*前編、後編となってますが、単に話しのつながりがあるだけでほとんど独立したものとなっております。
ここは紅魔館の一角に存在する図書館。とても室内とは思えぬほど広大な空間には所狭しと巨大な本棚が並んでおり、そのすべてに隙間なく本が敷き詰められている。
愛書狂(ビブリオマニア)が目にすればまさしく狂喜に身を染めるであろうその光景は、しかしその姿を隠すように暗闇に包まれていた。申し訳程度に足元を照らす、光源のわからない紅暗い明かりのみが、この部屋の唯一の道標となっている。
その道標の先、おそらく読書のためであろう周囲に比べ明るく開けた空間で、二人の少女が何もおかれていないテーブルに着き、話をしていた。正確には、室内にもかかわらず魔女がつけるような黒のとんがり帽子をしている金色の髪の少女が一方的に話し、洋風の寝巻きのような格好をした紫の長髪の少女がけだるげに聞いているというものだったが。金髪の少女の足元には場違いな箒が転がっていた。
「で、珍しくおとなしいと思ったら、わざわざそんな武勇伝を自慢しに来たわけ? 私の貴重な読書の時間を奪ってまで」
金髪の少女の話が終わり、それを聞いていた少女――パチュリー・ノーレッジが発した最初の言葉がこれだった。抑揚の少ない言葉とは裏腹に、その表情は厳しい。
まあおとなしいとはいっても、単にいきなり食って掛かってこなかったというだけで、この図書館に入るときは扉を蹴破らんばかりの勢いだったし、実はこの館へ入ってくるときも門番をぶっ飛ばしている。その程度で本が痛むようなやわな管理体制ではないが、本を愛しその傍にいてこその自分であると自負しているパチュリーにとっては、自分に無断でそういった行為をされるのはあまり気分のいいものではない。それに、埃が立って持病の嘆息に悪い。
言葉を受けた少女――霧雨魔理沙は、それを感じ取ったのか、あわてて首を振り否定する。
「いやいやいや。今回あった神様について聞きたいことがあったんだ。ただちょっと止めどころが見つからなかっただけだぜ」
魔理沙の首の動きに合わせ、帽子が左右に揺れる。
しばしの沈黙。
厳しい表情のまま魔理沙を睨んでいたパチュリーは、ひとつ息を吐き、幾分表情を和らげ口を開いた。
「わかったから、とりあえず帽子を取りなさい。室内では脱帽するのがマナーよ」
自分のことを棚にあげた発言だった。
「お前には言われたくないな」
魔理沙は、とりあえず誤解が解けたことに安堵し、軽口を返す。
「私はいいのよ。ナイトキャップは室内でつけるものでしょ」
「……お前それ、宴会にもつけてきてなかったっけか」
「兼用よ」
即答で言い切った。ここまでくるといっそすがすがしい。
「じゃあ私のも兼用だ」
魔理沙も魔理沙でよくわからない意地を発揮する。さすが負けず嫌いといったところか。つばのある帽子でそれはどう考えても無茶な主張だが。
「馬鹿みたいなこと言ってないで脱ぎなさい」
「いやだ。お前が脱ぐなら考えてやらないでもないけどな」
そして怪しくなっていく雲行き。意地っ張りが二人集まるとろくなことがにならないという典型例が展開され始めた。
「どうせ私が脱いでも、考えるだけで脱がない、ってオチなんでしょ? そんな基本ギャグはいいから脱ぎなさい」
「ハッ!私だけ脱がせようとしておいてよく言うぜ。相手に脱いでほしかったらまず自分から脱ぐのが礼儀ってもんだろ」
「そんな礼儀聞いたこともないわ。何なら、無理やり脱がせてあげてもいいのよ?」
「やってみるか? もっとも、脱がされるのはお前だけだけどな」
腰を浮かし、ドーム状に険悪なムードを広げながら睨み合う二人。淀みなくここまで言い合えるあたり、実は気が合っているのかもしれない。
