九、リグルの切符
「そろそろ、白鳥区の終わりですわ。」
そう、鳥捕りが云いったとき、
「あんたら、切符は持ってるかい?」
三人の席の横に、大きな鎌を持ったせいの高い車掌が、いつかまっすぐに立っていて云いました。
鳥捕りは、だまってエプロンのポケットから、小さな紙きれを出しました。
車掌はちょっと見て、すぐ眼をそらして、(あなた方のは?)というように、
指をうごかしながら、手をリグルたちの方へ出しました。
「さあ、さあ、さあ、さあ」
橙まですっと、白い紙切れを出しましたので、リグルが困って、もじもじしていましたら、
車掌も困った様子で、話し始めました。
「う~ん、こまったねえ……。別にあたいとしてはこのまま見過ごしても良いんだけど
ウチの上司が五月蠅くてねー。大体、あたいは自分のペースで仕事をしてたんだ。
分かる?自分のペースで。それを多少仕事が遅れたからって舟じゃなくて汽車に(注1)しろとか……
伝統ってものを何だと思って居るんだろうねぇ……大体こんな鉄の塊、雅さに欠けるってもんだろ?」
「それもこれも、貴方が仕事をしないのが原因ではないですか。」
「きゃん」
何時の間に来たのでしょう、愚痴を零す車掌の後ろに、
何か棒のようなモノを持った女性(と言うよりは、女の子)が立っていました。
「大体、貴方は自己の行為を正当化しすぎる。良いですか?本来仕事というのはですね」
「い、いや、その……そんな事より、四季様はどうして此処に?」
「これが始発だからです」
「え?」
「ですから、裁く者が居なければ仕事にならないでしょう?
こんなに大勢の魂を運んで居るんですから。
自ら仕事を見付け、効率的に働く事も、業務の内ですよ
貴方も、この様にですね……」
「あ、ああ、なるほど。じゃあ、暇になったんで付いてきたって事ですか?」
「違いますっ!!何を聞いて居たのですか?
私は、此処に働きに来て居るんです。
今だって、きちんと陸蒸気の運転という仕事をですね……」
「え、これは丘を走っている訳じゃないでしょう?」
「いや、車掌さん、そんなことより、今、この人は、何て?」
「ですから、これの運転という仕事を立派にこなしている最中と言ったのです。
小町、貴方も少しは私を見習ってですね……」
「あの、四季様……四季様が此処に居るって事は……
今、運転は誰がしているんですかね?」
「ああ、心配はいりませんよ。
彼もまた、死に逝く者。自らの意志で働いて居るのですから
見なさい、無機物でさえ自らの本分を果たそうとしているのですよ?
死神が働かずに、何を以て、死神と成ると言うのです?」
「で、でも、機関車じゃああたいの能力も生かせないじゃないですか
大体、みんな平等に運ぶというのはどうなんですか?」
「そのための切符でしょう。
終点までの切符が買えない者は途中で降ろす。
これで、今まで通りの仕事が出来、この間のように霊があふれると言うことも無い。」
「はあ……でも、金持ちはどうしてるんです?」
「アレに乗り換えですよ」
そう言って、指した指の向こうには、流線型の、煙を吐かない汽車が走っていました。
【左右合体!!】
「小町。見なさい、彼らだって自分の本分を……」
「いや、人を運ぶのはあれの本分じゃ無いでしょう……。」
その時、機関室では半人前の機関助士が二つの円匙(注2)を持って仕事をしていた訳です。
「……まあ、彼(注3)を幻想入りさせようって言うのが無理な話ですよね……
結局、何処で働いても私に休みは無いんです……しくしく」
二人が言い争う間、リグルはもしかして上着のポケットにでも、切符が入っていたかと思い、
手を入れて見ましたら、何か大きな畳んだ紙きれがありました。
何だろうか、これ。そう思い、急いで出してみましたら、それは四つに折ったはがきぐらいの大さの紫いろの紙でした。
「あんた、隙間妖怪に何か言ったかい?」
車掌がたずねました。
「え?さあ、良くは分かりません。」
あきれたような、哀れむような、そんな目をした二人を眺めながら、びくついて言いました。
「まあ、良いさ。次の駅に着くのは、第三時ころだからね」
車掌は紙を渡して、機関士と一緒に向うへ行きました。
橙は、その紙切れが何だったか待ち兼ねたというように急いでのぞきこみました。
リグルも全く早く見たかったのです。
ところがそれは、なんだか良く分からないのですが、紫色の紙に、
やはり紫色の字で『死刑』とだけ描いてあるものでした。
すると鳥捕りが横からちらっとそれを見てあわてたように云いました。
「へえ……大したものね。これもう、ほんとうの天上へまでも逝ける切符だわ。
貴方、本気で隙間を怒らせたみたいね。
なるほど、こんな不完全な幻想第四次の銀河鉄道なんか、どこまででも行ける筈ね。
大したものだわ、少なくとも、私には真似出来ない」
「何だかわかりませんが……やばいんですか?」
リグルが青くなって答えながらそれを又畳んでかくしに入れました。
そしてきまりが悪いので橙と二人、また窓の外をながめていましたが、その鳥捕りの時々可哀想に、
というようにちらちらこっちを見ているのがぼんやりわかりました。
「もうじき紅の停車場だよ。」橙が向う岸の、三つならんだ小さな青じろい三角標と地図とを見較べて云いました。
リグルはなんだか、むっとして、どうしょうかと考えて振り返って見ましたら、
そこにはもうあの鳥捕りが居ませんでした。
網棚の上には白い荷物も見えなかったのです。
