今は紫に藍と名付けられた二尾が、玉藻、当時妲己と呼ばれていた九尾と行動を共にし始めたのはいつの頃からだったろうか。
それはようやく人間に近い姿に変化できるようになった頃。
妖狐としてそれなりに長く生き、妖怪らしくなり始めた頃だった、と藍は記憶している。
藍は群れて行動する方ではなく、人の目を避け、奔放に野山を駆け巡っていた。
元来が穏やかな性格だから、広大な大陸を旅して回るのが好きだった。
人間は一生懸命妖怪を全滅させようとしている。
だが藍にそんなことは関係なく、逃避行さえも、ただの楽しい冒険でしかなかった。
ある日、藍は高い山に登った。
一つの高い山を取り囲む小さな山々が、まるで高い山の子分のようだなと思った。
頂上付近に来ると、たびたび妖怪の気配を感じるようになったが、特に襲ってくる様子も無い。
挨拶を交わしながら頂上を目指し、そこで出会ったのが九尾、妲己だった。
自分はようやく尾が二つになったばかりだと言うのに、その量感、長さ、毛艶のなんと美しい事かと思った。
泥まみれになりながら辿り着いた藍を排除しようとすることもなく、温かく微笑んでくれた。
藍は勘の良い方だった。
その微笑の奥に、底知れぬ悲哀を感じ取った。
しばらくその山で厄介になろう、と思ったのは、偉大なる同族としての妲己に対する憧れだったろうか。
それとも、その悲しげな瞳を捨て置けなかったからだろうか。
玉藻が嫌な顔一つせず、自分を手厚くもてなしてくれたことも助けただろう。
だが妲己を頭領としてそこに栄えていた妖怪の楽園は、けして、妲己自身が望んだものではなかった。
彼女は一人で静かに過ごし、いずれは天命を全うして死のうと思っていた。
妲己の記憶が混ざり合った今、藍にはそれが明確にわかった。
■八雲紫
そんな彼女の想いを壊したのは、藍を初めとした、妲己を取り巻く妖怪達だったろう。
妲己は彼らを「守らなければ」いけなくなった。
それは、郡を抜いた知能と妖力、体力を全て兼ね備えた妲己の使命なのだろうか。
妲己として殷王朝に君臨した彼女の目的は、国の滅亡などではなかった。
あまりに古い話だから誰にも確かめようがないが、妲己が紂王に真摯な愛を抱いていた事は、今の藍には理解できる。
混ざり合った記憶は、本で読んだ物語のように、全てが他人事だった。
しかしそれらは全て事実、目を背けたくなるような妲己の悲しい過去。
断片的で、不完全ではあるものの、確かに藍の記憶の中に存在している。
人間の国を抱え、己の妖気に中てられて気の狂ってしまった紂王をかばい、従えた妖怪達と共に神々と争った。
妖怪達の英雄とされた理由は、まず人間を敵視する妖怪達にこの妲己の勇姿が好評であった事。
そしてさらに、弱い妖怪を守るような戦法を取った事。
事実は歪曲し、人間達からは目の仇にされ、妖怪達には祭り上げられ、勝手に頭領に据えられてしまった。
大陸における妖怪と人間の完全なる敵対関係を作り出してしまった。
神々との長い戦いで弱りきっていた妲己の勢力は、妖怪狩りに乗り出した人間達を抑えきる事ができなかった。
住処としていた山々も追われ、逃避行の中で幾多の仲間が死に、その度に妲己の心を強く締め付けた。
隠れ住んでも見つけられ、相談を持ちかけられる。
自分の周りには弱い者が勝手に集まる、見捨てる事ができないので、守らなければならなくなる。
大陸を離れて日本へ来た理由は、自分の持つ経歴を消去したかったという思いもあったのかもしれない。
しかしそれも天狗と対立し、藍が追って来てしまった事で水泡に帰した。
全てを捨てて逃げる弱さを持つ反面、愛する者が側に居る間は自らの心身を省みずに守ってしまう。
そして藍が犠牲になった。
玉藻となった妲己の幸せのために戦い、力尽きた。
そのとき妲己は自暴自棄になり、藍を蘇生させる代償としてその命を捨てた。
中途半端な反魂の秘術で、藍は妲己の力を吸収して強力になり、それまでの人格も歪んでしまった。
「何が妖怪の楽園だ。萃香様と天狗達が築き上げたものを横取りしようとしておいて」
玉藻との融合によって強化された藍の肉体をもってしても、崇徳天狗の怪力からは逃れられない。
締め付ける圧力は次第に大きくなり、首の軋む音が、骨を通じて藍の脳内に届く。
「綺麗事を並べる連中ほど信用できないものはない。甘い言葉の裏にどんな欲望が潜んでいるかわからん」
崇徳天狗の言い分もまた事実だろう。
立場は違えど、玉藻も崇徳天狗も何かを押し付けられ続けて身を滅ぼした。
崇徳天狗は玉藻の過去など知らないが、周囲の身勝手に振り回された過去を持つという点では共通している。
(妲己……玉藻様……)
藍は地に足の着かぬ「夢」を抱いて天狗達に立ち向かった。
玉藻の力の一部を得、過去を知ったとして、藍と玉藻の人生には比べようも無い隔たりがある。
玉藻を殺してしまったのは自分の甘えた考えと、無鉄砲な行動によるものだ。
認めたくなくて、天狗のせいにしていたが……これは報いなのではないか、と消え行く意識の中で思った。
「お前なんぞに構っている暇は無いんだよ。おれ達の目標は八雲紫だからな」
錯乱した小物が、少し力を手に入れたからとそれを振り回している。崇徳天狗はそうとでも言いたげだった。
「こうしていつでもくびり殺せるやつは本当の脅威じゃない。神出鬼没の八雲紫こそ、おれ達の敵」
先ほど藍にやられた鴉天狗が、脚にこびりついた血を爪でこそぎ落としながら浮上してきた。
既に傷は閉じているようだ。切り口が滑らかすぎたため、逆に早く再生したのかもしれない。
「お前は、ついでに殺す」
崇徳天狗を蹴りつける藍の脚から力が失われていく。
(ついでだと?)
藍はここに来て、紫が何故自分を連れてきたのかを思った。
紫の目的は藍にも伝えられていない。何故京を選んだのか、何故争うのか。
鼻高天狗の背後では、符によって展開を封じられた空間が、気味悪い胎動を繰り返している。
紫はそこから出現して藍の援護を画策したが、鼻高天狗の妖術が想像以上だったために身動きが取れなくなったのだろうか。
「藍」
だが、動きを封じられているはずの紫の声がその場全員の耳に届いた。
鼻高天狗よりも、崇徳天狗よりも……藍が閉じかけた目を見開き、最も驚いていた。
「なんだ……八雲紫」
藍は締め付けられる喉に必死に力を込め、心より恨みを込めて呟いた。
どこにいるとも知れない紫を探して、その視線が周囲を泳ぐ。
「負けたくないなら勝ちなさい。そいつの言う事に耳を貸す必要など無いの」
「余裕じゃないか八雲紫。封じ込められて動けないくせにな」
「信も義も捨てるの。今の貴女には目的と結果があれば良い」
「ふん、無視か」
紫の声は、動きを封じられているはずなのに澄み渡り、不遜で澱みが無い。
藍は首にかかる力が弱くなるのを感じた。
崇徳天狗は、次に出てくる紫の言葉を聞き届けてから殺そうとしているようだ。
気道にできたわずかな隙間から、ここぞとばかりに精一杯、酸素を吸い込んだ。
「そいつの言葉なんかで揺れてしまう動機、邪魔でしかない」
「私は妖怪の楽園を作るんだ……」
「それはそれで、良い。けれどね藍、それはそれなの。
大陸の仲間がどうとか、玉藻前がどうとか、私にはどうでも良いし興味も無い」
「お前の事なんて知るか!」
「そうよ藍、だから私も貴女の動機はどうでも良いの。ただね、目的は同じ。楽園を作るのよ、藍」
それまで反抗的だった藍の表情が凍りついた。
――楽園を作るのよ、藍。
崇徳天狗を初めとした、天狗全員の表情も急激に驚愕の色を帯び始める。
それは今まで、巫女にしか話さなかった紫の本当の狙いだった。
しかし、巫女に話したときの様子はあまりにも胡散臭く……内容も、自分が支配者になる、というような邪悪なものだった。
「人間と妖怪が絶妙の均衡を保つ、平和で怠惰な楽園」
それを聞いた崇徳天狗の頭の中で、散らばっていたいくつもの事象、言葉が繋がり始めた。
巫女に引かせたあのふざけた結界……あれは『京』全域を包み込む『必要』があった。
人間全員を神隠しに遭わせた上で、なおかつ無駄に巨大な結界を引かせたのは……。
「この結界が……楽園を守る境になると言うのか」
あまりの話の大きさに思わず崇徳天狗の顔が引きつった。
それほどの面積を結界で包み込み、自分の管理の届く楽園にしようと言うのか。
「そろそろ、隠れているのも飽きたわね」
鼻高天狗の符が弾け飛び、空間の割れ目を押しのけて紫が這い出してくる。
いつでも抜け出せたのに、あえて閉じ込められてるふりをして天狗の油断でも誘ったのだろうか。
しかしどんな憶測もその薄笑いに阻まれ、誰も紫の真意を探る事はできない。
日傘の柄をさすりながら紫は続ける。今度は己の口で。
「ま、いずれわかるからそれは良いの……今の主人公は藍」
攻撃態勢に入る鼻高天狗と鴉天狗を交互に睨みつけ、それだけで動きを封じる。
最後に睨まれた文は動こうとすらせず、紫の壮大な構想の続きを聞きたそうに見つめていた。
「過程などどうでも良い。貴女は今、確実に掴める勝利を掴むのかどうか、選ぶ必要がある」
「こんな状態で、勝利が確定しているというの?」
崇徳天狗が再び指に力を込めると、藍は紫を睨んでいた目を強く閉じて呻く。
「確定しているわ。私の式となるかどうか、論点はそれだけ」
「誰がお前の手下なんかに……」
未だに生意気な態度を取る藍に腹を立てたのか、紫が顎を上げ、鋭く見下した。
さらに日傘の先端を藍に向け、高圧的に、吐き捨てるように言葉を繋いでいく。
「大好きだった玉藻前への想い。大陸の仲間を導く大義。妖狐としての誇り……
貴女はそれらを捨て、勝利を掴むための屈辱に耐え、大嫌いな私の式を受け入れて、忠誠を誓えるのかしら?
目的と結果はどんな動機よりも崇高。正義を主張できるのは、勝利した者だけよ」
紫の言葉は、藍が式神となる決意をする上で邪魔にしかならないものだろう。
紫は、藍が心の支えとしていたものを全て取り払い、目的と結果のみを強く信仰しろと言う。
「簡単に口にできる誇りなど高が知れている、安いの」
「安いだと……!?」
紫は、自分を睨み付ける藍を怒気を含んだ目でさらに強く睨み返し、冷たく言い放つ。
「そこまでできない『目的』ならここで死になさい。そんな従者は要らないわ。この天狗達は私が片付ける」
「……なかなかえげつないことを言う。まぁいい、それじゃあ殺すぞ、良いな」
「どうぞ」
突きつけられた「死になさい」という台詞のあまりの威力に、涙が浮かんだ。
藍は全てに見放されたことを悟る。首にかかる力が先ほどとは段違いに強くなり、頚椎が軋みをあげる。
頭の付け根が痺れ、熱を持ち始めた。首が……折れる。
死んで、消えた意思はどこへ行くのだろう。
玉藻が死んだ夜のことを、激しい絶望の中で思い出す。
そこは冥府を越え、彼岸へと続く川。
川を渡りたければ運賃を渡せ、と船頭に言われた。
胸の痛みは取れていなかったし、喋ろうとしても、口からは血しか出ない。左ひざも砕けたままなので、腰を下ろした。
血に濡れた銭を胸元から取り出し、もう何の価値も無いと、惜しみなく全て船頭に渡した。
船頭に渡した運賃は、何故か異様に多かった。
これならすぐ向こう岸に辿り着くだろう、と言われた。
――私は、もう疲れてしまったよ――
川を渡る途中、不意にそんな声が聞こえた。声のする方を振り向いた。
そこは飛ぶ力を奪う川のはずなのに、玉藻が、初めて出会った頃のような、優しくも悲しい表情で浮かんでいた。
異常を察知し、狂ったような攻撃を繰り出す船頭などお構いなしに、玉藻の腕が藍の体を包み込んだ。
――私の分まで生きろなんて言わない。元々、捨てるつもりの命だったんだから――
声を掛けようとしても、死因となった裂けた胸。その胸にはしる痛みが、発声を許さなかった。
玉藻様でも妲己様でも良い。とにかく彼女の名前を呼びたかった。
――私になろうとしなくて良いのよ。お前はいい子だから、思うように生きれば良いの――
目から出る涙は蒼いのに、口から出るのは赤黒い泡だけ。これが玉藻との本当の別れになると、本能が訴えていた。
結局何も告げられぬまま、船の上に立っているのは藍と入れ替わった玉藻と、
玉藻の幻術にかかってうつろな目で船を漕ぐ船頭だけになっていた。
そのまま藍の体は急速に玉藻から離れ、冥府へと戻り……気付けば、宮中で玉藻の亡骸に抱かれていた。
胸の傷を埋めるように、残留した玉藻の妖気が、優しい温もりとなって藍の体に染み渡っていった。
妖気が満ちて髪が変色し、臀部にかかる妙な重さに振り向くと、尾の数が増えて長さも増していた。
そして頭の中には玉藻の記憶の断片が転がっていた。
反魂の秘術を使ったことも、あの川が三途であったことも、全てが瞬時に理解できた。
なのにそれを認めたくなくて、過ぎた悲しみが、まるで恐怖のように藍の狂気を呼び起こした。
慟哭とも咆哮とも取れぬ奇声を発し、玉藻の亡骸を振りほどいて、宵闇を切り裂くように飛び立った。
――楽園を作るんだ――
死を悟ったはずなのに、気がついたら見苦しく叫んでいた。
「いやだ! 死にたくない!」
二尾だった頃に山で死にかけたときとは状況が違った。
あのときは、玉藻の役に立てただろうという誇らしさがあった。
玉藻への想いもあって、誰かのために死ねる自分に胸を張っていた。
首に巻きついた崇徳天狗の指から逃れようと、死に物狂いでこじ開けた。
下半身がねじ切れるぐらい腰をひねって、蹴りつけた。
眼球がしぼんでしまうのではないかと言うほど涙を流し、駄々をこねる子供のような金切り声を上げた。
そして再び、想いが胸を締め付ける。
――八雲紫の力を借りてでも、自分は楽園を作り上げなければならない――
それは何の動機も介在しない、純粋な願望だった。
「助けて!」
紫に向かって、格好悪い台詞を精一杯ぶつけた。
それまで凍り付いていた紫の表情が一度融解し……さらに冷たい、氷の微笑が浮かび上がる。
「よく選んだわ、藍。一人で天狗と戦わせた甲斐があった」
悪魔と契約を交わしてしまったのか、それとも神に見初められたのか。
もはや、それを確かめることに意味は無かった。何故なら……。
「こうなるのは見えていたの、だからとっくに式は打ってあるわ。ほら見なさい、首は折れてないでしょ?」
紫の冷たい微笑が、いたずらを成功させた少年少女のような無邪気な笑顔に変わる。
そして藍の足元には、五指を全てと、肘関節をへし折られた崇徳天狗が苦しそうに丸まっていた。
藍がどう答えるかなど、紫には見抜かれていた。
崇徳天狗が指に力を込めた瞬間に式神が藍の体に憑依し、無敵の力を与えていた。
「紫……様……」
恐怖に震える声で新たな主の名を呼んだ。
いまだ心の中には、分厚い壁のような抵抗心がそびえているが、きっとそんな「境界」、紫はものともしない。
「紫様」
底知れぬ力に怯えながら、そう呼ぶしかなかった。
しかし紫は藍の気持ちなどわずかも考慮せず、次の命令を下す。
「最初の命令よ。そこで雁首揃えて浮かんでる天狗全員、懲らしめてやりなさい」
「……異存は無い。でも、理由は?」
「貴女をスッキリさせるためよ。もやもやしてるのは良くないわ」
「一応聞かせて。私は勝てるの?」
「勝てるわよ」
即答した紫の言葉が本当であることをすぐに理解できた。
藍は身構える天狗達を挑発するように睨み付け、口の端を歪めて見せた。
「了解した。感謝します」
立ち上がる崇徳天狗を初めとした、敵全員に背を向けて紫は歩き出す。
「今日から貴女は私の式神……だから「八雲」の姓を名乗りなさい。それはそれは誉高きことよ」
先ほどまでの藍は、玉藻や大陸の仲間を盾にとって自分の正義を主張していた。
しかし今は違う。何かを為すのに必要なのは、大義だけではないと悟った。
もちろん、大義が心の力となることには間違いない。
だが大義を力とできるのは、真に強い者だけなのだろう。
そしてそういう者は、大義など無くとも、為したいことを為すに十分な力を得るのだろう。
紫を見ていると、それを痛感した。
為すために力を付けるのではない、力があるから為せるのだ、と。
そして紫はその全責任を負うだけの器量と、不屈の精神力を兼ね備えている。
玉藻とは質が違うが、尊敬に値する妖怪であることが今になってようやくわかった。
「行きなさい、式神・八雲藍。巫女の様子が気になるので、私はあっちを見てくるわ」
「はい」
藍は倍増した妖気で天狗達を威嚇し、紫の背を守る。
いつの間にか紫に対する恐怖心は消えていた。天狗達に対する怒りももう無い。
あるのは紫の命令と目的、そしてそれと一致する自分自身の目的。
楽園は、あの強大な主に従うことでいずれ実現する。
「いい加減に決着をつけて、後腐れなく終わろうか」
「大した自信だな狐……!」
崇徳天狗が折れた指を押さえながら立ち上がり、顎をしゃくって仲間達を導く。
文だけは制されて、身を守るに十分な距離を維持させられた。
「まだ流石に楽勝とはいかないだろうけど、今はそれでいいわ」
藍が微笑み、崇徳天狗に飛び掛かる。
そして、崇徳天狗の左後方に構えていた鴉天狗が、それを迎撃するために飛び出した。
天狗の精鋭三名と、式神となって力を増した八雲藍の戦いが、三度始まった。
そして巫女と萃香の戦い。
巫女は萃香の攻撃を次々と打ち破り、最初から一貫して優位を保っていた。
「まぁ、予想通りね」
紫にとっては、その展開さえも予想できるものだった。
紫は京の市街で火花を散らす二人を遥か頭上から見下ろし、微かに、安心したような表情を作る。
巫女の優位は言うまでも無く、封魔大結界の直撃を受けて萃香が消耗していることが大前提となっている。
さらに巫女の術「封魔結界」の存在は、萃香の疎を操る能力に大きな制限をかける。
あの強力な「面」での攻撃が、霧散した萃香に対して実に効果的に働くからだ。
無論、体を細かくすることだけが疎を操る能力ではないが、通常、攻撃回避に便利な能力なのは確かで、
それによる回避が封魔結界の呼び水となってしまう状況は萃香に都合が悪かった。
あれほど大規模でないにしろ、巫女はまだ封魔結界を使用するだけの力を温存している。
そして密を操る能力の、巫女に対する相性の悪さもある。
巫女の戦闘法は紫のそれと似通っている、実に変則的で先を読みづらい。
紫との決戦の際は、結界の力と宵闇を利用しての撹乱や迷彩で紫の攻撃を無力化していた。
紫と萃香の戦いで、紫はあえて結界を使うことでその攻撃を受け止め、萃香の闘争心を煽った。
しかし本来紫はあれほどの無駄な消耗を好まない。それこそ、直撃する部位の空間だけ切り取れば事足りる。
所詮あれは演出の一つに過ぎず、紫の得意とする戦法からはかけ離れていた。
属性として直線的になりがちな密を操る能力は、萃香自身の心の乱れもあって、不規則な巫女の動きを捉えられずにいた。
赤く染まった萃香の鉄拳に対して巫女は斜めに結界を張り、その軌道を逸らして対処した。
紫には及ばない結界も、使い方を工夫すれば萃香の攻撃から身を守る事ができる。
大地を殴り、噴出させれば、息を吹きかけられた綿毛のように舞い上がる。
敵の攻撃を予測する本能は、もはや勘というより予知能力に近い。
萃香の攻撃が単調になってくると、周囲を攻撃用の結界で囲う。
それはそこを通る巫女の攻撃を増幅させたり、反射して予測不可な変化を起こす。
萃香はそれを避けられず、全てその身に受けた。
萃香が霧散しようとすると、封魔結界の構えを見せる。
全身の質量を増大させて引力を発生させると、巫女はそれを逆手に取り、投げつける封魔の針を加速させた。
「わざと食らってるでしょあんた」
巫女は傷だらけになった萃香に向かって、遠慮なくその言葉を投げつけた。
萃香の動きには迷いが感じられる。巫女は、鬼とはもっと豪胆なものだと思っていた。
「本気でかかってきなさいよ」
「……死にたいの?」
「死にたくはないわよ」
「ふざけてるの?」
「本気よ」
「私を殺すの?」
「退治はするけど別に殺さないわよ」
両者とも、血と汗を流しながらわけのわからない問答を繰り返していた。
萃香の迷いは、巫女の目的の不鮮明さからくるもの。
「何がしたいのよあんた。鬼だかなんだか知らないけど。紫も何したいんだか今ひとつわかんないし」
「こっちが訊きたいよ。あんたこそ何がしたいんだ。私を殺しにきたんじゃないの?」
「だから殺さないって言ってるでしょ、しつこいなあ。死にたいのはあんたの方じゃないの? 変なの」
「私は鬼だよ。人間の害なんだよ?」
「ほとんど山に篭ってたくせに何言ってるのよ。紫の方がよっぽど害よ」
「昔、京で暴れて人間をたくさん殺したんだよ?」
「今殺してなきゃ別にどうでも良いわよ。どうせあんたら長生きなんだもん」
「……」
「面倒見切れないわ」
巫女がお払い棒を構え、地面に例の符を設置する。
「やる気が無いなら、とっととやっつけて山に追い返すだけよ」
「なんでそんな半端なことをする」
萃香の全身が熱気を放ち始める。
わけのわからない巫女との問答、萃香は煮え切らない感情を発散したがっていた。
「殺したくないからよ」
「なんで? 人間は皆私を殺そうとした。私も人間を殺した」
「うちの家系は代々あんまり妖怪を殺さないのよ。つい先日紫相手に本気出したけど、やっぱ生きてたし、あいつ」
「紫……」
「それにあんたら、殺そうとしてもなかなか死なないじゃない。殺しきるのめんどくさいわよ。
大体が、一回退治しちゃえば大人しくなるし。殺す必然性が無いわ」
「は、はははっ……」
また毒気が抜けてしまった。
萃香がここで一つ理解したのは、巫女がこんな性格をしているから、一回やられた妖怪は大人しくなるのだ。
この巫女は、殺してしまうのが勿体無い。一緒に酒でも酌み交わした方がよほど楽しいであろう事がわかる。
これは人間と言うより妖怪に近い感性だろう。
「紫もへんてこだったけど。あんたも相当だわ……」
萃香が膝をついた。
まだ立てるし、殴りかかれる。致命傷も受けてない。
だが、心が折れる音が聞こえた。この巫女に負けた、力勝負ではない。
紫が意地でもこの巫女と自分を戦わせようとした理由が……なんとなくだが、見えた気がした。
「失礼ね、紫と一緒にしないでよ。はっきり言って封魔大結界で死ななかった時点で、あんたは無理」
巫女は、まだやるならかかってこいという様子。
足元に設置した符も、用途は不明だが萃香を迎撃するための予備動作であろうことは明白だった。
身を守る意思はあるが、萃香がかかってこないならそれ以上の追撃も無さそうだった。
萃香はそのままうつむき、言葉を発しなくなった。
この人間は殺せない、殺しても何の得も無い。
人間がこういうやつだけなら、ずっと平和だったろうに。
「……わかった」
萃香は今、この巫女と対峙し、敗北した事で自分の役割を理解した。紫の目的も。
そして今自分が取るべき行動は一つ。
「あんたらが作ろうとしてる楽園……」
萃香の質量が上がる、全てを飲み込もうとしている。
そして巫女の表情が固まった。
萃香の戦意は消し去ったはずなのに、様子がおかしいことに気付く。
「紫は試そうとしてる。あんたの力、あんたの度量」
周囲にあるものが全て萃香の重力に吸い寄せられる。
在るべき形が崩壊し、粒子となって萃香に吸収されていく。
「私は障害。この力を以ってして尚、あんたらの楽園を破壊できない事を示す為の試金石」
顔を上げた萃香の目からは涙が溢れ出していた。
その胸には文字通り、穴が……ぽっかりと黒い口を開けている。
全てを飲み込み逃がさない、事象の地平線が口を開けている。
「そうよ私は鬼。やってみろ、巫女、紫、九尾……私を止めて、目的を完遂してみろ!」
遠く離れた夜空で、封魔大結界までが、その凄まじい重力の前に軋みを上げた。
巫女は全力で萃香から離れようとしているのだが、徐々に引き寄せられていく。
「出て来い八雲紫! いつまでも逃げおおせると思うな! お前が作った偽りの京なんて、全て砕いて吸い込んでやる!」
大地さえも吸い込まれて融けてゆく。
空間にもヒビが入り始めた。全力で抗う萃香の能力が紫の能力を上回り、偽りの京を破壊しようとしている。
「ちょっと!? 無茶しないでよ……! 今更こんなことして何になるのよ!?」
巫女は結界を引いて萃香の重力に抵抗するが、それは一瞬で砕け、霊気の粒となって萃香に溶け込んだ。
その度に身が焼け、萃香が苦悶の表情を浮かべる。
「私はあんた達が作ろうとしてる楽園の礎になる」
「何のことよもうっ! 紫もあんたも、勝手に自己完結して……迷惑極まりないわ!」
巫女が投げつけた針は、もう萃香の体を傷つけるには至らない。
半身ほど刺さったところでその熱量に溶かされ、穴に吸い込まれる。
萃香は巫女の抵抗など気にも留めず、目もくれずに声を張り上げる。
「そういうことよね紫? だから私を選んだ。その力のみを基準として、最適な悪役を選んだ。
きっとお前はずっと待っていたに違いない。楽園を構築するための材料……守護者、従者、そして敵が一同に会するのを」
萃香は上空を見上げ、何も無い空間を睨みつけて叫ぶ。
そしてそこには、傍からは何も無いようにしか見えないが、紫が潜んでいる。
「私の、この最後の抵抗を阻止してお前の計画は完成する!」
「何入り込んじゃってるのよぉ! あんたと一体化するなんて嫌……!」
もはや巫女は結界を引くこともできない。霊力を放出すれば、それはたちまち萃香に吸い込まれてしまう。
浮力を生じさせるための霊力も同様で、地面にお払い棒を突き立ててそれにしがみつくしかなかった。
だがもちろん、大結界さえ歪める萃香の重力に、巫女の細腕と木製のお払い棒が耐えられるわけもない。
「残念ね、こんな守護者じゃ楽園は守れないでしょう……あんたとは、別のところで会いたかったよ」
「終わらせようとしないでよおぉ、まだ若いのにぃ。うぎぎぎぎ……」
お払い棒がバキバキと乾いた悲鳴をあげ、巫女の握力も限界に近づく。
このままでは、萃香に張り付いて分子分解され、全ての境界を失った、質量の渦の一部と化してしまう。
「そうね。この子だけでは無理」
状況を見かねたのか、ついに紫が口を開いた。
どこからともなく聞こえたその声に驚いたのか、或いは、安心したのか……巫女の手がお払い棒から離れた。
巫女の表情は穏やかだった。