しばらくにらみ合った後、引いたのはパチュリーだった。
ため息をひとつ吐いて席に着き、いつの間にか用意されていた紅茶を飲む。司書の小悪魔が気を利かせてこの館のメイド長に頼んだ物だった。なぜか傍らに『あまり破廉恥なことを仰らない方が宜しいかと存じます』と書かれた紙切れが置いてある。
パチュリーがその紙切れを一瞥する。同時に局所的な風が発生し、紙切れはテーブル上からノーロープバンジーを敢行させられた。しかし、それは地面に落ちる前に、手品のように忽然と消え去った。
パチュリーは一連の出来事を無視し、魔理沙に座るよう促した。
「それで、聞きたいことって? 出会った神様の奇抜な格好の由来とか?」
魔理沙が腰を落としたところで、パチュリーが聞く。
「いや、それも気にならなくはないけど、今回は二柱……じゃなくて三柱目の神様についてだ」
「というと、くるくる回る厄神様のことかしら?」
先ほどの魔理沙の話を思い出しながらパチュリーが言った。
「そう、それだ。たしか、鍵山雛とかいう奴」
鍵山雛。厄をため込む程度の能力を持つ厄神様であり、流し雛軍団の長。
厄を集め、溜め込んでいる。また、集めた厄が人のところへ戻らないよう見張っている。それゆえ、近くの存在はいかなる妖怪や人間であろうとも不幸になってしまう。ただし、本人はその厄で不幸になることはない。
博麗神社に突然現れた巫女の話を聞いた霧雨魔理沙が、興味本位で首を突っ込み妖怪山へ行った時に出会った。いつもくるくると回っているらしい
「……と言ったところかしら。私の貯蔵する知識とは系統が違うからあまり詳しくはわからないけど」
淀みなく、嘆息をわずらっているとは思えない流暢さでパチュリーが言る。
すぐこれほどの答えが返ってくると思わなかったのか、魔理沙は呆気にとられた。
「どうかした?」
「あ、い、いや。よく知ってるなと思って」
「当然。『知識』の名を舐めないことね。これでもむしろ知らない事柄なほうよ」
魔理沙とてパチュリーのことを侮っていたわけではないが、まだまだ認識不足だったらしい。それは魔理沙がかろうじて自分で調べられた事柄に相違なかった。紅茶を飲んで一息つき、これは期待できそうだ、と、魔理沙はいよいよ気になっていたことを聞くことにした。
「それで、貴方はその厄神様の何について聞きたいのかしら? 神様のことを二柱、三柱と数えてるってことは、少しは調べたみたいだけど」
「ああ、それなんだが、何であいつはいつもくるくる回ってるんだ?」
そう。鍵山雛はいつもいつも回っている。移動するときも弾幕を張るときも、魔理沙と話しているときですら回っていた。あの様子だと、ご飯を食べてるときもお風呂に入っているときも回っていそうだ。寝るときなんかどうするんだろう。ものすごく寝相が悪いのかもしれない。それとも神様は眠らなくても大丈夫なんだろうか。もしかしたら食事も必要ないのかもしれない。むしろ入れたら出さなきゃいけないわけで、回りながらなんてことになったら大惨事だ。お風呂もそうだ。流れる水は穢れを落とすらしいし、流し雛だって川に流すくらいだから、厄は水に流れるのかもしれない。せっかく溜め込んだ厄を流すようなことはしないかもしれない。
というあたりまで思考が走ったところで、魔理沙はパチュリーが答えないことに気がついた。
「どうしたんだ? わからないのか?」
虚空を見つめ動かないパチュリーに魔理沙が声をかける。こういう表情のときはたいてい自分の中に深く入り込んでいるだということを魔理沙は知っていた。そして、放って置くと延々思考の渦に飲まれていくことも。さっきの魔理沙がそうだったように。
「……あ、え、ええ。ちょっと知識にない。私が今まで読んだ本の中にも書いてなかったと思うわ」