また窓の外で足をふんばってそらを見上げて鷺を捕る支度をしているのかと思って、急いでそっちを見ましたが、
外はいちめんのうつくしい砂子と白いすすきの波ばかり、
あの鳥捕りの不思議な形の帽子も、割と華奢な背中も平らな胸も見えませんでした。
ただ、彼女が座っていた椅子に、かすかに残った香りさえ、
リグルは気付くことをしなかったのです。
「あの人どこへ行ったのかな。」
橙もぼんやりそう云っていました。
「渡すはあの人が邪魔なような気がしたんだ。だから、居なくなったのかな」
リグルはこんな変てこな気もちは、ほんとうにはじめてだし、こんなこと今まで云ったこともないと思いました。
十、林檎
「何だか苹果の匂がする。お腹が減ってるからかなぁ……
学校にいると、鳥が食べたくなるんだ」
橙が呟きました。
「ほんとうに苹果の匂だよ。それから、夜雀は食べないでね」
リグルもそこらを見ましたがやっぱりそれは窓からでも入って来るらしいのでした。
そしたら俄かにそこに、
紅玉や蒼玉、翠玉、藍玉に薔薇石に苦礬柘榴石の大きいのを、綺麗に切って並べて様な羽の少女(注4)が、
ひどくびっくりしたような顔をして立っていました。
隣りには朱い中華服をきちんと着たせいの高い女性が一ぱいに風に吹かれているけやきの木のような姿勢で、
女の子の手をしっかりひいて立っていました。
「あら、ここどこかしら。まあ、きれいだわ。」
女性のうしろにもひとり十二ばかりの、河守の様な羽を付けた可愛らしい女の子が
紅い外套を着て女性の腕にすがって不思議そうに窓の外を見ているのでした。
「咲夜さん、何処に行ってしまったんでしょう?うう……」
女性は疲れ切った顔でその女の子に云いました。
けれども、女の子はただ、
「お腹が減ったわね……鳥を捕るのに何時まで掛かっているのかしら?
ああ、甘い鳥と言うのを早く食べてみたいのに。」
そう言って、湯気も出ないほどに、冷めた紅茶を、息で冷まして居るのでした。
それから女性は、女の子にやさしく橙のとなりの席を指さしました。
女の子はすなおにそこへ座って、きちんと両手を組み合せました。
「パチュリーのとこへ行くんだよね」
宝石羽根の子は笑いながら、女性に云いました。
そると、黒羽根の女の子は、いきなり両手を顔にあててしくしく泣いてしまいました。
「うう……夜の王たる私が、こんな隙間を利用しなければならないなんて……」
「うん、お姉様。でも、お出かけなんて初めてだよ?
ねぇ、お姉様。どうして泣いているの?
めーりん、お姉様はどうして泣いているの?慰めて?」
「ええと……、そうだ、見てください、ど、どうです、あの立派な川、ね、
あすこはあの夏中、明日の記憶を歌ってやすむとき、いつも窓からぼんやり白く見えていたでしょう。
あすこですよ。ね、きれいでしょう、あんなに光っています。」
泣いていた姉もハンケチで眼をふいて外を見ました。
女性は教えるようにそっと姉妹にまた云いました。
「ね、泣かないでください、お嬢様。
私たちはこんないいとこを旅して、じき神さまのとこへ行きます。
そうしたら、喘息で死にかけているパチュリーさんを引っ張って来ましょう。
そして、代りに人形遣いでも、置いてくれば良いんです。
同じ魔法使いですからね、神様も気付かないと思います。
心配して待っている、メイド達のためにも。
さあ、もうじきですから元気を出しておもしろくうたって行きましょう」
女性は女の子のぬれたような髪をなで、みんなを慰めながら、自分もだんだん顔いろがかがやいて来ました。
「あら~レミリア(注5)じゃないの~」
さっきの扇持ちがやっと少しわかったようにずねました。
女性はかすかにわらいました。
「いえ、喘息でお嬢様のお友達が死にかけましてね。
隙間妖怪に頼んで連れてきて貰ったのです。
私は紅魔館へはいっていて、門番にやとわれていたのです。
ところがちょうどお昼過ぎ、お嬢様がお腹が減ったと言いましてね。
咲夜さんが鳥を捕りに出たのですが、戻らないのです。
ところが、お嬢様の心がもうだめになっていましたから、とても咲夜さんが居ないと
耐えきれないのです。
もうそのうちにもお嬢様が泣き始めますし、妹様は初めての遠出ではしゃぎまくるしで
もう、疲れました……」
小さな嘆息が聞こえ、リグルも恐らく冬越しの準備をして待って居るであろう二人を思い出し、少し落ち込むのでした。
「そう言えば、なんで、こんな所に居るのだろう、私は……」
そして、はしゃぎ疲れたのか、薔薇石羽根の妹は、もうつかれてぐったり席によりかかって睡っていました。
ごとごとごとごと汽車はきらびやかな燐光の川の岸を進みました。
向うの方の窓を見ると、野原はまるで幻燈のようでした。
「お嬢様、探しましたよ。
お腹が減ったでしょう?こういう苹果はどうですか?」
いつから居たのか、黄金と紅でうつくしくいろどられた大きな苹果を落さないように両手で膝の上にかかえた、
あの鳥捕りが席に座っていました。
「どっから来たんですか!!嗚呼、びっくりした。
それにしても、綺麗な果物ですねまるで黄玉の様な。
ここらではこんな苹果ができるのですか。」
女性はほんとうにびっくりしたらしく、両手にかかえられた一もりの苹果を、
眼を細くしたり首をまげたりしながらわれを忘れてながめていました。
「誰も貴方にあげるとは言っていないわ」
「そんな意地悪言わないでくださいよぅ……一杯有るじゃないですか」
「……まあ、良いわ、取りなさい」
女性は一つとってリグルたちの方をちょっと見ました。
