□Opening□
夕暮れ時。
秋から冬へと移り変わろうとする風に揺られて。
気が付けば私は此処にきていた。
「今日も来ちゃった、か」
小さな声で呟き、俯いていた顔を上げる。
目の前にはあの黒い魔女の家。
私は深いため息を一つ吐くと、いつものようにドアをノックした。
返事は無い。
これもいつものこと。
私が訪れる時は大抵魔理沙が実験中や魔導書に没頭していたりする。
私はこれまたいつものように鍵の掛かっていないドアを開け、中に入った。
「魔理沙。入るわよ」
「あー?アリスかー?ちょっと今手が離せないから勝手に入ってくれ」
奥の部屋から魔理沙の声が聞こえ、言われた通りに勝手にお邪魔することにした。
いつも持ち歩いている魔導書を左肩に下げているバッグに入れ、傍に待機させていた上海人形を腕に抱き、歩き始める。
相変わらず様々な蒐集物が放置されている廊下を足元に注意しながら、私は魔理沙のいる部屋へと向かった。
いつからだろうか
魔理沙の家に来るのが当たり前になったのは。
そして
いつも勝手に人の家に来て
(遊びに来たぜ)
いつも私を困らせて
(これ、もらっていくぜ)
いつも私を怒らせていた魔理沙に
(悪い。この前借りたヤツ失くした)
―惹かれていったのは。
「・・・困ったものね」
来たときと同じように小さく呟き、私は部屋へと入る。
中では魔理沙が蒐集物の山に四つん這いになって身体を半分ほど埋もれさせていた。
派手な音を立てながらもぞもぞと身体を動かすその姿はひどく滑稽に見える。
私は思わず笑い出してしまいそうになるのを堪え、なるべく自然に話しかけた。
「何やってるのよ?」
「見ての通りだぜ」
「いや、解るけどね」
「まぁ無いものは仕方ないか」
そう言って私にはガラクタにしか見えない蒐集物の山から這いずり出る。
いつもの帽子は頭の上には無く、服に付いた埃を落とすと明るい元気な顔を見せ、椅子に座った。
私も向かい合わせで椅子に座ると上海人形を膝の上に乗せ、バッグを床に下ろす。
見慣れた魔理沙の部屋。
相変わらず魔導書が至るところに散乱していて、窓際にあるベッドの上にも、目の前にある小さな円形テーブルの上にも無造作に何冊も積まれていた。
私はそこから一冊選ぶと、適当にページを捲っていく。
魔理沙も椅子の足元に放置してあった一冊を手に取ると、栞を挟んでいたページを開いた。
「そういえばさっき何を探してたの?」
私は書の文字を目で追いながら話しかける。
「あぁ。実験で使おうと思ってたヤツをな」
魔理沙も書からは目を離さずに答えた。
「またろくでもない実験?」
「見事に人の役に立つ実験だぜ」
「・・・なるほど。見事に人に迷惑をかける実験ね」
「まぁそんなとこだ」
「否定しないのね・・・」
私は呆れてそう答えると書に集中する。
魔理沙もそれ以上言葉を発することは無く、書に没頭していた。
静寂が二人の間を満たしていく。
時折聞こえるのは紙の擦れる音だけ。
無言で
退屈で
平穏で
安らかな時間
そんな私達だけの空間を秋の夕暮れが朱に染めていった。
□Thank You□
どれほどの時間そうしていただろう。
不意に私は喉の乾きを覚え、紅茶の葉が入った瓶をバッグから取り出した。
書に集中している魔理沙に見えるようにそれを目線まで持ち上げ軽く振り、わかっていながらも尋ねる。
「紅茶、持ってきたんだけど飲む?」
「あぁ、頂く」
「そう」
「ついでにそこの棚にクッキーがあるぜ」
「はいはい・・・戻るまでにそのテーブルの上。なんとかしときなさいよ」
これもいつものやりとり。
此処に来るといつの間にか私が紅茶を淹れるのが自然になっていた。
私は書に栞を挟んでテーブルに置き、上海人形を抱いて立ち上がる。
そして足元に散らばる魔導書や蒐集物に気をつけながらキッチンへと向かった。
