夜も白々と明け、上白沢慧音はいつものように朝餉の準備に追われていた。
といっても、白飯は既に炊けている。やることと言えば七輪で秋刀魚を焼き、鍋で味噌汁を作る程度のこと。追われるという表現は、些か大仰だったかもしれない。なにせ、毎日こなしてきた作業だ。不意の来客でもない限り、早々手間取ることもない。
慢心していたつもりはないが、その心構えがまずかったのか。朝餉も済んでいないというのに、戸を叩く音がした。
「まったく、こんな早くから誰だ?」
もう、鍋を火に掛けてしまっている。あまり煮立たせては、味も落ちるというものだ。 不満を隠すことなく漏らしながら、慧音は戸を開いた。
「ようっ!」
間髪入れず、門戸は閉ざされた。さあ、朝餉の支度に戻るとしよう。
しかし、いくら慧音が忘れようと勤めたところで、戸の前の人間が消えていなくなるわけではない。魔法使いなのだから、それぐらいの魔法を使ってくれればいいのに、と思うのだが。いかんせん、戸の前の魔法使いは消えるより、戸を破壊する方を選ぶだろう。
再び、今度は少し乱暴に、戸を叩く音が響き渡った。破壊の前兆である。
家を吹き飛ばされてはかなわないと、仕方なく慧音は戸を開けた。
「いきなり閉めるなんて、最近のワーハクタクは随分と邪険にするんだな。邪魔するぜ」
勝手知ったる人の家とばかりに、遠慮無くあがりこんでくる黒い魔法使い。霧雨魔理沙。
知識人達の間での筆頭お尋ね者であり、魔理沙が通った後には貴重な資料が根こそぎ奪われているとまで言われている。雷がヘソを狙っているのとは違い、こちらは噂でも何でもなく事実なのだから困ったものだ。桑原桑原。
「こんな朝早くに尋ねてくるような礼儀知らずが相手なら、邪険にもしたくなるというものだ。一体、何の用だ?」
「酷いな。せっかく本を返しに来てやったのに」
睡眠不足だろうか、酷くありえない幻聴を聞いた気がする。露骨に顔をしかめる慧音に、魔理沙は苦笑いしながら、藁半紙の本を投げて渡した。
どうやら、本当に本を返しにきたらしい。
「す、すまない。全く予想していなかったんだ」
借りたら返すが当たり前だが、こと霧雨魔理沙相手に、その常識は通用しない。だからこそ、素直に魔理沙が返却するなど、頭の片隅にも無かったのだ。今日はきっと、レーヴァテインが降るに違いない。
蔵書棚に本を戻そうとして、ふと慧音はある事に気がついた。
「はて、この本を魔理沙に貸した覚えはないんだが。これを貸したのは、確かアリスじゃなかったか?」
「大正解。アリスから慧音の家に行くことがあるなら、ついでに返してきてくれって頼まれたんだ」
「……だが、私が貸したのは合計で五冊だったはず」
手元には一冊だけ。果たして、残りの四冊はどこに消えたのか?