「さあ、坊ちゃんがた、いかがですか。おとり下さい。」
リグルは坊ちゃんといわれたのでかなりしゃくにさわってだまっていましたが、
橙は「ありがとう、」と云いました。
すると女性は自分でとって、素手で二つに分けて二人に送ってよこしましたので、
リグルも立ってありがとうと云いました。
鳥捕りはやっと両腕があいたので、
こんどは自分で一つずつ睡っている姉妹の膝にそっと置きました。
「ありがとうございます、咲夜さん。
どこでできるのですか? こんな立派な苹果は」
女性はつくづく見ながら云いました。
「まあ、あの隙間妖怪が自分のテリトリーに何を持って居ても可笑しくはないわ。
これだって……もしかしたらパチュリー様の言っていた伝説の林檎かもしれないわね」
にわかに薔薇石羽根の子が、ぱっちり眼をあいて云いました。
「今パチュリーの夢を見てたよ。
パチュリーがね立派な戸棚や本のあるとこに居てね、
私の方を見て手をだしてにこにこにこにこわらったよ。
私、りんごをひろってきてあげましょうか云ったら眼がさめちゃった。
あれここさっきの汽車のなかだよね、ね?」
「その苹果がそこにありますよ、妹様。咲夜さんが取ってきてくれたんですよ」
女性が云いました。
「あ、咲夜。お帰り~。
あれ、ねえさままだねてるねえ、おこしてあげよう。
ねえさま、りんごをもらったよ。おきて。」
姉はわらって眼をさましまぶしそうに両手を眼にあててそれから苹果を見ました。
妹はまるでパイを潰すように、もうそれを手の中でぐちゃぐちゃにしていました、
また、女性が折角剥いたそのきれいな皮も、くるくるコルク抜きのような形になって、
床へ落ちるまでの間にはすうっと、灰いろに光って蒸発してしまうのでした。
橙とリグルの二人はりんごを大切にポケットにしまいました。
〈以下数行空白〉
「まあ、あの夜雀。」橙のとなりの河守羽の子が叫びました。
「夜雀じゃないよ。みんな烏天狗だね」橙がまた何気なく叱るように叫びましたので、
リグルはまた思わず笑い、女の子はきまり悪そうにしました。
まったく河原の青じろいあかりの上に、黒い羽根がたくさんたくさんいっぱいに列になってとまって
じっと川の微光を受けているのでした。
「天狗ですねえ、頭のうしろのとこに毛がぴんと延びてますから。」
女性はとりなすように云いました。
「そうだ、夜雀の声だってさっき聞えた。」
橙が河守羽の子に云いました。
それから、二人は、仲良く、楽しそうに話をしました。
しかし、仲良く話している二人を見ていると、
何故か、リグルは心がぎゅうっと絞められるのでした。
(どうして私はこんなにかなしいのだろう……)
リグルは熱って痛いあたまを両手で押えるようにしてそっちの方を見ました。
(ああほんとうにどこまでも、どこまでも私といっしょに行くひとは居ないのかな……。
橙だって、あんな女の子とおもしろそうに談しているし、私は……)
リグルの眼はまた泪でいっぱいになり天の川もまるで遠くへ行ったように、
ぼんやり白く見えるだけでした。
リグルは、心に芽生えたその感情の、名前も、伝える方法も知らなかったのです。
十一、不死鳥
川の向う岸が俄かに赤くなりました。
まったく向う岸の野原に大きなまっ赤な火が燃され、天をも焦がしそうでした。
紅玉よりも赤くすきとおり、風信子石よりもうつくしく酔ったようになって、
その火は燃えているのでした。
「あれは何の火だろう。あんな赤く光る火は何を燃やせばできるんだろう。」
リグルが云いました。
「不死鳥の火だね」橙が又地図と首っ引きして答えました。
「不死鳥の火って何だい。」リグルがききました。
「蓬莱人がやけて死んだの。
その火がいまでも燃えて、彼女を形作っているわ……永遠に。
むかし。富士の野原に一匹の人間がいて小さな動物やなんか殺してたべて生きていたの。
するとある日、不思議な薬を見附けて、飲んでしまったのよ。
その人間は、何を想って居たのでしょうね。何を想って居るのでしょうね。
もしかしたら、何も想っては居ないかも知れない。
兎に角、彼女は薬を飲んだ。
すると、彼女は、自分の体が燃え始めていくのを感じたの。
嗚呼、私はこんな所で死ぬのか……ってね。
それでも、何か思い残すことが有ったのでしょう。
嗚呼、どうして、私はこんな所で死ぬのか……死ぬものか、死ぬものか。
そしたら、いつか人間はじぶんのからだがまっ赤なうつくしい火になって燃えて、
夜のやみを照らしているのを見たの。
火が、体となって、今でも燃え続けるのよ。それが、不死鳥。
所詮、地上人が完全な蓬莱人に成ることは敵わなかったのね。」
「本当だ……そこらの三角標はちょうど鳥の形にならんでいるよ。」
〔以下原稿一枚?なし〕
「もうじきサウザンクロスですよ。おりる支度をして下さい。」
女性がみんなに云いました。
「私、も少し汽車へ乗ってる!!」薔薇石羽根の子が云いました。
橙のとなりの女の子はそわそわ立って支度をはじめましたけれども、
やっぱりリグルたちとわかれたくないようなようすでした。
「ここで、降りないと……そろそろ、パチュリー様が通りかかるはずです。
前の駅で降りたはずですから、さっさと迎えに行かないと。
そろそろ、鞄の中の人形遣い(注6)さんも目を覚ましますよ」
女性はきちっと口を結んで見おろしながら云いました。
「さあ、下りるんですよ。」
女性は手をひき、姉妹たちは互にえりや肩を直してやって、
