「しっらっないーわー、そんなーまほーおー……」
人間の世界で聞き覚えた流行歌を口ずさみながら、早苗は鍋の中身をしゃもじでかきまわす。
こちら側にもガスコンロ(河童特許3310号。とろ火から鉄鋼を溶断するフジヤマヴォルケイノまで、火力は自由自在に調節可能)と水道があると知った時、早苗は顔を綻ばせずにはいられなかった。
持ち込んだレトルト食品が尽きた後は、ずっと薪・かまどによる前時代的な炊事を強いられるものと覚悟していただけに、喜びもひとしお。
河童たちが社務所の一角を改造して作ってくれたシステムキッチンは、使い心地が抜群だ。
山の暮らしは、決して人間の都市文明に劣るものではない。
(やっぱり、こっちに来て良かった)
たっぷりと煮汁を含んだ里芋に竹串を刺してみると、いとも簡単に貫通した。
火を止める頃合や、良し。
「かんたーんにー、ぬっすーまなーいでー……っと。うん、いい感じ!」
余熱を逃がさぬよう鍋に蓋を被せた瞬間、
「お、何だかいい匂いがするね」
背後から諏訪子の声がした。
宴会のない日なら、外が真っ暗になるまで弾幕遊びを楽しんでくることを常とする彼女にしては、
「お早いお戻りですね」
「うん。早苗の作るご飯、楽しみだし」
「も……勿体無いお言葉です!」
途端、花が咲いたように早苗は微笑む。
待ち望んでいた言葉だった。
「ちょうど今、野菜が煮上がったところです。すぐにお運びしますので、居間の方にどうぞ」
「出来たてをいただけるなんて、幸せだわ……って、あれ? 神奈子は?」
明るくなったばかりの表情が、少しだけ曇る。
諏訪子もまた、片眉をぴくりと持ち上げた。
「まさか、まだ寝てるの?」
「はい」
「どこまでもしょーがない奴ねぇ。日に日にだらしなくなっていくみたい」
「妖怪どもを相手に神の度量をお示し続けるご心労、察するに余りあります」
「また、そうやって甘やかすようなこと言ってぇ。ウワバミの自業自得だっての。さ、寝ぼすけは放っておいて先に食べてましょ」
そう言って、諏訪子は台所のすぐ隣にある居間にさっさと腰を落ち着ける。
続いて早苗が続けて入ってきて、ちゃぶ台の上に箸と食器をてきぱきと並べていく。
「あれ?」
置かれた食器は、ひとり分……諏訪子の使うものだけだ。
「早苗は食べないの?」
「人の身の分際で、八坂様に先んじ勝手に頂戴する訳には」
「自分で作っておいて、自分で『頂戴する』もないじゃない」
「いえ、全ての食材は神の恵み給うたもの。その感謝なくして、食卓につく資格も又なし……です」
「やれやれ、義理堅いことね」
「風祝なれば」
条件反射的な早苗の返答を聞いて、にやり、諏訪子は悪戯っぽく唇の端を持ち上げる。
「まるで、夫の帰りを待つ新婚ホヤホヤの妻みたい」
「なっ……」
瞬間的に、早苗の頭の中は沸騰した。
「なななななな! なにをおっしゃいます!」
「うっへっへっへ、妬けちゃうねぇ。どんだけダンナのことが好きなんだよ、奥さーん」
「おおおお戯れを! そもそも神人供食の儀とは社を預かる者として果たすべき務めの一環であって……ですので、ええと、つまり、わた、私は決してそのような下卑た感情からお仕え申し上げているわけではっ!」
うん、もちろん知ってるよ。
早苗ほど純粋に神奈子を崇めている人間は居ない。
でも混じり気のない透明な心ほど、一滴でも染みが落ちれば一気に黒く濁ってしまうわけで……そこが少し心配なところではあるんだけどね。
「私が八坂様そして洩矢様に対して捧げる気持ちは、いつ如何なる時でも水鏡のごとし! どうかどうか、その理のみはご理解下さいますよう!」
あーあーあーあ。
ちょっとからかっただけなのに思いっきり慌てちゃってさ……
ほんっと、早苗は可愛いなあ!
