Coolier - 新生・東方創想話

秋晴れの日 ~遭~

2007/11/22 11:56:32
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 あんまり雨が続くと、地下でも本が傷んだりするんですよ。
 うちの場合雨の日が続くと機嫌の悪くなる方がいるので、そういう意味でも長雨はちょっとねぇ。

 ――とある妖怪の言葉――


■●■



「目標発見! 一時の方向! 会敵予測地点までおよ二分!!」
 その声に、隊列の戦闘を飛ぶ美鈴は視力と感覚の両方で視る。
 視力に優れる先鋒の班、『鷹の目』が高らかに告げる森の一角には、僅かにだが煙が上がっており、そこに仲間の気配が感じられた。
 秋の行楽、愉快で素敵なキャンプファイヤーなどであるはずがない。あそこには戦いがあり、仲間が助けを求めているのだ。
 目標地点に意識が向いた隙を突くように、紅と黄に彩られた森が瞬いた。
 加速する一団の鼻先を叩くように、すぐ下の森から猛烈な対空砲火が上がる。戦域以外にも兎は潜んでいるらしい。こちらの進路上に対空陣地を敷く余裕があるようだ。
 待ち伏せをする余力とは。小癪な。
 たちまち被弾する紅魔隊。しかしその程度で怯む者など此処にはいない。そんなヤワな鍛え方は、美鈴も咲夜もしていない。
 対空砲火の中、美鈴は右腕を振り下ろし指し示す。
「踏み躙れ!!」
 号令に狩人達が対空砲火の光の中を駆け降りていく。
「ヒャッホウ! 兎狩りだぜー!」
「降りられるのかよー!」
 まるで舞踏会に繰り出す乙女のように華やかに笑い合いながら、制服というドレスに身を包んだ紅魔の僕が、戦場へと翔け降りてゆく。
 兎の弾幕なにするものぞ。震える哀に奮い立ち、紅魔の乙女が天より来たる。
 美鈴は腕組みをしたまま、各人応射しつつ手早く降下して行くのを見送る。
 十秒も眺めていると地上戦が始まった。森の中に閃光と撃音が奔り、木々は鮮やかに葉を散らす。
「さぁて、どこが美味しいかしらぁ?」
 舞台に降りた娘達、そのパートナーの配置を眺める。
 気を視る美鈴には、森の息吹と異質な気配を見分けるくらい造作も無い。
「多いな~。ま、適当でいっか」
 気楽に身をひるがえすと、天地が逆になった。しつこく自分を狙う妖弾が、まるで晴天の雨のように輝いて見える。
 その中に、美鈴は頭から落下を開始。そのまま両手を広げて落ちていく。
 眉を立て、剣呑な笑顔のままに落ちてゆく。
 加速しながらも気を纏って小うるさい砲火を弾き返すと、そのまま森に飛び込む。

 紅い稲妻が戦場に落ちた。

 重い音は野山を打撃し、少し早い落葉を強要する。舞い散る秋色の葉が真打の登場を演出してくれた。
 ちょっとした陥穽になっている着地点は、秋の土と木の香りが舞い上がっている。
 叩き上げられた土くれが落ちてくるよりも早く立ち上がり辺りを見回す。
 兎達は迷彩服を着込み、しかしその長い耳はそのままであった。山でも構わずメイド服で踏破しようとするうちのメイド達みたいに、彼女たちなりの矜持があるのかもしれない。
 いきなりの轟音と振動にまだ反応出来ていない兎も見える。
 薄暗い森の中に白いふさふさが点在しているのが見て取れ、尋常じゃない数に永遠亭のやる気の程が窺えた。
 面白い、とニヤリと笑う。
 ここまでを一瞬で済ませ、私は舞い上がっている土くれの中、戦場に一歩を踏み出した。
 サクリと軽く落ち葉を踏むと同時に、気を展開して周囲を威嚇する。
 周囲の空気が中断していた戦闘を思い出した。
 戦場が彩りを取り戻す。
 メイド服がひるがえり、ウサ耳が揺れる。落ち葉が舞い、何かが弾ける。
 門番隊は湖周辺の雑木林も守備範囲にしている。
 この程度の足場や視界の悪さなど、散歩道を歩くような物でしかない。
 影が木々の合間を風のように抜き、名状しがたい打撃音がそこかしこで響き出す。
 ……にしても優雅さに欠けるなぁ。特に門番隊。いきなり拳というのは誰の影響なんだか。
 こんなのがお嬢様に知れたら……
 知れたら……手ぬるいとか言い出しそうね? お嬢様も、体動かすの好きだし。
 くすりと笑うと妖弾が飛んできた。十メートル先に妖兎が一人。木に半分隠れるように撃ってきている。
 あらやだ、割と狙いが正確ね。
 腰を落とし、軸足の親指、親指の付け根、小指の三点に軽く力を込める。桶の中の水を静かにかき回すような動きで、私の髪がうねった。
「せーのっ」

 像を残す速度に紅い落ち葉が盛大に舞い上がり、美鈴の炎のような髪を飾り立てる。
 同時。和太鼓のような音がひとつ。

 爪先どころか、踝くらいまでが腐葉土に埋まった。
 ん、思ったより地面が柔らかいわココ、根の張り方が甘いのかしら? 震脚し過ぎると落盤が起きちゃうかな?
 身を起こす目の前には、開き信じられないといった顔をしている兎の顔があった。意外とかわいい。
 妖兎の柔らかい腹に肘がめり込む感触を味わいつつ、次の獲物を探す。
 足元に崩れ落ちた可憐なウサ耳少女から、聞くに堪えない逆流の音が。
 ごめんね、しばらくご飯がおいしく食べられないかも。
 でも、と軽く髪を振り、落ち葉を払いながら思う。
 うちのメイド達ならこの程度じゃ伸びないけどなぁ。鍛え方が違うのかしら。兎って骨折しやすいんだっけ?
 背後に突然姿を現した(カモフラージュしていた)妖兎に裏拳をご馳走し、抜き打ちで足元に苦無弾を叩き込んで地面の窪みに隠れていた二人組を黙らせる。
 気を操る私に待ち伏せとは、片腹痛い。
 私には、森の中に意思の糸が複雑に絡まりあっているのが感じられる。
 さすがにこれだけ入り乱れていると、戦場の全域を把握出来る訳ではないが、自分に向けられる敵意なら眠っていても察知できる。
 爆圧で、土と一緒に巻き上げられた兎の内、片方の娘と目が合った。
 勝負を捨てていない目は見所があるが、ここは大人しく退場してもらおう。
 空中でバランスを取ろうとしている彼女を追うようにして軽く跳躍、右足を振り上げ、振り抜く勢いに任せて体を回す。
 我が自慢の右脚がしなり、鞭のような一撃を放つ。
 蹴音。
 オーバーヘッド気味の一撃で、哀れな獲物を少し向こうの塹壕に蹴りこんだ。
 気を練りこんだ蹴りは彼女を砲弾に変え、溝に潜んだ兎を諸共に吹き飛ばす。
 爆発音が響き、妖兎が吹き飛ぶと、こちらをしつこく砲撃していた砲台が沈黙した。
 敵方の防御陣に穴が開いた。そこを足がかりにメイド達が切り崩しにかかるのが見える。
 私は、周囲からの歓声やら口笛やらに手を挙げて軽く応えた。
「隊長!」
 声に振り向けば、先遣隊のメイド班長の姿があった。
 館内でも武闘派の荒事担当で知られている娘で、確か、猫科のライカンスロープだったはず。
 肩口までのブロンドにはホワイトプリムではなく「戦」と書かれた鉢巻を締め、般若心経が書き込まれているエプロンに、日本刀という出で立ちだ。
 ちょっとセンスを理解できなくて怯んだ。というか何で般若心経?
 ちゃんとカタカナで可愛い名前があるはずなんだけど、見たまんまで「タイガーアイ」という渾名が付いていて、平時は大体「虎子」とか「虎やん」と呼ばれている。
 確かに猫目だけどさぁ……。紅魔館のネーミングセンスには正直ついていけない。
 息も乱さず走ってきた彼女は、私の前で立ち止まると略式の敬礼をした。
「どう? 生きてる?」
「はい、おかげさまで……って、なんで隊長が来てるんですか?」
「お嬢様のご命令よ。勝利以外許さん、だって」
「お嬢様が? この時間に……」
 言いかけて、虎やんが一刀を振り上げた。無造作に放った銀閃は、獣人特有の強力な腕力によって衝撃波を生み、見えぬ斬撃が迫る妖弾をダース単位で撃ち落す。
「…………!」
「…………!」
 音が弾けて落ち葉を砕き、二人の言葉を奪い去る。
 無音の中、私たちは軽いジェスチャーで状況を説明すると、納得の頷きを一つ。
 侍メイドが低く刀を構え、大跳躍でダンスのパートナーを探しに行くのを私は見送った。
 あ、殺すなって指示を出し忘れたんだけど、峰打ちにしてくれるかなぁ。見た感じ、刃は血が付いてなかったけど。
 私の危惧の視線の先で、早速妖兎が一人峰打ちにされた。
 うわ、すげぇ音がした。
 五尺近い大太刀を妖怪の腕力で殴りつけると、鉄でも叩いているんじゃないかって音がする。
 ……峰打ちでも死ねるかアレは。ま、喰らう方も人間じゃないから、簡単には死なないでしょう。
 打たれた妖兎の腕が変な方向を向いているのは、気のせいだと無視するにはちょっとリアル過ぎるが、あんまり深く考えない事にしよう、面倒な折衝は咲夜さんの仕事だ。
 さて。
「山に居る兎は追われるが運命! 残さずひん剥いて鍋にしてやりなさい!!」
『応!!』
 声を上げると周囲から返事があがった。
 いいね。普段、集団戦闘なんかあんまり無いから、みんな楽しそうだ。
 私も少し働いておこう。

 数に勝る永遠亭の一軍であったが、紅魔館側の的確かつ迅速な反撃に遭い、徐々に後退を始めた。
 個々の戦闘力の差はさほど大きくないが、遮蔽物の多い不整地を平然と駆け抜けるメイド達を兎達の妖弾が捉えきれず、射撃の無効となるレンジに踏み込まれて殴り飛ばされている。
 地形を含む戦闘は、竹林に潜む永遠亭とて経験がないわけではないが、基本的に楽観安寧を旨とする兎たちよりも、定期的な略奪者など、外敵に困らない紅魔館の方が荒事に慣れているという事の証左と言えるかもしれない。
 それでも数の差は大きい。
 メイドの腕は二本しかなく、足だって二本だ。どうあっても一度に五つ以上の目標は相手に出来ない。
 小人数で形成される兎の集団は、跳び回るメイドに激しい砲火を浴びせかける。
 一人を殴り倒した所を狙い打ちにされたり、集中砲火を浴びて立ち往生している場面も目にする。
 メイド側の攻撃も格闘戦のみというわけではないが、射撃戦になると層が厚く各所に防御陣地を構えている永遠亭側が優勢だった。
 秋の恵みを巡る争いは次第に激化していき、消耗戦へと移行しつつあった。