だんだん向うの出口の方へ歩き出しました。
「じゃさよなら。」
女の子がふりかえって二人に云いました。
「さよなら。」
リグルはまるで泣き出したいのをこらえて怒ったように、ぶっきら棒に云いました。
女の子はいかにもつらそうに眼を大きくしても一度こっちをふりかえって
それからあとはもうだまって出て行ってしまいました。
汽車の中はもう半分以上も空いてしまい俄かにがらんとしてさびしくなり風がいっぱいに吹き込みました。
十二、幻想
リグルはああと深く息しました。
「橙、また二人きりになったね……。どこまでもどこまでも一諸に行こう。
私はもうあの不死鳥のように、橙のためなら体なんか百ぺん灼いてもかまわない。」
「うん。私だってそうだよ」
橙の眼にはきれいな涙がうかんでいました。
「私たちしっかりやろうね。」
リグルが胸いっぱい新らしい力が湧くようにふうと息をしながら云いました。
「あ、あすこ石炭袋だよ。そらの孔だよ。」
橙が少しそっちを避けるようにしながら天の川のひととこを指さしました。
リグルはそっちを見てまるでぎくっとしてしまいました。
天の川のところに大きなまっくらな孔がどおんとあいているのです。
その底がどれほど深いかその奥に何があるかいくら眼をこすってのぞいても、
なんにも見えずただ眼がしんしんと痛むのでした。
リグルが云いました。
「私もうあんな大きな暗の中だってこわくない。
きっと、私は、橙と一緒に居る。
どこまでもどこまでも私たち一諸に進んで行こう。」
「うん、きっと行くよ。
ああ、あすこの野原はなんてきれいだろう。
あれ、あそこに居るのは……藍様!?」
橙は俄かに窓の遠くに見えるきれいな野原を指して叫びました。
リグルもそっちを見ましたけれどもそこはぼんやり白くけむっているばかり。
どうしても橙が云ったように、人が居るようには思われませんでした。
何とも云えずさびしい気がして、「橙、私たち一諸だよね?」
斯う云いながらふりかえって見ましたら、
そのいままで橙の座っていた席には、もう橙の形は見えずリグルはまるで鉄砲丸のように立ちあがりました。
そして誰にも聞えないように窓の外へからだを乗り出して、
力いっぱいはげしく胸をうって叫びそれからもう咽喉いっぱい泣きだしました。
もうそこらが一ぺんにまっくらになったように思いました。
リグルは眼をひらきました。
気付けば、橙と二人。
本を開きながら眠って居たのでした。
「……夢、だったの?」
そう言って、起き上がったリグルのポケットには、あの透きうった、林檎が一つ入っていました。
以下、注訳
注1 現在、賽の河原を列車が通って居ることは有名であろう。
ただ、この本が書かれた時代はまだ船頭が賃金を貰い、舟を漕いで河を渡るという方法が取られていた
注2 二本持っているのだから、恐らく普通のシャベルでは無い。
妖怪が鍛えたモノと思われる。
注3 閻魔達が、初めは意志のある列車を呼ぼうとしていたことは周知の事実である。
この頃は、誰を呼ぶかもめていた頃なので、恐らく、青い、外の世界の有名な機関車と思われる
注4 現、紅魔館館主も、同じ様な翼を持っているのでそれを思い浮かべると良いかもしれない。
現館主は、この物語に出てくる人物が自分だと言うが、
この物語が描かれたのが麗夢時代なので、だまされてはならない。
吸血鬼でも無い限りはそんな長い時間を生きていけるはずがないのである。
注5 霊夢時代の、初代紅魔館館主。
吸血鬼だったとか、とても恐ろしいとか、れみりゃ等、様々な噂が絶えない人物である。
経歴不明で、どこから来たのか、そして、失踪後の行方も分かっては居ない。
現在も歴史家の間で研究が進められている。
注6 やはり、霊夢時代にいた妖怪と思われる。
彼女もまた、いつの間にか歴史から姿を消した存在。
本当にあの世に置いて逝かれたのでは?などとも噂されているが、真偽は明らかでは無い。
「そろそろ、白鳥区の終わりですわ。」
そう、鳥捕りが云いったとき、
「あんたら、切符は持ってるかい?」
三人の席の横に、大きな鎌を持ったせいの高い車掌が、いつかまっすぐに立っていて云いました。
鳥捕りは、だまってエプロンのポケットから、小さな紙きれを出しました。
車掌はちょっと見て、すぐ眼をそらして、(あなた方のは?)というように、
指をうごかしながら、手をリグルたちの方へ出しました。
「さあ、さあ、さあ、さあ」
橙まですっと、白い紙切れを出しましたので、リグルが困って、もじもじしていましたら、
車掌も困った様子で、話し始めました。
「う~ん、こまったねえ……。別にあたいとしてはこのまま見過ごしても良いんだけど
ウチの上司が五月蠅くてねー。大体、あたいは自分のペースで仕事をしてたんだ。
分かる?自分のペースで。それを多少仕事が遅れたからって舟じゃなくて汽車に(注1)しろとか……
伝統ってものを何だと思って居るんだろうねぇ……大体こんな鉄の塊、雅さに欠けるってもんだろ?」
「それもこれも、貴方が仕事をしないのが原因ではないですか。」
「きゃん」
何時の間に来たのでしょう、愚痴を零す車掌の後ろに、
何か棒のようなモノを持った女性(と言うよりは、女の子)が立っていました。
「大体、貴方は自己の行為を正当化しすぎる。良いですか?本来仕事というのはですね」
「い、いや、その……そんな事より、四季様はどうして此処に?」
「これが始発だからです」
「え?」
「ですから、裁く者が居なければ仕事にならないでしょう?
