚数をしっかり確認して、懐へと隠してから、
「けれど、ねぇ?
やっぱり、今回の件については、悪いんだけど……」
「個人の問題ですよね」
「そうそう。
前回みたいに、紫とかが邪魔しに行くわけでもなし、以前みたいに、痴話喧嘩があったわけでもなし。はっきり言って……横恋慕、ってわけじゃないんでしょ? 倫理的に………………………まぁ、いいや。倫理的に問題がないものとして、それを前提に話しましょう」
一瞬、『そう言えば、女同士の恋愛ってどうなんだろ』と思ってしまったために、言葉に詰まるが、『しかし恋愛は自由である』という標語を思い出して、巫女。
彼女は、ずずー、とお茶(これも紅魔館提供)をすすりながら、
「それなら、私から、その子に『恋愛するのやめろ』とは言えないわよ。さすがにかわいそうだもの」
「そうですよね。私もそう思うんです」
「だが、私なら、むしろ恋は略奪するぜ!」
「うるさい黙れ」
「あれー」
飛び込んできた魔法使いに対して、その首と腕と足をがっちり極める巫女サブミッションを極めながら、
「当人同士でじっくり話し合い、ってわけにもいかないだろうし。成り行き任せしかないわよ」
「痛い痛いマジで痛い!」
「まぁ……そうなんですよね。
ただ、咲夜さまを見ているのが辛くて……。表情は浮かないし、ご飯、残してばっかりだし……」
「……深刻ねぇ。
っつか、マジで乙女だわ」
「し……死ぬ……」
けいれんが始まったところで彼女をぽいと放り投げ、巫女――霊夢は、その場に居住まいを正した。
彼女は、お茶をすすりつつ、大福(やっぱり紅魔館提供)をかじり、
「とりあえず、恋愛成就のお参りでもしていく?」
「……そうですね。
ただ、私としては、美鈴さまに恋心を抱いている子も、一緒に幸せになって欲しいと思うんです」
「優しいわねぇ。珍しい妖怪だわ、あんた」
よく言われます、と彼女は苦笑した。
「ただ、他人に優しいのは悪いことではないと思うんです」
「それはそうだけどね」
「やっぱり、若い子達が幸せになるのを見るのは、親心に通じる何かがありますし」
「それについては同感。女として、同じ女には幸せになってもらいたいし」
「ただ、二者択一なんですよね」
「うむ」
「だからそう言う時は、むしろ奪い取るくらいの気持ちで……!」
「まぁ、とりあえずさ」
起き上がった魔法使いを抱え上げて、脳天から垂直落下させてから、
「こっちこっち。お祈りのお手伝いしたげるわよ」
「はい」
「……あ、頭が……頭が割れる……。霊夢……お前、近頃、ツッコミ厳しいぜ……」
「厳しくしないと通用しない連中増えすぎだからな」
それについては、大ダメージを受けた魔法使いも、反論することは出来なかったらしい。もっとも、頭を激しくぶつけているため、言葉にならないと言う方が正しいのかもしれないが。
紅魔館へと戻ってきた彼女は、出迎えに出てきたメイドに『現状は?』と訊ねた。
無言で、メイドは首を左右に振る。それに事態を推察した彼女は小さくうなずくと、足早に、図書館へと向かった。その図書館で待ちかまえていた魔女は、開口一番、『私は知らない』と応えるだけだ。
「別にアドバイスをもらいに来たわけじゃなくてですね。
ただ、本をお借りしたく思いまして」
「あら、そう。小悪魔、適当なのを見繕ってやって」
「はい」
小悪魔に案内されるまま、彼女が手に取ったのは、一冊の恋愛小説。なお、この図書館に、なぜこういう類の書籍が収められているのかは、そこの主である魔女にもわからないことらしい。
ともあれ、その本を借り受けて、彼女は図書館を後にした。
「すいません」
こんこん、と一枚のドアをノックして、彼女。
現れるのは、紅魔館きっての女傑。鬼のメイド長と名高い十六夜咲夜だ。ただし、今現在、その表情は実に暗い。
「あら、何かしら」
それでも、彼女を見て、普段の『自分』に戻るけなげな咲夜に、彼女は一瞬、よけいな一言を口にしようとして、すんでの所で思いとどまった。
彼女は手にした本を咲夜へと。
「これは何?」
「パチュリー様からお借りしてきました。メイド長がお好きな本が入ったとの情報を得ていましたので」
「あら……そう。悪いわね」
「いいえ」
「ところで」
「はい」
「私に、何か用かしら?」
何でじろじろこっち見てるのよ、ということだった。
慌てて、彼女は『ぶしつけなことをして申し訳ありません』と頭を下げる。咲夜は、普段なら、この後にくどくどと説教を始めるのだが、今はそれどころではないらしく、『次からは気をつけなさいよ』と踵を返すだけだ。
「……ふぅ」
ほっと一息ついてから、その視線を、彼女は背後へ。
「ずいぶん奮闘しているようですね」
「さすがに、『事態に任せるつもり』とは言ったけれど、見ているだけじゃ辛いから……」
「あまり関わりすぎると、あなたが恨まれるわよ」
「それでもいい。私は……恋をする人、みんなに幸せになって欲しいから」
「程々に」
やっぱり『しゅっ』という音を立てて消えるメイド。もちろん、裏メイド部隊所属の、言ってみれば隠密のようなものである。
彼女を見送ってから、よし、と気合いを入れて。
「メイド長、ファイト」
その言葉を、ドアの向こうへと贈ったのだった。
そして、明けて当日のことである。
なお、クリスマスとは、一般に十二月の二十五日を示すものだと言うことは当然なのだが、なぜか世間一般では、その前夜祭のイブの方が有名だ。ここ、幻想郷でもそれは変わらないのか、そもそも『イブがクリスマス』と思っている輩の多いこと多いこと。具体的には赤い館のお嬢様など。
まぁ、それはともあれとして。
「メイド長」
「用意は出来ている?」
廊下を歩く彼女を何気なく呼び止めるメイドが一人。言うまでもなく、先日、咲夜の部屋に本を持って行った彼女である。こと、こういうことに関しては、彼女がメイド達を統率する立場にあるのだ。
もちろん、咲夜はそれを知らないのだが。
「ああ、はい。
言いつけの通り、館内の装飾及びクリスマスパーティーに向けての準備もすみました」
「そう。お嬢様達は?」
「『今年は、どんなプレゼントがもらえるのかしら』って、二人そろってうきうきしてます」
「……吸血鬼なのにね」
「……ええ、ほんと」
なぜか、それに関しては、両者共に同じ意見を持っているらしい。
まぁ、わからなくもないのだが。
ともあれ、二人は、ほぼ同じタイミングで『こほん』と咳払いをしてから、
「それじゃ、今日も一日、お仕事、頑張ってちょうだい」
「はい」
ぺこりと一礼し、彼女は咲夜の隣を抜けていく。その隣をすり抜けざま、『そう言えば、先日の本は面白かったですか?』と、自然な流れで問いかけた。
「そうね……。
それほど、悪くはなかったわよ。暇つぶしの材料にはなったし……まぁ、こんなことを言うと、うちの図書館の主に怒られてしまいそうだけど、本は、一冊あれば、本当にいくらでも時間がつぶせるのね」
「そうですね」
「感想としてはそんなところ。他に何か?」
「そう言えば、あの本の題材も、クリスマスでしたね」
ぴくっ、と咲夜の肩が動いた。
それを見て『食いついた』と判断した彼女は、軽く、流れるような動作で後ろを振り向く。
「私、あの本はまだ読んでいないので、どんなラストだったかはわからないので。よろしければ、どんな感じだったか、教えてくれませんか?」
「……そうねぇ。
まぁ、ありきたりな恋愛ものかしら。私が、この手の本を好きなことを黙っていてくれるのなら、軽く話してあげるけど?」
言われなくとも、咲夜の少女趣味は、彼女と館の館主とその妹以外、みんな知っていることなのだが。
しかし、ここはメイド長の顔を立てるのが、一メイドとしての正しいあり方だろう。はい、とうなずき、紅魔館最強奥義の一つ『鉄の笑顔』を浮かべる彼女に、咲夜が振り返る。
「何のことはない、本当に、普通の恋愛小説よ。
軽い行き違いと和解。まぁ、ありがちだけど、ありがちだからこそ、多くの人に受け入れられていると言うことなのよね」
「王道、ということですね」
「一歩間違えばつまらない代物だけど、それ故に、どんな人にも受け入れられる可能性のある、幅広い裾野を持ったジャンルだわ」
「はい」
「おかげで、読み始めからストーリーがわかっちゃったわよ」
あれじゃダメね、と彼女。
苦笑を浮かべるものの、その瞳は、全く『つまらなかった』という色は浮かべていなかった。
「かわいいものよね。あれこれ悩んだり、何だかんだと手をこらしてみたり。
結局、そういうものが、みんな空回りしてしまうのは、あの手のヒロインの宿命というやつかしら」
「見ているだけの方がいいときもある、って言いますしね」
「物事なんてなるようにしかならないものだしね。
もっとも、うちのお嬢様なら、自分の好き勝手なことが出来てしまえそうだけど」
それが逆に羨ましい、と彼女はつぶやいた。
――しまった。
咲夜の表情を見た瞬間、その感情が頭の中に浮かび上がる。
「……ほんと、羨ましい話よ。
まぁ、そんなところ。あなたも女なのだから、恋愛小説の一つや二つは読んだことがあるでしょう? 事実は小説よりも奇なりとは言うけれど、現実は、そう簡単に本の世界を飲み込むことはないわ」
「あ、あの……」
「じゃ、お仕事、頑張ること」
踵を返して、咲夜は歩き出した。
