ブラン・ヴェールの毒畑。
鈴蘭畑に花が咲く。
ルージュ・ノワール夢を見る。
スタンダールの色をした、可憐な毒の花が咲く。
しなやかに輝くウェーブがかった金色のショートヘアーに、真っ赤なリボンカチューシャがよく映える。
ふわりと膨らむツーピース・ドレスの、上は黒くてスカートは赤。それはよくよく見ると、そこかしこにフリルをあしらった愛らしい服装であるのかもしれないが、いかんせん、カラーリングがだいぶ狂気じみている。返り血に染まった巨大な人食い鈴蘭が、新たな獲物を求めて息をひそめているかのような。
「スーさん、今日もいい天気ね」
幼い少女の美しいソプラノが、鈴蘭畑の静寂を引き裂く。
少女の肩の上には、おそろいの服を着たアンティークドールが、妖精みたいに浮かんでいる。ただし、その人形らしい青色のまなざしは、ただでさえ人形みたいな少女のそれと比べてみても、いささか生気というものに欠けていた。
――いや。
人形として正しいのは、このアンティークドールの姿なのではあるまいか。
少なくとも、人食い鈴蘭の少女の眼球は、人形のそれとしては活き活きとした光を放ち輝きすぎている。
自発的に動き出す人形など存在しない。また、この少女は、自ら活動するための仕組みを内蔵したからくり人形でもない。
しかし、少女は紛れもなく人形だった。
そういうものを、人は“人形”とは呼ばない。
それは“妖怪”と、はなはだしいまでの恐怖なり畏怖なりをこめて、そう呼ばれている存在なのである。
「まったくもって、お散歩日和。そうは思わない?」
少女人形の怪は、肩のアンティークドールに向かって言うでもない。鈴蘭畑を広く見渡しながらそう言った。
澄みわたる晴天から降りそそぐ陽光は、漂う毒の気配と混ざり合い、妖艶たる暗色の優雅を奏でている。少しばかり濁っている程度の清々しさが、この土地には丁度いい。
「あら、スーさん。どうしてそんなにびっくりしているのかしら。ひょっとして、私がお散歩だなんて言ったから?」
少女はそう言ってしゃがみ込むと、一番近いところに咲いている鈴蘭の花をつついて、キスをするくらいに顔を近づけた。
スーさんというのは、隣に浮かぶアンティークドールの名前ではなくて――つまり、そういうことなのである。
「私は、引きこもりのお姫様じゃありません。まったくもって、不本意だわ」
わざとらしく怒ったような口調で言うと、少女はもう一度だけ鈴蘭の花をちょこんとつついて微笑み、ゆっくりと立ち上がった。
やや黒みがかった青空を見上げる。
それから思い浮かべたのは、スーさん以外の友人たちの姿。
あの長い髪と長い耳を持ったちょっぴりドジな真紅の瞳の少女と、同じ耳を持ったその人よりもひと回り背丈の低い黒髪のいたずら者。そして――自分以外にそんなことができる者がいるだなんて、初めはたいへん驚いたものであったが――鈴蘭の毒を自在に扱うことのできる、銀髪の不思議な女性。
最近できたばかりの素敵な友人たちは、今日は遊びに来てはくれない様子である。
寂しい。
寂しいと感じていること自体が、この少女を“人形”とは呼ばせない。
「ええ、私、行くわ。お散歩に」
今度こそ、誰に言うでもなくつぶやいて、両の拳を握り締めてみせる。
まだ幼いこの少女にとって、鈴蘭畑の外の世界は見知らぬ事物でいっぱいである。
未知に満ち満ちた世界。
目の覚めるような新発見に思いを馳せて、武者震い。
反面、自分の知らない恐怖を頭に浮かべて、やっぱり身震い。
期待と緊張に胸高鳴らせ、もはや人形ではなくなった少女の人形は、あたたかな日差しのもとに小冒険へと踏み出す。
鈴蘭畑に捨てられた人形。
毒にあてられた悲哀の狂気。
