昔、あるところに不老不死の少女がいた。
不老不死っていうのは、文字通り老いることも死ぬこともないって意味だ。
実際、少女は不老不死になってからずいぶん長い時間を生きていた。たぶん千年くらい。本人でもはっきりと覚えていないくらい長く生きていたんだ。
少女は生きることに飽きていた。……そりゃあそうだろう。老いることも死ぬこともない人間にとっては毎日が同じことの繰り返し。周りは刻一刻と変わっていくのに自分だけはまるで“そこ”に縫いつけられたみたいに変わらない。顔に皺の一つもできればまた違ったんだろうけどね、それも無理な話さ。何せ不老不死なんだから。
だからかもしれない。
少女は生きることよりも、どうやったら死ねるかを考えるようになったんだ。
幸い……と言っていいかどうかわからないけど、少女は頭が良かった。
まぁ、人間の寿命はどんなに長くてもたかだか百年。その十倍生きていれば読み書きなんて嫌でも覚えてしまうし、過去の出来事だって書物と同じくらいには覚えている。だって実際に見てきたことなんだから。
あるとき少女はその知識を生かし、男の身なりをしてとある武家の屋敷に入り込むことができた。
その家の主は変わり者でね、いろいろな国の珍しい物を収集することで知られていたんだ。
正攻法ではどうやっても死ぬことができないと知った少女はそこに掛けたんだよ。
もしかしたら。外の国になら、不老不死の自分を殺す方法があるんじゃないか、ってね。
少女の願いが通じたのかどうか、果たしてそこにそれはあった。
万に届くかという蔵書の中に一冊、異質な本が混じっていたんだ。
それは他と同じように作られているにもかかわらず、明らかに浮いた存在だった。
理由はわからない。でも、少女の目にそれはそう映ったんだ。
少女は震える手でそれを手に取り、表紙をめくった。
その中に書かれていたのは荒唐無稽なおとぎ話。ある薬を飲んだために不老不死を手に入れた男の物語。
そして、苦難の末に男が死を手にするまでを描いた物語。
男は体をばらばらにされても、血を全部抜き取られても蘇った。本にはそう書いてあった。
自分と同じ体……興奮に震える手で少女は本を一頁ずつ捲っていく。
男は自分を殺すためなら何でもやった。
毒を飲んだり断食をしたり、あるいは重りをつけて海に飛び込んだり……考えられるあらゆる方法で死を迎えた。
しかし、どんな方法を用いても男は決して死ぬことはなかった。
やがて男は、死ぬことに意味はないのではないかと考えるようになった。
不老不死の呪いは絶対で、人間が小細工を弄したところで解けるようなものではないのではないかって。
それは間違いではなかったんだと思う。
だって、男は今まで自分の体を使ってそれを証明し続けてきたんだから。
それから男は何を考えたと思う?
とても単純なことさ。
ほら、風邪は人に伝染すと治るって言うだろう?
男もそう考えたんだ。
不老不死の自分を殺すことができないなら、誰かに伝染してしまえばいい。この厄介な呪いを誰かに押しつけてしまえばいいってね。
けれど、いくらいい考えがあっても実行できなければ意味がない。
だから男はまずその方法を探すことにした。
古い書物を読み漁り、学者の元を訪ね……しかし、男は望む知識を得ることができなかった。
無理もないことだと思う。男の問いに答えられる人も、書物も、この世には存在しないのだから。
そうなればもう、頼るものなんて一つしかなかった。
神や妖怪――人外の力をもつものだ。
男は長い時間をかけてある妖怪と会うことに成功した。
並外れた力を持ち、中でもその知識は他の追随を許さないと言われていた大妖。
どんな化け物かと思っていたら、そいつは金色の髪をした、この世のものとは思えないほど美しい女だった。
わずかな間、男は女の姿に見とれていた。けれど男は我に返ると女に向かってこう言った。
「私を助けて欲しい。どうやったら私は死ぬことができるんだ?」
次の瞬間、男の意識は途切れる。気がつくと男は床に倒れていた。
男の着物は血で汚れていた。考えるまでもなく、男は一度、殺されたのだ。
「本当に生き返るとは思わなかったわ」
女は血に塗れた爪を拭いながら言った。
さしもの大妖も、不老不死を前にして少なからず驚いたようだった。
「貴方でも私を殺すことは叶わないのか?」