その後ろ姿に、かける言葉もないまま、佇む彼女。先日、あの本を持って行ったことが完全に裏目に出てしまったことに、彼女は頭を抱え込んでしまった。よかれと思ってやったことが、完全に、彼女の思惑を外れてしまった形だ。
「見ているだけがいいとは言うけれど……」
しかし、見ているだけではいられないことだって、世の中にはたくさんあるのだ。そうした事態に相対した時に行動を起こすのは悪いことではないだろう。
もっとも、それが、その当人が予想していたとおりの結果を招くかどうかはわからない。確率は五分五分だ。そして、彼女は、見事に『悪い方』の五分の確率を引き当ててしまったのである。
「……失敗したわね」
「……仕方ない。これは、完全に私の判断ミスよ。出来うる限りのフォローをするわ。作戦はフェイズ2に移行!」
「了解」
その彼女の後ろ――どう見ても影にしか見えないところからした声が、気配と共に消失する。かなり面妖な光景だったのだが、それに冷静なツッコミを入れる人物は存在していないため、一応、どうでもいい。
それよりも、今のこの事態をどうするかだ。
出来ることなら、可能な限り、いい方向へと動いていくように尽力しなければならないのだが、現実、それはかなり難しいことだった。
「だけど……諦めていられない」
事態を悪くさせてしまった原因は自分。
その責任感を胸に、彼女は踵を返した。紅魔館メイドの鉄則、館の中では上品に、の標語をあっさりと破り、スカートを翻して駆け抜けていく彼女を見たとあるメイド達は、『お姉さま……何があったのかしら……?』と、本気で心配したという。それほど、今のこの状態は『やばい』ものだった。
「ところで思うのだけど」
「はい」
「……うちのお嬢様達って吸血鬼だったわよね?」
「……ええ、まあ」
「……まあ、寝る子は育つと言うし」
「私がここに務め始めたのは、今から百年以上前ですけど……その頃からあのまんまですよ?」
「……気にしない方がいいわね」
「メイド長、それが正しいです……」
それに、明日の朝、『プレゼントが来たー!』と騒ぐ二人を見るだけでもいいじゃないか、ということらしかった。
クリスマスの夜は更けるのが早い。
多分に、それは体感的なものにすぎないはずなのだが、あっちこっち走り回って忙しく過ごしていると、どうしても、時間というものが早くすぎるように感じて仕方ないのだ。
咲夜も、それは同じこと。むしろ、他のメイド達よりも人一倍、仕事量の多い彼女なら、よけいに時間の経過は早いだろう。だからなのか、彼女は『疲れたわね』と言わんばかりに、肩をもみほぐす。
「ま、まあ、ともあれ。
今日一日の業務、お疲れ様。明日も頑張ってね」
「はい」
「それから。
今日、西館側の階段でおしゃべりをしている子達が大勢いたから。次やったら承知しないってことを伝えておいてちょうだい」
「わかりました」
「あとそれから、明日は……」
「メイド長。お仕事はもう終わりですよ」
「……ぐっ」
そういうところのけじめはしっかりしないといけません、ということらしかった。
いつでもどこでも仕事のことばかり考えるのではなくて、仕事が終わったら、きちんと『仕事』を終えないといけない。そのことを相手に諭されて、珍しく、言い負かされた咲夜は踵を返す。
「私は戸締まりの確認が終わったら寝るわ」
「……全くもう」
メイドの、そのつぶやきは聞こえないふりをして。
咲夜は、相変わらず、無駄に広い紅魔館を歩いていく。と言うか、こういう時くらいはいじってる空間元通りにしてやろうかと思うほど、この館の中はとかく広い。業務で疲れた体には少々こたえるのか、彼女の足取りも、若干、重たいものだった。
暗い廊下を右手に曲がり、一枚ずつ、ドアや窓が開いてないかをチェックしていく。
――と、
「あら、小悪魔」
「ああ、咲夜さん、こんばんは」
「どうしたの? こんな時間に」
「図書館の主が、今日も一日、徹夜で魔法の研究をしたいらしくて」
お茶を淹れに行くんです、ということだった。
「なるほど。あなたも大変ね」
「まあ、それ以外に仕事もないので」
図書館司書は、図書館の主の世話をすることと、本の面倒を見るのが仕事。それ以外のことはメイド一同に任せてあるのだから、自分の仕事くらいは、きっちり、自分でこなしたいと言うことだった。その彼女の心がけに、最近、若いメイド達は目を盗んでサボることが多いと言うことを愚痴り、『まあまあ』と笑われてしまう。
「まぁ、今日はクリスマスですから。一日くらいは大目に見てあげてもいいんじゃないでしょうか」
「クリスマス……ねぇ。
……そう言えば、あなたは……」
「ぶっちゃけなくてもいいです」
「……そりゃそうよね」
「私は悪魔ですから。
とはいえ、そのクリスマスを楽しみにしている人たちもいることですし。個人の都合で、そう言う人たちの幸せを奪ってしまうのはいかがなものかと」
「……あなた、悪魔よね?」
人の幸せ踏みにじるのが、そもそもの悪魔の存在意義じゃなかろうか。
そう思って問いかける咲夜の視線の先には、当たり前のことだが小悪魔の顔。そうね、この子なら、そんな常識が通用するはずもないわね。
近頃、この彼女が『小悪魔』という名前の天使か何かじゃなかろうかと思っていた咲夜は、よけいな考えを、ある意味、振り捨てる。誠、幻想郷に住まう『悪魔』は悪魔らしくないのが多いのだ。
「そういえば、さっき、あっちの方でプレゼント交換してるメイドさん達を見ましたよ」
「……また?
職場恋愛は結構だけど、それで業務に支障を来すようなことは勘弁して欲しいわ」
「窓の外に天狗さんがいましたけど、『デバガメよくないですよ!』って真面目な犬っ娘が引きずっていきました」
「……あとで、ナイフの一発でもプレゼントしてあげる必要がありそうね」
「あと、表の方でも」
ほら、と窓の外を指さす小悪魔。
ちょうど、紅魔館の中庭が見渡せるその窓からは、彼女の指の先に、一組の、仲むつまじいカップルを確認することが出来た。邪魔するのはよくないわね、と咲夜は視線を外す。
「雨が降れば地面が固まると言いますけれど、この時期は、降り積もる雪を、人の足が押し固めるんですよね」
「まあ、そうね」
「さしずめ、雪はかすがいなんでしょうか」
「それを言うなら『子は鎹』よ」
「案外、そうでもないかもしれませんよ?」
「……雪はね、この赤い館の天敵よ。何でも真っ白にしちゃうんだもの」
ふぅ、と彼女はけだるげなため息をついた。
「雪が白くできるのは表面だけですよ。
降り積もった雪は、誰かが歩いて固めるし。溶けてしまえば、また赤い館が現れます。溶けない雪は滅多にないし。冬はそんな季節です」
それでは。
彼女は一礼して、その場を去った。心なしか、妙に楽しそうだ。その彼女の後ろ姿を見ながら、なるほど、やっぱりあの子は悪魔だわ、と確認して。
咲夜は、館の戸締まりを確認し終えると、自室へと向かって歩き始めた。
「……表面だけが白くなっても、その白さが、とってもきれいなのよね」
雪なんて降らなければいいのに。
そうしたら、いつまでも、この館は赤いままでいられるのに。
――そんなかなわぬものを思いながら、彼女は部屋へと辿り着き、ドアを閉じた。手持ちの、いつもの懐中時計に視線をやる。時刻は、午前の十二時を、もう少しで回ろうかというところ。
それじゃ、お風呂にでも入って寝ようかな。
つと立ち上がって、バスルームへ向かおうとして。
「……?」
唐突に、外から響いた『こんこん』という音に足を止めた。
風が窓を揺らしたのかとも思ったのだが、今日は、外は実に穏やかだ。つい先ほど、直に窓の外を眺めていたのだから間違いない。
「……」
無言で、彼女はナイフを逆手に握ると、窓へと歩み寄った。壁に身を貼り付け、外の様子を確認してから、一気にそれを開け放つ。
「誰!?」
外に、人の姿はない。
身を乗り出し、窓の外を確認するのだが、やはりどこにも、誰もいない。
……ただの気のせいか。
どこか、気が高ぶっているのかなと思いながら、窓を閉める。それと同時に、いきなり室内の明かりが消えてしまった。
「なっ、何!?」
慌てて、明かり取り用の道具が何かないかと手元を探すのだが、そんなものがあるはずがない。誰かのいたずらかと、声を上げて問いただすのだが、もちろん返事などあるわけはない。
――と、なると。
「ま、まさか……ね?」
一応、その手の心霊現象にも事欠かないのが、この幻想郷であるのだが。
だからといって、そこらのおばけが、仮にも幻想郷に名だたる…………………………いや、名だたっているはずだ、多分。ともあれ、その悪魔の館にケンカを売ることは考えられない。
「と、とにかく、明かり、明かり……」
歩み出そうとして。
その肩に、いきなり、『ぽん』と手が載せられた。
雪で白く染まった館に響く、乙女の悲鳴。
通称、『少女絶叫中』。しばらくお待ちください。
「……あ、あの~?」
「きゃー、きゃーっ……って……」
「……本気で怖がらせちゃいました?」
ぱっ、と明かりが戻った。
部屋の隅にうずくまってぶるぶる震えている咲夜を前に、どうしたもんかと困ったような顔を浮かべている人物が一人。
言わずとしれた――、
「め、美鈴!?」
「いやー……ちょっと脅かそうかなぁ、って思って……。まさか、ここまで怖がられるとは……」
「あ、あなたねぇぇぇぇぇぇ!」
「ち、ちょっと! ちょっと待ってくださいよ!
