―――――――――――――――――act.3
霊夢は逃げているうちに、遠く離れた無縁塚へと来ていた。
呆、と無数に咲く彼岸花の道を眼下に見ながら飛んでいると川岸に寝そべっている人影を見つけた。
「こんにちは」
「うえっ!!? ……なんだ霊夢か。驚かさないでおくれよ、四季さまかと思ったじゃないか」
近づいて声をかけると死神、小野塚小町は驚いて立ち上がった。
この彼岸の渡し人が働いているところに遭遇したことはない。どうせサボりだ、と察するのは容易かった。
と、ここでしわくちゃだった霊夢の心にピンと柱が立つ。
「それは悪かったわね。お詫びと言ってはなんだけれどひとつ占いをしてあげるわ」
「占い? 霊夢が? ああでもタダならしてもらおうかな」
「ん、結果が出たわ」
懐から札を一枚取り出しただけ。占いですらない。
「早ッ!! で、結果は?」
「後ろにご注意」
何のことやら、と小町が札を受け取って小首を傾げる。
そこへ背後から近づく軽い足音。
「小町っ!!!」
「きゃん!!」
「ほらね」
小町の後ろから現れた姿は子ども、しかしてその実態は楽園の最高裁判長、四季映姫・ヤマザナドゥ。
閻魔帽に卒塔婆を片手に携えている彼女の表情はとても幼く怒っていてもそれほど迫力はなかったが、十分すぎる威厳と聡明さを兼ね備えていた。
「また仕事を遅延して! いったいいつになったら霊を運んでくるのかと思えば、何を暢気に閑談しているの!!」
「すみません、すみません!! 今度からは早く――――――」
「今度からじゃありません! 今すぐ取り掛かりなさいっ!!」
「はいぃ!!!」
びゅんっと風とともに走り去る小町。その様子を見て、ふぅと映姫はため息をついた。
だがすぐに表情を引き締めると、口元を卒塔婆で隠しながらまっすぐに霊夢を見つめてきた。
「さて」
「それじゃ、私はこれで」
「お待ちなさい。避けては通れぬ須弥山、悔いて鬼籍に入りたくなくば大人しく説教を受けなさい博麗霊夢」
「巫女は適応外っていう法令はないのかしら?」
「神をも恐れぬ巫女に容赦などいたしません」
もちろん霊夢とて簡単に逃げられるとは思っていない。だが今日は事情が違う、すぐにでもこの場から逃げ出したかった。
イヤな予感が止まらない。壊れたダムが自然に直ることがないのと同じで、悪い事柄は一日中ついてまわる。
この流れだと大方、説教も自分の他人との接し方についてなのだろうと半分諦めて、しかし隙あれば逃げる気で映姫の話に付き合うことにした。
「博麗霊夢」
「何よ」
「私はあなたが巫女として正しくないことや間違ったことばかり繰り返していることを知っている。異変を納める巫女の身でありながら私欲を出しては周囲を巻き込み、さらに自分から積極的に行動しないのに幻想郷の未来を憂うあなたはあまりに身勝手。そう、あなたは少し我が強すぎる」
「……で?」
何を当たり前のことを言っているんだ、としか言いようがない。
幻想郷の巫女なのだから異変を解決するのは当たり前で、その見返りをもらうのはごく当然のこと。
時々来る魔理沙から具材をもらうことや、妖怪退治の報酬で得た金銭を生活に使うことの何が悪いのか。
我が強い。そんなこと、幻想郷にいる弾幕少女のほとんどすべてに当てはまる。
誰もが自分の過去と未来を持ち、だが決してそれを表に出すことなく弾幕に興じる彼女たちの意志は強い。すなわち自我。
自らの境遇をひけらかさない。他人に同情してもらおうとも思わない。強く固い、古の意志と積み上げられた理性。
現に、目の前の裁判長とて閻魔としての自己と自我を持つ一人ではないか。
「いずれあなたの周囲には何も残らない。歴代の巫女がそうしてきたように足跡すらつけることなく、記憶と形だけの関係がまるで地縛霊のように残るだけ」
「そうよ、だから?」
「それでは私が、あまりにも悲しい」
不意を突く一言だった。
裁判長の発する言葉ではない。彼の立場に座するものは常に中立。博麗と同等、否、それ以上に他との関係に敏感で、決して立場を乱してはならないはずなのに。
そして、それ以上に悲しいと言われたことが霊夢を驚かせた。
「……そんなこと言っていいの? 仮にも裁判長でしょうに」
「あくまで裁判長として言っています。昨今の幻想郷は変化も激しく、人も文化も移り変わりつつある。だからこそ、博麗が“流れ”に交わることで世界をよりよいものにしたい」
「流れは必然よ。そこに私が関わること自体がすでに間違いだわ」
「それではこうしましょう。役目の羽に捕らわれ、未来に目が向きすぎて地に足のつかないあなたが、今を生きる彼女たちのところまで降りてこられるように」
すい、と卒塔婆を下ろして少女は微笑んだ。
「幻想郷はすべてを受け入れる。博麗霊夢が渇望するのであれば、きっとあなたの心の幻想は形になる」
その微笑は、すべてを見透かしたように鋭く穏やかな視線だった。
「……私が言いたいのはそれだけです。今宵の宴会、我々も参加させていただきますのでそのつもりで。それでは」
映姫は無縁塚の林へと姿を消す。
残された霊夢は静かに湖面に目を移して「私の、幻想」と一人呟く。
湖に映し出された顔は、まだ泣きそうなくらいクシャクシャではあったが瞳にはかすかに光が灯っていた。
―――――――――――――――――act.4
空にありし結界の向こう、俗に冥界と呼ばれそのなかでも白玉楼と呼ばれている場所へと訪れた霊夢は階段のうえを飛んでいた。
そこへ、いつぞやの疾風の如き勢いで少女が行く手を塞いだ。
「何奴!! って、霊夢?」
「こんにちは、妖夢。相変わらずせっかちねぇ。もうすこし相手を確かめてから出てくれないといつか斬られそうだわ」
「斬られそうなところへ来るほうが悪い」
「斬らない努力をしろって言ってるの」
それぞれ長短の二刀を構えた庭師、魂魄妖夢は特に悪びれる様子もなくむしろ悪態をつきながら刀を納める。
遅れて、彼女の幽体がやってきて近くにくると落ち着いたのかゆったりと妖夢の周りを漂い出した。
半分は人間、半分は幽霊。なんとも難儀なものだと霊夢は思った。
「それはそうと冥界まで何の用? 生憎、茶なら切らしているけど」
「ん? ああ、別にそういうわけじゃないわよ。単なる暇つぶしで来ただけ。あのさ、魔理沙かアリスから話は来てない?」
「ない。ただ、今日神社で宴会があることは聞いている」
どうやら話が通っている様子もなく、妖夢がウソをついている感じもない。妖夢がウソをつけるような器用な人間ではないことは知っているので、これ以上聞くのは無駄らしかった。
「そっか。さすがにあいつらも私が白玉楼まで来るとは思ってなかったのかしら。しょうがない、別のところへ行くか」
「ちょっと待った。ここに来るまでは何をしていたの?」
「紅魔館で玉露、永遠亭で茶菓子をもらって、無縁塚ではありがたくない説教を頂いたわ」
「むぅ。このまま帰したのでは幽々子さまに示しがつかないし、何より白玉楼が礼儀知らずと思われたのでは些か不本意。……仕方ない。菓子ぐらいなら出す」
礼儀知らずも何も、当主に礼儀があったものではないと思う。さらに言うなら礼儀を尽くしたところで冥界までくる物好きもいないだろうに。
「気を遣わなくていいわよ。あんた、まだ仕事があるでしょ。私に構っている暇があったらそっちをしていなさいな」
「構うも何も、霊夢が結界を越えてこなければ仕事を中断することもなかったのよ」
「ただでさえ半人前なんだから仕事に精を出しなさい」
「私は半人前が二人で一人前!!!」
半人前が二人になったところで変わらないのではないか。そう思う霊夢を他所に、妖夢の丸い瞳が鋭く睨む。
霊夢は何も意地悪く言ったわけではなかった。すでに二度、茶をご馳走になっているのだから。
とはいえ、白玉楼に来るのも久しぶりなのでゆっくりしたいという気持ちもあった。冥界とは本来生きて関わる場所ではないのだから。
お邪魔しようかどうか考えていると、第三者の声が聞こえてきた。
「騒がしいわよ、妖夢」
「!? 幽々子さま!!」
妖夢の向こう側、門のところに淡い色の着物を着た少女の亡霊、西行寺幽々子がそこに立っていた。
「あら、珍しい顔。紅白の蝶もそろそろ死期だったかしら」
「勝手に殺すな。私はちょっとそのあたりを漂っていただけ。アンタのところの亡霊と一緒にしないの」
「そお? 似たようなものだと思うけれど。妖夢、妖夢。そろそろお茶にして頂戴」