悪びれもせず、魔理沙は肩をすくめて言った。
「飽きるまで貸してくれ」
「なら、問題ないな。どちらかというと、お前は飽きっぽい」
「ああ、飽きっぽい。最近は飽きるのにも飽きてきたぐらいだぜ」
実質上、寄こせと言っているようなものだ。慧音は頭を抱え、二度と戻ってこないだろう本達に黙祷を捧げた。
今の慧音にできる事は三つ。黙祷を捧げることと、これ以上の被害を増やさないことと、すっかり沸騰してしまった汁を冷まして飲むことだけである。
「意外と料理が上手いんだな」
「お前が私をどういう目で見ているのか、よくわかったよ」
図々しい泥棒は、新たに四冊の本を手に入れるだけでは満足せず、朝餉もご馳走になっていきやがられた。さすがにここまで厚かましいと、慧音とて言葉を失う。
「さて、それじゃあもう数冊ほど借りていこうかな。こう見えても、本を読むのは早い方なんだ。四冊ぐらいじゃ、一日も保たない」
「それ以上に手も早いがな。おいこら、その本は駄目だ!」
などと、激しいやり取りを繰り広げること数分。再び、慧音の耳に戸を叩く音が飛び込んできた。その力強い叩き方には、慧音も覚えがある。
魔理沙に注意を促しつつ、慧音はチルノと大妖精を迎え入れた。
「なんだ、魔理沙も来てたのか」
「おう、自分の家だと思ってくつろいでるぜ」
「くつろぎ過ぎだ」
チルノと大妖精は、度々慧音の家を来訪していた。主な目的は本を読んでもらうことで、慧音も寺子屋が無い日は二人に付き合っている。ちなみに、今日は寺子屋がお休み。だから、きっと今日も同じ用事で来たのだろうと思っていた。
しかし。
「実は、ちょっと面白い事があったんだけど。それについての推理を、聞いて貰いたかったんだよね」
「面白い事? なんだなんだ、私にも聞かせてくれよ」
こういう事には敏感なのか、慧音よりも魔理沙の方がチルノの話に食いついた。
そしてチルノは胸を張り、不思議な洋館での事件について語ってくれた。まあ、主な部分を話してくれたのは大妖精の方だったが。チルノの話は夏休みの日記帳を朗読しているようで、わかりやすいのに理解しにくい。
「そして、私達が振り返った時には、もうそこに洋館はなかったんです。霧と一緒に、幻のように消えてしまったんですよ」
チルノ達は座敷に上がり、興味津々の魔理沙に話を聞かせていた。慧音も片手間で聞いてはいたが、それよりも美味しくお茶を容れる方に夢中だった。一人ほど泥棒がいるとはいえ、来客に粗茶を出すわけにはいかない。
「なるほど、それは確かにミステリーだな。消えた洋館。二重に殺された少女。館をうろつく謎のローブ。アリスあたりが好きそうな話だぜ」
「私はアリアちゃんが私達を閉じこめた張本人だと思うんですけど、それ以外は何とも。魔理沙さんは何かわかりますか?」
帽子の鍔を人差し指で軽く上げ、気取った仕草で魔理沙は答える。
「簡単だぜ。そりゃ、全部アリアって子の自作自演だ」
「自作自演?」
「それなら話の辻褄も合う。アリアは誰かに殺されたんじゃなく、自殺したんだよ。ナイフを胸に刺し、首を吊ってな」
親指をナイフに見立て、魔理沙は自分の胸に押し当てる。しかし、大妖精は納得いかないという顔をしていた。
「でも、どうして二重に死ぬ必要があったんですか。自殺だったら、ナイフか首吊りのどちらかにしておけばいいのに」
「それは……」
痛いところを突かれたのか、いきなり魔理沙の推理は停滞してしまう。
「アリア・コンツウェル。おそらくコンツウェル家の最後の一人だろう。どこかの資料でそのような一族の歴史について調べたことがある。それに、西行寺幽々子からも似たような話を聞いたことがある」
そして、慧音はコンツウェル家の歴史について語り出した。
栄華を極めた時代と、没落して最後の一人が果てる瞬間までを。それを聞いて、魔理沙が説明を続けた。
「つまりだ、アリアは誰かに自分の死を知って貰いたかったんだよ。だから、敢えて執拗に自分を殺してみせた」
「じゃあ、館を徘徊してたローブは一体?」
「それも簡単な話だ。あれはアリアの悪戯だろ」
悪戯? 大妖精は首を傾げる。
「そう。お前らがルーミアに食べられるとか脅かしてきたんで、仕返しのつもりで悪戯したんだろう。ローブを着てお前らの前に現れ、すぐにホールへ取って返す」