キッチンに着くと私は戸棚からガラスと陶器のポットを取り出し、陶器のポットを火にかける。
そしてお湯が沸くまでの間、上海人形の手入れをする為にキッチンの隅の方へと移動した。
そこには邪魔にならない程度に、私が持ってきた小さな椅子の上に人形の手入れをする為の道具箱が置いてある。
魔理沙にはあらかじめ釘を刺しておいたのでそれらが勝手に触られる事は無かった。
私はその椅子に座り、膝の上に再び上海人形を乗せ、小さな櫛を取り出して髪を優しく梳いた。
服やリボンにも多少のほつれが見られたので糸と針を取り出し、繕っていく。
―魔理沙の家での私だけの時間
家で一人そうするのとは何かが違うこの時間を私は気に入っていた。
やがてお湯が沸き、私は二人分の茶葉を瓶から取り出すと予め温めておいたガラスのポットにそれを入れ、陶器のポットからお湯を注ぐ。
そして数分間茶葉を蒸らした後、静かに二つのカップに注いだ。
白と青が交じり合うような模様の入ったカップからは紅茶の良い香りが漂い、私の鼻をくすぐる。
このカップも私が家から持ってきたもので、最初の頃は持って帰っていた。
だが次第に魔理沙の家に来る機会が多くなったこともあり、面倒なので置いておくことにしたのだった。
私は上海人形を傍に待機させ、トレイに二つのカップを乗せるとゆっくりと魔理沙の元へ向かう。
リビングに戻るとテーブルの上は綺麗に片付いており、皿に小さなクッキーも既に用意されていた。
そしてそれに先に手を付ける事なく魔理沙は静かに書を読んでおり、私が先ほど読んでいた書もテーブルの上に残っている。
他にもあちこちに散らかっていた書は本棚に仕舞われ、蒐集物も部屋の隅に纏められていた。
内心では驚きながらも私はいつものように話しかける。
「あら、たまには気が利くじゃない」
「まぁな。なんとなく気が変わったから片付けるついでに私が用意したんだ」
「そう。それじゃ早速お茶にしましょうか」
「あぁ、冷めちゃもったいないしな」
そう言って魔理沙は読んでいた書に栞を挟み、足元に置く。
私はカップを二人の席に置き、トレイをテーブルに立て掛けて椅子に座るとカップを持った。
魔理沙も私のその様子を見てカップを持つ。
そしてほぼ二人同時に紅茶を啜った。
テーブルの上には二色のクッキー。
私が用意する事もあれば、魔理沙がいつの間にか用意している事もある紅茶のささやかな楽しみ。
それに魔理沙が先に手を伸ばし、黒い色をしたクッキーを一つ摘まんで口に入れる。
満面の笑みで味を確かめるその顔を見ながら私も同じものを一つ口に運んだ。
甘いミルクとココアの味が口の中に広がり、それなりに美味しい。
私は紅茶を啜るともう一つ、今度はきつね色のクッキーを味わった。
「美味いか?」
不意に魔理沙がこちらを見ながら聞いてくる。
その瞳には期待と不安が入り混じっているのが見えた気がした。
「そうね。悪くはないわ」
クッキーは全部星型だったが不揃いで、中には少し焦げているものもあった。
味もとびきり美味しいというわけでも無く魔理沙らしく普通だ。
折角魔理沙が作ってくれたのだから、お世辞の一つでも、とも思う。
だけど下手なお世辞よりもなんとなく素直に言いたい事があった。
今日の私はちょっと変かもしれない。
でも今日言っておかないと、次に言える機会が何時来るか解らないと私の直感が訴えている。
「もうちょっとマシな感想はないのか」
魔理沙は困ったような顔をして涼しい顔で紅茶を啜っている私にそう言った。
「そうねぇ・・・見た目ほど酷くない」
もうちょっと困らせてみたくてそんな意地悪を言ってみる。
狙い通りに困ったような怒ったような顔を魔理沙は見せ、自作のクッキーを一つ指で摘まむ。
「折角今日も来ると思って用意したのに、そりゃないぜ」
少し不貞腐れてそっぽを向いたその横顔を見つめながら
