Coolier - 新生・東方創想話

子供部屋で紅い霧に囚われる程度のSS ~或は続々・さくやわんの居る日常

2007/09/22 11:34:01
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(記)
 当作は、作品集44内「気に操られた程度のSS ~或はさくやわんの居る日常」及び「図書館で踏み迷う程度のSS ~或は続・さくやわんの居る日常」の続編に当たります。
 非原作キャラ「さくやわん」が登場しますが、お話のペースを優先させ、詳しい説明は致しておりません。そちらにつきましては、お手数ですが上記二作品のどちらか片方を、ご参照ください。



     *****     



 其の部屋には、上品な天蓋付のベッドが在る。側仕えが根気よく整えて居るのだが、直ぐにぐちゃぐちゃにされて仕舞う。
 あまつさえ、ベッド其の物が壊れて仕舞う事もしばしばで在る。天蓋の無い質素な物に置き換えれば手間も省けるのだが、頑として譲らぬ城主の意向故、其の度毎に辛抱強く修理されて居る。勿論、新調せざるを得ぬ事も多い。
 其の都合も在り、其の部屋の扉は高く大きい。其うして重い。此れも又た、否取り分け、破壊の脅威に曝さるるのだが、此ればかりは迂闊に壊さるる訳にゆかぬ。其の為慎重に慎重を期し、人智を超えたる方法で封じをして居るので在った。

     *     *

 其の日、小さなフランドォルは大人しく遊んで居たが、少々不満では在った。大好きな姉様が、此処の処余り遊んで呉れ無く成って仕舞ったからだ。
 だから、貰った絵本を幾つか選んで、頁をばらばらに壊して仕舞った。とりどりの色が、毛足の長い、ふかふかの緋色の絨毯の上に散らばる。物語の生き物達が勝手気ままに動き回る、お花畑の様だ。

 ふと思い付いて、気侭に頁を拾ってみる。
【うえのあねは つまさきを ちょんぎり】
【たまてばこから たちまち しろいけむりが たちのぼると】
【わらのいえは あっというまに ふきとばされてしまいました】
【それでもまだまだ ぬけません】
【すえっこのこやぎは いったいどうしたのでしょう】
【ちいさなまじょは いいました】
【わたしは ひに せんにんのひとを ころしてしまおう】
【おばあさんのおてては どうしてそんなに けむくじゃらなの?】
【にわしは くびを ちょんぎられてしまいました】
【そこに いちわのくろつぐみ むすめのめだまを ほじくりだした】
【そのかわりに おまえのうつくしい あしをもらうよ】

 フランドォルは目を輝かせた。此れは、凄いお話だ。皆んなが一つのお話に、次から次へと出てくるのだ。お姫様も、お妃様も、魔女も狩人も狼も人魚姫も豚も仔山羊も皆んな皆んな。其うして、次から次へと騒ぎが起こる。まるで、姉様が時々お話してくれる、幻想郷の様だ。

 ……姉様は今日も来無いだろうか。お外に行って仕舞ったろうか。

 立ち上がり、七色に輝く翼をもじもじいじりながら、カァテンを閉ざした窓に背伸びする。セピアとアイボリィで紋様を織り出した分厚いのをよちよちと引き開け、薔薇の花模様のレェスを掻き分けて外を覗いた。一面の灰色。端に吊るされて居る蝙蝠の御守が、ふわふわと揺れた。
 今日も曇り、今日も雨。姉様に教えて貰った通り、両手を耳に当てると、さぁさぁと雨の音が良く聞こゆる。

 小さなフランドォルは暫らく其うしてから、絵本の頁を散らかした中に戻った。此のお話は、一等お気に入りの表紙に綴じる事にする。紅い紅い蝋燭を捧げ持つ人魚の本。大きさが合わ無くて、頁が幾つか縦や横に飛び出して居る。

 玩具箱から、クレヨンの箱を出して来た。大好きな赤のクレヨンはもう無く成って仕舞いそうだ。あんまり使わ無い青や緑等は折れて仕舞って居る。嫌いな色は失くして仕舞った。
 しかし、紅い表紙に赤いクレヨンは、一寸無理だ。大好きだけれど仕方無い。黒いクレヨンなら、二番目に好きだし、良く見える。だから黒いクレヨンを選んで、大きく新しい題名を書いた。げんそうきょう。