こんなに大勢の魂を運んで居るんですから。
自ら仕事を見付け、効率的に働く事も、業務の内ですよ
貴方も、この様にですね……」
「あ、ああ、なるほど。じゃあ、暇になったんで付いてきたって事ですか?」
「違いますっ!!何を聞いて居たのですか?
私は、此処に働きに来て居るんです。
今だって、きちんと陸蒸気の運転という仕事をですね……」
「え、これは丘を走っている訳じゃないでしょう?」
「いや、車掌さん、そんなことより、今、この人は、何て?」
「ですから、これの運転という仕事を立派にこなしている最中と言ったのです。
小町、貴方も少しは私を見習ってですね……」
「あの、四季様……四季様が此処に居るって事は……
今、運転は誰がしているんですかね?」
「ああ、心配はいりませんよ。
彼もまた、死に逝く者。自らの意志で働いて居るのですから
見なさい、無機物でさえ自らの本分を果たそうとしているのですよ?
死神が働かずに、何を以て、死神と成ると言うのです?」
「で、でも、機関車じゃああたいの能力も生かせないじゃないですか
大体、みんな平等に運ぶというのはどうなんですか?」
「そのための切符でしょう。
終点までの切符が買えない者は途中で降ろす。
これで、今まで通りの仕事が出来、この間のように霊があふれると言うことも無い。」
「はあ……でも、金持ちはどうしてるんです?」
「アレに乗り換えですよ」
そう言って、指した指の向こうには、流線型の、煙を吐かない汽車が走っていました。
【左右合体!!】
「小町。見なさい、彼らだって自分の本分を……」
「いや、人を運ぶのはあれの本分じゃ無いでしょう……。」
その時、機関室では半人前の機関助士が二つの円匙(注2)を持って仕事をしていた訳です。
「……まあ、彼(注3)を幻想入りさせようって言うのが無理な話ですよね……
結局、何処で働いても私に休みは無いんです……しくしく」
二人が言い争う間、リグルはもしかして上着のポケットにでも、切符が入っていたかと思い、
手を入れて見ましたら、何か大きな畳んだ紙きれがありました。
何だろうか、これ。そう思い、急いで出してみましたら、それは四つに折ったはがきぐらいの大さの紫いろの紙でした。
「あんた、隙間妖怪に何か言ったかい?」
車掌がたずねました。
「え?さあ、良くは分かりません。」
あきれたような、哀れむような、そんな目をした二人を眺めながら、びくついて言いました。
「まあ、良いさ。次の駅に着くのは、第三時ころだからね」
車掌は紙を渡して、機関士と一緒に向うへ行きました。
橙は、その紙切れが何だったか待ち兼ねたというように急いでのぞきこみました。
リグルも全く早く見たかったのです。
ところがそれは、なんだか良く分からないのですが、紫色の紙に、
やはり紫色の字で『死刑』とだけ描いてあるものでした。
すると鳥捕りが横からちらっとそれを見てあわてたように云いました。
「へえ……大したものね。これもう、ほんとうの天上へまでも逝ける切符だわ。
貴方、本気で隙間を怒らせたみたいね。
なるほど、こんな不完全な幻想第四次の銀河鉄道なんか、どこまででも行ける筈ね。
大したものだわ、少なくとも、私には真似出来ない」
「何だかわかりませんが……やばいんですか?」
リグルが青くなって答えながらそれを又畳んでかくしに入れました。
そしてきまりが悪いので橙と二人、また窓の外をながめていましたが、その鳥捕りの時々可哀想に、
というようにちらちらこっちを見ているのがぼんやりわかりました。
「もうじき紅の停車場だよ。」橙が向う岸の、三つならんだ小さな青じろい三角標と地図とを見較べて云いました。
リグルはなんだか、むっとして、どうしょうかと考えて振り返って見ましたら、
そこにはもうあの鳥捕りが居ませんでした。
網棚の上には白い荷物も見えなかったのです。
また窓の外で足をふんばってそらを見上げて鷺を捕る支度をしているのかと思って、急いでそっちを見ましたが、
外はいちめんのうつくしい砂子と白いすすきの波ばかり、
あの鳥捕りの不思議な形の帽子も、割と華奢な背中も平らな胸も見えませんでした。
ただ、彼女が座っていた椅子に、かすかに残った香りさえ、
リグルは気付くことをしなかったのです。
「あの人どこへ行ったのかな。」
橙もぼんやりそう云っていました。
「渡すはあの人が邪魔なような気がしたんだ。だから、居なくなったのかな」
リグルはこんな変てこな気もちは、ほんとうにはじめてだし、こんなこと今まで云ったこともないと思いました。
十、林檎
「何だか苹果の匂がする。お腹が減ってるからかなぁ……
学校にいると、鳥が食べたくなるんだ」
橙が呟きました。
「ほんとうに苹果の匂だよ。それから、夜雀は食べないでね」