―いつもありがとう
ぽつりと
決して大きな声では無かったけれど
いつも思っていて
いつも伝えたかった
その言葉が言えた。
ずっと一人だった私を
ずっと人形だった私を
いつも笑顔にさせてくれて
―ありがとう
今度は心の中でもう一度、そう呟いた。
「へ?」
魔理沙はぽかんと口を開けて私を見る。
余程不意打ちだったらしく、食べようとしていたクッキーをテーブルに落としていた。
どこか照れくさい私は残っている紅茶を飲み干してカップを置き、クッキーを一つ摘まんで開けっ放しの魔理沙の口に放る。
「いつまでそんな顔してるのよ」
「え?あ、あぁ」
生返事で頷き、口に入れられたクッキーを咀嚼する。
飲み込んだ瞬間にあまり噛んでいなかったクッキーの欠片が喉に張り付いたらしく、咽ていた。
涙を浮かべながら咳き込み、紅茶を一気に飲み干して恨めしそうに私を見る。
そんな魔理沙の様子を一通り楽しんだ私は、再び紅茶を淹れる為に二人分のカップを持ってキッチンへ向かうのだった。
□Rainy Night□
すっかり日が沈んだ室内をランプと暖炉の淡い光が照らす。
紅茶を終えた後も私と魔理沙は相変わらず書を呼んでおり、時間のことなどすっかり忘れていた。
私は殆ど読み終えた書を閉じ、荷物を纏めて立ち上がる。
「随分長居しちゃったわね。そろそろ帰るわ」
「そうか?なんなら夕飯も一緒にどうだ?」
正直嬉しい誘いだったが、今日の私はどこかおかしいので遠慮しておこうと思った。
これ以上一緒にいれば私は。
秘めている想いさえも、伝えてしまいかねないから―
「どうせ私に用意させるつもりなんでしょ?」
「バレてたか」
そう言って舌を小さく出しながら頭を掻く。
冗談で言ったつもりだったのだが、本当にそのつもりだったらしい。
魔理沙は大げさにため息を付いてみせると、大きく肩を落とした。
私は後ろ髪をひかれながらもそんな魔理沙に別れを告げ、玄関へと向かう事にする。
見送ってくれるらしく、魔理沙も書を閉じて立ち上がると私の隣まで近寄ってきた。
二人並んで狭く薄暗い廊下を歩いていく。
蒐集物が壁側に寄せ集められている為、二人の肩が触れ合いそうになる。
この距離だけは魔理沙の家に慣れた今もどこか落ち着かない。
それでも私はそれを表に出す事無く、平静を装う。
魔理沙もそんな私には気付いていない。
―それでいい
互いの想いが同じなら今よりもっと、私は幸せになれるだろう。
だけどそうでなかったら、今の関係は壊れて元には戻せないだろう。
もう二度と魔理沙と笑い合える日々は来ない。
それは形容しがたい恐怖にして耐え難い苦痛。
私は再び人形に戻って一人朽ちていくのを待つだけになる。
陰鬱な気分になった私は魔理沙に今の顔を見られないように俯いて歩いた。
「・・・あれ?」
不意に魔理沙が変な声をあげて足を止めた。
数歩先に進んだ私は自然な顔を作って振り返り、尋ねる。
「どうしたのよ?」
「いや、雨降ってないか?」
「え?」
耳をすませてみると確かに小さく雨音が聞こえてくる。
そしてそれは次第に強くなっていき、数分と経たないうちに夕立のような強さへと変わっていった。
勿論私は傘など用意している筈もない。
「参ったわね・・・」
「ここまで酷いと傘も役に立ちそうにないな」
魔理沙は窓から空を見上げ、いつの間にか手に持っていた傘を蒐集物の山へと放り投げる。
「ま、止みそうにないし。夕飯よろしく頼むぜ」
「・・・結局そうなるのね」
「秋の空は乙女だな」
「女心と秋の空」
「貪欲の秋」
「食欲。魔理沙、わざとやってるでしょ」
「私は普通だぜ」
「私から見れば十分変わってるわよ」
「アリスは無駄に派手だからな」
「単色よりマシ」
言葉遊びのような会話をしながら私達はリビングへと引き返していく。
戻る間も雨粒は強く屋根を叩き、派手な音を響かせていた。