そんなに可愛いと、もっとイジりたくなっちゃうじゃないの!
「ははあ。そんじゃ、あなたはいつも厳粛な気持ちで私たちのご飯を作ってくれてるわけね」
「無論!」
「その割にゃ、さっきはずいぶんとご機嫌でノリノリだったみたいだけど?」
「げ」
「早苗って歌も上手だよねぇ。とってもいい声。あ、そうだ、今度宴会でも披露してみなよ。きっと拍手喝采の嵐だよ!」
「……っく」
こっそり聞かれていたとは、不覚の極み!
顔全体を熟れた林檎の色に染め、早苗はぷるぷると震えだした。
「ふええ……申し訳ない限りです……」
「あ、別に責めてるわけじゃないよ。いいって、いいって、単なる軽口なんだから……そんなに気にしないでよ、もう」
羞恥のあまり涙をたたえ始めた瞳に、諏訪子は自分が少しやりすぎてしまったことを悟った。
『外』で苦労した分、ここでは思う存分に羽を伸ばして欲しい。
自分と同様に、朗らかに生きていけるような『道』を見つけて欲しい。
早苗と接する時、諏訪子はいつもそのことを念頭に置く。
……なかなか骨の折れる仕事ではあるが、それでも諏訪子は諦めない。
たったひとりの迷い人すら導けずに、一体何のための神だというのか。
「早苗は、自分の仕事を一生懸命やってくれた。それだけで充分だから、ね?」
手と手が重なる。
あったかい、と早苗は思った。
「うん、早苗の言うことに間違いはないよ。ご飯はみんなで食べた方がおいしいもんね」
「……」
「今、神奈子を起こしに行ってくるから。盛り付けは三人分、よろしく」
「は……はい!」
少しは荷物を軽くしてあげられたかな、と、安堵した、その矢先に。
「う……!」
「こ、これは?」
覚えの無い『力』の群れが、猛烈なスピードで社に近づいて来ているのを感じた。
もともと山に住んでいる種族とは違い、その妖気はやけに刺々しい。
まさか余所者に厳しい天狗の防衛網を、強引に突破した上で接近しているのであろうか。
「申し訳ありません洩矢様、夕餉の支度はもう少しだけお待ち下さい。様子を見て参りますので」
早苗はすぐに居間を飛び出していった。
「私も行くよ!」
すぐに諏訪子も後を追う。
闖入者たちが悪意の持ち主ばかりであるなら、いくら実力ある巫女とはいえ単独では到底防ぎきれるものではあるまい。
「一体どこの誰だか知らないけど、せっかくのディナータイムを邪魔するとは無粋もいいところね!」
「まったくです! 許せません!」
「この私が自ら出迎えてやるんだ。もし、ここを目指してきた理由がつまんないものだったら……ボッコボコのケッロケロにしてやるわ!」
数分の、間。
結果として。
参道入り口の大鳥居まで殺到して来た者たちは、ボッコボコにもケッロケロにもされることはなかった。
それどころか一行の先頭にいた者は、諏訪子を大いに喜ばせる奇抜な提案を持ちかけてきたのだ。
「温泉! うわぁ、その発想はなかったわぁ!」
「だろ! まったく、自分で自分の鬼才におののいちゃうぜ!」
得意げに鼻の下を人差し指で擦っているのは、自称『普通の魔法使い』こと霧雨魔理沙だ。
彼女の右肩には、山の中腹にある古池を出身地とする痩せ蛙が一匹、微動だにせず座り込んでいる。
これはいわば、諏訪子が魔理沙に与えた「通行証」のようなものだ。
この蛙を同伴する者は、守矢神社のVIPとして何の咎めも受けずに山を上り下りすることができる。
それにしても……風よりも速く箒を駆る魔理沙と共にあって振り落とされずにここまで付いて来るとは、小型両生類ながら天晴れなものである。
「そんなわけで、お前んところの湖をちょいと借りるぜ」
「あはは、いいよいいよ。どーんと使ってちょうだい!」
「おう。我がミニ八卦炉の威力、どどどどーんと炸裂させたやるぜ」
魔理沙が思い描いたプランを、彼女の言葉に従って順に説明すると、次のようになる。
1・季節は秋! 秋といえば紅葉! 紅葉といえば八坂神社!