せっかくのクリスマスなのに血みどろの惨劇はやめましょうよぉ!」
色んな意味で顔を真っ赤に染めて、ナイフを持って立ち上がる咲夜に、慌てて美鈴が弁解した。一応、その言葉に、咲夜は怒気を治める形で『一体どういうつもり?』と、ぎりぎりとまなじりつり上げながら訊ねる。下手なことを言えば、即座に、美鈴の眉間にナイフが突き刺さるだろう。
「え、えーっと……。
……まぁ、正直に言うと、日付が変わる前に、クリスマスパーティーしようかなぁ……って」
「……え?」
「あのー……今日、忙しかったんですよね? だから、まぁ、お仕事が終わる頃合いを見計らって……」
そう言われてみれば。
普段、美鈴が身につけているものと、彼女が今、身につけている衣服は違った。一体誰がデザインしたのかは知らないが、この寒い時期に、見ている方が寒くなるほどのミニスカサンタさんだ。そのミニスカサンタさんは、背中に、大きな袋までしょっていた。
「……どういうつもり?」
「どういうもこういうも……。
咲夜さんのことだから、今日、パーティーなんてしてる暇ないわよ、ってお仕事してそうだったから……」
「……」
「門番隊のパーティーも早めに切り上げてきましたし。ケーキも持ってきましたから、ささやかではありますけど……」
「……何でよ」
「え?」
「何で……今更……」
続く言葉は言葉にならなかった。
軽く、鼻をすすって、彼女は視線を挙げる。
「……あの子はどうしたの?」
「あの子?」
「そうよ。あの子……門番隊に、最近、入ってきた子がいたでしょ。
あの子……あなたと……」
「ああ。そう言えば、つい先日まで、『クリスマスプレゼントを作るのを手伝ってください』って頼まれてましたけど」
「……へっ?」
てっきり――そう思っていた咲夜の耳に、予想してなかった返事が聞かされた。
思わず惚けてしまう彼女に、美鈴は首をかしげる。
「えーっと……。
何というか、彼女、門番隊の先輩が好きらしくて。それで、今年のクリスマスに、せっかくだから、って。確か、今、中庭でデートしてるはずですけど」
「えっと……」
「どうしました?」
「……その……あの子に……何かあったんじゃ……?」
「いいえ?」
「……」
「そもそも、そんなこと、誰か言ってましたっけ?」
「……言ってないわね」
海よりも深い沈黙、ここに。
その沈黙を破るのは、沈黙を作り出した当人――つまりは、咲夜だった。「あーもーっ!」と思いっきり怒鳴り、はしたなくも、踵で、床を踏み抜かんばかりに蹴りつけてから、ふん、とそっぽを向く。
「何よ! 私がバカみたいじゃない!」
「えーっと……いきなり怒られても……」
「大体、あなたもあなたよ! どうして、そのことをさっさと言わないの!?」
「どうしてもこうしても……。そもそも、何が何だかわからないんですけど?」
「わっ……!
……わからなくていいわよ」
「……ふーん」
美鈴の視線が、じっと、咲夜に向けられる。「なに見てるのよ!」と怒鳴る咲夜に、なるほど、と言わんばかりにうなずいて。
「もしかして、何か勘違いしてました?」
「かっ……!
し、してないわよ、別に!」
「ほんとにもー。かわいいなぁ」
「かっ……かわいいって……! お、大きなお世話でしょ!」
怒鳴り散らす咲夜に、普段の『クールで怖いメイド長』の印象はなかった。言うなれば、年相応、恋愛経験値が全くたまってない女の子そのものだ。
やれやれ、と美鈴は肩をすくめると、背中の袋を床に置いた。その中を、ごそごそ探り、取り出したのはラッピングされた箱が一つ。
「はい、どうぞ。メリークリスマス」
「い、いらないわよ」
「まあまあ。そう言わずに」
「いらないって言ってるでしょ!」
「この前、里の方に出かけた時、お店で二時間眺めてたお洋服ですけど?」
「ぐっ……」
「強がらずにどうぞ」
せっかくですから、と笑う美鈴の笑顔が、何だか妙に憎たらしく見えた。
咲夜は「うるさいわね!」と怒鳴りながら、彼女からのプレゼントを受け取り、ベッドの上へと放り投げる。
「言っておくけど、あの服、あなたじゃ着られないからね! もったいないから、せっかくだから使ってあげるだけだからね! わかった!?」
「わかりましたわかりました。
それじゃ、ケーキも用意してありますよ。疲れた時は、甘いものが一番です」
「いらない! 太る!」
「ちょっとくらい太ってる方がかわいいですよ」
完璧に、美鈴のペースの会話が続く。
つくづく、こういうところでは、相手に主導権を握られてしまう彼女であるが、その顔にさっと引いた赤みが消えていくことは、決してない。
雪は表面しか白くしてくれない。溶けてしまえば、いつでも、ここは赤い館なのだ。
「はい、あーん」
「あ、あーん、って……あなたねぇ!」
「あ」
「え?」
「はい」
「むぐっ」
――お後がよろしいようで。
「――以上、報告を終了します」
「ご苦労様でした」
翌朝。
ベテランメイド達の会合の場にやってきた報告役のメイドが、相変わらず、『しゅっ』という音を立てて消えていく。心なしか、屋根裏へと、その姿が吸い込まれていったような気がしたが、多分、それは気のせいだろう。
「……杞憂でしたね」
「全く」
「と言うか、美鈴さまが完璧にリードしてるんだから、私たちが手心を加える必要も、そろそろなくなってきたかもしれませんね」
「メイド長を応援する会も、解散間近かしら」
一体、いつのまにそんな得体の知れないものが結成されたのかは定かではない。
ともあれ、彼女たちは『これで、紅魔館も安泰ね』という結論を下して、それぞれの仕事の場へと向かって歩き出した。
「ねぇねぇ、さくやー! サンタさんきたよ、サンタさん! ほら、プレゼント!」
「よかったですね、フランドール様」
「うん!
ねぇねぇ、おねーさまは!?」
「わ、わたしは別に、そう言うの、信じてないもの」
「そうですか? 朝方、私のところに『咲夜、今年はこんなのもらった!』って持ってきたのはどなたでしたっけ?」
「ほ、ほっときなさいよ!」
「うわぁ、お姉さまのところにもサンタさん来たんだ!」
また、ずいぶんにぎやかなことですこと。
視線の先に、実に微笑ましい光景がある。館を統べるちっちゃいお嬢様達の手には、それぞれ、先日まではなかった『サンタさんからのプレゼント』が一つずつ。もちろん、そのサンタさんが誰なのかは言うまでもない。
そして、その『サンタさん』にも、
「おはようございます、メイド長。本日は、お仕事、お休みですか?」
「え? あ、い、いや、こ、これは……」
「構いませんよ。一日くらい休暇を取られても。
それに、そのお洋服、とっても似合ってますから」
「……うぅ」
この辺りに関しては、まだまだ彼女の方が『大人』だ。その『大人』のからかいに、女の子の頬は、赤く染まるのだった。
お前は何かをするのに理由が必要なのか? その理由について、お前はどんな説明を望むのだ? 望むべくして望まれるものなのか?
いいや、答えは否! 理由などはただの行動の動機付けにすぎない! 本当の理由は誰にもわからない! ただ、体の奥底から湧き上がる、熱い衝動がその原点だからだっ!
故に!
私が紅魔館を訪れるのは、そこに本があるからだぁーっ!」
人、それを『自分勝手』という。
「ふぇ~ん……めいりんたいちょぉ~……。またあいつが来ましたぁ~」
「……また、ですか」
「はいぃ~……。百害あって一利なし、存在そのものがむしろ世紀末、一人見かけたら三十人の黒と白のツートンカラーですぅ~……」
「……はぁ」
どうして、あの人は、真正面から『本を読みに来ました。入れてください』って言えないんだろうか。
この館において、あの人物は、一応『客』としてもてなすこともやぶさかではないという結論は出ているのだ。にも拘わらず、あやつは真正面から強行突破してくるのである。それは多分に、戦闘力という面では精鋭のそろっている紅魔館相手に『試し撃ち』などして実験成果の確認などの意味も含まれているのだろう。
巻き込まれる側としてはたまったものではないが。
「……現在、彼女の位置は?」
「湖の、ちょうど真ん中辺り……ああっ! お友達が撃墜されたぁ~!」
一発の星くずが、なぜかはしらねどミルキーウェイ。飛びゆくそれらの真ん中辺りで、次々に爆発発生。煙を噴き上げて落ちていく人物数名。今年の冬は寒いとのことなので、彼女たちの分の医療費は、後ほど、お嬢様に申請されることだろう。
……はぁ、と隊長こと美鈴はため息をついた。
「……わかりました。とりあえず、迎撃しましょう」
「もうなんて言うか、あれ、生きる災厄ですよね」
「いっそのこと、旧作に追放したらいいんじゃないかしら」
彼女の周囲を固める親衛隊の諸々も、色々と、黒歴史に触れそうなことをさらりと言ってのけるほど気が立っているようである。
わからないでもないなぁ、と思いながら、美鈴は地面を蹴った。
そして、
「そこの黒白! 止まりなさい!」
「だが断るぜ!」
「だから先制なしでカードは反則でしょういつもいつもぉぉぉぉぉぉっ!」
それでも美鈴も素早いものだ。真っ正面から真っ向勝負で放たれる一発を辛うじて回避して、全く、と憤る。
「どうして、あなたには倫理観とか常識というものが欠如してるんですか!」
「私の辞書にそんな言葉はないぜ」
「書き加えておきなさい! 油性マジックか何かで極太に!」