 とんとんとん。何の音?
 小さなフランドォルは、はっとして扉を振り向いた。姉様かも知れ無い。

 けれども、扉が通したのは咲夜だった。
「わん!」
 何んだか、何時もより随分小さい。
「いらっしゃい。さくや」
 小さかろうと、大きかろうと、咲夜は咲夜だ。姉様では無い。がっかりして絵本作りに戻る。

── 咲夜は好きだけど嫌い。美味しい物や綺麗なお洋服を持って来て呉れるけど、大好きな姉様を連れて行って仕舞う。

 さくやわんは尻尾ともども威儀を正し、失礼の無い様フランドォルお嬢様の部屋に参上したが、其の惨状にはいささか驚いた様で在った。
 お嬢様は絵本の残骸の山の上に脚を投げ出して陣取り、頁を部屋中に投げ散らして居る。玩具箱の一つが盛大に引っ繰り返って中身を溢れさして居り、服も何着か脱ぎ散らかされて居る。沢山在るクッションの殆んどは何処かしらを引き裂かれ、中身をほじくり出されて仕舞って居る。
 ベッドからはシィツが盛大に雪崩落ち、其の只中に捩じ繰れた杖の様な、槍の様な物が突き立ち、熊の縫いぐるみが一体串刺しの刑に処せられて居る。熊は赤いクレヨンを塗りたくられ、クッションの物と思しき綿に塗れて居た。

── レミリア姉様は大好きだけど大嫌い。一緒に遊んで呉れて、優しくお話しして呉れるから。髪を梳いて、頭を撫でて呉れるから。でも、咲夜と一緒に往って仕舞う。

 覚悟を決めたさくやわんは、玩具箱の中身から手を付けた。
「さくや。くれよんは、かたづけちゃいやよ」
 小さなフランドォルは不服そうに言った。もう一冊作れそう。其うしたら表紙に又た、題名を書くのだ。でも、中々良い頁が見つから無い。詰まら無い頁ばかり。此れも要ら無い。此れも。此れも此れも。
「きゃん!」

── うふふ。良い気味。でも、変ね。何時もの咲夜なら、慌てたりし無いのに。嗚呼、今日は小さいからか知ら。

 急に頁を被せられ、さくやわんはばたばたと体を振るうた。
「わん!」
「はぁい。ごめんなさい」
 怒られて仕舞った。フランドォルは素直に謝り、ベッドの方に頁を投げる事にした。巧く投げると、シィツを滑って流れ落ちて来る。お花畑が一寸広がった。
 此方の方が面白い。絵本作りは止めにして、頁投げをしよう。

── 玩具箱が終わったら、次は多分服ね。其れからあの悪い熊ちゃんを助けて仕舞って、ベッドをきちんとして仕舞う。ちゃんと話してあげ無くちゃ。あの熊ちゃんが何んなに悪い子だったか。でも、串刺しに成ってちゃんと罰を受けたから、雪が降って浄めて呉れたの。
 ……何んなに、悪い子だった事か。

 使命を果たすべく、フランドォルは頁投げの手を止めた。
「ねぇ、さくや」
 返事は無い。
「ねぇったら」
 変ね、と首を傾げながら咲夜を振り返る。普段なら、玩具箱くらいあっという間に片付けて仕舞うし、呼んだら必ず返事をして呉れるのに。

 さくやわんは、玩具のピアノと格闘して居た。此の紅くてレェス模様の描かれたピアノはフランドォルのお気に入りで、部屋の片隅に飾って在った。勿論、さくやわんは其の辺りの委細を知らず、故に玩具箱に何とかして入れようと担ぎ上げた。途端、鍵が残らずぼろぼろ毀れ落ちて仕舞ったのだ。
 フランドォルが鍵を一つ壊して、外して仕舞って居た所為で在った。
「きゅん」
 さくやわんは黒白の鍵を何んとかピアノに収めようとするが、何処に収めて良いのかが判ら無い。

