ここは、無限の竹林の奥に、静かに鎮座する一軒の屋敷。
近頃はめっきり秋も深まってきて、ここに住まうもの達の日課にタケノコ採取と、晩ご飯にはタケノコやきのこご飯が増えてきた頃。
――相変わらず、病院は盛況だった。
「ねぇ、鈴仙さま」
「何?」
「最近、私は思うんですよウサ」
「……え?」
「いや、何かネタとして使われているから喋ってみました。……あんま私のキャラじゃねぇな、これ」
「出てる! 何か黒いものが出てるよ、てゐ!」
てっきり、普段、他人の前じゃ、あんまり出さない本性出してしまっていたてゐに対して、鈴仙・優曇華院・イナバが、ちょっぴり引きつった声を上げた。
「あれ、そうですか?」
「キャラ変わりすぎっていうか声のトーンまで変えるな怖いから」
「……くっくっく」
腹黒うさぎは、心の底から『楽しそう』な笑みを浮かべた後、まぁ、それはともあれとして、と重大事項をあっさり横にのけてくれた。
彼女は、永遠亭の入り口に据え付けられた『お客様』用の受付についている椅子に座って、足をふらふらさせながら、
「医者と軍人と葬儀屋は閑古鳥がいい、って言うじゃないですか?」
「まぁ、そうだね」
「でも、その職業を自活手段としている人にとっては、それって致命的ですよね」
「まぁ、そんな職業、ない方がいいけどね」
いわば、これらは人様の不幸に、言い方は悪いが『つけ込む』商売である。
なくてはならない必須なものなのだが、出来ることなら関わりたくないというものを商品として商いをしていると言うことは、やはり、色々とアレだろう。とはいえ、この幻想郷でも、例外なく、この三つの職業は必須なのは言うまでもない。
「だから」
「うん」
「いっそのこと、永遠亭でみんな受け持っちゃうってのはどうですかね」
「何が『だから』なのかがわからないんだけど」
「戦争が起きる→永遠亭出動ウマー→けが人出る→病院ウマー→死人が出る→葬儀屋ウマー&永琳さまが生き返らせちゃえば病院もウマー。
ほら、三拍子! 花丸円満解決ですよ!」
「……あんたね」
確かに、てゐの理論で行くなら、その利益の全てを永遠亭が独占できると言うことにはなるだろう。
しかし、あまりにもあんまりではなかろうか。
つい先ほどまで、これら三つの商売は閑古鳥が鳴いているくらいがちょうどいいという話をしていたのに、いきなり、その商売を使ってもうける算段を整えているてゐの計算高さと、ついでに腹黒さには、鈴仙も脱帽だった。
「よし! 今度の永遠亭会議で提案しよう!」
「即座に却下されると思うけど」
「そこで、鈴仙さまにご協力をお願いします」
「……何?」
「いや、何、ちょっと組織票の手伝いを……」
「そこの黒イナバ。ちょっといいかしら?」
後ろから、唐突にかかる声。
てゐの顔が、一瞬で、ぴきぃっ、と引きつった。恐る恐る振り返れば、そこには、永遠亭の裏の主、蓬莱山輝夜が立っている。どうやら、彼女、てゐの悪巧みを聞いていたのか、こめかみには青筋が浮いていた。
「あ、あの……なんでしょう……輝夜さま……」
「別に何でも。
ただね、ちょっと今、時間をもてあましているの。せっかくだから、将棋にでも興じようと思うから、付き合いなさい」
「あ、ああああああのいいいいいいいやその、わ、私、将棋は……!」
「この前、イナバを完膚無きまでに叩きのめしたのでしょう? 付き合いなさい」
「いやーっ! 助けて鈴仙さまへるぷみーっ! へるぷみーぷりぃぃぃぃぃずっ!」
ずるずるずる……。
屋敷中にこだまするてゐの悲鳴が、徐々に遠ざかっていく。もちろん、鈴仙は彼女を助けようとはしなかった。
――日頃、特に何もせず、怠惰に過ごしてとある不死鳥娘とどつきあうのが日課となっている輝夜であるが、実はかなりの説教魔であるということが判明したのは、つい最近のことだ。彼女を上回る説教魔である慧音も、『うむ。輝夜殿の説教には見込みがある』と認めているほどに。
この幻想郷には『説教道』なるものが存在していそうな現実であったが、それはさておこう。
輝夜の説教とは、将棋を指しながら行われる。そりゃもう延々、勝負がついても「さあ、もう一局」と続くのである。駒一つ動かすたびにあれやこれや。最終的には、『座り方が悪い』『姿勢がだらしない』『駒の指し方に品がない』などの、言いがかりとしか思えない内容で説教がなされるのである。
普段は、永琳が圧倒的な力を発揮している、ここ、永遠亭であるが、その時ばかりは誰もが思う。やっぱり、輝夜がここの主なんだな、と。
「……ま、自業自得だけどね。今回は」
とはいえ、今回のこれは輝夜が圧倒的に正しい。
永遠亭の風紀を乱すものには容赦しない、というところか。日頃から、実は自分が一番、風紀乱しまくってるのだが、まぁ、それは当人は気づいていないことだろう。永琳に、やっぱり説教されながら泣いて土下座するほどなのに、だ。
「うちって、幻想郷の中で、一番、パワーバランスが微妙よね……」
鈴仙のつぶやきは、そのまま、幻想郷の混沌ぶりを表しているのだが、果たして、彼女がそれに気づく日は来るのだろうか。
出来ることなら、一生来ない方が、色んな意味で、人間――鈴仙は人間ではないが――、きれいでいられるので幸せなのは言うまでもない。
「あらあら」
窓から散りゆく落ち葉を眺め、の~んびりと過ごす医者がここに一人。
秋を迎え、この頃、とみに一挙手一投足の速度が低下していると言われる、永遠亭の表の主、八意永琳である。おっとりのんびりまったりと。その三拍子の単語はこの人のためにあると言っても過言ではないと、誰もが言う。
片手に湯飲みを持って、ずず~、とそれをすすりながら、ふぅ、とため息。
「秋の空もいいものねぇ」
空が高く見えるこの時期は、何も考えることなく、窓から空を眺めたり、外を眺めたりするのが永琳の趣味である。
なお、それがどれくらいの趣味っぷりかというと、朝から晩まで縁側に座っていたこともあるほどだ。朝方、その後ろを一羽のうさぎが通りかかり、「永琳さま、おはようございます」とやって――それから十時間ほど後、同じ通路の同じ場所の同じ態勢で、永琳が外を眺めているのが目撃されたほどである。
この人の周りじゃ、時間が止まってるんじゃなかろうか。
誰もがそれを思ったというエピソードであるが、それはとりあえずどうでもいい。
「はい、それでは次の方~」
しかし、そんな永琳であっても医者である。
ここ、八意永琳医療相談所は、季節を問わず、年がら年中大盛況だ。大勢の、病気や悩みに苦しむ患者が訪れるここの主治医を務める彼女には、暇というものは、実はあんまりないのだ。
「失礼しまーす」
「あらあら、いらっしゃい」
「ほら、姉さん」
やってきたのは、二人の……女性……だろうか。どう表現していいかはわからないが。
そもそも、幻想郷というやつには『少女』と表現するか、『女性』と表現するかの境界に立っている輩が多すぎるのである。とりあえず、暫定的に『女性』で構わないだろう。
「はい。どうなさいましたか?」
メガネに白衣にストッキングのお医者さんは、片手にペンとカルテを持って訊ねてくる。
その問いかけに、
「えっと、今回、用事があるのは私じゃなくて姉さんの方でして。
あ、私、秋穣子と申します。以後、よろしくお見知りおきを」
「はいはい」
「それで、こっちが、私の姉の秋静葉です」
ぺこり、と無言で頭を下げる静葉。
はいはい、とうなずきながら、永琳はかりかりとメモを取る。『それでですね』と口を開くのは穣子である。
「実を言いますと、先生のご高名な噂をお聞きしまして。先生なら、姉さんに効果的な治療方法を提案してくれるのではないかと思いまして、はせ参じました」
「あらあら。ありがとうございます」
どうかなさったんですか? と訊ねる永琳。
「私が見た限りでは、特段の異状は見受けられないようですが」
静葉の顔色はよく、目も普通の色に輝き、ほっぺたもつやつや、唇もぷっくり桜色という、いかにも『健康!』という感じだった。
いえ、そうではなく、と穣子は『どうしたものか』という顔を浮かべた後、意を決したという表現がぴったりな風に口を開く。
「姉さん、いいよ」
その言葉に。
まず、ぺこりと静葉は頭を下げた。
「お初にお目にかかりやす。今、紹介にありました穣子のねーはんの静葉どす。よろしゅうお見知りおきを」
「……あら」
こってこての京都弁だった。
「……この口調のせいで、色々と……」
はぁ、と穣子はため息をつく。
「本来ですね。姉というのは妹よりも優遇されるべきだと思うんです。
まぁ、確かに、『姉より優れた妹など存在しねぇ!』とまで言うつもりはありませんが。にしたって、私がボスで姉さんが中ボスというのはいかがなものかと思ったんですが、とりあえず、実力の関係上とか何か色々都合とかあるのかなと思って、それは流しました。それはいいんです。
それでも、私はやっぱり妹でして。姉さんには、それなりの敬意を持って接したく思ってまして……」
「あらまあ。相変わらず、穣子は優しい、ええ子やなぁ。うちの自慢どす。
せんせ、聞いとくんなはれ。うちがこの前、この子を連れて、人里に足運んだ時なんどすけれどな。まぁ、何と申したらええでっしゃろか、その時ほど、この子の……」
「姉さん、ちょっと黙ってて!」
「まあ、ひどいこと言わんとくんなはれ。うちはただ、穣子のええところをせんせに、めいっぱい……」
「というわけで!