リビングに戻ったところで私はバッグと上海人形を椅子の傍に降ろし、エプロンを着ける。
魔理沙には部屋の真ん中のテーブルを片付け終わったら手伝いに来るよう言いつけておき、私はキッチンへ向かった。
食材庫から頭に浮かんだレシピの野菜と肉や調味料を取り出し、調理器具を用意していく。
一通りそれらを出し終えたところで魔理沙がやってきた。
「和食で頼むぜ」
「残念ながら洋食よ。魔理沙は野菜をお願い」
そう言ってじゃが芋と人参を渡し、私は鶏肉の余分な部分を取り除いていく。
魔理沙もじゃが芋の皮を剥くと食べやすい大きさに切り、ボールの水につけていった。
「ところで適当に切っているが何を作るんだ?」
包丁を動かしながら魔理沙が私に尋ねる。
「材料で解らない?」
私は包丁で玉葱を薄切りにしながらそう答えた。
「さっぱり」
「冬になると食べたくなるものよ」
鍋にバターを溶かし、中火で肉を炒めていく。
「お雑煮」
「それはお正月で和食。しかも御餅なんて出てないじゃない」
「白いご飯に合うヤツだよな」
「人によるけど・・・私はパン派ね」
そんなやりとりをしながら調理を進めていく。
魔理沙が野菜を全て切り終えたところで鶏肉とスープを煮ていた鍋に火の通りにくい順に入れていく。
私はその鍋のアク取りを魔理沙に任せ、もう一つの準備を始めた。
用意しておいた厚手の鍋を温めバターを溶かし、それに小麦を振り入れて木べらで混ぜる。
「どのくらい取ればいいんだ?」
魔理沙はいつの間にか持ってきた椅子に膝立ちになりながら鍋を覗き込みながら呟いた。
「そうね・・・十五分くらいかしら」
鍋の中のバターと粉が色づかないように混ぜながらそう答える。
「退屈だぜ」
「もうすぐこっちの用意が終わるから。そしたら替わってあげるわよ」
「そいつはありがたい」
それきり言葉を交わすことは無く、全ての用意が出来上がったところで私は魔理沙をリビングに戻らせた。
しばらくすると鍋からコトコトという音と食欲をそそる香りが漂い、後数分で出来上がる事を私に告げていた。
私は皿を数枚用意して夕方と同じように椅子に座り、鍋に注意しながら雨音に耳を傾ける。
(止む気配はまったく無いわね・・・)
相変わらず雨は屋根を激しく叩き、時折吹き付ける強風が窓をガタガタと揺らしている。
雨くらいならば多少濡れるのを我慢すればなんとかなるのだが、風まで出てくると話は別だ。
慣れている者でなければすぐに迷う森を暗闇とこの悪天候の中飛んで帰るのは魔力を消耗するし、折角手入れをした人形と大切な魔導書が雨で濡れてしまうのも避けたい。
だが何時までも此処にいれば私はきっと―
気持ちが矛盾している。
早く帰らなければと思う私と
―だってそうしなければきっと伝えてしまうから
まだ此処にいたいと思う私。
―だってそうすればもっと魔理沙と過ごせるから
そんな対極の私が互いに主張しながら狭間で揺れる今の私を磨耗させていく。
私は軽く頭を振って不毛な思考を振り払うと椅子から立ち上がり、出来上がったシチューを皿に盛り付けた。
今は魔理沙との夕飯を楽しもう。
そう決めて私は別な皿に魔理沙が滅多に食べないパンを数枚載せた。
帰るか帰らないか、それは夕飯の片付けが終わった頃にでももう一度考えればいい。
二人分の夕飯を運びながら私はそんなことを考えていた。
□Pain□
二人で夕食を終えて、紅茶ではなく緑茶を向かい合わせで啜る。
昼間のお返しに魔理沙が用意した、ということは無く食器の後片付けをしながら魔理沙のリクエストで私が淹れたものだ。
雨は相変わらずの強さで降り続けていて、結局答えの出せなかった私は未だに身動きが取れないでいる。
もてあました時間を私は再び書を読んで潰していた。
魔理沙も魔導書ではない本を本棚から取り出して読んでいる。
