はっはー、他の二人は上手くやっているようだな。
正門と上空で戦闘が繰り広げられている中、正門とは正反対の位置にある紅魔館の裏庭。そこに一人の大柄の男が居た。
しかし、こんな役割なんてつまらないったらありゃしない。
男は裏庭からゆっくりと紅魔館へと近づく。
他の二人が大げさなほど巨大な気配を出してくれたお陰で楽に近づける。
つまらなそうに男は呟く。
男はとても好戦的で、とにかく殺し合いが好きなのだ。
それが今回は、他の二人が囮になっている間に自分が大元を叩くという作戦だ。
自分は戦う役割が適任だと強く主張したが、何故か断られた。まったく面倒だ。
この俺様の天才的な頭脳があればこんなひよっ子始祖の館なんてすぐに壊せるのに。
中庭を歩く。遠くから激しい戦闘音が聞こえる。
戦闘したくて全身が震える。
あー、イライラするぜ。
すると男は足を止める。
これは……。
男が進行方向を見ると、少し先にだが薄っすらと小型魔法陣が見える。かなり眼を凝らさないと確認はできなかった。
ははー、罠か、あれを踏むとドカンとかいうことか。天才である俺様に掛かれば子供騙しもいいところだ。
男が見下すように魔法陣を見つめる。
見つめる。
見つめる。
見つめる。
見つめるだけ。
……さて、どうしたものか。いちいち避けていくのも面倒だな……そうだ!
何かを思いついたようで、男は自分の影を触る。
すると男の影は不気味に蠢き、形を生成していった。
その出来上がったのは、黒い毛むくじゃらの狼。
出来上がった狼を、男はどうするかと思うと。
狼に先にある小型魔法陣を踏ませた。
その瞬間、魔法陣があった場所は激しい爆音と共に吹き飛んだ。
おお、見事に吹っ飛んだ。やはりこの方が早いな。
男は爆発を確認して、さらに足元の影から黒い狼を作り出す。
ちゃっちゃとやっちゃって、他の敵も倒すか。
作り出した狼に、自分の正面を走らせる。すると次々と魔法陣を踏んで爆発する狼たち。
減った狼たちは男がすぐに自分の影から補充する。
そして男は高らかに叫んだ。
「はっはっは! やはりこの感じが最高だぜ! この天才である俺様、ラードゥガ伯爵様は最強だ!」
あの莫迦……わざわざ隠密行動にさせたのだから隠れていきなさいよ。やはりあいつじゃなくて私がやった方がよかったのではないだろうか。でもあいつ莫迦だからこっちでも滅茶苦茶なことしそうだ。
ミラーシは館から聞こえる爆音に溜息をつきながら、目の前の敵へと視線を送る。
先ほどから私の作った蝙蝠人間と互角――いや、それ以上の戦いを行っている。それも多数の蝙蝠人間と。
見た目や気配は人間そのものだが、動きが人間を超越している。
たまに人間の姿がその場所から忽然と消えて、別の場所に移動している場合がある、それはなんだ?
あ、また蝙蝠人間が一体やられた。
ミラーシはその一方的な戦いを見て、心臓の鼓動が早くなった。
彼女は楽しいことを求めている。
ラードゥガのように戦闘狂ではない。
楽しければ、人間の遊戯や食事なども楽しむ。
とにかく彼女は自分が楽しいことには心臓の鼓動が早くなるのだ。興奮するのだ。
そして、彼女の前には人間とは思えない人間が居る。
今まで見てきた人間は、とても弱く、無闇に叫び続ける五月蝿い存在だった。
一方的に殺し、血を補充するだけの家畜な存在だと思っていた。
だけど目の前には、彼女を楽しませてくれそうな人間が居るのだ。
彼女は狂喜している。
久々の他種族との戦い。
この抑えきれない感情は、行動へと移される。
人間と戦っている蝙蝠人間を後方に下げる。
その行動に目の前の人間は訝しむようにこちらに目線を向ける。
「貴女、強いわね」
「…………」
こちらを睨み、何も喋らない。
「私、ゾクゾクしてきちゃった……」
そして後方に待機する蝙蝠人間の形を解除する。
小さな蝙蝠の姿になった無数の黒い影は、ゆっくりとミラーシの周辺へと集まる。まるで黒い鎧のように蝙蝠は彼女の周りを飛んでいる。
なるべく長く楽しもう……。
「さぁ、私を楽しませて、人間ッ!」
「レミリア……どうして、こんなことを?」
どうすればいいか判らない。
友人の行動を理解しようと問いかける。
「……私にとってここは息苦しいのよ」
しかし、その友人は淡々と答える。
「判らないよ……レミリアがなんでこんなことをしているのか……私には判らないよ……」
つい先ほど聞かされた、友人の不審な行動。
何かの間違いだと思っていたのに、ここに到着してみたら、不審は真実に変わった。
信じていたのに、始祖なのに人間の吸血鬼である私に気軽に話しかけてくれた友人なのに……。
「なんでヴァノフ様を裏切る行為を!」
私の主はたしかに少し強引かもしれない。
だけど、本当は優しいお方なのだ。その行為を踏みにじるなんて。
「彼のやり方にはついていけないのよ。あんな独裁者みたいなやり方」
友人は、自分の愛する主を侮辱した。
自分が吸血鬼になった時、その吸血鬼に両親は殺された。その時、現れたのがヴァノフ様だった。
その吸血鬼を殺し、人間の吸血鬼である私を拾ってくれたのだ。
最初は始祖だと思い、恐怖で動けなかった。
でも、ヴァノフ様はとても優しくしてくれた。
まるで自分の娘のようにしてくれた。
私が今居るのはヴァノフ様のお陰である。
だから私はヴァノフ様のためになんだってする。
「……ヴァノフ様を侮辱する者は、誰であろうと許さない」
自分の大切な主の名誉を護るため、私は戦う。
「来なさい、人間の吸血鬼ちゃん」
ヴァノフ様……見ていてください。私、頑張ります。
ビクトリアは自分の目的のため、友人へと向かう。
屋敷内に設置した魔法陣が次々と爆発する。
……力任せに進んできているわね。
パチュリーは魔法陣の中央で呪文を唱えている。
突然の奇襲で一瞬呪文が止まりそうになったが、詠唱の遅れは差ほど無い。
だが、部屋の中には現在自分一人しか居ない。
補佐である小悪魔もレミィの命令でまだ戻ってきていない。あの子ならすぐに戻ってくるから大丈夫だろう。
だけど、先ほどからどんどん爆音が近づいてくる。
トラップをまったく気にしない進行具合。よっぽど単細胞な敵なのだろう。
だが、詠唱完了までまだ時間がある。間に合わない。
爆音が部屋の近くまで近づく。
手当たり次第に踏んで……修理する身になって欲しい。
大広間周辺に設置していた一番近い小型トラップが爆破した。
ガスガスと乱暴な足音が聞こえてくる。するとそれは大広間のドアの前で足音が止まる。
そして乱暴にドアが開かれた。
「――――おお、どうやらここが目的地みたいだな!」
そこに現れたのは大柄な男。
「敵が来たのに悠長に詠唱なんてして……お前、馬鹿か?」
後先考えずずかずか進んでくる奴に言われたくない。
「……まぁ、いい。とにかくお前を殺せばいいんだな」
そう言うと男はゆっくりと近づいてくる。
迎撃するべきか?
