今は昔、南部藩のご領地は遠野の山奥に、名の付けられない郷がございました。
名の付けられぬと申しますのは実はこの郷、古くから妖怪狐狸の多く集まる土地として知られておりまして、物忌みのために名前を封じられてしまった郷なのにございます。
元和年間に、当地を治めていらっしゃった南部利直様と申します殿様が、この地に陰陽師や術師を集めて妖怪たちを封じ込める儀式を行ったと聞いております。
とまあそこまで申し上げればお気づきのとおり、私がお話しておりますのはもちろん、皆さまの良くご存じのあの郷についての事々にございます。
当時はまだ件の大結界などはございませんから、外界との行き来は商いなどで幾ばくかありましたが、利直様の行われたと言われる儀式以来、表向きにはある種隠れ里の様相を呈して行ったのでございます。
さても昔から、妖魅物怪の中には人の肉を食らうというものが居ると伝え聞いております。
郷に住まうと言われるヤクモ何某と申す妖怪も、またこのうちの一匹にてございます。
当地の者は”八雲”と字を当てて記しておりましたが、はて、八雲とは和歌の枕詞に唄われる”八雲立つ~”から来ているのでありましょうか、もしくは古の出雲の地から来た妖怪であるために、これまた古の習いにそって生まれいでた土地の名前を付けたのでございましょうか。
本当のところ、名の由来を知る者はいないのであります。
さて――
この郷に人を食う妖怪があらわれるという噂が改めて立ちましたのは、伝え聞くに元禄の中頃のことにございます。
屍は出ないものの、郷の近隣で行方不明者が次々に現れ始めたのでございます。
行方の知れぬものが出た場合にはまずは妖怪の仕業を疑うというのは、妖怪がたくさんおりますこの郷の習いにございます。
郷の者たちも、行方知れずの者達はやはり妖怪にとって食われたのであろうと、事の始まりから考えておりました。
そしてこの人食いこそが、伝承に記されます手強い妖怪、ヤクモではないかと言われていたのであります。
と言いますのもこのヤクモ、人を食うことには食うのですが、その食べ方というのがとても綺麗に平らげてしまいますので、跡には骸のかけら一つ残らず、襲われた人間はまるで神隠しにあったかのようにきれいさっぱり消えてしまうと言うのであります。
郷には妖怪魑魅魍魎あまたおりましたが、こう言った食べ方をするのはヤクモだけでありました。
なにゆえ急にこのヤクモが目立つようになったのかと申しますれば、何分正体の分からぬあやかしの存在のことですので詳しくはわかりませんが、妖怪の中には時折、ふと思いだしたかのように人を襲う回数が頻繁になるものもおるそうにございます。
犠牲になる者の数が日に日に増えていきますので、これは捨ててはおけぬとご領主様や、郷にありました陰陽寮の方々が討議いたしまして、ヤクモの探索と退治に乗り出したのでございますが、困ったことがございました。
ヤクモと対峙して無事ですんだ術者はおりません。それほど手強い妖怪にございます。
また姿を隠すのが上手い怪(け)でしたから、退治どころか見つけ出すのも容易でございませんでした。
術者様方はほとんど成果を上げられず、ただただ時が過ぎ、犠牲者が増えるばかりでございました。
そういった次第に変わりがあったのは、人食い妖怪が出るという噂が立ってから二年ほど後のことにございました。
郷の中にはいくつかの里街があり、事の起こりはその中でも一番大きな里にて始まります。
その里の中心、三軒長屋にお春と申す歳若き人妻がおりまして、可愛らしい七つになる女の子と二人で暮らしておりました。
亭主はどこへ行ったのかと申しますれば、養蚕の問屋を商いとしておりまして、遠く江戸まで商談に出向いて行ってしまったとか。
時代は徳川様の治世に移り変わり、ようやく泰平の世となりましたものの、遠く東北の地までお上の威光が行き届くにはまだまだ心許無く、道中の治安も悪うございます。
亭主の帰りが遅くまた便りもないので、だんだんとお春も娘も心配になってきました。
あずま方の寒村でございますから、母娘二人では毎日の生活も心細いものです。
「亭主は旅の途中で野伏せりや盗賊に襲われて、命を落としてしまったのではないか」
そんな噂が長屋に流れるようになったのは、亭主が消息を絶って一か月程経った頃にございます。
そこでお春は、亭主の無事を祈るためにと一念心に定めまして、遠く里を離れて麓のお社まで参拝に出かけることにしたと申します。
ところが、これまたこのお春も、里の近住の者に言伝えていた予定の日数を越えても帰ってこない。
娘は近所の心あるものが面倒をみ、めしなど食べさせてやっておりましたところ、帰ると知らせた日を一週間は過ぎた頃に、このお春、ふらりと里へ戻ってまいりました。
何があったのか、そう周りの者が尋ねましたところ、
「道に迷いました」
うつろな声でそれだけ返したきり、黙りこんでしまったといいます。
その頃からでございましょうか。
長屋に住まうものが、一人、また一人と姿を消すようになったのでございます。
