魔法のような各パート。
運命に従って萃まってメロディが生まれ。
生まれた先からリズムとの境界を飛び越えてグルーヴ。
それはは薬の効果の様に全身に浸透していって。
奇跡となって現れる。
「音楽は、降りて来てくれるかしら?」
紅魔館何処とも知れない片隅の広大な図書室。
手にした本の呪術的な配列の文字から意識を全く手放さずに、二階のバルコニーから階下の人々を眺める様な眼をして、主である魔女はのたまう。
はるか遠くのホールから、館の主人の気まぐれで招かれた三姉妹が奏でる破滅的にして、荘厳なオーケストラが幽かに聞こえてきた。
口の端から滴った紅茶を一滴、そっと小指でなぞって、まるで気のなさそうな素振りで対面の八雲紫は答える。
「皆が望めば、ね。」
頬杖をついて、眠そうな目。
しかし、笑みは全く崩れない。見るもの全ての疑心と不安を煽る笑み。
彼女の象徴とも呼べる笑みだった。
「雨になりそうね。」
「なりそう、じゃなくて、雨にするのよ。」
「まだ全員揃っていないわよ。せっかちな魔女さんねえ。」
「何でかしら、貴方の笑顔を見ていたら、雨を降らしたくなったのよ。」
「見ていないじゃない。」
「ええ。見ていないわ。」
窓の外をぼんやりと見つめていた、蓬莱の薬師。
二人のよく分からないやり取りをまるで気にせず、メロディを口ずさむ。
消えてしまう位の小さな其れは頼りなく流れて、何時しか途切れた。
intro~nervous breakdown
相談事を持ち掛けられる事は、嫌いなわけでは無い。
自分の興味を十分に引く内容であれば、の話だが。
くちゃりくちゃり。口に含んだ乾燥させた幻覚キノコをを噛みながら、加速のための魔力を跨った箒に再び加える。
加速が急沸騰して、伴った風圧が全身に突き刺さる。幻覚キノコによる酩酊も相まって、全身の感覚が踊りだす。
之は、嫌いではない。むしろ好ましい事象だ。
意識を現前の世界から切り離し、いつでも其処に在る、大いなる何かと混ざり合わせる。
魔力を体内から引き出すための儀礼。
彼女はその儀式を身を千切られんばかりの速度の中で行うのが好きだった。
…相談事、ねえ。
お互いに「腐れ縁」として公言して憚らない、人形遣いから突然持ちかけられた話だった。
内容はどうで有れ、出来るだけ厄介で有る事が好ましい。
いや、内容の想像は既についている。
耳の奥で鳴っているのでは無い。いうならば全身の骨を震わせて伝わるメロディとビート、グルーヴ。
音楽。
身体の奥底から音楽が聞こえるのだ。何時からかは分からない。
メロディをはっきり捕らえられない。
ビートがしっくり収まらない。
グルーヴにしっかり乗りきれない。
「はっ。」
口ずさもうとすると、其れはするりと逃げていく。
聴こえて来るのに、歌えない音楽。
あんまりにも可笑しくて、魔理沙は鼻を鳴らす。
原因と過程、結論。それから導き出される登場人物と自分の果たすべき役柄。
真っ直ぐに突き刺さりそうな思考を脳内に展開させながら、普通の魔法使いはさらに速度を上げる。
急いで居るわけではない。移動の為の速度は速ければ速いほうが良い。と言うのが彼女の持論だった。
☆★☆★☆★☆
数刻後、木立の中にひっそりと立った家の前に魔理沙は降り立つ。
…とそこで何故か普段なら聞こえるはずの無い、音楽が聞こえた。
音楽は眼前のアリス・マーガトロイドの家の中から聞こえて来る。
「?」
不振に思いながらも、魔理沙はずかずかと家に上がり込む。
蝋燭の火で薄く照らされたそう広くない室内。テーブルの上のチェスボード。周りに散らばるのは譜面の山。
それを問り囲む人形、人形、人形、ヒトガタ…。
音楽についての疑問は、直ぐに氷解した。
人形の群れの一角。様々な楽器を手にした小さな楽団が其処で演奏会を開いていた。
