私はフランドール=スカーレット。
私は外の世界を知らない。この閉鎖された館の中が私の世界。
それでも私は良かった。
でもそうじゃ無くなった。
私の目の前にやって来て、私と一緒に弾幕ごっこをして
自分もボロボロなのに私に笑顔を向けてくれた人間がいた。
彼女は壊れなかった。箒にまたがって颯爽と去っていった。
初めて外の世界を見た。
ドキドキした。今まで感じたことの無い胸の高鳴りを感じた。
これが私の外の世界への憧れの最初
廊下を歩いていた咲夜は声をかけられ少し緊張をした。
彼女はその緊張を悟られないように笑顔で振り向く。
「どうかなさいましたか?フランドール様。」
咲夜に声をかけた主、フランドールはにっこり笑った。
裏表の無い純粋な笑顔に咲夜の緊張が少し和らぐ。
「咲夜、どうして私は外の世界に出てはダメなの?」
その質問をしながらフランドールは心の中で自分の発言に可笑しさを感じた。
何度も何度も姉に尋ねた。咲夜に尋ねた。美鈴に尋ねた。
そして答えはいつも一つだった。変わらないことも知っている。
知っているのにわざわざ質問する自分の姿に可笑しさを感じたのだ。
咲夜は苦笑いをしながらフランドールと同じ目線になるように屈み、
精一杯フランドールを傷つけないように言葉を選んで答えた。
「フランドール様はまだ力の制御が十分ではありません。
フランドール様の力は強力過ぎます。お嬢様もフランドール様を心配して――」
「解った…」
咲夜の言葉を途中で遮ったフランドールは奥歯をかみ締めて悲しそうに俯いた。
何時も差し出される理解出来ても納得できない答えを聞くたびにフランドールの心は鈍痛を覚える。
それは外の世界への憧れの強さと比例していた。
どうしてこんなに痛いのだろうか。痛さは我慢できない状態まで強くなっていた。
「咲夜」
フランドールはかすれた声で、必死に自分を傷つけないように笑顔でいてくれる咲夜に聞いた。
「私は…本当に心配されているの?」
咲夜はフランドールの頭に優しく手を乗せると優しく頭を撫で、とてもゆっくりした口調で応えた。
「ええ、お嬢様も、私も、この館の皆がフランドール様のことを思っています。」
心配している、思っている、私のため。何度この言葉を聞いただろうか。
そんな言葉を並べるばかりで私の願いをかなえてくれない。
心の痛みはもう我慢できない程ズキズキとフランドールの心を突き刺していた。
「だったら…」
フランドールの言葉に咲夜の背筋が凍った。声自体は変わっていない、だが咲夜の本能が逃走を求めていた。
「証拠見せてよ。私を心配している証拠を見せてよ!」
咲夜が危険を察知して時を止めようとした瞬間、彼女は壁に叩きつけられていた。
自分の体と壁が壊れる音を聞いたと同時に咲夜の背中に激痛が走った。
息も出来ない程の激痛に顔を歪めながらうつむけに倒れた咲夜は、なんとか動く頭を上げ、
俯いたまま立っているフランドールの顔の辺りを見た。
フランドールの表情は咲夜からは見えない。しかし握り締められた両手と震える肩が、
フランドールの悲しみと怒りを如実に表していた。
「フラン…ドール様…。お止め下さい。」
「何が止めろよ。何時もそうじゃない。お姉様も!咲夜も!みんな『止めろ』って。
私に押し付けて、私を縛り付ける!だったら壊してやる…私を縛り付ける全てを壊してやる!」
フランドールの血吐くような叫びに、咲夜は痛みの走る体を奮い立たせて立ち上がった。
咲夜はフランドールの心の痛みを感じていた。
フランドールは両手で頭を抱えバリバリとその髪を掻き毟る。
「壊してやる!まずは咲夜お前からだ!」
フランドールの右手が咲夜の首を狙う、能力を使うどころか立つのがやっとの咲夜にその攻撃を避けることは出来ない。
鈍い音と共に咲夜の体は濁流に流される小枝のように吹き飛び、数回床に跳ねた後、床に倒れた。
フランドールは弱々しく呻く咲夜に走り寄り、仰向けに倒れる彼女の首を両手で掴んだ。
「げぶっ!」
喉が圧縮され、咲夜の口から空気と激痛の呻きが吐き出される。
「壊れろ…私を縛り付ける咲夜なんて壊れろ…」
「がっ――」
フランドールが更に力を込め、咲夜の首をへし折ろうとしたその時
咲夜は苦痛に耐えながらにっこり笑った。フランドールの力が少し抜ける。