いや、ここを動くわけには行かない。
今日失敗すると次はいつの日になるか判らない。
恐らく今日転送しないと次の日には大量の敵が来る可能性がある。
ならば、私がここを動くわけにはいかない。
だがこのままでは……。
「さぁて、いくぞぉー」
すぐ傍まで近づいてきた男が右腕を上げる。
まだ、終わるわけには……ッ!
その時、炎の塊が男の頭を包む。
「な、なんだ、あつッ! 熱い、熱い!」
男が転がるようにその場から離れる。
何が起きているの?
「パチュリー様から離れなさいッ!」
入口から声がする。
視線だけをそちらに向けると、そこに自分のよく知った使い魔――小悪魔が立っていた。
「私だって! 魔法の一つや二つ!」
小悪魔が必死な形相で叫んでいる。
でもこんなに自分の使い魔が頼りに思えたのは久しぶりだ。
「くっそぉぉぉ……熱いじゃねぇか! この野郎!」
頭の炎が消えた男が小悪魔に向かって叫ぶ。
「ヒッ…………ぱ、パチュリー様は私が護るッ!」
脅えたように小悪魔が叫ぶと同時に短い詠唱して先ほど出したように炎を男へ向けて飛ばす。
なんと、男はその炎に一直線に突撃し、見事に当たった。
「やった!」
当たったことに喜ぶ小悪魔。
しかし、その喜びはすぐに消えた。
「何喜んでいるんだッ! むかつくな!」
男は何事も無かったかのように小悪魔を見下ろすように立っていた。
呆気に取られる小悪魔。
次の瞬間、男の拳が小悪魔の顔面を捉える。
小悪魔の小さな体が地面へと叩きつけられる。
「がァッ…………アァァ……ッ」
地面に蹲るように呻き声を上げる。
「俺様の美しい顔を燃やすとは、お前はただじゃ殺さねぇ!」
男が叫ぶと、倒れる小悪魔の右足を勢いよく踏みつける。
すると何か硬いものが砕ける音が部屋中に響く。
「――――ッアァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!」
小悪魔の悲鳴が響く。
しかし、それを止めるように男が小悪魔の顔を蹴り飛ばす。
「うるせぇ! 叫ぶんじゃねぇッ!」
「アァァァァ…………」
やめて、私の使い魔をこれ以上傷つけないで……。
傍で大切な者が傷ついているのに、何も出来ないなんて、自分の無力さを感じる。
「……たく、取り敢えず静かになったな」
すると男はこちらへと体を向けた。
「お前を殺してから、この下級悪魔を嬲殺してやる」
一歩、足を進める。
「……うん?」
男が歩を止めて、自分の足元へと視線を下ろす。
「パ……チュリー、様は……私……が……護る……」
ボロボロであるはずの小悪魔が男の足首へとしがみついていた。
「お前は後って言っているだろ」
小悪魔を蹴り飛ばす。
既にボロボロであるはずの小悪魔は、簡単に飛ばされ、壁に叩きつけられる。
男が気を取り直して、こちらに向かおうとすると、三度炎の塊が男へと当たる。
顔を顰めながら、男は炎の塊を出した小悪魔へと向く。
小悪魔は、明らかにボロボロのはずなのに、余裕の笑みを作って男へ向かってある言葉を言った。
「パチュリ……様に……近づ…………くな、木偶の……棒」
相手を見下すように、挑発と判りやすい挑発。
「貴様、今なんて言ったアァァァァァァァァァッ!!」
その挑発に見事に引っかかった男は感情をむき出しにして激怒した。
憤怒の感情しかない男は小悪魔へと近づくとすぐさま蹴りを一発当てる。
「ガッ……!」
すぐさま踏みつけるように小悪魔の小さな体を何回も痛めつける。
なんで……そこまでして私を護るのよ……自分が傷ついているのよ。相当の苦痛のはずよ……なのに、なんで。
すると再び部屋中に何か硬い物が砕ける音が響いた。
「アァァァァ…………」
小悪魔の細い片足には男の足が乗っていた。
残っていた足も折られたのだろう。
それなのに小悪魔は悲鳴を上げない。いや、上げられないのだ。痛さは全身にきている、もう殆ど感覚が無いのだろう。
何度も踏み続けた男は、息が荒いまま、小悪魔の小さな頭部を片手で持ち上げる。
小悪魔の体は地面から離れ、折れた両足は力無くぶら下がっている。
「殺してやる! このまま頭を砕いてやるッ!」
激情した男はその手に力を込めていく。
「ア…………ウアァァ……」
力無い悲鳴が小悪魔の口から漏れる。
やめて、殺さないで、その子を殺さないで。
パチュリーは自分の情けなさに泣いていた。
詠唱を止めるわけも無く、使い魔の命の灯火が消え去りそうな瞬間を見つめながら、彼女の瞳からは自然と涙が零れ落ちる。
そして、彼女は願った。
――――誰か助けてッ!