ピアノを弾く人形、ヴァイオリンを鳴らす人形、ギターを爪弾く人形、スネアドラムを叩く人形…。
それらの人形全てを糸繰る、この家の主が薄明かりの中にぼんやりと浮かび上がる。
二十体以上もある糸繰り人形に演奏をさせながら、彼女は優雅にお茶を啜っていた。
技術や技量という言葉を軽々と超越する、まさに魔技と呼ぶに相応しい光景に舌を巻きながら、魔理沙は家主に声を掛ける。
「来たぜ。」
「待ち草臥れたわ。」
魔法の森の奥深くに住む、七色の人形遣いは気だるげに椅子に腰掛けて眼を閉じていて。
「呼びつけておいて、随分とご挨拶だな。親しき仲にも礼儀は大切だぜ。」
「私と貴方がいつ親しくなったのか、その辺りを克明に説明してほしいわ。」
我が意を得たりとばかりに、ニヤリと艶やかな笑みを浮かべて口調も新たに語りだす魔理沙。
「先週の夜、私の指と舌が、お前の成熟しきっていない身体のうえを這い回っ「もういいわ。十分よ。」
「そうか?克明からは程遠いと思うぜ?」
「貴方のそのデリカシーの無さには、驚きを通り越して絶望するわ。」
ふうん。と悪意をたっぷりと含んだ納得の笑みを浮かべ、魔理沙はベットの上に腰掛ける。
アリスの家は、来客を考えて造られてはいないので、訪れた人間が落ち着くスペースは其処しか無いのだった。
「ソチャガハイッタヨ、マリサ。」
いそいそと、楽しそうにお茶を運ぶ上海人形ににっこりと笑いかけて、口をつけた途端、苦笑する。
「ドウシタノマリサ?オチャ、オイシクナイノ?」
「逆だぜ。こんなに美味しいお茶を『粗茶』なんて言うもんじゃないぜ。」
昨日立ち寄った神社で放り投げるように出された、お茶と言うより色のついたお湯を思い浮かべて、苦笑がさらに濃くなる。
その言葉に浮かれ、魔理沙の周りをくるくると回り踊る上海人形をやんわりと視線で窘め、アリスは切り出す。
「さっそくだけど。」
「例の相談事って奴か?」
「ええ。引き受けて貰えるかしら?」
「まだ内容を聞いていないぜ。」
「内容を聞かなきゃ引き受けて貰えないほど、私と貴方の仲は薄っぺらいモノなのかしら?」
「私とお前がいつそんなに親しくなったのか、克明な説明が欲しいぜ。」
「今から。って事でどうかしら。」
いつの間にか、自分のすぐ隣に腰掛けたアリス。
禊はもう済ませたのであろう。ふわりとラムの甘い芳香が広がる。
横目でアリスの姿を気にしながら、魔理沙はずっと口の中で弄んでいた幻覚キノコをペッと吐き出した。
吐き出されたモノは、重力に逆らう流れ星となり、螺旋の軌道を描きながら部屋中を飛び回る。
ぱちん。
指を鳴らすと、流れ星はキラキラと小さな光を撒き散らし始めた。
あっという間に光のシャワーに包まれる部屋。
「良い子には見せられないことになりそうだ。魔理沙姉さんの配慮だぜ。」
「演出過多よ。あまり度が過ぎるのも考えものだわ。」
「そうか?」
そうは言いつつも眼を奪われているアリスを動けないように両腕でガッチリとホールドすると、そのまま二人してベットに倒れこんだ。
ぱちん。
もういちど指を鳴らすと、部屋の中は真っ暗。
音楽は止み、服が床に落ちる音と二人の息遣いだけが室内に響いた。
☆★☆★☆★☆
魔法使いは約束をしない。
約束を反故にすることの恐ろしさを一番よく知っているからだ。
「引き受けたぜ。」
「そう。いいの?内容も聞かずに引き受けて。」
「私とお前の仲は、そんなに安っぽいモノじゃないんだぜ。」
「現金ね。報酬はもう支払った、ってことで良いのかしら。」
「お前も悦んでいたから、これは報酬とは言えないぜ。」
くすり。と照れ隠しも含めてアリスは笑うと、ベットから飛び降りてもぞもぞと服を着だした。