理解できなかった、自分を壊そうとする相手にどうして彼女は笑いかけるのか。
咲夜はにっこり笑ったまま両手をゆっくりとフランドールの頬に当て
弱々しく途切れ途切れに、しかしとても優しい声でフランドールに訴えた。
「フランドール様、私のためではなく…フランドール様のために…こんなことは…お止め下さい。
何時かきっと…外の世界に…出ることを…お嬢様がお許しになる日が…未来に待っています。
ですから…その未来を…御自分の手で…壊すことは…お止め下さい…。」
ことり
慈しむ様にフランドールの頬を撫でていた咲夜の手が力を失い頬から滑り落ちた。
フランドールは呆然と咲夜の上に馬乗りになった姿のまましばらく動かなかった。
やっと立ち上がった彼女は、また両手で頭をバリバリと掻き毟った。
解らない。理解できない。そんな感情が彼女を襲った。
何故咲夜は危害を加える自分に笑顔を向けたのだろうか。心配しているからだろうか。
心配しているのに止めろと言う。でも咲夜は私の未来を心配していた。
「うあ…」
フランドールの思考回路が堂々巡りを始め、胃が収縮し吐き気が襲う。
心配しているのに否定する
どうして?解らない。解らない。ワカラナイ!
「ぎゃあああああああああああああああああ!」
吐き気と共にフランドールは正気を口から吐き出した。
天井を見上げた彼女の目は大きく見開かれ、その瞳には狂気が宿る。
次の瞬間彼女の周りの窓という窓が割れ、壁という壁に大きな亀裂が入った。
そして鳴り響く窓や壁が上げる崩壊の悲鳴。その悲鳴に感応するようにフランドールも叫んだ。
理解できない事への悲しみと心の痛みを表現するように叫んだ。
やり場の無い怒りを訴えるように叫んだ。叫び続けた。叫びながら走った。
そしてその両腕を、両足を、歯を、爪を使って眼に映る物全てで破壊の音を奏でた。
ガラスが割れる音。壁が砕ける音。メイドを床に叩き付け、床が砕けメイドの骨が折れる音。食器が割れる音。
その全てが彼女の悲しみと怒りを代弁するかのように大きな音を立てた。
フランドールは壁に爪を立てその腕を振り下ろす。
彼女の頬を流れるはずだった涙の軌跡が十本の爪痕として壁に刻まれた。
フランドールは破壊音と叫びを連れてレミリアの気配がする方向へ狂気を纏って走り続けた。
「随分と騒々しいわね。」
レミリアはテーブルの上にカップを置くと両目を閉じ、聴覚に神経を集中させた。
妹が泣いている。悲しくて泣いているのか、怒りで泣いているのか。
破壊音と叫び声はその両方を訴えていた。
レミリアは紅茶を飲み干すと椅子から立ち上がり、カップとティーサーバーを安全な場所に置いた。
そして自分が使っている物と同じカップを一つ取り出し同じ場所に置くと、再び椅子に座り妹を待った。
破壊の音が近づいてくる。レミリアは少し困ったように微笑を浮かべた。
「泣き虫ね。早くいらっしゃい、慰めてあげる。」
私はなんて幸せな姉だろうか。こうして妹が私に感情を剥き出しで接してくれる。
レミリアは自分が恵まれていると再確認した。
目の前の木製の扉が破裂音と共に木っ端微塵に砕け散り、吹き飛ばされた破片がレミリアの頬を傷つけた。
レミリアは微笑を浮かべたまま、獣のように荒い息を吐くフランドールに問いかけた。
「今日は何の癇癪かしら?フラン。」
冷静な姉の言葉に、フランドールは歯を軋らせ右手で髪の毛を掻き毟りながら叫んだ。
「お姉様。お前も壊してやる。」
レミリアは呆れたように両手を軽く前に差し出した。
「答えになっていないわフラン。今日はどんな癇癪かしら?」
「そうやって私を軽視する。」
「軽視はしてないわ。大事な妹だもの。」
「嘘つき!」
フランドールは目を見開きレミリアに襲い掛かる。
レミリアはふわりと椅子から飛び上がりその攻撃を回避する。
主が居なくなった椅子の背もたれがフランドールの爪によって削り取られた。
壊れた椅子を眺めながらレミリアは溜息を吐き、フランドールを咎めた。
「お気に入りの椅子だったのに。」
フランドールが破壊された椅子の破片を床に捨てる。
「私より椅子の方が大事なの?」
「妹の癇癪の相手と同じくらいにはね。」
「私は椅子と同レベルってこと?」
「あら、貴方は椅子に嫉妬するのね。」