「陣形を立て直す、か。凡庸だけど手堅いかな?」
 妖弾の十字砲火を、蹴りで引っ掛けた妖兎を盾にする事で防ぎつつ、私は戦域を見渡す。
 メイドたちは健闘している。被弾していない子はいないが、脱落者も殆ど居なかった。
 数が減っていないのは兎も変わらないが、負傷兵の数は向こうの方がはるかに多い。
 しつこい砲撃が止んだので、高く揚げた脚を下ろす。
 見れば、爪先に引っ掛けていた兎が気絶していた。
 目の前の一団の向こう側に、白い耳が集結していくのが見える。散らばっていたのを呼び戻したのだろうか。
 固まればどうにか出来ると思っているらしい、思わずニヤリと笑ってしまう。
 それを咎めるかのように、刺さる気配が一つ飛んできた。
 足一つ分だけ軸をずらすと、傍らにいたメイドの一人がいきなりひっくり返った。彼女は宙で天地逆になり、後頭部をしたたかに打ちつける。
 あら、この子、割と過激なの穿いてるわ。武人の情け、全開になっているスカートは直しておこう。
 私は先程の弾道を遡り、砲手を捜す。
 飛来したのは高速の妖弾。
 発射音よりも着弾が早かったから、音速超過の弾丸と見て間違いないだろう。
 こんな乱戦で狙撃、しかも直前まで気配すら感じなかったとなれば結構な腕前のはず。
 おそらくは「カード持ち」クラスの相手だ。
「そこか!」
 苦無状に圧縮した気を三発放つ。
 直後に乾いた炸裂音。紅、蒼、翠の三刃は森の奥からの一発の発射音で撃墜された。
「砕ッ!」
 そのまま貫通してきた妖弾に、練気済みの拳を叩きつける。
 砲弾は砕けたが、金属音が何事かを告げる鐘のように高く響き、戦場に一瞬の空白が生まれた。
 僅かな時間だが、戦域の視線がこちらを窺うような気配を見せた。
 いいね、状況が推移したのを皆きちんと感じてる。
 痺れる手をそのままに構えずに立っていると、向こうで長大な銃……と見紛うスコップを手にした兎が立ち上がった。
 くたびれ気味の耳の兎は、山歩きに適さない紺のブレザー姿。
 他の兎とは背の高さが違う。すらりとした体躯の妖兎は、こちらにスコップの刃を突きつけると叫んだ。
「来たわね、悪魔の館の従業員!」
 お、鈴仙テンション高いねぇ。
「やはり指揮官はアンタね、兎屋敷の太もも要員!」
「な!? なによその不名誉な称号!?」
 啖呵をきったわりに、あっけなくうろたえる鈴仙。耳がせわしなく動いているけど、本気で気にしているのだろうか。
「あ、あんただって『呼び鈴メロン』とか呼ばれてるくせに!」
 もじもじと太ももをよじるその仕草こそが、皆のいらぬ想像を掻き立てている事に、この娘は気付かないのだろうか。
 鈴仙とは時々小町の所で会うので世間話したりもする間柄だが、前に聞いた話だと膝上二十センチは永琳の厳命らしい。永遠亭の規律は中々に厳しいと言えよう。
「己に恥じ入る所など微塵も無し! この身体の全ては鍛錬の賜物よっ!」
 拳を二発と回し蹴り。見せ付けるように一回転した後、胸を張って立って見せる。
「胸に自信がない奴は脚を出すしかないから大変ねぇ」
 堂々と胸を張ると、メイド隊から拍手とオオゥという唸りが上がり、兎達が、うむぅと怯む。
「あ! そんな事言ったら、アンタの所のメイド長だってそうじゃないのよ!?」
「あ、あんたなんて事言うのよ!? あの永遠の【来期に期待】にそんな事聞かれたら小町の世話になるどころかいきなり白玉楼に永久就職よ!?」
「な、なにげに酷い事を言ってない?」
 そうかも知れない。
 後背、メイド達からも同意の苦笑が聴こえるあたり、やっぱり概念的に不老なのも問題なんだと思う。
 人間なのに成長止めちゃうのってどうなのよ。
 まあ、今はそんな事はどうでもいい。
「気にしてるんなら、あんたの師匠お得意のトンデモ薬でおっきくしてもらったらぁ?」
 上からの視線で言ってみる。
 悔しそうに顔を紅くしている鈴仙を見ていると、普段使われない感情がゾワゾワとざわめくのが分かる。
 ああ、この娘を弄るのって楽しいかもしれない。
「あ、あんたなんかに豊胸薬の臨床試験の辛さなんかわかんないわよっ」
「あるの!? 豊胸薬!!?」
 ざわ……、と周囲が息を飲んだ。
 自分で言っておいてなんだが、まさかあるとは思わなかった。八意永琳恐るべし。

 豊胸薬。
 それは少女たちの永遠の夢。
 それは求めて止まない神秘の秘宝。
 大いなる奇跡と希望の光。
 そんな現代の至宝が存在するという。

「し、試作なのよ! 師匠の英知をもってしても完成にはまだかかるのよ! 貴方にわかる!? 夜も朝も無く催促にくる巫女や魔法使いの恐ろしさが!」
 鈴仙が半泣きで喚く。
 博麗の名において作成を命じられた薬か……
 スペルをちらつかせながら薬を要求する、紅白やら黒白の姿が幻視できた。
 魔理沙や他数名も居るというが、最近ではそいつらで結社めいた物を作っているらしい。
 咲夜さんが時折妙な会合に出かけているのは知っていたが、まさか、貧乳の集いとかそういう手合いじゃないだろうか。
 たまに来る客に出すお茶のランクは、胸の大きさと関係していないと、目を見て答えてくれるだろうか。少し心配になってきた。

「試しているって言うなら、少しくらい成果が出てそうだけど、ちっとも効果が無さそうじゃない」
 鈴仙の胸元、朱色のネクタイに絶妙な曲線を描かせている膨らみに、無遠慮な視線を送る。
 視線に粘性を混ぜるのも、勿論忘れてはいない。
 私の視線に合わせて、メイド隊の視線も鈴仙の胸に集中した。
「ふ、副作用が辛いから解毒してもらってるのよっ」
 視線の焦点位置にいる鈴仙は赤面し、胸元を隠しつつ反論する。無駄に可愛かった。
 だが、今注意を払うべきは、まいっちんぐポーズではない。
 豊胸薬なのに副作用とかツライとか、おおよそ服用を躊躇うに値する物騒な単語が飛び出した。だいいち解毒ってなんだ。
 自慢じゃないが、この身は百パーセントの天然。このジャンルにおいては八雲や風見とだって渡り合う自信がある。
 薬の力なぞ借りるつもりは毛頭ないのだが、どうにも後に控えている部下大勢からの「くわしく」というオーラが私に質疑の続行を強いる。
 ああ、中間管理職はつらいわ。

「ま、まさか痛むとか……?」
 敵味方なく聞き入っていたギャラリーがその言葉に引く。この膨らみは女の命、そんなのは勘弁願いたい。
「……か」
「か?」
「からだが、乾くのよ…………とっても」
 目を逸らし小声で答える鈴仙は、顔を真っ赤にしている。……そんな顔するなら言わなきゃいいのに。
 意味深な発言で全てを察した全員の発する、気まずい沈黙が秋の山を支配する。
 ああ、そういう所はやはり永琳の作る薬なのか。パチュリー様の作るケミカルエックスとどちらがマシだろうか。
 研鑽の度合いは生きている時間が違い過ぎるから比べるべくもないが、危険度だけをみれば、うちのひょうろく玉も決して負けてはいまい。
 咲夜さんが来てからだけでも、調合室ごと空間を切断され虚無の闇へと葬り去られた劇薬秘薬は数知れない。
 週一ペースで起こる愉快なバイオ&ケミカルハザードに、メイド一同が泣いてお嬢様に上訴した事さえあった。
 ああ、いつだったか遠因子活性なんとか術の実験をした時なんかひどかったなぁ、館の住人の大半にいろいろ生えたっけ、角とか尻尾とか羽とか鱗とか牙とか。
 そういや咲夜さんのアレは立派だった。あまりの完全体っぷりに一同惚れ入ったものだ。
 そう、あれは見事な犬耳だった。

 メイド部隊どころか、兎達までもが悄然とする気配が伝わってくる。
 さて、余興はここまでだ。あとは武力行使の時間、切り替えてやらなければ。
 無駄話の間に、兎達の陣形が静かに整っていくのを見逃すほど私は暢気ではないが、あのまま踏み潰しても面白くないと思っていたところだ。
 相手にもそれなりに機転の利く奴がいるらしい。

「はっ、そんなものに頼るようじゃおしまいね! やっぱり天然物が一番よ!」
「なによっ、師匠の方がおっきいんだから!」
 乗ってくれたのか素なのかは分からないが、鈴仙も発破をかけてくれている。いいね。
「バランスでは私の方が上よ! デスクワーク三昧で背筋が鍛えられるものか!」
「言ったわね! 宴会が続き過ぎて服のウエストがきつくなったみたいって言ったわね!?」
「い、いや拙者はさようなことは……ってか蓬莱人って太るの?」
 一切の変化を切り捨てた窮屈な魂だと思ってたけど、その程度の変化は許容範囲らしい。ああ、生きているって素晴らしいわ。
「もう許さなーい! 総員、突撃―!」
 兎達が構え、メイド達が飛びかかろうとした瞬間。

「待てっ!!!」

 両勢力が激突しようとしたその時、凛々しい声が制止をかけた。
「だれ!?」
 鈴仙が振り仰いだ。
 釣られて見上げると、太陽の如き輝きの中に人影が幾つか見えた。
 誰何の声を受け、光を背負った人物が進み出る。
 スペルカードを展開している気配がある。眩しくてよく見えないが、左右に光を放ち、まるで光で出来た翼のように見えるそれは、連続照射されている光線系の弾幕らしい。名乗りにカード一枚を使うとは、なかなかの傾奇者だ。
 発動しているスペルの影響範囲が見て取れ、何列にも並んだ車輪が粛々と回転している。
 スペルカードの世界干渉は、各人ごとにその紋様が異なる。分かりやすいのは咲夜さんの時計、お嬢様の紅い満月など。目の前の人物のパーソナルは歴史を刻む車輪……?
「上白沢慧音か!?」
 私も声を上げる。こういうお祭りは率先して踊らなければ損というものだ。
「そう……その通――りっ!!」
 応じる慧音は見得を切る。光が翼のように広がった。
「愛の翼に、勇気を込めて! 回せ正義の大車輪!! 美少女ハクタク・上白沢慧音! ただいま推参!!」

 決めポーズまで含めた見事な名乗りに、一同から思わず拍手が出た。
 慧音を中心に両サイドに魔理沙、アリス、そして少し後ろにパチュリー様の姿が見える。
 慧音は臨戦態勢らしく、右手に草薙、首から鏡を下げ、左手につけた篭手には勾玉が輝いている。
 やる気全開の里の守護者と、すぐ脇に控える面子を見て、さすがに周りもざわめきだした。
 私もわざとらしく驚いて見せたが、この四人組が先程から介入のタイミングを窺っていたのは気が付いていた。
 これだけ力を持った連中なら、多少離れていても察知できる。十分くらい前から上空でフラフラしていたのはまだしも、何? 正義の味方なの?

 様子を窺おうと静止した一同の視線を受けて、慧音が宣告する。
「お前たち! ここの山の幸が、自生しているものだと思っているのか! これらは里の者たちが手入れをしてこその物なのだぞ!」
「人々の苦労を知るがいい!」
 慧音の叫びに魔理沙が追随する。不覚にも、ちょっと格好よかった。
「……」
 腕組みをして不敵な笑みを浮かべているアリスはともかくとして、やはり無言のままのパチュリー様に違和感を覚え、そしてすぐにその理由に気が付いた。
 肌身離さず抱えている魔導書が、誰に触れられるでもなく浮いており、風に遊ばれるような穏やかさでページを捲っているのだ。
 急激に膨らんでくる悪い予感の正体は、仏頂面のままに浮いているパチュリー様よりも、むしろ、慧音の背景だと思っていたのが実は見慣れた拷問器具の群れだという事実。
 金と木を魔力で織り上げた刃輪が、鉄の軋みを上げて回っている。
 まさか、この場に居合わせた頭数の分だけ生成してあるわけじゃ……いや、やりかねない。そういう期待には過剰に応えてくれるのが、この引き篭もりの困ったサービス精神なのだ。
 周囲も気付いたらしい、豊胸薬の件とは別のざわつきが生まれた。
 紅魔館はともかくとして、永遠亭にまで歯車魔女の名が知れ渡っているとは……
 悪名こそが紅魔館の誉れとまでは言わないが、図書館の病弱もやしっ娘呼ばわりよりは、まだマシかと思い直す。

「魔理沙はともかく、あんたとそこの大車輪はこっち側でしょうに!」
 鈴仙がアリスに突っ込みをいれた。
 あー。
 だめだよ、今日の奴らは運命共同体のはず。それでなくても魔女二人は魔理沙の思い付きを止める能力が乏しいのに。
 下手に目立つと真っ先に処刑されるに違いない、というか確定事項。事態の推移を見極めた方が、痛い思いをしなくて済むというもの。
 しかし、だ。
 読みこそ違うが名前に同じ「鈴」の字を持ち、同じような役職(と立場の低さ)であるこの太もも兎が、健気にも地獄の賢人同盟に挑んでいるのだ。
 その姿を見ていたら、なんだか勇気が湧いてきた。