2・だが普通に乗り込んでいって紅葉を鑑賞するだけではつまらないぜ。
3・そうだ、あのでっかい湖の一部をグツグツ沸かして、温泉にしちまおう!
4・綺麗なお湯に浸かり、身も心もリラックスしながら舞い散る葉っぱを鑑賞する……ついでに熱燗をキュウウゥッと……くうう、これぞ日本に生まれた幸せってやつだぜ!
5・そんなわけで、知り合いを大勢誘ってわざわざ来てやったぜ!
6・さあ! さっさと用意して、みんなでパーッと風流に騒ごうぜ!
以上。
遊び好きの諏訪子に、反対する理由はまるでない。
しかし、その傍らにはべる巫女にとっては……
「なんという冒涜!」
だとしか、考えられなかった。
乗り気であったところに横槍を入れられ、魔理沙は目を点にする。
「そんなことが可能だと思っているの?」
「モチのロン、役満で親の総取りだぜ。このミニ八卦炉をよーく見るがいいぜ」
「なんですか、この見るからに怪しげで下品でロクな使い道のなさそうなガラクタは」
初対面の時から、早苗は魔理沙のことを好ましく思っていない。
だいたい、見た目からして不吉ではないか。
黒と白の二色のみに彩られた服装には、どうしても葬儀用の鯨幕を連想してしまう。
そして魔理沙もまた、何かと細事にこだわりすぎる早苗を煙たく思っていた。
お互い、性格があまりにも点対称すぎるのだ。
「審美眼ってものが欠けてるなお前は。いいか聞いて驚け、こいつは太陽も裸足で逃げ出す超カロリーを発生させる、最凶にして最悪のマジックアイテムなんだぜ」
「そのポンコツをボイラーの代わりにすると?」
「全力でやったら水が蒸発しちまうだろうけど、そこが私の腕の見せ所だ。うまく出力を調節して、カタルシスに満ちた湯加減を演出してやるぜ」
「お話になりません! まさか、神湖を丸ごと沸騰させるつもりなのですかっ!」
「馬鹿かお前。そんなことしたら、泳いでる魚が絶滅しちまうだろうが」
「ふん、そのぐらいの分別はあるようですね。そうです、あなたのしようとしていることは無上に罪深……」
「今のうちに煮て食っちまったら、冬にワカサギを釣る楽しみがなくなるってもんだぜ」
「だーっ!」
両拳を頭の上に振り上げ、早苗はますますもって言葉の怒気を強める。
「だーかーらっ、そういう問題じゃないでしょうが!」
「じゃ、どういう問題なんだよ」
「ここは神域です! そのような俗臭ふんぷんたる理由で、立ち入りを許可できるものですか!」
「でも、お前のボスはオッケーだって言ってるぜ」
激昂のあまり相手が神であることも忘れ、早苗は鋭く切れ上がった眼を諏訪子に向けた。
諏訪子は曖昧に笑いながら、
「あはは……ほら、いつも普通に酒を飲むだけの宴会なんてマンネリもいいところでしょ? たまにはそういう楽しみ方もいいんじゃないかなーって、私は、思うんだけど……」
その言葉の終わらぬうちに、魔理沙は箒にまたがる。
「っつーこと! よっしゃ、行くぜみんな!」
そのまま、早苗の横を通って走り去ろうとする。
当然、ただ指をくわえて看過できる早苗ではない。
「……則に沿い、法に統べらる人の世に……」
「おわっ!?」
早苗が口の中で何事かをつぶやいた刹那、強風が吹いて魔理沙を押し戻した。
しかし、その場に居合わせた他の者は全員立ち姿を崩すことはなく、周囲の木々も無駄に葉を散らしてはいない。
ただひとり魔理沙のみをピンポイントで狙った、高度な『奇跡』であった。
「あ、ああああっ!」
風は魔理沙のトレードマークともいえる黒い三角帽子を奪い、参道とは逆の方向に吹き降りていく。
魔理沙は慌ててUターンし、追う。
幸いにも、速度は風よりも箒の方が遥かに勝っている。
数秒も経たないうちに相対距離は約1メートルまで縮まり、あとは腕を伸ばして取り返すだけ……