「さぁ、綺麗に頭は潰れるかなッ!」
男がさらに力を込める。
ミシミシっと不気味な音が響く。
「終わりだ!」
そう叫ぶと、小悪魔の体は地面へと落ちた。
男の片手と共に。
「あれ……?」
男の間抜けな声が聞こえる。
「お、おおおおおお、おお、お、お俺の手がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
現状を理解した男の絶叫が響く。
何がどうしたのだ?
パチュリーが疑問に思っていると、その原因は静かに笑った。
「あは、なんか楽しそうなことをしているね」
部屋に広がる無邪気な声。
大広間の入口、そこにある人物が立っていた。
幼い少女のような容姿、背中には不思議な模様をした羽とは思えない羽を生やす。
レミィの妹――フランドール・スカーレットがそこに立っていた。
「ねぇねぇ、パチュリー、なんか面白いことになっているけど何?」
無邪気に聞いてくる妹様。しかし、詠唱中なので答えられない。
「……うーん、何か魔法をやるつもりなんだ。そういえばこの前そんなこと言っていたわね」
勝手に理解してくれた。
「おいッ! 貴様ッ!」
すっかり忘れていた男が叫ぶ。
フランドールの視線もそちらへと向く。
「えーと、誰?」
「俺の腕を吹き飛ばしておいて、なんだその態度は!」
言われたフランドールは首を傾げながら言う。
「だって、小悪魔が苦しんでいたから、助けただけよ」
至極当然といった様子で答える。
その態度が頭にきたのか、男はさらに逆上する。
「くそう! どいつもこいつも邪魔ばっかしやがって! 全員纏めて殺してやるッ!」
男は自分の影を、残った片手で触る。
すると、影が不気味に蠢いて形を生成していく。
そこに現れたのは黒い毛むくじゃらの狼。
そしてそれは数を増やしていきその数、十匹。
「あは、私と遊ぶ?」
無邪気に喜ぶフランドールがそれを向かい撃つ。
レミリアは現在の状況に混乱していた。
「ハッ!」
身を翻してビクトリアの攻撃を避ける。
すぐに方向を修正して反撃の魔法弾を繰り出す。
だがビクトリアはその魔法弾をギリギリの距離で避ける。
まただ……。
即座に再び魔法弾を飛ばす。今度は先ほどの比にならない数がビクトリアへと向かう。
しかし、彼女は紙一重で初弾を避け、数発を彼女自身が叩き落した。
この状態にレミリアは疑問しか浮かばない。
人間の吸血鬼であるビクトリアの動きが異様なのである。
身体能力が既に始祖、それ以上の動きになっているのだ。
さらに魔法弾を多数使い、殆ど始祖と変わらない。
ヴァノフめ、何か仕込んだわね。
「シッ」
こちらに向かってくる魔法弾を避ける。
軽く痛めつけて動けなくしてからヴァノフを叩こうと思ったのだが、状況が悪い。
こちらにビクトリアを殺す気が無いこと判って戦わせたな、嫌な男だ。
「なんで……なんでよッ!」
ビクトリアの悲痛な叫び声が響く。
多数の弾幕を張りながら、こちらに突撃してくる。
レミリアは避けるのが可能な魔法弾を避け、それが不可能なのは撃ち落すか、致命傷の位置を避けた体の部位に当てて避ける。
この程度の痛みなんてどうということは無い。
少し痛いけど、我慢しなさいよ。
お互い激突しそうな距離で、レミリアはビクトリアの顔面へと爪を突き刺す。
だがビクトリアは体をずらして自分の右肩にレミリアの腕を突き刺した。
右肩は突き刺さった勢いで後方へと下がるが、その勢いで左足の回し蹴りを繰り出す。
ビクトリアの右肩に刺さったままの手を回転させ体勢を変える。その瞬間、ビクトリアの右肩から肉を抉る耳障りな音がする。
その行動でビクトリアの回し蹴りが宙を蹴る。
自分の右肩が抉れているはずなのに、眉一つ動かさずにビクトリアはレミリアを見つめている。
逆さまに見えるビクトリアは頭を引いて、勢いをつけて頭突きをしてくる。
「ガ……ッ!」
ビクトリアの頭突きが当たり、視界が一瞬瞑れた。
自分の手がビクトリアの右肩から抜ける感覚を感じる。
顔を抑えながらすぐさま片目だけ開くと、目の前にはビクトリアの背中が見え、すぐさま開いていない片目の方から強い衝撃を感じる。
ビクトリアの後ろ回し蹴りがレミリアの顔に当たった。
直撃したため、体の踏ん張りが効かず、勢いのままに吹き飛ばされる。
結構な距離を飛ばされる。視界はまだぼやけている。
すぐに体勢を取り直そうとするが、すぐさま魔法弾がレミリアへと襲い掛かる。
落とせるだけ撃ち落すが、既に距離は縮まっており、多くの魔法弾がレミリアへと直撃する。
「ガハァッ!」
今のはかなりまずい。致命傷に近い。
全身に力が入らない。
レミリアの小さな体は地面へと向かって落ちていく。
私としたことが、不覚であった。
まさかこんなところでやられるなんて。
私には護らないといけない存在が数多くあるのに……。
レミリアは紅魔館の裏庭の地面へと落ちる。