「今日の私は慧音の味方! 山の恵みは渡さない!!」
 アリスが傲然と言い退ける。ちょっと聞くと台詞こそ格好いいが、こいつらも秋の味覚の魔力に屈した、食欲の使徒でしかないという事だ。
「「結局それかーー!!」」
 ギャラリーから一斉にツッコミが入った。今の台詞は敵対宣言に他ならず、紅魔館の夕飯の行く末を託されている身としては、相容れぬ敵にだと言う事に他ならない。
「第一、 山全部に手が入ってるわけじゃないでしょうに!」
「貴様らは加減を知らないから問題なのだ、大所帯の上に沸点の低い主と、NOと言えない実行犯。強制力と組織力が組み合わさっている分だけ、そこらの妖怪の単独犯とは被害が比較にならん!」
 慧音の断言に、もはや語る言葉は無しと、居合わせた全員が構える。
 急速に高まっていく戦いの気配に、空気までもが緊張していく。
「ええい! ならば貴様らから始末してくれる!」
 美鈴が吼え。
「それはこっちの台詞よ!」
 鈴仙が叫び。
「貴様らに教えてやろう、悪の栄えた例は無いとな!」
 草薙を振り上げた慧音の凛々しい声が嵐を呼んだ。
 草薙の理力とシルフィホルンの組み合わせで作られた大竜巻は、紅や黄の葉ごとメイドや兎を飲み込み、なおもその身を成長させる。
 屹立した風の龍は、その身を地上五百メートルまで伸ばし、なおも伸長する。
 それを見届けたアリスがケープを翻し、人形を展開する。
「さあいくわよ!」
「……」
 容赦のない魔女達は、草木に水をやるかのような自然さで、竜巻の中に攻撃を放り込む。
 巨大歯車を。
 自爆人形を。
 そして、
「まだまだ地味だな、もっと派手に飾ってやるぜ!」
 駄目押しのスターライトタイフーンが内向きで発動した。
 竜巻を光の柱が飾り立て、爆発音と金属音と風の轟音が、破壊のハーモニーを奏でる。
 光と音が渦を巻き、風の大龍が身を捩る。
 しかし。
【極彩颱風ッ!!!】
 鮮烈な叫びと共に美鈴のスペルが開放され、大竜巻に逆らうように七色の閃光が迸った。
 逆周りの螺旋に引き裂かれた風の龍が、いきなり中身をぶちまけた。

「な、なかなかやってくれるわね……!」
 巻き上げられていた諸々が飛び広がる中に、台風の主が浮いていた。
 肩で息をしている美鈴だが、帽子を失った以外に目立った傷もなく、荒れ狂う風に真紅の髪を遊ばせている。
 ニヤリと笑う美鈴に、合体攻撃を破られた四人が気圧されたように息を呑んだ。
「ほら! いつまで寝ぼけてるのアンタ達!! 仕事だよ!!!」
 腹の底からの大喝と共に、空間を踏みつける。
「!!」
 銅鑼を殴りつけたような轟音が紅葉に燃える山を震撼させると、風に巻かれて散り散りになっていたメイド部隊が息を吹き返した。僅かに遅れて永遠亭の兎達も体勢を立て直す。
「さあ」
 一気に緊張した空の中で、宙を踏んだままだった美鈴が緩やかな動きから、鋭い突きをひとつ放つ。
 突き出された右拳に、舞い上がっていた帽子が落ちてきた。
「仕切り直しよ!」



 秋の空は戦場と化した。
 メイドが、兎が空を埋め、光が、星が、人形が飛び交う。
 空間が軋み、七色の風が薙ぎ、大魔術が炸裂する。
 激音と爆音と焦音とをBGMに、叫びと悲鳴と奇声が破壊の歌声を響かせる。
 少女達の饗宴は、破壊と闘争をもって織り上げられていく。



「とぉおりゃぁああああああああ!!」
 追加の人形を召喚中のアリスに、美鈴の流星のような蹴りが襲い掛かった。
 加速の乗った一撃を回避しきれないと判断したアリスは、スカートを翻し、スラリとした足を振り上げる。
 底の厚いブーツで迎撃する。
「!?」
 槌が鉄を打つような音と共に、人形遣いが弾き飛ばされた。
 美鈴がインパクトの瞬間に妖弾も混ぜたので、押し負けたアリスは盛大に吹き飛ばされたのだ。
 キリモミで落ちていく影を追撃しようと、美鈴が急降下する。
「っとお!」
 上方、美鈴の背後に回りこんだ魔理沙から、レーザーが雨のように降り注いだ。
 煮詰めた虹のような光が美鈴の残像を射抜き、焦げた空気の独特の匂いがする。
 美鈴は舞うように破壊光線を避けると同時、半分だけ振り向いて片手で苦無弾を放つ。
 速度自慢の魔法使いは、これを苦も無く回避してみせた。
 乱射された光線が山肌に当たると、爆発音に紛れてアリスの怒号が聞こえた。美鈴はとりあえずこれを無視する。
「油断も隙もあったもんじゃないわね!」
「悪の幹部は適当な所で油断してやられるもんだぜ」
「誰が悪の幹部よ!」
「あー、すまん、今は鏡を持っていないんだ」
「あら、そんなんじゃ乙女失格よ?」
「私は素材がいいからな、手入れの必要があまりないんだ」
 その言葉に応じるように霊気が噴き上がった。
【国符 三種の神器「鏡」!!】
 二人が思わず振り向くと、メイド部隊からの集中砲火を浴びていた慧音が、スペルでの反撃に転じていた。
 波打つ水面のような光の壁が現れ、それが猛烈な弾幕を受け止める。
「応報!」
 スペルは慧音の命に従い、「鏡」の名に恥じぬ働きをする。
 慧音本人の弾に加え、反射した弾幕が閃き、辺りを照らした。
 慧音のスペルはいちいち眩しい。
 魔理沙ほどでないにせよ、光術の多い慧音の攻撃は昼であってなお煌びやかだった。
 乱反射する光術の軌跡は、見ている者に万華鏡を覗いているような錯覚に陥らせる。
 鋭い弾幕が過ぎると、各人が纏っている防護結界が弾ける音と悲鳴があがり、反撃の意思を込めた鬨の声が続いた。
 メイドも慧音も、まだまだ戦意が衰える気配はない。

「でも、なんであの堅物がこんなにハッスルしてるのよ?」
「あー、それは話すと長くなる……」
 ちょっとだけ気まずそうに視線を外し、頬をかく魔理沙。
 どう説明したものか……と、ごにょごにょと歯切れ悪く説明を始めた。

 運命と挑戦の第九回目の儀式は、結局パチュリーの予言が的中し、人形遣いの家は大爆発を起こした。
 魔理沙、アリス、パチュリー、慧音の四名は、アリス宅の爆発事故の後、場所を魔理沙の家に移して反省会を開いていたが、慧音の建設的な意見により、正しい材料による、正しい作成方法を、という方針で再び料理タイムが始まる運びとなった。
 ところが、魔理沙の家には茸以外の秋の恵みはなく、一同は仕方無しに山狩りに繰り出してきたのである。
 それだけなら良かったのだが、紅魔館と永遠亭の一群が衝突している現場に出くわし、速やかな戦闘行動の停止の為に武力による介入をする事となった。
 普段であれば、誰かが止めるのだが、この時の全員の頭には、夜通しで見た古の勇者達の物語が渦巻いており、当人の自覚の無い所で感化されていたのである。
 ちなみに、現在の慧音の頭の中は、勇者ソングがエンドレスで流れている状態である。

「やっぱり、人間も妖怪も発散する場というのは必要なのね……」
「その意見には大いに賛同だぜ……」
 二人の視線の先、嬉々として草薙を振り回す慧音には、厳格で落ち着きのある里の守護者の顔は見られない。
 見た目の年齢相応の楽しそうな振る舞いは、むしろ悪戯半分で弾幕ごっこを楽しむチルノやミスティアに近い風情だった。
 美鈴の頭に「やんちゃ慧音」という単語が浮かんで消えた。
 魔理沙にしても、まさか堅物の慧音がこんなにノリノリで「正義の味方」をやるとは思っていなかった
 普段娯楽から縁遠い人間がたまにハメを外すとこうなるのか。
 酒の席で無理矢理呑ませた妖夢や咲夜が、クダを巻いたり踊り出したのを思い出すと、妙に納得できた。
 どこか憐憫を感じさせる柔らかい視線で、はしゃぐ慧音を見る。
「でも」
「まぁ」
「「この場を譲る理由にはならないけどな!」ね!」
 二人は同時に向き直り、叫びと共に放たれたミサイルと苦無が激突し、ド派手な爆発が空を彩る。

 美鈴は爆風に逆らう事無く流される。
 ……これで魔理沙との距離は開いたか。
 宙返りをしながら戦場を見渡すと、下方に復帰してきたアリスが見えた。
 人形が隊列を組んで砲撃しているのが見える。小さな軍団の向かう先は鈴仙だ。
 左右に陣を振りながら接近を図るリトルレギオンを、鈴仙は地表近くから狙撃している。
 遮蔽物に適度に身を隠しつつ、対空砲火で、人形をひとつひとつ落としていく腕前は的確だった。
 分厚い陣形を抜いて、本体であるアリスを狙うことも忘れていない。意外としたたかである。
 実の所、この戦場の鍵を握っているのは、そこにいる鈴仙だった。
 魔女たちが大技の使用を控えているのは、鈴仙の狂視による同士討ち狙いを警戒してのことだ。
 どこを狙うか判らないマスタースパークなど、危なくて使えたものではないのだ。
 兎達は数に任せて戦闘班と回収班に分業している。
 今日の戦いに勝つことではなく、山の幸を持ち帰る事こそが肝要なのだ。
 その辺、大体の連中は気が付いているのだが、そこは戦闘空域のこと、うっかり背を見せればどこから弾が飛んでくるか分かったものではない。
 パチュリー様に手を出しにくいメイド達は、必然、アリスや慧音を迎え撃ち、干されたパチュリーはウサギたちを追い回し、鈴仙やてゐが応戦する。
 単騎だが突破力の高い魔理沙達は、巧みにマークを躱してアタックしてくる。
 敵の敵は味方、などと言っていられる状況でもなく、誰かと組んでも所詮は敵、すぐさま背後から撃たれてはひとたまりもない。
 結果、状況に大きな変化もなく、紅魔館も魔女達も、兎の回収作業の妨害に行けずにいた。
 このままでは少々マズイことになりそうだ、と、美鈴は急ぎ策を模索する。