リグルもそこらを見ましたがやっぱりそれは窓からでも入って来るらしいのでした。
そしたら俄かにそこに、
紅玉や蒼玉、翠玉、藍玉に薔薇石に苦礬柘榴石の大きいのを、綺麗に切って並べて様な羽の少女(注4)が、
ひどくびっくりしたような顔をして立っていました。
隣りには朱い中華服をきちんと着たせいの高い女性が一ぱいに風に吹かれているけやきの木のような姿勢で、
女の子の手をしっかりひいて立っていました。
「あら、ここどこかしら。まあ、きれいだわ。」
女性のうしろにもひとり十二ばかりの、河守の様な羽を付けた可愛らしい女の子が
紅い外套を着て女性の腕にすがって不思議そうに窓の外を見ているのでした。
「咲夜さん、何処に行ってしまったんでしょう?うう……」
女性は疲れ切った顔でその女の子に云いました。
けれども、女の子はただ、
「お腹が減ったわね……鳥を捕るのに何時まで掛かっているのかしら?
ああ、甘い鳥と言うのを早く食べてみたいのに。」
そう言って、湯気も出ないほどに、冷めた紅茶を、息で冷まして居るのでした。
それから女性は、女の子にやさしく橙のとなりの席を指さしました。
女の子はすなおにそこへ座って、きちんと両手を組み合せました。
「パチュリーのとこへ行くんだよね」
宝石羽根の子は笑いながら、女性に云いました。
そると、黒羽根の女の子は、いきなり両手を顔にあててしくしく泣いてしまいました。
「うう……夜の王たる私が、こんな隙間を利用しなければならないなんて……」
「うん、お姉様。でも、お出かけなんて初めてだよ?
ねぇ、お姉様。どうして泣いているの?
めーりん、お姉様はどうして泣いているの?慰めて?」
「ええと……、そうだ、見てください、ど、どうです、あの立派な川、ね、
あすこはあの夏中、明日の記憶を歌ってやすむとき、いつも窓からぼんやり白く見えていたでしょう。
あすこですよ。ね、きれいでしょう、あんなに光っています。」
泣いていた姉もハンケチで眼をふいて外を見ました。
女性は教えるようにそっと姉妹にまた云いました。
「ね、泣かないでください、お嬢様。
私たちはこんないいとこを旅して、じき神さまのとこへ行きます。
そうしたら、喘息で死にかけているパチュリーさんを引っ張って来ましょう。
そして、代りに人形遣いでも、置いてくれば良いんです。
同じ魔法使いですからね、神様も気付かないと思います。
心配して待っている、メイド達のためにも。
さあ、もうじきですから元気を出しておもしろくうたって行きましょう」
女性は女の子のぬれたような髪をなで、みんなを慰めながら、自分もだんだん顔いろがかがやいて来ました。
「あら~レミリア(注5)じゃないの~」
さっきの扇持ちがやっと少しわかったようにずねました。
女性はかすかにわらいました。
「いえ、喘息でお嬢様のお友達が死にかけましてね。
隙間妖怪に頼んで連れてきて貰ったのです。
私は紅魔館へはいっていて、門番にやとわれていたのです。
ところがちょうどお昼過ぎ、お嬢様がお腹が減ったと言いましてね。
咲夜さんが鳥を捕りに出たのですが、戻らないのです。
ところが、お嬢様の心がもうだめになっていましたから、とても咲夜さんが居ないと
耐えきれないのです。
もうそのうちにもお嬢様が泣き始めますし、妹様は初めての遠出ではしゃぎまくるしで
もう、疲れました……」
小さな嘆息が聞こえ、リグルも恐らく冬越しの準備をして待って居るであろう二人を思い出し、少し落ち込むのでした。
「そう言えば、なんで、こんな所に居るのだろう、私は……」
そして、はしゃぎ疲れたのか、薔薇石羽根の妹は、もうつかれてぐったり席によりかかって睡っていました。
ごとごとごとごと汽車はきらびやかな燐光の川の岸を進みました。
向うの方の窓を見ると、野原はまるで幻燈のようでした。
「お嬢様、探しましたよ。
お腹が減ったでしょう?こういう苹果はどうですか?」
いつから居たのか、黄金と紅でうつくしくいろどられた大きな苹果を落さないように両手で膝の上にかかえた、
あの鳥捕りが席に座っていました。
「どっから来たんですか!!嗚呼、びっくりした。
それにしても、綺麗な果物ですねまるで黄玉の様な。
ここらではこんな苹果ができるのですか。」
女性はほんとうにびっくりしたらしく、両手にかかえられた一もりの苹果を、
眼を細くしたり首をまげたりしながらわれを忘れてながめていました。
「誰も貴方にあげるとは言っていないわ」
「そんな意地悪言わないでくださいよぅ……一杯有るじゃないですか」
「……まあ、良いわ、取りなさい」
女性は一つとってリグルたちの方をちょっと見ました。
「さあ、坊ちゃんがた、いかがですか。おとり下さい。」