落ちた瞬間、息が詰まるような衝撃を全身に受け、ボールのように体が跳ねる。
「グ…………」
全身に痛みが走る。
無理やり体を起こそうとするが、言うことを聞かない。
情けなんて掛けるから……こんなことになるのかしら。
霞む視界に可愛らしい靴を履いた足が写る。
こちらを見下ろすビクトリア。
「はは……この私が、貴女に負けるなんて……無様ね」
せめてもの強がりである。
「レミリア……ヴァノフ様に許してもらおう。あのお方は優しい方だから、きっと許してくれるわよ」
ビクトリアは説得する。
しかし、もう遅いのである。
「もう……遅いわよ……もう……」
「そんなこと無い! やってみなきゃ――――」
ビクトリアは右腕をレミリアへと向ける。
しかし、上げた右腕はレミリアへと向かなかった。
右腕は根元が溶け、地面へと転がっていた。
「――――え?」
その光景にレミリアとビクトリアは眼を見開いて落ちた右腕を見つめる。
「あれ……私の腕……え……」
地面に落ちた右腕は固体が液体になるように溶けていく。
自分に起きたことを理解できないビクトリアは自分の右腕があった場所を残った腕で触る。
「――やはり、失敗か」
ヴァノフがゆっくりと地面に降り立ち、混乱するビクトリアへと近づく。
「ヴァノフ様……私の……私の腕が……」
今にも泣きそうな顔で助けを求めるビクトリアへとヴァノフは微笑み、彼女の頭を撫でる。
「よく頑張ったね」
「ヴァノフ様……ヴァノフ様……」
なんだ、何か奇妙だぞ、ヴァノフはこの状況を予定していたかのような反応だ。
「ヴァノフ……」
「なんだい、スカーレット君」
不気味な笑顔でヴァノフがこちらを見る。
「貴方、ビクトリアに何をしたの?」
その問いに相手はあっさりと答えた。
「少し実験が失敗しただけですよ」
「実験……?」
「そう、実験。この子に長年、少しずつ魔力を与えていたのだよ」
ヴァノフ公爵は静かに楽しそうに笑う。
「なんでそんなことを……」
「簡単なこと、暇つぶし」
平然と答える。
「永遠に尽きることの無い命の時間を潰すための暇つぶしだよ」
「なんですって……」
「この子を見つけた時からその実験を思いついてね、もう少し時間を掛けて魔力を蓄えさせようと思ったのだがね、君の反逆行為に気づいたために急遽魔力を大量に与えたのだが……どうやら一度に大量の魔力を蓄えすぎたようだな。予定通り」
クツクツと実験の失敗を卑屈な笑いで誤魔化す。
この男は本当に自分の暇つぶしのためだけに、ビクトリアを拾ったのだ。
別に優しさでもなんでもなかった。ただのモルモットとして拾っただけだったのだ。
ビクトリアはこの男を慕っていたのだ。心から主として愛していたのだ。
しかし、この男はそれを今、踏みにじったのだ。
許せない。
「ヴァノフ様……ヴァノフ様……」
裏切られたはずのビクトリアは、目の前に居る唯一の主へと助けを求めるようにしがみつく。
そのビクトリアへとヴァノフは笑顔を向ける。
「お疲れ、ビクトリア」
その言葉にビクトリアの顔には希望の色が写る。
そして、ビクトリアの胸を、魔法弾が音も無く突き抜けた。
後方へと吹き飛ばされた彼女の小さな体は、時がゆっくり進むように地面へと倒れる。
「実験に失敗した廃棄物はしっかり処理しないとね」
変わらない、冷たい笑顔でビクトリアを見下ろす。
ビクトリアは指先一つ動かず、生きている気配がしない。
レミリアは現在の状況を理解できていなかった。しかし、ゆっくりと光景が眼に焼き付けられる。
「これが終わったら、また人間どもが居ない静かな場所で暇つぶしの道具を探すかな」
胸ポケットからハンカチを取り、手を拭く動作をする。
レミリアの視線の先には冷たくなってゆく、瞼を上げたまま満月を見上げていた。
自分の甘さが、あの子を苦しめたのだ。
躊躇せず一撃で殺していれば、この事実を知らないまま死ねたはずなのに。
「さて……そろそろ終わりにしましょうか、スカーレット君」
ヴァノフがゆっくりとレミリアに近づいてくる。
こんな愚かな奴に殺されるなんて、悔しい、だけど体が動かない。全身に痛みが走る。
「……そういえば、君にはたしか妹が居たね」
その言葉に、レミリアの薄らいでいた意識が覚醒する。
「じゃあ、次の実験は彼女にしましょうか、始祖の育成は面白そうですね」
その言葉に両眼は限界まで見開かれる。
私の大切な、唯一の血の繋がった家族。
少し気がふれて、私よりも強力な力を持っているため、外で生活させるには危険であると判断して、地下に閉じ込めている。
それは妹に恐れているからではない。我が妹が愛しいのである。
外で力を振るい、敵を作らないようにするためである。
最近は落ち着いてきており、もうすぐ紅魔館の中は自由に歩かせる予定だった。
私の大切な、世界で一番愛しい存在。
その妹であるフランドールを使って実験?