魔理沙の声にパチュリーは少し驚いた様子を見せたが、すぐにその顔を引っ込め答えた。
「そうか……推測とかもできないか?」
推測、推論は重要だ。あらゆる研究は当てをつけることから始まるといっても過言ではない。
しかし、パチュリーの答えは魔理沙の希望に沿うものではなかった。
「残念ながら、話せるレベルでは無理ね。さっきも言ったけど、ちょっと系統が違うのよ」
紅茶を一口飲み、続ける。
「私の知識は南アジアからヨーロッパにかけてのところがメイン。それに対して、厄は陰陽五行が日本で独自発展した陰陽道のもの。陰陽五行に関してはそれなりに知識があるけど、持ってる他の知識に思考の進め方が引っ張られちゃうから。まあ厄に順ずるような概念はこっちの知識にもあるけど、完全に同じかというとやっぱりちょっと違うのよね」
そこでパチュリーは再び紅茶を口に運ぶ。魔理沙は紅茶に手をつけず真剣な表情で待っている。おそらくこうしている間にも、聴いた言葉を租借し、自分のものとしているのだろう。
こういう努力家なところが憎みきれない、と思いながら、パチュリーはカップを置き、続けた。
「それに、厄『神』様でしょ? 日本の神様の概念がまたややっこしいというか単純というか、難しいのよね。ヒンドゥー系に近いといえなくもないけど、やっぱり島国と大陸では結構変わるし。基本的に民族信仰だから気候の違いもだいぶダイレクトに響いちゃうしねぇ。そういうわけで、推論を出すにも知識の絶対量が足りないわ」
言い、もう一度紅茶を飲むパチュリー。今度は紅茶を飲み終わっても続けず、魔理沙の様子を見る。
魔理沙はしばらく考えるそぶりを見せ、口を開いた。
「でも、やっぱり私よりは知識量が多いと思うから……少しくらい暴論になってもいいから、聞かせてほしい」
「だめ」
食い下がる魔理沙を、パチュリーは一言で切り捨てる。
「っ!なんで!私は真剣に聞いてるのに!」
あまりに直球な言葉に、魔理沙は思わず声を荒げた。
それを受け流すように、パチュリーが答える。
「限定された情報からは好きなように解釈できる。貴方も魔法使いならわかるでしょ?」
これは、魔法使いに限らず、情報を扱う存在すべてが最低限知っておくべきことだとパチュリーは考えている。
「たとえば蓬莱山輝夜。月人らしくて、不死身で、永遠と須臾を操る程度の能力。でも、貴方や霊夢や咲夜を知っている私にとって、永遠と須臾を操る程度の能力をもってる地上人がいても不思議じゃないし、不死身なのはその能力をもとに作った薬のおかげなんだから、彼女が地上人であることを否定する材料はない。もし過去に地球人が月に攻め込んで負けたことがあって、彼女がその生き残りだったりすれば、月の追っ手を恐れて月を隠したって言う永夜事変も説明できる」
それは屁理屈以外の何者でもないが、魔理沙にはそれを否定できないのも事実。魔理沙は輝夜が月に生れ落ちたところを見たわけではないし、外の世界を歴史をすべて知っているわけでもない。咲夜や霊夢が月人かも知れないと言ったところで、水掛け論に過ぎない。
しかし、
「……でも、私がそれでもいいと言ってるのに、なんで……」
そう、ほかならぬ魔理沙本人がそれでも良いと認めているのに、パチュリーは答えない。それが魔理沙には不満だった。
「ええ、それはわかってるわ。貴方が真剣だということも。でも、だからこそだめ。それほど真剣に知識を求めてる人に、自分でも信じ切れないようなことを話すのは、『知識』たるパチュリー・ノーレッジの誇りが許さない」
魔理沙の声に、パチュリーは射竦める様な視線を向けて言う。魔理沙が真剣であるように、パチュリーもまた真剣だった。その様子に、魔理沙も落ち着きを取り戻しはじめる。
