「紫様~、そろそろお目覚めになって下さ・・あれ?」
ある朝、私が起こしに行くと紫様の布団は蛻の殻だった。一体何処へ行かれたのだろう。
「紫様~?いらっしゃいませんかー?」
橙を起こさぬよう気を配りつつ、紫様を捜索する。と、その時私の鼻が微かに漂う味噌の香りを嗅ぎつけた。
一体何だろうと台所へ向かってみると―
「ゆっ、紫様!?何をなさっているんですか!?」
「あら、おはよう藍。見ての通りよ。どう?似合うかしら。」
そこには割烹着姿の紫様が。さきほどの香りは味噌汁を作っていたからのようだ。
―信じられない。
第一の感想がそれだった。私の立場から見てもぐーたら寝ぼすけ職務怠慢、
おまけに時々傍若無人なあの紫様が朝、それも私より早く起きて炊事をこなしているだなんて誰が信じられようか!
だから、私の第一声が「熱でもあるんですか?」であったのもまた、仕方ないのだ。
「くぅ~・・おたまで叩くこと無いじゃないですかぁ。かなーり痛いんですよ、アレ。」
未だにぷくっと腫れている額を擦りながら、私は朝食の席でぼやいた。
料理が美味だっただけに、痛みに顔を顰める事無く味わいたかったのに・・。
橙はというと今回ばかりは藍様が悪いですよ、と苦笑している。
もっとも、橙にしても紫様の行動に驚いたという点では私と同意見だったようだ。
そして当の紫様は私の瘤など意に介する風もなく他人事のように笑っている。
「まぁ、たまには暇つぶしにこういうのも良いものだと思ったのよ。
折角だから、今日一日ここの事は私に任せて橙と二人で羽を伸ばしてきなさい。」
・・・今、紫様は何と言った?今日一日自分に(家事を)任せて橙と出掛けてきたらどうかと、そう仰ったのか?
「紫様。」
「何?」
「やはりお熱を・・」
「藍、上。」
「へ?」
ゴーン。
スキマから降ってきた金ダライが私の額の瘤に直撃。
・・・痛ったぁぁぁぁぁ!!!!
痛みの余り悲鳴も上がらない。
涙目になりながらひたすらにうずくまって額を押さえ、歯を食いしばってみるが、やっぱり痛いものは痛い。
「ほらほら、悶えてる暇があるならさっさと行ってらっしゃい。」
私の様子を眺めてニコニコしている鬼畜トシマスキマ妖怪の力で、私と橙は半ば強制的に八雲邸から放り出された。
外に出た私達に続いて開いたスキマから氷嚢が私の額に落ちてきたのはせめてもの優しさなのか、あるいは只の嗜虐か。
中に入っている氷の角が、狙い違わず私の瘤に再びぶつかった。
「・・・はぁ。」
唐突に追い払われて行く当てもない私はため息をつきながら橙と二人、並んで項垂れる。
念のために言っておくが、捨てられたとかそういう話ではない。決して。・・・多分。・・・・そうですよね?紫様。
それ以上を考えると不安でたまらないので、何か話題を探した。因みに額の瘤はまた一つ増えた。
「それにしても一体どういう風の吹きまわしなのやら・・困った方だ。」
「そうですか?私は紫様のお考えあっての事だと思いますよ?」
そう思えるお前は気楽でいいなぁ、と橙が羨ましく思えてきた。
「橙、お前は紫様の何処を見てそう言っているのかは私には理解できないよ。
人のタンコブの上に金ダライやら氷を落とすわ気まぐれで家事をやり始めるわ・・
何処をどう見てもやりたい放題自由奔放じゃないか。むしろ、意図して行動されるケースが圧倒的に少ない気がするぞ。」
おまけに、いじめられる・・いや、絡まれるのは大抵私だし。
「あはは・・確かに気まぐれではあるかも知れませんね。今年の春には植物採集に凝ってましたっけ?」
「あぁ・・そういえばそんな事もあったな。
無駄に同じ種類の花が多かったのは気のせいだったか・・?その次はもっと意味の分からない事にカイコを飼い始めた記憶がある。」
「藍様の首筋に幼虫を乗っけたりして遊んでましたねぇ。」
橙が妖しく笑う。その目にどこか獣の気を感じたのは気のせいだろうか・・。
「・・・それは言わないでくれ・・。」
「えぇ~?あの時の藍様は凄く可愛らしかったですよ?きゃぁぁぁ!!とか叫んでましたし。」
やけに嬉しそうな橙。そういえば橙も便乗して両手にカイコで私を追い掛け回していたんだった・・正直、泣きたくなった。
悪戯している側はそれでいいだろう。だがやられる側にしてみれば・・
「アレだけは本当に勘弁だ・・。」
思い出しただけでも身震いしてしまう。人の寝ている所へ、いきなり首にうねうねした虫をくっつけるのだからたまったもんじゃない。
あれ以来私は長くてうねうねしたモノがトラウマになってしまっている。
っていうか紫様、私で遊ぶあれだけの為にカイコを飼っていたんですかアナタは。
「繭になってから突然消えてしまいましたねぇ。」
「結局行方不明のままだったしなぁ。もっとも紫様の気まぐれは今に始まった事じゃないし、今更驚きもしないが・・。」
「刺繍とか編み物に凝り始めたのはその後でしたっけ?」
「あぁ、ついこの間の話だな。突然裁縫に目覚めたかのように一心不乱に取り組まれていたな・・。」
そう。紫様はこれほどにまで気まぐれ且つ行動の意図が全く見出せない方なのだ。
紫様の式たる私でこうなのだから、周りの連中にしてみれば・・例え幽々子様でも紫様の考えを読むのは至難の業だろう。
それこそ雲を掴むようなものだ。
「それで今度は家事、と。紫様が少し変なのは昔からだが、変なものでも食べたんだろうか・・。」
「考えすぎですよ藍様。それよりも折角お休みを頂いたんですから、どこかへ遊びに行きましょう。」
「そうだな、たまにはいいかもしれない。」