意図せず二人の視線が交錯したその刹那、両者の動きが止まる。目の色も変わる。
腹の探りあい。意思の疎通の確認。相手の持つ役割、それに対する自己の立ち位置の再認識。
魔法使い同士の邂逅では良くある沈黙の時間。
その沈黙を厭うたのか、半裸のアリスはついと片手を挙げる。
その途端に、再び演奏を再開させる部屋の片隅の人形楽団。
精密にして巧緻なメロディ。
それを押さえつけるかのような、力強いリズム。
たちまち消えて行きそうな儚さと、その存在を刻み付ける様な厚みを持つ音楽。
音は部屋中に全く違和を感じさせずに溶け出す。
広がっていた二人の匂いと相まって、後ろめたくも艶やかな感触の空気。
その空気をさっと切り裂く魔理沙の言葉。
「アリス。お前の努力は認めるが、そのメロディじゃあないぜ。」
「ええ。」
「正確には其れも『正しく』はあるが、『そのもの』じゃあ無いぜ。」
「ええ。」
「…ここまで大掛かりな悪戯が成立するには、登場人物が限られてくる。私の想像している面子全員が関わっているのか?」
「ええ。」
「…それを聞いたら急にやる気が無くなって来たぜ…。それでもお前は私に手伝って欲しいのか?」
「ええ。」
「私は先に神社に寄って行くつもりだけど、お前も一緒に来るか?」
「ええ。」
「…例のメイドの胸は何カップ?」
「…でぃ。」
途端に乱れる演奏とアリスの口調。
よく見るとアリスの全身が小刻みに震えている。びっしょりと汗を掻いて。
それだけの遣り取りで、今回の話とアリスに施された洗脳、というかトラウマの全てを把握し終えた魔理沙は、嫌々ながらも出発の準備を始めた。
☆★☆★☆★☆
博麗神社の境内に降り立つ二人。
「♪~ん~ん~ん~」
魔理沙の嫌な予感は的中した。顔を顰めるアリス。
「なによこれ。この人の不安を掻きたてて、神経を犯す異形の空気の振動は。」
「…あいつなあ、昔からそうなんだよ。その…致命的に音楽の才が抜け落ちてる、というか。絶体絶命的に音痴というか…。」
「これは音痴、って言う言葉で片付けられるレベルの問題じゃないわ。もはや暴力よ。」
「…確かに。」
ひそひそと話しながら二人は裏庭へと向かう。
今日も博霊の巫女はいつもと変わらず、特に何も考えていない様子で歌の様なモノを口ずさみながら掃き掃除を続けていた。
縁側でそれを眺めながらしかめっ面で、ぐびぐびと酒を煽っている伊吹萃香。
「よう。」「こんにちわ。」
「……。」
二人をぎろりと睨むと、酒をぐびぐび煽る萃香。
「…いい加減にしてよね。早く何とかしてよ。頭がどうにかなりそうよ。」
「私らに言ったって仕方がない事だぜ。…それに頭は元々どうにかなってるじゃないか。」
「乳繰りあってる暇が有ったら、さっさと何とかしなさいって言っているのよ!」
「まるで話にならないわね。その覗きの悪癖からまず何とかしなさいよ!」
軽い狼狽をみせながら萃香に詰め寄るアリスを見て、魔理沙は素直に可愛いなと思った。
「まあ、待てよアリス。…萃香、これは何時からだ?」
「状況の始まり?それとも霊夢のこの歌…、っていうのは歌に失礼ね。霊夢のこの新しいスペルの事?」
「このスペルを使われたら、ますます霊夢には誰も敵わなくなるな。まさに鬼に金棒って奴だぜ。…状況の始まりは?」
「紫が到着してからよ。鬼の金棒でもここまで凶悪じゃないわ…。でもね、正直、私はそこまで魔法に詳しいわけじゃないから、正確に何時から始まって、何時終わるかは分からないわ。むしろ貴方たちの方が詳しいでしょ。」
「でも、お前もある程度は手を出しているんだろう?」
「それはそうよ。」
「紫に頼まれたのか?」
「私は、誰にも頼まれていないし、何も引き受けていないわ。」
「へえ。それじゃあ何でだ?なんでお前がそこまでする?」