「あー……すまん。ちょっと熱くなった」
「いえ、私もちょっと言い方が悪かったわ」
魔理沙の謝罪を受け、パチュリーも自分の非を認める。
「しかし、パチュリーでもだめかぁ。となると後は……」
「博麗の紅白にでも聞いてみれば? もしくはいっそ本神に聞くとか」
いっそも何も、最初から直接聞けば解決しそうなものだが。
「ああ、そうだな。霊夢は巫女だし何か知ってるかも。直接会ってるから説明も省けるし。直接聞きにいくのは……まあ、最終手段だな」
そういうと、魔理沙はカップに残った紅茶を一気に飲み干し、立ち上がった。床に転がっている箒をとる。
「じゃあ、邪魔したな」
「ええ、邪魔されたわ」
最後の最後で憎まれ口をたたくパチュリーに笑いかけ、箒にまたがると、魔理沙は入ってきたとき以上の乱暴さで図書館を出て行った。扉を両開きに改造しておいてよかったが、念のためチェックさせておこう、と思いながら、パチュリーは自分の思考に沈んでいく。
魔理沙は質問の内容からは考えられないほど真剣だった。そんな魔理沙を、私はうらやましくも思う。
なぜ厄神様は回っているのか?
はっきり言ってしまえばくだらない疑問だ。解けなかったところで何の問題もないし、解けたところで得するものでもない。しかし、魔理沙は疑問に思ってしまった。知りたいと思ってしまった。そしておそらく自分でできうる限り調べ、それでもわからなかったから私に聞きに来た。本神に直接聞きにいかなかったのは意地っ張りのプライドだろう。
そんな貪欲な知識欲は私にはない。そもそも、魔女である私は、根本的に持つ必要がない。知識を蓄え続ければ、たとえ今日知ることができずとも、明日知ることができるかもしれない。明日がだめでも来週が。来週がだめでも来月が。来月がだめでも来年が。そうして、いずれは知ることができるだろう。長い時を生きるというのはそういうことだ。私はただそういう存在として知識を蓄えていっているに過ぎない。そして、栄養素が少なければ植物がなかなか芽を出さないように、必要性がなければ欲望は湧き上がってこない。
しかし、魔理沙とともにいるとなぜか知識欲が湧いているような気がする。いや、理由はいくつか推測できる。
おそらく、生きている魔理沙を知ることができる、その時間が限られているからだろう。魔理沙が死んでしまっては、どれだけ魔理沙の知識を集めようとも、それは生きていた魔理沙の知識でしかない。
あるいは、自分に魔理沙を投影しているのかもしれない。知ろうとできない自分に代わり魔理沙に知ろうとしてもらい、それに共感することで自分も知ろうとしたと思い、魔理沙に教えてもらうことで自分も知ろうと行動したように錯覚しているのかもしれない。
どちらも推論。根本的に自分の心理状態の情報が足りない。限定された情報からは好きな風に解釈できると、先ほど魔理沙に言ったばかりだ。しかし、それでも良いかと思う。知らなくても良い、と。それはいずれ知るからということではなく、ただ純粋に、知らないままでも良いんじゃないか、と思う。ただ、魔理沙といると心地いい、それだけで十分だと。
もしかしたら、レミィがいつまでも幼いままなのはこれだろうか。五百年の時を生き、運命なんて因果なものを操れるのに、いつまでたっても子供な性格なのは、自らを省みる必要はないと、知らないなら知らないままで良いと、心の底からそう思っているからかもしれない。
さすがは先輩ね、などとパチュリーが思っていると、遠くから重低音が響いてきた。魔理沙が出るときに、また門番とやらかしたのかもしれない。
いつも今日みたいにおとなしければ猫いらずはいらないんだけど、と呟き、パチュリーはいつの間にか綺麗に片付けられたテーブルの上に置かれている本を開き、いつもどおりに読み始めた。