紫様が何を思ってあんなことを言い出したにしろ、折角の好意を無下にすることもあるまい。
ありがたく今日一日の暇を満喫させて頂くことにしよう。私は橙の手をとって歩き出した。
心なしか橙が上機嫌に見えるのは何故だろうか?道中、そんなことを考えていた。
「・・・で、暇だからってなんであんたたちまでウチに来るのよ。」
到着先は博麗神社。相変わらず参拝客はいない上に、今日に限って霊夢の機嫌はあまりよろしくないらしい。
「今日はゆっくりお茶でも飲んで過ごそうと思ってたのに・・。」
「こちらも突然押しかけたのはすまないと思っている。お詫びと言っては何だが、これを。」
そう言って、寄り道して買った団子を差し出した。霊夢はふぅ、と息を吐くと
「まぁ・・折角持ってきてくれたわけだし、追い返すのも悪いから上がってって。」
と私達を居間へ通してくれた。
「よぅ。」
こちらに気付いて手を振る黒いの。
「お邪魔するよ。」
「お邪魔しまーす。」
成る程、ゆっくり過ごそうと思っていた所へ魔理沙が押しかけてきたということか。
どうやら虫の居所が悪いのは私達のせいだけではなかったようで一安心だ。
世間話もそこそこに、霊夢が茶と団子を運んできたその途端。
「おっ、茶請けに団子とは気が利くじゃないか霊夢!」
目敏くそれを見つけた魔理沙が待ってました、とばかりに霊夢の持つ盆に手を伸ばす。
げしっ。
それを蹴飛ばし踏みつける霊夢。
「あんたの為に持ってきたんじゃないわよ。折角紫の式神が持ってきてくれたんだから無粋な真似しないの。」
「ぐ・・分かったからその足をどけてくれよ。胸が潰れるぜ・・。」
「元々そう無い胸でしょーに。」
「さらしなんか巻いてるお前に言われたくないぜ。」
「なんですってー!?」
「痛てっ!お、おい霊夢、冗談だって私はマゾヒストじゃな・・・痛っ!」
よせばいいのに、自分から霊夢の逆鱗に触れた魔理沙はこれでもかこれでもかと踏みつけられて呻く。
喧嘩するほど仲が良いとはいうが、こうして見ているとこの二人は本当に仲が良いのだな。ある意味羨ましいぞ。
談笑するうちに茶を飲み終えると、魔理沙が立ち上がった。
「よし、腹も膨れたし運動がてら弾幕ごっこでもしようぜ。」
「やらないわよ馬鹿魔理沙!」
霊夢が立腹するのも当然だ。神社でドンパチをやるつもりなのかこの黒いのは。
私が半ば呆れかえっていると、ふと橙に袖を引かれた。
「あの・・藍様、不謹慎ですけどその・・ちょっとだけ遊びたいなぁ~なんて・・や、やっぱりダメですよね?」
上目遣いで私に許可を請う橙。
嗚呼、その視線は私を悩殺するのに十分過ぎる威力があるぞ橙っ!
落ち着け、落ち着くんだ藍。深呼吸して橙の頭に手をのせ、弾幕ごっこは神社ですべきではない。
と言う・・はずだった。
だが、私が普段忙しいせいもあってなかなか橙と遊んでやれない。
嗚呼しかし・・神社でそういったことをするのは・・
葛藤の末に私が出した結論は。
「ほどほどにするんだぞ。」
「はい!」
「よーし決まりだ!とことん遊んでやるぜ橙!」
「こらーっ!!」
うっすらと月の輝く秋の夕暮れを橙と並んで歩く。満月は過ぎているが、十六夜や立待月の方が
私は落ち着けるし、何となく好きだ。この世には不完全だからこそ綺麗だと思えるものもある。
結局あの後、(主に魔理沙の)弾幕のせいでいくつもクレーターの開いた境内やら、
消し炭になった神社の一部やらの片付けを手伝おうかと申し出たものの、
「もういいから、帰ってちょうだい・・。」
と力無く断られてしまった。他にもマスタースパークで首の吹き飛んだ狛犬や半壊した屋根瓦等、
その修理費を考えれば霊夢は本当に、一ヶ月どころか半年以上の自給自足・狩猟生活を営まなければならないだろう。
もちろん破壊した張本人・魔理沙は霊夢がとっ捕まえて鳥居に縛り付けられたものの、
まるで悪びれた様子はなかった。まぁ、あの二人なら何だかんだでどうにかできるだろうが・・
どちらにしても霊夢には悪い事をしてしまったな・・今度の訪問の時に何かお詫びの品でも持って行こう。
「藍様、そういえば紫様は大丈夫でしょうか・・。」
「ん?それは心配無いだろう。ああ見えて一時は私の面倒も見て下さった方だし、
紫様の料理の腕前はお前も今朝知っただろう?それより、今日は楽しめたか?」
「はい!とっても楽しかったですよ。藍様もお戯れになれば良かったのに・・。」
「ふふ、私はお前が楽しければそれを眺めているだけで満足だよ。さぁ、もう日暮れだ。遅くならないうちに急ぐとしよう。」
「そうですね、帰りましょう。」
結局橙には甘い、と突っ込まれても文句は言えないが一応言っておこう。
神社のモノを壊したのは魔理沙の弾幕だ。決して橙ではない。断じて違うぞ。
それに橙ならまだいいが、私がそんなことをしたと紫様の耳に入ろうものなら半殺しでは済まないだろう・・想像するのも恐ろしい。
こうしていつも通り・・とは言えないがそれでも日常が過ぎて行くはずだった。のだが。
「紫様ー、ただいま戻りましたー。」
「あぁ、お帰り藍。こっちよー。」
玄関の戸を開けると、どこからともなく紫様の声。
あの、こっちよーと言われましても貴女の御声がどこから響いているのか分からないのですが。
仕方なく虱潰しに部屋を探そうとすると、突然橙が私の手を引っ張る。
「こっちですよ、藍様。」
満面の笑みで私を先導する橙。されるがままについて行くと、障子の向こう側に紫様の気配。
この先は確か、来客用の部屋だった筈なのだが・・。
「さぁどうぞ。」
「あ、あぁ・・」
橙に押されて障子を開け、部屋の中へ入ると。
パァーン!!
