紅い霧の異変――東方紅魔郷。
冬の春の異変――東方妖々夢。
長い夜の異変――東方永夜抄。
紅より出で、紫に沈み、その相剋を以って永久を成す。
一連する弾幕の太極。
○ 承前 ・ そのことの終わりより二度ほど月の肥え細る頃 ○
幻想郷における決闘手段、スペルカードルール。
その確立により齎されたのは、人妖間のコミュニケーション不足の解消だった。
弾幕で紡がれる、人間と妖怪の、新しい関係。
ゆったりと、妖怪のペースで浸透していったこの関係性は、人妖の双方のみならず、それまでどちらにも与せず幻想郷にあった他の立地をもルールのうちに取り込むことに成功した。
大本のProjectにとって成功とみなされたものか、はたまた失敗でしかないのかは、誰にも判らない。
人が人の心を知る術は無くもなかろう。
しかし、その術を知る人は、最早人の領分を乗り越えている。
妖怪だということだ。
斯様に、人間と妖怪の境目は、近代の幻想郷において、あってないようなものとなっている。
ひょっとすればそれはまた、あの雲の隙間にゆらめく妖怪少女の謀であるかもしれないが、この度の話には係わり合いの無いことだし、言ったところで推測の域を出るものでもない。黙ってくわばらと唱えるのが相応しいところだ。
先に挙げた三つの異変は、然程広くない幻想郷とはいえ、その全体を覆いつくし取り囲む規模でもって顕現したという点において、数多の小異変と比べて大分巨きなものだったと言える。
鬼の祭の異変、東方萃夢想は番外編であるし、罪の花の異変、東方花映塚は六十周年記念で、弾の文の異変、東方文花帖に至っては純情派であるから、各々先の三件とは趣を異にしており、出来事として茶飯とまではいかずとも、日常の一風景として見る事にあまり抵抗を覚えない。
やがて幻想郷は神と神の異変、東方風神録や、月と煙の異変、東方儚月抄、更には緋の金の異変、東方緋想天などを迎えることになるが、しかし、気付くべきことがそれまでにあろう。
私が、どうしてそれら異変の、外での謂いを知り得ているか?
否やいな、そんなことはどうでもよい。
私が言うのは、ある一年。
何事も起こらず、平和裏に終わった年のことを思い出すべきだろう、ということだ。
そして疑うべきだろう、とも。
本当に、その年には何も起こらなかったのか?
そんな一年が、幻想郷の少女達に許されただろうか?
幻想郷は殺伐とした人知れぬ荒野などではなく、豊かといえばこの上なく豊かで、その名の通りの理想郷である。
何事も起こらぬ一年があったところで何だというのだ、と問われれば、まぁ何ということも無いとのみ応えられる。
また、何事も無かったのだと言われて、いたずらにそれを疑うような様もどこかさもしい。
素直に額面どおりの言葉を受け取っておくのが正道なのだろう。
事実を明らかにすることばかりが能では疲れるだけだ。
その年には、本当に、何も無かったのだ。
だが、それなら。
あの日確かに見た、空を覆い眩く輝く昼間の如き明るさを夜の帳に齎す星々は何だったのか。
その星たちが渦を巻き集う空の中心へと向かっていった幻想の少女達は何を目的としたのか。
その出来事に前後して少しずつ郷から妖怪たちの気配が消えていったのは何ゆえだったのか。
あれは、一体、何事だったのか。
考えるばかりでは何も始まらない。
ということで、近隣に住み暮らす歴史の長、ハクタクの半怪、上白沢慧音を訪ね、このことについて問うと、彼女はほんのりと驚きの表情を浮かべ、「驚いたな」と言の葉に重ねてその心を露にした。