彼女の名はメディスン・メランコリー――小さなスイートポイズン。
※ ※ ※
「人が重い腰を上げて掃除を始めるとすぐ邪魔が入る」
「正直すまんかった」
「心からの謝罪の念が感じられない」
「ところでこいつを見てくれ……。こんなにも太くて長くて大きい! どうだ、すごいだろ」
「知るか。帰れ変態」
さほど大きくもなく、古びてはいるが決して朽ちてはいない社――素朴さの中に深い歴史を感じさせる神社の境内。
その石畳の上で、少しばかり派手な紅白の装束を着た巫女と、黒いトンガリ帽子をはじめとしたモノクロ装束の魔法使いとが、竹ぼうきを持って会話している。見る者によっては突飛で奇怪に感じられるであろう光景であったが、それはここ、博麗神社においてはほぼ日常茶飯事である。
ただしこの日は、見る者を選ばずに突飛で奇怪に感じられるであろう点もあった。モノクロ魔法使いが、鮮やかな赤地に蛍光色と言っていいほどの黄色の斑点――傘の部分に毒々しい模様をたたえたキノコを掲げて、ニコニコ笑っているのである。
「よく見ろよ。それほど珍しい種類じゃないんだけどな、これくらいの大物になると、なかなか見つからないものなんだ。ああ、なんか今日はツイてるね! 気分は最高だぜ!」
「そうね。あんたの脳みそは本当にサイコね。……で、それだけ言いに来たの?」
「うん!」満面の笑みでうなずく魔法使い。
「そう」巫女は魔法使いを白い目で見る。「魔理沙、ひとつ言わせて頂きますけど」
「なんだ?」
「あんたね、あのイカレポンチのムラサキババアよりひどいわ」
そこまで言って吐こうとした溜息の代わりに、博麗の巫女――霊夢の口から出たのは、短い悲鳴であった。何者かによって強く殴られた後頭部をさすりながら振り向くが、背後には誰の姿もない。
しかし霊夢は、その視線のもう少しばかり遠くのほうに、自身が想像していたのとはまったく別のカラーリングが存在していることに気付いた。鳥居の真下にちょこんと立っている赤と黒とのコントラストは、ここ博麗神社においても珍しい光景である。
目が合って、にっこりと笑みを浮かべたその少女がこちらへ近付いてくるさまを見ながら、せっかく掃除をしようと思ていったのに、と霊夢は不本意そうにつぶやいた。
「で?」少女の姿には気付いているのであろうが、モノクロ魔法使い――霧雨魔理沙は何事もなかったかのように話を続ける。「ムラサキがなんだって?」
「いやあ……うん。その。ついこないだね、突然ウチに来て『宴会しましょう』とか言い出したから、追い返したんだけど――だって、あいつからそんなこと言い出すなんて怪しいじゃない? だから断ったのに。結局ね、あいつ、勝手にメンバー揃えてここで宴会始めやがったのよ。まあ、楽しかったからいいんだけどね……」
「それは良かったじゃないか。私も参加したかったぜ」
霊夢は改めて、深い溜息をついた。言葉の裏に「あんたが持ってきたキノコはちっとも楽しくない」という真意を隠したつもりだったのだが、皮肉った相手が行間を読んでくれなければ意味がないのである。それに加えてなんだか珍しい客人も来てしまったようで、平穏な日常と掃除を始める決意をものの見事に破壊されてしまった霊夢の溜息は、それはそれはどこぞの湖もびっくりするであろうほどに深いものなのであった。
「こんにちは」
紅白とモノクロのやりとりの間に、幼い少女のソプラノが加わる。赤と黒のドレス、肩の上には同じ服装のアンティークドール。
とっとと厄介払いをして掃除を終わらせてのんびり茶でも飲みたいと思っている霊夢とて、赤いリボンと金色の髪を可愛らしく揺らしてお辞儀されたのでは、それを邪険に突っぱねることはできない。
「こんにちは。珍しいお客様だこと」