「うわぁっ!?」
いきなりけたたましい音が耳を劈き、私は思わず尻餅をついてしまった。
「「「「誕生日おめでとう~!」」」」
「・・え?へ?」
目の前に、紫様とそして幽々子様、更には妖夢が。各々が手に爆竹のような妙な筒を持ち、そこから煙が燻っている。
これは一体何事か?今日は橙の誕生日ではないはずなのだが・・。
あれこれ考えあぐねていると、
「あら、忘れたの?今日はあなたの誕生日じゃないの、藍。正確にはあなたが私の式になった日、だけど。」
「お誕生日おめでとうございます、藍様っ!」
可笑しそうに口元を扇子で隠す紫様。そして後ろから飛びつく橙。
今日は・・私の、誕生日?そうか・・そういうことだったのか。はは・・ははは・・・
茫然としていた私に、妖夢がすっと細長い包みを差し出した。
「藍さん、お誕生日のプレゼントです。
急なお話だったのでこんなものになってしまいましたが、来年はもっとちゃんとしたものを用意しますね。」
「あぁ、ありがとう。」
何だろうと思って開けてみると、中身は「百年の孤独」という銘柄の酒。
妖夢曰く、外界某所の焼酎らしい。
「あーっ、妖夢ずるい!私の分はー!?」
「ずるいって何ですか。幽々子様に見つかると飲まれてしまいますから、一本しか無かったので私が肌身離さず管理していたんです。」
「どこっ、どこに売ってたのよぅ。」
幽々子様が獣の目で妖夢の肩を揺さぶる。いや、あれは単なるアル中の目だろうか。どちらにせよ涎が垂れてます、幽々子様。
「お、落ち着いてください幽々子様。香霖堂でまた仕入れる予定だそうですから。今回は我慢して下さい。」
圧し掛かられてやっとのことで幽々子様を引き剥がしながら妖夢がなだめた。妖夢も苦労しているんだな・・。
「ちぇー。ま、いいわ。はい藍、私からはこれよ。」
「どうもありがとうございます。」
幽々子様が下さったのは扇子。貼られた和紙には表に白玉楼の、裏には八雲邸の見事な風景画が描かれている。
「これ、幽々子様が絵をお描きになったんですよ。人は見かけに寄りませんよねぇ。」
「あ、それどういう意味よ妖夢~。」
「どうもこうも、そのままの意味です。」
本当にこの二人は主従関係にあるのかと思えてくる程に気さくだ。
私は苦笑しながら、お礼に今度の博麗神社の宴会の時に妖夢に貰った焼酎を持参しようと考えた。
独りで飲むより、皆で楽しんだほうが旨いに決まっている。
「次は私ですね。藍様・・うまくできてるか分かりませんけど、受け取って下さい!」
「ありがとう、橙。」
橙に貰ったのは水晶で造られた鈴だった。しかもよく見ると細かい文字列が刻んである。
「橙、何か刻んであるようだがこれは一体・・?」
手にとってみると、何やら温かい力を感じる。どうやら何かしら特別な効果があるようだ。
「それ、藍様の式を強化する術式なんです。紫様に教わりながら彫ったんですけど、うまく彫れてるかどうか・・。」
普段使ったことも無いような道具で苦心して彫ったのであろう、橙の様子が目に浮かぶようだった。
嗚呼、橙にこんな素晴らしいプレゼントが貰えるなんて、私は今死んだって構わないぞっ。
「・・いやいや、とてもよく出来ているよ。ありがとう。」
妄想の飛躍をどうにか理性で抑え付け、重ねて礼を言う。
「そうですか?えへへ・・。」
「良かったわねぇ、橙。」
「いえ、紫様のお陰です。ありがとうございます。」
ペコッと頭を下げる橙。紫様も隅に置けない方だ、とつくづく思う。
「さて藍。」
「はい。」
「次は、私から。」
「え!?」
今のが、橙と紫様からのプレゼントではなかったのか。
「ふふふ、今のは橙のプレゼントよ。私からは別のもの。」
別のもの・・とは一体何だろう。まさか今朝の金ダライじゃないだろうな、
と我ながら実にくだらない事を考えていると、紫様はいきなり私の肩を掴んで真顔で言う。
「藍。」
「は、はい。」
「目、瞑って。」
・・・待った。目を、瞑れと?そう、仰ったのかこのお方は。嗚呼、人前でなんと破廉恥な――
・・などと言っている場合では無い!
「駄目です紫様!いくらなんでも主人と式がそのような関係を・・」
と、とにかく何としても紫様を説得しなくては。間違った道に走る前に!
