「よう、また来たぜ」
「あによ人間、邪魔だから帰れ」
「つれないな。わざわざ実験台になってやろうってのに」
「いらないよ。いらないから帰れ」
神々の愛した幻想郷。
そしてここはその中でも最も美しいとされる清らかな渓谷。
秋深まれば真紅に染まるこの谷も、今は寒々しい煤けた色をしている。川の流れはその冷たさを静かに語り、苔むす岩は周囲の音をその身に染み込ませているようだった。
ここ数日、寒さがより厳しくなっている。厚い雲に覆われた空は余計に寒々しさを増し、風は身を切るように冷たい。雪ももう、間近だろう。
「人間が好きなんだろ? ほれほれ、恐れ多くも人間さまだぜ?」
「人間は嫌いじゃないけど、魔法使いは嫌いなのさ。全くもって不合理極まる」
そんな寒々とした渓谷で、川の流れに抗う大岩の上に腰掛けた少女は、仏頂面をしたまま大仰に溜息を吐いた。
水色の髪を二つに括った目の大きな少女。
決して絶世の美女と言えるような顔立ちではないが、その、どこか愛嬌のある目鼻立ちは見るものの目を和ませるだろう。
不機嫌そうな顔をしているが、その醸し出す空気は剣呑なものに成り得ず、子供が拗ねているようにしか見えなかった。
「知らない者が見れば不合理なのは、科学だって一緒だろうに」
そう言って笑うのは、宙に浮かべた箒に跨る金髪の少女。
猫のような瞳。くるくると変わる表情。見るものを惹き付ける印象的な笑顔。
魔法使いという称号によって与えられる陰鬱な印象とは間逆の、太陽のような少女。
からからと笑いながら放つ揶揄するような言葉は、何故か不快な印象を与えなかった。
「教えてくれよ、河童の科学ってヤツをさ」
もう何度目になるのか、数えるのも馬鹿らしいその言葉に、にとりはもう一度大きな溜息を吐いた。
「何度も言ってるじゃないか。人間に教えられる程度の科学なら、すでに里に伝えている。それ以上は企業秘密だよ」
「そこを何とか」
「だが断る」
吐息が掛かるほどに顔を近づけられて、にとりは心底嫌そうな顔をした。
二月ほど前にここで出会ってからというもの、魔理沙は三日と空けずやってくる。
出会った当初はそれなりに敬意を持って接していたが、今ではもうぞんざいな扱いしかしていなかった。にも関わらず、である。
調子に乗って、様々な発明品を見せびらかした所為だろう。
これがまた聞き上手というか、乗せ上手というか、一々反応を返してくれるものだから、焦げ付かない鍋とかのちょっとした品から、河童の世界に伝わる秘術を駆使したものまで嬉々として晒してしまっていた。上にバレたら、叱られるなんてものじゃ済まないほどに。
「いいじゃないか。減るもんじゃなし」
「減るんだよ。主に私の寿命とかが」
その苦悩を知ってか知らずか、魔理沙はにんまりと笑って「バレなきゃいいだろ?」とか何とか言っている。全く持って頭が痛い。
「大体、なんでそんなに知りたがるのさ? 何か具体的な目的があるなら、理由次第で手を貸すのはやぶさかじゃないけどね」
「目的ねぇ……取り立てて困ってることはないが、知ってて損はないだろ?」
「そんな曖昧なもんのために危ない橋を渡れるか」
「知の探求――生命を懸けるのにこれほど相応しいものはないぜ?」
「懸かっているのは私の生命だっての」
とまぁ、こんな遣り取りを何度も何度も。
にとりの顔が曇るのも致し方あるまい。
「それに……あんたは魔法使いなんでしょ? やりたい事があるなら、そっちで何とかしなさいな」
「それはそれ、これはこれってやつだ。魔法だって万能じゃない。科学を知る事で違ったものが見えてくるかもしれないじゃないか。私はそれが知りたいんだよ」
