隙間鉄道の夜
一、午後の授業
「みんな、この川と云われたり、乳の流れたあとだと云われたりしていた、
ぼんやりと白いものがほんとうは何か知っているか?」
慧音先生は、日曜慧音野外学校(注1)の木に吊した黒板に吊した大きな黒い星座の図の、
上から下へ白く流れる黒白魔女の弾幕(注2)のようなところを指しながら、
みんなに問をかけました。
まず、橙が手をあげました。
それから二、三……人(注3)が手をあげました。
この物語の主人公である、我らがリグルも手をあげようとはしましたが、
急いでそのままやめました。
たしか、あれがみんな星なのだと、黒白魔女が夜空に置いたモノだと、
いつか誰かに聞いたのでしたが、このごろリグルは大変な外の寒さに、
毎日教室(注4)でもがたがた震えていたので、
なんだかどんなこともよくわからないという気持ちがするのでした。
ところが、慧音先生は早くもそれを見付けたのでした。
「リグル。お前……本当は分かっているんだろう?」
そう、慧音先生に言われ、リグルは勢よく立ちあがりましたが、
立ちあがると、もう寒くて、頭も働かず、 はっきりとそれを答えることができないのでした。
チルノが前の席からふりかえって、リグルを見てくすっとわらいました。
リグルはもうどぎまぎして(+お前にだけは言われたくないという怒りで)まっ赤になってしまいました。
慧音先生がまた云いました。
「どんどん、飛んで近づいていくと、銀河は大体何で出来ているか知っているか?」
(やっぱり星だ、黒白が踊りながら出しているあれに違いない)
そう、リグルは思いましたが、今度もすぐに答えることができませんでした。
慧音先生はしばらく困ったようすでしたが、眼を橙の方へ向けて、
「では、橙」と名指しました。
するとあんなに元気に手をあげた橙が、
やはりもじもじ立ち上ったままやはり答えができませんでした。
慧音先生は意外なようにしばらくじっと橙を見ていましたが、
しばらくして「ふむ……仕方がないな……お前の主人から教わって居ると思ったが……」と云いました。
「このぼんやりと白い銀河にどんどん近づいていくと、
たくさんの小さな星に見えるんだ。リグル、そうだっただろう?」
リグルはまっ赤になってうなずきました。
けれどもいつかリグルの眼のなかには涙がいっぱいになりました。
そうだ私は知っていたのだ、勿論橙も知っている、
それはいつか橙のお母さん(注5)の家で橙といっしょに読んだ本のなかにあったのだ。
それで橙は、その本を読むと、すぐ家の中から、
誰だったか……(お祖母さん、かな?)を連れてきて、隙間というところをひろげ、
まっ黒な空間に広がる美しい星を二人でいつまでも見たのでした。
それをリグルが忘れる筈もなかったのに、すぐに返事をしなかったのは、
このごろ私が、朝にも午后にも冬越しの準備がつらく、
学校に出てももうみんなともはきはき遊ばず、橙ともあんまり話をしないようになったので、
橙がそれを知って気の毒がってわざと返事をしなかったのだ、
そう考えるとたまらないほど、自分も橙も哀れなような気がするのでした。
慧音先生はまた云いました。
「だから、もしもこの天の川がほんとうに川だと考えるなら、その一つ一つの小さな星は
みんなその川のそこの砂や砂利の粒にも当たる訳だ。
また、これを巨きな乳の流れと考えると、もっと天の川とよく似ている。
つまりその星はみな、乳のなかにまるで細かにうかんでいる脂油の球という事だな。
それでは何がその川の水にあたるかと云うと……、それは『真空』という光をある速さで伝えるもので、
太陽や月もそのなかに浮んでいるんだ。
つまり、私達も天の川の水のなかに棲んでいるわけだ。
そしてその天の川の水のなかから四方を見ると、ちょうど水が深いほど青く見えるように、
天の川の底の深く遠いところほど星がたくさん集って見え、したがって白くぼんやり見える訳だな。
