あんたの巫女でしょと文句を言ったら、あなたの子孫でしょと切り返された。
それだから洩矢諏訪子は東風谷早苗を背負い、石畳をえっちらおっちらと歩いていた。落ちぶれても神、重いとは感じないが、小柄な諏訪子には、早苗がずり落ちないようバランスを取るのに苦労する。背後の喧騒も既に遠く、時折わっと盛り上がっているらしい声が届く以外は、ささやかに夜を照らす灯火だけが、宴会の行われている様子を告げていた。
「よくもまあ、飽きずにやるもんだ」
呟きが夜闇に溶ける。いつもなら湖面に映る月くらいは聞いてくれる独り言も、今日は群雲に阻まれて届いていないようだった。
もちろん諏訪子も、にぎやかなのは嫌いではない。とは言え、ハレの日もこう続くと、ケの日も恋しくなろうというもの。連日連夜催行される、祭という名の飲み会は、そろそろ山中の酒を飲み干してしまうんじゃないかと、余計な心配を諏訪子に抱かせるほどだった。
自分はまだいいのだ、と諏訪子は思う。面倒なら出なければいいのだから。
(問題は――さすがに、自分とこの神様が出席してるのに巫女が休むわけにも行かないってところか)
あごを諏訪子の肩に乗せ、グッタリとうつむく早苗は、寝ているのか気絶しているのか、ともかく微動だにしない。ちゃんと呼吸してるのかと思うほどだ。
元の世界では未成年だったこともあり、神事以外では酒に縁遠かった彼女だが、もちろんこの幻想郷においては日本国の法律は通用しないし、アルコールハラスメントという言葉も存在しない。ついでにおそらく遠慮という概念も存在しないだろう妖怪たちに囲まれては、早苗の肝機能はもはや風前の灯と言っても差し支えなかろう。
(神奈子の奴、はしゃいでるからなぁ)
信仰心を求めて諏訪の地を捨てた神奈子にとっては、妖怪たちが自分を信仰してくれる――構ってくれる、ともいう――のが、嬉しくて仕方ないのに違いない。それは分かる。だから諏訪子も、宴会を控えろなどとは、とても言えるものではなかった。
ただ、問題があるとしたら、人間は神や妖怪ほどタフではないのだ。
(いや、ひょっとしたら、この前会ったような連中なら、大丈夫なのかもしれないけど)
ただの人間が、神々と対等に渡り合う世界。なんにしても、早苗の受難はしばらく続きそうだった。
人の子の苦難に思いを馳せながら、社務所の引き戸を足で開ける。手がふさがっているのだから仕方がない。まさかバチが当たることもないだろう。
いつの間にかすっかり生活感にあふれてしまった社務所は、それでも何とか清潔感が保たれていた。畳の上には竹箒、卓上には手回し充電器、そして隅にはポリバケツにかかった雑巾。どこにも繋がっていないコンセントが涙を誘う。
ガスも電気もない生活と聞いて、諏訪子はまず、早苗はやっていけるのか、などと心配したものだが、なかなかどうして、こちらの人間などに聞きながら頑張っているようだ。むしろ自分たちが導いてやらなければならないのだろうが、なにしろこちとら、職業(?)柄、炊事も洗濯もずっと誰かが勝手にやってくれていた上に、適応力の高さとノリのよさには定評がある日本の神様。やらないことはものすごい勢いで忘れる。自分が力と恃む神様たちが、実は大して頼りにならない、と気づいたときの早苗の絶望と悲壮な決意にあふれた表情は、何かトラウマになりそうな威力だった。
「だって炊飯器のほうが楽じゃん!」
思わず声に出す。幸い、早苗が起きる気配はなかった。
さすがにその辺に転がしておくわけにもいかないので、諏訪子は竹箒をまたいで暖簾をくぐり、奥の階段を上り、二階へ向かう。普段早苗は、そこで寝起きしているのだ。昼間ならどうという事もないのかもしれない、階段のミシミシという音が崩落の不安をあおる。飛べばいいのだが。ひどく卑小なことで悩んでいる自分に、しかし諏訪子は不思議と嫌悪感を抱かなかった。
(まあね、こっちに来た時点で、ミシャグジ様もへったくれもあったもんじゃないし)
無駄に気負わなくていいのは、楽で良い。神奈子に聞けばまた違う答えが返ってくるのだろうが、諏訪子はその一点だけをもってしても、幻想郷に来た価値はあったのではないか、と考えていた。
中長期的には、早苗のためにも。
「よっ……この」
