幻想郷の空を、黒い点が駆け抜ける。鴉天狗の射命丸文が何か面白いネタはないかと飛び回っていた。
「今日も幻想郷はいい天気ですね。いいネタが見つかるといいんですが」
誰に聞かせるでもなく独り言を言いながら、抜けるような青空の中を文字通り風となって飛ぶ。
うだるような暑さも身を切るような寒さもなく、程よい気温と湿度、そして何よりこの青空に、文はもう今日はこのまま飛び回っているだけでいいかも、なんて思っていた。
その時、少女のかすかな泣き声が文の耳に飛び込んできた。
「ん、事件ですかね?」
急旋回をし、泣き声のする方へ向かう。
しばらくすると森の中にぽつんと空き地が生まれる。そこに一軒の少し古びた平屋があり、その庭で赤い服を着た少女が干された布団の前でしくしくと泣いてた。
泣いているのは化猫橙。大妖怪八雲紫の式、八雲藍の式だ。
よく見ると、干された布団は大きな染みが出来ていて、どうやらおねしょをしてしまったようだ。
「やれやれ、おねしょくらいで泣くとは。おおかた藍さんに怒られたんでしょう」
たいしたネタでもないし、あきれた文はそのまま立ち去ろうとすると、家の中から怒鳴り声が聞こえた。
「だからアレだけ言ったでしょう。お酒を飲んだら寝る前に用を足してくださいと!」
藍の声だ。文は少し様子を見ようと屋根の上にそっと降り立つ。
「しょ、しょうがないでしょ、眠かったんだから」
「しょうがないでおねしょされたら、こっちはたまったもんじゃないですよ! そんなんだから世間からぐうたら妖怪なんて言われるんです。ぐうたらを通り越してもうボケ妖怪ですよ! ボケ妖怪様、パンパースでもご用意いたしましょうかぁ?」
「なっ! 式神のくせに主である私にそんな暴言を……」
「式神とか関係ないです! こともあろうに八雲紫ともあろう大妖怪がおねしょをするなんて……橙だって自分の主の主がおねしょするなんて、情けなくて泣いているんですよ」
信じられないとばかりに藍は首を振る。
「わ、私だっておねしょくらいするわよ! そんな完璧に出来る分けないでしょ。そうよ橙にだっていい勉強だわ。どんなに美しく完璧に見えるこの大妖怪たる八雲紫にだって過ちがあると。そう人生は常に過ちがあってそれらを乗り越える事に……」
「はぁ~……逆切れですか?」
「なっ!」
挑発めいた藍の呆れ顔に紫の堪忍袋の尾が切れ、スペルカードを取り出す。
「もうやめてください!」
そこに、庭で泣いていた橙が飛び込み、藍の前に立つ。
「橙。これは教育なの。黙って見ていなさい」
橙に厳しい視線を向ける紫。その姿は獅子の様だ。
「下がっていなさい」
藍も橙をどけようと手を伸ばす。
「おかあさんもおばあちゃんもやめて!」
「!……」
「!……」
目を閉じて叫んだ橙の声にその場が凍りついた。
しばらく橙のすすり泣く声がその場を支配する。
文は屋根の上で笑い声を隠そうと必死で口を押さえていた。
「お、おお……おお、おあばあちゃんって……」
紫はその場でガクリとひざを突き、ホトホトと涙を流す。
「おばあちゃんおばあちゃんおばあちゃんおばあちゃん……」
空ろな目で地面に向かい、自分に対する呪いの言葉を呟き続ける紫。対する藍は身震いをして橙に抱きつく。
「ああ、橙やっとわかってくれたか! そう私はお前におかあさんだよ。これからはいつでもおかあさんと呼んでおくれ。いやママがいい。うんママだね。はぁ~……よしよしよしよしよし……」
「ち、ちがっ、間違った。藍様も、紫様違うんです! 最近慧音さんの寺子屋に行ってるから……人間の友達と話を合わせる時に、2人の事おかあさんとおばあちゃんって事にしているだけで。決して紫様が年増なんて私は思ってないです。でも、おねしょしちゃうなんて紫様も年をとっちゃったのかなぁなんて悲しくなちゃって……あっ」