「さて、その妹君は何処に、と……」
自然と体が動いていた。
ヴァノフへと魔法弾を向けるが、それを避けられる。
「おや、まだ動ける力があったとは」
ゆっくりと、体を動かして立ち上がる。
痛みは無かった、ただ我武者羅に、大切な存在を護るために立ち上がった。
「フランに近づくんじゃない、下衆が」
こんな声、久しぶりに出したかもしれない。相手を威圧する怒声。
私は戦う。大切な存在を護るために。
正門と上空で戦闘が繰り広げられている中、正門とは正反対の位置にある紅魔館の裏庭。そこに一人の大柄の男が居た。
しかし、こんな役割なんてつまらないったらありゃしない。
男は裏庭からゆっくりと紅魔館へと近づく。
他の二人が大げさなほど巨大な気配を出してくれたお陰で楽に近づける。
つまらなそうに男は呟く。
男はとても好戦的で、とにかく殺し合いが好きなのだ。
それが今回は、他の二人が囮になっている間に自分が大元を叩くという作戦だ。
自分は戦う役割が適任だと強く主張したが、何故か断られた。まったく面倒だ。
この俺様の天才的な頭脳があればこんなひよっ子始祖の館なんてすぐに壊せるのに。
中庭を歩く。遠くから激しい戦闘音が聞こえる。
戦闘したくて全身が震える。
あー、イライラするぜ。
すると男は足を止める。
これは……。
男が進行方向を見ると、少し先にだが薄っすらと小型魔法陣が見える。かなり眼を凝らさないと確認はできなかった。
ははー、罠か、あれを踏むとドカンとかいうことか。天才である俺様に掛かれば子供騙しもいいところだ。
男が見下すように魔法陣を見つめる。
見つめる。
見つめる。
見つめる。
見つめるだけ。
……さて、どうしたものか。いちいち避けていくのも面倒だな……そうだ!
何かを思いついたようで、男は自分の影を触る。
すると男の影は不気味に蠢き、形を生成していった。
その出来上がったのは、黒い毛むくじゃらの狼。
出来上がった狼を、男はどうするかと思うと。
狼に先にある小型魔法陣を踏ませた。
その瞬間、魔法陣があった場所は激しい爆音と共に吹き飛んだ。
おお、見事に吹っ飛んだ。やはりこの方が早いな。
男は爆発を確認して、さらに足元の影から黒い狼を作り出す。
ちゃっちゃとやっちゃって、他の敵も倒すか。
作り出した狼に、自分の正面を走らせる。すると次々と魔法陣を踏んで爆発する狼たち。
減った狼たちは男がすぐに自分の影から補充する。
そして男は高らかに叫んだ。
「はっはっは! やはりこの感じが最高だぜ! この天才である俺様、ラードゥガ伯爵様は最強だ!」
あの莫迦……わざわざ隠密行動にさせたのだから隠れていきなさいよ。やはりあいつじゃなくて私がやった方がよかったのではないだろうか。でもあいつ莫迦だからこっちでも滅茶苦茶なことしそうだ。
ミラーシは館から聞こえる爆音に溜息をつきながら、目の前の敵へと視線を送る。
先ほどから私の作った蝙蝠人間と互角――いや、それ以上の戦いを行っている。それも多数の蝙蝠人間と。
見た目や気配は人間そのものだが、動きが人間を超越している。
たまに人間の姿がその場所から忽然と消えて、別の場所に移動している場合がある、それはなんだ?
あ、また蝙蝠人間が一体やられた。
ミラーシはその一方的な戦いを見て、心臓の鼓動が早くなった。
彼女は楽しいことを求めている。
ラードゥガのように戦闘狂ではない。
楽しければ、人間の遊戯や食事なども楽しむ。
とにかく彼女は自分が楽しいことには心臓の鼓動が早くなるのだ。興奮するのだ。
そして、彼女の前には人間とは思えない人間が居る。
今まで見てきた人間は、とても弱く、無闇に叫び続ける五月蝿い存在だった。
一方的に殺し、血を補充するだけの家畜な存在だと思っていた。
だけど目の前には、彼女を楽しませてくれそうな人間が居るのだ。
彼女は狂喜している。
久々の他種族との戦い。
この抑えきれない感情は、行動へと移される。
人間と戦っている蝙蝠人間を後方に下げる。
その行動に目の前の人間は訝しむようにこちらに目線を向ける。
「貴女、強いわね」
「…………」
こちらを睨み、何も喋らない。
「私、ゾクゾクしてきちゃった……」
そして後方に待機する蝙蝠人間の形を解除する。
小さな蝙蝠の姿になった無数の黒い影は、ゆっくりとミラーシの周辺へと集まる。まるで黒い鎧のように蝙蝠は彼女の周りを飛んでいる。
なるべく長く楽しもう……。
「さぁ、私を楽しませて、人間ッ!」
「レミリア……どうして、こんなことを?」
どうすればいいか判らない。
友人の行動を理解しようと問いかける。
「……私にとってここは息苦しいのよ」
しかし、その友人は淡々と答える。
「判らないよ……レミリアがなんでこんなことをしているのか……私には判らないよ……」
つい先ほど聞かされた、友人の不審な行動。
何かの間違いだと思っていたのに、ここに到着してみたら、不審は真実に変わった。
信じていたのに、始祖なのに人間の吸血鬼である私に気軽に話しかけてくれた友人なのに……。
「なんでヴァノフ様を裏切る行為を!」
私の主はたしかに少し強引かもしれない。
だけど、本当は優しいお方なのだ。その行為を踏みにじるなんて。
「彼のやり方にはついていけないのよ。あんな独裁者みたいなやり方」
友人は、自分の愛する主を侮辱した。
自分が吸血鬼になった時、その吸血鬼に両親は殺された。その時、現れたのがヴァノフ様だった。
その吸血鬼を殺し、人間の吸血鬼である私を拾ってくれたのだ。
最初は始祖だと思い、恐怖で動けなかった。
でも、ヴァノフ様はとても優しくしてくれた。
まるで自分の娘のようにしてくれた。
私が今居るのはヴァノフ様のお陰である。
だから私はヴァノフ様のためになんだってする。
「……ヴァノフ様を侮辱する者は、誰であろうと許さない」
自分の大切な主の名誉を護るため、私は戦う。
「来なさい、人間の吸血鬼ちゃん」
ヴァノフ様……見ていてください。私、頑張ります。
ビクトリアは自分の目的のため、友人へと向かう。
屋敷内に設置した魔法陣が次々と爆発する。
……力任せに進んできているわね。
パチュリーは魔法陣の中央で呪文を唱えている。
突然の奇襲で一瞬呪文が止まりそうになったが、詠唱の遅れは差ほど無い。
だが、部屋の中には現在自分一人しか居ない。
補佐である小悪魔もレミィの命令でまだ戻ってきていない。あの子ならすぐに戻ってくるから大丈夫だろう。
だけど、先ほどからどんどん爆音が近づいてくる。
トラップをまったく気にしない進行具合。よっぽど単細胞な敵なのだろう。
だが、詠唱完了までまだ時間がある。間に合わない。
爆音が部屋の近くまで近づく。
手当たり次第に踏んで……修理する身になって欲しい。
大広間周辺に設置していた一番近い小型トラップが爆破した。
ガスガスと乱暴な足音が聞こえてくる。するとそれは大広間のドアの前で足音が止まる。
そして乱暴にドアが開かれた。
「――――おお、どうやらここが目的地みたいだな!」
そこに現れたのは大柄な男。
「敵が来たのに悠長に詠唱なんてして……お前、馬鹿か?」
後先考えずずかずか進んでくる奴に言われたくない。
「……まぁ、いい。とにかくお前を殺せばいいんだな」
そう言うと男はゆっくりと近づいてくる。
迎撃するべきか?