「そうね。私の力でも、貴方を殺すことは難しいわね」
わずかな希望に縋るように言った男に、女は肩を竦めてそう言った。
「老いず、死なず。不老不死となった人間は文字通り死ぬことはないわ。そんなことくらいとうの昔にわかっていたはずよね?」
顔を伏せたまま頷く男に女は続ける。
「それなら貴方はこう考えたのではないかしら?『この呪いを誰かに伝染してしまえばいい』って」
どうしてそれを。思わず顔を上げた男に女は笑って言った。
「そうよねぇ。解けない呪いは誰かに押しつけるのが一番。いいわ貴方。自分のためなら他人を犠牲にすることさえ厭わないその腐った心根が気に入ったわ」
す、と女が近くに寄ってくる。
その目に魅入られたように男は動くことができなかった。
息がかかるほどの距離で、女の指が動く。
「そこ」
と、女が指したのは男の胸の下の辺り。
「そこによくわからない“力”が存在しているわ。それが死んだ貴方を無理やり生き返らせている原因。死にたいなら、それを丸ごと誰かに喰わせなさい」
男は一瞬、言葉を失った。
女の言う“それ”とは肝のことだ。
「こんなものを丸ごと喰わせる? そんなことができるわけが……」
「いいえ。本当に不老不死を欲している人間ならやるわ。それは保証してもいい。でも気をつけなさい。相手がそれを喰い終わる前に貴方が死んでしまったら初めからやり直しよ」
この女は何とも非現実的なことを言う。
自分の腹を割いて肝を取り出し、誰かに喰わせろと。そして相手がそれを食い終わるまでに死んではならぬと。
腹を割くだけでも想像を絶する痛みに耐えねばならぬと言うのに、そんなことが可能なのだろうか。
男が考えていると、女は呆れたように笑って言った。
「嫌なら別にいいのよ? それで私が困るわけでもなし。……というより貴方、本当に死にたいの?」
「無論だ」
「じゃあ早くなさいな。今さら死ぬことが怖いわけでもないでしょう?」
「……そうだな。確かにその通りだ。死ぬことなど恐ろしくもない。何よりも恐ろしいのは“死ねないこと”だ」
男は女に礼を言って里に下りた。
それから男は、不老不死を求める金持ちの老人に自らの肝を喰わせた。
肝を喰われた男は二度と蘇ることはなかったという。
全てを読み終えて、少女は決心をした。つまりは『自分の肝を誰かに喰わせよう』っていう決心を。
少女だって話の全てを鵜呑みにした訳じゃない。
でも、こういう方法を――誰かに伝染すなんて考えもしなかったことも事実。
だから試す価値は十分にある。そう思ったんだろう。
そして数日経ったある夜。
少女は人目につかないようにこっそりと、主の元を訪れた。
「このような時分に何用か?」
訝しげな顔をする主に少女は言った。「不老不死が欲しくはありませんか?」と。
「……どういうことかな?」
主は無関心を装いながら言ったが、その目には隠しきれない好奇の光が見えた。
少女は内心ほくそ笑んだ。やはりこの男はまだ永遠の命に興味があったのだ、と。
少女にとってこれは一つの賭だったんだ。
なぜなら、昔と違って人は永遠の命にあまり興味を示さなくなっていた。
人の寿命は五、六十年。それが常識。みだりに不老不死などと口に出せばどんな目で見られるかわからない。
――しかし、変わり者として知られているこの男ならあるいは。
そう考えた少女はこの数日、それとなく使用人たちにそのことを訪ねて回っていた。
すると、古くからこの家にいる使用人から面白い話を聞けたんだ。
「御屋形様も若い頃はそれは熱心に、不老不死というものを探していたんですよ」って。
「これをご覧ください」
そう言って少女は着物を脱いだ。それを見た主は軽く目を見開いた。“彼”が“彼女”だったからじゃない。少女の手には抜き身の小太刀が握られていたからだ。
「……貴様!」
太刀を引き抜き構える主に、少女は首を横に振って見せた。
「お待ちください。これは……こう使うのです」
言うが早いか少女はそれを自分の首に突き立てて斜めに滑らせる。
真っ赤な血がこぼれ落ち少女の体を赤く染めていく。
表情を凍らせる主。傾く視界。
そこで少女の記憶は一度途切れる。
再び目を覚ますと、まだ外は暗かった。
体に粘る血の感触を併せて考えるに、それほど時間は経っていないらしい。
「……本当に生き返るとはな」
