[プロローグ]
――東風谷早苗は人間である。
お腹が空けば食事もするし、眠くなれば人並みに睡眠を必要とする。
オシャレにだって興味はあるし、甘酸っぱい青春なんてものに憧れもする。
いわゆる、夢見る乙女である。
「……はぁ…」
憂鬱なため息と共に机に突っ伏す少女。
重ねて言うが、彼女は夢見る――
「……なんで信仰が集まらないのかなぁ」
――夢見る?乙女である。
「おやおや、今日は一段と落ち込んでいるじゃない。どうしたの、早苗」
「そっとしておいてあげなさいよ、神奈子。ここ最近お通じがないから不機嫌なのよねー、早苗」
「……違います。毎日ちゃんと出てます。――というか、なんで私が悩んでいるのにお二人はそんな能天気なんですか」
『降って』きた声に不満の声を漏らす巫女。
見上げれば、そこには昼間から互いに酌し合う神が二人。
「また昼間から御神酒飲んで。どうしたら信仰が集まるか、少しは考えてらっしゃるんですか?」
不満の声を漏らす巫女。
そもそも自分が信仰を集めるのは、彼女ら神のためなのだ。
神様というものは、信仰によってその存在が大きく左右される。
知名度然り、神徳然り、神力然り。
それは即ち、八百万とも言われる数多の神々の優劣を決定づける要素に他ならない。
真昼間から杯を傾けるこの二人も、そんな神々の一員だ。
故に信仰を求め、この地を足がかりに幾度となく奇跡を起こしてきた。
――しかし、信仰は高まるどころか減る一方。
先日も、農作物に多大な被害を齎すであろうはずだった災害を退けるなんて神秘を行使したばかりである。
だというのに、
「……どうして誰も信仰してくれないのかな…」
――東風谷早苗は人間である。
一子相伝の秘術なんてものを継承する一族の末裔だが、それでも彼女は人間である。
やる事成す事、全て人間としてのキャパシティを大きく外れているが、それでも彼女は歴とした人間なのである。
嬉しければ喜ぶし、悲しければ泣く。
痛ければ苦しむし、傷ついたりする。
一族の誇りもある、自尊心だってある。
私はこんなに頑張っているのに。
私はこんなにも役立っているはずなのに…!
どうして然るべき対価(信仰)が得られないのか。
ひょっとしたら、まだ奇跡が足りないのだろうか。
信仰を得るためには、今まで行ってきた奇跡よりも、より強大で、より尊いものでなくてはならないのだろうか。
――それは違う。
そもそも、現代において『神を信仰する』という概念そのものが希薄なのだ。
信じていない者さえも居る。
いや、真実、神を信じている者なんて居るとは思えない。
都合のいい時だけの神頼み。
悪いことがあれば全て押し付ける。
いい所だけ真似をして、
余分な所は切り捨てる。
そんな現代人が生きる世の中で、信仰なんてものが集まるはずがなかったのだ。
――だが、早苗はそれを認めない。
小さい頃から神を信じてきた。
小さい頃から神を崇めてきた。
小さい頃から神と生きてきた。
身近に実在する神という存在。
人知を超えた不可思議なモノ。
常識を覆して実現する超現象。
私の一族にだけ伝わる神秘の数々。
それを私だけが使うことが出来る。
他の誰にも、何者にも出来ないことを、私は可能にすることが出来る!
絶対の自信。
己の持つ力。
それらを駆使して尚、何故信仰されないのか。
早苗はそれを理解出来なかったし、無意識の内にそれを理解することを避けていた。
――自分は必要とされていない。
そんなことはありえない。
ならばこの力はなんのためにあるのか。
他の誰にもない力を、意味もなく持っているはずがない。
私は特別な人間なのだ――!
