「では・・・そういう訳だから。
詳細は任せるけど、頼んだわよ。幽々子」
「はぁ・・・本当に、こういう時のあなたの行動力には驚かされるわ」
「ふふふ、褒め言葉として受け取っておきますわ。じゃあ」
「ええ、また」
にこやかな笑顔のまま背後の空間に飲み込まれ消えていく友人を見やりながら、
その出鱈目な発想に呆れるを通り越し、感心していた。
昔から突拍子もない事をする人だと思っていたけれど、
慣れる事が出来なかったのは私の順応が悪いからなのか、
それとも彼女がその都度方法を変えるからなのか。
何にしても、話は進んでしまった。
私も賽を振らなくてはいけない。
「聞いていましたね?妖忌さん」
襖に隠れ、控えていた影に、振り向かずに問う。
「・・・うむ」
「頼みました」
「御意」
声は短く、何一つ問おうとはせず、そのまま姿を消した。
「こんなの・・・意味のない事、なのに」
ぼそりと呟くと、私の周りを舞っていた桜の花びらは霧散する。
これらは全て本来の所は花びらなどではなく、霊魂の塊。
小さな、埃にも劣る微細な霊魂を私が集め作っただけの花の形をした玩具だった。
しかし、それにかまける事も、もう飽きた。
「えっ・・・あの、今なんと・・・?」
驚きは、あまりに唐突過ぎて理解の範疇を通り越していた。
耳には入っているはずなのに、確かに聞こえたはずなのに、
私の中の何かがそれを拒んでいた。よって、何を言っていたのか聞こえない。
「何度も言わせないでちょうだい」
対する主人は苛立たしげに私を、そして私の後ろに隠れる猫を睨みつけていた。
早朝、食事を与えていたところを紫様に見つかり、
まずいと思ったらこれだった。
食事を与えていたことを咎められる事も、叱られることも覚悟していたはずだった。
しかし、出てきた言葉には驚きを隠せない。
「いえ・・・しかし・・・」
「もう、その子を見ているのは嫌なのよ。
解る?私が寝ているときにカリカリと爪を研ぐの。
耳に残るのよ。夢の中にまで出てくるわ。
全く、折角可愛がってあげたのに何の恨みがあるというのよ!!」
確かに最近、日を追うごとに紫様の機嫌が悪くなっていくように感じていた。
今の怒りがそれの積もり積もった結果というなら納得はできる。
・・・その理由が本人以外にとってほとんど言いがかりだというのを除けば。
「ゆ、紫様、落ち着いてくださいっ」
ヒステリックな声に猫は毛を逆立て警戒する。
私はと言うと、その剣幕に怯えを抱きながら、
しかしそれでも紫様をなだめようと前に立つ。
「うるさいわね、早くその子を捨ててきなさいっ!!」
「う・・・」
しかし、その強い眼力。支配力のある言葉に息をのんでしまう。
「い、いくら紫様の命令でも・・・こればかりは・・・」
退けぬと、必死の思いで心で抗う。それはやってはいけないことだ。
だけれど、ここでこのまま従うのは、もっといけない事だと何故か思った。
「聞けないと言うの?藍。あなたは私の何?」
そして、ついにその言葉は紡がれてしまう。
必死に唇を噛み、それに答えまいと堪える。
「私・・・は・・・八雲 藍・・・紫様の・・・・・・式・・・です」
・・・当然、無駄な努力だった。私などに、主に逆らえる力は無い。
普段どれだけだらけていても、
子供の様に振舞っていても、
年寄りじみた事を言っていても、
その力は神とも見紛える本物の力なのだ。
「解るわね?もう一度だけ言うわ。その猫を、どこかへ捨ててきなさい」
「は・・・」
最後まで言えず、私は自身の中の力に弾かれ、屋敷を飛び出る。
片手には猫。
自身で駄目だと思っていても、この身体はもう、言う事を聞かない。
「・・・すまない」
そこは、人里から然程も離れていない森の入り口だった。
人の居る場所でそれを行うのは駄目な事だと、どこかで思ったのかもしれない。
身勝手な事に、私自身、自分の保身を考えていたという事だろうか。
情けなかった。
しかし、手は猫から離れ、猫は地面へと落とされる。
幸いにして猫はくるりと回り着地し、怪我をする事もなかった。
それだけ。たったそれだけの事だった。
「みぃ・・・」
見上げ、小さく鳴く。
どうして?