レミリアがクスクスと笑う。しかし彼女は決して嘲笑はしなかった。
自分の妹を慈しむように、可愛い妹の無邪気な行動に笑みをこぼすかのように、
優しい微笑をフランドールに向けた。
「どうして笑うの?」
フランドールの狂気がまた薄れた。フランドールは疑問に思っていた。
どうして危害を加える自分に咲夜もレミリアも笑顔を向けるのだろうか。
その疑問が彼女の狂気を薄めていく。知りたいという心が彼女を正気に戻す。
妹の質問にレミリアは腰に手を当て、もう片方の手で口を押さえ思考する。
「ん~そうねぇ。貴方の我侭は見てて微笑ましいからかしら?」
「私がこんなに真剣に言っているのに、お姉様はそうやって茶化すのね。」
自分が軽視されたとフランドールは思った。その悲しさがフランドールの心を狂気に染める。
「お姉様はそうやって私をずっとここに閉じ込めるつもりなんでしょ?」
「今のままじゃ永久にこの館でお留守番かしら?大人になりなさいフラン。」
「うるさい!」
フランドールの拳がレミリアの顔面に叩き込まれる。しかしレミリアはその拳を受けて微動だにしなかった。
彼女はフランドールの腕を右手で掴むと口の端を吊り上げて笑った。
「そうやって感情的に力を使う事が子供だっていうの。今の貴方が外に出たら自分の未来を壊してしまうわ。
姉として妹の未来を守る義務が私にはあるの。」
レミリアは掴んだ腕を振り下ろし、フランドールを壁に投げつけた。
フランドールは壁に衝突する瞬間体を反転させ、壁に足から着地した。
レミリアはフランドールの殺意の篭った視線を正面から受け、両腕を組んだ。
妹の一撃は痛かった。口の端から細く血が流れる。だが恐らくフランドールの心はもっと痛い。
理解できないことを強要され、無理やり理解させられる。妹の幼い心が耐えられるはずがない。
外に出たいという小さな願いを叶えられない妹のなんと不幸なことだろうか。
だから私が彼女の理解できない悲しみを、やり場の無い怒りを、混乱を、戸惑いを全て受け止めなければならない。
私はレミリア=スカーレットだから。私はフランドール=スカーレットの姉だから。
「フラン、貴方が私を壊したいなら壊しなさい。何度だろうが壊されてあげるわ。その代わり学びなさい。
自分の力の恐ろしさを、制御できない自分の力が自分自身を壊してしまうことを。
さぁ今日は好きなだけ相手をしてあげるわ。来なさいフラン。」
フランドールは姉の言葉を少しだけ理解した。さっき壊した椅子もメイドもガラス窓も、
私が壊した全ては私の身代わりに壊れてくれたのだ。だから私は壊れない。
気絶する寸前咲夜は言っていた。「私の未来のためにこんなことは止めろ」と。
みんな自分のことを本当に心配してくれていることをフランドールは理解した。
フランドールは泣いた。両手を覆ってその場にへたり込んだ。
心が流した涙を癒すように、フランドールはうれし涙を流した。
理解出来たたことがうれしかった。自分が本当に大事にされていることがうれしかった。
「酷いよお姉様。そんなこと言われたら私お姉様を壊せない。何も壊せない…。」
レミリアはフランドールに歩み寄り、そっとその頭を撫でた。
そして部屋の一角に避難させていたティーセットを取り出し、テーブルに置いた。
「ほらフラン。あれだけ叫んで暴れれば喉が渇いたでしょ。」
フランドールは大人しく椅子に座ると、レミリアに差し出された紅茶を一気に飲み干した。
その姿にレミリアは苦笑した。
「相当喉が渇いていたのね。ねぇフラン。」
レミリアは椅子に座るフランドールを背中から抱きしめた。フランドールはもどかしさを感じながらも
姉の暖かな感触を感じ、安心感を覚えた。
「決して焦らないで。貴方が大人になるまで私は幾らでも身代わりに壊されてあげるわ。
何時か二人で夜空を飛ぶ未来を私はとっても楽しみにしているの。」
「うん。」
フランドールは大人しく頷いた。レミリアはにっこり笑うとフランドールから離れ、廊下に向かった。
そして妹から自分が見えなくなるまで歩いたレミリアは膝から崩れ落ち、意識を失った。
フランドールの拳は強力すぎた。意識を失う瞬間レミリアは思った。
願わくば、この力が妹に一度も向けられないように。
屋敷中から修理をする音が聞こえる。