「いい加減だなぁ。魔法使いとしての矜持はないのかい?」
「良い加減だぜ。自由主義ってやつさ」
正直なところ、魔理沙に科学を教えてやっても良いんじゃないかと、にとりはそう思っている。
魔法や科学に拘らない自由な発想は、にとりもまた共有するものなのだから。
とはいえ、それはそれとして……
「なぁ」
「あん?」
「なんでそこまで力を求める?」
声のトーンが落ちる。
誤魔化しを許さぬ、こわい声音。
顔を顰め、川面を睨み、決して目を合わせぬまま。
「知の探求――良い言葉だ。耳に優しく、理解もできる。だけどね、あんたのその知りたいという気持ち、その向けられた先が気になるんだよ。魔法であれ、科学であれ、それ以外の何であれ、あんたのそれは全て力に通じる道だ。そんなに力を求めてどうするんだい? 人は神にはなれないよ?」
この魔法使いは危うすぎる。
天狗の包囲網を抜け、山の頂に居座った神さまに喧嘩を売ったと聞いた時は、人間も中々やるじゃないかと感心したものだ。
実際にやったのは巫女らしいが、それでもたかが人間が神に喧嘩を売るなどという行為は、にとりに限らず多くの妖怪たちにとって俄には信じられないものだろう。
人間とは脆く儚いもの。
その弱さ故に、にとりは、いや河童の一族は手を貸してやろうと思ったのだから。
川に、水に、依存しなければ生きていけない儚き盟友として。
なのに、この魔法使いは――
「神さまなんかなりたくないよ」
箒に跨って、厚い雲を見上げ、その先にある太陽を見透かすように。
遠くを見るような眼差しのまま、口元に自然な笑みを浮かべたまま。
「ただまぁ……力は欲しいな。神さまだろうと何だろうと、間違っていたらぶん殴れる力は、さ。うん、欲しい」
卑屈とか、
脆弱とか、
憧憬とか、
そういうものとは無縁の。
倣岸で、
不遜で、
対等な、
瞳。
「……自分が何を言ってるのか解ってんの? そんなもん、人間のやるこっちゃないよ」
「知ったことか」
からからと、からからと、風のような笑い声。
その強さに――にとりは少しだけ目を細めた。
「馬鹿だ馬鹿だと思っちゃいたが、ここまで馬鹿とは思わなかった」
「ありがとう。最高の褒め言葉だ」
風が吹く。
冬の厳しさを孕んだ、冷たい風が。
人間だろうと、妖怪だろうと、魔法使いだろうと、エンジニアだろうと、等しく風に晒される。
誰であろうと関係なく、何であろうと遠慮なく、容赦も加減も一切ないままその身体から温もりを奪っていく。
それはそういうものとして受け止めるのが自然な在り方。
獣は、妖怪は、八百万の神は、そして古の人々は、そうやって生きてきた。
ならばもしも、大いなる力を持った者が荒れ狂ったとしたならば、それすらもそういうものだと受け止めなければならないのか。
「別にあんたがそんな事をしなくてもいいだろうに。此処には神も天魔も閻魔も龍神もいる。それにあんたの友達の巫女だって、ね」
「で、そいつらが何とかしてくれるまで大人しく待ってろってのかい? そんなのは御免だね」
そういって、風に立ち向かうように背筋を伸ばしたまま。
目を開いて、風の生まれる場所を見据えるように、笑みを湛えたまま。
だけどにとりには解った。
この魔法使いは、そんな存在とすら戦う姿を思い浮かべている。
人間のまま、平素と変わらぬ笑みを浮かべたままで。
「……私の力じゃ神には届かないよ?」
「構わんさ。魔法も科学もアプローチに過ぎない。私にとっちゃ単なる踏み台だよ」
「そんな乱暴な口説き文句で、私を落せるとでも?」
そして魔理沙はにやりと笑って、
――もう、落ちてるだろ?