とそこで自分がものすごい事を言っているのに気付いて、橙はまたあぅあぅする。
藍はそれらを聞き流し、やっと私の愛に気付いてくれたのか、と橙の頬を嘗め回していた。
言葉のナイフに刺され打ちひしがれている紫と、方向性を間違えた愛を振りまいている藍を撮り、その場を後にした。
「さすがに18禁ですね、これは」
藍と橙の甘美なやり取りが写された写真に、文はボツと書いた。
次に文が向かったのは人間の里。橙が寺子屋の話をしていたので、何となく上白沢慧音の家へと向かう。
「何か面白いネタがあればいいですけど」
しかしあの堅物の慧音から面白いネタなどそうそう出てこないのは承知しているので、世間話でもして暇を潰そうと文は思っていた。
やがて慧音の家が見えてくると、それでも何かないかとこっそり中をうかがった。
「……慧音さんは何をしているんでしょうか?」
そこには何か人形の様な物に向かって突撃を繰り返す慧音の姿があった。
相撲のようにも見えるが、顔を下にして、両手の人差し指をこめかみの所で構え突進する姿は、どの格闘技にも属さない動きだった。
「何か新しいスペルの練習ですかね?」
サラサラと慧音の奇行をメモしながら、さらに注意深く観察する。
すると、首をかしげながら慧音が人形の高さを調節しだす。
「うーん。妹紅はもう少し背が低いかな。これでは狙った位置に指が当たらない」
そう言って人形の高さを調節して再度距離を取り、机の上の本を見る。
「構えは間違っていないようだが、なかなか難しいものだ」
慧音の見ている本は幻想郷には無いケバケバしい色で彩られていて、一目で外の世界から来た本だと分かる。その表紙にはでかでかと、『コレであなたも合コンKing! 合コンでウケる10のゲーム』の文字。その他小さい字で『抱きたい女性タレント100』『初Hで気を付けたい事』などいろいろと書かれていた。
「むむ、なかなか興味深い本を読んでいますね。知的好奇心を刺激されます」
書かれている単語の意味はよく分からないが、分からないだけに文の好奇心がうずいた。
しかしここで出て行くと、慧音の秘密特訓が中断されてしまい、おそらく取材にも答えてくれないだろうということで、文はぐっと堪えてもしばらく様子を見ることにした。
「よし、もう1回最初からだ」
慧音はそう言って深呼吸をして、グッと拳を握る。
「ばっふぁろーげぃむ!」
少し片言な感じで叫び、慧音がピョンとジャンプをして握った拳を上に突き出す。
「さぁ、それではルールの説明をします。この私の角が、見事妹紅ちゃんのお豆さんにヒットしたら私の勝ち。妹紅ちゃんはその場を動かずにかわしてください」
丸暗記したような棒読みで、慧音が架空の相手に説明をしている。
「その場を動かずにかわすとは、身を捻って避けるんでしょうか? なかなか厳しいルールのスペルですね。しかしお豆さんとは一体……当たり判定のポイント?」
文は真剣な表情でそれを見つめる。
そしてさっき見たように、両手の人差し指を立て両こめかみに構えると顔を下に向け、人形に向かってゆっくり突進していった。
それを何度か繰り返しては、本を見直して最初の文句から始める。
しばらく一心不乱に特訓を繰り返し額に汗をかいている慧音を見て、文は拍手を送りながら家に入っていった。
「いやー、さすが勤勉な慧音さん。がんばっていますね」
「なっ、げほっげほっ!」
突然の来客者に、肩で息をしていた慧音は驚いて咳き込んでしまった。
「すごいですね。こんなに力を入れて特訓するということは、今度のスペルはよっぽどの自信作なんですね。ちょっと資料を見せてもらっていいですか?」
ズカズカと賛辞を唱えながら例の本が置いている机まで行き、有無を言わさず本を見る。