と。
そのように聞こえてならない。
弱くて。それ以上は聞きたくなくて。
下は見ずに、そのまま飛び去った。
「・・・むぅ」
そこに、それは居た。
「ミィ―――」
「・・・・・・ふむ」
ただの黒い猫である。
名は・・・知らぬ。だが、猫である事に違いは無かろう。
「不憫な、な・・・」
苦笑し、軽く目を閉じる。
それは、目の前の小さなイキモノに対する、黙礼。
「さらばだ。せめて楽に逝くが良い」
楼観剣―――猫一匹に使うには惜しすぎる刃である。
しかし、眼を開けると、私は鞘のまま構え・・・抜いた。
シャッ―――ギィィィィッッ―――
「・・・・・・」
斬れたのは、毛先一つ。
長く細い金色の束が宙に舞う。
「お久しぶりですね。ご老人」
「ぬぅ・・・藍殿か」
刀身を真横から爪で押さえ込み、こちらの威力を相殺したらしい。
中々できる事ではない。
「何故この様なマネを?」
その目は会った時のソレとは似ても似つかぬ、獣の眼。
口からは牙が、指先からは鋭い爪が飛び出ており、
尻尾はといえば敵意に激しく逆立っている。
初見では穏やかとも思えたがその本性はやはり妖怪の類らしい。
「強いて言うならば・・・猫嫌い、だからかな」
元々理由など話すつもりもなく、それはただ相手を煽るためだけについた嘘であった。
「そんな理由でっ!!」
ギィ―――ン
だが相手は容易に挑発にのってくる。
刀は私の身体ごと弾かれ、大きく間合いをずらされた。
態勢を崩されるほどではないが、
本能的に脅威を感じ、抜刀のまま身構えさせられる。
なんという筋力。
術使いと聞き、使わせぬ様に猫の近くで挑んだが、腕力だけで中々・・・
剛の男が幾人集まろうとて、恐らく真っ当な人間ではこの娘に叶う者は居まい。
私ももう少し若ければ、この者との戦いをぎりぎりまで楽しめたのだが。
「名乗りが・・・まだであった」
「何・・・そんな事、私は聞いて・・・」
「――魂魄 妖忌。西行寺が剣の指南役。庭師の妖忌と知れ!!」
「妖忌さんとあなたの式とを戦わせる・・・と?」
「そうよ。勝った方に祝杯が与えられるわ。
私が勝てばきっと、私の式はこれまでより強くなるわ。
あなたの場合は・・・そうね、
私が暴れて、人も妖も今の半分ずつ、こちらに送って見せましょうか。
きっと冥界は賑やかになるわ」
「それは中々魅力的・・・」
「どうかしら?」
「しかし、そんな事を理由に戦えなんて言ったら暇をくれと言われてしまうわ」
「そうね・・・私の式も今のままではきっと無理かしら」
「あなたの式もあなたに似ずにまともなのね」
「まとも?違うわ。あの子は優しいだけなのよ。
だから、いつまで経ってもただの式だわ。それでは私としても困るのよ。
本当の意味で私の代わりになれないと、ね・・・」
「・・・それが本心ですか」
「あら?私は今まで本音を語った事なんて無いわ?」
「今まで、ね・・・」
「幽々子、実はもう話は進んでいるの。
あなたが乗る乗らないは関係無しに・・・ね」
「相変わらず唐突な・・・解ったわ。乗ります。
でも命がけは・・・困るわね。お互いに」
「私はどんな事にも自分の命を賭けられるわよ?」
「それは嘘のように聞こえるわ」
「だって嘘だもの」
「でしょうね。それで・・・方法は?」
「猫よ」
「猫?」
「そう、猫を、妖忌殿に斬らせれば良いわ」
「またなんて事を・・・
いくら冥界が静かでも、客引きの招き猫は要らないわよ?」
「ただの猫ではないわ。藍が情を移らせてしまった、哀れな猫よ」
「本当に不憫ね。妖忌さんも」
「あら、可哀想なのは斬られる猫じゃなくて?」
「猫に自慢の刀を振らされるなんて、きっとひどく落ち込んでしまうわ」
「あなたも負けず劣らず良い性格をしているわ」
「誰と比べてです?」