にとりの目を真っ直ぐに見据えて、そう言った。
「いいだろう。乗ってやる。河童の科学力、技術力、その全てをくれてやる。だが忘れるな? おまえが力に溺れた時、その時は……」
「殴りにこいよ。その為の力だろう?」
笑みを交わす。
睨みあう様な剣呑な笑み。
共に水辺に棲まう者。力なき者。
弱さ故に力に縋り、弱さ故に愚かで、弱さ故に高みを目指す。
盟友。契約。天を睨む者。
「もう一度問おう。儚き人間よ。おまえは何の為に力を求める?」
「決まっている。神さまだろうと何だろうと、隣で酒を酌み交わすためだ」
神の広い心で赦されるのではなく、
慈悲と情けで護られるのではなく、
誰であろうと、何であろうと、対等であるために。
間違っていたら諌め、必要ならば倒し、一方的な従属関係を反故にし、共に心から笑いあえるように。
そしてそれが赦されるのが幻想郷。
彼女の、彼女たちの愛した幻想郷。
そのあるべき姿を護るために、力なきままではいられないなら。
「手に入れてやるさ。私が私であるために、な」
そう言って、もう一度にかりと笑った。
もうじき、冬がやってくる。
この楽園のような場所にも冬は訪れるのだ。
ならば――備えなければ。
与えられるだけの自由と権利は、いつしか無残に奪われる。それが嫌なら強くなるしかない。
自分の力で、取り戻すしかない。勝ち取るしかない。
「もしも私が間違ったなら」
「殴りに行ってやるさ。こいつで、な」
にとりはポケットからスパナを取り出すと、器用にくるくると回してみせる。
銀色の、よく使いこまれた、重そうなスパナ。
そいつは痛そうだと言って、猫のような笑みを浮かべる魔理沙。
にとりもまた、白い歯を覗かせてにかりと笑う。
それは対等な――友達同士の笑みだった。
でも魔理沙ならやっぱり放ってはおかないでしょうしねぇ、色々と。
うん、幻想郷でした。
張り切ってコメントを付けようとしてみたところで、いい言葉が出てこないから困る。
魔理沙の力の探求はなんとなく想像できますね
非常に良い作品だと思います。
セリフ自体はどこかで見たことあるかな?と言う感じですが、魔理沙のキャラによくあっているセリフだと思います。
>もう、落ちてるだろ
目線で探るように示唆とかだったら惚れるかも。
「――もう、落ちてるだろ?」のセリフで萌え死んだ
清清しいお話を読ませていただけて感謝。
こってり怒られるにとりを幻視しました(笑)
正直、にとりのキャラクターはまだ不確定な部分があるなぁ。
人間と、その盟友である河童の物語。
テメェそりゃ違うだろ? って殴り合える付き合いは素敵ですよね。
平井和正の主人公っぽい台詞が似合うね
>>かっか
確かににとりの子供っぽさは出せなかったかも――
出会ってしばらく経ってからの人見知り期間が過ぎたらあんな口調になるかなーと思ってますが、もう少しにとりの可愛い面を出してやりたかったです。
にとりは好きなキャラなので、いつかリベンジを――
>>名前が~さん
力があろうとなかろうと――その通り、それが幻想郷なんです。
ただ何というか霊夢のEDを観て、ああ良いEDだなぁと思いながらも、心のどっかで感じた引っ掛かりを元に今回書いてみました。
それはそれで素敵な関係だけど、それは神から与えられた対等に過ぎないんじゃないかと。
人間は皆平等とは言いますが、それは平等であろうとする為に先人たちが多くの犠牲と労力を経て培ったものじゃないかという思いがありまして。
というわけで、魔理沙頑張れと思いながら書きました。
説教臭いよなぁ…… orz
>>名前が~さん
わぁい、ありがとうございますw
後味すっきりと言ってもらえて嬉しいです。
>>三文字さん
いぇーw
確かに色んなものに影響受けました。
兄貴とか兄貴とか兄貴とかかか。
>>名前が~さん
実にシンプルな感想。だけど楽しんでくれたのなら幸いですw
>>名前が~さん
にとりも魔理沙も可愛いよ! でも映姫はもっと可愛いよっ!
>>乳脂固形分さん
良い漢(おんな)は自信に溢れているものです。
魅せ方は推敲段階で色々試してみましたが、一番ストレートな手法をとりましたw
>>名前が~さん
魔理沙は乙女だよ! だよ!
だけど乙女分は香霖堂で砂吐きそうなくらい補充出来るので、敢えて漢分をw
>>名前が~さん
いぇーw
目で殺せ! みたいなー
>>名前が~さん
後書きにも書きましたが、河童という種族が人間の隣人なんですよねぇ。
近くもなく遠くもなく。
共存とは互いを助け合うものではなく、互いの存在を認めること。
そんな言葉が好きだったりします。
>>名前が~さん
やー下手すりゃ怒られるどころじゃ済まないでしょうねぇw
でもそれを知りつつ手を貸すことを選んだにとりの覚悟を、感じ取ってもらえると嬉しかったりw
>>おやつさん
勤務中だというのにありがとうございますw
互いに殴り合える関係は素敵ですよね。
認め合ってるからこそ、本気で叱ることができるんですから。
>>蝦蟇口咬平さん
いぇーw
平井和正は未読ですが、格好いい女の子は素敵ですよね。
長くなっちゃいましたが、本当にありがとうございました。
風神録ネタでもうしばらく書いてみたいと思っておりますので、機会があればまた読んでくださると嬉しいです。
それでは、またw