「天気が良いから、お散歩していたの」
「そう」
霊夢はうなずきつつも、怪訝そうに眉をひそめた。果たしてこのゴシックドレスの客人に、天気が良いからってお散歩するような度胸があったかしらと思ったのである。
以前に一度だけ人里に紛れ込んで、紛れ込んだ側も紛れ込まれた側もお互い大騒ぎになって、当の騒ぎの元凶は泣きながら巣に逃げ帰ったなんていう事件が、あったような、なかったような。まだ幼い妖怪の好奇心は、それで懲りたものだろうと霊夢は思っていたのだが、どうやら違ったらしい。
そんな霊夢の心境を知るべもなく、魔理沙は新たな客人に陽気に話し掛ける。
「よう、メディ、毒人形。アリスが会いたがってたぞ」
「えっ? どうして?」
「新しい洋服を仕立てたから早く着せてみたいんだと」
「本当?」
メディスン・メランコリーは青色の瞳をきらきらと輝かせた。魔法の森に住む人形遣いは、いつもメディに素敵な洋服を仕立ててくれる。着せ替え人形としてオモチャにされているようなものなのだが、メディ自身も新しい洋服を着せてもらえることをたいそう気に入っているので、まあ娯楽の等価交換にはなっているし、言わば相思相愛というわけである。
「今から行けるかしら。魔法の森って、私には難しいのよね、色々と」
「うーん。連れて行ってやりたいのはやまやまなんだが、今日はちょっと私、このあと用事があるんだ。だから、すまないけど、また今度ってことで」
「そうなの……だったら、仕方ないわね。わかったわ。楽しみにしているわ、と伝えておいて」
「うむ、了解」
そんなこんなで意気投合している二人の客人を、霊夢は冷めた目でじっとりと見つめている。なぜかって、ここは私の家なのに私だけ除け者みたいになっているのはどういうことよ、とか言いたいわけである。
「と、いうわけで霊夢」
「…………」
「霊夢。どうした?」
「へっ? あ、え、えっと、何かしら?」
突然お呼ばれしたので、ついつい気が動転してしまった。とはいえ、やっと私にも会話に加わるチャンスが、などという期待感から霊夢の心は弾む。
けれども、それも一時だけ。
「こいつにお菓子を出してやってくれ。あと私にも」
「はい、喜んで……するかっ!」
「おおっ、ノリツッコミ!」
わざとらしく飛び退いてみせた魔理沙を、霊夢は鋭くにらみつけた。
「うちは神社だからハロウィンの習慣はないしそもそもまだ全然ハロウィンの季節じゃないし、っていうか、さりげなくあんたにまでお菓子あげなきゃいけないことになってるじゃない」
「まあまあ、カタイこと言わず。チビッコが遊びに来たらとりあえずお菓子をあげるべきだろう、母性本能的な意味で」
「たったいま母性本能的な意味で家計を考えてみたけど残念ながら他人にお菓子をプレゼントしてあげられるだけの余裕はうちにはなかったわ」
「ちぇっ。ケチミコ」
「うるさい。万引き常習犯」
なんだかどうしようもない内容のいがみ合いであったが、さして険悪な雰囲気であるというわけでもない。
事実、こんな二人のやりとりを見て、メディはなんだか嬉しそうにニコニコと笑っている。その反応は、「ケンカするほど仲が良い」という認識の証明にほかならないのである。
普通ならば、その認識を“人形”は持ちえない。この“妖怪”には心があるから、それが可能なのである。
――しかし。
あくまで、可能であるというだけのこと。
「人間は嫌いなんじゃなかったの」
いつしか魔理沙とのいがみ合いをやめていた霊夢は、メディの笑顔を見て不思議そうに言った。
俄然。
メディの顔から、あたたかな微笑みがサアッと退く。
核心。
色あせた過去。
冷ややかな経歴。
人形が妖怪となった理由。