「ふむふむふむ……んっ!」
真剣に見ていた文の顔が、突然にやけた顔になる。おいしいネタを見つけた顔だ。
「ち、ち、違うんだ! あのその妹紅が最近の宴会芸みたいなものにはまっていて、それで私も探求していたんだ! 決して妹紅のお豆さんをつつきたいと思ってそれを鍛錬していたのではなくてあのその……」
慧音がしどろもどろに内心を告白し、文は確信する。
本は『バッファローゲーム』の紹介ページが開かれていて、『相手の乳首を突っつくゲームです』に何重も赤線が引かれていた。
にやにやしながら文が慧音の顔を見る。慧音は紅潮してぶるぶると震えている。
更に素早くページをめくり、いろんな所に赤線や丸がつけられているのを発見する。特に初エッチのページは何回も読んだのか、ページの端が黒くなっていた。
「あー。一応言っておきますけど、歴史隠しなんてしませんよね? 慧音さんの能力は、人間のためにしか使わないんですもんね?」
ニヤニヤと笑みを浮かべながら茶化すように言って、悠々と玄関に向かい外に出る。
「それではごきげんよう。乳首ハンター、バッファロー慧音さん」
「うがーっ!」
慧音が光り輝くレーザーを繰り出したが、幻想郷最速と豪語する鴉天狗の姿はすでになかった。
次に訪れたのは、人間の里から程近い魔法の森の中。ここには魔法使いと魔法使いもどきがいて、魔法使いもどきの方はいつもネタには困らない。ただ今回はいつもと趣向を変えて、人形使いの魔法使いアリス・マーガトロイドの家に足を向けた。
「アリスさんは何をしてますかね~」
レースのカーテンが引かれた窓から家の中をのぞく。
家の中は綺麗に掃除をされていて、天狗の目で見てもホコリ1つ見当たらない。そして今も一生懸命人形達が掃除をしていた。
「あの人形、便利ですね。私も資料整理に1体欲しいところです」
しかしアレも全自動で動いているわけではなく、アリスが魔力で動かしているので、もしかしたら自分で掃除をするより手間なんじゃないかと文は思った。
「しかしアリスさんの姿が見えませんね。人形が動いているから家の中にはいるんでしょうけど……」
キョロキョロと中をのぞくと、寝室からこしょこしょと声が聞こえる。
音も無く寝室の窓に向かい中をのぞくと、アリスが人形を2体手に持って動かしていた。
『アリス、好きだぜ』
『やだ、魔理沙ったら、急に何を言っているの』
『アリスの可愛い顔を見ていたら言いたくなったんだ』
『いやん。魔理沙ったら。私を口説いてどうするつもりよ』
『どうするもこうするも……こうするんだ!』
『や、ちょっとまだお昼よ。今からするの?』
『もう我慢できなんだ。なぁ、いいだろ?』
『んもう、魔理沙ったらエッチなんだから……』
そしてがばっと人形同士をくっ付けると、人形をもみくちゃにしながら悶えだすアリス。
「ああ、魔理沙魔理沙! そんなに激しくしたら壊れちゃう」
しばらくして、自分の体に魔理沙人形をすり付け服を脱ぎだすアリス。それはさながら人形を通して呪いをかけているかのようで、実際人形がしっとりと濡れていたりする。これで相手が水難にでもあえば、立派な呪術として通用しそうではあるが。
「……」
口を開けながら呆然とその様子を見ていた文は、目に涙をうっすら浮かべながらそっとその場を後にした。
なぜか寂しくなった心でふらふらと飛んでいると、大きな湖と紅い館が見えてきた。紅い悪魔、レミリア・スカーレットの棲む目に痛々しい館、紅魔館だ。
ボーっとしている門番の上空を抜け、おいしそうな匂いのする窓から中をのぞく。
「そういえばそろそろお昼ですね。ご相伴に預かりたいものですが、さて」
思案しながらもすでに半身は館の中に入り込み、メイドたちがいないかを確認していた。
警戒しながら鍋の中をみると、おいしそうなキノコのシチューだった。
