※注意1 作品集44にある『失格者、魂魄妖夢 上 ―『生命賛歌』―』を先にお読みください。
※注意2 この物語は流れ上『美鈴物語』の第九話の後編です。第一話は作品集39の『門番誕生秘話』となっております。
※注意3 多少のオリジナル設定(人物関係など)があります。
~あらすじ~
これは紅魔館門番、紅美鈴とその周囲のふれあいと、その成長を描く物語である。
門番美鈴は何千年も生きている妖怪、数々の武術を身につけた達人だ。
弾幕が弱く弱小門番というレッテルを貼られた彼女も、ひょんなことから相応の地位を取り戻していく。
そんなある日、突如美鈴が暴走した。己の身の内に巣食う『狂気』のためである。
フランドール・スカーレットを殺そうとする彼女をレミリア達は他方からの手助けを借りて討伐隊を作り鎮圧する。
これが後に言われる『紅魔館門番異変』と呼ばれる事件である。
異変後、レミリアの命で美鈴は迷惑をかけた他方の勢力に謝罪をしに行くことになる。
まず最も被害が大きかった永遠亭。ここで彼女は自分を調査しに来たという小野塚小町と出会う。
鈴仙や、兎の誘拐事件があった後、無事和解したのであった。
そして次にやってきたのが白玉楼である。ここでは、己の存在理由を否定された魂魄妖夢が迷走していた。
主西行寺幽々子に依頼された美鈴は彼女を『生命賛歌』に送り込むことを決意する。
『生命賛歌』は妖夢が目標とする『武人』になるための最重要課題であり、今の弱い意志を強くする効果があった。
『生命賛歌』について知識を求めるパチュリーも加わり、頼まれた仕事は静かに行われた。
2人に倒された妖夢は精神の狭間の世界、『生命賛歌』の手前の世界で祖父魂魄妖忌に再会する。
彼は幻想であり、世界に記憶されたマヤカシなのだという。だがそんな再会も彼の一刀の内に破壊される。
なんと、『生命賛歌』を迎えるためには妖夢が妖忌と戦い勝つか、己の精神が成長しなければいけないのだという。
出来なければ、そこで死ぬ。悩む妖夢に妖忌は容赦なく攻撃をしてくるのだった。
さあ、果たして妖夢は無事精神を成長させ『生命賛歌』にたどり着けるのだろうか。後編のはじまりはじまり。
あれは何時のことだったか……お師匠様との何度目かの稽古のとき、こんなことを突然聞いてきた。
「戦を行う上で最も重要なことは何だと思う?」
「え……、名声や兵力、統率力に、それと策…ですか?」
突然の質問だった。当時まだ幼かった私は当然わかるはずもなく、適当に応えるしかできなかった。
そんな私の頭をお師匠様は撫でながらやんわりと否定する。
「うむ、悪くない。事実、殆どの戦はそれらによって結果が決まるといっていいだろう」
「?」
「だがな、妖夢。いかなる戦をする上でも忘れてはいけない物がある」
「忘れてはいけない物?」
「そう」
そういうとお師匠様はどこか遠くを見るように目を細めながら言う。
「『覚悟』から生まれる大義……己にとって絶対といえる物。
戦は決闘とは違い、多数対多数の団体戦だ。そこでは、己の覚悟以上に軍を統括する意思が必要となる」
「大義……」
「うむ、大義は様々なものから派生して、我々を後押しする。その力は絶大だ。
個人だけでなく、集団を意思統一し、行動させるほどの力を持つ。我々は西行寺家に仕えている。
庭師として、門番として西行寺家を守る大義を持って。
仮に西行寺家を襲撃する者がいれば、我々は死を賭して撃退しなければならない」
「あ……」
「わかるか? 何も背中に背負っていない者より、大義を背負う従者は、すでに初めの状態で精神的に上なのだ。
大義を持つが故に、同時に背負う重圧に反発するため、肉体も強くなる。
その結果精神的・肉体的に強くなるのだ。これが、戦士の強さの原点」
妖忌は静かに言うと、あごひげを撫でる。
「だが『武人』……特に我々魂魄の『武人』を名乗りたいのであれば、それ以上のことをせねばならない。
大義を背負い、戦士としての強さを手に入れた存在はまだ唯の戦士であり、『武人』にはなれない。
その時必要となるのが『覚悟』。死を恐れず、何に対しても『覚悟』をもてるようになれねばならない。
この先お前は、死の恐怖と対峙する事になる。我々は半人半霊故、死に対する意識が元来低い。
それを乗り切れ、妖夢。でなければ、お前は永遠に『武人』にはなれない。
なれなければ、修羅やその他戦士を超える存在には決して勝てないぞ」
穏やかに言う声とは裏腹に、その目は厳しい物だった。妖夢はそのときまだ幼かったが故…全部は理解できていない。
ただ、西行寺家を守るという使命を第一に考えていた彼女にとって、妖忌の最後の言葉はよく覚えている。
つまり、幽々子を守るためには今のままではなく、妖忌のような『武人』にならなければならない…と。
幽々子を守るために、という目的がいつしか妖忌を追いかける目的に変換されてしまった。
それが最早暗示となり、妖夢の脳裏に刷り込まれている。
今の彼女は強くならなければならない、『武人』にならなければならない、という思いゆえ、重要なことを忘れている。
幼いがゆえの欠点といえば聞こえはいいだろう。子供の考え方は弱く、難しい話は結論のみを記憶してしまうのだ。
「妖夢よ……お前は何ゆえ、『武人』になりたいと…強くなりたいと願う?」
その言葉を……いまさらながらに思い出す。ああ……なぜ忘れてしまっていたのだろう、と。
そして今、彼女はその偽りの目的を否定された上で妖忌と戦っている。その戦いの上で彼女は少しずつ昔を思い出す。
暗示として植えつけていた結果ではなく、その間の過程も、妖忌とのやりとりも。
◆ ◆
妖忌の斬激は激しい物だった。その一撃一撃には、妖夢を殺そうとする意思がまじまじと表れている。
対する妖夢はただ防御に徹するほか無い。体格の違いもあるが、気迫が違う。
この2人は互いに西行寺家の庭師を行い、同家を守るという大義を背中に背負っている。
だが、それも今は過去形だ。妖忌はその大義を放棄し、放浪している。
しかし、何故ここまで差が出るのか? これはもう、家族だから…という理由では到底説明できるような物ではない。
古来より、『大義親を滅す』という慣用句があるように大義は重要な物とされていた。
大義名分という言葉があるように、人は何か行動するためには、必ずその理由付けが必要となる。
要は戦う理由が無ければならない。そうでなければただの暴徒になってしまうからだ。
例えば戦国時代。各々の領主は己の天下統一を目指し、他国と戦争を行ってきた。
天下統一という理想、そしてその後に訪れる平穏を求めての物だ。そういった理想が、臣下には大義となる。
臣民にとって大義は絶対となる。大義という道が開ければ、彼らは絶大な力を手に入れる。すなわち、心の強さだ。
進む目標があれば、ただそこに進めばいいのだから。そういった意味では、確固たる大義を持っている妖夢が勝っている。
だが現実では彼女は負けている。答えは簡単だ。妖忌はそれ以上のもの…剣術もそうだが、それ以外のものを持っているからだ。
それが『武人』としての『覚悟』である。
背水の陣を初め、敵を倒す際に人々は必ず『覚悟』を決める。それは自らの命が落ちるかもしれないという恐怖に打ち勝つためだ。
恐怖は取り除かねばならない存在である。でなければ、足を引っ張る枷となる。
力を持つ者と戦う際には、少しの恐怖が命を落としかねない欠点となる。その恐怖を取り除くのが『覚悟』だ。
だが、『覚悟』は常時もてるわけではない。持ち続けていれば、人はいずれ精神的に疲弊する。
運動した肉体が休息を持つように、緊張状態になった精神が急速を求めるのは絶対だからだ。
だが気が緩むとそこを敵に付け入られるという問題が起こる。通常の場合、その時に役立つのが大義なのである。
大義という考え方の基、人は無意識の下で身体に負担がかからない程度に気を緩めずにいられる。
要は大義を持つか否かで、既に気持ちの持ちようが違うというわけだ。
大義がない戦士は危険だといった。それは制御が利かないため、危険な存在になる確立があるからだ。
それはある種『武人』にも言える。大義を持つ『武人』が大義を失ったとき、彼らは暴走し修羅となることが多い。
そもそも大義によって得られる物は様々だ。その中でも特に大きいのが死に対する考え。
生物は様々な事象を様々な局面で味わい、経験することが出来る。だが、死だけは違う。
死は味わうことが出来ない。特に人間は死ねば、人生に幕を下ろす。
故に死を極度に恐れる。もしくは死に直面すると萎縮する。それは死を対価として払えるほどの『物』が無いからである。
特に戦士のように死が隣り合わせのような存在には対価が必要となる。
そのために大義があるのだ。大義があるからこそ、戦士は死を恐れずに戦うことが出来る。
では大義を持たない『武人』は? 先ほど修羅になると述べたが、あくまでもそれは半数の話だ。
自己の精神をキチンと保てる『武人』ならば、修羅にはならず、自己を保ち続けられる。
彼らは後ろ盾が無いのだから、弱者と思われがちだが、それは違う。むしろ逆だ。
何故『武人』が他の戦士と明確に別の位置づけをされているのかわかるだろうか?
『武人』が持っており、他の戦士が持っていない物があるからだ。それは先ほども言った、死の克服の点である。
人は初めてのことに挑む際、僅かなりの拒否反応を必ず見せる。
そこに差が出る。『窮鼠猫を噛む』という言葉や『背水の陣』の場面では、弱者が強者を倒す場面が多い。
それは何故か? 退路が絶たれた存在はありとあらゆる行動を正に死に物狂いで行うからである。
火事場の馬鹿力といえば聞こえはいいが、とにかく、その際の力は本来その者が持つ力の倍以上出る。
こういった力は全て人の意思から生まれるのだ。極限状態における精神の成長である。
極限状態における精神の成長。
そう、これが『武人』と死の関連性を位置づける上で最も重要なことになる。
通常の場合、『喉元過ぎれば熱さを忘れる』のように、死を脱した者たちはすべからくその時の緊張感を忘れる。
それにより、手に入れたはずの精神・肉体の成長さえも手放すということになる。
では……その極限状態における精神の成長により、手に入れたものを決して手放さず、身に着ける方法はあるのだろうか?
肯定である。その一つの方法であり、最も効果的な方法が『死を乗り越える』ことになる。
例えば殺人。人は人を殺したとき、躊躇し、己の行動を後悔するか、もしくは吹っ切れるのだ。
通常ならば前者が普通といえようが、後者の場合、その時点で精神は一種の臨界点を突破していることになる。
いわゆるタガが外れた状態になった、ということになる。それと同じだ。
死を乗り越えると言うことはすなわち、死という一種の概念の限界を突破する事。
すなわち死に対する恐怖心も払拭することに他ならない。
そして同時に日常において、常に戦場と同じ緊張感を持ち続けることが出来る。
それは、死という境界を乗り越えた結果、その者の精神全ての底辺が一気にランクアップ、底上げされるからである。
以上が死を乗り越える、ということだ。
思い出してもらいたい。先ほど戦士が大義によって得られる物で大きいのはなんなのか?
そして『武人』の最低条件となる死を乗り越えることにより手に入れられるものは何なのか?
最早一目瞭然である。『武人』はいちいち大義というものに寄らずとも常時死を克服できるのだ。
また、『武人』は大義などというものを必要としない。
彼らは己の精進と、高みに望むという目的がある故、道を他人から示されなくとも己の道を決め、進めるのだ。
大義が無くとも己が信じる道を進み、己を高めることを目的とする戦闘集団…それが『武人』。
彼らは組織を必要としない。個で全をなすことが出来る。全を個でまかなうことが出来るのだ。
戦士と『武人』との間に差はない。いや、むしろ己を見極め、己を己自身で極限まで高められる『武人』のほうが上手である。
故に彼らは重宝され、また希少価値も高い存在となっているのだ。
以上のことからいけば、もう分かるだろう。大義を持ち、戦士である妖夢と大義を持たない『武人』妖忌。
ましてや妖夢は幼いころの暗示により、その大義の意味さえも忘れてしまっている。
それに加え死を恐れる妖夢と、恐れるものは何も無い妖忌。技術も経験も全て妖忌が上である。
どちらが強いか、どちらが優勢になるのか、もう言うまでもない。
「くっ……」
妖夢は既に気持ちの面で負けている。いつもの半分以上の力も出せていない。それだけ怖いのだ、死ぬということが。
冥界で働いているとはいえ、所詮は人の死であり、また冥界という死が蔓延る世界に身をおいているがために欠如は進む。
そのため、いざ死を意識すると異常に反応してしまうのだ。妖夢自身も気付いている。だが、どうすることも出来ない。
(動け…動け…!!)
ここで動かねば殺される。だというのに身体が思うように動かない。恐怖で竦んでいるのだ。
(死ぬのは嫌だ! でも……お師匠様を殺すなんて!!)