■●■



 山が騒がしい。
 栗拾いに山に入った妖夢は、少し前から山の向こう側で何者かが争っているのに気が付いた。
「……?」
 回収の手を停め籠をおろすと、手近な木の上に駆け上がる。
 満載になった方の籠を任せていた半霊が、すぐ下で疲れたようにふらふらと漂っているのが見える。
 妖夢は問題の区画へと目を向ける。
 二百由旬の庭の面倒を見る庭師は、鷹のように鋭く彼方を見通す。
 先ほどから比べると、音源が次第に近くなってきている。
「弾幕……? いやそうじゃない。普通に小競り合いのようだけど……」
 ひとつ沢を挟んだ向こう側の森の中で、何やら戦闘らしき動きがある。
 妖気が充満している様子から察するに、妖怪同士で何かトラブルでもあったのだろうか。
 感覚を研ぎ澄ますと、妖弾の応酬の気配までは分かった。
 それにしても。
「多い……」
 呟く。
 一人二人ではなく、数十人くらいが山の中で戦っている気配がある。一箇所にそんな大人数が集まっているという事自体が珍しい。
 妖夢は、ちょっと荒っぽい祭かなにかかしら、と首を傾げた。
「あ!」
 視線の先で何かが瞬いた。
 爆発かと思うと同時、森の一部が破裂した。水蒸気の花が咲き、僅かに遅れて音が届く。
 土くれが吹き上げるように飛ぶ中に、見覚えのある妖怪兎の姿を確認した。
「あれは、永遠亭……。じゃあ、相手は紅魔館か?」
 敵対勢力の姿は見えないが、今吹き飛んだだけでも妖兎が五人。気配から判断するに、ここから見えないだけで、他にも相当数居るだろう。
 そして、このクラスの戦力を向こうに回して退かないとなれば、この界隈では限られてくる。
 妖夢の予想を裏付けるように、木の合間から二人組のメイド服が飛び出してきた。
 空へと逃れようとした妖兎を追い、手早く叩き落とす。
 声など聞こえる距離ではないが、妖夢は妖兎の悲鳴を聞いた気がした。
「……」
 見なかった。私は何も見なかった。
 どんな理由で争っているのかは知らないが、顕界の者と余り関わるなとも言われている。
 そんな建前は別としても、今日中にこの栗をどうにかしないといけない。
 こんな所でよそ様の争いに巻き込まれる訳にはいかないのだ。
 どうやら山の反対側が主戦場らしいが、今見えた情報だけでも戦場がこちら側の斜面に移動しつつあるのが分かった。
 妖夢は考えをめぐらせる。
 永遠亭が来ているなら鈴仙が、紅魔館が出張って来ているなら班長格のメイドあたりが、それぞれ前線の指揮を執っているに違いない。
 どちらも面識のある組織だが、顔を見せてしまえば救援を請われないとも限らない。
 プライドの高い紅魔館でも現場は割と柔軟だし、永遠亭ならば鈴仙が泣きついて来るのが目に見えている。
 このまま悠長に栗拾いをしていると、巻き込まれる可能性が高い事だけは確実だ。
 森を見つめる妖夢の目には、兎達の撤退進路がこちら側に向いている事が見えているのだ。
 そこまで考えて、妖夢ははたと気がついた。
「咲夜が言っていた今日の山って、これの事かしら……?」
 こんな事ならきちんと話を聞いておけばよかった。
 栗拾いに傾注するあまり、貴重なアドバイスを聞き逃したのかもしれない。
 妖夢が眉を寄せながら見ている先で、今度はメイドが打ち上げられた。
 赤毛のメイドはよろよろと回避行動を取っているが、追い討ちの砲撃が彼女を打ちのめしている。撃墜も時間の問題だろう。
「あれは!?」
 その時、見覚えのある緑の衣装がかっ飛んできた。メイドと対空砲火の間に割って入ると、森を斉射する。
 ただの一射で兎の砲火が沈黙した。
「お、おぉ……!」
 そのあまりの手際の良さに、妖夢は思わず感嘆の呻きを漏らしていた。
 今度は二人に砲火が集中する。四方からの弾幕が襲い掛かった。
 美鈴はメイドを突き飛ばしてその場から逃がすと、直後に軽く百は数える妖弾に飲み込まれた。
 妖弾が連続して着弾し、ぱらぱらと花火のような音が届く。
「……どうなる……!?」
 妖夢は木の上で思わず身を乗り出していた。
 妖夢の言葉に答えるように弾着の煙が晴れ、紅蓮の髪がなびくのが見える
 紅美鈴の自信に満ちた姿が見える。
 両の拳が煙を上げているが、身体には傷一つ付いているように見えなかった。
「凌いだか、アレを」
 妖夢の喉が鳴る。
 おそらく先に直撃する弾を殴って潰し、他の弾を誘爆させるなりして回避したのだろう。
 頭ではなんとなく分かるが、口で言うのと実行するのとではワケが違う。
 付け加えるなら妖弾の発射位置は木に隠れて見えなかったはずだし、到達のタイミングはばらばらだった。
 つまり美鈴は、ランダムの弾幕を至近であるにも関わらず見切り、瞬時に相殺の位置、方向、順番までを決めて防御したのだ。しかも妖弾を殴って。
 生半可な腕で出来る芸当では無かった。
「……!」
 武芸の技前を見せ付けられ、妖夢の腕がうずく。
 助太刀をするならば目の件で恩のある永遠亭だと思っていたところに、紅魔サイドに手合わせしてみたい達人がいる。
 紅髪の闘士は、猛禽のような鋭い動きで木々の合間に消え、妖夢は思わずそれを追って駆け出そうとした。
 その時、妖夢の頬をぺちりと叩くものがあった。半霊の尾の部分だ。
 叩かれたことはどうという事もないが、妖夢は自分が戦場の熱気に飲まれかけていた事に気が付いた。
 半霊が栗の入った籠を見せ付けるように、ぷかぷかと浮かんでいる。
「そうだった。うん。そうだった」
 主からは休暇を貰っているが、それをどう使うかまでは言及されなかった。
 つまり妖夢の意思で一日を過ごすわけで、休暇を利用して山へ入り、紅葉を楽しんで栗を拾って帰る、そんなハイキングを満喫する一日でもいいわけだ。
「……」
 うつむく。
 妖夢の頭の中に、休暇であれば少しくらい遊んでも、という考えが浮かんだ。
 事実休暇なのだから、妖夢が何をしようと幽々子様は何も言わないだろう。手ぶらで帰っても「おかえりなさい妖夢」と笑って迎えてくれるに違いない。
 横目に、半霊の籠に刺さっている紅葉の枝が目に入る。
 秋の紅を主への土産にと、色づきのよい枝を選んだものだ。
 目先の騒動と、主の笑顔を天秤にかけ、妖夢は大きく息を吐いた。
 ……立ち去ろう、それも速やかに。
 そう決めた妖夢は、戦場の音に背を向けて木から下りた。
 荷物をまとめて飛び去ろうとしたが、すぐに思い直す。
 悪い予感に眉根を寄せた妖夢は、籠の上で揺れている紅い葉から天狗の扇を思い出していた。
 飛べば目立つ。
 これだけの騒ぎなら、既に射命丸が来ていてもおかしくはない。姿を見せないに越した事はない。
 僅かな足音と共に地面に降り立った妖夢は、小さな物音に振り向いた。
 兎達の足音が遠くに聞こえる。
 撤退ルート確認の斥候だろうか。
 急がなくてはならない。



■●■



「うりゃあああぁぁぁ!!」
 太陽を背に落ちてきた魔理沙が、大上段から箒を振り下ろした。
 彗星のように光の尾を引く一撃の向かう先には、紅の拳士。
 思ったよりも落ちてくるのが速いと気付いた美鈴は、回避を諦めガードを固める。
「縦! 一文字斬りいいいい!!」
 推進用の魔力を攻撃力に置き換えた一撃は、見るからに危険な威力を秘めている。
 ただのガードでは潰されると判断した美鈴は、防御から迎撃へと予定を変更。
『おおっ!!!』
 拳と箒が激突した。
 威力が炸裂し星が飛び散ると、音が割れ、目も眩む閃光が走った。
 頭上からの一撃を受けきった美鈴を、箒を大剣に見立てた魔理沙が押し切ろうとする。
 火花はパチパチと鳴り、美鈴の防御を軋ませる中、魔理沙が口を開いた。
「相談がある」
「今更何よ」
「この中で一番数が多いのは奴らだ」
「そうね」
「当然、根こそぎ持っていかれるわけだ」
「そうね」
「私らとしても、自分たちの取り分すら残っていないというのは避けたい」
「それで?」
「ざるそばを押さえ込んでくれ、あれの眼が光っている内は、おっかなくてマスタースパークも撃てん」
「なんで私が」
「魔法を撃ち込んでもそれごと捻じ曲げられると困る。その点、お前の攻撃なら、直接狂わせない限りは奴も回避するしかない」
「……で?」
「奴らがうどんを切り捨てるのは容易に想像できる、そこを逆手にとって罠を張る」
「私らのメリットは?」
「永遠亭に勝つ。あいつらの手柄を横取りして帰れば、お前んとこのお嬢様も喜ぶだろうさ」
 そこまで聞いて、出掛けに勝って来いと命令されたのを思い出した。
 協力を拒めば、パチュリー様経由で話が伝わり、ステキなお仕置き直行になりかねない。
 フランドールお嬢様は嫌いではないが、あのロリっ娘破壊神はちょっとばかり加減を知らないのが珠に瑕だ。狭い部屋での【カタディオプトリック】千本ノックは洒落にならなかったのを覚えている。

「……まあ、このまま逃がしても面白くないし……手ぶらじゃ帰れないし」
「よし、決まりだな。じゃあ、もりそばを釣り上げてくれ」
「いいわ、乗ってあげる」
 美鈴はニヤリと笑った。

「うわー! やられたぜー!」
 七色の光の塵を纏わりつかせた魔理沙が、果てしなくわざとらしい悲鳴を上げながら森に落ちていった。
 それを見たメイド隊が喝采を上げる。魔理沙にはいつも痛い目を見させられているから、感慨もひとしおだろう。
 落ちていく魔理沙のフォローに向かうアリスを見つつ、こちらを向いたままの紅いドレスの人形にウィンクをしてあげた。
「さあ……!」
 下に向けていた視線を振り上げながら向き直る。
 螺旋を描く自慢の髪をなびかせて、狙う獲物にズビシと指を突きつける。

「次はアンタの番よ! 縞パン兎ッ!!!」

 腹式呼吸に支えられた大音声は、山どころか里まで届きそうな勢いである。
 絵になる宣戦布告にそぐわない挑発の台詞が轟くと、戦場は水を打ったように静かになった。
「え、な、ちょっ!? なんて事言うのよ!!?」
 首まで真っ赤にした鈴仙が、スカートを押さえながら大声を出した。
 助けを求めるように周囲を見回す鈴仙だったが、永遠亭の一派は皆一様に視線を逸らす。
 紅魔館のメイドたちの囁き声がサワサワと聞こえてくると、憐れな月兎は早速半泣きになった。
「な、な、なんの根拠があってそんな事を……ってか、私が何を穿こうと自由でしょうに!!!」
「ふふん?」
 美鈴はぴらりと一枚の紙片を出す。先ほど魔理沙に渡された文文。新聞だ。
 見出しは、
『空飛ぶ破廉恥!! 鈴仙 優曇華院 イナバ特集!!!』
 とある。
 他にも「七色の縞を穿きこなす」とか「上司に直撃インタビュー」といった小見出しが見える。
 円グラフには色の比率や、その他のカテゴリー(無地とか水玉らしい)との比較が詳細に記載されていた。
 しかしまあ……
 呆れつつ紙面を見る美鈴。
 カラー写真をふんだんに盛り込まれた紙面は、どれもこれも特定の人物の臀部の記事だ。
 私の弾幕は、撮られた時に「カラフル」との判定がされたけど、これもカラフルとされているのか……
 よくもまあこれだけの人の下半身の写真を集めたものだ。盗撮は犯罪行為だが、ここまでくればその執念だけは買ってもいいかも知れないと思えてくる。
 スゴイのになると、水溜りに反射したものを画像解析処理したものとか、超々遠距離からの望遠撮影したものなど、なにもそこまでしなくてもという写真まである。レンズが至近の靴底を写している写真もあるのだが、このカメラは地面に埋設されているという事にならないか。そんな地雷まがいの撮影までするというのか。
 部数の為には手段を選ばない。射命丸文というブン屋の恐ろしさを垣間見た気がする。
 でも、なんで魔理沙はこの新聞を持ってたんだろう?

 こちらの手にある紙面だが、特殊な眼を持つ鈴仙にはその距離からでも内容を確認することは造作も無いらしい。
 新聞を見ていた鈴仙は、最初は羞恥で真っ赤になっていたが、次に白くなり、青くなり、そして再び赤くなった。
 気で判断するまでもない。激情が逆巻いているのが分かる。
 乾いた破裂音が一つ鳴り、私の手にあった新聞の上半分が爆ぜて消えた。
 手段は判らないが原因なら分かる。俯いたまま肩を震わせている鈴仙が、片腕だけ上げて、こちらに人差し指を向けているのだから。
 何か聞こえる。
「……しぃゃぁぁああああ……」
 実際に聞いた事はないが、地獄を吹き渡る風とはこんな音ではないだろうか。そう思わせる声が洩れてくる。
「むぅぇええいいぃぃむぁああるぅうううーーーーー!!!」
 弩、と怒気が弾け、絶叫が耳朶を打つ。
 顔を上げた鈴仙はもはや泣いてすらいなかったが、その瞳は血よりもなお紅い輝きを放っていた。
 今感じている耳鳴りは、鈴仙が周囲の音波に無差別に干渉しているからだろうし、視覚の方も水面に反射する景色を見ているかのように揺らぎ始めた。
 湧き上がる怒気の中心、風に煽られるかのように長い紫銀の髪が逆立ち波打っているのが見える。
 ああ、兎でも心底怒ると迫力あるものなのね。
「出てこい!! どうせこの騒ぎもどっかで見てるんだろう!!!」
 紅い目をギラギラさせながら周囲を窺う鈴仙は、既に肉食獣の様相。
 この場で射命丸を見つけたら、たとえ地の果てまでも追いかけて八つ裂きにしそうな勢いだ。
 というか、キャラ変わっちゃってない?
 紅魔館での私の扱いも大概ぞんざいだが、ここまで怒るような事はまずない。
 でも、ウサギたちの反応が薄い所をみるに、この変貌は初めてではないのだろう。そして、ここまで怒るような事を過去にもされているであろう鈴仙に、同情を禁じえない。
 フー、フー、と荒い息で辺りを見回していた鈴仙だったが、やがて射命丸を探すのを諦めたらしい。
 ギッ、とこちらを向くと、歯を剥いて叫ぶ。
「とりあえず、そこのカンフーおっぱい! アンタから血祭りにあげてやるわ!!」
 言葉と同時、まるで剣山のような密度の妖弾が押し寄せた。