── さくやったら如何したのか知ら。何時もなら、又た壊して仕舞ったのですか、とかって言うのに。ひょっとして、自分で壊しちゃったと思っているのか知ら。

「こまってしまって、わんわん、わわん」
 フランドォルは口ずさむ。さくやわんは丸めた尻尾を更に仕舞い込み、涙目でフランドォルを見上げる。

── 其うよ。最初に壊したのはわたしだけど、此んなに壊したのは咲夜だわ。

「さくや。わるいこ」
 レミリア姉様の口調を真似る。
「きゅん」
 さくやわんは、縮こまってうな垂れた。

── 悪い子は罰を受けるの。熊ちゃんは串刺し。わたしはお外に出られ無い。咲夜は如何しようかしら。

「さくやは、いっぱい、わるいことをしました。ぴあのをこわしちゃいました。ふらんがよんでも、おへんじしませんでした」

── 姉様と咲夜は何時も一緒。だから……

「それに、ねえさまをいつも、つれてっちゃいます」

── だから、お外に出られ無くして仕舞えば、きっと姉様も。

「いつもいつも」

── 其れだけじゃ足り無い。罰が足り無い。

「いつもいつもい────つっも!」
 小さなフランドォルは、地団駄を踏んだ。

── でも、あんまり酷い罰だと、レミリア姉様が悲しむかしら。

「だから、ばつを、うけなければ、なりません」

── 悲しめば、良いんだわ。

     *     *

「二世が見つから無くて残念」
 さくやわんの事だ。
「……其の言い方はお止め下さい」
 城主レミリアは、従者咲夜を戯れに嬲りながら地下への階段を降りて往く。にまにまと笑うレミリアに、咲夜は遠慮無く抗議する。何時も通りの取り澄ました顔だが、声が胡乱な物を孕んで居る。
「本当に残念。良い玩具に成るでしょうに」
「えぇ、本当に。直ぐに壊されて仕舞いますわね」
「美鈴が悲しむわ。其んなに嫌い?」
 咲夜は慎重に口を閉ざした。

 咲夜の手にする燭台の炎が、二人の影を壁に床に躍らせ、其うして階段は終わった。
 銀盆には、極上のチャイナにて誂えた薫り高い祁門と、蕩ける様なミクスベリィタルト。何れも、紅魔館特製だ。犠牲者の事は、数年もすれば誰も彼もが忘れ去って仕舞うで在ろう。
 城主の手には、新しいライオンの縫いぐるみが在る。其れを抱える様子には、まるで違和感が無い。何と成れば即ち、見た目の歳相応の、穏やかな微笑みを浮かべて居るからだ。可愛い妹の喜ぶ顔を思い浮かべる、その様。
 目の前には、子供部屋の扉が在る。

 とんとんとん。何の音?
「フラン、入るわよ」

     *     *

 入った二人は少しの間、突っ立った侭で在った。
「ねえさま!」
「わん!」
 珍妙な姿勢から駆け出そうとしたフランドォルは、さくやわんの声で踏み止まった。一人と一匹は息を揃えてスカァトの裾を抓みお行儀良く一礼。
 勿論小さなフランドォルは、直ぐ様姉様に跳び付いた。レミリアは躊躇わず縫いぐるみを床に置き、其の胸にフランドォルを迎え入れて抱き締めた。
「フラン、御免なさいね、フラン。一人ぼっちにして」
「ねえさま、ねえさま」
 其れを横目に、咲夜は惨憺たる部屋に踏み込んでいった。此の城に於いて全てに最優先さるるべき仕事であり、持てる全てを注ぎ込むべき栄え在る仕事では在るのだが、徒労感に苛まされずには居られ無い。理由は幾つも在る。其の最たるの一つは、たった今背後で劇的な展開を見せて居る、姉妹愛で在ろう。
 もう一つは、窓だ。

 咲夜は此の部屋に踏み込むと、フランドォルと一緒に、真っ先に窓を見やる。其うして、他に急いで成すべき事が無ければ、十中八九開いて居るカァテンを、先ず閉ざすのだ。
 形ばかり貼り付けられた窓枠の向こう側に在る地下室の石壁など、見たく無いから。