角の甚六、魚売りのお菊、八百屋の又八など、老若男女を問わず姿を消し、神隠しのように行方の知れなくなった者が十四、五を数えたと申します。
あまりに相次いで人がいなくなるものですから、やがて里は滅びて、一人もいなくなってしまうのではないかと思われたほどであります。
里の者たちは妖怪の仕業を疑い始めました。
もともと術師の多かった里にございますれば、特別に警戒を厳重にし、陰陽師たちの手によって妖怪探しが始まりました。
集まりが開かれた折には、こう意見を申すものもおりました。
「妖怪が里の誰かに化けて潜んでいるのではないか」
まさにその者の提言したとおりだったのです。
実は長屋のお春は既に元のお春にあらず、人の肉の味をしめ、里のうちに入り込み、もっと簡単に人を取って食らおうと考え、お春そっくりに姿を変えた妖怪ヤクモなのでありました。
お春は詣での途上で、憐れにもこの妖怪に取って食われてしまったのでしょう。
ところがこの妖怪、お春に大層うまく化けたようで、一緒に暮らしていた娘にも全く気付かれておりませんでした。
七つの幼子とはいえ、急に母親の様子が変わればなにかしらおかしいと思うはずですが、娘の様子には普段と変わりがなかったといいます。
よくよくこのお春、すなわち妖怪ヤクモに懐いていたと聞いております。
幼子なれば母親が身の回りの世話をしなければいけませんし、周りのものに妖怪であることを悟られてもいけませんので、すみかの家事全般はおそらくこのヤクモがやっていたのでしょう。
また母と娘二人でありますし、亭主は帰ってこないので先立つものはどうしているのだろうと、近所の者がいぶかしく思い、お春に尋ねましたところ、江戸で商いを立てた亭主から便りがあり、金子を送ってくれたと答えたと申します。
亭主は不在であるものの、周りからは以前よりいっそう仲の良い親娘になったと評判でありましたから、よほど上手く母として振る舞っていたということなのでありましょう。
妖魅がこのように甲斐甲斐しく子を育てるというのはなんともはや、世の中とは珍妙なものにございます。
とある日の夕暮れの刻に、娘が遅く帰ってくるということがありました。
「どうしてこんなに遅くなったの?」
そうお春がたしなめようとしましたところ、娘が手に持っていた輪っかのようなものを差し出しまして、
「ほおずきで作ったかんむりだよ。おかあちゃんにあげる」
とかわいらしい声にて言ったと申します。
見てみれば幼子なれど、丁寧に編んで作ってあるではありませんか。
当のお春と言えば狼狽激しく、ただただ何と申すればよいか迷いつつうろたえるばかりだったと言います。
恐らくは化生とは言えヤクモも、湧き上がってくるなんとも言えぬ親としての感情に、心中震えていたのでございましょうか。
しゃがんで娘と視線を合わせ、その娘がぽんと冠をお春の頭に乗せました後には、目頭をそっと押さえていたと申します。
そんなことがあってから、長屋の人間が姿を消すということは、ぱたりとなくなりました。
陰陽師方も妖怪を探し出すことにくじけかけていたころでした。
おそらくは娘に情がうつったのでございましょう。
かの雪女の伝承にもあるとおり、妖怪も時には気まぐれに人と世帯を共にするということがございます。
人里にて幼子の無邪気さに触れ、これまで食い物としてしか人を見てこなかったヤクモにも、やうやう人情が芽生えたのでありましょうか。
まこと奇異な巡り合わせがありますのが浮世の不思議にございます。
とは申しましても、陰陽五行を操るお偉い法師様方の教えによれば、妖怪が人を食らうというのは、これはもう八百万の神々が定めた決まり事であります。
妖怪は皆人に恐れられるからこそ、うつし世に居る意味があるのでございます。
人を食らうというのは妖怪の生まれ持った性、であればこそ妖怪は妖怪で居られるのだとも申せましょうか。
誠に残念至極なことにはございますが、娘が可愛くて、食人の衝動を抑えていたヤクモにも有る折に限界が来ました。
「ああ、人がほしうてほしうてたまらぬわ」
そう夜な夜な、里の往来を歩きまわって嘆いていたそうにございます。
ある時、このお春が住まう長屋に、娘の友達が訪ねてきました。
折悪く娘はちょうど外に遊びに行ったところだったので、お春はこう答えました。
「あら、――ちゃん。ごめんね。あの子は今出かけているの。ちょっと中で待っててもらえるかしら」
としまして座敷の中に友達の娘を上げます。
そして部屋の中に入りましたらばその娘、きっと鋭い視線をお春に向けて、
「私は知っていますよ」
と言うではありませんか。
「……何を言っているの?」
怪訝な表情をしてお春が娘を見返しましたところ、
「あなたは妖怪ですね、化けても私にはわかるのです」
そう言いまして娘は、先ほどより一層真剣な面持ちで、刺すような眼をしたのであります。
言われたお春がしばらく佇んだ後のことでした。
お春の背後からわっと黒い影が這い出してきて、狭い長屋の壁をつたい、天井にまで広がったのです。
「まさかお前のような子供に正体を知られるとは思わなかった、あな口惜しや……」