「申し訳ありません、幽々子さま。生憎と茶は切らしておりましてお出しすることができません」
「そうなの? 残念ねえ」
まったく残念そうではない顔でおっとりと首をかしげる幽々子。
お茶もないし、呼ばれてないのなら無意味に足を踏み入れるのも無粋と思い、「じゃあ」と片手を挙げて霊夢は元来た道を戻る。
「ああ、ちょっと待って」
「なによ」
「お土産を包ませるから持って行きなさい。妖夢、今すぐ用意して頂戴」
庭師は指示されて、さっと風のように門の向こうへと消える。
もしかして目の前の亡霊はお腹が空きすぎて頭がおかしくなったのではないか。桜餅を持たせるなんて、まったくもって彼女らしくない。
人の菓子さえも横から奪い去るような空気読まずが、いったい何の企みがあって土産など寄こすのか。
「ふふ、どうしてって顔をしているわね」
桜模様の描かれた扇子で口元を隠し、幽々子は妖美に微笑む。真っ白な雪色の肌と相まってひどく美しい。
咲夜のような麗しさとはまた違った美。なるほど、黄泉路へ誘う死蝶とはよく言ったものだと感心してしまう。
同性である霊夢も動揺してしまう艶美な笑みを浮かべたまま少女は言葉を続ける。
「人間にとって幻想とは叶わずして叶わざるべきもの。虚ろにして明確。実像にして鏡。そう、まるで私と同じ亡霊みたいなものなの。けれどそれは害がないからこそ認められるだけで、害成す幻想が目の前にいればすべて人間は恐怖するか、もしくは発狂するかどちらかしかない。
でもあなたは違ったわ。私たちの力に正面から立ち向かい、私たちの生活圏へと無遠慮に踏み込んできて、そして私たちの存在すら恐れなかった。あなたは幻想というものに対して何の感慨も示さなかった。これはある種の恐怖よ。
だってそうでしょう? あなたは恐れない。多くの人間に恐れられ、忘れ去られたはずの力をあなたは意も介さなかった。驚いたわ、驚くしかなかった。どうしてあの巫女はこんなにも普通でいられるのかって」
いつになく饒舌な幽々子は、なおも言葉を続ける。
視線は霊夢を捉えず、遥か遠くを見つめるように。
「当たり前ではない普通。あなたがいる普通。いいえ、幻想郷という世界軸こそが私たちを普通ではなくさせたのね。外の世界の『普通』というものを知っていたからこそ異世界の『普通』を知らず、自分勝手な『普通』を振り回していた。それがあなたの言う異変。
だからかしらね。異変であなたに負けたとき、こう思ったの。『ああ、この巫女は私たちを幻想郷に馴染ませるために来たのね』と」
「いくらなんでも買い被りすぎだわ。あれはアンタらが勝手に迷惑を起こしただけでしょ」
「ええ、そうね。だから余計に思うの。それに霊夢は異変のあとは私たちを交えて宴会を開いた。それはなぜ?」
「アンタたちのせいで宴会の日が延期になったからよ。それ以外に何があるのよ」
「違うわ、私たちに気を遣ってくれたのよ。なぜなら――――――――」
幽々子の言葉は自惚れに近かった。
異変が起きる、宴会の日が延期される、異変解決後に宴会。それが霊夢の一連の行動である。それは一見しただけでは巫女に関わる妖怪が増えたから誘わざるを得なかったように窺える。
だが幽々子の言葉どおりに捉えるならばどうなるだろうか。
まず、幻想郷に異変を起こしうるだけの妖怪が来る。彼らは幻想郷という世界の公転に慣れることができず、自分勝手に異変を起こす。
するとそれを察知した巫女が宴会を延期、異変解決へと乗り出す。あとは多少割愛するが巫女が異変を解決すると同時に宴会が催され、その折に異変を起こした妖怪が招かれる。
これまでの咲夜、永淋、映姫の言動も重ねるならば。
博麗の巫女というシステムは幻想郷のバランスを保つという意味だけではなく、幻想郷へ来た妖怪や人間に幻想郷へ馴染ませる、むしろ叩き込むことこそが本命ではないか。
ならば無理に霊夢が博麗としての存在意義を演じる必要はなく。
「あなたが優しい女の子だから」
博麗霊夢という役割よりも前に、霊夢という個体よりも上位の概念。
それは単に、博麗霊夢も少女だったということ。
「アンタは少女って感じじゃないけどね」
「一回、死んでみる? あの世で後悔するわよ」
「それは大変。跡継ぎがいないからどうしようかしら」
「妖夢が代わりを務めるから大丈夫よお」
「大丈夫じゃありませんっ!!!」
ちょうどいいタイミングで妖夢が戻ってきて、即座に妖夢は巫女になります説を一刀両断のもとに斬り伏せた。
その手には若草色の風呂敷を持っていた。きっとなかに桜餅が入っているのだろうが、それにしては量が多い。大きすぎて、抱えている妖夢の顔が隠れてしまっている。
「ちょ、ちょっと量が多すぎない?」
「さあ。台所に『これを霊夢に包みなさい』と書かれた紙があったので、私はそれに従っただけよ」
「用意周到なこと。と、いうことはさしずめ仲間はずれか。不憫ねえ、あなたも」
風呂敷を抱えたままの妖夢の頭を撫でる霊夢。その顔には哀れみと同情が滲みでていた。
「……なんでだろう。顔も見えないし、霊夢が言っていることもよく分からないのに涙が出てくる」
「きっと本能が理解しているのよ」
主に半霊が。妖夢が戻ってきてからずっと幽々子のほうを見ている。
なんて遠まわしなことを。霊夢は風呂敷を受け取りながらひっそりとため息をつく。
おそらく幽々子は知っていたのだろう。霊夢が来ることを。だからわざわざ妖夢に土産の用意までさせて、そして事前に彼女には知らせなかった。
魔理沙たちが白玉楼だけを予想していなかった、ということはない。おそらくどこへ行っても霊夢をもてなすように手を回していたのだ。
だから今日だけ、幻想郷の人も妖怪も不自然なくらいに霊夢によくしようとした。お人好しな発言やトラブル、説教までもらったがそれもまた彼女たちが霊夢のことを考えていたからに違いない。
「じゃ、これはありがたく頂いていくわ。一人じゃ食べられそうにないし、今日の宴会でみんなに振舞おうと思うのだけれど、いいかしら?」
「もちろんよ。あなたに差し上げたのだから、あなたの好きになさいな」
「そうするわ」
大きな土産を抱え、霊夢は階段を下っていく。
その直後。
「霊夢!」
「?」
少女らしいソプラノに呼び止められた。妖夢だ。
どうしてか目は真剣で、ぎゅっと両の手を握り締めている。
はて、なにか彼女を怒らせるようなことをしただろうかと霊夢が思案していると。
「明日っ、神社に行ってもいい!!?」
必死で震え気味の声を張り上げて、真っ赤な顔で恥ずかしげに彼女は叫んだ。
ああ、そうかと突如にして理解する。妖夢も、西行寺という主を守る魂魄家の庭師。白玉楼という世界に縛られた、半人半霊の少女。
咲夜に鈴仙といったその他従者に比べて圧倒的に自由の少ない身。それは極論すれば、彼女が霊夢の境遇に近いということ。
「別に。来るなら来れば?」
そっけない返事。自分でも可愛げがないと思う。
予想通り、少し寂しそうに妖夢が顔を伏せてしまう。
……違う。こんなことが言いたいんじゃない。
「今さらそんな下らないことをおっかなびっくり尋ねないの。ウチに来る連中はわざわざそんなことを聞いたりしないんだから」
妖夢の後ろで幽々子がわずかに険しい顔をしていた。きっと、自分の従者が貶められていることに堪りかねている。
それでも霊夢は言葉を止めない。しっかりと妖夢の顔を見据えて。
……初めましてなんていらない。ここでは会ったときから顔見知り。誰もが大切な相手。
「それに、妖夢と私の仲でしょ。遠慮なんかしないで、好きなときに来ればいいじゃない」
博霊などではなく、ただ一人の霊夢として彼女の手を引く。
いつも手を引かれてばかりの自分が変わる瞬間の、ささやかな破裂音を聞いた気がした。
妖夢の表情が一変。とても可愛らしい笑顔になる。
つられて、霊夢と幽々子も。
どうしてこんな簡単なことに気づけなかったのだろう。妖夢が勇気をもって声を張り上げたように、霊夢も自分を許してあげることを。
霊夢の巫女としての行動は縛鎖のなかにあるけれど、心だけは彼女に自由を与え続けていたのだから。
もう迷うことなどなかった。胸の空隙など見当たらない。
二人に別れを告げると、霊夢は笑顔で地上へと降りていった。
――――――――――act. Final
夕暮れどき、神社に戻ると境内で豪快に酒を煽っている小さな子どもがいた。
忘れられた鬼が島の幻想、伊吹萃香という鬼は無限に酒の出るひょうたんに口をつけていたが、霊夢に気づくと大きく手を振った。