咲夜はまだ痛む首をコキコキ鳴らしながらレミリアの部屋にゼリーを持って行った。
「失礼しますお嬢様。」
ノックをして声をかけたが返事は無い。咲夜は気にせず扉を開け中に入った。
「お嬢様。ゼリーを持ってきましたが食べられますか?」
ベッドの上でレミリアは妹に殴られた傷に呻いていた。
「う~痛いよ~痛いよ~。咲夜~。」
咲夜はゼリーを置くと、呆れた表情を浮かべた。
「全く…格好つけ過ぎですよお嬢様。ゼリーはここに置いておきますから食べられるようでしたら召し上がってください。」
主に今必要なのは休養と考えた咲夜は長居せず、レミリアの部屋をあとにした。
フランドールの大暴れで屋敷の半分がなんらかの被害を受けた。
負傷したメイドは七割を越え、パチュリーを修理に駆り出したり、門番である美鈴を料理係にするほど人手が足りなかった。
だから負傷しているとはいえメイド長である自分が休むわけには行かない。
咲夜は目の前に広がる惨状を、さてどこから片付けたものかと思案に暮れていたところで声をかけられた。
「ねぇ咲夜。」
痛む首を捻り、咲夜は声の主に振り返った。そこにはフランドールが居た。
フランドールは頬を赤くして、しばらく両手を胸の前ですり合わせると、ぺこりと頭を下げた。
「ご…ごめんね咲夜。」
咲夜は首を横に振ると屈み込み、頭を下げたフランドールの顔を見ながら言った。
「私よりも他のメイドに謝ってあげてください。私は大丈夫ですから。」
「うん。」
フランドールはにっこり笑うと廊下を走って行った。
「あ、そうだ。」
フランドールは一度立ち止まると振り向いて咲夜に満面の笑みで言った。
「私、大人になるまでこの館から出なくて良いな。だってここに居ればお姉様や咲夜が
私をとっても大事にしてくれるから。」
フランドールはまた廊下を走った。満面の笑みで自分が壊した姉のお見舞いに行くために。
私はフランドール=スカーレット。
私は外の世界を知らない。この閉鎖された館の中が私の世界。
それが嫌だった時もあった。
思いっきり駄々をこねたこともあった。
でも最近、外の世界に余り魅力を感じなくなった。
だって外の世界は何時か行くことが出来る。
今はこの優しい紅い館だけで私は幸せだ。
図書館から破壊音が聞こえ、パチュリーが持っていた木槌を床に落として急いで図書館に向かった。
しばらくして図書館から聞こえる司書の叫び声と楽しそうな少女の声。
「お、今日はパチュリーが居ないぜ。これは本を借り放題だなアリス。」
「べ…別に私は魔理沙と一緒に居られれば…何にもいらない。」
「もってかないで~」
「げっ!もう来やがったぜ!アリス撤退だ!」
「あ、ちょっと待ってよ魔理沙ー!」
フランドールはその音を聞いてクスクス笑った。
それにこの館には白黒で小さな外の世界がやって来る。
姉をお見舞いするのは後にしよう。この外の世界は颯爽と去って行ってしまう。
フランドールは図書館に進路を変え、埃だらけの部屋に飛び込んだ。
「魔理沙遊ぼ!」
そして始まる弾幕ごっこ。紅魔館の騒々しくも楽しい夜が更けていった。
私は外の世界を知らない。この閉鎖された館の中が私の世界。
それでも私は良かった。
でもそうじゃ無くなった。
私の目の前にやって来て、私と一緒に弾幕ごっこをして
自分もボロボロなのに私に笑顔を向けてくれた人間がいた。
彼女は壊れなかった。箒にまたがって颯爽と去っていった。
初めて外の世界を見た。
ドキドキした。今まで感じたことの無い胸の高鳴りを感じた。
これが私の外の世界への憧れの最初
廊下を歩いていた咲夜は声をかけられ少し緊張をした。
彼女はその緊張を悟られないように笑顔で振り向く。
「どうかなさいましたか?フランドール様。」
咲夜に声をかけた主、フランドールはにっこり笑った。
裏表の無い純粋な笑顔に咲夜の緊張が少し和らぐ。
「咲夜、どうして私は外の世界に出てはダメなの?」
その質問をしながらフランドールは心の中で自分の発言に可笑しさを感じた。
何度も何度も姉に尋ねた。咲夜に尋ねた。美鈴に尋ねた。
そして答えはいつも一つだった。変わらないことも知っている。
知っているのにわざわざ質問する自分の姿に可笑しさを感じたのだ。
咲夜は苦笑いをしながらフランドールと同じ目線になるように屈み、