じゃあ、この様々な星についてはもう時間だから、この次の理科の時間に話すとしよう。
それじゃ、今日はここまでだ……本やノートをしまいなさい。
ああ、そうだそれから……今日は博麗神社で祭り(注6)をやるらしいが……
人間に手出しをしたら、分かってるな?」と笑顔で言うのでした。
そして、しばらくは引きつった笑い声や本を重ねたりする音がいっぱいでしたが
まもなくみんなはきちんと立って礼をすると飛んで去って行きました。
リグルも、(ああ、何時も通り話が長いや)と考えながら、
森を後にするのでした。
二、魔法の森の店
リグルが森を出るとき、同じく、一緒に勉強していた(尤も、話をきちんと理解していた者は半数にも満たない)
四人は家へ帰らず橙をまん中にして林の隅の木のところに集まっていました。
それは今夜青い明かりをこしらえて川へ流す烏瓜を取りに行く相談らしかったのです。
けれどもリグルは急いで、飛んで森を出て来ました。
森の側では、一人の人間が様々な食材(注7)を拾っている所でした。
〔以下数文字分空白〕
リグルは、家へは帰らず、何時も冬を越すために、
秋頃になると手伝いをしに行く店に入りました。
そして、入口の台に居た、何故か何時も光を反射している眼鏡をかけた人におじぎをして
リグルは靴をぬいで上りますと、突き当りの大きなドアをあけました。
中にはまだ昼なのに薄暗くてたくさんの良く分からないモノが積み上がっていました。
リグルは眼鏡の人の所へ戻って、一、二言交わすと、その人はしばらく棚を見てから、
「これだけ持ってきてくれるかい?」と云いながら、一枚の紙切れを渡しました。
リグルはもう一度先ほどの部屋へ戻り、埃をはらいました。
六時がうってしばらくたったころ、リグルはようやっと、紙に書いてあったモノを全て運び終えました。
その人は黙ってそれを見ていましたが、やがて微かにうなずきました。
三、巣
リグルが勢よく帰って来たのは、店からそう離れてはいない、森の中の小さな木の洞でした。
「幽香~いま帰ったよ。今日は、合悪くなかったの?」
リグルは靴をぬぎながら云いました。
「ああ、リグル。今日は暖かくてね。私はずうっと具合がいいわ。」
〔以下数文字分空白〕
「霖之助さんはこの次の冬に冬を越しに来る時は、何時までも居て良いといったねえ。」
「みんなが私にあうとそれを云うよ。ひやかすように云うんだ。」
「おまえに悪口を云うの。絞めてあげても良いのよ?」
「うん、けれども橙なんか決して云わない。橙はみんながそんなことを云うときは気の毒そうにしているよ。」
「彼女の『お祖母さん』は私と、ちょうどおまえたちのように小さいときからのお友達だったのよ。」
「え?そうだったんだ……でも、お祖母さんと友達って……」
「そうだ。今晩は神社のお祭だねえ。」あわてて幽香は話をそらしました。
もちろん、これが紅白や黒白であったならば、致命的なミスだったと言えるでしょう
なにせ、自分から触れては欲しくない部分をさらけ出したも同然なのですから。
しかし、優しい彼女は気付かない振りをして話を続けました。
或いは、脳の小さな彼女が、全く気付いてなかっただけかもしれません。
「うん。私、見てくるよ。」
「ああ、行っておいで。(ほっ……)」
「じゃ、一時間半で帰ってくるよ。」と云いながら暗い森を出ていきました。
四、博麗祭の夜
リグルは、口笛を吹いているようなさびしい口付きで、檜のまっ黒にならんだ神社の坂を下りて来たのでした。
坂の下には大きな一つの灯り(注8)が、橙色にぼんやりと光って立っていました。
リグルが、どんどん灯りの方へ下りて行きますと、いままでばけもののように、長くぼんやり、
うしろへ引いていたリグルの影は、だんだん濃く黒くはっきりなって、足をあげたり手を振ったり、
リグルの横の方へまわって来るのでした。
リグルがそのそばを通り過ぎたとき、いきなり昼間のチルノが、
