「昼遊びしましょう」
と幽々子さまから久方ぶりの饗宴を持ちかけられて、折しも上質な酒の貰いもの、日持ち
のしない余りの肴に心付く。そうしてまた午前の仕事つかれに少しばかりふさいでいたとこ
ろへ声をかけてもらえた嬉しさに、一も二もなく支度をかってでた。稀の宴に心がはずむ。
なにより妖夢には、幻想郷の下界から引きも切らずにやってくる大勢々々を楼に引き入れ、
夜を通しての大宴会よりも――それもまたふだんにあらぬ愉快ではあったけれども――まだ
陽の高い時分に主と従と二人ひっそりと酔いを催すほうが格別なのである。そんな心持ちを
幽々子さまはきっと知ってのお誘いだろうとは、素振りで知れた。
さしたる用意もなくて、膳と敷き物とを差しならべ、酒を持ち出しに廊を辿るとふいに庭
は明るく見えた。こうして遠巻きに見るとたしかに梢のからりと寂しくなって、ふだんは日
陰のあちらこちらに日がよく通るのである。日ごろ手入れをかかさぬ庭ながら、ようやく秋
の終わりに近いことを感じたのであった。
そうして妖夢は思う。自分の季節は庭の自然の有りさまよりも、主人の着るもの被るもの、
朝起きの時間、夕食の注文、そんなものに依っているのではないだろうか。幽々子さまがお
でんを鍋をとせがまぬうちは、なんとなく秋の終わった気がしないのである――。そろそろ
底冷えのする夜もある。雪でも降ったらこちらからおでんの種でもこしらえて差し上げよう、
などと思いつつ支度は済んだ。幽々子さまを呼びに行く。
宴はなんの前触れもなく、座敷に酒と肴と二人とが揃ったときにはもうはじまった。幽々
子さまは珍しくも舞装束で。白地に銀箔を菱にめぐらし裾には紅葉の金銀に散り積もる、襟
にはゆるやかに桜色の髪がかかって、香り立ちそうに盛る浅葱、薄紅、紫、色さまざまの蔓
はその鮮やかな髪を焦がれて伸びるよう。その装いにすっくと立つと丈はいくらか高く見え
た。気品――自分もいつかこんな風になれるだろうか、そんな思いは妖夢の胸に尽きない。
そうしてまた幽々子さまの、そんな自分の憂いを見透かしたように微笑みかけてくるのがな
んとも気恥ずかしいのだった。照れ隠しとばかりに妖夢は杯へ酒を差す。半霊はしゅんとし
て畳に垂れた。それが素直な気持ちと知れて、幽々子さまは手を打って笑った。妖夢はもう
これ以上赤くもなれないばかり。
歓談はゆるりと起こる。庭のこと謡のこと食事のこと、しゃべりながら盃を差し上げたり
貰ったり。そのうち幽々子さまはしだいに饒舌になって、酔いを帯びた抑揚に、とりとめも
ないささやきや洩らす笑い声までが音楽のような美しさ。そうして謡やら詩やらを其処此処
に交えながら、流れる如く淀みなく、興の尽きない話をするのである。――ああ、どうして
こう滾々と言葉が湧き出て尽きないだろう。妖夢はいつもこのときばかりは、幽々子さまを
尊敬せずにはいられなかった。自分にとってはほんのり肩の力をやわらげるくらいにしか役
に立ってはくれない酔いの力を、こうも魅力に変えることのできるのは羨ましかった。
たけなわには幽々子さまの舞いを見る。時に荘厳に、時に秀麗に。やがて酔いはますます
まわったと見えて顔色ほんのり紅く、ほどよく草れた舞いにはいっそう趣きがある。ぱたん
と扇を閉じると、次はあなたの番よと幽々子さま。剣舞を披露するには少し足許が覚束ない
ながらも、二刀構えて陶然と舞った。こういう機会があればこそ、ひそかに練習も欠かさず
していたというもの。切っ先ぴたりと止まっての、手をぱたぱたと打ち鳴らして「上手だわ」
という幽々子さまの一声は、ほんとうに心に沁みるようで、万雷の拍手よりも嬉しく感じら
れるのだった。
動いて火照る体に取り上げる杯の味わいは一入、憂いや悩みはじわりと喉を通る酒に溶け
て、心は徐々に浮き立ってくる。ああ、楽しい、愉しい、と思う間に傾けあう酒も早や尽き
て、少しは酔いにも乗じた大胆さ、妖夢は主の傍へ擦り寄るとその肩に魂まで預けるように
深く身を凭せて、夢心地のままにいつしかうとうととまどろんでしまった。嗅ぎなれたやさ
しく懐かしい匂いに心の底から安心して。……。
俄かに冷たい風が吹く。はたはたと物の落ちるような音が聞こえるのは雪が降りだしたの
であった。どれほど経ったであろう、酔いも転寝もまず醒めて、どちらからともなく身を離
すと、差し向かいに会釈して「楽しかったわね」と幽々子さま。その声のやわらかなことは
まだ夢うつつの最中かと怪しまれるほど。「はい」と静かに答えるも、ふと先の甘えるよう
なしぐさに心付いていまさら深く羞じ入った。醒めてなお赤い自分の顔を、幽々子さまは何
と思って見守っているだろう。
片付けはいつもの如くよろしく任される。控えめに乱れた夢のあとを丁寧に取り片してい
ると、幽々子さまはふだんの衣に着替えるやひょっこり顔を出して「お出かけしましょう」
と唐突に。どちらへと聞けば、「通りまで涼みかたがた」――酔い心地を風に吹かせに楼内
の逍遥はよくあることなれど、門外に出るとなれば涼みかたがたとは嘘ばかり、大方舞いに
つかれ膳も足りずに口寂しくなったところへ買い食いでもしたくなったのだろう、などと見
るところへはたして忽ち「鰻屋さんにも寄りましょうね」の一言。声を出して笑わずにはい
られなかったのである。
座敷は片付いた。着替えの部屋もあとを正して、舞装束を手にかけ出ると雪は粉々、日当
りの縁側へ吹き寄せる。ああ、なんてすずしい午下がり。なんてやさしい陽のひかり。なん
て愉しい宴のあと――妖夢は嘆息した。もう冬である。
巧くて素敵で、何より、いい。
突き詰めれば、その場の雰囲気しか無いんだけど、
それだけで読ませてしまうのが凄い(褒め言葉です……念のため)
冥界組は個人的にはイメージのつかみにくいコンビなんですけど、(ってかゆゆ様が)
これだけで、ああ、こういう人達なんだなあ、と思ってしまいます。