このように頭の中で考えているものだから、まともな戦闘が出来るはずもない。
妖夢は気付いていない。これこそが自身を更に陥れているということに。
「なるほど……美鈴殿が幻滅するのも分からんでもない」
力任せに鍔迫り合いの状態から妖夢を蹴り飛ばした妖忌は一息つくと、眼を細めながら言う。
その眼には言葉どおり、妖夢に対する幻滅のものが多分に含まれていた。
「どうやら私が教える以前の問題だったらしいな。『武人』とかそれ以前の問題だ。
死もそうだが、お前は肉親と戦うことに対しても恐怖している」
もしここに正常な思考を持つ者がいれば必ず「当たり前だ!」と言うだろう。それほど基礎的なところである。
だが妖忌が見落としていたのも無理はない。本来肉親殺しは『武人』としては恥ずべきこと。
騎士道と同じように、それなりの美学が存在するのである。
「妖夢よ……今はそのようなことは捨てよ。まあ…お前は私に似て頭が固い、簡単には捨てられないだろうな。
だが忘れるな、今の私は世界に記憶された幻影だ。本来の魂魄妖忌ではない」
それは分かっている。ここにいる妖忌が紛い物なのは理解している。だが理屈で済む話ではないのだ。
いかなる理由だろうと祖父なのには変わりない。匂いも、存在感も、気迫もあの頃のままだ。
「そもそも! たとえ幻影だとしても、『武人』は肉親を殺さないのではないのですか!?
肉親殺しは大罪! 罪としても、人道としても非道だと…そう教えてくださったのはお師匠さまではないですか!」
息が切れながらも、必死に叫ぶ。その表情は悲痛なもの。彼女は戦いたくないのだ。
もしこれが、互いを高める鍛錬ならば妖夢は決してこのような表情は見せない。だが今は互いに殺しあう死合なのだ。
しかも裏を見れば、ただ妖夢を育てるための死合だと言うではないか。
「私は自身の成長のためにお師匠様を……御爺様を殺すなんてことは……」
「出来ないというか?」
悲痛な訴え、だが妖忌は冷たい言葉でそれを一蹴する。
「頑固と言うのも時には考え物だな……ふむ、ではこう考えればよい。今の私は西行寺家に刃を向けた反逆者だと。
西行寺家を守るお前ならば、反逆者である私は討伐せねばなるまい。
いいかげん気付け妖夢よ。お前はここに来る前に『覚悟』を決めたのだろう? ならばありとあらゆる事態を想定せねばならない。
それを出来ずにただ言葉のみの『覚悟』だったのか? ならばお前に対する評価は更に下げねばならんな」
ピシッ、と妖夢の背筋に電気が走る。タダでさえガッカリさせているのに更に妖忌に評価を下げられる。
いくら紛い物とはいえ、それは……嫌だった。退路は無いのである。残るのは……生か死か。
死は怖い。だが……尊敬する人を殺すのも同じくらい怖い。だが…殺さねばこちらが死ぬ。
(やるしか……ないのか?)
唇をかみ締める。余りに強くかんだため、血が吹き出て、雫となって流れ落ちた。
それほど今の彼女は切迫した状況にあった。
妖忌の言葉の通り、あの時幽々子に『覚悟』があると自分は告げた。幽々子はこうなることを見越して自分に聞いてきたのだ。
自分の認識、『覚悟』が甘かったと今では後悔せざるを得ない。
もし…ifがあるとすれば、こうならないで自分が『武人』になる方法があったのだろうか?
……あるはずがない。そんなに甘い道ではないのだ。妖夢は甘いのだ、根本的に…優しすぎる。
だから心のどこかで常に逃げ道を求める。だから知らなければならない。そんな物がない領域もあるということに。
妖夢は眼を瞑り考える。その時間は現実的には何秒もなかったが、彼女にとっては何分にも、何時間にも感じた。
――どうする……どうすればいい。
――いや…わかっている、ただ、わかりたくないだけ。道は一つしかない。
――どうすれば……私は本当にどうすればいい?
――教えてくれる人はいない。いや、これは自分が気付かねばならないこと。
――くそっ、頭では理解している。だが…心がその一歩に踏み込めない。
逃げられるとは思えないが、万が一の可能性として『武人』になることを捨て、万が一逃げ切れたとする。
そんな下らないことを妖夢は想像していた。果たして戻ってきた自分を幽々子はどのような眼で見るだろうか?
……少なくとも、昔のような眼では見てくれないだろう。想像するだけで胸が締め付けられる。…震えが起こるほどに。
「……どうしようも…………ないのですね?」
「ああ、どうしようもない。お前は既に来るところまで来たのだから…人生の岐路に」
逃げることは出来ない…妖夢は理解する。死ぬことよりも更につらい苦痛があることに。
「やはりお前は頑固者だ。私によく似ておるよ。そう…我々には死よりもつらいことがある。
全てから逃げればお前は正に生き地獄を送るだろうな……まあ、この世界から逃げられはしないから、そんな生活は送れないが。
逆に私を倒せばお前は望む全てを手に入れられるだろう。無論、失うものもあるだろうが。どちらを望むかはお前次第だ」
ああ……そうなのだ。得るものは片方、失うものは両方…。岐路とはいうが、その実道は決まっている。
だが……幽々子が待っているのだ。死んで…悲しませるわけには行かない。自分が傍にいれば、彼女を守れるのだ。
そう、彼女は思い出し始めていた。何故、自分が『武人』を目指そうと思ったのか。
妖忌がいたからではない。それとはもう一つ別の理由がある、そしてそれこそが真実の理由。
子供のころからの夢…そのための『武人』である。その…理由を………徐々に思い出した。
そう、それを今まで忘れていた。何故忘れていたのだろう…何故失念していたのだろう。
思い出すごとに震えは小さくなり、力がわいてくる。その力が、心に決意の一歩を踏ませる!
「お許しを……お師匠様」
妖夢は刀を持つ手に力を入れなおす。先ほどまで全身を伝っていた嫌な、冷たいものは徐々に薄れていく。
あるのは敵を倒し、幽々子の元へ戻るという目的のみ。それだけで重圧が大分取れた。今の彼女の眼には先ほどまでの怯えはない。
(私は『武人』になる。そして私は幽々子様の元へと戻る。もう…あの時のような悲しい顔はさせない!)
あの時のこと…美鈴と戦った後のことを思い出す。あの時の幽々子の表情は忘れられない。
はじめてみた、あそこまで悲しみで、泣きそうだった表情は。幽々子は自分が眠っている間、ずっと看病をしてくれていた。
そして、自分が眼を覚ましたとき、彼女は泣いた。それも、嬉し涙である。
心配してくれていたのだ、自分のことを。主人と庭師と言う関係でしかないというのに。
それから再び心に誓ったのだ。二度と悲しませないと。考えてみれば、この行動も幽々子を悲しませているのかもしれない。
いや…やめよう。余計な勘ぐりは危険だ。そう、下手に色々と考えるからいけないのだ。
ここで死ねば、幽々子はきっと悲しむだろう。逃げることは、彼女を悲しませないという誓いも破ることになる。それは嫌だ!
答えはもっとシンプルに。柔軟な思考を持って敵に打ち勝つ。
(私は魂魄妖夢だ。西行寺家に使える庭師。全てを乗り越え幽々子様の下へ戻り、彼女を守る。そして『武人』にもなってみせる!)
そう、細かく考えるのは止めにしよう。今はただ……目の前にいる『敵』を倒そう。
そして…超えよう、師である魂魄妖忌を……自分自身の力で!
静かに剣を構え、眼前にて圧倒的な気をぶつけてくる妖忌を睨みつけると、地面をける。
妖忌はどこか満足げな表情を一瞬のぞかせると迎撃に向かった。
◆ ◆
無残にも破壊された西行寺家の庭。妖夢によってきれいに整備され、飾り付けられた華麗な庭はもうない。
あるのはいくつものクレーターと、飛び散っている肉、血のみ。辺りは砂埃がたちこめている。
それ以上に十秒もここにはいたくないほどの重圧、重い空気がある。そんな空間に軽い声が響いた。
「要するに、無駄に頑固なのがいけないんですよね。それが妖夢さんの成長を全て妨げている。ゆえに『生命賛歌』にたどり着けない」
己の得物である戟を地面に刺し、それにもたれ掛かりながら呟くのは紅美鈴。
服は所々裂け、血が出ている箇所もある。
「う……ああ……」
その足元で呻き声を上げているのは八雲藍である。服は美鈴と同じように裂けている。
だが負傷している箇所は圧倒的に美鈴よりも多く、その多くが深手だった。
「それゆえに多重的な物事の考え方が出来ない。ゆえに、こんがらがり、最後には壊れてしまうんです。
何か一つでいい。彼女を動かしうる強固なものがあれば、彼女は混乱せず、行動できる。『生命賛歌』にもたどり着ける」
「そのために……幽々子様をあの時戦わせたのか?」
「いえいえ、アレは彼女が望んだからですよ。私はその要望にこたえただけに過ぎません。
まぁ…結果的にそれが良い方向に導いたのですけどね」
「妖夢が……翁を殺すために必要なのか、彼女は」
「ええ。難儀な性格ですが、あの子は後ろ盾が必要なんですよ。
つまり、最終的に幽々子さんのところに戻るという目的と、それに準じた到達点さえ与えれば自然と彼女は順応します」
「結局全ては…お前の…策の中だということか……」
血だらけの藍は未だに息が荒い。起き上がろうにも起き上がれない。
無理もない。何しろ彼女の腹には、彼女の得物である剣が深く刺されているのである。
無論、刺したのは美鈴だ。藍が立ち上がらないため、鍛錬は一時休憩となっている。
「全てが策…というわけではありませんよ。幽々子さんや、魂魄一族の関係全てを把握できるわけではないですから」
結局は彼女自身の力なのだと……美鈴は付け足す。
それに、ここまでが美鈴の策どおりならば、彼女の策は妖夢が妖忌に打ち勝ち、戻ってきたときに初めて完成される。
まだまだ策は発動中なのを忘れてはいけない。まあ、もう自分がすることはないのだが。
「今回の件による成長で、彼女は望む以上の強さを手に入れるでしょう。それは、単に力ではなく心の強さ。
そうなると…これから先、私やあなたの策には簡単には乗らなくなるでしょうね」
「当たり前だ……私はお前に比べれば劣るが、策士もしている。あの娘には簡単に負けない」
「どうでしょうね……『武人』の成長は恐ろしいほど高い。抜かれるのも時間の問題ですけどね」
クックック、と楽しそうに笑う美鈴。まるで、妖夢が自分を超えることを早く望むかのようなその笑み。
何故なのか…普通危機感を覚えるべきことのはずなのに……。
「ところで」
その笑みもすぐに収め、妖夢の話はこれでおしまい、と言うばかりに先ほどまで一度も見なかった藍に初めて向く。
「いつまで寝ているつもりですか? 両手両足の断裂した腱もあなたなら10分で回復するでしょう?」
うって変わってその声には暖かさが消え、冷たいものになっている。
先ほどまでを紅魔館門番で、藍や紫の友人である美鈴だとするなら、今の彼女は戦うことのみに支配されている美鈴。
まあ……本来の彼女に近いほうだろうか。藍の背筋に寒いものが走る。
「さっさと起き上がらないとその首跳ね飛ばしますよ」
そしてゆっくりと寄りかかっていた戟に手を伸ばす。藍は小さくため息をつくと右手で剣を掴みゆっくりと引き抜く。
刃の部分を持ったせいか、手が少し切れたが気にすることはない。痛む身体をゆっくりと起き上がらせる。
身体を貫いていた剣の傷もその数秒の間にとりあえず内臓の修復は済んだ。さすがは九尾の式というところか。
「全く……修復する身にもなってくれ。かなりの力を使うんだからな。第一首を跳ね飛ばしたらルール違反だろう?」
「理解しています。それでも、あからさまな時間稼ぎは嫌いなんですよ」
ルールは肉弾戦のみ、殺す半歩手前まで。美鈴もそこは了承している。これが殺し合いだったら藍は完全に敗北していただろう。
それをしなかったのは単にそういうルールだったから…だけの理由である。
「とはいえ、最初のころに比べ、ずいぶん修復が遅くなりましたね…あながち力の使いすぎというのは間違いではない…と」
「……そういうことだ、それに小腹も減ったよ」
余り本人たちは意識していないが実のところ既に約二日、飲まず食わず、不眠の決闘が行われていたのだ。
休憩は今朝の約1時間程度。その間2人は寝ることすらできなかった。体の修復に意識を向けていたからである。
藍も美鈴も二日程度の戦闘行為では体力は尽きない。が、双方共にかなりの力の使い手である。
故に体力の消費も半端なものではない。余談だが、かつて紫と美鈴が戦ったときなど一日が限界だったのである。
まあ、弾幕戦だったら立場は逆だ。美鈴は負ける。肉弾戦と弾幕戦の差が大きいと言うのも考えものだ。
いや……仕方ない。美鈴には身体的な弱点がある。下手なことをするとフランドールと同じ目になりかねない。
だから逐一身体には気を配って戦わなければならない。それが弾幕の際の足手まといになっている。
おそらく、これから先も彼女はこと弾幕に関しては足を引っ張り続ける。その肉体的な欠点として、永遠に。
美鈴はNO.1になりえない。総合的に見ればあくまでも中間から少し上程度。
そんな彼女にとって肉弾戦の利は彼女の存在価値を生み出すに足る絶対的なる要因となっているのだ。
美鈴は戟を背中に背負い、手を差し出す。藍は苦笑しながらもその手をとり引っ張られる形で立ち上がる。
「また腕をあげたじゃないですか。あの横払いの一撃を防がれるとは思いませんでしたよ」