「藍、目を瞑りなさい。」
「・・・はい。」
蛇に睨まれた蛙とはこのことか。情けない事に私は紫様の威圧の声で沈黙の内に服従せざるを得なかった。
嗚呼、こんな私を見ないでくれ橙。お前に軽蔑されたりしたらもう私は――
しかし、私が想像していた展開はいつまで経っても訪れなかった。代わりに、手にそっと何かが置かれたのを感じた。
「目、開けていいわよ。」
言われるままに目を開いてみると、私の手の上には両手に収まるくらいの軽い箱。
丁寧にリボンで包装してあって、中身は分からない。呆気に取られていると
「あら、何か変な事でも想像してたのかしら?」
ニヤニヤしている紫様。私をからかうつもりであんな台詞を言ったのだと悟ると、途端に釣られた自分が恥ずかしくなった。
いや、あの流れはどう考えてもあぁなるしか・・!それとも私の思考回路はおかしいのだろうか・・。
「なっ、何でもありません!ありがとうございます、紫様。」
気を取り直して早速開けて見ようとすると、
「ちょい待ち、そんなのは後でいいのよ。それよりもほら、折角作った料理が冷めちゃ台無しでしょ?」
渡した張本人がそんな事を言っている。明らかに不審な点が多いが、私の意識はそれよりも・・
「こっ、これ全部紫様がお作りになったんですか!?」
目の前の食卓に並べられた品々を見て、正直恐れ入った。
きつね蕎麦に豚汁、おでん、厚揚げ豆腐にいなり寿司等等、豪華絢爛油揚げオンパレード料理の数々。
本気を出した(?)紫様はここまで凄かったのかと思うと、普段とのギャップがギャップだけに俄には信じられなかった。
いや、もしかしたらこれでも朝飯前なのかもしれない。同時に、私の好物を覚えていて下さった紫様の心尽しに心が震えた。
「紫様・・・私の為に・・」
「ほらほら、今宵は無礼講!藍も早く座りなさい。」
「そうそう、お腹空いたわよぅ~藍。」
と幽々子様。
「はい!只今。」
私の為に自ら準備をして下さった紫様を始めとする皆の好意に応える為にも、私はこの宴を精一杯楽しむべきなのだ。
席に着き、橙に酌をしてもらう。紫様が杯を高く掲げ、高らかに叫んだ。
「それじゃ、かんぱーい!!」
「「「「かんぱーい!!」」」」
それから後の事はあまりよく覚えていない。うっすら覚えているのは、何故急に自分の誕生祝賀をしたのかという問いに対する、
「橙の事は祝ってあげた事があったけど、藍を祝ってあげた事ってなかったのよね。
だからまぁ、ちょっとした思いつきよ。幽々子達を呼んだのはまぁ・・長い付き合いだし、大勢で祝ったほうが楽しいでしょ?」
という、単なる気まぐれなのか照れ隠しなのか分からないような、頬に赤みの差した紫様の返答。
その後はもう、すっかり出来上がった主二人に無理やり飲まされて早々に潰れてしまった。
あぁ、そういえば一つだけ、酩酊した頭でもはっきり覚えている事がある。
あの時の紫様の手料理は私が今までに食べたどんな料理よりも温かくて美味だったことだけは言っておかなければ。
泥酔してそのまま机に突っ伏し、熟睡してしまった私が差し込んだ朝日と野鳥の声で目を覚ますと、
紫様が何処からか持ってきた柱時計の時刻は既に午前10時を回っていた。
うぅ・・・起きたくない・・が・・私が起きなくてどうするんだ・・・。
ガンガンに痛い頭をのそりと起こしてみると、同様に空になった皿を囲み、机に突っ伏して寝息を立てている橙と紫様。
どういうわけか紫様の周りだけ杯盤狼籍、しかも本人は下着一枚という風体だ。
幽々子様はどうやら(恐らく妖夢が引きずって)お帰りになられたようだ。流石にこの時間まで寝ているとなると
普段の私ならとっくに起こしている所だが、今回ばかりは流石に起こす気になれなかった。
・・とはいえ、やっぱりぐーたらに戻ってしまうんですね紫様~・・・。
我が主人ながらこの体たらくに泣けてきた・・が、紫様の寝顔を眺めるうちにふと思い出す。
この方は私などよりも遥かに永い時を生きてこられた分、身体を維持するのに長時間睡眠が必要不可欠なのだという事を。
「全く・・・仕方ありませんね。」
酔っ払ったからって服まで脱ぎ出さないで下さい、紫様。
寝ている二人に毛布を掛けると、恐らくは幽々子様の芸当であろう、綺麗に平らげられた皿を両手に流し台へ向かった。
結局、昼下がりまで紫様と橙は爆睡しており、二日酔いも多少マシになったので
夕飯の材料を買いに出掛けようとした際に、二人揃って起きてきた。
「お加減はいかがです、紫様?」
「ん~眠いわ~・・頭がガンガンする・・。」
「それは単なる飲みすぎですよ。もっと飲まれる量を考えていただかないと。」
そう言う私も飲みすぎ・・いや、飲まされすぎで頭痛が酷い。
「何言ってんの藍、酒は百薬の長って言うじゃない。」
「薬より養生です!」
紫様の言葉をピシャッと撥ね付ける。この方は放っておくと理不尽な屁理屈をいくらでも並べだすからな。
「とにかく、私は買い物に行ってきますから散らかさないで下さいね。」
「はいはい・・。」
「それじゃ、行ってきます。」
「いてらはーい・・ふぁ・・。」
「行ってらっしゃいませ藍様~。」
玄関を出て、ふと買い物袋に軽い重みを感じ取って手を差し入れてみた。
「・・紫様の仕業か・・?」
中から出てきたのは紫様の下さったプレゼント。
結局昨日は中身を見られず終いで、買い物から戻ったら開けてみようと思っていた所だった。
これも何かの因縁かとその場で包装を解いて箱を開けて見る。すると―
「スカーフ・・?」
入っていたのは藍色をした絹のスカーフと紫様が書いたと思われる手紙。
広げて見ると、その文面はごくシンプルでありながら達筆だった。
『貴女の生誕と日頃への感謝を込めて。八雲紫』
「・・ありがとうございます。」
手紙というにはあまりに短いかもしれないが、丁寧に畳んで懐に仕舞い、八雲邸の敷居を跨いだ。
秋風にスカーフがはためき、私の首を撫でる。少しくすぐったいが、何だか心地良い。
目を閉じれば陽の明るさ、暖かさが瞼越しに感じられ、昨日の博麗神社からの帰り道が思い出される。
「藍色・・絹・・刺繍・・ふふっ・・・何が「ちょっとした思いつき」ですか。計りましたね?紫様・・・ぐすっ・・。」
あまりの用意周到さに呆れてしまう。思えば今春から続いていたの紫様の「気まぐれ」は全て、この為だったのだから。
春に紫様が集められていた植物とは、藍。カイコから採れるものは絹。ここにきて、ようやく繋がった。
「ふぅ・・今日の夕飯は腕によりを掛けて作らなければな・・。」
風の巻き上げる砂塵のせいか、或いは・・。
視界を袖で拭うが、どうにも視界にかかった霞は晴れてくれるつもりは無いらしい。
このままでは歩くことも儘ならないので、今宵の献立は何にしようかと、立ち止まってそんなことを考えていた。
突風が吹き抜けて藍の尻尾を撫でる。そして今度は徒にスカーフを翻してゆく。
藍は気付いていたのか、否か。その端に施された刺繍は、主の想いを込めた異国の言葉を綴っていた。
「Dear Ran, Thanks for your birth. from Yukari」
Fin.