「これはメイド用ですね。紅くないですし」
ということは食べておいしいものだと確信した文は、手の動きも幻想郷最速かと思わせる動きで手近の皿を取り、シチューを盛りつけと、厨房にある小さな机に乗せ、背もたれの無いこれまた小さな丸イスに座る。
「いただきます」
誰に聞かせるでもなく言い、これまたものすごいスピードでシチューを平らげる。もう1杯もらおうかと鍋に手を掛けると、人の気配が近づいてくるのを感じ、文は渋々窓から皿を持ったまま外に出た。
厨房に来たのは紅魔館で唯一人間、メイド長の十六夜咲夜だった。
「あら、誰かつまみ食いしたわね?」
一目でシチューの量が減っているのに気付いた咲夜。
恐るべし咲夜アイズ。
しかし紅魔館のメイド達は妖精ばかりなので、つまみ食いなんて日常茶飯事なのか、咲夜は特に追求もせず、自分の分を皿に盛りパンを1つ棚から取り出す。
「ふー……」
咲夜は憂鬱そうなため息をつきながら、ゆっくり昼食を取る。
憂鬱の種を知りたくなった文は、しばらく咲夜を観察することにした。
もくもくと食事する咲夜は、すぐに食べ終わるとあっという間に洗い物を済ませ、厨房を出て行った。足音が遠くに行くのを確認して、侵入すると文はもう1杯シチューを頂き、皿はそのままにして廊下に出た。
咲夜がどこに行ったのか見当はつかないが、おそらく掃除か洗濯だろうと慎重に歩を進めた。途中何度か妖精メイドとすれ違ったが、挨拶をすると元気に挨拶を返してきてそのままどこかに消えていった。きっと文の事をお客さんだと思っているのだろう。
「さすが頭のゆるい妖精達。咲夜さん以外は警戒心の欠片もありませんね。楽でいいです。しかし咲夜さん、いませんねぇ……」
勘を頼りに館内を歩くが、どこにも咲夜の姿は見えず、そろそろあきらめて帰ろうとすると、奥のほうからハァハァと荒い息づかいが聞こえてきた。
奥には広く大きな浴室があり、脱衣所で咲夜が手で顔を覆ってうずくまっていた。
気配を殺してそっとのぞいていると、咲夜はまた荒い息を立て始めて顔を上げた。その手に持っていたのは、かわいらしいクマの絵がプリントされたパンティだった。
「ああ、お嬢様……なんて愛らしい」
文はまたも呆然と立ち尽くしてしまった。そんな事はつゆとも知らず、咲夜は大きく息を吐き、クマのパンティに顔をうずめ深呼吸をする。
「お嬢様、早く起きてきてください……。お嬢様の残り香を嗅ぐだけでは、寂しくて胸が潰れてしまいます」
さらにもう1枚、パンダの絵がプリントされたパンティも手に取り、2枚同時に匂いを嗅ぐ。そのまま床にゴロゴロと転がりながら悶え続ける。
涙を流しながら更なる変態行為を続ける咲夜。
文は一部始終を見届け写真を撮ると、いつもの瀟洒な咲夜に戻る前に一目散に退散。館から出ると、『フオォォォォォォォッ!』という咲夜の雄たけびが聞こえた。
次の日。幻想郷の各地で悲鳴や笑い声が聞こえ、それに混ざって弾幕の華が咲いていた。博麗神社から一望できるそれらの現象を、博麗霊夢は特に事件性を感じる事も無く、お茶をすすりながら見守っていた。
「ああ、今日も幻想郷は平和ね~」
霊夢がボリボリと煎餅を食べながら、何とはなしに手に取った『文々。新聞』。そこにはこんな見出しが躍っていた。
『大妖怪 加齢臭を通り越した! 式と式の式が語った驚きの介護生活』
『歴史と一緒に食べられる 人間好きのワーハクタクに狙われた人間』
『森の魔法使い 人形遊びで呪い? 白黒魔法使いへの異常な執着』
『紅魔の犬 その嗅覚の歪んだ使い方』
霊夢は一通り目を通した新聞を閉じて、ぼけっと空を見上げる。
澄んだ青空を黒い点が、すさまじいスピードで弾幕の華へと飛んでいった。
今日の騒ぎをまたネタにするために。