予知能力とも言えるほどの勘か、それとも紫への絶対の信頼か。
その顔に浮かぶ微笑は、助かる事がわかっているから。
「遅いわよ。もう」
空間を引き裂き、普段の緩慢な動作からは想像もつかない速度で飛び込んできた紫が、巫女の体を抱きとめていた。
萃香は相変わらず凄まじい重力を放っているが、巫女を抱きかかえ、宙に浮かぶ紫の体は揺るがない。
巫女は安堵と脱力から目を閉じ、その身を委ねていた。
「だから私と藍がいるの」
紫は、全ての光を飲み込んでしまいそうな深い紫色の瞳で、萃香を見つめた。
一方、藍と天狗達の戦いは一進一退を繰り返してほとんど進展が無かった。
その状況に一番驚いていたのは崇徳天狗。部下の天狗達は、どうも全力を出していなかったらしい。
「どういうことだ?」
泥まみれになった藍も苦しそうに息を切らしている。
当然天狗達も無傷ではないが、見た感じ、まだいくらかの余裕を残しているように見える。
「崇徳様」
大きな息をひとつついて、女の鴉天狗が崇徳天狗を上目遣いに眺めた。
まるで小ばかにでもするような目つき、崇徳天狗は思わずその雰囲気に飲まれ、言葉を失う。
「殺し合ったって良いこと無いですよ」
クスッと笑い、鴉天狗は風となって藍に飛びついた。
藍もその攻撃を瞬時に見切り、高下駄を白刃取りで防ぐ。
「これだけの数の精鋭相手に見事だと思う。でもこんな戦いに意味があるとは、私は思わない」
「なら、何故戦いを続ける」
鴉天狗は高下駄を脱ぎ捨て、藍の放った光線を紙一重でかわした。
藍も式を打たれてからは常に冷静で、今は勝利よりも、紫の思惑が気にかかっていた。
そして鴉天狗は超高空へと瞬時に飛び上がり、今度は空気の鎧をまとって急降下、藍へと突進する。
「見せてもらおうと思って。あんた達がどこまでやるのか」
「おい! 本気でやれ!」
「崇徳様。貴方の事は嫌いじゃないよ」
まるっきりふざけた表情で、それでも、直撃したら一度で再起不能になるようなかかと落としを藍に放つ。
藍は腕を交差させてそれを止めたが、受けた部分が痺れ、感覚が鈍る。
さらに次の瞬間には、叩きつけるような大気の塊が藍の全身を打った。
「崇徳様。真面目で可愛い」
「なっ!?」
「流石は元人間」
藍は全身を強く大地に打ちつけ、反動で弾んだ身をそのまま立て直す。
だが休む間も無く、即座に鴉天狗が真正面から追撃してきた。
「良いじゃない。楽園を作るって言うなら、見てみたいわ。本当に住み良いなら、私達も移住しましょう」
「閉鎖的な割には転身が早いな」
「私は奔放な鴉天狗。他よりも身軽なのよ」
鴉天狗の浴びせ蹴りに藍も浴びせ蹴りで対抗する。
威力は全くの互角、両者は空中で静止し、睨み合う。
「あんた達が楽園を作ったら、私が記事にまとめて、その良さを仲間に伝えるから」
「賢明だと思うけど、なんか腹立つわね」
鴉天狗が目を逸らす。
藍がその視線を追うと、そこには団扇を振りかぶる鼻高天狗がいた。
「だからしっかり。つまらない楽園だったら無視するわよ」
「ちっ……食えないな」
両者蹴り合って離れる。
そして次には、鼻高天狗の起こしたつむじ風がその場をえぐってしまった。
「崇徳様」
今度は鼻高天狗が藍から視線を外さずに、腕組みしている崇徳天狗に話しかける。
仲間達が本気でなかった事と鴉天狗の生意気さに閉口し、崇徳天狗は口を尖らせ、まるですねているようだった。
「さっきから崇徳様崇徳様となんだ、くそっ」
「鬼神様の所へ向かってください。風がおかしい」
藍を相手しながら鴉天狗も崇徳を振り向き、頷く。
もちろん崇徳天狗も感じていた。位置が離れているとはいえ、この暴風。
全ての風が、ある一点に向かって無理矢理吸い集められているように感じる。
「お前らが行った方が役に立つんじゃないか?」
「いえ、あの九尾を侮ってはいけません。あれも、ああ見えて全力だ。余裕のあるふりをしているだけです」
「あれ」と呼んだのは鴉天狗のこと、鼻高天狗は顎で鴉天狗の方をしゃくった。
藍は、服もぼろきれのようだし随所が泥で汚れていて、とても無事には見えない。
しかし、そう遠くないところから常に紫が妖力を供給している。その体力は無尽蔵と言って過言ではなかった。
「あの九尾を倒すには、短期間に続けて何度も致命傷を与えるしかない。
だがやつ自身あの戦闘力だ。これでは、我々も時間稼ぎしかできませんよ」
鼻高天狗は符を取り出し、右手に団扇、左手に符を、そして股を開いて体を大の字に構えた。
「任せて良いのか」
「私は酒呑童子のことは知らない。彼女がそうなのかどうか、それすらも」
「萃香様と酒呑様は違う鬼だ」
「そうかもしれません。だから貴方が行く必要がある」
鼻高天狗は、少しも包み隠すことなく崇徳天狗の役割を伝えた。
自分は鬼神として君臨している萃香しか知らないから、それを知っている者が行く必要があると思っている。
萃香は玉藻が出現した頃からどこか自嘲的になっている。鼻高天狗は、萃香が死ぬ気でいるのだろうと予測していた。
これは、この鼻高天狗以外でも予想できる状況だろう。崇徳天狗などもってのほかだ。
遠くの夜空がひび割れている。その破片が一箇所を目指し、飛んでいく。
いずれ大結界が砕け、粒子となって萃香の身を焼き尽くすだろう。
結界の中に居る者を全て巻き込み、萃香は滅ぶつもりだ。
逃げられるのは、非常識な移動手段を持つ紫と、その一味である巫女と藍だけだろう。
いかに萃香とて、弱った体でもう一度あの膨大な破邪の気を吸い込んだら、無事には済まない。
仮に生き残ったところで、化けの皮を剥がされた真実の京がそこに再び浮かび上がってくる。
人間達が、かつて京で暴れた萃香を許すはずがない。
二度に渡る大結界の直撃で虫の息となった萃香を、嬲るように『退治』するに違いなかった。
「鬼のような気高き妖怪は、その心根を砕いてやらねば勝てません」
「……」
「貴方が鬼神様に勝たなければならない。なんとか説得し、生きて山に帰るよう促さなければならない」
「見透かしたように言いやがって。萃香様がそう簡単におれの言う事を聞くかよ」
「そうでなければ……いや、皆まで言うまい。さぁ早く、事態は一刻を争う。九尾は我々にお任せあれ」
「指図するんじゃねえ! 言われんでも行くつもりだ!」
崇徳天狗を見送る鼻高天狗の目に焦りは無かった。
彼が言いかけた事は、もう一つ萃香に対抗する手段として、紫の存在。
――京の人間は一人も死なせはしない。あんた達天狗も一人も殺さない――
(まさかな)
紫は萃香がこうすることまで読んでいたのだろうか。
仮にそうだとしても、敵に頼らなければならないとは情けないにも程がある。
ましてや、紫に助けを求めなければいけない状況にされてしまったとは、とんだ赤っ恥だ。
(崇徳様には言えんよ)
紫の言う楽園。
紫の想定の中に萃香が含められているのだろうか。
それは決して楽なことではない。まさに野望と呼ぶに相応しい。
萃香が強力な妖怪であることは間違いない、しかし、何も萃香だけが強力な妖怪であるわけではない。
天狗のように、組織を成すことで他を寄せ付けない力を持つ連中もいるし、
単体で紫や萃香に肩を並べる妖怪がいるということも十分に考えられる。
それら全てが、素直に紫の作った楽園に住み着くかと言うと、そうではないだろう。
紫が思う楽園がどんなものであるのか、今はまだ紫にしかわからない。
(気になるのは確かだ)
このままでは、妖怪達は確実に人間に追いやられる。
知能の高い天狗は、人間に近い社会を築く事で、暗黙のうちに人間との衝突を避けている。
人間も天狗も、互いに不可侵であると、無意識のうちに理解しているのだ。
しかし、このまま人間が増長し続ければ、それもどうなるかはわからない。
天狗が滅ぼされるとすれば、順序としては妖怪達の中でも大分後になるだろう。
だが、その後は人間か妖怪か、どちらかが滅ぶ争いが待っているに違いない。
天狗の群れよりも強力な個体、神に近い力を持つ妖怪……紫のような。
それと人間が本気で争ったとき、必ずどちらかが滅ぶ。そして滅ぶのは高い確率で妖怪の方だ。
(欲の問題だろう)
妖怪は人間ほど欲深くない。
欲を邪な感情として嫌う人間は多いが、見ようによっては、それは人間を生かし、進化させるために必要な感情なのだろう。
欲を満たすために成長を続ける人間は、現状に満足してしまっている妖怪にとっては脅威としか言いようが無い。
その欲はいずれ、妖怪達を飲み込んでしまう。
「お前の主は、それにどう対処するのか」
鼻高天狗の呟きは、鴉天狗と激しい格闘戦を繰り広げる藍の耳には届いていないだろう。
「まぁ、できれば滅びたくは無いからな」
できれば、と言える辺りが妖怪らしさだろうが、それが人間に敗北する要因である事は理解している。
「お前の主は、人間よりも欲深いのかもしれん」
鼻高天狗が放った符は、一つが二つに、二つが四つに……分裂を繰り返し、藍を取り囲む。
それまで何もしてこなかった鼻高天狗が突然攻勢に移ったことに驚き、藍はそれを避け損ねた。
「ゆくぞ。我らに負けるようであれば、お前らの野望は叶わない」
符が藍の動きを封じた。そして、鴉天狗は鼻高天狗の言葉を聞いて笑う。
その戦いはまるで演劇だった。各々が自己の役割を見出し、一つの結果に向かって突き進んでいる。
自分達は藍を覚醒させるための刺激だった、そして、もうその役割は果たした。
「私にもわからないよ」
藍が呟く。藍の大きな耳に、鼻高天狗の声は届いていたのか。
その表情は自信に満ちている。紫が萃香にも天狗にも、そして人間にも負けるはずが無いと確信している。
「けれど、私より力も知能もある。そして目的が同じだ」
動きが封じられていようとも、藍の表情にまったく恐れは無かった。
どんな攻撃を受け、その身が傷つこうと……強大な主から注がれる妖力が、即座にその傷を塞いでくれる。
「だから全力でかかってきて構わない。お前達は絶対に負けるよ」
藍が、鼻高天狗に屈託の無い微笑を送った。
誰がどんな行動を起こそうとも、紫がそれを収束させ、大団円へと導いてくれる。
藍が何故そう思えるのか。
何故、つい最近出会い、ほんの少し前まで警戒していた紫に対しそこまでの信頼を寄せるのか。
今は藍と共にある、体の中の式が、そう思わせてくれる。
無限の力と無限の勇気を与えてくれる。
萃香の重力は次第に強くなっていく。
藍の九尾も、天狗の翼も、大気と共に振動している。
――きっと、紫様の思い通りにならなかったのは……玉藻様だけだったんだろう――
楽園を作る者と作らされる者、その違いだけは紫の誤算だった。
玉藻が野心を持って京に居座ったのだとでも思ったのだろうか。
だが伊吹萃香は、紫の思い通りに動いている。
震える偽りの京。剥がれ落ち、飛んできたその景色を藍は拳で弾き飛ばす。
剥がれ落ちたところには無。漆黒の空間がぽっかり口を開けていた。
「終幕が近いわ。お前達も悔いの無い様にすると良い」
藍が大地を蹴り、跳ね上がる。回転と共に強い発光が起き、周囲に眩い光線を打ち放った。
それらは鼻高天狗の符を焼き払うに留まらず、天狗達への強力な威嚇射撃となる。
「私は悔いない。お前達を我らの楽園に住まわせる事が私達の勝利だ。いつか為る。今はまだ為らずとも。
紫様は必ず応えてくれる。頭が良い、妖力が桁違いだ、寿命も、体力も」
藍の姿が消えると共に……周囲に大小様々な光の球が、規則的に、機能を捨て、整然とした模様を形作った。
鴉天狗と鼻高天狗はまるで導かれるように、踊るように、安全地帯を渡り歩いていく。
「綺麗……」
文が呟く。
離れたところに居る自分の元に届く頃には、華の様な弾の幕も、掌に乗せた雪のように崩れてしまっている。
あれをかわすのは至難の業だろう、だというのに、二人の天狗は楽しそうにその隙間を潜り抜けている。
(あの頃の貴女ではないのね)
文は血まみれで山頂を目指した二尾を思った。
そして制御しきれぬ力を頼りに、天狗全員を相手にした九尾を思った。
「鬼神様の能力は知ってる?」
「おおよそ把握した」
「集める力と、拡散する力で合ってる?」
「ああ、おそらく今のこれは究極の密。大きなものは、小さなものを取り込み同化する」
「そう」
藍の撒き散らす弾の雨に応戦しつつ、二人の天狗は言葉を交わしている。
「結界が壊れるまでどれほど?」
「そう遠くない」
「壊れた結界が全て鬼神様に吸い込まれるまでは?」
「俺に聞くな。算術は得意ではない」
「なによもう、役立たず」
藍の光線を団扇で受け流しながら、鴉天狗が不機嫌そうな表情になる。
天狗達は、役割を終えた今、自分達が何をすべきかを考えていた。
全て紫の思惑通りであるかどうかの確証は無い。だから打てるだけの手は打っておきたいところ。
鴉天狗は肩を大きく上下させている。服も体に張り付き、その肌の色を滲ませている。
問答する二人の天狗が目を合わせると、藍は目を細め、にんまりと笑った。
「あと四半時もないよ」
そして自分の頭を指でトントン、と二度突付いた。
それを見て、天狗達の表情が濁る。
――終幕の足音が聞こえる。
萃香と紫はあれから、一定の距離を保ったまま睨み合っている。
紫の腕にはそのままの状態の巫女が、きょとんとした表情で抱きかかえられている。
既に、三人の周囲にあったほぼ全ての物が吸い込まれていた。大地も、建物も、空間も。
残っているのは引力によって引き寄せる事のできない、何かの気のようなものだろう。
それらだけが星の如く周囲に浮かび、まるでそこは宇宙空間のようだった。
紫が自分の周囲に引いた結界は、萃香の引力に屈することなく巫女を守っている。
紫だけならば、本来結界を引く必要も無いのかもしれない。
「さあ、貴女は安全なところへ。私は萃香と話があるの」
「え? ここまで付き合わせといてそれは無いでしょうよ」
「敗者に口なしよ。退場」
抵抗してぎゃあぎゃあと喚く巫女を無理矢理空間の裂け目へと押し込み……
無事安全なところへと移動できたことを確認すると、紫はゆっくり、その視線を萃香へと流す。
「萃香、泣いているのね」
「わかんない。なんか無性に」
「可愛いわよ。泣き顔」
「うるさい」
紫が結界を解除すると、途端に衣服が暴れ始めた。
髪の毛だけを押さえ、紫はさらに話を続けようとする。
ところが。
「萃香様! やめてくれ! 滅茶苦茶になっちまうぞ!」
「崇徳」
駆けつけた崇徳天狗は重力に逆らうのが精一杯という体で、姿勢を維持できずに空中で回転しそうになっていた。
それでも歯を食いしばり、萃香を見つめて叫ぶ。
「山へ戻ろうぜ萃香様。俺達はもう負けた……命を投げるような真似して何になる!」
「わかってない。私達はこいつらの障害になるためにここに呼ばれた。今投げ出してはいけない」
「そんなことはどうでもいいんだよ! あんたまで死んじまったら、あの山から神がいなくなっちまう!」
「それこそどうでもいい! 生意気な口を利かないでよ!」
「うっ……」
崇徳天狗はそれきり、慌てながら何かを口に出そうとするのだが、言葉が詰まって出てこない。
紫はそれを見て呆れたように眉をハの字に曲げて笑うと、崇徳天狗に少時視線を向け、すぐに萃香を振り向く。
「退場。痴話喧嘩はあとで勝手にやってね」
「うおっ? 待てこらっ……」
紫に日傘の先端を向けられると、崇徳天狗の全身が徐々にかすれていった。
山で崇徳天狗に殺されかけたときの藍と同様に、崇徳天狗の体が消えていく。
「萃香様ぁーっ!」
「うるさいな崇徳! ほんとダメになったねお前は!」
「一つだけ言わせてくれよ! どうせおれはこのまま退場させられちまうんだ!」
体の隅から、腕、足が消え、胸元が消え始めた頃……崇徳天狗は大きく息を吸って、最後の言葉を叫んだ。
それを見た萃香も、最後ぐらいは言わせてやるかと、口をつぐむ。
「天狗になってからも酒が楽しく飲めるなんて、思ってなかったんだ!
京のばかどもに殺されかけた俺を拾ってくれたのは、酒呑様とあんただったじゃないか!
人間だった頃よりも充実してたんだぜ? おもしろい酒呑様と、萃香様と……
もう、人間に負けてたって良いんだよ! 俺はあんたまで……」
最後まで言いきることは叶わず、崇徳天狗は跡形も無く消え去った。
それでも、崇徳天狗の言いたいことはほぼ萃香に伝わっていた。萃香は眉をひそめ、難しい顔をしてうつむいている。
「貴女に出会ったから、彼はああいう風になれたんじゃないかしら」
「何を知った風な事を」
「別に知らないわ。なんとなくそう思っただけ」
「あれでも、昔はもっと切れたんだよ」
「そうなの。興味無いけれど」
再び二人はこう着状態に陥る。
紫はなかなか本心を語らない、何をするためにここで出てきて、萃香と対峙しているのか……。
「実はね萃香」
紫が、何か面白い悪戯でも思いついたように笑う。
少女のようなあどけなさの中に、ほんのわずかに狡猾さが覗ける笑顔。
それを見た萃香は思わず身構える、紫がああいう笑い方をしたときはろくなことが起きない。
「私も結構全力なの。もう偽りの京の維持は無理。放棄したわ。ね? 壊れていってるでしょう」
「何を言うかと思えば……」
何も考えていないのではないか? 今度は萃香が呆れる番だった。
「ん……?」
藍が、自分の身に起きた異変を感じた。
手の色が透けていく。それを見て天狗達を見やると、彼らの身もまた、同様に透けていた。
「おお?」
「あややや?」
「これは……」
天狗達は目を見合わせて戸惑っている。
その様子は、初めての経験に怯えているようでもあった。
「そうか、我々の戦いももう終わりなのね」
「……ねえ狐。これは痛かったりするの?」
「いや、無痛だよ。怖かったら目でも閉じていれば良い。いつの間にか移動しているから」
「そう」
藍の答えに安心し、鴉天狗が胸に手を当てた。
藍、鴉天狗、鼻高天狗、文もこれで退場……壊れかけの偽りの京は、紫と萃香二人だけの決闘場となる。
そして藍が表情を緩め、首を回しながら呟く。
「決着は着かなかったわね」
強く閉じた目を静かに見開き、天狗達を見つめた。
「けどこれで良いわ。私の目標は達成した……私の勝ち」
鼻高天狗が面白く無さそうに鼻を鳴らし、文は安心したように肩の力を抜く。
最後に、鴉天狗が何か言い返そうと頭の中を漁っている間に……その場の全員もまた、京から退場した。
「いやぁ、貴女強いわぁ」
「強い奴を選んだのはあんたでしょ……」
紫はゆったりと、隙間に肘をかけている。
萃香は最早動揺もしなかった、やるべきことは決まっている、それに向かうだけだった。
「私の創った京。どうだった? 酒呑童子率いる山の鬼達と人間達の戦いに終止符が打たれた日の京は」
「忌々しい。思い出したくない」
「でも建物の中なんかは、結構適当に作っちゃったの。何せあまり時間がなかったから」
「紫」
「何?」
萃香の目から流れる涙は既に止まっていた。
「くだらないおしゃべりなんかしたくないわ。質問に答えるなら、それのみ、発言を許してやっても良い」
「まぁ怖い……良いわよ、何が聞きたいの? 最後ぐらい答えてあげる」
うふふ、と笑って、紫は嬉しそうに萃香の表情を覗き込む。
「楽園を作るって言うのは本当?」
「半分と言う所ね、私の見立て通りに行けば。もしかすると必要でないかもしれない」
「楽園が必要ない?」
「違うわ、楽園を包む結界が必要ないかもしれないの」
「あの巫女は何のために?」
「一つは貴女に会わせる為、一つは結界を試験するため」
「あの結界は楽園を物理的に守ると?」
「それは無理。あの結界には『意味』を与えなければ。その論理をどうするか、それはこれからの歴史の動き次第」
「……どういう意味よ」
「例えば……今ここを包む結界の内側には『偽』、外側には『真』、と言う論理的境界を作った」
「中と外には、何か一点において絶対的な違いが存在するってことか」
「そう、やがて人間が増長し、楽園に境界を引く必要が出たら……どのように妖怪を守り、人間を弱くするか、
その論理を完成させ、巫女と私で楽園を守る」
長い問答の後、萃香はまだ頭の中の整理がつかないと言った様子で眉間にしわを寄せながら、首を傾げた。
「何故そこに巫女を混ぜるのよ」
「人間と妖怪が協力する必要があるのよ。表向きそうでなくても、人間と妖怪、それぞれに管理者を置き……
私は最終的にあの巫女に全権を託す。最後の一線は巫女が守らなくてはいけない」
「そこがわからない、私が統治している山と何が違う」
「そこは……秘密。もう時間もあまり無いの」
紫は唐突に会話を切り、日傘を空間の裂け目に放り込んで両手を萃香に向けた。
萃香は事態を把握できずに不思議そうな顔、紫が攻撃でも仕掛けてくるのだろうかと訝しんでいる。
「最後に私自身の試験」
そういうと紫は萃香を結界で包み込んだ。
「この楽園は簡単にはできないと思うの」
結界が萃香の能力に打ち負け、粉々に打ち砕かれた。
その反動が両腕に伝わり、紫は腕を弾かれて姿勢を崩す。
しかし、即座に体勢を立て直して、再び萃香を結界で包んだ。
「何をしてるのよ?」
「死のうとしている貴女を助ける。貴女のような妖怪こそ、私達の楽園に住まなければならない」
「はぁ?」
言いたいことを言って、自分も安全圏に逃げるとばかり思っていた紫がそんなことを考えていたとは。
――貴女の胸の隙間、この私が埋めてあげる。
次に浮かんだのは、あの日言われた頭に来る台詞。
萃香の表情が、久方ぶりに鬼の形相へと移り変わっていく。
自分も自棄になっていたとはいえ、ふざけた茶番に付き合わされ、利用され……。
その上何もかも思い通りにされるなんてことは、胸の内の自尊心が許さなかった。
萃香はさらに質量を上げ、重力を強める。
持てる力のすべてで紫に抵抗する、紫が萃香の死を望まないならば、意地でもそれに抵抗してやろうと。
紫の引いた、萃香を包む結界は再び木っ端微塵に砕かれ、質量の塊に飲み込まれた。
だが紫は諦めない、さらに結界で包み、萃香の力を失わせ……京から無理矢理連れ帰ろうとする。
「どんな不可をも可に変えていかなければいけないの。大変でしょ?」
「ふざけるな! 遊びに来たわけじゃない!」
つまらない人間達、牙を失った鬼達。忘れ去られ、消えてゆく。
惰性のように、従えた天狗達と酒を飲んだり、無茶を言って困らせる日々。
思い出すのはあの鮮血の日々。酒呑童子を初めとした、たくさんの仲間が討ち取られた日。
「我ら、誇り高き鬼を嘗めるな!」
萃香は三度、紫の結界を破壊する。
大きすぎる反動で紫の腕の血管がいくつか弾け、その純白の手袋が紅く染まった。
萃香も質量が己の許容量を超えて噴出した血が、紅潮した全身を血で塗らしていく。
だが次には、すぐに新たな結界が萃香を包み込んでいた。
「くどい! 何故……なんでここまでするのよ! 私を助けたところであんたにどれほどの得がある!?」
紫の全身から噴出す汗も、すぐに粒子となって萃香に溶けていく。
膨らみすぎた重力が徐々に紫の身を飲み込もうと、目に見えない手でその体を引いている。
紫も自分の周囲に結界を引いて抗うが、それはすぐにひび割れ、破片と化して吸い込まれていく。
萃香の意思からの逸脱を始めた質量と言う名の黒い魔が、紫とひとつになることを望んでいる。
だが、少しずつ引き寄せられても紫は諦めない。
その目は何をも恐れず、まっすぐに萃香を睨みつけている。
「ここで負けたら、一生敗北感が付きまとうわ。長い人生、それは辛いじゃない?」
「くだらない! なら負かしてやる! 負けて……死に、消えた私を想って一生歯噛みしていろ!」
萃香が自ら前進を始める。
質量を操る密の力はもうこれ以上制御できない、その手で紫を捕まえて、直接質量の渦に放り投げようとしている。
「負けないのではないのよ、負けられないの。私の楽園は、全てを受け入れなければいけない」
しかし、結界は引く側から割れてしまう。
紫の劣勢は明らかだった、もはや偽りの京もほぼ全体が萃香に飲み込まれている。
重くなりすぎた我が身を引きずるようにしつつ、萃香が紫に接近する。
その最中にも、紫は幾度となく萃香を結界の中に封じ込めたが、それは全て徒労に終わった。
そしてついにその手が紫の腕を掴んだ。
「捕まえた!」
驚きか、恐怖か……声すら出さない紫を、すぐにもう片方の手でも掴んだ。
そして質量の渦の中心であるその胸へ、抱きしめるようにねじ込んだ。
ほんのかすかに返り血が飛んで、萃香の顎の辺りにかかったが、もはや気にすることでは無かった。
「残念だったね、紫……いくらあんたと言えども、粒にまで分解されては復活もできないでしょ」
鬼の形相が、静かに悲しみの表情へと変わる。
大きすぎる力は誰にも受け入れられないのだと、改めて思った。
もう自分の力さえ制御できない。この重力を止めて京から脱出する事は不可能だった。
先ほどから少しずつ飛来していた大結界の破片も、徐々にその量が増していく。
あとは滅ぶのを待つだけだった。
「最後にあんたみたいなのと戦えて……全力を出せて、良かった」
同時に巫女のことを想う。
彼女達が作る楽園、是非とも見てみたかったが……その中心となる紫がいなくては、もうどうしようもあるまい。
紫は文字通り粉々に砕いて、取り込んでしまった。
大結界の大きな破片が萃香の全身を強かに打った。
すぐにそれも砕き、吸収してしまうが、打たれた場所から血が噴出し、吸い込んだ胸には激痛がはしる。
空中で身を丸め、苦しみ悶えて涙をこぼした。
だが追い討ちをかけるように、次々に破片が飛んでくる。
意識を失ってしまいたくても、断続的に与えられる苦痛が覚醒を促してしまう。
細かくなった破片が全身に刺さる、咆哮した瞬間、口内にも破片が突き刺さる。
この規模の結界を飲み込むには相当な時間がかかる、萃香は地獄とも言える責め苦に耐え続けなければいけなかった。
果たして、死ぬのが先か、結界が無くなるのが先か。
胸にある質量の塊に全ての妖力を注ぎ込んだ今、結界を完全に破壊した後、逃げる事も叶わない。
すぐに京の人間に発見され……酒呑童子のように、首を飛ばされてしまうだろう。
いずれにせよ、これから萃香を待つのは、苦しみと、死。
(……あれ)
考えていて、妙なことに気がついた。
(紫が死んでも……弄られた論理的境界はそのままなの?)