「わん!」
 足元に、さくやわんが来ていた。思わず蹴りを呉れそうに成るのを凝っと我慢しながら見下ろす。人の言葉は解する様だが、此奴はわんだのきゃんだのしか言わ無い。凡その処は、何んと無く雰囲気で察せられはするが。
 今は如何やら、首尾の報告に来てボス犬の指示でも仰いで居る積もりらしい。其のいじましさが、妙に心をささくれ立たする。其れに、独行で此処に居るという事は、「扉」が咲夜本人と勘違いした、という事で在ろう。其れも気に喰わぬ。
「さっさと片付けでも何でも」
 手伝い為さい、と続けようとして、不意に悟った。怯えた挙句にほっとして、腰を抜かして居る様なのだ。恐らく、咲夜達が来るまでに何か在ったので在ろう。
 詰まり、如何やら己の才覚でフランドォル相手に切り抜けたと見得る。

「フラン、さっきはさくやわんと何をしてたの?」
「あのねぇ、だんす、おしえてもらったの!」
「其う。良かったわねぇ」

 咲夜は蹴りを入れる代わりに、少し休んで居なさい、と小さく呟いた。私情を越えて、労うに値する。
「気功体操ですね。美鈴の」
 其う、姉妹に声を掛ける。
「……気功体操でスカァト何んか抓んだか知ら」
「……判りかねます」
「あれぇ?」
 急に、素っ頓狂な声をフランドォルが張り上げた。
「如何したの? フラン」
「さくやがふたりいるよ?」
 咲夜は反射的にナイフを準備したが、結局投げ無かった。投げ無かったのは、従者として主の片方に手を上げる等、問題外で在る為。
 其うして、投げられ無かったのは、フランドォルで在ったからだ。フランドォルの眼には実際、其の様に映じて居るので在ろうから。

     *     *

 姉は形ばかりでは在ったが、部屋の散らかり具合で妹を叱った。其の間に咲夜は部屋を片付け、一段落した辺りで、お茶の準備をする。何時もの事だ。少々違ったのは、さくやわんが手伝おうとして邪魔に成った程度。熊ちゃんは、フランドォルの達ての願いで、贖罪を続ける事と相成った。
 絨毯にカンバス地のシィトを広げ、無事なクッションを寄せて車座に成る。新たな仲間のライオンちゃんは、早速フランドォルの背もたれとして活躍中。
 姉様に食べさして貰って、小さなフランドォルは御機嫌で在る。
「あまぁい!」
「ほら。ちゃんと食べてから。気に入った?」
「うん! だぁいすき!」
「咲夜お手製よ。ちゃんと有難う、為さいね」
「ありがとう、さくや。だいすきよ」

── でも、今日も姉様を連れて往って仕舞うのよね。

「恐縮です」
 咲夜は笑みを貼り付け、フランドォルのカップにお替りを注ごうとポットを手に取った。
「あ、まって?」
 フランドォルはカップに僅か残った紅茶を、受け皿に開けた。
「ちっちゃいさくや、おいで?」
「あらあら」
 レミリアは苦笑しながらさくやわんを眺め、咲夜はさっさと監視をレミリアのカップに切り替えた。咲夜の脇に大人しく控えて居たさくやわんは、一寸躊躇った様だったが、果敢にフランドォルの招待に応じたので在った。
「おあがりなさい」
「……わん」
 何時もの勢いに少々足りぬ返事をして、さくやわんは賜り物に口を付け。