本性を現したヤクモが真っかな目を見開いて娘を見据え、この世のものとは思えぬ声でそう申したとのことにございます。
人食いを絶って数か月は経っておりましたので、この怪の飢えは並々ならぬものだったのでありましょう。
ものすごい勢いで友の娘にとって掛ったと申します。
さて娘の方はその頃、仲の良い友達と遊ぼうとしてその家を訊ねましたところ、留守だと言われます。
おまけにその友は自分の家に向かったと聞かされました。もともと行き違いになっていたのでございます。
そこで通りを引き返して我が家へと急ぎました。
家に着き裏口で履物をせわしなく脱いだ娘は畳にあがります。
おそらくは台所に居るであろうと見当を付けた母に向けて呼びかけました。
「おかあちゃん、――ちゃん来なかった?」
返事はありませんので、娘はてくてくと畳の上を駆けて台所へ向かいます。
そして台所に続く土壁に手を掛けて、土間を覗きました。
そこで娘の目に入ってきましたものは。
しゃがみこみ、口元を真っ紅に染めておかしな形の縄を咥えた実母の姿です。
その足元にはあわれにも腹を切り裂かれて横たわる友の姿がございました。
縄に見えた物は、友の腸にございます。
母の姿をした妖怪は、血の海の上で一時、紅く光る目を丸くして娘を見、膝をついたままの姿勢ですくんでおりました。
その瞳には、なにか脅えに似た色があったそうにございます。
力なくお春の顎が下がり、ぽとり、と血にまみれた臓物が土間に落ちます。
やがてほんの一瞬その影がゆがんだ後、渦を巻き始め、すすり泣く声が響き渡ったかと思うと、煙のようにぱっと消えてしまったとのことにございます。
近所の者が悲鳴を聞きつけて駆け付けた折には、既に死に絶えました友の血の海にて、頭を押さえて奇態な泣き声を上げているお春の娘がいましたが、母親の姿は見当たりませんでした。
この事件が起こったのち、郷の妖怪連中の間で、”里の中に住んでいる人間は食べない”という暗黙の約束が交わされたそうにございますが、本当のことにございましょうか。
実話だと聞き及んでおりますが、見返してみればおかしな点もございます。
食べられた娘につきましては当然墓の中でございます。
生き残ったお春の子としましては、恐ろしいものを見てしまったがために物狂いに近くなってしまい、近在のものは事情を聞くことができなかったそうです。
また、事件以来一言も口をきかず、物をしたためて事の次第を書きしるすことなどもなかったそうにございます。
ヤクモが本性を現した折には、この二人の娘しかその場にいなかったのですから、とすれば一体誰が見聞きし、何者がこの物語を後の世に伝えられらたと言うのでございましょうか。
やはり、世にあまた溢れる作り事、偽りのほら話の類にございますのでしょうか。
世の習いにそいまして、まこと人の噂とは当てにならぬもの、と言うことかと思われてしまいます。
昔語りの類には見返してみますと、よくこういった矛盾が見つかったりしますので、気をつけなければいけません。
しかしながら、この話につきましてはまだ裏がございます。
何でもその犠牲になった近所の子供、さる名家の娘御にございまして、死したるときの装束としますれば、おかっぱ頭に絹織の着物、おまけに姓を稗田と申すそうにございます。
しますれば御察しの良い皆様方のこと、もはや事のあらましにお気づきのことでございましょうか。
お春の娘が母親の姿をした妖怪に、ほおずきの冠を渡した光景を見たのも、この稗田の娘にございましょう。
稗田の血なれば多少なりとも護法の心得はございましょうから、妖怪の正体を見極めたのもその力ゆえでしょうか。
皮肉にも、それが仇となってお命を失う形となってしまわれたのですが。
かの御阿礼子は、腸をつつかれ痛みに身をよじらせつつも、己を食らいしあやかしと娘との間の諸行無常を克明に目に収めていたのでございます。
そして御阿礼子と申しますれば、輪廻転生を繰り返して後も記憶を次代に伝えていくと言われる不可思議の御子、生まれ変わりて後、次の世代にて前世の記憶を元にこの物語をしたためたのでございましょうぞ。
ただ、ホラーというほど怖くはなかったです。
どちらかというと物悲しさを途中から感じていました。
よくわからない感想失礼しました。
というのも、ホラーにしては締めが曖昧ですし、某と確定したものが少ないんですよね。決して悪い話だと言ったのではないので、お気に障りましたら謝ります。
本当のことを言うと、自分も厳密にホラーを目指していたわけではないのです。
参考にしたものがホラーだった、程度です。
遠野の民話っぽく東方、なスタンスだったのでいただいた感想はお二方とも嬉しいです。お読みいただいて本当にありがとうございます。
>一人目の名前が無い程度の能力様
妖怪と人間のビターな関係でした。
みんな仲良くできればそれにこしたことはないのですけどね(笑)
>二人目の名前が無い程度の能力様
たまにはこういう時代がかったのもいいかと思い。
まあ、今回限りです。
というか講談のような語り口が素敵です。