ああ、だというのに、
「――どうして信仰されないのよぉ!」
不満は既に限界。
自尊心さえも擦り切れて、彼女は日々募る苛立ちを隠せない。
挙句、自らが崇める神々でさえこの体たらく。
もはや万策尽きたと言っていい。
「――むぅ、やはり『こっちの世界』では神すらも幻想の産物となってしまったのかしら」
「……まあ、仕方ないだろうね。人間なんていうのはいつも身勝手なもんさ。必要な時だけは死に物狂いで頼み込むが、それ以外は空気と同じか、それ以下の扱い。私たちの存在価値は無いも同然さ」
「そんなことないです!」
怒鳴る早苗。
「神奈子様と諏訪子様への信仰が薄れているのは私の責任です!私にもっと力があれば――」
「いや、それは違うよ、早苗。貴方がどれだけの力を持っていても、『こちらの世界』では意味を持たない。既に信仰という言葉が失われつつある『この世界』では、私たちも消えていくしかないのよ」
「――だからこそ、信仰ある世界へと行く必要がある」
神酒を呷る乾の神。
「『この世界』から信仰が幻想のものとなっているのなら、私たちが『幻想の世界』へと行けばいい。そこでなら、失われた信仰も元に戻る。……いいえ、もしかしたら、かつて以上の信仰を得ることすら可能かもしれない」
「本当ですか!?」
神の提案に身を乗り出す巫女。
「その『幻想の世界』なら、神奈子様と諏訪子様への信仰が取り戻せるのですね!?」
「おそらくは、ね」
「ええ、きっとそうなるわ。でもね、早苗――」
先ほどまでのふざけた姿は何処へか。
そこに居るのは人の上に立つべき、紛うことなき神の姿。
「――それは、『この世界』との決別を意味するのよ。『幻想の世界』は文字通り、『この世界』から切り捨てられたモノ、忘れられたモノが行き着く最果ての場所。行けば最後、二度と『こちら』には戻ってこられない」
「それでも貴方に――」
続く言の葉はなく、居間を静寂が支配する。
ただ、その瞳が、
『私たちと共に歩む覚悟はある?』
と、問いかけていた。
「――――――」
行けば二度と戻って来られない。
早苗にとっては、神奈子、諏訪子の信仰を集めることが全てだったし、それ以外のことは蚊帳の外だった。
それは昔も今も、おそらくはこれからも変わらない。
信仰無き世界に彼女たちの居場所はない。
この世界が如何なる神秘も受け入れないというのなら、私はそれが生きる世界でこの力を使おう。
恐怖を感じたのは一瞬、次の瞬間には楽しみすら覚えていた。
大丈夫。
私以上に凄い人間なんて居るはずがない。
それにこっちには二人も神様がついているのだ。
何を臆することがある、東風谷早苗!
「――私は守矢の巫女です。何処へでも、私は神奈子様と諏訪子様に着いていきます」
それは偽りない言葉。
幼い頃から共にあった、一人の人間と二人の神の絆を確かめるための儀式。
「――わかったわ。では、今日のところはお休みなさいな、早苗。『幻想郷』への転移には時間も力もかかる。時が来るまで英気を養いなさい」
「はい!」
これから訪れる新天地に希望を膨らませる巫女。
軽い足取りで自室へと戻るその後姿を、二人の神は微笑みながら見守っていた。
「――でも神奈子。こんな大掛かりなことを、今の生活を棄ててまで――早苗を巻き込んでまでするようなことなの?」
「ええ、諏訪子。……それに、これは早苗のため。私たちが彼女の神であるためには、避けては通れない道よ…!」
――東風谷早苗は人間である。
お腹が空けば食事もするし、眠くなれば人並みに睡眠を必要とする。
オシャレにだって興味はあるし、甘酸っぱい青春なんてものに憧れもする。
いわゆる、夢見る乙女である。
「……はぁ…」
憂鬱なため息と共に机に突っ伏す少女。
重ねて言うが、彼女は夢見る――
「……なんで信仰が集まらないのかなぁ」
――夢見る?乙女である。
「おやおや、今日は一段と落ち込んでいるじゃない。どうしたの、早苗」
「そっとしておいてあげなさいよ、神奈子。ここ最近お通じがないから不機嫌なのよねー、早苗」
「……違います。毎日ちゃんと出てます。――というか、なんで私が悩んでいるのにお二人はそんな能天気なんですか」
『降って』きた声に不満の声を漏らす巫女。
見上げれば、そこには昼間から互いに酌し合う神が二人。
「また昼間から御神酒飲んで。どうしたら信仰が集まるか、少しは考えてらっしゃるんですか?」
不満の声を漏らす巫女。
そもそも自分が信仰を集めるのは、彼女ら神のためなのだ。
神様というものは、信仰によってその存在が大きく左右される。
知名度然り、神徳然り、神力然り。
それは即ち、八百万とも言われる数多の神々の優劣を決定づける要素に他ならない。
真昼間から杯を傾けるこの二人も、そんな神々の一員だ。
故に信仰を求め、この地を足がかりに幾度となく奇跡を起こしてきた。
――しかし、信仰は高まるどころか減る一方。
先日も、農作物に多大な被害を齎すであろうはずだった災害を退けるなんて神秘を行使したばかりである。
だというのに、
「……どうして誰も信仰してくれないのかな…」
――東風谷早苗は人間である。
一子相伝の秘術なんてものを継承する一族の末裔だが、それでも彼女は人間である。
やる事成す事、全て人間としてのキャパシティを大きく外れているが、それでも彼女は歴とした人間なのである。
嬉しければ喜ぶし、悲しければ泣く。
痛ければ苦しむし、傷ついたりする。
一族の誇りもある、自尊心だってある。
私はこんなに頑張っているのに。
私はこんなにも役立っているはずなのに…!