新らしいピンときれいな服を着て灯りの向う側の暗い小路から出て来て、ひらっとリグルとすれちがいました。
「チルノ、烏瓜ながしに行くの?」リグルがまだそう云ってしまわないうちに、
「リグル、香霖堂で、男が待ってるよ。」その子が投げつけるようにうしろから叫びました。
リグルは、ばっと胸がつめたくなり、そこら中きぃんと鳴るように思いました。
「何よ、チルノ!!」とリグルは高く叫び返しましたがもうは向うのひばの林へはいっていました。
「チルノはどうして私がなんにもしないのにあんなことを云うのだろう。
走るときはまるで妖精のようなくせに。
私がなんにもしないのにあんなことを云うのはチルノが⑨だからだ。」
リグルは、せわしくいろいろのことを考えながら、
さまざまの灯や木の枝で、すっかりきれいに飾られた村を通って行きました。
そして、リグルは、いつか村はずれのポプラの木が幾本も幾本も、
高く星ぞらに浮んでいるところに来ていました。
十字になったかどを、まがろうとしましたら、魔法の森へと行く方の道の前で、
黒い影やぼんやり白い着物が入り乱れて、四、五人の生徒らが、口笛を吹いたり笑ったりして、
めいめい烏瓜の燈火を持ってやって来るのを見ました。
その笑い声も口笛も、みんな聞きおぼえのあるものでした。
リグルの同級の子供らだったのです。
リグルは思わずどきっとして戻ろうとしましたが、思い直して、一そう勢よくそっちへ歩いて行きました。
「川へ行くの。」リグル云おうとして、少しのどがつまったように思ったとき、
「リグル、男が待ってるよ。」さっきのチルノがまた叫びました。
「リグル、男が待ってるよ。」すぐみんなが、続いて叫びました。
リグルはまっ赤になって、もう歩いているか飛んでいるかもわからず、
急いで行きすぎようとしましたら、そのなかに橙が居たのです。
橙は気の毒そうに、だまって少しわらって、
寂しそうに尻尾を揺らしながら怒らないだろうかというようにリグルの方を見ていました。
リグルは、遁げるようにその眼を避け、そして橙の二股のかたちが過ぎて行って間もなく、
みんなはてんでに口笛を吹きました。
かどを曲るとき、ふりかえって見ましたら、チルノがやはりふりかえって見ていました。
そして橙もまた高く口笛を吹いて向うにぼんやり橋の方へ歩いて行ってしまったのでした
リグルは、なんとも云えずさびしくなって、いきなり走り出しました。
すると耳に手をあてて、わああと云いながら片足でぴょんぴょん跳んでいた村の小さな子供らは、
リグルが面白くてかけるのだと思ってわあいと叫びました。
まもなくリグルは黒い丘の方へ急ぎました。
以下、注訳
注1 幻想郷という隔離された世界において、人間に教鞭を取っていた上白沢慧音という妖怪が、
人間の学校が休みである時に生命の大切さを妖怪にも伝えるために始めたのが起こりと伝えられている
注2 此処で言われる弾幕には諸説あるが、ここで彼女が言うのは、
魔符「ミルキーウェイ」である、と言うのが現在の主要な意見。
他には「アステロイドベルト」だとする意見も。
注3 厳密には人間ではないが、人型をしていることから便宜上こう数える
注4 野外なので『室』ではない。作者が何故こう表したかは未だに謎のまま。
注5 当然母親などではないが、彼女はそれを知らない。
注6 今でこそ博麗祭りは大規模な、祭りであるが、当時は小規模な祭りであった。
この日は昔から妖怪も人間を襲わないことで知られており今ではその日を記念する祭りと言われる。
火を付けた葉とお札を烏瓜に入れ、河へと流すのが倣わし
注7 現在は、伐採が進み食材もあまり取れなくなってはいるが、
当時の魔法の森は秋になると宝の山と言っても良いほど良質な食材が取れていた。
注8 当時の主な灯りは蝋燭や提灯であった。
また、何者かが『ガス灯』を伝え、少数ではあったが当時もガス灯は存在したと言われる。
一、午後の授業