「伊達に私も精進はしてないからな。それに、お前とも何度かやりあっている。長時間戦っていれば、動きだって覚えるさ」
「ですね」
「それに、私はまだまだ甘いよ。もし私と同じくらいの、いやそれ以上の力の持ち主が現れたらきっと…更に苦戦する」
「それは当たり前です。本来闘いは一度で決されるもの。互いが互いの力を読みながら戦うんです。
今の私とあなたのように何度も戦っているのははっきり言って異例ですよ」
「……そうだな」
藍は『武人』ではない。ただの九尾の式にして紫の従者に過ぎない。
故に彼女の目的はあくまでも紫を守るために強くなる、というだけの話。
単純ゆえ、妖夢よりも成長は早い。もとより強いためか更に手ごわくなる。
二人は玄関口に戻り履物を脱ぐ。この頃にはお互いの身体の傷も殆ど修復が完了していた。
紫たちがいる部屋に向う途中で藍は口を開く。
「美鈴よ……お前は腕が鈍ったな」
「いえいえ…藍さんが単に強くなっただけですよ」
「……そうか、そうだと思いたいな」
だがそれほどうれしくない。いくら肉体的に強くなろうが、心が強くなければ本当に美鈴に勝ったことにはならない。
心の、考え方に絶対的な差があるのだと藍は再度確信する。とはいえ、彼女が馬鹿なわけではない。
むしろ三途の川の幅を計算するほどの異常な思考の持ち主だ。頭のよさでは決して引けを取らない、むしろ勝っているだろう。
だが、間違いなく何処かで圧倒的な差をつけられているのだ。理屈ではなく……そう、何処か、概念的な部分において。
てゐの騙しが楽しむための悪戯レベルで、いずれ見破られる類とするならば美鈴のは生き抜くための嘘。
そのため、出会った当初から既に相手を騙し続け、決して相手にその嘘を暴かれてはならない類のもの。
ああ、そうか。同じ嘘でも根本的に違う嘘なのだ。
故に策に乗せられる、以前もそれのせいで痛い目にあったのだ。ああいうときの美鈴の雰囲気は紫の類に似ている。
藍としてはそこが苦手だった。紫はなれたが、やはりマヨヒガの外にそういった存在がいると厳しい。
何が厳しいって、対処法が浮かばないからである。難しいことを考えていると、不意に「ぐ~」と藍の腹の虫がなる。
「やれやれ……流石に腹が減る」
酷く疲れた表情をして言う藍に美鈴は苦笑する。
「私は先に台所に行きますから、居間の方に行っていて下さい。皆さんお待ちになっているでしょうから」
「わかった」
藍は頷くと美鈴と別れ居間の方へ向って歩き出した。
居間には既に紫、幽々子、パチュリー、小町といった面々が揃っていた。
大きな長机を囲んで座布団に座り茶を飲み、せんべいをかじっている。
(改めて見ると……かなり異色だな)
普段図書館から出ることが稀な魔法使い。サボり癖ゆえ、長時間一つの場所にとどまらない死神。
紫は…まぁ、いいだろう、よくここに来る。自分もそうだ。本来ならまず集まることのない奴等がいる。
その意味で、ここは正に別世界と呼ぶにふさわしい。
「あら藍。終わったの?」
「休憩です。小腹がすきましたので」
紫の隣に座り剣を傍に置く。途端に疲労が表面上に現れ、一瞬めまいがした。主人の目に一瞬心配の色が現れるが、すぐに消えた。
彼女もそれを言ってはならぬと理解しているのだ。だが、一瞬でも心配してくれた主人に藍は感謝と喜びを感じる。
小町が自分の分のお茶を淹れてくれた。どうやら既に用意をしていたらしい。礼を言い、一口お茶を飲む藍に紫が問う。
「美鈴は?」
「台所に行きました。多分、腹が膨れるものを持ってくると思いますよ」
「そう」
どうやらここも平穏無事というわけではないようだ、と落ち着いた藍は気付く。
その元は幽々子である。普段の陽気な表情は鳴りを潜めている。どちらかと言うと緊迫した雰囲気をまとっていた。
「妖夢は?」
その問いに彼女はゆっくりと首を横に振る。どうやらまだ眼を覚まさないらしい。
「まだ戦ってるのね。眠っていながらも汗をかいていたわ」
「まぁ…あちらのことは私たちにとっては悪夢程度にしか分からないから」
彼女たちにとって見れば、妖夢はただ悪夢にうなされているようにしか見えないのだ。
悪夢の中でどのような闘いが行われているかうかがい知ることは出来ない。
それが出来る唯一の人物は紫だが、彼女は決して語らない。そうするように美鈴に念を押されているからだ。
「でも、最後に見たときはいくらか表情が良くなってたわ。もしかしたら何か事態が動いたのかもね」
「幽々子…様子を見に行くことは禁てるわ」
「分かってるわ…ただ、言っただけ」
表情が幾分か良くなった幽々子に対して容赦ない言葉を浴びせる紫。それだけで彼女はまた消沈する。
それほどまでに妖夢を心配していることが伺える。
『覚悟』を決めて今の状況にしたとはいえ、やはり酷だったかもしれないと藍は思う。
だが紫も美鈴も彼女を慰めるようなことはしない。仕方がない。
美鈴が求めたものは何が起こっても構わないというものである。妖夢よりは決めているようだが、やはり何処か甘いのだ。
だが妖夢と違い、幽々子を責めないのは、彼女が決めたことについて後悔していないということだ。
後悔しなければ何も責める事はない、というのが2人の考えである。故に、何も言わない。
でも一言二言くらいは言ってあげたら良いのではないか、と藍は思った。
その考えをすぐさま頭から消し去る。自分は式なのだ。主人の決定には逆らえない。
それにその一言二言が逆に悪い方向へ持っていく可能性も大きいのだ。ここは静観する、という判断は正しい。
だが妖夢は藍にとって妹分だった。稽古もつけ、時には悩みを聞いたりもした。
妖忌がいなくなってから、ショックを受けていた妖夢を立ち直らせるのにも彼女は一役買ったりもしていた。
だから今まで以上に重要なこの場面で、主人や美鈴と違い何も出来ない自分に内心で腹を立てていた。
美鈴との鍛錬も実を言うとその思いを潰すための物に過ぎなかったのだ。
内心で悔しがりながらも、できるだけ平静を装いながら、藍は茶を飲む。
それを理解している紫は、生真面目な式に心の中で苦笑するしかなかった。
「難儀なもんだねぇ……従者を持つってのはさ」
ところ変わって呑気に煎餅をかじり、茶を飲むのは小野塚小町である。
彼女の隣に座るパチュリー・ノーレッジは西行寺家に保管されていた本から一度目を話すと呆れた表情を見せていた。
「そう思うなら、あなたも少しは閻魔様を気遣ってあげれば?」
「いいんだよ、あたいは下手に制約をつけられるのが嫌なんだ。四季様もそこは分かってくれてるよ」
「それで仕事を怠ってたら駄目でしょうに」
「必要最低限の霊は送ってる。生活が苦しくなったらその時頑張ればいい。
あの人は無理に働きすぎなんだ。閻魔十王たちが懸念するのも無理はないさ」
「でも、60年目の異変では、あなたが仕事を怠ったせいで霊があふれ、それは今でも続いているわ」
「『急いては事を仕損じる』って言うだろう? 急いでやるのは性に合わないんだよ」
「なんてはた迷惑な死神なのかしら……」
今更言うなよ、と小町は笑う。パチュリーはため息をつく、とはいえ別段怒る気にはならなかった。
実際パチュリーに実害は出ていない。彼女は本が読めればいいのである。だからそれ以上は言わなかった。
「博麗の巫女もそうだけどさ、人間ってのは急かすのが好きだね。あたいにはあたいのペースってのがあるのにさ」
「あなたの場合はただ単にサボタージュなだけでしょう。まぁ…あなたの意見には一部賛同するわ。
でもそれは仕方ないことよ。人間の寿命は短すぎる。だから結果を急ぎすぎるものよ」
人間は他の種族と比べ圧倒的に寿命が短い。だからどうしても物事の考え方に差が表れる。
そのため長寿のものにとって人間の思考は短絡的なものだとしか思えないときが多々ある。
「まぁね…とはいえ、この世界の殆どを支配しているのは人間様さ。妖怪でもなく他の人外でもなくね。
世界は人間を中心に回っていると言っても過言ではないね」
「ええ…だから幻想郷は上手く行っている。霊夢のおかげとかそれもあるけど、それ以上に人間が強いのよ」
「へえ…魔法使い様からそういうことを聞くとは思わなかったよ」
「私もね……最初は分からなかった、分かった気になってたわ。いわゆる有頂天と言う奴ね。
でも、それを気付かせてもらったのよ…痛いほどにね」
しんみりしながら言うパチュリー。興味を引かれた小町は姿勢をただし、聞いてみる。
「魔理沙かい?」
「ええ」
パチュリーに一番近い人間で、彼女に影響を与えたと言えばあの白黒魔法使い霧雨魔理沙くらいしかいないだろう。
小町の問いに頷くパチュリーだが、更に続ける。
「それに、自分がまだまだ若いんだってことも痛感させられたわ」
「なんだい。それは千年単位で生きてるあたいに対する嫌味かい?」
「そういう意味じゃないわ。…でも、そうなのかもしれないわね」
「?」
意味深なセリフを吐くパチュリーに怪訝な表情を見せる小町。
「あなたには分からないでしょうね。けど、私は痛感した。百年以上生きてるけど、結局はそれくらいしか生きていないんだって」
「へえ……聞こうじゃないか」
どうやら小町の好奇心を刺激したらしい。もともと会話が好きな小町にとってはこういう話は聞き逃せない。
パチュリーもそれを知ってか知らずか、少し間をおくと話し出す。本を閉じ、膝の上におくと話し出した。
「きっかけはうちの門番ね。私は今まで彼女を役立たずだと思っていたわ」
「うわ…ひどいことを言うね」
「事実よ。確かにある程度の侵入者は排除しているようだけど、霧の異変以降、防御率は下がってるわ」
「いや、まあ・・・そこは……相手はあの魔理沙だよ。あたいや四季様でさえ、弾幕戦では手こずるんだからね」
「関係ないわ。門番である以上、正式な客以外は排除せねばならない…これは鉄則よ。
確かに魔理沙は強いわ。私だって負けるもの。弾幕が根本的に下手な美鈴が負けるのは仕方ないわ。
私が許せないのは負けたとき、彼女が時々見せる満足感よ」
小町には言いたいことが大体分かった。パチュリーは美鈴の行動が理解出来ていなかったのである。
おそらくパチュリーは美鈴が悔しがるべきところを、時折嬉しがる様子があることに我慢がならないのである。
実際その後被害を受けるのは図書館の本を盗まれる自分なのだからその怒りは最もであった。
本来なら怒るか、自分の力の無さを不甲斐なく思い後悔するか、するはずなのだ。
「あの後、肉弾戦で彼女は魔理沙を圧倒したわ。多少評価も変わった。肉弾戦での彼女の強さは本物よ、弾幕が弱い理由も知った。
でもそれは理由にはならない。負けて地位が危なくなるのは彼女なのに、彼女はそれを苦としない。そこが「理解できない」…そうよ」
最後まで聞く必要が無くなった小町が代弁して言う。パチュリーは静かに頷いた。
「でもそれが変わったんだろう?」
「ええ。あなたも美鈴が私たちの敵になったあの事件…覚えてる?」
ああ、と小町は頷く。おそらく各要所にいる妖怪にとってその事件、『紅魔館門番異変』を知らないはずは無い。
紅魔館門番である紅美鈴が主であるスカーレット家に宣戦布告、フランドールを殺害しようとした事件。
従来ルールとして決められていた弾幕ごっこを破られた事件としても有名である。
首謀者紅美鈴は持ち前の体術で鈴仙、永琳、幽々子、慧音、妹紅、輝夜、咲夜、藍といった強者を一人で一度はなぎ倒した。
しかも正攻法ではなく、半ば奇襲といった形で…である。弾幕ルールを完全に無視した戦いを行った。
特に妹紅と輝夜を二人同時に相手し、2人の特性を利用し、一度倒したことは彼女の肉弾戦の技術の高さを証明することとなった。
事件は最終的に霊夢とフランドールを含む鎮圧隊によって制圧されることになる。
が、事件の背景に潜む美鈴の策の細かさや、協力者のこともあり、紅美鈴に対する評価と危機感が塗り替えられた事件であった。
パチュリーもその一人である。彼女は戦闘には加わっていないが、事件に関わってはいる。だから、事件の与えた影響も大きい。
「あの後私は彼女に会いに行ったわ。レミィが良くても、私としては正体不明の爆弾を背負って平気ではいられないもの。
対策を練る意味合いも込めて、彼女と話をすることにしたの」
小町は何も言わずに聞く。この話は報告書に後で記しておいたほうがいいだろう、と内心思いながら。
「話をするとね……策の多さに感服したわ。流石、策士と自称するだけのことはある」
そこで彼女は茶を飲んだ。目をつぶり、息をゆっくり吐いて開いたその目には僅かながらの怯えがあった。
「でも、そこに恐ろしさも見た。彼女は門番。門の外からやってくる侵入者を排除するのが仕事。でもその逆もあった」
湯飲みを持つ手が微かに震えているのを小町は逃さなかった。
「美鈴は紅魔館内部に対する対処法も既に考えていた。つまり……紅魔館を徹底的に潰す方法も考えていた」
「……なんだって?」
流石にこれには小町も驚いた。紅魔館を守る存在であるはずの美鈴が、逆に潰す方法も心得ているなど……。
「もちろん彼女は明確には言わないわ。でも、私には分かった。伊達に知識人はやってないから。
何のためにそんなことを考えるのかもすぐに分かったわ」
「いざと言うとき…自分のみに危険が及んだときに、己の身の安全を確保するために元である紅魔館を潰すため?」