「で、でも! アリアちゃんの前にもローブは現れてるんですよ」
「それが、嘘だとしたら」
大妖精の動きが止まる。
白熱してきた話を邪魔しないように、慧音はそっと三人の前に湯飲みを置いていった。
「このままだと自分の悪戯だとばれるかもしれない。だから、自分もローブを見たと嘘をついて容疑から外れる。現に、二回目のローブを見たのはアリアだけなんだろ?」
「そ、それは確かにそうですけど……」
話し合っているのは魔理沙と大妖精ばかり。チルノはどうしているのかと言えば、既に全てわかっているとばかりに、大妖精の隣で頷き続けている。
そういえば、氷の妖精はお茶を飲めるのだろうか。今更ながらに気になった。
「じゃあ、アリアちゃんがローブを着て首を吊っていたのは何故ですか? 自殺する人は、せめて最後ぐらいは身なりを整えて死にたいんだって、聞いたことがあります」
「おそらくは、父親と同じように死にたかったんじゃないか。父親も、薄汚れたローブを着て、首を吊って死んでたんだろ。まあ、私には理解できない世界の話だけどな」
それで、全ての疑問が晴れたのか。大妖精は、おもむろに口を閉じた。
「アリアは自分の目的を果たし、館は消え、お前らは解放された。謎のローブがアリアって子を殺したわけじゃない。全ては、アリアが自分の死を知って欲しいが為に仕組んだ、自作自演だったんだよ」
慧音は無言で、お茶を啜った。舌の上を苦さが通り、喉の奥を熱さが過ぎていく。我ながら、会心の出来だと思う。
「せめて、私達にぐらい言ってくれたら良かったのに」
「確かにな。でも、アリアは喋れなかったんだろう。だからひょっとしたら、対人関係とかその辺が苦手だったのかもしれないな」
話が終わったと感じたのか、ここぞとばかりにチルノが口を挟む。
「そうそう、あたいはそれが言いたかったのよ」
たった一言で、魔理沙の推理はチルノに持っていかれた。思わず、慧音は笑ってしまった。まさか、泥棒が泥棒されるなんて。これほど愉快なことがあろうか。
魔理沙は口を尖らせ、チルノを睨んだ。
「さっ、事件も解決したことだし。そろそろ遊びにいくわよ、大ちゃん」
視線に屈したのか、それとも単なる思いつきか。いきなりチルノは立ち上がると、お茶も飲まずに走り出した。
「あっ、先に行っててチルノちゃん。私はまだ、ちょっと話したい事があるから」
「ん、じゃあ待ってるから。なるべく早く来てよね」
言うや否や、チルノは猛牛のように飛び出していった。あの様子だと、どこかの木にぶつかってもおかしくない。
「まだ何か質問があるのか? これで、全ての謎は解決したはずだぜ」
「いえ、魔理沙さんじゃなくて慧音さんに聞きたいんです」
「私にか?」
急に名前を呼ばれ、お茶を啜る手が止まる。
「ええ。魔理沙さんが話している間、ずっと何か言いたそうにしてましたから」
そんなつもりはなかったのだが、思うところがあったのは事実だ。
大妖精の洞察力が鋭いのか、それとも慧音のポーカーフェイスが甘いのか。それはまあ、今後の課題にするとしよう。
「なんだ、ひょっとして私の推理が間違ってたのか? だったら、慧音の推理を聞かせて欲しいもんだな」
「推理というほど大層なものではない。私にできるのは、埋もれた歴史を紐解くことぐらいだ。ただし、歴史というのは柳の木よりも揺れ動いている。新しい事実が見つかれば、簡単に常識が変わってしまう一面を持っているのだ」
説教臭くなってしまったが、仕方ない。歴史を絶対と思われるよりマシだ。
「その辺を踏まえた上で私の話を聞いて貰いたいのだが、その前に一つ」
慧音は大妖精に顔を向け、気になっていた質問をぶつけた。
「アリアは、いつから声が出るようになっていたんだ?」
大妖精は平静を装ってはいたが、若干顔の筋肉が引きつっている。その反応が全てを物語っていた。
「どういうことだよ? アリアは喋れなかったんじゃないのか?」
「喋れなかったのは間違いないだろう。ただし、最後まで喋れなかったわけではないはず。ある場面から、おそらくアリアは声を取り戻した」
「それは、慧音さんの推測でしょう。何の証拠もない」