いや、ここを動くわけには行かない。
今日失敗すると次はいつの日になるか判らない。
恐らく今日転送しないと次の日には大量の敵が来る可能性がある。
ならば、私がここを動くわけにはいかない。
だがこのままでは……。
「さぁて、いくぞぉー」
すぐ傍まで近づいてきた男が右腕を上げる。
まだ、終わるわけには……ッ!
その時、炎の塊が男の頭を包む。
「な、なんだ、あつッ! 熱い、熱い!」
男が転がるようにその場から離れる。
何が起きているの?
「パチュリー様から離れなさいッ!」
入口から声がする。
視線だけをそちらに向けると、そこに自分のよく知った使い魔――小悪魔が立っていた。
「私だって! 魔法の一つや二つ!」
小悪魔が必死な形相で叫んでいる。
でもこんなに自分の使い魔が頼りに思えたのは久しぶりだ。
「くっそぉぉぉ……熱いじゃねぇか! この野郎!」
頭の炎が消えた男が小悪魔に向かって叫ぶ。
「ヒッ…………ぱ、パチュリー様は私が護るッ!」
脅えたように小悪魔が叫ぶと同時に短い詠唱して先ほど出したように炎を男へ向けて飛ばす。
なんと、男はその炎に一直線に突撃し、見事に当たった。
「やった!」
当たったことに喜ぶ小悪魔。
しかし、その喜びはすぐに消えた。
「何喜んでいるんだッ! むかつくな!」
男は何事も無かったかのように小悪魔を見下ろすように立っていた。
呆気に取られる小悪魔。
次の瞬間、男の拳が小悪魔の顔面を捉える。
小悪魔の小さな体が地面へと叩きつけられる。
「がァッ…………アァァ……ッ」
地面に蹲るように呻き声を上げる。
「俺様の美しい顔を燃やすとは、お前はただじゃ殺さねぇ!」
男が叫ぶと、倒れる小悪魔の右足を勢いよく踏みつける。
すると何か硬いものが砕ける音が部屋中に響く。
「――――ッアァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!」
小悪魔の悲鳴が響く。
しかし、それを止めるように男が小悪魔の顔を蹴り飛ばす。
「うるせぇ! 叫ぶんじゃねぇッ!」
「アァァァァ…………」
やめて、私の使い魔をこれ以上傷つけないで……。
傍で大切な者が傷ついているのに、何も出来ないなんて、自分の無力さを感じる。
「……たく、取り敢えず静かになったな」
すると男はこちらへと体を向けた。
「お前を殺してから、この下級悪魔を嬲殺してやる」
一歩、足を進める。
「……うん?」
男が歩を止めて、自分の足元へと視線を下ろす。
「パ……チュリー、様は……私……が……護る……」
ボロボロであるはずの小悪魔が男の足首へとしがみついていた。
「お前は後って言っているだろ」
小悪魔を蹴り飛ばす。
既にボロボロであるはずの小悪魔は、簡単に飛ばされ、壁に叩きつけられる。
男が気を取り直して、こちらに向かおうとすると、三度炎の塊が男へと当たる。
顔を顰めながら、男は炎の塊を出した小悪魔へと向く。
小悪魔は、明らかにボロボロのはずなのに、余裕の笑みを作って男へ向かってある言葉を言った。
「パチュリ……様に……近づ…………くな、木偶の……棒」
相手を見下すように、挑発と判りやすい挑発。
「貴様、今なんて言ったアァァァァァァァァァッ!!」
その挑発に見事に引っかかった男は感情をむき出しにして激怒した。
憤怒の感情しかない男は小悪魔へと近づくとすぐさま蹴りを一発当てる。
「ガッ……!」
すぐさま踏みつけるように小悪魔の小さな体を何回も痛めつける。
なんで……そこまでして私を護るのよ……自分が傷ついているのよ。相当の苦痛のはずよ……なのに、なんで。
すると再び部屋中に何か硬い物が砕ける音が響いた。
「アァァァァ…………」
小悪魔の細い片足には男の足が乗っていた。
残っていた足も折られたのだろう。
それなのに小悪魔は悲鳴を上げない。いや、上げられないのだ。痛さは全身にきている、もう殆ど感覚が無いのだろう。
何度も踏み続けた男は、息が荒いまま、小悪魔の小さな頭部を片手で持ち上げる。
小悪魔の体は地面から離れ、折れた両足は力無くぶら下がっている。
「殺してやる! このまま頭を砕いてやるッ!」
激情した男はその手に力を込めていく。
「ア…………ウアァァ……」
力無い悲鳴が小悪魔の口から漏れる。
やめて、殺さないで、その子を殺さないで。
パチュリーは自分の情けなさに泣いていた。
詠唱を止めるわけも無く、使い魔の命の灯火が消え去りそうな瞬間を見つめながら、彼女の瞳からは自然と涙が零れ落ちる。
そして、彼女は願った。
――――誰か助けてッ!
