裁縫針に二度三度、ほおずき色の刺繍糸を巻きつける。糸の渦巻きを指先で軽く押さえ、針を引っ張る。このときの右手の形が好き。小さな杖を持った魔法使いのよう。糸は結び玉になって、ドレスの裾の最後を飾った。不恰好にならない目立たない大きさで。糸切り鋏で終点を断てば、出来上がり。秋の新作・ワインレッドのベルベット生地のドレス。襟、袖、前方中央に揃いの白レースを縫いつけ、紅色を引き締めた。裾は年代物のセピアの花柄布と二段重ねになっている。背伸びのお嬢様風、デザイン画通りの出来。
私――アリス・マーガトロイドは、完成した人形服の両肩を指で摘み上げた。口元がにこやかご機嫌になっているのがわかる。平面の構想が型紙になり、立体の服として浮かび上がる。幾度となく繰り返してきた行為。それでも、出来たての作品を見る心は変わらない。湖に岩石を叩き落としたような、満たされた気持ち。心地良い揺らぎ。
窓の外は藍色がかった、黒い世界になっていた。もうカーテンを閉めるべき時間。作業を始める前は底深い緑色、森の色だった。時の流れを瞳で感じて、ほのかに嬉しくなる。
一仕事終えた後、私は私に思い切り優しくする。一番のお気に入りの紅茶をとっておきのポットで淹れて、彩色写本を眺めながら楽しむ。
最近好きなのは、春摘みの高地紅茶。お茶の新しい芽がどっさり入っていて、若々しく伸びやかな味わい。先日紅魔館の門番から力ずくで平和的に頂いてきたもの。アトリエの戸棚奥に秘蔵してある。
薬缶に水をなみなみ注いで、炉火にかけた。白地に青い花を散らしたティーセットを取り出す。ティーセットと言っても、ポットとソーサーとカップのみなのだけれども。ミルク入れと砂糖入れはない。どちらも、紅茶のとろりとした琥珀色を濁らせてしまうから。
お茶の用意に人形は使わない。茶葉の微妙な匙加減味加減は、私でないとわからない。
薬缶の底から、金属の震える音が聴こえる。そろそろ沸騰。紅茶缶を取り出そうと、高いところの棚を開いた。手鍋や釜を退ける。
……やられた。
そこには、空白が出来ていた。丁度、立方体の缶ひとつが入る大きさの。そういえば、数日前に魔理沙が何かを持っていった。人形に紅を塗るのに夢中で、何を盗られたかなど深く考えていなかった。
仕方が無い、そんな日もある。舌打ちして、倍返しを誓って、代わりを探す。沸かしすぎたお湯で淹れると不味くなるので、素早く。手近にあった小袋の紅茶にした。球体のポットにスプーン二杯分の茶葉を落とす。基本は人数プラス一。高い位置から滝のように湯を注ぎ込む。空気と熱湯を叩きつけられて、葉っぱはポットの中を上下に泳いだ。
蓋をして、厚手のカバーをかける。テーブルに寄りかかって待つことしばし。紅茶の入っていた密閉紙袋には、「熱湯三分 八意」と筆書きされていた。確か、月の兎が夢の丸薬と一緒に持ってきたものだ。お得意様用と言っていた。丸薬に気を取られてすっかり忘れていた。あの薬師のこと、お茶にも仕掛けを施してあるはずだ。きっかり十二時間だけ眠りに落ちたり、喉元を過ぎてから衝撃的な音を放ったり。まあ死にはしまい。仕事を終えた私の心は広い。
宵の工房は点在する蝋燭の灯りに照らされ、緩やかな蜜柑色に光っている。遠くで木々の掠れる、さやかな音が聴こえる。後は陶器粘土と絵の具のにおい。私の世界はとても安らかで、とても優しい。
カップに浅く紅茶を流し入れ、水色を確かめる。幾分薄めの蜂蜜色。香りは青く、永遠亭周辺の竹林を想像させた。不眠に効く薬草や、幻覚きのこの匂いはしない。発酵は十分。一口含んで、素直に美味しいと思った。少し苦めで奥行きのある味。後味は軽くて舌に残らない。私の好きな味だ。丸薬じゃなくてお茶を売ればいいのに。
外の夜闇を見遣り、古い説話の写本を捲り。副作用はこれといってない。手足は巨大化していないし、五感はいつも通りだし、心は浮きも沈みもしていない。身体が適度に温まって気持ち良い。