精一杯フランドールを傷つけないように言葉を選んで答えた。
「フランドール様はまだ力の制御が十分ではありません。
フランドール様の力は強力過ぎます。お嬢様もフランドール様を心配して――」
「解った…」
咲夜の言葉を途中で遮ったフランドールは奥歯をかみ締めて悲しそうに俯いた。
何時も差し出される理解出来ても納得できない答えを聞くたびにフランドールの心は鈍痛を覚える。
それは外の世界への憧れの強さと比例していた。
どうしてこんなに痛いのだろうか。痛さは我慢できない状態まで強くなっていた。
「咲夜」
フランドールはかすれた声で、必死に自分を傷つけないように笑顔でいてくれる咲夜に聞いた。
「私は…本当に心配されているの?」
咲夜はフランドールの頭に優しく手を乗せると優しく頭を撫で、とてもゆっくりした口調で応えた。
「ええ、お嬢様も、私も、この館の皆がフランドール様のことを思っています。」
心配している、思っている、私のため。何度この言葉を聞いただろうか。
そんな言葉を並べるばかりで私の願いをかなえてくれない。
心の痛みはもう我慢できない程ズキズキとフランドールの心を突き刺していた。
「だったら…」
フランドールの言葉に咲夜の背筋が凍った。声自体は変わっていない、だが咲夜の本能が逃走を求めていた。
「証拠見せてよ。私を心配している証拠を見せてよ!」
咲夜が危険を察知して時を止めようとした瞬間、彼女は壁に叩きつけられていた。
自分の体と壁が壊れる音を聞いたと同時に咲夜の背中に激痛が走った。
息も出来ない程の激痛に顔を歪めながらうつむけに倒れた咲夜は、なんとか動く頭を上げ、
俯いたまま立っているフランドールの顔の辺りを見た。
フランドールの表情は咲夜からは見えない。しかし握り締められた両手と震える肩が、
フランドールの悲しみと怒りを如実に表していた。
「フラン…ドール様…。お止め下さい。」
「何が止めろよ。何時もそうじゃない。お姉様も!咲夜も!みんな『止めろ』って。
私に押し付けて、私を縛り付ける!だったら壊してやる…私を縛り付ける全てを壊してやる!」
フランドールの血吐くような叫びに、咲夜は痛みの走る体を奮い立たせて立ち上がった。
咲夜はフランドールの心の痛みを感じていた。
フランドールは両手で頭を抱えバリバリとその髪を掻き毟る。
「壊してやる!まずは咲夜お前からだ!」
フランドールの右手が咲夜の首を狙う、能力を使うどころか立つのがやっとの咲夜にその攻撃を避けることは出来ない。
鈍い音と共に咲夜の体は濁流に流される小枝のように吹き飛び、数回床に跳ねた後、床に倒れた。
フランドールは弱々しく呻く咲夜に走り寄り、仰向けに倒れる彼女の首を両手で掴んだ。
「げぶっ!」
喉が圧縮され、咲夜の口から空気と激痛の呻きが吐き出される。
「壊れろ…私を縛り付ける咲夜なんて壊れろ…」
「がっ――」
フランドールが更に力を込め、咲夜の首をへし折ろうとしたその時
咲夜は苦痛に耐えながらにっこり笑った。フランドールの力が少し抜ける。
理解できなかった、自分を壊そうとする相手にどうして彼女は笑いかけるのか。
咲夜はにっこり笑ったまま両手をゆっくりとフランドールの頬に当て
弱々しく途切れ途切れに、しかしとても優しい声でフランドールに訴えた。
「フランドール様、私のためではなく…フランドール様のために…こんなことは…お止め下さい。
何時かきっと…外の世界に…出ることを…お嬢様がお許しになる日が…未来に待っています。
ですから…その未来を…御自分の手で…壊すことは…お止め下さい…。」
ことり
慈しむ様にフランドールの頬を撫でていた咲夜の手が力を失い頬から滑り落ちた。
フランドールは呆然と咲夜の上に馬乗りになった姿のまましばらく動かなかった。
やっと立ち上がった彼女は、また両手で頭をバリバリと掻き毟った。
解らない。理解できない。そんな感情が彼女を襲った。
何故咲夜は危害を加える自分に笑顔を向けたのだろうか。心配しているからだろうか。
心配しているのに止めろと言う。でも咲夜は私の未来を心配していた。
「うあ…」
フランドールの思考回路が堂々巡りを始め、胃が収縮し吐き気が襲う。
心配しているのに否定する
どうして?解らない。解らない。ワカラナイ!