ここは紅魔館の一角に存在する図書館。とても室内とは思えぬほど広大な空間には所狭しと巨大な本棚が並んでおり、そのすべてに隙間なく本が敷き詰められている。
愛書狂(ビブリオマニア)が目にすればまさしく狂喜に身を染めるであろうその光景は、しかしその姿を隠すように暗闇に包まれていた。申し訳程度に足元を照らす、光源のわからない紅暗い明かりのみが、この部屋の唯一の道標となっている。
その道標の先、おそらく読書のためであろう周囲に比べ明るく開けた空間で、二人の少女が何もおかれていないテーブルに着き、話をしていた。正確には、室内にもかかわらず魔女がつけるような黒のとんがり帽子をしている金色の髪の少女が一方的に話し、洋風の寝巻きのような格好をした紫の長髪の少女がけだるげに聞いているというものだったが。金髪の少女の足元には場違いな箒が転がっていた。
「で、珍しくおとなしいと思ったら、わざわざそんな武勇伝を自慢しに来たわけ? 私の貴重な読書の時間を奪ってまで」
金髪の少女の話が終わり、それを聞いていた少女――パチュリー・ノーレッジが発した最初の言葉がこれだった。抑揚の少ない言葉とは裏腹に、その表情は厳しい。
まあおとなしいとはいっても、単にいきなり食って掛かってこなかったというだけで、この図書館に入るときは扉を蹴破らんばかりの勢いだったし、実はこの館へ入ってくるときも門番をぶっ飛ばしている。その程度で本が痛むようなやわな管理体制ではないが、本を愛しその傍にいてこその自分であると自負しているパチュリーにとっては、自分に無断でそういった行為をされるのはあまり気分のいいものではない。それに、埃が立って持病の嘆息に悪い。
言葉を受けた少女――霧雨魔理沙は、それを感じ取ったのか、あわてて首を振り否定する。
「いやいやいや。今回あった神様について聞きたいことがあったんだ。ただちょっと止めどころが見つからなかっただけだぜ」
魔理沙の首の動きに合わせ、帽子が左右に揺れる。
しばしの沈黙。
厳しい表情のまま魔理沙を睨んでいたパチュリーは、ひとつ息を吐き、幾分表情を和らげ口を開いた。
「わかったから、とりあえず帽子を取りなさい。室内では脱帽するのがマナーよ」
自分のことを棚にあげた発言だった。
「お前には言われたくないな」
魔理沙は、とりあえず誤解が解けたことに安堵し、軽口を返す。
「私はいいのよ。ナイトキャップは室内でつけるものでしょ」
「……お前それ、宴会にもつけてきてなかったっけか」
「兼用よ」
即答で言い切った。ここまでくるといっそすがすがしい。
「じゃあ私のも兼用だ」
魔理沙も魔理沙でよくわからない意地を発揮する。さすが負けず嫌いといったところか。つばのある帽子でそれはどう考えても無茶な主張だが。
「馬鹿みたいなこと言ってないで脱ぎなさい」
「いやだ。お前が脱ぐなら考えてやらないでもないけどな」
そして怪しくなっていく雲行き。意地っ張りが二人集まるとろくなことがにならないという典型例が展開され始めた。
「どうせ私が脱いでも、考えるだけで脱がない、ってオチなんでしょ? そんな基本ギャグはいいから脱ぎなさい」
「ハッ!私だけ脱がせようとしておいてよく言うぜ。相手に脱いでほしかったらまず自分から脱ぐのが礼儀ってもんだろ」
「そんな礼儀聞いたこともないわ。何なら、無理やり脱がせてあげてもいいのよ?」
「やってみるか? もっとも、脱がされるのはお前だけだけどな」
腰を浮かし、ドーム状に険悪なムードを広げながら睨み合う二人。淀みなくここまで言い合えるあたり、実は気が合っているのかもしれない。
しばらくにらみ合った後、引いたのはパチュリーだった。