「おーい、霊夢ぅー」
萃香は地べたから離れるとしっかりとした足取りで霊夢に駆け寄ってきて、ひしっと抱きついた。
「また一人で宴会始めちゃって、まったく……。他の連中を待てないの?」
「まぁだまだぁ。こんなの前夜祭のうちにも入らないよ!」
「昨日だろうが明日だろうがアンタは構わず飲みまくるでしょうに!」
一喝してやると萃香は丸く頬を膨らませながら離れた。
「なにさ、霊夢のいけず」
「はいはい。で、魔理沙とアリスはどこ?」
「二人なら……なんだっけ。こーりんどー? とかから大きい鉄の筒を持ってきてた」
「何するつもりなのよ……」
不安になった。魔理沙が企画しているなら尚更である。
様子を見に行こうと裏に足を向けて、ちょうど裏のほうから肩を揉みほぐしながらかなり疲れた様子のアリスがやってきた。
「あら、おかえり。まだゆっくりしてきてもよかったのに」
「おかげさまで。余計な入れ知恵もされていたみたいだけど」
「入れ知恵?」
「なんでもないわ。それで、準備とやらはできたの?」
「もちろん。パチュリーにも手伝ってもらって、ようやく完成したわ。あれだけのものは魔理沙と私だけじゃ再現しきれなかった」
「本当に何を作っているのよ……。それ、使っても大丈夫なものでしょうね」
「…………あー」
「あー、じゃない!!!」
今ごろ思い出したみたいな顔で苦笑するアリスを見て、余計に不安にさせられた霊夢は見に行こうとしたのだが。
「ちょい待った」
「ちょい待たない」
「アンタはいいかもしれないけど、ここは私の家よ!? 何かあったらどうするのよ!!」
「責任は取るわ、体で」
「当たり前よ!! ……じゃないっ!!! どうして体で払うのよ!」
「え? 家を直すんじゃないの?」
「え? あ、う、うん。そうよ、わかっているじゃない」
変な意味かと思って否定したのだが、どうもアリスは天然が入っているのか気がついていない。
人形使いだから変な思考の持ち主かと思っていたが、どうも彼女のことを誤解していたらしい。
「ごめんね、アリス。私、あなたのことを誤解していたわ」
「はい?」
「いいの、なんでもないから。まあそういうわけで準備とやらを見せなさい」
「花火よ」
アリスをどかそうとしたところで神社裏から紫色の服を着た魔女、パチュリー・ノーレッジが現れた。
ついでに魔理沙もひょっこりと顔を出し、霊夢を見ると明らかにニヤリと笑った。
「花火だぜ」
「花火? なんでそんなものを作ったのよ」
「外の世界では宴会の席で花火を打ち上げるっていうから、ここで試そうと思って」
「ウチはアンタの実験場所じゃない!」
場所など明らかに紅魔館のほうが広い。わざわざ博霊神社で試さなくても、いくらでもできるだろうに。
パチュリーは居候の身だから肩身が狭いということはない。レミリアの親友なのだから実験場くらい許可されているだろう。
しかし今回の黒幕である魔理沙は悪びれる様子もなくあっけらかんと言ってきた。
「私が許可した。いいじゃないか霊夢、今日は特別な日なんだからさ」
「調子に乗らないの!」
「無礼講だぜ」
はぁ、とため息。これで何回目か。
気がつけば鳥居の向こうから次々と妖怪たちがやってきている。すでに宴会をやるつもりなのか、境内から騒音の準備運動が聞こえる。
「やっちゃったものは仕方ない、か。準備とやらはわかったけど、神社に被害は出さないでよ?」
「善処するぜ」
「ついでに本の件も善処してくれないかしら」
「私のマジックアイテムも一向に戻ってくる気配もないしねぇ」
「あー、そいつは別件だから無理だな。また次回だ」
「「御託はいいから返しなさいっ!!」」
瞬間、心が重なった人形遣いと魔女のユニゾンキックが決まった。魔理沙、撃沈。
それはともかく人数が集まって来た以上、早々に宴会を始めなくてはならない。忙しくなりそうだ、と思いながら霊夢は神社に酒とツマミを取りにいった。
……その日は、かなりの大人数だった。
紅魔館より六人、永遠亭より四人、白玉楼二人、無縁塚二人を初めとした異変組。さらに氷精、蟲の王、夜雀、宵闇の仲良し組。人里から半獣、不死鳥、阿礼の子。おまけに取材ついでに寄ってきた天狗の新聞記者もいれば、鬼、花の妖怪、隙間妖怪と屈指の実力者たちまで。
「きゃははっ、たーのしーっ!!!」
「もう、フランったらはしたないわよ。貴族たるもの、もう少し落ち着きなさい。あっ、こら待ちなさい! どこ行くの、フラーンッ!!」
「美鈴、妹様を連れ戻してきなさい。文字通り命がけで」
「ていうか、何でナイフを構えているんですか!!? い、いきますよ! 行きますってば!!」
「えーと、新しい門番が来る確率は……」
騒々しすぎて落ち着かない連中もいれば。
「姫様、飲まれないので?」
「いいえ、飲まないのではないわ。酒に落ちてきた月を眺めているのよ。見なさい、永淋。綺麗でしょう?」
「鈴仙ちゃん、くらえーっ!!」
「ちょ、ちょっとぉ! お酒を無駄にしないの、てゐー!!!」
それなりに宴会を楽しんでいる連中もいて。
「妖夢、妖夢」
「なんでしょうか幽々子さま」
「デザートはまだかしら」
「いくらなんでも早すぎませんか?」
「じゃあ妖夢を頂くわ」
「みょん!!?」
すっかり二人だけで楽しんでいるものがいて。
「だいたいですね、小町。あなたはいつも仕事が遅すぎるのです。だから私の給料が少ないのです。反省していますか」
「は、はい、すみません四季さま……(なんでこんなときに説教されているんだろう……)」
「昨日もそうでした、四日前もそうでした。あなたが働かないせいで私の給料は少ないのだと何度言ったことか。ですがあなたは働かない。それはまったく反省していないということです。なぜあなたは反省しないのか。それは……」
「うぅ……(誰か助けて~)」
「正座を崩さない!!」
「きゃん!!!」
酒に飲まれてすっかり宴会どころじゃなくなっているやつもいるし。
「チルノー、もう止めようよー」
「何を言ってるのよリグル! こんなところに賽銭箱をのこのこと置いているやつが悪いに決まってるじゃない!! 宴会しているあいだに賽銭を奪う! あたいったら最強ね!!」
「そーなのかー」
「霊夢ー、チルノが賽銭を取ろうとしてるよー」
「あ、ミスティアの裏切り者!! ぎゃあ!!」
好き勝手している連中はなんだかんだと楽しそうで。
「はい、どうぞ妹紅さん」
「お、すまないね。じゃ私も」
「妹紅……、私には酌をしてくれないのか?」
「う……、ちょ、ちょっと待っててよ。慧音にもすぐにお酌するからさ」
「ふうん。すぐってことは、気持ちを込めてくれないんですね。妹紅さんはもっと情に暖かい人だと思っていたのに」
「妹紅~」
「ああ、もうッ、阿求っ!!! お前、余計なことを言うな!! 慧音も泣くなー!!!」
両手の花状態で羨ましいやら可哀想やら、よくわからなくなっているところも。
そのうち、身内同士から他のところと飲み比べが始まると宴会はヒートアップ。規模が拡大し、被害も騒音もいっそう激しくなる。それに加えて騒霊三姉妹の演奏もテンポがあがっていく。
こうなると止まらない。一人、神社の縁側に腰掛けながら霊夢は騒動を外から見守る。あとは揉め事が起きないことを祈るばかり。
それにしても今日はやりすぎ感がある。人数にしろ、酒の量にしろ、だ。
さらに神社の裏では花火もスタンバイ。火に油。騒ぎ好きの連中のことだから、きっと喜ぶのは間違いないが。
「飲んでるぅ?」
どこからともなく声がして、直後に目の前に現れた空間の切れ目、本人いわく「隙間」から金髪の女性が出てきてひょいと縁側に座った。
スキマ妖怪、結界の賢者とも言わしめる八雲紫。彼女もまた頬をかすかに染めていた。
「アンタは言わなくても飲んでるわね、紫」
「そうよ。どう? これで一杯」
そう言って紫はスキマから一升瓶を取り出した。ラベルには大吟醸の文字。
「いただくわ」
「はぁい」
さっそく酌をしてもらって、軽く口に含んでゆっくりと味を確かめながら嚥下する。芳醇な香りが口いっぱいに広がり、熱くなった喉は夜風が触れてくるたびにいい感じになる。
「おいしい」
「よかった。ほら、もっとぐいっといっちゃって」
「味を楽しみたいんだからゆっくり飲ませなさいよ」
紫も自分のコップに注ぎ、一息で飲み干す。
もったいないと思うのは貧乏性だろうかと思い、霊夢も残っていた分を飲み干して紫に次を要求する。
それに気を良くした紫は上機嫌で酌をする。