黒々とした種を包み育てたのは、禍々しき毒の霧。
「おい、霊夢。何を言い出すかと思えば」
「だって、そうでしょう。この子は人間に捨てられた人形」
「……あれ? そうだっけ?」
「とぼけない」
そう――“メディスン・メランコリー”という存在にとって、人間の感情を汲み取って理解しようとする思考は、忌むべき対象。言わば水と油のような関係であったはず。
「そうだよなあ。私たちは一応、人間だしな」
「一応、は要らないけれど……」そこまで言って、霊夢はメディの青ざめた表情を気遣う。「……ひょっとして、悪いこと聞いちゃったかしら。だとしたら、謝るわ」
メディスン・メランコリーは、その小さな身体がガタガタと震えるのを細い両腕で縛り付けて、必死に食い止めようとした。
そうしてから、精一杯、ぎこちない笑顔をつくる。
「いえ、いいの」
「でも……」
「大丈夫だから。気にしないで」
霊夢の心配を振り切って、メディはいっそう口もとを引っ張って笑ってみせた。それが無理矢理のつくり笑顔であることは、誰の目にも明らかであったし、メディ自身もそのことを自覚していたが、それでも彼女は笑ったままでいた。
メディスン・メランコリーにとって、笑えることは誇りであり、同時に武器でもあった。
冷酷な人間の手によって鈴蘭畑に捨て去られた人形が、長いあいだ鈴蘭の毒という名の瘴気にあてられ続けた結果、妖怪化した存在――それが、メディ自身の“メディスン・メランコリー”という存在に対する認識である。
妖怪として生まれ変わった時にはもう、メディのつくりものの身体の中には人間に対する怨恨が溢れんばかりに渦巻いていて、暗色のグロテスクな斑模様をえがいていた。
人間にいいように操られ、飽きたらゴミとして捨てられ、忘れ去られるだけの存在。
そんな人形たちの皮肉な運命を革新すべく奮起し、『人形解放』の理念を強く呼び掛けたのも過去の話。ほかの人形たちの中に、賛同の意思を示してくる者はいなかった。
人形だから。
それらすべてが、一時の娯楽のために人間の手によってつくられた、意思を持たない“ただの人形”だったから。
――ああ、恨めしい、恨めしい。私の好きなように人間を操って、飽きたらポイと捨ててやりたい。
華やかな鈴蘭畑に咲きながら、なおも狂おしく念じ続けたメディ。彼女はやがて、植物の毒を用いることによって、その願いを成就させることのできる能力を手に入れるに至る。
そうして望んだ力を手に入れ、狂ったように喜びいさんだ――はずだった。
「よう、メディ」
ビクン、と身体をのけぞらせる。
思考の海底からの唐突なサルベージは、モノクロ魔法使いの声であった。
「まあ、あれだ。無神経な巫女が無神経なこと言うのは当たり前だからしょうがない」
「誰が無神経よ」
「ああ、ごめん……まあ、霊夢も反省しているようだから、許してやってくれ」魔理沙は白い歯を見せて笑うと、右手を差し出してきた。「ほら、これでも食って元気出せ」
差し出された手の上には、丸くてでこぼこしていて、こんがりと焼かれた美味しそうなせんべいが一枚、載っていた。
複雑な思考を中断されて困惑していたメディは、とりあえず、言われるがままにせんべいを受け取る。
「ありがとう」
「うむ」
そうして、メディは――にっこりと笑う。
にっこりと。
純粋な笑み。
あとから訪れたのは、驚きの感情。
感じた。
せんべいを受け取った時に触れた魔理沙の手が、なんだかとっても優しいぬくもりに満ちていた。
それだけで、決してつくり笑いではなくて、心から微笑むことができたのである。
メディはそんな自分の姿を認識し、驚いた。
そう。
少しだけ、うつむいて。
中断された思考の続き。