この人のマイペース、どうにかなりませんか!?」
口調はいい。仕方ない。と言うか、静葉の、何というか『ふんわりほわほわ』した感じにあっていて、これはこれで可愛らしい。
しかし、だ。
彼女は穣子の話を無視して、自分勝手に話を展開しようとし、しかもそれを実行に移しているというその状況に、穣子が我慢の限界に達しているというのは言うまでもなく、わかることだった。
「もう、私、色々限界なんです!
少しでいいから、姉さんには、周りの空気と自分をあわせるということを学んで欲しいんです! こんなんだから、いつまでもいつまでも……!」
「何を怒っとるんどす? そない、目くじら立ててばっかりいるとしわが増えますえ」
「姉さん!」
「まあまあ。とりあえず、落ち着いてください」
姉思いの妹さんなのね、と永琳。のほほんとした考えを浮かべて、おっとりにこにこ微笑む姿は、どう見ても静葉と同類なのだが、果たして穣子はそこに気づいているだろうか。
毒を以て毒を制すというわけではなく、むしろ、自分が突っ込んだのは『毒を食らわば皿まで』ということに。
「そうですねぇ……。
たとえば、その人の周囲の時間が加速しているように錯覚させて、自然と、行動を早くしてしまう『天国への階段』とか、時間そのものを飛ばして結果だけを伝えられるようになる『王の紅』とかございますけれど、やっぱりお薬でどうにかなるものではありませんしね」
「うちは、体はどこも悪くない言うてますのに、穣子が『いいや、姉さんは病気だ!』、いいますさかい。それで、うちも、ひょっとしたら思てここまで来たんどすけど。
だから言ったやないの。うちは病気やない、って。もう、心配性なんやから」
「……違うの……姉さん……。姉さんはね、病気っていうより、極めて病気に近い正常体なのっ!」
「あら、そうだったん? となると……せんせ、うち、どないな状況なんでっしゃろか。そない言われると、急に不安になってきたわ……。
あら、どないしょ。困ったなぁ」
「全然、困ってるように聞こえない……」
どうやら、かなり、心労がたまっているようである。
静葉のこの性格は、見方によってはかなり厄介と言わざるを得ない。別段、彼女には悪気がなく、極めて普段通りに行動しているにすぎないのだが、実際はこのようにあれやこれやの『難題』を抱えてしまっているわけだ。しかも、それが特段の支障を日常生活(静葉視点)に影響を及ぼさないのだから、『実は深刻な状況』と本人が捉えることもない。
ところが、周囲から彼女の状況を見ているものとしては、いいから何とかしろ、と声を大にして叫びたいのは、もはや穣子の状況を見れば、火を見るよりも明らか。これぞ旗幟鮮明、といった具合である。
「まあ、ともあれ。
自分のペースでのんびりと、というのは悪いことではありませんよ。周りに、無理矢理あわせてしまうというのも疲れてしまいますし」
「そういうものなんでしょうか……」
「そうどす。せんせ、わかっとりますなぁ。
うちも、せんせの気持ち、とっても、よぉぉぉぉぉぉっく、わかりますえ。やっぱり、あれやね。うちらはうちら。周りは回り。きちんと区別をつけて、自分は自分なりの生活をするのが一番いうことどす」
「はい、全くその通りですよね」
「……この病院に来たのが間違いだったかもしれない……」
今頃気づいたのか。
きっと、今頃、そんな言葉を幻想郷の中で誰かが発していることだろう。
その後も、延々続くマイペース二人の会話に穣子はついて行くことが出来ず、途中退席するも、彼女たちはそれに気づかず、実に時計の針が一時間ほど経過するまで、お互いの話を聞いているようで全く聞いてない会話が展開されていたという。
「はい、それでは次の方ー」
秋姉妹が帰ってから、五分後。
永琳は、『久方ぶりに充実したわ』という顔を浮かべて。次の患者を呼んでいた。待つことしばし。
「あら?」
どたどたどた、という騒音が廊下の方から響いてきた。そして、ごつっ、ずしゃー! ひゃわわわわ~! という間抜けな騒音と声が響き渡る。
さらに、待つことしばし。
「あ、あいたたた……う~……」
「あらあら。大丈夫ですか?」
「……は、はい……」
躓いちゃいました、てへへ、と笑う少女が一人。
彼女の鼻の頭に、ぺち、と絆創膏を貼って、永琳は「では、どうしましたか?」と訊ねた。やってきた彼女は、勧められた座布団に腰を下ろしたのも一瞬のこと。
「あ、あの!」
いきなり膝立ちになって声を上げる。
「わ、私、その……えっと……あ……うぅ~……」
「あらあら」
彼女は、何やら、迷っているようだった。
見ていて愉快なくらいにわたわたとした可愛らしい動きを伴いつつ、うろうろと室内を歩き回ったり、ごろごろと畳の上を転がったりという、ちょっぴり……いや、かなり、他人には理解不能の動きをしてから、「あの!」と声を上げる。
「そ、その……私、見ての通り、天狗なんてやってるんですが!」
「はいはい」
「その……えっと……り、立派な天狗になるためには、どうしたらいいんでしょうか!?」
「はいはい。
その前に、お名前、よろしいですか?」
「あ、はい! 犬走椛って言います!」
よろしくお願いします! と元気な大声を上げて、その場に頭を下げて、ごん。
畳とおでこで語り合った彼女は、痛そうに、うるうると目元を潤ませながら頭を上げる。
「あらあら。元気がよろしいのですね」
「……はぅ……。
で、でも、私、元気だけが取り柄って言われてるっていうか自負してます! これくらい平気です!」
何やら、前向きなのが取り柄、と誰もに言われそうな返事だった。
そういう元気のいいところが、永琳的に、とっても好印象だったのか、彼女は楽しそうにころころと笑った。
「……あ、うぅ……。こ、ここ、病院ですもんね。静かにしないといけないですよね……」
「ええ、そうですね。
だけど、知っての通り、病は気から、と言う言葉があります。椛さんの元気の良さで、少しでも、待合室で待っていた方々とかの間に笑顔とかが増えていたのなら、その元気は、決して悪くないものですよ」
「そ、そうですか? えへへ……照れちゃうな……」
ぱたぱたと、お尻のしっぽを振りながら、彼女。
あらかわいい、と笑う永琳は、『それで?』という視線を彼女に向けた。その視線を受けて、一応、彼女は居住まいを正すと、かくかくしかじかと、『立派な天狗』になりたい理由を語ってくれた。
それによると、彼女には、尊敬する天狗仲間がいるのだそうな。早くその人のようになりたい。出来ることなら、弟子入りからでもいいから始めたい、と。
それに当たって、自分はどうしたらいいだろうか、と言うのが相談内容だった。
「そうですねぇ……。
まず、ご自分は、どうして立派な天狗を目指すのか。ご自分にとっての『立派』とは何か。その定義から見つめ直すことから始めた方がいいと思います」
「うんうん」
身を乗り出してうなずく椛。
彼女の頭を、なぜか無意識になでなでしながら、
「人にはそれぞれ、いいところ悪いところがあります。ですが、長所も短所も、裏返せば短所となり長所となります。一方的に、これは自分にとっていいことだ、とか、悪いことだ、と決めつけるような行為は自殺行為です」
「……そっかぁ」
「かといって、そう言うお話は、他人とはしづらいものですよね」
またもや、うんうん。
自分の内面に関わるようなプライベートな話というのは、とかく、他人にしづらいのは当たり前である。だからこそ、と永琳は口を開く。
「その、『憧れの天狗さん』に、それとなく聞いてみるのはいかがでしょうか?」
「それとなく……ですか?」
「そう。
たとえば、日常の一コマを切り出して、これこれこういうことがあったんだけど、こういうのはどうでしょうか、とか。