「それで」
「え?」
「連中に“入れ知恵”をしたのは紫、アンタ?」
世間話程度の感覚で問いかけるとスキマ妖怪はにこやかなまま頷いた。
「だって、そうしたほうが面白いと思ったんだもの。霊夢が積極的になって、私のところへ来て、二人はそのまま……きゃっ、紫恥ずかし~」
「あのねぇ、積極的も何も私は変わらないわよ。今までと同じ、私は博霊霊夢。それ以外になれるわけないから変われない。でしょ?」
「変われとは言ってないわ、霊夢は今のままでいいのよ。ただ、役目のために神社にいなくてはならないわけじゃないというのを知ってほしかったの」
「一緒よ。私は動くのが面倒、ついでに見返りもないのに動くのもイヤだ。ほら、私は神社にいるのが普通なのよ。そんなことにいちいちケチをつけられたんじゃ堪らないわ」
どんどんと弁に熱が入る。もしかしたら酔ってきたのかも知れない。
ただ、深く酔いすぎると自分でも訳の分からないことを口走ったり、言わなくてもいいことを言ってしまいそうで怖い。
それに、自分が揉め事の納め役をしなければならないのだ。酒に酔って寝るなんてことはできない。
違う。でも。そう。
思考がまとまらない。目の前の妖怪にすべて暴露してしまいそう。
「じゃあ聞くけど、誰が騒動を収めるのよ? 誰が止めるのよ? その誰かが私じゃない。役目とか、博霊じゃない、止めようとする人間は私しかいないんだ。それを分かって言っているのね、紫?」
「魔理沙は?」
「違うわ、魔理沙はぜんぜん違う。あれは迷惑をかけたいだけ。疫病神よ」
「だったら霊夢も違うわ。誰もあなたに完璧な解決を望んでなんかいない」
「ウソよ」
「本当よ。人のいざこざなんて半獣にやらせればいいし、妖怪だって結界に影響したり人間のバランスを崩すような影響力のあるヤツ以外は捨て置けばいい。なんだったら境内の掃除は私がしてあげるわ」
「ウソね。どうせ藍がやる羽目になるんでしょ」
「ええ、ウソよ」
飲み比べ中の狐が酒を盛大に吹いた。弾幕と悲鳴が響き渡ったのは言うまでもない。
「自分勝手ね」
「そうよ、霊夢だって同じくらい自分勝手じゃない」
「記憶にないわ」
失礼な。紫ほど自分勝手になったつもりはないとどんどん酒を飲む。横から紫が注ぐのだから仕方ないと言い聞かせながら。
「じゃあ記憶になくなるまえに聞こうかしら。今日は何か思うところはあった?」
「…………」
ない、というとウソになる。
感じ入ることなどたくさんあったし、それに対して考えさせられることもあった。
だけどそれを口にすることに抵抗があったので霊夢は無言で紫の視線をやり過ごす。
そうしているうちに魔理沙が全員に声をかけて注目させ、何かを喋っている。きっと花火が始まるのだろう。
「花火が始まるようね」
「……そうね」
「あら霊夢、もしかして眠たいの?」
「うん、すごく」
顔に出るくらいに眠たい。それはもう妖怪たちの騒ぎが遠く聞こえるくらいに。
「じゃあ眠ってしまいなさい。あとは任せて、ゆっくりするといいわ」
「説得力ない」
とか言いながら霊夢は紫の膝に頭を乗せて横になる。
睡魔のせいか、世界がぐるぐると回転しているけれど紫の顔だけがそのままでなんか気味が悪い。
でも少しだけ残念なことがある。このまま寝てしまったら魔理沙たちが用意した花火が見られない。未練たらしく思っていたら、つい。
「……花火、見たかったなぁ」
不覚にも口に出してしまった。
「ふふふ、可愛らしいじゃない。いつもそのくらいの可愛げと素直さがあればねぇ」
「うる、さい……」
「大丈夫よ霊夢。今日が見られなくてもまた次があるから、ね?」
「そうじゃ、ない」
「???」
月がこんなに綺麗で、たくさんの妖怪がいて。騒がしいし後片付けが面倒だけど楽しい。
ずっと飛び回っていたせいで疲れが睡魔の後押しをするけど。
……あふれ出した涙と未練が、わずかに残った気力を振り絞る。
「こんなにたくさん集まったのに、こんなに楽しい日に花火なんて、きっと、今日しかない」
「…………」
起きていたい。起きて、きっと今ならあの輪のなかに入ることができるのに。
目の前に、霊夢が望んだ幻想がある。
「どうしよう、咲夜に……お茶のお礼をしてない。鈴仙と永淋にも、謝ってない」
「いいのよ、霊夢。今日じゃなくても、また明日があるんだから」
「ううん、無理。きっとできない。今じゃないと私、言えなくなる」
涙が止まらない。きっと酒のせいだ、紫が持ってきた酒のせいでこんなにもおかしい気分なんだ。
なのに、紫ときたら平静な顔をして人の額に手を押しつけてきた。
冷たい彼女の手。それとも火照った頭には冷たいと感じるだけなのかもしれない。
「そんなことないわ。酒の席以外でもあなたはちゃんと彼女たちにお礼を言えるわ。だって霊夢は良い子だもの」
「……本当に? 私、良い子?」
「そうよ、良い子よ。だから今はおやすみなさい。明日で、みんなが待っているから」
紫の言葉に安心して目を瞑る。涙も止まっていた。
遠くで、花火の音が聞こえた気がした。
―――――――――――――act. Another
以降、文々。新聞より抜粋。
先日の宴会で霧雨氏、マーガトロイド氏、ノーレッジ氏の三名が作ったとされる花火、ミルキーウェイ号による催しが行われた。そのとき炸裂した花火が弾幕となって降り注いぎ大惨事になりかけたが、伊吹氏によって萃められたため事なきを得た。
制作に関わったとされるK氏は「パチュリー様のことだから必ずやると思っていました」と熱い心中を語った。また、関係者の親族と名乗るS氏は「アリスちゃんはそんなことをする子じゃありません!!」と涙ながらに語ってくれた。
「これ、本当?」
「本当です」
「まぁいいわ。どこも壊れていないみたいだし」
「そうですか。これに怒った巫女が何かやらかしてくれるのではないかと期待していたのですが」
「お生憎様。ネタなら他所で拾ってきてちょうだい」
天狗の記者は困ったと手帳を片手に頬を掻く。それを見て巫女が茶を手に小さく笑う。
「仕方ありません。あなたの言うとおり他所に行くしかなさそうですね」
「はいはい、頑張ってね。あなたが喜びそうなネタがあったら呼んであげるわ」
「絶対ですよ?」
「覚えていたらね」
わかりましたと天狗、射命丸文は神社より飛び去る。
巫女と言えば騒動で有名な彼女が当てにならないとしたら次はどこへ行こう。考えながら飛んでいると、緑色の風とすれ違った。
「あやや? さっきのは確か……」
急ブレーキをかけてすれ違った風を見やると、案の定人間だった。とは言ったものの、彼女の場合は少し特殊で体のまわりに身の丈ほどの幽霊がまとわりついている。
そして彼女は神社に降り立つと、巫女となにやら話をしだした。二人が非常に親しいという話を文は聞いたことがない。それどころか、半人半霊の少女が誰かと無駄話をしに顕界まで降りてくること自体珍しかった。
文は幻想郷の新聞記者。もちろん彼女の取材もしたことはあるが、まるで相手にされたこともないし、ネタになりそうな話も今まで特になかった。
それがどうだろうか。今は笑顔で、それも親しそうに巫女と話をするどころか一緒になって人里へと飛んでいくではないか。
「む! これはいけますよ! 『冥界の庭師、巫女との怪しい逢引!? 二人の恋の行方は如何に』!? あの無愛想な巫女が――――――――」
途端、手帳に書き込んでいた筆が止まった。
記者は見てしまったのだ。半人半霊の少女だけではなく、あの巫女さえも満面の笑顔で笑っている場面を。
そしてフラッシュバックしたのは文の困った顔を見て笑った、屈託のない自然な少女の笑顔。
「………」
文は筆をしまうと、おもむろにさっきまで書いていたページを手帳から破り捨ててポケットにしまいこんだ。
「思えば、妖夢さんが用事以外で人を訪ねたことはありませでしたね。きっとまた、主のワガママにでも付き合わされているのでしょう。そうです、そうに違いません。そうと決まれば別のネタを探しに行かねば!」
独り言を呟き、文は二人に背を向ける。
「よかったですね、霊夢さん」
聞こえないことを知りながら、記者はあっという間に彼方へと飛び去る。
今日もまた、楽園の素敵な巫女は幻想郷の空を飛んでいる。
それは特別ではなく、ごく普通のこと。
霊夢は逃げているうちに、遠く離れた無縁塚へと来ていた。
呆、と無数に咲く彼岸花の道を眼下に見ながら飛んでいると川岸に寝そべっている人影を見つけた。
「こんにちは」