「まぁ、そういう奴がいても、それほど不思議ってわけでもない。幻想郷だからね」
そう前置きして、まだ年浅きワーハクタクの女は、私という人間が持つちょっとした特質を教えてくれた。
それによると、私には、人様の落としていった記憶を拾い食いする、どうにも不道徳な能力が備わっているらしい。
次いで記憶というものの何たるかについての講釈が始まると、五分もしないうちに私は明後日の方向に意識が飛んでしまって、途中幾度か揺り起こされはしたが、何を話してもらったものかさっぱり覚えていない。
小難しく思える小ざかしいことを考えるのは好きだが、人からされる難しい話は苦手なのだった。
辛うじて、そうした私の特質を指す言葉、ジオサイコメトリーというカナ文字だけは記憶に留められたが、単語の意味までは理解できていなかった。
「第一だな、ええと、神社の営業停止に、連日の異常気象騒ぎだったか? その話自体は兎も角、お前はどうして、これから起こる異変のことを知っているんだ? そら。自分がどうやってそれを知ったか、覚えてはいまい。それがつまり、記憶を拾い食いする、つまみ食いするということなんだ。後とか先とか、内とか外とか、己とか他とか、そういうえり好みをしない、できない。てんで無節操だ」
結局、さんざっぱら長々続けてくれた話の殆どは私がこの特質をそれと知らずに濫用していることへの苦言に尽きていて、それは勿論とてもありがたいことでこれから肝に銘じねばならないだろうとは思うが、私の知りたがっていたことへの返答とは成り得ず、私は何となく不満を抱えたまま帰途に着くことになった。
いや、上白沢慧音(さまと続けて彼女を敬する者もあるが、どう見たって年頃の少女に向かって吐く言葉には思えない私はただこう呼ぶのみである)の意図からいけば、そうやって私に直接の答えを教えないことも思慮のうちなのだろう。
だから相談したのは無駄ではない。
慧音の言を信ずるなら、私が見たと思っているものは全て、他の誰かが見たもの――見たけれど、もう忘れてしまったものであるということになる。
が、私の中に残っているその映像的な印象は、一年も経たずに忘れられるような凡庸なものではない。
それはあくまで鮮烈であり、過激なまでに美しく、必要以上に煌びやかだ。
極めて高レベルな妖怪たちによる、弾幕ごっこの始まりから終わりまで。
あの遊びは余人には危険極まるのだ。
花火を見るように遠目にするならいざ知らず、間近に触れる機会があっても普通は一も二も無く逃げ出すものである。
もし私の記憶に残るような強烈な弾幕を目にしたのなら、ちょっとした思い出にすらなる。
それに、弾幕ごっこは、割合最近、ここ数年で広く普及した遊びなのだ。
まずもって大昔のどこかの誰かさんの記憶ではありえず、最近の出来事であるにしては忘却されるのが早すぎる。
いや、私の得たこの記憶が確かなものならば、私を含む幻想郷の住人は皆、己の記憶としてこの出来事を覚えているはずなのだが、多くの人間の知り合い、少ない妖怪の知り合いにこの記憶の出来事を問うても、誰一人私の望む答えを返しはしなかったのである。
慧音はこれに対し、ならばそれも未来の出来事なのだろうと断じたが、私にとっては鮮明な記憶の中に登場する人物、その顔ぶれを見ていけば、東方花映塚以降東方風神録以前の出来事であることは明白だった。
さて、この記憶の正体は何だろう?