指先が獲物に触れる。
……そのタイミングを待って、早苗はくすりと笑う。
「順逆自在は風ばかりなり」
風が、向かう先を急転回させる。
帽子は真っ直ぐ大鳥居を進み、そのまま早苗の手元に収まった。
「てっ……てめぇっ!」
「返してほしい? それなら、愚かしい妄想を捨てて即刻立ち去るのです」
「どうやら……もう一回ギタギタにやっつけて、格の違いを思い知らせる必要があるみたいだな」
苦い敗北の記憶が、早苗の脳裏にまざまざと蘇る。
思えば、あれが厄の付き始めであった。
(悪い神様を、こらしめる)
なんという不遜な言葉を吐かせてしまったのだろう。
あの時に私がもっとしっかりしていれば、こうして皆から神が見下されることもなかったのだ……
二度の失態は、許されない。
「八坂様は往時の神徳を取り戻しつつあります。私の力も、あの時と同じではありませんよ?」
「ほぉう。そりゃ楽しみだ」
魔理沙が連れて来た七名――いちいち名を挙げていくなら、レミリア・咲夜・幽々子・妖夢・輝夜・永琳・鈴仙――は、特にどちらに加勢するでもなく、冷めた眼差しで事の成り行きを静観している。
いや、それとも内心では「面白いショーが見られそうね」と熱い期待を膨らませているのか。
皆、一度は魔理沙に煮え湯を飲まされたことのある者ばかり。
その旧い敵が、今回は逆に一杯食わされる立場に追い込まれ、歯軋りの音を撒き散らしているのだ。
さて、どうなる……
(続く)
人間の世界で聞き覚えた流行歌を口ずさみながら、早苗は鍋の中身をしゃもじでかきまわす。
こちら側にもガスコンロ(河童特許3310号。とろ火から鉄鋼を溶断するフジヤマヴォルケイノまで、火力は自由自在に調節可能)と水道があると知った時、早苗は顔を綻ばせずにはいられなかった。
持ち込んだレトルト食品が尽きた後は、ずっと薪・かまどによる前時代的な炊事を強いられるものと覚悟していただけに、喜びもひとしお。
河童たちが社務所の一角を改造して作ってくれたシステムキッチンは、使い心地が抜群だ。
山の暮らしは、決して人間の都市文明に劣るものではない。
(やっぱり、こっちに来て良かった)
たっぷりと煮汁を含んだ里芋に竹串を刺してみると、いとも簡単に貫通した。
火を止める頃合や、良し。
「かんたーんにー、ぬっすーまなーいでー……っと。うん、いい感じ!」
余熱を逃がさぬよう鍋に蓋を被せた瞬間、
「お、何だかいい匂いがするね」
背後から諏訪子の声がした。
宴会のない日なら、外が真っ暗になるまで弾幕遊びを楽しんでくることを常とする彼女にしては、
「お早いお戻りですね」
「うん。早苗の作るご飯、楽しみだし」
「も……勿体無いお言葉です!」
途端、花が咲いたように早苗は微笑む。
待ち望んでいた言葉だった。
「ちょうど今、野菜が煮上がったところです。すぐにお運びしますので、居間の方にどうぞ」
「出来たてをいただけるなんて、幸せだわ……って、あれ? 神奈子は?」
明るくなったばかりの表情が、少しだけ曇る。
諏訪子もまた、片眉をぴくりと持ち上げた。
「まさか、まだ寝てるの?」
「はい」
「どこまでもしょーがない奴ねぇ。日に日にだらしなくなっていくみたい」
「妖怪どもを相手に神の度量をお示し続けるご心労、察するに余りあります」
「また、そうやって甘やかすようなこと言ってぇ。ウワバミの自業自得だっての。さ、寝ぼすけは放っておいて先に食べてましょ」
そう言って、諏訪子は台所のすぐ隣にある居間にさっさと腰を落ち着ける。
続いて早苗が続けて入ってきて、ちゃぶ台の上に箸と食器をてきぱきと並べていく。
「あれ?」
置かれた食器は、ひとり分……諏訪子の使うものだけだ。