「うえっ!!? ……なんだ霊夢か。驚かさないでおくれよ、四季さまかと思ったじゃないか」
近づいて声をかけると死神、小野塚小町は驚いて立ち上がった。
この彼岸の渡し人が働いているところに遭遇したことはない。どうせサボりだ、と察するのは容易かった。
と、ここでしわくちゃだった霊夢の心にピンと柱が立つ。
「それは悪かったわね。お詫びと言ってはなんだけれどひとつ占いをしてあげるわ」
「占い? 霊夢が? ああでもタダならしてもらおうかな」
「ん、結果が出たわ」
懐から札を一枚取り出しただけ。占いですらない。
「早ッ!! で、結果は?」
「後ろにご注意」
何のことやら、と小町が札を受け取って小首を傾げる。
そこへ背後から近づく軽い足音。
「小町っ!!!」
「きゃん!!」
「ほらね」
小町の後ろから現れた姿は子ども、しかしてその実態は楽園の最高裁判長、四季映姫・ヤマザナドゥ。
閻魔帽に卒塔婆を片手に携えている彼女の表情はとても幼く怒っていてもそれほど迫力はなかったが、十分すぎる威厳と聡明さを兼ね備えていた。
「また仕事を遅延して! いったいいつになったら霊を運んでくるのかと思えば、何を暢気に閑談しているの!!」
「すみません、すみません!! 今度からは早く――――――」
「今度からじゃありません! 今すぐ取り掛かりなさいっ!!」
「はいぃ!!!」
びゅんっと風とともに走り去る小町。その様子を見て、ふぅと映姫はため息をついた。
だがすぐに表情を引き締めると、口元を卒塔婆で隠しながらまっすぐに霊夢を見つめてきた。
「さて」
「それじゃ、私はこれで」
「お待ちなさい。避けては通れぬ須弥山、悔いて鬼籍に入りたくなくば大人しく説教を受けなさい博麗霊夢」
「巫女は適応外っていう法令はないのかしら?」
「神をも恐れぬ巫女に容赦などいたしません」
もちろん霊夢とて簡単に逃げられるとは思っていない。だが今日は事情が違う、すぐにでもこの場から逃げ出したかった。
イヤな予感が止まらない。壊れたダムが自然に直ることがないのと同じで、悪い事柄は一日中ついてまわる。
この流れだと大方、説教も自分の他人との接し方についてなのだろうと半分諦めて、しかし隙あれば逃げる気で映姫の話に付き合うことにした。
「博麗霊夢」
「何よ」
「私はあなたが巫女として正しくないことや間違ったことばかり繰り返していることを知っている。異変を納める巫女の身でありながら私欲を出しては周囲を巻き込み、さらに自分から積極的に行動しないのに幻想郷の未来を憂うあなたはあまりに身勝手。そう、あなたは少し我が強すぎる」
「……で?」
何を当たり前のことを言っているんだ、としか言いようがない。
幻想郷の巫女なのだから異変を解決するのは当たり前で、その見返りをもらうのはごく当然のこと。
時々来る魔理沙から具材をもらうことや、妖怪退治の報酬で得た金銭を生活に使うことの何が悪いのか。
我が強い。そんなこと、幻想郷にいる弾幕少女のほとんどすべてに当てはまる。
誰もが自分の過去と未来を持ち、だが決してそれを表に出すことなく弾幕に興じる彼女たちの意志は強い。すなわち自我。
自らの境遇をひけらかさない。他人に同情してもらおうとも思わない。強く固い、古の意志と積み上げられた理性。
現に、目の前の裁判長とて閻魔としての自己と自我を持つ一人ではないか。
「いずれあなたの周囲には何も残らない。歴代の巫女がそうしてきたように足跡すらつけることなく、記憶と形だけの関係がまるで地縛霊のように残るだけ」
「そうよ、だから?」
「それでは私が、あまりにも悲しい」
不意を突く一言だった。
裁判長の発する言葉ではない。彼の立場に座するものは常に中立。博麗と同等、否、それ以上に他との関係に敏感で、決して立場を乱してはならないはずなのに。
そして、それ以上に悲しいと言われたことが霊夢を驚かせた。
「……そんなこと言っていいの? 仮にも裁判長でしょうに」
「あくまで裁判長として言っています。昨今の幻想郷は変化も激しく、人も文化も移り変わりつつある。だからこそ、博麗が“流れ”に交わることで世界をよりよいものにしたい」
「流れは必然よ。そこに私が関わること自体がすでに間違いだわ」
「それではこうしましょう。役目の羽に捕らわれ、未来に目が向きすぎて地に足のつかないあなたが、今を生きる彼女たちのところまで降りてこられるように」
すい、と卒塔婆を下ろして少女は微笑んだ。
「幻想郷はすべてを受け入れる。博麗霊夢が渇望するのであれば、きっとあなたの心の幻想は形になる」
その微笑は、すべてを見透かしたように鋭く穏やかな視線だった。
「……私が言いたいのはそれだけです。今宵の宴会、我々も参加させていただきますのでそのつもりで。それでは」
映姫は無縁塚の林へと姿を消す。
残された霊夢は静かに湖面に目を移して「私の、幻想」と一人呟く。
湖に映し出された顔は、まだ泣きそうなくらいクシャクシャではあったが瞳にはかすかに光が灯っていた。
―――――――――――――――――act.4
空にありし結界の向こう、俗に冥界と呼ばれそのなかでも白玉楼と呼ばれている場所へと訪れた霊夢は階段のうえを飛んでいた。
そこへ、いつぞやの疾風の如き勢いで少女が行く手を塞いだ。
「何奴!! って、霊夢?」
「こんにちは、妖夢。相変わらずせっかちねぇ。もうすこし相手を確かめてから出てくれないといつか斬られそうだわ」
「斬られそうなところへ来るほうが悪い」
「斬らない努力をしろって言ってるの」
それぞれ長短の二刀を構えた庭師、魂魄妖夢は特に悪びれる様子もなくむしろ悪態をつきながら刀を納める。
遅れて、彼女の幽体がやってきて近くにくると落ち着いたのかゆったりと妖夢の周りを漂い出した。
半分は人間、半分は幽霊。なんとも難儀なものだと霊夢は思った。
「それはそうと冥界まで何の用? 生憎、茶なら切らしているけど」
「ん? ああ、別にそういうわけじゃないわよ。単なる暇つぶしで来ただけ。あのさ、魔理沙かアリスから話は来てない?」
「ない。ただ、今日神社で宴会があることは聞いている」
どうやら話が通っている様子もなく、妖夢がウソをついている感じもない。妖夢がウソをつけるような器用な人間ではないことは知っているので、これ以上聞くのは無駄らしかった。
「そっか。さすがにあいつらも私が白玉楼まで来るとは思ってなかったのかしら。しょうがない、別のところへ行くか」
「ちょっと待った。ここに来るまでは何をしていたの?」
「紅魔館で玉露、永遠亭で茶菓子をもらって、無縁塚ではありがたくない説教を頂いたわ」
「むぅ。このまま帰したのでは幽々子さまに示しがつかないし、何より白玉楼が礼儀知らずと思われたのでは些か不本意。……仕方ない。菓子ぐらいなら出す」
礼儀知らずも何も、当主に礼儀があったものではないと思う。さらに言うなら礼儀を尽くしたところで冥界までくる物好きもいないだろうに。
「気を遣わなくていいわよ。あんた、まだ仕事があるでしょ。私に構っている暇があったらそっちをしていなさいな」
「構うも何も、霊夢が結界を越えてこなければ仕事を中断することもなかったのよ」
「ただでさえ半人前なんだから仕事に精を出しなさい」
「私は半人前が二人で一人前!!!」
半人前が二人になったところで変わらないのではないか。そう思う霊夢を他所に、妖夢の丸い瞳が鋭く睨む。
霊夢は何も意地悪く言ったわけではなかった。すでに二度、茶をご馳走になっているのだから。
とはいえ、白玉楼に来るのも久しぶりなのでゆっくりしたいという気持ちもあった。冥界とは本来生きて関わる場所ではないのだから。
お邪魔しようかどうか考えていると、第三者の声が聞こえてきた。
「騒がしいわよ、妖夢」
「!? 幽々子さま!!」
妖夢の向こう側、門のところに淡い色の着物を着た少女の亡霊、西行寺幽々子がそこに立っていた。
「あら、珍しい顔。紅白の蝶もそろそろ死期だったかしら」
「勝手に殺すな。私はちょっとそのあたりを漂っていただけ。アンタのところの亡霊と一緒にしないの」
「そお? 似たようなものだと思うけれど。妖夢、妖夢。そろそろお茶にして頂戴」
「申し訳ありません、幽々子さま。生憎と茶は切らしておりましてお出しすることができません」
「そうなの? 残念ねえ」
まったく残念そうではない顔でおっとりと首をかしげる幽々子。
お茶もないし、呼ばれてないのなら無意味に足を踏み入れるのも無粋と思い、「じゃあ」と片手を挙げて霊夢は元来た道を戻る。