この京の中は未だ偽り。
塗装は剥げているが、紫が作り出した空間であることには違いないはず。
絶対そうとは言い切れないが、紫が死んだら、いじられた境界はどうなってしまうのだろう。
元に戻るのか、そうでないのか……激痛に意識を乱されながら、そんなことを考えていた。
――そうよ、これは計算のうち――
刹那、全身が臓腑の奥まで凍りついた。
その氷を溶かすように、恐怖が、内側からじわじわと広がっていく。
萃香の周囲に隙間が開く、無数に、空間の切り傷が口を開けていく。
その中から萃香を見つめる目、目、目。
おびただしい数の真紅の眼が、嘗め上げるように傷だらけの萃香を眺めている。
血で染められた紅い視界で、萃香は自分を見つめるいくつものその目に、心からの嫌悪感を覚えた。
話したくても、既に口の中もズタズタで声が出せない。
(なんで生きている!?)
萃香の疑問とは裏腹に、それは簡単なからくりだった。
吸い込み、即座に粒子の次元まで砕いて殺す、という手段を逆手に取られた。
萃香の胸の巨大質量を隙間で飲み込むことは難しかったが、その目の前に隙間を作ることは可能。
紫はそこに身を投じ、亜空間の中に潜んでいた。
わずかな鮮血は、流石の紫も余裕を失って傷を負ってしまったことによる。
隙間に逃げ込んだとはいえ、至近距離でその凄まじい重力に引かれたのだ。
真紅の目の群れの中に、紫色の眼が、二つだけ混ざっている。
そして徐々に顔が浮き出し、そこには血まみれになりながら薄笑いを浮かべる紫が居た。
「聞こえる? 萃香」
冷たい肉声が、鼓膜に留まらず脳内までも凍りつかせる。
萃香の心臓が破裂しそうなほど強く脈打っている。
もう目がろくに見えない萃香は、突然触覚に感じた違和感に、声にならない悲鳴を上げた。
隙間から伸びた腕に腕を掴まれている。
次は足、頭、肩、腹、首……全身、ありとあらゆる所に腕が伸びる。
時折、大結界の破片に吹き飛ばされる腕もあったが、すぐに次が生え伸び、萃香の身を捉える。
「……分解するというのは良い考えね」
萃香の全身の境界が、論理的に破壊されていく。
分解されようとも生命が維持できるように、紫が宇宙の真理に逆らい、萃香を細切れにして隙間の中へ運んでいく。
萃香は、目が見えなくなっていることを心底ありがたく思った。
今までどんな妖怪も使わなかったこの不思議な力を目の当たりにしたら、鬼の自分でさえ、恐怖に震える少女と化してしまう気がした。
少しすると、安心感さえ胸に湧いてきた。
自分の限界を超える力、大結界の破片、消耗しきった萃香に、この紫の行動に抗う術は無い。
紫は待っていたのだろう、大結界が崩壊を初め、萃香の体力を奪っていくのを。
幾度も結界で包み込もうとしていたのは……それで萃香を倒せれば良いという考えもあったろうが、おそらくは演技。
萃香に全力を出させた上で圧倒するための布石なのではなかっただろうか。
結果、萃香は無理に力を引き出し、大きな隙を作った。
紫に力負けしてないと慢心し、自己の制御を失った。
巫女に心で負け、紫に頭脳で負けた。
さしずめ、力では巫女と紫、二人の力に負けた。
二度の敗北をした萃香の心の中は、全ての熱を吐き出し、澄んだ湖のように静かだった。
紫に無理矢理退場させられた者達は皆、巫女の住む神社へと移動させられていた。
なんと結界の外で待機していた天狗達までもがその対象となったらしい。
天狗達は一番最初に退場した崇徳天狗の指示を受けて境内に整列し、未だ何が起こったのかわからないといった風に、
納得の行かない表情で横に居る者と目を見合わせている。
「おつかれさまでした」
「射命丸、お前は何もしてなかったわね」
「いえ、しっかり見てました。記事は私に任せてください」
「生意気。私が書くからあんたは黙ってなさい」
例の鴉天狗と文はその列から外れている。
鳥居に寄りかかる鴉天狗に、文は拳を振り上げて誇らしげにしていた。
巫女は顔面蒼白で、整列する天狗達を眺めていた。
先日まで「見たことが無い」と言っていた天狗達が、今目の前に、しかも自分の神社にこんなにたくさん来ている。
「暴れたりしないでしょうね……」
「天狗との勝負付けは済んでる。大丈夫よ」
「……あんたも、随分老けたわね。なんだか……」
「そんなこと無いよ」
「あのでっかい天狗はもう良いの? なんか、あんたと仲が悪いとか紫が言っていたけど」
「負かしたからもういい。固執していたら、恨みはいつまでも消えない」
瞳の奥に、わずかに寂しさの色を残したまま……藍は微笑み、その場にあぐらをかいた。
そして山の軍隊の統制を鼻高天狗に任せ、横で四つんばいになって泣いている崇徳天狗を眺めた。
「でかい図体して情けないな!」
藍が馬鹿にしても、崇徳天狗はちらと顔を持ち上げて睨み返す程度で、もう戦う気も無いようだ。
「萃香様が死んじまう……」
「死にはしない。紫様が必ず助けて、連れ戻す」
「あんな胡散臭い奴信用できるか! てめえだけで逃げてくるに違いない!」
「まぁ、胡散臭いと言うのはわかるけど」
藍は腿に肘を乗せ、頬杖をついて上目遣いに崇徳天狗を見上げた。
あれだけ強気で残酷に見えたのに、萃香が危険にさらされるとどうも感情的になりがちなようだ。
「ねぇ、何があったのよ。お前とあの鬼の間に」
「そんなこと話す義理は無い」
「私から全て奪っておいて自分はそれか。もう一度腕をへし折ってやろうか?」
「そんなことしたら後ろに控えてる手下達が黙ってねえぞ」
「ふん。変な奴ね」
もとより藍にはそんなつもりなどない。
もう、紫の命令無しにこの力を振りかざすべきではないとわかっている。
聞き出せそうなものなら聞こうと思っていたが、崇徳天狗と嫌い合っている以上、それは難しい話だった。
「お茶飲む?」
言い合いをしている二人の元に、巫女がお盆に茶を載せて持ってきた。
藍はごく自然にそれを受け取り、大きな耳を寝かせてお辞儀の代わりとした。
崇徳天狗は信じられないような目つきで巫女を見下ろしている。
「敵であるおれにもか」
「今戦ってなきゃ、別に敵じゃないわよ。もうあの戦いは終わり」
「……」
「ほんとは私が飲みたいだけだったけど、一人だけ飲むのも悪いじゃない」
全員分は無理だけど、と付け加え、巫女は天狗の集団を見て眉をしかめた。
「毒でも入れたんじゃないだろうな」
「巫女を何だと思ってんのよ。そんな卑怯な事しないわよ、要らないなら飲むな」
崇徳天狗は舌打ちし、腑に落ちない様子で小さな湯飲みをつまみ、舌を出して一気にその上に茶を撒いた。
体格的に仕方ないのだろうが、巫女はその光景に思わず苦笑する。
「なんかでっかいのって面白いわね」
「はははっ」
「笑うんじゃねえよ、くそっ」
その場で崇徳天狗の湯飲みを回収したあと、巫女は鼻高天狗、鴉天狗、文にもお茶を配って回った。
全員は無理なので、あの場に居た者にだけ配ったらしい。
天狗の集団は緊張感の無い巫女達の様子を見て、中で一体何が行われていたのかと疑問に思う。
あの結界にせよ、突然ここに飛ばされた事にせよ……それまでの九尾、二尾との戦いとは違う、奇妙な状況だったに違いない。
そのとき、急に空間が歪んだ。
神社の真正面の空間が不気味にうごめいている。
「萃香様!」
誰よりも先に崇徳天狗が駆け出し、その場へと向かった。
いずれ空間が口を開け、その中から人影が落ちてくる。
誰もが紫の勝利を願った。
滅ぼうとする萃香の意志を挫いて、共に、無事帰ってきてくれと願った。
だが、崇徳天狗の掌に落ちてきたのは血まみれの紫だけだった。
「うおっ!? てめえじゃねえ!」
崇徳天狗が驚いて紫を放り投げると、すかさず藍が飛び出してその身を受け止める。
藍は紫をしっかりと受け止めた後、崇徳天狗を睨みつけた。
しかし、それ以上の気迫で自分を睨み付ける崇徳天狗の前に、言葉を飲み込む。
「萃香様はどうした!? 殺したのか! 見捨てたのか! 返答次第では容赦せんぞ!」
崇徳天狗が声を張り上げると、後方の天狗達も姿勢を正して構えた。
一人縁側で茶を啜っていた巫女も、傍らに湯飲みを置いて立ち上がる。
「ちょっと、乱暴にしないで……全身あちこち痛いのよ」
藍の頭を撫でて着地する紫を、天狗達が睨みつけている。
紫はそれに答えるように、血まみれのまま不気味に微笑んだ。
「ちょっと待ってね。貴方達の神様……今『組み立てて』いるから」
この状況で出てくるはずの無いその言葉に、その場の全員が震え上がった。
崇徳天狗だけはすぐに正気に戻り、紫に向かって怒号を叩きつける。
「組み立て!? てめえ萃香様に何しやがった!」
「黙りなさい。萃香は私にもっと酷い事しようとしたのよ? お互い様なの」
隙間から日傘を取り出し、地面について両手を添える。
血まみれ、傷まみれであるにも関わらず、紫の表情は落ち着き払っていて威圧感に満ちていた。
「さ、そろそろ終わるわ……ちゃんと受け止めてあげて。身も心も傷だらけのはずだから」
紫は懐から扇を出し、崇徳天狗の頭上を指した。
天狗達の待ち望んだ、萃香がそこから降ってくる。
鬼神として君臨し、長きに渡って山を守護し、時には、共に酒を酌み交わした萃香が。
「萃香様はもう帰ってこないかもしれん」
先に神社に戻されていた崇徳天狗が、沈痛の面持ちでそう言った時、天狗達の視界が眩んだ。
威厳ある神として、愉快な仲間として過ごしてきた萃香が死んでしまうなど、考えた事も無かった。
好意は天狗によってそれぞれだった。
全然萃香と顔を会わせない者もいたし、下っ端でも、酒の席に同席を望めば萃香は拒まない。
それでも皆認識していた、山の頂点に君臨する伊吹萃香。それは上下関係であったり、交友関係であったり。
山に不可欠な存在だと、皆が思っていた。
死んでしまったなんて思いたくはない。
崇徳天狗の頭上から小さな人影が出現した。
全身が血で真っ赤に染め上げられてはいたが、質量の渦は切り離されている。
崇徳天狗の掌で受け止められた萃香の肌は、溶岩のような色から、血に濡れながらも元の色を取り戻していた。
「萃香様……」
天狗達が皆息を飲んだ。
そして、その胸が小さく上下しているのを確認したとき、崇徳天狗の目に涙が滲んだ。
「生きてるぞ皆! 萃香様は生きて帰ってきた!」
天狗達が歓声を上げる。
山の者達は、何一つ失うことなくこの戦いの終わりを迎えることができた。
暴走が危ぶまれた萃香も、既に精根尽き果て、しばらくは大人しくなるに違いない。
九尾は八雲紫に取り込まれ、その式として生きてゆくはずだ。
喜ぶ天狗達を嬉しそうに眺める紫に、藍が背後から声をかけた。
それまで我を忘れていた紫は、酷く疲れた表情で藍を振り返る。
「紫様」
「どうしたの藍? 貴女も今日はよくやってくれた。良い顔になっているわよ」
「紫様、信じていました」
藍は血に汚れた主に背を向ける。
くたびれたその姿を直視するのはあまりにも畏れ多く、無礼な行為だとでも思ったのだろう。
そして背を向け、頭を垂れて、改めて反転してから紫に向き直る。
「この八雲藍……以後、忠誠を誓います。どうかお側に置いてください」
「嫌がっても、もう離さないわ。私の式神」
「貴女が成す楽園、是非、私の力もお役に立てていただきたい」
「もちろんよ、さ、顔をあげなさい……血を拭き取って欲しいの。私のだか萃香のだか、わからなくなってしまったわ」
「はい」
では、と紫の顔の血を拭き取ろうとした藍だったが、自分の服も血まみれで、かえって汚してしまいそうだった。
そのことをすっかり忘れていたことから、驚きで頭の中が真っ白になり、同時に、顔が真っ赤になった。
「藍……ばかねえ」
「……すいません」
うつむいてしまった藍の頭を撫で、紫が笑う。
そこへ巫女がやってきて、手ぬぐいを投げて寄こした。
「ほら、これ使いなさいよ」
「まぁ流石ね……気が利くわ」
「うえっ、全然嬉しくない」
口では憎まれ口、けれど巫女の表情も晴れ晴れとして、気持ち良さそうだった。
藍に血を拭かせつつ、紫は巫女の功績も褒め称える。
「貴女のお陰で、私の目標も大分形になり始めたわ」
「そう、良かったわね……楽園がどうたら、あんま、聞かなかった事にしておきたいけど」
「それはダメ」
ため息をつく巫女の後方から、天狗達の視線を感じた。
この一連の騒動は、今全て決着がついたのだ。それを明確にする必要があると、天狗達は目で訴えている。
紫は真顔になって、天狗達を正面に見据えた。
「大分酷い傷だけど、鬼なら安静にしてれば大丈夫でしょう」
「ああ」
代表として崇徳天狗が答える。
その目には、紫に対する畏れが垣間見えた。
「あの萃香様の作った穴はどうした」
「無理矢理境界でバラバラにして、重力を失わせたわ。萃香が弱ってなければ、そう簡単にはいかなかっただろうけど」
「……そうか」
萃香のそれさえも凌駕してしまった紫の力に恐怖を覚えた。
元々あれは萃香の存在に起因する術だから、大結界の破片で萃香が弱ると共に効力を失っていった可能性はあるが。
未だ意識を取り戻さない萃香を掌に乗せたまま、崇徳天狗は紫の目を見て、
「おれ達の負けだ」
自分達の敗北を、高らかに宣言した。
こうして、この一連の騒動は幕を閉じた。
天狗達は萃香を連れて山に帰り、紫は藍を伴って自宅へ、巫女も神社に落ち着いた。
犠牲者は九尾・玉藻のみ。
だがその心は八雲藍と共に在る。
紫の強靭な意志と混ざり合い、楽園の平和を守る影の存在としての暗躍が期待される。
それから、山も、巫女の住む人里も、紫の家も平和だった。
京での戦いは、寸での所で人間達には知られること無く、山には相変わらずの平和があった。
あれ以来、しばらくして萃香は山から姿を消したと言う。
何を思ってかは誰にも伝えなかったが、完全に心が癒されたと言うわけでもなかったらしい。
それでも、滅ぶことを考えているのではないらしく、時折、神社に顔を出したりしていた。
どことなく寂しげな雰囲気を感じさせるものの、巫女や紫と酒を酌み交わしている最中は満面の笑みだった。
いずれ再び、今度は結界で区切られた幻想郷の中で異変を起こすのだが、この時点ではそういう気配も無かった。
そして今度は代を重ね、知恵と力を受け継いだ最強の巫女、博麗霊夢が相手をすることになる。
そしてまた、萃香の気持ちを丸くする。
だがとにかく、この時点での伊吹萃香は無事だった。
再び楽しい生を求め、しばしの孤独の中で気持ちを落ち着けることになる。
崇徳天狗を初めとした天狗達は警戒態勢を解除し、再び、統制の取れた社会で平和な暮らしを送る。
崇徳天狗の親衛隊は解体され、あの鴉天狗は再び奔放な取材活動、鼻高天狗は、天狗達の図書施設の管理職に戻った。
親衛隊の長、崇徳天狗は萃香を探しに旅に出た。そして四国にしばし滞在したあと、その所在が不明になった。
しかし、気付いたらまた山に戻ってきた。
やはり仲間のいる環境と言うのはそう簡単に捨てられないものらしい。
人間だった頃に悲しい人生を送っている事もあって、仲間の温かみから離れる事ができなかったのだろうか。
その後は大天狗として、主に山の軍事、防衛について管理している。
文は、帰ってからしばらくあの異変の記事の執筆に追われた。
たびたび外出する文が、目の下に隈をぶら下げたその姿を天狗達に確認されている。それほど作業は過酷だったようだ。
それでも文はいつも薄笑いを浮かべ、幸せそうな様子だったという。
そんな不気味な文自身が他の鴉天狗の記事になるなど、間の抜けたやり取りも目に付いた。
このように、山の暮らしは完全に暢気で怠惰なものに戻った。
それからさらに数年後。
巫女は娘を産んだ。
まだ年齢は二十にも満たなかったが、巫女としての力は三十にもなると衰えてしまう。
今までの巫女もそうだったが、本能で知っているのだろうか。最盛期に子供を産み、その大きな霊力を引き継いでいた。
そうすると、自分が引退する頃に娘の力が充実してくる。
そして紫はいつも不思議に思うのだが、この神社には男の神職が居ない。
いつの間にか身篭っていて、いつの間にか増えている。
どこかで、自分に相応しい相手を見つけ、子を授かってくるのだろうか?