「さぁ、綺麗に頭は潰れるかなッ!」
男がさらに力を込める。
ミシミシっと不気味な音が響く。
「終わりだ!」
そう叫ぶと、小悪魔の体は地面へと落ちた。
男の片手と共に。
「あれ……?」
男の間抜けな声が聞こえる。
「お、おおおおおお、おお、お、お俺の手がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
現状を理解した男の絶叫が響く。
何がどうしたのだ?
パチュリーが疑問に思っていると、その原因は静かに笑った。
「あは、なんか楽しそうなことをしているね」
部屋に広がる無邪気な声。
大広間の入口、そこにある人物が立っていた。
幼い少女のような容姿、背中には不思議な模様をした羽とは思えない羽を生やす。
レミィの妹――フランドール・スカーレットがそこに立っていた。
「ねぇねぇ、パチュリー、なんか面白いことになっているけど何?」
無邪気に聞いてくる妹様。しかし、詠唱中なので答えられない。
「……うーん、何か魔法をやるつもりなんだ。そういえばこの前そんなこと言っていたわね」
勝手に理解してくれた。
「おいッ! 貴様ッ!」
すっかり忘れていた男が叫ぶ。
フランドールの視線もそちらへと向く。
「えーと、誰?」
「俺の腕を吹き飛ばしておいて、なんだその態度は!」
言われたフランドールは首を傾げながら言う。
「だって、小悪魔が苦しんでいたから、助けただけよ」
至極当然といった様子で答える。
その態度が頭にきたのか、男はさらに逆上する。
「くそう! どいつもこいつも邪魔ばっかしやがって! 全員纏めて殺してやるッ!」
男は自分の影を、残った片手で触る。
すると、影が不気味に蠢いて形を生成していく。
そこに現れたのは黒い毛むくじゃらの狼。
そしてそれは数を増やしていきその数、十匹。
「あは、私と遊ぶ?」
無邪気に喜ぶフランドールがそれを向かい撃つ。
レミリアは現在の状況に混乱していた。
「ハッ!」
身を翻してビクトリアの攻撃を避ける。
すぐに方向を修正して反撃の魔法弾を繰り出す。
だがビクトリアはその魔法弾をギリギリの距離で避ける。
まただ……。
即座に再び魔法弾を飛ばす。今度は先ほどの比にならない数がビクトリアへと向かう。
しかし、彼女は紙一重で初弾を避け、数発を彼女自身が叩き落した。
この状態にレミリアは疑問しか浮かばない。
人間の吸血鬼であるビクトリアの動きが異様なのである。
身体能力が既に始祖、それ以上の動きになっているのだ。
さらに魔法弾を多数使い、殆ど始祖と変わらない。
ヴァノフめ、何か仕込んだわね。
「シッ」
こちらに向かってくる魔法弾を避ける。
軽く痛めつけて動けなくしてからヴァノフを叩こうと思ったのだが、状況が悪い。
こちらにビクトリアを殺す気が無いこと判って戦わせたな、嫌な男だ。
「なんで……なんでよッ!」
ビクトリアの悲痛な叫び声が響く。
多数の弾幕を張りながら、こちらに突撃してくる。
レミリアは避けるのが可能な魔法弾を避け、それが不可能なのは撃ち落すか、致命傷の位置を避けた体の部位に当てて避ける。
この程度の痛みなんてどうということは無い。
少し痛いけど、我慢しなさいよ。
お互い激突しそうな距離で、レミリアはビクトリアの顔面へと爪を突き刺す。
だがビクトリアは体をずらして自分の右肩にレミリアの腕を突き刺した。
右肩は突き刺さった勢いで後方へと下がるが、その勢いで左足の回し蹴りを繰り出す。
ビクトリアの右肩に刺さったままの手を回転させ体勢を変える。その瞬間、ビクトリアの右肩から肉を抉る耳障りな音がする。
その行動でビクトリアの回し蹴りが宙を蹴る。
自分の右肩が抉れているはずなのに、眉一つ動かさずにビクトリアはレミリアを見つめている。
逆さまに見えるビクトリアは頭を引いて、勢いをつけて頭突きをしてくる。
「ガ……ッ!」
ビクトリアの頭突きが当たり、視界が一瞬瞑れた。
自分の手がビクトリアの右肩から抜ける感覚を感じる。
顔を抑えながらすぐさま片目だけ開くと、目の前にはビクトリアの背中が見え、すぐさま開いていない片目の方から強い衝撃を感じる。
ビクトリアの後ろ回し蹴りがレミリアの顔に当たった。
直撃したため、体の踏ん張りが効かず、勢いのままに吹き飛ばされる。
結構な距離を飛ばされる。視界はまだぼやけている。
すぐに体勢を取り直そうとするが、すぐさま魔法弾がレミリアへと襲い掛かる。
落とせるだけ撃ち落すが、既に距離は縮まっており、多くの魔法弾がレミリアへと直撃する。
「ガハァッ!」
今のはかなりまずい。致命傷に近い。
全身に力が入らない。
レミリアの小さな体は地面へと向かって落ちていく。
私としたことが、不覚であった。
まさかこんなところでやられるなんて。
私には護らないといけない存在が数多くあるのに……。
レミリアは紅魔館の裏庭の地面へと落ちる。
落ちた瞬間、息が詰まるような衝撃を全身に受け、ボールのように体が跳ねる。
「グ…………」
全身に痛みが走る。
無理やり体を起こそうとするが、言うことを聞かない。