「みんな、この川と云われたり、乳の流れたあとだと云われたりしていた、
ぼんやりと白いものがほんとうは何か知っているか?」
慧音先生は、日曜慧音野外学校(注1)の木に吊した黒板に吊した大きな黒い星座の図の、
上から下へ白く流れる黒白魔女の弾幕(注2)のようなところを指しながら、
みんなに問をかけました。
まず、橙が手をあげました。
それから二、三……人(注3)が手をあげました。
この物語の主人公である、我らがリグルも手をあげようとはしましたが、
急いでそのままやめました。
たしか、あれがみんな星なのだと、黒白魔女が夜空に置いたモノだと、
いつか誰かに聞いたのでしたが、このごろリグルは大変な外の寒さに、
毎日教室(注4)でもがたがた震えていたので、
なんだかどんなこともよくわからないという気持ちがするのでした。
ところが、慧音先生は早くもそれを見付けたのでした。
「リグル。お前……本当は分かっているんだろう?」
そう、慧音先生に言われ、リグルは勢よく立ちあがりましたが、
立ちあがると、もう寒くて、頭も働かず、 はっきりとそれを答えることができないのでした。
チルノが前の席からふりかえって、リグルを見てくすっとわらいました。
リグルはもうどぎまぎして(+お前にだけは言われたくないという怒りで)まっ赤になってしまいました。
慧音先生がまた云いました。
「どんどん、飛んで近づいていくと、銀河は大体何で出来ているか知っているか?」
(やっぱり星だ、黒白が踊りながら出しているあれに違いない)
そう、リグルは思いましたが、今度もすぐに答えることができませんでした。
慧音先生はしばらく困ったようすでしたが、眼を橙の方へ向けて、
「では、橙」と名指しました。
するとあんなに元気に手をあげた橙が、
やはりもじもじ立ち上ったままやはり答えができませんでした。
慧音先生は意外なようにしばらくじっと橙を見ていましたが、
しばらくして「ふむ……仕方がないな……お前の主人から教わって居ると思ったが……」と云いました。
「このぼんやりと白い銀河にどんどん近づいていくと、
たくさんの小さな星に見えるんだ。リグル、そうだっただろう?」
リグルはまっ赤になってうなずきました。
けれどもいつかリグルの眼のなかには涙がいっぱいになりました。
そうだ私は知っていたのだ、勿論橙も知っている、
それはいつか橙のお母さん(注5)の家で橙といっしょに読んだ本のなかにあったのだ。
それで橙は、その本を読むと、すぐ家の中から、
誰だったか……(お祖母さん、かな?)を連れてきて、隙間というところをひろげ、
まっ黒な空間に広がる美しい星を二人でいつまでも見たのでした。
それをリグルが忘れる筈もなかったのに、すぐに返事をしなかったのは、
このごろ私が、朝にも午后にも冬越しの準備がつらく、
学校に出てももうみんなともはきはき遊ばず、橙ともあんまり話をしないようになったので、
橙がそれを知って気の毒がってわざと返事をしなかったのだ、
そう考えるとたまらないほど、自分も橙も哀れなような気がするのでした。
慧音先生はまた云いました。
「だから、もしもこの天の川がほんとうに川だと考えるなら、その一つ一つの小さな星は
みんなその川のそこの砂や砂利の粒にも当たる訳だ。
また、これを巨きな乳の流れと考えると、もっと天の川とよく似ている。
つまりその星はみな、乳のなかにまるで細かにうかんでいる脂油の球という事だな。
それでは何がその川の水にあたるかと云うと……、それは『真空』という光をある速さで伝えるもので、
太陽や月もそのなかに浮んでいるんだ。
つまり、私達も天の川の水のなかに棲んでいるわけだ。
そしてその天の川の水のなかから四方を見ると、ちょうど水が深いほど青く見えるように、
天の川の底の深く遠いところほど星がたくさん集って見え、したがって白くぼんやり見える訳だな。
じゃあ、この様々な星についてはもう時間だから、この次の理科の時間に話すとしよう。