おわり
「今日も幻想郷はいい天気ですね。いいネタが見つかるといいんですが」
誰に聞かせるでもなく独り言を言いながら、抜けるような青空の中を文字通り風となって飛ぶ。
うだるような暑さも身を切るような寒さもなく、程よい気温と湿度、そして何よりこの青空に、文はもう今日はこのまま飛び回っているだけでいいかも、なんて思っていた。
その時、少女のかすかな泣き声が文の耳に飛び込んできた。
「ん、事件ですかね?」
急旋回をし、泣き声のする方へ向かう。
しばらくすると森の中にぽつんと空き地が生まれる。そこに一軒の少し古びた平屋があり、その庭で赤い服を着た少女が干された布団の前でしくしくと泣いてた。
泣いているのは化猫橙。大妖怪八雲紫の式、八雲藍の式だ。
よく見ると、干された布団は大きな染みが出来ていて、どうやらおねしょをしてしまったようだ。
「やれやれ、おねしょくらいで泣くとは。おおかた藍さんに怒られたんでしょう」
たいしたネタでもないし、あきれた文はそのまま立ち去ろうとすると、家の中から怒鳴り声が聞こえた。
「だからアレだけ言ったでしょう。お酒を飲んだら寝る前に用を足してくださいと!」
藍の声だ。文は少し様子を見ようと屋根の上にそっと降り立つ。
「しょ、しょうがないでしょ、眠かったんだから」
「しょうがないでおねしょされたら、こっちはたまったもんじゃないですよ! そんなんだから世間からぐうたら妖怪なんて言われるんです。ぐうたらを通り越してもうボケ妖怪ですよ! ボケ妖怪様、パンパースでもご用意いたしましょうかぁ?」
「なっ! 式神のくせに主である私にそんな暴言を……」
「式神とか関係ないです! こともあろうに八雲紫ともあろう大妖怪がおねしょをするなんて……橙だって自分の主の主がおねしょするなんて、情けなくて泣いているんですよ」
信じられないとばかりに藍は首を振る。
「わ、私だっておねしょくらいするわよ! そんな完璧に出来る分けないでしょ。そうよ橙にだっていい勉強だわ。どんなに美しく完璧に見えるこの大妖怪たる八雲紫にだって過ちがあると。そう人生は常に過ちがあってそれらを乗り越える事に……」
「はぁ~……逆切れですか?」
「なっ!」
挑発めいた藍の呆れ顔に紫の堪忍袋の尾が切れ、スペルカードを取り出す。
「もうやめてください!」
そこに、庭で泣いていた橙が飛び込み、藍の前に立つ。
「橙。これは教育なの。黙って見ていなさい」
橙に厳しい視線を向ける紫。その姿は獅子の様だ。
「下がっていなさい」
藍も橙をどけようと手を伸ばす。
「おかあさんもおばあちゃんもやめて!」
「!……」
「!……」
目を閉じて叫んだ橙の声にその場が凍りついた。
しばらく橙のすすり泣く声がその場を支配する。
文は屋根の上で笑い声を隠そうと必死で口を押さえていた。
「お、おお……おお、おあばあちゃんって……」
紫はその場でガクリとひざを突き、ホトホトと涙を流す。
「おばあちゃんおばあちゃんおばあちゃんおばあちゃん……」
空ろな目で地面に向かい、自分に対する呪いの言葉を呟き続ける紫。対する藍は身震いをして橙に抱きつく。
「ああ、橙やっとわかってくれたか! そう私はお前におかあさんだよ。これからはいつでもおかあさんと呼んでおくれ。いやママがいい。うんママだね。はぁ~……よしよしよしよしよし……」
「ち、ちがっ、間違った。藍様も、紫様違うんです! 最近慧音さんの寺子屋に行ってるから……人間の友達と話を合わせる時に、2人の事おかあさんとおばあちゃんって事にしているだけで。決して紫様が年増なんて私は思ってないです。でも、おねしょしちゃうなんて紫様も年をとっちゃったのかなぁなんて悲しくなちゃって……あっ」
とそこで自分がものすごい事を言っているのに気付いて、橙はまたあぅあぅする。