「ぎゃあああああああああああああああああ!」
吐き気と共にフランドールは正気を口から吐き出した。
天井を見上げた彼女の目は大きく見開かれ、その瞳には狂気が宿る。
次の瞬間彼女の周りの窓という窓が割れ、壁という壁に大きな亀裂が入った。
そして鳴り響く窓や壁が上げる崩壊の悲鳴。その悲鳴に感応するようにフランドールも叫んだ。
理解できない事への悲しみと心の痛みを表現するように叫んだ。
やり場の無い怒りを訴えるように叫んだ。叫び続けた。叫びながら走った。
そしてその両腕を、両足を、歯を、爪を使って眼に映る物全てで破壊の音を奏でた。
ガラスが割れる音。壁が砕ける音。メイドを床に叩き付け、床が砕けメイドの骨が折れる音。食器が割れる音。
その全てが彼女の悲しみと怒りを代弁するかのように大きな音を立てた。
フランドールは壁に爪を立てその腕を振り下ろす。
彼女の頬を流れるはずだった涙の軌跡が十本の爪痕として壁に刻まれた。
フランドールは破壊音と叫びを連れてレミリアの気配がする方向へ狂気を纏って走り続けた。
「随分と騒々しいわね。」
レミリアはテーブルの上にカップを置くと両目を閉じ、聴覚に神経を集中させた。
妹が泣いている。悲しくて泣いているのか、怒りで泣いているのか。
破壊音と叫び声はその両方を訴えていた。
レミリアは紅茶を飲み干すと椅子から立ち上がり、カップとティーサーバーを安全な場所に置いた。
そして自分が使っている物と同じカップを一つ取り出し同じ場所に置くと、再び椅子に座り妹を待った。
破壊の音が近づいてくる。レミリアは少し困ったように微笑を浮かべた。
「泣き虫ね。早くいらっしゃい、慰めてあげる。」
私はなんて幸せな姉だろうか。こうして妹が私に感情を剥き出しで接してくれる。
レミリアは自分が恵まれていると再確認した。
目の前の木製の扉が破裂音と共に木っ端微塵に砕け散り、吹き飛ばされた破片がレミリアの頬を傷つけた。
レミリアは微笑を浮かべたまま、獣のように荒い息を吐くフランドールに問いかけた。
「今日は何の癇癪かしら?フラン。」
冷静な姉の言葉に、フランドールは歯を軋らせ右手で髪の毛を掻き毟りながら叫んだ。
「お姉様。お前も壊してやる。」
レミリアは呆れたように両手を軽く前に差し出した。
「答えになっていないわフラン。今日はどんな癇癪かしら?」
「そうやって私を軽視する。」
「軽視はしてないわ。大事な妹だもの。」
「嘘つき!」
フランドールは目を見開きレミリアに襲い掛かる。
レミリアはふわりと椅子から飛び上がりその攻撃を回避する。
主が居なくなった椅子の背もたれがフランドールの爪によって削り取られた。
壊れた椅子を眺めながらレミリアは溜息を吐き、フランドールを咎めた。
「お気に入りの椅子だったのに。」
フランドールが破壊された椅子の破片を床に捨てる。
「私より椅子の方が大事なの?」
「妹の癇癪の相手と同じくらいにはね。」
「私は椅子と同レベルってこと?」
「あら、貴方は椅子に嫉妬するのね。」
レミリアがクスクスと笑う。しかし彼女は決して嘲笑はしなかった。
自分の妹を慈しむように、可愛い妹の無邪気な行動に笑みをこぼすかのように、
優しい微笑をフランドールに向けた。
「どうして笑うの?」
フランドールの狂気がまた薄れた。フランドールは疑問に思っていた。
どうして危害を加える自分に咲夜もレミリアも笑顔を向けるのだろうか。
その疑問が彼女の狂気を薄めていく。知りたいという心が彼女を正気に戻す。
妹の質問にレミリアは腰に手を当て、もう片方の手で口を押さえ思考する。
「ん~そうねぇ。貴方の我侭は見てて微笑ましいからかしら?」
「私がこんなに真剣に言っているのに、お姉様はそうやって茶化すのね。」
自分が軽視されたとフランドールは思った。その悲しさがフランドールの心を狂気に染める。