初代に何度か尋ねた事があるが、いつも適当にあしらわれ、真実は闇の中に葬られた。
一人で子を宿す事ができるなどと、奇跡のような能力を持っているのではないかと疑ったこともある。
いずれにせよ、この神社の風習は一般的な他の神社とは異なる点がいくつか存在していた。
もしかしたら、それが神職として突出した能力の秘密なのかもしれない。
巫女の出産祝いなどという大義名分の下、あの戦いに参加した者達が神社に集まり、宴会を開いていた。
とはいえ、集まっているのは紫、藍、そして文とあの鴉天狗、そして鼻高天狗のみだった。
崇徳天狗は自分の体の大きさを気にして出席を控えたらしい、図体は大きいが、意外と気の小さいところがある。
そして萃香もこの時点で行方不明になっており、ふらっと宴会の気配を嗅ぎつけてやってこないかと思ったものの、
結局、姿を見せる事はなかった。
「お前らは食ってばかりだな。鴉天狗はどうも礼節がなってない」
「うるさいな、硬いこと言わないでよ。作れる奴が作るのが一番じゃない」
「そうですよ。その才能、こういう場面で生かさないでどうするんですか」
「そんな世辞には騙されん」
才能と言われる割に、別に鼻高天狗の料理はそこまで上手というものでもなかった。
不味いと言って吐き出すほどではないにしろ、宴会の御馳走、という言葉とは程遠い。
それを自覚しているからこそ、文が世辞を述べている事などすぐにわかった。
「まあいい、今日の主役は俺達では無いしな。お前らは俺の不味い料理に、音の外れた舌鼓でも打っていると良い」
「……」
「それより、どうせなら抱かせてもらってきたらどうだ。色も悪いし、猿のようであまり可愛いとは思わなかったが」
「正直ですね……」
「もう少し育ってからの方が可愛いだろう」
そこまで言ってから、鼻高天狗は無表情のまま文と鴉天狗の平らげた皿を手に神社の中へ戻っていった。
鴉天狗は文と目を見合わせて肩をすくめた後、紫と並んで縁側に座っている、娘を抱いた巫女の元へ歩いて行った。
方や、文は一人で酒を飲んでいる藍を見つめたまま静止している。
あの異変以来、バタバタしていてまるで話す暇が無かった。
京に行ったときも、文は戦いに混ざる実力も無く眺めているだけだった。
しかし、思うところがないわけではない。胸に抱えた気持ちは、最前線で戦ったあの鴉天狗よりも重いだろう。
文は瀕死の二尾を玉藻の元へ連れて行き、なおかつ、暴走しかけた玉藻を説き伏せた。
話しかけたくても、自分からは話しかけにくかった。
藍は時折何かを思い出したように尻尾を左右に揺すりながら、空に浮かぶ月を見上げている。
しかし、ずっと自分を見つめている文の視線に気付き……わずかに哀しさを覗かせる笑顔で、歩み寄ってきた。
「飲んでる?」
「ええ、まあ」
なかなか、それ以上の言葉を吐き出すことができない。
なんとなく居たたまれないような文の態度を汲んで、藍はその杯に酌をしてやった。
「玉藻様のこと、気にしているの?」
藍は単刀直入な質問を文に投げる。
心の準備すらしていなかった文は、それにほんの少し戸惑いながらも、逆に、自分からの疑問を返した。
「貴女は許せるんですか? それとなく話題に上らなくなったけど、貴女の大切な人だったんでしょ?」
「もちろん大切な人だったよ……そうね、母と娘というよりは、姉と妹に近かった」
藍は、巫女の方を眺めながらそう言った。
「許せるんですか? 私達天狗を」
文は繰り返す、どうしても聞きたいのはその話だった。
母と娘だろうが、姉と妹だろうがどうでもいい。問題はそこだった。
「許す。と言い切るのは難しいよ」
藍の声が、普段の高い声からは想像もつかないほどに、低く、文の腹に響いた。
おそるおそるその表情を確かめるが、意外にも表情は穏やかで、怒りの色は見えない。
「しかし。頭では……小さな話なんだ、と思ってる」
「小さいって……大切な人が死んだのに?」
「私は、彼女だけのために楽園を作ろうとするべきじゃなかったのよ。
もっと大きいもの、人と妖怪ですらない……私達が守るものは……」
藍の言わんとするところが、すぐには理解できない。
しかし、紫を見ているとなんだかその意味がわかる気がした。
「彼女もまた、楽園のための礎になったと思うしかないんだ」
「……割り切れるんですか?」
「結果として、楽園の計画は順調に進んでる。もう彼女のような犠牲は出ないわ」
「誰かが犠牲にならなければ楽園は完成しないの?」
文の問いかけに対し、藍は首を横に振った。
「紫様は、誰かが犠牲にならなければ為せないような、不完全な楽園を望んでいないでしょう」
「わざわざ障害として立ちはだかった鬼を、あえて助けたぐらいだものね……」
「そうよ……」
文を振り向いた藍の瞳から涙が零れ落ち、月の光を受けて銀色に煌いた。
そしてすぐに土の上に落ち、大地に染み渡って消えた。
「必要な犠牲だったなんて……思いたくないよ」
文は、藍に大してわずかに尊敬の念を抱いていた。
紫には誇りを捨てて結果を求めろと言われていたが、あれだけ酷い目に合わされながらも、
藍は飽くまで玉藻のやり方を見習い、天狗を誰一人殺そうとしなかった。
紫が「誰一人殺さない」ということを目標に掲げていたことだけが、その理由ではないだろう。
「謝って済む事ではないと思うし、私だって、仲間の事を考えて動かなきゃいけなかった」
「そうね、わかってる。だから罪に感じる事はないよ」
藍は玉藻の記憶を通じて知っていた。萃香の迎撃に遭う事を危惧して、文が玉藻に「来るな」と叫んだ事を。
まさか、それで玉藻が反魂の術を使うなどとは、紫でさえ予測できなかったのに文が予測できるとは考えにくい。
藍はそんな文の葛藤を労うように、無理矢理に握手を求めた。
「月並みだけど、天狗に復讐したところで玉藻様は帰ってこないし、喜んでもくれないでしょう。
……だから、これでいいんだ。憎しみは誰かが握りつぶさないと、永遠に輪廻するから」
藍の手を取り文は思う。
――きっと、玉藻もこんな感じだったんだ――
彼女の死は、無駄ではない。
その愛は、八雲藍にしっかりと受け継がれている。
「玉藻様、新しい命をありがとうございました」
夜空に浮かぶ銀色の月を見て、玉藻の、銀色の瞳を想いながら藍は手を合わせた。
文も並んで手を合わせた。
そして思う、あの世では幸せに、と。
強く強く、冥福を祈った。
「早いものね。少し前まで、このくらいの女の子だったのに……もう、娘を産んだ母親」
そう言って、紫は自分の腰元を掌で切る。
巫女と紫が並んで縁側に座る前で、鴉天狗が二人を見下ろしている。
紫が、巫女の産んだ子を抱いて不思議そうに眺めている。
自分が一人一種族の妖怪だということを紫は知っていた。だから、このように子を産む事は、きっと無いのだろう。
そして人間の成長の早さ。
その、時間の感覚の違いが紫には理解し難い。
「なんか、あんたが抱いてると食べそうで怖いね」
「大丈夫よ。こいつ、もったいぶってうちの一族を食べないから」
「何よ。言いたい放題言ってくれるじゃないの」
四代目は、まだ身動きすら満足にできないほど幼かった。
鼻高天狗の言ったように、確かにまだ肌は赤みが強くて、良い色とは言えない。
その色は、三代目の胎内から外の世界へ生れ落ちて間もない事を実感させた。
「鴉天狗って、卵を産むの?」
「はぁ?」
巫女に不意に質問され、鴉天狗は呆気に取られる。
そして少し考えてから服の裾をたくしあげ、へそを見せた。
「ほい」
「へそあるの!?」
「さあどういう理屈でしょう?」
卵生ならばへそは無いはず……巫女の中で、鴉天狗出生の謎が深まった。
しかし鴉天狗には教える気が無いらしく、不思議そうにへそを眺めている巫女に対してニヤリと笑う。
鴉天狗はへそを隠してから、ふと紫を見る……四代目を見つめる表情が、まるで母親のように優しい。
紫が母親だ、と言い張ってもなんとかなるのではないかと思った。
「あんたって、これまでの巫女も、いつもこうやって抱いてきたの?」
「いいえ。まちまちよ」
紫は優しい手つきで巫女に娘を渡す。心なしか、四代目の表情が緩んだ気がした。
鴉天狗が紫の横に座り、酒を飲み始める。紫もそれを見て思い出したように酒を飲み始めた。
「しっかり見ていてあげるのよ」
「うん」
紫が巫女に話しかける隣では、鴉天狗が鼻高天狗から新しい料理を受け取っている。
「あっという間に成長してしまうから。一緒に居られる時間を大切にするのよ」
「なによ。今日は随分と感傷的じゃない」
「それはそうよ。だって貴女が娘を産んだんだもの」
あの小さかった巫女が、もう娘を産んでいるのだ。
人間の成長の早さを実感するたび、紫の心に浮かぶのは……定期的に訪れる。別れ。
――そう、別れのときはやってくる。
~~~~~~~~~~~
薄暗い神社の一室。
老いた巫女は、ついに今わの際を向かえ、静かに、その生涯が幕を閉じるのを待っていた。
いつも来て欲しくないときに来て、来て欲しいときに来ない紫も、このときだけは巫女の思惑のまま……。
昔と一つも変わらず、どこからともなく現れてその姿を見せていた。
「懐かしいわね」
床に伏せる巫女の元に現れた紫、二人は最期に昔話をしていた。
■楽園
あの異変よりおよそ三十年。
巫女だった彼女も、今では孫娘までいる、祖母の立場だった。
巫女の一族はいくらか短命な傾向がある。
概ね平均的だったが、長命な者は今までの三代の中には居なかった。
二代目は戦死のようなものだったから、少し意味合いが違うが……。
そんなことを考える紫に対し、もはや残された時間の少ない巫女は思案する時さえも与えない。
「あんたは相変わらず」
皮膚の張りが失われ、たるんでしまっても、その瞳は当時と変わらない。
たたんだ日傘を片手に、枕元に座る……異変の頃から全く変わらぬ紫に、星のような視線を向けていた。
紫は口元にうっすらと笑みを残している。その他の部位に表情は無かった。
「どう? 私の子供達……」
「強いわ、貴女よりも遥かに。代を重ねるごとに確実に進化している」
「そう、よかった」
彼女は嬉しそうに目を閉じ、紫から視線をそらして天井を見上げた。
「今日は、藍は来てないの?」
「あの子はしばらく修行してくると言って、ここ二十年近く帰ってきてないわね」
「二十年も……そう、不便でしょう?」
「たった二十年よ。まだまだ、百年は修行しないと、ものになってくれないんじゃないかしら」
「たった二十年? 流石妖怪ね、二十年ですら短いのね」
「ええ、だから嫌よ。人間は」
双方、時間の感覚だけは理解に苦しむ。
人間は長く生きても百年。妖怪にとっての百年は、人間にとっての十年よりも短い。
小物ならば短命で、すぐ死んでしまうかもしれないが、そうでない紫には理解できなかった。
「あんたの楽園は実現しそうなの?」
「……実はもう実現しているの。いや、とっくにしていた」
わずかに動くのさえ億劫そうにしていた彼女が、驚いたように目を丸め、少しだけ身を起こした。
しかし、体の節に沸き起こる痛みに呻き声を上げ、再び横になってしまう。
紫はそんな彼女を面白く無さそうな目で見下ろしていた。
「貴女の周りはいつだって楽園だったわ」
紫がそう呟いたとき、彼女の目に涙が滲んだ。
自分は自然に立ち振る舞っていただけだったのに。
――死の間際になって、自分の人生にどれだけの意義があったか、紫が伝えてくれようとしている。
「でもね、壊れてしまうかもしれない。これはとても不安定な楽園よ」
「そうだったのね……」
「だから私は予防線を引き始めた。そのために貴女の力が必要だったし、優秀な式神が一人欲しかった」
「私はどうだった? あんたの期待に応えられてた?」
うっすらと涙の浮かぶ目で紫を見つめ、その答えを求める。
紫は自信を含んだ笑顔を彼女に向け……しかしすぐに、弱った彼女を見て目を細めてしまう。
「最高だったわよ」
彼女は「そっか」と呟き、安心したように息を吸い込んだ。
そして、その命が逃げてしまわぬうちにと、焦るように次の言葉を搾り出す。
子孫達に伝えて、巫女としての霊力は失われてしまった今でも、予知能力に近い勘はまだ冴えている。
死が、もう半時も経たぬうちにこの身を優しく包み込むと、予感している。
「覚えてる? あの騒動のときに私達……いや、私だけかもしれないけど、あんたに本気を出した」
「封魔結界を見せてくれたときね」
「流石に覚えてるか」
少し話しただけで息が切れるのが煩わしかった。
それでも気力を振り絞り、彼女は言の葉を紡いでいく。
「あの時まで私、あんたがお母さんを殺したと思ってた」
「ふふ、そうだったわね」
「私ね、初代が死んでからずっとつまらなかった。一人ぼっちで」
彼女は老いたその顔に少女のような幼さを浮かべる。
「お婆ちゃん。初代が死んでから、何度も何度もあんたに戦いを挑んだ」
「初めてのときは驚いたわ。まだ十にも満たない少女が『退治してやる!』だもの。
二代目よりも凶暴な三代目が生まれてしまったんじゃないか、って思ってしまったほどよ」
「それからも、週に一回ぐらいあの家に襲い掛かりに行ってた」
「しつこかったわ、安眠妨害されて結構イライラしていたわよ」
目を閉じ、小さく微笑んだ彼女の目尻から、一筋の涙が伝った。
「あの頃私。あんたが怖いようで優しくて、仇だと思ってたけど……同時に、お母さんみたいだな、と思ってたの」
紫の表情が変わった。それまでの微笑みが消え、真剣な顔つきになった。
「だから、構って欲しくて。寂しいから、何度も何度も……遠くに行ってほしくなくて」
そんな思惑が幼い彼女の胸の内に秘められていたなんて、思ったことも無かった。
元々、それほど感情を強く表に出す方ではなかったが……。
「いずれ、あんたの方からも頻繁にこっちに来てくれるようになった。その頃からは、友達感覚だったかな。
たまに、来てほしくないと思ったこともあったけど」
「……それはお互い様よ」
紫は表情を変えない。
しかし、彼女と視線を合わせようとはしなかった。
「一つ気になってたことがあってね」
「何よ」
紫の声は、若干の不機嫌さを含んでいる。
「あんたさ、お婆ちゃんとお母さんの死に際のお願いを真面目に守ってくれてるんでしょ?」
「別に? そう見えるだけかもしれないわ」
「あんたってね、嘘つくときに右の眉が上がるの。今、上がったわ」
えっ、と紫が呟き、右眉を押さえた。
彼女はそれを見てくすくすと笑う。
紫は騙されたことに気付いて、憎々しげに彼女を睨んだ。
「嘘よ、そこまで見てないわ」
「……嘘つき。あんたの分まで正直に生きるんだって、言ってたじゃない」
流石の彼女もそこまでは覚えておらず、紫に不思議そうな視線を送った。
それに気付いた紫は「なんでもないわ」と言い、右眉から手を離した。
彼女は、もう紫の思惑を考慮する余裕すら無かった。
紫がもうすぐ聞けなくなるその声を、噛み締める間も無いほどに、言いたかった言葉を乱雑に並べていく。
「紫、ありがとう」
「人間って卑怯よ。すぐに死ぬ」
「仕方ないじゃないの、あんたらが異常なのよ」
そして彼女は本心を打ち明ける。
「私は何もお願いしないでおこうかな。いちいち私達が死ぬ度にあんたを縛ってたら、疲れちゃうでしょ?」
「嫌なら私が断れば良いだけじゃないの。死にかけてるくせに、他人を思いやる事なんて無いわ」
紫がそう言う事などわかっていたように、彼女はすぐに言葉を続けた。
「そうね……なら、一つだけ覚えておいてほしい」
「何?」
もう彼女の余命はいくばくもない。
その言葉の一つ一つが、まるで彼女の残りわずかな魂を含んでいるように重く、胸の奥に響く。
「あんたが、この楽園に境界を引くことを決心したときには……」
彼女が手を伸ばす。紫はそっとその手を取った。
あの頃のような張りもなく、油断しているような皮膚が、紫の指に押し分けられて歪んだ。
指先も、布団の中に居るにも関わらず冷たくて……目を背けたくなるような死の気配を痛感させた。
「なんとかして、その代の巫女の名前を、私のものと同じにしてほしい。
そして、この術が完成する上での私との思い出を、その子に伝えて欲しい」
紫が理由を訊こうとした次の瞬間には、彼女はその答えを与えていた。
「私がやったってことが、ちょっと自慢なの……証を残したいから」
紫と共に歩み、博麗大結界の足がかりを作ったことが彼女の生きた証だった。
鬼の伊吹萃香さえも討伐せしめんほどの威力の、封魔大結界。
その心はいずれ、紫が愛したこの楽園……『幻想郷』を守るための力になる。
それは彼女には誇らしいことだったし、幼い頃から面倒を見てくれた紫への礼も兼ねているのかもしれない。
「やっぱり、人間って卑怯」
「だから、あんたが楽園を守るんでしょ?」
「その手の卑怯とは違うわ」
「あはは、そうね」
紫が立ち上がり、彼女に背を向けた。
「貴女には子供と孫が居る。最期は彼女達に看取ってもらうべきよ」
「……ありがとう」
紫は一度も振り返る事無く部屋を出ると、すぐさま彼女の娘と孫を呼びに行った。
孫は幼い頃の彼女にそっくりだった、しかし、その霊力は一回りも二回りも大きい。
「紫」
彼女の娘が、去ろうとする紫を呼び止める。
かつて紫の抱いた四代目さえも、もう母親になっている。
「あんたも、母さんを看取ってあげてよ。仲良かったじゃないの」
「嫌よ」
その表情を隠し、紫はまるで逃げるように、空間を裂いてその中へと消え去っていった。
隙間に潜る最中、背後で、一つの魂が天に昇るのを感じたような気がした。
――さようなら……私の楽園の、素敵な巫女。
亜空間の中で発した声は、誰にも聞かれることは無い。
そしてさらに年月は流れていく。
三代目から、さらに代を重ねていった博麗の巫女は、ある程度のところでその力の進化を止めた。
そこからは個人差が大きく、強弱に差がつくようになる。
しかしそれでも、三代目の頃からは考えられないほど大きな力だった。
三代目が京での決戦で使ったような符も無しに、巨大な結界を引けるほどに。
――そして彼女と同じ名の巫女が誕生し、その巫女の結界によって、幻想郷は外界と切り離された。
今は、博麗霊夢が幻想郷を守る博麗の巫女となっている。
霊夢はお盆に湯飲みを二つ、せんべいを五枚ほど載せて居間へ戻る。
五枚しかないせんべいが争いの元にならないかと思ったが、たまには譲ってやっても良い。
そんなくだらないことを考えながら戻った居間には、霊夢が席を立った時の状態のままで、紫が家系図を見つめていた。
「なによ、随分熱心に眺めてるのね」
静かにそれを見つめている紫の、懐かしむような表情があまりにも優しくて、逆に気味が悪かった。
霊夢と紫との付き合いは、まぁそこそこ長いと思うのだが、このような表情は滅多に見ることがない。
家系図と紫の間に湯飲みを置くと、紫はようやく霊夢が戻ってきた事に気付いた。
「そんなに面白いの? あんた、うちのご先祖様に何したのよ?」
「いえいえ、この巻物には細工がしてあって……じっと見つめていると、文字が飛び出して見えるのよ」
「え!? うそ」
「ええ、嘘」
「……」
騙されて膨れる霊夢を笑いながら、ふと、右の眉に手を当てた。
そして紫は遠慮なく湯飲みを持つと、霊夢の方に向き直り、せんべいも遠慮なく手に取った。
そのまま当たり前のように食べて、お茶を啜る。
まるで感謝の意を感じられない紫の態度に多少腹が立ったが、いつものことなので仕方が無いと思い、霊夢もせんべいを齧った。
「あ、そういえば」
「どうしたの?」
口の中に残ったせんべいを丹念に噛み砕いて、お茶で流し込んでから、霊夢は家系図のある一箇所を指差した。
「この人とこの人だけ、名前が一緒なのよ……偶然にしては、他のご先祖様達は完全に別の名前だし……
まぁ、そこまで気にする事でもないだろうけど。あんたも知ってるでしょ? 片方は大結界を引いたご先祖様なのよね」
「あら、ほんと。同じだわ」
「あんた、何か知らない? ちょっと気になるのよ」
「詳細を省いて良いならば」
「別にいいわよ。すっきりする答えが出れば」
紫はせんべいをもう一つ手に取り、言葉を惜しむように、縁側へと歩いていく。
そこから空を眺め、せんべいを齧り始めた。
「なにもったいつけてんのよ。早く言いなさいよ」
「簡単なことよ」
がり、とせんべいを噛み砕き、紫は囁くように言った。
「どちらの巫女も大結界を引いたの」
「……答えになってないわよ。大結界を引いた巫女は、皆同じ名前になるって言うの?」
霊夢も縁側へ歩き、自分よりも背の高い紫を覗き込む。
紫はそんな霊夢に横目で微笑みかけて、更に続けた。
「彼女は、生き証を名前に託した。だから尊敬しなさい……三代目は偉大だった」
「……全然わからない」
「すごい巫女にはその名前がつくってことで良いわよ、とりあえず」
「何よそれ、私がすごくないみたいじゃないの」
「あんたもすごいわよ。いずれ、二人目の霊夢が生まれるのかも」
「なんかそれはそれで複雑だなぁ」
「誇っていいんじゃない?」
結局、納得の行く答えの得られなかった霊夢は、伸びをして居間へと戻っていった。
紫はそのまま月を眺めている。
――私達の幻想郷は、今日も平和よ。
しかし平和なだけではない。
楽園の巫女は忙しい。すぐに、新たな異変が起こる。
九尾と天狗の戦いの舞台となった妖怪の山。
厳密には当時と違う山だったが、住む者は同じだった。
そこは、三代目博麗の頃とそれほどの変化はない。せいぜい、河童の技術力が上がった程度だろう。
「射命丸。あんたに白羽の矢が立ったよ」
「はい?」
かつての幼い藍と何度か衝突したあの鴉天狗が、調査から戻った文の肩を叩く。
調査は、最近山の頂上付近に突然現れた連中のことだった。
目的や素性など、まだ全然知られておらず、安全か危険かの判断すらできていない。
「しかし馬鹿ね、我ら天狗に喧嘩を売るなんて」
「はぁ……? それで、一体何の矢が私に刺さったんでしょう?」
「それは例えよ。最近、人間が異変解決のために山を通ろうとしてる」
「ふーん、そうなんですか」
「私が声をかけられて驚いた。でも、あんたがそれを阻止しに行けって。大天狗達が推薦していたわ」
「へ? なんで私が?」
そんなもの、白狼天狗に任せておけば良いだろうに。
いつかは二尾の藍に首を絞められて震えていた白狼天狗・犬走椛も、今ではそれなりに立派な山の防衛隊だ。
報道部隊の鴉天狗が真っ先に借り出されるなど、筋が通らない。
「私も知らないわよ」
「道理がおかしいですよ。そりゃ、私だってそれなりには戦えますけど」
「これは先輩である私からの命令でもあるし、大天狗達の命令でもあるのよ。逆らうの?」
「それは……うーん」
理不尽な命令に、文の頬がぷくっと膨らんだのを見て、鴉天狗は厭らしく笑った。嫌な先輩だな、と文は思う。
今となっては、文も後輩の数の方が多いが……。
「おい、河童のにとりがやられた。白狼隊が迎撃準備をしてるが、きっとそう長く持たないぞ」
木の上で話す二人の元に、今度はあの鼻高天狗が現れた。
彼は今、天狗達の中でも頭脳に長けた者として功績を認められ、幹部としてその知恵を生かしている。
「まだ文の説得をできてないのか。おい文、早く行ってくれないか」
「しょうがないなぁ」
「崇徳様も騒いでるぞ。文を行かせろ、と」
「もー……あの人か……」
しぶしぶ飛び立つ文。
かつての下っ端鴉天狗の頃とは、その表情も妖力も違う。
「あいつは気持ち良さそうに飛ぶねー」
「お前みたいな、乱暴な飛び方とは違うな」
「野性の魅力に溢れてる、って言って欲しいな」
目を閉じ、風と一体化し、流れるように空を駆ける。
向かう途中で思いついた。
そうだ、わざと負けて、頂上の奴らと戦わせてみよう。
ムキになっても仕方が無い。ここは漁夫の利を得ればいい。
彼女達の幻想郷は、今日も平和だった。
それはようやく人間に近い姿に変化できるようになった頃。
妖狐としてそれなりに長く生き、妖怪らしくなり始めた頃だった、と藍は記憶している。
藍は群れて行動する方ではなく、人の目を避け、奔放に野山を駆け巡っていた。
元来が穏やかな性格だから、広大な大陸を旅して回るのが好きだった。
人間は一生懸命妖怪を全滅させようとしている。
だが藍にそんなことは関係なく、逃避行さえも、ただの楽しい冒険でしかなかった。
ある日、藍は高い山に登った。
一つの高い山を取り囲む小さな山々が、まるで高い山の子分のようだなと思った。
頂上付近に来ると、たびたび妖怪の気配を感じるようになったが、特に襲ってくる様子も無い。
挨拶を交わしながら頂上を目指し、そこで出会ったのが九尾、妲己だった。
自分はようやく尾が二つになったばかりだと言うのに、その量感、長さ、毛艶のなんと美しい事かと思った。
泥まみれになりながら辿り着いた藍を排除しようとすることもなく、温かく微笑んでくれた。
藍は勘の良い方だった。
その微笑の奥に、底知れぬ悲哀を感じ取った。
しばらくその山で厄介になろう、と思ったのは、偉大なる同族としての妲己に対する憧れだったろうか。
それとも、その悲しげな瞳を捨て置けなかったからだろうか。
玉藻が嫌な顔一つせず、自分を手厚くもてなしてくれたことも助けただろう。
だが妲己を頭領としてそこに栄えていた妖怪の楽園は、けして、妲己自身が望んだものではなかった。
彼女は一人で静かに過ごし、いずれは天命を全うして死のうと思っていた。
妲己の記憶が混ざり合った今、藍にはそれが明確にわかった。
■八雲紫
そんな彼女の想いを壊したのは、藍を初めとした、妲己を取り巻く妖怪達だったろう。
妲己は彼らを「守らなければ」いけなくなった。
それは、郡を抜いた知能と妖力、体力を全て兼ね備えた妲己の使命なのだろうか。
妲己として殷王朝に君臨した彼女の目的は、国の滅亡などではなかった。
あまりに古い話だから誰にも確かめようがないが、妲己が紂王に真摯な愛を抱いていた事は、今の藍には理解できる。
混ざり合った記憶は、本で読んだ物語のように、全てが他人事だった。
しかしそれらは全て事実、目を背けたくなるような妲己の悲しい過去。
断片的で、不完全ではあるものの、確かに藍の記憶の中に存在している。
人間の国を抱え、己の妖気に中てられて気の狂ってしまった紂王をかばい、従えた妖怪達と共に神々と争った。
妖怪達の英雄とされた理由は、まず人間を敵視する妖怪達にこの妲己の勇姿が好評であった事。
そしてさらに、弱い妖怪を守るような戦法を取った事。
事実は歪曲し、人間達からは目の仇にされ、妖怪達には祭り上げられ、勝手に頭領に据えられてしまった。
大陸における妖怪と人間の完全なる敵対関係を作り出してしまった。
神々との長い戦いで弱りきっていた妲己の勢力は、妖怪狩りに乗り出した人間達を抑えきる事ができなかった。
住処としていた山々も追われ、逃避行の中で幾多の仲間が死に、その度に妲己の心を強く締め付けた。
隠れ住んでも見つけられ、相談を持ちかけられる。
自分の周りには弱い者が勝手に集まる、見捨てる事ができないので、守らなければならなくなる。
大陸を離れて日本へ来た理由は、自分の持つ経歴を消去したかったという思いもあったのかもしれない。
しかしそれも天狗と対立し、藍が追って来てしまった事で水泡に帰した。
全てを捨てて逃げる弱さを持つ反面、愛する者が側に居る間は自らの心身を省みずに守ってしまう。
そして藍が犠牲になった。
玉藻となった妲己の幸せのために戦い、力尽きた。
そのとき妲己は自暴自棄になり、藍を蘇生させる代償としてその命を捨てた。
中途半端な反魂の秘術で、藍は妲己の力を吸収して強力になり、それまでの人格も歪んでしまった。
「何が妖怪の楽園だ。萃香様と天狗達が築き上げたものを横取りしようとしておいて」
玉藻との融合によって強化された藍の肉体をもってしても、崇徳天狗の怪力からは逃れられない。
締め付ける圧力は次第に大きくなり、首の軋む音が、骨を通じて藍の脳内に届く。
「綺麗事を並べる連中ほど信用できないものはない。甘い言葉の裏にどんな欲望が潜んでいるかわからん」
崇徳天狗の言い分もまた事実だろう。
立場は違えど、玉藻も崇徳天狗も何かを押し付けられ続けて身を滅ぼした。
崇徳天狗は玉藻の過去など知らないが、周囲の身勝手に振り回された過去を持つという点では共通している。
(妲己……玉藻様……)
藍は地に足の着かぬ「夢」を抱いて天狗達に立ち向かった。
玉藻の力の一部を得、過去を知ったとして、藍と玉藻の人生には比べようも無い隔たりがある。
玉藻を殺してしまったのは自分の甘えた考えと、無鉄砲な行動によるものだ。
認めたくなくて、天狗のせいにしていたが……これは報いなのではないか、と消え行く意識の中で思った。
「お前なんぞに構っている暇は無いんだよ。おれ達の目標は八雲紫だからな」
錯乱した小物が、少し力を手に入れたからとそれを振り回している。崇徳天狗はそうとでも言いたげだった。
「こうしていつでもくびり殺せるやつは本当の脅威じゃない。神出鬼没の八雲紫こそ、おれ達の敵」
先ほど藍にやられた鴉天狗が、脚にこびりついた血を爪でこそぎ落としながら浮上してきた。
既に傷は閉じているようだ。切り口が滑らかすぎたため、逆に早く再生したのかもしれない。
「お前は、ついでに殺す」
崇徳天狗を蹴りつける藍の脚から力が失われていく。
(ついでだと?)