「私」
「なるほど」
そんな、くだらない理由で。
ズザァ―――
土ぼこりを立て、わらじが地を滑る。
一度中段に構えた刀を鞘に戻し、相手ににらみを利かせる。
「・・・やりおるっ」
楽しかった。
どうしようもない理由だった。
ふざけきった遊びだと嫌悪すら抱いた。
しかしだからこそ、こんな私の命を掛けるには相応しいとも思えた。
「ハァ・・・はぁ・・・ぁ・・・」
対して息を整えようと肩を上下させる狐。
数合の打ち合いの最中に爪が剥がれたのだろう。血がだらりと流れている。
しかし、その眼は未だ闘志を失っていない。
「実際の所、似ていると思っていたのだ」
「何がです・・・」
「私とお主は、主の為仕え、主に恩義を抱き、
そして、如何なることをも主に逆らえぬ」
「それが何だと!!」
「私は逆らえなかった・・・ならばお主は如何か!?何故ここにおられるっ」
シュッ―――ギィ―――
瞬時に間を詰め引き抜く。
が、鈍い音と共に居合いが受けられたと理解し、飛び退く。
直後、剥がれ落ちたはずの爪が風となり私の居た場所に振りかぶられていた。
――自己再生――獣とは言えその速度は妖怪を凌駕している。
尋常な相手ではない。
「私はっ、私は自分に逆らえなかった!!」
「・・・然り」
それが嬉しかった。
似た者が、それをこなせたのだ。
「故に、それが出来たお主は、出来ぬ私を倒せねばならん。
倒せなければ嘘よ。全てが偽りよ」
「それがあの子と何の関係があるっ
無いだろうっ、何故巻き込む!?
闘いたいなら私だけ狙えば・・・狙・・・ぁ・・・」
何かに気づいたのかもしれない。
その表情は、驚愕するような、何か悪い物を見たような、
そう、人のような眼をしていた。
「何をうろたえるか。それが我等の役目であろう?」
「しかしっ、でも、私は・・・だってあなたは主に命じられ・・・」
優しすぎる。
一度は敵であると睨んだ私に、そのような幼い眼をしては。
「やはり、その勘は鋭く賢しい。が、それが命取りやもしれん」
かぶりを取り・・・鞘を投げつけた。
「え・・・?」
唐突の行為に驚いたのか、身構えることもせず惚けた眼で鞘を追った。
「見失った・・・ど・・・どこに・・・っ」
そして、前に向き直った頃にはもう手遅れである。
「・・・迂闊よの。空を飛べるのが自身のみと過信したかっ!!」
真上。
全身の力を発し、瞬発で飛び、上から狙った。
「・・・っ!?」
シュッ―――ガッ
しかし、必殺のはずの刃はわずかに服を掠めただけで殆ど威力を発揮しなかった。
が、来るやと警戒した攻撃は、しかしいつまで構えても来る気配が無い。
「何故、仕留めぬ?」
仕留められる程の隙であったはず。にも関わらず、娘はそれ以上動こうとしなかった。
「何故、外したのです?」
この娘にかわせぬ程の攻撃は私には出せなかった、それだけの事。
「外れたから外したのだろう」
口からは皮肉しかでない。客人に似たのだろうか。
「退けばよろしい。ご老体、あなたでは私には勝てません」
娘はと言えば、私がもう打ちかからないと思い込んでいるらしく、
戦いの手を止めてしまっていた。
「ふん・・・勝ったつもりかね」
いや、もう打ちかかれないのだ。既に。
「爪だけが私の武器だとは思わぬことです」
「なるほどの・・・」
完敗だった。
本気も出させずに破れ、挙句気遣われるとは。
「藍殿・・・この事は西行寺家には内密に頼みたい。
私は・・・やはり猫嫌いだったのじゃ」
「妖忌殿!?」
「刀を・・・幽々子様に・・・もう・・・会うまい」
手に持つ刀を鞘に納め、相手に投げ渡した。
恐らくは二度と会うことの無い主に、後を託すのだ。
「あっ、ま、待ってくださいっ、あなただってっ・・・」
私とて、何であろうか?
