「うーん」
サニーミルクは困っていた。
困らせるのは大好きだけど、自分が困るのは趣味じゃない。困った。
「うーんうーん」
唸っても状況が改善されることはないのだけれど、唸らずにはいられない。
「……さっきから、何をうんうん唸っているのよ、サニー。恐ろしい獣でもいるのかと思ったじゃない」
近くの茂みの中にいた、白い影―――ルナチャイルドが声をかけてきた。
「何言ってるのルナ。そんな恐ろしい獣が近くにいるなら、スターが何も言わないはずないわ」
「何も言わずに一人で逃げてることも多いけどね……」
「あら失礼ね。私は簡単に友達を見捨てたりはしないわよ」
そう言いながら後ろから現れたのは、青い影のスターサファイア。
「そうかしら。いつも簡単に見捨てられてる気がするけど……」
一番鈍ぐさく、一番ひどい目に合っているルナは不満そうだ。
「ところで、何をうんうん唸っているの、という質問の答えをまだもらってないんだけど」
ルナにそう言われてハッと思い出した。そういえば困っていたんだった。
「壷から抜けないのよ」
「何が?」
「手が」
そう言って右手を掲げて見せた。そこには丸い壷がすっぽりはまっている。
「中に何か入ってるみたいだったから、取り出そうと思って手を入れたんだけど……さっぱり抜けなくなってしまったわ」
もう一度、左手で思いっきり引っ張ってみたが、やっぱり抜けない。
「どうして入ったものが抜けなくなるのよ」
ルナは呆れたように嘆息するが、抜けないものはしょうがないのである。
「そんなわけだから、二人で引っ張ってくれない? このままじゃジャンケンもできやしないわ」
「それは左手でやればいいんじゃ」
「私、ジャンケンは右手の方が強いのよー」
ルナとスターに反対側から引っ張ってもらったが、どうにも壷が抜ける気配がなかった。
「ち、ちょっと待って二人とも……このままじゃ壷じゃなくて、私の腕がすっぽ抜けそうなんだけど。
腕がすっぽ抜けたらジャンケンもできないわよ」
「うーん。左手でジャンケンをする特訓をすればいいんじゃない?」
スターはそんな冷たいことを言う。
「抜けないなら、割っちゃえばいいんじゃない? そこらの石にぶつけて」
うう。ちょっと嫌だけど、ルナの言う方法しかないか……。
「とえーーーいっ」
近くにあった大きめの石に、壷ごと右手を思いっきり叩きつける。
グシャン、と思ったより地味な音で、壷が粉々になった。
「妙ちくりんなかけ声ね……」
「どう? サニー。壷は取れた?」
遠巻きに見ていた二人が声をかけてくる。
「痛いわ……破片が刺さっていたいわ……」
グシュっと鼻をすする。腕がジーンとするし……ううう。
「今思ったんだけど、握っている手を離せば普通に抜けたのではないかしら」
「遅いわ。言うのが遅すぎるわスター……わざとなの? わざとなんでしょー」
涙目、ジト目でスターを睨む。
「まあ今日は晴れてるから、後で日光を浴びて治せばいい話よ。で、壷の中に入ってたのはなんだったの?」
そういう話でもない気がするけど……握り締めた拳を開いてみる。
「……ただの石ころだったわ」
「なぁんだ。とんだ骨折り損じゃないの」
やれやれと両手を上げるスター。骨を折ったのは私なんだけど……いや、骨は折れてないんだけど。
「何よ何よ。そういう二人は、何かめぼしいものを見つけられたのかしらっ」
「うーん。今日はどうも、ピンと来るような素敵なものがないのよねぇ……」
「私もさっぱり。道具屋の店主が先に拾っていっちゃったのかしら」
晴れない顔で、冴えない戦果を報告する二人。
「もう……しっかりしてよね二人とも。今日はせっかくの宝探しの日だっていうのに……
何も見つけられないなんて、前代未聞のとんとんかちだわ」
「いや、けっこう何も見つからないこともあったわよ。前々回とか、前々々々々々回とか」
「そんなどうでもいいこと覚えてるのはルナだけだからいいのっ。
それより、もっと気合入れて探すわよー。日の入りまでには、まだまだ時間があるんだから」
そう言って二人に檄を飛ばす。
「小石一つで右手を怪我したサニーに言われたくはないわね」
「ううう」
幻想郷を駆け抜ける一陣の風……であるところの私は、今日もネタを求めてそこらじゅうを飛び回っていた。
「今日も何もないですねー……あまりに何も無いから、なんだか腹が立ってきたわ」
今年の大会も近いっていうのに、めぼしい事件が何も無い。巫女は相変わらず昼寝しているだけだし。
「もういっそ、私が事件を起こしてネタにしてしまおうかしら……」
そんなことを口走ってみたが、もちろん本気じゃあない。自分のことを書いたって、面白いことなんて何も無いし。
それに、最後に巫女に退治されるだけというオチまで見えている。
ふと下の方を見てみると、森の中で妖精達が何匹か寄り合って、何やらゴソゴソとしていた。あれは……光の三妖精か。
「うーん。期待はできそうにないけど……とりあえず行ってみましょうか」
どんな細かいネタでも拾おうとする姿勢こそが、良い新聞を作るのである。たぶん。