藍はそれらを聞き流し、やっと私の愛に気付いてくれたのか、と橙の頬を嘗め回していた。
言葉のナイフに刺され打ちひしがれている紫と、方向性を間違えた愛を振りまいている藍を撮り、その場を後にした。
「さすがに18禁ですね、これは」
藍と橙の甘美なやり取りが写された写真に、文はボツと書いた。
次に文が向かったのは人間の里。橙が寺子屋の話をしていたので、何となく上白沢慧音の家へと向かう。
「何か面白いネタがあればいいですけど」
しかしあの堅物の慧音から面白いネタなどそうそう出てこないのは承知しているので、世間話でもして暇を潰そうと文は思っていた。
やがて慧音の家が見えてくると、それでも何かないかとこっそり中をうかがった。
「……慧音さんは何をしているんでしょうか?」
そこには何か人形の様な物に向かって突撃を繰り返す慧音の姿があった。
相撲のようにも見えるが、顔を下にして、両手の人差し指をこめかみの所で構え突進する姿は、どの格闘技にも属さない動きだった。
「何か新しいスペルの練習ですかね?」
サラサラと慧音の奇行をメモしながら、さらに注意深く観察する。
すると、首をかしげながら慧音が人形の高さを調節しだす。
「うーん。妹紅はもう少し背が低いかな。これでは狙った位置に指が当たらない」
そう言って人形の高さを調節して再度距離を取り、机の上の本を見る。
「構えは間違っていないようだが、なかなか難しいものだ」
慧音の見ている本は幻想郷には無いケバケバしい色で彩られていて、一目で外の世界から来た本だと分かる。その表紙にはでかでかと、『コレであなたも合コンKing! 合コンでウケる10のゲーム』の文字。その他小さい字で『抱きたい女性タレント100』『初Hで気を付けたい事』などいろいろと書かれていた。
「むむ、なかなか興味深い本を読んでいますね。知的好奇心を刺激されます」
書かれている単語の意味はよく分からないが、分からないだけに文の好奇心がうずいた。
しかしここで出て行くと、慧音の秘密特訓が中断されてしまい、おそらく取材にも答えてくれないだろうということで、文はぐっと堪えてもしばらく様子を見ることにした。
「よし、もう1回最初からだ」
慧音はそう言って深呼吸をして、グッと拳を握る。
「ばっふぁろーげぃむ!」
少し片言な感じで叫び、慧音がピョンとジャンプをして握った拳を上に突き出す。
「さぁ、それではルールの説明をします。この私の角が、見事妹紅ちゃんのお豆さんにヒットしたら私の勝ち。妹紅ちゃんはその場を動かずにかわしてください」
丸暗記したような棒読みで、慧音が架空の相手に説明をしている。
「その場を動かずにかわすとは、身を捻って避けるんでしょうか? なかなか厳しいルールのスペルですね。しかしお豆さんとは一体……当たり判定のポイント?」
文は真剣な表情でそれを見つめる。
そしてさっき見たように、両手の人差し指を立て両こめかみに構えると顔を下に向け、人形に向かってゆっくり突進していった。
それを何度か繰り返しては、本を見直して最初の文句から始める。
しばらく一心不乱に特訓を繰り返し額に汗をかいている慧音を見て、文は拍手を送りながら家に入っていった。
「いやー、さすが勤勉な慧音さん。がんばっていますね」
「なっ、げほっげほっ!」
突然の来客者に、肩で息をしていた慧音は驚いて咳き込んでしまった。
「すごいですね。こんなに力を入れて特訓するということは、今度のスペルはよっぽどの自信作なんですね。ちょっと資料を見せてもらっていいですか?」
ズカズカと賛辞を唱えながら例の本が置いている机まで行き、有無を言わさず本を見る。
「ふむふむふむ……んっ!」
真剣に見ていた文の顔が、突然にやけた顔になる。おいしいネタを見つけた顔だ。