相手に解決策を求めるのではなく、自分の中ですでに出している解決策が、さも、あるかのように訊ねるのがポイントです。これならば、相手は椛さんの考えに対してコメントをしてくれますから。それが良きにせよ悪きにせよ、もらった言葉というのは参考になりますよね。そうしたものから、自分と相手の比較をしていって、今の自分に足りないものを、少しずつ、努力で習得していくのが、一番の近道です」
世の中、何の苦労もステップも踏まず、軽々と物事を成し遂げてしまう種類のもの達がいる。それを一般的には『天才』といい、永琳も、その一握りの天才の中に所属している。
とはいえ、彼女だって、今の自分に何かが足りないことくらいはわかっている。天才だからと、それにあぐらをかいてしまうのではなく、永琳は、日々努力するタイプの天才なのである。だから、努力の意味も、苦労も、そして、目標に向かっていくための『気概』もわかっている。
かりかりと、椛は、永琳の言葉をメモに取る。意外に几帳面な性格なのか、文字も品行方正、まっすぐだ。
「一歩ずつ、着実に進んでいきましょう。焦ってもいいことなんて何にもありませんよ」
「そうですかぁ……。
うーん……私、ちょっと甘えてたかもしれないです! そうですよね! 今、立派な人でも、昔は、私たちと同じように、悩める一般人だったんですよね!」
「はい。私も、たくさん悩んで成長してきました。
椛さんはお若いのですから、これからたくさんの苦労にも遭遇するでしょうけれど、その全てが人生の糧となります。何でも、自分のものにする。そんな感じに、自分の人生そのものに、一杯の気持ちを込めて前に進んでいくことが出来る、数少ない瞬間なんですから」
「はい! 私、頑張りますっ!」
「はい。そうやって、何にでも目をきらきら輝かせられるというのは、本当に素晴らしいことです」
私は、ずいぶん前に、それを忘れてしまいました。
永琳は、どこか、目の前の少女に羨ましいものを感じるような。そんな眼差しで、彼女を見つめる。そこには、頑張る我が子を見守る母親のような、そんな暖かさがあったのだが、果たして椛はそれに気づいただろうか。
「何事も努力! 私は努力の人としても有名なんですっ! 頑張りますっ!」
「あらあら」
よーっし、頑張るぞー。
勢いつけて立ち上がって――もしかしたら、これが彼女の特徴なのかもしれないが、いきなりその場にすっ転ぶ。どうやら、足下の座布団に足を取られたらしいのだが、何がどうなったのかは、間近で見ていた永琳にもわからないことであった。
それはともあれ、かなり派手に転倒した彼女は痛そうに呻きながら起き上がろうとする。
「あらあら。
よいしょ、と」
「あ……どうもありがとうございます……」
「いいのいいの。
ついでだから、ぶつけたところ、見てあげますね」
「……はい」
元気なのもいいけれど、たまには自分をセーブすることも必要ですよ。そう、笑いながら永琳は彼女の膝やお尻などをチェックして、「これでよし」と微笑んだ。
その笑顔が、何だか照れくさいのか、椛は嬉しそうに、そして、ちょっぴりはにかんだ笑顔を見せて『ありがとうございました!』と大きく頭を下げた。
「頑張ってね」
「はいっ!」
笑顔で、椛を送り出してから。
「私にも、あんな頃があったなぁ……」
遠く過去に過ぎ去った、自分の姿。
永琳にだって子供だった頃は存在する。今でこそ、おっとりのんびりおねーさん(注:おねーさんである)の永琳だが、子供の頃は、何にでも目をきらきらと輝かせられる『子供』だったのだ。
そんな自分が、今もそこにいて。
そんな彼女が、そこにあって。
――何となく、感傷的になってしまっていた。
「あらあら」
とりあえず、お茶でも飲もうかしら。
今の自分の気持ちを手っ取り早く表現するために、彼女は、今、一番、自分の身近にあるものを頼ることにしたらしい。軽く、ぱんぱん、と柏手を打って「うどんげ~、お茶をお願い~」と、いつものまったりした声を上げる彼女だった。
「それでは次の方~」
すっ、と無音で障子が引き開けられ、楚々とした所作で部屋の中へと膝を進めてくる少女が一人。
彼女は、丁寧な動作で障子を閉めると、つとその場に手を突いて、静かに頭を下げる。
「お初にお目にかかります、東風谷早苗と申します」
「はい、こんにちは。
本日はどうなさいましたか?」
「ええ、実は……何と申しましょうか。一身上の都合がございまして。
こういった問題は、基本的には自分の身の上で考えていくのが妥当であると存じますところ、解の方程式を導き出すのがあまりにも難しく。さりとて、たとえ親しいものにでも話すのはどうかと思われるほど、くだらない私事でもございまして。
どうするかと悩んでいたところ、先生のお噂を風の噂に聞きました。そこで、厚かましくも失礼なお願いではございますが、是非とも、先生に、わたくしの相談相手になってもらいたいと思った所存でございます」
ご無礼をお許しください。
彼女はそう言って、またもや、その場に頭を下げた。
超弩級、という単語がこれほど似合う娘も珍しい。永琳は、素直に思った。もちろん、その『超弩級』というのは、『超弩級のくそ真面目な堅物』という意味合いなのだが。
「とりあえず、頭を上げてくださいな。
私は医者で、あなたは……言葉は悪いですが、私を頼りにしている患者です。お互いの関係に上下も優劣もありません。互いにまっすぐ目を見て、ゆっくりと、心安らかにお話ししましょう」
カウンセリングの腕前も一人前の永琳の言葉に、早苗はまたもや『申し訳ございませんでした』と頭を下げた。
ふぅ、と永琳はため息をつくものの、とりあえず、彼女のそんな振る舞いに対して何かを言うのはまた次回と考えたらしい。「本日のご用事は?」。そう訊ねる永琳に、早苗は沈痛な面持ちで口を開く。
「実を申しますと……わたくしは、自分の存在に疑問を持っているのでございます」
「はい」
「わたくしは見ての通り、神に仕える巫女をやって長いものでして。朝は日の出と共に神事を始め、夜は祝詞を唱えながら、神の御前に一日の出来事を報告する――それが当然だと思っておりました。
また、こちらにやってきてからも、わたくしは、それを自分の中の常識としてきていまして……。ああ、それが悪いのかもしれません。自分の中の世界が、あまりにも幻想郷の空気と違うことには気づいておりましたが……」
「はい」
「その……」
彼女は、大変言いにくそうに迷った後、やがて意を決したように口を開く。
「……こんなことを言われました。
『お前、何で真面目に仕事してるんだ? 巫女なのに』と」
「……は?」
「そう……ですよね……。それが普通ですよね……。
ですが、とある事情から互いに顔を知る関係になった方々は、皆、同じことを言うのです。
『巫女って、こんなにお仕事が多かったの? 知らなかったわ……大変ね』とか、『巫女の仕事ってお茶飲んでごろごろすることだと思ってました』とか、『そんなに働いていて疲れるだろう? 少しは休んだ方がいい』と、なぜか大変に真面目な顔で言われたり、『巫女って仕事するものだったんですか!?』と、なぜか驚かれたり。
挙げ句、わたくしと同じ巫女に『巫女のくせに何で働くのよ! あんた何様!?』と逆ギレされた始末でして……」
「……はあ。あ、はい……よくわかります……大変に……」
何となくどころではないくらいに、実によくわかった。理解してしまった。そりゃもう徹底的に。
何せ、そういうことを言う&やる連中が、永琳の知り合いに、そりゃーもう山のようにいるからである。