「まぁ、機会があったらな。
……んで? お前さんもここに出てきた、ってことは、私の邪魔者として受け止めてもいいんだよな?」
「ええ、どうぞ。せっかくですから、あなたがルール違反しまくるのなら、私だってルール違反しちゃいますよ」
「ほーう?」
「幻想郷の果てまで蹴っ飛ばされても文句は言わないでくださいね?」
かつて、写真を求めて強行突入してきた天狗を軽々と撃墜しまくった、あの恐ろしい脚を披露しつつ、美鈴は言った。
ちなみに、チャイナドレスの裾から伸びる、もう冬だというのにタイツにも覆われていない生足は色々と反則だった。見事な脚線美に加えて、柔らかそうな太ももに、肉付きのいいふくらはぎなど。あれで膝枕してもらったら最高だよなぁ、と誰もが認める脚である。さらには、ぎりぎりのラインが見えそうで見えない、この極めて限界突破直前の臨界事故直前の覚悟にまで持ち上げられたスリットは最強だった。門番隊の中で、美鈴ファンのもの達が、即座に、天狗から高値で購入したカメラを取り出してシャッター切りまくるほどだ。
なお、美鈴はそんなカオスに気づいておらず、構えを取ったままの姿勢で侵入者――魔理沙を見据えていた。
「ふっ……。ルール違反が常態化するというのなら、私にだって作戦はあるんだぜ」
「……ほう?」
「弾幕勝負は、よけられる弾幕を放つことがルールだ」
「まぁ、そうですね」
「ならば! 一ドットの隙間もないほどマスタースパークで埋め尽くすというのもまた一興!」
んなことやったら東方が発売できなくなるじゃないか! という悲鳴が上がった。あまりにも極悪非道な魔理沙の発言に非難が集まり、遠く神社では異変を感じ取り、巫女が出陣の儀式を整えた頃、魔理沙は反則マスタースパークを放つ構えに入った。
「さあ、行くぜ! マスター……!」
――幻世『ザ・ワールド』
「よいしょ」
「スパー……って、ほうきがないっ!?」
「あ」
「お前これ反則過ぎだろぉぉぉぉぉっ!?」
ぼちゃん。
ばしゃばしゃ
ぷはっ。ぜーはーぜーはー。
「小悪魔」
「はい」
「パ、パッチュさん!? いつからそこに!?」
「錬金符『生きてる縄』」
「いたたたたっ!? か、勝手に絡みついてくるぞこれぇぇぇぇぇぇっ!?」
「かつて、『伝説の怪盗』と呼ばれた少女を二度にわたって捕まえた代物よ。あなたには決してほどけないわ」
「いや違ういや違う! 痛いからこれ痛いからっ!?」
「そう言えばこの前、締め付けすぎて金属バットが真っ二つに両断されてましたね」
「ま、いいんじゃない? こいつは金属バットより頑丈だし」
「そうですね」
「ちょ、ちょま、待ってくれぇぇぇぇぇぇぇ!?」
「さあ、小悪魔。彼女を紅魔館の屋根から逆さづりにする作業に戻るわよ」
「かしこまりました」
「いぃぃぃぃぃやぁぁぁぁぁぁぁ!?」
「……あ、咲夜さん」
その狂乱ぶりを眺めていた美鈴は、いつの間にか、紅魔館最強(主にカリスマ的な意味で)のメイド長が佇んでいるのを見つける。大方、時間を止めて現れたんだろうな、と思ってから『ありがとうございました』と頭を下げた。
「さすがの私でも、よけられないマスタースパークはちょっと」
「全く。
あなたは本当に、侵入者に対して生温いわね。容赦なく、後ろから首を絞めるくらいはやりなさい」
「さすがにそこまで肉弾戦な弾幕はちょっと……」
「構う必要はないわ。不作法なお客様には丁重にお帰りいただくのが、我が紅魔館のルールでしょ?」
その不作法な侵入者は、ただいま、紅魔館の屋根から本当に逆さづりにされている最中だった。楽しそうに、日傘を持ってフランドールもそれに参加していたりするのだが、それはさておき。
「ともあれ、業務を遂行できなかったことについては、評価にマイナスの査定が入るのは覚悟してなさい」
「はい。
あ、でも、マイナスするのは私だけで。私が門番隊の責任者ですから」
「……ったく」
地面に降りていく咲夜を追いかけて、美鈴も、また。
門番隊数名も彼女たちに続き、地面に降り立った一同を取り囲む形で、はらはらしながら成り行きを見守っていたもの達が駆け寄ってくる。
「お疲れ様でした、メイド長、それに門番長」
「お見事です」
「ありがとう、みんな」
「あなた達。人のことを褒める前に、自分を磨くことに努めなさい。
そもそも、最近、あなた達はたるんでいるわよ。確かに寒くなって外勤は辛くなってきたけれど、やれ、カイロを支給してくださいとか、やれ、休憩時間を増やしてくださいだとか。あなた達には、紅魔館の一員としての責務があるわ。その自覚が全く足りていない」
「咲夜さん。その件につきましては、私の方からも言っておきますから」
「第一。
美鈴、あなたがそうやって優しすぎるのが問題なのよ。あめとむちという言葉を知らないの? 生温い温室環境で純粋培養してどうするの。全く、これだからあなたは――」
「……また始まったね」
「始まったね……」
がみがみくどくど怒る咲夜に、美鈴がひたすらぺこぺこ頭を下げる光景は、もはや紅魔館の風物詩だ。一応、両者共に本気で怒って謝っているのだが、どこか微笑ましい感じが漂うのはなぜだろうと、もっぱら、この頃、紅魔館で働くもの達の間では有名である。
「ともかく! わかった!? いいわね!?」
「はい、わかりました」
「……もう。
それじゃ、あなた達も解散。引き続き、業務に励みなさい」
そして、お説教はこのような流れで終わる。怒ることで毒抜きをされた咲夜は、軽く肩をすくめて踵を返す。いつもの光景である。
そんな中、カリスマで周囲を統率する咲夜とは違い、親しみやすさという人望で周りに慕われる美鈴とでは、やはり、その後の状況も変わってくる。
「メイド長、お疲れ様です」
「内勤に戻るわ」
出迎えるものが頭を下げる咲夜と。
「美鈴隊長、ごめんなさい」
「私たちのせいで……」
「いいの、気にしないでね」
周りから、違う意味で頭を下げられ、それに笑顔を返す美鈴と。
どっちが得なんだろうな、と思うのが、近頃の咲夜の日課に加わっていたりする。
――そんな日常に、今日は一つ、違和感が混じっていた。
「美鈴隊長、本当に……いつもいつもありがとうございます」
「いいよ。別段、あなた達は気にしないで」
「……隊長って、本当にお優しいですよね」
そんな彼女に、憧れと羨望の眼差しを向ける少女が一人。確か、彼女はこの前、紅魔館の定期採用で門番隊に配属された人員だったな、ということを咲夜は覚えていた。
しかし、日々、忙しい彼女にとっては、特に親しくもない『仲間』に向ける感情はその程度のものである。『今日の午後は、館の一斉掃除が待っているわよ』と、出迎えのメイド達に告げて、そこを後にする。その日は、そんな流れで、一日も過ぎていったのだった。
「この頃、平和ですねぇ」
「そうですねぇ」
「黒くて白いのも、逆さづりがきいたのに加えて、巫女が『ほんともう、このバカたれが迷惑かけます』って遠隔夢想封印しながら連れて行ったおかげで、この頃は静かですし」
メイド達のお茶会というものが、定期的に、紅魔館では行われている。日々の業務の合間を縫って優雅なティータイムを楽しもうという呼びかけで始まったものなのだが、近頃は、それを楽しみに毎日の業務をこなすものもいるほど、彼女たちにとっての『癒し』の時間帯としての地位を確立していた。
そして、今日、そのティータイムを演出しているのは、長年、紅魔館に務めるベテランメイド達である。日々の仕事は新米メイドの数倍、裏のメイド長とも言われるもの達は、このティータイムに参加することが極端に少ない。言うまでもなく、激務の中に休日を見いだすのが非常に難しいからである。
だからなのか、ベテランメイド達のお茶会は、実に優雅なものだ。その姿に憧れを覚えて、『あたしも先輩みたいになる!』と息巻くメイドもいるほどである。
「この頃は、お嬢様のかんしゃくも起きませんし」
「レストランの運営も順調ですし」
「パチュリー様の奇妙な実験もなりを潜めたし」
『本当に平和ですね~』
彼女たちの声が唱和したところで、ドアがノックされる。
「失礼します」
やってくるのは、彼女たちと同じく、ベテランの地位に列せられるメイドである。ただし、紅魔館において、仮に通常業務や防衛任務に当たるものを『表』メイドとするのなら、レミリアが勝手に設立した、それ以外の汚れた仕事を担当する『裏』メイド部隊に所属するものである。なお、この裏部隊の存在を認知しているものは、レミリア以外ならばパチュリーと、ここにいるベテランメイド達程度のものである。あのメイド長である咲夜にすら、その存在が秘密裏にされている特殊部隊なのだ。
紅魔館って軍隊だっけ? という疑問については、誰もが浮かべるところだが、それすらも些細な問題が、彼女の口から発せられる。
「咲夜さまが、近頃、妙にそわそわしておられます」
「……何かあったかしら?」
「うーん……」
「……冬と言えばクリスマスね」
「キリストの聖誕祭を祝ってどうするの。仮にも吸血鬼の館のものが」
「だけど、お嬢様も『クリスマスケーキ食べたい!』って騒ぐ頃よ」
「それもそうね」
ヴァンパイアの威厳、ここに消滅。
「ああ!」
そして、そのベテランメイド達の中でも、特に人望と優秀さのおかげで、周りから慕われる巨乳メガネメイドが声を上げた。