 行き成り、レミリアがフランドォルを押し倒した。

 さくやわんは尻尾を巻いて飛び退いた。膝に押し割られたカップが、レミリアの白いベビィドォルの裾を紅に染める。
「……フラン、何をして居るの」
「此の方法で仲間を増やす鬼も居るみたいじゃ無い? ねぇ。姉様」
 フランドォルの手首には、自ら付けた噛み傷。流れ出た血の色が、紅茶の飲み残しと共にマァブル模様を作り、カンバスの上に広がる。
「又た、目を覚まして仕舞ったのね」
 フランドォルは答えず、身を振りほどこうともがいた。レミリアは其れを抱き竦める。激しても、冷たい肌。
「離してよ」
「駄目」
「何故」
「……貴女の為に成ら無いからよ」
 其の言葉が終わらぬ内に、戒めを振り解いたフランドォルの左手がレミリアの喉を襲い、レミリアの右手が辛くも其れを押し留める。
「嘘吐き」
 フランドォルは尚も身を捩る。ティセットが片端から粉々に砕け、しかし咲夜は其れを凝っと見守って居る。
「嘘吐き姉様」
「聞き分けて。お願いよ。目覚めて仕舞えば、貴女は必ず」
 フランドォルの牙を、レミリアは身を仰け反らせて紙一重で避けた。頭を胸にしっかりと抱きかかえ、一等恐ろしい武器を封ずる。
 代わりに自由を得た両手が、レミリアの背に容赦無く爪を立てる。紅を刻み、翼の付け根を鷲掴む。
 くぐもった喚き声。如何にか牙を立てようとフランドォルは頭を振り回し、レミリアの翼をもぐべく腕に力を込める。喉の奥から苦悶を洩らしつつも、レミリアは耐え忍ぶ。
「強すぎる力が、必ず貴女を」
 左の翼が音を立てて折れた。レミリアは仰け反り、隙を作って仕舞う。
 次の瞬間、互いが互いの喉を絞めて居た。
「フラン……! わたしは、貴女と……貴女を……!」
「嘘吐き! 姉様は、可愛い、良い子を、飼って居たいだけぇっ!」
「……其うよ」
 其の答えにフランドォルの腕が怯んだ。其れで充分だった。レミリアはフランドォルの四肢を確実に組み敷いた。
「可愛いフラン。貴女を失う訳にはゆか無いもの」
 蝮の鎌首の如く、レミリアはフランドォルの首筋に牙を立てた。血を吸う為では無い。切り裂く為だ。

 音を立てて血が噴いた。
「姉様……何んで?」
 緋の絨毯に、紅い血の海。

 咲夜は、駆け寄ろうとするさくやわんを、断固として抱え込んだ。何が出来る訳でも無いだろうに、さくやわんは尚も身をもがく。しかし、咲夜は其れを許さぬ。
「大人しく見て居なさい。私達が踏み込んで良い事では無いのよ」

「何んで、何時も……」
 其の弱々しい声を聞きながら、血塗れのレミリアは今一度、血塗れのフランドォルを抱き締めた。唯でさえ冷たい身体が、レミリアの腕の中で更に冷えてゆく。最初の頃は、絶望と激情に翻弄されて自分も泣き喚いたものだ。しかし今は、静かな諦めしか無い。
 弱りはしても、事切れる心配は無いと判って居る。
「さぁフラン。わたしの眼を見なさい」
「嫌……返してよぉ……」
 かぶりを振る度に、脈を打って血が溢れる。
「貴女のまどろみは、目覚め無い運命に在る」
「返して……! わたしを、わたしを返して……!」
「目覚め無ければ、まどろんで居られる」
 レミリアは我知らず、フランドォルの身体を血の海の中で撫でさすっていた。ほんの微かな温もりだけでも、戻したいという様に。
「姉様……! お願い、わたしを、壊さ無いで……」
「御免ね。フラン。御免なさい。でも、此れしか出来無いの。わたし達には」