それが外の世界の本なのだという事はなんとなく解ったが、タイトルはカバーで隠されていて見えなかった。
時間だけがゆっくりと静かに過ぎていく。
無為な時間は押さえ付けていた私の想いを増大させ、胸を軋ませる。
今まで積み重ねてきた様々な日々が脳裏をよぎっては糸のように絡み合っていく。
「こいつは今日中に止みそうにないな」
「そう、みたいね」
魔理沙と僅かな会話をしている間も私の思考は縺れていた。
心此処に在らずといった感じで適当な相槌を返す。
「夕方の罰だな、きっと」
「・・・あんたの普段の行いが悪いからよ」
「違いない」
私の胸中とはまったくお構いなしに魔理沙はそう言って楽しげに笑う。
ちょっと悔しくなった私はそっぽを向いてお茶を啜った。
(人の気も知らないで、そんな顔見せないでよ・・・)
心の中でそんな恨み言を呟きながら俯く。
雨なんか降ってこなければ私はあの時すぐに帰れたのに。
風なんか吹いていなければ私は濡れるのを我慢して帰ったのに。
さっさと帰っていれば。
―こんなに胸は痛くならなかったのに
いつもと同じ夕暮れ。
いつもと違う紅茶の時間。
談笑しながら過ごした夕食。
今日の心地よかった時間達。
それらを思い出す度に心が締め上げられていく。
思わず熱くなってくる目頭を、私は歯を食いしばって堪えた。
「大丈夫か?アリス」
「・・・っ!?」
驚いて顔を上げるとそこには心配そうに私を見る魔理沙が立っていた。
席を離れたことに気付かないほどに私は動揺していたらしい。
すぐになんでもないと否定したが信じてはもらえず、魔理沙は私の顔を覗き込んできた。
私はその瞳をまっすぐ見つめ返す事が出来ず、固く目を閉じて再び俯いてしまう。
「どこか具合でも悪いのか?」
「・・・ちょっと疲れているだけよ。そんなに心配しないでいいわ」
「そうか?だったら今日は泊まっていけよ。無理に帰らせて倒れられでもしたら寝覚めが悪いぜ」
「・・・・・・・・・」
その言葉を聞いたとき、純粋に嬉しかった。
しかし今の私ではその提案を受け入れる事も拒絶することも出来ず、押し黙ってしまう。
そんな黙っているままの私の頭をぽんぽんと軽く叩くと魔理沙は私の傍を離れた。
「とりあえず風呂と寝巻きを用意してくるからしばらく待っててくれ」
「・・・え?ちょっと、勝手に―」
慌てて魔理沙の姿を探すが既にリビングには居らず、私は一人深い溜息を吐くと片手で顔を覆った。
こうなってしまった以上、覚悟を決めるしかない。
魔理沙の好意を無駄にするわけにもいかないし、変に意識せずに普段通りにしていればなんとか一晩くらい乗り切れるだろう。
窓の外を眺めながら自分にそう言い聞かせ、気持ちを切り替える為に魔導書の残りのページを読み進めていった。
「先にアリスが入っていいぞ」
魔導書を丁度読み終えた頃、魔理沙が風呂場から戻ってきた。
私にバスタオルを渡すと自分の席に着く。
「そう?一番風呂が好きそうなのに意外ね」
「まぁな。今日は温泉が使えないから内風呂を使ってくれ」
そう言って先程読んでいた本を開く。
私は魔理沙から場所を聞きだすと風呂場へと向かった。
脱衣場に用意されていた籠に衣服を入れ中へと入る。
「はぁ・・・今日は厄日かしらね」
髪と身体を洗い終えて、のんびりと湯船に浸かりながら呟く。
熱いお湯は憂鬱な気分を落ち着かせ、身体に心地よい疲労感を広げていった。
悩みなんて無いはずの私が、普段より長く此処に居ただけで心と身体を磨耗させている。
私は天井を仰ぎながら身体を伸ばすと長く溜めていた息を細く吐き出していった。
「いい機会だし・・・寝込みを襲ってみる?」
自分で自分に問いかけて失笑する。
それでは順序が逆だ。
馬鹿な考えを隅に追いやり、湯けむりを見つめながら頭の中を空っぽにしていく。
どのくらい呆けていただろう。
不意に魔理沙の顔が頭を過ぎった。