ため息をひとつ吐いて席に着き、いつの間にか用意されていた紅茶を飲む。司書の小悪魔が気を利かせてこの館のメイド長に頼んだ物だった。なぜか傍らに『あまり破廉恥なことを仰らない方が宜しいかと存じます』と書かれた紙切れが置いてある。
パチュリーがその紙切れを一瞥する。同時に局所的な風が発生し、紙切れはテーブル上からノーロープバンジーを敢行させられた。しかし、それは地面に落ちる前に、手品のように忽然と消え去った。
パチュリーは一連の出来事を無視し、魔理沙に座るよう促した。
「それで、聞きたいことって? 出会った神様の奇抜な格好の由来とか?」
魔理沙が腰を落としたところで、パチュリーが聞く。
「いや、それも気にならなくはないけど、今回は二柱……じゃなくて三柱目の神様についてだ」
「というと、くるくる回る厄神様のことかしら?」
先ほどの魔理沙の話を思い出しながらパチュリーが言った。
「そう、それだ。たしか、鍵山雛とかいう奴」
鍵山雛。厄をため込む程度の能力を持つ厄神様であり、流し雛軍団の長。
厄を集め、溜め込んでいる。また、集めた厄が人のところへ戻らないよう見張っている。それゆえ、近くの存在はいかなる妖怪や人間であろうとも不幸になってしまう。ただし、本人はその厄で不幸になることはない。
博麗神社に突然現れた巫女の話を聞いた霧雨魔理沙が、興味本位で首を突っ込み妖怪山へ行った時に出会った。いつもくるくると回っているらしい
「……と言ったところかしら。私の貯蔵する知識とは系統が違うからあまり詳しくはわからないけど」
淀みなく、嘆息をわずらっているとは思えない流暢さでパチュリーが言る。
すぐこれほどの答えが返ってくると思わなかったのか、魔理沙は呆気にとられた。
「どうかした?」
「あ、い、いや。よく知ってるなと思って」
「当然。『知識』の名を舐めないことね。これでもむしろ知らない事柄なほうよ」
魔理沙とてパチュリーのことを侮っていたわけではないが、まだまだ認識不足だったらしい。それは魔理沙がかろうじて自分で調べられた事柄に相違なかった。紅茶を飲んで一息つき、これは期待できそうだ、と、魔理沙はいよいよ気になっていたことを聞くことにした。
「それで、貴方はその厄神様の何について聞きたいのかしら? 神様のことを二柱、三柱と数えてるってことは、少しは調べたみたいだけど」
「ああ、それなんだが、何であいつはいつもくるくる回ってるんだ?」
そう。鍵山雛はいつもいつも回っている。移動するときも弾幕を張るときも、魔理沙と話しているときですら回っていた。あの様子だと、ご飯を食べてるときもお風呂に入っているときも回っていそうだ。寝るときなんかどうするんだろう。ものすごく寝相が悪いのかもしれない。それとも神様は眠らなくても大丈夫なんだろうか。もしかしたら食事も必要ないのかもしれない。むしろ入れたら出さなきゃいけないわけで、回りながらなんてことになったら大惨事だ。お風呂もそうだ。流れる水は穢れを落とすらしいし、流し雛だって川に流すくらいだから、厄は水に流れるのかもしれない。せっかく溜め込んだ厄を流すようなことはしないかもしれない。
というあたりまで思考が走ったところで、魔理沙はパチュリーが答えないことに気がついた。
「どうしたんだ? わからないのか?」
虚空を見つめ動かないパチュリーに魔理沙が声をかける。こういう表情のときはたいてい自分の中に深く入り込んでいるだということを魔理沙は知っていた。そして、放って置くと延々思考の渦に飲まれていくことも。さっきの魔理沙がそうだったように。
「……あ、え、ええ。ちょっと知識にない。私が今まで読んだ本の中にも書いてなかったと思うわ」