「ああ、ちょっと待って」
「なによ」
「お土産を包ませるから持って行きなさい。妖夢、今すぐ用意して頂戴」
庭師は指示されて、さっと風のように門の向こうへと消える。
もしかして目の前の亡霊はお腹が空きすぎて頭がおかしくなったのではないか。桜餅を持たせるなんて、まったくもって彼女らしくない。
人の菓子さえも横から奪い去るような空気読まずが、いったい何の企みがあって土産など寄こすのか。
「ふふ、どうしてって顔をしているわね」
桜模様の描かれた扇子で口元を隠し、幽々子は妖美に微笑む。真っ白な雪色の肌と相まってひどく美しい。
咲夜のような麗しさとはまた違った美。なるほど、黄泉路へ誘う死蝶とはよく言ったものだと感心してしまう。
同性である霊夢も動揺してしまう艶美な笑みを浮かべたまま少女は言葉を続ける。
「人間にとって幻想とは叶わずして叶わざるべきもの。虚ろにして明確。実像にして鏡。そう、まるで私と同じ亡霊みたいなものなの。けれどそれは害がないからこそ認められるだけで、害成す幻想が目の前にいればすべて人間は恐怖するか、もしくは発狂するかどちらかしかない。
でもあなたは違ったわ。私たちの力に正面から立ち向かい、私たちの生活圏へと無遠慮に踏み込んできて、そして私たちの存在すら恐れなかった。あなたは幻想というものに対して何の感慨も示さなかった。これはある種の恐怖よ。
だってそうでしょう? あなたは恐れない。多くの人間に恐れられ、忘れ去られたはずの力をあなたは意も介さなかった。驚いたわ、驚くしかなかった。どうしてあの巫女はこんなにも普通でいられるのかって」
いつになく饒舌な幽々子は、なおも言葉を続ける。
視線は霊夢を捉えず、遥か遠くを見つめるように。
「当たり前ではない普通。あなたがいる普通。いいえ、幻想郷という世界軸こそが私たちを普通ではなくさせたのね。外の世界の『普通』というものを知っていたからこそ異世界の『普通』を知らず、自分勝手な『普通』を振り回していた。それがあなたの言う異変。
だからかしらね。異変であなたに負けたとき、こう思ったの。『ああ、この巫女は私たちを幻想郷に馴染ませるために来たのね』と」
「いくらなんでも買い被りすぎだわ。あれはアンタらが勝手に迷惑を起こしただけでしょ」
「ええ、そうね。だから余計に思うの。それに霊夢は異変のあとは私たちを交えて宴会を開いた。それはなぜ?」
「アンタたちのせいで宴会の日が延期になったからよ。それ以外に何があるのよ」
「違うわ、私たちに気を遣ってくれたのよ。なぜなら――――――――」
幽々子の言葉は自惚れに近かった。
異変が起きる、宴会の日が延期される、異変解決後に宴会。それが霊夢の一連の行動である。それは一見しただけでは巫女に関わる妖怪が増えたから誘わざるを得なかったように窺える。
だが幽々子の言葉どおりに捉えるならばどうなるだろうか。
まず、幻想郷に異変を起こしうるだけの妖怪が来る。彼らは幻想郷という世界の公転に慣れることができず、自分勝手に異変を起こす。
するとそれを察知した巫女が宴会を延期、異変解決へと乗り出す。あとは多少割愛するが巫女が異変を解決すると同時に宴会が催され、その折に異変を起こした妖怪が招かれる。
これまでの咲夜、永淋、映姫の言動も重ねるならば。
博麗の巫女というシステムは幻想郷のバランスを保つという意味だけではなく、幻想郷へ来た妖怪や人間に幻想郷へ馴染ませる、むしろ叩き込むことこそが本命ではないか。
ならば無理に霊夢が博麗としての存在意義を演じる必要はなく。
「あなたが優しい女の子だから」
博麗霊夢という役割よりも前に、霊夢という個体よりも上位の概念。
それは単に、博麗霊夢も少女だったということ。
「アンタは少女って感じじゃないけどね」
「一回、死んでみる? あの世で後悔するわよ」
「それは大変。跡継ぎがいないからどうしようかしら」
「妖夢が代わりを務めるから大丈夫よお」
「大丈夫じゃありませんっ!!!」
ちょうどいいタイミングで妖夢が戻ってきて、即座に妖夢は巫女になります説を一刀両断のもとに斬り伏せた。
その手には若草色の風呂敷を持っていた。きっとなかに桜餅が入っているのだろうが、それにしては量が多い。大きすぎて、抱えている妖夢の顔が隠れてしまっている。
「ちょ、ちょっと量が多すぎない?」
「さあ。台所に『これを霊夢に包みなさい』と書かれた紙があったので、私はそれに従っただけよ」
「用意周到なこと。と、いうことはさしずめ仲間はずれか。不憫ねえ、あなたも」
風呂敷を抱えたままの妖夢の頭を撫でる霊夢。その顔には哀れみと同情が滲みでていた。
「……なんでだろう。顔も見えないし、霊夢が言っていることもよく分からないのに涙が出てくる」
「きっと本能が理解しているのよ」
主に半霊が。妖夢が戻ってきてからずっと幽々子のほうを見ている。
なんて遠まわしなことを。霊夢は風呂敷を受け取りながらひっそりとため息をつく。
おそらく幽々子は知っていたのだろう。霊夢が来ることを。だからわざわざ妖夢に土産の用意までさせて、そして事前に彼女には知らせなかった。
魔理沙たちが白玉楼だけを予想していなかった、ということはない。おそらくどこへ行っても霊夢をもてなすように手を回していたのだ。
だから今日だけ、幻想郷の人も妖怪も不自然なくらいに霊夢によくしようとした。お人好しな発言やトラブル、説教までもらったがそれもまた彼女たちが霊夢のことを考えていたからに違いない。
「じゃ、これはありがたく頂いていくわ。一人じゃ食べられそうにないし、今日の宴会でみんなに振舞おうと思うのだけれど、いいかしら?」
「もちろんよ。あなたに差し上げたのだから、あなたの好きになさいな」
「そうするわ」
大きな土産を抱え、霊夢は階段を下っていく。
その直後。
「霊夢!」
「?」
少女らしいソプラノに呼び止められた。妖夢だ。
どうしてか目は真剣で、ぎゅっと両の手を握り締めている。
はて、なにか彼女を怒らせるようなことをしただろうかと霊夢が思案していると。
「明日っ、神社に行ってもいい!!?」
必死で震え気味の声を張り上げて、真っ赤な顔で恥ずかしげに彼女は叫んだ。
ああ、そうかと突如にして理解する。妖夢も、西行寺という主を守る魂魄家の庭師。白玉楼という世界に縛られた、半人半霊の少女。
咲夜に鈴仙といったその他従者に比べて圧倒的に自由の少ない身。それは極論すれば、彼女が霊夢の境遇に近いということ。
「別に。来るなら来れば?」
そっけない返事。自分でも可愛げがないと思う。
予想通り、少し寂しそうに妖夢が顔を伏せてしまう。
……違う。こんなことが言いたいんじゃない。
「今さらそんな下らないことをおっかなびっくり尋ねないの。ウチに来る連中はわざわざそんなことを聞いたりしないんだから」
妖夢の後ろで幽々子がわずかに険しい顔をしていた。きっと、自分の従者が貶められていることに堪りかねている。
それでも霊夢は言葉を止めない。しっかりと妖夢の顔を見据えて。
……初めましてなんていらない。ここでは会ったときから顔見知り。誰もが大切な相手。
「それに、妖夢と私の仲でしょ。遠慮なんかしないで、好きなときに来ればいいじゃない」
博霊などではなく、ただ一人の霊夢として彼女の手を引く。
いつも手を引かれてばかりの自分が変わる瞬間の、ささやかな破裂音を聞いた気がした。
妖夢の表情が一変。とても可愛らしい笑顔になる。
つられて、霊夢と幽々子も。
どうしてこんな簡単なことに気づけなかったのだろう。妖夢が勇気をもって声を張り上げたように、霊夢も自分を許してあげることを。
霊夢の巫女としての行動は縛鎖のなかにあるけれど、心だけは彼女に自由を与え続けていたのだから。
もう迷うことなどなかった。胸の空隙など見当たらない。
二人に別れを告げると、霊夢は笑顔で地上へと降りていった。
――――――――――act. Final
夕暮れどき、神社に戻ると境内で豪快に酒を煽っている小さな子どもがいた。
忘れられた鬼が島の幻想、伊吹萃香という鬼は無限に酒の出るひょうたんに口をつけていたが、霊夢に気づくと大きく手を振った。
「おーい、霊夢ぅー」
萃香は地べたから離れるとしっかりとした足取りで霊夢に駆け寄ってきて、ひしっと抱きついた。
「また一人で宴会始めちゃって、まったく……。他の連中を待てないの?」
「まぁだまだぁ。こんなの前夜祭のうちにも入らないよ!」
