*作品集45の厄神様の秘密 前編との前後編となっていますが、最初の三行以外はほぼ独立した話になってしまっているので、あまり気にする必要はないと思います。
紅魔館から飛び出した魔理沙はというと、妖怪山のほうへ向かっていた。
いや、実際にはまずまっすぐ博麗神社へと飛んでいったのだが、取り付く島もなかった。
ちなみに、以下はその際の博麗神社の映像だ。
*
「霊夢~、何で厄神様は回ってるんだ~?」
「知らない」
*
以上である。情景描写をはさむ隙すらがないほど快速だった。
一応補足しておくと、箒で飛んできながら疑問を投げかける魔理沙に対し、知らない、と答えた改造巫女服の少女――博麗霊夢は間髪入れずお茶をすすり、それを見た魔理沙はここに情報はないと悟って即座に忌引きを返した、というわけだ。
これは魔理沙の物分りがいい、というわけではない。待機モードに入った霊夢に下手に絡むと、時間制限なし夢想天生という鬼としか言いようのないラストワードでお仕置きされかねない。人間誰しも至福の時間を邪魔されると腹が立つものだ。
そして現在、魔理沙は最終手段である、厄神様に直接聞く、という手段をとるべく妖怪山に向かい飛んでいる。
「やっくがっみさっまは、どっこかっしっら~」
と鼻歌など歌いながら、襲い掛かってくる妖精を蹴散らしていく。ここら辺には発狂妖精もいないし、楽なものだ。途中秋姉妹に出会ったが、誠心誠意事情を話すと割合すんなりと通してくれた。持っててよかったミニ八卦。秋の林での火の使用は注意が必要です。
そうして、あっという間に厄神様と会ったところに到着。周囲を見回すと、すぐに厄を漂わせながらくるくると回っている厄神様を発見した。
念のためポケットのミニ八卦を握りつつ、魔理沙は箒に乗ったまま厄神様に呼びかける。
「お~い、そこのコロンパコロンパ言いそうな神様~」
割と失礼な呼び方だった。
「コロンパコロンパ、何用かしら?」
こっちはこっちで、ずいぶんとノリのいい神様だ。くるくる回りながら近づいてくる。
「短い刀を突き刺させてもらうが、あんたなんで正中線と同じ方向にモーメントを働かせ続けてるんだ?」
魔理沙はずいぶん回りくどい直球で聞いた。
「回りたいからじゃだめなの?」
「少なくとも人と話すときに回るのは失礼だし、相応の理由は必要だと思うぜ」
ひとつの真理を持ち出す厄神様に対して、魔理沙はミニ八卦片手に誠心誠意のお話をした人間とは思えないほどの正論を吐いた。
「くるくる回るは淀みなく、流れ流れて輪廻の果てに。厄神様のお仕事よって言ったら、果たして貴方は信じるかしら?」
歌うように言う厄神様。まるで疑ってくださいといわんばかりの言い方だ。しかも信じたところで何の答えにもなってない。ちなみに当然、しゃべりながらも厄神様はくるくる回っている。
「信じるか、と問われれば、疑いたくなる人のサガ、だぜ。仮に仕事だったとしても、回る必要性を知りたいところだしな」
案の定、魔理沙は納得しなかった。川柳とも短歌ともつかない歌でさらに問い詰める。
「一つ回るは人のため、二つ回るは厄のため。止まるときっと死んじゃうわ。だからずっと回っているの」
簡単に答えたと思ったら、今度は物騒な単語が飛び出してきた。
「止まると死ぬってマグロじゃあるまいし。試したことでもあるのか?」
「マグロと一緒にするなんて失礼ね。何なら止まって見せましょうか?」
魔理沙の言葉に気分を害したのか、厄神様は歌うような喋りから普通の話し方に戻った。
「ああ、望むところだ。少しくらい止まったって死にゃあしないだろ」
魔理沙の言葉を受け、厄神様は目を閉じ、大きく息を吸った。
息を止めて一拍、全身に力をこめるような仕草とともに、止まることなく回転し続けていた体をピタッと止める。っと、厄神様の体が傾いた。
「お、おい、大丈夫か?」
「……さすがに、急に止まると立ちくらみが」