情けなんて掛けるから……こんなことになるのかしら。
霞む視界に可愛らしい靴を履いた足が写る。
こちらを見下ろすビクトリア。
「はは……この私が、貴女に負けるなんて……無様ね」
せめてもの強がりである。
「レミリア……ヴァノフ様に許してもらおう。あのお方は優しい方だから、きっと許してくれるわよ」
ビクトリアは説得する。
しかし、もう遅いのである。
「もう……遅いわよ……もう……」
「そんなこと無い! やってみなきゃ――――」
ビクトリアは右腕をレミリアへと向ける。
しかし、上げた右腕はレミリアへと向かなかった。
右腕は根元が溶け、地面へと転がっていた。
「――――え?」
その光景にレミリアとビクトリアは眼を見開いて落ちた右腕を見つめる。
「あれ……私の腕……え……」
地面に落ちた右腕は固体が液体になるように溶けていく。
自分に起きたことを理解できないビクトリアは自分の右腕があった場所を残った腕で触る。
「――やはり、失敗か」
ヴァノフがゆっくりと地面に降り立ち、混乱するビクトリアへと近づく。
「ヴァノフ様……私の……私の腕が……」
今にも泣きそうな顔で助けを求めるビクトリアへとヴァノフは微笑み、彼女の頭を撫でる。
「よく頑張ったね」
「ヴァノフ様……ヴァノフ様……」
なんだ、何か奇妙だぞ、ヴァノフはこの状況を予定していたかのような反応だ。
「ヴァノフ……」
「なんだい、スカーレット君」
不気味な笑顔でヴァノフがこちらを見る。
「貴方、ビクトリアに何をしたの?」
その問いに相手はあっさりと答えた。
「少し実験が失敗しただけですよ」
「実験……?」
「そう、実験。この子に長年、少しずつ魔力を与えていたのだよ」
ヴァノフ公爵は静かに楽しそうに笑う。
「なんでそんなことを……」
「簡単なこと、暇つぶし」
平然と答える。
「永遠に尽きることの無い命の時間を潰すための暇つぶしだよ」
「なんですって……」
「この子を見つけた時からその実験を思いついてね、もう少し時間を掛けて魔力を蓄えさせようと思ったのだがね、君の反逆行為に気づいたために急遽魔力を大量に与えたのだが……どうやら一度に大量の魔力を蓄えすぎたようだな。予定通り」
クツクツと実験の失敗を卑屈な笑いで誤魔化す。
この男は本当に自分の暇つぶしのためだけに、ビクトリアを拾ったのだ。
別に優しさでもなんでもなかった。ただのモルモットとして拾っただけだったのだ。
ビクトリアはこの男を慕っていたのだ。心から主として愛していたのだ。
しかし、この男はそれを今、踏みにじったのだ。
許せない。
「ヴァノフ様……ヴァノフ様……」
裏切られたはずのビクトリアは、目の前に居る唯一の主へと助けを求めるようにしがみつく。
そのビクトリアへとヴァノフは笑顔を向ける。
「お疲れ、ビクトリア」
その言葉にビクトリアの顔には希望の色が写る。
そして、ビクトリアの胸を、魔法弾が音も無く突き抜けた。
後方へと吹き飛ばされた彼女の小さな体は、時がゆっくり進むように地面へと倒れる。
「実験に失敗した廃棄物はしっかり処理しないとね」
変わらない、冷たい笑顔でビクトリアを見下ろす。
ビクトリアは指先一つ動かず、生きている気配がしない。
レミリアは現在の状況を理解できていなかった。しかし、ゆっくりと光景が眼に焼き付けられる。
「これが終わったら、また人間どもが居ない静かな場所で暇つぶしの道具を探すかな」
胸ポケットからハンカチを取り、手を拭く動作をする。
レミリアの視線の先には冷たくなってゆく、瞼を上げたまま満月を見上げていた。
自分の甘さが、あの子を苦しめたのだ。
躊躇せず一撃で殺していれば、この事実を知らないまま死ねたはずなのに。
「さて……そろそろ終わりにしましょうか、スカーレット君」
ヴァノフがゆっくりとレミリアに近づいてくる。
こんな愚かな奴に殺されるなんて、悔しい、だけど体が動かない。全身に痛みが走る。
「……そういえば、君にはたしか妹が居たね」
その言葉に、レミリアの薄らいでいた意識が覚醒する。
「じゃあ、次の実験は彼女にしましょうか、始祖の育成は面白そうですね」
その言葉に両眼は限界まで見開かれる。
私の大切な、唯一の血の繋がった家族。
少し気がふれて、私よりも強力な力を持っているため、外で生活させるには危険であると判断して、地下に閉じ込めている。
それは妹に恐れているからではない。我が妹が愛しいのである。
外で力を振るい、敵を作らないようにするためである。
最近は落ち着いてきており、もうすぐ紅魔館の中は自由に歩かせる予定だった。
私の大切な、世界で一番愛しい存在。
その妹であるフランドールを使って実験?
「さて、その妹君は何処に、と……」
自然と体が動いていた。
ヴァノフへと魔法弾を向けるが、それを避けられる。
「おや、まだ動ける力があったとは」
ゆっくりと、体を動かして立ち上がる。
痛みは無かった、ただ我武者羅に、大切な存在を護るために立ち上がった。
「フランに近づくんじゃない、下衆が」
こんな声、久しぶりに出したかもしれない。相手を威圧する怒声。
私は戦う。大切な存在を護るために。