「……真面目に生きることは悪いことではないと思います。また、自分の不徳を知ることも悪いことじゃないと思います。
だからって……なんか人生そのもの否定されるとは思ってませんでした……」
「あ、ああ、気を落とさないでください! 早苗さん!」
「しくしくしく……」
どうやら、意外と逆境に弱いというか、色んな意味で精神攻撃には慣れてないようだった。当たり前と言えば当たり前だが。
直球攻撃には、人間、どれほどでも強くなることは出来るが、こんな、変化しまくった末に後ろ側からバットに命中してくるような変化球に慣れることなんて出来るわけがないだろう。
「……あたしゃどーしたらいいのかと、酒飲んでくだまきたいくらいで……」
「ええ、わかります。大変によくわかります。
ですから、あの、あんまりネガティブオーラは……ここ病院ですし……」
「……はぁ。
ほんと……もうごめんなさい……生きててごめんなさい……」
精神を高揚させる薬でもぶちこんでやろうか。永琳は、この時、本気でそう思ったという。
それほどまでに、早苗の周囲を取り巻くオーラはどんよりどよどよとよどんでおり、真夏の、全く流れのない藻で濁りまくった池の65536倍はよどんでいた。っていうかむしろ腐ってた。
さすがに、下手なことは言えないな、と永琳の顔も引きつる。
「何と言いますか……幻想郷に来たの、間違いだったんじゃないかなー……って……。この頃、寝る前に思うんです。
うちは神様二人抱えててしかもわがままだから、わたしがどんなに苦労しているか……。それでも、一生懸命、巫女として頑張ってきて……そんな自分を誇らしく思っていたのに……」
フルボッコにされたら、そりゃへこむわな。
言葉に出さず、永琳はつぶやく。
「その……ですね、早苗さん。
人の人生と言いますか、生き方には色々とありまして……。まぁ……何と言いますか。十人十色、でよろしいのではないでしょうか? あまり気にすることなく、自分の生き方を貫くのが……」
「でも……だけどっ!
そっちの方がいいってわかってるけど、でも、やるせないじゃないですか!? 真面目に働く巫女は巫女じゃない、とか言われるんですよ!? 何のために、神通力を磨くための荒行に挑んだのかとか、そういう物理的な過去ががらがらと音を立てて崩れていくんですよ!」
「……わかります、その気持ち」
「ああ、もう……。わたしは一体どうしたら……」
「とりあえず……堅い考えを捨てる……とまでは言いませんけれど、もう少し、柔軟に考えてみてはどうでしょう?
周りの人の言葉にも、きっと参考になるものがあると思いますし。これまでの生き方を貫いていくのが難しいと感じるのなら、今が変革の時なのかもしれませんよ。
世の中には、たくさんの可能性がありますから」
たまたま、早苗にとっては、『幻想郷』というファクターがそれだったというだけで。
……にしては、かなりどぎついファクターではあるが、とりあえず、人生の選択肢を選ぶ一つの道しるべになったのは言うまでもない。問題は、早苗が、そういうのに対応できるほど、柔らかい……というか、人生経験が豊富ではなかった、ということか。
「これから、たくさん、その……理不尽なこととかがあると思いますけれど、そのたびに落ち込んでいるのではなくて、これはこれ、で流す度量も必要かと……」
「……そうですね。わたしも、まだまだ修行が足りないですよね……」
「いえ、修行とかではなく……」
「……この思いを断ち切るために、三日ほど岩屋に閉じこもろうと思います……。先生……わたし……頑張りますから……。見守っていてくださいね……」
「ああ、いや、えっと……」
「……うちの神様どもはあっさりなじんでるし……。何でいっつもわたしだけ……」
「……苦労……してらっしゃるんですね……」
「聞いてくださいますせんせぇぇぇぇぇぇぇ!」
「ええ……私でいいのでしたら……」
「ありがとう……ありがとうございますぅぅぅぅぅっ! もう、ずぅぅぅぅぅぅっと、言いたくても言えなくて心の中にしまい込むしかなくてぇぇぇぇぇっ!
もう語ります! 今日は語りますっ! いやなもの全部吐き出しますぅぅぅぅぅぅっ!」
「……よしよし」
どうしたもんかしら。
何というか、この医療相談所が開業してから、最強クラスに困難な患者がやってきたような気がしているのか、永琳の顔も引きつっていた。早苗は、そんな彼女に抱きついて、あれやこれやの愚痴を涙と共に語り続ける。
何だか様子がおかしいなと思って見に来た鈴仙が、その室内のカオスっぷりに沈黙し、永琳に、「とりあえず、今夜の晩ご飯と寝床を一人分追加して」と言われて、何も言えずに引っ込んでいく。
「それでですね、先生! わたし、本当に一生懸命なんですよぅ! なのになのに、みんな、わたしのこと……!」
「……今夜は長い夜になりそうね……」
こんな風に長い夜は、千年の人生の中、一度たりとも味わったことがなかったわね。
これもまた、自分の歴史の新たなる一ページと思えば、きっと何ともないのだろう。そう、自分に言い聞かせながら、永琳は、『はいはい』とうなずくのだった。
「……師匠……昨晩はお疲れ様でした……」
「ええ……そうね」
ありがとうございましたー! と、やけに晴れ晴れとした笑顔で、早苗は、翌朝、永遠亭を後にしていた。きっと、あの調子なら、あと五年は戦えることだろう。対比して、永琳の顔には、珍しく隈が浮かんでおり、先日の苦労が偲ばれる状態である。
一方、輝夜に連れて行かれたてゐであるが、一日中、将棋を指しながらの説教を食らい、今現在、自室でうなされている。
「色々……大変なんですね……人生って……」
「そうねぇ……」
「幻想郷って……奥、深いんですね……」
「懐が深すぎるというか……広すぎるというか……」
「……あの、今日は病院、お休みしますか?」
「……そーね……」
「ああっ、師匠ぉぉぉぉぉぉぉっ!?」
八意永琳、東風谷早苗の前に撃沈す――。
~本日の診療は終了致しました~八意永琳医療相談所所長兼主治医八意永琳(&鈴仙・優曇華院・イナバ 代理)
近頃はめっきり秋も深まってきて、ここに住まうもの達の日課にタケノコ採取と、晩ご飯にはタケノコやきのこご飯が増えてきた頃。
――相変わらず、病院は盛況だった。
「ねぇ、鈴仙さま」
「何?」
「最近、私は思うんですよウサ」
「……え?」
「いや、何かネタとして使われているから喋ってみました。……あんま私のキャラじゃねぇな、これ」
「出てる! 何か黒いものが出てるよ、てゐ!」
てっきり、普段、他人の前じゃ、あんまり出さない本性出してしまっていたてゐに対して、鈴仙・優曇華院・イナバが、ちょっぴり引きつった声を上げた。
「あれ、そうですか?」
「キャラ変わりすぎっていうか声のトーンまで変えるな怖いから」
「……くっくっく」
腹黒うさぎは、心の底から『楽しそう』な笑みを浮かべた後、まぁ、それはともあれとして、と重大事項をあっさり横にのけてくれた。
彼女は、永遠亭の入り口に据え付けられた『お客様』用の受付についている椅子に座って、足をふらふらさせながら、
「医者と軍人と葬儀屋は閑古鳥がいい、って言うじゃないですか?」
「まぁ、そうだね」
「でも、その職業を自活手段としている人にとっては、それって致命的ですよね」
「まぁ、そんな職業、ない方がいいけどね」
いわば、これらは人様の不幸に、言い方は悪いが『つけ込む』商売である。
なくてはならない必須なものなのだが、出来ることなら関わりたくないというものを商品として商いをしていると言うことは、やはり、色々とアレだろう。とはいえ、この幻想郷でも、例外なく、この三つの職業は必須なのは言うまでもない。
「だから」
「うん」