「昨日だろうが明日だろうがアンタは構わず飲みまくるでしょうに!」
一喝してやると萃香は丸く頬を膨らませながら離れた。
「なにさ、霊夢のいけず」
「はいはい。で、魔理沙とアリスはどこ?」
「二人なら……なんだっけ。こーりんどー? とかから大きい鉄の筒を持ってきてた」
「何するつもりなのよ……」
不安になった。魔理沙が企画しているなら尚更である。
様子を見に行こうと裏に足を向けて、ちょうど裏のほうから肩を揉みほぐしながらかなり疲れた様子のアリスがやってきた。
「あら、おかえり。まだゆっくりしてきてもよかったのに」
「おかげさまで。余計な入れ知恵もされていたみたいだけど」
「入れ知恵?」
「なんでもないわ。それで、準備とやらはできたの?」
「もちろん。パチュリーにも手伝ってもらって、ようやく完成したわ。あれだけのものは魔理沙と私だけじゃ再現しきれなかった」
「本当に何を作っているのよ……。それ、使っても大丈夫なものでしょうね」
「…………あー」
「あー、じゃない!!!」
今ごろ思い出したみたいな顔で苦笑するアリスを見て、余計に不安にさせられた霊夢は見に行こうとしたのだが。
「ちょい待った」
「ちょい待たない」
「アンタはいいかもしれないけど、ここは私の家よ!? 何かあったらどうするのよ!!」
「責任は取るわ、体で」
「当たり前よ!! ……じゃないっ!!! どうして体で払うのよ!」
「え? 家を直すんじゃないの?」
「え? あ、う、うん。そうよ、わかっているじゃない」
変な意味かと思って否定したのだが、どうもアリスは天然が入っているのか気がついていない。
人形使いだから変な思考の持ち主かと思っていたが、どうも彼女のことを誤解していたらしい。
「ごめんね、アリス。私、あなたのことを誤解していたわ」
「はい?」
「いいの、なんでもないから。まあそういうわけで準備とやらを見せなさい」
「花火よ」
アリスをどかそうとしたところで神社裏から紫色の服を着た魔女、パチュリー・ノーレッジが現れた。
ついでに魔理沙もひょっこりと顔を出し、霊夢を見ると明らかにニヤリと笑った。
「花火だぜ」
「花火? なんでそんなものを作ったのよ」
「外の世界では宴会の席で花火を打ち上げるっていうから、ここで試そうと思って」
「ウチはアンタの実験場所じゃない!」
場所など明らかに紅魔館のほうが広い。わざわざ博霊神社で試さなくても、いくらでもできるだろうに。
パチュリーは居候の身だから肩身が狭いということはない。レミリアの親友なのだから実験場くらい許可されているだろう。
しかし今回の黒幕である魔理沙は悪びれる様子もなくあっけらかんと言ってきた。
「私が許可した。いいじゃないか霊夢、今日は特別な日なんだからさ」
「調子に乗らないの!」
「無礼講だぜ」
はぁ、とため息。これで何回目か。
気がつけば鳥居の向こうから次々と妖怪たちがやってきている。すでに宴会をやるつもりなのか、境内から騒音の準備運動が聞こえる。
「やっちゃったものは仕方ない、か。準備とやらはわかったけど、神社に被害は出さないでよ?」
「善処するぜ」
「ついでに本の件も善処してくれないかしら」
「私のマジックアイテムも一向に戻ってくる気配もないしねぇ」
「あー、そいつは別件だから無理だな。また次回だ」
「「御託はいいから返しなさいっ!!」」
瞬間、心が重なった人形遣いと魔女のユニゾンキックが決まった。魔理沙、撃沈。
それはともかく人数が集まって来た以上、早々に宴会を始めなくてはならない。忙しくなりそうだ、と思いながら霊夢は神社に酒とツマミを取りにいった。
……その日は、かなりの大人数だった。
紅魔館より六人、永遠亭より四人、白玉楼二人、無縁塚二人を初めとした異変組。さらに氷精、蟲の王、夜雀、宵闇の仲良し組。人里から半獣、不死鳥、阿礼の子。おまけに取材ついでに寄ってきた天狗の新聞記者もいれば、鬼、花の妖怪、隙間妖怪と屈指の実力者たちまで。
「きゃははっ、たーのしーっ!!!」
「もう、フランったらはしたないわよ。貴族たるもの、もう少し落ち着きなさい。あっ、こら待ちなさい! どこ行くの、フラーンッ!!」
「美鈴、妹様を連れ戻してきなさい。文字通り命がけで」
「ていうか、何でナイフを構えているんですか!!? い、いきますよ! 行きますってば!!」
「えーと、新しい門番が来る確率は……」
騒々しすぎて落ち着かない連中もいれば。
「姫様、飲まれないので?」
「いいえ、飲まないのではないわ。酒に落ちてきた月を眺めているのよ。見なさい、永淋。綺麗でしょう?」
「鈴仙ちゃん、くらえーっ!!」
「ちょ、ちょっとぉ! お酒を無駄にしないの、てゐー!!!」
それなりに宴会を楽しんでいる連中もいて。
「妖夢、妖夢」
「なんでしょうか幽々子さま」
「デザートはまだかしら」
「いくらなんでも早すぎませんか?」
「じゃあ妖夢を頂くわ」
「みょん!!?」
すっかり二人だけで楽しんでいるものがいて。
「だいたいですね、小町。あなたはいつも仕事が遅すぎるのです。だから私の給料が少ないのです。反省していますか」
「は、はい、すみません四季さま……(なんでこんなときに説教されているんだろう……)」
「昨日もそうでした、四日前もそうでした。あなたが働かないせいで私の給料は少ないのだと何度言ったことか。ですがあなたは働かない。それはまったく反省していないということです。なぜあなたは反省しないのか。それは……」
「うぅ……(誰か助けて~)」
「正座を崩さない!!」
「きゃん!!!」
酒に飲まれてすっかり宴会どころじゃなくなっているやつもいるし。
「チルノー、もう止めようよー」
「何を言ってるのよリグル! こんなところに賽銭箱をのこのこと置いているやつが悪いに決まってるじゃない!! 宴会しているあいだに賽銭を奪う! あたいったら最強ね!!」
「そーなのかー」
「霊夢ー、チルノが賽銭を取ろうとしてるよー」
「あ、ミスティアの裏切り者!! ぎゃあ!!」
好き勝手している連中はなんだかんだと楽しそうで。
「はい、どうぞ妹紅さん」
「お、すまないね。じゃ私も」
「妹紅……、私には酌をしてくれないのか?」
「う……、ちょ、ちょっと待っててよ。慧音にもすぐにお酌するからさ」
「ふうん。すぐってことは、気持ちを込めてくれないんですね。妹紅さんはもっと情に暖かい人だと思っていたのに」
「妹紅~」
「ああ、もうッ、阿求っ!!! お前、余計なことを言うな!! 慧音も泣くなー!!!」
両手の花状態で羨ましいやら可哀想やら、よくわからなくなっているところも。
そのうち、身内同士から他のところと飲み比べが始まると宴会はヒートアップ。規模が拡大し、被害も騒音もいっそう激しくなる。それに加えて騒霊三姉妹の演奏もテンポがあがっていく。
こうなると止まらない。一人、神社の縁側に腰掛けながら霊夢は騒動を外から見守る。あとは揉め事が起きないことを祈るばかり。
それにしても今日はやりすぎ感がある。人数にしろ、酒の量にしろ、だ。
さらに神社の裏では花火もスタンバイ。火に油。騒ぎ好きの連中のことだから、きっと喜ぶのは間違いないが。
「飲んでるぅ?」
どこからともなく声がして、直後に目の前に現れた空間の切れ目、本人いわく「隙間」から金髪の女性が出てきてひょいと縁側に座った。
スキマ妖怪、結界の賢者とも言わしめる八雲紫。彼女もまた頬をかすかに染めていた。
「アンタは言わなくても飲んでるわね、紫」
「そうよ。どう? これで一杯」
そう言って紫はスキマから一升瓶を取り出した。ラベルには大吟醸の文字。
「いただくわ」
「はぁい」
さっそく酌をしてもらって、軽く口に含んでゆっくりと味を確かめながら嚥下する。芳醇な香りが口いっぱいに広がり、熱くなった喉は夜風が触れてくるたびにいい感じになる。
「おいしい」
「よかった。ほら、もっとぐいっといっちゃって」
「味を楽しみたいんだからゆっくり飲ませなさいよ」
紫も自分のコップに注ぎ、一息で飲み干す。
もったいないと思うのは貧乏性だろうかと思い、霊夢も残っていた分を飲み干して紫に次を要求する。
それに気を良くした紫は上機嫌で酌をする。
「それで」
「え?」
「連中に“入れ知恵”をしたのは紫、アンタ?」
世間話程度の感覚で問いかけるとスキマ妖怪はにこやかなまま頷いた。
「だって、そうしたほうが面白いと思ったんだもの。霊夢が積極的になって、私のところへ来て、二人はそのまま……きゃっ、紫恥ずかし~」