藍はここに来て、紫が何故自分を連れてきたのかを思った。
紫の目的は藍にも伝えられていない。何故京を選んだのか、何故争うのか。
鼻高天狗の背後では、符によって展開を封じられた空間が、気味悪い胎動を繰り返している。
紫はそこから出現して藍の援護を画策したが、鼻高天狗の妖術が想像以上だったために身動きが取れなくなったのだろうか。
「藍」
だが、動きを封じられているはずの紫の声がその場全員の耳に届いた。
鼻高天狗よりも、崇徳天狗よりも……藍が閉じかけた目を見開き、最も驚いていた。
「なんだ……八雲紫」
藍は締め付けられる喉に必死に力を込め、心より恨みを込めて呟いた。
どこにいるとも知れない紫を探して、その視線が周囲を泳ぐ。
「負けたくないなら勝ちなさい。そいつの言う事に耳を貸す必要など無いの」
「余裕じゃないか八雲紫。封じ込められて動けないくせにな」
「信も義も捨てるの。今の貴女には目的と結果があれば良い」
「ふん、無視か」
紫の声は、動きを封じられているはずなのに澄み渡り、不遜で澱みが無い。
藍は首にかかる力が弱くなるのを感じた。
崇徳天狗は、次に出てくる紫の言葉を聞き届けてから殺そうとしているようだ。
気道にできたわずかな隙間から、ここぞとばかりに精一杯、酸素を吸い込んだ。
「そいつの言葉なんかで揺れてしまう動機、邪魔でしかない」
「私は妖怪の楽園を作るんだ……」
「それはそれで、良い。けれどね藍、それはそれなの。
大陸の仲間がどうとか、玉藻前がどうとか、私にはどうでも良いし興味も無い」
「お前の事なんて知るか!」
「そうよ藍、だから私も貴女の動機はどうでも良いの。ただね、目的は同じ。楽園を作るのよ、藍」
それまで反抗的だった藍の表情が凍りついた。
――楽園を作るのよ、藍。
崇徳天狗を初めとした、天狗全員の表情も急激に驚愕の色を帯び始める。
それは今まで、巫女にしか話さなかった紫の本当の狙いだった。
しかし、巫女に話したときの様子はあまりにも胡散臭く……内容も、自分が支配者になる、というような邪悪なものだった。
「人間と妖怪が絶妙の均衡を保つ、平和で怠惰な楽園」
それを聞いた崇徳天狗の頭の中で、散らばっていたいくつもの事象、言葉が繋がり始めた。
巫女に引かせたあのふざけた結界……あれは『京』全域を包み込む『必要』があった。
人間全員を神隠しに遭わせた上で、なおかつ無駄に巨大な結界を引かせたのは……。
「この結界が……楽園を守る境になると言うのか」
あまりの話の大きさに思わず崇徳天狗の顔が引きつった。
それほどの面積を結界で包み込み、自分の管理の届く楽園にしようと言うのか。
「そろそろ、隠れているのも飽きたわね」
鼻高天狗の符が弾け飛び、空間の割れ目を押しのけて紫が這い出してくる。
いつでも抜け出せたのに、あえて閉じ込められてるふりをして天狗の油断でも誘ったのだろうか。
しかしどんな憶測もその薄笑いに阻まれ、誰も紫の真意を探る事はできない。
日傘の柄をさすりながら紫は続ける。今度は己の口で。
「ま、いずれわかるからそれは良いの……今の主人公は藍」
攻撃態勢に入る鼻高天狗と鴉天狗を交互に睨みつけ、それだけで動きを封じる。
最後に睨まれた文は動こうとすらせず、紫の壮大な構想の続きを聞きたそうに見つめていた。
「過程などどうでも良い。貴女は今、確実に掴める勝利を掴むのかどうか、選ぶ必要がある」
「こんな状態で、勝利が確定しているというの?」
崇徳天狗が再び指に力を込めると、藍は紫を睨んでいた目を強く閉じて呻く。
「確定しているわ。私の式となるかどうか、論点はそれだけ」
「誰がお前の手下なんかに……」
未だに生意気な態度を取る藍に腹を立てたのか、紫が顎を上げ、鋭く見下した。
さらに日傘の先端を藍に向け、高圧的に、吐き捨てるように言葉を繋いでいく。
「大好きだった玉藻前への想い。大陸の仲間を導く大義。妖狐としての誇り……
貴女はそれらを捨て、勝利を掴むための屈辱に耐え、大嫌いな私の式を受け入れて、忠誠を誓えるのかしら?
目的と結果はどんな動機よりも崇高。正義を主張できるのは、勝利した者だけよ」
紫の言葉は、藍が式神となる決意をする上で邪魔にしかならないものだろう。
紫は、藍が心の支えとしていたものを全て取り払い、目的と結果のみを強く信仰しろと言う。
「簡単に口にできる誇りなど高が知れている、安いの」
「安いだと……!?」
紫は、自分を睨み付ける藍を怒気を含んだ目でさらに強く睨み返し、冷たく言い放つ。
「そこまでできない『目的』ならここで死になさい。そんな従者は要らないわ。この天狗達は私が片付ける」
「……なかなかえげつないことを言う。まぁいい、それじゃあ殺すぞ、良いな」
「どうぞ」
突きつけられた「死になさい」という台詞のあまりの威力に、涙が浮かんだ。
藍は全てに見放されたことを悟る。首にかかる力が先ほどとは段違いに強くなり、頚椎が軋みをあげる。
頭の付け根が痺れ、熱を持ち始めた。首が……折れる。
死んで、消えた意思はどこへ行くのだろう。
玉藻が死んだ夜のことを、激しい絶望の中で思い出す。
そこは冥府を越え、彼岸へと続く川。
川を渡りたければ運賃を渡せ、と船頭に言われた。
胸の痛みは取れていなかったし、喋ろうとしても、口からは血しか出ない。左ひざも砕けたままなので、腰を下ろした。
血に濡れた銭を胸元から取り出し、もう何の価値も無いと、惜しみなく全て船頭に渡した。
船頭に渡した運賃は、何故か異様に多かった。
これならすぐ向こう岸に辿り着くだろう、と言われた。
――私は、もう疲れてしまったよ――
川を渡る途中、不意にそんな声が聞こえた。声のする方を振り向いた。
そこは飛ぶ力を奪う川のはずなのに、玉藻が、初めて出会った頃のような、優しくも悲しい表情で浮かんでいた。
異常を察知し、狂ったような攻撃を繰り出す船頭などお構いなしに、玉藻の腕が藍の体を包み込んだ。
――私の分まで生きろなんて言わない。元々、捨てるつもりの命だったんだから――
声を掛けようとしても、死因となった裂けた胸。その胸にはしる痛みが、発声を許さなかった。
玉藻様でも妲己様でも良い。とにかく彼女の名前を呼びたかった。
――私になろうとしなくて良いのよ。お前はいい子だから、思うように生きれば良いの――
目から出る涙は蒼いのに、口から出るのは赤黒い泡だけ。これが玉藻との本当の別れになると、本能が訴えていた。
結局何も告げられぬまま、船の上に立っているのは藍と入れ替わった玉藻と、
玉藻の幻術にかかってうつろな目で船を漕ぐ船頭だけになっていた。
そのまま藍の体は急速に玉藻から離れ、冥府へと戻り……気付けば、宮中で玉藻の亡骸に抱かれていた。
胸の傷を埋めるように、残留した玉藻の妖気が、優しい温もりとなって藍の体に染み渡っていった。
妖気が満ちて髪が変色し、臀部にかかる妙な重さに振り向くと、尾の数が増えて長さも増していた。
そして頭の中には玉藻の記憶の断片が転がっていた。
反魂の秘術を使ったことも、あの川が三途であったことも、全てが瞬時に理解できた。
なのにそれを認めたくなくて、過ぎた悲しみが、まるで恐怖のように藍の狂気を呼び起こした。
慟哭とも咆哮とも取れぬ奇声を発し、玉藻の亡骸を振りほどいて、宵闇を切り裂くように飛び立った。
――楽園を作るんだ――
死を悟ったはずなのに、気がついたら見苦しく叫んでいた。
「いやだ! 死にたくない!」
二尾だった頃に山で死にかけたときとは状況が違った。
あのときは、玉藻の役に立てただろうという誇らしさがあった。
玉藻への想いもあって、誰かのために死ねる自分に胸を張っていた。
首に巻きついた崇徳天狗の指から逃れようと、死に物狂いでこじ開けた。
下半身がねじ切れるぐらい腰をひねって、蹴りつけた。
眼球がしぼんでしまうのではないかと言うほど涙を流し、駄々をこねる子供のような金切り声を上げた。
そして再び、想いが胸を締め付ける。
――八雲紫の力を借りてでも、自分は楽園を作り上げなければならない――
それは何の動機も介在しない、純粋な願望だった。
「助けて!」
紫に向かって、格好悪い台詞を精一杯ぶつけた。
それまで凍り付いていた紫の表情が一度融解し……さらに冷たい、氷の微笑が浮かび上がる。
「よく選んだわ、藍。一人で天狗と戦わせた甲斐があった」
悪魔と契約を交わしてしまったのか、それとも神に見初められたのか。
もはや、それを確かめることに意味は無かった。何故なら……。
「こうなるのは見えていたの、だからとっくに式は打ってあるわ。ほら見なさい、首は折れてないでしょ?」
紫の冷たい微笑が、いたずらを成功させた少年少女のような無邪気な笑顔に変わる。
そして藍の足元には、五指を全てと、肘関節をへし折られた崇徳天狗が苦しそうに丸まっていた。
藍がどう答えるかなど、紫には見抜かれていた。
崇徳天狗が指に力を込めた瞬間に式神が藍の体に憑依し、無敵の力を与えていた。
「紫……様……」
恐怖に震える声で新たな主の名を呼んだ。
いまだ心の中には、分厚い壁のような抵抗心がそびえているが、きっとそんな「境界」、紫はものともしない。
「紫様」
底知れぬ力に怯えながら、そう呼ぶしかなかった。
しかし紫は藍の気持ちなどわずかも考慮せず、次の命令を下す。
「最初の命令よ。そこで雁首揃えて浮かんでる天狗全員、懲らしめてやりなさい」
「……異存は無い。でも、理由は?」
「貴女をスッキリさせるためよ。もやもやしてるのは良くないわ」
「一応聞かせて。私は勝てるの?」
「勝てるわよ」
即答した紫の言葉が本当であることをすぐに理解できた。
藍は身構える天狗達を挑発するように睨み付け、口の端を歪めて見せた。
「了解した。感謝します」
立ち上がる崇徳天狗を初めとした、敵全員に背を向けて紫は歩き出す。
「今日から貴女は私の式神……だから「八雲」の姓を名乗りなさい。それはそれは誉高きことよ」
先ほどまでの藍は、玉藻や大陸の仲間を盾にとって自分の正義を主張していた。
しかし今は違う。何かを為すのに必要なのは、大義だけではないと悟った。
もちろん、大義が心の力となることには間違いない。
だが大義を力とできるのは、真に強い者だけなのだろう。
そしてそういう者は、大義など無くとも、為したいことを為すに十分な力を得るのだろう。
紫を見ていると、それを痛感した。
為すために力を付けるのではない、力があるから為せるのだ、と。
そして紫はその全責任を負うだけの器量と、不屈の精神力を兼ね備えている。
玉藻とは質が違うが、尊敬に値する妖怪であることが今になってようやくわかった。
「行きなさい、式神・八雲藍。巫女の様子が気になるので、私はあっちを見てくるわ」
「はい」
藍は倍増した妖気で天狗達を威嚇し、紫の背を守る。
いつの間にか紫に対する恐怖心は消えていた。天狗達に対する怒りももう無い。
あるのは紫の命令と目的、そしてそれと一致する自分自身の目的。
楽園は、あの強大な主に従うことでいずれ実現する。
「いい加減に決着をつけて、後腐れなく終わろうか」
「大した自信だな狐……!」
崇徳天狗が折れた指を押さえながら立ち上がり、顎をしゃくって仲間達を導く。
文だけは制されて、身を守るに十分な距離を維持させられた。
「まだ流石に楽勝とはいかないだろうけど、今はそれでいいわ」
藍が微笑み、崇徳天狗に飛び掛かる。
そして、崇徳天狗の左後方に構えていた鴉天狗が、それを迎撃するために飛び出した。
天狗の精鋭三名と、式神となって力を増した八雲藍の戦いが、三度始まった。
そして巫女と萃香の戦い。
巫女は萃香の攻撃を次々と打ち破り、最初から一貫して優位を保っていた。
「まぁ、予想通りね」
紫にとっては、その展開さえも予想できるものだった。
紫は京の市街で火花を散らす二人を遥か頭上から見下ろし、微かに、安心したような表情を作る。
巫女の優位は言うまでも無く、封魔大結界の直撃を受けて萃香が消耗していることが大前提となっている。
さらに巫女の術「封魔結界」の存在は、萃香の疎を操る能力に大きな制限をかける。
あの強力な「面」での攻撃が、霧散した萃香に対して実に効果的に働くからだ。
無論、体を細かくすることだけが疎を操る能力ではないが、通常、攻撃回避に便利な能力なのは確かで、
それによる回避が封魔結界の呼び水となってしまう状況は萃香に都合が悪かった。
あれほど大規模でないにしろ、巫女はまだ封魔結界を使用するだけの力を温存している。
そして密を操る能力の、巫女に対する相性の悪さもある。
巫女の戦闘法は紫のそれと似通っている、実に変則的で先を読みづらい。
紫との決戦の際は、結界の力と宵闇を利用しての撹乱や迷彩で紫の攻撃を無力化していた。
紫と萃香の戦いで、紫はあえて結界を使うことでその攻撃を受け止め、萃香の闘争心を煽った。
しかし本来紫はあれほどの無駄な消耗を好まない。それこそ、直撃する部位の空間だけ切り取れば事足りる。
所詮あれは演出の一つに過ぎず、紫の得意とする戦法からはかけ離れていた。
属性として直線的になりがちな密を操る能力は、萃香自身の心の乱れもあって、不規則な巫女の動きを捉えられずにいた。
赤く染まった萃香の鉄拳に対して巫女は斜めに結界を張り、その軌道を逸らして対処した。
紫には及ばない結界も、使い方を工夫すれば萃香の攻撃から身を守る事ができる。
大地を殴り、噴出させれば、息を吹きかけられた綿毛のように舞い上がる。
敵の攻撃を予測する本能は、もはや勘というより予知能力に近い。
萃香の攻撃が単調になってくると、周囲を攻撃用の結界で囲う。
それはそこを通る巫女の攻撃を増幅させたり、反射して予測不可な変化を起こす。
萃香はそれを避けられず、全てその身に受けた。
萃香が霧散しようとすると、封魔結界の構えを見せる。
全身の質量を増大させて引力を発生させると、巫女はそれを逆手に取り、投げつける封魔の針を加速させた。
「わざと食らってるでしょあんた」
巫女は傷だらけになった萃香に向かって、遠慮なくその言葉を投げつけた。
萃香の動きには迷いが感じられる。巫女は、鬼とはもっと豪胆なものだと思っていた。
「本気でかかってきなさいよ」
「……死にたいの?」
「死にたくはないわよ」
「ふざけてるの?」
「本気よ」
「私を殺すの?」
「退治はするけど別に殺さないわよ」
両者とも、血と汗を流しながらわけのわからない問答を繰り返していた。
萃香の迷いは、巫女の目的の不鮮明さからくるもの。
「何がしたいのよあんた。鬼だかなんだか知らないけど。紫も何したいんだか今ひとつわかんないし」
「こっちが訊きたいよ。あんたこそ何がしたいんだ。私を殺しにきたんじゃないの?」
「だから殺さないって言ってるでしょ、しつこいなあ。死にたいのはあんたの方じゃないの? 変なの」
「私は鬼だよ。人間の害なんだよ?」
「ほとんど山に篭ってたくせに何言ってるのよ。紫の方がよっぽど害よ」
「昔、京で暴れて人間をたくさん殺したんだよ?」
「今殺してなきゃ別にどうでも良いわよ。どうせあんたら長生きなんだもん」
「……」
「面倒見切れないわ」
巫女がお払い棒を構え、地面に例の符を設置する。
「やる気が無いなら、とっととやっつけて山に追い返すだけよ」
「なんでそんな半端なことをする」
萃香の全身が熱気を放ち始める。
わけのわからない巫女との問答、萃香は煮え切らない感情を発散したがっていた。
「殺したくないからよ」
「なんで? 人間は皆私を殺そうとした。私も人間を殺した」
「うちの家系は代々あんまり妖怪を殺さないのよ。つい先日紫相手に本気出したけど、やっぱ生きてたし、あいつ」
「紫……」
「それにあんたら、殺そうとしてもなかなか死なないじゃない。殺しきるのめんどくさいわよ。
大体が、一回退治しちゃえば大人しくなるし。殺す必然性が無いわ」
「は、はははっ……」
また毒気が抜けてしまった。
萃香がここで一つ理解したのは、巫女がこんな性格をしているから、一回やられた妖怪は大人しくなるのだ。
この巫女は、殺してしまうのが勿体無い。一緒に酒でも酌み交わした方がよほど楽しいであろう事がわかる。
これは人間と言うより妖怪に近い感性だろう。
「紫もへんてこだったけど。あんたも相当だわ……」
萃香が膝をついた。
まだ立てるし、殴りかかれる。致命傷も受けてない。
だが、心が折れる音が聞こえた。この巫女に負けた、力勝負ではない。
紫が意地でもこの巫女と自分を戦わせようとした理由が……なんとなくだが、見えた気がした。
「失礼ね、紫と一緒にしないでよ。はっきり言って封魔大結界で死ななかった時点で、あんたは無理」
巫女は、まだやるならかかってこいという様子。
足元に設置した符も、用途は不明だが萃香を迎撃するための予備動作であろうことは明白だった。
身を守る意思はあるが、萃香がかかってこないならそれ以上の追撃も無さそうだった。
萃香はそのままうつむき、言葉を発しなくなった。
この人間は殺せない、殺しても何の得も無い。
人間がこういうやつだけなら、ずっと平和だったろうに。
「……わかった」
萃香は今、この巫女と対峙し、敗北した事で自分の役割を理解した。紫の目的も。
そして今自分が取るべき行動は一つ。
「あんたらが作ろうとしてる楽園……」
萃香の質量が上がる、全てを飲み込もうとしている。
そして巫女の表情が固まった。
萃香の戦意は消し去ったはずなのに、様子がおかしいことに気付く。
「紫は試そうとしてる。あんたの力、あんたの度量」
周囲にあるものが全て萃香の重力に吸い寄せられる。
在るべき形が崩壊し、粒子となって萃香に吸収されていく。
「私は障害。この力を以ってして尚、あんたらの楽園を破壊できない事を示す為の試金石」
顔を上げた萃香の目からは涙が溢れ出していた。
その胸には文字通り、穴が……ぽっかりと黒い口を開けている。
全てを飲み込み逃がさない、事象の地平線が口を開けている。
「そうよ私は鬼。やってみろ、巫女、紫、九尾……私を止めて、目的を完遂してみろ!」
遠く離れた夜空で、封魔大結界までが、その凄まじい重力の前に軋みを上げた。
巫女は全力で萃香から離れようとしているのだが、徐々に引き寄せられていく。
「出て来い八雲紫! いつまでも逃げおおせると思うな! お前が作った偽りの京なんて、全て砕いて吸い込んでやる!」
大地さえも吸い込まれて融けてゆく。
空間にもヒビが入り始めた。全力で抗う萃香の能力が紫の能力を上回り、偽りの京を破壊しようとしている。
「ちょっと!? 無茶しないでよ……! 今更こんなことして何になるのよ!?」
巫女は結界を引いて萃香の重力に抵抗するが、それは一瞬で砕け、霊気の粒となって萃香に溶け込んだ。
その度に身が焼け、萃香が苦悶の表情を浮かべる。
「私はあんた達が作ろうとしてる楽園の礎になる」
「何のことよもうっ! 紫もあんたも、勝手に自己完結して……迷惑極まりないわ!」
巫女が投げつけた針は、もう萃香の体を傷つけるには至らない。
半身ほど刺さったところでその熱量に溶かされ、穴に吸い込まれる。
萃香は巫女の抵抗など気にも留めず、目もくれずに声を張り上げる。
「そういうことよね紫? だから私を選んだ。その力のみを基準として、最適な悪役を選んだ。
きっとお前はずっと待っていたに違いない。楽園を構築するための材料……守護者、従者、そして敵が一同に会するのを」
萃香は上空を見上げ、何も無い空間を睨みつけて叫ぶ。
そしてそこには、傍からは何も無いようにしか見えないが、紫が潜んでいる。
「私の、この最後の抵抗を阻止してお前の計画は完成する!」
「何入り込んじゃってるのよぉ! あんたと一体化するなんて嫌……!」
もはや巫女は結界を引くこともできない。霊力を放出すれば、それはたちまち萃香に吸い込まれてしまう。
浮力を生じさせるための霊力も同様で、地面にお払い棒を突き立ててそれにしがみつくしかなかった。
だがもちろん、大結界さえ歪める萃香の重力に、巫女の細腕と木製のお払い棒が耐えられるわけもない。
「残念ね、こんな守護者じゃ楽園は守れないでしょう……あんたとは、別のところで会いたかったよ」
「終わらせようとしないでよおぉ、まだ若いのにぃ。うぎぎぎぎ……」
お払い棒がバキバキと乾いた悲鳴をあげ、巫女の握力も限界に近づく。
このままでは、萃香に張り付いて分子分解され、全ての境界を失った、質量の渦の一部と化してしまう。
「そうね。この子だけでは無理」
状況を見かねたのか、ついに紫が口を開いた。
どこからともなく聞こえたその声に驚いたのか、或いは、安心したのか……巫女の手がお払い棒から離れた。
巫女の表情は穏やかだった。
予知能力とも言えるほどの勘か、それとも紫への絶対の信頼か。
その顔に浮かぶ微笑は、助かる事がわかっているから。
「遅いわよ。もう」
空間を引き裂き、普段の緩慢な動作からは想像もつかない速度で飛び込んできた紫が、巫女の体を抱きとめていた。
萃香は相変わらず凄まじい重力を放っているが、巫女を抱きかかえ、宙に浮かぶ紫の体は揺るがない。
巫女は安堵と脱力から目を閉じ、その身を委ねていた。
「だから私と藍がいるの」
紫は、全ての光を飲み込んでしまいそうな深い紫色の瞳で、萃香を見つめた。
一方、藍と天狗達の戦いは一進一退を繰り返してほとんど進展が無かった。
その状況に一番驚いていたのは崇徳天狗。部下の天狗達は、どうも全力を出していなかったらしい。
「どういうことだ?」
泥まみれになった藍も苦しそうに息を切らしている。
当然天狗達も無傷ではないが、見た感じ、まだいくらかの余裕を残しているように見える。
「崇徳様」
大きな息をひとつついて、女の鴉天狗が崇徳天狗を上目遣いに眺めた。
まるで小ばかにでもするような目つき、崇徳天狗は思わずその雰囲気に飲まれ、言葉を失う。
「殺し合ったって良いこと無いですよ」
クスッと笑い、鴉天狗は風となって藍に飛びついた。
藍もその攻撃を瞬時に見切り、高下駄を白刃取りで防ぐ。
「これだけの数の精鋭相手に見事だと思う。でもこんな戦いに意味があるとは、私は思わない」
「なら、何故戦いを続ける」
鴉天狗は高下駄を脱ぎ捨て、藍の放った光線を紙一重でかわした。
藍も式を打たれてからは常に冷静で、今は勝利よりも、紫の思惑が気にかかっていた。
そして鴉天狗は超高空へと瞬時に飛び上がり、今度は空気の鎧をまとって急降下、藍へと突進する。
「見せてもらおうと思って。あんた達がどこまでやるのか」
「おい! 本気でやれ!」
「崇徳様。貴方の事は嫌いじゃないよ」
まるっきりふざけた表情で、それでも、直撃したら一度で再起不能になるようなかかと落としを藍に放つ。
藍は腕を交差させてそれを止めたが、受けた部分が痺れ、感覚が鈍る。
さらに次の瞬間には、叩きつけるような大気の塊が藍の全身を打った。
「崇徳様。真面目で可愛い」
「なっ!?」
「流石は元人間」
藍は全身を強く大地に打ちつけ、反動で弾んだ身をそのまま立て直す。
だが休む間も無く、即座に鴉天狗が真正面から追撃してきた。
「良いじゃない。楽園を作るって言うなら、見てみたいわ。本当に住み良いなら、私達も移住しましょう」
「閉鎖的な割には転身が早いな」
「私は奔放な鴉天狗。他よりも身軽なのよ」
鴉天狗の浴びせ蹴りに藍も浴びせ蹴りで対抗する。
威力は全くの互角、両者は空中で静止し、睨み合う。
「あんた達が楽園を作ったら、私が記事にまとめて、その良さを仲間に伝えるから」
「賢明だと思うけど、なんか腹立つわね」
鴉天狗が目を逸らす。
藍がその視線を追うと、そこには団扇を振りかぶる鼻高天狗がいた。
「だからしっかり。つまらない楽園だったら無視するわよ」
「ちっ……食えないな」
両者蹴り合って離れる。
そして次には、鼻高天狗の起こしたつむじ風がその場をえぐってしまった。
「崇徳様」
今度は鼻高天狗が藍から視線を外さずに、腕組みしている崇徳天狗に話しかける。