ふすまは引き戸に比べて取っ掛かりがなく、足で開けるのには少々の努力を要した。別に無理して足で開けなくてもいいのだが、なんとなく自分ルールでそうしなければならないように思えたのだ。小さな隙間にぐりぐりと親指をねじ込み、とうとう足を引っ掛けることに成功したとき、諏訪子の胸中はささやかな満足感で満たされた。
「ん……なんだここ、神奈子の部屋か」
差し込む月光に、間違いを悟る。部屋の中心には朝から……どころか、いつからあるのか分からない万年床。脱ぎ散らかされた服に諏訪子は、翌日早苗がため息をつきながら洗濯籠へ持っていくところまで想像して、思わず口の端を吊り上げる。あの神もすっかり自堕落な生活が板についてきた。大体社殿があるのだからそこで生活すればいいだろうに、わざわざ社務所で寝起きしているあたり、早苗に頼りきろうという魂胆が見え見えである。わざわざ居を別にした早苗の真意を、少しは汲み取るべきだろうと思う。あるいは、汲み取った上であえてこうしているのかもしれなかったが。
「んー、まあいいや、もうここで」
そこはかとなく疲労感が襲いかかって来、諏訪子は布団の傍らでかがみこむと、背負った早苗を慎重に布団へ寝かしつけた。首を持ち上げて枕を挟み、せめてもと髪飾りと檀紙を外す。寝巻きに着替えさせるのはさすがに憚られた。まとめられていた髪が解け、微細な、砂が流れ落ちるような衣擦れの音を作る。
諏訪子はなんとなく、そのまま早苗の顔を見続けた。どうやら彼女は自分の子孫であるらしいのだが、こうして凝視してみても、これといって似ている点というのは見当たらない。もっとも、生物として成した子孫というわけではないから、別に顔が似ていないのは不思議ではないのかもしれない。それ以前に五十以上も代を重ねていれば、もはや似ているもいないもないだろう。
「ふぅん」
なぜか不愉快な気分になった諏訪子は、枕元に腰を下ろした。諏訪子は普段本殿の最奥に住んでいるので、帰って寝るにせよ宴会へ戻るにせよ、ここにいる道理はない。それでも、規則正しい寝息を立てる早苗を見ていると、どこかへ行こうという気にはなれそうもないのであった。
妙な寝癖がつかないよう、艶やかな髪に手櫛を通す。するりと指の間を抜ける感覚が心地よい。緩く波打つそれは川の流れを連想させ、またその色とあいまって故郷を思わせた。もっともあの川はよく氾濫したが、この早苗はめったに反乱しない。よく出来た子だと思う。
「……恨み言のひとつくらい言ってくれても構わないのにねえ」
その早苗はと言えば、よほど深く寝入っているのか、相変わらず起きる気配がない。おおよそその原因であると思われる頬の赤らみは一向に抜ける様子がなく、明朝、二日酔いにならないことを祈るばかりだった。
諏訪子は手のひらを、まるでニトログリセリンでも扱うかのようにそっと早苗の頬に当てる。ふっくらとした弾力と共に脈打つ熱が伝わって来、諏訪子の手に涼を感じたのか、早苗は眠ったまま軽く息をつく。気持ち呼吸が穏やかになったように感じられ、諏訪子は目の力を抜いた。
窓枠を揺らす風が夜半の雲を吹き散らし、差し込む月光が強まる。桟の形に切り抜かれたそれは曖昧としていた陰影を確かにし、身をわずかに捩じらせた早苗が、わずかな吐息を漏らした。はだけかかった衣服から覗くわずかに汗ばんだ肌はぼんやりと輝いているようにも見え、また浮き上がった鎖骨が妙に艶かしい。そこに這う一房の緑髪はまるで、真っ白い和紙に墨を流したようだった。
「むぅ……子孫でさえなかったなら」
早苗の頬を突っついて遊びながら、諏訪子は悩ましげに一人ごちる。
「いやでも、子孫って言っても何十代も離れてるしなー。倫理的にOK?」
「駄目よ」
声に視線を向けると、酒精に顔をほんのりと上気させた八坂神奈子が笑みを浮かべている。両の手には数本の徳利と杯、音を立てないように歩いても、指で挟むように持つそれらがカチカチと鳴るので意味がない。
「ちょっと目を離すと、すぐに不埒な振る舞いに及ぼうとするんだから」
「宴会は?」
「お開きよ」
神奈子は諏訪子の対面――つまり、早苗を挟んで反対側の枕元――にどっかと胡坐をかく。はしたないようにも思われるその仕草は、神奈子に限っては不思議とそう感じさせない。あるいはそれは、彼女が「はしたなさ」という概念が登場するはるか以前からの存在であるからなのかもしれなかった。