ある朝、私が起こしに行くと紫様の布団は蛻の殻だった。一体何処へ行かれたのだろう。
「紫様~?いらっしゃいませんかー?」
橙を起こさぬよう気を配りつつ、紫様を捜索する。と、その時私の鼻が微かに漂う味噌の香りを嗅ぎつけた。
一体何だろうと台所へ向かってみると―
「ゆっ、紫様!?何をなさっているんですか!?」
「あら、おはよう藍。見ての通りよ。どう?似合うかしら。」
そこには割烹着姿の紫様が。さきほどの香りは味噌汁を作っていたからのようだ。
―信じられない。
第一の感想がそれだった。私の立場から見てもぐーたら寝ぼすけ職務怠慢、
おまけに時々傍若無人なあの紫様が朝、それも私より早く起きて炊事をこなしているだなんて誰が信じられようか!
だから、私の第一声が「熱でもあるんですか?」であったのもまた、仕方ないのだ。
「くぅ~・・おたまで叩くこと無いじゃないですかぁ。かなーり痛いんですよ、アレ。」
未だにぷくっと腫れている額を擦りながら、私は朝食の席でぼやいた。
料理が美味だっただけに、痛みに顔を顰める事無く味わいたかったのに・・。
橙はというと今回ばかりは藍様が悪いですよ、と苦笑している。
もっとも、橙にしても紫様の行動に驚いたという点では私と同意見だったようだ。
そして当の紫様は私の瘤など意に介する風もなく他人事のように笑っている。
「まぁ、たまには暇つぶしにこういうのも良いものだと思ったのよ。
折角だから、今日一日ここの事は私に任せて橙と二人で羽を伸ばしてきなさい。」
・・・今、紫様は何と言った?今日一日自分に(家事を)任せて橙と出掛けてきたらどうかと、そう仰ったのか?
「紫様。」
「何?」
「やはりお熱を・・」
「藍、上。」
「へ?」
ゴーン。
スキマから降ってきた金ダライが私の額の瘤に直撃。
・・・痛ったぁぁぁぁぁ!!!!
痛みの余り悲鳴も上がらない。
涙目になりながらひたすらにうずくまって額を押さえ、歯を食いしばってみるが、やっぱり痛いものは痛い。
「ほらほら、悶えてる暇があるならさっさと行ってらっしゃい。」
私の様子を眺めてニコニコしている鬼畜トシマスキマ妖怪の力で、私と橙は半ば強制的に八雲邸から放り出された。
外に出た私達に続いて開いたスキマから氷嚢が私の額に落ちてきたのはせめてもの優しさなのか、あるいは只の嗜虐か。
中に入っている氷の角が、狙い違わず私の瘤に再びぶつかった。
「・・・はぁ。」
唐突に追い払われて行く当てもない私はため息をつきながら橙と二人、並んで項垂れる。
念のために言っておくが、捨てられたとかそういう話ではない。決して。・・・多分。・・・・そうですよね?紫様。
それ以上を考えると不安でたまらないので、何か話題を探した。因みに額の瘤はまた一つ増えた。
「それにしても一体どういう風の吹きまわしなのやら・・困った方だ。」
「そうですか?私は紫様のお考えあっての事だと思いますよ?」
そう思えるお前は気楽でいいなぁ、と橙が羨ましく思えてきた。
「橙、お前は紫様の何処を見てそう言っているのかは私には理解できないよ。
人のタンコブの上に金ダライやら氷を落とすわ気まぐれで家事をやり始めるわ・・
何処をどう見てもやりたい放題自由奔放じゃないか。むしろ、意図して行動されるケースが圧倒的に少ない気がするぞ。」
おまけに、いじめられる・・いや、絡まれるのは大抵私だし。
「あはは・・確かに気まぐれではあるかも知れませんね。今年の春には植物採集に凝ってましたっけ?」
「あぁ・・そういえばそんな事もあったな。
無駄に同じ種類の花が多かったのは気のせいだったか・・?その次はもっと意味の分からない事にカイコを飼い始めた記憶がある。」
「藍様の首筋に幼虫を乗っけたりして遊んでましたねぇ。」
橙が妖しく笑う。その目にどこか獣の気を感じたのは気のせいだろうか・・。
「・・・それは言わないでくれ・・。」
「えぇ~?あの時の藍様は凄く可愛らしかったですよ?きゃぁぁぁ!!とか叫んでましたし。」
やけに嬉しそうな橙。そういえば橙も便乗して両手にカイコで私を追い掛け回していたんだった・・正直、泣きたくなった。
悪戯している側はそれでいいだろう。だがやられる側にしてみれば・・
「アレだけは本当に勘弁だ・・。」
思い出しただけでも身震いしてしまう。人の寝ている所へ、いきなり首にうねうねした虫をくっつけるのだからたまったもんじゃない。
あれ以来私は長くてうねうねしたモノがトラウマになってしまっている。
っていうか紫様、私で遊ぶあれだけの為にカイコを飼っていたんですかアナタは。
「繭になってから突然消えてしまいましたねぇ。」
「結局行方不明のままだったしなぁ。もっとも紫様の気まぐれは今に始まった事じゃないし、今更驚きもしないが・・。」
「刺繍とか編み物に凝り始めたのはその後でしたっけ?」
「あぁ、ついこの間の話だな。突然裁縫に目覚めたかのように一心不乱に取り組まれていたな・・。」
そう。紫様はこれほどにまで気まぐれ且つ行動の意図が全く見出せない方なのだ。
紫様の式たる私でこうなのだから、周りの連中にしてみれば・・例え幽々子様でも紫様の考えを読むのは至難の業だろう。
それこそ雲を掴むようなものだ。
「それで今度は家事、と。紫様が少し変なのは昔からだが、変なものでも食べたんだろうか・・。」
「考えすぎですよ藍様。それよりも折角お休みを頂いたんですから、どこかへ遊びに行きましょう。」
「そうだな、たまにはいいかもしれない。」
紫様が何を思ってあんなことを言い出したにしろ、折角の好意を無下にすることもあるまい。