「クリスマスよ、クリスマス!」
「……クリスマスはクリスマスだけど、何がどうクリスマスなの?」
「クリスマス。それは、恋人達のメッカ!」
『なるほど!』
誰もが光の速さで納得した。
ちなみに、これが紅魔館クオリティの一環であるのだが、とりあえずそれはどうでもいい。
「そうか……そうよね。もうそんな時期なのよね」
「今年は何を作るつもりなのかしら」
「あら、案外、裸にリボンかもしれないわよ」
「いや、無理ね。あのへたれのメイド長では」
そりゃ言い過ぎだろ、と指摘を受けないのも紅魔館クオリティ。
「……なら、そろそろ、私たちも本腰を入れる時期かしら」
「今年は見守るだけというのも考えていたのだけど……」
彼女たちの視線は、報告を持ってきた同僚へ。彼女は端的に、『見張りを継続します』と告げて退出した。心なしか、『しゅっ』という音がしたような気がするが、もちろんそれは気のせいだ。
「後日、彼女たちからの報告を待ちましょう」
「ええ」
「そして、今年も、私たちのバックアップが必要となった、その時には――」
『我らが十六夜メイド長のために!』
さしずめ、IS団といった誓いを立てて、彼女たちは、『それじゃ、お茶が冷めちゃうから』とお茶会を再開する。情に厚いのか薄情なのかわからない彼女たちもまた、とてもすごい紅魔館クオリティなのである。
「この前は編み物だったから……今年はケーキ……いやでも、あの美鈴相手にケーキってのも……。プレゼントの定番って何かしら……」
「メイド長?」
「うひゃうっ!?」
ぶつくさつぶやきながら歩いていくメイド長は、後ろからかけられた声に、まるで漫画のように飛び上がって驚いた。普段のクールなメイド長からは想像も出来ないほど愉快なリアクションに、思わず、声をかけたメイドは『何じゃそりゃー!』って言うべきなのかしら、と本気で悩み出したのだが、
「な、何かしら?」
引きつりながらも、普段の『メイド長』を演じる咲夜に、とりあえず敬意を表して、『何でやねん』と心の中でツッコミを入れるに留めておく。
「えっと……本日の、各部屋の掃除当番のシフトで……」
「ええ、それが何か?」
「どうして、メイド長の部屋だけ、ずーっと『メイド長』になってるんですか?」
お仕事が多いのですから、私たちに任せてくれても……、ということだった。
しかし、咲夜にはそうもいかない理由があるのである。普段は別に構わないのだが、今のこのシーズンはやばいのだ。
「あ、えっと……その、ちょっと、部屋の模様替えを考えていて。せっかくだから、この忙しい時期に、周りの仕事とまとめてやっちゃおうって考えてるのよ」
「はあ」
それって、余裕が出来た時にするもんじゃないかなぁ、とは思ったが、とりあえず、口には出さなかった。誠、メイド長思いの彼女である。
「えっと……じゃあ、とりあえず、それだけで」
「ええ。よろしくね」
「……かわいいなぁ」
そのつぶやきは、無事、咲夜には聞こえなかったようである。
うまく彼女への言い訳が出来たと思った咲夜は、そのまま意気揚々と踵を返した。
「……そうね。せっかくだから、サプライズがいいかもしれないわ。何も、形に残るものが全てじゃないし……」
その演出をどうしようかと考えつつ、とりあえず、相手の予定を伺っておくべきだろうと、咲夜は思ったらしい。その足が、館の表へと向いた。この時間帯、その『相手』は門の前で大あくびをしている頃合いだからである。たるんでるわよ、と警告するというもっともらしい理由があれば、その相手の元に足を向けるのも、また、その理由をつけるのも、彼女にとってはたやすいことだった。
心なしか、彼女のステップも軽い。やはり、人間、楽しみなことがあると、それを隠そうとしても隠しきれないようだ。
「……あ」
トイレ休憩か何かだろうか。
ちょうど、その『相手』が目の前を横切るのが見えた。少しだけ、姿勢を正して、緩んでいた頬を引き締めると、「ちょっと」と声をかけようとして――、
「……あ、あの、美鈴隊長」
「何? 用事、って」
そこに、予想していなかった風景があった。
咲夜の『目当て』の相手の前で頬を赤らめてもじもじしているのは、少し前に、彼女に羨望の眼差しを向けていた、門番隊の新入生だ。彼女は上目遣いに美鈴を見上げ、『あの……』と口を開く。
「実は……その……折り入ってお願いがあるんです……」
「何? 私でよければ」
「あ、あの!」
がたん、という音がした。
「……?」
「何でしょう?」
その音のしたところ――通路の曲がり角へと、美鈴は顔を覗かせるのだが、音の源になりそうなものはない。心霊現象か何かでしょうかね、と彼女はあっさりと結論をつけた。この館は悪魔の館であるため、そう言う噂にも事欠かないのである。
「それで、用事って何?」
「……大変な事態になったようですね」
「ええ……まさか、このような」
ゆゆしき事態です、となぜか妙に暗い室内で、ベテランメイド達が円卓を囲んでいた。
「……どういたしましょう?」
「……さすがに、個人の恋愛は自由ですからね。その恋を諦めろ、とは言えませんし」
それはそれで、その相手の心を大変に傷つけてしまうことになる。彼女たちだって女性だ。恋が破れる辛さは、誰よりもよく知っている。しかも、それが外部からの横やりで、などとなれば、到底、承伏できることではない。断固として戦おうとするだろう。最悪、『あなたを殺して私も死ぬ』の血みどろの修羅場になってしまう。
「一体、どうして?」
「……さあ? ですが、門番長は人気が高いですから」
「紅魔館の不文律に触れるには、まだ彼女は日が浅いのも原因の一つかと」
「……なるほど。一目惚れ、か」
ロマンスあっていいわねぇ、と妙に乙女チックな会話が、この後、しばらく続くのだが、それはカットしよう。
議題の中心へと、話題が戻ってきたところで、その中の一人が声を上げた。
「さすがに、今回の一件については横やりを入れるのは危険だわ。あくまで、外堀を埋める作業に執心しましょう」
「……退路を断つ、と?」
「……それもまた、一種の危険な賭ですね。オッズは最悪……でしょう」
成功すれば大当たりもいいところだが、負ければすってんてん。最悪、人生のはかなさについて考え込んでしまう可能性も出てくる。
どうしたものか。
誰もが悩む中、『誰かに相談しましょう』という言葉は出てこなかった。当事者達の問題なのだから、相談に行くのは、その当事者なのだ。
「まずは現状把握と、今後の推移を見守ることに重点を置きます。その後、彼女たちの外堀を埋めて退路を断ち――」
「……本丸攻略へ、と」
「出来れば、ですけどね」
暗雲立ちこめる紅魔館恋愛事情の先行きに、誰もが不安を覚える中。
ふと、『……まぁ、これもセオリーよね』と誰かがつぶやき、そりゃないだろ、と全員がそろってツッコミの声を上げるのだった。
一応、お嬢様にお伺いを立てましょう、とメイドの一人が彼女の部屋を、その後、訪れていた。
しかし、紅魔館を統べるちみっちゃいお嬢様は『あら、そう。そんなことになっているの。まぁ、ほっとけばいいんじゃない?』と完璧に他人事だ。もっとも、他人事と言われてそれを否定できる要素もないのだが。そんなお嬢様の関心は、むしろクリスマス本体にあるらしく、『それよりも、今年のケーキは何なのかしら?』と、すでに笑顔のうきうき状態である。しかも、このお嬢様、何とサンタクロースを信じている。吸血鬼にとって、そっち方面は、むしろ敵なんじゃないかと誰もが思うのだが、『今年も、靴下の用意をしたのよ』と笑顔で言われては、もうどうしようもない。
とりあえず、今回の一件については、お嬢様は全く頼りにならない。
そう判断した彼女は、自分たちで何とかするしかない、という責任感を背負いつつも、『だけど、本人達の問題だしねぇ』と悩まずにはいられなかった。てくてくと、館の中を歩いていく。途中、サボってるメイド達を叱りつけ、その背中に『お姉さま、ス・テ・キ』な視線を浴びながら、彼女は歩いていく。
「……あら」
その視線が、今回の一件の中心人物二人を捉えた。なお、彼女も妖怪であるため、一般的な人間が持つ視力や聴力など鼻で笑えるレベルだ。彼我の距離は、まだかなりのもの。にも拘わらず、その耳には、彼女たちの会話が鮮明に聞こえてくる。
「もうそろそろ、クリスマスの時期になりましたねぇ。最近、外では雪もちらつくようになってきて」
窓から外を眺める美鈴女史の隣では、浮かない表情の咲夜女史。
まずいわね、と思いながら、彼女は二人との距離を縮めた。そして、そこにつながる通路に陣取り、やってくるメイド達を『今、取り込み中だから』と追い返しつつ、ことの推移を見守る。
「というか、うちでクリスマスってやっていいんでしょうか? 前々から、ものすっごく疑問だったんですけど」
「……まぁ……豆まきやるくらいだし……」
「紅魔館も寛容になったもんですよね」
それについては、特に依存のない事実である。
一昔前は、誰もが恐れる、泣く子も黙る紅魔館、だったはずなのだが、今やどっからどう見てもテーマパーク。……ま、それも文化よね、と潜む彼女は一人で納得する。
「それで。
用事、ってなんですか?」
「……その……。
今年の……クリスマスなんだけど」
「はい。
ああ、もしかして、プレゼントは用意した? とか、そういう請求ですか?