それじゃ、今日はここまでだ……本やノートをしまいなさい。
ああ、そうだそれから……今日は博麗神社で祭り(注6)をやるらしいが……
人間に手出しをしたら、分かってるな?」と笑顔で言うのでした。
そして、しばらくは引きつった笑い声や本を重ねたりする音がいっぱいでしたが
まもなくみんなはきちんと立って礼をすると飛んで去って行きました。
リグルも、(ああ、何時も通り話が長いや)と考えながら、
森を後にするのでした。
二、魔法の森の店
リグルが森を出るとき、同じく、一緒に勉強していた(尤も、話をきちんと理解していた者は半数にも満たない)
四人は家へ帰らず橙をまん中にして林の隅の木のところに集まっていました。
それは今夜青い明かりをこしらえて川へ流す烏瓜を取りに行く相談らしかったのです。
けれどもリグルは急いで、飛んで森を出て来ました。
森の側では、一人の人間が様々な食材(注7)を拾っている所でした。
〔以下数文字分空白〕
リグルは、家へは帰らず、何時も冬を越すために、
秋頃になると手伝いをしに行く店に入りました。
そして、入口の台に居た、何故か何時も光を反射している眼鏡をかけた人におじぎをして
リグルは靴をぬいで上りますと、突き当りの大きなドアをあけました。
中にはまだ昼なのに薄暗くてたくさんの良く分からないモノが積み上がっていました。
リグルは眼鏡の人の所へ戻って、一、二言交わすと、その人はしばらく棚を見てから、
「これだけ持ってきてくれるかい?」と云いながら、一枚の紙切れを渡しました。
リグルはもう一度先ほどの部屋へ戻り、埃をはらいました。
六時がうってしばらくたったころ、リグルはようやっと、紙に書いてあったモノを全て運び終えました。
その人は黙ってそれを見ていましたが、やがて微かにうなずきました。
三、巣
リグルが勢よく帰って来たのは、店からそう離れてはいない、森の中の小さな木の洞でした。
「幽香~いま帰ったよ。今日は、合悪くなかったの?」
リグルは靴をぬぎながら云いました。
「ああ、リグル。今日は暖かくてね。私はずうっと具合がいいわ。」
〔以下数文字分空白〕
「霖之助さんはこの次の冬に冬を越しに来る時は、何時までも居て良いといったねえ。」
「みんなが私にあうとそれを云うよ。ひやかすように云うんだ。」
「おまえに悪口を云うの。絞めてあげても良いのよ?」
「うん、けれども橙なんか決して云わない。橙はみんながそんなことを云うときは気の毒そうにしているよ。」
「彼女の『お祖母さん』は私と、ちょうどおまえたちのように小さいときからのお友達だったのよ。」
「え?そうだったんだ……でも、お祖母さんと友達って……」
「そうだ。今晩は神社のお祭だねえ。」あわてて幽香は話をそらしました。
もちろん、これが紅白や黒白であったならば、致命的なミスだったと言えるでしょう
なにせ、自分から触れては欲しくない部分をさらけ出したも同然なのですから。
しかし、優しい彼女は気付かない振りをして話を続けました。
或いは、脳の小さな彼女が、全く気付いてなかっただけかもしれません。
「うん。私、見てくるよ。」
「ああ、行っておいで。(ほっ……)」
「じゃ、一時間半で帰ってくるよ。」と云いながら暗い森を出ていきました。
四、博麗祭の夜
リグルは、口笛を吹いているようなさびしい口付きで、檜のまっ黒にならんだ神社の坂を下りて来たのでした。
坂の下には大きな一つの灯り(注8)が、橙色にぼんやりと光って立っていました。
リグルが、どんどん灯りの方へ下りて行きますと、いままでばけもののように、長くぼんやり、
うしろへ引いていたリグルの影は、だんだん濃く黒くはっきりなって、足をあげたり手を振ったり、
リグルの横の方へまわって来るのでした。
リグルがそのそばを通り過ぎたとき、いきなり昼間のチルノが、