「ち、ち、違うんだ! あのその妹紅が最近の宴会芸みたいなものにはまっていて、それで私も探求していたんだ! 決して妹紅のお豆さんをつつきたいと思ってそれを鍛錬していたのではなくてあのその……」
慧音がしどろもどろに内心を告白し、文は確信する。
本は『バッファローゲーム』の紹介ページが開かれていて、『相手の乳首を突っつくゲームです』に何重も赤線が引かれていた。
にやにやしながら文が慧音の顔を見る。慧音は紅潮してぶるぶると震えている。
更に素早くページをめくり、いろんな所に赤線や丸がつけられているのを発見する。特に初エッチのページは何回も読んだのか、ページの端が黒くなっていた。
「あー。一応言っておきますけど、歴史隠しなんてしませんよね? 慧音さんの能力は、人間のためにしか使わないんですもんね?」
ニヤニヤと笑みを浮かべながら茶化すように言って、悠々と玄関に向かい外に出る。
「それではごきげんよう。乳首ハンター、バッファロー慧音さん」
「うがーっ!」
慧音が光り輝くレーザーを繰り出したが、幻想郷最速と豪語する鴉天狗の姿はすでになかった。
次に訪れたのは、人間の里から程近い魔法の森の中。ここには魔法使いと魔法使いもどきがいて、魔法使いもどきの方はいつもネタには困らない。ただ今回はいつもと趣向を変えて、人形使いの魔法使いアリス・マーガトロイドの家に足を向けた。
「アリスさんは何をしてますかね~」
レースのカーテンが引かれた窓から家の中をのぞく。
家の中は綺麗に掃除をされていて、天狗の目で見てもホコリ1つ見当たらない。そして今も一生懸命人形達が掃除をしていた。
「あの人形、便利ですね。私も資料整理に1体欲しいところです」
しかしアレも全自動で動いているわけではなく、アリスが魔力で動かしているので、もしかしたら自分で掃除をするより手間なんじゃないかと文は思った。
「しかしアリスさんの姿が見えませんね。人形が動いているから家の中にはいるんでしょうけど……」
キョロキョロと中をのぞくと、寝室からこしょこしょと声が聞こえる。
音も無く寝室の窓に向かい中をのぞくと、アリスが人形を2体手に持って動かしていた。
『アリス、好きだぜ』
『やだ、魔理沙ったら、急に何を言っているの』
『アリスの可愛い顔を見ていたら言いたくなったんだ』
『いやん。魔理沙ったら。私を口説いてどうするつもりよ』
『どうするもこうするも……こうするんだ!』
『や、ちょっとまだお昼よ。今からするの?』
『もう我慢できなんだ。なぁ、いいだろ?』
『んもう、魔理沙ったらエッチなんだから……』
そしてがばっと人形同士をくっ付けると、人形をもみくちゃにしながら悶えだすアリス。
「ああ、魔理沙魔理沙! そんなに激しくしたら壊れちゃう」
しばらくして、自分の体に魔理沙人形をすり付け服を脱ぎだすアリス。それはさながら人形を通して呪いをかけているかのようで、実際人形がしっとりと濡れていたりする。これで相手が水難にでもあえば、立派な呪術として通用しそうではあるが。
「……」
口を開けながら呆然とその様子を見ていた文は、目に涙をうっすら浮かべながらそっとその場を後にした。
なぜか寂しくなった心でふらふらと飛んでいると、大きな湖と紅い館が見えてきた。紅い悪魔、レミリア・スカーレットの棲む目に痛々しい館、紅魔館だ。
ボーっとしている門番の上空を抜け、おいしそうな匂いのする窓から中をのぞく。
「そういえばそろそろお昼ですね。ご相伴に預かりたいものですが、さて」
思案しながらもすでに半身は館の中に入り込み、メイドたちがいないかを確認していた。
警戒しながら鍋の中をみると、おいしそうなキノコのシチューだった。
「これはメイド用ですね。紅くないですし」