私は足りない頭を絞って少し考え、一つの思い付きを得た。
思うに、私はいきなり当たりを引いてしまったのではないか。
上白沢慧音は歴史をあれこれする能力を持った妖怪なのである。
その出来事は、彼女の力によって覆い隠され、既に歴史の裏側となってしまっているのではないだろうか。
そして、歴史を食べることでその実存を隠すという能力の実体は、必ずしも食べるべき歴史の全てを丸呑みにするものとは限らないのではないか、と。
皮一枚剥いだだけでも物事の様子は一変する。
彼女の歴史隠しがそういう力なのであれば、《私の特質はその食べ残しを拾い食いできる》。
それを慧音の不始末や不手際とは思わない。
彼女にとってすれば、そのぐらい隠しておくだけで十分だったというところなのだろうと思う。
大異変ではあっても、大惨事ではなかったのだ。
人間には衝撃の強すぎる、弾幕歌劇の顛末。
私程度が見つけられるのだから、そもそも隠すこと自体が本意ではなかったのかもしれないとさえ感じる。
宴の余韻に浸って、人間たちが数ヶ月はまともに生活できなくなるだろうことを予見したが故の、彼女なりの思いやりだ。
放っておいても、きっと数ヶ月もすれば皆、あの出来事を思い出す。
私はそれを、皆より少し早くつまみ食いしたのに過ぎない。
というようなことを、私は名家である稗田の当代乙女に口述した。
記憶の特質に関わるということで慧音から紹介を貰っていなければ、一生言葉を交わすことも無かっただろう相手である。私は少なからず緊張して、つっかえつっかえ話すことになった。(上白沢慧音は里の相談役でもあり、妖怪であるが人々に近しい。彼女よりも近寄りがたい人間がいるというのは皮肉のようでいて、幻想郷では大きな変事でもないのだ。かの紅魔の館のメイドのように)
一生というのは私ではなく彼女、稗田阿求の生涯を指している。亜礼の子は短命である為に。
年端もいかない少女であるにも関わらず、阿求は全て話し終えた私に「そうですねぇ」と一つ思案する素振りを見せるばかりで驚く風が一切無く、不思議な貫禄さえ醸し出して私に答えた。
「今の仮説ですが、貴方がそう感じたのなら、そうなのではないでしょうか? 私はハクタクの能力について彼女に取材こそすれ、目の前で実践してもらったわけではありません。第一、実践してもらったところで他人が感じ取れるようなものでもないでしょう。彼女に限って人に嘘をつくということはないと思いますけど、だからといって本当のところを教えてくれるとも限りません。なら、個人の記憶と万世の歴史という差異はあっても、形無いものを“食べる”という感覚を共有できている貴方の方が、彼女の力の本質により迫っているのではないかと思いますが」
彼女はそこで一区切りを付けると、少女の物言いとしては堂に入りすぎだなと思う私に、その心中を察したものか、
「なーんて」
小ぶりな唇からちょろっと紅い舌を覗かせ、続いて言い切った。
「お察しの通り、私はそれを知っていますよ。確かに彼女は、その異変を隔すべく歴史を食べています。ちゃんと見てましたから、私がそれを忘れることは、ありません」
そうして少女らしく声を立て、あはは、と阿求は笑う。
何をそんなに面白がったものか判じかねた私は咄嗟に愛想笑いも返せない。
それが、大人をからかうとても純粋な子供らしさの発露であったことに気付くまで、私は一杯の紅茶を要した。
賢者としての老獪さと賢しらな子供としての稚気、双方相俟って佇むのが亜礼乙女というものなのだ。
その有り様は、妖怪少女のそれと何ら変わるところは無い。
斯様に、人間と妖怪の境目は、近代の幻想郷において、あってないようなものとなっているわけである。
ともあれ、からかい気味の挨拶代わりも終え。
果たして私は、己が目にした物事を決して忘れないという亜礼乙女の能力を直に実感することになった(洒落ではない)。
他人様の記憶をしょっちゅう拾い集めているくせに自分の記憶となると万事おぼろげである私は、不遜ながら、かの能力の実在について少々の疑いを持っていたのである。
亜礼乙女とは先祖がえりの異種で、突発的な天才体質でしかないのではないのか、と。
そうした懐疑は阿求と面と向かって話し、機知に富んだ話し振りや年不相応の落ち着いた物腰を観察するに、話す以前より一層強まってさえいて、もはや殆ど確信の域に至っていた。