やっだなぁ、咲夜さん。私がその手のものに対してノーチェックであることは……」
「ちょっと、忙しくなりそうなの」
あはは、と笑いながら応える美鈴に、咲夜が一言、ぽつりと。
「忙しく……ですか?」
一瞬、表情の固まった美鈴が、すぐにその顔を元のように日だまりお日様顔に戻して訊ねる。ええ、と咲夜はうなずいた。
「珍しいですね。この時期に」
「むしろ、この時期だからよ。
以前は、そうでもなかったけど……。まぁ、内輪で騒ぐだけの時間はあったけれど。ほら、最近は……ね?」
「まぁ、わからなくもないですね」
「それに、今年、クリスマスにレストランの方で団体客の予約が入っていて」
「あれ? そうでしたっけ?」
「知らないの? あきれたわね。
まぁ、それに関しては、こっちで全部やるつもりだから。あなたは、門番隊のみんなとクリスマスを楽しんでちょうだい」
そう、口早に告げると、くるりと、咲夜は踵を返してしまった。
美鈴が『あ』と声を上げた時には、すでに彼女の姿はそこにはない。大方、時間停止をかけて走り去ったのだろう。その意図がどこにあるのかは、誰にもわからない。
「……そっかぁ。残念だなぁ」
心底、残念そうにつぶやく美鈴は、大きなため息をついて。
「それで。
そこのあなた、立ち聞きはよくありませんよ」
「き、気づかれてるっ!?」
一体、なぜ。
潜む彼女は動揺した。もちろん、気配は殺している。いきなり画面外から弾幕食らわして相手を撃墜という反則奥義でも使えるくらいに。
にも拘わらず、美鈴の視線は、きっちりと彼女の方を向いていた。
「本当にもう……。どうして、うちの人たちってデバガメが好きなんだろ。
何か気になることがあったんだと思いますけど、あんまり礼儀を知らない行為をするのなら、私も怒りますのであしからず」
警告をして、美鈴も立ち去っていく。
隠れていたメイドは、全身に、どっと冷や汗が噴き出すのを抑えられなかった。そのまま、へなへなと、その場に腰砕けになる。
「……い、一体どうして……」
メイド長ですら気づいてなかったのに。
内心でつぶやいて、考え方を変える。そうだ、美鈴さまは武術の達人だったじゃないか、と。
こと、近接接近戦においてなら、そうそう、右に出るものがいないほどの実力者。しかも、彼女は『気を操る』という。ということは、隠れた人間の気配を探り出すことなど、きっと朝飯前なのだろう。
「お、恐るべし門番長……」
「あの、お姉さま? 何してるんですか?」
へたりこんだまま、立ち上がれないでいた彼女は、とりあえず、通りがかったメイドに肩を借りて、何とかその場から退散していったのだった。
「なるほどねぇ。
そこで、恋愛成就には定評のある、我が博麗神社にやってきた、と」
「定評があるとは思いませんが、まぁ、私たちにとって、一番身近な神様ですので」
「よし表に出ろ弾幕勝負だ」
「お納めください」
「あらごめんなさい言葉がすぎたわね」
こめかみに浮かんだ青筋をあっさり消して、メイドから受け取るお賽銭(札束)にあっという間に笑顔になる巫女が一人。
彼女は、その枚数をしっかり確認して、懐へと隠してから、
「けれど、ねぇ?
やっぱり、今回の件については、悪いんだけど……」
「個人の問題ですよね」
「そうそう。
前回みたいに、紫とかが邪魔しに行くわけでもなし、以前みたいに、痴話喧嘩があったわけでもなし。はっきり言って……横恋慕、ってわけじゃないんでしょ? 倫理的に………………………まぁ、いいや。倫理的に問題がないものとして、それを前提に話しましょう」
一瞬、『そう言えば、女同士の恋愛ってどうなんだろ』と思ってしまったために、言葉に詰まるが、『しかし恋愛は自由である』という標語を思い出して、巫女。
彼女は、ずずー、とお茶(これも紅魔館提供)をすすりながら、
「それなら、私から、その子に『恋愛するのやめろ』とは言えないわよ。さすがにかわいそうだもの」
「そうですよね。私もそう思うんです」
「だが、私なら、むしろ恋は略奪するぜ!」
「うるさい黙れ」
「あれー」
飛び込んできた魔法使いに対して、その首と腕と足をがっちり極める巫女サブミッションを極めながら、
「当人同士でじっくり話し合い、ってわけにもいかないだろうし。成り行き任せしかないわよ」
「痛い痛いマジで痛い!」
「まぁ……そうなんですよね。
ただ、咲夜さまを見ているのが辛くて……。表情は浮かないし、ご飯、残してばっかりだし……」
「……深刻ねぇ。
っつか、マジで乙女だわ」
「し……死ぬ……」
けいれんが始まったところで彼女をぽいと放り投げ、巫女――霊夢は、その場に居住まいを正した。
彼女は、お茶をすすりつつ、大福(やっぱり紅魔館提供)をかじり、
「とりあえず、恋愛成就のお参りでもしていく?」
「……そうですね。
ただ、私としては、美鈴さまに恋心を抱いている子も、一緒に幸せになって欲しいと思うんです」
「優しいわねぇ。珍しい妖怪だわ、あんた」
よく言われます、と彼女は苦笑した。
「ただ、他人に優しいのは悪いことではないと思うんです」
「それはそうだけどね」
「やっぱり、若い子達が幸せになるのを見るのは、親心に通じる何かがありますし」
「それについては同感。女として、同じ女には幸せになってもらいたいし」
「ただ、二者択一なんですよね」
「うむ」
「だからそう言う時は、むしろ奪い取るくらいの気持ちで……!」
「まぁ、とりあえずさ」
起き上がった魔法使いを抱え上げて、脳天から垂直落下させてから、
「こっちこっち。お祈りのお手伝いしたげるわよ」
「はい」
「……あ、頭が……頭が割れる……。霊夢……お前、近頃、ツッコミ厳しいぜ……」
「厳しくしないと通用しない連中増えすぎだからな」
それについては、大ダメージを受けた魔法使いも、反論することは出来なかったらしい。もっとも、頭を激しくぶつけているため、言葉にならないと言う方が正しいのかもしれないが。
紅魔館へと戻ってきた彼女は、出迎えに出てきたメイドに『現状は?』と訊ねた。
無言で、メイドは首を左右に振る。それに事態を推察した彼女は小さくうなずくと、足早に、図書館へと向かった。その図書館で待ちかまえていた魔女は、開口一番、『私は知らない』と応えるだけだ。
「別にアドバイスをもらいに来たわけじゃなくてですね。
ただ、本をお借りしたく思いまして」
「あら、そう。小悪魔、適当なのを見繕ってやって」
「はい」
小悪魔に案内されるまま、彼女が手に取ったのは、一冊の恋愛小説。なお、この図書館に、なぜこういう類の書籍が収められているのかは、そこの主である魔女にもわからないことらしい。
ともあれ、その本を借り受けて、彼女は図書館を後にした。
「すいません」
こんこん、と一枚のドアをノックして、彼女。
現れるのは、紅魔館きっての女傑。鬼のメイド長と名高い十六夜咲夜だ。ただし、今現在、その表情は実に暗い。
「あら、何かしら」
それでも、彼女を見て、普段の『自分』に戻るけなげな咲夜に、彼女は一瞬、よけいな一言を口にしようとして、すんでの所で思いとどまった。
彼女は手にした本を咲夜へと。
「これは何?」
「パチュリー様からお借りしてきました。メイド長がお好きな本が入ったとの情報を得ていましたので」
「あら……そう。悪いわね」
「いいえ」
「ところで」
「はい」
「私に、何か用かしら?」
何でじろじろこっち見てるのよ、ということだった。
慌てて、彼女は『ぶしつけなことをして申し訳ありません』と頭を下げる。咲夜は、普段なら、この後にくどくどと説教を始めるのだが、今はそれどころではないらしく、『次からは気をつけなさいよ』と踵を返すだけだ。
「……ふぅ」
ほっと一息ついてから、その視線を、彼女は背後へ。
「ずいぶん奮闘しているようですね」
「さすがに、『事態に任せるつもり』とは言ったけれど、見ているだけじゃ辛いから……」
「あまり関わりすぎると、あなたが恨まれるわよ」
「それでもいい。私は……恋をする人、みんなに幸せになって欲しいから」
「程々に」
やっぱり『しゅっ』という音を立てて消えるメイド。もちろん、裏メイド部隊所属の、言ってみれば隠密のようなものである。
彼女を見送ってから、よし、と気合いを入れて。
「メイド長、ファイト」
その言葉を、ドアの向こうへと贈ったのだった。
そして、明けて当日のことである。
なお、クリスマスとは、一般に十二月の二十五日を示すものだと言うことは当然なのだが、なぜか世間一般では、その前夜祭のイブの方が有名だ。ここ、幻想郷でもそれは変わらないのか、そもそも『イブがクリスマス』と思っている輩の多いこと多いこと。具体的には赤い館のお嬢様など。
まぁ、それはともあれとして。
「メイド長」
「用意は出来ている?」
廊下を歩く彼女を何気なく呼び止めるメイドが一人。言うまでもなく、先日、咲夜の部屋に本を持って行った彼女である。こと、こういうことに関しては、彼女がメイド達を統率する立場にあるのだ。
もちろん、咲夜はそれを知らないのだが。
「ああ、はい。
言いつけの通り、館内の装飾及びクリスマスパーティーに向けての準備もすみました」
「そう。お嬢様達は?」
「『今年は、どんなプレゼントがもらえるのかしら』って、二人そろってうきうきしてます」
「……吸血鬼なのにね」
「……ええ、ほんと」
なぜか、それに関しては、両者共に同じ意見を持っているらしい。
まぁ、わからなくもないのだが。
ともあれ、二人は、ほぼ同じタイミングで『こほん』と咳払いをしてから、
「それじゃ、今日も一日、お仕事、頑張ってちょうだい」
「はい」
ぺこりと一礼し、彼女は咲夜の隣を抜けていく。その隣をすり抜けざま、『そう言えば、先日の本は面白かったですか?』と、自然な流れで問いかけた。
「そうね……。
それほど、悪くはなかったわよ。暇つぶしの材料にはなったし……まぁ、こんなことを言うと、うちの図書館の主に怒られてしまいそうだけど、本は、一冊あれば、本当にいくらでも時間がつぶせるのね」
「そうですね」
「感想としてはそんなところ。他に何か?」
「そう言えば、あの本の題材も、クリスマスでしたね」
ぴくっ、と咲夜の肩が動いた。
それを見て『食いついた』と判断した彼女は、軽く、流れるような動作で後ろを振り向く。
「私、あの本はまだ読んでいないので、どんなラストだったかはわからないので。よろしければ、どんな感じだったか、教えてくれませんか?」
「……そうねぇ。
まぁ、ありきたりな恋愛ものかしら。私が、この手の本を好きなことを黙っていてくれるのなら、軽く話してあげるけど?」
言われなくとも、咲夜の少女趣味は、彼女と館の館主とその妹以外、みんな知っていることなのだが。
しかし、ここはメイド長の顔を立てるのが、一メイドとしての正しいあり方だろう。はい、とうなずき、紅魔館最強奥義の一つ『鉄の笑顔』を浮かべる彼女に、咲夜が振り返る。