なんだ、期待して損した、心配して得した……そんな風に考えていた矢先、異変は起こった。と言っても、私の心身にではない。カップに注がれた紅茶の水面に、である。蜂蜜色の泉が乳白色にぼやけ、ひとつの像を結んだ。
それは、触り心地の良さそうな銀髪を伸ばした少女だった。人里の子供に先生と呼ばれていた娘。眉間に皺を寄せ、年代記の巻物を見つめてお茶を飲んでいる。ややあって像は水に溶けて消えた。
これは夢か、はたまた現か。数滴お茶を足すと、再び像が生じた。今度は吸血鬼の令嬢。薔薇色の繊細なカップを、優雅に両手で支え持っている。その後ろで門番が飛んでくるナイフから逃げていた。泣きながら逃げる門番は、布製の肉饅頭のようなものを手にしている。大変現実的な映像に思えた。
続いて、永遠亭の姫君。縁側でひとり急須を傾けている。空は私の部屋から見える色と同じ、日が暮れた後の群青色。
なるほど、大体把握した。薬師特製のこのお茶は、自分と同じ時間に喫茶を楽しむ人々を映すのだろう。ただし効果は極めて短い。温度も関係しているらしい。先刻から段々と像のピントが外れてきている。ポットの空になる頃には、何も映らなくなっていた。
紙袋の中にはまだ少し茶葉が残っていた。もう一度湯を沸かして、淹れてみることにする。袋の中身を全てポットにあける。沸騰までには時間があった。
中身の無い杯を覗き込む。私の顔だけが映った。
薬師・八意永琳は何を思って、私にこのお茶を寄越したのか。誤配、好意、悪戯、実験台。可能性は幾つもある。正解は哀れみ交じりの悪意、だろうか。傍目には私は孤独に見えるはずだ。人形に囲まれ、黙々と手仕事を続ける親しみにくい魔女。それを冗談半分に哀れんで、「お茶を飲むときも独りでしょ、これで気を紛らわしなさいな。ただしもっと淋しくなっても知らないわよ」という気持ちで手製茶を送りつけた。あり得る話だ。つかみどころの無いあの薬師のこと、もっと壮大かつどうでもいい目的もあるのかもしれないけれど。
そこまで推量してから、考えすぎかと笑った。私はよく知っている。独りと淋しさの結びつかないことを。
沸かし立ての湯で茶葉を開き、抽出させる。カップに少しずつ注いでは、私は他人のティータイムを覗いた。
冥界では、庭師が主人の残りのお茶を啜っていた。眠たいのか瞬きが多い。隣では主人が丸くなって眠っている。眺める庭師は幸せそうだった。
どこかの小屋で、九尾の狐が熱い緑茶を吹いている。すぐ横でその式神も茶を吹いていた。揃って猫舌。二人は顔を見合わせて、微笑んだ。
紅魔館では、メイドが吸血鬼のカップに紅茶を注いでいた。後ろで門番が平伏していた。先の鬼ごっこはメイドの圧勝で終わったらしい。和む光景だった。
偉そうな帽子の裁判官は、彼岸で居眠りの舟を漕ぐ死神を見下ろしていた。蹴り飛ばすべきか否か、足が揺れている。結局蹴らずに抹茶を飲んだ。
博霊神社では、霊夢と魔理沙が秋の夜長のお茶を楽しんでいた。風とどんぐりを肴に、何か賑やかに話しながら。
私は裁縫をしていた作業台を見遣った。そこには新作のドレスを着た、円らな瞳の人形が一体。丁寧に巻いた金髪と、品のいい葡萄酒色のベルベットはよく合った。
次はどんな人形を作ろうか。新しく造った青灰色の瞳を入れて、肌色を薄くしてみようか。窓の外のような、果てのない墨染めのレースを使ってみようか。
蝋燭の揺らめきに合わせて、心はアトリエを漂う。
素敵なお茶を飲んで、私もカップの像のひとつになった。
私――アリス・マーガトロイドは、完成した人形服の両肩を指で摘み上げた。口元がにこやかご機嫌になっているのがわかる。平面の構想が型紙になり、立体の服として浮かび上がる。幾度となく繰り返してきた行為。それでも、出来たての作品を見る心は変わらない。湖に岩石を叩き落としたような、満たされた気持ち。心地良い揺らぎ。