「あのねぇ、積極的も何も私は変わらないわよ。今までと同じ、私は博霊霊夢。それ以外になれるわけないから変われない。でしょ?」
「変われとは言ってないわ、霊夢は今のままでいいのよ。ただ、役目のために神社にいなくてはならないわけじゃないというのを知ってほしかったの」
「一緒よ。私は動くのが面倒、ついでに見返りもないのに動くのもイヤだ。ほら、私は神社にいるのが普通なのよ。そんなことにいちいちケチをつけられたんじゃ堪らないわ」
どんどんと弁に熱が入る。もしかしたら酔ってきたのかも知れない。
ただ、深く酔いすぎると自分でも訳の分からないことを口走ったり、言わなくてもいいことを言ってしまいそうで怖い。
それに、自分が揉め事の納め役をしなければならないのだ。酒に酔って寝るなんてことはできない。
違う。でも。そう。
思考がまとまらない。目の前の妖怪にすべて暴露してしまいそう。
「じゃあ聞くけど、誰が騒動を収めるのよ? 誰が止めるのよ? その誰かが私じゃない。役目とか、博霊じゃない、止めようとする人間は私しかいないんだ。それを分かって言っているのね、紫?」
「魔理沙は?」
「違うわ、魔理沙はぜんぜん違う。あれは迷惑をかけたいだけ。疫病神よ」
「だったら霊夢も違うわ。誰もあなたに完璧な解決を望んでなんかいない」
「ウソよ」
「本当よ。人のいざこざなんて半獣にやらせればいいし、妖怪だって結界に影響したり人間のバランスを崩すような影響力のあるヤツ以外は捨て置けばいい。なんだったら境内の掃除は私がしてあげるわ」
「ウソね。どうせ藍がやる羽目になるんでしょ」
「ええ、ウソよ」
飲み比べ中の狐が酒を盛大に吹いた。弾幕と悲鳴が響き渡ったのは言うまでもない。
「自分勝手ね」
「そうよ、霊夢だって同じくらい自分勝手じゃない」
「記憶にないわ」
失礼な。紫ほど自分勝手になったつもりはないとどんどん酒を飲む。横から紫が注ぐのだから仕方ないと言い聞かせながら。
「じゃあ記憶になくなるまえに聞こうかしら。今日は何か思うところはあった?」
「…………」
ない、というとウソになる。
感じ入ることなどたくさんあったし、それに対して考えさせられることもあった。
だけどそれを口にすることに抵抗があったので霊夢は無言で紫の視線をやり過ごす。
そうしているうちに魔理沙が全員に声をかけて注目させ、何かを喋っている。きっと花火が始まるのだろう。
「花火が始まるようね」
「……そうね」
「あら霊夢、もしかして眠たいの?」
「うん、すごく」
顔に出るくらいに眠たい。それはもう妖怪たちの騒ぎが遠く聞こえるくらいに。
「じゃあ眠ってしまいなさい。あとは任せて、ゆっくりするといいわ」
「説得力ない」
とか言いながら霊夢は紫の膝に頭を乗せて横になる。
睡魔のせいか、世界がぐるぐると回転しているけれど紫の顔だけがそのままでなんか気味が悪い。
でも少しだけ残念なことがある。このまま寝てしまったら魔理沙たちが用意した花火が見られない。未練たらしく思っていたら、つい。
「……花火、見たかったなぁ」
不覚にも口に出してしまった。
「ふふふ、可愛らしいじゃない。いつもそのくらいの可愛げと素直さがあればねぇ」
「うる、さい……」
「大丈夫よ霊夢。今日が見られなくてもまた次があるから、ね?」
「そうじゃ、ない」
「???」
月がこんなに綺麗で、たくさんの妖怪がいて。騒がしいし後片付けが面倒だけど楽しい。
ずっと飛び回っていたせいで疲れが睡魔の後押しをするけど。
……あふれ出した涙と未練が、わずかに残った気力を振り絞る。
「こんなにたくさん集まったのに、こんなに楽しい日に花火なんて、きっと、今日しかない」
「…………」
起きていたい。起きて、きっと今ならあの輪のなかに入ることができるのに。
目の前に、霊夢が望んだ幻想がある。
「どうしよう、咲夜に……お茶のお礼をしてない。鈴仙と永淋にも、謝ってない」
「いいのよ、霊夢。今日じゃなくても、また明日があるんだから」
「ううん、無理。きっとできない。今じゃないと私、言えなくなる」
涙が止まらない。きっと酒のせいだ、紫が持ってきた酒のせいでこんなにもおかしい気分なんだ。
なのに、紫ときたら平静な顔をして人の額に手を押しつけてきた。
冷たい彼女の手。それとも火照った頭には冷たいと感じるだけなのかもしれない。
「そんなことないわ。酒の席以外でもあなたはちゃんと彼女たちにお礼を言えるわ。だって霊夢は良い子だもの」
「……本当に? 私、良い子?」
「そうよ、良い子よ。だから今はおやすみなさい。明日で、みんなが待っているから」
紫の言葉に安心して目を瞑る。涙も止まっていた。
遠くで、花火の音が聞こえた気がした。
―――――――――――――act. Another
以降、文々。新聞より抜粋。
先日の宴会で霧雨氏、マーガトロイド氏、ノーレッジ氏の三名が作ったとされる花火、ミルキーウェイ号による催しが行われた。そのとき炸裂した花火が弾幕となって降り注いぎ大惨事になりかけたが、伊吹氏によって萃められたため事なきを得た。
制作に関わったとされるK氏は「パチュリー様のことだから必ずやると思っていました」と熱い心中を語った。また、関係者の親族と名乗るS氏は「アリスちゃんはそんなことをする子じゃありません!!」と涙ながらに語ってくれた。
「これ、本当?」
「本当です」
「まぁいいわ。どこも壊れていないみたいだし」
「そうですか。これに怒った巫女が何かやらかしてくれるのではないかと期待していたのですが」
「お生憎様。ネタなら他所で拾ってきてちょうだい」
天狗の記者は困ったと手帳を片手に頬を掻く。それを見て巫女が茶を手に小さく笑う。
「仕方ありません。あなたの言うとおり他所に行くしかなさそうですね」
「はいはい、頑張ってね。あなたが喜びそうなネタがあったら呼んであげるわ」
「絶対ですよ?」
「覚えていたらね」
わかりましたと天狗、射命丸文は神社より飛び去る。
巫女と言えば騒動で有名な彼女が当てにならないとしたら次はどこへ行こう。考えながら飛んでいると、緑色の風とすれ違った。
「あやや? さっきのは確か……」
急ブレーキをかけてすれ違った風を見やると、案の定人間だった。とは言ったものの、彼女の場合は少し特殊で体のまわりに身の丈ほどの幽霊がまとわりついている。
そして彼女は神社に降り立つと、巫女となにやら話をしだした。二人が非常に親しいという話を文は聞いたことがない。それどころか、半人半霊の少女が誰かと無駄話をしに顕界まで降りてくること自体珍しかった。
文は幻想郷の新聞記者。もちろん彼女の取材もしたことはあるが、まるで相手にされたこともないし、ネタになりそうな話も今まで特になかった。
それがどうだろうか。今は笑顔で、それも親しそうに巫女と話をするどころか一緒になって人里へと飛んでいくではないか。
「む! これはいけますよ! 『冥界の庭師、巫女との怪しい逢引!? 二人の恋の行方は如何に』!? あの無愛想な巫女が――――――――」
途端、手帳に書き込んでいた筆が止まった。
記者は見てしまったのだ。半人半霊の少女だけではなく、あの巫女さえも満面の笑顔で笑っている場面を。
そしてフラッシュバックしたのは文の困った顔を見て笑った、屈託のない自然な少女の笑顔。
「………」
文は筆をしまうと、おもむろにさっきまで書いていたページを手帳から破り捨ててポケットにしまいこんだ。
「思えば、妖夢さんが用事以外で人を訪ねたことはありませでしたね。きっとまた、主のワガママにでも付き合わされているのでしょう。そうです、そうに違いません。そうと決まれば別のネタを探しに行かねば!」
独り言を呟き、文は二人に背を向ける。
「よかったですね、霊夢さん」
聞こえないことを知りながら、記者はあっという間に彼方へと飛び去る。
今日もまた、楽園の素敵な巫女は幻想郷の空を飛んでいる。
それは特別ではなく、ごく普通のこと。
こんな作品待っていました!
次回作もがんばって下さい!!
いつも本質を掴ませない霊夢のこういうSSは良く見かけますが。
なんというか、イメージ通り。感服。
「明日で、みんなが待っている」
本当に安心する台詞だと思います。感服。
不器用で素直じゃないけど、霊夢は本当に優しい子なのです。
霊夢には笑顔が似合います。
良いお話でした。
内容は悪くなかっただけに残念。
心の底から。