リグルは坊ちゃんといわれたのでかなりしゃくにさわってだまっていましたが、
橙は「ありがとう、」と云いました。
すると女性は自分でとって、素手で二つに分けて二人に送ってよこしましたので、
リグルも立ってありがとうと云いました。
鳥捕りはやっと両腕があいたので、
こんどは自分で一つずつ睡っている姉妹の膝にそっと置きました。
「ありがとうございます、咲夜さん。
どこでできるのですか? こんな立派な苹果は」
女性はつくづく見ながら云いました。
「まあ、あの隙間妖怪が自分のテリトリーに何を持って居ても可笑しくはないわ。
これだって……もしかしたらパチュリー様の言っていた伝説の林檎かもしれないわね」
にわかに薔薇石羽根の子が、ぱっちり眼をあいて云いました。
「今パチュリーの夢を見てたよ。
パチュリーがね立派な戸棚や本のあるとこに居てね、
私の方を見て手をだしてにこにこにこにこわらったよ。
私、りんごをひろってきてあげましょうか云ったら眼がさめちゃった。
あれここさっきの汽車のなかだよね、ね?」
「その苹果がそこにありますよ、妹様。咲夜さんが取ってきてくれたんですよ」
女性が云いました。
「あ、咲夜。お帰り~。
あれ、ねえさままだねてるねえ、おこしてあげよう。
ねえさま、りんごをもらったよ。おきて。」
姉はわらって眼をさましまぶしそうに両手を眼にあててそれから苹果を見ました。
妹はまるでパイを潰すように、もうそれを手の中でぐちゃぐちゃにしていました、
また、女性が折角剥いたそのきれいな皮も、くるくるコルク抜きのような形になって、
床へ落ちるまでの間にはすうっと、灰いろに光って蒸発してしまうのでした。
橙とリグルの二人はりんごを大切にポケットにしまいました。
〈以下数行空白〉
「まあ、あの夜雀。」橙のとなりの河守羽の子が叫びました。
「夜雀じゃないよ。みんな烏天狗だね」橙がまた何気なく叱るように叫びましたので、
リグルはまた思わず笑い、女の子はきまり悪そうにしました。
まったく河原の青じろいあかりの上に、黒い羽根がたくさんたくさんいっぱいに列になってとまって
じっと川の微光を受けているのでした。
「天狗ですねえ、頭のうしろのとこに毛がぴんと延びてますから。」
女性はとりなすように云いました。
「そうだ、夜雀の声だってさっき聞えた。」
橙が河守羽の子に云いました。
それから、二人は、仲良く、楽しそうに話をしました。
しかし、仲良く話している二人を見ていると、
何故か、リグルは心がぎゅうっと絞められるのでした。
(どうして私はこんなにかなしいのだろう……)
リグルは熱って痛いあたまを両手で押えるようにしてそっちの方を見ました。
(ああほんとうにどこまでも、どこまでも私といっしょに行くひとは居ないのかな……。
橙だって、あんな女の子とおもしろそうに談しているし、私は……)
リグルの眼はまた泪でいっぱいになり天の川もまるで遠くへ行ったように、
ぼんやり白く見えるだけでした。
リグルは、心に芽生えたその感情の、名前も、伝える方法も知らなかったのです。
十一、不死鳥
川の向う岸が俄かに赤くなりました。
まったく向う岸の野原に大きなまっ赤な火が燃され、天をも焦がしそうでした。
紅玉よりも赤くすきとおり、風信子石よりもうつくしく酔ったようになって、
その火は燃えているのでした。
「あれは何の火だろう。あんな赤く光る火は何を燃やせばできるんだろう。」
リグルが云いました。
「不死鳥の火だね」橙が又地図と首っ引きして答えました。
「不死鳥の火って何だい。」リグルがききました。
「蓬莱人がやけて死んだの。
その火がいまでも燃えて、彼女を形作っているわ……永遠に。
むかし。富士の野原に一匹の人間がいて小さな動物やなんか殺してたべて生きていたの。
するとある日、不思議な薬を見附けて、飲んでしまったのよ。
その人間は、何を想って居たのでしょうね。何を想って居るのでしょうね。
もしかしたら、何も想っては居ないかも知れない。
兎に角、彼女は薬を飲んだ。
すると、彼女は、自分の体が燃え始めていくのを感じたの。
嗚呼、私はこんな所で死ぬのか……ってね。
それでも、何か思い残すことが有ったのでしょう。
嗚呼、どうして、私はこんな所で死ぬのか……死ぬものか、死ぬものか。
そしたら、いつか人間はじぶんのからだがまっ赤なうつくしい火になって燃えて、
夜のやみを照らしているのを見たの。
火が、体となって、今でも燃え続けるのよ。それが、不死鳥。
所詮、地上人が完全な蓬莱人に成ることは敵わなかったのね。」
「本当だ……そこらの三角標はちょうど鳥の形にならんでいるよ。」
〔以下原稿一枚?なし〕
「もうじきサウザンクロスですよ。おりる支度をして下さい。」
女性がみんなに云いました。