「―――何をしているんですか?」
「「「ひゃああっ!!??」」」
頭上から声をかけると、三妖精達はやたら素っ頓狂な声をあげた。
「ちちちちちょっとスター! 妖怪が近づいてるのにどうして教えてくれないのよーっ」
「あ、あんまり速く近づかれたら私にだってどうしようもないわよ……それよりサニー、早く姿を消さないと!」
「わわわ忘れてた。え、えいっ!」
「あせりすぎて足しか消えてないわよっ。幽霊じゃないんだからー」
ドタバタと愉快な掛け合いを繰り広げる三人。思わずボーッと見てしまった。
「ああ、別に隠れなくてもいいですよ。ちょっと取材させてもらおうと思っただけですから」
ピタッと動きを止める三妖精。
「……取材?」
赤い妖精、サニーミルクが訝しげな視線を向けてくる。
「ええ、取材です。以前も一度、伺ったことがあったでしょう?」
「うーん。そう言われてみれば、どこかで会ったことがあったかな……あっ。確か天狗の……誰だっけ」
妖精に記憶力を求めるのは無駄だったかもしれない。
「射命丸文です。『文々。新聞』の……まあ私のことはいいんですが。で、何をしてたんでしょうか」
「そうだ、忘れてた。変な薬を見つけたから、それで話し合ってたの」
「変な薬とは?」
これよ、とルナチャイルドが小さな小瓶に入った薬を見せてくる。なるほど怪しげだ。
「私がさっき見つけたのよ。今日の宝探しは、私の勝ちよね。二人は何も見つけられなかったんだから」
えっへんと胸を張るスターサファイア。それにサニーミルク達が不平の声を上げる。
「そんなこと言って、これが何の薬か分からないんじゃあ、貴重なものかも分からないじゃないの」
「そうよね。ただの風邪薬じゃ、宝物なんて言えないわ」
そこいらに落っこちてる薬が、貴重なものとも思えないけれど……。
「そう、それでこれが何の薬なのか話し合っていたのよ」
妖精が話し合って、薬の正体が分かるものだろうか。見た感じではラベルも貼っていないし、
中にも黒い丸薬が入ってるだけで……ん?
「この薬の小瓶、どこかで見たことがあるような気がします」
「えっ、ほんと?」
「どこどこ、どこで見たの?」
妖精達がずずいと寄ってくる。
「えーっと、確か……そうそう、思い出しました。永遠亭の薬師を取材したときだから……
これは『胡蝶夢丸』ですね。私の新聞で記事にしたことがありますよ」
「こちょーむがん?」
三人ともキョトンとしている。まあ、私の書いた記事を妖精が読んでるとは思ってなかったけど。
「これを寝る前に数粒ほど飲むと、その晩とても楽しい夢が見られる……という代物です」
まあ、私にとってはそれほど楽しい夢でもなかったんだけど。蝶の羽根でふわふわ飛んでいるだけなんて、ちょっと味気ない。
「楽しい夢を見れる薬かあ」
サニーミルクとスターサファイアは目を輝かせて喜んでいる。しかし反対に、ルナチャイルドはそれほど興味がなさそうだった。
「まあ楽しい夢と言っても、普段からふわふわ飛んでいる貴方達にはそれほど楽しいものではないと思いますが」
「それじゃ、早速家に帰って試してみましょうか? この薬」
「うん。そうしましょ。よーし、今日は早く寝るわよー」
まるで聞いてないし。これだから妖精と会話するのは疲れるのである。
「ちょっとちょっと、早く寝るったってまだ晩御飯の準備さえしてないのに……気が早すぎだってば」
早々に飛んでいった赤と青の妖精を、慌てて追いかけるルナチャイルド。
その小さな姿を見送りながら、私は何か心にひっかかるものを感じていた。
私が飲んだ『胡蝶夢丸』は……色が紅かったような気が……
「まぁ、いいか……」
今日はよく晴れているので、綺麗に月が見えた。
ルナチャイルドは家の木の枝に腰掛けて、夜風に吹かれるのを楽しんでいた。
「サニーもスターも、ほんとにさっさと寝ちゃうんだから……」
月の光の精である彼女の、本当の活動時間は夜である。だからルナは、夜にはあまり寝ない。
「それにしても、楽しい夢ねぇ。夢の中で楽しくても、しようがないと思うけど」
夢を見ることが少ない彼女には、その良さが今一つ分からないのであった。
「むぎゃあぁぁ……」
家の中から、なにやらおかしな呻き声が聞こえてきた。サニーの声だ。
「? いったいどうしたっていうのかしら」
ルナは、サニーの部屋の窓を覗き込んでみる。そこには……。
「止めてぇぇ……誰か私を止めてくださいお願いしますぅぅ……」
変なポーズでよく分からないことを懇願しているサニーがいた。どうも寝言みたいだけど。
よく耳をすませると、隣のスターの部屋からも「ひにゃあぁぁぁ」とかおかしな声が聞こえてくる。
うーん。よく分からないけど、これが楽しい夢の効果なんだろうか。
「……まあ、明日二人に聞いてみればいいか」
二人が昨晩の夢のことなんて、覚えてるかどうか分からないけど。
ルナは奇声を気にせず、再び夜風を楽しむことに集中し始めた。
彼女はまだ、珍しく自分だけ災難から逃れられたことには、まだ気づいていない。