■●■



 戦闘は再開されたが、流れに変化が生じていた。
 妖弾煌めく山空を紅と銀の流星が翔る。
 銀が追い、紅が受ける。
 銀の放つ弾丸を、紅の直打が阻む。
 紅の弾幕を銀の砲弾が貫く。
 撃ち、払い、狙い、弾く。
 大乱戦の只中、長髪をたなびかせて紅と銀は踊るように駆け抜ける。
 追われる紅が、メイドと兎の応酬の間に飛び込んだ。
 続く銀も躊躇なく飛び込む。
 縦横に折り重なる弾幕の中を、まるで蝙蝠のような変則機動で飛翔する二人。
 七色の踏み込みが咲き、流水のような銀の髪はまるで生き物のように見る者を惑わす。
 観客はその戦いを視界の端に捉えつつ、目を奪われないようにと気を張った。
 気を操る紅と、狂を操る銀の戦舞は、見ているだけで正気を失いかねない絢爛な舞だった。

「射ッ!」
 弾の嵐の中、美鈴は宙返りしながら妖弾を放つ。圧縮された妖気は鋲のように鋭く堅い。
 進路上に撒かれた弾群に鈴仙は急減速し、美鈴の攻撃を躱す。
 見えない壁にぶつかったかの様な急激な速度の変化に、その長い髪はうねり、瞬間、鈴仙の視界を妨げた。
 その僅かな隙を突き、美鈴が距離を詰める。
 弾を投げ放った右腕を引く動きと連動させ、左半身を前に押し出す。腰を回して左脚を振り上げれば蹴りになる。
 蹴った。
 槌で岩を叩くような音と、硝子が割れるような音が重なるように弾けた。
 加速と錬気によって威力を上乗せされた一撃は、鈴仙を十メートルほど吹き飛ばす。
 体勢を崩した鈴仙に、しかし美鈴の追い討ちは来ない。
 蹴りを放ったはずの美鈴が身体を折っている。
「……って~」
 美鈴が顔を上げると、その額から一筋の紅が伝った。
 蹴りが当たる瞬間、回避不能と判断した鈴仙は攻撃を選択し、至近距離からの弾丸を見舞ったのだ。
「どんだけ堅い頭してるのよ、普通なら気絶してもおかしくないのに」
 納得がいかないといった表情で鈴仙が言った。
 相打ち上等ではなかったにせよ、ダメージを受ける事を覚悟しての攻撃だ。
 肩を蹴らせたにしてはリターンが少ない。あんな蹴りを貰ったのだから、相手の意識を刈り取るくらいの見返りが欲しかった。
 蹴られた右肩を押さえた鈴仙は、耐衝撃性能を持つ上着なのに、と顔をしかめる。
 折れてはいないだろうが、痛みで右腕が麻痺しているような感覚だ。
 肩を押さえたままに気合を入れる。
 放たれた妖気が凝集すると、四つの光点となって収束していく。
 四つの光点はすぐに四基の光球へと成長し、四基の攻撃支援ユニットが形成された。
「お!?」
 美鈴が息を呑むのと同時、四つの銃口が火を噴いた。

 高速の追撃戦は続く。
 美鈴は砲撃を避けるため、眼下の森へと飛び込んだ。
 葉と枝の天井を突き破り、木々の太い幹を物ともせず、獣のような速度で駆ける。
 飛翔するだけではない。地面を蹴り、木の幹を蹴り、跳ね返るような方向転換をする。
 並び立つ木の間を縫って妖弾が追って来る。足跡をなぞるように地面が弾け、幹に穴が穿たれる。
「ッ!」
 弾丸が空気を擦過する甲高い音が、美鈴の間近で聞こえた。
 追撃する鈴仙は、蹴られた右肩を庇っているのか、攻撃の展開は随伴する銃座に任せている。
 高速で美鈴を狙う弾丸は、本体である鈴仙の狂視を受けて弾道を変化させる。
 遮蔽物の多い森の中でも遠距離射撃を可能にしていたのは、こういう仕掛けがあったわけだ。
 一回二回程度の変化でも、それが複数の発生源からの攻撃となれば話は変わってくる。
 極小単位の狂視で弾道をコントロールし、直進弾と進路予測の偏差射撃を同時に行っている。
 弾道を読み、弾丸を打ち払おうにも、直前で軌道を変えたりするので思うように防御が出来ない。
 木の幹が裂け、落ち葉が弾ける。

「美鈴! 一度目を合わせた相手に背を向けるのか!」
 何とでも言え。と内心で舌を出す。
 遮蔽物の中に紛れるのは対発砲武器の定石。真っ向から挑まなければいけない道理はない。
 とは言うものの、遮蔽物の多い場所に逃げ込んだはずなのに、私は追い立てられていた。
 その事実に舌打ちを一つ。
 鈴仙は弾速や発射間隔を絶妙にずらしながら、こちらと一定の距離を保っている。
 こちらの弾よりも射程、弾速が上なのを見切っての攻撃なのだが、これがなかなかに見事だ。
 クロスレンジ(殴れる間合い)まで踏み込めればどうにかなるものの、向こうもそれをわかっているので、はぐらかすような攻撃をしてくる。
「ぐっ……!」
 緩い弾幕を潜り抜けて接近しようとすると、今のような鋭い一発が飛んでくる。咄嗟に弾の横ッ腹を叩いて流したが、次第に掠める回数が増えてきた。
 怒りに任せて攻撃してくるかと思ったけど、殊の外クレバーな攻撃だ。
 やるじゃん。
「くっ!」
 内心の賞賛に応えるように撃ち込まれた弾丸を、上体を仰け反らせて回避する。
 そこで弾道が曲がった。
 喉元を狙って進路を変えた妖弾は、単発だが大口径の高速弾だ。片手で払い除けられるようなものじゃない。
 きわどく回避。
 擦過しただけだったが、衝撃波を受けた肩口が軋んだ。
 僅かに体勢を崩した所へ別種の攻撃が来た。今度は細かい弾をまとめて叩きつけるタイプの弾。
 連射が効かない上に弾丸一つは小さいが、放射状に飛ぶ弾は、他種と比べれば範囲が格段に広い。点ではなく、面で攻撃するタイプだ。
「く……!」
 視える妖弾の角度から躱しきれないと判断した私は、両腕を交差して防御の構えをとる。
 着弾。
 石飛礫をぶつけられたような衝撃を全身で受けて、今度こそ足が止まった。痛い。
 そこへ追い討ちの高速連射弾が叩き込まれる。
「ぐ……ああっ!」
 これも一発の威力は大した事はないが、とにかく数が多い。ついでに言うと狙いがいい加減なのがタチが悪い。
 人間サイズの的を狙う程度の精度はあるはずなのだが、連射される一発一発に狂視で弾道に変化をかけているらしい。
 交差した防御以外の所にも、ランダムに弾丸が押し寄せる。
 痛い、めちゃくちゃ痛い。
「破ッ!!」
 動きの止まった所に飛んで来たダメ押しの大口径弾を、気合の霊撃で弾き飛ばした。
 そのまま高度を保っている鈴仙に突撃する。
 霊撃によって弾幕が途切れた所へすかさず牽制の苦無弾を放つ、が、読まれていたらしく撃った直後に散弾で相殺された。
 だが読んでいたのはこっちも同じ。
 相殺の小爆発を盾にして一気に間合いを詰める。衝撃波が来るが、この程度なら咲夜さんの蹴りの方がよっぽど痛い。
 砲撃戦を維持する鈴仙は、こちらがクロスレンジに入りたがっていることを承知している。
 射撃に劣る私が活路を見出すなら接近するしかないわけで、この突撃も当然読まれているはずだ。
 予想通り、爆発煙の向こうには熱弾が待ち構えていた。飛行速度の遅いそれは、炸裂する事で私の進路を阻む。
「鋭ッ!」
 目の前に広がった赤熱する光球に、私は構わず右の手刀を振り上げる。
 抜き打ち気味に放った一閃は、灼熱の妖気塊を両断した……けど、錬気してあるとはいえ、物凄ぇ熱い!
 涙目になりつつ抜ければ、目の前に鈴仙。間合いだ。
 そのタイミングで真紅の瞳が輝いた。狂気へ誘う紅い闇が押し寄せる。
 甘い。
 狂視は目を合わせなければ、そうそう影響を受けるものではないのだ。
 そして私は音や匂い、何より気の流れを手繰る事で、視覚に頼らずとも相手を捕捉する事が出来る。
 砲撃をかいくぐれば狂視が来るのは大体読めていたが、こんなに素直に使ってくるとは思わなかった。
「っ!?」
 閉じた視界に鈴仙の動揺する気配が伝わってきた。
 その動揺を打ち抜くように拳を奔らせる。
 打撃音。
 硬い物同士が激突する音が響き、
「てゐ!?」
 衝撃が走る中、鈴仙が驚く。
 ブレザーに輝く月の徽章を狙った私の一撃は、横合いから飛び込んできた木槌によって目標を変更しなければならなかった。
 木槌の持ち主は小柄な妖怪兎。
 充分に速度の乗った一撃を放ったにも関わらず、弾かれたのは私の方だった。
 ……この兎、そのちっこい体のどこにこんな力が……!
「惜しい! 鈴仙を囮にしたんだけどなあ!」
「心配してくれてたんだ」
 てゐの大声に、鈴仙は笑みを含んだまま、四基の銃座を投棄した。
「ありがと」
 紅い瞳を輝かせ、おもむろに右手人差し指をこちらに突き付ける。
「な!?」
 思わず声が出た。
 鈴仙の右手に、突如として巨大な妖気の塊が現出したのだ。
 五メートルくらいの妖気のレールの基部、鈴仙の手の辺りに超高密度の妖気が収束しているのが視えた。
 これだけ大きな気を瞬時に圧縮出来るとは思えない、しかし錬気をしていたなら見逃すはずが無い。
 私の疑念を読み取ったのか、鈴仙がここに来て初めて笑った。可愛さなど欠片も無い、戦士の笑みだ。
「右腕の波長をずらしてたんだけど、その様子だと察知出来てなかったみたいね」
 その言葉で納得した。鈴仙が大規模な狂視をしなかった事と、本人からの射撃が無かった理由。
 それはつまり。
「これを仕込む為だったって事か……!」
「とっておきの特大弾。頑張って耐えてね」
 直後、轟音に大気が爆ぜた。



■●■



「……ふう」
 発砲時の姿勢のまま、鈴仙は詰めていた息を吐いた。
 砲撃の反動で、右肩から先の感覚が無い。
 今の攻撃は、本来は敵を目視出来ない距離で使う攻撃だ。
 戦術支援ブレインの計算補助も、砲撃用の出力調整も無しにいきなり撃てた事にこそ、鈴仙は驚いた。
 自分の兵器としての能力が錆付いていない事を知り、鈴仙はもう一度溜息をついた。
 渦巻く風の中、発砲時に発生した水蒸気の霧が晴れていく。
 射線上に居たメイドも何人か撃ち落したはず、兎は居なかったはずだが、衝撃波に巻き込んだかもしれない。
 すぐ近くでてゐが耳を押さえて蹲っていた。メイドも兎も目を回している姿が結構見える。
 砲撃時の衝撃波の影響で、射線にあった木は葉を失っているものもある。
 やりすぎたか、と思わず舌打ちしてしまう。
 てゐのフォローもあってどうにか策を成功させたが、やはり美鈴とは相性が良くないらしい。
 正面きっての撃ち合いならこちらが優位なのだが、向こうには格闘戦という選択肢があり、こちらはそれを意識しながら戦わなければいけないのだ。
 鈴仙にも格闘戦の能力はあるが、月に居たころは一度も使う事は無かった。
 そもそも宇宙空間の戦闘で、接触できるような距離に相手が居る事など、有り得ないのだから仕方ない。
 能力的にこれといった特徴のない美鈴は、何をやらせても中途半端だという評価が大半だが、これといった弱点もないので敵に回すとかなり厄介な相手だと思い知った。
 妖怪特有のタフさを生かして、多少の被弾なら無視して飛び込んでくる可能性があるというだけで、これほど精神的に疲れるとは。
 妖夢や咲夜も格闘戦に精通しているが、緩急自在の攻めや、組み立ての巧みさ、思い切りの良さといった事は美鈴が頭一つ出ている印象がある。
 能力や武器に飛びぬけたものが無い分だけ、選択肢の危険度に差がつきにくく、結果として美鈴の行動全てに意識を払い続けなければならないのだ。
 ずきん、と蹴られた部分が痛んだ。
 砲撃の反動で痺れていた感覚が戻ってきた。鈴仙は音の波を整えて周囲を確認する。
「美鈴を落せば勝ちかな? 疲れたからもう終わりにしたいんだけどなぁ……」
 まだ戦闘は続いているが、大出力で開放した反動のだるさが忍び寄ってきた。
 早いところ仕事を終えて帰りたかった。