「いいえ……その逆。紅魔館を守るためよ」
「は?」
矛盾しているその発言に小町は完全に目が点になった。パチュリーは思い出す。
あれは事件が収束し、美鈴がレミリアにより謹慎処分を受けていた時のこと。
彼女の部屋を訪れたパチュリーを、美鈴はいつもどおりの笑顔で迎えた。その笑顔に不安を覚える。
年長の妖怪ほど紳士的な者が多いと言う。それは美鈴にも当てはまる。
あんな事件があった後だと言うのに、全くそれを悔いないような態度。だから恐れた。怖いと、初めて思った。
「侵入者…つまり紅魔館を潰そうとたくらんでいる奴はそれこそ様々な策を練ってくるわ。
門番である彼女は真っ先にそれを受ける形になる。だから対処するためにその立場に立って策を練らなきゃいけないの」
「……なるほどね。あえて相手側に立つことで弱点を見つける……確かに守るためには必要なことかもね」
「でも、それだけじゃないわ。これは逆に牽制の意味にもなるのよ」
怪訝な表情を浮かべる小町。いつしかパチュリーの話には他の面子(紫以外)は聞きに入っていた。
「知っての通り、紅魔館は吸血鬼であるレミィと妹様、従者で人間である咲夜、魔法使いの私、悪魔の小悪魔。
そして中間の存在である門番の美鈴と妖精が多数。他の場所と違い種族は多岐にわたるわ。これがどういうことになるか、分かる?」
「わかった。内紛ね」
小町の代わりに幽々子が答える。
「そう。本来妖精も、妖怪も、吸血鬼も、人間も相容れるものじゃないわ。異常なのよね、紅魔館って」
確かにそうだ。皆納得したような表情を見せる。似たような場所では永遠亭がある。
だが、あそこは人間と入っても不死の存在だし絶大な力を持っているため、人間と分類していいか微妙だ。
仮に妖怪と称すれば、あそこには妖怪しかすんでいないことになる。
「だからいつ内紛がおこってもおかしくはない。私も今は静観してるけど今後の状況ではそれも変わるわ。
私たちもね、利用し、利用される立場にいるのよ。だから一緒にいられる」
そう、もとより紅魔館という存在、組織そのものが通常の常識から考えればおかしいのは明白だった。
そのことに気付いた一同は一瞬驚きの表情を見せるが、すぐに平静に戻る。よく考えれば分かることである。
それに気付かなかったのは、余りにもしっくり行き過ぎていたから。
「このことに気付かなかったのは色々と原因があるでしょうね。
レミィのカリスマもそうだし、咲夜の行った圧力もそう。紅魔館にしかれている組織体系もそうかもしれない。
いえ…それ以前にレミィの運命を操る能力でそうしているのかもしれない」
某司令のように、手に顎を乗せ、淡々と述べる。心なしか、部屋の空気が重い。
「最も説得力が高いのはレミィの能力ね。他のはいずれ崩れてしまう可能性を秘めている。
でも私はレミィの能力の限界を知っている。彼女は未来の出来事について、まだ大まかにしか知ることが出来ない。
彼女はあくまでも運命を読むのが能力であって、未来を先読みすることが能力ではないの。だから、明確な証拠にはなりえない。
そこで私は考える。他の可能性としてはどのようなことが予測できるか?
ありえる可能性として最も大きいのは、紅魔館全体を裏で操る存在がいるということ」
彼女の予想はこうである。紅魔館を操る大本の存在はすなわち、現家督であるランド・スカーレット。
彼が紅魔館の財源の一部をコントロールしているのではないかと言う予測は以前からしていた。
いわゆる闇の援助金があったあらである。レミリアからも裏づけは取れているらしい。
基本的な財政は全てこちらでやっているが、やはり不十分な部分がある。彼はそこを埋めているのだ。
だが外界にいる彼には幻想郷の中の様子は観察することが出来ない。
だから、幻想郷の中で紅魔館を操ることが出来る存在がいる。それが紅美鈴なのである。
彼女はレミリアが生まれる前からスカーレット家に仕えてきた。故に最も交友が深い。
娘たちは甘い、全てを任せるにはまだ不十分だと彼は判断、だからといって他の見知らぬ者に任せるわけには行かない。
故に美鈴を選ぶ、彼女と独自の連絡手段をとり、屋敷を管理する裏の部分をやり取りする。
表のことは最高意思決定権を持つメイド長、つまり今で言う咲夜に任せれば良い。
もし裏のことを不信がられても「最高機密」だのといっておけば、使用人である彼女は知ろうとはしない。
深追いは破滅を招くからである。
「美鈴は表向き天然交じりの役立たずとして認知されてる。そんな存在に重要な案件を任せようとは思わない。
せいぜい、中間報告をする程度の連絡手段を持つ程度の関係にするはず……少なくとも私たちはそう決め付ける」
そこが既に策なのである。咲夜の行動やレミリアの行動には必ず知らず知らずのうちにボロが出る。
そこを美鈴が秘密裏に処理をするのである。
「私たちは美鈴の表向きの性格に騙されてた。彼女の本質を見失っていた。だから、このことにも気付けなかった」
「ふぅん……で、その話とさっきの話、どう繋がるんだい」
「大切なのはその後のことよ。人間に寿命があるように、全てのモノは寿命を持つ。吸血鬼もそう。何時かは消滅する。
外の世界と幻想郷を比べ、最も消滅に近いのはレミィの父、親方様……外の世界の危険性は未知数だから。
もし彼が消滅すると、外にいる血筋の者はいなくなる。執事程度はいるでしょうけど、決定権はない。つまり、均衡が崩れる」
均衡が崩れ、外部からの支援が断たれるという形になれば、闇の援助金も無くなり、徐々に紅魔館の体制は崩れていく。
そうなると唯でさえ微妙であった均衡も崩れていく。最悪の場合、内紛・反乱が起こるくらいに。
「それを回避するためにはどうしても外にスカーレット家の者を置かざるを得なくなる。
幸いこちらには外との行きかいを自由にできるスキマ妖怪の紫と親交の深い美鈴がいるわ。
彼女の手によってレミィか妹様のどちらかが外に出ることになる。紫、そういう手はずになってるのよね?」
ここで初めて紫に話を振る。扇子で口を覆い、唯笑うだけ。それを肯定と読み、パチュリーは続ける。
「でも幻想郷の外に出るという行為はタブーよ。ゆえに、確実にこちらに何かしらの武力介入が入るわ。
こちらは唯でさえ一人重鎮が抜けて体制もがた落ちになっている状態。
そうなると私たちは中と外、その鎮圧と鎮圧の両方をしなくちゃならなくなる。そこで初めて美鈴の策が進められることになるの」
「なるほど……理解したわ」
すべて理解したのか幽々子は目を細めながら頷く。つまるところ、美鈴の行う外と中の策は、いわゆる鎮圧行為なのである。
中に対しては反乱を抑えるための、策。ガタガタの体制を立て直すか、破壊し新たな秩序を作り上げる。
外に対しては、侵攻を予見し、事前に練っていた策において打ちのめす。
幸い姉妹のどちらが抜けたとしても、残るのは強大な能力の持ち主だ。
「一つ問題がある。妹のほうは『狂気』に感染しているだろう? 今でさえある程度は乗り越えたというが……」
「そう、問題はそこ。でも……もし先の事件がそこまで想定していたとしたら?」
「まさか……」
「ありえないとは言い切れないわ。だって私たちは紅美鈴という存在をまだ把握しきってないのだから」
部屋の中を沈黙が支配する。そう、今の美鈴ならば……ありえる。正体不明、矛盾だらけの存在。
表に出している普段の彼女など、単なる道化。もはやそこに騙されてはいけない。
性格、存在の矛盾さなど不透明さに関すれば間違いなく紫クラス。そう、同じ匂いがする。
「身を挺して策を弄する。策士自身にリスクがない策など策として成り立たない。
例えあの事件が美鈴本人にとって予想外のことだったとしても、彼女はそれを無意識のうちに、本能で利用した。
そう考えれば……妹様の『狂気』による不安定要素も短期間のうちになくなる。起こるべく未来の問題も、簡単に解決できる」
一同、戦慄。誰がここまで考えようか。あの事件は間違いなく偶然発生した物。
だが美鈴はそれさえも最終的には逆手に取った……無意識のうちに。
それは何千年と矛盾を抱え、策士として生きてきた彼女にならば、それができる。
「ふふふ……」
その中で唯一人、不敵な笑みを浮かべるのは紫。彼女は今の話を聴いてもまったく動じていない。
いやむしろ、「なぜ今頃気づいたの?」といわんばかりにあきれたオーラを放っている。
自身の推理を馬鹿にされたような気がして、パチュリーは睨みつける。紫はそれを軽くいなし、ようやく話に入ってきた。
「いえいえ、ようやく気づいた……と思ってね」
「何ですって?」
「知識人と聞いて呆れるわ。いえ…まだ百歳程度しか生きていないんだから仕方ないといえば、仕方ないか。
それでもあなた、いったい何年彼女と同じ館で過ごしてきたのよ。外に出ないから、そうなるのね」
「馬鹿にしてるの?」
「ええ、もちろん。唯、私が馬鹿にしているのはあなただけじゃなく、紅魔館という存在そのものにだけど。
あの事件があったから気づけた? なら、あの事件がなければ気づけなかったわけね。
ふふふ……美鈴程度の存在に乗せられているようなら、所詮はその程度の存在……というだけのは・な・し」
これには流石にパチュリーのみならず、皆が不愉快になる。無論、そこを狙ってのことなのだろうが……。
「まるで美鈴が弱い者のように聞こえるわ」
「聞こえるんじゃなくて、実際にそうだから言ってるのよ? あら何、あなたたちその程度の見識で彼女の評価を変えたわけ?」
「……少なくとも、今までのような楽観的な姿勢は取れないわね」
「私からしてみれば、そこからすでに間違っているのよ」
パチュリーの言葉をばっさりと紫は切り捨てる。そう、彼女にとって見ればとんだお笑い種なのだ。
「いっておくけど、美鈴は弱いわ。あなたや、ほかの妖怪よりも、ずっと弱い。弾幕、肉弾戦とかじゃなく、存在そのものが…ね」
「どういう意味かしら?」
「美鈴の力は万能レベル、能力もそれほど凶悪なものでもないから、全体的に私たちのように突出しているわけではない」
「……そうね。だからなんだというの?」
「ならば、その突出した部分において殺せばいい。紅魔館には幸いその手の者がそろっている。
レミリアの能力で運命を操作し、妹の破壊する能力で殺す。
それが無理なら、美鈴の天敵であるメイド長の時を止める能力で美鈴の足を止めればいい。
何かしらの策を弄されようが、それを知識……つまりあなたの知識でつぶしてしまえばいい。
遅かったにせよ、ここまで気づけたんですもの、不可能ではない……そうでしょう?」
「う……」
そう、不可能ではない。不可能ではないのなら可能性がある。可能性は無限の力を引き出す。
美鈴とパチュリーの知識は後者が勝る。それは、知識量ではなく、その使い道。
美鈴は知識を策に注ぎ込むのに対し、パチュリーは豊富な使い方ができる。彼女が持つ魔法と同じように。
それができなかったのは、先の事件、美鈴を倒すのに大量の人材がいたが、それは奇襲に近い出来事だったから。
美鈴からでなく、こちらから仕掛けてしまえば、それこそ簡単に仕留められる。
彼女の持つ意外性さえ消してしまえば、残るは凡人。殺すのはたやすい。
「ふふふ……」
ついにパチュリーまでもが黙る。場には沈黙と、紫の不気味な笑い声のみが残る。
そう、美鈴は結局弱いのだ。パチュリーたちは単に美鈴の意外性に驚き、困惑しているだけに過ぎない。
時間が経てば直に気づく。美鈴ほど不安定な存在はいない、ということに。
肉体的弱点から生まれる弾幕戦の弱さもある、だがそれ以前に存在そのものが弱い。
他の物が得ている自分の存在意義を彼女はまだ明確にしていない。門番もただ言われているからやっているだけに過ぎない。
美鈴は別にレミリアに忠誠を誓っているわけではなく、過去彼女の父親に借りがあるから働いているに過ぎない。
故に紅魔館を潰す、などという従者としては到底考えられないような策を思いつくのだ。
美鈴には紅魔館と自分を結び付ける強固な絆が無い、と紫は考えている。それこそが究極の弱点なのである。
だがひとつだけ、紫はあえて言わなかったことがある。それは何故美鈴が強いのか。弱いのに、強い。その矛盾である。
先ほどの話だと一つ問題点が浮かび上がる。それは奇襲を受けた者たちには突出した能力があるくせに何故勝てないのかということ。
奇襲を受けたのはあくまでも永遠亭にいた者たち。紅魔館にいた者はその話を聞いてから迎撃に向かった。
すなわち、精神的なダメージはずっと低い。美鈴を敵と認知しているわけだから、通常通りに彼女を倒せる。
でも、それができず、何人かは彼女に敗れた。美鈴の意外性もあるが、もっと簡単なものがある。
彼女は、彼女たちを凌駕するほどのものを一つだけ持っていたということ。
努力、そう、努力である。
『武人』としての努力もそうだが、何より生きるために彼女は誰よりも努力をし続けた。
体を鍛え、文献や兵法書を読み漁り、各地を渡り歩き、そのすべてを吸収するために彼女は努力をし続けた。
理由はいくらでもある。生きるために身を強くすることが必要だったから、後は暇だったから…など。
何千年も怠ったことのない努力という裏打ちがあるからこそ、彼女はいかなる状況でも判断できる。