主の声は震えていた。それが恐れのためか、喜びのためか、少女にはわからなかった。
どうでもよかった、というのが正しいところだろう。主が人を呼ばずにいたことが重要なのだから。
「これで信じていただけましたか?」
「もちろんだ。死して蘇るなど、人の為せる業ではない」
よかった。少女はほっと胸をなで下ろした。
自分が不老不死であることを他人に知らせるには、こうやって死んでみせるのが一番……まあ、もちろん逆効果になることもあるけど。
「それで、私は何をすればいい?」
「『何を』とは?」
「お前が不老不死であることはわかった。だが、私がそれをどうやって手に入れる? その方法がわからなければ意味があるまい」
「……そういうことですか」
意外に冷静だなと少女は思った。長年探し求めて、一時は諦めたものが目の前にあるというのに。
「簡単なことです。私の腹を割いて肝を食べればいい」
「肝を、か?」
「はい。ただし私が生きているうちに、ですが」
「……それは難しい話だな」
生きているうちにか。
主はそう呟くと黙り込んでしまった。
無理もない。人の腹を割いて肝を取り出すだけでも一苦労だというのに、それを相手が生きているうちに食べなければならないのだ。それも全部生のままで。誰だって尻込みするに決まっている。
だから少女は何も言わなかった。
彼女には初めからわかっていたから。人間は最後に必ず欲望に負けるものだと。
「……喰えばいいのだな?」
半刻近く悩んだ末に彼は言った。どうやら腹は決まったようだった。
少女は頷いて小太刀を主に渡し、自分は床に横になる。
そして、やがてやって来るであろう死を思いながら目を閉じた。
腹にちくりとした痛み。
それが真横に引かれると、少女の全身を焼けるような熱さを伴った痛みが襲った。
続けて腹の中にずぶずぶと動くもの――おそらくは手だろう――が入ってくる。
その手が腹の中で動き回り、肝を掴む。ぶつぶつと音を立てながらそれが引き抜かれた瞬間、少女は本当に死んでしまうと思った。
しかし少女は堪えた。
夢にまで見た“死”がそこにあるのだ。
ここで意識を手放すわけにはいかない。
けれど、そうしているうちに今度は体が冷たくなって、感覚が鈍くなっていくのを感じ始めた。
死が近づいている。
少女はうっすらと目を開けた。
これでもし肝を口にしていなければ死に損だ、なんてことを考えながら。
少女の不安は良い意味で裏切られた。
なぜなら少女の傍らには口元をべったりと血で染めた主が座っていたからだ。
「……これで私も不老不死か」
少女は何か言おうとしたが、口からは空気が漏れるだけだった。
そんな少女を見て主は言った。「すまない」と。
少女は「ありがとう」と返した。声は出なかったけれど。
驚く主に微笑んで、少女は目を閉じた。
貴方には感謝しています。
だって、これでようやく、私は死ぬことができるのだから。
そして少女は二度と目を覚ますことはなかった。
なんてハッピーエンドがあると思うかい?
いやいや。実はこの話には続きがあってね。
少女は目を覚ましたんだ。
するとすぐ傍には自分が死んでいるじゃないか。
少女は驚いたね。気が触れそうになりながら鏡を覗き込むと、そこには男の服装をした自分自身が映っていたんだ。
しかもそれは、自分の主がさっきまで着ていた着物だったんだよ。
勘のいい奴はわかったみたいだね。
そう、あの本を書いたのは一体誰だったのか……って慧音、どうしたの? 満月でもないのに角なんか生やして。
え? ちょっとこっち来いって?
いいけどなにさ。今ちょうどいいところなのに。
目を瞑れ? 構わないけど、顔を押さえて何するつもりなんだよ。やらしいなぁ。
いやちょっと痛いよ? いくら何でも力込め過ぎ、って……
ぎゃああああああああああああああああああああ――!!
語彙力の無い私ではここで「凄い」としか言えないのが残念です。
それにしても、妹紅はこんなグロテスクな話を子供に聞かせたのか……
慧音。もっとやっちまえ(笑)
完全に裏切られました。
実に教訓的な昔話でした。
怖いけどグロいから子供向けとは到底言いがたいしなw
慧音にお仕置きされるのも納得だwww
なんという昔話だろうw
もこさん、場所と周りの空気を読みましょうね。
素晴らしい妹紅小説でした。
ありがとうございました。