どうして然るべき対価(信仰)が得られないのか。
ひょっとしたら、まだ奇跡が足りないのだろうか。
信仰を得るためには、今まで行ってきた奇跡よりも、より強大で、より尊いものでなくてはならないのだろうか。
――それは違う。
そもそも、現代において『神を信仰する』という概念そのものが希薄なのだ。
信じていない者さえも居る。
いや、真実、神を信じている者なんて居るとは思えない。
都合のいい時だけの神頼み。
悪いことがあれば全て押し付ける。
いい所だけ真似をして、
余分な所は切り捨てる。
そんな現代人が生きる世の中で、信仰なんてものが集まるはずがなかったのだ。
――だが、早苗はそれを認めない。
小さい頃から神を信じてきた。
小さい頃から神を崇めてきた。
小さい頃から神と生きてきた。
身近に実在する神という存在。
人知を超えた不可思議なモノ。
常識を覆して実現する超現象。
私の一族にだけ伝わる神秘の数々。
それを私だけが使うことが出来る。
他の誰にも、何者にも出来ないことを、私は可能にすることが出来る!
絶対の自信。
己の持つ力。
それらを駆使して尚、何故信仰されないのか。
早苗はそれを理解出来なかったし、無意識の内にそれを理解することを避けていた。
――自分は必要とされていない。
そんなことはありえない。
ならばこの力はなんのためにあるのか。
他の誰にもない力を、意味もなく持っているはずがない。
私は特別な人間なのだ――!
ああ、だというのに、
「――どうして信仰されないのよぉ!」
不満は既に限界。
自尊心さえも擦り切れて、彼女は日々募る苛立ちを隠せない。
挙句、自らが崇める神々でさえこの体たらく。
もはや万策尽きたと言っていい。
「――むぅ、やはり『こっちの世界』では神すらも幻想の産物となってしまったのかしら」
「……まあ、仕方ないだろうね。人間なんていうのはいつも身勝手なもんさ。必要な時だけは死に物狂いで頼み込むが、それ以外は空気と同じか、それ以下の扱い。私たちの存在価値は無いも同然さ」
「そんなことないです!」
怒鳴る早苗。
「神奈子様と諏訪子様への信仰が薄れているのは私の責任です!私にもっと力があれば――」
「いや、それは違うよ、早苗。貴方がどれだけの力を持っていても、『こちらの世界』では意味を持たない。既に信仰という言葉が失われつつある『この世界』では、私たちも消えていくしかないのよ」
「――だからこそ、信仰ある世界へと行く必要がある」
神酒を呷る乾の神。
「『この世界』から信仰が幻想のものとなっているのなら、私たちが『幻想の世界』へと行けばいい。そこでなら、失われた信仰も元に戻る。……いいえ、もしかしたら、かつて以上の信仰を得ることすら可能かもしれない」
「本当ですか!?」
神の提案に身を乗り出す巫女。
「その『幻想の世界』なら、神奈子様と諏訪子様への信仰が取り戻せるのですね!?」
「おそらくは、ね」
「ええ、きっとそうなるわ。でもね、早苗――」
先ほどまでのふざけた姿は何処へか。
そこに居るのは人の上に立つべき、紛うことなき神の姿。
「――それは、『この世界』との決別を意味するのよ。『幻想の世界』は文字通り、『この世界』から切り捨てられたモノ、忘れられたモノが行き着く最果ての場所。行けば最後、二度と『こちら』には戻ってこられない」
「それでも貴方に――」
続く言の葉はなく、居間を静寂が支配する。
ただ、その瞳が、
『私たちと共に歩む覚悟はある?』
と、問いかけていた。
「――――――」
行けば二度と戻って来られない。
早苗にとっては、神奈子、諏訪子の信仰を集めることが全てだったし、それ以外のことは蚊帳の外だった。
それは昔も今も、おそらくはこれからも変わらない。
信仰無き世界に彼女たちの居場所はない。
この世界が如何なる神秘も受け入れないというのなら、私はそれが生きる世界でこの力を使おう。
恐怖を感じたのは一瞬、次の瞬間には楽しみすら覚えていた。
大丈夫。
私以上に凄い人間なんて居るはずがない。
それにこっちには二人も神様がついているのだ。
何を臆することがある、東風谷早苗!
「――私は守矢の巫女です。何処へでも、私は神奈子様と諏訪子様に着いていきます」
それは偽りない言葉。
幼い頃から共にあった、一人の人間と二人の神の絆を確かめるための儀式。
「――わかったわ。では、今日のところはお休みなさいな、早苗。『幻想郷』への転移には時間も力もかかる。時が来るまで英気を養いなさい」
「はい!」
これから訪れる新天地に希望を膨らませる巫女。
軽い足取りで自室へと戻るその後姿を、二人の神は微笑みながら見守っていた。
「――でも神奈子。こんな大掛かりなことを、今の生活を棄ててまで――早苗を巻き込んでまでするようなことなの?」
「ええ、諏訪子。……それに、これは早苗のため。私たちが彼女の神であるためには、避けては通れない道よ…!」