しかも、彼女が持つ意外性も合わさり、実力は何乗にもなる。
紅魔館、いや幻想郷中を探したところで、彼女の努力の結晶を超えられる存在は少ない。自らの力に溺れる者が多いからだ。
近い人材はいる。霧雨魔理沙だ。人間の身でありながら、魔法にかける努力は、時間を超越した量と質がある。
そこから生まれた結集体であるマスタースパークには美鈴も現に何度も敗れている。
策を弄そうが、まるで紙のように潰される。これは弾幕が弱いから、という理由は通用しない。
魔理沙が美鈴に匹敵するほどの努力をし、彼女とは違い純粋な心を持っているから。
矛盾し、自身を失っている美鈴がかなうはずがない。そういった意味で、魔理沙は真正面から美鈴に勝る存在だ。
他のものたちは、力にものを言わせているだけに過ぎない、だから紅美鈴に勝てても、精神面では勝てない。
幻想郷という世界において、今の弾幕ルールが定められている今、美鈴のランクはかなり低い。
それは、お得意の肉弾戦が使えず、苦手な弾幕しか使うことを許されていないから。
もちろん彼女の腕も一般の妖怪に比べれば上である。だが、彼女の周りの存在が皆強すぎる。
努力をし、強くなっても、肉体に抱えるそのハンデ故彼女は力を酷使できない。
酷使したが最後、彼女は己の身のうちに巣食う『狂気』に飲まれ、暴走してしまうから。
もしルール制限無しのバトルロワイヤルなら美鈴の立ち居地も大分変わる。弾幕戦では使えない、肉弾戦が可能になるからだ。
接近戦にさえ持ち込めば人間は咲夜、妖怪は紫、もしくは風見幽香、不老不死の3人とあの閻魔くらいしか太刀打ちできない。
まぁ、最後の3人と閻魔に関してはこの際だから除外する。かたや不老不死、かたや異常な能力を持つ存在だからだ。
前者の3人。それは弾幕だけでなく、肉弾戦でも美鈴に肉薄できるから。
咲夜に関しては美鈴の天敵である時をとめる程度の能力があるだけなので、奇襲をかければ直に倒せる。
そして残った紫と幽香。美鈴が持つ矛盾までも真っ向から打ち砕ける、という要素も求めれば、幽香は除外し、紫のみとなる。
境界を操る能力は無限の性能を秘めている。概念的なものを操るのも容易になるのである。
そう……これは美鈴自身も気づいていることだが、美鈴を真の意味で殺せるのは、八雲紫だけとなるのだ。
紫は美鈴の存在そのものを破壊できる。能力的に天敵である咲夜を除いても、最大レベルの脅威であることには変わりない。
それは紫とて同じである。自身と同じ匂いを持つ存在……放っておけるはずがない。
実際過去に2人は何度かぶつかり合っている。だがそんな2人は友人だ。何故そんな歪な関係ができたのか…それはまた後日。
「お待たせしましたー!」
数分後、美鈴が居間に入ってきた。手には蒸篭の乗ったお盆を持っている。
「今日の朝から仕込んでおいた、特製の饅頭(まんとう)ですよ~」
蒸篭のふたを開けると良い匂いのする真っ白な饅頭が入っていた。配るのは紫たちである。
「ん……おいしい」
一口かじった幽々子の表情が明るくなる。饅頭の中には細かく切った豚肉が入っていた。
「こちらもどうぞ」
もう片方の蒸篭からはなにやら酒の匂いがする。開けてみると、そこにも同じく饅頭が入っていた。
小町は試しにかじってみる。こっちは魚肉が餡となっていた。
「私の好物なんですよ。どんどん食べてくださいね」
笑顔で言う美鈴だが……空気は晴れない。今までの話を聞いていれば、その笑顔にも裏があると考えざるを得ない。
唯一彼女のことを理解している紫を除き、この場に残る者たちの放つ空気により、部屋の雰囲気は酷く不気味なものになっていた。
◆ ◆
既に当初の恐れは消えていた。先ほどと違い、明確な目的がある今、例え肉親とはいえ恐れるものは何も無い。
妖夢は美鈴が思っているほど総合的に劣ってもいなければ勝ってもいない。
『覚悟』が甘いのも、死を恐れているのも認めよう……だが一つ…美鈴や妖忌をも凌ぐ圧倒的なものを秘めていた。
「いやぁぁぁぁぁ!!」
「ぬぅっ!」
それは彼女が一途なこと。時としてそれは短所になりえるが、長所になると果てしない力を生む。
徐々にだが、流れが変わり始めている。恐れがなくなった分、鋭さが増した。
既に本堂は壊滅状態だった。床は穴だらけ、高さ16メートルほどにも達するほどに広く装飾された空間は見る影も無い。
だが広い。それで十分だ。本道を飛び交いながら2人は戦う。飛行しながらの戦闘は行わずあくまでも地に脚を着く戦闘を行う。
未だに妖忌は傷一つ負っていない。だがそれも時間の問題だ。
そして少しでも気を抜いた場合、与えられる負傷は致命傷になりかねないと直感する。
一度距離をとる。流れが変わり始めている今、間をおいたほうがいい…と判断したためである。
「まるで動きが変わったな……かといって、完全に死の恐怖を克服したというわけではなさそうだ」
妖夢の十八番である技を盗み、自分用に昇華するという術もしだした。
先ほどまでいたはずの、恐怖に支配されていた妖夢はすでにいない。
「私は……お師匠様や美鈴さんのおっしゃるとおり、半身が合わさっても一人前未満の未熟な庭師です。
でも…誰かを守ろうという意思に関しては誰にも負けないつもりです。
確かに……私は死を恐れていました。今もそうなんだと思います。それで剣が鈍るのも、理解できます。
皆さんの言うとおり、私はひどく不出来な存在なのだと……それも痛感しました」
そう言う彼女の表情には悔しさがにじんでいる。
「私は何故『武人』になりたいのか失念していました。私は…幽々子様をお守りするために『武人』になることを望みました。
でも……お師匠様がいなくなったことで、庭師の仕事を私が引き受ける形になり、私は慢心しました。
そして……目的を失い、ただ『武人』としてお師匠様に追いつくというのが、私の考えになっていました。
それはいつしか、『武人』にもなっていないのに、『武人』になっていたという間違えさえも、私に植え付けていた」
原因はほかの誰でもない、妖夢にある。物事を曲解して理解し、心に植えつけていたのは彼女自身。
責任はすべて彼女自身が受けるべきこと。妖忌は黙ってそれを聞き続ける。
「気づいた…とはいえ、まだ間違っているのかもしれない。自信はありません。
でも…幽々子様のことを思い出したとき……不思議と死への恐ろしさが薄れました。
これが大義なのかもしれません。幽々子様をお守りする大義…これが私に力を与えてくれているのでしょう。
だから幽々子様が死ぬとお師匠様がおっしゃった時、私は今までに無いほどの恐ろしさを感じました」
幽々子を失うということは妖夢に残った絆が全て消えてしまうこと。それがどんなに恐ろしいことか……想像したくもない。
だから彼女は決めたのだ。妖夢自身のために、幽々子のために……幽々子を守るんだと。
「おそらく私の中に残っている死への恐怖を乗り越えない限り……私はここで死ぬ」
矛盾は解決した……後は純粋に強くなるだけ。
「皆さんには…感謝しても仕切れません。ですから、もう……迷うのはやめました。
お師匠様の言うとおり、今はお師匠様を倒すことだけを考えます」
自分に死を与えようとする張本人である妖忌を倒すことが、直接死を克服することになるんだと彼女は直感する。
そしてその死を乗り越えたとき、ようやく『武人』になることができるのだと。
「それで……良いんですよね?」
「うむ……よく言った、妖夢」
真剣な顔で己の決意を告げた妖夢に満足げな顔でしきりにうんうんと頷く妖忌。
「それでいい。自らの内に巣食う矛盾に気づき、それを正したのだろう?」
「はい……とはいえ、皆さんのお力添えがあったからこそですが」
「同じこと。最終的にはおまえ自身の手で掴み取ったのだ。結果は同じこと。私にだってかつては死に対する恐怖はあった。
いや、今もあるのかもしれない。いくら『武人』だからといって完璧であるのは不可能だ」
そう、妖忌とて死を恐れることはある。今も恐れているのかもしれない。
それを実感させない、気付かせない、そういう状態に持っていくのが『覚悟』なのである。
妖夢は今一種の『覚悟』を決めた。幽々子の下に戻るためなら肉親でも倒すという『覚悟』を決めた。
それが死を克服させた。矛盾を解決させたが故に手に入れられた本来の彼女の思考。妖忌はそれに満足している。
「『覚悟』は全てを超越する。死の恐怖も例外ではない。ふふふ…生きるというのは全く持って面白い。
それに妖夢よ…これで本気が出せるというものだ」
「……!!」
途端今まで以上の重圧が身体にかかる。まるで、数十キロの錘を抱えているかのごとく、体が重く、動かない。
放っているのはもちろん妖忌。だが…妖夢が見たことの無い姿がそこにはあった。
「そういえばお前相手に本気を出すのは初めてだったな…妖夢」
無論体型が変わっているのではない。だが、妖夢には彼の姿が何倍にも大きく見えた。
まるで巨人を相手にしているかのような重圧。ブワッと汗が吹き出る。体中が危険信号を脳に伝える。
妖忌の言葉にも凄みがある。
「死ぬ準備は出来たな? こうなってはもう、手を抜くことは出来んぞ」
「はい、ただ…死にません。私は生きます」
だが妖夢も怖れてはいない。もし今までなら萎縮していたであろうが、それもない。
目的がある妖夢の心を崩そうとなれば、それこそ圧倒的な力で心を粉砕せねばならないだろう。
意気込みで妖夢が負けることはもう無い。後は根気と技術と応用力、そして『覚悟』の勝負。
それと心配するならば、この地形……一見妖夢が有利そうに見えるが実は違う。
妖夢が床にキチンと足をつけ立っているのに対し妖忌は崩れ落ちた柱の一つに立っている。足場は非常に悪い。
が、その分足に込める力は妖忌のほうが大きい。つまり、いつでも最大戦速で踏み込める。
無論妖夢もそれは理解しており、体勢を低くし、どっしりと構える形でそのときを待つ。
妖忌は楼観剣と白楼剣を鞘に仕舞いゆっくりと…しゃがみこむ。
重心を前へとずらす。足にしっかりと力を蓄えながら。右手は白楼剣の柄を持つ…そう、これは抜刀術の体勢。
指からずり落ちるというところで、彼は跳躍した。
「ッ!?」
妖夢の勘が逃げろとつげ、体が勝手に反応し、その場から横に全力で飛ぶ。その間わずか0.2秒。
その間に爆発音とともに先ほどまでいた床が木っ端微塵に爆散する。
いや、破壊は床伝いに続き、5メートル先の壁まで粉砕した。
別に特別な術を使ったわけではない。妖忌のもつ楼観剣による一撃である。
しかも、技とか、そういう類の物ではなく、抜刀術。
妖夢を殺すためにはなった一撃のそれははっきり言って半人半霊が持つにはふさわしくない威力。
だがそれを可能にしたのは妖忌が行ってきた努力の集大成といえよう。これもまた努力の結集体の一つなのである。
「剣術とはその流派から生まれる技単体にあらず。通常の一振り一振りにも必殺の気迫と攻撃力が要求される」
砂塵の中から現れた妖忌は楼観剣の切っ先を妖夢に向けて言う。
対する妖夢だが、そんな破格の攻撃を見せられたというのに動じていない。
(つまり、お師匠様は通常攻撃の一撃一撃が私たちで言うスペルカードと同等……か)
考えてみれば、スペルカードルールが制定されたとき、既に彼はいなかった。
自分の持つ多彩なスペルの代わりに彼は一閃が既に必殺。
(とはいえ今のような破格の威力を出すためにはある程度のタメが必要……か。なら…そのタメを与えなければいい)
リーチの差を考えると白楼剣で戦うのは厳しい。かといって楼観剣は長刀ゆえ、これまた扱いは難しい。
少し考えた後、ゆっくりと白楼剣を鞘に仕舞い、楼観剣を両手で握り締める。
(かといってあの圧力…おそらくタメ無しでも、今の威力の…およそ8割の力は出せるはず。下手に特攻するのは得策ではない……)
楽観的な考え方はしない。未熟な身でこんなことを考えるのは少なからずの成長だろうか。
妖夢にはあって、妖忌には無いものを駆使して攻撃するのが得策だ。幸い、彼女の足は健在。
上半身と違ってそれほど大きなダメージは無い。妖忌の今の一撃はどちらかというと、妖夢の持つ『人符『現世斬』』に近い。
当たり前だ。妖夢は彼の技を見て盗み、それを昇華させて今の技を作り出した。
つまり技術においての差はそこまで広いわけではない。彼女が彼女なりに作り出した技を使えば肉薄できるのである。
(まずは本気のお師匠様がどの程度なのか……見極めよう)
ここで見極めるべきは、高速ゼロ距離戦闘タメ無しの彼がどの程度の力を持つか。
目か、感覚で見極められればそれでいいし、それがだめでれば他の方法を考えればよい。
「獄炎剣『業風閃影陣』」
スペルカードを一枚取り出し、宣言。それと楼観剣を持って駆け出すのはほぼ同時。まばゆいばかりの弾幕が妖忌へと襲い掛かる。
どう対応するか……その動向を伺おうとしたが、妖忌は別段特別な動きを見せようとはしない。
スペル攻撃も2巡目になったところで、おもむろに妖忌は走り出す。
なんと彼は弾にかすりもせずに距離をつめてくる。まるで弾が彼を避けているかのように。
「これが弾幕という物か…なるほどなるほど。だが法則性がある。それさえ見つければ、簡単に避けられるという物だ」
妖忌は単なる努力家ではない。相当な洞察力も有している。だがまさか一巡目を見ただけで避けられるとは!