窓の外は藍色がかった、黒い世界になっていた。もうカーテンを閉めるべき時間。作業を始める前は底深い緑色、森の色だった。時の流れを瞳で感じて、ほのかに嬉しくなる。
一仕事終えた後、私は私に思い切り優しくする。一番のお気に入りの紅茶をとっておきのポットで淹れて、彩色写本を眺めながら楽しむ。
最近好きなのは、春摘みの高地紅茶。お茶の新しい芽がどっさり入っていて、若々しく伸びやかな味わい。先日紅魔館の門番から力ずくで平和的に頂いてきたもの。アトリエの戸棚奥に秘蔵してある。
薬缶に水をなみなみ注いで、炉火にかけた。白地に青い花を散らしたティーセットを取り出す。ティーセットと言っても、ポットとソーサーとカップのみなのだけれども。ミルク入れと砂糖入れはない。どちらも、紅茶のとろりとした琥珀色を濁らせてしまうから。
お茶の用意に人形は使わない。茶葉の微妙な匙加減味加減は、私でないとわからない。
薬缶の底から、金属の震える音が聴こえる。そろそろ沸騰。紅茶缶を取り出そうと、高いところの棚を開いた。手鍋や釜を退ける。
……やられた。
そこには、空白が出来ていた。丁度、立方体の缶ひとつが入る大きさの。そういえば、数日前に魔理沙が何かを持っていった。人形に紅を塗るのに夢中で、何を盗られたかなど深く考えていなかった。
仕方が無い、そんな日もある。舌打ちして、倍返しを誓って、代わりを探す。沸かしすぎたお湯で淹れると不味くなるので、素早く。手近にあった小袋の紅茶にした。球体のポットにスプーン二杯分の茶葉を落とす。基本は人数プラス一。高い位置から滝のように湯を注ぎ込む。空気と熱湯を叩きつけられて、葉っぱはポットの中を上下に泳いだ。
蓋をして、厚手のカバーをかける。テーブルに寄りかかって待つことしばし。紅茶の入っていた密閉紙袋には、「熱湯三分 八意」と筆書きされていた。確か、月の兎が夢の丸薬と一緒に持ってきたものだ。お得意様用と言っていた。丸薬に気を取られてすっかり忘れていた。あの薬師のこと、お茶にも仕掛けを施してあるはずだ。きっかり十二時間だけ眠りに落ちたり、喉元を過ぎてから衝撃的な音を放ったり。まあ死にはしまい。仕事を終えた私の心は広い。
宵の工房は点在する蝋燭の灯りに照らされ、緩やかな蜜柑色に光っている。遠くで木々の掠れる、さやかな音が聴こえる。後は陶器粘土と絵の具のにおい。私の世界はとても安らかで、とても優しい。
カップに浅く紅茶を流し入れ、水色を確かめる。幾分薄めの蜂蜜色。香りは青く、永遠亭周辺の竹林を想像させた。不眠に効く薬草や、幻覚きのこの匂いはしない。発酵は十分。一口含んで、素直に美味しいと思った。少し苦めで奥行きのある味。後味は軽くて舌に残らない。私の好きな味だ。丸薬じゃなくてお茶を売ればいいのに。
外の夜闇を見遣り、古い説話の写本を捲り。副作用はこれといってない。手足は巨大化していないし、五感はいつも通りだし、心は浮きも沈みもしていない。身体が適度に温まって気持ち良い。
なんだ、期待して損した、心配して得した……そんな風に考えていた矢先、異変は起こった。と言っても、私の心身にではない。カップに注がれた紅茶の水面に、である。蜂蜜色の泉が乳白色にぼやけ、ひとつの像を結んだ。
それは、触り心地の良さそうな銀髪を伸ばした少女だった。人里の子供に先生と呼ばれていた娘。眉間に皺を寄せ、年代記の巻物を見つめてお茶を飲んでいる。ややあって像は水に溶けて消えた。
これは夢か、はたまた現か。数滴お茶を足すと、再び像が生じた。今度は吸血鬼の令嬢。薔薇色の繊細なカップを、優雅に両手で支え持っている。その後ろで門番が飛んでくるナイフから逃げていた。泣きながら逃げる門番は、布製の肉饅頭のようなものを手にしている。大変現実的な映像に思えた。