「だから最初に言っただろ。これは推理ではない。証拠を求めようにも、全ては館と一緒に消えてしまった。だからこそ、こうして君に訊いているのだ。アリアは、いつから声を出せるようになった?」
大妖精は俯き、黙秘を貫いた。黙るという事は、半ば認めていることに等しい。
嘆息を漏らし、慧音は話を続けた。
「考えられるのは、アリアがローブを見たという時からだな。ミスティアが聞いた音は、アリアの悲鳴だと考えることもできる。長年声を出していなかったのだ、早々美しい声が出るはずもない」
「仮にそれが本当だとしても、何で大妖精がそれを知ってるんだ? 話を聞いた限りでは、部屋に来たときに何か喋ったわけでもないぜ」
慧音は大妖精に視線を向ける。まだ、喋る気にはならないようだ。
確証の無い事を話し続けるのは趣味ではないが、一度始めてしまかったからには、途中で止めるわけにもいかない。
「それこそが、大妖精の口を固くする原因だ。アリアが声を出した場面は、たった一度しかないのだからな。知っているという事は、少なくともその場面にいたという存在証明に他ならない」
「アリアが声を出したかもしれないのは、ローブが現れたとき! ってことは……」
魔理沙も大妖精に顔を向ける。
淡々とした口調で、慧音は言った。
「アリアの前に現れたローブは、君だったのだろう」
悔しげに、大妖精は唇を噛みしめた。膝の上に置かれた拳が、力強く握りしめられる。
「おそらく、君は自分達の目の前に現れたローブがアリアであることに気づいたのだ。それで、意趣返しのつもりで悪戯を仕掛けた。その時に、アリアは悲鳴をあげたのではないか?」
大妖精は答えない。
果たして、その程度の事を黙秘する必要があるのか。どう解釈したところで、大妖精のやった事は単なる悪戯にしか過ぎない。しかも、先に手を出してきたのはアリアの方なのだ。
仕返しをしたとしても、せいぜいが喧嘩両成敗といったところだろう。黙秘する必要など、どこにもありはしないのだが。
さて。
「あー、なるほど。確かにその点に関しては慧音の説の方が説得力があるかもしれないな。脅かされた仕返しに、同じ手段で驚かす。やったとしても不思議じゃないぜ」
だけど、と魔理沙は不敵な笑みを浮かべた。
「そんなのは些細な間違えだ。事件とは関係ない。まあ、死因が心臓麻痺なら何か関連性があるかもしれないけど。アリアはナイフで自分を刺して、首を吊って死んだんだ。ローブの中身が誰だろうと、概ねの推理に影響はないぜ」
自信満々の魔理沙には悪いが、その推理には大きな穴が一つだけあった。
「私の話は根拠無き妄想に過ぎないかもしれないが、少なくともアリアが自分で首を吊ったとは思えない」
「そうか? ナイフを刺したとしても、しばらくは死ぬまで時間がある。その間にロープに首を掛けたんなら、特に問題はないだろう」
大妖精も頷いている。少なくとも、この件に関しては大妖精も何も知らないらしい。
「問題はある。そもそも、アリアはどうやってシャンデリアのロープまで手を伸ばしたのだ?」
「それは……父親みたいに何か道具を使って……」
「いえ、少なくともそういった道具はありませんでした。あったのはロープとローブだけです」
腕を組み、魔理沙は眉間に皺を寄せた。人間である以上、自分の身長以上の高さにあるロープに、何の道具も使わず首を掛けることはできない。
「だけど、アリアは幽霊みたいなもんだったんだろ。それなら、空を飛べたんじゃないか。だから、高い所にあるロープにも手が届いた。これなら矛盾はないだろ」
「それは有り得ない。空を飛べるのなら、どうしてわざわざ首を吊った? あれは重力に逆らえないからこその手段だ。空を飛べるのなら、命惜しさに死の寸前で飛んでしまうかもしれない。アリアが空を飛べるとしても、首を吊ることはできなかっただろう」
「だったら、どうしてアリアちゃんはあんな真似を?」
大妖精も魔理沙も、首を吊ったのはアリアの意志だと思っているようだ。慧音は目蓋を閉じ、嘆息と共に己の考えを吐き出した。
「アリアは己の胸にナイフを刺しただけだ。おそらく、彼女を吊したのは別の人物だろう」
目を開く。慧音の発言に、二人は驚きの表情を見せていた。