妖夢は舌打ちをすると、早々にそのスペルカードを放棄する。弾幕戦は効かない。抜刀の構えを取った妖忌が近くまで来ていたからだ。
床に握っていた楼観剣を突き立て、鞘に収められている白楼剣の柄に手をかける。妖忌との距離はおよそ5メートル。
彼は弾幕を避けていた関係で空を飛んでいる。先ほどの速力は生まれない。できるのは身体をひねることで生まれるタメのみ。
対する妖夢は地面に足をつけているため踏み込みなどの爆発的な速力を得ることが出来る。
「人符『現世斬』!」
体全体のヒネと速力をくわえたカード発動。これで負けるはずが無い。
2人の距離が更に縮まる。有効射程に入ったところで2人は同時に刀を抜いた。
白楼剣は魂魄家に伝わる由緒正しき短刀である。人の迷いを断つ剣として代々受け継がれてきた。
無論、妖忌もそうだし、妖夢もそうだ。それゆえ、幾重も鍛え上げられた刀である。
妖夢が使っているのも、幻想である妖忌が使っているのもまさしく本物の白楼剣である。
刀としての差はない。あるとすれば、その使い手の強さのみ。
結果的に負けたのは妖夢である。原因は男と女、そして経験の差である。
妖忌は力も強いし、場数も踏んでいる。故にその後彼はすかさず手持ちの鞘で妖夢の右わき腹を強打、吹き飛ばした。
もしこれが先ほどの全力状態だったら妖忌はここまで面倒なことはせず、力と技術で押してくるだろう。
そうしなかった…いや出来なかったのは、タメが不十分だったから。
吹き飛ばされた妖夢は何とか体勢を立て直し、着地する。瞬間、ズキリとわき腹に痛みが走る。
(くそっ……何本か持っていかれた)
今の鞘の攻撃であばらが数本ひび割れた。折れなかったのは不幸中の幸いか。
だが今の妖夢はその痛みよりもその後の攻撃をどうすればいいのか、という考えでいっぱいであった。
現世斬も破られた。場数が少ないというのは余りにも痛すぎる…。
「現世斬と名づけたのか…確かに現世に未練を残す霊を一撃で沈黙させる、というのであれば相違ないな。
だが、結局はその技も、元は私の技を模倣し、お前なりに昇華したに過ぎん技だ。それでは勝てんな」
確かに。自分自身で生み出したといえば、未来永劫斬や、迷津慈航斬程度。
いや、その技だって元となった技は妖忌が扱っていた。彼が言いたいのは、技単体では勝てないということ。
つまり連携技に持っていかねばならないということだ。それも、一つや二つで無く、それこそ全てを吐き出すほどの。
(そう考えると…痛いな、あばらが持っていかれたのは)
とはいえ、腕を持っていかれなかっただけよかったというべきだろうか。
わき腹の痛みも我慢できる範囲だ。第一、前なんぞ腕一本を持っていかれたことがあるのだから、これぐらい、問題ない。
が、動きにわずかな支障が出るのはいただけない。それは、純粋に痛いことである。
空を飛べるとはいえ、やはり地面に足をつけていないと十分な力を出し切れないのだろう。
妖忌はあえて妖夢を追撃しようとはせず、ゆっくり落下し、安定した場所に着地する。
そして妖夢の状態、場所、次に繰り出すべき技を確認する。
(不味い!)
しまった、と妖夢は思う。今彼と自分との間はかなりの距離が開いている。
だが、彼にはそれを一瞬でゼロに出来る瞬発力がある。最初に見せたあの抜刀術のように。
そして今の距離は、それをするに十分たるタメを作り出すのを可能にしている。地の利はもはや無いに等しい。
妖忌は白楼剣を鞘に収めると、今度は長刀、楼観剣に手をかけた。
闘気と、殺気が瞬間、爆発的に増大する。体中の細胞がいっせいに危険信号を発信する。何も考えずにその場から飛びのいた。
ドオオオン
妖忌の姿が消え、妖夢が今いた空間を破壊するまで一秒も無い。姿が全く見えなかった。そればかりではない。
なんと、彼は空間ごと破壊した。ありえない、抜刀術でそんな芸当など聞いたことは無い。
だが事実だ。たった一度の横なぎの攻撃で妖夢がいた空間は粉砕、消し飛んだ。床も壁も柱も全て巻き込んで。
まるで……そう、魔理沙のマスタースパークとか、そういう広範囲を巻き込む攻撃の方法。砂塵により彼の身体は見えなくなる。
何たる威力、これは最早常識外としか言いようが無い。何とか先ほど楼観剣を突き刺した場所まで何とかたどり着き、様子を見る。
が、妖忌の行動は更に早かった。一瞬で砂塵の中から現れるとこれまた一瞬で妖夢との間をつめる。
妖夢は何も考えず、直感で刀を動かす。それが裏目に出た。
「ふんっ!!」
なんと妖忌が放ったのは剣撃ではなく、体術。持っていたはずの楼観剣は見れば先ほど破壊した場所に突き刺さっていた。
無論、そんなことを妖夢は確認できるはずも無い。まずアッパー気味のボディーブローで鳩尾を攻められる。
剣術と体術ではこの場合、体術が勝る。防御することも出来ず、妖夢はその一撃により足が宙に浮く。
内臓が破裂したかのような痛みが走る。嗚咽する。が、妖忌はやめない。
次にその首を持って上空に投げ飛ばした。妖夢は鳩尾の痛みが続きまともに動けない。
そこにとどめの一撃とばかりに上空に吹き飛ばす蹴りを放つ。
なす術もない妖夢はそれをくしくも先ほど日々が入ったわき腹に決まり、上へと吹き飛ばされる。
それは止まることを知らず、数々の柱を突き破り、ついには屋根まで突き破り、外へと吐き出された。
外は…暗闇。夜空一面に星と、綺麗な満月が一つ、屋根を照らすようにそこにある。
屋根を突き破り、瓦に叩きつけられた妖夢はうめき声を上げながら身体を立たせようと努力する。
……だめだ、今の一撃で完全にあばらが折れた。吐き気と共に激痛が走る。
あのような一撃でも握っていた刀を放さなかったのは賞賛するべきであろう。
楼観剣に全体重を預け、何とか立ち上がる。幾分か…吐き気もおさまった気がする。
そこに穴の中から妖忌が現れる。追撃は使用とせず、穴をはさんで妖夢と相対する。
「ふむ、感覚も鋭くなった。だがそれはあくまでもある程度の恐怖を乗り越えたからに過ぎない。
それはまやかし、それは偶然、二度三度は続かない」
ブオン、と楼観剣で空を切り、妖忌は告げる。確かにその通りだ。
現に完全に彼の太刀筋を見極められているわけではない。そのため動きが大きくなってしまっている。
それに先ほどの体術は決してありえない攻撃ではない。剣撃でくるという先入観があった。だから反応できなかった。
そう…後は自分の問題なのだ。感覚に頼ってはいけない、自分の目で、自分から死に飛び込んでいかねば助からない。
乗り越えろ……恐怖を。今は避けれているが、何度も続かない。もって、あと4、5回で確実に致命傷を食らう。
死へのときは刻一刻と近づいてきている。再び妖夢の心の中に死に対する恐怖が浮き上がってくる。
(くそっ、だめだ、飲まれてはだめだ!)
恐怖に飲まれては二の舞だ。そうなると抜け出すことは不可能になる。せっかく間をつめたというのにまた開いてしまう。
(時間をかければかける程、恐怖は心の中を蔓延る。………余計な時間は無い。今ここで決断せねば)
つまるところ、余計な考えをしている余裕はもう無いということになる。ここで一つの形を作らねばならない。
「……気付いたか、妖夢」
「正直な話、私は残っている死に対する恐怖をどのようにして乗り越えればいいのか、まだ分かりません。
ですが、一撃にかける思いは決してひけを取りません。次の攻撃で…その首を頂きます」
(うむ、恐怖というのはそう簡単に乗り越えられるような簡単な物ではない。お前は戦いの中で恐れ、悩みぬいた。
後はきっかけがあれば、それにより乗り越えられるだろうよ)
妖夢の言葉を心の中で嬉しく思う妖忌。確かに彼女はこの戦いで成長した。
妖忌も実感していたのだ、彼女の成長を。だからこそ、本気を出した。
もしあのまま成長が無ければ彼は本気など出さなかった。出すまでもないと考えた。
妖夢は白楼剣を逆手に、楼観剣を順手に持ち直し、構える。ありったけの力を足に込めて、解放するために。
対する妖忌は構えない。無の構えというやつである。達人の域にまで達すれば構えなど無くとも技を放てるのである。
攻撃するまでの間の時間は一体何秒だっただろう、少なくともこの2人にとっては何分にも長く感じただろう。
場の空気は張り詰め、チリチリと肌にくる。緊張感は今までに無いくらいだ。
全神経を研ぎ澄ます。筋一本に至るまで無駄にしてはいけない。技は……単体ではなく、連続技で。
心意気は彼以上のものをもって、全力で、自らの存在を世界に認めさせるために。
「いくぞ」
「いきます」
同時に踏み出す。瓦の上に立っているためお互い足場は悪い。だが、十分たる速度を引き出した。
踏み込む足の影響で瓦がはじけ飛ぶ。だがそれに足を取られるほど二人はおろかではない。
妖忌が繰り出したのはやはり抜刀術。現世斬の元となった剣術、速さは神速の域に達する物。
一度見せた技は同等の力を持つ者には見極められやすい。
それを何度も妖夢相手に使うのは、おそらくその技が最も得意だから、というのと次の技に繋ぎやすいからか?
横一閃の技なので一撃目をしのげば何とかなる……と思ったら間違いだ。先ほどのように、次の鞘による一撃がまっている。
タイミングは、一撃目と二撃目の一秒も無い間。二撃目の後では、その後に連携技が来る!
妖忌が抜刀する。恐ろしく早いのでギリギリの線で見極める。懐にもぐりこむため体全体を低くする。
ブオン
暴風のごとき音とともに頭を妖忌の白楼剣がかする。髪の毛が何本か巻き込まれ、切られた。
次の鞘の攻撃が来るまであとコンマ数秒も無い。妖夢は静かに発言する。
「……断命剣『冥想斬』」
本来タメが必要であり、楼観剣を両手で握り締めて使う技であるため、出来、速さ共に不完全。
白楼剣による牽制攻撃から、楼観剣による振り下ろしを行う。
無論、隙も大きく妖忌は鞘を攻撃ではなく防御に回すことでその剣筋をいなし上手く避けた。
これでいい、あくまでも冥想斬はおとりに過ぎない。大事なのはここから!