仲間達が本気でなかった事と鴉天狗の生意気さに閉口し、崇徳天狗は口を尖らせ、まるですねているようだった。
「さっきから崇徳様崇徳様となんだ、くそっ」
「鬼神様の所へ向かってください。風がおかしい」
藍を相手しながら鴉天狗も崇徳を振り向き、頷く。
もちろん崇徳天狗も感じていた。位置が離れているとはいえ、この暴風。
全ての風が、ある一点に向かって無理矢理吸い集められているように感じる。
「お前らが行った方が役に立つんじゃないか?」
「いえ、あの九尾を侮ってはいけません。あれも、ああ見えて全力だ。余裕のあるふりをしているだけです」
「あれ」と呼んだのは鴉天狗のこと、鼻高天狗は顎で鴉天狗の方をしゃくった。
藍は、服もぼろきれのようだし随所が泥で汚れていて、とても無事には見えない。
しかし、そう遠くないところから常に紫が妖力を供給している。その体力は無尽蔵と言って過言ではなかった。
「あの九尾を倒すには、短期間に続けて何度も致命傷を与えるしかない。
だがやつ自身あの戦闘力だ。これでは、我々も時間稼ぎしかできませんよ」
鼻高天狗は符を取り出し、右手に団扇、左手に符を、そして股を開いて体を大の字に構えた。
「任せて良いのか」
「私は酒呑童子のことは知らない。彼女がそうなのかどうか、それすらも」
「萃香様と酒呑様は違う鬼だ」
「そうかもしれません。だから貴方が行く必要がある」
鼻高天狗は、少しも包み隠すことなく崇徳天狗の役割を伝えた。
自分は鬼神として君臨している萃香しか知らないから、それを知っている者が行く必要があると思っている。
萃香は玉藻が出現した頃からどこか自嘲的になっている。鼻高天狗は、萃香が死ぬ気でいるのだろうと予測していた。
これは、この鼻高天狗以外でも予想できる状況だろう。崇徳天狗などもってのほかだ。
遠くの夜空がひび割れている。その破片が一箇所を目指し、飛んでいく。
いずれ大結界が砕け、粒子となって萃香の身を焼き尽くすだろう。
結界の中に居る者を全て巻き込み、萃香は滅ぶつもりだ。
逃げられるのは、非常識な移動手段を持つ紫と、その一味である巫女と藍だけだろう。
いかに萃香とて、弱った体でもう一度あの膨大な破邪の気を吸い込んだら、無事には済まない。
仮に生き残ったところで、化けの皮を剥がされた真実の京がそこに再び浮かび上がってくる。
人間達が、かつて京で暴れた萃香を許すはずがない。
二度に渡る大結界の直撃で虫の息となった萃香を、嬲るように『退治』するに違いなかった。
「鬼のような気高き妖怪は、その心根を砕いてやらねば勝てません」
「……」
「貴方が鬼神様に勝たなければならない。なんとか説得し、生きて山に帰るよう促さなければならない」
「見透かしたように言いやがって。萃香様がそう簡単におれの言う事を聞くかよ」
「そうでなければ……いや、皆まで言うまい。さぁ早く、事態は一刻を争う。九尾は我々にお任せあれ」
「指図するんじゃねえ! 言われんでも行くつもりだ!」
崇徳天狗を見送る鼻高天狗の目に焦りは無かった。
彼が言いかけた事は、もう一つ萃香に対抗する手段として、紫の存在。
――京の人間は一人も死なせはしない。あんた達天狗も一人も殺さない――
(まさかな)
紫は萃香がこうすることまで読んでいたのだろうか。
仮にそうだとしても、敵に頼らなければならないとは情けないにも程がある。
ましてや、紫に助けを求めなければいけない状況にされてしまったとは、とんだ赤っ恥だ。
(崇徳様には言えんよ)
紫の言う楽園。
紫の想定の中に萃香が含められているのだろうか。
それは決して楽なことではない。まさに野望と呼ぶに相応しい。
萃香が強力な妖怪であることは間違いない、しかし、何も萃香だけが強力な妖怪であるわけではない。
天狗のように、組織を成すことで他を寄せ付けない力を持つ連中もいるし、
単体で紫や萃香に肩を並べる妖怪がいるということも十分に考えられる。
それら全てが、素直に紫の作った楽園に住み着くかと言うと、そうではないだろう。
紫が思う楽園がどんなものであるのか、今はまだ紫にしかわからない。
(気になるのは確かだ)
このままでは、妖怪達は確実に人間に追いやられる。
知能の高い天狗は、人間に近い社会を築く事で、暗黙のうちに人間との衝突を避けている。
人間も天狗も、互いに不可侵であると、無意識のうちに理解しているのだ。
しかし、このまま人間が増長し続ければ、それもどうなるかはわからない。
天狗が滅ぼされるとすれば、順序としては妖怪達の中でも大分後になるだろう。
だが、その後は人間か妖怪か、どちらかが滅ぶ争いが待っているに違いない。
天狗の群れよりも強力な個体、神に近い力を持つ妖怪……紫のような。
それと人間が本気で争ったとき、必ずどちらかが滅ぶ。そして滅ぶのは高い確率で妖怪の方だ。
(欲の問題だろう)
妖怪は人間ほど欲深くない。
欲を邪な感情として嫌う人間は多いが、見ようによっては、それは人間を生かし、進化させるために必要な感情なのだろう。
欲を満たすために成長を続ける人間は、現状に満足してしまっている妖怪にとっては脅威としか言いようが無い。
その欲はいずれ、妖怪達を飲み込んでしまう。
「お前の主は、それにどう対処するのか」
鼻高天狗の呟きは、鴉天狗と激しい格闘戦を繰り広げる藍の耳には届いていないだろう。
「まぁ、できれば滅びたくは無いからな」
できれば、と言える辺りが妖怪らしさだろうが、それが人間に敗北する要因である事は理解している。
「お前の主は、人間よりも欲深いのかもしれん」
鼻高天狗が放った符は、一つが二つに、二つが四つに……分裂を繰り返し、藍を取り囲む。
それまで何もしてこなかった鼻高天狗が突然攻勢に移ったことに驚き、藍はそれを避け損ねた。
「ゆくぞ。我らに負けるようであれば、お前らの野望は叶わない」
符が藍の動きを封じた。そして、鴉天狗は鼻高天狗の言葉を聞いて笑う。
その戦いはまるで演劇だった。各々が自己の役割を見出し、一つの結果に向かって突き進んでいる。
自分達は藍を覚醒させるための刺激だった、そして、もうその役割は果たした。
「私にもわからないよ」
藍が呟く。藍の大きな耳に、鼻高天狗の声は届いていたのか。
その表情は自信に満ちている。紫が萃香にも天狗にも、そして人間にも負けるはずが無いと確信している。
「けれど、私より力も知能もある。そして目的が同じだ」
動きが封じられていようとも、藍の表情にまったく恐れは無かった。
どんな攻撃を受け、その身が傷つこうと……強大な主から注がれる妖力が、即座にその傷を塞いでくれる。
「だから全力でかかってきて構わない。お前達は絶対に負けるよ」
藍が、鼻高天狗に屈託の無い微笑を送った。
誰がどんな行動を起こそうとも、紫がそれを収束させ、大団円へと導いてくれる。
藍が何故そう思えるのか。
何故、つい最近出会い、ほんの少し前まで警戒していた紫に対しそこまでの信頼を寄せるのか。
今は藍と共にある、体の中の式が、そう思わせてくれる。
無限の力と無限の勇気を与えてくれる。
萃香の重力は次第に強くなっていく。
藍の九尾も、天狗の翼も、大気と共に振動している。
――きっと、紫様の思い通りにならなかったのは……玉藻様だけだったんだろう――
楽園を作る者と作らされる者、その違いだけは紫の誤算だった。
玉藻が野心を持って京に居座ったのだとでも思ったのだろうか。
だが伊吹萃香は、紫の思い通りに動いている。
震える偽りの京。剥がれ落ち、飛んできたその景色を藍は拳で弾き飛ばす。
剥がれ落ちたところには無。漆黒の空間がぽっかり口を開けていた。
「終幕が近いわ。お前達も悔いの無い様にすると良い」
藍が大地を蹴り、跳ね上がる。回転と共に強い発光が起き、周囲に眩い光線を打ち放った。
それらは鼻高天狗の符を焼き払うに留まらず、天狗達への強力な威嚇射撃となる。
「私は悔いない。お前達を我らの楽園に住まわせる事が私達の勝利だ。いつか為る。今はまだ為らずとも。
紫様は必ず応えてくれる。頭が良い、妖力が桁違いだ、寿命も、体力も」
藍の姿が消えると共に……周囲に大小様々な光の球が、規則的に、機能を捨て、整然とした模様を形作った。
鴉天狗と鼻高天狗はまるで導かれるように、踊るように、安全地帯を渡り歩いていく。
「綺麗……」
文が呟く。
離れたところに居る自分の元に届く頃には、華の様な弾の幕も、掌に乗せた雪のように崩れてしまっている。
あれをかわすのは至難の業だろう、だというのに、二人の天狗は楽しそうにその隙間を潜り抜けている。
(あの頃の貴女ではないのね)
文は血まみれで山頂を目指した二尾を思った。
そして制御しきれぬ力を頼りに、天狗全員を相手にした九尾を思った。
「鬼神様の能力は知ってる?」
「おおよそ把握した」
「集める力と、拡散する力で合ってる?」
「ああ、おそらく今のこれは究極の密。大きなものは、小さなものを取り込み同化する」
「そう」
藍の撒き散らす弾の雨に応戦しつつ、二人の天狗は言葉を交わしている。
「結界が壊れるまでどれほど?」
「そう遠くない」
「壊れた結界が全て鬼神様に吸い込まれるまでは?」
「俺に聞くな。算術は得意ではない」
「なによもう、役立たず」
藍の光線を団扇で受け流しながら、鴉天狗が不機嫌そうな表情になる。
天狗達は、役割を終えた今、自分達が何をすべきかを考えていた。
全て紫の思惑通りであるかどうかの確証は無い。だから打てるだけの手は打っておきたいところ。
鴉天狗は肩を大きく上下させている。服も体に張り付き、その肌の色を滲ませている。
問答する二人の天狗が目を合わせると、藍は目を細め、にんまりと笑った。
「あと四半時もないよ」
そして自分の頭を指でトントン、と二度突付いた。
それを見て、天狗達の表情が濁る。
――終幕の足音が聞こえる。
萃香と紫はあれから、一定の距離を保ったまま睨み合っている。
紫の腕にはそのままの状態の巫女が、きょとんとした表情で抱きかかえられている。
既に、三人の周囲にあったほぼ全ての物が吸い込まれていた。大地も、建物も、空間も。
残っているのは引力によって引き寄せる事のできない、何かの気のようなものだろう。
それらだけが星の如く周囲に浮かび、まるでそこは宇宙空間のようだった。
紫が自分の周囲に引いた結界は、萃香の引力に屈することなく巫女を守っている。
紫だけならば、本来結界を引く必要も無いのかもしれない。
「さあ、貴女は安全なところへ。私は萃香と話があるの」
「え? ここまで付き合わせといてそれは無いでしょうよ」
「敗者に口なしよ。退場」
抵抗してぎゃあぎゃあと喚く巫女を無理矢理空間の裂け目へと押し込み……
無事安全なところへと移動できたことを確認すると、紫はゆっくり、その視線を萃香へと流す。
「萃香、泣いているのね」
「わかんない。なんか無性に」
「可愛いわよ。泣き顔」
「うるさい」
紫が結界を解除すると、途端に衣服が暴れ始めた。
髪の毛だけを押さえ、紫はさらに話を続けようとする。
ところが。
「萃香様! やめてくれ! 滅茶苦茶になっちまうぞ!」
「崇徳」
駆けつけた崇徳天狗は重力に逆らうのが精一杯という体で、姿勢を維持できずに空中で回転しそうになっていた。
それでも歯を食いしばり、萃香を見つめて叫ぶ。
「山へ戻ろうぜ萃香様。俺達はもう負けた……命を投げるような真似して何になる!」
「わかってない。私達はこいつらの障害になるためにここに呼ばれた。今投げ出してはいけない」
「そんなことはどうでもいいんだよ! あんたまで死んじまったら、あの山から神がいなくなっちまう!」
「それこそどうでもいい! 生意気な口を利かないでよ!」
「うっ……」
崇徳天狗はそれきり、慌てながら何かを口に出そうとするのだが、言葉が詰まって出てこない。
紫はそれを見て呆れたように眉をハの字に曲げて笑うと、崇徳天狗に少時視線を向け、すぐに萃香を振り向く。
「退場。痴話喧嘩はあとで勝手にやってね」
「うおっ? 待てこらっ……」
紫に日傘の先端を向けられると、崇徳天狗の全身が徐々にかすれていった。
山で崇徳天狗に殺されかけたときの藍と同様に、崇徳天狗の体が消えていく。
「萃香様ぁーっ!」
「うるさいな崇徳! ほんとダメになったねお前は!」
「一つだけ言わせてくれよ! どうせおれはこのまま退場させられちまうんだ!」
体の隅から、腕、足が消え、胸元が消え始めた頃……崇徳天狗は大きく息を吸って、最後の言葉を叫んだ。
それを見た萃香も、最後ぐらいは言わせてやるかと、口をつぐむ。
「天狗になってからも酒が楽しく飲めるなんて、思ってなかったんだ!
京のばかどもに殺されかけた俺を拾ってくれたのは、酒呑様とあんただったじゃないか!
人間だった頃よりも充実してたんだぜ? おもしろい酒呑様と、萃香様と……
もう、人間に負けてたって良いんだよ! 俺はあんたまで……」
最後まで言いきることは叶わず、崇徳天狗は跡形も無く消え去った。
それでも、崇徳天狗の言いたいことはほぼ萃香に伝わっていた。萃香は眉をひそめ、難しい顔をしてうつむいている。
「貴女に出会ったから、彼はああいう風になれたんじゃないかしら」
「何を知った風な事を」
「別に知らないわ。なんとなくそう思っただけ」
「あれでも、昔はもっと切れたんだよ」
「そうなの。興味無いけれど」
再び二人はこう着状態に陥る。
紫はなかなか本心を語らない、何をするためにここで出てきて、萃香と対峙しているのか……。
「実はね萃香」
紫が、何か面白い悪戯でも思いついたように笑う。
少女のようなあどけなさの中に、ほんのわずかに狡猾さが覗ける笑顔。
それを見た萃香は思わず身構える、紫がああいう笑い方をしたときはろくなことが起きない。
「私も結構全力なの。もう偽りの京の維持は無理。放棄したわ。ね? 壊れていってるでしょう」
「何を言うかと思えば……」
何も考えていないのではないか? 今度は萃香が呆れる番だった。
「ん……?」
藍が、自分の身に起きた異変を感じた。
手の色が透けていく。それを見て天狗達を見やると、彼らの身もまた、同様に透けていた。
「おお?」
「あややや?」
「これは……」
天狗達は目を見合わせて戸惑っている。
その様子は、初めての経験に怯えているようでもあった。
「そうか、我々の戦いももう終わりなのね」
「……ねえ狐。これは痛かったりするの?」
「いや、無痛だよ。怖かったら目でも閉じていれば良い。いつの間にか移動しているから」
「そう」
藍の答えに安心し、鴉天狗が胸に手を当てた。
藍、鴉天狗、鼻高天狗、文もこれで退場……壊れかけの偽りの京は、紫と萃香二人だけの決闘場となる。
そして藍が表情を緩め、首を回しながら呟く。
「決着は着かなかったわね」
強く閉じた目を静かに見開き、天狗達を見つめた。
「けどこれで良いわ。私の目標は達成した……私の勝ち」
鼻高天狗が面白く無さそうに鼻を鳴らし、文は安心したように肩の力を抜く。
最後に、鴉天狗が何か言い返そうと頭の中を漁っている間に……その場の全員もまた、京から退場した。
「いやぁ、貴女強いわぁ」
「強い奴を選んだのはあんたでしょ……」
紫はゆったりと、隙間に肘をかけている。
萃香は最早動揺もしなかった、やるべきことは決まっている、それに向かうだけだった。
「私の創った京。どうだった? 酒呑童子率いる山の鬼達と人間達の戦いに終止符が打たれた日の京は」
「忌々しい。思い出したくない」
「でも建物の中なんかは、結構適当に作っちゃったの。何せあまり時間がなかったから」
「紫」
「何?」
萃香の目から流れる涙は既に止まっていた。
「くだらないおしゃべりなんかしたくないわ。質問に答えるなら、それのみ、発言を許してやっても良い」
「まぁ怖い……良いわよ、何が聞きたいの? 最後ぐらい答えてあげる」
うふふ、と笑って、紫は嬉しそうに萃香の表情を覗き込む。
「楽園を作るって言うのは本当?」
「半分と言う所ね、私の見立て通りに行けば。もしかすると必要でないかもしれない」
「楽園が必要ない?」
「違うわ、楽園を包む結界が必要ないかもしれないの」
「あの巫女は何のために?」
「一つは貴女に会わせる為、一つは結界を試験するため」
「あの結界は楽園を物理的に守ると?」
「それは無理。あの結界には『意味』を与えなければ。その論理をどうするか、それはこれからの歴史の動き次第」
「……どういう意味よ」
「例えば……今ここを包む結界の内側には『偽』、外側には『真』、と言う論理的境界を作った」
「中と外には、何か一点において絶対的な違いが存在するってことか」
「そう、やがて人間が増長し、楽園に境界を引く必要が出たら……どのように妖怪を守り、人間を弱くするか、
その論理を完成させ、巫女と私で楽園を守る」
長い問答の後、萃香はまだ頭の中の整理がつかないと言った様子で眉間にしわを寄せながら、首を傾げた。
「何故そこに巫女を混ぜるのよ」
「人間と妖怪が協力する必要があるのよ。表向きそうでなくても、人間と妖怪、それぞれに管理者を置き……
私は最終的にあの巫女に全権を託す。最後の一線は巫女が守らなくてはいけない」
「そこがわからない、私が統治している山と何が違う」
「そこは……秘密。もう時間もあまり無いの」
紫は唐突に会話を切り、日傘を空間の裂け目に放り込んで両手を萃香に向けた。
萃香は事態を把握できずに不思議そうな顔、紫が攻撃でも仕掛けてくるのだろうかと訝しんでいる。
「最後に私自身の試験」
そういうと紫は萃香を結界で包み込んだ。
「この楽園は簡単にはできないと思うの」
結界が萃香の能力に打ち負け、粉々に打ち砕かれた。
その反動が両腕に伝わり、紫は腕を弾かれて姿勢を崩す。
しかし、即座に体勢を立て直して、再び萃香を結界で包んだ。
「何をしてるのよ?」
「死のうとしている貴女を助ける。貴女のような妖怪こそ、私達の楽園に住まなければならない」
「はぁ?」
言いたいことを言って、自分も安全圏に逃げるとばかり思っていた紫がそんなことを考えていたとは。
――貴女の胸の隙間、この私が埋めてあげる。
次に浮かんだのは、あの日言われた頭に来る台詞。
萃香の表情が、久方ぶりに鬼の形相へと移り変わっていく。
自分も自棄になっていたとはいえ、ふざけた茶番に付き合わされ、利用され……。
その上何もかも思い通りにされるなんてことは、胸の内の自尊心が許さなかった。
萃香はさらに質量を上げ、重力を強める。
持てる力のすべてで紫に抵抗する、紫が萃香の死を望まないならば、意地でもそれに抵抗してやろうと。
紫の引いた、萃香を包む結界は再び木っ端微塵に砕かれ、質量の塊に飲み込まれた。
だが紫は諦めない、さらに結界で包み、萃香の力を失わせ……京から無理矢理連れ帰ろうとする。
「どんな不可をも可に変えていかなければいけないの。大変でしょ?」
「ふざけるな! 遊びに来たわけじゃない!」
つまらない人間達、牙を失った鬼達。忘れ去られ、消えてゆく。
惰性のように、従えた天狗達と酒を飲んだり、無茶を言って困らせる日々。
思い出すのはあの鮮血の日々。酒呑童子を初めとした、たくさんの仲間が討ち取られた日。
「我ら、誇り高き鬼を嘗めるな!」
萃香は三度、紫の結界を破壊する。
大きすぎる反動で紫の腕の血管がいくつか弾け、その純白の手袋が紅く染まった。
萃香も質量が己の許容量を超えて噴出した血が、紅潮した全身を血で塗らしていく。
だが次には、すぐに新たな結界が萃香を包み込んでいた。
「くどい! 何故……なんでここまでするのよ! 私を助けたところであんたにどれほどの得がある!?」
紫の全身から噴出す汗も、すぐに粒子となって萃香に溶けていく。
膨らみすぎた重力が徐々に紫の身を飲み込もうと、目に見えない手でその体を引いている。
紫も自分の周囲に結界を引いて抗うが、それはすぐにひび割れ、破片と化して吸い込まれていく。
萃香の意思からの逸脱を始めた質量と言う名の黒い魔が、紫とひとつになることを望んでいる。
だが、少しずつ引き寄せられても紫は諦めない。
その目は何をも恐れず、まっすぐに萃香を睨みつけている。
「ここで負けたら、一生敗北感が付きまとうわ。長い人生、それは辛いじゃない?」
「くだらない! なら負かしてやる! 負けて……死に、消えた私を想って一生歯噛みしていろ!」
萃香が自ら前進を始める。
質量を操る密の力はもうこれ以上制御できない、その手で紫を捕まえて、直接質量の渦に放り投げようとしている。
「負けないのではないのよ、負けられないの。私の楽園は、全てを受け入れなければいけない」
しかし、結界は引く側から割れてしまう。
紫の劣勢は明らかだった、もはや偽りの京もほぼ全体が萃香に飲み込まれている。
重くなりすぎた我が身を引きずるようにしつつ、萃香が紫に接近する。
その最中にも、紫は幾度となく萃香を結界の中に封じ込めたが、それは全て徒労に終わった。
そしてついにその手が紫の腕を掴んだ。
「捕まえた!」
驚きか、恐怖か……声すら出さない紫を、すぐにもう片方の手でも掴んだ。
そして質量の渦の中心であるその胸へ、抱きしめるようにねじ込んだ。
ほんのかすかに返り血が飛んで、萃香の顎の辺りにかかったが、もはや気にすることでは無かった。
「残念だったね、紫……いくらあんたと言えども、粒にまで分解されては復活もできないでしょ」
鬼の形相が、静かに悲しみの表情へと変わる。
大きすぎる力は誰にも受け入れられないのだと、改めて思った。
もう自分の力さえ制御できない。この重力を止めて京から脱出する事は不可能だった。
先ほどから少しずつ飛来していた大結界の破片も、徐々にその量が増していく。
あとは滅ぶのを待つだけだった。
「最後にあんたみたいなのと戦えて……全力を出せて、良かった」
同時に巫女のことを想う。
彼女達が作る楽園、是非とも見てみたかったが……その中心となる紫がいなくては、もうどうしようもあるまい。
紫は文字通り粉々に砕いて、取り込んでしまった。
大結界の大きな破片が萃香の全身を強かに打った。
すぐにそれも砕き、吸収してしまうが、打たれた場所から血が噴出し、吸い込んだ胸には激痛がはしる。
空中で身を丸め、苦しみ悶えて涙をこぼした。
だが追い討ちをかけるように、次々に破片が飛んでくる。
意識を失ってしまいたくても、断続的に与えられる苦痛が覚醒を促してしまう。
細かくなった破片が全身に刺さる、咆哮した瞬間、口内にも破片が突き刺さる。
この規模の結界を飲み込むには相当な時間がかかる、萃香は地獄とも言える責め苦に耐え続けなければいけなかった。
果たして、死ぬのが先か、結界が無くなるのが先か。
胸にある質量の塊に全ての妖力を注ぎ込んだ今、結界を完全に破壊した後、逃げる事も叶わない。
すぐに京の人間に発見され……酒呑童子のように、首を飛ばされてしまうだろう。
いずれにせよ、これから萃香を待つのは、苦しみと、死。
(……あれ)
考えていて、妙なことに気がついた。
(紫が死んでも……弄られた論理的境界はそのままなの?)
この京の中は未だ偽り。
塗装は剥げているが、紫が作り出した空間であることには違いないはず。
絶対そうとは言い切れないが、紫が死んだら、いじられた境界はどうなってしまうのだろう。
元に戻るのか、そうでないのか……激痛に意識を乱されながら、そんなことを考えていた。
――そうよ、これは計算のうち――
刹那、全身が臓腑の奥まで凍りついた。
その氷を溶かすように、恐怖が、内側からじわじわと広がっていく。
萃香の周囲に隙間が開く、無数に、空間の切り傷が口を開けていく。
その中から萃香を見つめる目、目、目。
おびただしい数の真紅の眼が、嘗め上げるように傷だらけの萃香を眺めている。
血で染められた紅い視界で、萃香は自分を見つめるいくつものその目に、心からの嫌悪感を覚えた。
話したくても、既に口の中もズタズタで声が出せない。
(なんで生きている!?)