「早苗は食べないの?」
「人の身の分際で、八坂様に先んじ勝手に頂戴する訳には」
「自分で作っておいて、自分で『頂戴する』もないじゃない」
「いえ、全ての食材は神の恵み給うたもの。その感謝なくして、食卓につく資格も又なし……です」
「やれやれ、義理堅いことね」
「風祝なれば」
条件反射的な早苗の返答を聞いて、にやり、諏訪子は悪戯っぽく唇の端を持ち上げる。
「まるで、夫の帰りを待つ新婚ホヤホヤの妻みたい」
「なっ……」
瞬間的に、早苗の頭の中は沸騰した。
「なななななな! なにをおっしゃいます!」
「うっへっへっへ、妬けちゃうねぇ。どんだけダンナのことが好きなんだよ、奥さーん」
「おおおお戯れを! そもそも神人供食の儀とは社を預かる者として果たすべき務めの一環であって……ですので、ええと、つまり、わた、私は決してそのような下卑た感情からお仕え申し上げているわけではっ!」
うん、もちろん知ってるよ。
早苗ほど純粋に神奈子を崇めている人間は居ない。
でも混じり気のない透明な心ほど、一滴でも染みが落ちれば一気に黒く濁ってしまうわけで……そこが少し心配なところではあるんだけどね。
「私が八坂様そして洩矢様に対して捧げる気持ちは、いつ如何なる時でも水鏡のごとし! どうかどうか、その理のみはご理解下さいますよう!」
あーあーあーあ。
ちょっとからかっただけなのに思いっきり慌てちゃってさ……
ほんっと、早苗は可愛いなあ!
そんなに可愛いと、もっとイジりたくなっちゃうじゃないの!
「ははあ。そんじゃ、あなたはいつも厳粛な気持ちで私たちのご飯を作ってくれてるわけね」
「無論!」
「その割にゃ、さっきはずいぶんとご機嫌でノリノリだったみたいだけど?」
「げ」
「早苗って歌も上手だよねぇ。とってもいい声。あ、そうだ、今度宴会でも披露してみなよ。きっと拍手喝采の嵐だよ!」
「……っく」
こっそり聞かれていたとは、不覚の極み!
顔全体を熟れた林檎の色に染め、早苗はぷるぷると震えだした。
「ふええ……申し訳ない限りです……」
「あ、別に責めてるわけじゃないよ。いいって、いいって、単なる軽口なんだから……そんなに気にしないでよ、もう」
羞恥のあまり涙をたたえ始めた瞳に、諏訪子は自分が少しやりすぎてしまったことを悟った。
『外』で苦労した分、ここでは思う存分に羽を伸ばして欲しい。
自分と同様に、朗らかに生きていけるような『道』を見つけて欲しい。
早苗と接する時、諏訪子はいつもそのことを念頭に置く。
……なかなか骨の折れる仕事ではあるが、それでも諏訪子は諦めない。
たったひとりの迷い人すら導けずに、一体何のための神だというのか。
「早苗は、自分の仕事を一生懸命やってくれた。それだけで充分だから、ね?」
手と手が重なる。
あったかい、と早苗は思った。
「うん、早苗の言うことに間違いはないよ。ご飯はみんなで食べた方がおいしいもんね」
「……」
「今、神奈子を起こしに行ってくるから。盛り付けは三人分、よろしく」
「は……はい!」
少しは荷物を軽くしてあげられたかな、と、安堵した、その矢先に。
「う……!」
「こ、これは?」
覚えの無い『力』の群れが、猛烈なスピードで社に近づいて来ているのを感じた。
もともと山に住んでいる種族とは違い、その妖気はやけに刺々しい。
まさか余所者に厳しい天狗の防衛網を、強引に突破した上で接近しているのであろうか。
「申し訳ありません洩矢様、夕餉の支度はもう少しだけお待ち下さい。様子を見て参りますので」
早苗はすぐに居間を飛び出していった。
「私も行くよ!」
すぐに諏訪子も後を追う。
闖入者たちが悪意の持ち主ばかりであるなら、いくら実力ある巫女とはいえ単独では到底防ぎきれるものではあるまい。