妖忌が新たな攻撃を仕掛けてくる前に次のスペルを発動する。
「魂魄『幽明求聞持聡明の法』!」
半身が妖夢の姿形を取り、動き出す。2人の動きは寸分の狂いも無く、だがそれぞれ違う動きをして、同時に妖忌に襲い掛かる。
本来この技は妖夢の動きと半身の動きとでは僅かなりの誤差が出る。だが、このとき、2人は寸分の狂いもない攻撃をしていた。
妖忌は体全体を使い何とか対処しようとするが、それだけで精一杯のようだ。
「人符『現世斬』」
一度は破られたその技。だがそれはあくまでも妖夢一人ではなったから。だが2人では違う。
妖夢は上空から、半身は丁度妖夢の抜刀に直角になる形で横から攻撃を仕掛ける。
タメ、速力共に妖忌には劣るが、それでも目で追うのがやっとの一撃である。
妖忌は双方を防ぐことが出来ず、初めて妖夢の攻撃がここで彼に通る。体中の筋肉、骨、が悲鳴を上げる。
神経がそれを正確に頭に伝え、頭からは危険信号がしきりに点滅する。だが妖夢はそれを無視する。
この機を逃しては、その先には死しか存在しない。勝たねばならない。なんとしてもここで決めねば……!!
「人鬼『未来永劫斬』……!!」
締めとも言うべき最後のスペルカード。半身と共に高速の連続攻撃が繰り出される。
妖忌も最初は反応できていたようだが、やはり途中から防戦一方、そして徐々に身体に攻撃が通っていく。
妖夢も幽明求聞持聡明の法の効果が切れ、半身が元に戻る。だが既にそんなことは関係ない。
攻撃は確実に妖忌に通っている。決める! ここで終わらせる!!
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
魂の叫びと共に攻撃を続ける。息の続く限り、力が続く限り、彼女は止めようとはしない。
既に身体は限界に来ている。今までの傷もさることながら、元々これらのスペルはこんな短時間で多用すべきではない。
ましてや本来のスペルの能力を突破した攻撃である。負担は非常に大きい。
意識が混濁する。それが痛みによるものなのか、反動によるものなのか分からない。
だが妖夢は止めない。力の限り攻撃を続ける。止めてしまっては……死んでしまうから。
このとき彼女の心には既に死に対する恐怖は微塵にも無かった。自分の全てを出し切る攻撃だから、後悔はない。
そしてそれ以上に幽々子の下に戻る、そういう目的があったから。その目的は想いとなって、彼女に限界以上の力を引き出させる。
手がしびれる。意識が飛びそうだ。だが……だが…まだ終われない。
後一発、自分の思いを込めた最後の一発、これを決めなければ……終われない!!
最早防御も出来ず、なすがままに攻撃を受ける妖忌にその一撃は打ち込まれる。その直後、妖夢の目の前は真っ白になった。
◆ ◆
美鈴は考える。そもそも人は何故強くなることを望むのか。考え方は色々とある。
生きるため、己という存在を残すため、ただそうありたいがため、誰かを守るため。
では自分は何なんだろうか。昔は誰かを守るためにそうありたいと願った。
だが守るものを失ったとき、どうすればいいのか分からなくなった。
今彼女は紅魔館の門番の仕事をしている。必然的にレミリアを守ることになるのだが、あくまでもそれは役割でのこと。
彼女は武術の達人であり『武人』である以前に策士である。己を駒として扱う存在。
同時に、中と外、その全ての可能性を考慮して彼女は策を練る。故に時としてはレミリアにはむかう必要もある。
故に咲夜のようにレミリアに心酔しているわけではない。ただ、役目を果たしているだけに過ぎない。
そんな彼女にとって、咲夜や藍といった一つのことに心酔できる存在はある種の憧れだった。
矛盾が無く、一つのことに打ち込める……自分にもそんな時期があったのだろうか、と思わざるをえない。
「ぱく……むぐむぐ」
先ほどの食事で余った饅頭を口にする。懐かしい味わいが口に広がる。
こういう時彼女は故郷を思い出す。もちろん、饅頭が生まれたのは彼女が生まれた時代のはるかに後のことだが。
時々考えるのだ。自分は何のために存在し、何のために戦い、何のために生きるか、ということに。
「はあ…はあ…はあ……」
藍との戦いも再開された。相変わらず藍は劣勢。剣に体重を預け、何とか立っている、といったところ。
対する美鈴は何の問題も無く、食べ続ける。余裕…の表れだろうか。唯変わったことがある。
彼女の武器である戟は手元には無い。何度目かになる手合わせで無くした。傷も増えている。
藍も戦いの中で確かに強くなっていた。時々だが、目で追いきれない攻撃もしてくるほどに。
初めて戦ったあの日に比べれば圧倒的に強くなった、と美鈴は実感している。
そして今、戟はないが、美鈴本来の武器は己の身体であるため、戟には頼らず、徒手空拳で対抗している。
「もう止めますか? ダウン、これで結構してますけど」
「まだ……止めんさ、まだお前から一本とっていない」
流石に状況を重く見た紫が2人に打開策を提案したのだ。
殺し合う一歩手前ではなく、藍が一本取れればそれで終了、美鈴は藍を気絶させれば終了という様にルールが変えられた。
流石は主、従者のことは気にかけている、ということなのだろう。
「とはいうものの、もう無駄だと思いますが?」
「生憎私は諦めが悪くてね。まだやれるさ」
「自分の体のことも考える…それこそ一流の従者だと思いますがね」
「違うな。従者というのは、主を命を賭けて守るのが使命だ。私は式。紫様とのつながりは大きいんだ」
「そうですか」
残った饅頭を一気に口に詰め込み、飲み込む。食べてすぐ動くのはどうかと思うが、まあ…彼女には関係ないのだろう。
「お前だって従者だろう? なら分かると思うが」
「どうでしょう。お嬢様の従者は咲夜さんです。私は唯の門番です」
「守るという意味では同じだろう?」
「違いますよ。少なくとも、つながりは薄い。いくら信頼されようとも、私は中と外、両方に気を配らなければならない。
必要と思えば主だってすぐに裏切りますよ?」
「…………」
「ねえ藍さん。人は何故強くなることを望むんでしょうね」
「私にそれを聞くか? 『武人』であったお前なら良く知っているんじゃないか?」
「最近よく分からなくなっているんですよね」
「ふむ……私は生まれたときから紫様に仕えていたからな。あの方を守るために強くなりたいとしか…」
「確かに、誰かを守りたいという気持ちによって得られる強さは大きいですね。
でもその分、壊れやすい。特に、彼女を見ていると分かると思いますが」
「妖夢か?」
こくり、と静かに頷く美鈴。確かにあそこまで純粋な存在はそうはいない。
それゆえに頑固で、回りに迷惑をかける。幽々子など、本気で心配するほどに。
「あれは純粋すぎる。故に今回のような矛盾にぶち当たるんだ」
「そうですね。ですが乗り越えればその分強くなる。恐るべき強さを手に入れます。
そしてああいう手合いが直に強くなりがちです。私たちが通ってきた道を何倍も早く…」
「うむ。私たちもうかうかしていられないというわけだ」
実際妖夢は初めて会った時から明らかに強くなっている。肉体的にも、精神的にも。
「だがその矛盾も、それを直すのも彼女しだい。それを解決するのは彼女の主がいるから…か」
純粋ゆえに少しの矛盾で成長の流れが妨げられる。そこが難題。今回の1件で成長してくれると嬉しいな、と美鈴は素直に思う。
それは藍も同じようだ。まあ…美鈴よりも付き合いは長い彼女のことだ、考えることはあるのだろう。
どうせだ……ここで試しに聞いてみよう、と思い美鈴は問う。
「ねえ藍さん。あなたにとって紫さんは何ですか?」
突然の質問にポカンとする藍。だが直に答えてくれた。
「全てだよ。まあ…見てくれ、いや、実際かなり迷惑をかけてくれる存在だが。だが私という存在を認めてくれたお方だ。
何があっても、彼女の元を離れる気はないよ」
「万物には必ず終わりが来ます。紫さんも死ぬ。そのときあなたはどうします?」
「紫様は一種一族の存在。死んだ時点で次の八雲が生まれる。既に約束してるんだよ。
紫様が死に、次の代が生まれたら自動的に私も、橙もその人に仕えることになる」
「その時にあなたは次代に、紫さんと同じように接することが出来ますか?」
「自信は無いな。悲しみは背負うかもしれない。だが、それも込みで強くなるさ。そして次代を守ってみせる」
そうですか…と美鈴は話を打ち切った。怪訝な顔をする藍を尻目に美鈴は一人考える。やはり……自分とは違う、と。
そして同じ従者でも咲夜とは違うな、とも思った。まあ、人間と式では存在そのものが違うのだが。
咲夜とは能力で相容れない、天敵だ。妖夢は…その純粋さが苦手だ。藍は、紫にある種心酔している。
紫を使わない限り、今後策にははまらないな……と考えたところで軽く自己嫌悪に陥る。
結局自分は他人を利用することしか考えないらしい。いや、所詮妖怪と妖怪は相容れないのだが……。
矛盾だらけな自分にも彼女たちのようになれるか、と思ったが…バカバカしい、止めだ。
相手を信用しようとしない自分が何故彼女たちと同じになれようか。……憧れは憧れのままにしておけばいい。
これ以上考えても堂々巡りだと早々に思考を打ち切り、構える。
「まあ、あなたが紫さんを信頼しているのは分かりました。でも、あの人のことです。また利用するかもしれませんよ?」
「それも込みさ。伊達にあの人の従者をやってるわけじゃない。もうなれた」
「そう……ですか。なら、次で終わりにしましょう。あなたがあまり傷つくのを、彼女は求めないでしょうから」
「……ああ。今度こそ、勝たせてもらう」
息を整え、藍は剣を抜く。良い提案だった、実際後一度程度しか攻撃はできない。
なら、策士である美鈴が驚く程の奇策で倒そう…と藍は心に決める。両者、どちらからとも無く踏み込んだ。
美鈴の正拳突き。岩、金属も軽く破壊する威力のそれは正確に藍の胸へと向かう。対する藍は避けようとしない。
あろうことか剣でその拳に対し突きを放つ。高速の拳と剣。結果は相殺。
無論2人とも無事ではすまなく、美鈴は拳が真っ二つに砕けたし、藍も剣が持たず、向こうのほうへと吹き飛んだ。
瞬時に判断し美鈴は蹴りを、藍はそのままつっこむ。おろかな行動に見えた。が、違う。
やるのは奇策。正攻法は通用しない。やるなら二撃必殺。一撃目はおとりに使う。驚いていたのは美鈴であった。
放とうとした蹴りが放てない。足が……動かない。
「忘れたか? 私は九尾の狐だ。妖術も…使えるのさ」
美鈴の足には狐火…九尾の火がともっていた。火だというのに熱さを全く感じさせない緑の火である。
その火は地面と結びつき、美鈴の両足を縛り付けていたのである。流石は九尾。そういったものは一級品である。
だが今まで使われたことは無い。ましてやこんな場面で使うなど誰が考えようか。
だって彼女はずっと前から、美鈴との決闘の時に妖術など一度も使わなかった。
プライドがあったからだ。妖術無しで勝たねば勝っても意味がないと思っていたからだ。
だが今の藍にはとにかく美鈴に一本を入れようという、死に物狂いの思いがある。それが陳腐なプライドを捨て去る。
「貰った……!!」
動きを止められたため、満足な回転が得られない。対する藍は既に攻撃のモーションに入っている。
間違いなく入る! と思った藍は驚愕の表情を浮かべている美鈴の顔面に握り締めた拳を叩きつけようと体を動かした。
無論足が取られても対処法はある。美鈴も迎撃しようとするが、藍のほうが早かった。
◆ ◆
気付けば何も無い空間に妖夢は横たわっていた。体中が痛くて動けない。だが、生きているという感覚はある。
ここは何処だろうか? 真っ白な空間だ、本当に何も無い、地面も何も無い。
「気付いたか…妖夢」
首だけを動かし、声がした方向…妖忌を見る。彼は彼でひどい有様だった。
彼女以上に体中が傷だらけ、血だらけになっている。よく立っていられる、いやむしろよく生きているものだと思うくらいに。
妖夢は何とか身体を持ち上げる。が、立つことは出来なかった。どうやら足の骨、腱が逝ったようだ。
「ふん…まさかあのような大技を連発とはな…参った、私の負けだ」
そう言って笑みを浮かべる。どうやら……勝った…ようだ。だが実感がわかない。
「勝った?」
「うむ、お前の勝ちだ。……お前の『覚悟』の勝ちだ」
少しずつ……本当に少しずつだが実感がわいてくる。勝ったのだ……と。
「全く…やれやれだ。まさか追い抜かれるとはな」
「…………」
「喜べ妖夢。お前は私を倒した。この世界で死の恐怖の象徴とも言えるこの私を倒した。
それは同時にお前が死を克服した事を意味し、世界はお前を『武人』として認めたことになる」
「なった……? 私が…『武人』に」
「うむ、誇るがいい。お前はなりたいものになれたのだ。お前は確かに『生命賛歌』に認められた。
後は…お前が目指す場所にたどり着くだけ」
「幽々子様……」
幽々子のことが頭によぎる。そう、後は彼女を守りきれるくらい強くなるだけ。
不意に、妖忌の体が霞んで見えた。彼は苦笑いをすると顎鬚を撫でる。
「さて……そろそろ時間だ」
「…お師匠様はどうなるんですか?」