魔理沙の声にパチュリーは少し驚いた様子を見せたが、すぐにその顔を引っ込め答えた。
「そうか……推測とかもできないか?」
推測、推論は重要だ。あらゆる研究は当てをつけることから始まるといっても過言ではない。
しかし、パチュリーの答えは魔理沙の希望に沿うものではなかった。
「残念ながら、話せるレベルでは無理ね。さっきも言ったけど、ちょっと系統が違うのよ」
紅茶を一口飲み、続ける。
「私の知識は南アジアからヨーロッパにかけてのところがメイン。それに対して、厄は陰陽五行が日本で独自発展した陰陽道のもの。陰陽五行に関してはそれなりに知識があるけど、持ってる他の知識に思考の進め方が引っ張られちゃうから。まあ厄に順ずるような概念はこっちの知識にもあるけど、完全に同じかというとやっぱりちょっと違うのよね」
そこでパチュリーは再び紅茶を口に運ぶ。魔理沙は紅茶に手をつけず真剣な表情で待っている。おそらくこうしている間にも、聴いた言葉を租借し、自分のものとしているのだろう。
こういう努力家なところが憎みきれない、と思いながら、パチュリーはカップを置き、続けた。
「それに、厄『神』様でしょ? 日本の神様の概念がまたややっこしいというか単純というか、難しいのよね。ヒンドゥー系に近いといえなくもないけど、やっぱり島国と大陸では結構変わるし。基本的に民族信仰だから気候の違いもだいぶダイレクトに響いちゃうしねぇ。そういうわけで、推論を出すにも知識の絶対量が足りないわ」
言い、もう一度紅茶を飲むパチュリー。今度は紅茶を飲み終わっても続けず、魔理沙の様子を見る。
魔理沙はしばらく考えるそぶりを見せ、口を開いた。
「でも、やっぱり私よりは知識量が多いと思うから……少しくらい暴論になってもいいから、聞かせてほしい」
「だめ」
食い下がる魔理沙を、パチュリーは一言で切り捨てる。
「っ!なんで!私は真剣に聞いてるのに!」
あまりに直球な言葉に、魔理沙は思わず声を荒げた。
それを受け流すように、パチュリーが答える。
「限定された情報からは好きなように解釈できる。貴方も魔法使いならわかるでしょ?」
これは、魔法使いに限らず、情報を扱う存在すべてが最低限知っておくべきことだとパチュリーは考えている。
「たとえば蓬莱山輝夜。月人らしくて、不死身で、永遠と須臾を操る程度の能力。でも、貴方や霊夢や咲夜を知っている私にとって、永遠と須臾を操る程度の能力をもってる地上人がいても不思議じゃないし、不死身なのはその能力をもとに作った薬のおかげなんだから、彼女が地上人であることを否定する材料はない。もし過去に地球人が月に攻め込んで負けたことがあって、彼女がその生き残りだったりすれば、月の追っ手を恐れて月を隠したって言う永夜事変も説明できる」
それは屁理屈以外の何者でもないが、魔理沙にはそれを否定できないのも事実。魔理沙は輝夜が月に生れ落ちたところを見たわけではないし、外の世界を歴史をすべて知っているわけでもない。咲夜や霊夢が月人かも知れないと言ったところで、水掛け論に過ぎない。
しかし、
「……でも、私がそれでもいいと言ってるのに、なんで……」
そう、ほかならぬ魔理沙本人がそれでも良いと認めているのに、パチュリーは答えない。それが魔理沙には不満だった。
「ええ、それはわかってるわ。貴方が真剣だということも。でも、だからこそだめ。それほど真剣に知識を求めてる人に、自分でも信じ切れないようなことを話すのは、『知識』たるパチュリー・ノーレッジの誇りが許さない」
魔理沙の声に、パチュリーは射竦める様な視線を向けて言う。魔理沙が真剣であるように、パチュリーもまた真剣だった。その様子に、魔理沙も落ち着きを取り戻しはじめる。
「あー……すまん。ちょっと熱くなった」