ありがたく今日一日の暇を満喫させて頂くことにしよう。私は橙の手をとって歩き出した。
心なしか橙が上機嫌に見えるのは何故だろうか?道中、そんなことを考えていた。
「・・・で、暇だからってなんであんたたちまでウチに来るのよ。」
到着先は博麗神社。相変わらず参拝客はいない上に、今日に限って霊夢の機嫌はあまりよろしくないらしい。
「今日はゆっくりお茶でも飲んで過ごそうと思ってたのに・・。」
「こちらも突然押しかけたのはすまないと思っている。お詫びと言っては何だが、これを。」
そう言って、寄り道して買った団子を差し出した。霊夢はふぅ、と息を吐くと
「まぁ・・折角持ってきてくれたわけだし、追い返すのも悪いから上がってって。」
と私達を居間へ通してくれた。
「よぅ。」
こちらに気付いて手を振る黒いの。
「お邪魔するよ。」
「お邪魔しまーす。」
成る程、ゆっくり過ごそうと思っていた所へ魔理沙が押しかけてきたということか。
どうやら虫の居所が悪いのは私達のせいだけではなかったようで一安心だ。
世間話もそこそこに、霊夢が茶と団子を運んできたその途端。
「おっ、茶請けに団子とは気が利くじゃないか霊夢!」
目敏くそれを見つけた魔理沙が待ってました、とばかりに霊夢の持つ盆に手を伸ばす。
げしっ。
それを蹴飛ばし踏みつける霊夢。
「あんたの為に持ってきたんじゃないわよ。折角紫の式神が持ってきてくれたんだから無粋な真似しないの。」
「ぐ・・分かったからその足をどけてくれよ。胸が潰れるぜ・・。」
「元々そう無い胸でしょーに。」
「さらしなんか巻いてるお前に言われたくないぜ。」
「なんですってー!?」
「痛てっ!お、おい霊夢、冗談だって私はマゾヒストじゃな・・・痛っ!」
よせばいいのに、自分から霊夢の逆鱗に触れた魔理沙はこれでもかこれでもかと踏みつけられて呻く。
喧嘩するほど仲が良いとはいうが、こうして見ているとこの二人は本当に仲が良いのだな。ある意味羨ましいぞ。
談笑するうちに茶を飲み終えると、魔理沙が立ち上がった。
「よし、腹も膨れたし運動がてら弾幕ごっこでもしようぜ。」
「やらないわよ馬鹿魔理沙!」
霊夢が立腹するのも当然だ。神社でドンパチをやるつもりなのかこの黒いのは。
私が半ば呆れかえっていると、ふと橙に袖を引かれた。
「あの・・藍様、不謹慎ですけどその・・ちょっとだけ遊びたいなぁ~なんて・・や、やっぱりダメですよね?」
上目遣いで私に許可を請う橙。
嗚呼、その視線は私を悩殺するのに十分過ぎる威力があるぞ橙っ!
落ち着け、落ち着くんだ藍。深呼吸して橙の頭に手をのせ、弾幕ごっこは神社ですべきではない。
と言う・・はずだった。
だが、私が普段忙しいせいもあってなかなか橙と遊んでやれない。
嗚呼しかし・・神社でそういったことをするのは・・
葛藤の末に私が出した結論は。
「ほどほどにするんだぞ。」
「はい!」
「よーし決まりだ!とことん遊んでやるぜ橙!」
「こらーっ!!」
うっすらと月の輝く秋の夕暮れを橙と並んで歩く。満月は過ぎているが、十六夜や立待月の方が
私は落ち着けるし、何となく好きだ。この世には不完全だからこそ綺麗だと思えるものもある。
結局あの後、(主に魔理沙の)弾幕のせいでいくつもクレーターの開いた境内やら、
消し炭になった神社の一部やらの片付けを手伝おうかと申し出たものの、
「もういいから、帰ってちょうだい・・。」
と力無く断られてしまった。他にもマスタースパークで首の吹き飛んだ狛犬や半壊した屋根瓦等、
その修理費を考えれば霊夢は本当に、一ヶ月どころか半年以上の自給自足・狩猟生活を営まなければならないだろう。
もちろん破壊した張本人・魔理沙は霊夢がとっ捕まえて鳥居に縛り付けられたものの、
まるで悪びれた様子はなかった。まぁ、あの二人なら何だかんだでどうにかできるだろうが・・
どちらにしても霊夢には悪い事をしてしまったな・・今度の訪問の時に何かお詫びの品でも持って行こう。
「藍様、そういえば紫様は大丈夫でしょうか・・。」
「ん?それは心配無いだろう。ああ見えて一時は私の面倒も見て下さった方だし、
紫様の料理の腕前はお前も今朝知っただろう?それより、今日は楽しめたか?」
「はい!とっても楽しかったですよ。藍様もお戯れになれば良かったのに・・。」
「ふふ、私はお前が楽しければそれを眺めているだけで満足だよ。さぁ、もう日暮れだ。遅くならないうちに急ぐとしよう。」
「そうですね、帰りましょう。」
結局橙には甘い、と突っ込まれても文句は言えないが一応言っておこう。
神社のモノを壊したのは魔理沙の弾幕だ。決して橙ではない。断じて違うぞ。
それに橙ならまだいいが、私がそんなことをしたと紫様の耳に入ろうものなら半殺しでは済まないだろう・・想像するのも恐ろしい。
こうしていつも通り・・とは言えないがそれでも日常が過ぎて行くはずだった。のだが。
「紫様ー、ただいま戻りましたー。」
「あぁ、お帰り藍。こっちよー。」
玄関の戸を開けると、どこからともなく紫様の声。
あの、こっちよーと言われましても貴女の御声がどこから響いているのか分からないのですが。
仕方なく虱潰しに部屋を探そうとすると、突然橙が私の手を引っ張る。
「こっちですよ、藍様。」
満面の笑みで私を先導する橙。されるがままについて行くと、障子の向こう側に紫様の気配。
この先は確か、来客用の部屋だった筈なのだが・・。
「さぁどうぞ。」
「あ、あぁ・・」
橙に押されて障子を開け、部屋の中へ入ると。
パァーン!!