「なに、ただ元に戻るだけだ。私は図書館から引き出された本と同じような物だからな。現実の私には何の影響も出ない。
記憶も、何も引き継がれない。このことを知るのはお前だけだ」
「…お師匠様」
「だが、現実世界の私も今のお前を見たら喜ぶだろう、なんといっても私だからな。だから妖夢よ……。
決して落胆させる素振りは見せるな。もし悩むことがあれば、とことん悩め。その先に必ず答えがある」
「……はい」
心にその言葉を刻み付ける。最初の頃の絶望感はまるで無かった。あるのは、未来への希望。
「ではな…妖夢。現世で会おう。更に強くなっていることを望むぞ?」
「きっと…お師匠様をあっと言わせて見せます」
「うむ…」
身体を引きずりながら妖夢のところまで歩いた妖忌はその血だらけの手で妖夢の頭を撫でる。
銀色の髪に血が付着するが、妖夢は何ら嫌悪感見せることなく、むしろ嬉しそうにそれを受ける。
ああ……変わりない。この撫で方はあの頃、妖夢が修行していたとき撫でてくれた祖父の手そのもの。
和やかな気持ちになる。不思議な手である。次第にその感触も消えていき……妖忌の姿は消え去った。
そして残るのは妖夢のみ。これから何が起こるのか……全くわからない。でも別に心には恐れはない。未来に対する希望だけがある。
身体は動かないが、これから先何があっても受け入れようという思いがある。
そのときだった。
不意に世界がはじけた。何も無い無重力空間。あるのは無限に続く闇。次第に物があふれてくる。星、太陽、月、火星、などなど。
妖夢は気付く。これは……宇宙だ。本や永琳たちからの知識でしか身に着けていない宇宙である。
この際何故呼吸が出来ているのか、は愚問としよう。そして彼女の目の前に青い星が現れる。……地球だ。
(綺麗…)
これも資料でしか見たことが無い。当たり前だ、地球を知るのは外の世界にいるものくらいなのだから。
はじめて見る地球、それはとても壮大で、青く、言葉では言い尽くせないほど……美しかった。
改めて再認識する。自分という存在は余りにもちっぽけなんだと。冥界も現世も関係ない。
彼女たちは明確にここに住んでいるのだと……認識する。世界は広いんだな、と思う。
そう思っているうちにまた目の前が真っ白になった。
次に目に入ったのは見慣れた天井。ここは……妖夢の自室だ。そして自分は布団の中で寝ていたようだ。
ここは現実世界だ…妖夢は瞬時に理解する。だって……傍には、彼女がいるから。妖夢が会いたいと願った彼女がいるから。
こっくり…こっくり……
彼女……幽々子は妖夢の傍で正座をしたまま眠っていた。無意識の内に妖夢は手を動かし、彼女の身体に手を触れる。
幽霊故体温はない。だが、存在はある。幽々子は確かにそこにいる。それがたまらなく嬉しくかった。
触られた感触で目が覚めたのだろう、ゆっくりと目を開き、妖夢の姿を確かめた幽々子の眼は驚きで見開かれた。
「よう……む…」
眼が潤んでいる。今にも泣き出しそうな顔をしている。そしてそれを必死にこらえようとしているのが見て分かる。
彼女も『覚悟』をして妖夢を『生命賛歌』の世界に送り出した。その行動が妖夢を死なせることになるということも知って。
無論妖夢は彼女の『覚悟』を知らない。突然襲われたことしか記憶に無い。だが、直感で理解した。
本来なら怒るべきことなのかもしれない。でも、そんな気持ちは微塵も無かった。むしろまた会えて嬉しかった。
何とか起き上がると何時もどおりの笑顔で挨拶をする。
「おはようございます……幽々子様」
「…! ……おはよう…妖夢……ヒック…ウェ…」
我慢していた物がはじけたのだろう。ガシッと妖夢に抱きつくと嗚咽をこらえながら涙を流す幽々子。
自分は捨てられたわけではない、ああ…自分には未来があるのだ。これから先も、ずっと彼女を守っていこう。
妖夢は再度心に誓い、抱き返したのであった。
◆ ◆
妖夢が眼を覚ました。居間で待機していた紫等3人に朗報が伝えられる。どうやら無事『生命賛歌』にたどり着いたようだ。
彼女の様子を見に行くとパチュリーと小町は居間から出て行った。紫は一人決闘を行っている2人のもとへと行く。
制限時間は妖夢が目覚めるまでという取り決めとなっていたからだ。どういう結果になろうがとめなければならない。
「あら…」
なかなか面白い光景が目の前に広がっていた。いや、面白いというよりも奇妙というべきものだった。
正拳突きを放った体勢のまま微動だにしない藍と、しりもちをついている美鈴。
美鈴は肩で息をしている。体中から汗が滝のように流れているのが遠目でも分かる。
「大丈夫?」
「え? ……あ、紫さん」
珍しい。ここまで近寄ってまるで気付かないとは。気配を察知するのが得意な彼女にしては、とんだ失態である。
「…?」
何かがおかしい、それは紫にも理解できた。無論、発生源は藍である。
自分の正面に立っているわけで、その目に自分が映っているはずなのだが未だに動かない。
身体を動かすどころか、瞬き一つしない。
「………気絶…してる?」
目の前で手を振り反応を確かめるが反応なし。立ったまま…気絶している。
「勝負はどうなったの?」
「私の…負けですよ」
ほお…、と紫は驚きの声を出す。いやはや、まさか肉弾戦で自分の式が勝つとは思わなかった。
ひどいな言い方だが、負けると思っていた。これで藍は美鈴との肉弾戦で初めて白星を飾ったことになる。
「気が抜けたんでしょうね。でも身体は臨戦態勢のままだったから、倒れることもかなわず、立ったまま気絶しているのでしょう」
「そう……驚いたわ、あなたが負けるなんて」
「私は最強じゃありませんから。……まあ、今回は完敗です。まさか最後に奇策を打ってくるとは思いませんでした」
紫が手をさし伸ばし、それに引っ張られる形で何とか立ち上がる。
「お疲れのようね」
「まあ……結構長いこと続けてましたから。それよりも藍さん…強くなりましたよ」
「そうね……強くなったわ、従者として立派なくらいに」
美鈴が藍を担ぐ。幸い少し触っただけで藍の身体は崩れ落ちた。ギリギリ保っていたのが良く分かる。
「これで……後方の憂いは断てたかしら?」
「そうですね。今回の経験を糧に藍さんは更に強くなりますよ。もう、私やあなたがいなくても」
「…………保険は出来た、というわけね」
「ええ。これで何時あなたが死んでも、次代の八雲は安泰でしょう。何せ、あなたの技術を受け継いでいるのですから」
「……そうね」
元々藍を美鈴と戦わせていたのはいざというときのための保険のためであった。
つまり、紫が死んだとき、次の八雲をキチンと守れる力を身に付けさせるための鍛錬だったのである。
藍が生まれて既に千年が経とうとしている。紫はその間に自身の知識の半分は既に藍に教え込んでいた。
紫の思考は異常なため、藍が理解するのに時間がかかっているためである。
無論、そんな時のために既に彼女は自分の知識を書に記している。自分が死んでもそれを読んで藍が成長するためにである。
肉弾戦は自分がやるよりも美鈴にやらせたほうが得策だと判断した。そっち方面は美鈴のほうが教えが上手いからである。
「母から子に伝える…というのはこんな気持ちなのかしら」
「さあ…どうでしょう。私はあなたと違って子供を持ってませんから」
「あら、私だって子供は持ってないわ。第一子供がいたら、私は既に死んでるもの」
「傍目から見れば、あなた方3人は立派に家族ですよ。お母さんである紫さんに、娘が2人の…ね」
「そう…ありがとう」
「いえいえ」
美鈴は純粋に主に仕える従者に憧れるように、このような種族を超えた家族を持つ八雲一家にも憧れていた。
うらやましい、と思う。紫は正に何でも持っている、と錯覚するほどに彼女は美鈴が望む物を持っていた。
「さて……じゃあ、行きましょうか。まず藍を寝かせてから、妖夢の様子を見に。大方幽々子が大泣きしているでしょうし」
「そうですね。そうしましょう」
藍を抱え挙げた紫の後に美鈴は続く。大事そうに彼女を抱きかかえる紫の姿は本当に子供を抱く母親のように、暖かく感じた。
~後日談~
妖夢はその後数日は布団暮らしとなった。精神の傷は肉体にも及ぶため、療養がいると判断されたためである。
『生命賛歌』を知りにここにやってきたパチュリーと共に自室に篭り話を続けている。
その時のパチュリーの顔は生気を得たように明るい。自分が望む知識が得られて嬉しいのだろう。
幽々子は付き添いで彼女の看病をしている。本当に従者想いの主だ。
小町はあれからずっと自分にあてがわれた個室に篭り、何かを書いているらしい。
大方、閻魔から命令されていたレポートなのだろう。詳しい内容を知るのはまた後日だ。
藍も直に復活した。傷も大分癒え、八雲家に戻って橙の世話をする傍らチョクチョクここに顔を見せに来ている。
美鈴は妖夢の代わりに庭師兼門番の仕事を行い、紫は相変わらずのグータラ振りを発揮している。
妖夢が復活してからは、度々鍛錬をともにしている。吹っ切れた妖夢は瞬く間に強くなっていったそうだ。
世界は概ね平和だ…。そう思えるような日がずっと続いた。
変わったこともある。まず妖夢の纏う雰囲気が変わった。どこか大人びたというかなんと言うか。
前までの危なげな雰囲気はもう無い。精神の成長を経た結果、たどり着けた境地なのだろう。
そして紫、美鈴、幽々子の三人は度々酒を飲む仲となった。お互いどこか共通点があるのだろう。
そんな関係、どこかおかしな西行寺家の日常は美鈴たちが去るその日まで続く。
西行寺家に仕える期間が終わった。美鈴は紅魔館に戻ることにした。他の場所への謝罪参りは直に済むからである。
とりあえず、じっくりと……というのが方針のようだ。パチュリーは暫く残るらしい。まだ聞き足りないことがあるのだという。
小町も三途の川に帰ることになった。何でも映姫から招集がかかったのだという。
こうして一風変わった日常も終わりを告げ、また普段の日常が訪れる事となる。
◆ ◆
はい、これで話は仕舞いだよ、旦那。なに? よく分からない?
ま、死んじまった人間には分からないことかもね。正直な話、『生命賛歌』にはあたいにも分からないことは多いのさ。
とにかくさ、妖夢は精神の成長を迎えることが出来た、それだけ考えればいいと思うね。
何? あたいが話に全然出てこない? まあ、いいんじゃないかい? あたいは傍観者にまわってるのが好きだからねぇ。
まぁとりあえずさ、あたいの周りの奴等ってのは本当に代わった奴等が多いわけよ。
その中でも紅美鈴は特にそうだろうねぇ。数え切れないほどの矛盾を背負って存在し続けているのはすごいよ。
あながち正体不明の妖怪、というのも間違いじゃないね。ん? ああ、そうさ。私から見ても彼女は弱いね。
だってそうだろう? 拠り所がないんだよ? 精神の休息場所がない、それはつらい事さ。
そして信ずる物もない。今回の主人公の妖夢は最終的にその主に結びついたけどね、あいにく美鈴には無い。
難儀な性格だよねぇ、誰も信じられない、信じようと思っても心のそこで拒否しちまうってのはさ。
そういった矛盾を抱えているから、あの八雲紫とも付き合えるんだろうね。
あのスキマ妖怪は矛盾とか、そういったものが大好きだからね。だから周りに嫌われるんだろうけどさ。
わからないかい? まあ、いいんじゃないかい? 結局そこからは種族の問題だからね。
旦那は人間、あたいたちは人外。もし、旦那が来世で妖怪にでもなれば、運よく分かるかもしれないね。
ん? ……ああ、悪い悪い。気にしないでおくれよ。別に悪気があって言ったわけじゃないさ。
さて…と。あたいはそろそろ仕事に戻らなくちゃあね。
旦那ももうすぐ閻魔さまに会うんだろ? まあ、旦那なら、地獄に落ちることは無いと思うけどね。
あたいはこう見えても人を見る目には自信があるんだよ。
ああ、そうだね。次旦那が死んだときも会えることを期待してるよ。
じゃあね旦那。また、来世で会おう。
終わり
お疲れさまでした。
ごちそうさま♪
次も楽しみしています
やはりかっこいい美鈴は+。(・∀・)゚+。イイネ!!
ってなわけで作者様うpお疲れ様でした。
あいかわらず作者様のめーりん話はいいですね。
ツボです。さいこうです。
でもちょっとだけよーむの話が重くて読み難かったかな。
まぁ私の趣味の問題ですか。
『悲しみは背負うかもしれない。』
で軽く噴いた私は北斗の拳が大好きです
そしてミステリアスな美鈴かっこいいですよー。生活の方も無理をなさらず、自分のペースで書いていってください。
内容は良かったです。次回作も期待してますね。
お疲れ様です。次回も首を細長くして待っております。
それでは、次の物語にも期待させて頂きます~
そして妖夢がまた1つ心の成長を
手ごわくなるね。弾幕ごっこ
今回も楽しく読ませてもらいました。
次回は美鈴と紫ですか。楽しみです。
色々あると思いますが頑張ってください。
美鈴さんの心の矛盾がいつかなくなることを祈ります
どれをとっても私的超良質の作品ばかり。あなたは神ですか。
もっとたくさん言いたいことはあるのですが、気持ちを文章にするのは苦手なのでここまでにしておきます。
次回を楽しみにしてます。