その顔が眩しいくらい笑顔で、再び私の心をかき乱す。
「あぁもうっ!!魔理沙の馬鹿っ!」
リビングの魔理沙には聞こえない様に小さく叫んで湯船に顔を沈めた。
目を硬く閉じて息を止め、限界になったところで勢いよく顔を湯船から出す。
「・・・どうか私が魔理沙を襲いませんように」
信じてもいない神様にそう祈ると私は風呂場を後にするのだった。
□Happiness□
私は八卦炉から出る温風で髪を櫛で梳かしながら乾かしていく。
魔理沙は既に髪を乾かし終わり、私に温風が出たままのこれを渡すとベッドの上でくつろぎ始めた。
日常生活にも使えるなんてつくづく便利なものだと思う。
鏡の中の私は無表情だったが胸は破裂しそうなほど高鳴っていた。
魔理沙が風呂場から戻ってきた後、ベッドに二人で寝ると言い出したのだ。
確かに大きさから言えば不可能ではないが、風呂場での事を思い出すと笑うに笑えない。
「魔理沙。これどう止めるの?」
髪を乾かし終わった私は魔理沙に尋ねる。
その声は多少上擦っていたが、魔理沙は気にも留めずに私から八卦炉を受け取ると風を止めた。
「さて。それじゃさっさと寝るとするか」
「え?!あ、うん。そ・・・そうね」
魔理沙の不意打ちに思わずそう答えてしまい後悔する。
私は心の準備すら出来ないまま、ベッドに横たわる事になってしまったからだ。
魔理沙は私を先にベッドに入れようとする。
慌てて魔理沙に先を促すが、私が先にベッドに入らないと落ち着かないと言って引かなかった。
心配してくれるのは素直に嬉しいのだが、少しは私の心労も考えて欲しい。
結局先に折れたのは私の方で、ベッドの片側に潜り込むと布団で顔を覆った。
それを見届けてから魔理沙も私の隣に入ってくる。
私は魔理沙とは反対側を向いて目を閉じた。
「それじゃおやすみ。そっちが目が覚めた時にでも起こしてくれ」
そう言って私に背を向ける気配が背後でした。
正直助かった。
もし魔理沙の寝息が私の背中に掛かっていたら私の自制心はガラスのように砕け散っただろう。
私は少し安堵して眠りに入る為に意識を手放そうとする。
中々寝付けないので新しい人形の洋服でも考えてみた。
何個か考えても寝付けないので今日読んだ魔導書の中身を思い出す。
それでも駄目なので羊の数を数える。
だが千を越えたあたりで魔理沙の寝息が聞こえ、急激に目が冴えた。
(・・・全然ダメ・・・)
布団の中で深く溜息を吐く。
これで今日何回目だろうか。
溜息だらけの自分を自嘲しながらなるべく魔理沙の事を考えないように意識を手放そうとする。
ようやく思考がまどろみ始め、眠れそうになったところで突然魔理沙が寝返りを打った。
「・・・・っ?!!?!?!」
思わず声が出そうになるのを堪え、過剰に鼓動する胸を両手で押さえた。
ようやくそれが収まりかけたところで今度は私に擦り寄ってくる。
本当に胸が破裂するかと思った。
ひとまず深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。
なんとか冷静さを取り戻したところで今度は魔理沙の寝顔が気になってしまった。
(やめなさいアリス。絶対ダメよ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・でも)
ちょっとだけなら、と思った時にはもう既に私は好奇心に負けていた。
身体は勝手に魔理沙の方へ向きを変えようとしている。
私はほんのひとかけら残った理性で目を硬く閉じた。
完全に身体が魔理沙に向いたところでもう一度深呼吸をし、恐る恐る目を開いていく。
「・・・・・!!」
目を開けると魔理沙の寝顔が間近にあった。
ほんのちょっと私が魔理沙に擦り寄れば額が触れ合う程の距離。
穏やかに眠るその魔理沙の寝顔は―
寝顔は。
「・・・ぷっ」