「何のことはない、本当に、普通の恋愛小説よ。
軽い行き違いと和解。まぁ、ありがちだけど、ありがちだからこそ、多くの人に受け入れられていると言うことなのよね」
「王道、ということですね」
「一歩間違えばつまらない代物だけど、それ故に、どんな人にも受け入れられる可能性のある、幅広い裾野を持ったジャンルだわ」
「はい」
「おかげで、読み始めからストーリーがわかっちゃったわよ」
あれじゃダメね、と彼女。
苦笑を浮かべるものの、その瞳は、全く『つまらなかった』という色は浮かべていなかった。
「かわいいものよね。あれこれ悩んだり、何だかんだと手をこらしてみたり。
結局、そういうものが、みんな空回りしてしまうのは、あの手のヒロインの宿命というやつかしら」
「見ているだけの方がいいときもある、って言いますしね」
「物事なんてなるようにしかならないものだしね。
もっとも、うちのお嬢様なら、自分の好き勝手なことが出来てしまえそうだけど」
それが逆に羨ましい、と彼女はつぶやいた。
――しまった。
咲夜の表情を見た瞬間、その感情が頭の中に浮かび上がる。
「……ほんと、羨ましい話よ。
まぁ、そんなところ。あなたも女なのだから、恋愛小説の一つや二つは読んだことがあるでしょう? 事実は小説よりも奇なりとは言うけれど、現実は、そう簡単に本の世界を飲み込むことはないわ」
「あ、あの……」
「じゃ、お仕事、頑張ること」
踵を返して、咲夜は歩き出した。
その後ろ姿に、かける言葉もないまま、佇む彼女。先日、あの本を持って行ったことが完全に裏目に出てしまったことに、彼女は頭を抱え込んでしまった。よかれと思ってやったことが、完全に、彼女の思惑を外れてしまった形だ。
「見ているだけがいいとは言うけれど……」
しかし、見ているだけではいられないことだって、世の中にはたくさんあるのだ。そうした事態に相対した時に行動を起こすのは悪いことではないだろう。
もっとも、それが、その当人が予想していたとおりの結果を招くかどうかはわからない。確率は五分五分だ。そして、彼女は、見事に『悪い方』の五分の確率を引き当ててしまったのである。
「……失敗したわね」
「……仕方ない。これは、完全に私の判断ミスよ。出来うる限りのフォローをするわ。作戦はフェイズ2に移行!」
「了解」
その彼女の後ろ――どう見ても影にしか見えないところからした声が、気配と共に消失する。かなり面妖な光景だったのだが、それに冷静なツッコミを入れる人物は存在していないため、一応、どうでもいい。
それよりも、今のこの事態をどうするかだ。
出来ることなら、可能な限り、いい方向へと動いていくように尽力しなければならないのだが、現実、それはかなり難しいことだった。
「だけど……諦めていられない」
事態を悪くさせてしまった原因は自分。
その責任感を胸に、彼女は踵を返した。紅魔館メイドの鉄則、館の中では上品に、の標語をあっさりと破り、スカートを翻して駆け抜けていく彼女を見たとあるメイド達は、『お姉さま……何があったのかしら……?』と、本気で心配したという。それほど、今のこの状態は『やばい』ものだった。
「ところで思うのだけど」
「はい」
「……うちのお嬢様達って吸血鬼だったわよね?」
「……ええ、まあ」
「……まあ、寝る子は育つと言うし」
「私がここに務め始めたのは、今から百年以上前ですけど……その頃からあのまんまですよ?」
「……気にしない方がいいわね」
「メイド長、それが正しいです……」
それに、明日の朝、『プレゼントが来たー!』と騒ぐ二人を見るだけでもいいじゃないか、ということらしかった。
クリスマスの夜は更けるのが早い。
多分に、それは体感的なものにすぎないはずなのだが、あっちこっち走り回って忙しく過ごしていると、どうしても、時間というものが早くすぎるように感じて仕方ないのだ。
咲夜も、それは同じこと。むしろ、他のメイド達よりも人一倍、仕事量の多い彼女なら、よけいに時間の経過は早いだろう。だからなのか、彼女は『疲れたわね』と言わんばかりに、肩をもみほぐす。
「ま、まあ、ともあれ。
今日一日の業務、お疲れ様。明日も頑張ってね」
「はい」
「それから。
今日、西館側の階段でおしゃべりをしている子達が大勢いたから。次やったら承知しないってことを伝えておいてちょうだい」
「わかりました」
「あとそれから、明日は……」
「メイド長。お仕事はもう終わりですよ」
「……ぐっ」
そういうところのけじめはしっかりしないといけません、ということらしかった。
いつでもどこでも仕事のことばかり考えるのではなくて、仕事が終わったら、きちんと『仕事』を終えないといけない。そのことを相手に諭されて、珍しく、言い負かされた咲夜は踵を返す。
「私は戸締まりの確認が終わったら寝るわ」
「……全くもう」
メイドの、そのつぶやきは聞こえないふりをして。
咲夜は、相変わらず、無駄に広い紅魔館を歩いていく。と言うか、こういう時くらいはいじってる空間元通りにしてやろうかと思うほど、この館の中はとかく広い。業務で疲れた体には少々こたえるのか、彼女の足取りも、若干、重たいものだった。
暗い廊下を右手に曲がり、一枚ずつ、ドアや窓が開いてないかをチェックしていく。
――と、
「あら、小悪魔」
「ああ、咲夜さん、こんばんは」
「どうしたの? こんな時間に」
「図書館の主が、今日も一日、徹夜で魔法の研究をしたいらしくて」
お茶を淹れに行くんです、ということだった。
「なるほど。あなたも大変ね」
「まあ、それ以外に仕事もないので」
図書館司書は、図書館の主の世話をすることと、本の面倒を見るのが仕事。それ以外のことはメイド一同に任せてあるのだから、自分の仕事くらいは、きっちり、自分でこなしたいと言うことだった。その彼女の心がけに、最近、若いメイド達は目を盗んでサボることが多いと言うことを愚痴り、『まあまあ』と笑われてしまう。
「まぁ、今日はクリスマスですから。一日くらいは大目に見てあげてもいいんじゃないでしょうか」
「クリスマス……ねぇ。
……そう言えば、あなたは……」
「ぶっちゃけなくてもいいです」
「……そりゃそうよね」
「私は悪魔ですから。
とはいえ、そのクリスマスを楽しみにしている人たちもいることですし。個人の都合で、そう言う人たちの幸せを奪ってしまうのはいかがなものかと」
「……あなた、悪魔よね?」
人の幸せ踏みにじるのが、そもそもの悪魔の存在意義じゃなかろうか。
そう思って問いかける咲夜の視線の先には、当たり前のことだが小悪魔の顔。そうね、この子なら、そんな常識が通用するはずもないわね。
近頃、この彼女が『小悪魔』という名前の天使か何かじゃなかろうかと思っていた咲夜は、よけいな考えを、ある意味、振り捨てる。誠、幻想郷に住まう『悪魔』は悪魔らしくないのが多いのだ。
「そういえば、さっき、あっちの方でプレゼント交換してるメイドさん達を見ましたよ」
「……また?
職場恋愛は結構だけど、それで業務に支障を来すようなことは勘弁して欲しいわ」
「窓の外に天狗さんがいましたけど、『デバガメよくないですよ!』って真面目な犬っ娘が引きずっていきました」
「……あとで、ナイフの一発でもプレゼントしてあげる必要がありそうね」
「あと、表の方でも」
ほら、と窓の外を指さす小悪魔。
ちょうど、紅魔館の中庭が見渡せるその窓からは、彼女の指の先に、一組の、仲むつまじいカップルを確認することが出来た。邪魔するのはよくないわね、と咲夜は視線を外す。
「雨が降れば地面が固まると言いますけれど、この時期は、降り積もる雪を、人の足が押し固めるんですよね」
「まあ、そうね」
「さしずめ、雪はかすがいなんでしょうか」
「それを言うなら『子は鎹』よ」
「案外、そうでもないかもしれませんよ?」
「……雪はね、この赤い館の天敵よ。何でも真っ白にしちゃうんだもの」
ふぅ、と彼女はけだるげなため息をついた。
「雪が白くできるのは表面だけですよ。
降り積もった雪は、誰かが歩いて固めるし。溶けてしまえば、また赤い館が現れます。溶けない雪は滅多にないし。冬はそんな季節です」
それでは。
彼女は一礼して、その場を去った。心なしか、妙に楽しそうだ。その彼女の後ろ姿を見ながら、なるほど、やっぱりあの子は悪魔だわ、と確認して。
咲夜は、館の戸締まりを確認し終えると、自室へと向かって歩き始めた。
「……表面だけが白くなっても、その白さが、とってもきれいなのよね」
雪なんて降らなければいいのに。
そうしたら、いつまでも、この館は赤いままでいられるのに。
――そんなかなわぬものを思いながら、彼女は部屋へと辿り着き、ドアを閉じた。手持ちの、いつもの懐中時計に視線をやる。時刻は、午前の十二時を、もう少しで回ろうかというところ。
それじゃ、お風呂にでも入って寝ようかな。
つと立ち上がって、バスルームへ向かおうとして。
「……?」
唐突に、外から響いた『こんこん』という音に足を止めた。
風が窓を揺らしたのかとも思ったのだが、今日は、外は実に穏やかだ。つい先ほど、直に窓の外を眺めていたのだから間違いない。
「……」
無言で、彼女はナイフを逆手に握ると、窓へと歩み寄った。壁に身を貼り付け、外の様子を確認してから、一気にそれを開け放つ。
「誰!?」
外に、人の姿はない。
身を乗り出し、窓の外を確認するのだが、やはりどこにも、誰もいない。
……ただの気のせいか。
どこか、気が高ぶっているのかなと思いながら、窓を閉める。それと同時に、いきなり室内の明かりが消えてしまった。
「なっ、何!?」
慌てて、明かり取り用の道具が何かないかと手元を探すのだが、そんなものがあるはずがない。誰かのいたずらかと、声を上げて問いただすのだが、もちろん返事などあるわけはない。
――と、なると。
「ま、まさか……ね?」
一応、その手の心霊現象にも事欠かないのが、この幻想郷であるのだが。
だからといって、そこらのおばけが、仮にも幻想郷に名だたる…………………………いや、名だたっているはずだ、多分。ともあれ、その悪魔の館にケンカを売ることは考えられない。
「と、とにかく、明かり、明かり……」
歩み出そうとして。
その肩に、いきなり、『ぽん』と手が載せられた。
雪で白く染まった館に響く、乙女の悲鳴。
通称、『少女絶叫中』。しばらくお待ちください。
「……あ、あの~?」
「きゃー、きゃーっ……って……」
「……本気で怖がらせちゃいました?」
ぱっ、と明かりが戻った。
部屋の隅にうずくまってぶるぶる震えている咲夜を前に、どうしたもんかと困ったような顔を浮かべている人物が一人。
言わずとしれた――、
「め、美鈴!?」
「いやー……ちょっと脅かそうかなぁ、って思って……。まさか、ここまで怖がられるとは……」
「あ、あなたねぇぇぇぇぇぇ!」
「ち、ちょっと! ちょっと待ってくださいよ!