だが、アリアがやっていないのなら、残る選択肢は事故か第三者の手によるものの二つしかない。事故の可能性が低いのだから、答えは自然と一つに絞られる。
「一体、誰があんな事を!?」
血相変えて、慧音に詰め寄る大妖精。当然だ。第三者といっても、あそこには大妖精を含む五人しかいなかったのだから。アリアが死んだのなら、その犯行は残る四人のうちの誰かの仕業ということになる。
慧音は大妖精の話を脳内で反芻し、かつて自分が教えた言葉を繰り返した。
「鳥は吊してから食べた方が上手い。正確には、鴨は吊して肉を熟成させてから食べた方が上手いと言いたかったのだが。どうやら、それを曲解した妖怪がいたようだ」
息を呑む大妖精。魔理沙も、大方の見当はついたらしい。
「ルーミアか」
「おそらくはな。鳥も吊せば上手くなるのだから、人も吊せば上手くなると考えたんだろう。勿論、そんなことは無い」
「で、でも。ルーミアちゃんは人を食べないようキツく言われてるって……」
「ルーミアが見つけた時には、アリアは胸にナイフを刺して絶命していたのだろう。人間を食べるなとは言ったが、死体を食べるなとは言っていない。まあ、今度はその辺りも言い含めておかないといけないな」
どういう理由かは知らないが、ふらふらとホールへと出てきたルーミア。そこでアリアの死体を発見し、大妖精の言葉を思い出してシャンデリアに吊したのだろう。何事もなく朝になったら、きっとアリアは今頃ルーミアの腹の中だ。
「ということは、アリアにローブをかけたのもルーミアか。だけど、何のためにそんなことを?」
「いや、ローブの件はルーミアの仕業ではない。話を聞けば、ローブをかけられたアリアを見てルーミアも驚いていたそうじゃないか。つまり、ルーミアもその事に関しては知らなかったのだろう」
知っていたなら、何事もなくアリアを下ろしていたはず。何もしなかったことが、ルーミアの潔白を促していた。
「となれば、候補は三人に絞られる。ミスティア、チルノ、大妖精。だが、考えてみろ。そもそも、あの館に薄汚いローブなどが置かれていると思うか? 誰もいない庭ですら綺麗に手入れされている館に」
「言われてみれば、確かに妙だぜ」
「だが、アリアはあるはずのないローブを持っていた。まあしかし、彼女は館そのものと言える。あるはずのないローブを持っていても、おかしくはない。問題は、もう一人。アリアと同じ事をした彼女は、一体どこからローブを持ってきたのか?」
先程の話がココに繋がる。アリアを驚かしたのが大妖精なら、そのローブはどこにあったのか。
「アリアが持っていたローブは、おそらくアリアが消してしまったのだろう。あんなものを持っていては、脅かしたのは自分だと言っているようなものだ。ならば、大妖精の持っていたローブはどこに消えたのか?」
「まさか……」
外に持ち出していないのなら、該当する場所は一つしかない。
ホールの中。アリアの身体の周り。
「アリアの身体にローブを掛けたのも、大妖精の仕業だ」
大妖精は口を固く閉ざし、畳の一点を凝視していた。挙動不審だが、何も喋らない辺りは賞賛に値する。
「ちょっと待ってくれ。そもそも、どうしてローブなんかをアリアに巻いたんだよ? また悪戯だって言うなら、かなり悪質だぜ」
「簡単な話だ。大妖精は、アリアの死体を隠したかったのだ。チルノから、ね」
チルノという単語に、大妖精は微動だにしなかった身体を震わせる。
「妖精と人間の死の概念は異なるが、あまりに多くの死に触れていると、稀に人間と同じような死の概念を持ってしまうことがある。大妖精のように。彼女は、チルノにそうなって欲しくなかったのだろう。だから、アリアの死を隠した」
詩を朗読するように、慧音は滔々と話す。責めるような口調ではなかった。なにせ、大妖精は別に罪をおかしたわけではないのだから。
外の世界ではどうか知らない。しかし、少なくとも幻想郷では、死体にローブを掛けたからといって罰せられることはなかった。もっとも、閻魔様がどう思うかはわからないが。
「いや、それは確かに理解できる。大妖精がチルノに死体を見せたくなかったってのは。だけど、だからローブを巻いたってのは全く理解できないぜ。そんなことをしたら、むしろ目立つだけだろ」