口がだらしなく開ききっており、さも幸せそうに寝ていた。
その寝顔があまりに間抜けで幸せそうで、さっきまで必死に耐えていた自分が馬鹿らしくなってくるほどだ。
もし魔理沙がもっと可愛らしい寝顔をしていれば、欲望に負けて何をしたか解らない。
それくらい今の魔理沙の寝顔は普段通りの魔理沙で、今日一日の苦悩を吹き飛ばすには申し分無かった。
魔理沙が起きないように声を落とし、私はしばらくの間笑い続ける。
そしてどこか吹っ切れた私は魔理沙に身体を寄せた。
「・・・ほんと。馬鹿みたい」
笑顔のまま、声を落として呟く。
「あんたはいつもそうやって、私を笑わせてくれるわ」
額を触れ合わせ目を閉じる。
不思議な程に心は落ち着き、魔理沙のぬくもりが心地よく感じる。
―あぁ、今なら
きっと言える
「魔理沙」
私が大好きなその名を呼んで。
「・・・・・・・・・・・」
ずっと想い続けたその言葉を囁いた。
その瞬間。
唇にそっと何かが触れた。
驚いて私は目を開ける。
「私もだぜ」
魔理沙が私の瞳を真っ直ぐ見据えてそう告げる。
そしてもう一度唇を重ねてくる。
「・・・・・・・・ば、かぁ・・・」
唇が離れた後、私は消え入る声で呟いた。
「わ、わたし、が・・・・どれだけ、想ってたか・・・わ、かる?」
私はしゃくりあげながらみっともなく泣き出す。
声はもう抑えることが出来ず、両手で顔を覆っても涙は溢れ出ていく。
そんな私の頭を魔理沙は胸に抱き寄せた。
「ちゃんとわかってるって。だからもう泣くな」
「ぅ・・・っく、無、理に・・・・決まって、る・・・・でしょぉ・・・・・・・っ」
もう何がなんだか解らなかった。
ただ嬉しくて嬉しくて。
ひたすら泣き続けた。
全然泣き止まないそんな私を魔理沙は優しく抱き締める。
魔理沙から伝わる体温がとても心地よくて。
私は泣き疲れて眠るまでその熱を逃がさないようにきつく抱き付いているのだった。
□Hello New Days□
昨晩の雨と風が嘘のように、空は快晴だった。
太陽の光がカーテン越しに私達を照らす。
目が覚めたときは昨晩が全て夢だったのではないかと心配だった。
だが魔理沙の体温がすぐ傍に感じられた瞬間にそんな疑念は吹き飛び、私は理由もなく頬が緩んだ。
ベッドから半身を起こし、朝の光を浴びる。
「ん・・・・んん」
魔理沙も眠りから覚め、大きな欠伸をしながら目を擦り、身体を起こした。
「アリス」
「魔理沙」
お互いの名を呼び合い、見つめ合う。
今までの平穏な日々は今日で壊れる。
その代わりに今日からは新しい幸福な日々が始まる。
私はそんな想いを込めて。
魔理沙はそんな私の想いを受け止めて。
「「愛してる」」
二つの声でその言葉を紡いだ
END
王道的なストーリーながらも魅せられました。甘い、甘いよ!
最近、ネタなアリスしか読んでいなかったので、この作品は清涼剤になりました。素敵な時間をくれた作者さんに感謝を。
なぜそうなる?という不自然な点が無く、自然なのが良かった。ネタで多いツンデレじゃないのも嬉しかったです。
それも砂糖の様な直な甘さじゃなく、噛めば噛むほど甘くなるみたいな感じです。
最近甘い作品見てなかったから、感謝です!
甘すぎて死ぬ
神綺様・・・
恋の神様ということでどうか一つ・・・OTL
それもただ単に甘いカプssってだけでなく、口溶けの良い甘さでした。
魔理沙視点とかも読んでみたいですね。
ごちそうさまでした。
甘すぎて死にましたけどw
ストーリーの流れも申し分無し、最後の「お互いの名~受け止めて。」の辺りは切なさと幸せが相まってこみ上げてくるようで絶妙。
惜しむらくは、小説としての体裁を守りきれてない危うさであろうか。
マリアリが好きな私は堪らない一品です。
魔理沙もアリスの気持ちを知ってて一緒に寝ようと誘ったのでしょうね。
突然の雨に感謝です。
…GJ!