「じゃあその徳利は?」
「二次会」
「ここでやるの?」
「まだ飲み足りないでしょう?」
神奈子は悪びれもせずにそう言いつつ徳利を傾け、朱色の杯を差し出した。
「ささ、一献一献」
無言で受け取り、一息に仰ぐ。ジワリとした熱が体内に広がった。
「おーおーおー」
何が楽しいのか、神奈子は体を揺らしながら数度手を叩き、徳利の首を向ける。
「さあもう一杯」
「この体勢って、どっちかが手を滑らせたら、早苗に思いっきり引っ掛かるわよね」
「いいんじゃないの? 緊張感があって」
少女の頭越しに注がれた乳白色の酒を、今度はちびちびと飲む。
特にお互い饒舌になるということもなく、寝息と酒を啜る音、時折吹き付ける風だけが全ての音だった。
杯の底が見えたのを機に、諏訪子はポツリと口を開く。
「ねえ」
「ん?」
「宴会を控えろとは言わないけど、この子はたまには休ませてあげたら?」
「私は、出ろなんて言ったことは一度もないわよ?」
うそぶく神奈子に、諏訪子は胡乱な目を向けた。
「この子は出るなと言われない限り出るわよ……分かってるでしょ?」
「まあねえ」
徳利が差し出される。受ける。
「弱いことが分かれば、そのうち無理に勧められることもなくなると思うけど」
「そんな気の利いた連中かなあ」
見れば、既に数本の徳利が横倒しに転がっている。まだ飲み足りないでしょうというのは、要するに自分が飲み足りなかったんだろうなあと諏訪子は思った。どうせなら樽で持ってくればよかったのに。
なんとなく、再び早苗の頬を突っついてみる。搗き立ての餅のような柔らかさともぎたての果実のような瑞々しさが同居するこの頬は、どうにも魔性の魅力を持っているようだった。
「この肌を荒らすのはいかにももったいないわ」
「ちょっと、早苗で遊ばないの」
「まあそう言わずに、神奈子もやってみなって」
「いや、あのね……ん……これは……ふむ、なかなか」
「でしょ?」
「若いっていいわねぇ」
「なんか短い割に突っ込みどころが多い発言だわ」
しばしの間、神が二人して少女の頬を突っつきまわす。無論早苗は眠っているのでどう感じているのか不明だが、諏訪子の目にはどことなく嫌がっているように見えた。
「しかし起きないわねえ」
「そうねえ」
何だか早苗の頬が酒とは違う赤みを帯びてきたきたので、名残惜しくもいい加減に人差し指を離す。
「もう一杯行く?」
「ん」
それからまた、濁り酒を舐めるように飲む。耳奥を流れる血潮の音すら聞こえてきそうな中、互いに視線も合わさず声も交わさず、さりとて別段気まずいわけでもない。数千年来の付き合いともなると、そうそう喋ることもないし、わざわざ喋る必要もない。
どれほど経ったか、月がまたその顔を隠した。明かりに慣れた瞳が、急な光量の変化に、目前の神奈子と早苗の姿を失くす。
「ねえ」
「うん?」
ふと思いついたことを、諏訪子は口にした。
「今回の引越しさ」
「うん」
「正直な話さ、必要かどうかという観点でだけ言うならさ」
いったん言葉を切る。どう言い表したものか、あーだのうーだのと唸った挙句に、結局なんの捻りもなく続ける。
「早苗って、別に絶対こっちに必要ってわけじゃなかったわよね」
「うん」
なんの衒いもなく、神奈子は即答した。その表情は伺えないが、まあおそらく薄く笑っているのだろうと、諏訪子は思った。
「そ」
肩をすくめる。闇の向こうで、神奈子が何か言いたそうな気配を見せたが、結局何も言わなかった。
まあ、その程度の話なのだ。
「あーでも、早苗がいないと神社が荒れ放題かも」
ご飯も作れないし……と困ったようにつぶやく神奈子に、諏訪子もまた眉間にしわを寄せ、同時に、パタパタと日々せわしなく動き回る早苗の姿を脳裏へ浮かべた。おそらく神奈子も同じものを見ているだろうと、諏訪子は思った。
「あー……やっぱ、私たちも何か手伝ったほうがいいんじゃない?」
「諏訪子もそう思う? じゃあそうねえ、明日から早速教わりましょうか。早苗に」
「巫女に包丁の使い方を教わる神様ねえ……」
想像するだに、中々笑える絵面ではあった。ただ、そう悪くもない様にも思えた。
「じゃあ私が早苗と料理するから、神奈子はご不浄の掃除ね」
ようやくぼんやりと見えるようになった部屋で、神奈子は呆れたように、半眼で肩を落とす。