立ってないだろ!っと突っ込みを入れたい衝動を我慢し、魔理沙は厄神様をつぶさに観察した。別段息苦しそうな感じは見られない。立ちくらみ以外に体調の変化らしきものも感じられない。止まると死ぬなんて話、到底信じられないほど、異常は見受けられなかった。
「ほら、別になんとも……?」
確かに、厄神様に異常は見受けられなかった。しかし、それ以外のところに異常が出始めた。
いつの間にか、周囲に紫色の靄のようなものが立ち込めていた。いつも厄神様の周りを渦巻いている厄を薄めたような靄だった。とはいえ、その範囲は比較にならないほど広い。魔理沙の体ももう完全にその靄の中に入り込んでいる。
しかも、その靄は加速度的に濃度を増していく。徐々に見づらくなっていく厄神様の姿にいやな予感を感じ、魔理沙はポケットの中で握っていたミニ八卦を取り出そうとした。
人間、あせると碌な事がない。半分ほど外に出たミニ八卦が、ポケットの出口ところで引っかかった。布の裂ける音が聞こえたのと、ミニ八卦を握っているはずの手に喪失感を覚えたのは同時だった。
ミニ八卦が落ちたことを悟った魔理沙は、とっさに落下予想位置にミニ八卦を失った手を滑り込ませる。手のひらに硬質な物があたった。何とか間に合ったようだ。
しかし今度は、勢いあまってミニ八卦を上へと跳ね上げてしまった。どこのコントだ畜生、と悪態をつきつつ、ぼやける視界の中に、ほのかに光を発しているようなミニ八卦を発見する。さすが長年の相棒、うまいこと正面に飛んできてくれたようだ。
今度は失敗しないよう、箒を握っていたもう片方の手も使い、両手で受け取る準備をする。伊達に魔法使いをしていない。短時間なら手を使わずともバランスをとることはできる。
ミニ八卦が体の正面に来たところで、両手で思い切り挟み込む。確かな手ごたえとともに、目の前に光を蓄えたミニ八卦が現れた。
そう、光を蓄えたミニ八卦だ。なぜかミニ八卦は発射準備状態になっていた。ポケットで握っていた時に力むあまり魔力を流してしまっていたのか、それともこの靄にそういう作用があったのか。
いや、今そんなことはどうでもいい。問題は、発射準備に入っているミニ八卦が魔理沙のほうを向いているということだ。しかも、魔理沙はそれを両手で思い切り挟み込んでしまった。少なからず魔力が流れ込んでしまった可能性がある。それがチャージに回ったなら良いが、もし発射機構に回ってしまっていたら最悪だ。フルチャージに程遠いとはいえ、こんな至近距離、しかも一連の流れで気の抜けたところにマスタースパークを食らったら、ただではすまない。
光の強くなっていくミニ八卦をとっさに左に逸らし、反対側に体を倒す。瞬間、重い低音とともに、光の奔流がミニ八卦から迸った。本来の威力とは程遠いそれは、しかし、魔理沙が現状を忘れるのには十分なほどの恐怖だった。
ここが地上ならこれでひと段落というところだが、残念ながらここは空中であり、魔理沙に単独飛行能力はない。さらに言うなら魔理沙の体を支える箒には、姿勢制御には欠かせない手が添えられていなかった。
左の二の腕に感じる圧倒的な熱量の余波がなくなるころには、もう完全に手遅れだった。足を組んで箒にぶら下がろうにも、もう完全に箒から離れた現状では無理な相談というものだ。後はただ、残り少ない余生を自由落下に任せるしかない。
しかし、陰の努力家たる魔理沙がそういう事態を予想していないわけがない。
現状を認識した魔理沙は、魔力供給を失い自分を追うように落下する箒に右手を伸ばす。しかし、箒と人間ではその密度は雲泥の差であり、その空気抵抗の違いはガリレオをあざ笑うかのように彼我の距離を離していく。
もちろんそんなことは魔理沙も百も承知だ。
魔理沙の口から人の発音できるものとは思えないような音が発せられる。すると、箒が魔理沙に吸い寄せられるように落下速度を上げ、魔理沙の手に収まった。と同時に、魔理沙の体ごと、落下速度を徐々に緩めていく。