だがその疑心は、彼女の口語りが始まってすぐに吹き飛んでしまった。
阿求がそれを語るべく唇を開き喉を震わせた途端。
私の意識、見えるもの、聴こえるもの、感じられるもの、その全てに異変が起きた。
内に凝るかの記憶、華々しき弾幕映像と、阿求の幼い声で語られる、弾幕歌劇の澱み無き壮麗さ。
霧。魔。闇。氷。鈴。曜。時。紅。悪。スカーレットデビル、システマティック。
春。迷。式。操。騒。剣。幽。狐。境。エンプティゴースト、ピンクジュエリー。
月。永。蟲。歌。史。兎。薬。蓬。莱。ネバーエンディング、ファイナルスペル。
紅より出で、紫に沈み、その相剋を以って永久を成す。
一連する弾幕の太極。
それらが頭の中で重なり合い、それぞれ巧みな演出で新たな景色を作り上げ、私の意識を塗り上げる。
奏でられる記憶の奔流とその横道を走る幾筋もの光の束、果てしなくリフレインする彩り。
点滅の連続、波濤の眺望、断崖の閾値、色即の是空。
その番外の記憶は、私にこの世のものとは思えない恍惚を齎し。
目の前に居るはずの阿求、否や、私を取り巻く幻想の郷の空気感を遠ざけ、意識から追放し。
私は再び見た。
その享楽を。
隠された、隔された、画された歴史。
虚空より現れた一団の、幻想郷を楽しませる為にやったありがた大迷惑。
――東方天畿楽。とうほうてんきらく。
皆が良く知るであろう、外の謂いに似せて名付ける。
それが大本のProjectにとって成功とみなされたものか、はたまた失敗でしかないのかは、誰にも判らない。
人が人の心を知る術は無くもなかろう。況や妖怪においてをや。
しかし、その術を知る者は、最早その者の領分を乗り越えている。
どうして異変の謂いを知り得ているかなんて、本当にどうでも良いことである。
私などに興味を持つ必要は無い。
十分な注意があれば、この時の私のように、その意識があの事件へと飛び立つだろう。
私はそれが故に、出来事を名付けることができるのだ。
皆がこれを知るはずであるという未来の記憶を、私はつまみ食いしたのだから。
《外の誰かの記憶がいつか忘れ去られ、時を越えて幻想郷にやってきたのだから》。
幻想郷は全てを受け入れる、そう境界の妖怪が語ったという。
外の世界は、そんなにも様々なものを爪弾きにしているのだろうか。
順逆の矛盾など無い。
ただ、無限のループがある。
循環する幻想の中で、それよりずっと小さな循環系である私の記憶が蘇る。
浮かんでは消える幻想の妖怪たちが、いつもの如くにいつもより激しく、一切合財をなげうって楽しんだ軌跡。
全てを楽しむための遊びに、薄ら温い喜び、滅法無為に暑い怒り、無闇と冷たい哀しみは無く。
そこに、全てを楽しむしかなかった一匹の妖怪がいた。
天が叫び地が沸き、
人妖一同畿差をうっちゃり、
全一の丸、巨大な星となって、
喚声を上げ、只管に徒に楽しむ為の大騒ぎ。
これは、楽しみだけが何もかもを支配した、幻想一夜の夢物語である。
<つづく>
序章ですでに半端無い。
どこまで行こうというのか、あなたは。
連作の途中で点数入れるのは気が引けるのですが
大きな期待と、少しの不安を込め、敢えて。
某スレなるものが皆目見当の付かない立場としては混乱するし、
文字通りの蛇足だったと思うのですが……
いや、その気持ち自体は理解出来るのですが。
前作もそうでしたが言葉遊びはともかく意味が通っていないように感じられる部分がいくつか……ごめんなさい
せめて確たるストーリーがあるのならまだマシなんですけど。
その文才自体はすばらしいのですが、
物語として引き込まれるという類のものではないような気がします。
もちろんそのような方向もありだと思いますので、ぜひそのまま書ききっていただきたいです。
すこし長いかもしれません。この長さからさらに半分くらいに分けるといいのでは。
一が投稿されてるのをみて初めて気づいた次第。
語られなかった一年に、隠された一念に何が込められていたのか。
語り部は? 共犯者は? 道化者は? そして主催者は?
やっべ、ちょーわくわくするw
点数はコメントが示すとおり、「待ってました!」の60点でw
面白いなぁ? 面白そうだなぁ!?
「素薔薇しい!」
今更ながらガチ期待や。