新らしいピンときれいな服を着て灯りの向う側の暗い小路から出て来て、ひらっとリグルとすれちがいました。
「チルノ、烏瓜ながしに行くの?」リグルがまだそう云ってしまわないうちに、
「リグル、香霖堂で、男が待ってるよ。」その子が投げつけるようにうしろから叫びました。
リグルは、ばっと胸がつめたくなり、そこら中きぃんと鳴るように思いました。
「何よ、チルノ!!」とリグルは高く叫び返しましたがもうは向うのひばの林へはいっていました。
「チルノはどうして私がなんにもしないのにあんなことを云うのだろう。
走るときはまるで妖精のようなくせに。
私がなんにもしないのにあんなことを云うのはチルノが⑨だからだ。」
リグルは、せわしくいろいろのことを考えながら、
さまざまの灯や木の枝で、すっかりきれいに飾られた村を通って行きました。
そして、リグルは、いつか村はずれのポプラの木が幾本も幾本も、
高く星ぞらに浮んでいるところに来ていました。
十字になったかどを、まがろうとしましたら、魔法の森へと行く方の道の前で、
黒い影やぼんやり白い着物が入り乱れて、四、五人の生徒らが、口笛を吹いたり笑ったりして、
めいめい烏瓜の燈火を持ってやって来るのを見ました。
その笑い声も口笛も、みんな聞きおぼえのあるものでした。
リグルの同級の子供らだったのです。
リグルは思わずどきっとして戻ろうとしましたが、思い直して、一そう勢よくそっちへ歩いて行きました。
「川へ行くの。」リグル云おうとして、少しのどがつまったように思ったとき、
「リグル、男が待ってるよ。」さっきのチルノがまた叫びました。
「リグル、男が待ってるよ。」すぐみんなが、続いて叫びました。
リグルはまっ赤になって、もう歩いているか飛んでいるかもわからず、
急いで行きすぎようとしましたら、そのなかに橙が居たのです。
橙は気の毒そうに、だまって少しわらって、
寂しそうに尻尾を揺らしながら怒らないだろうかというようにリグルの方を見ていました。
リグルは、遁げるようにその眼を避け、そして橙の二股のかたちが過ぎて行って間もなく、
みんなはてんでに口笛を吹きました。
かどを曲るとき、ふりかえって見ましたら、チルノがやはりふりかえって見ていました。
そして橙もまた高く口笛を吹いて向うにぼんやり橋の方へ歩いて行ってしまったのでした
リグルは、なんとも云えずさびしくなって、いきなり走り出しました。
すると耳に手をあてて、わああと云いながら片足でぴょんぴょん跳んでいた村の小さな子供らは、
リグルが面白くてかけるのだと思ってわあいと叫びました。
まもなくリグルは黒い丘の方へ急ぎました。
以下、注訳
注1 幻想郷という隔離された世界において、人間に教鞭を取っていた上白沢慧音という妖怪が、
人間の学校が休みである時に生命の大切さを妖怪にも伝えるために始めたのが起こりと伝えられている
注2 此処で言われる弾幕には諸説あるが、ここで彼女が言うのは、
魔符「ミルキーウェイ」である、と言うのが現在の主要な意見。
他には「アステロイドベルト」だとする意見も。
注3 厳密には人間ではないが、人型をしていることから便宜上こう数える
注4 野外なので『室』ではない。作者が何故こう表したかは未だに謎のまま。
注5 当然母親などではないが、彼女はそれを知らない。
注6 今でこそ博麗祭りは大規模な、祭りであるが、当時は小規模な祭りであった。
この日は昔から妖怪も人間を襲わないことで知られており今ではその日を記念する祭りと言われる。
火を付けた葉とお札を烏瓜に入れ、河へと流すのが倣わし
注7 現在は、伐採が進み食材もあまり取れなくなってはいるが、
当時の魔法の森は秋になると宝の山と言っても良いほど良質な食材が取れていた。
注8 当時の主な灯りは蝋燭や提灯であった。
また、何者かが『ガス灯』を伝え、少数ではあったが当時もガス灯は存在したと言われる。
「イーハトーヴ」は、もしかしたら幻想郷のようなところなのかなあ…