これが、知り合いの魔法使い、アリス・マーガトロイドの人形を見て思いついた魔理沙の保険だった。
魔力を溜め込む材質を埋め込むことで実現させた、箒の遠隔操作。
もっとも、本家のほうは完全な遠隔操作ではないらしいが、こちらはただ自分のもとに引き寄せるだけでいい。問題は手元になくとも発動できる専用の始動キーだったが、そういう類の基本にである音を使った手段と、魔理沙本人の鍛錬により、誤動作を起こさずかつ即座に始動させることのできる方法を採用できた。
実践での使用は今回が初だったが、まさかこんなわけのわからない状況で使用することになるとは。練習しておいてよかった。
速度を殺しきったころには、もう地面に足が付く位まできていた。魔理沙はとりあえず一度地面に降り、助かったことに胸をなでおろす。自分の状態を鑑みて見ると、スカートのポケットは破れ、上着は左の二の腕の外側部分がぼろぼろになっていた。しかし、幸い体に異常はほとんどない様子だった。せいぜい二の腕に軽度の火傷を負った程度だろう。箒は右手に、ミニ八卦は左手にちゃんとある。
そういえば、あの怪しい靄もいつの間にかなくなっていた。上を見上げると、厄神様がくるくる回りながら降りてきたところだった。
「ほら、死にかけたじゃない。だから言ったのに。私が回るのがもう少し遅かったらどうなっていた事やら」
「って、死ぬって私のほうか!」
「当たり前じゃない。私は厄神よ?」
厄神様はどこぞの巫女の様な事をのたまう。とはいえ、すごい説得力があった。確かに厄の神様なだからそれは当たり前なのかもしれない。
「……じゃあもしかして、さっきの靄みたいなのは」
何かに気づいたように、魔理沙が呟いた。
「そう、あれが厄よ。淀んでしまった厄」
わが意を得たり、と言わんばかりに厄神様が言う。もちろんくるくる回ったまま。
「淀んだ……?」
「そう。流れる水が腐らないように、人から人、人から物、物から物へと流れる厄もさほど大きな不幸を呼んだりはしない。でも、その流れが止まり、厄が淀んでしまった時、大きな不幸が呼び込まれてしまう」
でも、と厄神様は続ける。当然回りながら。
「流転し続けるのはとても難しいの。如何しても淀んでしまう事がある。だから、溜まりすぎる前に、雛に移して、川に流す。そうして、私のところへと厄を溜める」
くるくる回りながら、歌うように厄神が言う。
「でも、それじゃあ、厄神様のところに延々厄が溜まり続けるんじゃあ?」
「そう。だから私は回り続ける。厄が淀んでしまわぬように、大きな不幸を呼ばないように」
くるくるくるくる踊り続ける。
「そうして厄は軽くなり、渦から外れて飛んで行く。世界のどこかへ飛んで行く。流転の旅に出るために。私のもとへ来る為に」
くるくる回る厄神様は、そこでにこりと微笑んだ。
「貴方はもう帰りなさい。淀んでなくても厄は厄。不幸を呼ぶのに変わりはない。流れる水で体を清めて、ついた厄を流しなさい」
今日は楽しかったわ、といい。厄神様は飛んでいった。
その後、魔理沙は言われた通り魔法の森の家に帰った。体の傷はそれほどでもなかったけど、火傷のあとが残ったらいやだし、服も一部ぼろぼろになってしまったし、何より精神的にとても疲れた。そしてシャワーを浴びながら、一つの誓いを立てた。
これからは、ちょくちょく厄神様のところに行ってみようと。
厄の研究というのはなかなか面白そうなテーマじゃないか。そうでなくても、今日は結果としてやられっぱなしだっわけで、そのリベンジもしないといけない。幻想郷のトラブルメーカー魔理沙様の実力をもう一度味合わせなきゃな。
それに、少しくらい厄神様のところに直行する厄がいても良いだろう。厄は厄でも、厄介ごとだけどな。
紅魔館から飛び出した魔理沙はというと、妖怪山のほうへ向かっていた。