自分が人間に対して抱いていたのは、捨てられたことに対する恨みだけだったのであろうか。
否。
ふたたび人間に愛してもらえる日を待ち望む、寂寥たる思い。
メディは自身の心のうちに根付いている人形の宿命を悟ってしまったのである。
人間に操られることなく人形たらんとする意識は、それだけで矛盾してしまっていた。
どれだけ皮肉を嘆いても、人肌のぬくもりを求める思いだけは、秘めたりし恋心のように振り切ることができない。
いつしかメディは、自身のその人形としての身体だけではなく、同時にこの逆らうことのできない運命をつくりあげた人間に対し、巨大な恐怖心をも抱くようになってしまった。
人間に復讐したい気持ち。
人間に愛されたい気持ち。
愛憎のはざまに揺らめく幼き少女の心は、なおもアンビバレンスの苦しみにうめいていたのだ。
しかし――ひとつだけ、気が付いたことがある。
それこそが、わざわざ人間である巫女の管理する神社に立ち寄って、自分から話し掛けることまでした理由。
心の内側に青カビみたいにねっとりとこびりつく恐怖をやっつけて、自身を小冒険に駆り立てた強い感情。
少女の姿をした人形の怪は、少しばかりうつむいていた顔を上げ、魔法使いに向けてまたにっこりと笑みを送る。
「反省って言うけれど、別に怒っていたわけじゃあないのよ。本当に」
「そうなの?」
「うむ」
と、魔理沙の真似をして、しかつめらしくうなずいてみせる。
魔理沙は一瞬、キョトンとしてその顔を見つめていたが、すぐにぷっと噴き出してけらけらと笑った。メディもつられて、今度はうふふと声を出して笑う。
そんなこんなでとっても楽しそうに笑い合っている二人の客人を、霊夢は冷めた目でじっとりと見つめている。なぜかって、それはやっぱり、ここは私の家なのに私だけ除け者みたいになっているのはどういうことよ、とか言いたいからである。
「と、いうわけで霊夢」
「…………」
「霊夢。どうした?」
「へっ? あ、え、えっと、何かしら?」
突然お呼ばれしたので、ついつい気が動転してしまった。とはいえ、やっと私にも会話に加わるチャンスが、などという期待感から、やっぱり霊夢の心は弾んだようで。
けれども、それも一時だけ。
「お前もメディになんかやれ。例えば、お菓子とか、お菓子とか、お菓子とか」
「はい、喜ん……デジャヴっ!」
「おおっ、略して『喜んデジャヴ』! ぜったい流行らねえええ!」
わざとらしく飛び退いてみせた魔理沙を、霊夢はやっぱり鋭くにらみつけた。
そんな二人を、やっぱりニコニコ笑顔で見つめているメディ。
霊夢はそこに咲いている笑顔を見つけて、気の抜けたように溜息をつく。ここ幻想郷において数ある難儀な異変を解決してきた博麗の巫女でも、幼い子供の純真な笑顔には勝てないようだ。
「何よう……私だってね、可愛いメディちゃんにお菓子をプレゼントしてあげたいのはやまやまなのよ。でもね、下手に食べ物とかあげちゃうと、私自身の生命活動に支障をきたすことになるから……財政的な意味で」
「ケチミコ。私、知っているぜ」
「何をよ」
「本当はお金になんか、無頓着なくせに。貧乏性なだけだろ。なあ、メディ、『お掃除が終わった後、お茶の時間に食べる分』とか、お菓子の箱にいちいち書いてるんだぜ、こいつ」
ギクリと身体をこわばらせる紅白衣装の巫女の姿を見て、魔法使いと少女人形はクスクスと笑い合った。
「な、何で知ってるのよ、まったく……抜け目がないんだから」
「そうかい。そう言う霊夢、お前の目玉は案外と節穴だったりして」
「どういう意味だか知らないけど、もういい、あんたは黙ってて」そこまで言って頬を膨らませた霊夢は、メディに向き直ると、すぐに口の中に溜め込んでいた空気を吐き出した。「お菓子はあげられないけど、代わりにこれをあげるわ」