それこそが、当事者と第三者の間に立ちはだかる大きな壁。実際に体験した者でないとわからない、暗黙の秘密。
敢えて大妖精が語ろうとしなかった部分に、慧音は踏みいることにした。
「君は館に入った時、シャンデリアの方を見たそうだね。そして、ローブを追ってホールにやってきた時も、君はシャンデリアの方を見た」
「それは……」
「アリアは館を作るときに、一つだけミスを犯した。彼女の深層心理の中に、深く根付いた光景を再現をしてしまったのだ。幸いにも、死体は再現されなかったみたいだが」
お茶を啜り、慧音は言った。
「君達が館に入った時からあったんだろ。シャンデリアから垂らされたロープと、それに括り付けられていた薄汚いローブが」
「なっ!?」
アリアの父親も、あのシャンデリアで首を吊って死んでいた。父親が身につけていた物ならば、おそらくアリアの身体ぐらいすっぽりと覆うことができる大きさなのだろう。巻けば、アリアの身体は見えなくなる。
初めからそこにあり、誰も異常と認識していないのなら、そこは格好の隠し場所だった。
「ミスティアが死体を発見したのも、絨毯に垂れていた血を見つけたからだ。シャンデリアから垂らされた何かに、驚いたわけではない」
話を聞かされただけでは、完璧な光景を思い浮かばせることはできない。想像することはできても、それは大妖精達が体験してきた全てを映し出すわけではないのだ。
「何の目的があって、ホールに行ったのかは知らないが、君はルーミアが吊したアリアの死体を見て、このままではマズいと思ってローブを巻き付けた。こうすれば、少なくとも下から見上げない限りは誰も気づくことはない。もっともその時は、垂れてくる血までは考えが及ばなかったようだがな」
大妖精はみるみる顔色を悪くしていく。特に悪いことをしているわけでもないのに。隠してきた事がばれたからだろうか。だとしたら、少し追いつめすぎたのかもしれない。
別に慧音は大妖精に全てを話して欲しかったわけではない。一つの質問から派生していき、いつのまにか持論を発表しなくてはいけなくなっただけだ。
こんなことになるのなら、最初から何も聞かずにチルノの後を追わせれば良かったかもしれない。慧音は少しだけ後悔した。
「とはいえ、これらが真実だという証拠はどこにもない。ひょっとしたら、全て私の妄言かもしれないからな。まあ、そんなに気にするな」
そう言って、大妖精の頭に手を置いた。すると、魔がとれたように、大妖精の表情も心なし穏やかになっていく。
「真実は全て、アリアが一緒に持ってったからな。答えが出ないのは残念だけど、世の中ってのは往々にしてそういうもんかもな」
「だからといって、本の貸し借りを曖昧にしようとするなよ」
「全ては私の懐の中だぜ」
言うや否や、魔理沙はチルノにも負けない勢いで飛び出していった。今頃はホウキに跨って、遙か向こうまで飛んでいってしまったはず。追いつくことは、まずできないだろう。
「大変ですね」
「気苦労が絶えんよ。だから、君もあまり深く考え過ぎない事だ。過去を振り返るのは大切な事だが、囚われていては肝心な事を見失う。歴史というのは、適度に食って創るに限る」
慧音は湯飲みを持ち、苦笑しながら言った。
「何より、その方が楽だしな」
お茶を啜ろうとしたが、湯飲みの中は空っぽだった。
アリアの前に、では?
今回の慧音の突っ込みで、如何に己が前作、前々作をぼんやりと読んでいたかを自覚。更に猛省。
是非シリーズ化して、助手のもこタンといちゃつきながら歴史を紐解いて頂きたいものですww
そのオチと言うか種明かしも、読んでいて「そーなのかー」と納得するのではなく、「それはないんだぜ…」と突っ込みを入れたくなる悪い意味でひぐらし的な感じを受けた。
東方キャラを殺せと言うわけではないが、読んでいて安心できる館モノってのは色んな意味で間違ってるような気がしないでもない。
どことなく演出に違和感があるものの、
頑張ってる感じは伝わってきました。
歴史探偵って言ってるくらいだしね。
それぞれのキャラが思い思いに動いてるところが面白いですね。
チルノは特に何もしてないけど、存在感が異常で素敵でしたw