私とて、主に逆らうことができると、
自身が心の思うままにできると、言いたいのだろうか。
そうであれば、あれができらば、どれほど良いか。
しかし、できてしまえば、今までの自分は嘘なのだ。
それは、駄目であろう?なぁ、藍殿。
「あ・・・」
背を向けられ咄嗟にかけた言葉は、しかし虚しく空に流れただけだった。
「・・・・・・」
思う事は多々あった。
しかし、一切合財投げ捨ててしまいたい。
何もかも無かったことにして最初からやり直せれば、それはきっと楽に違いない。
「ニャー・・・ニャー・・・」
鳴き声に我に返る。
何を考えていたのだろうか。思い出せない。
しかし、足元に擦り寄る小さな黒猫に気づき、
安堵と共に強い罪悪感に苛まれた。
「・・・ごめんな。ごめんな。ごめんな・・・」
それが理解できているか等私には解らない。
だけれど、心の底からすまないと思う。
例えそれが一方的な気持ちであったとしても、私はこの気持ちを偽ることが出来ない。
「みゃ~、にゃ~」
私の胸の中。小さくもがくその身体が、冷め切った体を温めてくれた。
「そういえばお前・・・まだ名前が無かったな・・・」
猫を抱きしめ、ひとしきり泣いてから、ふとそんな事を思い出した。
紫様は結局、自分のペットに名をつける事がなかった。
私はお前と呼んだりしていたが、いつまでもそれでは不便だろう。
「・・・紫様、が紫で私が・・・藍か。倣うなら・・・むぅ」
迷う。
名づけ方が彩色の名称である事は今初めて思いついたが、
色にもさまざまな物が在るのだ。どれが似あうか等、限りがない。
と、悩みながら、空が紅く染まっているのが見えた。
もう夕刻か等と、色々ありすぎた今日を振り返る。
その瞬間に思いついた。
「チェン・・・橙という名はどうだ・・・お前、気に入ったか?」
「ニャ~♪」
気に入ったらしい。
「よし、今日からお前は私の式・橙だ。
誰かのペットとか、そんなのは関係ない。良いな?」
「にゃ~」
それは、傍から見れば滑稽な物だったに違いない。
それでもこれは、私達の間で最も大切な、神聖な儀式だった。
「ただいま戻りました」
橙を連れ、また屋敷へと戻る。
丁度都合よく紫様は起きていたらしく、居間でお茶を飲んでいた。
「あらおかえり。遅かったわね・・・ってその猫・・・」
しかし、私の足元についてきた橙を見、片眉を吊り上げる。
「あ、紫様。この子は橙。私の式です」
しかし、何か言われる前に話を進めてしまう事にする。
「え・・・?あら・・・式・・・?」
「はい。既に契約を済ませ、後は式として力を得るまで待つのみです」
これは嘘だった。ただの獣を式神と成すには、相応の時間が必要なのだ。
だから、それまでの間、側に居られる口実が必要だった。
「そ、そう・・・式神・・・ね・・・ふぅん」
それが解らないはずではないのだが、
紫様はそれ以上問い詰める事無く、お茶を啜り、
「まぁ、良いんじゃない?」
と、何事も無かったかのようにくつろぎなおした。
橙はその後、首尾よく私の式として力を得、
今では私と同じように常時人のままで居られるようになった。
人語も理解し、教えた事は良く理解する賢い子で、手が掛からなくて助かる。
しかし、過去に紫様が理不尽に食事を抜いたことや捨てようとした事は、
都合よく三日ほどで忘れたらしく、微塵も記憶に残っていないらしいので私も忘れる事にした。
余談だが、妖忌殿はその後、
「悟りを開いたため」
という訳のわからない理由で突如出奔してしまったらしい。
後任に困ったらしいが、
しばらく空席だった後、孫娘殿がその席につき丸く収まったのだという。
これが本当にその理由でなのか、それとも誰かの思惑によってなのかはわからない。
ただ、それが少しでも自分に耳を傾けられた結果なのならと、
勝手に納得し、猫嫌いな老人のその後の平穏を願った。
Fin