そう言って霊夢がふところから取り出したのは、白ひも付きの小さな布製の袋であった。紺色の布に金糸で縫われた幾何学模様と、『博麗神社』という荘厳な文字。
「御守り? いったい何のご利益があるのかしら」
「厄除け」
「はあ」
「毒は寄りついても平気だろうけど、厄は違うでしょう。だから何かにヤク立つかもね、なんちて。うふふ」
「うおっ、寒っ! 極寒! 春なのに? また幽霊ども、なんかやってるのかなぁ」
「お前は黙ってろ」
言葉だけではなく物理的に、掃除用の竹ぼうきの柄でピシャリと魔理沙の顔面をはねつけた霊夢は、ギャッという悲痛な叫び声を無視してメディのほうへ向き直った。
「と、いうわけだから。気兼ねなく受け取ってちょうだい。なんか嫌なこと思い出させちゃったみたいでゴメン、という謝罪の念もこめて」
そう言って、霊夢はにっこりと微笑んだ。
メディも笑顔でうなずき、差し出された手にそっと触れて、御守りを受け取る。その手はやっぱり、優しいぬくもりに満ちあふれていた。
「ありがとう」
メディは受け取った御守りを胸の前で宝物のように抱き締め、そっとつぶやいた。もちろん、魔理沙にもらったせんべいも一緒に抱えている。
「私がつくった御守りだから、素敵な御利益があること間違いナシ。事故に遭ったり、なんてことも絶対になくなるはずだから、いつも持って歩くといいわ」
「ええ、そうさせてもらうわ」
あたたかな日差しのもとで笑い合う、紅白の巫女と、赤と黒の人形。それから、ついさっきまで痛々しげに額をなでていたモノクロ魔法使い。見る者によっては突飛で奇怪に感じられるであろう光景であったが、そんな純粋な笑顔の集まりはここ、博麗神社においてはほぼ日常茶飯事である。
メディスン・メランコリーはひとつだけ、大切なことに気が付いた。
人形である自分を捨て去った人間。
そう、彼女は“人間”に対する恨みを忘れてはいなかったが。
少なくともこの、ときどき自分勝手な紅白の巫女と、のんきで陽気なモノクロ魔法使い――最近知り合った不思議な友人たちのことを、この上なく愛していた。
それは彼女たちが自分を愛してくれる存在であるからにほかならない。
メディは考えた。
それはひょっとしたら、いずれまた捨てられる悲しみに直面する残酷な運命線上の、ひとときの至福にすぎないのかもしれない。
だが、それでも。
所詮は人間に操られている運命であるのだとしても、それは少なくとも、霊夢や魔理沙が敷いたレールではない。
人形として。
妖怪として。
メディスン・メランコリーとして。
自分が今、本当にすべきことは何か。
ここに導き出されたひとつの大きな解答が、この幻想郷において、捨てられた人形であるがゆえのアンビバレンスを解決するための糸口になりはしないかと、メディは希望に胸躍らせるのであった。
その日、赤と黒のドレスを着た可愛らしい人形は、もう少しばかり他愛もない談笑に花を咲かせ。
魔法使いにもらったせんべいを美味しそうにかじり。
それから、あらためて感謝の言葉を告げ、ぺこりと一礼すると――歌うようにして、鳥居の向こうへと消えていった。
晴れわたる空に燦然と輝く太陽よりもまぶしい笑顔を、最後まで絶やさずに。
※ ※ ※
「――ところで、魔理沙」
「なんだ?」
「さっきのおせんべい、美味しそうだったわね……まだ余ってたら、私にもちょうだい。お茶請けにする」
「うーん、そうだなあ。余ってるっちゃ余ってるんだが。いいのか?」
「何が」
「だって、まだ掃除終わってないじゃん」
「はい?」
「いや、だって掃除終わってから食べるやつなんだろ? これ」
「――――」