「一体どこの誰だか知らないけど、せっかくのディナータイムを邪魔するとは無粋もいいところね!」
「まったくです! 許せません!」
「この私が自ら出迎えてやるんだ。もし、ここを目指してきた理由がつまんないものだったら……ボッコボコのケッロケロにしてやるわ!」
数分の、間。
結果として。
参道入り口の大鳥居まで殺到して来た者たちは、ボッコボコにもケッロケロにもされることはなかった。
それどころか一行の先頭にいた者は、諏訪子を大いに喜ばせる奇抜な提案を持ちかけてきたのだ。
「温泉! うわぁ、その発想はなかったわぁ!」
「だろ! まったく、自分で自分の鬼才におののいちゃうぜ!」
得意げに鼻の下を人差し指で擦っているのは、自称『普通の魔法使い』こと霧雨魔理沙だ。
彼女の右肩には、山の中腹にある古池を出身地とする痩せ蛙が一匹、微動だにせず座り込んでいる。
これはいわば、諏訪子が魔理沙に与えた「通行証」のようなものだ。
この蛙を同伴する者は、守矢神社のVIPとして何の咎めも受けずに山を上り下りすることができる。
それにしても……風よりも速く箒を駆る魔理沙と共にあって振り落とされずにここまで付いて来るとは、小型両生類ながら天晴れなものである。
「そんなわけで、お前んところの湖をちょいと借りるぜ」
「あはは、いいよいいよ。どーんと使ってちょうだい!」
「おう。我がミニ八卦炉の威力、どどどどーんと炸裂させたやるぜ」
魔理沙が思い描いたプランを、彼女の言葉に従って順に説明すると、次のようになる。
1・季節は秋! 秋といえば紅葉! 紅葉といえば八坂神社!
2・だが普通に乗り込んでいって紅葉を鑑賞するだけではつまらないぜ。
3・そうだ、あのでっかい湖の一部をグツグツ沸かして、温泉にしちまおう!
4・綺麗なお湯に浸かり、身も心もリラックスしながら舞い散る葉っぱを鑑賞する……ついでに熱燗をキュウウゥッと……くうう、これぞ日本に生まれた幸せってやつだぜ!
5・そんなわけで、知り合いを大勢誘ってわざわざ来てやったぜ!
6・さあ! さっさと用意して、みんなでパーッと風流に騒ごうぜ!
以上。
遊び好きの諏訪子に、反対する理由はまるでない。
しかし、その傍らにはべる巫女にとっては……
「なんという冒涜!」
だとしか、考えられなかった。
乗り気であったところに横槍を入れられ、魔理沙は目を点にする。
「そんなことが可能だと思っているの?」
「モチのロン、役満で親の総取りだぜ。このミニ八卦炉をよーく見るがいいぜ」
「なんですか、この見るからに怪しげで下品でロクな使い道のなさそうなガラクタは」
初対面の時から、早苗は魔理沙のことを好ましく思っていない。
だいたい、見た目からして不吉ではないか。
黒と白の二色のみに彩られた服装には、どうしても葬儀用の鯨幕を連想してしまう。
そして魔理沙もまた、何かと細事にこだわりすぎる早苗を煙たく思っていた。
お互い、性格があまりにも点対称すぎるのだ。
「審美眼ってものが欠けてるなお前は。いいか聞いて驚け、こいつは太陽も裸足で逃げ出す超カロリーを発生させる、最凶にして最悪のマジックアイテムなんだぜ」
「そのポンコツをボイラーの代わりにすると?」
「全力でやったら水が蒸発しちまうだろうけど、そこが私の腕の見せ所だ。うまく出力を調節して、カタルシスに満ちた湯加減を演出してやるぜ」
「お話になりません! まさか、神湖を丸ごと沸騰させるつもりなのですかっ!」
「馬鹿かお前。そんなことしたら、泳いでる魚が絶滅しちまうだろうが」
「ふん、そのぐらいの分別はあるようですね。そうです、あなたのしようとしていることは無上に罪深……」