 其うして運命が訪れた。
「嫌……」
 運命はフランドォルの力を内側に導き、フランドォルの思い出を打ち砕いた。

     *     *

 ……寒い。姉様が泣いている。涙を流して居無いけれど、わたしには判る。
「ねえさま」
「気が付いたの、フラン?」
「だいじょうぶよ」
「……ん?」
「だいじょうぶ。ねえさまはいいこだから」
 巧く手に力が入ら無いけれど、良い子良い子、してあげよう。
 けれど、姉様の髪まで手は届か無くて。姉様はわたしの手を取って、頬に当ててくれた。
「有難う、フラン」
 わたしは悪い子。罰を受けなければ成ら無い。何故だったかは、良く判ら無いのだけれど、確かに其う。其れは間違い無い。
「ねぇ、ねえさま」
 頑張って、頑張って、手を姉様の耳に当てる。
「だれかにおそわったの。こうするとね、あめのおとが、よくきこえるでしょ?」
「……えぇ」
「かなしいときは、あめのおとをきくの。そうすると、そうするとね……」
「大丈夫よ。姉様は大丈夫だから。だから一度、お眠りなさい」
「はぁい……おやすみなさい」
「おやすみ。フラン。おやすみなさいね……」
 心の中には、紅い、紅い霧が在る。ふかふかで、暖かい。紅い霧にくるまって居れば、大丈夫。怖い音が聞こえても、嫌な影がよぎっても、紅い霧が守って呉れるから。

     *     *

 咲夜は、血塗れの縫いぐるみ二体を抱えて、部屋を辞した。
 フランドォルが目覚めて仕舞った夜、部屋に在った物は軒並み破棄される。次の目覚めの手がかりを、少しでも無くす為だ。けれども、其の中の幾つかは、レミリアの奥の部屋に大切に収められる。
 切り裂かれて居ようと、血塗れで在ろうと、其れらは繕う事も、洗う事も許され無い。其れは、レミリアなりの贖罪なのだろう。例え自己満足に過ぎ無かったとしても。
 咲夜は主で無く、自分を嘲う。其んな、五百年近く経っても其んな侭の主達に、仕えた事を悔やんだ事が無いのだから。空しさは募っても。
 さくやわんが、爪音だけを響かせながら、黙って後を付いて来る。初めてあれに居合わせた時、自分は如何だったのだろう、と、ふと気に成った。

     *     *

 階段を昇り切れば、既に日が昇って高い様だった。数少ない窓の一枚から、永遠に晴れぬ空で弱められた昼の光が差し込んで居る。
 しくりと痛む目を細めながら通り過ぎた向こうのアルコォヴに、美鈴が待っていた。
「お疲れ様」
 ワゴンを引き据え、お茶の用意がして在る。
「……紅茶だったら刺すわよ」
「残念ながら、花茶です」
 何時ものカァキのドレスをしゃんと着こなし、悪戯っぽく笑いながら席を立つ。
「わんっ!」
「さくやわん、お帰り」
 さくやわんは美鈴の腕に抱きとられ、居心地良さ気に丸まった。縫いぐるみを先に席に着けた咲夜は、身を鎧う瀟洒を少しばかり端折った。どかりとアルコォヴに腰を据えると、手ずから適当なマグにポットの中身を注ぐ。華やいだ香りが漂い、美鈴が其れに続いた。
「此れは何?」
「桂花にパチュリィさんの特選ハァブ。落ち着きますよ?」
「一寸薬臭く無い?」
「高麗人参入れました」
「微妙」
「だって、もう一仕事控えてるじゃ無いですか」
 咲夜はプリムを脱ぐと、頭を振って天井を仰いだ。美鈴は返答を強いず、隣に鎮座坐しますライオンの縫いぐるみを撫でる。血糊が移るのも、一向構わ無い。
「此の仔、お勤めは今日だけでしたね」
「……其うね」

 言おうか如何か、咲夜は迷って居たのだが、結局言う事にした。隠しても、美鈴の援けにも救いにも成るまい。
「あのね、その犬」
「何か、粗相でも」
 自分が真面目に怒られる時と同じ様な顔に成る美鈴に、如何いう顔を向けて良いのか迷い、咲夜は視線を逸らした。
「フラン様の血を舐めたの」
 美鈴は考え込んで、困った顔に成った。
「一寸予測が付きませんね」
 当のさくやわんは、油断しきった格好で美鈴の膝の上。静かに寝息を立てて居る。
「其うね。フラン様は此うやって増える鬼も居る、とか言ってたけど」
「まぁ、成る様に成るでしょう」
「暢気な事」
「女は度胸ですよ。パチュリィさんに訊くくらいはしてみます。貸しの分はきっちり使わせて貰わ無いと」
 美鈴はらしく無い性悪な笑みを浮かべ、咲夜は造った澄まし顔で咳払いした。
「妥当ね」
 髪に手早く手串を入れ、プリムを被り直す。美鈴は茶器を片付けに掛かる。
「引き止めちゃいましたね」
「良いわ。有難う」
 其うして咲夜は、縫いぐるみと供に消え去った。時間を止めて部屋に急いだので在ろう。此んな日、城主は決まって泣きに来るのだ。咲夜の部屋に。従者達には良く判って居る。
 美鈴は飲み残しを一通り腹に収めて仕舞うと、器を適当に積み上げて場所を空け、其処にさくやわんを降ろした。
「……?」
「良いよ。寝てて」
 耳の後ろを軽く掻いてやると、さくやわんは大人しく丸まり直した。
 美鈴は何処からか、蝙蝠の形の香包を取り出す。ぼそぼそと他愛も無い、秘密の言葉を呟いて。
「ほっ」
 気合一閃、ワゴンとガラガラ走り出す。途中でマグが一つ転げ、さくやわんの頭にすっぽり被さった。