いや、実際にはまずまっすぐ博麗神社へと飛んでいったのだが、取り付く島もなかった。
ちなみに、以下はその際の博麗神社の映像だ。
*
「霊夢~、何で厄神様は回ってるんだ~?」
「知らない」
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以上である。情景描写をはさむ隙すらがないほど快速だった。
一応補足しておくと、箒で飛んできながら疑問を投げかける魔理沙に対し、知らない、と答えた改造巫女服の少女――博麗霊夢は間髪入れずお茶をすすり、それを見た魔理沙はここに情報はないと悟って即座に忌引きを返した、というわけだ。
これは魔理沙の物分りがいい、というわけではない。待機モードに入った霊夢に下手に絡むと、時間制限なし夢想天生という鬼としか言いようのないラストワードでお仕置きされかねない。人間誰しも至福の時間を邪魔されると腹が立つものだ。
そして現在、魔理沙は最終手段である、厄神様に直接聞く、という手段をとるべく妖怪山に向かい飛んでいる。
「やっくがっみさっまは、どっこかっしっら~」
と鼻歌など歌いながら、襲い掛かってくる妖精を蹴散らしていく。ここら辺には発狂妖精もいないし、楽なものだ。途中秋姉妹に出会ったが、誠心誠意事情を話すと割合すんなりと通してくれた。持っててよかったミニ八卦。秋の林での火の使用は注意が必要です。
そうして、あっという間に厄神様と会ったところに到着。周囲を見回すと、すぐに厄を漂わせながらくるくると回っている厄神様を発見した。
念のためポケットのミニ八卦を握りつつ、魔理沙は箒に乗ったまま厄神様に呼びかける。
「お~い、そこのコロンパコロンパ言いそうな神様~」
割と失礼な呼び方だった。
「コロンパコロンパ、何用かしら?」
こっちはこっちで、ずいぶんとノリのいい神様だ。くるくる回りながら近づいてくる。
「短い刀を突き刺させてもらうが、あんたなんで正中線と同じ方向にモーメントを働かせ続けてるんだ?」
魔理沙はずいぶん回りくどい直球で聞いた。
「回りたいからじゃだめなの?」
「少なくとも人と話すときに回るのは失礼だし、相応の理由は必要だと思うぜ」
ひとつの真理を持ち出す厄神様に対して、魔理沙はミニ八卦片手に誠心誠意のお話をした人間とは思えないほどの正論を吐いた。
「くるくる回るは淀みなく、流れ流れて輪廻の果てに。厄神様のお仕事よって言ったら、果たして貴方は信じるかしら?」
歌うように言う厄神様。まるで疑ってくださいといわんばかりの言い方だ。しかも信じたところで何の答えにもなってない。ちなみに当然、しゃべりながらも厄神様はくるくる回っている。
「信じるか、と問われれば、疑いたくなる人のサガ、だぜ。仮に仕事だったとしても、回る必要性を知りたいところだしな」
案の定、魔理沙は納得しなかった。川柳とも短歌ともつかない歌でさらに問い詰める。
「一つ回るは人のため、二つ回るは厄のため。止まるときっと死んじゃうわ。だからずっと回っているの」
簡単に答えたと思ったら、今度は物騒な単語が飛び出してきた。
「止まると死ぬってマグロじゃあるまいし。試したことでもあるのか?」
「マグロと一緒にするなんて失礼ね。何なら止まって見せましょうか?」
魔理沙の言葉に気分を害したのか、厄神様は歌うような喋りから普通の話し方に戻った。
「ああ、望むところだ。少しくらい止まったって死にゃあしないだろ」
魔理沙の言葉を受け、厄神様は目を閉じ、大きく息を吸った。
息を止めて一拍、全身に力をこめるような仕草とともに、止まることなく回転し続けていた体をピタッと止める。っと、厄神様の体が傾いた。
「お、おい、大丈夫か?」
「……さすがに、急に止まると立ちくらみが」