「いえ、私もちょっと言い方が悪かったわ」
魔理沙の謝罪を受け、パチュリーも自分の非を認める。
「しかし、パチュリーでもだめかぁ。となると後は……」
「博麗の紅白にでも聞いてみれば? もしくはいっそ本神に聞くとか」
いっそも何も、最初から直接聞けば解決しそうなものだが。
「ああ、そうだな。霊夢は巫女だし何か知ってるかも。直接会ってるから説明も省けるし。直接聞きにいくのは……まあ、最終手段だな」
そういうと、魔理沙はカップに残った紅茶を一気に飲み干し、立ち上がった。床に転がっている箒をとる。
「じゃあ、邪魔したな」
「ええ、邪魔されたわ」
最後の最後で憎まれ口をたたくパチュリーに笑いかけ、箒にまたがると、魔理沙は入ってきたとき以上の乱暴さで図書館を出て行った。扉を両開きに改造しておいてよかったが、念のためチェックさせておこう、と思いながら、パチュリーは自分の思考に沈んでいく。
魔理沙は質問の内容からは考えられないほど真剣だった。そんな魔理沙を、私はうらやましくも思う。
なぜ厄神様は回っているのか?
はっきり言ってしまえばくだらない疑問だ。解けなかったところで何の問題もないし、解けたところで得するものでもない。しかし、魔理沙は疑問に思ってしまった。知りたいと思ってしまった。そしておそらく自分でできうる限り調べ、それでもわからなかったから私に聞きに来た。本神に直接聞きにいかなかったのは意地っ張りのプライドだろう。
そんな貪欲な知識欲は私にはない。そもそも、魔女である私は、根本的に持つ必要がない。知識を蓄え続ければ、たとえ今日知ることができずとも、明日知ることができるかもしれない。明日がだめでも来週が。来週がだめでも来月が。来月がだめでも来年が。そうして、いずれは知ることができるだろう。長い時を生きるというのはそういうことだ。私はただそういう存在として知識を蓄えていっているに過ぎない。そして、栄養素が少なければ植物がなかなか芽を出さないように、必要性がなければ欲望は湧き上がってこない。
しかし、魔理沙とともにいるとなぜか知識欲が湧いているような気がする。いや、理由はいくつか推測できる。
おそらく、生きている魔理沙を知ることができる、その時間が限られているからだろう。魔理沙が死んでしまっては、どれだけ魔理沙の知識を集めようとも、それは生きていた魔理沙の知識でしかない。
あるいは、自分に魔理沙を投影しているのかもしれない。知ろうとできない自分に代わり魔理沙に知ろうとしてもらい、それに共感することで自分も知ろうとしたと思い、魔理沙に教えてもらうことで自分も知ろうと行動したように錯覚しているのかもしれない。
どちらも推論。根本的に自分の心理状態の情報が足りない。限定された情報からは好きな風に解釈できると、先ほど魔理沙に言ったばかりだ。しかし、それでも良いかと思う。知らなくても良い、と。それはいずれ知るからということではなく、ただ純粋に、知らないままでも良いんじゃないか、と思う。ただ、魔理沙といると心地いい、それだけで十分だと。
もしかしたら、レミィがいつまでも幼いままなのはこれだろうか。五百年の時を生き、運命なんて因果なものを操れるのに、いつまでたっても子供な性格なのは、自らを省みる必要はないと、知らないなら知らないままで良いと、心の底からそう思っているからかもしれない。
さすがは先輩ね、などとパチュリーが思っていると、遠くから重低音が響いてきた。魔理沙が出るときに、また門番とやらかしたのかもしれない。
いつも今日みたいにおとなしければ猫いらずはいらないんだけど、と呟き、パチュリーはいつの間にか綺麗に片付けられたテーブルの上に置かれている本を開き、いつもどおりに読み始めた。