「今のうちに煮て食っちまったら、冬にワカサギを釣る楽しみがなくなるってもんだぜ」
「だーっ!」
両拳を頭の上に振り上げ、早苗はますますもって言葉の怒気を強める。
「だーかーらっ、そういう問題じゃないでしょうが!」
「じゃ、どういう問題なんだよ」
「ここは神域です! そのような俗臭ふんぷんたる理由で、立ち入りを許可できるものですか!」
「でも、お前のボスはオッケーだって言ってるぜ」
激昂のあまり相手が神であることも忘れ、早苗は鋭く切れ上がった眼を諏訪子に向けた。
諏訪子は曖昧に笑いながら、
「あはは……ほら、いつも普通に酒を飲むだけの宴会なんてマンネリもいいところでしょ? たまにはそういう楽しみ方もいいんじゃないかなーって、私は、思うんだけど……」
その言葉の終わらぬうちに、魔理沙は箒にまたがる。
「っつーこと! よっしゃ、行くぜみんな!」
そのまま、早苗の横を通って走り去ろうとする。
当然、ただ指をくわえて看過できる早苗ではない。
「……則に沿い、法に統べらる人の世に……」
「おわっ!?」
早苗が口の中で何事かをつぶやいた刹那、強風が吹いて魔理沙を押し戻した。
しかし、その場に居合わせた他の者は全員立ち姿を崩すことはなく、周囲の木々も無駄に葉を散らしてはいない。
ただひとり魔理沙のみをピンポイントで狙った、高度な『奇跡』であった。
「あ、ああああっ!」
風は魔理沙のトレードマークともいえる黒い三角帽子を奪い、参道とは逆の方向に吹き降りていく。
魔理沙は慌ててUターンし、追う。
幸いにも、速度は風よりも箒の方が遥かに勝っている。
数秒も経たないうちに相対距離は約1メートルまで縮まり、あとは腕を伸ばして取り返すだけ……
指先が獲物に触れる。
……そのタイミングを待って、早苗はくすりと笑う。
「順逆自在は風ばかりなり」
風が、向かう先を急転回させる。
帽子は真っ直ぐ大鳥居を進み、そのまま早苗の手元に収まった。
「てっ……てめぇっ!」
「返してほしい? それなら、愚かしい妄想を捨てて即刻立ち去るのです」
「どうやら……もう一回ギタギタにやっつけて、格の違いを思い知らせる必要があるみたいだな」
苦い敗北の記憶が、早苗の脳裏にまざまざと蘇る。
思えば、あれが厄の付き始めであった。
(悪い神様を、こらしめる)
なんという不遜な言葉を吐かせてしまったのだろう。
あの時に私がもっとしっかりしていれば、こうして皆から神が見下されることもなかったのだ……
二度の失態は、許されない。
「八坂様は往時の神徳を取り戻しつつあります。私の力も、あの時と同じではありませんよ?」
「ほぉう。そりゃ楽しみだ」
魔理沙が連れて来た七名――いちいち名を挙げていくなら、レミリア・咲夜・幽々子・妖夢・輝夜・永琳・鈴仙――は、特にどちらに加勢するでもなく、冷めた眼差しで事の成り行きを静観している。
いや、それとも内心では「面白いショーが見られそうね」と熱い期待を膨らませているのか。
皆、一度は魔理沙に煮え湯を飲まされたことのある者ばかり。
その旧い敵が、今回は逆に一杯食わされる立場に追い込まれ、歯軋りの音を撒き散らしているのだ。
さて、どうなる……
(続く)
個人的にはケロちゃんの方gうわっなにをs(ry
続いてくれるならどこまでも読むまで、続編も待ち遠しいです
×八坂神社
○守矢神社
早苗もかわいい
書き方が上手いです。
勝負の行方が楽しみですが、自分の心情としてはどちらにも負けてほしくないところ。
仲直りでもしてくれればいいんですけどねえ。
魔理沙が信仰を取り戻した神の力を思い知るのか
続きを期待します
誤記、直しました。
こういう基本的な設定を間違えるなんて、あたいったら以下略。
続きも頑張ります!