立ってないだろ!っと突っ込みを入れたい衝動を我慢し、魔理沙は厄神様をつぶさに観察した。別段息苦しそうな感じは見られない。立ちくらみ以外に体調の変化らしきものも感じられない。止まると死ぬなんて話、到底信じられないほど、異常は見受けられなかった。
「ほら、別になんとも……?」
確かに、厄神様に異常は見受けられなかった。しかし、それ以外のところに異常が出始めた。
いつの間にか、周囲に紫色の靄のようなものが立ち込めていた。いつも厄神様の周りを渦巻いている厄を薄めたような靄だった。とはいえ、その範囲は比較にならないほど広い。魔理沙の体ももう完全にその靄の中に入り込んでいる。
しかも、その靄は加速度的に濃度を増していく。徐々に見づらくなっていく厄神様の姿にいやな予感を感じ、魔理沙はポケットの中で握っていたミニ八卦を取り出そうとした。
人間、あせると碌な事がない。半分ほど外に出たミニ八卦が、ポケットの出口ところで引っかかった。布の裂ける音が聞こえたのと、ミニ八卦を握っているはずの手に喪失感を覚えたのは同時だった。
ミニ八卦が落ちたことを悟った魔理沙は、とっさに落下予想位置にミニ八卦を失った手を滑り込ませる。手のひらに硬質な物があたった。何とか間に合ったようだ。
しかし今度は、勢いあまってミニ八卦を上へと跳ね上げてしまった。どこのコントだ畜生、と悪態をつきつつ、ぼやける視界の中に、ほのかに光を発しているようなミニ八卦を発見する。さすが長年の相棒、うまいこと正面に飛んできてくれたようだ。
今度は失敗しないよう、箒を握っていたもう片方の手も使い、両手で受け取る準備をする。伊達に魔法使いをしていない。短時間なら手を使わずともバランスをとることはできる。
ミニ八卦が体の正面に来たところで、両手で思い切り挟み込む。確かな手ごたえとともに、目の前に光を蓄えたミニ八卦が現れた。
そう、光を蓄えたミニ八卦だ。なぜかミニ八卦は発射準備状態になっていた。ポケットで握っていた時に力むあまり魔力を流してしまっていたのか、それともこの靄にそういう作用があったのか。
いや、今そんなことはどうでもいい。問題は、発射準備に入っているミニ八卦が魔理沙のほうを向いているということだ。しかも、魔理沙はそれを両手で思い切り挟み込んでしまった。少なからず魔力が流れ込んでしまった可能性がある。それがチャージに回ったなら良いが、もし発射機構に回ってしまっていたら最悪だ。フルチャージに程遠いとはいえ、こんな至近距離、しかも一連の流れで気の抜けたところにマスタースパークを食らったら、ただではすまない。
光の強くなっていくミニ八卦をとっさに左に逸らし、反対側に体を倒す。瞬間、重い低音とともに、光の奔流がミニ八卦から迸った。本来の威力とは程遠いそれは、しかし、魔理沙が現状を忘れるのには十分なほどの恐怖だった。
ここが地上ならこれでひと段落というところだが、残念ながらここは空中であり、魔理沙に単独飛行能力はない。さらに言うなら魔理沙の体を支える箒には、姿勢制御には欠かせない手が添えられていなかった。
左の二の腕に感じる圧倒的な熱量の余波がなくなるころには、もう完全に手遅れだった。足を組んで箒にぶら下がろうにも、もう完全に箒から離れた現状では無理な相談というものだ。後はただ、残り少ない余生を自由落下に任せるしかない。
しかし、陰の努力家たる魔理沙がそういう事態を予想していないわけがない。
現状を認識した魔理沙は、魔力供給を失い自分を追うように落下する箒に右手を伸ばす。しかし、箒と人間ではその密度は雲泥の差であり、その空気抵抗の違いはガリレオをあざ笑うかのように彼我の距離を離していく。
もちろんそんなことは魔理沙も百も承知だ。
魔理沙の口から人の発音できるものとは思えないような音が発せられる。すると、箒が魔理沙に吸い寄せられるように落下速度を上げ、魔理沙の手に収まった。と同時に、魔理沙の体ごと、落下速度を徐々に緩めていく。
これが、知り合いの魔法使い、アリス・マーガトロイドの人形を見て思いついた魔理沙の保険だった。