「いっそのこと、永遠亭でみんな受け持っちゃうってのはどうですかね」
「何が『だから』なのかがわからないんだけど」
「戦争が起きる→永遠亭出動ウマー→けが人出る→病院ウマー→死人が出る→葬儀屋ウマー&永琳さまが生き返らせちゃえば病院もウマー。
ほら、三拍子! 花丸円満解決ですよ!」
「……あんたね」
確かに、てゐの理論で行くなら、その利益の全てを永遠亭が独占できると言うことにはなるだろう。
しかし、あまりにもあんまりではなかろうか。
つい先ほどまで、これら三つの商売は閑古鳥が鳴いているくらいがちょうどいいという話をしていたのに、いきなり、その商売を使ってもうける算段を整えているてゐの計算高さと、ついでに腹黒さには、鈴仙も脱帽だった。
「よし! 今度の永遠亭会議で提案しよう!」
「即座に却下されると思うけど」
「そこで、鈴仙さまにご協力をお願いします」
「……何?」
「いや、何、ちょっと組織票の手伝いを……」
「そこの黒イナバ。ちょっといいかしら?」
後ろから、唐突にかかる声。
てゐの顔が、一瞬で、ぴきぃっ、と引きつった。恐る恐る振り返れば、そこには、永遠亭の裏の主、蓬莱山輝夜が立っている。どうやら、彼女、てゐの悪巧みを聞いていたのか、こめかみには青筋が浮いていた。
「あ、あの……なんでしょう……輝夜さま……」
「別に何でも。
ただね、ちょっと今、時間をもてあましているの。せっかくだから、将棋にでも興じようと思うから、付き合いなさい」
「あ、ああああああのいいいいいいいやその、わ、私、将棋は……!」
「この前、イナバを完膚無きまでに叩きのめしたのでしょう? 付き合いなさい」
「いやーっ! 助けて鈴仙さまへるぷみーっ! へるぷみーぷりぃぃぃぃぃずっ!」
ずるずるずる……。
屋敷中にこだまするてゐの悲鳴が、徐々に遠ざかっていく。もちろん、鈴仙は彼女を助けようとはしなかった。
――日頃、特に何もせず、怠惰に過ごしてとある不死鳥娘とどつきあうのが日課となっている輝夜であるが、実はかなりの説教魔であるということが判明したのは、つい最近のことだ。彼女を上回る説教魔である慧音も、『うむ。輝夜殿の説教には見込みがある』と認めているほどに。
この幻想郷には『説教道』なるものが存在していそうな現実であったが、それはさておこう。
輝夜の説教とは、将棋を指しながら行われる。そりゃもう延々、勝負がついても「さあ、もう一局」と続くのである。駒一つ動かすたびにあれやこれや。最終的には、『座り方が悪い』『姿勢がだらしない』『駒の指し方に品がない』などの、言いがかりとしか思えない内容で説教がなされるのである。
普段は、永琳が圧倒的な力を発揮している、ここ、永遠亭であるが、その時ばかりは誰もが思う。やっぱり、輝夜がここの主なんだな、と。
「……ま、自業自得だけどね。今回は」
とはいえ、今回のこれは輝夜が圧倒的に正しい。
永遠亭の風紀を乱すものには容赦しない、というところか。日頃から、実は自分が一番、風紀乱しまくってるのだが、まぁ、それは当人は気づいていないことだろう。永琳に、やっぱり説教されながら泣いて土下座するほどなのに、だ。
「うちって、幻想郷の中で、一番、パワーバランスが微妙よね……」
鈴仙のつぶやきは、そのまま、幻想郷の混沌ぶりを表しているのだが、果たして、彼女がそれに気づく日は来るのだろうか。
出来ることなら、一生来ない方が、色んな意味で、人間――鈴仙は人間ではないが――、きれいでいられるので幸せなのは言うまでもない。
「あらあら」
窓から散りゆく落ち葉を眺め、の~んびりと過ごす医者がここに一人。
秋を迎え、この頃、とみに一挙手一投足の速度が低下していると言われる、永遠亭の表の主、八意永琳である。おっとりのんびりまったりと。その三拍子の単語はこの人のためにあると言っても過言ではないと、誰もが言う。
片手に湯飲みを持って、ずず~、とそれをすすりながら、ふぅ、とため息。
「秋の空もいいものねぇ」
空が高く見えるこの時期は、何も考えることなく、窓から空を眺めたり、外を眺めたりするのが永琳の趣味である。
なお、それがどれくらいの趣味っぷりかというと、朝から晩まで縁側に座っていたこともあるほどだ。朝方、その後ろを一羽のうさぎが通りかかり、「永琳さま、おはようございます」とやって――それから十時間ほど後、同じ通路の同じ場所の同じ態勢で、永琳が外を眺めているのが目撃されたほどである。
この人の周りじゃ、時間が止まってるんじゃなかろうか。
誰もがそれを思ったというエピソードであるが、それはとりあえずどうでもいい。
「はい、それでは次の方~」
しかし、そんな永琳であっても医者である。
ここ、八意永琳医療相談所は、季節を問わず、年がら年中大盛況だ。大勢の、病気や悩みに苦しむ患者が訪れるここの主治医を務める彼女には、暇というものは、実はあんまりないのだ。
「失礼しまーす」
「あらあら、いらっしゃい」
「ほら、姉さん」
やってきたのは、二人の……女性……だろうか。どう表現していいかはわからないが。
そもそも、幻想郷というやつには『少女』と表現するか、『女性』と表現するかの境界に立っている輩が多すぎるのである。とりあえず、暫定的に『女性』で構わないだろう。
「はい。どうなさいましたか?」
メガネに白衣にストッキングのお医者さんは、片手にペンとカルテを持って訊ねてくる。
その問いかけに、
「えっと、今回、用事があるのは私じゃなくて姉さんの方でして。
あ、私、秋穣子と申します。以後、よろしくお見知りおきを」
「はいはい」
「それで、こっちが、私の姉の秋静葉です」
ぺこり、と無言で頭を下げる静葉。
はいはい、とうなずきながら、永琳はかりかりとメモを取る。『それでですね』と口を開くのは穣子である。
「実を言いますと、先生のご高名な噂をお聞きしまして。先生なら、姉さんに効果的な治療方法を提案してくれるのではないかと思いまして、はせ参じました」
「あらあら。ありがとうございます」
どうかなさったんですか? と訊ねる永琳。
「私が見た限りでは、特段の異状は見受けられないようですが」
静葉の顔色はよく、目も普通の色に輝き、ほっぺたもつやつや、唇もぷっくり桜色という、いかにも『健康!』という感じだった。
いえ、そうではなく、と穣子は『どうしたものか』という顔を浮かべた後、意を決したという表現がぴったりな風に口を開く。
「姉さん、いいよ」
その言葉に。
まず、ぺこりと静葉は頭を下げた。
「お初にお目にかかりやす。今、紹介にありました穣子のねーはんの静葉どす。よろしゅうお見知りおきを」
「……あら」
こってこての京都弁だった。
「……この口調のせいで、色々と……」
はぁ、と穣子はため息をつく。
「本来ですね。姉というのは妹よりも優遇されるべきだと思うんです。
まぁ、確かに、『姉より優れた妹など存在しねぇ!』とまで言うつもりはありませんが。にしたって、私がボスで姉さんが中ボスというのはいかがなものかと思ったんですが、とりあえず、実力の関係上とか何か色々都合とかあるのかなと思って、それは流しました。それはいいんです。
それでも、私はやっぱり妹でして。姉さんには、それなりの敬意を持って接したく思ってまして……」
「あらまあ。相変わらず、穣子は優しい、ええ子やなぁ。うちの自慢どす。
せんせ、聞いとくんなはれ。うちがこの前、この子を連れて、人里に足運んだ時なんどすけれどな。まぁ、何と申したらええでっしゃろか、その時ほど、この子の……」
「姉さん、ちょっと黙ってて!」
「まあ、ひどいこと言わんとくんなはれ。うちはただ、穣子のええところをせんせに、めいっぱい……」
「というわけで!