「お姉様はそうやって私をずっとここに閉じ込めるつもりなんでしょ?」
「今のままじゃ永久にこの館でお留守番かしら?大人になりなさいフラン。」
「うるさい!」
フランドールの拳がレミリアの顔面に叩き込まれる。しかしレミリアはその拳を受けて微動だにしなかった。
彼女はフランドールの腕を右手で掴むと口の端を吊り上げて笑った。
「そうやって感情的に力を使う事が子供だっていうの。今の貴方が外に出たら自分の未来を壊してしまうわ。
姉として妹の未来を守る義務が私にはあるの。」
レミリアは掴んだ腕を振り下ろし、フランドールを壁に投げつけた。
フランドールは壁に衝突する瞬間体を反転させ、壁に足から着地した。
レミリアはフランドールの殺意の篭った視線を正面から受け、両腕を組んだ。
妹の一撃は痛かった。口の端から細く血が流れる。だが恐らくフランドールの心はもっと痛い。
理解できないことを強要され、無理やり理解させられる。妹の幼い心が耐えられるはずがない。
外に出たいという小さな願いを叶えられない妹のなんと不幸なことだろうか。
だから私が彼女の理解できない悲しみを、やり場の無い怒りを、混乱を、戸惑いを全て受け止めなければならない。
私はレミリア=スカーレットだから。私はフランドール=スカーレットの姉だから。
「フラン、貴方が私を壊したいなら壊しなさい。何度だろうが壊されてあげるわ。その代わり学びなさい。
自分の力の恐ろしさを、制御できない自分の力が自分自身を壊してしまうことを。
さぁ今日は好きなだけ相手をしてあげるわ。来なさいフラン。」
フランドールは姉の言葉を少しだけ理解した。さっき壊した椅子もメイドもガラス窓も、
私が壊した全ては私の身代わりに壊れてくれたのだ。だから私は壊れない。
気絶する寸前咲夜は言っていた。「私の未来のためにこんなことは止めろ」と。
みんな自分のことを本当に心配してくれていることをフランドールは理解した。
フランドールは泣いた。両手を覆ってその場にへたり込んだ。
心が流した涙を癒すように、フランドールはうれし涙を流した。
理解出来たたことがうれしかった。自分が本当に大事にされていることがうれしかった。
「酷いよお姉様。そんなこと言われたら私お姉様を壊せない。何も壊せない…。」
レミリアはフランドールに歩み寄り、そっとその頭を撫でた。
そして部屋の一角に避難させていたティーセットを取り出し、テーブルに置いた。
「ほらフラン。あれだけ叫んで暴れれば喉が渇いたでしょ。」
フランドールは大人しく椅子に座ると、レミリアに差し出された紅茶を一気に飲み干した。
その姿にレミリアは苦笑した。
「相当喉が渇いていたのね。ねぇフラン。」
レミリアは椅子に座るフランドールを背中から抱きしめた。フランドールはもどかしさを感じながらも
姉の暖かな感触を感じ、安心感を覚えた。
「決して焦らないで。貴方が大人になるまで私は幾らでも身代わりに壊されてあげるわ。
何時か二人で夜空を飛ぶ未来を私はとっても楽しみにしているの。」
「うん。」
フランドールは大人しく頷いた。レミリアはにっこり笑うとフランドールから離れ、廊下に向かった。
そして妹から自分が見えなくなるまで歩いたレミリアは膝から崩れ落ち、意識を失った。
フランドールの拳は強力すぎた。意識を失う瞬間レミリアは思った。
願わくば、この力が妹に一度も向けられないように。
屋敷中から修理をする音が聞こえる。
咲夜はまだ痛む首をコキコキ鳴らしながらレミリアの部屋にゼリーを持って行った。
「失礼しますお嬢様。」
ノックをして声をかけたが返事は無い。咲夜は気にせず扉を開け中に入った。
「お嬢様。ゼリーを持ってきましたが食べられますか?」
ベッドの上でレミリアは妹に殴られた傷に呻いていた。