萃香の疑問とは裏腹に、それは簡単なからくりだった。
吸い込み、即座に粒子の次元まで砕いて殺す、という手段を逆手に取られた。
萃香の胸の巨大質量を隙間で飲み込むことは難しかったが、その目の前に隙間を作ることは可能。
紫はそこに身を投じ、亜空間の中に潜んでいた。
わずかな鮮血は、流石の紫も余裕を失って傷を負ってしまったことによる。
隙間に逃げ込んだとはいえ、至近距離でその凄まじい重力に引かれたのだ。
真紅の目の群れの中に、紫色の眼が、二つだけ混ざっている。
そして徐々に顔が浮き出し、そこには血まみれになりながら薄笑いを浮かべる紫が居た。
「聞こえる? 萃香」
冷たい肉声が、鼓膜に留まらず脳内までも凍りつかせる。
萃香の心臓が破裂しそうなほど強く脈打っている。
もう目がろくに見えない萃香は、突然触覚に感じた違和感に、声にならない悲鳴を上げた。
隙間から伸びた腕に腕を掴まれている。
次は足、頭、肩、腹、首……全身、ありとあらゆる所に腕が伸びる。
時折、大結界の破片に吹き飛ばされる腕もあったが、すぐに次が生え伸び、萃香の身を捉える。
「……分解するというのは良い考えね」
萃香の全身の境界が、論理的に破壊されていく。
分解されようとも生命が維持できるように、紫が宇宙の真理に逆らい、萃香を細切れにして隙間の中へ運んでいく。
萃香は、目が見えなくなっていることを心底ありがたく思った。
今までどんな妖怪も使わなかったこの不思議な力を目の当たりにしたら、鬼の自分でさえ、恐怖に震える少女と化してしまう気がした。
少しすると、安心感さえ胸に湧いてきた。
自分の限界を超える力、大結界の破片、消耗しきった萃香に、この紫の行動に抗う術は無い。
紫は待っていたのだろう、大結界が崩壊を初め、萃香の体力を奪っていくのを。
幾度も結界で包み込もうとしていたのは……それで萃香を倒せれば良いという考えもあったろうが、おそらくは演技。
萃香に全力を出させた上で圧倒するための布石なのではなかっただろうか。
結果、萃香は無理に力を引き出し、大きな隙を作った。
紫に力負けしてないと慢心し、自己の制御を失った。
巫女に心で負け、紫に頭脳で負けた。
さしずめ、力では巫女と紫、二人の力に負けた。
二度の敗北をした萃香の心の中は、全ての熱を吐き出し、澄んだ湖のように静かだった。
紫に無理矢理退場させられた者達は皆、巫女の住む神社へと移動させられていた。
なんと結界の外で待機していた天狗達までもがその対象となったらしい。
天狗達は一番最初に退場した崇徳天狗の指示を受けて境内に整列し、未だ何が起こったのかわからないといった風に、
納得の行かない表情で横に居る者と目を見合わせている。
「おつかれさまでした」
「射命丸、お前は何もしてなかったわね」
「いえ、しっかり見てました。記事は私に任せてください」
「生意気。私が書くからあんたは黙ってなさい」
例の鴉天狗と文はその列から外れている。
鳥居に寄りかかる鴉天狗に、文は拳を振り上げて誇らしげにしていた。
巫女は顔面蒼白で、整列する天狗達を眺めていた。
先日まで「見たことが無い」と言っていた天狗達が、今目の前に、しかも自分の神社にこんなにたくさん来ている。
「暴れたりしないでしょうね……」
「天狗との勝負付けは済んでる。大丈夫よ」
「……あんたも、随分老けたわね。なんだか……」
「そんなこと無いよ」
「あのでっかい天狗はもう良いの? なんか、あんたと仲が悪いとか紫が言っていたけど」
「負かしたからもういい。固執していたら、恨みはいつまでも消えない」
瞳の奥に、わずかに寂しさの色を残したまま……藍は微笑み、その場にあぐらをかいた。
そして山の軍隊の統制を鼻高天狗に任せ、横で四つんばいになって泣いている崇徳天狗を眺めた。
「でかい図体して情けないな!」
藍が馬鹿にしても、崇徳天狗はちらと顔を持ち上げて睨み返す程度で、もう戦う気も無いようだ。
「萃香様が死んじまう……」
「死にはしない。紫様が必ず助けて、連れ戻す」
「あんな胡散臭い奴信用できるか! てめえだけで逃げてくるに違いない!」
「まぁ、胡散臭いと言うのはわかるけど」
藍は腿に肘を乗せ、頬杖をついて上目遣いに崇徳天狗を見上げた。
あれだけ強気で残酷に見えたのに、萃香が危険にさらされるとどうも感情的になりがちなようだ。
「ねぇ、何があったのよ。お前とあの鬼の間に」
「そんなこと話す義理は無い」
「私から全て奪っておいて自分はそれか。もう一度腕をへし折ってやろうか?」
「そんなことしたら後ろに控えてる手下達が黙ってねえぞ」
「ふん。変な奴ね」
もとより藍にはそんなつもりなどない。
もう、紫の命令無しにこの力を振りかざすべきではないとわかっている。
聞き出せそうなものなら聞こうと思っていたが、崇徳天狗と嫌い合っている以上、それは難しい話だった。
「お茶飲む?」
言い合いをしている二人の元に、巫女がお盆に茶を載せて持ってきた。
藍はごく自然にそれを受け取り、大きな耳を寝かせてお辞儀の代わりとした。
崇徳天狗は信じられないような目つきで巫女を見下ろしている。
「敵であるおれにもか」
「今戦ってなきゃ、別に敵じゃないわよ。もうあの戦いは終わり」
「……」
「ほんとは私が飲みたいだけだったけど、一人だけ飲むのも悪いじゃない」
全員分は無理だけど、と付け加え、巫女は天狗の集団を見て眉をしかめた。
「毒でも入れたんじゃないだろうな」
「巫女を何だと思ってんのよ。そんな卑怯な事しないわよ、要らないなら飲むな」
崇徳天狗は舌打ちし、腑に落ちない様子で小さな湯飲みをつまみ、舌を出して一気にその上に茶を撒いた。
体格的に仕方ないのだろうが、巫女はその光景に思わず苦笑する。
「なんかでっかいのって面白いわね」
「はははっ」
「笑うんじゃねえよ、くそっ」
その場で崇徳天狗の湯飲みを回収したあと、巫女は鼻高天狗、鴉天狗、文にもお茶を配って回った。
全員は無理なので、あの場に居た者にだけ配ったらしい。
天狗の集団は緊張感の無い巫女達の様子を見て、中で一体何が行われていたのかと疑問に思う。
あの結界にせよ、突然ここに飛ばされた事にせよ……それまでの九尾、二尾との戦いとは違う、奇妙な状況だったに違いない。
そのとき、急に空間が歪んだ。
神社の真正面の空間が不気味にうごめいている。
「萃香様!」
誰よりも先に崇徳天狗が駆け出し、その場へと向かった。
いずれ空間が口を開け、その中から人影が落ちてくる。
誰もが紫の勝利を願った。
滅ぼうとする萃香の意志を挫いて、共に、無事帰ってきてくれと願った。
だが、崇徳天狗の掌に落ちてきたのは血まみれの紫だけだった。
「うおっ!? てめえじゃねえ!」
崇徳天狗が驚いて紫を放り投げると、すかさず藍が飛び出してその身を受け止める。
藍は紫をしっかりと受け止めた後、崇徳天狗を睨みつけた。
しかし、それ以上の気迫で自分を睨み付ける崇徳天狗の前に、言葉を飲み込む。
「萃香様はどうした!? 殺したのか! 見捨てたのか! 返答次第では容赦せんぞ!」
崇徳天狗が声を張り上げると、後方の天狗達も姿勢を正して構えた。
一人縁側で茶を啜っていた巫女も、傍らに湯飲みを置いて立ち上がる。
「ちょっと、乱暴にしないで……全身あちこち痛いのよ」
藍の頭を撫でて着地する紫を、天狗達が睨みつけている。
紫はそれに答えるように、血まみれのまま不気味に微笑んだ。
「ちょっと待ってね。貴方達の神様……今『組み立てて』いるから」
この状況で出てくるはずの無いその言葉に、その場の全員が震え上がった。
崇徳天狗だけはすぐに正気に戻り、紫に向かって怒号を叩きつける。
「組み立て!? てめえ萃香様に何しやがった!」
「黙りなさい。萃香は私にもっと酷い事しようとしたのよ? お互い様なの」
隙間から日傘を取り出し、地面について両手を添える。
血まみれ、傷まみれであるにも関わらず、紫の表情は落ち着き払っていて威圧感に満ちていた。
「さ、そろそろ終わるわ……ちゃんと受け止めてあげて。身も心も傷だらけのはずだから」
紫は懐から扇を出し、崇徳天狗の頭上を指した。
天狗達の待ち望んだ、萃香がそこから降ってくる。
鬼神として君臨し、長きに渡って山を守護し、時には、共に酒を酌み交わした萃香が。
「萃香様はもう帰ってこないかもしれん」
先に神社に戻されていた崇徳天狗が、沈痛の面持ちでそう言った時、天狗達の視界が眩んだ。
威厳ある神として、愉快な仲間として過ごしてきた萃香が死んでしまうなど、考えた事も無かった。
好意は天狗によってそれぞれだった。
全然萃香と顔を会わせない者もいたし、下っ端でも、酒の席に同席を望めば萃香は拒まない。
それでも皆認識していた、山の頂点に君臨する伊吹萃香。それは上下関係であったり、交友関係であったり。
山に不可欠な存在だと、皆が思っていた。
死んでしまったなんて思いたくはない。
崇徳天狗の頭上から小さな人影が出現した。
全身が血で真っ赤に染め上げられてはいたが、質量の渦は切り離されている。
崇徳天狗の掌で受け止められた萃香の肌は、溶岩のような色から、血に濡れながらも元の色を取り戻していた。
「萃香様……」
天狗達が皆息を飲んだ。
そして、その胸が小さく上下しているのを確認したとき、崇徳天狗の目に涙が滲んだ。
「生きてるぞ皆! 萃香様は生きて帰ってきた!」
天狗達が歓声を上げる。
山の者達は、何一つ失うことなくこの戦いの終わりを迎えることができた。
暴走が危ぶまれた萃香も、既に精根尽き果て、しばらくは大人しくなるに違いない。
九尾は八雲紫に取り込まれ、その式として生きてゆくはずだ。
喜ぶ天狗達を嬉しそうに眺める紫に、藍が背後から声をかけた。
それまで我を忘れていた紫は、酷く疲れた表情で藍を振り返る。
「紫様」
「どうしたの藍? 貴女も今日はよくやってくれた。良い顔になっているわよ」
「紫様、信じていました」
藍は血に汚れた主に背を向ける。
くたびれたその姿を直視するのはあまりにも畏れ多く、無礼な行為だとでも思ったのだろう。
そして背を向け、頭を垂れて、改めて反転してから紫に向き直る。
「この八雲藍……以後、忠誠を誓います。どうかお側に置いてください」
「嫌がっても、もう離さないわ。私の式神」
「貴女が成す楽園、是非、私の力もお役に立てていただきたい」
「もちろんよ、さ、顔をあげなさい……血を拭き取って欲しいの。私のだか萃香のだか、わからなくなってしまったわ」
「はい」
では、と紫の顔の血を拭き取ろうとした藍だったが、自分の服も血まみれで、かえって汚してしまいそうだった。
そのことをすっかり忘れていたことから、驚きで頭の中が真っ白になり、同時に、顔が真っ赤になった。
「藍……ばかねえ」
「……すいません」
うつむいてしまった藍の頭を撫で、紫が笑う。
そこへ巫女がやってきて、手ぬぐいを投げて寄こした。
「ほら、これ使いなさいよ」
「まぁ流石ね……気が利くわ」
「うえっ、全然嬉しくない」
口では憎まれ口、けれど巫女の表情も晴れ晴れとして、気持ち良さそうだった。
藍に血を拭かせつつ、紫は巫女の功績も褒め称える。
「貴女のお陰で、私の目標も大分形になり始めたわ」
「そう、良かったわね……楽園がどうたら、あんま、聞かなかった事にしておきたいけど」
「それはダメ」
ため息をつく巫女の後方から、天狗達の視線を感じた。
この一連の騒動は、今全て決着がついたのだ。それを明確にする必要があると、天狗達は目で訴えている。
紫は真顔になって、天狗達を正面に見据えた。
「大分酷い傷だけど、鬼なら安静にしてれば大丈夫でしょう」
「ああ」
代表として崇徳天狗が答える。
その目には、紫に対する畏れが垣間見えた。
「あの萃香様の作った穴はどうした」
「無理矢理境界でバラバラにして、重力を失わせたわ。萃香が弱ってなければ、そう簡単にはいかなかっただろうけど」
「……そうか」
萃香のそれさえも凌駕してしまった紫の力に恐怖を覚えた。
元々あれは萃香の存在に起因する術だから、大結界の破片で萃香が弱ると共に効力を失っていった可能性はあるが。
未だ意識を取り戻さない萃香を掌に乗せたまま、崇徳天狗は紫の目を見て、
「おれ達の負けだ」
自分達の敗北を、高らかに宣言した。
こうして、この一連の騒動は幕を閉じた。
天狗達は萃香を連れて山に帰り、紫は藍を伴って自宅へ、巫女も神社に落ち着いた。
犠牲者は九尾・玉藻のみ。
だがその心は八雲藍と共に在る。
紫の強靭な意志と混ざり合い、楽園の平和を守る影の存在としての暗躍が期待される。
それから、山も、巫女の住む人里も、紫の家も平和だった。
京での戦いは、寸での所で人間達には知られること無く、山には相変わらずの平和があった。
あれ以来、しばらくして萃香は山から姿を消したと言う。
何を思ってかは誰にも伝えなかったが、完全に心が癒されたと言うわけでもなかったらしい。
それでも、滅ぶことを考えているのではないらしく、時折、神社に顔を出したりしていた。
どことなく寂しげな雰囲気を感じさせるものの、巫女や紫と酒を酌み交わしている最中は満面の笑みだった。
いずれ再び、今度は結界で区切られた幻想郷の中で異変を起こすのだが、この時点ではそういう気配も無かった。
そして今度は代を重ね、知恵と力を受け継いだ最強の巫女、博麗霊夢が相手をすることになる。
そしてまた、萃香の気持ちを丸くする。
だがとにかく、この時点での伊吹萃香は無事だった。
再び楽しい生を求め、しばしの孤独の中で気持ちを落ち着けることになる。
崇徳天狗を初めとした天狗達は警戒態勢を解除し、再び、統制の取れた社会で平和な暮らしを送る。
崇徳天狗の親衛隊は解体され、あの鴉天狗は再び奔放な取材活動、鼻高天狗は、天狗達の図書施設の管理職に戻った。
親衛隊の長、崇徳天狗は萃香を探しに旅に出た。そして四国にしばし滞在したあと、その所在が不明になった。
しかし、気付いたらまた山に戻ってきた。
やはり仲間のいる環境と言うのはそう簡単に捨てられないものらしい。
人間だった頃に悲しい人生を送っている事もあって、仲間の温かみから離れる事ができなかったのだろうか。
その後は大天狗として、主に山の軍事、防衛について管理している。
文は、帰ってからしばらくあの異変の記事の執筆に追われた。
たびたび外出する文が、目の下に隈をぶら下げたその姿を天狗達に確認されている。それほど作業は過酷だったようだ。
それでも文はいつも薄笑いを浮かべ、幸せそうな様子だったという。
そんな不気味な文自身が他の鴉天狗の記事になるなど、間の抜けたやり取りも目に付いた。
このように、山の暮らしは完全に暢気で怠惰なものに戻った。
それからさらに数年後。
巫女は娘を産んだ。
まだ年齢は二十にも満たなかったが、巫女としての力は三十にもなると衰えてしまう。
今までの巫女もそうだったが、本能で知っているのだろうか。最盛期に子供を産み、その大きな霊力を引き継いでいた。
そうすると、自分が引退する頃に娘の力が充実してくる。
そして紫はいつも不思議に思うのだが、この神社には男の神職が居ない。
いつの間にか身篭っていて、いつの間にか増えている。
どこかで、自分に相応しい相手を見つけ、子を授かってくるのだろうか?
初代に何度か尋ねた事があるが、いつも適当にあしらわれ、真実は闇の中に葬られた。
一人で子を宿す事ができるなどと、奇跡のような能力を持っているのではないかと疑ったこともある。
いずれにせよ、この神社の風習は一般的な他の神社とは異なる点がいくつか存在していた。
もしかしたら、それが神職として突出した能力の秘密なのかもしれない。
巫女の出産祝いなどという大義名分の下、あの戦いに参加した者達が神社に集まり、宴会を開いていた。
とはいえ、集まっているのは紫、藍、そして文とあの鴉天狗、そして鼻高天狗のみだった。
崇徳天狗は自分の体の大きさを気にして出席を控えたらしい、図体は大きいが、意外と気の小さいところがある。
そして萃香もこの時点で行方不明になっており、ふらっと宴会の気配を嗅ぎつけてやってこないかと思ったものの、
結局、姿を見せる事はなかった。
「お前らは食ってばかりだな。鴉天狗はどうも礼節がなってない」
「うるさいな、硬いこと言わないでよ。作れる奴が作るのが一番じゃない」
「そうですよ。その才能、こういう場面で生かさないでどうするんですか」
「そんな世辞には騙されん」
才能と言われる割に、別に鼻高天狗の料理はそこまで上手というものでもなかった。
不味いと言って吐き出すほどではないにしろ、宴会の御馳走、という言葉とは程遠い。
それを自覚しているからこそ、文が世辞を述べている事などすぐにわかった。
「まあいい、今日の主役は俺達では無いしな。お前らは俺の不味い料理に、音の外れた舌鼓でも打っていると良い」
「……」
「それより、どうせなら抱かせてもらってきたらどうだ。色も悪いし、猿のようであまり可愛いとは思わなかったが」
「正直ですね……」
「もう少し育ってからの方が可愛いだろう」
そこまで言ってから、鼻高天狗は無表情のまま文と鴉天狗の平らげた皿を手に神社の中へ戻っていった。
鴉天狗は文と目を見合わせて肩をすくめた後、紫と並んで縁側に座っている、娘を抱いた巫女の元へ歩いて行った。
方や、文は一人で酒を飲んでいる藍を見つめたまま静止している。
あの異変以来、バタバタしていてまるで話す暇が無かった。
京に行ったときも、文は戦いに混ざる実力も無く眺めているだけだった。
しかし、思うところがないわけではない。胸に抱えた気持ちは、最前線で戦ったあの鴉天狗よりも重いだろう。
文は瀕死の二尾を玉藻の元へ連れて行き、なおかつ、暴走しかけた玉藻を説き伏せた。
話しかけたくても、自分からは話しかけにくかった。
藍は時折何かを思い出したように尻尾を左右に揺すりながら、空に浮かぶ月を見上げている。
しかし、ずっと自分を見つめている文の視線に気付き……わずかに哀しさを覗かせる笑顔で、歩み寄ってきた。
「飲んでる?」
「ええ、まあ」
なかなか、それ以上の言葉を吐き出すことができない。
なんとなく居たたまれないような文の態度を汲んで、藍はその杯に酌をしてやった。
「玉藻様のこと、気にしているの?」
藍は単刀直入な質問を文に投げる。
心の準備すらしていなかった文は、それにほんの少し戸惑いながらも、逆に、自分からの疑問を返した。
「貴女は許せるんですか? それとなく話題に上らなくなったけど、貴女の大切な人だったんでしょ?」
「もちろん大切な人だったよ……そうね、母と娘というよりは、姉と妹に近かった」
藍は、巫女の方を眺めながらそう言った。
「許せるんですか? 私達天狗を」
文は繰り返す、どうしても聞きたいのはその話だった。
母と娘だろうが、姉と妹だろうがどうでもいい。問題はそこだった。
「許す。と言い切るのは難しいよ」
藍の声が、普段の高い声からは想像もつかないほどに、低く、文の腹に響いた。
おそるおそるその表情を確かめるが、意外にも表情は穏やかで、怒りの色は見えない。
「しかし。頭では……小さな話なんだ、と思ってる」
「小さいって……大切な人が死んだのに?」
「私は、彼女だけのために楽園を作ろうとするべきじゃなかったのよ。
もっと大きいもの、人と妖怪ですらない……私達が守るものは……」
藍の言わんとするところが、すぐには理解できない。
しかし、紫を見ているとなんだかその意味がわかる気がした。
「彼女もまた、楽園のための礎になったと思うしかないんだ」
「……割り切れるんですか?」
「結果として、楽園の計画は順調に進んでる。もう彼女のような犠牲は出ないわ」
「誰かが犠牲にならなければ楽園は完成しないの?」
文の問いかけに対し、藍は首を横に振った。
「紫様は、誰かが犠牲にならなければ為せないような、不完全な楽園を望んでいないでしょう」
「わざわざ障害として立ちはだかった鬼を、あえて助けたぐらいだものね……」
「そうよ……」
文を振り向いた藍の瞳から涙が零れ落ち、月の光を受けて銀色に煌いた。
そしてすぐに土の上に落ち、大地に染み渡って消えた。
「必要な犠牲だったなんて……思いたくないよ」
文は、藍に大してわずかに尊敬の念を抱いていた。
紫には誇りを捨てて結果を求めろと言われていたが、あれだけ酷い目に合わされながらも、
藍は飽くまで玉藻のやり方を見習い、天狗を誰一人殺そうとしなかった。
紫が「誰一人殺さない」ということを目標に掲げていたことだけが、その理由ではないだろう。
「謝って済む事ではないと思うし、私だって、仲間の事を考えて動かなきゃいけなかった」
「そうね、わかってる。だから罪に感じる事はないよ」
藍は玉藻の記憶を通じて知っていた。萃香の迎撃に遭う事を危惧して、文が玉藻に「来るな」と叫んだ事を。
まさか、それで玉藻が反魂の術を使うなどとは、紫でさえ予測できなかったのに文が予測できるとは考えにくい。
藍はそんな文の葛藤を労うように、無理矢理に握手を求めた。
「月並みだけど、天狗に復讐したところで玉藻様は帰ってこないし、喜んでもくれないでしょう。
……だから、これでいいんだ。憎しみは誰かが握りつぶさないと、永遠に輪廻するから」
藍の手を取り文は思う。
――きっと、玉藻もこんな感じだったんだ――
彼女の死は、無駄ではない。
その愛は、八雲藍にしっかりと受け継がれている。
「玉藻様、新しい命をありがとうございました」
夜空に浮かぶ銀色の月を見て、玉藻の、銀色の瞳を想いながら藍は手を合わせた。
文も並んで手を合わせた。
そして思う、あの世では幸せに、と。
強く強く、冥福を祈った。
「早いものね。少し前まで、このくらいの女の子だったのに……もう、娘を産んだ母親」
そう言って、紫は自分の腰元を掌で切る。
巫女と紫が並んで縁側に座る前で、鴉天狗が二人を見下ろしている。
紫が、巫女の産んだ子を抱いて不思議そうに眺めている。
自分が一人一種族の妖怪だということを紫は知っていた。だから、このように子を産む事は、きっと無いのだろう。
そして人間の成長の早さ。
その、時間の感覚の違いが紫には理解し難い。
「なんか、あんたが抱いてると食べそうで怖いね」
「大丈夫よ。こいつ、もったいぶってうちの一族を食べないから」
「何よ。言いたい放題言ってくれるじゃないの」
四代目は、まだ身動きすら満足にできないほど幼かった。
鼻高天狗の言ったように、確かにまだ肌は赤みが強くて、良い色とは言えない。
その色は、三代目の胎内から外の世界へ生れ落ちて間もない事を実感させた。
「鴉天狗って、卵を産むの?」
「はぁ?」
巫女に不意に質問され、鴉天狗は呆気に取られる。
そして少し考えてから服の裾をたくしあげ、へそを見せた。
「ほい」
「へそあるの!?」
「さあどういう理屈でしょう?」
卵生ならばへそは無いはず……巫女の中で、鴉天狗出生の謎が深まった。
しかし鴉天狗には教える気が無いらしく、不思議そうにへそを眺めている巫女に対してニヤリと笑う。
鴉天狗はへそを隠してから、ふと紫を見る……四代目を見つめる表情が、まるで母親のように優しい。
紫が母親だ、と言い張ってもなんとかなるのではないかと思った。
「あんたって、これまでの巫女も、いつもこうやって抱いてきたの?」
「いいえ。まちまちよ」
紫は優しい手つきで巫女に娘を渡す。心なしか、四代目の表情が緩んだ気がした。
鴉天狗が紫の横に座り、酒を飲み始める。紫もそれを見て思い出したように酒を飲み始めた。
「しっかり見ていてあげるのよ」
「うん」
紫が巫女に話しかける隣では、鴉天狗が鼻高天狗から新しい料理を受け取っている。
「あっという間に成長してしまうから。一緒に居られる時間を大切にするのよ」
「なによ。今日は随分と感傷的じゃない」
「それはそうよ。だって貴女が娘を産んだんだもの」
あの小さかった巫女が、もう娘を産んでいるのだ。
人間の成長の早さを実感するたび、紫の心に浮かぶのは……定期的に訪れる。別れ。
――そう、別れのときはやってくる。
~~~~~~~~~~~
薄暗い神社の一室。
老いた巫女は、ついに今わの際を向かえ、静かに、その生涯が幕を閉じるのを待っていた。
いつも来て欲しくないときに来て、来て欲しいときに来ない紫も、このときだけは巫女の思惑のまま……。
昔と一つも変わらず、どこからともなく現れてその姿を見せていた。
「懐かしいわね」
床に伏せる巫女の元に現れた紫、二人は最期に昔話をしていた。
■楽園
あの異変よりおよそ三十年。
巫女だった彼女も、今では孫娘までいる、祖母の立場だった。
巫女の一族はいくらか短命な傾向がある。
概ね平均的だったが、長命な者は今までの三代の中には居なかった。
二代目は戦死のようなものだったから、少し意味合いが違うが……。
そんなことを考える紫に対し、もはや残された時間の少ない巫女は思案する時さえも与えない。
「あんたは相変わらず」
皮膚の張りが失われ、たるんでしまっても、その瞳は当時と変わらない。
たたんだ日傘を片手に、枕元に座る……異変の頃から全く変わらぬ紫に、星のような視線を向けていた。
紫は口元にうっすらと笑みを残している。その他の部位に表情は無かった。
「どう? 私の子供達……」
「強いわ、貴女よりも遥かに。代を重ねるごとに確実に進化している」
「そう、よかった」
彼女は嬉しそうに目を閉じ、紫から視線をそらして天井を見上げた。
「今日は、藍は来てないの?」
「あの子はしばらく修行してくると言って、ここ二十年近く帰ってきてないわね」
「二十年も……そう、不便でしょう?」
「たった二十年よ。まだまだ、百年は修行しないと、ものになってくれないんじゃないかしら」
「たった二十年? 流石妖怪ね、二十年ですら短いのね」
「ええ、だから嫌よ。人間は」
双方、時間の感覚だけは理解に苦しむ。
人間は長く生きても百年。妖怪にとっての百年は、人間にとっての十年よりも短い。
小物ならば短命で、すぐ死んでしまうかもしれないが、そうでない紫には理解できなかった。
「あんたの楽園は実現しそうなの?」
「……実はもう実現しているの。いや、とっくにしていた」
わずかに動くのさえ億劫そうにしていた彼女が、驚いたように目を丸め、少しだけ身を起こした。
しかし、体の節に沸き起こる痛みに呻き声を上げ、再び横になってしまう。
紫はそんな彼女を面白く無さそうな目で見下ろしていた。
「貴女の周りはいつだって楽園だったわ」
紫がそう呟いたとき、彼女の目に涙が滲んだ。
自分は自然に立ち振る舞っていただけだったのに。
――死の間際になって、自分の人生にどれだけの意義があったか、紫が伝えてくれようとしている。
「でもね、壊れてしまうかもしれない。これはとても不安定な楽園よ」
「そうだったのね……」
「だから私は予防線を引き始めた。そのために貴女の力が必要だったし、優秀な式神が一人欲しかった」
「私はどうだった? あんたの期待に応えられてた?」
うっすらと涙の浮かぶ目で紫を見つめ、その答えを求める。
紫は自信を含んだ笑顔を彼女に向け……しかしすぐに、弱った彼女を見て目を細めてしまう。
「最高だったわよ」
彼女は「そっか」と呟き、安心したように息を吸い込んだ。
そして、その命が逃げてしまわぬうちにと、焦るように次の言葉を搾り出す。
子孫達に伝えて、巫女としての霊力は失われてしまった今でも、予知能力に近い勘はまだ冴えている。
死が、もう半時も経たぬうちにこの身を優しく包み込むと、予感している。