この人のマイペース、どうにかなりませんか!?」
口調はいい。仕方ない。と言うか、静葉の、何というか『ふんわりほわほわ』した感じにあっていて、これはこれで可愛らしい。
しかし、だ。
彼女は穣子の話を無視して、自分勝手に話を展開しようとし、しかもそれを実行に移しているというその状況に、穣子が我慢の限界に達しているというのは言うまでもなく、わかることだった。
「もう、私、色々限界なんです!
少しでいいから、姉さんには、周りの空気と自分をあわせるということを学んで欲しいんです! こんなんだから、いつまでもいつまでも……!」
「何を怒っとるんどす? そない、目くじら立ててばっかりいるとしわが増えますえ」
「姉さん!」
「まあまあ。とりあえず、落ち着いてください」
姉思いの妹さんなのね、と永琳。のほほんとした考えを浮かべて、おっとりにこにこ微笑む姿は、どう見ても静葉と同類なのだが、果たして穣子はそこに気づいているだろうか。
毒を以て毒を制すというわけではなく、むしろ、自分が突っ込んだのは『毒を食らわば皿まで』ということに。
「そうですねぇ……。
たとえば、その人の周囲の時間が加速しているように錯覚させて、自然と、行動を早くしてしまう『天国への階段』とか、時間そのものを飛ばして結果だけを伝えられるようになる『王の紅』とかございますけれど、やっぱりお薬でどうにかなるものではありませんしね」
「うちは、体はどこも悪くない言うてますのに、穣子が『いいや、姉さんは病気だ!』、いいますさかい。それで、うちも、ひょっとしたら思てここまで来たんどすけど。
だから言ったやないの。うちは病気やない、って。もう、心配性なんやから」
「……違うの……姉さん……。姉さんはね、病気っていうより、極めて病気に近い正常体なのっ!」
「あら、そうだったん? となると……せんせ、うち、どないな状況なんでっしゃろか。そない言われると、急に不安になってきたわ……。
あら、どないしょ。困ったなぁ」
「全然、困ってるように聞こえない……」
どうやら、かなり、心労がたまっているようである。
静葉のこの性格は、見方によってはかなり厄介と言わざるを得ない。別段、彼女には悪気がなく、極めて普段通りに行動しているにすぎないのだが、実際はこのようにあれやこれやの『難題』を抱えてしまっているわけだ。しかも、それが特段の支障を日常生活(静葉視点)に影響を及ぼさないのだから、『実は深刻な状況』と本人が捉えることもない。
ところが、周囲から彼女の状況を見ているものとしては、いいから何とかしろ、と声を大にして叫びたいのは、もはや穣子の状況を見れば、火を見るよりも明らか。これぞ旗幟鮮明、といった具合である。
「まあ、ともあれ。
自分のペースでのんびりと、というのは悪いことではありませんよ。周りに、無理矢理あわせてしまうというのも疲れてしまいますし」
「そういうものなんでしょうか……」
「そうどす。せんせ、わかっとりますなぁ。
うちも、せんせの気持ち、とっても、よぉぉぉぉぉぉっく、わかりますえ。やっぱり、あれやね。うちらはうちら。周りは回り。きちんと区別をつけて、自分は自分なりの生活をするのが一番いうことどす」
「はい、全くその通りですよね」
「……この病院に来たのが間違いだったかもしれない……」
今頃気づいたのか。
きっと、今頃、そんな言葉を幻想郷の中で誰かが発していることだろう。
その後も、延々続くマイペース二人の会話に穣子はついて行くことが出来ず、途中退席するも、彼女たちはそれに気づかず、実に時計の針が一時間ほど経過するまで、お互いの話を聞いているようで全く聞いてない会話が展開されていたという。
「はい、それでは次の方ー」
秋姉妹が帰ってから、五分後。
永琳は、『久方ぶりに充実したわ』という顔を浮かべて。次の患者を呼んでいた。待つことしばし。
「あら?」
どたどたどた、という騒音が廊下の方から響いてきた。そして、ごつっ、ずしゃー! ひゃわわわわ~! という間抜けな騒音と声が響き渡る。
さらに、待つことしばし。
「あ、あいたたた……う~……」
「あらあら。大丈夫ですか?」
「……は、はい……」
躓いちゃいました、てへへ、と笑う少女が一人。
彼女の鼻の頭に、ぺち、と絆創膏を貼って、永琳は「では、どうしましたか?」と訊ねた。やってきた彼女は、勧められた座布団に腰を下ろしたのも一瞬のこと。
「あ、あの!」
いきなり膝立ちになって声を上げる。
「わ、私、その……えっと……あ……うぅ~……」
「あらあら」
彼女は、何やら、迷っているようだった。
見ていて愉快なくらいにわたわたとした可愛らしい動きを伴いつつ、うろうろと室内を歩き回ったり、ごろごろと畳の上を転がったりという、ちょっぴり……いや、かなり、他人には理解不能の動きをしてから、「あの!」と声を上げる。
「そ、その……私、見ての通り、天狗なんてやってるんですが!」
「はいはい」
「その……えっと……り、立派な天狗になるためには、どうしたらいいんでしょうか!?」
「はいはい。
その前に、お名前、よろしいですか?」
「あ、はい! 犬走椛って言います!」
よろしくお願いします! と元気な大声を上げて、その場に頭を下げて、ごん。
畳とおでこで語り合った彼女は、痛そうに、うるうると目元を潤ませながら頭を上げる。
「あらあら。元気がよろしいのですね」
「……はぅ……。
で、でも、私、元気だけが取り柄って言われてるっていうか自負してます! これくらい平気です!」
何やら、前向きなのが取り柄、と誰もに言われそうな返事だった。
そういう元気のいいところが、永琳的に、とっても好印象だったのか、彼女は楽しそうにころころと笑った。
「……あ、うぅ……。こ、ここ、病院ですもんね。静かにしないといけないですよね……」
「ええ、そうですね。
だけど、知っての通り、病は気から、と言う言葉があります。椛さんの元気の良さで、少しでも、待合室で待っていた方々とかの間に笑顔とかが増えていたのなら、その元気は、決して悪くないものですよ」
「そ、そうですか? えへへ……照れちゃうな……」
ぱたぱたと、お尻のしっぽを振りながら、彼女。
あらかわいい、と笑う永琳は、『それで?』という視線を彼女に向けた。その視線を受けて、一応、彼女は居住まいを正すと、かくかくしかじかと、『立派な天狗』になりたい理由を語ってくれた。
それによると、彼女には、尊敬する天狗仲間がいるのだそうな。早くその人のようになりたい。出来ることなら、弟子入りからでもいいから始めたい、と。
それに当たって、自分はどうしたらいいだろうか、と言うのが相談内容だった。
「そうですねぇ……。
まず、ご自分は、どうして立派な天狗を目指すのか。ご自分にとっての『立派』とは何か。その定義から見つめ直すことから始めた方がいいと思います」
「うんうん」
身を乗り出してうなずく椛。
彼女の頭を、なぜか無意識になでなでしながら、
「人にはそれぞれ、いいところ悪いところがあります。ですが、長所も短所も、裏返せば短所となり長所となります。一方的に、これは自分にとっていいことだ、とか、悪いことだ、と決めつけるような行為は自殺行為です」
「……そっかぁ」
「かといって、そう言うお話は、他人とはしづらいものですよね」
またもや、うんうん。