「な、何だよ。そんなに見開いたら、目ン玉飛び出るぞ」
「ま……魔理沙? あんた、そ、それ」
「えっ。だって、ホラ、やっぱり茶菓子がないと落ち着かないと思ってさ、気を利かせて取ってきたんだが」
「いつ」
「えー? いつだったかな、忘れちゃったー」
「とぼけるな。さもなくば未検挙のままで隠し通しているつもりのセコイ悪行の数々を地獄の裁判長にチクって」
「『とぼけない』って言われたあとです」
「あら、そう。ドンピシャリ」
「悪かったよ……許してくれ。ほら、メディにあげた一枚と、持ってくるときに私が味見した二枚、あわせて三枚しか減ってないことだしさ」
「あーらーらーらーらーたいへんだー。そこ行く小鳥にアリンコさん、寄ってらっしゃい見てらっしゃい、博麗霊夢さんのスーパーおしおきタイム、はじまりはじまりー」
「ちょ! ま、待ってくれ。落ち着け、霊夢。話せばわかる」
「問答無用。正直者の魔法使いさんには陰陽玉をいつもの十倍増しでプレゼント。やったわね魔理沙、陰陽玉マシマシだー!」
「そんなマシマシ嬉しくねえよ! って、だから落ち着けって、ああそうだ、このキノコ! このおっきいキノコあげるから許して! オイオイオイオイやめてやめて怖い怖い怖い目が怖いうわなにをするやめぎいやぁぁぁぁああああああああああああ」
そんなわけで、霧雨魔理沙は断末魔の叫びの中、「今日はツイてるね」などと浮かれていた自分の姿を走馬灯に見たのであった。
幻想郷は今日も平和だ。
うわああ私は穢れすぎてるー助けてかもねぎさん!
会話しかしていないのについ引き込まれてしまう面白さでした。
霊夢が行動を繰り返すところもリズムが良くてイイ!
メディスンの怒りと人形としての本能との二律背反をテーマに、短編として分量が多すぎも少なすぎもせず、実に綺麗に収まっていると思います。読後感もばっちり、つーか魔理沙悲惨だなぁ(笑)
シリアス一辺倒にならず、途中でネタを挟みつつストーリーを進めていくのも非常に上手でした。霊夢ワロスw
メディスンの心理描写や情景描写だけでも白眉ですが、一番目を見張ったのは霊夢の描き方です。
霊夢って書くの本当に難しいんですよね……私、霊夢書くのが本当に苦手だし……(遠い目)
特定個人と親しすぎたりせず、だからと言って誰かに冷たくするでもなし。普通に本音だけで生活して、にも関わらず毒気が無く誰からも慕われる。
とても良く表現されていると感じました。
次回作も期待しておりますっ。
実はまだ開拓する余地の大きいキャラですね。
主人公二人との絡みもあるようで少ない。そういや、花本編ではどっちも対決しないんですよね、確か。
それだけに新鮮な組み合わせだと思いました。ある意味基本なんだけど。
しかし、魔理沙さんはいつだって地味に良い仕事をしますなあ……
それはもう東方そのものですねw
それ以上に霊夢と魔理沙がいい味出しまくり。マシマシだ!
メディ可愛いよメディ!
飽きずにすらすら和みながら読めましたw
次回も期待してます!(*σωσ*)
最初の文章から惹き込まれる様な美しさですね。所々に散らばる装飾がイイ。
メディスンの心理描写の上手さといったら驚きです。何と言うかもう、生まれたての純粋さを醸し出していてカワイイって感じでした。
霊夢と魔理沙の会話の掛け合いも、日常的に行っているような自然な感じでした。
是非、今後もこちらへの投稿をお待ちしています。
とかそんな野暮なことはおいといて。
しっかり書き込みがされている割に読みやすく。
読者を飽きさせないネタもしつこすぎず。
何が書きたいのかなんとなく分かる気がする。
そんな文。
すばらしい創作力だと思います。
今後もがんばってください。