「何でそんなに差があるのよ。私が早苗と料理するからあなたがハバカってなさいよ」
「私の子孫よ?」
「私の巫女ですわ」
「退かないなら……」
「どうする?」
諏訪子は上目遣いで、朱塗りの杯をずいと掲げた。
「飲み比べよ」
「乗った」
神奈子はひざを打つと、どこからともなく徳利を取り出しては早苗の枕元にズラズラ並べる。諏訪子はその様子に、そんなことに神力使うなよと思ったが、まあそれはそれとして、夜が明けるまでに何本いけるかということのほうが、よほど気になるのだった。
そして早苗は、やっぱり一向に起きる様子がないのだった。
◆
寝苦しさに眼を覚ますと、自分が仕える二柱の神が体に絡まっていた。
「ええ……何これ……」
早苗は状況を把握しようとするも、刺すような頭痛がそれを遮る。そういえば昨晩は、(またしても)宴会だった。記憶が途中で途切れてしまっていることからも、きっと自分は潰れてしまったのだろう。そう考えると、この頭痛も納得がいった。頬が痛いのはなぜなのかは、よく分からなかったが。
「……にしても」
どうやら自分の寝ている横で、二柱はまだ酒盛りをしていたらしい。散乱する徳利がそれを告げていた。少しだけ残っていたのに気づかなかったのか、口からこぼれた酒が畳に染みを作っており、早苗はあぁー、という気分になる。
「困ったお方たちですこと」
そう言いながらも、早苗は頬が緩んでいるのを自覚していた。二柱の寝息は片方が吸えば片方が吐き、また片方が吐けば片方が吸うといった具合に見事なリズムを奏でており、狙っているのではないかと思えるほどだった。
(……朝ごはん、作んないとなあ)
曇りがちだった昨晩から一転し、窓枠から除く秋空は、季節にふさわしい高さと深みを見せていた。
この布団もそろそろ干したほうがいい。多分荒れ放題でお開きになっただろう境内も早急に片付けなければいけないだろうし、その後は人里に降りて、八坂様を信仰してもらえるよう頼みに行くのもいい。鷹揚にいいよいいよと言っていたら、いつの間にか毎朝大量に届けられるようになった新聞も、そろそろ継続するものとしないものを決めなければならないだろう。
(あー、やること一杯あるなあ、今日も)
何か考える前に物事が次々と累積してゆき、良かったとか悪かったとか、そんなことを考える暇すらない毎日。
(でも……良いとか悪いとか、そんなことはきっと、大したことじゃないんだ)
やることがあるなら、それをせいぜい楽しむだけ。きっと幻想郷とはそういう場所なのだろう。
「そうと決まれば、早速取り掛からないといけないんだけど」
ただまあ、今日は。
この寝苦しい状態をしばらく続けてみても、いいんじゃないか。
一向に目を覚ます気配のない二柱の神が、(そうそう)と笑ったような気がした。
あと、やっぱり濁り酒は早苗ちゃんに垂らしておくべきだったと思います!!w
今が旬な早苗ちゃん苦労物語は、
細かな違いに各作家さんの個性が出てていいなあ。
諏訪子と神奈子の飲み比べはどっちが勝ったのかが気になる。
両者引き分けかな?
早苗ちゃんの苦労物語はホンマ蜜の味やでぇ。(キチク
まあそれも、保護者?の二柱様あってこその幸福なのですが。
愛されている早苗ちゃんを見るのは本当に楽しいです。
たとえそれが苦労物語であってもw
にしても諏訪子様はエロかったのかぁ
まぁ親しみがあるのが日本宗教の最大の特徴ですからね
それにしても早苗、すっかりイジられキャラが定着しましたねぇ
日本の神様はやはりこうであってこそ、と。
プレイヤーが神だった
それはそうとこれは日本の愉快な神様
5ボスは苦労する運命にあるんだなぁ。ご苦労様です。
しかし素敵な神様たちだ。
うぉいケロちゃん!w
あまりにもほのぼのして仲の良い神様達でゆるみっぱなしだった頬が
あとがきで一気に吹きました。
やれ楽しや日本の陽気な神様。
あとがき含めて、まさに完全体。
何はともあれ素敵な風神録小説を有難うございます。
愛し愛され、素敵な家族です。
確かに日本の神様は適応はやいですね。
でもそれは、信徒の日本人が適応早いってことかもしれませんけど。
いい家族でした。
早苗がんばって!ww
それはそうとあとがき笑ったwww
それにしても後書きw
後書きに驚きましたがw