自分の内面に関わるようなプライベートな話というのは、とかく、他人にしづらいのは当たり前である。だからこそ、と永琳は口を開く。
「その、『憧れの天狗さん』に、それとなく聞いてみるのはいかがでしょうか?」
「それとなく……ですか?」
「そう。
たとえば、日常の一コマを切り出して、これこれこういうことがあったんだけど、こういうのはどうでしょうか、とか。
相手に解決策を求めるのではなく、自分の中ですでに出している解決策が、さも、あるかのように訊ねるのがポイントです。これならば、相手は椛さんの考えに対してコメントをしてくれますから。それが良きにせよ悪きにせよ、もらった言葉というのは参考になりますよね。そうしたものから、自分と相手の比較をしていって、今の自分に足りないものを、少しずつ、努力で習得していくのが、一番の近道です」
世の中、何の苦労もステップも踏まず、軽々と物事を成し遂げてしまう種類のもの達がいる。それを一般的には『天才』といい、永琳も、その一握りの天才の中に所属している。
とはいえ、彼女だって、今の自分に何かが足りないことくらいはわかっている。天才だからと、それにあぐらをかいてしまうのではなく、永琳は、日々努力するタイプの天才なのである。だから、努力の意味も、苦労も、そして、目標に向かっていくための『気概』もわかっている。
かりかりと、椛は、永琳の言葉をメモに取る。意外に几帳面な性格なのか、文字も品行方正、まっすぐだ。
「一歩ずつ、着実に進んでいきましょう。焦ってもいいことなんて何にもありませんよ」
「そうですかぁ……。
うーん……私、ちょっと甘えてたかもしれないです! そうですよね! 今、立派な人でも、昔は、私たちと同じように、悩める一般人だったんですよね!」
「はい。私も、たくさん悩んで成長してきました。
椛さんはお若いのですから、これからたくさんの苦労にも遭遇するでしょうけれど、その全てが人生の糧となります。何でも、自分のものにする。そんな感じに、自分の人生そのものに、一杯の気持ちを込めて前に進んでいくことが出来る、数少ない瞬間なんですから」
「はい! 私、頑張りますっ!」
「はい。そうやって、何にでも目をきらきら輝かせられるというのは、本当に素晴らしいことです」
私は、ずいぶん前に、それを忘れてしまいました。
永琳は、どこか、目の前の少女に羨ましいものを感じるような。そんな眼差しで、彼女を見つめる。そこには、頑張る我が子を見守る母親のような、そんな暖かさがあったのだが、果たして椛はそれに気づいただろうか。
「何事も努力! 私は努力の人としても有名なんですっ! 頑張りますっ!」
「あらあら」
よーっし、頑張るぞー。
勢いつけて立ち上がって――もしかしたら、これが彼女の特徴なのかもしれないが、いきなりその場にすっ転ぶ。どうやら、足下の座布団に足を取られたらしいのだが、何がどうなったのかは、間近で見ていた永琳にもわからないことであった。
それはともあれ、かなり派手に転倒した彼女は痛そうに呻きながら起き上がろうとする。
「あらあら。
よいしょ、と」
「あ……どうもありがとうございます……」
「いいのいいの。
ついでだから、ぶつけたところ、見てあげますね」
「……はい」
元気なのもいいけれど、たまには自分をセーブすることも必要ですよ。そう、笑いながら永琳は彼女の膝やお尻などをチェックして、「これでよし」と微笑んだ。
その笑顔が、何だか照れくさいのか、椛は嬉しそうに、そして、ちょっぴりはにかんだ笑顔を見せて『ありがとうございました!』と大きく頭を下げた。
「頑張ってね」
「はいっ!」
笑顔で、椛を送り出してから。
「私にも、あんな頃があったなぁ……」
遠く過去に過ぎ去った、自分の姿。
永琳にだって子供だった頃は存在する。今でこそ、おっとりのんびりおねーさん(注:おねーさんである)の永琳だが、子供の頃は、何にでも目をきらきらと輝かせられる『子供』だったのだ。
そんな自分が、今もそこにいて。
そんな彼女が、そこにあって。
――何となく、感傷的になってしまっていた。
「あらあら」
とりあえず、お茶でも飲もうかしら。
今の自分の気持ちを手っ取り早く表現するために、彼女は、今、一番、自分の身近にあるものを頼ることにしたらしい。軽く、ぱんぱん、と柏手を打って「うどんげ~、お茶をお願い~」と、いつものまったりした声を上げる彼女だった。
「それでは次の方~」
すっ、と無音で障子が引き開けられ、楚々とした所作で部屋の中へと膝を進めてくる少女が一人。
彼女は、丁寧な動作で障子を閉めると、つとその場に手を突いて、静かに頭を下げる。
「お初にお目にかかります、東風谷早苗と申します」
「はい、こんにちは。
本日はどうなさいましたか?」
「ええ、実は……何と申しましょうか。一身上の都合がございまして。
こういった問題は、基本的には自分の身の上で考えていくのが妥当であると存じますところ、解の方程式を導き出すのがあまりにも難しく。さりとて、たとえ親しいものにでも話すのはどうかと思われるほど、くだらない私事でもございまして。
どうするかと悩んでいたところ、先生のお噂を風の噂に聞きました。そこで、厚かましくも失礼なお願いではございますが、是非とも、先生に、わたくしの相談相手になってもらいたいと思った所存でございます」
ご無礼をお許しください。
彼女はそう言って、またもや、その場に頭を下げた。
超弩級、という単語がこれほど似合う娘も珍しい。永琳は、素直に思った。もちろん、その『超弩級』というのは、『超弩級のくそ真面目な堅物』という意味合いなのだが。
「とりあえず、頭を上げてくださいな。
私は医者で、あなたは……言葉は悪いですが、私を頼りにしている患者です。お互いの関係に上下も優劣もありません。互いにまっすぐ目を見て、ゆっくりと、心安らかにお話ししましょう」
カウンセリングの腕前も一人前の永琳の言葉に、早苗はまたもや『申し訳ございませんでした』と頭を下げた。
ふぅ、と永琳はため息をつくものの、とりあえず、彼女のそんな振る舞いに対して何かを言うのはまた次回と考えたらしい。「本日のご用事は?」。そう訊ねる永琳に、早苗は沈痛な面持ちで口を開く。
「実を申しますと……わたくしは、自分の存在に疑問を持っているのでございます」
「はい」
「わたくしは見ての通り、神に仕える巫女をやって長いものでして。朝は日の出と共に神事を始め、夜は祝詞を唱えながら、神の御前に一日の出来事を報告する――それが当然だと思っておりました。
また、こちらにやってきてからも、わたくしは、それを自分の中の常識としてきていまして……。ああ、それが悪いのかもしれません。自分の中の世界が、あまりにも幻想郷の空気と違うことには気づいておりましたが……」
「はい」
「その……」
彼女は、大変言いにくそうに迷った後、やがて意を決したように口を開く。
「……こんなことを言われました。
『お前、何で真面目に仕事してるんだ? 巫女なのに』と」
「……は?」
「そう……ですよね……。それが普通ですよね……。
ですが、とある事情から互いに顔を知る関係になった方々は、皆、同じことを言うのです。