     どっとはらい。
 どうせだから紅魔館を制覇しようとの目論見のもと、三作目をお届けいたします。
 少々引っ張る部分を含ませてしまいましたが、さくやわんのお話は、ひとまずこれにて一段落。着想をくだすった原作と絵師氏、ご意見、ご感想をくだすった皆様におかれましては、改めまして伏して御礼を。

 ……作を追うごとに分量がじわじわ増えてしまっているのが不安ではありますが、些少なりともお慰みとなれば幸いです。

※07/09/22 11:20 タイトルを含む誤脱修正。多くてガッカリ。まだありそうで不安。他、若干表現の推敲。
 以下、追記。

>扉のくだりと絵本のくだりが
 早速のコメントありがとうございます。「まず浮かんだシーン」と、「ストーリに伴って現れたシーン」の差が、出てしまっているのでありましょう。何時か、区別が付かないくらいになれるといいのですが。

※08/03/06 むっちゃ時間開きすぎですが、以下、追記。

「やるせなさ」「せつなさ」といったニュアンスは、実は大好物です。当作にはそれを目一杯盛り込むよう心がけました。存分にたゆたっていただけましたようで、大変嬉しく思っております。

>傍観者でしか居られない咲夜さんに萌え。
 はい。このお話の33%くらいはそのために書いております。このお話を書きながら、僕の中の咲夜さん像が固まったような気がします。

>マグが頭にすっぽり被さったという事の後が
 意外なところにご指摘が。多分、くたびれてぐっすり眠り込んでいるため、起きる前に取ってもらえるんじゃないかと思います。美鈴さんが悪戯でも思いつけば別の展開が待っているかもしれません。
 血よりもマグ、という読み方をしていただけたのは、大変嬉しいです。

>砂浜に描かれた絵のよう
 残り66%のうちの33%ぶんでございます。こうもスマートにまとめていただけると逆に嫉妬すら覚えます(笑)フランドールさんには今までフォーカスを当てたことがなかったため、よい機会でした。
一野干
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コメント



0.610簡易評価
3.90名前が削除
なんとなく作者が何を書きたいのかわからないみたいなコメントがつくような
予感がするので先読みして書いておくと、逆に作者の書きたいことがとても
わかりやすいと思った。そして犬かわいいよ犬。進化したらどうしよう・・・。
扉のくだりと絵本のくだりが一番悶えた。咲夜さんの態度はいくらか軟化するだろうか?
6.90名前が無い程度の能力削除
三作の中で一番好きだなぁ。絵本は内容の素敵さに嫉妬。
傍観者でしか居られない咲夜さんに萌え。
7.80名前が無い程度の能力削除
妹様の血を舐めた事よりも、マグが頭にすっぽり被さったという事の後が気になります。
10.90名前が無い程度の能力削除
さくやわんがかわいすぎる…
妹様の心が砂浜に描かれた絵のようで切ないですね。
16.90名前が無い程度の能力削除
独特の文体が織り成すテンポがすごく心地よいです
やるせなくてそれでいて悪くない読後感も素敵でした
17.90名前が無い程度の能力削除
読みながらたゆたえる素敵な文章に久しぶりに出会えました