続いて、永遠亭の姫君。縁側でひとり急須を傾けている。空は私の部屋から見える色と同じ、日が暮れた後の群青色。
なるほど、大体把握した。薬師特製のこのお茶は、自分と同じ時間に喫茶を楽しむ人々を映すのだろう。ただし効果は極めて短い。温度も関係しているらしい。先刻から段々と像のピントが外れてきている。ポットの空になる頃には、何も映らなくなっていた。
紙袋の中にはまだ少し茶葉が残っていた。もう一度湯を沸かして、淹れてみることにする。袋の中身を全てポットにあける。沸騰までには時間があった。
中身の無い杯を覗き込む。私の顔だけが映った。
薬師・八意永琳は何を思って、私にこのお茶を寄越したのか。誤配、好意、悪戯、実験台。可能性は幾つもある。正解は哀れみ交じりの悪意、だろうか。傍目には私は孤独に見えるはずだ。人形に囲まれ、黙々と手仕事を続ける親しみにくい魔女。それを冗談半分に哀れんで、「お茶を飲むときも独りでしょ、これで気を紛らわしなさいな。ただしもっと淋しくなっても知らないわよ」という気持ちで手製茶を送りつけた。あり得る話だ。つかみどころの無いあの薬師のこと、もっと壮大かつどうでもいい目的もあるのかもしれないけれど。
そこまで推量してから、考えすぎかと笑った。私はよく知っている。独りと淋しさの結びつかないことを。
沸かし立ての湯で茶葉を開き、抽出させる。カップに少しずつ注いでは、私は他人のティータイムを覗いた。
冥界では、庭師が主人の残りのお茶を啜っていた。眠たいのか瞬きが多い。隣では主人が丸くなって眠っている。眺める庭師は幸せそうだった。
どこかの小屋で、九尾の狐が熱い緑茶を吹いている。すぐ横でその式神も茶を吹いていた。揃って猫舌。二人は顔を見合わせて、微笑んだ。
紅魔館では、メイドが吸血鬼のカップに紅茶を注いでいた。後ろで門番が平伏していた。先の鬼ごっこはメイドの圧勝で終わったらしい。和む光景だった。
偉そうな帽子の裁判官は、彼岸で居眠りの舟を漕ぐ死神を見下ろしていた。蹴り飛ばすべきか否か、足が揺れている。結局蹴らずに抹茶を飲んだ。
博霊神社では、霊夢と魔理沙が秋の夜長のお茶を楽しんでいた。風とどんぐりを肴に、何か賑やかに話しながら。
私は裁縫をしていた作業台を見遣った。そこには新作のドレスを着た、円らな瞳の人形が一体。丁寧に巻いた金髪と、品のいい葡萄酒色のベルベットはよく合った。
次はどんな人形を作ろうか。新しく造った青灰色の瞳を入れて、肌色を薄くしてみようか。窓の外のような、果てのない墨染めのレースを使ってみようか。
蝋燭の揺らめきに合わせて、心はアトリエを漂う。
素敵なお茶を飲んで、私もカップの像のひとつになった。
僕の本命は青茶でして、黄金桂、炭焼鉄観音、鳳凰単叢辺りが。紅茶では、ダージリンでしょうか。
秋の雰囲気にあった優しい作品ですね。
自分は紅茶は基本的に飲まないんですけど、なんかのんびり飲んでみたいな、と思わせてくれる作品でした。
誰かと飲むお茶もいいけど、渾身の一杯はこっそり一人で楽しみたい派です。
夏のお気に入りはディンブラ。
コーヒー党な自分ですが、こういうティータイムなら紅茶もいいかもしれない・・・・・・
季節描写が優しげで、本当に素敵だ。
和む作品をありがとうございます。
紅茶好きな自分はつい頬が緩んでしまいました。
紅茶は夏摘みのダージリンが好きです。この季節だと水出しでも美味しくいただけます。
楽しんで読んでいただければ幸いです、ありがとうございます。
ゆったりとした描写の中にほんの少し毒を混ぜた手腕はお見事です、次回も楽しみにしています。
移り変わるティータイムのお味をごちそうさまです。
一枚の絵画のよう。
孤独をネタとする安易な話は多いですが
特に気にもせず楽しんでいる子が幻想郷には多いんじゃないかと思います
映姫様がさりげなくかわいい