『巫女って、こんなにお仕事が多かったの? 知らなかったわ……大変ね』とか、『巫女の仕事ってお茶飲んでごろごろすることだと思ってました』とか、『そんなに働いていて疲れるだろう? 少しは休んだ方がいい』と、なぜか大変に真面目な顔で言われたり、『巫女って仕事するものだったんですか!?』と、なぜか驚かれたり。
挙げ句、わたくしと同じ巫女に『巫女のくせに何で働くのよ! あんた何様!?』と逆ギレされた始末でして……」
「……はあ。あ、はい……よくわかります……大変に……」
何となくどころではないくらいに、実によくわかった。理解してしまった。そりゃもう徹底的に。
何せ、そういうことを言う&やる連中が、永琳の知り合いに、そりゃーもう山のようにいるからである。
「……真面目に生きることは悪いことではないと思います。また、自分の不徳を知ることも悪いことじゃないと思います。
だからって……なんか人生そのもの否定されるとは思ってませんでした……」
「あ、ああ、気を落とさないでください! 早苗さん!」
「しくしくしく……」
どうやら、意外と逆境に弱いというか、色んな意味で精神攻撃には慣れてないようだった。当たり前と言えば当たり前だが。
直球攻撃には、人間、どれほどでも強くなることは出来るが、こんな、変化しまくった末に後ろ側からバットに命中してくるような変化球に慣れることなんて出来るわけがないだろう。
「……あたしゃどーしたらいいのかと、酒飲んでくだまきたいくらいで……」
「ええ、わかります。大変によくわかります。
ですから、あの、あんまりネガティブオーラは……ここ病院ですし……」
「……はぁ。
ほんと……もうごめんなさい……生きててごめんなさい……」
精神を高揚させる薬でもぶちこんでやろうか。永琳は、この時、本気でそう思ったという。
それほどまでに、早苗の周囲を取り巻くオーラはどんよりどよどよとよどんでおり、真夏の、全く流れのない藻で濁りまくった池の65536倍はよどんでいた。っていうかむしろ腐ってた。
さすがに、下手なことは言えないな、と永琳の顔も引きつる。
「何と言いますか……幻想郷に来たの、間違いだったんじゃないかなー……って……。この頃、寝る前に思うんです。
うちは神様二人抱えててしかもわがままだから、わたしがどんなに苦労しているか……。それでも、一生懸命、巫女として頑張ってきて……そんな自分を誇らしく思っていたのに……」
フルボッコにされたら、そりゃへこむわな。
言葉に出さず、永琳はつぶやく。
「その……ですね、早苗さん。
人の人生と言いますか、生き方には色々とありまして……。まぁ……何と言いますか。十人十色、でよろしいのではないでしょうか? あまり気にすることなく、自分の生き方を貫くのが……」
「でも……だけどっ!
そっちの方がいいってわかってるけど、でも、やるせないじゃないですか!? 真面目に働く巫女は巫女じゃない、とか言われるんですよ!? 何のために、神通力を磨くための荒行に挑んだのかとか、そういう物理的な過去ががらがらと音を立てて崩れていくんですよ!」
「……わかります、その気持ち」
「ああ、もう……。わたしは一体どうしたら……」
「とりあえず……堅い考えを捨てる……とまでは言いませんけれど、もう少し、柔軟に考えてみてはどうでしょう?
周りの人の言葉にも、きっと参考になるものがあると思いますし。これまでの生き方を貫いていくのが難しいと感じるのなら、今が変革の時なのかもしれませんよ。
世の中には、たくさんの可能性がありますから」
たまたま、早苗にとっては、『幻想郷』というファクターがそれだったというだけで。
……にしては、かなりどぎついファクターではあるが、とりあえず、人生の選択肢を選ぶ一つの道しるべになったのは言うまでもない。問題は、早苗が、そういうのに対応できるほど、柔らかい……というか、人生経験が豊富ではなかった、ということか。
「これから、たくさん、その……理不尽なこととかがあると思いますけれど、そのたびに落ち込んでいるのではなくて、これはこれ、で流す度量も必要かと……」
「……そうですね。わたしも、まだまだ修行が足りないですよね……」
「いえ、修行とかではなく……」
「……この思いを断ち切るために、三日ほど岩屋に閉じこもろうと思います……。先生……わたし……頑張りますから……。見守っていてくださいね……」
「ああ、いや、えっと……」
「……うちの神様どもはあっさりなじんでるし……。何でいっつもわたしだけ……」
「……苦労……してらっしゃるんですね……」
「聞いてくださいますせんせぇぇぇぇぇぇぇ!」
「ええ……私でいいのでしたら……」
「ありがとう……ありがとうございますぅぅぅぅぅっ! もう、ずぅぅぅぅぅぅっと、言いたくても言えなくて心の中にしまい込むしかなくてぇぇぇぇぇっ!
もう語ります! 今日は語りますっ! いやなもの全部吐き出しますぅぅぅぅぅぅっ!」
「……よしよし」
どうしたもんかしら。
何というか、この医療相談所が開業してから、最強クラスに困難な患者がやってきたような気がしているのか、永琳の顔も引きつっていた。早苗は、そんな彼女に抱きついて、あれやこれやの愚痴を涙と共に語り続ける。
何だか様子がおかしいなと思って見に来た鈴仙が、その室内のカオスっぷりに沈黙し、永琳に、「とりあえず、今夜の晩ご飯と寝床を一人分追加して」と言われて、何も言えずに引っ込んでいく。
「それでですね、先生! わたし、本当に一生懸命なんですよぅ! なのになのに、みんな、わたしのこと……!」
「……今夜は長い夜になりそうね……」
こんな風に長い夜は、千年の人生の中、一度たりとも味わったことがなかったわね。
これもまた、自分の歴史の新たなる一ページと思えば、きっと何ともないのだろう。そう、自分に言い聞かせながら、永琳は、『はいはい』とうなずくのだった。
「……師匠……昨晩はお疲れ様でした……」
「ええ……そうね」
ありがとうございましたー! と、やけに晴れ晴れとした笑顔で、早苗は、翌朝、永遠亭を後にしていた。きっと、あの調子なら、あと五年は戦えることだろう。対比して、永琳の顔には、珍しく隈が浮かんでおり、先日の苦労が偲ばれる状態である。
一方、輝夜に連れて行かれたてゐであるが、一日中、将棋を指しながらの説教を食らい、今現在、自室でうなされている。
「色々……大変なんですね……人生って……」
「そうねぇ……」
「幻想郷って……奥、深いんですね……」
「懐が深すぎるというか……広すぎるというか……」
「……あの、今日は病院、お休みしますか?」
「……そーね……」
「ああっ、師匠ぉぉぉぉぉぉぉっ!?」
八意永琳、東風谷早苗の前に撃沈す――。
~本日の診療は終了致しました~八意永琳医療相談所所長兼主治医八意永琳(&鈴仙・優曇華院・イナバ 代理)
椛も可愛くてGJ!ドジっ娘という単語が浮かびますた。
早苗"(,,゚Д゚) ガンガレ!"
早苗って巫女っていうか風祝だから別物じゃね?
輝夜好きには嬉しい限りです。
早苗は苦労人同盟入りですねー。
ステアウェイトゥヘヴン吹いた
・・・風神録キャラもなかなかおもしろいなあ
空気を読ませたいなら『天国への階段』や『王の紅』よりも『マンハッタン(ry』
苦労症の早苗さん。たいへんおいしゅうございました
早苗は妖夢の座を脅かしかねないほどのいじられ属性。これはガチ。
何だかんだいって皆悩んでるんですよ・・・特に巫女さんはw
そういやここに山田来たっけ?