「うわぁっ!?」
いきなりけたたましい音が耳を劈き、私は思わず尻餅をついてしまった。
「「「「誕生日おめでとう~!」」」」
「・・え?へ?」
目の前に、紫様とそして幽々子様、更には妖夢が。各々が手に爆竹のような妙な筒を持ち、そこから煙が燻っている。
これは一体何事か?今日は橙の誕生日ではないはずなのだが・・。
あれこれ考えあぐねていると、
「あら、忘れたの?今日はあなたの誕生日じゃないの、藍。正確にはあなたが私の式になった日、だけど。」
「お誕生日おめでとうございます、藍様っ!」
可笑しそうに口元を扇子で隠す紫様。そして後ろから飛びつく橙。
今日は・・私の、誕生日?そうか・・そういうことだったのか。はは・・ははは・・・
茫然としていた私に、妖夢がすっと細長い包みを差し出した。
「藍さん、お誕生日のプレゼントです。
急なお話だったのでこんなものになってしまいましたが、来年はもっとちゃんとしたものを用意しますね。」
「あぁ、ありがとう。」
何だろうと思って開けてみると、中身は「百年の孤独」という銘柄の酒。
妖夢曰く、外界某所の焼酎らしい。
「あーっ、妖夢ずるい!私の分はー!?」
「ずるいって何ですか。幽々子様に見つかると飲まれてしまいますから、一本しか無かったので私が肌身離さず管理していたんです。」
「どこっ、どこに売ってたのよぅ。」
幽々子様が獣の目で妖夢の肩を揺さぶる。いや、あれは単なるアル中の目だろうか。どちらにせよ涎が垂れてます、幽々子様。
「お、落ち着いてください幽々子様。香霖堂でまた仕入れる予定だそうですから。今回は我慢して下さい。」
圧し掛かられてやっとのことで幽々子様を引き剥がしながら妖夢がなだめた。妖夢も苦労しているんだな・・。
「ちぇー。ま、いいわ。はい藍、私からはこれよ。」
「どうもありがとうございます。」
幽々子様が下さったのは扇子。貼られた和紙には表に白玉楼の、裏には八雲邸の見事な風景画が描かれている。
「これ、幽々子様が絵をお描きになったんですよ。人は見かけに寄りませんよねぇ。」
「あ、それどういう意味よ妖夢~。」
「どうもこうも、そのままの意味です。」
本当にこの二人は主従関係にあるのかと思えてくる程に気さくだ。
私は苦笑しながら、お礼に今度の博麗神社の宴会の時に妖夢に貰った焼酎を持参しようと考えた。
独りで飲むより、皆で楽しんだほうが旨いに決まっている。
「次は私ですね。藍様・・うまくできてるか分かりませんけど、受け取って下さい!」
「ありがとう、橙。」
橙に貰ったのは水晶で造られた鈴だった。しかもよく見ると細かい文字列が刻んである。
「橙、何か刻んであるようだがこれは一体・・?」
手にとってみると、何やら温かい力を感じる。どうやら何かしら特別な効果があるようだ。
「それ、藍様の式を強化する術式なんです。紫様に教わりながら彫ったんですけど、うまく彫れてるかどうか・・。」
普段使ったことも無いような道具で苦心して彫ったのであろう、橙の様子が目に浮かぶようだった。
嗚呼、橙にこんな素晴らしいプレゼントが貰えるなんて、私は今死んだって構わないぞっ。
「・・いやいや、とてもよく出来ているよ。ありがとう。」
妄想の飛躍をどうにか理性で抑え付け、重ねて礼を言う。
「そうですか?えへへ・・。」
「良かったわねぇ、橙。」
「いえ、紫様のお陰です。ありがとうございます。」
ペコッと頭を下げる橙。紫様も隅に置けない方だ、とつくづく思う。
「さて藍。」
「はい。」
「次は、私から。」
「え!?」
今のが、橙と紫様からのプレゼントではなかったのか。
「ふふふ、今のは橙のプレゼントよ。私からは別のもの。」
別のもの・・とは一体何だろう。まさか今朝の金ダライじゃないだろうな、
と我ながら実にくだらない事を考えていると、紫様はいきなり私の肩を掴んで真顔で言う。
「藍。」
「は、はい。」
「目、瞑って。」
・・・待った。目を、瞑れと?そう、仰ったのかこのお方は。嗚呼、人前でなんと破廉恥な――
・・などと言っている場合では無い!
「駄目です紫様!いくらなんでも主人と式がそのような関係を・・」
と、とにかく何としても紫様を説得しなくては。間違った道に走る前に!