「私、も少し汽車へ乗ってる!!」薔薇石羽根の子が云いました。
橙のとなりの女の子はそわそわ立って支度をはじめましたけれども、
やっぱりリグルたちとわかれたくないようなようすでした。
「ここで、降りないと……そろそろ、パチュリー様が通りかかるはずです。
前の駅で降りたはずですから、さっさと迎えに行かないと。
そろそろ、鞄の中の人形遣い(注6)さんも目を覚ましますよ」
女性はきちっと口を結んで見おろしながら云いました。
「さあ、下りるんですよ。」
女性は手をひき、姉妹たちは互にえりや肩を直してやって、
だんだん向うの出口の方へ歩き出しました。
「じゃさよなら。」
女の子がふりかえって二人に云いました。
「さよなら。」
リグルはまるで泣き出したいのをこらえて怒ったように、ぶっきら棒に云いました。
女の子はいかにもつらそうに眼を大きくしても一度こっちをふりかえって
それからあとはもうだまって出て行ってしまいました。
汽車の中はもう半分以上も空いてしまい俄かにがらんとしてさびしくなり風がいっぱいに吹き込みました。
十二、幻想
リグルはああと深く息しました。
「橙、また二人きりになったね……。どこまでもどこまでも一諸に行こう。
私はもうあの不死鳥のように、橙のためなら体なんか百ぺん灼いてもかまわない。」
「うん。私だってそうだよ」
橙の眼にはきれいな涙がうかんでいました。
「私たちしっかりやろうね。」
リグルが胸いっぱい新らしい力が湧くようにふうと息をしながら云いました。
「あ、あすこ石炭袋だよ。そらの孔だよ。」
橙が少しそっちを避けるようにしながら天の川のひととこを指さしました。
リグルはそっちを見てまるでぎくっとしてしまいました。
天の川のところに大きなまっくらな孔がどおんとあいているのです。
その底がどれほど深いかその奥に何があるかいくら眼をこすってのぞいても、
なんにも見えずただ眼がしんしんと痛むのでした。
リグルが云いました。
「私もうあんな大きな暗の中だってこわくない。
きっと、私は、橙と一緒に居る。
どこまでもどこまでも私たち一諸に進んで行こう。」
「うん、きっと行くよ。
ああ、あすこの野原はなんてきれいだろう。
あれ、あそこに居るのは……藍様!?」
橙は俄かに窓の遠くに見えるきれいな野原を指して叫びました。
リグルもそっちを見ましたけれどもそこはぼんやり白くけむっているばかり。
どうしても橙が云ったように、人が居るようには思われませんでした。
何とも云えずさびしい気がして、「橙、私たち一諸だよね?」
斯う云いながらふりかえって見ましたら、
そのいままで橙の座っていた席には、もう橙の形は見えずリグルはまるで鉄砲丸のように立ちあがりました。
そして誰にも聞えないように窓の外へからだを乗り出して、
力いっぱいはげしく胸をうって叫びそれからもう咽喉いっぱい泣きだしました。
もうそこらが一ぺんにまっくらになったように思いました。
リグルは眼をひらきました。
気付けば、橙と二人。
本を開きながら眠って居たのでした。
「……夢、だったの?」
そう言って、起き上がったリグルのポケットには、あの透きうった、林檎が一つ入っていました。
以下、注訳
注1 現在、賽の河原を列車が通って居ることは有名であろう。
ただ、この本が書かれた時代はまだ船頭が賃金を貰い、舟を漕いで河を渡るという方法が取られていた
注2 二本持っているのだから、恐らく普通のシャベルでは無い。
妖怪が鍛えたモノと思われる。
注3 閻魔達が、初めは意志のある列車を呼ぼうとしていたことは周知の事実である。
この頃は、誰を呼ぶかもめていた頃なので、恐らく、青い、外の世界の有名な機関車と思われる
注4 現、紅魔館館主も、同じ様な翼を持っているのでそれを思い浮かべると良いかもしれない。
現館主は、この物語に出てくる人物が自分だと言うが、
この物語が描かれたのが麗夢時代なので、だまされてはならない。
吸血鬼でも無い限りはそんな長い時間を生きていけるはずがないのである。
注5 霊夢時代の、初代紅魔館館主。
吸血鬼だったとか、とても恐ろしいとか、れみりゃ等、様々な噂が絶えない人物である。
経歴不明で、どこから来たのか、そして、失踪後の行方も分かっては居ない。
現在も歴史家の間で研究が進められている。
注6 やはり、霊夢時代にいた妖怪と思われる。
彼女もまた、いつの間にか歴史から姿を消した存在。
本当にあの世に置いて逝かれたのでは?などとも噂されているが、真偽は明らかでは無い。
しかし、これはこれで良いものだと思いますよ。
それにしても、東方キャラが『銀河鉄道の夜』とこんなに合うなんて…
なかなか素敵な「童話」に仕上がっていました。
私は好きです。