 敵を探す鈴仙の視界、砲撃の影響で逆巻いていた風に、緑色の何かが落ちてきた。
 なんとなく手に取ると、星をあしらったそれは美鈴の帽子だった。
 直撃したとしても、彼女なら死ぬ事はあるまいと最大口径での砲撃をしたが、今になって不安になってきた。
 殺すつもりはなかったが、事故でも死なれると後味が悪い。実際、弾幕勝負は常に不慮の事故の可能性が付きまとうのだ。
 この帽子が遺品になったりしたらどうしよう。
「拾ってくれてありがとう。それ、気に入ってるのよね」
「……なっ!?」
 その声に鈴仙は驚き、帽子を取り落としそうになる。
 視線を上げれば、紅い髪をなびかせ、帽子の持ち主がそこに居た。
 緑の服は衝撃波の影響か、殆ど布地が残っていなかったが、中身は五体満足に見える。
「……ど、どうやって……」
 一瞬幻覚かとも思ったが、自分の聴覚は確かに美鈴の鼓動を捉えている。
 耐えるにしても相当のダメージがあるはず。ましてや砲弾は相殺されたわけではない。発射後、三キロ先で自爆させたのだから間違いない。
「ちょっと服とか結び直す間に教えてあげるわ」
 残った布を掻き集めてとりあえずの体面を整える美鈴は、被弾の瞬間を思い出す。



 発射の瞬間。
 極度の集中によって美鈴の意識は研ぎ澄まされ、目に映る物がスローモーションで動いているように見えた。
 鈴仙の右手に、妖気が撃発した気配が視え、押さえ込まれていた力が解放されていくのが分かった。
 放たれた砲弾は冗談のようなサイズの妖気弾。
 固体化するほどの密度を持ったそれは、妖気による延長バレルを飛び出した瞬間、水蒸気の傘を開いた。
 その瞬間、私の頭の中に様々な光景が浮かんだ。どうやら妖怪にも走馬灯はあるらしい。
 様々な光景が物凄い速さで流れていき、私の本能がその中から、この窮状を脱する手掛かりを探し出していく。
 真っ赤な光が弾けた光景で回想が止まった。
 私の走馬灯によると、この馬鹿げた妖弾は、本気で投げたお嬢様の【槍】に比べればまだマシな部類らしい。
 鈴仙も「耐えてね」と言った。ならばこちらを殺すつもりはないはず。弾幕の中での死傷事故はたまにあるが、今は考えない事にしよう。
 そう考えたら気が楽になった。
 安堵はリラックスを生み、私は冷静な思考と自然な脱力状態を取り戻す。
 イメージする。
 大木を折るような暴風の中でも揺らぐ草葉を。
 宙を舞うただ一枚の薄布を。
 それらは力に抵抗しない。自然に受け、しかし止める事無く力を受け流す。
 ならば、この砲弾がどれだけの威力を持っていたとしても、私の中の余分な力を消し去り、風に流れる柳のようにしなやかになる事で、受け流す事も可能なはず。
 打撃の要は、打つにしても打たれるにしても脱力にあると、昔住んでいた地域でも言われていた。
 その事に思い至った時、巨弾が生む衝撃波が私に届いた。



「……なんてデタラメな……」
 鈴仙は思わず声を漏らしていた。
 この妖怪は、対艦砲撃を受け流したのだと言う。それも身体ひとつで。
「まあ、服はこのありさまだし、全部の弾を受け流せるわけじゃないわよ?」
 美鈴は苦笑する。
 鈴仙の感覚では、着弾とダメージは緊密な関係で結ばれており、命中させれば何らかの損害を与えるというのが、彼女の常識である。
 戦う事を求められた過去において、射撃は敵とのコミュニケーション手段であり、着弾はその「対話」の終焉を告げる物のはずであった。
 事実、過去の鈴仙は数限りない「対話」を繰り返し、その全てに生き残ってきた。
 確かにこの幻想郷には殺しても死なないような存在がわりと居る。
 それは射撃の応酬という「対話」のルールの外に居る存在だが、幸いにして弾幕勝負という、ここならではのルールがあるので、そんな相手でも負けを認めさせることも出来る。
 目の前の妖怪は不死の存在でもないのに、致命の攻撃を無効化してきた。
 その事実は、鈴仙の意識の奥深くに奇妙な熱を呼ぶ。
 倒さなければならない敵。負けるかもしれない敵。
 意識の薄壁を一枚隔てたような違和感の向こうで、何かが目まぐるしく回っているのが判った。

 ……分析、解析、把握、不明、不足、不備、対策、対抗、対処、必勝、必殺、必滅、敗北、撤退、被害、損害、分析、解析、予測、証明、敗北、否決、解析、不足、分析、対処、必勝、不明、損害、分析、把握、架空、不足、機能、要請、棄却、分析、対抗……

 頭の中でたくさんの自分が、物凄い言い争いをしているような感覚。
 それが次第に思考を埋め尽くしていく。
「なに呆けてんだ! このへにょり耳!」
「いたーっ!?」
 鋭いローキックが、必殺の一打を破られて自失していた鈴仙のふくらはぎに炸裂した。
「ちょ、ちょっとてゐ、何するのよ!」
「何するのはこっちの台詞よ! 敵の目の前でぼさっとしてんな!」
 叱咤された鈴仙が、慌てて美鈴に向き直る。
「に、二対一よ、まだやる?」
「何言ってんだ、やるのは鈴仙だけだよ!」
「えーっ!?」
 てゐの言葉に鈴仙は驚いて思わず振り向いた。
「まったく、いい相棒を持ったわね」
 私と咲夜さんとのやりとに似ていて思わず笑ってしまったが、てゐが戦闘に参加しない理由は分かっている。
 兎達の撤収作業が、まだ完了していないのだ。
 山の幸の独占を許さぬ上白沢と、メイド連中から避けられているパチュリー様がそれぞれ追撃を続行しているが、魔理沙とアリスが抜けた分、攻めが甘い。そのため、兎の一隊は撤退ラインを越えつつあるものの、それでも全体が逃げ切るにはまだまだ時間を必要としていた。
 ここにきて大所帯のデメリットが出たわけだ。
 うちのメイド達もしつこく追いすがっていて、それの対処にも手を焼いているようだ。
 いいぞ、打ち合わせなんかしてないが、方角だけを見れば魔理沙が罠を仕掛けているはずのエリアに追い込んでくれている。
 門番隊の中には、魔理沙との付き合いの長い娘もいるから、或いは意図を見抜いているのかも知れない。
「私はいいわよ。別に、二人掛かりでも」
 右の手の平を上に向け、指先だけをちょちょいと軽く曲げ、余裕を見せる。
 もちろん嘘だ。
 確かに鈴仙の必殺の一撃を受けてもこうして生きているわけだが、実際には感覚が半分くらい無かったりする。
 衝撃波を受けたときに聴覚が麻痺して、まだ殆ど聞こえない状態だし、目にしても似たような物で、像は結んでいるがぼやけ気味。
 こんな状態で弾幕戦闘なんかできっこない。
 余裕を見せる私に緊張した表情を隠せない鈴仙だけど、小兎は慎重に様子を窺っている。優秀なセコンドだわ。
「ふん、あんたなんか鈴仙一人で十分よ、さあ行ってこい!」
 てゐはペチンと尻を叩く。スナップの効いた一撃はやたらといい音をたてた。
「!」
 覚悟を決めた表情の鈴仙が、両の指先を銃口に見立て構える。
 しかし、それは僅かに遅かった。待ち望んでいた物を目にして、私は思わず笑顔になる。
 彼女らの後ろで小さな紅い人形が手を振っている。つまり時間切れだ。
 私はいきなり、眼下の森、何の変哲もない木を指差して叫んだ。
「見て! あの木の上に居るのが射命丸です!!」
「!?」
 鈴仙の萎びた耳が真っ直ぐになった。凄まじい勢いで振り返る。
 そしてそれは隙になった。
「ごめん、今のウソ!」
「な……!?」
 軽やかに宙を踏み、慌てて振り向く鈴仙に肉薄する。
 左手を伸ばし、鈴仙の左腕を掴んだ。
「え」
 引き寄せる。
 左腕を引かれた鈴仙は、私に左側面を向ける形になった。
 これだけ密着すれば、てゐも邪魔に入れまい。
「あ……!」
 鈴仙の左腕は私が押さえている。この体勢の意味に気付いた鈴仙が焦りの表情を浮かべるのが見えた。
 でももう遅い。
 鈴仙の傷ついた右腕は彼女自身が邪魔になって、素早くこちらに向ける事が出来ない。そして私の右手は空いている。
 その右手を添えて、至近から打った。
 和太鼓のような音が響き、濃紺の布地が飛び散る。打たれた左背ではなく、抜けた衝撃でブレザーの右側面が弾けたのだ。
 手を放すと鈴仙が落ちていった。
「鈴仙!?」
 慌てて追う小ウサギだが、すぐにその足は止まった。撤退中の兎達のいる辺りから、爆発音が連続して聞こえ始めたのだ。
 耳を向ければ、森の中に光の柱が並んで屹立し、まるで壁のようになっている様子が見える。
「あれは……! 魔理沙!?」
「そうよ。逃げる兎を捕まえる為に、悪い魔法使いと組んで一芝居打ったの」
 思わず駆け出そうとしたてゐは、しかしその場で振り返った。
「……追わないの?」
「追って欲しいの?」
 てゐは一瞬だけこちらを睨むと、鈴仙が落ちた森へと降りていった。

 私は森を見る。
 見覚えのある光の魔法は、たしかアースライトなんとかという地対空の光術スペルのはず。
 それが並んで光線を放ち、兎達の退路を遮っている。断続的に聞こえる爆音はアリスの人形だろう。
 爆発音に混ざって兎達の悲鳴が聞こえ始めた。
 まさかの待ち伏せを受けて大混乱に陥った所に、ダメ押しでメイド達が襲い掛かったのだ。
 もともと個々の戦闘力でメイドの方が勝っている部分があった上に、戦列を崩され混乱しているとなれば、まともな戦闘にはなるはずが無かった。
 ……士気の低さは永遠亭の弱点かもね。
 戦闘集団として鍛えているつもりはないが、紅魔の乙女達のタフさを見ると、お気楽極楽を旨とする兎達とは違ってどこか血生臭さを感じる。
ましてや館内担当の娘達は咲夜さんの指揮下だ。
 日頃の鍛錬で、焼けた火箸を掴まされたり、甲冑を着けたまま湖に沈められたりしていてもおかしくない。
 やっぱりある程度のスパルタって必要なのかしら、とか思ってしまう。
 一方的になり始めた戦況を俯瞰で見つつ、私は腕組みをする。
 指揮官が落とされた直後の待ち伏せだ、これでも隊列を乱さなかったとしたら相当な訓練を積んでいるか、鈴仙の扱いが相当に低いかのどちらかだ。
 幸いかどうかは知らないが、鈴仙が落ちた時に、兎達に動揺が走ったのを私は視ている。
 つまり、兎達は普通に動揺し、普通に混乱している。
 逃がすべき輸送班を守らなければならないのも、兎達を不利にしている要因だ。瓦解した戦線での大荷物は足枷でしかないのだ。
 嬉々としてメイドが襲い掛かり、兎達が打ち落とされていく。
「手向かう者には容赦をするな! お嬢様は勝利のみをお望みだ!」
 喝を入れてやれば『応』と声が上がった。
 もうじき、戦闘は終結するだろう。