「…。」
問いには答えず、いたずらっ子の様な笑みを浮かべる萃香。とその時、精神汚染音波発生器の別名、博麗霊夢が魔理沙とアリスに気付く。
「♪~る~るる~。あら、来たのね。」
「来たぜ。」
「そう。」
「そうだぜ。」
「……。」
「……。」
「霊夢、今日はこれから予定は何かあるのか?」
「…別に。萃香が山で取ってきた岩魚で一杯やろうかなと思っているけど、あんたたちの分は無いわよ。」
「いらないぜ。私らはこれから紅魔館に行くところだしな。」
少しだけ、紅魔館、と言う発声に意思を込める。
「そう。いってらっしゃい。…魔理沙、私生活に何かを言うつもりは無いけど、自重するのは時々大事よ。皆の肉体の為にも。」
違う意思に取られたらしい。
「何か言ったか?」
「ううん。別に。」
「アリスもパチュリーもフランも可愛いぜ。あと霊夢、お前もな。」
「聞こえてるじゃない。」
「何のことだか分からないぜ。あ…、それから霊夢…。」
「何よ。」
「…早く気づいたほうがいいぜ。萃香と近隣住民の精神衛生の為にも。」
「何のこと?本気で意味が分からないわ。」
「だろうな。」
確認は済んだ。
パチュリーとフランドールの殺害について、萃香と真剣に話し合っているアリスを引きずって出発しようとする魔理沙の背に投げられる言葉。
「魔理沙。」
「何だ?」
百鬼夜行を引く、幻想郷の鬼。
投げかけられた彼女の声を聞いて、少しだけ魔理沙はこの幼い鬼が恐ろしくなった。
鬼は誰に向けるわけでも無く、朗々と語りだす。
「鬼は、賑やかな事が好き。鬼は、お酒が好き。酒と音楽は最高の恋人同士。わかる?」
「まあな。」
「だから、鬼は音楽が大好きなのよ。」
「なら、霊夢の歌じゃなくて…新しいスペルにでも付き合ってれば「早急な決着をお願いね。」
「お前は歌わないのか?」
「私は耳を傾けるのが好きなのよ。」
「なら今の状況は理想的「あれは歌じゃないって何度言ったらわかるんだダラズ。早く行って来い。」
鬼を本気で怒らせる前にこの場を離れることにした。
再び邪悪な呻き声のような音を発する霊夢に手を振って、アリスの襟を掴みながら飛び立つ魔理沙。
「…パチュリーは全身に針を埋め尽くしてあげましょうね。フランは焼けた石を口から入れてやりましょう。ああ、二人の苦しむ呻き声…。想像するだけでもう…。」
「………。」
悩ましげな声と吐息をあげる人形遣いを何処に廃棄しようか考えながら、魔理沙はスピードをさらに上げる。
「魔理沙、私たちはそれを見ながら、愛を確かめ合うの。素敵よね。ええ。素敵だわ…。」
気色悪さが限界を超えたので、ゼロ距離からファイナルスパークをお見舞いしておいた。
静かになったのを確認してから、魔理沙は思考の海に沈んでいく。
分かりきっていた事だが、博麗の巫女は動かない。と、いうことは今回のことを幻想郷は異変と認識していない。
「…魔理沙。」
横を飛ぶ消し炭が声を掛けてきた。
「分かってるぜ。霊夢のあれも『正しい』メロディだったな。『そのもの』ではないけど。」
「ええ。」
「あれすらも音楽と成るのか、と思うと恐ろしいぜ。」
「心から萃香に同情するわ。」
「…急いでやるか。」
「…そうね。」
☆★☆★☆★☆
魔法のような各パート。
運命に従って萃まってメロディが生まれ。
生まれた先からリズムとの境界を飛び越えてグルーヴ。
それはは薬の効果の様に全身に浸透していって。
奇跡となって現れる。
「♪る~る~る~。…何か言った?萃香?」
「私は何も言ってないわ。音楽が其れを望んでいるのよ。」
「何の話?」
「さあね。」
「…岩魚、焼こうか。」
「わーい。」
「♪~ん~ら~ら~ら~」
「…早く、早く何とかして…。」
go to next track…