魔力を溜め込む材質を埋め込むことで実現させた、箒の遠隔操作。
もっとも、本家のほうは完全な遠隔操作ではないらしいが、こちらはただ自分のもとに引き寄せるだけでいい。問題は手元になくとも発動できる専用の始動キーだったが、そういう類の基本にである音を使った手段と、魔理沙本人の鍛錬により、誤動作を起こさずかつ即座に始動させることのできる方法を採用できた。
実践での使用は今回が初だったが、まさかこんなわけのわからない状況で使用することになるとは。練習しておいてよかった。
速度を殺しきったころには、もう地面に足が付く位まできていた。魔理沙はとりあえず一度地面に降り、助かったことに胸をなでおろす。自分の状態を鑑みて見ると、スカートのポケットは破れ、上着は左の二の腕の外側部分がぼろぼろになっていた。しかし、幸い体に異常はほとんどない様子だった。せいぜい二の腕に軽度の火傷を負った程度だろう。箒は右手に、ミニ八卦は左手にちゃんとある。
そういえば、あの怪しい靄もいつの間にかなくなっていた。上を見上げると、厄神様がくるくる回りながら降りてきたところだった。
「ほら、死にかけたじゃない。だから言ったのに。私が回るのがもう少し遅かったらどうなっていた事やら」
「って、死ぬって私のほうか!」
「当たり前じゃない。私は厄神よ?」
厄神様はどこぞの巫女の様な事をのたまう。とはいえ、すごい説得力があった。確かに厄の神様なだからそれは当たり前なのかもしれない。
「……じゃあもしかして、さっきの靄みたいなのは」
何かに気づいたように、魔理沙が呟いた。
「そう、あれが厄よ。淀んでしまった厄」
わが意を得たり、と言わんばかりに厄神様が言う。もちろんくるくる回ったまま。
「淀んだ……?」
「そう。流れる水が腐らないように、人から人、人から物、物から物へと流れる厄もさほど大きな不幸を呼んだりはしない。でも、その流れが止まり、厄が淀んでしまった時、大きな不幸が呼び込まれてしまう」
でも、と厄神様は続ける。当然回りながら。
「流転し続けるのはとても難しいの。如何しても淀んでしまう事がある。だから、溜まりすぎる前に、雛に移して、川に流す。そうして、私のところへと厄を溜める」
くるくる回りながら、歌うように厄神が言う。
「でも、それじゃあ、厄神様のところに延々厄が溜まり続けるんじゃあ?」
「そう。だから私は回り続ける。厄が淀んでしまわぬように、大きな不幸を呼ばないように」
くるくるくるくる踊り続ける。
「そうして厄は軽くなり、渦から外れて飛んで行く。世界のどこかへ飛んで行く。流転の旅に出るために。私のもとへ来る為に」
くるくる回る厄神様は、そこでにこりと微笑んだ。
「貴方はもう帰りなさい。淀んでなくても厄は厄。不幸を呼ぶのに変わりはない。流れる水で体を清めて、ついた厄を流しなさい」
今日は楽しかったわ、といい。厄神様は飛んでいった。
その後、魔理沙は言われた通り魔法の森の家に帰った。体の傷はそれほどでもなかったけど、火傷のあとが残ったらいやだし、服も一部ぼろぼろになってしまったし、何より精神的にとても疲れた。そしてシャワーを浴びながら、一つの誓いを立てた。
これからは、ちょくちょく厄神様のところに行ってみようと。
厄の研究というのはなかなか面白そうなテーマじゃないか。そうでなくても、今日は結果としてやられっぱなしだっわけで、そのリベンジもしないといけない。幻想郷のトラブルメーカー魔理沙様の実力をもう一度味合わせなきゃな。
それに、少しくらい厄神様のところに直行する厄がいても良いだろう。厄は厄でも、厄介ごとだけどな。
老婆心ながら指摘させてもらいますね。
まず「忌引きを返した」の部分。それをいうなら「きびす」でしょう。
それと「短い刀を突き刺させてもらうが~」の部分。
×短刀直入 〇単刀直入、です。