「てゐ! 私はいいからみんなを率いて逃げて!」
「寝ぼけた事言ってないで、さっさと逃げるんだよ!」
 木に引っ掛かっていた鈴仙に肩を貸し、てゐは撤退を開始した。
 担がれて後退する鈴仙は、悔しさに下唇を噛む。
 行動を読まれ、優勢だったはずが一気に窮状に陥ったのだ。
 美鈴一騎にこだわるあまり、魔理沙達の行動を見落としたのが原因だ。
 アリスがフォローに行った時に疑うべきだったが、今更悔いても仕方がない。
 押し寄せるメイド隊を、その場しのぎの狂視で足止めしているが、一度隊列を乱した部隊はなかなか立て直せないでいた。一度逃げ腰になってしまえば脆いものだった。
 自分で戦おうにも、美鈴に打たれた身体は右半身が痺れて言う事を聞かない。
 戦闘調整を受けた月兎の身体がここまの不調に陥っているのは、彼女の気の能力に因るものだろうか。てゐの支えが無ければ、まともに飛ぶ事すら怪しいという有様だった。
 切り札である空間狂視も、敵味方が入り乱れている現状で使用すれば、いたずらに被害を増やすだけだ。
 いや……と、鈴仙の頭の中のどこか冷静な部分が囁く。
 戦術的な視点で見れば、この作戦の要は秋の味覚の回収であり、輸送隊だけでも逃げ切ればいい。
 ならば、広域狂視で敵味方構わず狂わせれば、撤退ライン付近に位置する輸送隊が逃げる事が出来るチャンスは、それなりにあると言えるだろう。
 だが、それは残りの兎達を足止めに使うという事になる。
「く……」
 鈴仙はその考えに首を振る。
 だめだ。家族を見捨てる事など、今の自分に出来るはずがない。
「大将首、覚悟―!」
「っ!」
 殿(しんがり)に位置する鈴仙は、押し寄せる敵に対して妖気で作った妖弾タレット対抗している。
 しかし、気打で掻き乱された神経系では制御が安定しない為、ユニットは二基しか出せず、その薄い弾幕をあざ笑うようにメイド達が掻い潜り、押し寄せてくる。
 飛び掛ってきたメイド三人を撃ち落したが、てゐを庇った鈴仙も被弾した。
 破れかけたブレザーでは満足な防弾効果が得られず、撃たれた所が痺れるように痛んだ。
「もうだめです鈴仙さま!」「なんとかしろこのへにょり!」「うどんげさま~」
 兎達の悲鳴が、そこかしこから聞こえる。
 爆発音。
 弾が降り注ぐ音。
 味方が撃たれる音。
「オレたちを挟み撃ちにするつもりだぞ!」「もう帰りてぇ~!」「ジェンキンス! 銃を取れジェンキンス!!」
 迫る敵。
 仲間の悲鳴。
 怒号。
 戦場の、音。
 忘れていた、おと。
 逃げ惑う妖兎の姿に、鈴仙の記憶の蓋が、ぎしり、と、音を立てた。
 目の前の光景に重なって、闇の中で炎の花が咲く幻視がちらつく。
「あ……、ああ……」
 瓦解する戦線。
 包囲される味方。
 見捨てられた部隊。
 だめだ、みんなやられる。
 みんなシぬ、ころされる。
 ころさ……れ……
 やだ
 しにたくない
 ころさないで
 ころさないで……!

 レイセンの瞳が静かに、鋭く、紅く染まっていく。

 ころさなきゃ。
 ころさなきゃころされる。
 しぬ。
 しにたくない。
 しにたく……

「ぼさっとしてんな!」
「!?」
 何かが顔面で弾けた。
 目の前になにかちいさいのがいる。
 戦場で周りに居るのは全て敵だ。「スローター」と呼ばれた自分と行動を共にする仲間など居はしないのだ。
 テキか、テキならころさなきゃ……
「しっかりしろ! 鈴仙!!」
 レイセン、レイセン……鈴仙……?
 その小さいのは、私の生体多次元レーダーを掴むと、強く引っ張った。
「まだ寝ボケてんのか!! このヘタレ耳!!!!」
「いたたたたたたた!? 抜ける! 抜ける!!」
 怒声で目が覚めた。
 ズキズキと痛む耳を押さえ、目の前の小さな兎に焦点を合わせる。
「て……ゐ?」
「みんなが危ないんだから、指揮官がボケっとしてんな!」
「う、うんっ」
 私は頷き、戦場を「聴く」。
 怪我をしている子は多いけど、少しずつ逃げる方向が揃ってきている。
 でも、紅魔館の勢いが止まらない。
「このままじゃ……」
「どうすんの、このままじゃ全滅するよ」
 てゐだったらもっといい策も思い付くだろうに、何故か私の傍を離れようとしない。
 戦闘放棄も同然の行いだけど、戦場で私の隣に居てくれる。
 それがどうしてか、とても嬉しかった。
「仕方ない……みんな! アレをやるわよ!!」
 鈴仙の号令に、決意を感じさせる瞳が一斉に頷いた。
 撤退をやめた兎達が敵群に向き直り、殿を勤めていた鈴仙はそのまま先頭に立つ。
 迫る紅魔の軍勢を前にして、胸を張り、左手を腰に当てる。
「見せてあげるわ……永遠亭の究極奥義!!」
 未だ痺れる身体を叱咤し、、鈴仙は意地と根性で右腕を高く振り上げる。
「唱和!! えーー……りんッ!!」
『えーー……りんッ!!!』

「ちょおっと待ったあ!!」

 突然の制止の叫びと、砕けるような高音。
 空間を窓ガラスのようにカチ割り、開いた穴からクロスチョップの姿勢で飛び出して来たのは、永遠亭の影の支配者、八意永琳だった。
 何故か肩で息をしている。
「あ、師匠。お早いお着きで」
「あなた達っ、人を気安く呼ぶもんじゃありません!」
「ですが、このままでは負けてしまうところでした。永遠亭に勝利をもたらす為、心苦しかったのですが師匠のお力添えを」
「いい訳はいいわよ! 大合唱で名前を連呼される中に出て行くのがどれだけ恥ずかしいと思ってるの!」



 紅魔館一党は、突然始まった漫才に唖然とし、思わず追撃の手を止めてしまった。
 中央に位置していた美鈴も、事態の変化を見極められず、困惑していた。
 厄介な奴が援軍に来たかと思ったが、現れた永琳は鈴仙と言い争いをしている。開いた口が塞がらない。
 八意永琳といえば、いつぞやの大異変の実行犯と聞き及んでいる。
 たまに図書館を利用しに来るので、見かけたら挨拶をする程度の面識はある。
 なんでも物凄い長生きで、落ち着いた物腰や深慮を感じさせる言動などは、永遠亭の影の支配者だと納得させるだけのものがあると記憶している。
 弾幕勝負においても大変な実力者で、迂闊に手を出す事が出来ないというのもあるが、痴話喧嘩同然の言い合いに、部外者が横から口を出すのもなんとなく気が引けた。
 珍しく大声で捲くし立てる永琳は、耳まで真っ赤だった。
 まぁ、事あるごとに「えーりんえーりん」やられればイヤにもなるか。
 試しに自分に置き換えてみる。
 ……
 …………
 ………………
「めーりんめーりん」かぁ……いいかもしんない……
 ちょっとした空想にぽわわんとしていたが、それ所ではないと思い直す。

「それで? 永遠亭は子供の喧嘩に親が口出しするのかしら?」
 問題はそこだ。
 小言を並べていた永琳がこちらに向き直る。
「そんな、まさか。折角楽しそうに遊んでいるのに、邪魔をしては悪いでしょう?」
 そう云うと、永琳は微笑を浮かべる。余裕と知性を兼ね備えた、所謂「大人の笑み」だ。
 永琳の外見はせいぜいが二十かそこらの小娘だが、この場に居る全員の年齢を足しても奴の実年齢に届くかどうか。
 実力も、文字通り桁が違う。
 このまま永琳が戦闘に加わる事があれば、その場で私達の敗北が決定してしまうかも知れない。
 ウチには現状アテに出来る援軍の目処は立たない。日は傾き始めているが、お嬢様たちが日傘なしで力を揮えるようになるにはまだ少しかかるだろう。
 私がここに居るのは咲夜さんが出かけているからだし、パチュリー様は戦場に出ているが、素直にこちらの陣営についてくれるとも思えない。
「そんな怖い顔しなくても大丈夫よ。私は手出しをしないわ」
「し、師匠!?」
「ウドンゲ。勝利の為に最善を尽くそうとしたお前の判断の正しさは認めるけど、それとこれとは話は別よ」
 腕組みした永琳は、息を飲む鈴仙に教師の声音で続ける。
「私がお前を送り出したのは、この程度の敵の増援なら撃退出来る事を計算した上での事。それでも苦境に立たされていると言う事は、お前の指揮や作戦に穴があった事になる」
「う……」
 厳しい言葉に鈴仙が萎縮する。
 紅魔館と永遠亭だけの衝突だけなら、確かにそうだろう。
 しかし、戦場には常にイレギュラーがある。簡単な作戦でも思いもしないアクシデントで破綻する事だってあるのだ。
 そして、この場には四人組のイレギュラーが居る。
「まあ確かに。紅魔館以外の戦力もあるでしょうけど」
 永琳の楽しそうな視線に、慧音が居心地悪そうに眼を逸らした。
「……あれ?」
 奇妙な沈黙に見回せば、場の視線が私に向けられている事に気がついた。
「隊長、どうします?」
 すぐ後ろに虎やんが居て、小声で話しかけてきた。
「どうするって、どうするのよ」
「だって、勝って帰らないとマズいですよ。お嬢様の命令もそうですけど、咲夜さんが……」
 そうだった。
 なんとなく戦闘終結っぽい流れで油断していたが、紅魔館は目の前にあった勝利を逃そうとしている事に気がついた。
 しかし、このまま戦闘を再開したとして、果たして勝ちに持っていけるかどうか。
「……どう思う?」
「……微妙だと思います」
「だよねぇ」
 今が膠着しているのは、永琳が居るからだ。
 アレは戦闘に参加しないと言っているが、手の平を返さないという保障などない。
 目の前で家族がやられているのに傍観出来るとしたら、そいつは本物のSか、血も涙も無い冷血漢だろう。
 慧音たちが戦闘に介入してきたのは過剰な収穫を阻止する為で、それは後で協議する事になるのかもしれないが、戦闘を再開したとなれば、厄介な相手に逆戻りするのはほぼ決まりだろう。
「……みんなは?」
「士気は高いです。しかし、さすがに……」
「……」
 数に劣るメイド隊は、速度と戦法でそれを補っていた。つまりオーバーワークなわけで、これ以上無理をすれば、一気に撃ち減らされる恐れもある。
 わりとタフなはずの虎やんの息にも乱れがある。
 振り向けば、怪我と疲労とで随分と美人になった子たちが見えた。
「虎やん、私ここで気絶していいかな?」
「安心してください。刺してでも起こしますから」
 腎臓って二個あるんですよ? と、にっこりと笑うと同時、大太刀がギラリと不吉に輝いた。
 ああ、なんて優しいんだろう! いきなり心臓とか言わない優しさに涙が出そうだ。
 でも、少なくとも一回は気絶していいらしい。

「どうかしら? 用事が無いならこれでお暇させてもらいたいんだけどー?」
 永琳が尋ねてくる。
 なるほどね、戦闘に参加しないままでも、充分な援軍になるというわけだ。
 これ以上の引き伸ばしはムリか。
 これ以上皆を働かせるのは無理そうだ。確かに追い詰めはしたものの、きわどい状況と言っていい。
 少なくとも魔理沙の協力が無ければ負けていたのは事実だ。
 どうしよう。向こうの頭は便宜上鈴仙のままっぽいから、一騎打ち(デュエル)でも申し込んでみようか。
 互いに手の内は割れているし、手札もそろそろ尽きそうだけど。このまま全軍のぶつかり合いになるよりはスマートな気がする。
 正直、さっきの砲撃のダメージはまだ抜けていない。
 聴覚は回復してきたが、視覚はまだ半分といったところ。
 でも、あっちも飛ぶのがやっとのはず。なら、どうにかなるかな?
「さあ、返答を」
 しかし、永琳の問いに答えたのは私ではなかった。



「じゃあ……私も、混ぜてもらっていいかしら?」



 頭上に感じる負の気配に総毛だった。
「みぃつけた」
 魂が凍るような怖気に見上げれば、そこには和装の少女が浮いていた。
 少女の背後、快晴の空に引かれた黒紫の線がある。
 一同が見上げる中、その線はニヤリと開くと中から扇を吐き出した。
 ずるり、という動きをもって空に現れた扇は、蛹が羽化するかのごとく優雅に開いてゆく。
 空に浮かぶその姿は、遠近感を狂わせる大きさを持っていた。
 放たれる強烈な妖気に頭痛がしてくる。背後のメイドから苦痛の悲鳴があがった。
 畏怖の視線を受けた扇は、光をほろほろと零しつつ、開ききる。
 その扇の模様には見覚えがあった。
 秋だというのに桜の花の香りがする。
「マズイぞ! あれは……ヤツは!」
 誰かが叫び、その叫びで見入っていた、いや、魅入られていた全員が我に返った。
「『悪食』だ! 身を隠せ! 早く!」
「ゴーストフード、戦闘レベルで撒布!」「奴にそんな物が効くか!」「少しでも逸れればいい!」
「総員退避―!」

 それは冥界に棲む亡霊の姫。
 ソレは形を得た食欲。
 紅魔館厨房隊を壊滅に追い込んだ、戦術級無差別暴飲暴食魔。
 コードネーム『悪食』の名で呼ばれる、桜色の髪の少女の名は、
「西行寺……幽々子……ッ!」
 光の量が増し、扇の形がぼやけ出す。
 いや、それはただの光ではない。命そのものを蜜と吸う、死蝶の群れが放つ燐光だ。
 美鈴は新たな脅威に硬い唾を飲んだ。