「う~痛いよ~痛いよ~。咲夜~。」
咲夜はゼリーを置くと、呆れた表情を浮かべた。
「全く…格好つけ過ぎですよお嬢様。ゼリーはここに置いておきますから食べられるようでしたら召し上がってください。」
主に今必要なのは休養と考えた咲夜は長居せず、レミリアの部屋をあとにした。
フランドールの大暴れで屋敷の半分がなんらかの被害を受けた。
負傷したメイドは七割を越え、パチュリーを修理に駆り出したり、門番である美鈴を料理係にするほど人手が足りなかった。
だから負傷しているとはいえメイド長である自分が休むわけには行かない。
咲夜は目の前に広がる惨状を、さてどこから片付けたものかと思案に暮れていたところで声をかけられた。
「ねぇ咲夜。」
痛む首を捻り、咲夜は声の主に振り返った。そこにはフランドールが居た。
フランドールは頬を赤くして、しばらく両手を胸の前ですり合わせると、ぺこりと頭を下げた。
「ご…ごめんね咲夜。」
咲夜は首を横に振ると屈み込み、頭を下げたフランドールの顔を見ながら言った。
「私よりも他のメイドに謝ってあげてください。私は大丈夫ですから。」
「うん。」
フランドールはにっこり笑うと廊下を走って行った。
「あ、そうだ。」
フランドールは一度立ち止まると振り向いて咲夜に満面の笑みで言った。
「私、大人になるまでこの館から出なくて良いな。だってここに居ればお姉様や咲夜が
私をとっても大事にしてくれるから。」
フランドールはまた廊下を走った。満面の笑みで自分が壊した姉のお見舞いに行くために。
私はフランドール=スカーレット。
私は外の世界を知らない。この閉鎖された館の中が私の世界。
それが嫌だった時もあった。
思いっきり駄々をこねたこともあった。
でも最近、外の世界に余り魅力を感じなくなった。
だって外の世界は何時か行くことが出来る。
今はこの優しい紅い館だけで私は幸せだ。
図書館から破壊音が聞こえ、パチュリーが持っていた木槌を床に落として急いで図書館に向かった。
しばらくして図書館から聞こえる司書の叫び声と楽しそうな少女の声。
「お、今日はパチュリーが居ないぜ。これは本を借り放題だなアリス。」
「べ…別に私は魔理沙と一緒に居られれば…何にもいらない。」
「もってかないで~」
「げっ!もう来やがったぜ!アリス撤退だ!」
「あ、ちょっと待ってよ魔理沙ー!」
フランドールはその音を聞いてクスクス笑った。
それにこの館には白黒で小さな外の世界がやって来る。
姉をお見舞いするのは後にしよう。この外の世界は颯爽と去って行ってしまう。
フランドールは図書館に進路を変え、埃だらけの部屋に飛び込んだ。
「魔理沙遊ぼ!」
そして始まる弾幕ごっこ。紅魔館の騒々しくも楽しい夜が更けていった。
でもアリス&パチュリーがちょっとネタに行き過ぎたというか……
いや、面白かったんですよ?でもあそこだけが引っかかってしまって……
このお話を思いついたという後書きに笑ってしまいました。
フランの幼さと気が触れているという点を
上手く描かれていると思います。
それにしても、フランの攻撃を受けてなお仕事をこなせる
咲夜さん、丈夫だ・・・流石(?)戦うメイド長。
個人的には最後だけの登場ではなくて
美鈴もフランに関わっても良いかなぁと思いました。
それにしても、咲夜さん頑丈だなぁ。
描写を見てると普通に死にそうな気がするのに
流石瀟洒だぜ!
特に愛情なんてものは……
瀟洒な咲夜さんと妹の前では頑張るレミリアに拍手を。
誤字と思われるものを
>気雑する寸前
気絶する寸前
早速修正させていただきました。
>レミリアはにっこり笑うと廊下を走って行った。
レミリアでは無くフランでは?
上記の誤記を修正しました。
指摘していただきましてありがとうございます。