「覚えてる? あの騒動のときに私達……いや、私だけかもしれないけど、あんたに本気を出した」
「封魔結界を見せてくれたときね」
「流石に覚えてるか」
少し話しただけで息が切れるのが煩わしかった。
それでも気力を振り絞り、彼女は言の葉を紡いでいく。
「あの時まで私、あんたがお母さんを殺したと思ってた」
「ふふ、そうだったわね」
「私ね、初代が死んでからずっとつまらなかった。一人ぼっちで」
彼女は老いたその顔に少女のような幼さを浮かべる。
「お婆ちゃん。初代が死んでから、何度も何度もあんたに戦いを挑んだ」
「初めてのときは驚いたわ。まだ十にも満たない少女が『退治してやる!』だもの。
二代目よりも凶暴な三代目が生まれてしまったんじゃないか、って思ってしまったほどよ」
「それからも、週に一回ぐらいあの家に襲い掛かりに行ってた」
「しつこかったわ、安眠妨害されて結構イライラしていたわよ」
目を閉じ、小さく微笑んだ彼女の目尻から、一筋の涙が伝った。
「あの頃私。あんたが怖いようで優しくて、仇だと思ってたけど……同時に、お母さんみたいだな、と思ってたの」
紫の表情が変わった。それまでの微笑みが消え、真剣な顔つきになった。
「だから、構って欲しくて。寂しいから、何度も何度も……遠くに行ってほしくなくて」
そんな思惑が幼い彼女の胸の内に秘められていたなんて、思ったことも無かった。
元々、それほど感情を強く表に出す方ではなかったが……。
「いずれ、あんたの方からも頻繁にこっちに来てくれるようになった。その頃からは、友達感覚だったかな。
たまに、来てほしくないと思ったこともあったけど」
「……それはお互い様よ」
紫は表情を変えない。
しかし、彼女と視線を合わせようとはしなかった。
「一つ気になってたことがあってね」
「何よ」
紫の声は、若干の不機嫌さを含んでいる。
「あんたさ、お婆ちゃんとお母さんの死に際のお願いを真面目に守ってくれてるんでしょ?」
「別に? そう見えるだけかもしれないわ」
「あんたってね、嘘つくときに右の眉が上がるの。今、上がったわ」
えっ、と紫が呟き、右眉を押さえた。
彼女はそれを見てくすくすと笑う。
紫は騙されたことに気付いて、憎々しげに彼女を睨んだ。
「嘘よ、そこまで見てないわ」
「……嘘つき。あんたの分まで正直に生きるんだって、言ってたじゃない」
流石の彼女もそこまでは覚えておらず、紫に不思議そうな視線を送った。
それに気付いた紫は「なんでもないわ」と言い、右眉から手を離した。
彼女は、もう紫の思惑を考慮する余裕すら無かった。
紫がもうすぐ聞けなくなるその声を、噛み締める間も無いほどに、言いたかった言葉を乱雑に並べていく。
「紫、ありがとう」
「人間って卑怯よ。すぐに死ぬ」
「仕方ないじゃないの、あんたらが異常なのよ」
そして彼女は本心を打ち明ける。
「私は何もお願いしないでおこうかな。いちいち私達が死ぬ度にあんたを縛ってたら、疲れちゃうでしょ?」
「嫌なら私が断れば良いだけじゃないの。死にかけてるくせに、他人を思いやる事なんて無いわ」
紫がそう言う事などわかっていたように、彼女はすぐに言葉を続けた。
「そうね……なら、一つだけ覚えておいてほしい」
「何?」
もう彼女の余命はいくばくもない。
その言葉の一つ一つが、まるで彼女の残りわずかな魂を含んでいるように重く、胸の奥に響く。
「あんたが、この楽園に境界を引くことを決心したときには……」
彼女が手を伸ばす。紫はそっとその手を取った。
あの頃のような張りもなく、油断しているような皮膚が、紫の指に押し分けられて歪んだ。
指先も、布団の中に居るにも関わらず冷たくて……目を背けたくなるような死の気配を痛感させた。
「なんとかして、その代の巫女の名前を、私のものと同じにしてほしい。
そして、この術が完成する上での私との思い出を、その子に伝えて欲しい」
紫が理由を訊こうとした次の瞬間には、彼女はその答えを与えていた。
「私がやったってことが、ちょっと自慢なの……証を残したいから」
紫と共に歩み、博麗大結界の足がかりを作ったことが彼女の生きた証だった。
鬼の伊吹萃香さえも討伐せしめんほどの威力の、封魔大結界。
その心はいずれ、紫が愛したこの楽園……『幻想郷』を守るための力になる。
それは彼女には誇らしいことだったし、幼い頃から面倒を見てくれた紫への礼も兼ねているのかもしれない。
「やっぱり、人間って卑怯」
「だから、あんたが楽園を守るんでしょ?」
「その手の卑怯とは違うわ」
「あはは、そうね」
紫が立ち上がり、彼女に背を向けた。
「貴女には子供と孫が居る。最期は彼女達に看取ってもらうべきよ」
「……ありがとう」
紫は一度も振り返る事無く部屋を出ると、すぐさま彼女の娘と孫を呼びに行った。
孫は幼い頃の彼女にそっくりだった、しかし、その霊力は一回りも二回りも大きい。
「紫」
彼女の娘が、去ろうとする紫を呼び止める。
かつて紫の抱いた四代目さえも、もう母親になっている。
「あんたも、母さんを看取ってあげてよ。仲良かったじゃないの」
「嫌よ」
その表情を隠し、紫はまるで逃げるように、空間を裂いてその中へと消え去っていった。
隙間に潜る最中、背後で、一つの魂が天に昇るのを感じたような気がした。
――さようなら……私の楽園の、素敵な巫女。
亜空間の中で発した声は、誰にも聞かれることは無い。
そしてさらに年月は流れていく。
三代目から、さらに代を重ねていった博麗の巫女は、ある程度のところでその力の進化を止めた。
そこからは個人差が大きく、強弱に差がつくようになる。
しかしそれでも、三代目の頃からは考えられないほど大きな力だった。
三代目が京での決戦で使ったような符も無しに、巨大な結界を引けるほどに。
――そして彼女と同じ名の巫女が誕生し、その巫女の結界によって、幻想郷は外界と切り離された。
今は、博麗霊夢が幻想郷を守る博麗の巫女となっている。
霊夢はお盆に湯飲みを二つ、せんべいを五枚ほど載せて居間へ戻る。
五枚しかないせんべいが争いの元にならないかと思ったが、たまには譲ってやっても良い。
そんなくだらないことを考えながら戻った居間には、霊夢が席を立った時の状態のままで、紫が家系図を見つめていた。
「なによ、随分熱心に眺めてるのね」
静かにそれを見つめている紫の、懐かしむような表情があまりにも優しくて、逆に気味が悪かった。
霊夢と紫との付き合いは、まぁそこそこ長いと思うのだが、このような表情は滅多に見ることがない。
家系図と紫の間に湯飲みを置くと、紫はようやく霊夢が戻ってきた事に気付いた。
「そんなに面白いの? あんた、うちのご先祖様に何したのよ?」
「いえいえ、この巻物には細工がしてあって……じっと見つめていると、文字が飛び出して見えるのよ」
「え!? うそ」
「ええ、嘘」
「……」
騙されて膨れる霊夢を笑いながら、ふと、右の眉に手を当てた。
そして紫は遠慮なく湯飲みを持つと、霊夢の方に向き直り、せんべいも遠慮なく手に取った。
そのまま当たり前のように食べて、お茶を啜る。
まるで感謝の意を感じられない紫の態度に多少腹が立ったが、いつものことなので仕方が無いと思い、霊夢もせんべいを齧った。
「あ、そういえば」
「どうしたの?」
口の中に残ったせんべいを丹念に噛み砕いて、お茶で流し込んでから、霊夢は家系図のある一箇所を指差した。
「この人とこの人だけ、名前が一緒なのよ……偶然にしては、他のご先祖様達は完全に別の名前だし……
まぁ、そこまで気にする事でもないだろうけど。あんたも知ってるでしょ? 片方は大結界を引いたご先祖様なのよね」
「あら、ほんと。同じだわ」
「あんた、何か知らない? ちょっと気になるのよ」
「詳細を省いて良いならば」
「別にいいわよ。すっきりする答えが出れば」
紫はせんべいをもう一つ手に取り、言葉を惜しむように、縁側へと歩いていく。
そこから空を眺め、せんべいを齧り始めた。
「なにもったいつけてんのよ。早く言いなさいよ」
「簡単なことよ」
がり、とせんべいを噛み砕き、紫は囁くように言った。
「どちらの巫女も大結界を引いたの」
「……答えになってないわよ。大結界を引いた巫女は、皆同じ名前になるって言うの?」
霊夢も縁側へ歩き、自分よりも背の高い紫を覗き込む。
紫はそんな霊夢に横目で微笑みかけて、更に続けた。
「彼女は、生き証を名前に託した。だから尊敬しなさい……三代目は偉大だった」
「……全然わからない」
「すごい巫女にはその名前がつくってことで良いわよ、とりあえず」
「何よそれ、私がすごくないみたいじゃないの」
「あんたもすごいわよ。いずれ、二人目の霊夢が生まれるのかも」
「なんかそれはそれで複雑だなぁ」
「誇っていいんじゃない?」
結局、納得の行く答えの得られなかった霊夢は、伸びをして居間へと戻っていった。
紫はそのまま月を眺めている。
――私達の幻想郷は、今日も平和よ。
しかし平和なだけではない。
楽園の巫女は忙しい。すぐに、新たな異変が起こる。
九尾と天狗の戦いの舞台となった妖怪の山。
厳密には当時と違う山だったが、住む者は同じだった。
そこは、三代目博麗の頃とそれほどの変化はない。せいぜい、河童の技術力が上がった程度だろう。
「射命丸。あんたに白羽の矢が立ったよ」
「はい?」
かつての幼い藍と何度か衝突したあの鴉天狗が、調査から戻った文の肩を叩く。
調査は、最近山の頂上付近に突然現れた連中のことだった。
目的や素性など、まだ全然知られておらず、安全か危険かの判断すらできていない。
「しかし馬鹿ね、我ら天狗に喧嘩を売るなんて」
「はぁ……? それで、一体何の矢が私に刺さったんでしょう?」
「それは例えよ。最近、人間が異変解決のために山を通ろうとしてる」
「ふーん、そうなんですか」
「私が声をかけられて驚いた。でも、あんたがそれを阻止しに行けって。大天狗達が推薦していたわ」
「へ? なんで私が?」
そんなもの、白狼天狗に任せておけば良いだろうに。
いつかは二尾の藍に首を絞められて震えていた白狼天狗・犬走椛も、今ではそれなりに立派な山の防衛隊だ。
報道部隊の鴉天狗が真っ先に借り出されるなど、筋が通らない。
「私も知らないわよ」
「道理がおかしいですよ。そりゃ、私だってそれなりには戦えますけど」
「これは先輩である私からの命令でもあるし、大天狗達の命令でもあるのよ。逆らうの?」
「それは……うーん」
理不尽な命令に、文の頬がぷくっと膨らんだのを見て、鴉天狗は厭らしく笑った。嫌な先輩だな、と文は思う。
今となっては、文も後輩の数の方が多いが……。
「おい、河童のにとりがやられた。白狼隊が迎撃準備をしてるが、きっとそう長く持たないぞ」
木の上で話す二人の元に、今度はあの鼻高天狗が現れた。
彼は今、天狗達の中でも頭脳に長けた者として功績を認められ、幹部としてその知恵を生かしている。
「まだ文の説得をできてないのか。おい文、早く行ってくれないか」
「しょうがないなぁ」
「崇徳様も騒いでるぞ。文を行かせろ、と」
「もー……あの人か……」
しぶしぶ飛び立つ文。
かつての下っ端鴉天狗の頃とは、その表情も妖力も違う。
「あいつは気持ち良さそうに飛ぶねー」
「お前みたいな、乱暴な飛び方とは違うな」
「野性の魅力に溢れてる、って言って欲しいな」
目を閉じ、風と一体化し、流れるように空を駆ける。
向かう途中で思いついた。
そうだ、わざと負けて、頂上の奴らと戦わせてみよう。
ムキになっても仕方が無い。ここは漁夫の利を得ればいい。
彼女達の幻想郷は、今日も平和だった。
大変面白かったです。
ある程度仕方ないとは思いますが、
巫女の性格が霊夢とかなり被っているように思えたので少し残念。
曖昧な幻想郷の「過去」をまとめて一つの物語にしてしまう
小説的腕力。素晴らしい。
しかし、これだけ錚々たるメンツを集めてなお、
これは終始紫のお話ですな。それがいいんだけど。
……と思ってからタイトルを改めて見返すと妙に納得。うーん、こりゃまたやられた。
オリキャの天狗たちも違和感なくすんなり受け入れられました、鴉天狗(姉御?)がツボです。
>「ギャグ作品でシリアスの伏線張るんじゃねえよ……」
まったくだよ、分かるかそんなのwww
素敵な時間をありがとうございました!
作者名見た瞬間読み始めたわけですが今度はシリアスですか。ギャグもシリアスもきちんとかけるのは相変わらず凄いですね。今度はいつもののりなギャグが読みたい気もしますね…まあどっちでも楽しみけどwww
ぶっ続けて読んだらこんな時間になっちゃったけど(・ω・)
三代目巫女が出てきたあたりでちょっと寺子屋読み直したのは自分だけじゃないはずだ
とてもいい幻想でした
それでですね、夢中になって読んでたら1箱丸まる空けちまったわけですよ。
うん、何が言いたいかというとね・・・最 高 で し た
素晴らしいお話でした
いろいろとごちそうさまでした。そしてこの作品を書くに当たっての努力に敬礼。
>>リンクしてる話があったりするので
じゃあ早速読んできますね。
語り継がれるご先祖様になってみたい物ですw
今もなんか胸の中が騒ぎまくってます。
本当に面白かったです!
ひとつの「幻想のはじまり」、読ませていただきました。
また素敵な作品を読ませてくださいな
テーマ性のある二次創作は読んだあと充実しますね。
しかし博麗一族はそろいも揃って紫大好きなのがまた
これもまた一つの幻想郷なのでしょう。
面白かった!!
全然疲れずに最後まで読めました。
とても楽しかったです。
本当にありがとうございました。(><)
…最後の最後でVENI畑が出てくるんじゃないかと心配していたのは、自分だけじゃないはずw
ちょっと肌に合わなかった感じがしなくもないです。
あと、玉藻を慕っていただけではなく、大陸の仲間を案じていた藍が
そう簡単に「切れる」のかなと。幻想郷に呼んだわけでもなさそうですし。
まぁ面白かったんですけどね。
それ以外何も言えませぬ。
最後のあたりでゲームのエピローグを見ている気分になりました。むしろプロジェクトX?
天狗達が格好よかったなぁ
紫の幻想郷への思いと設立の動機とか巫女との関係に
自分の考えとかなり近いものがあって嬉しかったです
藍の転身(というか納得というか)の速さに最初疑問を感じつつ
二度目読んだらこれもアリだな、と
先輩鴉天狗がステキ!w
本当はこの土日でチャージしている報告書やら無いとまずいことになりますが、本日の自分の自由行動時間の5割程使って全部読んでしまった。しかし、全く後悔をしない辺り、これは素晴らしい小説なんですね。
まさか紫の台詞に涙することになろうとは・・・
それしか言えそうもありません。
『抱いてください』
良い作品をありがとうございます。
素晴らしいとしか言えないじゃないか。
かけるような気がしました。
ほかは最高!!!
ボリュームたっぷり、それでいてキャラがみんな生き生きとしています。
花丸あげちゃう!
後の藍様は二尾の黒猫に過去の自分を見たりしたんですかね・・。
よいお話でした、眼福眼福
最高でした
朝早いのにこんな時間まで読み耽ってしまいました。
ここに流れ付いてからVENIさんの大ファンなんですが,
今まで読んだ作品中間違いなく一番楽しめました。
というか,ここ最近読んだ『文』の中で間違いなく一番。
実在(?)の妖怪,オリキャラ,そして東方。
これらすべて混ぜ合わせて,キレイにまとめる腕力がすごい。
私の乏しい語彙では『素晴らしい』としか言えないのが悔しい。
点数,右にゼロいくつ足しても足りません。
素晴らしい作品堪能させていただきました。
長い作品ながら一気に読ませていただきました。
とても面白く一気に読んでしまいました。
あと巫女の配偶者の部分をボカして夢を持たせたりとかw
ああ、100以上つけたい。
すごいいい話でした!!次回からもよろしくお願いします!!
ここだけでご飯三杯。
「名前が同じ」という伏線の回収のところでは
鳥肌たって腕がぶるぶる。
すばらしい作品をありがとうございました。
それだけを作者さんに伝えたかった
すばらしい作品をありがとう
100点では足りない作品というもの、久々に読ませていただきました。
ちょっと気になったところがありまして↓
「あと四半時もないよ」
時間をさしている思うのですが、四半"刻"じゃありませんか?
手前、学がないので別の意味があった申し訳ないです。
弱いんですよ、こういうの…
また面白いものを読ませてください。
戦闘描写も読みやすくサラッと流しているようで押さえるべきポイントは押さえていて、とても良い塩梅だと思いました。
あと個人的に「藍は玉藻じゃない」と思っていたので、反魂+同化という設定は大いに楽しめました。
強いて不満な点を挙げれば二尾→藍→式神八雲藍で性格がコロコロ変わって着いていけなかったところと、九尾以外の全てがあまりにもゆかりんの思い通りになっていて話全体がやや胡散臭くなってしまっているところ、そして三代目博麗の巫女が戦う理由があまりにも漠然としていたところでしょうか。
>尊敬に値するで妖怪である
一つ目の「で」が余計かと。
>それは例えよ。
「喩え」の方がより良いのではないかと思います。
ちょっと盛り上がり過ぎと思ったけど、むしろそれがいい。
オリキャラの使い方も見事でしたし、同じ名前の意味を紫が霊夢に語るあたりはアッサリとしているのに深くて。
読者を泣かせようとしている小説ではないのに、自然に涙が潤むこと三度。ほんとうに面白かったです。素敵な小説をありがとうございました。
霊夢じゃなくて三代目巫女さんですが。
二人の別れのシーンは本気で泣きました。
もちろん他のキャラも皆好きになりましたよ!
紫の心情を切なく感じる描写が読んでいて胸にジワジワと響きました
<人間って卑怯よ
必然の別れに対して別れたくない気持ちが見事に表現できている部分じゃないかと思います
妖怪なのに巫女と同じくらい真っ直ぐで人間くさい
次回作以降がんばってください
永久に幸がある事を願う
紫様は底知れぬ女性でね。
GOD JOB
なんというか胸が一杯になりつつも心が洗われるような感じ・・・
人間と妖怪の歴史の大きさに圧倒されつつ、感傷に浸っていました。
天狗達オリキャラもとにかく新鮮でとても気に入りましたが、
欲を言えば巫女だけでなく妖怪と戦う陰陽師とか祈祷師の人間側のオリキャラもいたら良かったのにと思ってしまいました。
それを活かした引き込まれるような文章に感服。
素晴らしい作品をありがとうございました!
時間を忘れて読んでしまいましたよw
これだから東方はやめられねぇ
紫が何故、人と妖怪の楽園を創ろうと思ったのかと言う部分がほしかったなぁと思います。
中盤から後半以降、紫を便利に動かしすぎです。前編で設定や状況の前置きが長かった&各キャラの視点で細かに描写した分、余計にそう感じました。
紫のキャラ的には間違ってないですし、彼女にそれだけの精神的能力的な強さがあったためでもあるでしょうが、そのせいで、話全体が紫一人の物語に集約されてしまっています。
それはそれで、一概に悪いとは言えないのですが、それが原因で、他のキャラが割りを食っています。萃香の話を未消化にしたのはわざとだと後書きに書いていますが、他のキャラに関してもそれを感じてしまい、そこで引っかかってしまいました。
具体的には萃香の他は崇徳、藍、文、ついでに巫女でしょうか。萃香は「障害、試金石になる」という目的を果たせず、崇徳は「汚れ役が必要」という主張も「萃香を慕う」という感情にすり替えられ、その感情も萃香を動かすにはいたることなく紫に退場させられました。藍は「自分の中の定まらない理想」を昇華できず、紫の式になることで「紫の理想を理解する」ことに置き換わっています、同様に「目の前の勝利」から「紫の目的を果たすという意味での相対的勝利」にすり替わっています。藍の式神化からいきなりのことなので、これは特に唐突に感じました。そして藍がすっきりしない勝ち方をしたため、文の「全部見届けたい」という主張もすっきりしていません。おまけにそこから話が紫VS萃香に切り替わっていますし、文はそれを見ることなく退場していますし。巫女は結界を見せた上に萃香と渡り合いましたが、萃香の目的が果たせなかったことで巫女の試練も中途半端に止められたまま退場させられています。まあ巫女に関しては元々があの大らかな気性なので、他の連中よりはあっさり受け入れられましたが。
藍と文の縁については、後の出産祝いの宴会時の会話で一応の決着がついてはいますが、それでも前述の未消化感はすっきりしないままでした。
これらは、前置きで各キャラの視点で書いてあったのでそう感じたのだと思います。紫の物語として話を一本化させたいのなら、最初から紫と巫女以外のキャラに関しては心理描写を最低限に留め、状況だけを端的に描いたほうが良かったのではないかと。
また、上で挙げた話にも関連しますが、枝葉末節の詳細なエピソードを盛り込みすぎで話を膨らませすぎです。キャラごとの描写から雰囲気を演出するという意味では成功していますし、丁寧に書こうとしているのもわかりますが、本筋がなかなか進まないので読んでて疲れを感じました。やろうと思えば、もう少し絞れたんじゃないでしょうか。
個人的にはその辺りが引っかかりました。勿論、部分部分のエピソードは面白かったですし、ラストで感動もできたのですが(私が細かいことを気にする性質だから、というのもあるのでしょうが)。
あとやっぱり、VENI畑が出なくてほっとしたのは自分だけじゃなかったのねww
…言いたい事が全て下で言われてるorz
100点以上つけられないのが悔しいorz
VENI氏の長編――これまでの経験から時間を置いて、
心を落ち着かせてから読もうとしましたが…無駄な抵抗でしたw
紫と巫女以外の物語が全く完結してなかったり、色々中途半端な点があるが、
逆にそれら全てが「現実」と「未来」を想起させる。
自然、ネクロファンタジアと少女幻葬を思い起こす。
ああ、ダメだ。感情も文章もまとまらないorz
最後に一言。感動をありがとう!!
本当に良い作品でした、ありがとうございました
でもまあ、お見事。素敵でした。
それしか言えない自分の語彙のなさがニクイ
オリキャラがここまで生きる作品ってほかにないと思う。
最近VENIさんの作品見かけないなーと思ってたら超大作が!
すっごくおもしろかった。文句なし!あんたは最高だ!
普段ROMってるんですがあまりの凄さに思わずコメント。
こりゃ100点じゃ足りないぐらいです。
もう文句なしに素晴らしい!
まったく飽きずに読めました。
違和感ない程度の二次設定に、深く広がる作品世界。
誤字脱字含め、文章的に引っかかるは部分はありましたが、満点つけさせていただきます。
ありがとうございました。
幻想郷が結界に包まれる以前の話になるとどうしてもオリキャラを出さなくてはいけないけど、それらが作品の軸としてちゃんと機能している。二次創作で難しいそれをやってのける素晴らしさ。ああ、良き哉。
私が東方を忘れるまではこのSSもずっとセットで覚えている事だと思う…
涙腺を破壊されました。
文章で泣かされたのは初めてです。
若干遅くなりましたが、以下の誤字を修正しました。
ご指摘ありがとうございました。
>尊敬に値するで妖怪である
一つ目の「で」が余計かと。
あと、以下に回答を。
>「あと四半時もないよ」
>時間をさしている思うのですが、四半"刻"じゃありませんか?
>手前、学がないので別の意味があった申し訳ないです。
なんだかこの時代(AD1200~1300辺りを想定)の時間単位に分や秒が無かったらしく、頭を悩ませた部分だったのですが。
刻は2時間か、もしくは一刻~四刻の単位では30分を表すそうです。
一方、藍が言う『時』は今の単位と同じで『四半時』というのは、およそ15分に相当します。
ただ、これは江戸時代以前から使われてた単位なのか少々不明です(おい
ちょっといい加減になってしまった箇所なんですが、調べてもわかりませんでした。
回答になってるか微妙ですが、概ねそんな感じです。
>>それは例えよ。
>「喩え」の方がより良いのではないかと思います。
同じ意味らしいのでそのままにしておきます、すいません。
自分としてもあまり日常的に使う言葉でないため、パッと出ませんでした。
未消化な部分もあれど物語の中の様々な人物の思惑が絡む感じが出てて大好きです。
もっとこの人物の話が読みたい!という気分にさせられました。
この話を読めたことに感謝。
いやもうほんとありがとうございます。
でもそんなの些細なことと感じるくらいに話に引き込まれました。
また素晴らしい作品をお待ちしております!
素晴らしい作品でした
こんなにいいモノを読ませて下さったVENIさんに感謝。
全体で見てもなんて違和感の無い作品なのかと
本当にありがとうございました。そしてお疲れ様です
本当にいいお話でした、ありがとうございました。
紫と3代目巫女の関係が素敵
終わりが近づくにつれて、「もっと読んでいたいなぁ……」なんて思ったり。
>「私がやったってことが、ちょっと自慢なの……証を残したいから」
ここで決壊しました。色々籠められてるなー。
紫への礼としては最大の方法ではないでしょうか。
三代目は腋毛が生えてないだけではなかったのですね。
何の時間かって?もちろん、大作だなぁ読もうかなぁと迷っていた時間さ!
んもう涙が止んねぇや!素晴らしい作品をありがとう
というか読まされました。
寝る前の読書、にしてはいささか長くはなりましたが、
素晴らしい読後感、満足感に感謝をしつつ就寝。
オリキャラの動かし方、藍の暴走と紫の便利さがちょっと過ぎてる間も感じましたがそれも含めてなお素晴らしい作品でした。
素晴らしい!
オリキャラも既存キャラも十二分に動き回っていました。
文句無しの大作です。素晴らしい作品をありがとうございました。
最高の一言に尽きます。
どうしてくれるんですか(自分が悪い)
ありがとう。
色々言いたすぎて文になりません。
ありがとうございました!
言うことない、長かった分、その分丸々楽しめました。
ありがとうございました。
なんだろう…うーん、壮絶、かな。がつんと来た後じわじわ頭に響く感じ(自分で言っててワケわからん
すばらしかったです。想像力と文章力に感服。
もう、なんで評価の限界が100なのか理解に苦しむぐらい最高だ!!!!
本当に素晴らしかったです!!
大作の映画を観た感動がありました。
バトル、ストーリーテリング、友情、どれも最高でした。
紫と三代目の別れの描写は、何度見ても
涙腺が決壊してしまいます。
VENIさんは、ギャグもピカ一なのに、
こう言う正統派の物語も凄い。
羨ましい才能です。
また是非、作品を創想話に投稿して欲しいです。
伏線と回収、各人物の描写、まさにお美事の一言!
この作品は偉大だ。ありがとう。
上手い言葉で伝えられず大変心苦しい…
納得いかない不自然な展開や、そのキャラらしくない言動というものが無かったので、興醒めせず最後まで楽しめました
素晴らしい作品です
とても面白かったです。
素晴らしい。
三代目巫女の言動に逐一霊夢を重ねてしまって涙が
いい物を読ませてもらいました。
とても良かった