 喧騒の中、慧音は周囲を見回す。
 現場はメイドも兎も関係なく、大混乱に陥っていた。
 無理も無い。触れるだけでも命を失いかねない幽冥の蝶が、空を覆うような群れを成して飛んでいるのだ。命知らずの多いと聞く紅魔館と言えども、山菜狩りで命がけというのはさすがに想定外であるらしい。
「八雲め! 日和ったか!」
 奴をこちらに送り込んだのは、八雲紫のスキマに相違あるまい。
 だが、慧音の叫びに応えるかのように、一枚の紙がひらりと落ちてきた。
 紙にはたった三文字、血文字で「ごめん」と書かれている。
「!」
 慧音の目には、その血が紫の物である事が読み取れた。
 何が起きたのかおおよそ見当がつく、が、怖くて歴史を開けられない。
 血の気が引き、顔が青褪めていくのが自分でも分かる。そこまでするのか西行寺幽々子!?
 次第に降りてくる大扇を睨み、慧音は唸った。



■●■



 ぎょっとした。
 突如として顕われた主の気配に、妖夢は気が付いたら森を飛び出していた。
「幽々子さまっ!?」
 探すまでも無く、向こうの山の上に見覚えのある大扇が浮いているのが見える。
 それだけで妖夢は大よその事情を察した。
 苦悩の表情の剣士は奥歯を噛んでいたが、天を仰いだ。
「月は……」
 空を探す。
「出ているか……!」
 薄く朧に見える白の影。
 日の光の中ではその輝きはあまりに弱かったが、この際贅沢は言っていられない。
 妖夢は背負っていた籠を半霊に押し付けると、左右に抜刀した。
 急がなくては。



■●■



 混乱しつつも、恐慌に陥らなかったのはひとえに訓練の賜物だろう。
 悪魔の館のメイドたちは、カリスマ溢れる幼き主君への忠誠心と、ちょっと口に出せない甘い邪念でもって踏みとどまった。
 単純な弾幕勝負でも主君とタメを張るあの亡霊が、最初から全力投球っぽいでテンション降りてくるのだ。
 正直な話、皆が逃げ出したいと思っているに違いない。
 矢面に立つ美鈴とて、下手すりゃ即死の攻撃を持つような相手とはやり合いたくはなかった。
 しかし、ここで逃げれば、無事に帰ったとしても直後に無事でなくなるのが分かっている。
 ほら、あんな所に射命丸がカメラを構えて浮いてやがる。
 報道の目に触れた以上、この事件は幻想郷の遍く全てに知れ渡る事に……はならないか、あの部数なら。
 ああ、でもこれだけの騒ぎだと、号外とか言って投げつけてくる可能性があるかしら。
 もしそうでなくてもこれだけ目撃者がいるんだから、敵前逃亡はあっという間に知れ渡るわよね。ああもう帰って花壇でも弄っていたい。

 西行寺は、その顔が視認出来る距離まで下りてきた。
 感情を窺わせないその気配は、まさしくオバケだ。得体の知れない相手ほどやりにくいものはないのだけど……、っていうか、なんでこれだけいっぱいいるのに、真っ直ぐ私の前に来るのよぉ!?
 確かに永遠亭は撤退中だったし、全体を見ていた私が少し高い場所に居たのも事実だけど、これってあんまりじゃない?
 いつだったかの宴会騒動の折、このオバケと戦う事にもなったが、あの時に味わった魂に冷たい手ガ触れるような感触は、出来れば二度と味わいたくなかった。
 あの感触をもう一度味わうのかと思うと、どうしても足が前に出ない。
 死蝶の燐光を見ているだけで背筋が寒くなってくる。
 私でさえこうなんだから、他の娘達はもっとひどいだろう。正直、よく踏みとどまってくれていると思う。
 背中に感じる信頼と期待の視線。
 迫り来る具体的な死の形に、脳内麻薬がドバドバと出てきた。幻聴の「めーりん」コールが聴こえてくる。

 紅美鈴は奮い立つ。
 しかし、その覚悟は思わぬ所から待ったが掛かった。
 それも必殺剣という形で。
 その技の名は、魂魄流奥義、待宵反射衛星斬という。



 まばたき一つの時間で、剣閃が戦場を駆け抜けた。

 それを知覚した瞬間、幽々子を見上げていた全ての者が叩き伏せられていた。
「な、なんなのよ! 一体!」
 紅髪の拳士は怒声と共に立ち上がる。
 白銀の気配の主は、探すまでも無く姿を見せていた。
 不意打ちを行ったとは思えぬ、堂々とした立ち姿。
 二刀を己が身とする半人半霊の少女剣士。

「お前たちに降伏を勧告する!」
 鋭い声は涼やかに響き渡る。
「今のうちに収穫物を差し出せば、これ以上の危害は加えないと約束しよう!」
 妖夢は一同が見上げる中、大扇との間に割って入った。
 いきなり殴りつけておいて何を言うかとも思うが、今の一撃は威力の乗った一撃とは言いがたい。
 どちらかと言えば傾注させる為の一打か。
「悪い事は言わない! 私だって幽々子様が暴れ出したら止める手立てなんかないんだぞ!!」
 しかし、凛とした立ち姿とは裏腹に、かなり慌てた様子の妖夢の声が降ってきた。
 ものすごい恫喝もあったものだと呆れ半分で見ていると、少し遅れて妖夢の半分、大きめの白玉も飛んで来た。
 でもなんで籠をブラ下げているのだろう?
 人間側はよく見ると半泣きっぽい上に、幽霊側もよれよれと縮こまっている。



 帽子を被り直した慧音は、静まった戦場を見渡した。
 妖夢の渾身の訴えが届いたか、はたまた空一面に青白く光る死蝶の群れに恐れをなしたか、抵抗しようという者は現れなかった。
 秋の風とは違う涼しさに、慧音も硬い唾を飲む。
 単体での戦闘力ではメイドや妖兎を遥かに上回る魔女達や、永琳ですら揃って沈黙している。
 納得はいかないだろうが、賢明な判断だと言えよう。
 この膠着状態が何時までも続くとは思えない。見境をなくした食いしん亡が暴れ出し、山を焼き払わない保障はないのだ。
 いや、焼くならまだいい。
 アレの能力は山一つを死滅させる事など造作もないのだ。不毛の山は秋の恵みを失い、全てが水泡に帰すという、誰も幸せになれない最悪の結末が訪れる事になる。
 それに、どの地域が霊夢の縄張りかは知らないが、もし巫女の生命線である山の幸を駄目にしたなどと知れたら、それこそ紅魔館+白玉楼+永遠亭vs博麗霊夢という事態になりかねない。そして勝つのは間違いなく霊夢だろう。
 戦い抜いた先には悲劇しかないと分かっていれば、ここで無用な争いをする必要はない。
 ゆるゆると全員が構えを解いていく。
 口惜しいが、いろいろなものを人質にとった西行寺の勝ちという事なのだろう。
 慧音の頭に、「北の外交」という言葉が唐突によぎった。
 乱暴極まりない交渉は、我侭を言った方の勝ちという風情で納得の行かないものがあるが、全てを道連れにするほどに見境を無くした食いしん亡に軍配が上がったのは認めざるを得まい。

 戦場の熱が冷め、なんとなく諦めムードが漂い出した。
 このまま収束しそうな気配の中、最後の乱入者が現れた。





「どうやら、お困りのようですわね?」





 いつの間にそこに居たのか。
 空に、最初から居たというくらいの自然さでスキマに腰掛けている八雲紫の姿があった。
 八卦と対極、朱色と藍色。
 様々な要素を載せた服に豪奢な日傘。
 妖しく微笑んでいるであろう口元を隠す優雅な扇。
 ただ一点、いつもと違うのは頭に包帯を巻いている事か。深淵の如き見通せぬ瞳は、今は片目が隠れている。
 その理由を一人知る慧音は、自分の予想が正しかった事に、ただ戦慄した。

「紫さま!?」
「八雲紫!? 今頃何の用だ!」
 叫んだのは妖夢と美鈴だったが、居合わせた者全ての疑の視線が中空に在る一人の少女に集まる。
 その視線には、
『なにしに来やがったこのスキマ』
 と書いてあるかのような、明確な迷惑の視線である。
 永琳、幽々子に続く実力者の乱入に、それまで頑張って戦っていたメイドや兎達は、完全にやる気をなくしていた。
 あんな反則級の連中の相手など、真面目にするだけ損だからだ。
 そんな視線には応えず、八雲紫は微笑むままに左手に持つ傘を閉じた。
 そのまま天高く掲げると傘の先の飾りが光を放つ。
 せっかく場が収まりかけたのに余計な事すんじゃねぇ、という声なき声は届かず、紫はおもむろに身を翻すと滑るような動きで前進した。
 紫は左手で傘を突き出したまま秋の空を駆け、光の軌跡を描き、戦場のど真ん中に傘を突き刺した。
「!?」
 快音と共に、何も無い空間に傘の先端が確かに埋まり、そこからあふれる光が戦場を一直線に走り抜けた。

 静寂。

「……?」
 誰もが直後の弾幕を想定して身構えたが、何か起こる気配はなかった。
 遅延型か? 不発か? 戸惑いが生まれ、不審と疑念が産声をあげる寸前に、空間そのものが脈動した。
『――』
 水面に波紋が生まれるように、空間が波打つ。
 一度だけではない。二度、三度と鼓動を打つかのように空間そのものが鳴動する。
「!?」
 先程光の奔った跡が、静かに裂けた。
 ゆっくりと開いていく。
 距離にして約一キロ。
 僅かな切れ目は瞬く間に広がり、突然現れた空間断裂はまるで峡谷のような威容となった。
「こ、これは……!?」
 峡谷の中は認識できない色で満ちていた。
 一つ一つの色は分かるが、混然としているソレは、脳が、意識が理解を示そうとしない。
 そしてその奥は見通すことの出来ない極彩色の、闇。
 その闇を皆は思わず覗き込んでしまい、魂を抜かれたかのように動きを止めた。
『……』
 無数の、無数の目が開き暗闇のマーブル模様の中で瞬く。
 全員の目が、中に散在している瞳と合った。
「お」
 魅入られたように動きを忘れた一同は、抵抗する間も無く巨大なスキマに吸い込まれる。

「ごあんなーい♪」

 慧音は、闇に落ちながら紫の楽しそうな声を聞いた気がした。



■●■



まだ続きます。

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コメント



0.1040簡易評価
1.70名前が無い程度の能力削除
序ではちっと長いかなぁと思っていましたが、遭で段々楽しくなってすらすらと読めました。
鈴仙と美鈴の戦闘が楽しそうでしたー。
続き、期待しています。
3.90名前が無い程度の能力削除
続きとっても気になります。
5.80某の中将削除
地の文からキャラの一人一人に至るまでノリノリで、実に楽しそうな幻想郷ですな。

これでまだ続きがあるというのだから恐ろしい。
でも楽しみです。
8.100三文字削除
続きが続きが気になるぅぅ!
というか、色々とネタが・・・・・・
縦一文字切りってどこの勇者ロボだ。冒頭の降下するメイドはどこのジオン兵だ!
というか美鈴強!鈴仙凄!そしてかっこいい!
あと、恥ずかしがる鈴仙可愛いよ鈴仙
半泣きの妖夢もかわいいよ
まあ、色々と言いたいことは多いですが、最後に一つ。
永遠亭の最終手段の所為で画面がが大変です。
コーヒーとディスプレイ代を要k(ry
10.100Admiral削除
ははは、こやつめ!

鼠は戯れの出来ぬ男よ!

おもしろすぐる。
20.無評価削除
>名前が無い程度の能力さん
ここで約半分なんですが、そう言って頂けると助かります。
争いの発端がしょうもない理由なので、殺伐とした戦いにはしにくいですね。
なんというか、余裕を忘れないように。

>名前が無い程度の能力さん
どうでしたでしょうか。ここでまだ50%くらいなんですけど。

>某の中将さん
この回は「楽しく明るく」で。
次でちょっと、ね。

>三文字さん
実はここまでを投稿したところで寝オチしまして……
お待たせしてスミマセン。
ネタはあれこれ詰め込んであります。分からなくても流せるように書いたつもりですが、知ってると笑える部分もあると思います。

>Admiralさん
戯れなれば、当て身にて……
22.100名前が削除
しかし、これで今までずっと水面下で続いていた鈴仙×文フラグはご破算ですかね・・・。