「藍、目を瞑りなさい。」
「・・・はい。」
蛇に睨まれた蛙とはこのことか。情けない事に私は紫様の威圧の声で沈黙の内に服従せざるを得なかった。
嗚呼、こんな私を見ないでくれ橙。お前に軽蔑されたりしたらもう私は――
しかし、私が想像していた展開はいつまで経っても訪れなかった。代わりに、手にそっと何かが置かれたのを感じた。
「目、開けていいわよ。」
言われるままに目を開いてみると、私の手の上には両手に収まるくらいの軽い箱。
丁寧にリボンで包装してあって、中身は分からない。呆気に取られていると
「あら、何か変な事でも想像してたのかしら?」
ニヤニヤしている紫様。私をからかうつもりであんな台詞を言ったのだと悟ると、途端に釣られた自分が恥ずかしくなった。
いや、あの流れはどう考えてもあぁなるしか・・!それとも私の思考回路はおかしいのだろうか・・。
「なっ、何でもありません!ありがとうございます、紫様。」
気を取り直して早速開けて見ようとすると、
「ちょい待ち、そんなのは後でいいのよ。それよりもほら、折角作った料理が冷めちゃ台無しでしょ?」
渡した張本人がそんな事を言っている。明らかに不審な点が多いが、私の意識はそれよりも・・
「こっ、これ全部紫様がお作りになったんですか!?」
目の前の食卓に並べられた品々を見て、正直恐れ入った。
きつね蕎麦に豚汁、おでん、厚揚げ豆腐にいなり寿司等等、豪華絢爛油揚げオンパレード料理の数々。
本気を出した(?)紫様はここまで凄かったのかと思うと、普段とのギャップがギャップだけに俄には信じられなかった。
いや、もしかしたらこれでも朝飯前なのかもしれない。同時に、私の好物を覚えていて下さった紫様の心尽しに心が震えた。
「紫様・・・私の為に・・」
「ほらほら、今宵は無礼講!藍も早く座りなさい。」
「そうそう、お腹空いたわよぅ~藍。」
と幽々子様。
「はい!只今。」
私の為に自ら準備をして下さった紫様を始めとする皆の好意に応える為にも、私はこの宴を精一杯楽しむべきなのだ。
席に着き、橙に酌をしてもらう。紫様が杯を高く掲げ、高らかに叫んだ。
「それじゃ、かんぱーい!!」
「「「「かんぱーい!!」」」」
それから後の事はあまりよく覚えていない。うっすら覚えているのは、何故急に自分の誕生祝賀をしたのかという問いに対する、
「橙の事は祝ってあげた事があったけど、藍を祝ってあげた事ってなかったのよね。
だからまぁ、ちょっとした思いつきよ。幽々子達を呼んだのはまぁ・・長い付き合いだし、大勢で祝ったほうが楽しいでしょ?」
という、単なる気まぐれなのか照れ隠しなのか分からないような、頬に赤みの差した紫様の返答。
その後はもう、すっかり出来上がった主二人に無理やり飲まされて早々に潰れてしまった。
あぁ、そういえば一つだけ、酩酊した頭でもはっきり覚えている事がある。
あの時の紫様の手料理は私が今までに食べたどんな料理よりも温かくて美味だったことだけは言っておかなければ。
泥酔してそのまま机に突っ伏し、熟睡してしまった私が差し込んだ朝日と野鳥の声で目を覚ますと、
紫様が何処からか持ってきた柱時計の時刻は既に午前10時を回っていた。
うぅ・・・起きたくない・・が・・私が起きなくてどうするんだ・・・。
ガンガンに痛い頭をのそりと起こしてみると、同様に空になった皿を囲み、机に突っ伏して寝息を立てている橙と紫様。
どういうわけか紫様の周りだけ杯盤狼籍、しかも本人は下着一枚という風体だ。
幽々子様はどうやら(恐らく妖夢が引きずって)お帰りになられたようだ。流石にこの時間まで寝ているとなると
普段の私ならとっくに起こしている所だが、今回ばかりは流石に起こす気になれなかった。
・・とはいえ、やっぱりぐーたらに戻ってしまうんですね紫様~・・・。
我が主人ながらこの体たらくに泣けてきた・・が、紫様の寝顔を眺めるうちにふと思い出す。
この方は私などよりも遥かに永い時を生きてこられた分、身体を維持するのに長時間睡眠が必要不可欠なのだという事を。
「全く・・・仕方ありませんね。」
酔っ払ったからって服まで脱ぎ出さないで下さい、紫様。
寝ている二人に毛布を掛けると、恐らくは幽々子様の芸当であろう、綺麗に平らげられた皿を両手に流し台へ向かった。
結局、昼下がりまで紫様と橙は爆睡しており、二日酔いも多少マシになったので
夕飯の材料を買いに出掛けようとした際に、二人揃って起きてきた。
「お加減はいかがです、紫様?」
「ん~眠いわ~・・頭がガンガンする・・。」
「それは単なる飲みすぎですよ。もっと飲まれる量を考えていただかないと。」
そう言う私も飲みすぎ・・いや、飲まされすぎで頭痛が酷い。
「何言ってんの藍、酒は百薬の長って言うじゃない。」
「薬より養生です!」
紫様の言葉をピシャッと撥ね付ける。この方は放っておくと理不尽な屁理屈をいくらでも並べだすからな。
「とにかく、私は買い物に行ってきますから散らかさないで下さいね。」
「はいはい・・。」
「それじゃ、行ってきます。」
「いてらはーい・・ふぁ・・。」
「行ってらっしゃいませ藍様~。」
玄関を出て、ふと買い物袋に軽い重みを感じ取って手を差し入れてみた。
「・・紫様の仕業か・・?」
中から出てきたのは紫様の下さったプレゼント。
結局昨日は中身を見られず終いで、買い物から戻ったら開けてみようと思っていた所だった。
これも何かの因縁かとその場で包装を解いて箱を開けて見る。すると―
「スカーフ・・?」
入っていたのは藍色をした絹のスカーフと紫様が書いたと思われる手紙。
広げて見ると、その文面はごくシンプルでありながら達筆だった。
『貴女の生誕と日頃への感謝を込めて。八雲紫』
「・・ありがとうございます。」
手紙というにはあまりに短いかもしれないが、丁寧に畳んで懐に仕舞い、八雲邸の敷居を跨いだ。
秋風にスカーフがはためき、私の首を撫でる。少しくすぐったいが、何だか心地良い。
目を閉じれば陽の明るさ、暖かさが瞼越しに感じられ、昨日の博麗神社からの帰り道が思い出される。
「藍色・・絹・・刺繍・・ふふっ・・・何が「ちょっとした思いつき」ですか。計りましたね?紫様・・・ぐすっ・・。」
あまりの用意周到さに呆れてしまう。思えば今春から続いていたの紫様の「気まぐれ」は全て、この為だったのだから。
春に紫様が集められていた植物とは、藍。カイコから採れるものは絹。ここにきて、ようやく繋がった。
「ふぅ・・今日の夕飯は腕によりを掛けて作らなければな・・。」
風の巻き上げる砂塵のせいか、或いは・・。
視界を袖で拭うが、どうにも視界にかかった霞は晴れてくれるつもりは無いらしい。
このままでは歩くことも儘ならないので、今宵の献立は何にしようかと、立ち止まってそんなことを考えていた。
突風が吹き抜けて藍の尻尾を撫でる。そして今度は徒にスカーフを翻してゆく。
藍は気付いていたのか、否か。その端に施された刺繍は、主の想いを込めた異国の言葉を綴っていた。
「Dear Ran, Thanks for your birth. from Yukari」
Fin.
紫様の優しさが滲み出とるわ……
いいお話でした