せっかくのクリスマスなのに血みどろの惨劇はやめましょうよぉ!」
色んな意味で顔を真っ赤に染めて、ナイフを持って立ち上がる咲夜に、慌てて美鈴が弁解した。一応、その言葉に、咲夜は怒気を治める形で『一体どういうつもり?』と、ぎりぎりとまなじりつり上げながら訊ねる。下手なことを言えば、即座に、美鈴の眉間にナイフが突き刺さるだろう。
「え、えーっと……。
……まぁ、正直に言うと、日付が変わる前に、クリスマスパーティーしようかなぁ……って」
「……え?」
「あのー……今日、忙しかったんですよね? だから、まぁ、お仕事が終わる頃合いを見計らって……」
そう言われてみれば。
普段、美鈴が身につけているものと、彼女が今、身につけている衣服は違った。一体誰がデザインしたのかは知らないが、この寒い時期に、見ている方が寒くなるほどのミニスカサンタさんだ。そのミニスカサンタさんは、背中に、大きな袋までしょっていた。
「……どういうつもり?」
「どういうもこういうも……。
咲夜さんのことだから、今日、パーティーなんてしてる暇ないわよ、ってお仕事してそうだったから……」
「……」
「門番隊のパーティーも早めに切り上げてきましたし。ケーキも持ってきましたから、ささやかではありますけど……」
「……何でよ」
「え?」
「何で……今更……」
続く言葉は言葉にならなかった。
軽く、鼻をすすって、彼女は視線を挙げる。
「……あの子はどうしたの?」
「あの子?」
「そうよ。あの子……門番隊に、最近、入ってきた子がいたでしょ。
あの子……あなたと……」
「ああ。そう言えば、つい先日まで、『クリスマスプレゼントを作るのを手伝ってください』って頼まれてましたけど」
「……へっ?」
てっきり――そう思っていた咲夜の耳に、予想してなかった返事が聞かされた。
思わず惚けてしまう彼女に、美鈴は首をかしげる。
「えーっと……。
何というか、彼女、門番隊の先輩が好きらしくて。それで、今年のクリスマスに、せっかくだから、って。確か、今、中庭でデートしてるはずですけど」
「えっと……」
「どうしました?」
「……その……あの子に……何かあったんじゃ……?」
「いいえ?」
「……」
「そもそも、そんなこと、誰か言ってましたっけ?」
「……言ってないわね」
海よりも深い沈黙、ここに。
その沈黙を破るのは、沈黙を作り出した当人――つまりは、咲夜だった。「あーもーっ!」と思いっきり怒鳴り、はしたなくも、踵で、床を踏み抜かんばかりに蹴りつけてから、ふん、とそっぽを向く。
「何よ! 私がバカみたいじゃない!」
「えーっと……いきなり怒られても……」
「大体、あなたもあなたよ! どうして、そのことをさっさと言わないの!?」
「どうしてもこうしても……。そもそも、何が何だかわからないんですけど?」
「わっ……!
……わからなくていいわよ」
「……ふーん」
美鈴の視線が、じっと、咲夜に向けられる。「なに見てるのよ!」と怒鳴る咲夜に、なるほど、と言わんばかりにうなずいて。
「もしかして、何か勘違いしてました?」
「かっ……!
し、してないわよ、別に!」
「ほんとにもー。かわいいなぁ」
「かっ……かわいいって……! お、大きなお世話でしょ!」
怒鳴り散らす咲夜に、普段の『クールで怖いメイド長』の印象はなかった。言うなれば、年相応、恋愛経験値が全くたまってない女の子そのものだ。
やれやれ、と美鈴は肩をすくめると、背中の袋を床に置いた。その中を、ごそごそ探り、取り出したのはラッピングされた箱が一つ。
「はい、どうぞ。メリークリスマス」
「い、いらないわよ」
「まあまあ。そう言わずに」
「いらないって言ってるでしょ!」
「この前、里の方に出かけた時、お店で二時間眺めてたお洋服ですけど?」
「ぐっ……」
「強がらずにどうぞ」
せっかくですから、と笑う美鈴の笑顔が、何だか妙に憎たらしく見えた。
咲夜は「うるさいわね!」と怒鳴りながら、彼女からのプレゼントを受け取り、ベッドの上へと放り投げる。
「言っておくけど、あの服、あなたじゃ着られないからね! もったいないから、せっかくだから使ってあげるだけだからね! わかった!?」
「わかりましたわかりました。
それじゃ、ケーキも用意してありますよ。疲れた時は、甘いものが一番です」
「いらない! 太る!」
「ちょっとくらい太ってる方がかわいいですよ」
完璧に、美鈴のペースの会話が続く。
つくづく、こういうところでは、相手に主導権を握られてしまう彼女であるが、その顔にさっと引いた赤みが消えていくことは、決してない。
雪は表面しか白くしてくれない。溶けてしまえば、いつでも、ここは赤い館なのだ。
「はい、あーん」
「あ、あーん、って……あなたねぇ!」
「あ」
「え?」
「はい」
「むぐっ」
――お後がよろしいようで。
「――以上、報告を終了します」
「ご苦労様でした」
翌朝。
ベテランメイド達の会合の場にやってきた報告役のメイドが、相変わらず、『しゅっ』という音を立てて消えていく。心なしか、屋根裏へと、その姿が吸い込まれていったような気がしたが、多分、それは気のせいだろう。
「……杞憂でしたね」
「全く」
「と言うか、美鈴さまが完璧にリードしてるんだから、私たちが手心を加える必要も、そろそろなくなってきたかもしれませんね」
「メイド長を応援する会も、解散間近かしら」
一体、いつのまにそんな得体の知れないものが結成されたのかは定かではない。
ともあれ、彼女たちは『これで、紅魔館も安泰ね』という結論を下して、それぞれの仕事の場へと向かって歩き出した。
「ねぇねぇ、さくやー! サンタさんきたよ、サンタさん! ほら、プレゼント!」
「よかったですね、フランドール様」
「うん!
ねぇねぇ、おねーさまは!?」
「わ、わたしは別に、そう言うの、信じてないもの」
「そうですか? 朝方、私のところに『咲夜、今年はこんなのもらった!』って持ってきたのはどなたでしたっけ?」
「ほ、ほっときなさいよ!」
「うわぁ、お姉さまのところにもサンタさん来たんだ!」
また、ずいぶんにぎやかなことですこと。
視線の先に、実に微笑ましい光景がある。館を統べるちっちゃいお嬢様達の手には、それぞれ、先日まではなかった『サンタさんからのプレゼント』が一つずつ。もちろん、そのサンタさんが誰なのかは言うまでもない。
そして、その『サンタさん』にも、
「おはようございます、メイド長。本日は、お仕事、お休みですか?」
「え? あ、い、いや、こ、これは……」
「構いませんよ。一日くらい休暇を取られても。
それに、そのお洋服、とっても似合ってますから」
「……うぅ」
この辺りに関しては、まだまだ彼女の方が『大人』だ。その『大人』のからかいに、女の子の頬は、赤く染まるのだった。
咲夜さんの事ですか~。
可愛い咲夜さん。
ツンデレ咲夜さんもGJ!
お嬢様は喋った言葉が出るたびカリスマ低下すぎますよw
美鈴がアメで咲夜さんがムチかぁ。バランスのとれた上司達でちょっと羨ましい。
小悪魔は何も無いと良識人っぽいのに、ちょっと探るように観察すると「悪魔」の感じが分かるってのもいいですね。
小説という小道具を使って賭けに出たくだりと、雪の話が好き。
氏の咲美はつかず離れずで読んでいて物凄く楽しいですw
リードしている美鈴は久しぶりに見ました。
あとお嬢様、もうちょっと自重www
妖怪スパーク、という言葉が頭をよぎりました。
女の子らしい咲夜さん最高です。
アトリエネタやらマリ見てネタやらBF団やら混ざってて吹いたw
あと、IS団の面々が良い味出してるなぁ。
咲夜さんが洋服を二時間も眺めているシーンを想像して、とても暖かい気持ちになりました。
そして魔理沙は徹底して不憫だ。まあ因果応報だけどw
>自分が書いてきた「カップリング」はそもそもこの二人しかいなかったよなぁ
よしわかった、ゆうかりんで書いてくださいお願いします。
そしてカリスマが暴落しているお嬢様。紅魔郷のころとは比較にならない。
いやいや素晴らしいですよ(グッジョブ
ホワイトならぬクリムゾンクリスマスってとこでしょうか