ということは食べておいしいものだと確信した文は、手の動きも幻想郷最速かと思わせる動きで手近の皿を取り、シチューを盛りつけと、厨房にある小さな机に乗せ、背もたれの無いこれまた小さな丸イスに座る。
「いただきます」
誰に聞かせるでもなく言い、これまたものすごいスピードでシチューを平らげる。もう1杯もらおうかと鍋に手を掛けると、人の気配が近づいてくるのを感じ、文は渋々窓から皿を持ったまま外に出た。
厨房に来たのは紅魔館で唯一人間、メイド長の十六夜咲夜だった。
「あら、誰かつまみ食いしたわね?」
一目でシチューの量が減っているのに気付いた咲夜。
恐るべし咲夜アイズ。
しかし紅魔館のメイド達は妖精ばかりなので、つまみ食いなんて日常茶飯事なのか、咲夜は特に追求もせず、自分の分を皿に盛りパンを1つ棚から取り出す。
「ふー……」
咲夜は憂鬱そうなため息をつきながら、ゆっくり昼食を取る。
憂鬱の種を知りたくなった文は、しばらく咲夜を観察することにした。
もくもくと食事する咲夜は、すぐに食べ終わるとあっという間に洗い物を済ませ、厨房を出て行った。足音が遠くに行くのを確認して、侵入すると文はもう1杯シチューを頂き、皿はそのままにして廊下に出た。
咲夜がどこに行ったのか見当はつかないが、おそらく掃除か洗濯だろうと慎重に歩を進めた。途中何度か妖精メイドとすれ違ったが、挨拶をすると元気に挨拶を返してきてそのままどこかに消えていった。きっと文の事をお客さんだと思っているのだろう。
「さすが頭のゆるい妖精達。咲夜さん以外は警戒心の欠片もありませんね。楽でいいです。しかし咲夜さん、いませんねぇ……」
勘を頼りに館内を歩くが、どこにも咲夜の姿は見えず、そろそろあきらめて帰ろうとすると、奥のほうからハァハァと荒い息づかいが聞こえてきた。
奥には広く大きな浴室があり、脱衣所で咲夜が手で顔を覆ってうずくまっていた。
気配を殺してそっとのぞいていると、咲夜はまた荒い息を立て始めて顔を上げた。その手に持っていたのは、かわいらしいクマの絵がプリントされたパンティだった。
「ああ、お嬢様……なんて愛らしい」
文はまたも呆然と立ち尽くしてしまった。そんな事はつゆとも知らず、咲夜は大きく息を吐き、クマのパンティに顔をうずめ深呼吸をする。
「お嬢様、早く起きてきてください……。お嬢様の残り香を嗅ぐだけでは、寂しくて胸が潰れてしまいます」
さらにもう1枚、パンダの絵がプリントされたパンティも手に取り、2枚同時に匂いを嗅ぐ。そのまま床にゴロゴロと転がりながら悶え続ける。
涙を流しながら更なる変態行為を続ける咲夜。
文は一部始終を見届け写真を撮ると、いつもの瀟洒な咲夜に戻る前に一目散に退散。館から出ると、『フオォォォォォォォッ!』という咲夜の雄たけびが聞こえた。
次の日。幻想郷の各地で悲鳴や笑い声が聞こえ、それに混ざって弾幕の華が咲いていた。博麗神社から一望できるそれらの現象を、博麗霊夢は特に事件性を感じる事も無く、お茶をすすりながら見守っていた。
「ああ、今日も幻想郷は平和ね~」
霊夢がボリボリと煎餅を食べながら、何とはなしに手に取った『文々。新聞』。そこにはこんな見出しが躍っていた。
『大妖怪 加齢臭を通り越した! 式と式の式が語った驚きの介護生活』
『歴史と一緒に食べられる 人間好きのワーハクタクに狙われた人間』
『森の魔法使い 人形遊びで呪い? 白黒魔法使いへの異常な執着』
『紅魔の犬 その嗅覚の歪んだ使い方』
霊夢は一通り目を通した新聞を閉じて、ぼけっと空を見上げる。
澄んだ青空を黒い点が、すさまじいスピードで弾幕の華へと飛んでいった。
今日の騒ぎをまたネタにするために。
おわり
アッー
強く生きるんだよ。
確かにちぇんこからみれば紫はおばあちゃんだわな